相続税〜或る家の事情〜 舞台

川野雅美は、義父の死により発生した相続の「相続税」に関心を持ち、実父の相続の際に世話になった弁護士に相談する。そこで得たアドバイスを夫や義母に話すも、逆に怒りを買ってしまい…
エトウマサカツ 3 0 0 11/24
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第一稿

(弁護士事務所)

(上手から雅美が現れる。入り口前で立ち止まり、一瞬ためらいつつも、何かを決心した表情でインターホンを押す)

弁護士「はーい」

(弁護士ドアを開け ...続きを読む
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(弁護士事務所)

(上手から雅美が現れる。入り口前で立ち止まり、一瞬ためらいつつも、何かを決心した表情でインターホンを押す)

弁護士「はーい」

(弁護士ドアを開ける)

雅美「どうも…」

弁護士「あ、お待ちしてました。どうぞお入りください」

(二人中に入る)

弁護士「今お茶入れますので、どうぞ」
(ソファを指す)

雅美(座りながら)「すみません、突然に…」

弁護士「いえいえかまいませんよ。どうせヒマ…」

雅美「え?」

弁護士(慌てて)「ゴホン!いや、川野さんのお頼みなら、いつでも歓迎ですよ。お父様にもお世話になったことですし」
(お茶を持ってきて雅美に差し出す)

雅美(一礼して)「すみません…」

弁護士「いや、しかし川野さんも大変ですね。お父様の件が落ち着いたと思ったら、今度は義理のお父様が…本当にお気の毒でした」

雅美「いえ…」

弁護士「で、お電話で話されたご相談というのは…?」

雅美「あの…」

弁護士「義理のお父様の相続の件で、何か…?(手帳を取り出して)確か奥様が全て相続されるというお話でしたよね?ご家族もご了解済みで…あ、やはりこの前の税金の件で?」

雅美「それも関係あるといえばあるんですけど…今日お伺いしたのは別のご相談なんです…」(うつむく)

弁護士「といいますと?」

雅美「あの…」
(少しの間。やがて決心したように顔を上げる)

雅美「私、主人と離婚しようと思うんです」

(暗転)

(スクリーンに「1ヶ月前」)

(お経SE)

(川野家。雅美と将人が葬式から帰ってくる)

将人(ソファに座りながら)「あ〜疲れた〜」(上着を脱ぎ投げる)

雅美「ちょっと!脱ぎっぱなしにしないでったら!もう…」

将人「いいじゃないか、あとでかたすって。それよりさぁ、お茶入れてくれないか。もうくたびれたよ。坊さんのお経ってのはなんでああも長いんだろうな〜」

雅美「まったく…」

(上着をハンガーにかけ、お茶を入れに行く)

将人(ネクタイをゆるめながら)「ホント葬式ってのは、もうちょっとサクサクっといかないもんかねぇ。千葉のオジキなんか途中で居眠りしてたぞ。お前気づいたか?」

雅美(奥から)「知らないわよそんなの。こっちは受付したり忙しかったんですからね。まったく、少しは亡くなった人のことを思ってしんみりしたりしないのかしらね」

将人「そりゃ、なんとも思わないわけじゃないさ。けどな、結局親父とはわかりあえなかったからな…要するに兄貴びいきなんだよ」

雅美(お茶を持ってくる。うんざりして)「またその話?」

将人「いいから聞けよ。兄貴が結婚する時は大喜びで結婚式代もポーンと出したくせに、俺の時は一人で大反対ときたもんだ。お前なんかに所帯が持てるのか、ってな。おふくろがとりなしてなんとか式には来たけど、それからというもの俺の顔見ちゃ憎まれ口叩いてばかりだった。若菜が生まれた時だって…」

雅美(遮って)「もう聞いたわよその話は。耳にタコができちゃったわよ。そうやってとうとう最後までいがみあってばかりで…『なんでパパとおじいちゃんは仲が悪いの?』って若菜に聞かれるあたしの身にもなってよね」

将人(驚いて)「あの子そんなこと聞くのか?」

雅美「気づいてないとでも思った?あの子ももう高校生よ。あなたの口からちゃんと説明した方がいいんじゃない?」

将人「ふん、誰が正しいかはそのうちあの子にだってわかるさ」

雅美「もう…ねえ、そういえばさ、終わってそうそう言うのもなんだけど、お義父さんって株とかなんとか結構手広くやってたのよね。そういうのどうなるの?」

将人「ああ、おふくろがまとめて相続するって話だ」

雅美「お義母さんが?全部?」

将人「なんだ、お前分け前をあてにでもしてたのか?」

雅美「そうじゃないけど…」

将人「これはな、相続税対策なんだよ」

雅美「相続税?」

将人「お前も知ってのとおり、親父はそこそこ財産を持ってたから、相続税を取られるだろうとは踏んでたんだ。それでな、調べたらいわゆる配偶者に多く継がせた方がトクらしいんだよ」

雅美「そうなの?」

将人「税額控除ってやつでな、1億6千万までは税金がかからないらしいんだ。それならおふくろに全部継いでもらえば、まあちょっとは足が出るけど、大して取られないで済むってわけさ」

雅美「そうなの…」

将人「こんな時に備えてな、おふくろが前々から調べてたみたいなんだ。で、俺と兄貴に向かって『私が全部継ぐから』って。最初はえって思ったけど、まあそういうことならいいのかなって」

雅美「で、お義母さんが全部決めちゃったってこと?」

将人「まあ難しいことはおふくろの言う通りにしておけば、間違いはないからな」

雅美「…」

将人「何だ?どうした?」

雅美「別に…お義父さんは遺言は残してなかったの?」

将人「なかったみたいだ。でも兄貴もこれで納得してるから問題ないさ」

雅美(不安気に)「でも、お義母さんだってもう年でしょ。そのうち次の相続が始まって、おんなじ事になるんじゃないの?」

将人(気を悪くした風に)「なんだよ、おふくろがすぐ死ぬっていうのか?」

雅美「そういうわけじゃ…」

将人「縁起でもないこと言うなよ。お前、やっぱり親父の財産をあてにしてたんだろ?だからそんなこと言うんだな?」

雅美「だから違うって!どのみちあたしには一銭も入らないのよ?そりゃ、若菜が今後大学進学した時のことを考えたら、お金はあった方がいいけど…そんなのあてにしてません!」

将人「わかったわかった。大声出すなよ」

雅美「ねえ、そういうのってちゃんと専門家の先生に相談した方がいいんじゃない?」

将人「おいおい、みんな納得してるんだからそんなの必要ないだろ。そういうのに頼むのだってコレ(お金のジェスチャー)がバカにならないだろ?お前出してくれるのか?」

雅美「それは…」

将人「なら面倒くさいこと言うなよ。ともかくそういうことだから。(あくびをして)俺ちょっと寝るわ。夕飯できたら起こしてくれ」

(将人退場)

雅美「ホントに大丈夫なのかしら…」

(心配そうにうつむく。その後、何かを思い出し電話をかけ始める)

雅美「もしもし…弁護士の野村先生の事務所でよろしかったでしょうか…はい、私川野です。川野雅美です…ええ、先日は父の件でお世話になりました…ええ…実は、別件で折り入ってご相談が…はい…はい…では、明日の10時にそちらの事務所にお伺いします…はい…よろしくお願いします…はい、では失礼します…」

(雅美電話を切る。暗転)

(弁護士事務所)

(雅美が上手から登場。インターホンを押す)

弁護士「はーい」

(弁護士ドアを開ける)

雅美「おはようございます」

弁護士「あ、おはようございます」

雅美「ご無沙汰してます」

弁護士「いえいえこちらこそ」

雅美「先日は、父の件でお世話になりました」

弁護士「いえいえ、お役に立てて何よりです。あ、どうぞお入りください」

雅美「失礼します」

(2人中に入る)

弁護士「今お茶いれますので、どうぞお座りください」

(雅美座り、あたりを見回す。弁護士がお茶を持って戻ってくる)

弁護士「どうぞ…あ、何か気になるものでも?」

雅美「あ!すみません…私こういうところ初めてなもので…」

弁護士「まあ普通そうですよ」

雅美「それに…」

弁護士「?」

雅美「こんなこと言うのも失礼ですけど、先生ホームページも持ってらっしゃらないようですし…どんな方なのかなって…父の件の手続きは兄に任せてましたから…」

弁護士(やや動揺して)「あ、いや、私あんまり手広くやってないんですよ。この事務所私1人ですし。スタッフを雇う気もないんで、ハハ…」

雅美「はあ…」

弁護士「ゴホン!それで、ご相談というのは?」

雅美「あ、はい。あの…実は先日義理の父が亡くなりまして…」

弁護士「そうですか…それはお気の毒でした」

雅美「それで、お聞きしたいのはその相続についてなんですが…」

弁護士「揉めておられる?」

雅美「あ、いや、そうじゃないんです…今は」

弁護士「今は?」

雅美「義理の父の財産は、一旦全て義理の母が相続するようなんです」

弁護士「なるほど」

雅美「その方が相続税が安くなるからって…それで主人も含め家族みんな納得してるようなんですが…」

弁護士「ご納得されてるなら、特に問題はないのでは?」

雅美「でも、はっきり言いますけど、義理の母ももう年ですし、今度はそっちの相続がいずれあるわけじゃないですか。そうすればその時に税金を払うことになるだろうし…先延ばしにして、何になるんだろうって。だったら少しでもお金があるうちに、払うものは払った方がいいじゃないですか。(次第に興奮してくる)私達だって年をとるし、子供はまだまだお金がかかるし、そういうことはよく考えて決めるものじゃないですか!それなのに、私に何の相談もなしに決めるなんて!」

弁護士「まあまあまあ、落ち着いてください」

雅美(我にかえる)「あ、すいません。つい…」

弁護士「お気持ちはよくわかりました。これは、今一度みなさんでお集まりいただいてよく話し合った方がいいでしょうね」

雅美「はい…」

弁護士「ただ、税金の話では、川野さんなかなかいい視点をお持ちですね」

雅美「え?」

弁護士「おそらくご家族の方々は、『配偶者の税額軽減』があるから、お母様が全部相続した方がいいとおっしゃっているんでしょうね」

雅美「あ、はい!そんなこと言ってました」

弁護士「まあそれも一理あるんですが…長い目で見ると、配偶者の方が全て相続することが、必ずしも得ではないケースもあるんですよ」

雅美「え?そうなんですか?」

弁護士「あくまでも1つのケースなので、川野さんのお宅に当てはまるかどうかは、もっと詳細をお伺いしないとわかりませんが、ご説明しましょう」

雅美「お願いします!」

(スクリーンに解説が映る)

弁護士「まず現在の義理のお父様の相続を一次相続、将来の義理のお母様の相続を二次相続と今は呼びます。お父様とお母様で1/2ずつ財産を所有していると仮定したケースがこちらになります」

雅美「はい」

弁護士「で、今回のようにお母様が一次相続で全ての遺産を受け取った場合、確かに一次相続ではお子様達の相続税はゼロですが、二次相続でまとめて1人1億円受け取るため、お子様達の税負担は大きくなり、1人当たりの相続税が1670万円になります」

雅美「1億円もらってもそんなに取られるんですか…高いですね…」

(スクリーンが切り替わる)

弁護士「で、こちらがお子様達だけで相続した場合。2回の相続で5000万ずつ受け取ると、最終的な相続税支払額は1人当たり700万円になります」

雅美「え!半分以下じゃないですか!なんでそうなるんですか?」

弁護士「相続税のような個人にかかる税金は、累進課税の制度を取り入れているからですね」

雅美「累進課税…聞いたことあるけど、よくわからないわ…」

弁護士「要するに特定の人や年度に所得が集中すると税金が増えるってことです」

雅美「はあ…」

弁護士「このケースで言えば、一度に1億円もらうほうが、二回に分けて5000万ずつもらうよりも税金が高くなるということですね」

雅美「トータルでもらう額は同じなのに…」

弁護士「だから、『年度や名義を集中させず、分散すること』が節税の基本なんです」

雅美「なるほど…」

弁護士「まぁ実際には『配偶者の税額軽減』や『小規模宅地等の評価減』など色々うまく組み合わせて判断する必要がありますので、このように簡単にはいきませんけどね」

雅美「あ、そうそれ!その配偶者の軽減ってなんなんですか?」

弁護士「相続で配偶者、例えば奥様が財産を取得された場合に、法定相続分または1億6000万円までは税金がかからないというものです」

雅美「へぇ〜そんなに…」

弁護士「亡くなられたお父様の家族がお母様とお子様のケースなら、配偶者であるお母様の法定相続分は財産の1/2になりますから、これと1億6000万円を比較して大きいほうまでは相続税がかからないことになりますね」

雅美「それでお義母さんが多く継いだ方がいいと思ったわけね…」

弁護士「ただ先ほども申し上げたように、諸々の事情を加味しないと必ずしもトクとは言えませんけどね」

雅美「あ、あとさっきの、小規模ナントカってなんですか?」

弁護士「『小規模宅地等の評価減』ですね。相続する土地が被相続人、つまり亡くなった方が居住していた宅地や、事業をしていた土地などであれば、一定の要件を満たすことで最大80%まで評価を減額できる制度です」

雅美「それってつまり…」

弁護士「評価額が1億円の土地でも2000万円で計算できることになりますので、節税効果は大きいですね」

雅美「すごいじゃないですか!今の家の土地もそうなるのかしら!」

弁護士「ただ、その土地が居住用か事業用かなどによって適用面積や減額範囲も変わりますし、色々要件が多いのでよく調べた方がいいですよ。あと、申告もお忘れなく」

雅美「え?税金って申告するものでしょ?」

弁護士「いつもそうではないですよ」

雅美「え?」

弁護士「相続税には『基礎控除』というものがありまして、3000万円+600万円×法定相続人の数で計算されます。財産額がこの金額を下回っていれば相続税はかかりませんし、申告もいりませんよ」

雅美「じゃあウチみたいにたいしてお金がなければ何もしなくてもいいってことですか?」

弁護士「まあご自宅の土地などがどのように評価されるかにもよりますよね。路線価ってご存知ですか?」

雅美「いえ」

弁護士「国税庁によって全国の道路につけられた価格をいいます。その道路に面している土地の相続税などを計算するのに使うんですね」

雅美「はあ…」

弁護士「実際は土地の形状によって調整が入ったりするのですが、今はパソコンやスマートフォンで自宅の路線価も調べられます。国税庁のウェブサイトにわかりやすく説明があるので、将来のために一度ご覧になるのもいいと思いますよ」

雅美「先生、税金のことにも詳しいんですね…」

弁護士「私、税理士でもあるんで」

雅美「え?」

(スクリーンに税理士の免状が映る)

弁護士「ね?」

雅美「はあ…ってなんでこんなもの用意してあるんですか」

弁護士「いやあ、今の川野さんみたいに聞かれる方多いんですよ。それでね」

雅美(独り言)「やっぱりよくわからない人ね…」

弁護士「何か?」

雅美(慌てて)「いえいえ!いやー凄いなーって」

弁護士「税金のことは色々難しいことも多いので、心配ならいつでも我々専門家にご相談ください。とにかく、一度ご家族でよく話し合ってみてはいかがでしょうか?」

雅美「はい!そうします!…あら、もうこんな時間。私そろそろ失礼しないと…今日は本当にありがとうございました。それで、あの、相談料、のほうは…」

弁護士「いいですよ。今日はサービスします」

雅美「え?いいんですか?」

弁護士「大丈夫ですよ」

雅美「あの、ホントに、なんというか…どうもありがとうございました!失礼します!」

(一礼して雅美立ち去る。弁護士の電話が鳴る)

弁護士「はい…ええ、大丈夫です。たぶんこれでご家族と話し合いを持たれるでしょう…はい、ええ、そのあとは彼女次第ですね…まあ、どうなるか見守りましょう…はい?ええ、わかりましたよ。何かあればまた私が…はい。では」

(電話を切る。暗転)

(川野家。一部始終を将人に話した後)

雅美「…というわけなのよ」

将人「ううん…」

雅美「ね?やっぱりちゃんとみんなで話し合ったほうがいいわよ?」

将人「うん…でも…一度おふくろが決めたことだし…」

雅美(少し苛立って)「そんなこと言って、それで余計にお金使うなんて嫌じゃない?お義母さんだってそんなの喜ばないでしょ?ちゃんと説明すれば、わかってくれるわよ」

将人「でもなぁ…お前だっておふくろの性格知ってるだろ?一度決めたことを覆されたら、きっと怒るんじゃないかなぁ…お前言ってくれよ」

雅美「え?私が?」

将人「俺じゃうまく説明できないからさ、な?」

雅美「うん…」

(暗転。川野佳恵の家)

(インターホンの音)

佳恵「はーい」

(ドアを開ける)

将人「ただいまー」

佳恵「ああ将人、なんだい話って?電話じゃ言えない話だっていうから…あら、なんだ雅美さんもいたのかい」

雅美「どうも…」

佳恵「なんだい2人揃ってウチに来るなんて。なんかあったのかい?」

雅美「はい。あの…」

(将人の方を見るが、将人は「自分で話せ」というそぶりをする)

雅美「あの…お義父さんの相続のことなんですけど…」

佳恵「え?それなら私が全部継ぐからあんた達はなんの心配もいらないよ。将人から聞いてないのかい?」

雅美「いえ、そうじゃなくて…」

佳恵「?」

雅美(意を決して)「もう一度、考え直していただきたいんです」

佳恵(意表を突かれて)「え?」

(暗転)

(再び佳恵家。ムッとした様子の佳恵)

雅美「…というわけでして。やっぱり、一度みなさんで話し合ってもらったほうが…」

佳恵「…」

雅美「お義母さん?」

佳恵「…あんた、何が狙いなんだい」

雅美「え?」

佳恵「もっともらしいこと言って、あんたウチの財産が狙いなのかい」

雅美「そんな…!私は」

佳恵「家族で揉めることがないように、私が話をまとめたっていうのに、あんたそれを全部チャラにしろって言うのかい!」

雅美「私はただ、長い目で見てみんなが損しないようにって思っただけです!」

佳恵「だいたい弁護士が言ったからってその話を鵜呑みにするなんて…私はこの辺で野村なんて弁護士聞いたことないよ。おおかたポッと出の新人に騙されてるんじゃないのかい?」

雅美「そんな…野村先生は私の父の時も親身になってくれた、ちゃんとした方です!」

佳恵「フン、あんたの親なんてたいした財産残してなかったんだろ?どうってことなかったんじゃないのかい?」

雅美「そんな…!」

(雅美、助けを求めて将人の方を見るが将人は俯いたまま)

佳恵「ともかく、あんたの思い通りにはさせないよ。もう帰んな!」

雅美(将人に向かって)「ねえ、黙ってないでなんとか言ってよ!」

将人(俯いたまま)「…」

雅美「ちょっと、聞いてるの!」

将人「いや…」

雅美「え?」

将人「母さんがそう言うなら、仕方ないだろ…」

雅美「ちょ、ちょっと!」

将人「だから俺はやめとけって言ったんだ…」

雅美「ちょっと、何言ってるのよ!」

佳恵「そこまでだ!もう帰んな!」

雅美(肩を落とす)「…わかりました。もう結構です!」

(雅美出て行く)

将人「あ、おい!」(後を追おうとする)

佳恵「待ちな将人!」

(将人ビクっとして止まる)

佳恵「あんた、嫁にどういう教育してるんだい」

将人(ばつが悪そうに)「いや、その…」

佳恵「だいたいね、反対する父さんをなんとかなだめすかして、あんた達を結婚させてやったのはこの私だよ。それをなんだい、あの態度は…」

将人「いや…あいつもあいつなりに良かれと思って…」

佳恵「もうこの話は終わりだよ。私だってあんた達のことを思って1人で継ぐことに決めたんだ。いまさら掻き回すような真似はさせないよ。あの女によく言っておきなさい。いいね!」

将人「…」

佳恵「じゃあ、今日はもうあんたも帰んな」

将人「…ああ…」

(将人退場)

佳恵「ふう…(大きなため息)」

(仏壇に向かう)

佳恵「ねえお父さん、あなたは何でも1人でできる頼もしい人だったのに、子供達はどうも頼りないというか…育て方を間違えたのかねぇ…」

(遺影を手に取って見つめる)

佳恵「まだまだ私がしっかり見て、決めてやらないとだめなのかねぇ…」

(暗転)

(雅美下手から早足で歩いてくる)

将人「雅美!」

(将人下手に登場。雅美立ち止まるが振り向かない)

将人「なんだよ、怒ってるのか?」

雅美「…」

将人「仕方ないだろ。おふくろが言い出したら聞かない人だって、知ってたはずだろ?」

雅美「…」

将人「とにかく、あの場を丸く収めるには…」

雅美「どうして」

将人「え?」

雅美「どうしていつもそうなのよ」

将人「な、なんだよ」

雅美「あなたはいつもそう。その場を丸く収めよう、なんとか切りぬけようってそればっかり。あなた自身がどう思ってるのか、気持ちがちっともわからない」

将人「…」

雅美「あなた、私のことどう思ってるの?」

将人「な、なんだよ急に!」

雅美「答えられないの?」

将人「そ、そんなこと」

雅美「言わなくてもわかるだろ、でしょ?」

将人「…」

雅美「いつもそう。あなたの口から言ってほしいことを、言ってくれた試しはろくになかった。あなたが言わないで、誰が言うっていうのよ…」

将人「…」

雅美「あなたが助けてくれなかったら、私はどうにもならないのよ…」

将人「…それはわかるけど、俺にだって立場ってもんがだな…」

雅美「もういいわ」

将人「え?」

雅美「先に帰ってて。私用事があるから」

将人「雅美…」

雅美「いいから行って…晩御飯までには帰るから」

将人「ああ…」(将人退場)

(雅美電話を取り出してかけだす)

雅美「もしもし…あ、先生。どうも先日は…ええ、実は折り入ってご相談したいことが…はい、詳しくはお会いした時にお話ししたいのですが…ええ、あの、これからお伺いしてもよろしいでしょうか…はい、ではこれからお伺いしますので…15分後くらいには着くと思います…はい、では…」

(電話を切り、天を仰ぐ。歩き出したところで暗転)

(暗転のまま)雅美「私、主人と離婚しようと思うんです」

(明るくなり、弁護士事務所)

雅美「…というわけなんです」

弁護士「…そうですか…」

雅美「私、もうあの人とやっていく自信がなくて…」(うつむく)

(間)

(電話の音)

弁護士「あ、ちょっと失礼します」

(弁護士部屋の隅で話しだす)

弁護士「…ええ、ええ、わかってます。はい…わかりました。なんとかしましょう。はい…」

(弁護士電話を切り戻ってくる)

弁護士「あ、すいません」

雅美「…」(うつむいたまま)

弁護士「お話はよくわかりました。ご依頼ならば手続きに入りますが…この件は一旦私に預からせてもらえませんか?」

雅美「え?」

弁護士「ちょっと私の方で、できることをしたいと思いまして」

雅美「それって…」

弁護士「まあ、今日のところはお帰りください。ご主人と話し合え、とは言いませんが、一旦落ち着いて考えてみるのもいいと思いますよ」

雅美「でも…私は…」

弁護士「悪いようにはしませんから、ね?」

雅美「はあ…」

(暗転)

(喫茶店。将人が不機嫌な様子で座っている)

(弁護士下手から入ってくる)

弁護士「すいません、お待たせしました」

将人「なんなんだあんた、急に呼び出して…女房が世話になった弁護士だっていうから来てやったが、こっちは午後一で会議があるんだ。時間がないんだからな」

弁護士「大丈夫です。お時間はかけませんから」

将人「…で、なんなんだ?大事な話って」

弁護士「はい、奥様が、ご主人との離婚を考えていらっしゃいます」

将人「な、なんだって⁈」

(思わず立ち上がる将人。静止する弁護士)

弁護士「シー。声が大きいですよ」

将人「あ、失礼…(座る)どういうことだよ、雅美が離婚だって?」

弁護士「いきさつは全て聞きました。まあご夫婦ですから何かしら不満があるのは普通ですが、先日のお母様との一件が背中を押したみたいですねぇ」

将人「バカな…!おふくろが…?」

弁護士「いや、お母様というよりは、あなたのご対応ですよ」

将人「え?」

弁護士「肝心なところで、奥様を見放すような態度はまずかったですねぇ」

将人「あれは…」

弁護士「自分にも立場がある、でしょ?」

将人「…」

弁護士「わかりますよ、奥様とお母様の板挟みも辛いですよね。まあ、結婚してない私が言うのもなんですが…これだけは言えます。あなたのところにお嫁に来た奥様にとって、頼れるのはあなただけなんですよ?」

将人「…」

弁護士「義理のご両親との関係だけじゃありません。ご夫婦というのは、お互いがお互いにとって最大の、そして唯一の味方なんです」

将人「…」

弁護士「結婚式でも約束したでしょう?病める時も、健やかなる時も、って。肝心な時に奥様を支えられるのは、ご主人、あなただけなんです。それを見放されては、ショックは大きいですよ」

将人「…」

弁護士「味方がいない辛さ、そんな時に唯一の味方が現れた時の嬉しさ、あなたならわかるんじゃないですか?」

将人「え…?」

弁護士「子供の頃いじめられて、お母様に支えられたあなたなら」

将人「…!なぜそれを…?」

弁護士「…あ、もうこんな時間。私次の予定があるので失礼しますね。お代は払っておきますから」

(弁護士退場。一人残る将人)

(回想)

佳恵「おや、またケンちゃんとタクちゃんにいじめられたのかい?しょうがないねえ…」

(回想終わり)

将人「…唯一の、味方…」

(暗転)

(佳恵の家。入り口に将人と雅美が現れる)

雅美「ねえ、ほんとやめましょうよ…私もう…」

将人「いいから、俺に任せとけって。(インターホンを押す)あ、俺、将人だけど…お前は何も言わなくていいんだ。全部俺がやるから」

雅美「どうしちゃったのよ…」

(佳恵ドアを開ける。雅美に気づき不快そうに)

佳恵「…入んな」

雅美「失礼します…」

(二人中に入る)

佳恵「で、今日はなんだい?詫びでも入れに来たのかい?」

将人「そうじゃない」

佳恵「?」

将人「あれからちゃんと考えたんだ。雅美の言ってることは間違ってない。母さん、相続の話はちゃんと話し合うべきだ」

(雅美と佳恵、共に驚く)

佳恵「あんた…あたしに楯突く気かい?」

将人「そういうことじゃない。長い目で見れば目に見えて損をしそうなのに、わざわざそのままにしておくことはないだろう。それに」

佳恵「…なんだい」

将人「これは家族全員の問題だ。兄貴も含めて全員で意見を出して決めるべきだ。いつも大事なことは母さん一人に決めさせてきたけど、いつまでもそれじゃダメだ。俺たちももう子供じゃない」

佳恵「…」

将人「だから、雅美の言う通り、相続の話はやり直すべきだ」

佳恵「…あんた、結局その女の肩を持つんだね?」

将人「そりゃそうだろ」

佳恵(驚き)「なんだって?」

将人「雅美の味方になれるのは、この家で俺だけなんだからな」

雅美「将人…さん…」

将人「ともかく、今日は兄貴がいないからこれ以上話すことはない。また今度全員で話し合おう…今日はそれだけ言いにきた。雅美、帰ろう」

(二人帰ろうとする)

佳恵「…待ちな」

(二人止まる。雅美不安そうに将人を見る)

将人「お前先に行ってろ」

雅美「でも…」

将人「いいから、大丈夫だから」

(将人雅美を押しやる。心配そうに雅美退場)

将人(振り返り)「なんだい、まだ何か文句があるのかい。言っとくけど、俺だっていつまでもおふくろの言いなりには…」

佳恵「そうじゃないよ」

将人「え?」

佳恵「あんたの好きにしなさい」

将人(驚く)「…」

佳恵「あんたももう、あたしの袖を引っ張って放さなかった、泣き虫じゃないんだよねえ…」

将人「母さん…」

佳恵「ほら、早く帰んな。細かいことはまた連絡するから」

(将人帰りかけるが、ふと止まり振り向く)

将人「母さん」

佳恵「なんだい」

将人「…ありがとう」

(将人退場。佳恵軽く微笑みながら見送る)

(暗転)

(帰り道。心配そうに将人を待つ雅美)

(将人が追いついてくる)

雅美「あ!」

将人「待たせたな」

雅美「大丈夫だったの?」

将人「ええ?大丈夫だよ。ちゃんと納得してもらった」

雅美「そう…ならいいけど…」

将人「だから言っただろ。俺に任せとけって」

雅美「うん…でもどうしたの?急にあんなこと言い出して…何かあったの?」

将人(素っ気なく)「別に」

雅美「ホントに?」

将人「なんもないよ…さっきも言ったろ」

雅美「え?」

将人「お前の味方になれるのは、俺だけだからな…俺たちはお互いが最大の味方だってことさ」

雅美「…」

将人「もういいだろ。さ、帰るぞ」

(雅美将人に寄り添い、彼の手を握る)

将人「な、なんだよ?」

雅美「いいじゃない。こうしてたいの」

将人(恥ずかしそうに)「よせよみっともない…いい年して」

雅美「たまにはいいでしょ…そんなに嫌なの?」

将人「いや…いいよ」

雅美「?」

将人「お前がそうしたいなら…もう少し、このままでいいよ」

雅美「…」

(微笑みながら将人の肩に頭をのせる)

雅美「…ありがとう」

(二人手を繋いだまま歩き出す)

(暗転)

(数日後、弁護士事務所前。菓子折りを持った雅美に将人が渋々ついてくる)

将人「ここが弁護士先生の事務所なのか?」

雅美「そうよ。やっぱりちゃんとお礼言っておかないと。お世話になったんだし」

将人「面倒くさいな…」

雅美「だめよ。あなた先生に何か言われたんでしょう?だからあんなことを」

将人「いや別に…あ、そうそう、昨日おふくろから電話があったよ。お前に伝言があった」

雅美(不安そうに)「え?何…?」

将人「ありがとう、ってさ」

雅美「…」

将人「あれからおふくろの方でもツテをたどって、税理士の先生に聞いてみたんだとさ。そしたら雅美の言う通りだったって。無駄な損するところだった、教えてくれてありがとうってさ」

雅美「そう、なの…」

将人「ま、わざわざ他の先生に聞くってところが、おふくろも素直じゃないよなー」

雅美(笑顔になって)「じゃあ、ますます先生に一度お礼言わないとね」

将人「ホントにここでいいんだろうな?看板も表札もないじゃないか」

雅美「大丈夫よ。前にも来たもの。でもこの前は表札もあったのよね…電話しても全然出ないし、何かあったのかしら…」

(雅美インターホンを押す。反応がない)

雅美(ノックして)「野村先生!川野です。先日のお礼に参りました!」

(返事がない)

将人「留守なんじゃないか?」

雅美「うん…あ、カギがあいてる」

(雅美中に入る)

将人「お、おい、勝手に入っちゃ…」

雅美「野村先生!」

(中はもぬけの殻である)

雅美「どういうことなの…?」

(暗転。そのまま天国の天使と雅美の父、工藤正雄の会話が始まる。)

天使「…これでよかったんですよね?」

正雄「ああ、すまなかったね」

天使「まったく、人使いが荒いですよね。もうお亡くなりになってからしばらく経つというのに、いまだにお子さんのことを気にかけて、何かあったら面倒を見てくれだなんて」

正雄「まあ、いいじゃないか。それにあんた天使なんだから、人じゃないだろ?」

天使「あ…それもそうですね。なんか現世に長くいたらすっかりその気になってしまって」

正雄「いいじゃないか。その方がずっといい感じさ」

天使「ま、それはそうと、またお願いしますよ」

正雄「え?」

天使「本来現世に影響を及ぼすことは好ましくないんですから。また稟議書かないと。協力してくださいね」

正雄「ああ、わかったよ…あんたも一度ちゃんと書類の書き方勉強した方がいいんじゃないか?」

天使「私忙しいんで。頼みますよ。工藤正雄さん」

正雄「だからフルネームで呼ぶのやめろって…だからさ、あんたの文章はまどろっこしいんだよ。もっと要点を最初にまとめてだな…」(フェイドアウト)

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