不完全変態 恋愛

昆虫の研究に命を捧げる男・川原恒造。生活に困って書籍の企画案を持って行った出版社で、美人編集者・前田鞠子に企画をめちゃくちゃにけなされてしまう。一方、鞠子は別れたばかりのミュージシャン・仁平太志の事が忘れられずにいた。生活のために結婚したい恒造と、元カレを吹っ切りたい鞠子は婚活パーティーで再会して…。フジテレビヤングシナリオ大賞二次審査通過作品。
青木美沙 12 0 0 11/28
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第一稿

    不完全変態






        
          青木 美沙
   人物
 
 川原恒造(33)昆虫学者 
前田鞠子(35)雑誌『Zee ...続きを読む
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    不完全変態






        
          青木 美沙
   人物
 
 川原恒造(33)昆虫学者 
前田鞠子(35)雑誌『ZeeZy』編集者
市島博泰(33)恒造の幼馴染。不動産会社  
       経営
広田絵梨(23)鞠子の勤める出版社のアシ
       スタント
滝崎千歌(39)ZeeZy編集長
仁平太志(29)鞠子の元カレ
平野語(56)昆虫学者
三ツ谷アキ(24)市島の彼女
女性店員
編集部員たち
 婚活パーティー受付
 婚活パーティー司会者
 婚活パーティー参加者の男性
 ライター
 面接官
 講演会の司会者

〇昆虫食レストラン『パーカスィヨン』(夕)
   シノワズリの豪華な店内。よれたスー
ツを着た川原恒造(33)、ピンクの上品
なワンピースの前田鞠子(35)を前に
かしこまって座り肩をふるわせている
恒造「け、け、結婚してください」
   ウェイターが皿を持ってくる。皿には
   ぷりぷりとしたカブトムシの幼虫のグ
   レービーソースあえと、伊勢海老に見
   立てたゴキブリのような虫の料理。
   恒造が手に持っていたプレゼントのリ
ボンを解き、箱を開ける。虫の羽音。
悲鳴を上げる鞠子。

〇居酒屋『くいもの屋太郎』(夜)
   恒造、市島博泰(33)、カウンターに並
んで座っている。卓上には生中。
市島「いやだからなんで昆虫食レストランな
 んやって!」
   恒造、押し黙ってビールを飲む。
恒造「包み隠さない本当の自分をお見せした
 方がよいと感じたそれに」
市島「こうやって一緒にビール飲んどいたらええねん!」
恒造「鞠子さんのような女性がこういった単調な麦酒で満足するのだろうか」
市島「いや満足するがな。人類皆等しくビール飲むねん! 女子も飲むで? なぁ?」
   市島、通りがかったピチピチの女性店
   員に向かって呼びかける。
市島「こいつなぁ、プロポーズして、見事にふられおったんやで昨日!」
女性店員「えーやだぁ本当ですか?」
市島「お姉ちゃん虫食べるぅ?」
女性店員「えっちょっとそれは…虫ですか」
恒造「ダイオウグソクムシの磯のソース発酵バターの香りという料理名だ、正確さにやや欠けるきらいがあり申し訳ない」
女性店員「ダイオウ? なんかちょっとグロそうな感じの虫ですねぇ~(引き気味)」
恒造「虫ではない。深海生物の一種だ。海生甲殻類の一種で平たく言えば、エビ、カニの仲間だ。昆虫食レストランのメニューとしては邪道といえる。例外的に…」
市島「虫を食べるんがキモいかキモくないかの話をしてんねんな!!(キレ気味に)」
女性店員「こちらお下げしちゃいますね」
   女性店員空いた皿を下げて去る。
市島「ダイオウグソクムシが虫かどうかなんて話してるんとちがうねん。お前恒造、結婚まであと一歩と迫って逃したんやで」
   市島、グラスをドンと置く。
市島「お前みたいなキモイ奴なんかと結婚してくれる女おれへんねんぞ! メインディッシュで虫なんか食べとる場合と…」
恒造「ダイオウグソクムシは虫ではない! 昆虫はもっと!」
   大声に店の客達が一斉にこちらを向く。
恒造「虫とはもっと素晴らしいものなんだ!」

〇アパート・全景
〇恒造の部屋(夜)
   狭い室内に雑多な虫の標本や図鑑がひ
   しめく。机には『コスタリカ昆虫学研
   究センター研究員採用』という書類。
   ドイツ語で書かれた分厚い昆虫に関す
   る辞典を几帳面にめくっている恒造。
   集中できず、立ち上がる。
   緑色と黒色の色水の入ったボトルが
   窓辺に飾ってある。その下に挟みこま
   れた鞠子と恒造の写真。
   目黒寄生虫館で、寄生虫の標本を興味
   深そうにのぞき込む鞠子と、その横で
   畏まっている恒造。写真を見つめる。

〇これより回想 尾井(びい)出版・外観 
T・一年前
   出版社のビルが日を受けてきらめく。

〇尾井出版・面接ブース
   仏頂面でブースに座る恒造。髪の毛は
   ぼさぼさ、カメムシ柄のTシャツ姿。
   広田絵梨(23)、お茶を出す。
恒造「新居さんを出してくれないか」
絵梨「新居はあいにく出ていまして…」
恒造「そうか。では戻るまでここにいる」
   恒造、お茶をつかみ取る。手が触れそ
   うになり、絵梨、「ひっ」と小さく言
   って手を引っ込める。
絵梨「失礼します!」
   絵梨、ブースから引き上げガラス戸で
   区切られた編集部に移動する。資料の
   束を抱えた前田鞠子(35)、通りかかる。
鞠子「絵梨チャン、どした?」
絵梨「鞠子さん、あの人追い払って下さいよ」
鞠子「誰あれ?なんか変わった感じの人だね」
絵梨「書籍部の新居さんに本の企画持ち込みにきたらしいんですけど、新居さんいないって言っても聞いてくれなくて」
鞠子「ああ~新居さん優しいからな…今日の所はお引き取り下さい、って言えないの?」
絵梨「嫌ですよう、なんか目つきも悪いし、怖くて。逆恨みされてストーカーになったら嫌じゃないですかぁ」
鞠子「もう、しょうがないな。私じゃ畑違いなんだけど」
   鞠子、ブースに入っていく。
鞠子「初めまして。書籍の企画の持ち込みをされたいそうで」
   恒造、ばん、と机を叩いて立ち上がる
恒造「やっとわかりましたか!蜂の針の仕組みの面白さ!ベストセラー、間違いなしだ」
鞠子「蜂の……針……失礼ですがご所属は?」
恒造「申し遅れました。私、こういう者です」
   恒造、名刺を差し出す。『山寺大学生
   命科学部昆虫類研究室特任助手・昆虫
   アドバイザー川原恒造』とある。
鞠子「昆虫アドバイザー。山寺大学って仏教系の?虫の研究室なんてあったんですね」
恒造「ええ、虫一匹殺さなかったという仏陀の教えをより理解するために、昆虫についての知見を得るべきだと私が訴え続けて、
 このたび新設されたポストなんです」
鞠子「ポストを新設ですか……」
恒造「昆虫の研究を続けるためには、自ら道を切り開いていく必要がありますからね」
   鞠子、リアクションに困った様子で
鞠子「……企画書、拝読します」
恒造「お願いいたします」
   恒造、分厚い紙束を差し出す。読む鞠
   子の顔が途端に険しくなる。
恒造「……いかがですか」
鞠子「(吐き捨てるように)わかりにくっ」
恒造「えっ」
鞠子「タイトルからして、『寄生バチにおける針の構造に関する小察』って、何が言いたいか全っ然わかりません。これ、読者は?」
恒造「その、だな……」
鞠子「ベストセラーって言うからには一般向けに広く読んでもらいたいわけですよね?」
恒造「もちろん、その通り」
鞠子「これを読みたい読者がな・ん・に・んいるんですか」
   鞠子、企画書を勢いよく指さし
鞠子「聞いたこともないハチの、しかも、針
 に限定した話の、なんだ、小察って、小さ
 な、考え⁉読者はこれ読んで何が得られる
 の?しかもこの長~い前置き!」
   恒造の企画書には前書きとしてズラズ
   ラと文章が並んでいる。
鞠子「出版社は、あんたみたいなオナニー野
 郎の承認欲求を叶える道具じゃありません」
   鞠子、恒造に企画書をずいと突き返す。
鞠子「本日は、お引き取り下さい」

〇尾井出版・社員食堂
   オムライスをぱくつく絵梨、サラダボ
   ウルを食べる鞠子。
絵梨「ん~、カッコよかったなぁ、鞠子さん
 の『本日はお引き取り下さい』私もこれを
 サラっと言えるようにならなくちゃ!」
   鞠子、頭をかく。
鞠子「いやあ、あのクソ長い企画書見てたら
 頭に血が上っちゃって」
   鞠子、絵梨のスプーンを持つ手のネイ
   ルに気が付く。
鞠子「ネイル、新しくした?可愛い」
絵梨「えへ、実は今日アプリのチンダーで気
 が合った人と、初デートなんです」
鞠子「チンダーか。すご、やっぱ今時だねー。
 私イマイチそういうの気が進まなくてさ」
絵梨「あ、鞠子さん最近、カレと別れたばっかりでしたっけ……」
鞠子「そうそう、すっごい振られ方でさ、別れの台詞が『君で音楽が書けなくなった』」
   絵梨、びっくりして黙ってしまう
鞠子「や、やだ笑う所だよ、ここ」
絵梨「あはは、鞠子さん、チンダーが気が進まなかったら、例えばこういう気軽な婚活パーティーのサイトとかもありますよっ!」
   絵梨、鞠子にスマホを見せる。
鞠子「へぇ~色々あるんだ、ありがと、登録してみようかな」
   絵梨、鞠子の袖をぎゅっと握る。
絵梨「鞠子さん色々、無理しないで下さいね」
   絵梨、トレーを片付けに行ってしまう。
   鞠子、婚活サイトの登録ボタンを押す。

〇渋谷マークシティ下(夕)
   雑踏の中を足早に歩く鞠子。雨上がり
   で足元には水たまり。ふと、路上バン
   ドの男性ボーカルの甘い声が響き、鞠
   吸い寄せられるように男性ボーカルの
   方へ近づく。遠い目をする鞠子。

〇回想・マンション・鞠子の部屋
   荷物をまとめて出て行こうとする仁平
   太志(29)と、止めようとする鞠子。
鞠子「なんで?ね、どうしてそういう話になるの?」
太志「わかってくれよ鞠ちゃん。もう俺達無理なんだよ」
鞠子「なんで?たとえたいちゃんが音楽でダメでも、それでいいよ。私の年収600万で、ふたりで楽しく過ごしていけるって、そういう結論になったじゃない。それに、たいちゃんの音楽だって軌道に乗り始めた、なのに今なんでこんな風になるの?」
太志「これ以上俺に言わせないでくれよ、鞠ちゃん」
鞠子「ちゃんと思ってること言って!こんなの納得できない。私は別れたくないよ!」
太志「鞠ちゃんを養えないとか、そういうのは建前に過ぎない」
   太志、決心を固めたように鞠子を見る。
太志「君で音楽が書けなくなった。生活感のにじみ出た女では、無理なんだ…だからもう、終わりなんだよ、俺達」
   太志、出て行ってしまう。茫然とその
   場に取り残される鞠子。

〇元の渋谷マークシティ下(夕)
   群衆に紛れて音楽を聴く鞠子の頬に一
   筋、涙が流れる。遠くから恒造が駆け
   ながら大声で叫んでいる。
恒造「昆虫の自慰行為に関してのことだが!」
   鞠子、はっとする
鞠子「はあ?今日の持ち込みの人……え、あ
れ、もしかして私に言ってる⁉」
  恒造、鞠子に追いつく
恒造「やっと追いついた、昆虫の自慰行為に
 関して…」
   聴衆の困惑した顔。
鞠子「ちょっと!人が聞いてる!」
   鞠子、恒造を人気のない所まで連れて
   行く。
鞠子「何なんですか一体。昆虫の、え、ええ
 っと、ジ、?」
恒造「そうだ。今日あなたに僕の企画書のま
 ずさを指摘されて目が覚める思いだった。
 確かに虫のオナニー、自慰という観点は奇
 抜で一般群衆の目を引くかもしれない。あ
 なたの発想力には脱帽した」
鞠子「は、はぁ。えーっと、ですね……」
恒造「虫にはいわゆる脳味噌のような器官は
 なく当然ながら自慰のような高度な行為に
 ふけることはできない。しかし虫フェロモ
 ンの誤認により本来交尾するべきでない物
 に対して交尾行動をとってしまう種はいる。
 それを自慰と解釈すれば」
鞠子「あのですねぇ、私のさっきの発言は、
 本の内容の提案とかではなく」
   鞠子、ため息をつく
鞠子「というか、つけてきたんですか」
恒造「ええ。出版社の前のカフェで企画書を
 練り直していたら、あなたが出てくるのが
 見えたので。あなたのそのポーチ、暗闇で
 光ってわかりやすかったですよ」
   鞠子、スパンコールのあしらわれたポ
   シェットをつけている。
鞠子「ああ、これ……」
恒造「ちょうど虫が紫外線を目で見ることが
 できるように、このポーチが光線のように
 あなたの軌跡を示していた。ッと!」
   自転車に乗った平野語(56)が急にや
   ってきて、避けようとした恒造、水た
   まりに足を踏み入れ、しぶきが飛んで
   鞠子のポシェットを汚してしまう。
鞠子「……(汚れたポシェットを見る)」
恒造「済まない、他意はないんだ」
鞠子「これでもう後を追っては来られないで
 すね」
   鞠子、ポシェットを恒造に投げつける。
鞠子「二度とこんなことしないで。さよなら」
   鞠子、足早にその場を去る。

〇恒造の部屋(夜)
   部屋は暗く、懐中電灯が天井から吊っ
   てある。昆虫の標本の間に、洗われた
   鞠子のポシェット。電話をかける恒造。
恒造「君にこんなことを頼む日が来ようとは
 …断腸の思いだが、こう部屋が暗くては、
 致し方あるまい」

〇市島のオフィスの部屋(夜)
   高級な椅子にふんぞり返る市島。
市島「なんやうだうだ言うてるけど、要はや
 り手の不動産会社経営者・この市島様にカ
 ネを無心してるていう理解でよろしいかな。
 33にして電気代払えんくて部屋真っ暗に
 なってしもうたアンポンタンの虫博士さん」
恒造の声「慙愧に堪えない……」
市島「なんやて?」
恒造の声「慙愧に堪えない」
市島「あほ。難しい言葉使うなや。頼んます 
 お願いしますって素直に言えんのかお前は」
   市島、ペンを指先でくるくると回す。
市島「ま、俺かて鬼と違うから、幼馴染が苦
 境に立たされてる時に助ける気がないわけ
 やない」
恒造の声「ありがたい……」
市島「金は工面したる。けどな恒造、ひとつ
 俺の説教聞いとけよ。お前これを機に生き
 方見直したらどうや」
恒造の声「生き方、とは」
市島「お前の好きなこと極めとるとこは友人
 としてほんま尊敬しとる。けど要は食えて
 ないんやろ、その道で」

〇恒造の部屋(夜)
恒造「食えてないという訳ではない。たまた
 ま先月は調査費用がかさんでしまった」
市島の声「まあ、調査費用でもなんでもええ
 ねんけど、現実の生活を考えることも大事
 やで…例えば副業で金稼ぐとかなぁ」
恒造「それについては、充分に取り組んでい
 る。今日も出版社に企画の持ち込みに」
市島の声「ほな、結婚して身ぃ固めるいうの
 はどないや」
   恒造、鳩が豆鉄砲を食ったような顔。
恒造「結婚……」

〇市島のオフィス(夜)
市島「そや。お前を応援してくれる女子が一
 人や二人どこかにおるかもしれん。この際
 ブスでも年増でもバツイチでもええわ。働
 く女性で誰か、おらんのか」
恒造の声「そのような、女性を金づるとみな
 すことは僕にはできない」
市島「何固いこと言うてんねんな。結婚とは
 経済的合意。人生とは日常の持続。持続に
 は金が必要や。今回の件でわかったやろ」
   市島、目の前のパソコンで婚活サイト
   を手際よく別タブで2,3出す。
市島「悪いことは言えへん。明日お前の口座
 にとりあえず10万振り込んどいたる。代
 わりに、今からLINEで送るURLの婚活サ
 イト、きちんと登録しとけや。わかったか」

〇恒造の部屋(夜)
恒造「……う……む。」
市島の声「経過はまた俺が東京行った時報告
 するねんぞ。ほなな」
   電話は切れ、市島から婚活サイトの
   URLが送られてくる。ため息をつき、
   登録ボタンを押す恒造。ふと鞠子のポ
   シェットを手に取り、表面を撫でる。
恒造「綺麗だ…顕微鏡で見た時の、密集した
 蝶の鱗粉みたいだ」
   ポシェットがキラキラと光を跳ね返す。

〇尾井出版・ミーティングルーム
   滝崎千歌(39)を中心として鞠子ら編
   集部員が集まっている。
千歌「それじゃ7月号の担当決めします。ま
 ずは小さな特集だけど、『Bugz It! 世界の
 トレンドは虫にムチュー⁉』。これ要はパリ
 コレの話題なんだけど、今年は虫をテーマ
 にしたブランドが目立ったのね」
   千歌の前のプロジェクタに奇抜なオー
   トクチュールがいくつか映し出される。
   ざわめいたり笑ったりする編集部員。
千歌「(そのうちの一枚の写真にカーソルを合
 わせ)ま、これなんかは明らかに蝶って感
 じであでやかで可愛いけど」
編集者1「えっ滝崎編集長、その斜め横のっ
 て、カマキリですか⁉」
千歌「そうでしょうね。カマの鋭角の所のカ
 ッティングの大胆さとかは、さすがマスキ
 ュリエって感じだけど、下の写真とかは完
 璧に…何の昆虫だか、よくわからないわね」
   くすくす笑う編集者たち
千歌「難しい特集かもしれないけど、切り口
 は任せるわ。専門家呼んできたりしてもい
 いかも。やりたい人、いる?」
   シーンとする編集部。
千歌「じゃあここはベテランに。鞠ちゃん。
 お願いできる?」
鞠子「えっ私ですか?」
千歌「そう。海外物も得意だと思うし。任せ
 たわよ」
鞠子「あー、はい。えっと、困ったな。でも、
 頑張ります」
   編集部内からぱらぱらと拍手が起きる。
   会釈して手元の資料を改めて読み込む
   鞠子。隣にいる絵梨、小声で
絵梨「鞠子さん、最近虫に縁がありますね」
鞠子「うっさいなぁ(苦笑)」
千歌「それじゃ次の特集だけど…」
   鞠子、写真の一部に〇をつけて『針?』
   と書き込み、ついで『ハチ?』と書き
   込み眉間にしわを寄せる。千歌、話し
   続けているが、耳に入らない。
千歌「お待たせしました、最後に表紙と巻頭
 ロングインタビュー、最近じわじわと人気
 を伸ばして来ている、バンド・リリカルボ
 ギーズのボーカルの仁平太志さん」
   ふと、顔を上げる鞠子。
千歌「大人の女性の胸にぐっと迫る歌詞と、
 キャッチ―だけどどこか懐かしい音楽で、
 読者層にもファンが急激に増えているの」
   鞠子を心配そうに見やる絵梨。
千歌「何より、ボーカルの仁平さんのセクシ
 ーさと嫌味にならない大人のファッション
 センスがイイのよね。他誌に先駆けて、彼
 の魅力を余すことなく伝えて欲しいの」
   千歌、鞠子をまっすぐ見る。
千歌「鞠ちゃん、お願いできる」
鞠子「……はい」
   表情のない鞠子の横顔。

〇婚活パーティ―会場・受付
   婚活パーティーを示す看板。受付で番
   号札とプロフィールシートを貰う鞠子。
受付「こちらにプロフィールをお書き下さい」
   ブースで記入する鞠子。『趣味』の欄
   で迷って『野外フェス参加』と書く。
鞠子「あいつの演奏、聞きに行ってただけな
 んだけどね」

〇婚活パーティー会場
   女性のブースを男性が順に回り自己紹
   介をしていく。一人の男性が去り、た
   め息をつく鞠子。次の男性が来る。
男性「初めまして」
鞠子「よろしくお願いします」
男性「ご趣味が、野外フェスとありましたけ
 ど、僕も音楽好きなんですよ」
鞠子「そうなんですね。どんなの聴くんです?」
男性「まだあまりメジャーなバンドじゃない
 んですけど、リリカルボギーズって凄く良
 いですよ。ボーカルの仁平太志がかっこい
 いんですよね。天才肌っていうか」
鞠子「8年付き合って同棲中は一切お金入れ
 ず、家事ひとつせず、スランプにはまれば
 当たり散らし、君で曲が書けなくなったと
 トンズラする男、そんなにいいですか?」
男性「えっ、あ、はぁ?」
鞠子「す、すみません……」
    × × ×
   色とりどりの色水が二層に分かれて入
   ったガラス瓶が並んでいる。
司会者「次は、カラーウォーター診断です。
 選んだボトルの色によって、隠されたあな
 たの本質を占うことができます。」
   女性参加者、楽し気にボトルを選ぶ。
鞠子「自分の本質、ねぇ」
   鞠子、緑と黒のボトルを手に取る。
鞠子「綺麗。このボトルでいっか」

〇婚活パーティ会場・入口
   遅れて恒造がやってくる
恒造「申し訳ない。アメリカの研究者の問い
 合わせに応答していたらつい、時間を忘れ
 てしまった。今は何をしているのですか」
受付「自分の本質を表すカラーボトルを
 一本選んで頂いています」
恒造「本質?そのような言葉は安易に軽々し
 く使用すべきではない。現象を愚直に解析
 するのが科学の仕事です」
受付「(面倒くさそうに)とにかく好きなボト
 ルを一本選んで頂ければ大丈夫です」
恒造「好き嫌いの問題であれば…」
   恒造、鞠子と同じ色のボトルを選ぶ。

〇婚活パーティ会場
   ボトルを手にした鞠子、解説書を読む。
鞠子「『エメラルドグリーンとブラックを選ん
 だあなたは知恵と情熱を大切にするタイプ。
 でも最近は理想の自分と本当の自分との
 ギャップに悩んでいます』。当たってるかも」
   ボトルを手にした鞠子の前で、急に男
   女の間にカーテンが引かれ始める。
司会者「それではみなさんに選んで頂いたカ
 ラーボトルを元に、最も相性のいいお相手
 とのカップリングを行いました!」
   スタッフが鞠子の指に赤い糸を結ぶ。
司会者「皆さんの赤い糸のお相手は誰⁉それ
 では、カーテンオープン!」
   会場、ざわめき、結ばれた糸を各々手
   繰り寄せていく。
鞠子「大げさだなぁ。なんか」
   何人かとすれ違ったりぶつかったりし
   た末、鞠子は糸の先に恒造を見つける。
鞠子「はぁ~~⁉」

〇婚活会場・テラス(夕)
   めいめい自由に談笑するカップル達。
   テーブルを挟んで座り、中庭の方を眺
   める恒造と仏頂面の鞠子。
恒造「取りますか、この糸」
鞠子「それがいいと思います」
   恒造、ふたりの小指の赤い紐を取って
   几帳面に畳みポケットに入れる。
鞠子「丁寧なんですね」
恒造「ああ、昆虫採集の時は、器具を丁寧に
 扱う必要があるので」
鞠子「なるほど」
   鞠子、恒造をチラリと見る。
鞠子「こういう、婚活とか、興味ないと思っ
 ていました」
恒造「実際あまり興味はない」
鞠子「やっぱり」
恒造「友人から、一定の女性と経済的合意を
 取り結ぶべきだと言われやってきた。ただ」
鞠子「ただ?」
恒造「昆虫と同じくらい熱中できる相手がい
 る、という人生には多少興味がある」
   鞠子、はっとし、少しうつむく
鞠子「いいですね。それだけ熱中できるもの
 があるって」
恒造「(意外そうに)あなたも熱中しているだ
 ろう、仕事に」
鞠子「え、そうかな」
恒造「ああ。熱中していなければ、あれほど
 人を罵倒できない」
鞠子「罵倒って、通じてたんだ」
   鞠子、少し笑う。ボトルを手に取り、
鞠子「これ、どうして選びましたか」
恒造「先日見かけたハンノアオカミキリとい
 う昆虫に似ていた。エメラルドグリーンと
 輝く黒が宝石のようなんだ」
鞠子「そんなことだろうと思った(笑)」
恒造「あまり知られていないが、カミキリは
 完全変態の昆虫だ」
鞠子「完全変態……」
恒造「さなぎに一時籠って幼虫とは全く違う
 形態を手に入れることだ。完全変態の昆虫
 が羽化する瞬間を見たことがありますか」
   鞠子、首を振る。
恒造「人生観が変わるほど、美しい」
   恒造、破顔する。印象的な笑顔。
恒造「鞠子さんは、なぜこのボトルを?」
鞠子「好きなブランドのイメージカラーなん
 ですよ、パリ発のブランドなんだけど。あ、」
   鞠子、思い出したように鞄から、資料
   を取り出す。
鞠子「今シーズンのパリコレで、虫をテーマ
 にしたコレクションが結構あって…」
   鞠子、資料の写真を指して、
鞠子「これは蝶のモチーフでしょ、こっちは
 カマキリ。隣は、あなたの詳しいという、
 ハチかな。で、このメインのオートクチュ
 ールだけ、ちょっと解釈に困ってて」
   昆虫の幼虫のような抜け殻から、何匹
   かの羽の生えた虫が飛び立とうとして
   いるデザインの服。
恒造「素晴らしい。これは寄生を表していると思う。」
鞠子「寄生……」
恒造「寄生は僕の研究対象でもある。自分と
 は違う昆虫に住み着くことでしか生きられ
 ないのは、生物として下等だとする意見も
 ある。しかし寄生しない生物も結局は誰か
 の作り出したエネルギーに依存して生きて
 いる。人間社会もそうだ。そんな皮肉をこ
の服は物語っているのではないだろうか」
   鞠子、つい真剣に話を聞いてしまう。
恒造「そういえば、ちょうどこの服のモチー
 フと思われる寄生バチの展示が、28日から
 目黒であるのだが、いらっしゃいますか」
鞠子「あ、はい」
恒造「良かった。そろそろ研究会のミーティ
ングがあるので、僕は失礼しなくては」
   恒造、さっと右手を上げる
恒造「連絡は先日お渡しした名刺のメールア
 ドレスまでしてください」
   恒造去る。狐につままれたような鞠子。  
鞠子「デート決まっちゃった、ってやつか?」

〇渋谷マークシティ下(夜)
   業務用スーパーの袋を下げて歩いてい
   る恒造。中からネギがのぞいている。
   信号待ちで立ち止まり、ふとポケット
   の赤い糸を手に取って見る。
恒造「そういえばこれは、ミミズか線虫の類
 を表したものだろうか?」
   向こうから自転車がやってきて恒造の
   前で急ブレーキで止まる。乗っていた
   平野、自転車を降り、
平野「もしかしてこの間の、雨の日の人やな
 いですか?」
〇フラッシュ・渋谷マークシティ下(夕)
   自転車に乗った平野を避けようとした
   恒造、水たまりに足を踏み入れ、しぶ
きで鞠子のポシェットを汚してしまう。

〇元の渋谷マークシティ下(夜)
恒造「ああ…あの時の」
平野「あの時、ご迷惑おかけしたんと違いま
 すか?ほんまに急いでましたさかい、お詫
 びする暇もありませんで」
恒造「いや、たいしたことはない、お気にな
 さらないでください」
平野「良かった。ところであの時昆虫の話し
 てませんでしたやろか?」
恒造「していましたが」
平野「わたくしも一介の虫好きでして」
   平野、名刺を差し出す。
   『昆虫学研究センター(コスタリカ)
   副所長 京都大学大学院 特任准教授
 平野 語』とある。
〇鞠子の部屋(夜)
   帰宅したばかりの鞠子。鞄を置き、ダ
   イニングテーブルにカラーボトルを置
   こうとするが、転がり落ちてしまう。
鞠子「あー」
   鞠子、転がっていった先に手を伸ばす
   と、何か違う小瓶が落ちている。埃を
   指で拭うと、オレガノのスパイス。

〇回想・鞠子の部屋・キッチン
   野菜をスパイスで炒め、カレーを作っ
   ている鞠子。味見して
鞠子「ん、いける」

〇同・リビング
   綺麗にカレーをさらに盛り付け、いそ
   いそとテーブルに並べる鞠子。
鞠子「たいちゃん、ランチにしない?」

〇同・太志の部屋
   太志、歌詞を書いているが、手を止め
太志「ん…」

〇同・リビング
   部屋から太志、出てくる。
太志「いい歌詞浮かんだとこだったんだけど」
   本格的なカレーが食卓に並んでいる。
太志「わ、何これ、すごいじゃん。鞠ちゃん
 料理とかすんの。」
鞠子「うん、実は。スパイスから頑張って作
 ってみたんだ」
太志「俺的には別にしないでくれてもいいけ
 ど。なんかイメージじゃないっていうか」
   太志、テーブルにつく。
太志「ほら、カレー作ってくれた女に感謝す
 るような歌詞書きたくないじゃん?(笑)」
   鞠子、複雑な表情。太志、手を合わせ
   てカレーを一口口に運ぶ。
鞠子「…おいし?」
   太志、反応薄く、もくもくと食べる。

〇元の鞠子の部屋(夜)
   鞠子、スパイスを拾い上げ、ボトルと
   並べて置く。置いてあった鏡に
   疲れた表情の自分が映り込んでいる。
   名刺入れから、恒造の名刺を取り出し、
   メールを打ち始める。
鞠子の声『川原様 先日はどうもありがとう
 ございました。お誘い頂いた展示ですが、
 あいにく伺える日程がありませんでした。
 また昆虫の興味深いお話をお聞かせ』
   そこまで打って、深くため息をつき、
   鞠子スマートフォンをベッドに放る。

〇撮影スタジオ
   忙しそうに動き回る撮影スタッフ。
   バック紙を前に太志、ポーズを決めて
   いる。ジーンズにまとめ髪の鞠子、モ
   ニタに映る撮影データを見ている。
鞠子「(カメラマンに)この角度からのショッ
 トもう一回欲しいです…仁平さん!」
   太志、鞠子の方を見る。
鞠子「すごくカッコよく撮れてます!もう一
 回向かって右にくしゃっと笑顔頂けますか
 ?腕まくって頂いて。そう、血管見せてい
 きましょ、セクシーな感じで!」
   微苦笑ぎみに笑う太志。鞠子唇を噛む。
    × × ×
   撮影の終わったスタジオで、ライター
   と鞠子が並んで太志の取材をしている。
ライター「最新作『背中合わせ』ですが、こ
 れがもう心にヒリヒリくるというリスナー
 が多くて。ズバリですが、特定の誰かに向
 けて歌詞を書いたりするんですか?」
   太志、鞠子の方を見て
太志「そうですね、僕の中で常に理想の女性
 の姿みたいなのが見えていて、その人に向
 けて書いている感じです」
   鞠子と太志、目が合うが太志、そらす。
太志「だめなんですよね、男って常に追いか
 けてないと。曲作りの上でも、その理想の
 女性を常に追いかけちゃってます」
   鞠子、必死にメモを取るふりをする。

〇スタジオ廊下
   撤収作業をしている鞠子。太志が来る。
太志「鞠ちゃん」
   硬直する鞠子。ゆっくり振り向く。
鞠子「……お疲れ様です」
太志「ありがとね。なかなかいいインタビュ
 ーだったよ」
鞠子「うん。楽しみに待ってて」
太志「しかし今日は久々にカッコいい鞠ちゃ
 ん見られたよな。仕事に生きる女って感じ
 で。俺の好きだった頃の鞠ちゃんだ」
鞠子「……何、今さら」
太志「ポシェット、今日はつけてきてないの」
鞠子「捨てた」
太志「そっか。残念だな。一緒にパリ行った
 時に俺が唯一買ってあげられたやつ。いつ
 か欧州ツアーするんだとか、俺でかい事言
 ってたよね」
   太志、ふっと笑う。
太志「今日あのポシェットつけてきてくれて
 たら、俺結構ぐっと来たかもしんないよ?」
   鞠子、ぐっと歯を食いしばる。
太志「冗談。邪魔してごめんな。また」
   太志、ひらひらと手を振って去る。

〇六本木のバー(夜)
   酔いつぶれてカウンターに突っ伏して
   いる鞠子。ウイスキーのボトルと空い
   たグラス。携帯のアドレス帳の『川
   原恒造』のページをぼんやり眺める。

〇恒造の部屋(夜)
   机の上に『山寺大学生命科学部昆虫類
   研究室特任助手任期満了のお知らせ』。
   スーツ姿でノートパソコンに向かって
   いる恒造。机の上に平野の名刺。意
   を決したようにスカイプの通話ボタン
   を押すと、黒人の面接官が現れる。
面接官「(以降やり取り英語で)恒造、お会いできて嬉しいです。僕たちの研究所の研究員のポストに応募してくれてありがとう」
恒造「こちらこそお会いできて嬉しいです。
 昆虫の謎を追及するために一生を捧げるつもりです。昆虫の美しさを世界中の人に伝えたいと思います」
面接官「いいですね、恒造。僕たちも思いは
 同じです。それではあなたの研究業績につ
 いていくつか簡単にご質問させて下さい」
恒造「どうぞ」
面接官「まず2018年に発表された寄生バチの系統的進化についての論文ですが…」
    × × ×
   恒造、息をついてスカイプの終話ボタ
   ンを押す。ふと携帯を眺めると、知ら
   ない番号から何度か着信履歴が。首を
   傾げた後、慌ててかけ直す恒造。
恒造「…鞠子さん?」

〇六本木の路上(夜)
   広い車道と並走する坂道を、鞠子を後
   ろに乗せてえっちらおっちら登る恒造。
鞠子「あんで自転車で来るのよぉ」
恒造「乗り慣れた愛車なので」
鞠子「東京に住んでるんだから、タクシーで
 も呼べばいいでしょうがあ」
恒造「昆虫の種の多様性を確保するために、
 できるだけ地球環境に優しい行動を心がけ
 ている。それに自転車の構造というのは、
 そもそも昆虫の外骨格をモデルに…」
   鞠子、眠りこけている。
恒造「聞いていますか?」
   恒造、鞠子が眠っているのを知ると、
   ペダルを漕ぐ足に力を込める。

〇マンション・鞠子の部屋・外(夜)
   鞠子の鞄からキーを出し、鞠子を背負
   って玄関のドアを開ける恒造。

〇同・部屋・中(夜)
きちんと片付いた部屋。太志のいたス
ペースはがら空きになっている。恒造、
鞠子をそっとベッドに下ろす。うめい
て身じろぎする鞠子。汗を拭う恒造、
いったんその場から離れようとする。
鞠子「…ごめんなさい」
   恒造、気づかわしげに鞠子を見る。
鞠子「私の事、どうにでもしてくれていいか
 ら」
恒造「どうにでも、とは…」
   鞠子、すう、と再び眠りに入ってしま
   う。頬を一筋涙が流れている。
   恒造、テーブルのカラーボトルを見、
   横に並んだスパイスの瓶を手に取る。
    × × ×
   いつの間にかカーテンの隙間から早朝
   の光が差し込んでいる。
   寝返りを打つ鞠子。キッチンからコト
   コトと音が。何かを煮込む恒造。
鞠子「(寝言で)カレー、ちゃんと食べてよ、
 たいちゃん……」
   鞠子、目をこすり目覚める。
   恒造、皿に料理を盛り付け歩いてくる。
恒造「あ、起きましたか」
   鞠子、どうしたらいいかわからず会釈。
鞠子「それ、作ったんですか?」
恒造「珍しいスパイスが揃っていたものだか
 ら、研究で訪れた南国の料理を再現した」
鞠子「…美味しそう」
恒造「オージャ・デ・カルネという」
   鞠子、ベッドに腰かけたまま。
恒造「ここに来て、食べて」
鞠子「……」
恒造「どうにでもしてくれ、と昨晩言われた。
 あなたをどうしたいか、僕なりに考えた結
 果、栄養のある物を摂って心身ともに健康
 を取り戻させたいと結論づいた」
   鞠子、気恥ずかしげに腰を上げる。部
   屋着が羽織らせられていると気づく。
   鞠子、テーブルにつき食器を手に取る。
鞠子「……いただきます」
   スープを一口すする鞠子。
鞠子「美味しい」
   鞠子、涙が溢れそうなのをこらえる。
鞠子「食べないの、恒造さんは」
恒造「あなたが食べ終わるのを、ここで見届
 けることにする」
鞠子「何それ」
   鞠子、思わず笑いが漏れる、が、テー
   ブルの隅に丁寧に置かれているポシェ
   ットが目に入り、凍り付く。
鞠子「それ、持ってきたんですか」
恒造「ああ、汚してしまったので、お返しし
 ようと思い、」
鞠子「捨てて!」
   鞠子の語調の強さに、恒造驚く。
鞠子「なんで持ってきたの?二度と見たくな
 い、こんなもの」
   鞠子、ポシェットを鷲掴みにし、ごみ
   箱に突っ込もうとするが、思わぬ強さ
   で恒造に腕を掴まれ、止められる。
恒造「捨てない方がいい」
   鞠子、恒造を見上げる。
恒造「何があったのかは知らない。ただ、否
 定したくても、君の過ごした年月が、君を
 作った物だから。思い入れのある物なら…
 捨てないで」
   鞠子、恒造の腕を振りほどく。ポシェ
   ットが床に落ちる。
   嗚咽が漏れ、次第に激しくなっていく。
恒造「済まない、出すぎたことを」
   恒造、鞠子をそっと椅子に座らせる。
恒造「今日は、失礼する」
   恒造、気づかわしげに鞠子を見やり、
   部屋を出ていく。鞠子、泣いているが、
   がつがつとスープの残りを食べ始める。
   しゃくりあげながら最後まで飲み干す。

〇東松原駅前(夕)
   自転車を押して駅前を歩いている恒造。
   改札の前に市島がもたれかかっている。
市島「よう」
   市島、紙袋の中の酒瓶を掲げる。
市島「飲まへんか。お前の狭い六畳一間で」
   恒造と市島、並んで歩き始める。
恒造「東京で仕事か」
市島「おう。オリンピックに向けて商業ビル
 とかホテルとかな。なかなか儲かってます
 わ。お前は、どや」
恒造「何がだ」
市島「何って!婚活やがな!10万円分の利子
 代わりの約束やで?」
恒造「……心から離れない女性はいる」
市島「おお?ほんまか?お前がついに⁉どん
 な具合や⁉」
   恒造、暮れていく空を見る。
恒造「お付き合いする事になるだろうと思う」
市島「おお⁉」
恒造「五分五分だが」
市島「五分五分かいな!」
   市島、盛大にずっこける。
恒造「いずれ結婚も申し込みたい」
市島「結婚てお前!付き合うのが五分五分や
 のにいきなりそれはないやろ!五分五分た
 らお前の片思いか?それで結婚はあかんや
 ろ!あのな結婚いうのはお付き合いを経て」
恒造「話は変わるが」
市島「変わるんかいな!」
恒造「お前、去年お父さんを亡くしただろう。
 何か思い出の品とか、持っているか」
市島「いやあ、特に持ってへんな。親父も寿
 命やったし、思い残すこともあらへんやろ」
恒造「そうか。僕は、母との思い出の品を、
 残しておけばよかったと思うことがある」
市島「お前の母さんてあの、男と蒸発したと
 いう……」
恒造「そうだ。嫌悪感から、思春期に母との 
 思い出の物はすべて捨ててしまった」

〇回想・恒造の実家・母の部屋(夕)
  学ラン姿の恒造、母の衣類や母の日のプ
  レゼントなどをばさばさとゴミ袋に捨て
  ていく。ふと、母の机の中にあった「み
  ぢかな虫の研究 2ねん1くみ 川原こ
  うぞう』という夏休みの自由研究を手に
  取る。しかし、それもゴミ袋に捨てる。

〇元の駅前(夕)
恒造「けど僕の昆虫好きを否定しなかったの
 は、母だ。母と取り組んだ自由研究は、僕
 の研究者としての原点だ」
   恒造の横顔が夕日に照らされている。
恒造「積み上げてきた過去から、人は逃れる
 ことはできないな。否定したくても、それ
 は既に自分の一部になっている。ずっとつ
 いてくるものならば、せめて、大切にする
 べきだ」
   
〇昆虫食レストラン『パーカスィヨン』(夕)
   冒頭のプロポーズのシーン。
鞠子「結婚……」
恒造「交際してすぐのことだから、いささか
 早いタイミングではあるかもしれない。し
 かし……」
   恒造、意を決したように
恒造「再来月から正式に、コスタリカの研究
 所への赴任が決まった」
鞠子「コスタリカ……」
恒造「日本を離れるのは不安に思うかもしれ
 ない。しかし、僕としてはあちらでの生活
 に、あなたがいて欲しい」
鞠子「どこでしたっけ、コスタリカって」
恒造「中南米だ」
鞠子「地球の裏側…ですね」
   鞠子、うつむく。
鞠子「少し、考える時間をください」
   その時、ウェイターがやってきて恒造
   に小声で何か告げる。頭を下げる恒造。
   ウェイターも頭を下げ、去っていく。
鞠子「何だって?」
恒造「(やや憮然として)昆虫食レストランを
 やってはいるが、さすがにああいった行為
 は今後控えてくれと言われた」
鞠子「そりゃそうでしょう、あんなプロポー
 ズ、前代未聞だわ」
恒造「誘因物質で捕獲済みだから、問題はな
 い筈だが…」
   鞠子、苦笑するが、泣き出しそうな顔
   になってしまう。恒造の手元の箱の中
   身はMARRY ME?と描かれたチューブ。
   蜂が入っていたと思われる。
   回想終わり。

〇尾井出版
   デスクで頬杖をついている鞠子。千歌、
   後ろを通りかかり、ぽんと背中を叩く。
千歌「何ボーっとしてんの、鞠ちゃん」
鞠子「あ、すみません」
千歌「全く。らしくないわよ。そだ、そろそ
 ろお昼だから、ランチでも行かない?ちょ
 っと、話したいこともあるしさ」
   何だろう、という顔の鞠子。

〇トロールコーヒー
   窓辺の席に座る二人。食べかけのパス
   タ。千歌はアイスラテを啜っている。
千歌「7月号の読者満足度が出たのよ。鞠ち
 ゃんが仁平太志を撮ってきてくれた号」
鞠子「あ。どうでしたか?」
千歌「すごく良かった。ここ数年で一番いい
 くらいじゃない?さすがだね」
鞠子「良かった!ありがとうございます!」
千歌「改めてじっくり読んでみたけど、彼の
 魅力の深掘りもできてるし、でも、身内ゆ
 えの変な偏りもなく、客観的にも書けてる」
鞠子「編集長……」
千歌「それによく撮れたよね~仁平太志のあ
 の表情(カオ)。ま、これは鞠ちゃんだから
 できた役得かな~」
鞠子「私と仁平太志のこと知ってたんですね」
千歌「当たり前よ。私の情報網、なめないで
 くれる?別れたいっきでは辛いかなと思っ
 たけど、まぁ、試練かなと思って」
   千歌、微笑んで
千歌「やり切ったね。あんた、プロフェッシ
 ョナルだよ、鞠ちゃん」
鞠子「ありがとうございます」
千歌「あとさ小さな記事だけど、あの、昆虫
 モチーフのコレクションのやつ、あれもよ
 かったね。ひとつひとつ的確なコメントで、
 雑学もあってさ。あの監修の、川原恒造っ
 て人、どっから持ってきた?逸材じゃん」
鞠子「ちょっとした知り合いで。面白いです
 よね。彼。」
千歌「うん。単行本か何か書いてもらったら?」
    鞠子、苦笑する。
鞠子「編集長、ちょっと相談があって」
千歌「何?何でも言って?」
鞠子「友達の話なんですけど…」
   鞠子、言いよどむ
鞠子「プロポーズされて、その相手が、遠い
 国に赴任らしくて、ついて行くか迷ってる
 らしくて」
千歌「ふうん。どこ?アメリカ?中国?」
鞠子「……コスタリカ」
千歌「コスタリカねぇ!どこで知り合ったの、
 そいつと」
鞠子「婚活パーティーで」
千歌「やめときなさい」
鞠子「え」
千歌「婚活で出会ったそのポッと出の男に、
 そこまで熱い思いをあんた、持ってる?
 元カレの事だって仕事に昇華しちゃう鞠ち
 ゃんに、雑誌の仕事ができない国で暮らし
 ていくなんてできないよ」
鞠子「その、友達の話なんですけど」
千歌「ばれてるよ」
   千歌、ため息をつく。
千歌「ふう、残念だな。そんな遠い国に高飛
 びしようとか考えてるなんて」
鞠子「……すみません」
千歌「実はね、私、会社からじきじきに、部
 長に昇格しないかって話が来てるの。現場
 からは離れるけど、受けようかと思ってる」
   千歌、鞠子をまっすぐ見る。
千歌「それでね、私の後任は、鞠ちゃんにお
 願いしようと思ってるの」
鞠子「本当……ですか?」
千歌「嘘じゃないわよ。誰もが憧れる、Zeezy
 編集長の席よ」
   千歌、レシートを取って席を立つ。
千歌「プライベートと迷ってるようだけど、
 ここでキャリアを折っていいのか、よく考
 えなさい」
   鞠子、まだ信じられず茫然としている。

〇尾井出版(夜)
   時計は九時を回っている。人がまばら
   な編集部の机で作業をする鞠子。絵梨、
   荷物をまとめながら
絵梨「遅いですね、鞠子さん。私、そろそろ
 失礼しますね」
鞠子「うん、今月も巻頭特集だから、入稿作
 業だけはしておこうかな、と思って」
絵梨「さすがエース。お疲れ様です」
   絵梨、去りかけるが
鞠子「絵梨ちゃん」
絵梨「はい?」
鞠子「完全変態できたらいいのになって思う
 ことない?」
絵梨「完全……ヘンタイ?えっ、鞠子さん実
 はアブノーマルな性癖の持ち主ですか⁉」
鞠子「ごめんごめん!蝶みたいに幼虫から 
 成虫で完全に姿形を変えることだよ。さな
 ぎが蝶になるみたいに、自分の全てを変え
 てしまえればいいのになって。最近思うの」
絵梨「蝶、ですか。確かに、羽ばたく瞬間は
 気持ち良いでしょうね」
鞠子「うん。でも、できない。不完全変態を
 重ねて、ちょっとずつ変わっていくしかな
 い。それが、人生の大切なタイミングに、
 間に合わない時もあるよね」
絵梨「悩んでますねぇ、鞠子さん…今度、飲
 みに行きましょうよ。私で良ければ、話聴
 きますよっ!」
鞠子「うん、ありがと。引き留めてごめんね」
絵梨「いえいえ、失礼します」
   絵梨、ぺこりと会釈してオフィスを出
   る。鞠子、ラジオをつける。
DJ「それでは次は、記録的なロングヒットが
 続いています!リリカルボギーズで、『背
 中合わせ』。お聞きください」
   仁平の甘い歌声がオフィスに響く。た
   だ黙って聴くしかない鞠子。
鞠子「なんであんたの歌が、まだ胸に響くん
 だよ……」
   机に飾ってある透明なケース入りの寄
   生虫Tシャツを、鞠子握りしめる。

〇回想・目黒寄生虫館
   鞠子、熱心に展示の文字を追っている。 
   時折、手持ちの一眼で熱心に写真を撮
   る。やや押され気味に後をついていく
   恒造。寄生バチの展示に差し掛かり
恒造「あ、こちらのハチの展示に関しては僕が先行研究の…」
鞠子「大丈夫恒造さん、私が今見つけたよ!この英語の説明書きの方に、ほら、恒造さんの名前」
   鞠子が悪戯っぽく微笑み指さした英語
   の展示説明の末尾に、小さくKozo.Kの
   名前。恒造、赤くなり、どもりながら
恒造「こ、こう言うことを言うのは或いは、僭越に思うところもあり、人によっては上から目線と思う向きもあると思うが僕の個人的意見を述べさせて頂くならば」
鞠子「何、恒造さん。前置きは短く。また企画書没にしますよ。女性との会話は端的にぐっと、心を掴むようにお願いしますね!」
恒造「……君は素敵だ」
   鞠子、展示を見ていたが動きを止める。
鞠子「おおお。端的に来ましたねぇ」
恒造「君の有益なアドバイスに従わせて頂いた。君はその、頭がいいし、何よりその」
鞠子「お褒めに預かって光栄です。恒造さんの研究されてる虫さんで言うと、どれくらい私は魅力的ですかね?」
恒造「美しさ華やかさで言えば、美の女神の異名も取るモルフォ蝶でまず間違いないだろうと思う。洗練された知性で言えば僕の研究する寄生バチだろう……でも僕が本当に鞠子さんに感じ取るのは」
   室内は人もまばらで、展示物の光がふ
   たりを照らし出している。
恒造「ウスバカゲロウのように繊細な感情の揺らめきだ」
   ハチの展示を挟んで、しばし二人は黙
   っているが、鞠子ふと次の展示に向か
   って歩き出し、寄生されたカタツムリ
   のパネルをじっと見る振りをする。
鞠子「(おもむろに)アリジゴクですよね、ウスバカゲロウって」
恒造「その通りだ、さすがよく知って…」
鞠子「もっと若い頃言われたこともありましたよ、男を手玉に取る魔性の女だなぁとか、
 大学の文化祭じゃ百人斬りだなぁとか」
恒造「そういう意味で言ったのではなく」
鞠子「それがこんな年になるまで独身だなんて。アリジゴクみたいに強かにやっておけばよかったな、って思う時もありますよ」
恒造「年齢のより高い経験豊富なメスを好む類のクモもいる。それに」
鞠子「(笑って)もう恒造さん、何、年齢の高いメスグモって。ほんと会話の勉強一からやってほしい。うちの雑誌のモテ特集とか読んで欲しい!」
恒造「申し訳ない!気分を害したのなら謝る! 僕はただ」
鞠子「でも恒造さんのそういうトコ」
   鞠子、裏地の赤いピンヒールでつま先   
   立ちし、背の高い恒造の頬に軽く口づ
   ける。
鞠子「…嫌いじゃない」
   鞠子、照れたように笑い、展示の先に
   あるミュージアムショップを指さして
鞠子「ね、あっちでお土産買いたい! 寄生虫Tシャツ、会社に着て行きたい!」
   鞠子嬉しそうに小走りで行ってしまう。

〇恒造の部屋(夜)
   恒造、窓辺のベッドに腰かけ、鞠子と
   の写真を大切そうに指で撫でる。と、
   窓をぽつりぽつりと雨が叩き、すぐに
   雨脚が強まる。慌てて窓を開け洗濯物
   を取り込む恒造。どさっと投げた洗濯   
   物の合間で、恒造のスマートフォンが
   バイブする。画面は『鞠子さん』。恒造、
   慌てて出ようとするが、うまく行かず   
   に、8回程バイブが鳴ってから出る。

〇尾井出版・中(夜)
鞠子「…出てくれないかと思った」
   鞠子、たった一人オフィスの窓にもた
   れて電話をしている。
恒造の声「そんなことはない」
鞠子「…プロポーズの、お返事だけど…」
   しばしの沈黙が流れる。
鞠子「本当にごめんなさい。…やっぱり、あなたについて行くことはできない。結婚の話、お受けできません。」
   雨が強くなり、ガラスをつたう。
   鞠子ぼろぼろと涙をこぼしている。声
を殺しているが、しゃくりあげてしまう。
恒造の声「…泣いていますか?」
   鞠子、答えられない。
鞠子「ごめん。私が泣くなんて、卑怯だよね」
恒造の声「いや…」
鞠子「ふがいなくて。結局何も捨てられない自分が。今の仕事を捨てる勇気も、あなたについて見知らぬ国に行く勇気もない。ひどい振られ方した元カレの思い出さえ、まだ捨てられてないなんて…」

〇恒造の部屋(夜)
恒造「仕方がない。…僕の収入では君に安定した家庭生活を約束することができない。コスタリカから帰っても、その次の仕事が世界のどの国であるかもわからない。ただ君がもしかすると…」
   恒造、言葉に詰まる。
恒造「…いいや。僕の力不足だった。あなたの責任ではない」
   鞠子、また嗚咽が漏れてしまう。

〇尾井出版・中(夜)
恒造「泣かないで」
   恒造の声が思いのほか優しく響き、鞠
   子ぎゅっと目を閉じ、少しの間を置い
   て、小さく『うん』と返事をする

〇恒造の部屋(夜)
恒造「友人に言わせると、僕はどうも気持ちの悪い男らしい。寄生虫館のデートにしろ、昆虫食レストランにしろ、君が喜ぶと突っ走った。極めつけはあのプロポーズだ」
   鞠子、少し困ったように笑う。
恒造「振って当然だ、笑い話にしてくれてかまわない」
   恒造、寒気に曇った窓ガラスを手で拭
   う。雨は上がっている。
恒造「でも覚えていてほしい。昆虫は決して複雑な機構を持っているわけではない。しかしある種の虫達の環境への適応能力は素晴らしい。彼らは短期間に自らのDNAを作り替え、寄生する宿主や、食物となる土壌そのものの環境さえ変化させる。僕も、君といるにふさわしく自らを作り替える…その時もしまた会うことができたなら」
恒造、言葉を切る
恒造「一緒に…」
鞠子の声「(泣き笑いで)だから前置きが長いんだって、恒造さん」
   鞠子、鼻をすする。
鞠子の声「多分もうお会いすることはないから、その先のセリフは聞かないでおくね。…もう、電話も切る。これ以上こんな変な人といたら私…おかしくて、私…(笑おうとするが、うまくいかず、しゃくりあげる)」
   恒造、声は上げずに滂沱の涙を流す。
鞠子「ありがとう。さようなら、虫博士さん」
   電話が切れる。恒造、しばらく流れる   
   涙を拭っているが、吹っ切れたように
猛然と書類仕事に取り掛かる。

〇尾井出版・中(夜)
窓の外を眺める鞠子の手に『異動願い』。

〇目黒寄生虫館 講演ホール
   T・3年後
   人でごった返す講演会場。垂れ幕には
   『昆虫研究とAI~寄生バチの脳回路の
    自律性が人工知能に生きるまで~』。
   座席に市島(36)と三ツ谷アキ(24)
アキ「ねぇヒロく~ん、なんか講演難しくて
 アキ全然わかんなかったぁ」
市島「いや俺も全然わかれへんねんて! し
っかしまぁ、偉うなったもんやで、恒造も。
ぎょうさんマスコミの人も来とるのう」
アキ「アキ、ヒロくんのマブダチの人、情熱大陸に出てたから知ってたよ~。ま、虫キモくてすぐチャンネル変えちゃったけど!」
市島「そうやでなぁ、あいつは小さい頃からキモイ虫をよう集めてクラスでも女子からの嫌われ者やった。それがなんや、AIて。虫の脳みそ人工知能に生かすとか聞いたことがないがな。なんでもコスタリカのパーティーで投資家と意気投合したんやて。」
アキ「いくらお金持ちでも、アキは虫好きな男はタイプじゃないよう」
市島「そらそうや。あいつも名前は売れたけども今もからっきしの非モテやで。3年前、あいつと結婚まで行くかいうような奇特な女性がおるにはおってんけどな、」
アキ「何それぇ。絶対超ブスだよね」
市島「違うねん!それがこれまた、偉い美人やねんで!そんな美人に向かって恒造のプロポーズちゅうのがまた」
   ステージ上が明るくなり講演が再開さ
   れる。ステージ上には司会者と小ざっ
   ぱりしたスーツの恒造(36)
司会者「それでは、質疑応答に移らせて頂き
 ます。今を時めく昆虫学者であり、同時に
 昆虫学の知見を人工知能へ生かす株式会社
 エイセクトのCTO、川原恒造先生にご質問
 がある方は、挙手をお願いします」
  座席後方で、プレスバッジを着けた
   鞠子(38)がすっと挙手する。
司会者「それでは、そちらのピンクのワンピ  
 ―スの女性の方、どうぞ」
   恒造、鞠子に気が付き、席から静かに
   立ち上がってしまう。スタッフが鞠子
   にマイクを渡しに行く間、二人はステ
   ージと座席でじっと見つめあう。
鞠子の手にマイクが渡るも、ピーとい
雑音。静まって鞠子が喋り出す。
鞠子「あ、の……本日は、貴重なお話を頂き
まして、どうもありがとうございます。「
地球の不思議」編集部の前田鞠子です。
私、女性ファッション誌から異動してきた
ばかりで、この分野は決して明るくなく、
川原先生に置かれましては、笑ってしまう
ような初歩的な質問なのかと存じますが、  
こちらの寄生バチの脳の変質というのは」
恒造「(さえぎって)前置きの長い話し方とい
うのは、僕は好みません」
   座席でやや観客が困惑した顔つき。
恒造「(咳払いして)その、昔親しくしてくれ
た雑誌編集部の女性が、端的に話すとモテるのだと、教えてくれたもので」
   会場、少し笑いが起きる
恒造「僕も端的に行きましょう。今の僕なら、
君と一生、一緒にいることができますか」
   鞠子、鞄から大きな箱を取り出して
掲げ、リボンを解く。箱を開けて中
身を掲げると、ハチが「YES」の形に
蠢いている。ハチが箱から飛び立ち、
騒然とする会場。
司会者「皆さん、落ち着いて! 川原先生の  
 研究されているハチならば、刺しません!」
   人々の取り乱す声。恒造はステージを
   走り降り、座席中央の通路を全速力で
   駆け上がって行く。駆け下りてきた鞠
   子と抱き合うと、見つめ合い唇を近づ
   ける。キスしそうになった所でハチの
   羽音が大きくなり、二人を覆いつくす。

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