―もう一人の女―
4. 影子のアパート(夜)
(SE:インターフォン)
影子、インターフォンカメラに顔を近づける。
宗太、インターフォンを覗き驚く。
宗太 「うわっ、今開けます。」
影子 「よろしく~。」
【解錠を押して画面が閉じると、数分後には部屋の鍵の開く音が聞こえる。】
影子 「ただいま。」
宗太 「おかえりなさい。」
影子 「これお土産。いい子にしてた?」
【影子さんは靴を脱ぐと、ポケットから飴を取り出して僕の手に無理矢理
握らせた。
これもいつものことで、初めてこれをされた時はいきなり手を掴まれたこと
で固まる僕に“お土産”と銘打って渡してきた。誘拐されて一週間も経ったら
ルーティーン化してくる。】
影子 「今日もめいいっぱい楽しいことした?」
宗太 「……やることがない部屋で何をしたら……。」
影子 「ボードゲームできるものあるでしょ?」
【確かにジェンガとかトランプとかはあるけど……。】
宗太 「一人でやるゲームじゃないですよね?」
影子 「あれ?やっぱり?」
【影子さんは抜けているのか、わざとなのかが全く分からない。そもそも普段
学校に通ってるだけの時間を何もすることがないのに毎日のように規則
正しい生活を送らされているこの現状に突っ込みたい。
突っ込んだところで躱されるのが分かりきってるんだけど。】
影子 「今日は和食にするね~。」
宗太 「お願いします。」
5. 影子のアパート(深夜)
宗太 (何度か寝返りを打つ。)
宗太 「駄目だ、やっぱりトイレ行こう。」
【恐る恐る部屋の扉を開けると、リビングは薄暗い光が橙色に部屋を照らして
いて、足元に心配はなさそうだった。】
(SE:ドアの閉まる音)
【違う!お化けが怖いってわけではない、決して。
ただ、あのいかにも天真爛漫を絵にかいたような影子さんが、唯一課して
きたルールを破るのが何となく申し訳ない。とは言え尿意を我慢するのは
あまりに苦行だし、これで怒られるのであれば仕方ない。】
リサ、部屋のドアを開ける。(宗太のナレーションの間に)
(SE:トイレの流れる音)
宗太 「やっぱりすげー。」
(SE:ノックの音)
【まずい、怒られる。僕が気まずさもありつつ、恐る恐る返答した。】
宗太 「入ってます。」
リサ 「……誰?」
宗太 「は?」
リサ 「私の部屋で何してるの?」
宗太 「何って……トイレ借りてます。」
リサ 「」
宗太 「あ、使いますか?」
宗太、トイレの扉を開ける。
影子、箒の毛先を宗太に向ける。
宗太 「な……?」
リサ 「何で知らない人が勝手に部屋に入ってトイレなんか使ってるの?」
【影子さんはさっきから何を言ってるんだろう。それに目の前の影子さんに
対して何となく違和感を感じる。いつもより声が細いし、何よりこの怯えた
目は一体……。】
宗太 「影子さん……?」
リサ 「影子さんの事知ってるの?」
宗太 「知ってるっていうかあなたですよね……先日から誘拐されてここにいるん
ですけど……。」
リサ、呆然としてその場で固まる。
宗太、影子を見たままトイレからソファの方に動いて、足をぶつける。
リサ、箒を宗太に向けて追いかける。
リサ 「……誘拐?……影子さんが?」
宗太 「はい。」
リサ 「……そう……。」
宗太、首をかしげる。
リサ、慌てたように箒を引っ込める。
宗太 「あの……。」
リサ 「あ、ごめんなさい。その……私……リサという名前なの。」
宗太 「は?」
【リサ?影子さんでしょう?】
リサ、宗太に視線を向けると、口に手を当てて目を泳がせる。
リサ 「急にそんなこと言っても混乱させてしまっているわよね……えぇと……
私たちは解離性同一性障害という……なんて説明したらいいのかしら……
こういうのはいつも影子さんにお任せしちゃってるから……。
ちょっと待ってて。」
宗太 「え?あ……。」
宗太、リサさんが入っていった部屋から目を離さないまま自分の席に腰かける。
リサ、書類の束を持ってリビングに戻る。
宗太 「これは?」
リサ 「影子さんが私の為に作ってくれた資料なの。」
宗太 「」
宗太、資料を手に取った。
【資料には解離性同一性障害についての説明が手書きで記されていた。
そして毎ページごとに『リサに病気に対する質問は混乱させるだけ。』とか
『これは影子の方が詳しいからリサに聞かないで。』とか文面でリサさんを
庇うように赤字でコメントが入っていた。】
宗太 「一つの体に人格が2人……ですか。」
リサ 「信じてもらえないのはわかるわ。私もいまだに分からない事の方が多いの。
影子さんはこの資料以外何も教えてくれないし。」
宗太 「つまり……、影子さんが何を考えてこんなことしてるのかも……?」
リサ 「ごめんなさい。こんな説明しかできないのも……あなたの事を逃がして
あげることもできないことも……。」
宗太 「逃がす?」
リサ 「私は……影子さんに人生を返してあげないと……。」(気を失う。)
宗太 「……リサ……さん……?」
リサ、穏やかな寝息。
宗太、資料をリサさんの傍らにおいて、自分の部屋に戻る。
6. 影子のアパート(朝)
宗太 「ん……まだ鳴ってない。」
【眠れた気がしなかった。いや、昨日の衝撃で眠れるわけがない。】
宗太、部屋の扉から外の様子を見る。
(SE:包丁の音。)
影子、キッチンに立って包丁を動かす。
宗太、扉を開けて漂う香りをかぐ。
(SE:油のはじける音とフライパンとコンロがすれる音)
影子 「あ、おはよう!って、なにそれあっははは!!!!」
宗太 「おはようございます。」
影子 「あんた見事にたれパンダだよ!!」
【このしゃべり方と豪華な笑い方は……。】
宗太 「……影子さん……。」
影子 「ん?」
宗太 「顔洗ってきます。」
宗太、洗面台の前に立つ。
【昨日のリサと名乗った状態とは打って変わった態度に、混乱しつつも演技
とも思えない。】
宗太、顔を何度も洗って鏡を見つめて、目元を触る。
宗太 「“自分が自分でない感覚”……か。」
【鏡の前で人相が悪い状態になっても僕にとってはこの鏡の中の僕は僕にしか
見えないわけだし。やっぱりその感覚が分かるわけもない。】
影子 「な~に変顔してんの?」
宗太 「うわぁ?!い、いつの間に?」
影子 「さっきから変な顔してるけど、そんなことしても人格なんて増えないよ。」
宗太 「ッ……影子さん。」
影子 「逆に破綻する。資料にも書いてあったでしょ?」
宗太 「すみません影子さん……約束守れなくて。」
影子 「いいよ、仕方ないし。昨日、リサに会ったんでしょ?」
宗太 「……はい。」
影子 「印象は?」
宗太 「え……、違う人みたいでした。」
影子 「……ご飯、温かいうちに食べるよ。」
影子、すくっと壁から背中を離してリビングに戻る。(微笑みがちに)
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