(暗転の中、弁護士の声)
弁護士「二人の父親が、二人の息子に小遣いをあたえました。一人の父親は、自分の息子に千五百円をあたえ、もう一人の父親は、自分の息子に千円をあたえました。
ところが、この二人の息子が、自分たちの所持金を数えてみたら、二人の所持金は、あわせて千五百円しか増えていませんでした。
さて、なぜでしょう?」
(工藤洋一の家。台所で洋一が朝食のトーストと目玉焼きを作っている。トーストの焼きあがる音)
(洋一が食事を持ってやってくる)
洋一「よし、出来た…栄治!栄治!朝メシできたぞ!早く来い!」
(返事がない)
洋一「栄治!」
栄治(声)「…わかったよ。今いくよ…」
(洋一の息子、栄治が眠そうに入ってくる)
栄治「(大きなあくびをして)春休みなんだから、ゆっくり寝かせてくれよ…」
洋一「ダメだダメだ。今から怠け癖がついたら、大学行ってから勉強についていけなくなるぞ」
栄治「…ったく…」
洋一「いいから、さっさと食え。せっかくのメシが冷めちまうぞ」
栄治「せっかくのメシってエラそうに言うけどさ、ただのトーストと目玉焼きだろ?そんなの俺でも作れるって…」
洋一「仕方ないだろ。母さんいないんだから」
栄治「母さんもヒドイよなぁ。育ち盛りの可愛い息子を置いて、友達と旅行なんてさ…」
洋一「そう言うな。お前の受験が終わって、母さんも一安心したんだ。少しくらい羽を伸ばさせてやれ」
栄治「父さんは母さんに甘いんだよ…」
洋一「いいじゃないか。夫婦なんだから」
栄治「はいはい。仲のおよろしいことで」
洋一「くだらないこと言ってないでメシ食え。食わないならかたしちまうぞ」
栄治「はいはい」(食事を始めつつもスマホをいじる)
洋一「おい、食事の時くらいスマホを触るのはやめろと言ってるだろ」
栄治「…」(舌打ちしながらスマホを脇に置く)
洋一「あーそうだ。父さん今日帰り遅くなるからな。晩飯はそこに置いてあるお金でなんか済ませてくれ」
栄治「え?どういうことだよ?」
洋一「取引先の社長さんが亡くなったんだ。お通夜に行くからな」
栄治「ふーん。じゃあどうしよっかなー。久しぶりに拓也おじさんでも呼ぼうかな」(再びスマホを手に取る)
洋一「あー拓也なら無理だぞ」
栄治「え?」
洋一「亡くなった社長さんは、もともと拓也の取引先だったんだ。あいつの紹介でウチの銀行が融資したんだよ。だから拓也も来る」
栄治「なーんだ。久しぶりに飲みに連れて行ってもらおうと思ったのに…」
洋一「なんだって?」
栄治「あ、ヤベ…」
洋一「お前あいつと酒飲んでるのか!いかんぞ、未成年のくせに!」
栄治「…そんな固いこと言わないでよ。どうせ大学行ったら飲むんだからさ。予行演習だよ」
洋一「バカモン!そんな屁理屈が通ると思うか!いかんぞ、酒なんか!お前はまだ未成年なんだからな!そんな話がもし知れて、大学入学取り消しにでもなったらどうするんだ!」
栄治「大げさだよ父さん。酒ぐらいでそんな話になるわけないじゃん…」
洋一「お前、まだ事の重大さがわかってないのか…!」
栄治「はいはいわかりましたよ。ほら父さん、早く食べないと会社遅刻するよ」
洋一「あ、もうこんな時間か!ええい、メシはもういい。栄治、お前俺の分食うか適当にかたしておいてくれ」
栄治「いらないよ、父さんの残りモンなんか…」
洋一(出かける支度をしながら)「じゃあ、さっきも言ったが父さん今日は遅くなるから、戸締りはしっかりするんだぞ。あと、晩飯はちゃんと食えよ」
栄治「はいはい」
洋一「言っとくが、酒は絶対許さんからな!拓也にもよく言っとく」
栄治「わかったって…あんまり拓也おじさんのこと怒らないでよ、ね?」
洋一「…じゃあ行ってくる」
(洋一慌ただしく退場)
栄治(大きく息をついて)「ふーあぶないあぶない…」
(思いたってスマホを手に取り、電話をかける)
栄治「もしもし、おじさん?俺だけど。うん…今日、葬式なんだって?うん、そう、父さんから聞いた。でさ、父さんにさ、おじさんと飲みに行ったことバレちゃってさ…ごめん、つい口が滑ってさ…うん、大丈夫だとは思うけどさ、しばらくは気をつけた方がいいかなって…うん、そうだね…ほとぼりが冷めたらさ、また連れてってよ…聞いてほしい話もあるしさ…うん、おじさんも気をつけてね。うん、じゃあね」
(電話を切る。大きなあくび)
栄治「もう一眠りするか…」
(去ろうとしてふとテーブルの新聞を見る。ある一点に目が止まり、慌ててテレビをつける)
テレビ「さて、お待たせしました。本日のゲストは、今最も注目を集める若手起業家、ウォッチミー代表、沢田優一さんです」
(食い入るように画面に見入る栄治)
栄治「起業、か…」
(暗転)
(お経SE)
(葬式会場控室。洋一の弟拓也と洋一が入ってくる)
拓也(疲れた様子で座りながら)「あー肩凝った…まったく、いくつになっても葬式ってのは慣れないよなあ」
洋一(座る)「ま、あんまり慣れたくもないけどな。ほら」(ビールを注ぐ)
拓也「おおー悪いな…しかし、社長もあっけなかったよなぁ。去年までは元気にしてたってのに…人生いつ終わるかわかんないもんだよな…」(話しながら洋一にビールを注ぐ。しんみりしている)
洋一「お、すまん…なんだ、お前らしくもないな、そんなこと言うなんて」
拓也「いやいや、最近こんなことが続いてるじゃねえか。この前親父が死んで、今日もこんなで。姉ちゃんとこの義理のオヤジさんだって、そろそろあぶないって話じゃねえか…」
洋一「そうなのか?」
拓也「なんだ、知らなかったのか。結構手広くやってた人らしいからな。死んだらゴタゴタするんじゃねえかなぁ…オフクロさんもキツい人だって話だし、ダンナはイマイチ頼りないし、姉ちゃん大丈夫かなぁ…」
洋一「ま、アイツならうまくやるさ。それに俺たちが口出ししたらなおさらややこしくなるだろ」
拓也「まあなぁ…」
洋一(ひそひそ声で)「雅美のとこもいいが、こっちはどうなんだ?こんなに急に亡くなって、会社は大丈夫なのかな?もし融資が焦げ付いたりしたら俺もちょっとヤバいんだが…」
拓也「あーそれなら大丈夫さ。社長はちゃんと遺言書を残してたみたいだからな」
洋一「遺言書?」
拓也「ああ。自分が死んだ後の会社の体制とか、財産を家族にどう残すかとかきっちり書き残してたらしいぜ。まったくしっかりした人だよなぁ。まさか近い将来自分が死ぬことをわかってたわけでもないだろうが…」
洋一(感心した風に)「そうなのか…」
拓也「人生いつ何があるかわからねえしな…俺も遺言書書こうかな…」
洋一(考え込んでいる)「…」
拓也「なーんて、俺には残すような金も相手もいねえから、関係ねえか!(ビールを飲みほす)なあ兄貴!…兄貴?」
洋一「…」
拓也「おい、聞いてんのかよ?」
洋一(はっとして)「え?ああ、すまん…」
拓也「なんだ、兄貴も遺言書書こうかなんて考えてたのか?」
洋一(ドキッとして)「い、いや、別に…」
拓也「別に隠すようなことじゃないだろ?栄治にもちゃんと残すもんの残してやらねえとなあ?」
洋一(思い出して)「あ、そうだ!お前、栄治に酒飲ましてるらしいな!」
拓也「おっと、その話か…」
洋一「いかんぞお前!あいつはまだ未成年なんだからな!もしものことがあったらどうする!」
拓也「まあそう固いこと言うなよ。どうせ大学入ったら酒くらい普通にやるんだからよ。予行演習だよ」
洋一「二人して同じようなこと言うな!まったく、なんか昔からあいつはお前によく懐くんだよな…」
拓也(ニヤリとして)「あんまり固いことばっかり言われてりゃあ疲れるってことさ。俺みたいに人生を楽しまないとなぁ?」
洋一「あいつにはお前みたいになってもらっちゃ困るんだよ!」
拓也「…おい、どういう意味だよ?」
洋一(はっとして)「すまん、言い過ぎた…」
拓也「こんなところでケンカはよそうぜ…栄治のことが心配なのはわかるがよ、あいつももうほとんど大人だ。好きなようにやらせてやれよ?」
洋一「…」
拓也「結局俺たちにできるのは、あいつのために残すもん残してやることだけなんじゃねえかなぁ?俺はそう思うぜ」
洋一「…」
拓也(しんみりした雰囲気を避けるように)どれ、社長の息子さんに挨拶でもしてくるかな…」
(ビール瓶を持って拓也退場)
洋一「栄治のために、残す…」
(ビールを飲みほす)
(暗転)
(数日後、洋一の会社のオフィス。デスクでパソコンに向き合い仕事をする洋一)
社員(声)「工藤課長、佐藤工業さんから1番にお電話です」
(電話をとる洋一)
洋一「もしもし、お電話変わりました」
佐藤(声)「もしもし、佐藤淳二の息子の憲男と申します」
洋一「あー佐藤社長の、先日はどうも」
佐藤「この前はご挨拶もろくにできずに失礼しました」
洋一「いえいえこちらこそ」
佐藤「今日お電話したのはですね、先程当社の役員会が終わりまして、私が正式に社長に就任いたしましたので、そのご報告にと…」
洋一「それはそれは、わざわざありがとうございます…しかしなかなか迅速な対応ですね。先日先代がお亡くなりになったばかりなのに…」
佐藤「いやあ、父が遺言書で事細かに今後の会社の体制などについて書き残してくれましてね。おかげでスムーズに引き継げました。社員も父の遺志ならば、とみんな従ってくれまして…」
洋一「なるほど…先代のご人徳ですね」
佐藤「いやまったくです。私に対しても色々書き残してくれましてね。私のことをこんなに想ってくれてたんだなぁと感激しました」
洋一「はあ…」
佐藤「あんないい父親を持って、私は幸せ者です」
洋一「…」
佐藤「もしもし?もしもし?」
洋一「あ、失礼しました」
佐藤「では、落ち着いたところで、正式にご挨拶に伺いますので、よろしくお願いします」
洋一「こちらこそよろしくお願いいたします…はい、はい…では失礼します」
(電話を切る。考え込む洋一)
洋一(心の声)「そういえば親父が死んだ時も、親父の遺言書が見つかったおかげで、俺たち揉めずに済んだんだよな…佐藤社長、息子さんのこと本当に想ってたんだな…親父か…親父は、俺のことどう思ってたんだろう…」
社員「工藤課長?工藤課長!」
(洋一我に帰る)
社員「部長がお呼びですよ」
洋一「あ?ああ、すまん」
(洋一席を立つ)
洋一「遺言書、か…」
(洋一退場。暗転)
(工藤家。洋一が食卓で新聞を読んでいる。栄治が眠そうにやってくる)
栄治「おはよう…母さんもうパート?」
洋一「ああ、さっさとメシ食っちまえ。片付かないだろ」
栄治「はいはい…」
(栄治食卓に座るもスマホをいじり続ける)
洋一「あー父さんな、この後ちょっと出かけてくるからな」
栄治「ふーん」(スマホに集中していてうわの空)
洋一「人と会ってくるから。夕方までには帰るからな」
栄治「ふーん」
洋一「おい、聞いてるのか?」
栄治「聞いてるよ…出かけるんだろ?」
洋一「まったく、暇さえあればスマホばっかりだな、お前は」
栄治「うるさいな…俺も出かけてくるからさ。晩飯はいらない。母さんに言っといて」
洋一「なんだ、どこ行くんだ?」
栄治「別にいいじゃんかよ…」
(インターホンの音)
栄治「あ、宅急便かな」
(逃げるように玄関に向かう)
洋一「あ、おい!…ったく…」
(ふと栄治が置いていったスマホの画面に目をやる)
洋一「起業セミナー…スピーカー、沢田優一…」
(洋一がスマホを手にとって見ているとら栄治が袋から本を出しながら戻ってくる)
栄治「へへ、きたきた…」
(嬉しそうに本の表紙を眺めていたが、スマホを見ている洋一に気づく)
栄治「あ!勝手に見るなよ!」
(スマホを洋一の手からひったくる)
洋一「お前、起業セミナーなんかに行くつもりなのか?」
栄治「いいじゃん別に…」
洋一「お前な、最近はやれ起業だ独立だって騒ぐ奴が多いが、会社をやるってのは大変なことなんだぞ。父さんは仕事柄小さい会社の社長をたくさん見てきたが、みんな苦労してるんだ…お前にそんなことできると思ってるのか?」
栄治「…そんなのやってみなけりゃわかんないじゃんかよ…」
洋一「あのな、起業して成功するなんてのはな、ほんの一握りの才能ある人だけだ。お前みたいに大した取り柄もないやつには無理だ。」
栄治「うるさいな…わかってるよ、友達の付き合いで行くだけだよ、別に悪いことしてないんだからいいじゃんかよ…」
(栄治去ろうとする)
洋一「言っとくがな、父さん起業なんて反対だからな。わかったな!」
栄治「わかったよ…」
(栄治逃げるように退場)
洋一「おい、本当にわかったのか!栄治!」
(洋一ため息をつく。ふと見上げて時計を見る)
洋一(少し慌てて)「もうこんな時間か。そろそろ支度しないと…」
(洋一退場。暗転)
(弁護士事務所。洋一が現れ、インターホンを押す)
弁護士「はーい」
(弁護士ドアを開ける)
洋一「どうも…」
弁護士「あ、お待ちしてました。どうぞお入りください」
(二人中に入る)
弁護士「今お茶入れますので、どうぞ」
(ソファを指す)
洋一「あ、どうも…(座る)先日は、父の件でお世話になりまして」(一礼)
弁護士「いえいえ、うまくまとまって何よりです。ちょっとお待ちくださいね」
(弁護士退場)
(洋一座って待っていると、テーブルのスマホが鳴り出す)
洋一「あれ…先生!先生!」
(返事がない。なおも鳴る電話)
洋一「仕方ないな…」
(スマホを手に取り、画面を見る)
洋一「課長…?」
(弁護士戻ってくる。スマホを手に持つ洋一を見て慌てて)
弁護士「あ、ダメです!」
(スマホを乱暴にひったくる。驚く洋一)
弁護士「あ、すみません…なんというか、これ、プライベートでも使ってるんで、あんまり見られたりするのはちょっと、ね…わかりますよね?」
洋一「はあ…ただ、課長、って…?」
弁護士(焦って)「いや、あの、その、アダ名、みたいなものですよ、ハハ…それ以上は大人の事情というもので、聞かないでいただけますか」
洋一(呆気にとられ)「はあ…」
弁護士「ゴホン!で、今日のご用件は?」
洋一「あ、そうでした。実はですね、私、遺言書を作ろうと思いまして…」
弁護士「え⁈工藤さん…」
洋一「あ、あの一応言っときますと…」
弁護士「そうですか…残念ですね…息子さん今度大学に行かれるんでしたっけ?大変ですね…ホント人の命なんてわからないものですよね…」
洋一「いや、だから…」
弁護士「でも気を落としてはいけません!残された時間を精一杯生きるんです!いいですね!」(洋一の手を取る)
洋一(気圧されて)「は、はあ…」
弁護士(切り替えて)「で、いつ死ぬんですか?」
洋一「いや、だから!私別に余命短いとかじゃないですよ!具合も悪くないし、いたって健康な方ですから!」
弁護士「じゃあ、なんでまた遺言書を…?」
洋一「いや、あのですね、先日父が亡くなった時も、遺言書が見つかったおかげで、私達兄弟揉めずにすんだというのもありますし、他にも遺言書があるおかげで、その後のことがうまくまとまったという話を、最近よく聞いてまして…私も妻と息子がおりますが、やっぱりこの先もうまくやっていってほしいと思いますので、自分がいなくなった後のことを、早めに考えておいたほうがいいのかなと思いまして…」
弁護士「なるほど…いい心がけじゃあないですか!素晴らしいですよ!」
洋一「いや、それほどでも…」
弁護士「で、いつ死ぬんですか?」
洋一「あんた人の話聞いてんのか!ふざけるならよそ行きますよ!」
弁護士「冗談ですよ冗談。まあ落ち着いて、座ってください」
洋一「まったく…」
弁護士「で、どんな遺言書にするかはもう決めてあるんですか?」
洋一「いや、それがまだ…そこで先生に色々アドバイスをいただけたらな、と…」
弁護士「わかりました。ではご説明いたしましょう」
洋一「よろしくお願いします」
(スクリーンに解説が映る)
弁護士「まず、遺言書にはいくつか種類があるのはご存じですか?」
洋一「えーと、聞いたことくらいは…」
弁護士「今日はその中でよく取り上げられる二つ、『自筆証書遺言』と『公正証書遺言』についてご説明しますね」
洋一「『公正証書遺言』って父の時の…」
弁護士「そうですね。お父様の場合は公正証書遺言でした。順番にお話しします」
洋一「はい」
弁護士「『自筆証書遺言』は、その名の通り自分で書く遺言書です。誰でも作成できて、当然お金もかかりませんが、様式が厳格に定められているため少しでも間違えると無効になってしまったり、紛失や偽造といったリスクがありますね」
洋一「なんだか難しそうですね…」
弁護士「とはいえ、内容についてはご自由に書いていただいて結構です」
洋一「自由に、っていってもどう書いていいのか…」
弁護士「まあそうでしょうね。では文例をお見せします」
(スクリーンに例が映る)
弁護士「例えば、家や土地などの不動産を相続させたい場合は、このような文面になります」
洋一「所在、地番、地目、地積…細かいですなぁ…」
弁護士「これらを記載するために、必要な書類をお役所で取ってくる必要もありますね。お時間がなければ我々法律家に委任していただいてもいいですよ」
洋一「なるほど…」
(スクリーンが切り替わる)
弁護士「次に、遺言執行者を指定する時の文面です」
洋一「遺言執行者、ですか」
弁護士「遺言の内容を実行する手続きを行う方のことですね。相続人のどなたかになっていただくか、私のような弁護士、または銀行さんなんかが就任されることもあります。どなたを指定されるのも自由ですので、混乱を避けるためにはあらかじめ指定されておくのがよいでしょうね」
洋一「うーん…」
(スクリーンが切り替わる)
弁護士「それと相続人以外の方に財産を相続させたい場合ですね。最後に身の回りのお世話をしてくれた人とか、ご身内以外を指定する時に、このように記載します」
洋一「ほう…」
弁護士「愛人に残したい時とかね」
洋一「な、何を言うんですか!私はそんなものいませんよ!」
弁護士「ただのたとえ話ですよ。それとも、お心当たりが?」
洋一「ちょ、ちょっと!妙なこと言わんでください!」
弁護士「冗談ですよ。そういう固いところは、お父様そっくりですねえ」
洋一「な…いいから、続けてください!」
弁護士「はいはい」
(スクリーンが切り替わる)
弁護士「あとは、付言事項がある場合ですね」
洋一「付言事項?」
弁護士「遺言本体とは別に、言い残しておきたいこととかですね。今まで尽くしてくれたことに対するお礼とか」
洋一「はあ…今の時点では、ピンとこないですなぁ…」
弁護士「まあ後から付け足したくなったら変更いただいても構いませんから。次に、自筆証書遺言を書かれる時のポイントをご説明します」
洋一「はい」
弁護士「まず、必ず全文を自筆で書くこと。パソコンで作成しちゃ駄目ですよ」
洋一「そうなんですか?今時パソコンが駄目って?」
弁護士「今パソコンでの作成を認める方向で検討が進んでいますが、現時点では駄目です」
洋一「厳しいですね…」
弁護士「お名前も必ず自筆して、押印する必要があります。注意していただきたいのは、ご夫婦二人で共同で署名というのも駄目ですからね。署名は遺言者お一人のみです」
洋一「はあ…」
弁護士「あと、作成した日付を書くのもお忘れなく。もちろん自筆ですよ。ちなみに、『●月吉日』という書き方は駄目ですからね。日付が特定できなくてはいけないのです。『私の●回目の誕生日』とかならOKですけどね」
洋一「うーん…なんだか大変ですなぁ…」
弁護士「それと」
洋一「まだあるんですか!」
弁護士「訂正の仕方もちゃんと決まってますからね」
洋一「そうなんですか」
弁護士「訂正したい箇所に二重線を引いてその上に押印し、その横に正しい文字を書きます。加えて遺言書の末尾などに『●行目●文字追加』みたいに自筆で書く必要があります。まあ訂正したい時ははじめから書き直した方が無難かもしれませんね」
洋一「うーん、厳しいなぁ…」
弁護士「最後に、自筆証書遺言で一番大事なことは」
洋一「はい」
弁護士「家庭裁判所の『検認』が必要ということです」
洋一「検認?」
弁護士「遺言書の内容を明確にして偽造等を防止するための手続きです。遺言書の有効・無効を判断する手続きではないので、誤解のないように。これをしないと遺言の内容に従った名義変更とかもできませんからね」
洋一「裁判所に行かなきゃいかんのですか?」
弁護士「裁判官や相続人の立会いのもと、遺言書を開封して内容を確認します」
洋一「はあ…なんだか、自筆証書遺言、って色々大変ですなぁ…」
弁護士「まあ開封されるまで内容を秘密にできることや、余分な費用がかからないというメリットもありますけどね。ただ紛失や偽造のリスクもありますので、実際はこれからお話する『公正証書遺言』を作成される方が多いようですね。お父様のようにね」
洋一「はい、教えてください」
(スクリーンが切り替わる)
弁護士「公正証書遺言は、公証役場において公証人に作成してもらう遺言書のことです」
洋一「公証役場、ですか…」
弁護士「はい。公証人に遺言の内容を口頭で伝えて、公証人がそれを文書にするわけですね。公証人は専門家ですから、自筆証書遺言のように書き方を間違えて無効になるとか、紛失したり、偽造されたりという心配がないのが特徴です。あと、先ほどお話しました家庭裁判所での検認も必要ありません」
洋一「そうなんですか」
弁護士「あとは口頭で作成できるので、体が弱ったりして文字が書けなくなった場合でも遺言書を作成できるというのがメリットですかね」
洋一「なんだか、公正証書遺言のほうがよさそうですね」
弁護士「ただし、デメリットとしては先ほどの裏返しで、費用がかかります。公証人への手数料ですね」
(スクリーンが切り替わる)
洋一「これは…財産の額に応じて、金額が変わるということですか…」
弁護士「ただし遺産の総額ではなく相続人ごとに計算します。たとえば1億円の遺産を奥様に6000万円、息子さんに4000万円相続させる場合は」
(スクリーンが切り替わる。43000円+29000円=72000円)
弁護士「このようになります。ちなみに手数料額自体は全国の公証役場で共通です)
洋一「ほう…」
弁護士「あとは印鑑証明書や戸籍謄本といった必要書類を入手するための手数料もありますからね」
洋一「なるほど…」
弁護士「もう一つデメリットというか注意点としては、公正証書遺言の場合は『証人』が二人以上必要になるため、完全に秘密にはできないということです」
洋一「証人?」
弁護士「誰でもいいわけではなくて、法定相続人や受遺者、つまり相続人じゃなくても遺言によって財産を取得する予定の人は証人になれません。未成年者も駄目です」
洋一「はあ…面倒といえば面倒ですな…」
弁護士「どうしても見つからないときは、公証役場の事務員になってもらうこともできますよ。費用はかかりますが」
洋一「ふむ…」
弁護士「じゃああとは、どちらの遺言の形式にしろ、注意しておく点をご説明しておきましょうか」
洋一「はい」
(スクリーンが切り替わる)
弁護士「まず挙げられるのは『遺留分』に注意するということですね」
洋一「遺留分?」
弁護士「どのように遺産を配分するかは、遺言を残す方の自由ではありますが、兄弟姉妹以外の相続人には、遺言によっても奪われない最低限度の相続分があるんです。それが『遺留分』ですね。通常は法定相続分の1/2、親などのいわゆる直系尊属のみが相続人の場合は1/3と決まっています」
洋一「はあ」
弁護士「この遺留分を侵害する遺言、つまりこの取り分を無視して少ない配分の遺言を残すことも可能は可能なんですが、遺留分を侵害された相続人は『遺留分減殺請求』といって足りない分を取り返す請求をすることが法律上できるんです」
洋一「そうですか…なんか、揉めそうですな…」
弁護士「おっしゃる通り、相続人間の揉め事の原因になりかねません。だから遺言を残す際は遺留分にも配慮しておくのが賢明でしょうね」
洋一「なるほど…」
弁護士「あとは、当然といえば当然ですが、意思を明確に記載する、ということです。記載が曖昧だったりすると、書いた方の意思をどのように解釈するかをめぐってトラブルになりかねませんからね」
洋一「ふーん!なんだか簡単ではないですなぁ」
弁護士「そのために我々専門家がいるんです。元気なうちに遺言を残しておこうとするお心がけは大変結構だと思いますよ。さしあたりは工藤さんのご意思をお伺いして、私の方でドラフトを作ってみましょうか。そうすればイメージもわきやすいでしょう」
洋一「そうですね、お願いします!」
弁護士「ではまずお伺いしたいのはですね…」(フェイドアウト)
(暗転)
(工藤家。栄治が電話で話している)
栄治「うん、うん…そうだね…一応、父さんには話しておかないと…うん、難しいとは思うけど…なんとかわかってもらうよ…(鍵を開ける音)あ、父さん帰ってきたから、切るね…うん、じゃあ…」
(電話を切り、大きく息を吐く栄治)
(洋一が入ってくる)
栄治「お帰り」
洋一「お、ただいま…帰ってたのか」
栄治「うん…」
洋一(座りながら)「ちょうどよかった。お前にも話しておこうと思ってたんだ。父さんな…」
栄治(さえぎって)「あのね父さん」
洋一「ん?なんだ?」
栄治「あの…その…」
洋一「ん?どうした?」
栄治(思い切って)「…話があるんだ」
洋一「?どうしたんだ、改まって」
栄治「…これから話すこと聞いたら、父さん怒るかもしれないけど、俺、真剣に考えてることなんだ。だからいったんは最後まで聞いて、お願い」
洋一「…わかった」
栄治「俺…(ためらいつつも、とうとう切り出す)大学行くのやめる」
洋一(立ち上がって)「お前、な、何を言ってるんだ!」
栄治「だから!最後まで聞いて!」
洋一「…」(座る)
栄治「俺さ、今まで将来のこととか何も考えてなかった。父さんや母さんに言われるままなんとなく学校行って、大学受験して、きっとそのあとはどこかの会社に入って、そのうち結婚して、年取って、なんてことない平凡な人生になるんだろうなって、そう思ってた」
洋一「…」
栄治「でも最近になってわかった。そんなんじゃダメだって。自分は何をしたいのか、どうなりたいのか、その自分の軸に従って、やりたいことやって、人生を有意義に生きなきゃいけないんだって、そう思うんだ」
洋一「だからって、なんで大学行かないことになるんだ…」
栄治「何やりたいわけでもないのに、ムダに大学なんか行ったって意味ないじゃん!それよりは若いうちから勝負して、めいっぱい充実した人生を生きたいんだよ!だから、俺…友達と会社つくる」
洋一「な、何?」
栄治「友達にさ、すっごい頭のいいやつがいるんだ。ずっと先を見てて、ビジネスのアイデアがいっぱいあって。こいつと一緒なら、なんかすげえことができるって、そう思わせてくれるやつなんだ!俺は何がやりたいとか、よくわかんないけど…あいつと一緒なら何かデカイことができそうなんだ!だから一緒に起業したいんだ!」
洋一「何言ってるんだ!お前、そんな金がどこにあるんだ!」
栄治「とりあえずは、バイトでもなんでもしてお金貯めるよ…父さんや母さんには迷惑はかけないからさ、だから、お願い!」
洋一「バカ言ってんじゃない!この前も言っただろ!起業なんてそううまくいくもんじゃないんだ!ましてや高校出たばかりの若造に、何ができるっていうんだ!」
栄治「若いからってできないって決めつけるのよくないよ!若いからこそおじさんには思いつかないことができるってこともあるじゃないか!」
洋一「生意気言うな!お前、いつからそんな口きくように…何があったんだ?」
栄治「俺、この本読んで、色々わかったんだよ」
(テーブルの上の本を差し出す。洋一手に取る)
洋一「沢田優一…?」
栄治「すごい人なんだよ。ずっと先を見据えてるっていうかさ、この本にも書いてあるんだ、これからは会社に定年まで勤め上げることがベストな時代じゃない、自分のやりたいことを、自由にやるんだ、って…だからさ、今は心配かもしれないけど、きっと立派な会社作って、いっぱいお金稼いで、父さんと母さんのことも養ってあげるからさ、ね?」
洋一「バカモン!!」
(怯む栄治)
洋一「こんなどこの馬の骨ともわからんやつの口車に乗るなんて、何考えてるんだ!そんなことさせるために、父さんお前を育てたんじゃないぞ!そんな若造のやることなんて、うまくいくわけないだろ!お前、路頭に迷ってもいいのか!大学も出てなきゃ、今時どこの会社も雇ってくれんぞ!どうするつもりなんだ!…こいつだってな、今はいいかもしれんが、そのうちダメになるに決まってる!」
栄治「そんなことないよ!沢田さんは違うんだ、すごい人なんだよ!悪くいうのやめろよ!」
洋一「いい加減にしないか!目を覚ませ!」
(栄治の前に立ち手を振り上げるが、下ろせない。栄治一瞬怯むが、強がって)
栄治「なんだよ、殴んのかよ!」
(洋一動けない)
栄治「…なんだよ、なんなんだよ!」
(洋一を突き飛ばして出て行く)
洋一「栄治!」
(呼びかけるも足が前に出ない。うなだれる洋一。ふとテーブルの本が目に入る)
洋一「…!」
(本を床に叩きつける。がっくりと座る洋一)
(暗転)
(行きつけの飲み屋。洋一がカウンターで1人酒を飲んでいる。そこに拓也が入ってくる)
拓也「あれ?兄貴じゃねぇか?」
洋一「拓也…」
拓也(洋一の隣に座りながら)この店に来るなんて久しぶりじゃねえか?ずっと忙しいって言ってたもんなぁ?あ、俺ビールね」
洋一「ああ…」
拓也「なんだよ?なんかあったのか?」
洋一「拓也…お前、栄治に何か言ったのか?」
拓也「栄治?そりゃ、兄貴に黙ってここに連れてきたのは悪かったけどよ、あいつもいつまでもガキじゃねえし、そう固いこと言わなくても…」
洋一「そうじゃなくてな」
拓也「え?」
洋一「あいつの…将来についてとか」
拓也「はあ?何言ってんだよ。そんな話があれば、あいつ真っ先に兄貴に言うだろ」
洋一「…あいつ、大学行かずに起業したいって言い出した」
拓也「はあ⁈なんだそりゃ?」
洋一「なんか沢田優一って奴の本に影響されたらしいんだが…」
拓也「ああ、なんか最近テレビでよく見る起業家ってやつだな。まあ若いのに大したもんだとは思ってたが…いや、俺は栄治にそんなこと何も言ってねえぜ?」
洋一「そうか…」
拓也「なんだ、それで喧嘩したのか?」
洋一「起業なんてそんな簡単なもんじゃない、って散々言ってやったんだが、聞かなくてな…」
拓也「…それで、手をあげたのか?」
洋一「…いや、できなかった」
拓也「え?」
洋一「…あいつを叩こうとした時、親父の顔が浮かんだんだ…あの日、栄治と同じことを俺が親父に言った時の、親父の顔が」
拓也「…」
洋一「驚きと悲しみが入り混じったような、なんとも言えない顔だった…今でも忘れられない。あの顔がふっと浮かんで…動けなかったよ」
拓也「…」(黙って酒を飲み続ける)
洋一「あいつ、俺のこと意気地なしと思ったかもな…息子のことも叩けないなんてな」
拓也「そんなことねえだろ…」(飲み続ける)
洋一「そんな顔してたよ。あの時の俺と同じだ」(酒を飲み干す)
拓也「…」(同じように飲み干す)
洋一「…俺な、親父が口やかましかったから、自分に子供ができたらきっとのびのび育ててやろうって、そう思ってた。でも、実際は親父みたいにあれこれやかましく言う父親になってた…それがあいつのためなんだ、って自分に言い聞かせてな…お前は親父に可愛がられてたが、俺に対しては細かいことまで厳しかった…でも、それがあったからこそ今があるんだ、父親ってそういうものなんだってなんとなく思うようになって、いつしか同じことを栄治にもしていた…でも、あいつには俺の気持ちが届いていなかったのかな…父親ってなんなんだろうな」
拓也「…」(俯いている)
洋一「なあ拓也、親父にとって、俺って何だったんだろうな。お前はいつも親父に気にかけられていて、正直羨ましかった。俺はいつも叱られてばかりで、何かしようとしても反対されてばかりで…親父は俺のこと、どう思ってたんだろうな…まあ、それを聞く前に死んじまったから、どうしようもないか…」
拓也「そんなことねえよ」
洋一「え?いや、親父はもう死んだから…」
拓也「父さんが本当に気にかけてたのは、兄貴だろうが」
洋一(驚いて)「お前、何言ってるんだ…」
拓也「何度でも言ってやるよ。俺に言わせれば父さんが本当に可愛がっていたのは兄貴、あんただよ。確かに父さんは俺に優しかったが、それは兄貴に厳しくしすぎたと思って、その反動で甘やかしてただけさ」
洋一「拓也…」
拓也「俺が羨ましいだって?羨ましいのは兄貴の方だろ。いつも父さんに叱ってもらって…それだけ気にかけられてる証拠だろうがよ…俺がガキの頃バカやってたのだってな、父さんの気をひきたかったからだろ、わかんねえのかよ?」
洋一「…お前、酔ってるのか?」
拓也「酔いたくもなるってんだよ。そんな情けねえこと言われたらよ?父親って何かって?そんなの俺にわかるわけねえだろ、ガキどころか嫁もいねえんだからよ。ただな、一つだけ言えるのはよ、ガキってのは親の思い通りになんかならねえってことだ。そうだろ?」
洋一「…」
拓也「栄治が何考えてるのか、何がしたいのか、真剣に考えたことがあるのか?いっぺんやってみろってんだよ」
洋一「…」
拓也「父さんがどう思ってたかって?そんなの、父さんの遺言書を読めばいいだろ。そこにぜーんぶ書いてあるんだからよ」
洋一「何言ってるんだ。遺言書にはそんなこと何も…」
拓也「いーや、きっとある!あの弁護士きっと隠してやがんだよ。いっぺんとっちめてやらねえとなぁ…」(ふらつく)
洋一「おいおい、大丈夫か?まったく、大して飲めもしないくせに無理しやがって…あ、お勘定、ここね!」
(拓也を抱えて出て行く)
洋一「ほら、しっかりしろ?」
拓也「親父のバカヤロー!ってなぁ…」
(二人退場。暗転)
(スポットで弁護士登場)
弁護士(電話している)「ええ、ご覧になりましたよね?ちょっとまずいんじゃないですかね…ええ、あなたの言葉でちゃんと言ってあげないと…ええ、私もなんとかしますよ…ええ、じゃあ、できたらまたご連絡ください。では」
(電話を切る。暗転)
(工藤家。洋一が帰ってくる)
洋一「ただいま…(奥にいる妻と話している体で)栄治は?…そうか、帰ってないか…いや、ちょっとな…後で話すよ…大丈夫だよ、それよりも、風呂の用意してくれないか?」
(座る洋一。傍らに先ほどの本が落ちているのが目に入る)
洋一「…」(本を拾う)
洋一「栄治の気持ち、か…」
(本を読み出す。暗転)
(弁護士事務所。洋一がやってきて、インターホンを押す)
弁護士「はーい」
(弁護士ドアを開ける)
洋一「どうも、遺言書のドラフトができたって…」
弁護士「はい、今お持ちしますんで、そちらにかけてお待ちください)
(洋一中に入り、ソファに腰掛ける。弁護士一旦退場した後、ファイルを持って戻ってくる)
弁護士「こちらです」(ファイルを開いて見せる)
洋一「おお…なるほど…」
弁護士「先日のご要望は織り込めていると思いますが」
洋一「はい、ありがとうございます…で、今さらなんですが、追加でお願いが…」
弁護士「といいますと?」
洋一「付言事項、あれを添えたいんです…息子に」
弁護士「息子さんに、ですか?」
洋一「はい、自分の息子に対する気持ちを、ちゃんと残しておきたいなと思いまして…」
弁護士「それはいい心がけですが、どうかされたんですか?」
洋一「いや、お恥ずかしい話ですが、息子とちょっと揉めましてね…なかなか言うことを聞いてくれませんで…このまま私にもしものことがあれば、息子に何も伝えられずじまいになってしまうのも、と思いまして…父は何も残しませんでしたから、同じ思いをさせては息子が不憫だと…」
弁護士「お父様は、何も残さなかったと」
洋一「所詮父にとって、私はその程度のものだったということですかね…」
弁護士「二人の父親が、二人の息子に小遣いを与えました」
洋一「はあ?」
弁護士「一人の父親は、自分の息子に千五百円をあたえ、もう一人の父親は、自分の息子に千円をあたえました。ところが、この二人の息子が、自分たちの所持金を数えてみたら、二人の所持金は、あわせて千五百円しか増えていませんでした。さて、なぜでしょう?」
洋一「…何を言ってるんですか?」
弁護士「この問題、おわかりになりますか?」
洋一「ええ?…一人は千五百円で、もう一人は千円でしょう?合わせたら二千五百円じゃないですか。おかしいですよ。そんなのありえません」
弁護士「それがありえるんです」
洋一「え?」
弁護士「種明かしをしましょう。このお話の登場人物は、祖父、父、息子の三人なんですよ。父が父親と息子を兼ねてるんです」
洋一「は?」
弁護士「まず祖父が父、自分の息子に千五百円をあたえ、父は自分の息子にそこから千円をあたえたんです。だから二人の息子の所持金は千五百円にしかならないというわけです」
洋一「なんだ、ばかばかしい…何が言いたいんです?」
弁護士「いやね、私この問題好きなんですよ。よくできてるなーって…ここに出てくる父って、工藤さん、あなたと同じですね」
洋一「は?」
弁護士「父親でもあり、息子でもある。複雑な立場ですよね。お父様への思い、息子さんへの思い。それぞれありますよね。しかもお父様は亡くなってしまった。もう何も聞けないし、伝えられない」
洋一「…」
弁護士「お父様に対して、もっとこうして欲しかった、息子さんに対して、もっとこうして欲しい。色々思いはあるでしょう。でもそれは、心で思うだけではなくて、ちゃんと伝えないといけませんよ。そのための道具の一つとして、遺言書があるんですからね」
洋一「…」
弁護士「付言事項を追加するのもそれはそれで結構ですが、まずは今言うべきことを、息子さんにちゃんと面と向かって伝えればいいんじゃないですか?あなたまだ生きてるんですから」
洋一「そう、ですね…」
弁護士「あとお父様だって、ちゃんと残してるんですよ」
洋一「え?何を?」
弁護士「思いを綴った手紙ですよ。あなたやご兄弟の分もね」
洋一「え!あなたそんなこと一度も…」
弁護士「お父様から、もしもの時に渡してくれと言付かっていましたので。あなた色々お悩みのようですから、今がその時かなって」
洋一「なんでそんなこと…まさか弟が何か言ったんですか?」
弁護士「弟さんからは何も聞いていませんよ。それよりほら、そのファイルに入れておきましたので、読んでみてください」
(洋一ファイルのページをめくると、父正雄の手紙があることに気づく)
洋一「確かに親父の字だ…」
(洋一手紙を読み始める。以下正雄の声)
正雄「洋一。お前がこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世におらず、お前は何かで苦しんでいることだろう。その時のために、私はこの手紙を残した。生きているうちに言えなかったことも、今ここで言いたい。
まず最初に言いたいのは洋一、お前にはすまなかったと思っているということだ。お前は長男だから、しっかりしてほしいと思い、ついきつくあたりすぎた。お前のためにと思っていたが、逆にお前を傷つけたこともあったかもしれん。
お前が心配なばかりに、お前が何か新しいことをやろうとする時には、反対ばかりしてしまったな。お前が会社を作りたいと言った時もそうだった。あの時はついきつく言い過ぎてしまったが、お前が路頭に迷ったらと思うと心配でならず、ああいう言い方をしてしまった。でも後になって、お前の希望を潰してしまった行為だったのかもしれんと思うようになった。結局お前が会社を畳んだあと、私と同じ銀行に入れるよう計らったのも、私なりの罪滅ぼしのつもりだったが…お前には屈辱だったかもしれんな。
拓也が起業したいと言った時、強く止められなかったのも、そんなお前への負い目が思い出されたからだった。でもこの結果、お前はあの子にわだかまりを持ったかもしれんな。あの子のことをつい甘やかしてしまったのも、今は反省している。
…こうして思い返してみると、私はつくづく駄目な父親だったな。母さんに早く先立たれた分、私なりに頑張ったつもりだったが…お前達には本当に申し訳なかった。でもだからこそ言わせてくれ。同じことを繰り返さないでほしい、と。
洋一、お前が栄治に対して、かつての私のように厳しめに接していることはわかっていた。お前の家のことだから、と口出しせずにいたが、私は心配だ。栄治にも同じ思いをさせないかと。
洋一、栄治のことを優しく見守ってやれ。子供というのは、親の思い通りに操れるものではない。子供が自分で選んだ人生を、理解し、そっと見守り、辛い時には手を差し伸べてやる。親にできることはそれだけだと、今になって思う。
そして何より、生きて一緒にいられる時間は限られている。だからちゃんと、思いをつたいてやれ。大切に思っている、ということをな。
私は愚かにも、生きている間に伝えられなかったから、今ここではっきり言う。
洋一。お前のことをずっと大切に思っていたよ。お前も、雅美も、拓也も、お前達子供達を何よりも大切に思っていた。
そして同じことを、お前の周りの人たちにも伝えるんだ。いいな。
最後に一つだけ、言わせてくれ。
ありがとう。
工藤正雄」
洋一「親父…」
弁護士「お父様は、あなたたちご兄弟のことを、本当に大切に思っておられたんですね」
(間)
(洋一の携帯が鳴る。画面を見て妻からの着信と気づき、電話に出る)
洋一「失礼。もしもし…何、帰ってきた!そうか!うん、うん、わかった、これからすぐ戻る!」
(電話を切り、弁護士に向き直る)
洋一「すみません、息子が帰ってきたので、戻らないと!あ、この件はまた後ほど!(ファイルを置く)失礼します!」
(洋一急いで出て行く。弁護士微笑みながら見送った後、電話をかけ始める)
弁護士「もしもし…ええ、うまくいきました。あれなら大丈夫でしょう…あなたもうまくやってくれましたね。今度はちゃんと事前に残しておいてくださいよ…あ、そうか、次はないか…いえいえ、礼には及びません。その分、天国でのお勤めちゃんとやってくださいね。じゃないと、私が課長に叱られますので。よろしくお願いしますよ、工藤正雄さん。じゃ」
(電話を切る。暗転)
(工藤家。栄治が気まずそうに座っている。洋一が入ってくる)
洋一「栄治!」
栄治「父さん…」
洋一「…よく、帰ってきてくれたな」
栄治「母さんが帰って来いってしつこくて…ちゃんと父さんと話しなさいって、泣きながら言うもんだからさ…」
洋一「母さんは?」
栄治「奥にいるよ。あなたがちゃんと一人で父さんと話しなさいってさ」
洋一「そうか…」
栄治「父さん、俺さ…」
洋一「すまなかった」
栄治「え?」
洋一「父さんお前のこと考えてるつもりで、ちっともお前のことわかってなかった。いい学校行って、いい会社入って、それがお前の幸せになると思い込んでた。でも、お前にはお前の幸せがあるんだよな。それはお前が自分で見つけるものだ」
栄治「父さん…」
洋一(かばんから本を取り出して)「これ、読ませてもらったよ」
栄治「あ!沢田さんの本!どこいったかと思ってた…」
洋一「黙って借りてすまんな。つい読みふけってしまったよ。面白くて、いい本だな」
栄治(照れくさそうに)「うん…」
洋一「父さん考え直したよ。お前がこの人みたいに会社を作ってみたいなら、それもお前の人生だ。やってみるのもいいかもしれん」
栄治(嬉しそうに)「父さん…!」
洋一「ただし、一つだけ条件がある」
栄治「何?」
洋一「大学には行きなさい」
栄治「…」
洋一「沢田さんだって、大学で仲間と出会って、今の会社を作ったって本に書いてあったじゃないか。お前だって、大学で今の友達の他にも、一緒にやれる仲間と出会えるかもしれない。それに、授業以外にも、大学で将来のために勉強できることは山ほどある。起業するのは、大学を出てからでも遅くはないさ」
栄治「うん…」
洋一「実は父さんもな、学校出た後起業したことがあるんだ。おじいちゃんは大反対だったけどな…結局押し切った。でもうまくいかなくてな、すぐに潰れちまって、おじいちゃんの会社にコネで入らせてもらった…悔しいやら恥ずかしいやらでな、でも食べてくために、仕方なかった…だからお前には同じ思いをさせたくなくて、ついムキになってしまったんだが…」
栄治「知ってるよ」
洋一「え?」
栄治「おじいちゃんから昔聞いたことあるよ。だから父さんならわかってくれるかなって思ったんだけどさ」
洋一「そうだったのか…」
栄治「おじいちゃん言ってたよ。ちゃんと父さんのこと支えてあげればよかった、って。そうすれば会社潰さずにすんだかもって…父さんには黙ってろって言われてたんだけどね」
洋一「そうか…」
栄治「父さん、色々言ってごめんなさい…」
洋一「父さんも悪かったよ…栄治、父さんな、お前がどんな道を進んだとしても、いつだってお前の味方だ。ずっと見守ってる。辛い時はちゃんと言いなさい。いつでも父さん力になるから」
栄治「父さん…」
洋一「父さんにとって、お前は何よりも大切な存在だからな」
栄治「ありがとう…」
(栄治の携帯のメール着信音が鳴る)
栄治(画面を見て)「あ…」
洋一「どうした?」
栄治「いや、その…」
洋一「なんだ、正直に言いなさい」
栄治「その、拓也おじさんが…いつもの店、行こうって…」
洋一「あいつ…」
栄治「ダメ、だよね…」
洋一(苦笑して)「いいよ」
栄治「え!ほんと!」
洋一「ただし、父さんも一緒に行く」
栄治「えー!なんでよー!」
洋一「お前に酒を飲ませるわけにはいかんからな。俺が見張ってる。それに…」
栄治「それに?」
洋一「あいつにも礼を言わないといかんからな…」
栄治「なんのこと?」
洋一「こっちの話だ。ほら、どうするんだ?行くのか、行かないのか?」
栄治(微笑んで)「…行くよ!」
(微笑み合う二人。揃って退場しながら)
洋一「だいたいな、俺があいつにあの店を教えてやったんだぞ」
栄治「へーそうなの」
洋一「ただしお前には酒はまだ早い」
栄治「もー固いこと言わないでよー」
洋一「ダメなものはダメだ。奢ってやらないぞ?」
栄治「えーちょっと待ってよー」(フェイドアウト)
(暗転)
(弁護士事務所。天使が電話している)
天使「はい、順調です…はい、課長、今回の研修に出させていただいて、本当に感謝してます…すごく勉強になります…なので、もう少しここにいさせていただきたいんですよ…大丈夫です、天使としての勤めは忘れてませんよ、もう少ししたらちゃんと戻りますから…はい、はい…課長、私、あの工藤正雄さんとそのご家族の皆さんのおかげで、わかったんですよ」
天使「人間も、なかなかいいものだなって」
(暗転)
〜完〜
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