「ノクターン」
登場人物
稲森浩輔(48)刑事
葛原明(23)タクシー運転手
茅元祐介(38)会社員
真野鈴花(21)大学生
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○府中警察署・外観(夜)
「府中警察署」の看板。
月が浮かんでいる。
○同・取調室(夜)
中央にデスクがある。
デスクを挟んで二つの椅子がある。
稲森浩輔(48)、窓際に立って写真を見ている。
逆光で写真の内容は見えない。
T「ノクターン」
ノックの音。
稲森、写真をスーツの中にしまう。
稲森「どうぞ」
茅元祐介(38)、警官に連れられて入ってくる。
警官、敬礼して出ていく。
稲森「刑事課の稲森と言います。カヤモト、ユウスケさんですね」
茅元「もうすべてお話ししました」
稲森「あなたがマンガ喫茶に籠っている間に外でも事件が起こっていました」
稲森、座る。
稲森、茅元に椅子を示す。
茅元、座る。
稲森「あの日は特別忙しい日で。あなたの事件も含めて3つ事件がありまして。ウチは総出でことに当たっていたんです」
稲森と茅元目を見合わせる。
稲森「都立府中総合病院の屋上に人が立っていました。発見した通院患者が通報して。我々が駆け付けました」
茅元、視線を落とす。
稲森「大学生でした。就職活動が上手くいかず、交際相手にも振られてしまい、自暴自棄になっていたそうです」
茅元、掌をズボンにこすりつけている。
稲森「粘り強く説得したんですが、なかなか心を開いてくれませんでした。もうすでに、答えは出ていたんでしょう」
稲森と茅元、目を見合わせる。
茅元「その話。私と関係ないです」
茅元、立ち上がる。
稲森「聞かないんですか」
茅元「ですから」
稲森「その人がどうなったか。茅元さんは気になりませんか」
茅元、ドアに向かう。
稲森「そうか。あなたはその人がどうなったか知っているんですね」
茅元「知りません。でも。その女子大生がどうなろうと。私には関係ないですから」
稲森「女性だとはひと言も言っていません」
稲森と茅元、目を見合わせる。
茅本「失礼します」
茅元、ドアを開ける。
稲森「江田萩乃さんが亡くなりました」
茅元、手を止める。
稲森「つい。先ほど」
茅元、出ていく。
扉が閉まる。
ノックの音。
稲森「どうぞ」
真野鈴花(21)、警官に連れられて入ってくる。
警官、敬礼して出ていく。
稲森「稲森です。マノ、スズカさんですね」
鈴花「この度は大変なご迷惑を」
稲森「座ってください」
鈴花「失礼します」
鈴花、座る。
稲森「真野さんは、惑星男子という韓国のドラマがお好きだそうですね」
鈴花「え。あ。はい」
稲森「特に主演のペ」
鈴花「パク・ユイです」
稲森「そうそう。パクパク。そのパクさん。真野さんが病院の屋上で風に当たっていた日。府中に来ていたんですよ」
鈴花「え」
稲森「ご存じなかったんですか」
鈴花「あのときはそれどころじゃ」
稲森「そうですか。震災で都内に避難してきた子どもから来たファンレターに感激して会いに来たんだそうです」
鈴花「情に厚い人ですからね」
稲森「そのために、パクさんの慰問する小学校の警備でこちらは大わらわでした」
鈴花「そうですか」
稲森「でもパクさん。訪れた小学校から突然姿を消したんです」
鈴花「誘拐。ですか」
稲森「いえ。すぐ戻って来られています。大事には至っていません」
鈴花「そうですか」
稲森、デスクの引き出しから地図を取り出し、広げる。
稲森「パクさんを乗せたタクシーは美好町で彼を下ろし、国分寺に向かう途中、府中総合病院の前を通過しています」
稲森、地図をペンでなぞる。
稲森「その時。クラクションを短く3回。鳴らしています」
稲森と鈴花、目を見合わせる。
稲森「直後。真野さんは警察が用意したマットに飛び降りた。まるで。それが合図だったかのように」
鈴花「直後って。5分は経ってます」
稲森「そうでした。でもよく覚えていましたね。それどころではなかったのに」
稲森と鈴花、目を見合わせる。
鈴花「失礼します」
鈴花、立ち上がる。
稲森「真野さんにとってはなんてことのない高さですよね」
鈴花「え」
稲森「スカイダイビングのライセンス。お持ちですもんね」
鈴花、出ていく。
月が浮かんでいる。
ノックの音。
稲森「どうぞ」
葛原明(23)、警官に連れられて入ってくる。
警官、敬礼して出ていく。
葛原「葛原明です」
稲森「稲森です。どうぞ」
稲森と葛原、座る。
稲森「KBJ23というアイドルグループのことはご存じですか」
葛原「知らない人の方が少ないくらいです。国分寺発のグループで。コンセプトは23区内では会えないアイドル」
稲森「お詳しいですね」
葛原「タクシーの運転手は事情通じゃないと務まりませんから」
稲森「では先日の事件のことも」
葛原「ええ。彼女たちがゲリラライヴをやるっていうデマ情報がネットで流れて、ファンが殺到したってヤツですよね」
稲森「お陰でウチの署は大騒ぎでした」
葛原「こちらの管轄だったんですか」
稲森「すべては葛原さんたちの思惑通りというわけです」
葛原「何のことでしょう」
稲森、スーツから写真を取り出す。
稲森「あの日起こった3つの事件は、たった1枚の写真を撮るための。ブラフ」
江田萩乃(80)とパク・ユイ(28)のツーショット写真。
稲森「離れた場所で騒ぎを起こし、パク・ユイの警備を手薄にして抜けださせる。それが葛原さんたちの狙いです」
葛原「おっしゃっていることの意味がよくわかりません」
稲森「あの日。事件のあった3つの場所のちょうど真ん中にあるのが、この江田萩乃さんが切り盛りしていた下宿。七草荘」
葛原「切り盛り。していた」
稲森「亡くなりました。つい先ほど」
葛原「そうですか」
稲森「葛原さんたちの接点もそこです」
葛原「確かに学生時代。江田さんには大変お世話になりました」
稲森「疑問が1つ。この計画にはパクさん本人の協力も必要です。そもそもこれはただのファンサービスの域を超えている」
葛原「情に厚い人なんですよ」
稲森「わかったんです。その理由が」
稲森と葛原、目を見合わせる。
葛原「稲森さん。憶測で言っていい内容とそうでないものがあります。ましてやプライバシーに関わることなら」
稲森「彼の本当の名前は」
葛原「稲森さん。やめてください」
稲森、写真を見る。
稲森「江田さんも。パクさんも。本当にいい笑顔をしていますね」
葛原「ええ。会えてよかったです。本当に」
稲森「口元なんか、そっくりです」
稲森と葛原、目を見合わせる。
葛原「すべてを公表するおつもりですか」
稲森「そうしたらどうなりますか」
葛原「スキャンダルをバネにのし上がれるほど器用な人間ではないです。彼は」
稲森「そうですか」
稲森、写真を葛原の方に滑らせる。
葛原「いいんですか」
稲森「身寄りのない老人が、ある俳優を本当の孫のように思っていた。この写真はそれを証明するだけですから」
稲森と葛原、目を見合わせる。
一つ息をつく葛原。
葛原「ええ。その通りです」
葛原、写真を受け取り、立ち上がる。
葛原「失礼します」
稲森「茅本さんと真野さんにも、よろしくお伝えください」
葛原、深々と一礼し、出ていく。
稲森、窓際に歩み寄り、月を見上げる。
〈おわり〉
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