漢字遣艇 SF

中国・安陽で発見された石板には、漢字と甲骨文字で意味不明の文字の羅列があった。それを漢字研究者の江島が、分析し4進法のプログラムではないかと推察した。このプログラムをスーパーコンピューターに入力すると『管』というもののネットワーク図などが示された。これを元に江島は宇宙探査に乗り出した。テロリストの襲撃やアメリカ船に救助され、最終的には、日中米の共同開発プロジェクトになった。
中野剛 8 0 0 10/12
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第一稿

●1.河南省安陽市郊外の休耕田
  数年は耕していない荒れた畑。耕運機がエンストして急停止する。
  農民は悪態をついてエンストの原因を探ろうと地面を見る。
  角張った石が ...続きを読む
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●1.河南省安陽市郊外の休耕田
  数年は耕していない荒れた畑。耕運機がエンストして急停止する。
  農民は悪態をついてエンストの原因を探ろうと地面を見る。
  角張った石が鋤の刃に引っかかっている。
  農民はその石を蹴飛ばして、どけようとするが、びくともしない。
  農民はそれをよく見ようとする。
  農民の視線の先には、深くめり込んでいる石の板のようなものがある。

●2.河南省考古博物院
  縦2メートル横90センチ程の石板を白衣を着た研究員たちが取り囲んでいる。
  女性研究員は、デジカメで石板を撮影している。
  その石板の表面には甲骨文字と初期の漢字(金文)らしものが刻まれている。

●3.東洋国文大学の古典漢字研究室
  大里のデスクの前にある折り畳み椅子に座る江島良一。
大里「江島君、君の再就職先をいろいろと斡旋してみたのだがなくてな」
江島「教授、仕方ありませんよ。人員削減が大学の方針ですから」
大里「実は私も辞めさせられそうなんだ。文科系はすぐに結果が出せないからな」
江島「それじゃ、講師の私なんかが残れるわけないし、他の大学も雇ってくれないでしょう」
大里「残念だな」
  パートの秘書が大里のデスクの所へ来る。
パート秘書「先生、河南省の考古博物院からお客様がいらしてますけど」
大里「河南省だと、そんな予定はなかったがな」
  大里と江島は顔を見合わせている。受付のデスクの所には30才前後の女性が立っている。

●4.東洋国文大学の古典漢字研究室の応接コーナー
江島「ネットにアップしていた私の論文を見て、わざわざ日本まで来たのですか」
  江島はタブレットPCの画面に論文を表示させる。大里は脇から覗き込んでいる。 
劉「江島先生の漢字研究の斬新さには、驚いています」 
江島「お褒め頂きありがとうございます」
  江島がそう言った後、劉は自分のノートPCで写真を何枚か検索している。静まり返る応接コーナー。
大里「劉さん、日本語がお上手ですね」
劉「私、若い頃、東京の大学に留学してましたから。江島先生をご指導なさっているのが、大里教授ですか」
大里「ご指導と言う程ではないですがね」
劉「ありました。これです。これをどう読み解きますか」
  劉は、ノートPCの画面の向きをぐるりと回して石板の碑文を写した写真を見せる。
  碑文には甲骨文字と金文が並んでいる。
  劉は、江島と大里の顔を見ている。
大里「私には、文章になっていない気がするが、江島君はどうだ」
  大里はお手上げだという顔をしている。
江島「確かに文字の羅列に見えますが、何かの規則性があるはずです」
劉「ここは一つ、説文解字による分類や解説に捉われない江島先生に読み解いていただきたいの
 です」


●5.高輪プレステージホテルの展望ラウンジ
  江島は、新宿方向の眺望を眺めている。劉はコーヒーを飲んでいる。
江島「ここ、一泊高いんでしょう」
劉「4万5千円ですけど、考古博物院の経費で落ちますから」
  劉は早く答えを聞きたい雰囲気である。
江島「あっ、それで、私の見解としては、何らかの地下施設の入口とその内部について説明して
 いるのではないかと」
劉「江島先生もそこに行きつきましたか。しかし、その内部についての記述もあるというのです
 か」
江島「この末文にそれらしい箇所が見られます」
  江島は、タブレットPCの画面を指さしている。
劉「さすがです。ところで今の大学での給料はいくらですか。その倍をお支払いしますから、河南省考古博物院
 に来ていただきたいのです。もちろん大里教授の許可が得られてからですが」
江島「マジですか。講師の職は昨日まででして、再就職先を探していたところです」
  江島は思わず声を上げてしまう。
劉「それは良かったです。話が早い。明日、私は日本を発ちますから、一緒に河南省へ」
江島「明日ですか…」
劉「何かまずいことでも。それなら来週の月曜日の便を予約しておきますので、それで来てくだ
 さい。それまでに労働契約書なども揃えておきますから」
  劉は手を差し出し握手を求めてくる。江島は慌てて手を出してしっかりと握手する。

●6.河南省考古博物院付属招待所の部屋
  江島は着替えやタブレットPCなど荷物を下す。
  広めのワンルーム・マンションのような部屋になっている。
  江島は、備え付けのテレビを付ける。中国の番組が見られる。
  リモコンを衛星に切り替えると日本の衛星放送も映る。
  隣の部屋のドアが閉まる音がする。

●7.招待所の廊下
  江島は隣室のドア口に立つ。
江島「郭さんは、台湾からここに来たんですか」
郭「はい。漢字研究を本格的にしている所は、中国本土、香港、台湾、日本ぐらいのものですか
 ら」
江島「それにしても、郭さんの日本語は全然訛りがない」
郭「あぁ、あのぉ、祖母が日本人で日本語に触れる機会が多いし、衛星放送も見られますから」
江島「漢字の研究をしている人は、日本語ができるから助かりますよ」
郭「中国本土では、文化大革命前後に漢字を廃止しようとした動きがありましたし、簡体字は音
 が主体ですから。発祥は中国でも、偏や旁、漢字本来の意味を温存して長年研究が継続してい
 るのは日本ですから、どうしても日本語が必要となります」
江島「郭さんも、あの碑文は地下施設の説明だと思いますか」
郭「ほぼ間違いないと思います。だから江島さんもここに呼ばれたんですよね」

●8.大型4WD車の中
  劉が運転席、助手席に張、後部座席に江島と郭が座っている。
  車は片側二車線の道から片側一車線の道に入る。
  張が運転中の劉に中国語で何か言う。
劉「隊長は、もうすぐ遺跡だと言ってます」
江島「考古博物院から遺跡までもすぐだと言って2時間半も乗っていたから、今度のすぐはどれ
 くらいです」
  劉は江島の日本語を訳さず運転している。
劉「あの赤い門の向こうの丘が遺跡です」
郭「碑文が指示していた場所はここですか」
 郭は、簡素の木の柵で仕切られている区画内の丘を見ている。
江島「この丘の地下に何かがあるのか。楽しみだ」

●9.遺跡管理施設の地上監視用建屋
  急ごしらえの建屋が丘の斜面の一番下にある。
  その粗末なドアを開けて、中に入ると電子機器や大型液晶モニターが並ぶ部屋になってい
  る。
  江島たちは張隊長を先頭にして、その部屋を通り抜け、突き当りのエレベーターに乗る。

●10.遺跡管理施設内の地下6F
  張隊長がエレベーターから降りると、フロアにいる警備兵が敬礼をする。
  江島たちも降り、エレベーターホールの前に立つ。
  地下6Fのスタッフにヘルメットを渡される。
  張が中国語で劉に長めに何か言う。
劉「この先の通路が未探査の領域になり、ここが何の目的で作られているか探査してもらうこと
 になります。君たちの知識を存分に発揮してもらいたい、とのことです」
江島「劉さんは、一緒じゃないんですか」
  江島は茶目っ気を出して言っている。
劉「もちろん、隊長も私も参加します。それでは行きましょう」
張「ガンバッてクダサイ」
  たどたどしい日本語で言う。

●11.地下遺跡
  エレベーターホールから10メートル程進むと、施設の化粧板壁面が途切れ、岩肌がむき出し
  になる。壁面にある照明がなくなる。
  江島たちはヘルメットに装着してあるLED照明を点灯させる。
  さらに200メートル進むと左右に分かれる通路と下に向かう傾斜路のある分岐点に出る。
  江島たちは、直進し傾斜路をゆっくりと下りていく。

●12.地下遺跡の斜路の終わり
  江島たちは斜路が平坦になる所で立ち止まる。
江島「何もないな、さっきの分岐点まで戻った方が良さそうだ」
劉「待って、あの突き当りの壁に文字のようなものが見えます」
  劉は手にしていた大型の懐中電灯を壁に向ける。
郭「目の良い、私でもここからじゃ何が書いてあるかわからない」
  張は郭の日本語がわからなくても、前に進もうとする。

●13.地下遺跡の突き当り壁面前
  郭が壁面を触って感触を確かめている。
  張は中国語でどうだと言っているようで、郭は首を横に振っている。
江島「この壁の真ん中に書いてある6つの甲骨文字は、『洞水止陸上口』となるが、何のこと
 か…」
劉「地上とつながっているのかしら」
  江島は壁面の端の方に目をやる。
江島「四隅にあるのはルーン文字みたいたが、こんなところにあるわけないよな」
  江島は、デジカメで文字の写真を撮っている。
  その背後では張の中国語が遺跡通路内に響いている。
劉「とにかくここは行き止まりだから、分岐点に戻ろうと隊長が言っているわ」

●14.地下遺跡の分岐点
  張がコイントスをして、右に行こうとするが、郭が中国語で呼び止める。
江島「郭さん、どうしたのです」
郭「僅かに空気の流れが左にあります」
劉は素早く郭の言葉を中国語にして張に伝える。
  張はうなづいて、左に足を踏み入れる。

●15.地下遺跡の水たまりの前
  江島たちの行く手に水たまりがあり、その向こうに通路が続いている。
江島「ちょっと飛び越えるには、距離があり過ぎるし、深さはどのくらいなのだろう」
郭「かなり深そうです」
 水面を見つめる郭。
劉「水中ドローンで調べてみましょう」
  劉は、リュック下し、中から掌大のドローンを取り出し、水たまりに入れる。
  ドローンはLEDライトを照らしながら潜っていく。

●16.地下遺跡の水たまりの前の壁面
  江島は、岩肌むき出しの壁面を丹念に見ている。
江島「ここに通路の行先らしいものが書かれている」
劉「金文ですか」
江島「甲骨文字のようです。この遺跡は甲骨文字と金文、それともう一つの系統の文字が混ざっ
 て書かれいるのが興味深い」
郭「それだけ、古いということですか」
江島「どう考えても、秦の始皇帝が字体をある程度まとめた遥か以前のものでしょう」
劉「ああ、ドローンが戻ってきたわ」

●17.地下遺跡の水たまりの前
  ドローンの映像をノートPCで見ている江島たち。張が中国語で何か言う。
劉「隊長は、この水たまりを一旦潜ってから横に進む通路を行こうと言ってます」
江島「20秒程、息を止めれば行けそうだが、行く気がしないな」
郭「私も行きたくない」
  劉は江島たちの言葉を張隊長に伝えている。
江島「いや、待てよ。あそこの壁面の文字は、潜った先に道が開かれるとも読めるな。隊長は、
 知っていたのか」
  江島は張の顔を見ている。劉は江島の言葉を伝えている。
劉「ただ単に苦労した先に道があるような気がしてただけと、隊長は言っています」
  張が何か付け加えて言っている。
劉「隊長は、明日、装備を整えてから水たまりの先を行くことにしました」

●18.地下遺跡の通路
  潜水ジャケットを着ている江島たちは、狭くなった通路を進んでいる。
江島「あの水たまりは、こんなジャケットを着なくても、通れたな」
劉「何があるかわかりません。安全のために必要です」
郭「このあたりは岩盤の質が違ってきているようですが」
  郭は、岩肌をルーペで見ている。

●19.地下遺跡の通路を塞ぐ岩壁の前
  張は、岩壁の縁や隙間を丹念に見ている。
劉「隊長はここを爆破すれば、中に入れると言っていますが」
江島「爆破か。でもその衝撃で周りの天井が落ちて来ることはないのか」
劉「隊長は、爆破のプロですし、岩壁の方が周囲の岩盤よりもろいとも言っています」
郭「私はさっきの水たまりの所まで戻りますよ」
江島「俺も、郭さんと同意見です」
  江島が言い終える前に劉は張に訳している。

●20.岩壁爆破現場
  かつて岩壁だった欠片が散らばり、周囲の岩盤は何一つ変化がない。
  江島たちは、岩壁が塞いでいた岩のホールの中に入る。

●21.岩のホール
江島「ここは天井がどこまであるのだ。凄い広い空間だ」
  江島は上を仰ぎ見ている。
劉「あそこにあるのは何かしら。人工物のようです」
郭「驚いた、こんなところに人工物だって」

●22.岩のホールの人工物の前
  天井から下されたシャンデリアのようなものがある。
  高さは人の背丈の倍程である。江島たちはその人工物を取り囲んでいる。
郭「シャンデリアにしては地味な色合いですね」
江島「グレーと黒か…、あと水晶の柱みたいなものが中心部にあるけど、なんだろう」
劉「文字らしいものが見当たりませんね」
  劉が人工物の下の辺りを張と一緒に見ている。

●23.岩のホールの奥まった部分
  江島は岩肌を触ってみると、僅かに動く箇所がある。
  郭を呼び、二人でその岩肌を動かすと、横にスライドする。その先に別室がある。

●24.岩のホールの隣の別室
  縦2メートル横90センチほどの石板がいくつも立ち並び、その表面には甲骨文字や金文など
  が刻まれている。
江島「これは超古代の図書館みたいなものじゃないか」  
  江島は嬉しそうに石板を見ている。
郭「分析のし甲斐があります。何年かかるか」
劉「こんなものに行きつくとは、驚きです」
  劉は興奮気味に張に中国語で話している。

●25.遺跡管理施設の地下3F分析室
  岩ホールの隣にある別室から運ばれた石板12枚が支柱に支えられて立ち並ぶ。
  石板の間を行き交う江島。劉が少し遅れて分析室に入って来る。
劉「どうですか。ここに何が書かれているかわかりましたか」
江島「遠隔地とつながるもしくは遠隔地に行くというようなことが書かれているようですが、今
 の所、確証がありません」
劉「郭さんは、どうしましたか」
  劉は分析室内を見回している。
江島「あぁ、スマホにゲームアプリをダウンロードしに地下1階の食堂に行ってます。あそこな
 らネットにつながりますから」
劉「大丈夫です。ただ電話やメールは検閲されていますよ」
江島「検閲…。この地下遺跡が国家機密にでも値するのですか」
劉「私も詳しくはわかりませんが、何か重大なものを発見した時のためかもしれません」
江島「お国柄ということですか」

●26.遺跡管理施設の食堂
  食事を載せたトレーを持って郭の席のそばに座る江島。
江島「郭さん、その後、新作ゲームは攻略できましたか」
郭「第三ステージで苦戦してます。あっ、それはそうと便利なアプリを発見しましたよ」
  郭はスマホを取り出して何かのアプリを起動させる。
  郭はいきなり中国語で話し出すが、1秒程遅れて、日本語に通訳された音声が流れだす。
郭「どうです。便利でしょう」
江島「それって最新のバージョンですか。この前のバージョンはレスポンスが悪かったけど、こ
 れは使えそうじゃないですか」
  江島は、郭のスマホをしげしげと見ている。
  郭は中国語で何か喋り始める。すぐにスマホが作動する。
郭のスマホ「江島さんもダウンロードしたらどうですか。これがあれば張隊長と直に話せるでし
 ょう」
江島「確かに。俺もさっそくダウンロードしてみるよ」

●27.遺跡管理施設の会議室
  施設長の陳栄光は胸のポケットにスマホを入れている。陳は中国語で言い出す。
陳のスマホ「解釈の相違があると聞きましたが、江島さんの説はどうなのですか」
江島「この石板の文字は、古い甲骨系の字体とされる一派の文字が混ざっているので、その互換
 表のようなものが必要です。今、その表は作成中ですが、それで一部わかったことですが、何
 らかの遠隔地を身近にする天体現象があると読めます。これは多分、重力レンズで遠くの天体
 が近くに見えることを指しているのではと思います」
  江島の言葉をスマホが中国語にしている。
劉「江島先生の説に意義を唱えるつもりはないのですが、いささか飛躍し過ぎている気がしま
 す」
  劉は中国語で言っているが、江島のスマホが日本語にしている。
郭「私は、江島先生の線は、ある程度正しいのですが、まだ物足りない要素があるようです。と
 いっても具体的に何がはわからないのですが」
  郭は江島に直接伝わるように日本語で言っている。
  陳は江島の分析レポートに目を通してから立ち上がる。
陳のスマホ「いずれにしても、まだ情報不足と言えましょう。引き続き分析をお願いします」

●28.遺跡管理施設の分析室
  江島は、石板の間をゆっくりと歩く。
  一つだけ同じ文字の繰り返しが続いているような石板があり、その石板の周りを行ったり来
  たりしている。顎の下を指でさすりながら、天井を見つめている。
  何か閃いた江島は、手早くメモを取り、文字と見比べている。

●29.遺跡管理施設の会議室
  江島は会議室のホワイトボードの前に立っている。
  江島は日本語で喋っていたが、その言葉はスマホが中国語に訳している。
江島「ここの地下遺跡の石板には、壱、弐、参、零と書かれたり、初、次、先、終と書かれてい
 るものがありますが、いずれも同じことを表現しているのだと推察しました。これは3500年前
 の当時、零の概念をどの字にあてるかがまだ曖昧だったのということに由来する気がします」
  江島が握っていたリモコンのボタンを押すと、ホワイトボードがスクリーン画像に切り替わ
  る。
江島「それで、この文字列を見ていくと、壱壱参弐零や次初次次先初終などが並んでいます。こ
 れらが何を意味するかよーく見てください。これを4進法によるプログラミング言語とすれ
 ば、意味を成してきます。そこで付随する『是天駆船』や『破管入』などは、そのプログラム
 の説明文だとしたら、どうでしょうか。まだ具体的な内容は精査中ですが、私はかなり有力な
 ものとして考えています」
  江島の背後のホワイトボード・スクリーンには、石板の映像が大写しになっている。
  施設長の陳栄光が口を開く。
陳のスマホ「かなり荒唐無稽な説ですが一理あるかもしれません。江島先生たちにはその線で進
 めてもらいたい。
 それで劉第一主事、この施設の資金面はどうですか」
劉のスマホ「今月以内に、なんらかの成果を報告しないと減額されるようです」
陳のスマホ「成果と言われても、いろいろとあるしな」
劉のスマホ「政府もしくは軍が納得する成果です」
陳のスマホ「私の方でなんとか考えてみよう。本日の打ち合わせは以上です」

●30.遺跡管理施設の施設長室
  江島は施設長デスクの前に座っている。
陳のスマホ「君の言う『管』だが、一体何だと推察しているのだ」
江島「あれはどう解釈しても特殊な空間と言うか、宇宙のハイウェイみたいなものの気がしてな
 らないのですが。しかし確かめてみないと何とも言えません」
  江島の言葉はスマホが中国語にしている。
陳のスマホ「そういうものなのか。それでそれはどこにあるのだ」
江島「わかりません。とにかく例の文字列をプログラムに置き換えて分析する必要があります」
陳のスマホ「スーパーコンピューターか」
江島「それで一挙にいろいろなことがわかるはずです」
陳のスマホ「わかった。成果につなげるためには早急にやってみよう」

●31.遺跡管理施設のレクリエーション室
  劉は、いきものかがりの『ありがとう』を熱唱し終えても、マイクを離さない。
江島「劉さん、今日は郭さんの誕生日パーティーでしょう。そろそろマイクを郭さんに渡した
 ら」
  劉は江島の日本語が聞き取れないといった仕草をしてから、次の津軽海峡冬景色のイントロ
  を聞いている。
  江島は、お手上げという仕草をして郭を見る。劉が歌い始める。
郭「エジさん、良いんですよ。私は歌が苦手だから」
江島「郭さん、今なんて言った」
郭「劉さんの声がデカいから聞き取りにくいと思って、大きめに言ったんですけど」
江島「エジって聞こえたけど、学生の頃のあだ名がエジだったから」
郭「そうですか。それじゃ、我々はだいぶ打ち解けて来たからエジって呼びますか」
江島「俺は別に構わないけど、郭さんは、どうしようか」
郭「ダイ、でいいですよ。祖母がそう呼んでましたから」
  劉は歌い終えるとマイクを充電器に差し、席に戻る。
劉「郭さんの番ですよ。歌いなさい」
  劉の言葉に郭はしぶしぶマイクを持つ。郭は台湾で流行っている歌を歌い始める。
江島「劉さんをあだ名呼ぶとしたら、何がいいんですか」
劉「親しくなったってわけね。そうねリー、いやレイでいいわ。留学していた時、そう呼ばれて
 いたから」
江島「それでレイ、その後、スーパーコンピューターの分析の方はどうなったんですか」
  劉はチューハイをひと飲みする。劉はかなり酔ってきている。
劉「あぁ、あれね。なんか『管』のネットワーク図みたいなものがCGで表現できたそうよ」
江島「ネットワークですか。それはぜひ見てみたいものだ」
劉「たぶん、明日、施設長が話すでしょう」
  劉は、郭の歌の合間に中国語で合いの手を入れている。

●32.遺跡管理施設の会議室
  施設長の陳は、何食わぬ顔をして座っている。
江島「そんな、スーパーコンピュータから何も得られなかったのですか」
  江島の言葉はスマホで訳されて陳の耳に届いている。
  丸テーブルをはさんで江島たちは座っている。
郭「『管』の特徴ぐらいはわかるんではないですか」
陳のスマホ「例のプログラムらしきものを分析した結果は、ランダムな数字の列が並んでいただ
 けです」
江島「だって、劉さんの話だと、『管』のネットワーク図があったそうじゃないですか」
陳のスマホ「そんな話を劉がしたのですか。いつ聞いたのです」
江島「レクリエーション室でカラオケをしている時に…」
陳のスマホ「酔っている席で、ですか。冗談でしょう」
  陳はせせら笑っている。劉は黙っている。
江島「レイ、いやぁ劉さん言いましたよね」
劉「私は酔っていたから、何を言ったかよく覚えていないのですよ」
  劉は申し訳なさそうにしている。
陳のスマホ「ですから、引き続き石板の分析をお願いします。5号石板の方はまだですから」
  陳はこれ以上言うことがないという表情である。

●33.遺跡管理施設の江島の部屋
  デスクの上のデスクトップパソコンのモニターを見ている江島。
  江島は首を傾げている。部屋に呼ばれた郭もモニターを見ている。
江島「昨日までは、データ情報にアクセスできたのに、今日できなくなっている」
郭「何か情報操作してますね。非常にわかりやすい行動じゃないですか」
江島「これでレイのもらした情報が正しいことが裏付けられたようなものだ」
郭「エジはどうするんです」
  江島はデスクの引き出しからUSBメモリーを取り出し、さりげなくポケットに入れる。
江島「この先、深入りすると危険な気がするから、日本に帰る」
郭「そう簡単に帰してくれますかね」
  郭は不安気な顔をする。

●34.遺跡管理施設の施設長室
  陳は施設長席の椅子に深く座る。
陳のスマホ「どうしたのです。急に里心がつきましたか」
江島「私の推察が間違っていたようなので、この先もお役に立てるかどうかわからないので」
陳のスマホ「ここを辞めるということですか」
江島「今まで働きづめだったので、日本に帰りたくなった面もあります」
陳のスマホ「それでは2日間のリフレッシュ休暇を上げましょう。その上でもう一度あなたの意
 思を確認します。よろしいですか」
  陳はじっくりと江島の顔を見てから、愛想笑いをする。
江島「わかりました。早速明日の羽田便を予約します」
陳のスマホ「それには及びません。河南省考古博物院のチャーター機でお送りしますから。劉も
 日本に用事があるようなので同行します」
江島「あぁ、そうですか」

●35.遺跡管理施設の江島の部屋
  江島は手荷物をショルダーバッグに詰め込んでいる。 
江島「この髭剃りを入れたら、いつでも行けるぜ」
  ドア口の所で立っている劉。
劉「チャーター便には余裕で間に合うでしょうね」
江島「よし、それじゃ安陽空港に行こう」
  江島は部屋の照明を消す。

●36.遺跡管理施設の階段
  江島と劉はゆっくりと上っている。
  突然、けたたましい警報が鳴り、中国語のアナウンスが流れる。
劉「大変だわ。武装した侵入者って言ってるわ」  
江島「侵入者。一体誰なんだ」
劉「反体制派のテロかもしれない」
  上の階の階段室のドアが自動的に閉まりロックされる。
劉「もう上には行けないわ。下の階に戻りましょう」
江島「俺の休暇はどうなるのだ」
劉「ちょっと無理かもね」
  下の階から警備兵たちが駆け上って来る。

●37.遺跡管理施設の会議室
  陳はホワイトボートに映し出されている外部監視カメラの映像の横に立っている。
陳のスマホ「施設の地上部分はテロリストに占拠されている」
郭「何が目的なんですか」
陳のスマホ「反政府テロリストのようだが、目的不明です。ただ地下2F以下は封鎖されている
 ので安全は確保されているが、我々が外に出ることができない」
江島「いつまで、外に出られないのですか」
陳のスマホ「軍のテロ対策チームが来てテロリストを排除するまでです」
江島「これじゃ、リフレッシュ休暇どころじゃないな」
陳のスマホ「仕方ありません。我慢してください」

●38.遺跡管理施設の分析室
  割れていた石板の塊をつなぎ合わせる江島。
郭「エジ、俺の今日の作業はこれで終わりにするよ」
劉「休暇がパーになって、やけになってんの。あたしもこれで上がるわ」
江島「お疲れ様、俺は部屋に戻ってもやることないし、もう少しここに残る」
  郭と劉は分析室を出ていく。つないだ石板を見て通路に飛び出す江島。

●39.遺跡管理施設の分析室前の通路
  江島は劉を呼び止める。
江島「石板をつなぐと『単心飛別界』と『心移別体』の文字が強調されているんだ」
劉「それにどんな意味があるの。スピリチュアル的な儀式のフォーマットじゃない」
江島「いや、たぶん意識体の通信機のようなものを説明している気がする」
劉「詳しいことがわかったら、連絡してね」
  劉はあまり関心を持たずに歩いて行く。

●40.岩のホールの隣の別室
  発見当初と違い岩肌が露出していない。
  別室の壁面にはインターコム回線や化粧板が張られ、遺跡管理施設の一部に組み込まれてい
  る。江島、郭、劉はシャンデリアのような人工物を見つめている。
劉「これが意識体の通信機だとしても、どのように使うのかしら」
郭「いずれしても、何千年も経っているから作動はしないでしょう」
江島「ちょっと手直しすれば、動くような気がするけど」
劉「古代中国人がそんなテクノロジーを持っているのかしら」
江島「古代中国人がそのテクノロジーを持っている何者かに出会ったんじゃないかな。石板はそ
 のテクノロジーを書き写したとすれば、しっくりと行くけどな」
郭「その何者かって、宇宙人ということですかね」
江島「人に類似するものなのか、エネルギー体なのか、機械なのか、記述に行きあたらないから
 なんとも言えないな」
  江島は腕組をしている。
  インターコムのスピーカーからけたたましい警報が鳴り出す。
  中国語の緊迫した声が響いている。
  劉の顔色が明らかに変わる。
江島「また別のテロリストか」
劉「今度は…、」
  江島は劉の顔を見る。
江島「本物のテロリストかい」
劉「とにかく大変だわ。施設長はエジたちを退避シェルターに誘導しろと言っている」
江島「この前の時とずいぶん反応が違わないか」
  劉は江島の言葉を無視している。
劉「退避シェルターはこっちの通路よ」
  劉は、別室から通路へ行こうとする。

●41.遺跡管理施設の退避シェルター
  施設長の陳は、江島と郭の顔を見ると安心した顔になる。
陳のスマホ「反主席派のテロリストに急襲されました。秘匿通路で脱出しましょう」
江島「私の休暇をパーにしたテロリストとは別なのですか」
陳のスマホ「あぁ、別です」
江島「テロリスト同士でもめたりしないんですか」
陳のスマホ「わかりません。これよりあなた方は、劉の後に続いて秘匿通路で外に出てくださ
 い」
江島「えぇっ、外に出る通路があったんですか」
陳のスマホ「緊急時の通路です。とにかく急いでください」
  陳は江島が食い下がっても平然としている。

●42.安陽市内のネットカフェ
  簡体字で書かれたポスターがベタベタと張られている雑然としている店内。  
江島「あんな通路があるとはな」
劉「いろいろと言いたいことがあるでしょうけど、全てはエジたちを守るためなのよ」
郭「俺も含まれるわけね」
江島「ネットカフェに泊まるのが安全なんですか」
劉「テロリストもまさかネットカフェにいるとは思わないでしょう」
  江島たちは、3人で共有するブースに入る。  

●43.ネットカフェの共有ブース
  江島がうとうととして目が覚めると、両隣の席に座っている郭と劉も寝ている。
  江島はトイレに行こうと立ち上がりかけるが、また座り直す。
  リクライニングしていたシートを立てて、PCのモニターを見つめて、キーボードを静かに打
  つ。
  モニター上には『これから添付するデータを日本のスーパーコンピューターで解析してくだ
  さい』とタイプされている。
  江島は、ポケットからUSBメモリーを取り出して送れる容量の分だけデータを添付させる。
  劉が少し動いたようだが、起きてはいない。
  江島は、大里教授あてに送信すると、すぐにPCをオフにする。
  江島は、両脇の劉と郭を確認してからリクライニングシートを倒して目を閉じる。

●44.遺跡管理施設の地上部分
  丘の斜面には、爆発による穴があき、、地上監視用建屋は、銃弾の穴だらけになっている。
  中国正規軍の兵士が、まだ残っているテロリストの遺体を回収している。
  江島たちは、大型の4WD車から降りる。
江島「これは凄い、戦争でもしたようなありさまだ」
劉「危険は排除されたようですね。しかし地下施設の方はどうかしら」
郭「かなりの振動や衝撃が地下にも伝わっているでしょう」  
  陳が穴だらけの監視用建屋から出てくる。
陳のスマホ「2日間のカフェ暮らしを堪能できましたか。もう大丈夫です。また再びここで研究
 ができます」
江島「堪能ってことはないですよ。シューティング・ゲームが上手になったかな」
  江島は、すぐに建屋の入口に向かって歩き出す。
  劉と郭は、中国語で陳に、カフェでの過ごし方を説明している。

●45.遺跡管理施設の会議室
  陳は深刻な顔をしている。陳、江島、劉、郭を丸テーブル囲んでいる。
  江島以外は中国語で喋っている。江島のスマホは3人の会話まで拾って翻訳できる。
江島のスマホの劉の声「やはり分析データの一部が地上の戦闘の影響で飛んでしまったようで
 す」
江島のスマホの陳の声「バックアップは取っていなかったのか」
江島のスマホの劉の声「「スーパーコンピューターの解析の時にお渡ししたものがそれです」
江島のスマホの陳の声「なんと、あれは、あちらで消去してしまったぞ。弱ったな」
江島のスマホの郭の声「もう一回、分析し直すしかないじゃないですか」
江島のスマホの陳の声「どれくらかかる。今建造中の探査船には間に合わないではないか」
江島のスマホの劉の声「仕方ありません」
江島「今、建造中の探査船…」
  江島は言いかけて、自分の音声を中国語に翻訳させて言い直す。
江島のスマホの陳の声「いずれ君に言うつもりだったが、『管』を探査する宇宙船だ」
江島「それじゃ、何も得られなかったというのは、嘘じゃないですか」
江島のスマホの陳の声「国家機密に属する案件になったので、仕方のないことです」
  陳は静かに言っている。
江島「国家機密か」
江島のスマホの陳の声「しかし、探索プログラムの部分が失われているので、計画が少し遅れる
 ことになる」
江島「それなら、私のバックアップを日本のスーパーコンピューターで分析しているので、すぐ
 にわかります」
  陳の顔が恐ろしく険悪な表情になる。劉も目が泳いでいる。郭はきょとんとしている。
江島のスマホの陳の声「いつの間に」
江島「ネットカフェから」
  陳は劉を見る。
江島のスマホの陳の声「劉、見張っていなかったのか」
江島のスマホの劉の声「そんな…、ありえません」
江島「寝ている時ですから」
  陳は江島を睨む。陳は顔を紅潮させ息が荒くなる。
江島のスマホの陳の声「あなたは、わが国の国家機密を漏らしたわけか。雇用契約にも禁止事項
 としてそのことが記されているにも関わらずにか。国家反逆罪の上に重大な契約違反になる」
江島「クビですか」
江島のスマホの陳の声「あなたの処遇は追って沙汰があるはずです」
  陳は苛立っている。陳は会議室のインターコムを取り、小声で何かを言う。
  すぐに警備兵が入ってくる。
江島のスマホの陳の声「留置室に連れて行け」
  江島は警備兵に脇を抱えられ、連れて行かれる。

●46.遺跡管理施設の留置室
  劉と郭が鉄格子の扉の前に立っている。
江島「遺跡の施設にこんな留置室があるなんて知らなかったよ」
劉「この施設内なら自由にできるように掛け合ってみますから」
郭「なんとかなるかもしれませんよ」
江島「それはありがたいが、一生ここにつながれて、漢字研究ってことにならないかな」
  江島の声はか細くなっている。
劉「何か必要なものはあるかしら」
  劉は留置室内見回している。
江島「スマホかノートPCがあると便利なんだが」
劉「オフ環境でなら、なんとかなるでしょう」
江島「メールでやり取りされたら、困るんでしょう」
  劉はうなづいている。

●47.首相官邸
  総理大臣の席に座る重原。デスクを挟んだ向かい側には、長谷川が立っている。
重原「長谷川君、その邦人は漢字研究者なのに、どうして拘束されているのだ」 
長谷川「江島という元大学講師ですが、中国で発見された石板の分析をしていたようです」
重原「石板がどうしたというのだ」
長谷川「その江島氏が秘密裏に送ってきたデータをスーパーコンピューターで解析したのです
 が…」
重原「何、スーパーコンピューターときたか」
長谷川「そのぉ、『管』と呼ばれるネットワークが宇宙に存在するようなのです」
重原「ブラックマターか何かのことか」
長谷川「いいえ、距離を超越できるとされています」
重原「マジなのか。それってワープみたいなものだろう」
長谷川「まだ詳しくはわかっていないようですが、月と地球のラグランジュ点の近くのこの座標
 に入口があるのではとされています。座標のデータがこれです」
  長谷川は数字の書かれたノートパッドを見せる。重原は、覗き込む。
重原「こいつが中国が失ったデータなのか」
  長谷川は大きくうなづく。
重原「ワープとなると世の中がひっくり返るほどの巨額が動くだろう。日本もこのプロジェクト
 に関与したいものだな」
長谷川「日本にあるこのデータを切り札にすれば、なんとか」
重原「でも石板は中国にあるのだろう。データなど再度分析すれば良いではないか」
長谷川「それが中国は既に探査船を軌道上で組立てている段階でして、一刻も早く探査したいよ
 うです」
重原「なるほど、すぐに座標が知りたいのか。それにしても何でそんなに急ぐのだろう」
長谷川「現主席の鄭は、反対勢力が追い落としを狙っています。先日もテロがあったばかりで
 す。鄭は自分が主席在任中の功績にしたいようです」
重原「よし。表向きは邦人だが、ワープ関与が重要だ。君の計画を進めてくれ。内閣府で最高の
 ネゴシエイターとして知られる君だ。何とかなるだろう。いや内閣府事務次官として、ぜひと
 もやり遂げてもらいたい」

●48.軌道上の探査船『鄭和』
  3つのモジュールが既に接続され、探査船を構成している。
  4つめのモジュールがゆっくりと接近している。
  船外作業員たちが見守る中、4つめのモジュールが接続される。
  モジュールが縦に4つ連なる探査船は、ほぼ完成の状態になる。
  許は接続に不備がないか点検を始める。
  彼の宇宙服の上腕部には中国航天軍大佐のワッペンが付いている。

●49.遺跡管理施設の会議室
  陳、劉、郭、警備兵3人に抑えられている江島が会議室にいる。    
陳のスマホ「江島の国家反逆罪は、中国人ではないので不問に賦するとのことだ。その上で、こ
 の危険で栄えある任務に江島を抜擢しろと鄭主席は、おっしゃっている」
劉「不問ですか。それは良かった」
郭「探査は無人ではなかったでしたっけ」
陳のスマホ「鄭和は有人宇宙船なはずだが」
  陳は、江島の手錠を外させる。
江島「日本人に厳しいはずの中国なのに、不問とは驚きです」
  江島は手首をさすっている。  
  会議室のドアが開き、スーツを着た男が入ってくる。
長谷川「江島さん、無事にあなたは解放されました」
  長谷川は江島に握手を求めてくる。
江島「あなたは」
長谷川「あぁ、申し遅れました。内閣府事務次官の長谷川善治です」
江島「私のために日本政府が動いたのですか」
長谷川「はい。大里教授は私の大学の先輩ですし、総理に話したらゴーサインが出ました」
  長谷川は屈託のない笑顔を見せる。

●50.文昌航天中心発射場の搭乗員控室
  窓から海南島のリゾートビーチが遠くに望める。
  江島は宇宙服を着てヘルメットを手にして座っている。
  その隣に座る許は、宇宙服の通信装置を点検している。
江島「たった2週間程の訓練で宇宙に行って大丈夫なものですか」  
  江島は手にしているヘルメットのマイクに日本語で言う。
  許のヘルメットの江島の声は中国語になっている。
江島のヘルメットの許の声「問題ありません。それに操縦は私がやります、江島博士は、『管』
 や漢字の解釈に専念してください」
江島「博士って、博士号は持っているけど、そう呼ばれたことはあまりなかったな」
江島のヘルメットの許の声「博士、それでは行きましょう」  
  許は立ち上がり、控室から発射塔につながる通路に向かう。

●51.軌道連絡船内
  江島は緊張した表情で宇宙服のフェイスプレートを閉まり具合も何度もチェックしている。
江島「打ち上げ失敗の時はこの赤いレバーを引いて脱出ですね」
江島のヘルメットの許の声「それを引くことはないでしょう。カウントダウンです」
船内に流れる航天中心のオペレーターの声「ウー(五)、スー(四)、サン(三)、アール(二)、イー
 (一)、ファシィ(発射)」
  強烈な振動と船内にも響く轟音の中、江島が横目で窓の外を見ると軌道連絡船は上昇し始め
  ている。どんどん加速していく。3.6G程の加速度に顔色を悪くしている江島。

●52.探査船『鄭和』内
  無重力に慣れていない江島は、手すりを使っての移動の際に壁面にぶつかったりしている。
江島「このなんか気持ち悪いのが、宇宙酔いですか」
  江島の船内服のポケットのスマホが訳している。
  許は江島の様子を見ている。
江島のスマホの許の声「慣れてる人なら3日ぐらいですが、民間人だと慣れるまで2週間ぐらい
 かかるもしれません」
江島「2週間。今回の探査は12日間でしょう。ずぅーっと宇宙酔いのままかぁ」
  江島は憂鬱な顔になっている。
  船内の通信モニターの画面がオンになる。劉と郭が映る。
劉の声「そっちはどう。私と郭が地上でサポートするから、なんなりと言ってね」
郭の声「宇宙酔いはどうです」
江島「思った以上に辛いかも。上も下もないから常に逆立ちでもしているようだよ」

●53.探査船『鄭和』
  ラグランジュ・ポイント付近に向かう『鄭和』。
  船体には『漢字遣艇・鄭和』の文字がペイントされている。
  周りの宙域に人工物らしきものは何もない。
  姿勢制御ロケットを小刻みに噴射してコースを微調整している。

●54.探査船『鄭和』内
  船内のモニター画面には、実際の外の映像に航行コースを示すラインが重ねられている。
江島「座標によると、このまま直進すれば、行きあたるはずだが」
  許は、速度を落として、船を進める。
江島のスマホの許の声「見た目には、何もないが、座標が間違っていることはないですか」
江島「座標が正しいかどうか、探査に来ているわけだからも外れということもあるでしょう」
  船内のセンサーが座標到達を知らせるビープ音を鳴らす。
江島「何も変化なしだ。それじゃ第二候補点に行きましょう」
江島のスマホの許の声「候補点は後いくつあるのですか」
江島「8箇所で、それ全部が外れなら、スーパーコンピューターの解析は意味がなかったことに
 なります」

●55.探査船『鄭和』内
  江島と許は操作盤の前に浮遊している  
江島のスマホの許の声「博士、いよいよ最後の座標です」
江島「磁場の変化も重力場の変化も何もなしだ」
  江島は、操作盤のモニターに表示された計器を見ている。
江島「俺の見立ては、ダメだったか。もっと他の角度から読み込まないとダメか」
  江島は頭を抱えている。
江島のスマホの許の声「博士、地上から連絡が入ってます」
  江島は自分の目の前にモニターに連絡画面を転送させる。
  劉が映っている。
劉の声「8つの座標の交点に行ってみた。まだだったら行ってみて」
江島「了解」

●56.探査船『鄭和』内
  江島と許は、窓に張りついている。
江島「あそこが交点か。あの空間、歪んで見えないか」
江島のスマホの許の声「その向こう側が見通せないです。それに重力場に変化が」
江島「探査ドローンを投入してみよう」
  江島は、起動スイッチを押し、船外のラックに載せたドローンを飛ばす。

●57.交点付近の宇宙空間
  ドローンは、『鄭和』から真っすぐ飛んでいく。
  しばらく進むとドローンが一瞬歪んでから消える。

●58.探査船『鄭和』内
  ドローンからの映像を映しているモニターを見ている江島と許。
  薄緑色の空間をドローンは飛んでいる。
  カメラを旋回させ後ろを振り向くが、穴のようなものは見えない。
江島のスマホの許の声「このままじゃドローンが回収できません」
江島「電波が届いているから、たぶんの真っ直ぐ戻って来れば、回収できるだろう」
  江島は『管』内をスキャンし、画像を撮影すると、入ってきたコースを忠実にたどって戻る
  ようにセットする。
  江島と許は、そのドローンが映している画像を見ている。
  約5分後、ドローンは『管』から出て通常の宇宙空間に戻る。

●59.探査船『鄭和』内
  船内に警報が鳴っている。
江島のスマホの許の声「船が交点に吸い込まれてます。出力全開で対処中」
  『鄭和』は、けたたましいエンジンを発てている。
  江島は手を握り締めて窓の外を見ている。
江島「ダメだ、どんどん吸い込まれている。無駄だ、エンジンを切れ」
江島のスマホの許の声「しかし…」
江島「燃料を空にするのはまずい」
江島のスマホの許の声「わかりました」
エンジンを音が消える。
江島のスマホの許の声「博士、遅かったです。燃料計を見てください。ほとんど残っていませ
 ん」

●60.『管』内の空間
  薄緑色の空間に探査船『鄭和』は浮かんでいる。

●61.探査船『鄭和』内
  江島と許は血の気が引いた顔になっている。
  警報は鳴りやみ、船内の空調音のみがしている。
江島「出る方向はわかっているが、出るだけの出力のエンジンがないし、燃料もない。食料はど
 のくらいある」
江島のスマホの許の声「10日分はありますが、10日後に出られるとは到底思えません」
江島「座して死を待つのみか。いゃ、死んでも我々の業績を残そうではないか。何か月か何年か
 後にここを訪れた人のために『管』の内部を調べておこう」
江島のスマホの許の声「学者のモチベーションは素晴らしいものですね」
江島「何にもしないでいられか」
  江島は許の方を見る。
江島のスマホの許の声「死の恐怖から気が紛れますか」

●62.探査船『鄭和』内
  操作盤の前に浮遊している江島と許。
江島「ドローンが別の穴を見つけたらしい。それにその穴に引き寄せられているようだ」
  ドローンを遠隔操作している江島。
江島のスマホの許の声「博士、どういうことですか、もしかすると吸い込むのと反対に吐き出す
 潮流のようなものがあるのですか」
江島「大佐、良い所を突いている気がします」
江島「試しにドローンをその流れに乗せてみよう」
江島のスマホの許の声「博士、ドローンは2機しかないので、大切にしてください」
江島「大切にするが実証には必要だ。穴には引き潮と押し潮みたいなものがあるんじゃないか
 な。あくまでも希望的観測だが」
  江島が言うと許は渋い顔している。
  ドローンは薄緑色の空間から出て、宇宙空間に浮遊している映像を送ってくる。
江島「赤色巨星が見えるから、太陽系ではないな。場所は特定できないが、一応写真は撮ってお
 こう」
江島のスマホの許の声「それで、ドローンはいつ頃、引き潮に乗りそうですか」
江島「わからない。待ってみようじゃないか」

●63.探査船『鄭和』内
  許は宇宙食の月餅を食べている。江島はチョコレートをかじっている。
  船内のモニターに映っているドローンが送って来る映像に動きがある。
江島「2回確認したから、間違いないだろう。引き潮と押し潮の周期は3.56時間だ。ただこれが
 全部の穴に適応されるかは不明だが」
  江島はデータを記録させ、自分なりの意見も書き添えている。
江島のスマホの許の声「「押し潮があるのに、どうして『鄭和』は押し戻されないのです」
江島「質量に関係しているのではないかな。だとしてもだ。押し潮の時に噴射すれば、少ない燃
 料でも出られるかもしれない」
江島のスマホの許の声「「博士、3.56時間の周期なら、我々が吸い込まれた穴は、今が押し潮で
 すよ」
江島「大佐、これが最後のチャンスかもしれない、ありったけの燃料を噴射してみよう」
江島のスマホの許の声「「わかりました」
  許は、手早くエンジンを点火させ、噴射レバーを最大にする。
  『鄭和』は激しく振動するが、非常にゆっくり進み始める。
  燃料が尽きるとエンジンは停止する。
  『鄭和』はそのまま惰性で進むが穴には到達できず、ほぼ3時間後に押し潮から引き潮に変
  わり戻される。

●64.探査船『鄭和』内
  江島と許はヒゲを剃らずに生やしている。    
江島のスマホの許の声「「なすすべなしですか。することがなくなったから日本語でも覚えます
 か」
江島「スマホがあるから必要ないだろう。それよりも今は押し潮だよな。ドローンを外に出し
 て、救難信号を発射させよう」
江島のスマホの許の声「ラグランジュ点付近にいる船はないから、救助船が来るのに早くても6
 日ぐらいはかかりますけど」
江島「食料は後どのくらいだったか」
江島のスマホの許の声「後4日分です」
江島「そうか。俺の食料のために死ぬなんて言うなよ」
江島のスマホの許の声「博士こそ、言うかと思ってました」
江島「よし、今、自立航行で飛ばした。ダイエット食にすればなんとかなるだろう」
  江島は窓から見えるドローンの姿を見送っている。許も窓に顔をつける。
  江島たちはドローンが飛び去り姿を消した後も黙って見ている。  
  通信機のモニターは雑音だらけだが、受信モードになる。
劉の声「エジ、ドローン経由…救難信号…受け取っ…大出力の宇宙船…9日後に…」
  通信は途絶える。
江島「9日後か、かなりダイエットできそうだな」
江島のスマホの許の声「空調のフィルターが、再利用しても5日後に切れます」
江島「予備はないのか」
江島のスマホの許の声「ありません」
江島「映画みたいになんとかしないとな」

●65.探査船『鄭和』内
  江島と許は空調の排出口の前で浮遊している。  
江島のスマホの許の声「博士、再利用した最後のフィルターもまもなく終わりです」
江島「そうか。いくら食料を節約したって、酸素がなくっちゃっ、どうしおうもなかったか」
江島のスマホの許の声「こんなところで終わりになるとは、残念です。将官まで行きたかった」
江島「大佐、たぶんここで死ぬと准将か少将になるんじゃないか。中国軍の階級には詳しくない
 が」
江島のスマホの許の声「でしょうね。もしくはこの失敗を隠すかです」
江島「隠すか、それもあるな。ところで宇宙服の酸素ボンベは残りどのくらいあったっけ」
江島のスマホの許の声「私のが4時間、博士のが3時間というところです」
江島「そろそろ宇宙服を着るか」
  江島が手すりにつかまり、移動しようとした時、通信機が受信モードになる。
  英語で何か言っている。
  江島はポケットのスマホの翻訳機能を英語に切り替える。
江島のスマホの通信の声「こちらアメリカの資源探査船・ニューアトラス8号。我々はドローン
 のそばにいるが、そちらの船体が見当たらない。どこにいるのですか。繰り返す、こちらアメ
 リカの…」
  マイクをオンにする江島。
江島「こちら中国の探査船・鄭和。ドローンの尾部の延長線上の特殊空間内にいます」
  江島のスマホが英語に訳した音声を流す。
江島のスマホの通信の声「ワォ、無事ですか。しかし何も見えませんが」
江島「特殊空間内なので、そちらからは見えません。そちらに長い牽引ワイヤーようなものはあ
 りますか」
江島のスマホの通信の声「「長いワイヤーはありませんが、ちょっとした宇宙船ならけん引でき
 る出力があります」
江島「なんとかなるかもしれない」
  江島はマイクをオフにする。
江島「彼らにも穴に入ってもらって、引っ張り出してもらおう」
江島のスマホの許の声「しかし、下手したら彼らも出られなことに…」
江島「もう時間がない。引き潮は後30分程で終わり、押し潮になる。頼もう」
  江島はマイクをオンにする。
  
●66.探査船『鄭和』内
  モニター画面は、薄緑色の空間の穴があるはずの方向を映し出している。
  鄭和の眼前にはニューアトラス8号がいて、そこから伸びるワイヤーが鄭和前部のフックに
  つながっている。ニューアトラス8号の噴射炎が当たらないような位置にある。
  モニター画面の左上に表示されている時間を見ている江島と許。
江島「そろそろ押し潮になるだろう。少し動きだしたら噴射してもらおう」
  許は手を合わせて祈っている。
江島のスマホの許の声「あっ、わずかですが動き出しました」
江島「もう少し頃合いを見計らって」
  江島はマイクをオンにする。
江島のスマホの許の声「どうですか」
江島「ニューアトラス、ゴー」
  江島はマイクに向かって声を上げる。
  モニター画面には、ニューアトラス8号の噴射炎が見え、少し弛んでいたワイヤーがピーン
  と張り、鄭和を引っ張り始める。  
  江島と許は、船内の手すりつかまる。
江島「確かに動いている」
江島のスマホの許の声「博士…」
  江島と許はモニター画面を見ている。薄緑色の空間がなくなり、星々が見える。
江島「おっ太陽系に戻れたぞ」
江島のスマホの許の声「博士、やりましたね」
  江島と許は軽くハイタッチしている。

●67.南シナ海
  軌道連絡船の帰還機は、エアバッグを広げて海面に浮いている。
  中国海軍の回収船が近づき、帰還機ごとクレーンで引き上げる。  
  帰還機のハッチが開けられ、水兵に支えられて江島と許が出てくる。
  回収船の水兵たちが拍手で迎えている。
江島のスマホの許の声「我々は英雄ですかね」
江島「どうだろう。これでアメリカも『管』の存在を知ることになったが」

●68.海南島の三亜皇家酒店(三亜ロイヤルホテル)特別会議室
  丸テーブルの中央には、日章旗、五星紅旗、星条旗の小旗が飾られている。
徐「石板は、中国で発見されたものですし、探査船も中国のものです」
  徐は中国語なまりの英語で言っている。  
長谷川「江島博士の研究成果とデータによる日本のスーパーコンピューターの分析がなければ、
 この計画は著しく遅れることになったでしょう」
  長谷川は流暢に英語で言っている。
ボルトン「アメリカの救助がなければ、『管』のデータは取り戻せたでしょうか」
徐「長谷川全権密使、江島博士は日本人かもしれませんが、中国人の研究者とともに解析を進め
 ています」
長谷川「しかしその主導的立場にあるのは江島博士です」
ボルトン「徐副主席、長谷川全権密使が言うのもしかりですが、それら全てを救い出したのはア
 メリカです」
徐「ボルトン特別密使、しかしですな。権益配分は中国語が80%、アメリカが10%、日本が10%
 が妥当な線です」
長谷川「私は権益配分は中国が50%、アメリカが20%、日本が30%が妥当だと思いますが、まだ
 海の者とも山の者ともわからない面があります。権益どうこうの前に、各国が得意の分野を持
 ち寄って共同開発プロジェクトとしたらどうですか」
ボルトン「共同開発ですか」
徐「中国独自のものなのにですか」
長谷川「中国単独で研究や探査などしたら、鄭主席の次の次の主席の頃に成果を見ることになり
 ますよ」
徐「…それではまた三者会談を設けることにして、取りあえず共同の秘密プロジェクトにします
 か」
長谷川「異存はありません」
ボルトン「再度、三者会談をするなら、良いでしょう」

●69.海南島の三亜皇家酒店(三亜ロイヤルホテル)の長谷川の部屋
  南シナ海が一面に広がるオーシャンビューになっている。
  窓際のソファーに座る江島。
長谷川「江島博士、とりあえず日中米の共同プロジェクトになりました」
  ワインのボトルを手に江島の向かい側のソファに座る長谷川。
江島「中国が独り占めできないものになりましたか」
長谷川「それであの『管』中はどうでしたか」
江島「帰還してから分析したのですか、一番近い穴は40光年先の星系とつながっている可能性が
 きわめて高いようです」
長谷川「40光年で、すか。そのような穴がまだ無数にあるのですか」
江島「とんでもなく利用価値のある宇宙のハイウェイかもしれません」
長谷川「その『管』は人工物なのですか、それとも自然ものですか」
  長谷川は身を乗り出して聞いてくる。
江島「今後、石板を解析しないとなんとも言えません」

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