〇横浜プリンスホテル 全景
〇同 結婚式場 外
結婚式の案内版
「田中家」「伊藤家」と書かれている。
〇同 親族控室 中
燕尾服姿で、そわそわと落ち着かない
様子の伊藤正人(52)。
窓の外を眺めたり、飾られている造花
を触ったりしている。
その様子を、椅子に腰かけ呆れた顔で
見ている黒留袖姿の伊藤久美(52)。
久美「パパ」
正人、久美の声を無視してあちこち歩
いている。
久美「ちょっと落ち着いて座ったら?こっち
までそわそわしてきちゃう」
正人「だって」
い美「バージンロード歩く練習なんて、する
わけないでしょ?自分の結婚式の時の事思
い出したら分かるじゃない」
正人「俺は待ってただけで歩いてないから覚
えてるわけないだろ」
久美、納得したように頷く。
正人「ぶっつけ本番なのに、注意事項が「ゆ
っくり歩いてください」だけなんて。他に
もっとこう、色々あるだろ普通」
久美「パパが緊張してるから、式場の人が気
を利かせてくれたんでしょ?」
正人「そういう問題か?プロならプロらしく、
素人に適切な指導をするのが当然だろ?」
久美、呆れたようにため息をつく。
久美「じゃあ、私が練習相手になろうか?」
い
正人の横まで行き、正人の腕に捕まる。
正人「いや、いいって」
正人、久美の腕を振りほどこうとする。
久美、それを無理やり引っ張り、正人
の腕をつかみ直す。
正人「むー」
久美「むーじゃない。そんなんじゃ、見てる
こっちの方が心配になっちゃうじゃない。
ほら、鏡」
久美、正人、向き直り、控室の壁に備
え付けられた鏡の方を見る。
久美と正人の姿が映った鏡。
久美「姿勢が悪い」
正人、姿勢を正す。
久美、それを見て首をかしげる。
久美「前から思ってたけど。パパってなーん
か曲がってるんだよね」
正人「それを今更言われても直せないだろ」
久美「こんな事なら気づいた時に言っておけ
ばよかった」
正人「むむむむむむー」
久美、正人の腕を引っ張る。
久美「ほら、ちゃんと胸張って、腕も綺麗に」
正人、胸を張り腕をきれいな句の字に
曲げる。
久美、腕に手を添え直す。
久美「とにかくゆっくりよ?」
正人「それは式場の人に聞いた」
久美「ドレスは歩きづらいから、敬ちゃんに
合わせてあげる事。いい?」
正人「お、おう」
正人、頷く。久美と正人、一歩進む。
正人、足元を見る。
久美「足元を見ない」
正人、前を向き直る。久美と正人、一
歩進む。
正人、照れ臭そうに鏡から視線を外す。
久美「キョロキョロしない!」
正人「はい!」
久美と正人、一歩進む。
久美「ドレス、踏まないように」
正人「注文が多くないか?」
久美「コツ言えって言ったの、パパでしょ?」
正人「そんなに言われたら歩けるもんも歩け
ないだろ」
久美「だから式場の人も言わなかったんで
しょ?私はパパにアドバイスしてあげてる
だけなんだから、文句言わない」
正人「むむむむー」
久美「ほら、一歩歩いて、足を揃えて、今度
は反対の足から」
正人「さっきどっちの足だった?」
久美、正人の腕を叩く。
久美「もう!」
正人「話してたら忘れたんだよ」
久美「次は左!」
正人、歩き出す。久美それについていく。
3歩ほど進んだところで、久美が正人
の腕を引っ張る。
久美「早い」
正人「これ以上ゆっくりだと逆に転ぶぞ?」
久美「逆にって何?何の逆?」
正人「いや、逆に……何のって言われても」
久美「敬ちゃんはドレスなんだからね?」
正人「むむむむむー」
久美、正人、鏡の前に到着する。
二人、腕組みを解く。
久美「ほら、ちょっとは自信ついた?」
正人「逆に心配になってきた」
久美「まったく。敬ちゃんが転んだらパパの
せいだからね?娘の晴れの日に、恥かかせ
ないでよ?」
正人「そういう事言うなよ!」
久美「だって」
正人「余計緊張して、本当にそうなりそうで
心配になるだろ?」
久美、笑う。
正人、不服そうに久美を見ている。
久美「まだ時間あるから。お茶でも入れる?」
正人「あとどのくらいだ」
久美「30分くらい?」
正人「そんなに?」
正人、壁の時計を見る。
正人、驚愕の顔。
正人「さっきから5分しか経ってない」
正人、愕然と椅子に座る。
正人「30分もここに居たら気がおかしくなる
かもしれない」
久美「何言ってんの。主役はパパじゃないん
だからね?敬ちゃんと、彩人さんが主役な
んだから。パパがそんなに緊張してどーす
んの」
久美、隅のテーブルに置かれたポットから
急須にお湯を注ぐ。
久美、急須と湯のみの乗ったお盆を持って
正人の横に座る。
お茶をいれる久美。窓の外を眺めてい
る正人。
窓の外の景色、桜が咲いている。
久美、正人の様子を横目で見ながら、
久美「私たちの結婚式も春だったわねー」
正人「そうだったっけ?」
久美、目を座らせて正人を見る。
正人、怯えたようににお茶をすする。
久美「屋外のチャペルにしたら、凄い強風で
桜の花びらまみれになったじゃない」
正人「そうだったそうだった」
久美「めちゃめちゃ強風でドレスもベールも
あっちこっちいっちゃってさ」
久美、笑いながら楽しそうに話す。
久美「誓いのキスが全然できなくて」
正人「掴もうとしてもベールがつかめなかっ
たから」
久美「パパ緊張しすぎなんだもん」
久美、声をあげて笑う。
正人「風が吹いてたせいで、俺のせいじゃな
い」
久美「牧師さん、5回位「誓いのキスを」って
所繰り返しててさ。あれは恥ずかしかった」
正人、恥ずかしそうにお茶をすする。
久美、微笑みながらお茶をすする。
久美「あ、そうだ」
久美、鞄からハンカチを取り出し、正
人に渡す。
正人、不思議そうにそれを見る。
久美「ポッケに入ってるのは汗拭き用」
正人「そんなに汗かかないだろ?」
久美「何言ってんの、真冬でも??だらっだら
のくせに」
正人「むむむむー」
久美「こっちは涙用ね」
正人、ハンカチを受け取り、神妙な顔
でハンカチを見つめている。
正人「……泣くかな?」
久美「泣くでしょ」
正人、ハンカチを久美に返そうとする。
正人「持ってると泣きそうだからいい」
久美、正人の手を押し返す。
久美「それはパパが泣くためのおまじない」
正人「なんだそれ」
久美「結婚式なんて面倒でお金のかかる事、敬ちゃんがやる理由なんて、パパの為じゃな
い」
正人「俺は別に敬子がやりたいならやれと言
っただけで」
久美「娘と一緒に、バージンロード歩きたか
ったでしょ?」
正人、俯く。
久美、正人の肩を叩く。
久美「夢かなったじゃない」
正人「……いざとなると、寂しいというか悲
しいというか」
久美、微笑みながら正人を見ている。
久美「父親の涙は、ずっと覚えてるもんよ」
正人「そういうもんか」
久美「そういうもんよ」
控室のドアが開く。
スタッフとドレス姿の娘が入ってくる。
それを見た正人、手に持ったハンカチ
を握りしめる。
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