おお、「紙」様! コメディ

今日を逃したら、もう二度と娘に会えないかもしれない。三日後にカナダへと旅立つ娘に会いに待ち合わせ場所へと向かう父親、だが、急な腹痛に襲われ、慌てて駆け込んだ先が女子トイレ。しかも紙がない! そんな残念な父親の身に、果たして神ならぬ「紙」が舞い降りてくるだろうか?  
八木真由美 40 0 0 04/08
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第一稿

今井 信夫(41) ・凛の父親
竹下  凛(17)(5)・信夫の娘
竹下百合子(39) ・凛の母親、信夫の元妻

紗英(15)
瑠美(16)

○××デパート・正面入 ...続きを読む
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今井 信夫(41) ・凛の父親
竹下  凛(17)(5)・信夫の娘
竹下百合子(39) ・凛の母親、信夫の元妻

紗英(15)
瑠美(16)

○××デパート・正面入口・前(夜)
   鳴り続ける携帯電話の呼び出し音。
   黒い革靴が、苛立った様子で石畳をコツコツと鳴らしている。
   竹下凛(17)が、スマホを耳に当て、仁王立ちしている。
   呼び出し音が止み、受話器の向こうで息を押し殺した気配。
信夫の声「(声を潜めて)……はい……」
凛「(冷たく)ちょっと、ずっと待ってるんですけど」
信夫の声「(声を潜め)ごめん、ちょっとパパ、遅れそうなんだ」
凛「(舌打ちして)だったらいいよ、帰るから」
信夫の声「ああ! 待て、すぐ近くまで来てるんだ」
凛「はあ?」
信夫の声「いや、本当なんだよ。パパ、お前がいるデパートのすぐ
 近くにいるんだよ」
凛「じゃ、早く来てよ。こっちはカナダ行く前に一度会いたいって
 言うから、わざわざ時間割いて来てるんだから」

○公園(夜)
   鬱蒼とした木立の中、電灯に照らされた古びた公衆トイレ。
   『痴漢に注意! 不審者を見たらすぐに110番』の看板。
信夫の声「おい、そんなこと言うなよ」

○公衆トイレ・入口・前(夜)
   女性用のマーク

○同・個室・中(夜)
   スーツ姿の今井信夫(41)が便器に腰かけ、スマホで話している。
   壁には、空のペーパーホルダー。
『ペーパーの持ち出し厳禁』の貼り紙。
信夫「欲しい服があるって言ってただろう? パパ、約束通り買っ
 てあげるから、なあ、もうちょっと待ってくれ」
凛の声「要らない」
信夫「おい、拗ねるなよお」

○××デパート。正面入口・前(夜)
   寂しそうにデパートを見上げる凛。
   シャッターがゆっくりと降りる。
凛「いいよ、もう、デパート閉店だし」

○公衆トイレ・個室・中(夜)
   慌てて腕時計を見る信夫。
信夫「ええ? もうそんな時間か?」
   ×   ×   ×
凛「って言うか、無理して来ようとしなくていいから。いつも言い
 訳ばかり。その気もないくせに。まあ、別に期待してないけど」
  凛、ショーウインドーに歩み寄る。
  蒼いワンピースをじっと見る凛。
   ×   ×   ×
信夫「違うんだよ、パパ、行く気満々だったんだよ」
   ×   ×   ×
凛「ふーん、じゃ、なんで来ないのよ?」
   ×   ×   ×
   信夫、空のペーパーホルダーを恨めしそうに眺めながら、
信夫「それがな、それがな、凛ちゃん、聞いてくれよ、パパな、出  
 るに出られないんだ」
   ×   ×   ×
凛「はあ?」
   ×   ×   ×
信夫「あのな、パパ、お腹痛くなっちゃってな、急いでトイレに駆
 け込んだらな、か、紙が無くてさ、ハハ……」
凛「(真顔で)最低……」
   ×   ×   ×
信夫「な、なにが最低なんだよ!」
   言って、はっとして声を潜める信夫。
信夫「お前な、そういう言い方ないだろう、拭かずに出てこいって
 言うのか?」
   ×   ×   ×
凛「もっと最低」
   ×   ×   ×
信夫「だろう? そうだろう?」
   ×   ×   ×
凛「本当、カッコ悪いオヤジ。ママが愛想尽かすのも分かるわ」
   ×   ×   ×
信夫「な、なんだよ、その言い方。パパだってな、お前から貰った
 大事なカルバンクラインのパンツを汚したくないと思ったんだよ、
 それこそ、カルバンクライン様に申し訳ないだろうが」
   ×   ×   ×
凛「だったら、ずっとそこに居たら? あたし、もう、帰るから」
   ×   ×   ×
信夫「(必死に)おい! 待て、待ってくれ! 凛!」
   ×   ×   ×
冷めた表情の凛、スマホを切る。
   ×   ×   ×
   慌てた顔の信夫、少し脂ぎっている。
   急いでズボンを上げ、ドアノブに手を伸ばす信夫。

○××デパートの前(夜)
   踵を返す凛の黒い革靴。
   大通りを歩く凛の後ろ姿。
   
○公衆トイレ・個室・中(夜)
   ドアノブを掴み、まさに出ようとする信夫。
   少女達の笑い声やら話声が聞こえてくる。
   ドアノブを掴んだまま固まる信夫。

○同・入口~洗面台・中(夜)
   紗英(15)と瑠美(16)が楽しそうに話しながら入ってくる。
   洗面台の前に立つ紗英と瑠美、鏡を見て髪を直したり、バッグからリップクリを
   出して塗ったりしている。
紗英「でさあ、グミとマシュマロと、どっちが美容にいいかって話
 になってさあ、そいつ、延々と蘊蓄語って、マジうざくてさあ」
瑠美「なにそれ、変な奴、マジ受けるう」

○同・個室・中(夜)
   信夫、ノブに手をかけたまま怪訝そうに聞き耳を立てている。
   ×   ×   ×
紗英「でね、グミもマシュマロもおんなじコラーゲンなんだって」
瑠美「ええ? そうなんだあ、ますます受けるう」
紗英「でしょう、なんか、すっごく感動しちゃって、なんか、う
 ざいと思ってたら、なんかぐっときちゃってさあ、そいつに」
瑠美「へえ、なにそれ、マジ受ける、やばくない?」
   ×   ×   ×
   信夫のこめかみに一筋の汗。
   落ち着きなく目を泳がせている信夫。
   薄汚れた天井。
   『ペーパー持ち出し厳禁』の貼り紙。
   隅にちんまりと置かれたサニタリーボックス。
   信夫、「ああ!」と息を飲み、口元を抑える。
   はずみでよろめき、尻にペーパーホルダーが当たり、
信夫「(呻くように)あイタ……」
   笑っている瑠美「え?」と顔色を変える。
瑠美「なに? なんか聞こえた」
紗英「なに? なんか聞こえたって」
   ×   ×   ×
   信夫、大きく顔を顰める。
瑠美の声「なんか、今、オッサンの声しなかった?」
   ×   ×   ×
紗英「オッサンの声?」
瑠美「うん、絶対、オッサンの声だよ」
紗英「ええ? それ、やばくない?」
瑠美「ちょっと、確かめてみようか?」
   ×   ×   ×
   信夫、壁にへばりつき、息を殺している。
   革靴の足音。
   個室のドアの下の隙間から、黒い革靴が行ったり来たり。
信夫M「ああ、なんてこった、駆け込んだ先が女子トイレとは」
   苦々しく顔を顰める信夫。
紗英の声「やだ、怖い、変態? 痴漢?」
   その声に抗うように、首を激しく横に振る信夫。
信夫M「違う、違います」
   額の汗を拭う信夫、天井を仰ぎ、口をパクパクさせる。
信夫M「ああ、なんという不覚。もし痴漢で捕まりでもしたら、凛
 に一生軽蔑され、会ってさえくれなくなる」
   ×   ×   ×
   個室の中の気配を探るように、ドアに耳を当てる瑠美。
   ドアノブを凝視する瑠美。
   ドアノブの施錠が赤くなっている。
瑠美「やっぱり、この中、誰かいるよ、赤いマーク出てるもん」
   恐る恐るドアノブを掴む瑠美。
   ガチャガチャとドアを開けようとする音。
   信夫、青ざめた顔でドアノブを必死に引く。
   ×   ×   ×
   ムキになって力任せにドアを開けようとする瑠美。
瑠美「ねえ、誰かいるんでしょう?」
   ×   ×   ×
信夫M「居ません、いるけど、居ません」
   必死の信夫。
   ×   ×   ×
   意地でも開けようと奮闘する瑠美。
   ×   ×   ×
信夫M「だから、本当に居ないんです!」
   ガチャガチャと鳴るドアノブと重なって、コミカルな携帯電話の着信音。
紗英の声「あ、もしもし、うん、うん、ええ? マジ?」
   ドアノブの音が一瞬止む。
   信夫、肩で息をし、ドアノブを握りしめながら様子を伺うように耳をドアに寄せる。
   ドアノブが再び、乱暴にガチャガチャと鳴る。
   ぎょっとして、信夫、ドアノブにしがみつく。
   ×   ×   ×
   紗英、嬉しそうにスマホを眺め、瑠美を見る。
紗英「ねえ、あいつが今から会おうって言ってるから、もう、行
 こうよ」
瑠美「ええ? でも……」
紗英「もう、いいじゃん、そんなの」
瑠美「うん、でも、絶対、この中に誰かいるよ」
紗英「放っておこう、もし本当に変態だったら、なんかされるか
 も知れないし。怖いよ」
瑠美「(不服そうに)うん……、ま、それもそうだよね」
紗英「行こう、それよりさ、あいつになんか奢ってもらおうよ」
瑠美「わあ、じゃ、ラーメン食べたい」
紗英「ええ? またラーメン?」
   言いながら、トイレを出ていく紗英と瑠美。
   ×   ×   ×
   トイレから遠ざかる足音。
   個室の中の信夫、大きく安堵のため息を吐く。
   ドアを細めに開け、外の様子を伺う信夫。
   ×   ×   ×
   誰も居ないトイレ。
   ×   ×   ×
   ズボンの乱れを直し、個室を出ようとする信夫。
   コツコツと、入口の方から足音。
   はっとして、再び、個室に隠れる信夫。
   ×   ×   ×
   ズンズンと、力強く踏みしめて歩く黒い革靴。
   ×   ×   ×
   ドアを背に、顔を歪め、天井を仰ぐ信夫。
   ×   ×   ×
   個室の前でピタリと止まる黒い革靴。
   ×   ×   ×
   躊躇うことなくドアノブに伸びる手。
   ×   ×   ×
   背中で再び、ガチャガチャとドアノブが鳴り、慌ててドアノブにしがみつく信夫。
信夫M「ううう、神様、もう勘弁してください」
   額に大粒の汗を浮かべ、必死にドアノブを握る信夫。
   唇を噛みしめ、おもむろに腹をおさえてしゃがみ込む信夫。

○信夫の回想
   喫茶店で、向かい合って座っている信夫と竹下百合子(39)。
   テーブルの上には、高校生交換留学のパンフレット。
信夫「凛のカナダ留学の夢、叶えてやりたいと思ってな……、父親
 として。まあ……、もう、親子じゃなくなっちまったけど」
百合子「まさかね……、貴方がここまで考えてくれていたなんて」
信夫「俺だって、ちゃんと凛のことは……」
百合子「(頷き)私から凛に、カナダに行く前に、一度貴方に会う
 ように言っておくから、貴方もちゃんと時間作ってよ、いつも言い訳ばかりなんだから」
信夫「仕方ないだろう、仕事なんだから」
百合子「それ、私には通用しても、あの子には通用しないわよ」
信夫「(自信なさげに)ああ……、うん」
   ×   ×   ×
   PCの前の信夫、ネットでカナダについて調べている。
   日本人留学生達が学生生活を満喫している写真。
   眠そうな目を擦りながら、カナダで発生した「テロ襲撃事件」
   の記事を食い入るように見ている信夫。
   スタンガンのHPを見ている真剣な顔の信夫。
   スマホを取り出す信夫。
信夫「あ、ごめん、ちょっと聞きたいことがあって」
百合子の声「なに? こんな夜中に?」
信夫「あのさ、凛に何買ってやったらいいかな?」
百合子の声「そうね、服が欲しいって言ってたから」
信夫「服か……、いや、スタンガンとかいいかなあって」
百合子の声「何、バカなこと言ってるのよ」
信夫「バカなことじゃないぜ、大事な嫁入り前の娘が外国行くんだ」
   そう言いながら、信夫の顔が寂しそうな表情になる。
   PC画面には、純白のウエデイングドレスを着た日本人女性が、白人男性と一緒に 
   けた笑顔を浮かべている。
信夫「あいつ、まさか、外人となんか結婚しないよな?」
百合子の声「何言ってるのよ、凛はまだ十七よ」
信夫「だけど、カナダ行って、もう帰って来ないなんてことないよ
 な? ちゃんと帰って来るよな?」
百合子の声「とりあえず、一年だけだから」
信夫「だけど……」
   信夫、目頭を押さえて言葉に詰まる。
   ×   ×   ×
   朝食の納豆をかき混ぜながら、日付に×が並んだ壁際のカレンダーを眺めている信夫。
   6月22日の欄に、「凛とデート・七時半時間厳守」とあり、
   にんまりする信夫、食卓を立ち、カレンダーの20日の欄に×を付ける。
   6月25日の欄には、「凛、カナダ出発」。
   寂しそうに眼を瞬かせる信夫。
   ×   ×   ×
   夕暮れの公園前の通り。
   額に油汗をかき、必死で便意を堪えている信夫。
   公衆トイレを見つけ、猛ダッシュで駆け込む信夫。
   ×   ×   ×
   女性用のマーク。

○元の公衆トイレ・個室・中(夜)・回想終わり
   ガチャガチャとドアノブの鳴る音。
   ドアノブにしがみつき、必死で耐える信夫。
凛の声「いつも言い訳ばかり。ま、期待してないけど」
   ×   ×   ×
   フラッシュ
   「パパ」と、あどけない凛(5)の笑顔。
   ×   ×   × 
   信夫を見ても無視する凛の醒めた顔。
   ×   ×   ×
信夫M「凛! 凛! ああ、神様……」
   体を屈めて、腹をおさえている信夫の悲壮な顔。
   天井とドアの隙間から、トイレットペーペーがスローモーションで落ちてくる。
   信夫の頭上にトイレットペーパーが落ち、弾みで空のペーパーホルダーに当たり、
   「カラン」と音を立てる。
   その音に、ギクっとなる信夫。
   足元に転がったトイレットペーパー。
   信夫、不思議そうな顔で、それを手に取り、
信夫「(独り言で)え? 神様ならぬトイレットペーパー……?」
   不思議そうに天井を見上げる信夫。
凛の声「一体いつまでそこに居るつもり?」
   ×   ×   ×
   ゆっくりと開くドア。
   仁王立ちの凛、左手にはトイレットペーパーのパック、右手にはGPS画面のスマホ、「公衆トイレ」に赤い位置情報。
凛「(冷たく)しかも、女子トイレだし」
信夫「(泣き笑いの顔で)凛……」
   憮然とした顔で、トイレットペーパーのパックを信夫に押し付ける凛。
凛「はい、来年の父の日のプレゼント」
信夫「(苦笑し)ええ? 出来ればパンツの方が……。カルバンク
 ラインの……」
凛「知るか」
   さっと踵を返し、歩き出す凛。
信夫「ねえ、凛、凛ちゃん、待って、なあ、服、服買いに行こう、
 いや、何でも買ってやるよ、パパ、なんだって……」
   電灯の下で凛を追いかける信夫の影と、スタスタ歩く凛の影、その距離が伸びたり縮ん 
   だりしている。 
                          完       

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