盗っ人たち ドラマ

施設育ちの日野康一は親の顔も知らずに育った。大人になって初めて母公子に会いに行く決意をする康一だが、運悪く不倫現場に出くわしてしまう。同じ頃、突然現れた父永利はヤクザとの借金トラブルに康一を巻き込むどうしようもない男だった。いったんは難を逃れた康一だったが、図らずも永利が引き起こした犯罪の片棒を担がされる羽目になるのだった……。
つくお 16 0 0 09/30
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第一稿

「盗っ人たち」(200字詰231枚)


▼主な登場人物
日野康一(4、24~36)主人公
中河原公子(49)康一の母親
倉田永利(51)康一の父親
千賀子(32)康 ...続きを読む
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「盗っ人たち」(200字詰231枚)


▼主な登場人物
日野康一(4、24~36)主人公
中河原公子(49)康一の母親
倉田永利(51)康一の父親
千賀子(32)康一の叔母
豊明(36)康一の叔父
久城陽光(47)児童養護施設の施設長
久城富美子(43)その妻
荒木万結子(28)ホテル同僚
山根(32)ホテル同僚
八木廣剛(56)ホテル社長
綾乃(34)バー「あや乃」のママ
国吉(31)ラーメンオタク
長谷川瑛(46)元プロレスラーのラーメン店店長
遠藤(39)受刑者
渡部侑子(33)康一の同級生


○避暑地の草原
T『1980年、信州』
  康一(4)と、明宏(6)と宏行(4)
  の兄弟、ボール遊びをしている。
  少し離れたところで豊明(36)と千賀
  子(32)、三脚を立てて記念撮影の準
  備。
  明宏、千賀子たちをチラ見して、ボール
  を林の中に投げ込む。
明宏「康一、取ってこい」
  康一、不満は言えず、林に入っていく。
千賀子「(呼んで)来なさい」
明宏「行くぞ」
  宏行、康一を気にかけるが、明宏のあと
  について戻っていく。

○林の中
  ボールを探し回る康一。

○草原
  豊明、カメラをセルフタイマーにセット
  している。
豊明「あの子は?」
千賀子「いいのよ」
豊明「……」
  千賀子、子供たちの身だしなみを整えて
  やる。豊明、シャッターボタンを押して
  一緒に並ぶ。

○豊明の車が走る(別の日)
  後部座席に、ヨソ行きを着せられた康一
  が座って、流れる景色を見ている。
  言葉少ない車内。
  運転席の豊明、バックミラーで康一の様
  子を見て、助手席の千賀子をちら見する。
  千賀子、豊明の視線を受けつけない。

○児童養護施設・前
  施設長の久城陽光(47)と富美子(4
  3)の夫妻が豊明らと対面している。康
  一は富美子に手を握られている。
  豊明、康一の前にしゃがみ込む。
豊明「(言葉を探して)元気でな」
千賀子「(行きかけて)あなた」
  豊明と千賀子、車で去っていく。
  黙って見送る康一。
富美子「みんなに紹介するわ」
  康一が振り返ると、二階の窓から子供た
  ちが見下ろしている。

○タイトル

○公子の家・付近(夜)
T『2000年、神奈川県H市』
  大人になった康一、路駐した軽の中から
  ある家の様子をじっと伺っている。
  玄関から女が出てくる。康一、はっとな
  って身を乗り出す。女は中河原公子(4
  9)、ガレージの軽に乗り込む。

○康一の車(夜)
  康一、公子の車を尾ける。じっと前の車
  を見つめるその表情。
康一N「おれの名前は日野康一。二歳のとき
 に親戚の家に預けられ、実の親の顔も知ら
 ずに育った。十五歳で施設を出たあとは、
 働きながら高校に通った。大学にも自力で
 行った。卒業後は玩具メーカーに就職し、
 自立している」
  公子の車、運動公園に入っていく。
康一N「おれは今、子供の頃に自分を捨てた
 母親に初めて会いに来た」
  康一、ライトを消して後を尾ける。

○運動公園・駐車場(夜)
  隅の暗がりに停まっている康一の車。
  視線の先に車が二台(軽とワゴン車)停
  まっている。
康一N「母親はずっと前に再婚していた。だ
 が、今一緒にいる相手は再婚相手じゃない」
  ワゴン車の車体が揺れる。中で行為に及
  んでいるのだ。
康一N「二十年ぶりの再会がこれだ」
  康一、決然と車を降りる。

○ワゴン車
  に近づいていく康一、後部ドアを勢いよ
  く開ける。
  驚いて振り返る男(棚橋・45)の腕を
  掴み、外に引きずり出す。
棚橋「なんだ――」
  康一、地面に倒れた棚橋の脇腹を蹴る。
  車内に向き直ると、慌てて前を隠した公
  子がびくっと止まる。
康一「中河原公子か?」
公子「……誰?」
康一「……。どうして子供を手放した?」
公子「!」
  公子、言葉の意味を悟り、改めて康一の
  顔を見る。逃げるように反対側のドアか
  ら降りる。
康一「おい!」
  康一、回り込む。公子が軽のドアを閉め
  ようとするのを掴んで阻止する。
康一「話がしたい」
公子「私には子供はいません」
康一「……」
  無理やり閉められて、康一は手を離す。
  公子の車、バックで勢いよく出る。
康一「なんで捨てた!」
  康一、すがりつくように車を追う。
康一「なんでだ!」
  追い切れずに、立ち尽くして見送る。
声「おい」
  振り向くと、棚橋が殴り掛かってくると
  ころ。顔面に拳が飛んできて、暗転。

○会社・商品企画部・一室
  幼児向けの室内ジャングルジムで数人の
  幼児が遊んでいる。傍らには母親たちと
  社員が数名。試作品のモニタリング。
  顔の傷にガーゼを当てた康一、沈んだ表
  情でビデオ撮影を担当している。
  一人の幼児が足元にまとわりついて来る。
  康一、しかめ面で子供を見下ろし、蹴る
  ようにして振り払う。
  子供、尻もちをついて泣き出す。
母親「あんた何するのよ!」

○同・商品企画部
  上司の猪崎に叱責されている康一。
猪崎「自分が何したか分かってるのか」
康一「……」
猪崎「日野、お前この仕事嫌いだろ。やめる
 か?」
康一「……」

○康一の部屋(アパートの二階・深夜)
  ベッドで寝返りを打つ康一、眠れない。
  窓にコンと何かが当たる音がする。
康一「?」
  もう一度窓に何か当たる。
  康一、カーテンをめくって外を覗く。
  男が立っているのが見える。

○同・表(深夜)
  康一、一枚羽織って階段を下りてくる。
  くたびれたジャケット姿の倉田永利(5
  1)は、堅気の人間には見えない。
永利「(傷を指して)もめたのか?」
康一「あんたには関係ない」
永利「会えとは勧めなかった。どこに住んで
 るか教えただけだ」
康一「分かってるよ」
永利「またいいか?」
  そう言って親指と人差し指で輪を作る。
  康一、顔をしかめる。
康一N「これがおれの父親だ」

○インサート
  アパート前、ゴミ出しに出た康一。視線
  を感じて振り返ると、物陰に男(永利)
  が立っている。
康一N「一年ほど前に突然現れ、『昔一緒に
 暮らしたな』と言った」
  部屋に戻ろうとすると、胡散臭い笑みを
  浮かべた永利が行く手を塞ぐ。
康一N「それ以来、たびたび現れては金をた
 かってくる、どうしようもない男だ。母親
 の情報もこいつから買った」

○ハローワーク・窓口
  男性職員、康一の提出書類を検めている。
  失業保険の申請である。
職員「(事務口調)こことここに判子」
  康一、言われるままに押す。
職員「離職票」
  康一、離職票を渡す。
職員「離職理由は?」
康一「理由」
職員「形だけですから」
康一「人間関係で」
職員「求職の意思は?」
康一「あります」
  職員、康一の顔を見る。
康一「あります」

○アパート・前の道
  買い物袋を下げて帰ってくる康一、小さ
  い子供を連れた家族を見かける。

○児童養護施設・表(回想)
  ある子が両親らしき男女のもとに走って
  行く。男女は泣きながらその子を抱きし
  める。
  その様子を窓越しに見ている幼い康一。

○もとのアパート・前の道
  家族を見送る康一、ふとアパートの二階
  通路を見上げる。柄の悪い男が二人、康
  一の部屋のドアをこじあけているのが見
  える。
康一「……なんだ、あいつら」
  と、脇から手が伸びてきて、路地に引っ
  張り込まれる。

○路地
  引き込んだのは永利だ。
康一「あんた!」
  永利、声を抑えろと仕草で示す。永利の
  顔には生々しい傷がある。
康一「(声を落として)何なんだあいつら」
永利「あまり付き合いたくない連中だ」
康一「(傷と見比べて)おれを巻き込むな」
永利「悪いが、もう遅い」
康一「なに?」
永利「関係ないって言ったって素直に帰っち
 ゃくれないからな」
康一「金が置いてあるんだ」
永利「あぁ。だから来たんだ」
康一「ふざけんな!」
永利「いくらあったか知らないが、諦めて――」
  康一、永利を殴る。
永利「(効いて)傷がないところにしろバカ」
康一「なんとかしろ」
  表の通路で警戒していた男、康一たちに
  気づく。
永利「逃げるぞ(と駆け出す)」
康一「おい!」
男「待てゴラァ!」
  康一、遅れて走り出す。

○近くの道路
  永利と康一、走って逃げる。
  男たちが追いかけてくる。
  康一、永利を追い越して路地に入る。
  永利、あとからついて行く。

○路地
  走る康一と永利。
  康一、路駐の自転車に買い物袋をひっか
  けてしまう。自転車が倒れ、商品が地面
  に散らばる。

○バス通り
  走る康一たちを路線バスが追い越してい
  く。バス、少し先の停留所に停まる。
  康一、バスに駆け込む。
康一「(ICカードを通して)行ってくれ」
永利「待て待て待て待て待て!」
  永利、息絶え絶えに乗ってくる。
永利「(運転手に)いいぞ」
運転手「乗車賃」
永利「? (康一に)おい、頼む」
康一「なんでおれが」
永利「(奴らが)来るぞ」
  康一、仕方なさそうにもう一人分払う。
永利「(運転手に)飛ばせ」

○バス・車内
  後部席に来る永利と康一。リアウィンド
  ウ越しに男たちが諦めるのが見える。
康一「(座り直して)何したんだ」
永利「ちょっとした賭け事があってな。あい
 つらはイカサマをした。おれはそれを見抜
 いた。だから払わないと言った。あいつら
 はそれを認めなかった」
康一「要するに、ヤクザに借金したんだな」
永利「あいつらはそう思ってるらしい」
康一「ということは、借金があるんだ」
永利「? 呑み込みが早いな」
康一「七十あったんだ、現金で」
永利「持ってたな」
康一「足りないわけだ」
  永利、うなずく。
永利「しばらく帰らない方がいいだろうな」
  康一、睨みつける。

○地方競馬場(数日後)
  砂トラックを走る出走馬たち。
  声をあげて観戦する永利。
  少し離れて座る康一、不機嫌な表情であ
  る。

○同・馬券売場前
永利「まだ一レース残ってる」
  康一、むすっと黙り込んでいる。
永利「プラスにはなってるんだ。待ってろ」
  永利、人だかりに近寄って行く。
  康一、永利がある男の尻ポケットから財
  布をすっているのに気がつく。
康一「!」
  永利、何食わぬ顔ですり抜けていき、相
  手はまったく気がつかない。

○車
  永利、上機嫌に運転する。
永利「悪いときもあればいいときもある、だ。
 知ってる宿がある。久しぶりに布団で眠れ
 るぞ」
康一「安全なのか」
永利「ちょっと汚いがな」
  康一の口数は少ない。
永利「どうした?」
康一「あんたの仕事って?」
永利「まぁ、あれやこれやな」
  康一、胡散臭そうに見る。
永利「昔はセールスマンだった。その辺の家
 や会社を回って洋式便器を売るんだ」
康一「……」
永利「なんだよ。お前が子供の頃にようやく
 洋式が和式の数を上回ったんだぞ」
康一「これ、ホントにあんたの車か?」

○オートパーラー・表(夜)
  一階はコインシャワーやゲームセンター
  が入り、二階が宿泊所になっている。
  永利の車、広い駐車場に入る。長距離ト
  ラックなど数台が停まっている。
  康一、古ぼけた看板に「宿泊1700円
  ~」とあるのを見る。

○同・一階
  康一、自販機で天ぷらそばを買う。

○同・二階の一室
  六畳ほどの部屋。洗面台がついている他
  には何もなく、がらんとしている。
  康一、窓に寄せたちゃぶ台の上に座って、
  外を眺めながらそばをすする。
  永利、洗濯したシャツを持って、歯を磨
  きながら部屋に戻ってくる。
康一「今日、財布をすっただろ」
永利「(見て)借りたんだ。おれたちほど金
 に困ってない奴から」
康一「犯罪だ」
永利「そうじゃないとは言わないがな」
  永利、洗面台でうがいをする。
康一「(背中に向けて)なぜおれを捨てた」
  永利、水を吐き出して振り返る。
永利「二十年も前の話だ」
康一「おれの二十年がそれで決まった」
  永利、洗ったシャツを干す。
康一「施設にいるとき、いつか父親が迎えに
 来てくれると聞かされてた。だが、あんた
 は来なかった」
永利「そんな約束は誰にもしてない。おれに
 妙な期待はするな」
康一「父親らしいことができないなら、普通
 の人間が当たり前にやってることくらいや
 ったらどうだ」
永利「金か」
康一「七十万。今まで貸した分が二十万」
永利「九十か。分かった」
康一「あんたにどうやって返せんだよ?」

○郊外の町
  永利の車が走る。
  運転する永利、ときどき周囲に目を走ら
  せる。
  康一、黙って隣に座っている。

○郵便局付近の路上
  永利の車、郵便局を通り過ぎ、少し離れ
  た目立たない場所に停まる。
  永利、いったんエンジンを切る。
永利「こっち(運転席)に座っててくれ。バ
 ックミラーをよく見てろ(と調節)。おれ
 の姿が見えたらエンジンをかけるんだ」
康一「なんだよ」
永利「言う通りにしろ。車から出るなよ」
康一「どういうことか説明――」
永利「分かったのか?」
康一「(渋々)あぁ」
  永利、「さてと」と車を降りる。
  康一、ギアを跨ぎ越して運転席に移動。
  バックミラー越しに、永利が帽子をかぶ
  って郵便局に入っていくのを見る。
康一「……(不可解)」
  康一、周辺を見渡す。原付が一台通り過
  ぎたあとは、住宅地の静寂。
康一「……(まさかという思いが膨らむ)」
  と、バックミラーに永利が郵便局から飛
  び出してくるのが映る。
  康一、振り返って自分の目で見る。手に
  鞄を持って走る永利、エンジンをかけろ
  と合図をする。
  康一、慌ててエンジンをかける。
  永利、助手席に飛び込んでくる。
永利「行け!」
  と、鞄を後ろに投げ込む。
康一「何した! 何したんだよ!」
  背後で警報が鳴り出す。
康一「!」
永利「ぐずぐずするな!」
  康一、車を発進させる。

○走る車の中
康一「何したんだ!」
永利「前見ろ。スピード出し過ぎるな」
康一「(バッグに)何が入ってる?」
永利「あとだ。そこ左」
  康一、ハンドルを左に切る。

○交番前
  永利の車、通りかかる。
  警官がパトカーに乗り込むところだ。
永利「見るな」
  康一、警官を見ないようにする。サイド
  ミラーでチラ見すると、パトカーが逆方
  向に出ていくのが見える。
永利「(運転を)変わらなくて大丈夫そうだ
 な」
康一「……(この状況が不満だが)」

○ショッピングモール・駐車場
  車のボンネットが午後の日差しを照り返
  している。
  永利と康一、車から降りる。
永利「適当なのに乗り換えるぞ」
  康一、車を回り込んで永利に迫る。
永利「(逃げて)なんだよ」
康一「殴らせろ」
永利「よせ」
  しばし、追いかけっこ。
  康一、むしゃくしゃして車を蹴飛ばす。
康一「おれも共犯なんだぞ!」
永利「金を返せと言うからやったんだ」
康一「働いて返せ! 誰がこんな――」
永利「これがおれの仕事だ」
康一「なに?」
永利「まぁ最近はな」
康一「あんた犯罪者か? 本当の、本物の」
永利「見方による」
  康一、呆れて笑う。
康一「まともじゃないとは思ってた」
永利「二十年前、おれは仕事である事件を起
 こして捕まった。誰も傷つけちゃいない。
 会社のトラブルだ」
康一「……」
永利「出るに出られない状況でな。お前がど
 こでどうしてたのかも知らなかった」
康一「父親は刑務所、母親は蒸発。できすぎ
 だろ」
永利「説明しただけだ」
  康一、背を向けて歩き出す。
永利「どこ行く」
康一「あんたとは二度と会わない」
永利「待て。(鞄を差し出して)取れよ。い
 くらか足りないがな」
康一「……(振り返って鞄を見て)」
永利「必要だろ?」
  康一、鞄を取る。
永利「初めてにしちゃ上出来だった」
  康一、何か言いかけるがやめる。そのま
  ま立ち去る。

○長野県白馬村・全景
T『一年後』
  雪が少なくなり、一部山肌が露出してい
  るスキー場。

○あるリゾートホテル・外観
  客室数が百前後の大きなホテル。

○同・客室(空き部屋)
  康一と荒木万結子(28)による、仕事
  合間のあわただしい情事のあと。
  脱ぎ捨てた制服を身に付ける二人。康一
  の名札には「佐々木」とある。
万結子「夏場はまた野沢?」
康一「多分」
万結子「会いに行くね」
  康一、あいまいにうなずく。
万結子「本当は何か計画があるんでしょ?」
康一「?」
万結子「あなたはこんなところに留まってる
 ような人じゃない。最初からそんな気がし
 てた」
  康一、うまく答えられない。
  隣の部屋から掃除機の音が聞こえる。
万結子「隣りやってる」
  慌てて身支度を整える二人。

○同・レンタルコーナー
  康一、スキー板を磨いている。
康一N「盗みで得た金はあっという間になく
 なり、おれは名前を変えてここに潜り込ん
 だ。こういう大きいホテルでは、シーズン
 になると住み込みのバイトが何人か雇われ
 るのだ。仕事は朝から晩まで。何でもやら
 される」

○ホテルの送迎用ワゴン車
  宿泊客を乗せて運転する康一。
  ふいに反対車線にパトカーが現れる。
康一「……(表情を硬くして)」
  パトカー、何事もなくすれ違っていく。
  康一、バックミラーで見送る。

○リゾートホテル・表・車寄せ
  康一、送迎車を降りた客たちを愛想よく
  見送る。ドアを閉めようとして、座席に
  財布が落ちているのに気がつく。
  康一、さっと拾い上げて懐に忍ばせる。

○同・裏手
  同僚の山根(32)が小道の雪かきを、
  康一は薪割りをしている。
  山根、手を止めて山を見る。
山根「今年はもうダメだな」
康一「……(も山を見て)」
山根「野沢温泉、よかったって言ってたっけ?
 バイトの女子大生とやっちゃったんだろ」
  山根、ひっひと笑い、スコップを雪に突
  き立てる。
山根「先に駐車場、やってくるわ」

○同・ロビー
  康一、雑誌などを整理しながらフロント
  の様子を伺う。若いカップルがチェック
  アウトしている。そのアツアツぶり。
  康一、見送りで無人になったフロントに
  入っていく。レジに目をやる。
康一「……」
  フロントの男性スタッフが戻ってくる。
スタッフ「(カップルのこと)いいよな」
康一「ベッドが壊れてないといいけど」
  スタッフ、笑う。
康一「シーツ替えるよ」
  康一、壁のボックスから鍵を取る。

○同・客室
  康一、カーテンをまとめていると、駐車
  場にパトカーが入ってくるのが見える。
康一「?」

○同・ロビーに続く階段
  康一、様子を伺いながら降りてくる。
  と、山根がロビーをダッシュで横切る。
康一「! 山根さん」
警官「待て!」
  警官、山根を追っていく。
  康一が表を見ると、もう一人の警官が裏
  に回り込んでいくのが見える。

○同・駐車場
  パトカーを遠巻きにして人だかりができ
  ている。ホテルの従業員たちである。
  社長の八木廣剛(56)、警官と話をつ
  け、従業員たちに向き直る。
八木「こんな騒ぎになって申し訳ない。近隣
 で車上荒らしが多発してたことはみんなも
 知ってると思うが、遺憾ながらうちの従業
 員の仕業だったらしい」
  康一、パトカーの後部座席でうなだれる
  山根に目をやる。
八木「また改めて説明するから。今は仕事に
 戻ってくれ。さ、チェックインまで時間が
 ないぞ」
  八木、手を叩いて従業員らを追い立てる。

○リゾートホテル・裏手(数日後)
  康一、薪割りをしている。
  八木が来て、パイプ椅子を出して座る。
  康一にタバコを勧める。
  康一、タバコは断り、斧を下ろす。
八木「決めたか?」
康一「すいません、まだ」
八木「うちは今月でおしまいにさせてもらう
 よ。こないだあんな騒ぎがあったし、急か
 したくはないが」
  康一、うなずく。
八木「昔、やっぱり従業員に盗みをやられた
 ことがあるんだ」
康一「?」
八木「まだオヤジから経営を継ぐ前だった。
 長野オリンピックのすぐあと。年末年始の
 売り上げをごっそりだ」
康一「……」
八木「まだ現金払いの客も多かったし、かな
 りの額になる。そいつとはよく一緒に酒も
 飲んだが、まったく気がつかなかった」
康一「どうしてそんな話を?」
八木「(肩をすくめる)さぁな。痛い目を見
 たら対策を取るようになるってことだ」
  八木、笑顔で康一の肩を叩いて行く。
八木「決まったら教えてくれ」

○リゾートホテル・食堂(翌朝)
  朝食ブッフェの賑わい。
  忙しく立ち働く万結子、片隅で従業員ら
  がひそひそ話しているのを目に留める。
万結子「(近寄って)どうしたの?」
同僚「なんか佐々木くんがいないんだって」
万結子「……」

○ばんえい競馬場(北海道・帯広市)
  騎手を乗せ、鉄そりを引いた農耕馬たち
  がゲートに入る。
  そこそこ埋まった場内に、賞レースを告
  げる音楽とアナウンスが流れる。
  出走。
  前に出て馬と一緒に横移動しながら応援
  する客たち。その中に永利の姿がある。
  永利、馬がゴールするとガッツポーズ。
  と、背後に何者かが立つ。
  振り返ると、康一である。
康一「まだ貸しが残ってたよな」
永利「(にやりと笑って)しつこい奴だ」

○JR大船駅・前
  永利と康一、改札から出てくる。
永利「ちょっと歩くぞ」

○住宅街・上り坂
  永利と康一が歩く。

○住宅街のはずれ
  永利と康一が歩く。
永利「ここだ」
  もう何年も人が住んでいないらしい、同
  じ造りの古い平屋が数軒並ぶ一帯。
康一「……(外観を見て)」

○古い平屋・裏口
  板で塞がれたドアがある。
  永利、膝をついて一番下の板を取り外す。
  と、人がくぐり抜けられそうなくらいの
  穴が露わになる。

○同・内
  廃墟と化した室内。
  永利、テーブルを天袋の下に寄せ、天板
  に乗り上がる。
  康一、何となく室内を見回している。
永利「昔住んでた。覚えてるか?」
康一「……(改めて見回す)」
  永利、天袋内の天井板をはずし、手を突
  っ込んで中を探る。テープでぐるぐる巻
  きにされた包みを取り出す。
永利「取り壊すにも金がかかるからな。もう
 何年も放置されてる」
  永利、テープを破って包みを開ける。
  中から拳銃が出てくる。
康一「!」
永利「昔知り合いにもらった」
康一「本物か?」
永利「(銃を構えて)22口径。オモチャみ
 たいなもんだ。撃つ必要はない。見せるだ
 けで十分効果がある」
  永利、康一に銃を手渡す。
  康一、自らの手で握った銃をよく見る。
永利「おれを親だなんて思うな」
康一「?」
永利「おれたちはパートナーだ」

○ある町の郵便局・内
康一「五〇円切手、六枚」
  帽子をかぶった康一、一万円札を差し出
  す。
康一「細かいのがなくて」
女性局員「(愛想よく)大丈夫ですよ」
  康一、待っている間に局内を観察する。
  局員は四人、各自顔をあげることもなく
  デスクに向かっている。客は待合に一人
  とATMに一人、いずれも老人である。
  天井の隅に防犯カメラが二台取りつけて
  ある。

○ショッピングセンター・フードコート
  永利と康一、ハンバーガーを食べている。
  康一、手描きの見取り図に書き込みなが
  ら説明する。
康一「窓口は三つ。事務所のドアはここ。カ
 メラはこことここ。局員は四人。男二人に
 女二人」
  永利、紙を手に取りしばらく見入る。
永利「やっぱりこの仕事に向いてるな」
康一「あんな小さいところに金があるのか」
永利「年金が支給されるときを狙う。田舎に
 は年寄りが多いし、窓口で現金で受け取る
 連中がけっこういる。小さいところでも案
 外あるんだ」

○ある町の郵便局・近く
  永利の車、ひっそりと停まっている。
  運転席の康一、バックミラーに目をやり
  ながら様子を窺っている。
  と、前方から女性が歩いて来る。手に封
  筒を持った妊婦である。
  康一、妊婦を見送ったあと車を降りる。
康一「(後ろから声をかけて)あの」
妊婦「?」
康一「今、ちょっと入れないんです」
妊婦「え?」
康一「防犯訓練中で」
  妊婦、怪訝な顔で康一を見る。
  と、永利が飛び出してくる。同時に警報
  が鳴り出す。
  妊婦、驚いて郵便局の方を見る。
永利「何してんだ!」
  妊婦、もう一度康一を見る。
  一瞬、二人の目が合う。
永利「急げ!」
  康一、慌てて車に戻る。

○永利の車・内
  康一、すぐに車を出す。
永利「出るなと言っただろ!」
  康一、バックミラーで妊婦が遠ざかって
  いくのを見る。
  永利、帽子を取って鞄の中を確認。
永利「(にんまり笑って)大当たりだ」

○ある歓楽街(夜)

○バー「あや乃」・店内
  カウンターとテーブル席が三つ程度の小
  さな店。カウンター内で綾乃(34)が
  飲み物を作っている。
  ドアベルが鳴る。
綾乃「いらっしゃい――」
  入ってきたのは永利と康一である。
永利「よう」
  綾乃、永利の前に出てきて睨みつける。
  が、急に笑顔になって抱きつく。
綾乃「二年ぶり?」
永利「それくらいか」
  綾乃、ふざけてキスをする。
永利「よせよ」
康一「……(様子を伺って)」
綾乃「こちらは?」
永利「ま、ビジネスパートナーってとこだ」
綾乃「(永利に、からかうように)まだ悪い
 ことしてるの」
康一「おれは――」
綾乃「(遮って)私は何も知らない。いい?」
康一「……」
綾乃「(永利に)おごらないからね」
永利「あぁ。(康一に)お前も好きに飲め」
   ×   ×   ×
  テーブル席で飲んでいる康一と永利。
永利「同じ手口は二回が限度だ。警察にはと
 っくに情報が知れ渡ってるからな」
康一「たいした犯罪哲学だな」
永利「昔見た映画で言ってた」
康一「ラストは?」
永利「?」
康一「その映画の」
永利「主人公が――、あれは映画だ」
  康一、やれやれと一口飲む。
康一「もうやらないってことか?」
永利「まぁ――」
  綾乃が来て、永利の隣に座る。
綾乃「今日、うち来るでしょ?」
永利「他に男がいなきゃそうするか」
綾乃「ばか」
永利「(康一に)話はまた明日だ」

○永利の車
  カーブを曲がると海が見える。
  山の斜面に熱海の街が広がっている。

○ある旅館・大浴場
  康一と永利、離れて湯につかっている。
永利「一番大事なことが何だか分かるか?」
康一「?」
永利「捕まらないことだ」

○同・マッサージチェアが並ぶ一角
  康一と永利、目を閉じて気持ちよさそう
  に座っている。
  ある一団ががやがやと外出していく。
永利「おれたちもそろそろ行くか」
康一「どこへ」
永利「決まってるだろ、花火だよ」
康一「? 五月だぞ」
永利「ここじゃ季節ごとにやるんだ」
康一「花火を見に来たのか?」
永利「悪いか?」

○夜空に花火があがる

○街中の階段(夜)
  康一と永利、離れて座って花火見物。永
  利は手元に缶ビールとつまみ。
  康一、おもむろに立ち上がって階段を下
  りていく。
永利「おい、どこ行く?」
康一「別行動」

○あるラーメン屋・店内(夜)
  康一、入ってくる。カウンターに座り、
  壁のメニュー表に目をやる。
声「コク旨ラーメンとギョーザ、追加で」
  一つ空けて座る小太りの男・国吉(31)
  が追加注文したのだ。
国吉「(康一に)ここは塩がお勧め」
康一「……(ちらりと見て)」
国吉「今日、朝も昼もラーメン。夕方もラー
 メン。練馬からバイクでずっとここまで」
  康一、改めて男を見る。
  汗を拭きふき食べている国吉。
国吉「ラーメンレビューのブログやってるの。
 『ラーメン万食』、知ってる? 一日二千
 件くらいアクセスあるんだけど」
康一「いや」
国吉「(声を潜めて)お店の人には内緒ね。
 警戒されるから。塩でいい?」
康一「え?」
国吉「塩一つ! (康一に)あ、おごりじゃ
 ないけど」
  康一、あえて反応しない。
  国吉、タブレットを取り出して写真を見
  せる。
国吉「見る? 午後、小田原のラーメン屋行
 ったんだけど、オープンしたばっかでえら
 い人気でさ。一時間も並んじゃった」
店の男「塩、お待ち」
  康一、話を聞き流しながら食べる。
国吉「売上二十五くらいいってるんじゃない
 かな。あ、一日十万でもそこそこすごいか
 らね。ラーメン屋って案外儲からないの。
 でもあそこは一週間で二百は行くかも」
  康一、改めて写真を見る。
康一「もうちょっと詳しく教えてくれ」

○旅館・客室(夜)
  浴衣の永利、窓を網戸にして寝ている。
  ドアがゆっくり開き、康一が入ってくる。
  康一、忍び足で枕元に近づき、車のキー
  を取る。椅子に引っかけられた永利の上
  着に目を留める。
  康一、内ポケットを探って拳銃を取る。

○国道沿いのラーメン屋・表(深夜)
  店の前に開店祝いの花輪が並んでいる。
  広い駐車場には車が二、三台。
  康一、物陰から店内の様子を伺う。店員
  が二人と、客が二人いる。店員はどちら
  も貧弱そうな若い男性。
  康一、通りに目をやる。道の反対側に信
  用金庫の夜間金庫がある。

○インサート(国吉の話)
国吉「夜遅くまでやってるとことか、売上を
 そのまま夜間金庫に入れちゃうところも多
 いわけ」

○もとのラーメン屋・表(深夜)
  最後の客の車が駐車場から出ていく。
  店員、入り口ドアに閉店の札をかける。
  表の灯りが落ちる。
康一「……(見届けて)」
  康一、帽子を取り出して目深にかぶる。

○同・裏口(深夜)
  康一、ドア脇で壁に背をつけ、息を詰め
  て待つ。ドア越しに足音が聞こえる。
  ドアが開くとともに、康一、すばやく進
  み出て背後から銃を突きつける。
康一「動くな」
  首をひねって振り返るのは、外から見た
  ときにはいなかったやたら体格のいい男、
  店長の長谷川瑛(46)。
康一「(動揺しつつ)前を向いてろ!」
長谷川「(前に向き直って)どういうことだ」
  康一、長谷川が持っている巾着袋に目を
  つける。
康一「そいつをよこせ」
  店員、ゴミ袋を持ってドアのところに顔
  を出し、「ひっ」とゴミ袋を落とす。
  康一、どちらも狙える位置までさっと下
  がる。
長谷川「中にいろ」
  店員、さっと引っ込む。
  康一、再び長谷川の背中に詰め寄る。
康一「早くしろ!」
長谷川「やめておけ」
  康一、巾着袋を掴んで引っ張る。
  長谷川、がっちり掴んで離さない。
康一「離せ!」
  康一、脅すつもりで銃をぐいと押しつけ
  る。
  長谷川、身体をひねってかわし、銃を払
  い落とす。
  地面を転がっていく拳銃。
  康一、銃に飛びつこうとするが、長谷川
  に後ろからタックルされる。二人、倒れ
  込む。
  康一、立ち上がろうともがき、長谷川の
  頭を踏みつけるように蹴る。長谷川、片
  脚をがっちり掴まえて離そうとしない。
  康一、相手の顔を見て「!」と気がつく。

○インサート
  プロレス中継映像。
  現役時代の長谷川、対戦相手にヘッドロ
  ックをかけている。血みどろの顔で荒々
  しく吠える獣のような姿。
康一N「どこかで見た男だと思った。あのラ
 ーメンオタクは一番大事な情報を話さなか
 ったのだ」

○もとのラーメン屋・裏口(深夜)
  長谷川に両脚とも取られた康一、フェン
  スを掴んで踏ん張る。
  が、もたないと悟ると、ぱっと手を離し
  て向き直り、相手の目をつく。
  長谷川、思わず康一を離す。
  康一、拳銃まで這っていき手を伸ばす。
  長谷川、康一にのしかかる。
康一「ぐあっ!」
  揉み合いになる二人。
  長谷川の体の下でパン!と乾いた音。
  長谷川、地面に転がって脇腹を押さえて
  もがく。
  康一、自分でも信じられない顔。
  裏口ドアから店員二人が顔を出す。二人、 
  状況を見て悲鳴をあげ、店内に逃げ込む。
  康一、行動を起こせない。
長谷川「ぬああっ!」
  長谷川、再び掴みかかってくる。
康一「うわっ!」
  康一、服を掴まれるが何とか引き離す。
康一「今のは事故だ(と無茶な弁解)」
長谷川「来いよ!」
  長谷川、現役時代の目に戻っている。
  康一、地面の巾着袋に一瞬目をやる。
康一「うあー!」
  康一、長谷川に向かって突っ込んでいく。
  と見せかけて、直前で方向転換し、巾着
  袋を拾い上げてそのまま走り去る。
長谷川「待てこらぁ!」

○近くの路地(深夜)
  康一、巾着袋を手に暗がりを走る。
  パトカーのサイレンが聞こえる。

○近くの道路(深夜)
  康一、車をかわして道路を横断。
  駐車場を抜け、小田原城の城郭に入る。

○小田原城・城郭(深夜)
  康一、走り抜ける。

○同・お濠
  康一、お濠にかかる橋を渡る。
  前方にパトカーが現れ、行く手を塞ぐ。
康一「!」
  引き返そうとすると、後ろからも警官が
  追ってきている。
  前方のパトカーから警官が下りる。
  康一、橋の上で挟み撃ちになる。
康一「……(成す術がなく)」

○刑務所・外観

○同・金属工場
  康一、旋盤で材料を加工している。慣れ
  た様子で黙々と働くその様子。
康一N「強盗致傷罪で懲役七年。それがおれ
 にくだされた判決だった」
  黙々と働く受刑者たちと、それを監視し
  ている刑務官たち。
  受刑者の一人米崎(55)、ふらふら立
  ち歩いて材料入れを漁る。
刑務官「勝手に持ち場を離れるな!」
  戻るでもなくへらへら笑う米崎を、刑務
  官二人が引っ立てていく。
  康一、同房の遠藤(39)とやれやれと
  目を合わせる。

○刑務所内での生活
  雑居房。一斉に布団をたたむ康一ら五人
  の受刑者。
   ×   ×   ×
  廊下。一列に並んで行進する受刑者たち。
   ×   ×   ×
  運動場。広がって体操をする受刑者たち。
   ×   ×   ×
  雑居房。行儀よく食事をする康一たち。
   ×   ×   ×
  娯楽室。テレビを見て笑う受刑者たち。

○刑務所・雑居房
  ドアが開き、刑務官と荒んだ目つきの若
  者・寺岡(26)が入ってくる。
刑務官「216番。自己紹介」
寺岡「寺岡です。少年刑務所から移送されて
 きました。窃盗と放火で七年。よろしくお
 願いします」
  刑務官、出ていく。
  寺岡、窓寄りのいい場所にいる米崎の前
  に立つ。
寺岡「(すごむように)いいですか」
  米崎、へらへらしながら譲る。
  寺岡、どっかりと腰を下ろす。
  康一たち、適当に無視する。
康一N「面倒な奴もいるが、トラブルは禁物
 だ。それだけ出所が遅くなる」

○同・面会室
  アクリル板の仕切りがある部屋。
  康一、刑務官の立会いのもと、久城富美
  子(67)と面会している。
康一N「おれに面会に来るのは、施設で世話
 になったこの人だけだ」
富美子「罪を犯さない人はいない。でも、償
 えない罪もない」
  康一、黙って聞いている。
富美子「てんどうさまのもとでは人間も自然
 もすべて平等。尊師の本も差し入れしてお
 いたから、ぜひ感想を聞かせて」
康一N「旦那が死んで以来、妙な宗教にハマ
 ったらしい。それでも無碍にはできない。
 仮釈放には身元引受人が必要だからだ」

○同・娯楽室
  米崎、隅で嗚咽している。
康一「(遠藤に)どうしたんスか?」
遠藤「おふくろさんが亡くなったんだと。下
 着泥棒のくせにマザコンとはな」
  米崎、身も世もない様子で泣いている。
寺岡「うるせぇんだよ!」
  と、米崎の脇腹を蹴る。
  米崎、痛がりながらも泣いている。
康一「やめろ!」
  康一、寺岡を押しのける。
  寺岡、よろけて壁にぶつかる。
寺岡「なんだこら!」
  寺岡、康一に掴みかかり揉み合いになる。
  受刑者たち、取り囲んで囃し立てる。
刑務官「(割って入り)やめろ!」
  床に倒れた康一、蹴りをくり出す。それ
  がのしかかってきた寺岡の顎にヒットす
  る。
寺岡「てめぇ!」
  寺岡、猛然と襲いかかるが、刑務官二人
  に取り押さえられる。
寺岡「放せ、こら! 放せ!」
  暴れる寺岡、床に組み敷かれる。
  康一、立ち上がる。
  米崎、周囲の騒ぎも関係なく泣いている。

○同・雑居房
遠藤「これやるよ」
  私物をまとめた段ボール箱を小脇に抱え
  た遠藤、一冊の本を差し出す。
  本(マンガ)を読んでいた康一。
康一「やばいスよ」
  私物のやり取りは厳禁なので慌てる。
  遠藤、外で待機している刑務官を気にし
  ながらカバーをすり替える。
遠藤「ちょっとは勉強でもしろ。じゃあな」
  遠藤、房を出て行く。
  康一、刑務官が立ち去ったことを確認し、
  中身を確かめる。起業に関する啓発本で
  ある。

○同・雑居房(夜)
  康一、壁に寄りかかって本を読んでいる。
康一N「本なんて今までろくに読んだことも
 なかった」

○同・金属工場
  康一、旋盤で材料を加工する。
康一N「親を知らずに育ったおれは、ずっと
 自分が何者なのか分からないでいた。普通
 の人間になれればそれでよかった」

○同・娯楽室
  康一、本を読みふけっている。
康一N「だが考え方が間違っていた。自分は
 自分で作っていくものなのだ」
  ふと視線を感じて顔をあげると、寺岡が
  ねめつけるように見ている。
  康一、無視して読む。

○同・運動場
  野球に興じる受刑者たち。
  外周を軽くジョギングしていた康一、立
  ち止まってストレッチをする。
  外野の守備についている寺岡、康一をチ
  ラ見して靴紐を直すふりでしゃがむ。
  寺岡、靴の中から先を尖らせたシャフト
  を取り出す。
刑務官「(棟の入り口付近で)整列!」
  運動をやめて戻っていく受刑者たち。
  戻ろうとした康一に、うしろから寺岡が
  ぶつかってくる。
康一「!」
  寺岡、何事もなかったかのように整列に
  向かう。
刑務官「176番!」
  整列した受刑者たち、グラウンドの方を
  振り返る。
  康一、うつ伏せに倒れている。
刑務官「176番!」
  刑務官、別の刑務官と目を合わせる。
  康一の腰の上辺りから血が滲む。

○インサート
  施設の前で手を握られて立つ幼い康一、
  去っていく車を黙って見送る。
  ふと横を見上げると、富美子が笑いかけ
  てくる。富美子は六十七歳の姿だ。
  康一、手を振りほどこうとするが、富美
  子は不気味に笑って離さない。
  康一、必死にもがいて――。

○ベッドに寝ている康一
  が目を覚ます。
  刑務所内と思しき殺風景な一室。
  康一、よろよろと起き上がり、覚束ない
  足取りで窓に近づく。
  鉄格子越しに、庭先で園芸作業をしてい
  る受刑者たちが見える。見覚えのない風
  景。
  康一、中庭のベンチに座っているある男
  に目を留める。永利である。
康一「!」
  医者が入ってくる。
医者「まだ寝てないと」
康一「ここは?」
医者「医療刑務所。刺されて緊急搬送された」
  康一、傷口に触れ、痛みに顔をしかめる。
康一「あの男は?」
  康一、窓の外を指さす。
  中庭の永利、気がついて軽く手をあげる。
刑務官「(ドアから覗いて)手伝いますか?」
  医者、首を振ったあと、窓の外をちらり
  と確認。刑務官を気にして小声で話す。
医者「先月入ってきた。強盗だったかな」
  康一、そうじゃなくてと医者を見る。
医者「終末期ケアを受けてる。肺がんだ」
康一「……」

○医療刑務所・中庭
  高齢の受刑者たちが、刑務官や看護師に
  見守られながら運動している。
  康一、ホースで花壇に水をやりながら、
  背後のベンチに小声で話しかける。
康一「ずいぶん悪そうだな」
  座っているのは永利である。ずいぶん頬
  がこけている。二人は向き合うことなく
  声を抑えて話す。
永利「たいしたことない。お前はどうした?」
康一「ちょっと事故で」
  康一、屈み込んで雑草をむしるふり。
永利「ムショの中でか? 誰かにやられたな」
  永利、笑い混じりに咳き込む。
永利「金がある」
康一「?」
永利「お前にやる。おれが脱獄できなかった
 ときの話だがな」
  康一、反応に困って無理に笑う。
永利「銃があった場所、覚えてるな」
康一「あぁ」
永利「同じところだ。二千万ある」
  康一、永利を見る。
永利「向こう向いてろ。話すチャンスを与え
 るとは馬鹿な奴らだ」
康一「貸しはチャラだな」
永利「釣りが来るだろ。いいか」
康一「?」
永利「おれを親だなんて思うなよ。おれたち
 はパートナーだ」

○元の刑務所・図書工場
  康一、書籍リストとパソコンのモニター
  を見比べながら打ち込みをしている。
康一N「回復すると、もといた刑務所に戻さ
 れた。死にかけたおれを気遣って、楽な作
 業を割り当ててくれた」

○同・雑居房(以前とは別の房)
  康一、本を読んでいる。
  ドアが開き、刑務官が入ってくる。
刑務官「(神妙な顔つきで)176番」
康一「……(察しがつく)」

○同・面会室
  康一、久城富美子と対面している。
富美子「自分を捨てた親とこういう場所で再
 会するなんて、おかしな話ね」
康一「……」
富美子「でも、最後に思い出ができてよかっ
 た。お父様のためにお祈りをさせて」
  富美子、手を組んで目を閉じる。

○刑務所・会計課
  私服姿の康一、作業報奨金の入った茶封
  筒を受け取る。
康一N「仮釈放になったとき、おれは三十三
 になっていた」

○同・通用口
  刑務官に頭をさげて出所する康一。
  少し歩き、外の世界を見回して深呼吸。

○大船の古い平屋
  があったところに立つ康一。
  平屋群は跡形もなくなり、代わりに老人
  ホームが建っている。
康一「……(途方に暮れて)」

○鎌倉中央図書館・閲覧室
  康一、地元の新聞をくまなく調べている。
康一N「老人ホームが完成したのはほんの三
 か月前だった。地主が死んで、遺族が土地
 を処分したらしい。取り壊しのときに出所
 不明金が出たというニュースはなかった。
 誰かがこっそり懐に入れたか、瓦礫と一緒
 に処分されたか。もう知りようがなかった」

○公子の家・付近
  康一、少し離れた高台から様子を伺って
  いる。と、玄関から公子(57)が出て
  くるのが見える。
康一「……」

○同・近くの道
  つっかけで歩く公子。
  その前に康一が立つ。
  公子、ぼんやりした目を康一に向ける。
  康一、訝しげに見返す。
声「公子!」
  公子の再婚相手・中河原繁之(61)が
  追いかけてくる。繁之、康一に気がつい
  て「?」となる。

○公子の家・キッチン
  康一と繁之、声を落として立ち話。
繁之「アルツハイマー型認知症。四十代、五
 十代でもなると言うんだ。先はまだ長いの
 にね」
康一「……」
繁之「子供はいないと聞かされていたから、
 驚いた。昔のことは話したがらなくて」
  康一、居間に目をやる。公子がどこか居
  心地悪そうに座っているのが見える。
繁之「とにかく、あまり刺激を与えないよう
 にしてほしい」

○同・居間
  康一、公子と対面して座っている。
  公子はつっけんどんで歓迎しない態度。
康一「あいつが死んだ」
公子「……」
康一「病気だ」
公子「それで?」
康一「ただ伝えに来ただけだ」
公子「じゃ用は済んだわけね」
康一「おれは、あんたたちの子供だ。だから――」
公子「(警戒して)あいつに何を聞いたの?」
康一「? 何って」
  公子、急に立ち上がる。
公子「やっぱり帰って」
康一「少しだけ話を――」
公子「話すことなんてない」
康一「あんたはおれの母親だろ」
公子「違う!」
  公子、自分で言ってハッとする。
康一「違うって――」
公子「いいから帰って」
康一「(訝しんで)あの人から何か聞いたか
 ってどういう意味だ」
公子「知らない。もう帰って」
康一「そんなわけないだろ。説明しろよ」
公子「私は何も悪くない!」
繁之「公子」
  繁之が割って入り、公子をかばう。
繁之「悪いが帰ってくれ」
  康一、なおも詰め寄る。
康一「何か隠してるのか」
公子「いや!」
康一「あんたはおれの母親だろ。違うのか」
  康一、公子の手を掴んで問い詰める。
繁之「帰ってくれ!」
  康一、繁之を押しのける。
康一「答えろ!」
  公子、ただいやいやと首を振る。
康一「答えろよ!」
公子「あなたを盗んだの!」
康一「……なに?」
公子「赤ん坊のあなたを盗んだの!」
  繁之も思わず手を止めて公子を見る。
公子「私たちは親子でも何でもない。だから
 もう来ないで」
康一「(動揺して)何言ってんだよ」
公子「あなたはまだ赤ん坊で何も分からなか
 った。初めての子供を流産して、医者にも
 う妊娠できないって――」

○千葉の海・浜辺(回想)
  レジャーシートを敷いて海を眺めている
  永利と公子。まだ二十代前半の新婚。
  公子、どこかの幼い兄弟が波打ち際で遊
  んでいるのを見る。その暗い表情。
  永利、そっと公子の手を取る。

○土産物店・表(回想)
  公子、脇にあるトイレから出てくる。
  ふと見ると、店の入り口脇にベビーカー
  が置き去りにされている。覗くと、生後
  三、四ヶ月の赤ん坊が眠っている。
公子「……」

○同・駐車場(回想)
  永利、荷物をトランクに詰めている。
  助手席に公子が乗り込む音がする。
  永利、運転席に乗り込みながら、
永利「帰るか――」
  と、公子の腕の中の赤ん坊に気がつく。
永利「! お前、それ――」
公子「見て。よく寝てる」
永利「……」
公子「私たちの子よ」
  無理に思い込もうとするその表情。
永利「何を――」
公子「行って。早く」
永利「でも――」
公子「早くして」
  永利、やぶれかぶれで車を出す。

○大船の平屋(回想)
  永利と公子、赤ん坊をあやしている。
  テレビからニュースが聞こえてくる。
キャスター「千葉県御宿中央海水浴場で起き
 た、幼児行方不明事件の続報です」
  永利、公子をちらりと見る。
  公子、赤ん坊を連れて奥に引っ込む。
キャスター「三日経った現在も幼児の行方は
 分かっていません。幼児は両親が目を離し
 たほんのわずかな間にいなくなったことが
 分かっていますが……」
  永利、テレビを消す。

○もとの公子の家・居間
  康一、ショックで呆然。
公子「もう十分苦しんだ」
康一「おれは今知ったばかりだぞ」
繁之「……(もまたショック)」
康一「名前は? おれの名前、康一って」
公子「私たちがつけた」
康一「……」
  康一、たまらずその場を立ち去る。

○あるバー(夜)
  同H市内、駅前の歓楽街にあるバー。
  酔った康一、カウンターに伏せてボトル
  に反射した自分の顔を見る。
康一「(自分に)お前は誰だなんだ」
声「日野康一!」
  康一、顔を上げて振り返る。
  渡部侑子(33)が立っている。
侑子「やっぱり」
  侑子、馴れ馴れしく肩に手を置いて隣に
  くる。
  康一、分からずにじっと見る。
侑子「えー(とがっかりして見せて)。静岡
 城西高校、定時制。二年F組」
康一「……」
侑子「ちょっと。渡部。渡部侑子」
  侑子、残っていたグラスを勝手に飲む。
  少し酔った顔を康一にぐいと近づける。
侑子「日野康一。私の初めての男」
   ×   ×   ×
  康一と侑子、一緒に飲んでいる。
侑子「そいつ、気に入らないことがあるとす
 ぐ殴るような奴だったから。それで逃げ出
 したわけ。ほんと、一人が楽」
  侑子、飲む。
侑子「日野康一は? 今何してるの?」
康一「その名前はもう使ってない」
侑子「何それ。面白い奴。じゃなんて名前?」
康一「(答えあぐねて)考えてくれよ」
侑子「え?」
康一「名無しなんだ、今」
  康一、適当に言っておいて飲む。
侑子「ちょっと待って考えるから」
  侑子、回転スツールで身体をねじる。

○バー付近の駐車場(夜)
  康一、侑子を支えて運転席に座らせよう
  とする。
侑子「やっぱダメ。運転して」
康一「おれも飲んでるから」
侑子「(笑って)捕まる心配? 裏道行けば
 大丈夫!」

○侑子の車・内(夜)
  康一、運転している。
  交差点に差しかかり、一旦停止。
康一「どっちだ?」
  反応がなく、見ると侑子は寝ている。
  康一、ため息をついて辺りを見回す。
  「○○運動公園まで800m」という案内
  を見つける。

○運動公園・駐車場(夜)
  八年前に公子の不倫現場に出くわした場
  所である。
  康一、昔停めたのと同じ場所に車を停め
  る。
  助手席の侑子、目を覚ます。
侑子「(見回して)どこ?」
  康一、答えない。
  侑子、助手席の窓を開ける。
侑子「ね、覚えてる?」
  侑子、母校の校歌を歌い出す。
侑子「歌って」
  康一、反応しない。
侑子「もう」
  侑子、一人で続ける。
  康一、感情を押し殺した表情でいる。
康一「よせよ」
侑子「ちょっとぉ。私、これけっこう好きな
 んだよね」
  侑子、ため息をついてシートにもたれる。
  おもむろに康一の太股に手を置く。
侑子「しちゃおうか?」
康一「……」
  侑子、康一の横顔にキスをする。
  身を乗り出して、今度は唇にキス。シャ
  ツの下から手を入れる。
康一「やめろ」
  康一、侑子を押し戻す。
侑子「ちょ、なに?」
康一「降りろ。帰れ」
侑子「は? 私の車なんだけど。降りるなら
 自分が降りてよ」
  康一、ドアを開け放しにして降りる。
侑子「どこ行くの!」
康一「うるせぇ!」
  康一、振り返りもせずに歩き去る。
  侑子、ぶつくさ言いながら運転席に移り、
  ドアを閉めて車を出す。
  康一、よろよろと歩き、草むらに膝をつ
  く。街灯の支柱にもたれかかって、一人
  むせび泣く。

○かと思いきや
  もとの侑子の車の中。
  侑子、康一の太股に手を置いている。
康一N「そんな風にかっこつけることもでき
 たが、おれの柄じゃない」
   ×   ×   ×
  侑子、運転席の康一にまたがって腰を振
  っている。激しさに車が揺れる。
康一N「やれるときにはやっておく。誰に文
 句を言われる筋合いもない。だろ?」

○千葉のある街・ショッピングセンター
  よく晴れた休日の賑わい。
  オープンテラスに康一がいる。
康一N「坂口陽平。それがおれの本当の名前
 だ。全然しっくりこない。全国ニュースに
 取り上げられたくらいだから、簡単に調べ
 ることができた。事件は未解決のまま時効
 になっていた」
  康一の視線の先にある老夫婦がいる。そ
  こへ幼児連れの若い夫婦が合流する。
  老夫婦は康一の実の両親である。若い夫
  婦の夫の方は、康一の兄弟らしい。
康一「……(遠目に見ている)」
  若い夫婦、老夫婦に子供と荷物一式(ベ
  ビーカー含む)を預けて出かけていく。

○ショッピングセンター内・プレイランド
  老夫婦が孫を遊ばせている。
  康一、離れた物陰からその様子を見る。
  老夫婦が荷物のやりとりをしている間に、
  孫がエリア外に出てしまう。
  康一、出て行くか迷う。
  孫が転ぶ。気づいた祖母が慌てて駆け寄
  り、助け起こして抱きしめる。すぐあと
  から祖父も来る。
康一「……(じっと見ている)」
  康一、黙って立ち去る。

○北関東のある街・全景(数か月後)
  中央に一級河川が流れ、その両側に田園
  地帯が広がっている。上空に雲がどんよ
  りと垂れ込めている。

○パチンコ店「マーレイ」・表
  グランドオープンを祝う花輪やのぼりが
  ずらりと並ぶ。広い駐車場は車で埋まっ
  ている。
  フロントガラスに雨がぽつぽつと落ちは
  じめる。

○同・一階パチンコフロア
  満席の店内。客らの足元にはそれなりに
  ドル箱が積まれている。
  居並ぶ客たちの中で康一が打っている。
  その真剣な表情。

○同・券売機前
  康一、財布から五千円札を抜き取る。財
  布は空になる。
康一「……」

○同・台の前
  残高表示が徐々に減っていき、ゼロにな
  る。
  康一、思わず台を叩く。
アナウンス「本日はマーレイ、グランドオー
 プンにご来店いただき、誠にありがとうご
 ざいます。当店はまもなく夜十一時をもっ
 て閉店いたします。また、現在外は大雨と
 なっており、気象庁から大雨特別警報が出
 されています」
康一「……(聞いて)」
アナウンス「お帰りの際は十分お気をつけく
 ださい。本日はマーレイへのご来店、まこ
 とにありがとうございました」
  康一、辺りを見回す。
  客は残りわずか。店員の手を借りてドル
  箱を台車に積む客がいる。

○同・表(夜・大雨)
  激しい雨がたたきつけ、駐車場は一部浸
  水している。
  客の車が水を切って帰っていく。
  康一、途方に暮れて座り込む。

○寝ている康一(未明・大雨)
  パチンコ店の入り口脇の段差で寝ていた
  康一。下の段におろした足が水につかっ
  て、「わっ」と起き上がる。
康一「くそっ!」
  見ると、駐車場は完全に水没している。
  遠くから緊急警報を伝える防災無線が聞
  こえる。

○付近の通り(未明・大雨)
  康一、膝下まである水の中を進む。
  少し先に三階建ての団地を見つける。
  そちらへ向かおうとした矢先、一人の老
  人が逆方向に歩いていくのを見かける。
康一「そっちはダメだ!」
  老人、手で「いいから」というようにし
  て行ってしまう。
  康一、仕方なく一人で団地を目指す。

○ある民家のガレージ近く(未明・大雨)
  道半ばまで来た康一、背後に轟音を聞い
  て振り返る。
  濁流が押し寄せてくる。
康一「!」
  康一、慌てて近くのガレージに駆け寄り、
  雨樋や窓枠を利用してよじ登る。
  濁流が足元をかすめ、脇に停めてあった
  原付があっけなく流される。
  康一、命からがら屋根に上がり出る。
  シャッターの開いたガレージに大量の水
  がなだれ込み、全体が音を立てて軋む。
康一「?」
  見ると、家が一軒丸ごと流されてくる。
  それが真っすぐ向かってきて――。
康一「マジかよ」
  家がガレージに直撃する寸前、康一は濁
  流に飛び込む。

○濁流(未明・大雨)
  康一、必死に水面から顔を出し、折れ曲
  がった交通標識に掴まる。
  何とかしがみついていると、誰かが流さ
  れてくるのを見つける。先ほど見かけた
  老人、柴田陽一郎(69)である。
康一「おい!」
  陽一郎も気がついて、康一の方に寄ろう
  とするが流れが強い。
  双方手を伸ばし、何とか掴み合う。
康一「離すな!」
  が、標識を掴む手に力が入らない。
康一「ぐああ!」
  手が離れてしまい、二人とも流される。

○民家の間を流れる濁流(未明・大雨)
  流される康一と陽一郎、破れたフェンス
  が流れに晒されているのに掴まる。
  康一、陽一郎を浅瀬に引っ張り上げる。
  陽一郎、膝をついて水を吐く。
康一「大丈夫か」
陽一郎「川が、堤防が決壊した」
  近くに横倒しになっていたスピーカーか
  ら、突然警報が鳴る。大音量にたまらず
  耳を塞ぐ康一と陽一郎。
スピーカー「――警報が発表されています。
 河川の増水にお気を付けください」
康一「うるせぇ!」
  とスピーカーを蹴り飛ばす。音がやむ。
  ふと見ると、別の男性(井沢肇・64)
  が流されてくる。
陽一郎「井沢さん!」
  陽一郎、助けを求めて康一を見る。
康一「……(振り切れず)」
  康一、使えるものがないか探す。浅瀬に
  物干し竿がひっかかっている。
  康一、それを抜き取り、フェンスの上を
  歩いて膝下辺りまで濁流に入っていく。
康一「掴まれ!」
  康一、物干し竿を差し伸べる。
  井沢、必死で掴まる。
  康一、踏ん張りがきかず、引きずり込ま
  れそうになる。陽一郎も来て、一緒に物
  干し竿を掴む。
康一「うるぁー!」

○上空(早朝)
  自衛隊のヘリコプターが飛んでいる。

○ヘリコプター・内(早朝)
  身を乗り出して眼下を見ていた自衛隊員、
  康一らを発見する。隊員、操縦士に下に
  三人いると合図を出す。

○その下
  水に沈んだバンの屋根で身を寄せ合うよ
  うにしている康一ら三人、ホバリングす
  るヘリを見上げる。
  ヘリからロープを伝って自衛隊員が降り
  てくる。

○水没した街
  一面水浸しの壮絶な光景。
  呆然と見るしかないヘリの中の康一たち。

○避難所・中学校の校庭
  ヘリから救助された人々が下りる。すぐ
  さま家族が駆け寄ってきて抱き合う男性
  がいる。
  康一、校庭の一角でテントが組み立てら
  れているのを見る。校門からは新たな避
  難者たちが押し寄せてくる。
  被災者をはじめ、自衛隊、消防、役人、
  複数のメディアが入り乱れている。被災
  地の混乱。

○同・体育館・入口
  簡易受付(長机に役人)にできた行列。
  康一の前に並んだ男性が答えている。
役人「町名だけですので、お願いします」
男性「(苛立ち)家が流されたんだよ」
役人「すいません、確認で」
男性「若葉町二丁目」
役人「ありがとうございます。毛布とお水を
 受け取ってください」
  康一、進み出る。
役人「お名前から」
康一「……山野、彬(偽名を使う)」
役人「お住まいは?」
康一「若葉町、一丁目」
役人「ありがとうございます。そちらで毛布
 とお水を受け取ってください」

○同・同・内
  避難者で混み合っている。
  康一、スペースを見つけて座り込む。隣
  の女性が声を殺して泣いている。
康一N「被害の全容はまもなく見えてきた。
 500ミリを超える雨量で堤防が決壊し、
 市の半分が水没したのだ」

○街の様子
  洪水被害にあった街の様子を、直後から
  一週間後くらいまで断片的に見せていく。
康一N「全壊家屋91棟、半壊家屋4117
 棟、床上浸水は5000棟を超えた。死者
 37名、負傷者102名、行方不明者17
 名。水は一週間経っても引かず、7000
 人以上が避難所生活を強いられた」

○避難所・体育館・表(一週間後)
  康一、水道場でペットボトルの水をちび
  ちび使って顔を洗い、口を漱ぐ。
康一N「文無しのおれには、この状況はむし
 ろ好都合だった。ここにいれば食べ物はあ
 るし、寝るところも心配しなくていい」
  康一、怒号に振り返る。
  避難住民同士が支給されたおにぎりのこ
  とで言い争いをしている。
男性「一人一個ってルールだろうが!」
別の男性「離せ!」
男性「もらったの見てたんだよ!」
別の男性「ばあちゃんの分だよ」
男性「うそつけ!」
  近くにいた何人かが仲裁に入る。

○同・同・内
  康一が戻ると、役所の人間がヒアリング
  して回っている。
康一「……」
  康一、再び表に出て行く。

○同・同・表
  出てきた康一、陽一郎とばったり。
陽一郎「あんた。あのときはろくに礼もでき
 なくて」
  と深々頭を下げる。
康一「おれは何も」
陽一郎「ここで?」
康一「まぁ。そちらは?」
陽一郎「おれは――」

○軽トラック
  陽一郎(運転)と康一。
  軽トラ、土砂で覆われた田んぼの間の道
  を走る。道にも土砂や瓦礫が残っており、
  ところどころ避けて通る。
陽一郎「おれの田んぼも全部やられた。この
 辺の農家は全滅だな」
康一「……」
陽一郎「おれが川の様子を見に行ったりなん
 かしなきゃ。家に帰ったら、うちのやつは
 いなくなってた。おれのあとを追ってきて
 流されたのかもしれない。バカなことをや
 ったよ」

○街の一角
  陽一郎と康一、瓦礫をどけていく。
  康一、軍手の指先に穴が開く。汗をぬぐ
  って、黙々と作業する陽一郎を見る。
康一「あなたのせいじゃない」
陽一郎「どうだかな」
  陽一郎、ふと康一を見る。
陽一郎「行くところがないのか?」
康一「え? いや――」
陽一郎「よかったらうちに来るか?」
康一「?」
陽一郎「命の恩人だしな」

○陽一郎の家・内
  大きな平屋。床上浸水にあい、家の中は
  まだぐちゃぐちゃである。
  その中に立つ康一と陽一郎。
陽一郎「ま、ちょっと片付けなきゃまずいが」

○広い田園(数か月後)
  土砂が取り除かれた田んぼ。何台かのト
  ラクターが出て田起こしをしている。

○同・一角
  康一、陽一郎と井沢にトラクターの運転
  と耕し方を教わっている。
陽一郎「一筆書きで回るんだ。同じところを
 二回も三回もやらないように」
井沢「(手振りで)ここでターンして」
康一「はい」

○同・あぜ道
  ビニールシートや地べたに腰を下ろして
  休憩している康一と農家たち数人。
井沢「にしても広すぎるな」
  一同、うんざりして見る。そこには数十
  ヘクタールの田んぼが広がっている。
陽一郎「何人もやめちまったから。その分お
 れたちが頑張らないと」
井沢「洪水でトラクターもコンバインもだい
 ぶやられちまったし、本当に大丈夫か」
陽一郎「団結すればどうにかなるってもんで
 もねぇな」
井沢「こんな年寄りばっかで」
  農家らの間に笑いが起こる。
康一「考えたんだけど、いくつかの品種を並
 行して手掛けたらどうなのかな」
陽一郎「? どういうことだ?」
康一「田植えの時期も稲刈りの時期も、品種
 ごとにうまいことずれるようにするってこ
 と。そしたら機械だって使い回せるし、み
 んな総出で順々にやれば何とかなるんじゃ
 ないかな」
  陽一郎ら、見合わせる。
康一「(身振り交えて)例えばこの辺はコシ
 ヒカリ。あっちはゆめひたち。向こうはミ
 ルキークイーン。五品種か六品種。販路さ
 え確保できればリスクはむしろ減るし、作
 業も分担できて高齢化対策にもなる」
  陽一郎ら、考える。
康一「色々調べてみたんだ。やることもない
 し」
陽一郎「そりゃあ――」
井沢「言ってることはおかしくないな」
  そこへ遠くから車のクラクション。
  見ると、道端に停まった車の脇で男性と
  小さな子が手を振っている。陽一郎の息
  子・仁志(42)と孫の惇(5)である。

○陽一郎の家・庭
  惇、康一を警戒するように睨みつける。
  康一、いきなり変な顔をしてみせる。
  惇、思わず笑う。
  家の中から怒鳴り合う声が聞こえる。
康一「(惇に)あっち行ってるか」

○同・表(門を出たところ)
  用水路に草花を流して遊ぶ康一と惇。
惇「おじさん、サギシなの?」
康一「?」
惇「おじいちゃんを騙して家を乗っ取ろうと
 してるって」
康一「(笑って)かもな」
  仁志、玄関から苛立たしげに出てくる。
仁志「惇、行くぞ!」
  仁志、不愉快そうに康一を一瞥すると、
  惇を連れて車に乗る。
  あとから陽一郎も出てきて、惇に手を振
  って「またな」と見送る。
  仁志の車、行く。
康一「おれのことで申し訳ない」
陽一郎「いいんだ。それに、それだけじゃな
 い。田んぼを再開することも気に入らない
 のさ」
康一「?」
陽一郎「家も田んぼも処分して、あいつのと
 ころの近くの老人ホームに入れと言ってき
 た。一緒に暮らすのでもなくてな」
康一「……」
陽一郎「何も分かってない奴だ。おれがここ
 を離れたら、うちのやつが帰ってくる場所
 がなくなる。そうだろ?」
  陽一郎、目に涙がにじむ。
康一「……」

○田んぼ・あぜ道
T『三年後』
  康一、原付で来る。つなぎがすっかり板
  についている。
  田んぼではコンバインが二、三台稼働し、
  一部を手作業で刈っている。
  康一、コンバインの陽一郎に手を振る。
康一「取れた、契約!」
陽一郎「(遠くから)やったな!」
井沢「(近くで)これで全部さばけるわけだ」
康一「ええ。(見て)あいつらは?」
井沢「それが――」

○寮・前
  シェアハウス風の外国人研修生の寮。
  康一、原付で来る。

○同・食堂
  広いテーブルで康一とファン(ベトナム
  人・23)が向き合って座っている。
  寮母のミヨ(65)、うどんを二つ置く。
ミヨ「(ファンに)今日はただ飯だよ」
  ファン、黙って座っている。
  康一、食べる。
康一「で、何が不満なの?」
ファン「私たち、みんな不満ある」
康一「賃金の問題も解決した。スカイプ入れ
 て国の家族とも話せるようにした。寮には
 朝晩食事もついてる」
  ファン、壁に貼られている扇情的なグラ
  ビアポスターをちらりと見る。
康一「(察して)駅前の風俗で働いてる知り
 合いがいるんだけど」
ファン「?」
康一「アダルト・エンタテイメント・ショッ
 プ」
  ファン、にんまり笑う。
康一「その代わり今日は残業だぞ」

○同・表
  康一、出てくる。
  車が一台入ってくる。運転しているのは
  井沢の息子・祐太(35)である。
祐太「山野さん、松本さんが会場見てくれっ
 て」

○洪水から三年経った街並み
  祐太の車が走る。
  道路は修復され、住宅も建て直されてい
  るものが目につく。
  一方、ところどころ更地もあり、一部に
  は瓦礫や廃材が積まれたまま放置されて
  いるところもある。

○ガレージ近く
  あの日流されたガレージがあった場所を
  通りかかる。
  康一、助手席から基礎や支柱の一部が今
  も残っているのを見る。
祐太「どうですか、復興の立役者としては?」
康一「やめろよ」
祐太「三年なんてあっという間ですね。復興
 の時期はもう終わり。用排水路を整備し直
 したら、ここは新しい街になる。でしょ?」

○道の駅
  秋の三連休に行われる水害三周年のイベ
  ント会場である。
  屋外ステージや出店ブース、看板などの
  設営が進んでいる。農作物の直売以外に
  も、野菜スムージーや米粉シフォンケー
  キといった今風のブースがある。
  裏手には体験農業ができる畑もある。

○同・本部テント・前
  イベントプロデューサーの松本宣彦(4
  8)と康一と祐太がいる。
松本「初日にテレ日が生中継で取り上げてく
 れることになりました」
祐太「やった」
松本「バンドも厳選しましたよ。『辛気臭く
 ならないこと』なんて注文初めてだったん
 で難しかったですけどね」
陽一郎「来たか」
  体験農業用に道具類の運び込みをしてい
  た陽一郎、軍手をはずしながら来る。
陽一郎「体験農業もずいぶん予約入ってるぞ」
松本「てっきり二人(陽一郎と康一)は親子
 だと思ってましたよ」
陽一郎「ま、実の息子みたいなもんさ」
  笑う一同。
  康一も合わせて笑う。
松本「山野さん、メディア取材はやっぱりダ
 メ?」
康一「最初に言ったようにおれは――」
松本「復興の立役者にぜひ表舞台に立ってほ
 しいんだけどな」
祐太「それはおれとか陽一郎さんで引き受け
 ますよ」
松本「ま、そういうことなら――」

○田んぼ(日没間近)
  康一とファンら外国人研修生たち、稲の
  残った四隅を手作業で刈っている。
  研修生たち、やたらとやる気を出して、
  母国ベトナムの歌(ホレ族の民謡「稲刈
  りに行く/Di cat lua」)を歌いながら働
  いている。

○陽一郎の家・康一の部屋(夜)
  康一、参考書とパソコンを併用して仕事
  をしている。脇に積まれた本の中には、
  いつか遠藤にもらった本もある。
康一N「これが現在のおれだ。こんなところ
 でこんなことをすることになるなんて、思
 いもよらなかった。人生は何が起こるか分
 からない」

○道の駅(翌日)
  屋外ステージで、バンドがブルーグラス
  を演奏している。
  直売所の人だかり、フード系ブースに並
  ぶ人々、体験農業に参加する子供たち。
  大勢の客が集まって盛況である。

○同・本部テント
  祐太と康一、差し入れの入った袋を持っ
  て来る(サンドイッチと飲料)。
祐太「差し入れです。好きに取って」
  と長机に置く。スタッフら、口々に礼を
  言う。
祐太「滑り出しは好調ですね」
松本「(うなずいて)そろそろテレ日が来る
 はずなんだ」
  駐車場にそれらしきワゴン車が入ってく
  るのが見える。
松本「(スタッフらに)15時15分からオ
 ンエアだから。チェック頼むよ」
祐太「おれも行きます」
  松本と祐太、出迎えに行く。

○同・会場
  賑わいの中を歩く康一、ふと一人の子供
  に目を留める。
  七歳くらいの男の子、あるブースで店員
  の死角から袋菓子をこっそり取る。
  康一、足早に去ろうとする男の子の前に
  立ちふさがる。しゃがみ込み、男の子が
  後ろに隠した手を掴んで前にもってこさ
  せる。
男の子「……(観念する)」
康一「あれじゃダメだ」
男の子「?」
康一「店の人は気づかなくても周りにはバレ
 バレ。怖くても正面から行く方がうまくい
 く」
男の子「(おずおずと)どうやって?」
康一「うまく気をそらせるんだ。あれ見て」
  とステージを指す。男の子、つられてそ
  ちらを見る。
康一「ほら」
  康一、その隙に男の子のポケットからハ
  ンカチを取り出している。
男の子「あ」
  康一、ハンカチを返して行くように促す。
康一「……(後姿を見送りながら、自分のし
 たことに当惑)」
  康一、改めてブースに行き、店員に料金
  を渡す。
店員「あの……(何のお金か分からない)」
康一「ちょっと子供がね」
  康一、視線を感じて見ると、ある女性と
  目が合う。かつて郵便局の中に入るのを
  止めた、当時妊婦だった女性である。
康一「!」
  女性、傍らの娘をかくまうようにする。
  あのときお腹にいた子だ。
  康一、すっと顔を背け、足早に立ち去る。

○同・駐車場
  康一、動揺した様子で会場から離れる。
祐太「山野さん」
  祐太が「いたいた」と駆け寄ってくる。
祐太「うちらもそろそろ行きましょう」
康一「?」
祐太「岡部建設」

○祐太の車
祐太「ホッとしましたよ。ここ一週間くらい
 ホント胃が痛くて。あー、でもよかった。
 あとは契約がまとまれば言うことなしだ」
  康一、どこか上の空で外を見ている。
祐太「山野さん?」
康一「え?」
祐太「どうかしました?」
康一「いや。こんなところで何してるのかと
 思って」
祐太「(ちらりと見て)何って?」
康一「おれは、ここの人間じゃないから」
祐太「山野さんはうちの親父の命を救ってく
 れた。陽一郎さんのことだってそうだ。山
 野さんがいなかったら、農家のみんなが立
 ち直れたかどうか分からない」
康一「……」
祐太「(後部座席を指して)契約金、用意し
 ときました。現金で見ないと信用しないと
 か、社長も古いですよね」

○岡部建設・表
  祐太の車が来る。

○同・三階の会議室
  机に包みがどんと置かれる。祐太がほど
  くと札束が現れる。
祐太「五百万です」
  思わずのぞき込む面々。康一、岡部建設
  社長の岡部(56)、市の土木監理課の
  課長・髙浦(51)。
岡部「確かに。そしたら今度は、工事が15
 パーセント進んだところで市の方から同じ
 額を」
髙浦「心得てます」
岡部「じゃ、こいつを」
  岡部、それぞれに工事計画書を渡す。
岡部「三年前の洪水で用水路がダメになった
 せいで、一部の田畑ではまだ農作が再開で
 きてません。今回の用排水路整備工事が完
 了すれば、それらがすべて復活する」
  康一ら、うなずきながら聞く。
岡部「それとともに、市内の田畑の約六割が
 一括で管理できるようになります。北側だ
 けに限れば85パーセントだ」
めぐみ「お茶、お持ちしました」
  事務の西めぐみ(29)、お茶と茶菓子
  を出す。
髙浦「あ、私も(手伝います)」
めぐみ「あ、大丈夫です」
岡部「髙浦さん、いいから」
髙浦「や、じっとしてられない性分で」
岡部「完成したときのジオラマがあるので、
 お見せしましょう」
髙浦「へぇ、そりゃすご――」
  髙浦、めぐみと同じ湯呑を持とうとして
  倒してしまう。中身が自分の足に思い切
  りかかる。
髙浦「あぢゃっ!」
めぐみ「きゃ! 大丈夫ですか!」
岡部「わ、わ、わ」
髙浦「あっつ! あっつ!」
  髙浦、ズボンを引っ張ったり、ぴょんぴ
  ょん跳ねたりして耐える。
祐太「脱いで脱いで」
髙浦「大丈夫、大丈夫――、女性の前じゃち
 ょっと――、あつつつつ!」
  髙浦、やっぱりズボンを脱ぎはじめる。
岡部「西さん、手伝ってあげて」
めぐみ「はい!」
  めぐみ、髙浦の前に膝をついてズボンを
  下ろす。
髙浦「あ、自分で、自分で。そんな。おしぼ
 りいいですか」
  髙浦、おしぼりを取って患部に当てる。
髙浦「ひゃっこい」
祐太「いや、水で冷やさなきゃ」
岡部「シャワー室シャワー室。西さん」
西「はい。こちらへ」
髙浦「すいません、すぐ戻ります」
岡部「いいから早く」
祐太「よく冷やさないとダメですよ」
  めぐみ、髙浦を連れて行く。
岡部「頼むよ。着替えも何か貸してあげて。
 ……ったく、あの人は(と笑う)。あ、ジ
 オラマ。今のうちに用意しときますか」
祐太「手伝います」
岡部「いいですか? それじゃ」
  岡部と祐太、連れだって出て行く。
  康一、気がつくと一人取り残されている。
  目の前には現金五百万円。
康一「……(じっと見て)」
   ×   ×   ×
  廊下。
  岡部と祐太、キャスター付きテーブルに
  乗ったジオラマを運んでくる。
  脇の一室で、髙浦が作業ズボンに履き替
  えている。めぐみは濡れたズボンをハン
  ガーに干している。
祐太「(髙浦に)大丈夫ですか?」
髙浦「すいません、ちょっとお借りします」
  祐太と岡部、会議室に入る。
  すると――。
  康一、じっと座って待っていた。
岡部「なんかバタバタしちゃって」
康一「あ、いえ」
  髙浦、あとから来る。
髙浦「(見るなり感心)はー、大したもんだ」
  市の農地一帯の精巧なジオラマ。
岡部「こんなのでも結構時間かかってね」
髙浦「そうでしょうそうでしょう。わー、細
 かい!」
岡部「ま、部下にやらせるんだけど。でもイ
 メージ沸くでしょ? 山野さんも」
康一「あ、はい」
  顔を寄せて覗き込むように見る面々。
岡部「車とかもけっこう凝ってるんですよ」
  岡部、取ってみせる。感心する一同。
岡部「(ジオラマで示しながら解説)稲刈り
 が終わったらすぐに着工します。排水路の
 方は、もしまた三年前のような大雨が来て
 も対応できるように、何カ所か貯水槽を設
 置する。仮に水が溢れても住宅地への被害
 を最小限に抑えられるように設計してます」
  めぐみ、来る。
めぐみ「中継、はじまりますよ」
祐太「もうそんな時間?」
岡部「ちょっと見ますか」
髙浦「行きましょう行きましょう、役所のモ
 ンもちらっと映るはずなんですよ」
  岡部、髙浦、祐太、がやがやと出て行く。
  またしても一人取り残された康一。

○同・同階の事務所
  岡部、髙浦、祐太、めぐみが横に立ち並
  んでテレビを見ている。
  画面では、会場で陽一郎がインタビュー
  を受けている。
陽一郎「米を中心にやってますが、他にも色
 々な野菜、果物を育ててます。そうしたも
 のを使って、米粉のシフォンケーキとか、
 野菜の、なんだ、スム、スムージーとか、
 他にも……」
  硬い表情でたどたどしく説明。
祐太「だからもっと練習しとけって」
めぐみ「でも絶対緊張しますよ」
髙浦「あ、あれうちのです。今、後ろにちら
 っと」
  やいのやいの言いながら見ている一同。
髙浦「あれ、山野さんは?」
祐太「え?」
  それぞれ見回すが、康一はいない。
岡部「まさかお金とって逃げたとかね」
  岡部、冗談に言って笑ったあと、髙浦や
  祐太と見合わせる。
三人「……(悪い予感)」
  三人、まさかと思って駆け出す。

○同・会議室
  駆け込んでくる祐太たち。
  誰もおらず、テーブルにあった現金も消
  えている。
髙浦「ああ! ないっ、ないっ!」
岡部「窓から!」
  先ほどは閉じていた窓が開いている。
髙浦「三階ですよ!」

○同・表
  康一、奪った自転車にまたがるところ。
  背後に、自転車を奪われて倒れている岡
  部建設の職員・小川(45)。
祐太「山野さん!」
  三階の窓に祐太。岡部たちも口々に呼ぶ。
  康一、一瞬振り返る。
祐太「山野さん!」
  康一、何も応えずに自転車をこぎ出す。
  祐太、追いかける(階段へ走る)。
岡部「小川君、追いかけて!」
  小川、わけが分からないまま頷く。
岡部「(髙浦に)警察も」
髙浦「はい!」

○道
  康一、全力で自転車をこぐ。前かごには
  現金の入った包みがある。

○岡部建設・表
  車に飛び乗る祐太、すぐに発進。
  岡部、社用の原付にまたがる。
  髙浦、携帯で通報しながら出てくる。
髙浦「泥棒です泥棒! 盗られたの、五百万
 円!」
  髙浦、携帯を切る。
髙浦「私も!」
岡部「早く!」
  髙浦、原付の後ろに飛び乗る。

○道
  康一、全力で自転車をこぐ。
   ×   ×   ×
  祐太、車で追いかける。
   ×   ×   ×
  原付に二人乗りで追いかける岡部と髙浦。
  小川、あっという間に追い抜かれる。
岡部「降りて! スピード出ない!」
  髙浦、止まり切る前に降りて転ぶ。
  岡部、スピードを上げる。
  ひぃひぃ走る小川、髙浦を追い越す。
髙浦「あ!」
  髙浦、立ち上がって走り出す。

○田んぼ
  自転車を乗り捨てた康一、包みを持って
  あぜ道を走る。
   ×   ×   ×
  祐太の車、乗り捨てられた自転車のとこ
  ろに停まる。車を降りて見回すと、田ん
  ぼの向こうに康一の背中が見える。
祐太「何してんだよ!」
  祐太、再び車に乗る。

○ドライブイン・駐車場
  康一、呼吸を整えながら植え込みに隠れ
  ている。遠くでパトカーのサイレンが鳴
  っている。
  店から男が一人出てくる。
康一「……(様子を見て)」
  男、大型トラックに乗る。
  康一、植え込みから出て後ろから近づく。

○同・駐車場
  トラック、動き出す。
  荷台の屋根に康一がいる。
  通りに出ると、ちょうどパトカーがすれ
  違っていく。

○走るトラック
  運転手、窓を開けて気分よさそうに運転
  する。
  トラックは田園地帯を抜けていく。
  荷台の屋根の康一、仰向けになって笑み
  を浮かべる。その顔はどこか清々しい。
  頭上には青空が広がっている。



                   了

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