Ready For The Blue? 舞台

タイトルの「Ready For The Blue?」は、小沢健二の歌の歌詞から拝借。直訳すれば「Blueの準備はできてる?」だが、意味がよくわからない。Blueは、英語では「憂鬱」「悲しみ」みたいなイメージで使われるが、「悲しみの準備」って何? ひょっとしたら「消滅、破滅への覚悟」なのか? という思い込みで、「死」「孤独」「生きること」の話が展開して行く。
川村武郞 19 0 0 07/20
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第一稿

 〈登場人物〉

  男 女
  林(声) 東(声)
  


   音楽。(チャイコフスキー「白鳥の湖 情景」)
   男と女が立っている。
   舞台上に机 ...続きを読む
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 〈登場人物〉

  男 女
  林(声) 東(声)
  


   音楽。(チャイコフスキー「白鳥の湖 情景」)
   男と女が立っている。
   舞台上に机とイス。

男   私、九十になる母親がいるんですけどね。
女   ‥‥‥。
男   それが、変というか、とても興味深い人物でして。
女   はあ。
男   先日、彼女が知り合いに電話をしてまして、「うちの息子はまだ独身
なんだけど、それは、若い頃にとても美人の女の人に失恋して、それがショックで結婚できない」って言うんですよ。
女   はあ。
男   実はね、十年ぐらい前から耳が遠くなってて、日常の会話でも「ハ
ァ?ハァ?」って何度も聞き返すもんだから、とてもうっとうしいんですよ。
だから、電話なんかでもほとんど会話が成立しなくって、「何言ってるのかわからん」って、すぐにガチャンと切っちゃうんですよ。で、今度老人ホームで独り暮らしをすることになったもんだから、困ったなあって思ってたんですよ。
女   それは困りますよね。
男   ええ、そうなんでよ。ほんとに困るんです。それでね、集音器を‥‥あの、集音器って知ってます?
女   え? ‥‥音を集めるんですか?
男   まあそうなんですけど、まあ補聴器みたいなもんです。なんか厚生労働省に認可を受けてないと補聴器と名乗れないんだとか。でね、その集音器で、「みみ太郎」という評判の製品がありましてね。なんか、ああいう製品って、すごいベタなネーミングですよね、たいてい。他にも「遠耳君」とかってのもあるんですよ。どう思います?
女   え? どう思うって言われても‥‥。
男   ハハハ‥‥笑っちゃいますよね。だいたい医療業界ってそういうセンスなんだよなあ、昔から。ほら、頭痛薬とかすごいじゃないですか。「ハッキリ」とか「スッキリ」とか。あと「ノーシン」てのもそうなんですよ。知ってました?
女   え?
男   昔はね、明治から大正時代くらいかな? 頭痛のことを「脳病」とか「脳神経病」とか言ってたんですよ。だから脳神経病に効くから「ノーシン」って。めちゃくちゃ安直な名前ですよね。アハハハハ。
女   ‥‥‥。
男   それにしても脳病ってすごい名前だなあ。なんか脳腫瘍かくも膜下出血みたいだ。ああ、それから神経衰弱。ノイローゼとか何か気分がすぐれないとすぐに神経衰弱だったらしいですよ。夏目漱石なんかがよく使ってます。‥‥あ、そう言えば、最近はノイローゼって言わないんですよね?
女   え? ‥‥ああ、まあ、そうですね。
男   そうそう。素人の使う精神病の名前って、たいてい間違って使ってるんだって聞いたことがありますよ。ほら、ええっと、そうそう、ヒステリーとかコンプレックスとかパニックとか。それから、えーっと、そうそうストレスなんかも間違ってるんですよね?
女   そうですねぇ‥‥確かに医学的に正確じゃない使われ方も多いです
ね。
男   やっぱりそうなんですか。そうなんですよねぇ。素人は知ったかぶりをしたがるもんだから‥‥。
女   ‥‥それはいいんですけど、座りません?
男   ああ、そうですね。‥‥すみません。気がききませんで。
女   いや、いいんですけど。
男   それじゃ、座りましょう。
女   はい。

   二人、イスに座る。

男   ‥‥という話を十年前にやったんですけどね。
女   え? ‥‥やったって?
男   演劇。お芝居ですよ。お芝居。
女   ああ‥‥。演劇なさるんですか?
男   え、ああ、まあ。‥‥言ってませんでしたっけ?
女   ええ。
男   まあ、道楽ですよね。いや、自分としては結構マジでやってるんですよ。やってるんですけど、別にそれで食ってるわけでもないから。‥‥演劇人ですなんて言ったら、演劇を職業になさっている人に失礼でしょ?
女   ああ。まあ‥‥そうかもしれませんね。
男   ええ。
女   はあ。
男   それで、十年前に母親が九十だったわけですから‥‥。
女   あ、もしかして、百歳?
男   ええ、そうなんです。百歳になりました。
女   へえ、すごいですねえ。百歳ですか。おめでとうございます。
男   ありがとうございます。‥‥でも、めでたいんですかね? それっ
て。
女   え?
男   めでたいんですか? 百歳になるって。
女   いや、それは、めでたいんじゃないですか? 百年も生きたんだか
ら。百年って言ったら、一世紀ですからね。
男   そうなんですよね。おっさんもそう言ってました。
女   おっさん?
男   ああ、関西じゃ、お寺の住職のことをおっさんって言うんです。
女   へえ、そうなんですか?
男   ええ。それで、葬儀の後、骨揚げしてから、最近は繰り上げで初七日やっちゃうんですが、その時、「やっぱり一世紀も生きられたということで、戒名にも『一』という文字を入れまして」っておっさんが言ってました。
女   え。‥‥もしかして‥‥お亡くなりに?
男   あ、言ってませんでした? 先月に亡くなりまして。
女   ああ。‥‥それは、ご愁傷様でした。
男   ありがとうございます。
女   ‥‥‥。
男   まあ、かなり以前から「私は百まで生きるから」って言ってましたから、その願望が果たせてよかったんじゃないですかねぇ。‥‥まあ、本人にそれがわかっていたのかどうかは怪しいですけど。
女   え? わかってなかったんですか?
男   まあ、九十の時は、耳が遠くて、ものわかりもちょっと怪しくなって来てはいたんですが、その後は、ほとんど何もわかんなくなっちゃって。
女   ああ‥‥。認知症ですか?
男   あれって、認知症なんですかねぇ? 年相応の感じじゃないですかねぇ。最近はあまり言いませんけど、ボケってやつじゃないですか?
女   ああ。
男   もうねぇ、数年前から私のこともわかんなくなってて、お正月に一緒に食事をした時に、「初めまして。私はあなたの次男です」なんて挨拶をしました。
女   え? あなたが‥‥ですか?
男   そうです。嫌味な息子でしょ?
女   ‥‥‥。
男   それで、老人ホームに仏壇を置かせてもらってたんですが、そこに飾ってある父親の‥‥あ、彼女からしたら夫ですね、その夫の写真を見て、
「誰?」って言ったんで、「ああ、もうおしまいだなあ」と思いました。
女   ‥‥そうなんですか。
男   そうなると、もうねぇ、世話をするモチベーションってのがねぇ。いや、一応、親だから、世話をしなくちゃとは思いますけどね、誰に世話してもらってるのかも全くわかんないわけですからねぇ。
女   はあ。まあ、そうかもしれませんね。
男   冷たい息子だなあって思うでしょ?
女   え‥‥いや、家族にはいろいろ事情がありますから。
男   そうなんですよねぇ。家族にはいろいろ事情がある。
女   ‥‥‥。
男   家の恥は表に出さない、ってね。
女   え?
男   そういうのがあるんだなあって最近つくづく思うんですよ。‥‥ほ
ら、最近、ニュースとか見てると、DVの事件とか、性虐待の事件とか、いろいろあるじゃないですか?
女   ええ、そうですね。
男   で、週刊誌なんかが、根掘り葉掘り、その家庭の事情を書いたりするでしょ? 生い立ちがどうとか、親がどうとか、学生時代はどうだったとか。
女   ええ。
男   あれってね、のぞき趣味みたいなのもあるんだろうけど、「ああ、うちの家はそうじゃない」って安心したいんですよね。きっと。
女   え? そうなんですか?
男   昔ね、犯罪心理とかに興味があって、何冊か本を読んだりしたんですよ。そしたら、こういうのが書いてありました。
殺人事件なんかが起きると、人は必ず、その犯行動機を知りたがる。そして、その犯人の異常性なんかが報道されたりする。犯罪というのは、そんなに簡単に図式化できるものではなくて、実際にはいろいろな複雑な要素が絡み合っていたりするものなのだけれど、そんな事実はどうでもいいのだ。凶悪な犯行は、異常な人間が異常な動機で行うものでなければならないのだ。それはそうだ。自分の周辺に普通に存在している普通の人間が、特段の意味もなく凶悪犯罪を起こしたりしたら恐くて仕方ない。まして、自分にも犯行の可能性があるなんて絶対に考えたくない。だから、凶悪犯罪は、あくまで異常な、アブノーマルな出来事でなくてはならないのだ。そう思うことで、犯罪と自分との繋がりを完全に遮断することで人は安心を得るのである。ってね。
女   ああ‥‥なるほど。‥‥そういう考え方もできるかもしれませんね
ぇ。
男   それで、最近思うようになったんですよ。家庭の問題も、これに似てるんじゃないかって、ね。
女   え? それって、どういうことですか?
男   うちの家は、最近の言い方で言うと、DV家庭だったんですよ。父親がかなり異常な性格で、すぐに激高するんです。年がら年中、どなりまくっている。時には、母親や娘に暴力を振るったりもする。それで、子供たちはいつもビクビクしてて、いわゆるトラウマっていうか、PTSDっていうか、そんなのが何十年も経った今でも色濃く残ってるんですよね。
例えば、私なんか、誰かが大声をあげるとビクッとしちゃうし、全然知らない他人同士がケンカをしてても「私が謝るからやめてください」と言いたくなったりするんです。
女   はあ‥‥そうなんですか。それは大変ですね。
男   だから、「そんな不幸な家に育ったオレはかわいそうだな」とずっと思ってたんです。でも、最近、そういう不幸は、結構ゴロゴロ転がってるって、気付いたんですよね。
女   え?
男   ほら、最近の家族はみんな仲良しで、「幸せ家族」みたいな感じをアピールしてる人、多いじゃないですか? SNSなんかにもそういう写真をあげたりして。
女   ああ、そうですね。
男   あれってね、フェイクですよ、きっと。全部がそうだとは言いませんけど。
女   え? そうでしょうか?
男   私、長年、教師をやってまして。
女   ああ。どこのですか? 小学校? 中学校? 高校?
男   高校です。
女   ああ、そうなんですか。
男   ええ。
で、教師やってると、職業柄、どうしても生徒の家庭の事情に関わることが多いんですよね。
女   ああ。まあ、そうでしょうね。
男   するとね。わかるんですが、端的に言って、平穏無事っていうか、絵に描いたような「幸せ家族」なんてのは、ほとんどありません。
女   ああ‥‥そうなんですか。
男   ええ、そうなんです。ほとんどの家は、大なり小なり、問題を抱えている。かなりややこしくて複雑な事情を抱えた家庭も少なくない。
女   はあ。
男   そういうのを見てると、「うちなんかマシだな」とは言いませんが、まあ、それほど特別に悲惨なケースでもないわけです。そういう実態がわかってきました。
女   ああ。そんなものですか。
男   そんなものです。そんなものなんですが、でも、案外、そういう感じはしないでしょ? 日本中の家族は問題だらけだ、なんて感じは。
女   ああ、まあ、そうですね。そんな風には見えませんよね。
男   それどころか、SNSを見たら、「幸せ家族」とか「仲良し家族」が溢れていたりする。‥‥どうしてだと思います?
女   え? どうして? ‥‥あ、ひょっとしたら、さっきおっしゃってた‥‥。
男   そうです。家の恥は表に出さない。
女   ああ、ああ、なるほど。
男   最近、離婚が増えてるでしょ? 激増しているって言ってもいいくらい。
女   ああ、そうみたいですね。
男   三十五パーセントだったかな? だいたい三組に一組は離婚してるんだそうです。
女   そんなにですか?
男   ええ。‥‥これも、教師やってると実感しますよ。私が教師になりたての頃は、担任に配られるクラス名簿に、配慮の必要な生徒に印とか付いてるんですが、当時は、生活保護と母子家庭というのにマークが付いていました。それが、いつの間にか母子家庭は消えちゃった。数が多くなりすぎちゃったんです。
女   へえ。
男   それに、昔は、生徒に連絡する時に、「ご両親にも伝えておいてね」って言ってたのが、そのうち「親御さんにも伝えておいてね」になり、最近では「おうちの人にも伝えておいてね」に変わっています。ほら、片親だけじゃなくて、祖父母に育てられてる子とか、親のいない子なんかもいますからね。
女   へえ、そうなんですね。
男   そうなんです。
女   へえ。‥‥それは知りませんでした。
男   そういうのを、評論家の人とか政治家の人とかは、「家庭の崩壊の危機」とか言ったりしてますが、別にそういうことじゃないと私は思うんです。
女   え? それは、どういうことですか?
男   家庭なんてのは、元々そういうものなんですよ。たぶん。本質的に。
女   え? どういう意味ですか?
男   家庭なんてのはね、初めから必然的に崩壊の危機を抱えているもんなんですよ。そもそも、家庭なんてのは、たぶん、本質的に成り立ちがたいものなんですよ。私はそう思ってます。
女   えええ。なんか、すごいことをおっゃいますねぇ。
男   そうじゃないですか? 考えてもみて下さい。夫婦にしても、親子にしても、生い立ちも違えば、考え方も違うんですよ。毎日食べるごはんの味も違うし、箸の上げ下ろしの仕方も違うし、乗ってる車だって違う。片方はベンツで、片方はワゴンRだったりする。法事の時に唱えるお経も違うし、ひょっとしたら、一方は仏教で、もう一方はキリスト教だったりするかもしれないじゃないですか? テレビだって、NHKばっかり見てる家もあれば、バラエティとドラマしか見ない家だってあるでしょ? そんな風に、それぞれの家庭の文化っていうんですか? そういうのが全く違う赤の他人たちが、一つ屋根の下で暮らして「家族だぞ」なんて名乗るなんてのは、おこがましいというか、そもそも無理があると思いませんか?
女   ちょっと‥‥それは。赤の他人たちって‥‥。それ、ちょっと極論過ぎて、私、付いて行けないんですが‥‥。
男   いや、極論じゃありませんよ。たとえば‥‥あなた、朝、テレビのニュース、何を見てます?
女   え? 朝ですか? ‥‥まあ、いろいろかな? テレビ付けてないこともあるし。
男   そんなにいい加減なんですか!
女   え、いい加減って‥‥。そういうの、いい加減なんですか?
男   いい加減ですよ。‥‥うちはね‥‥ていうか、私ですけどね。私は、朝はNHKのニュースしか見ません。子供の頃からずっとそうです。
女   ああ、そうなんですか?
男   はい。‥‥まさか、おはよう朝日です、なんか見てたりするんです
か?
女   え? ‥‥まあ、見ることもある‥‥かな?
男   それなんですよ! 私が言いたいのは!
女   はあ? ‥‥それってなんですか?
男   私は、朝からあんな気持ち悪いウサギを見ながら生活することなんかできません!
女   気持ち悪いウサギ? ‥‥ああ、オキタくんのことですか?
男   ああ、そういう名前なんですか? あれ。
女   はあ‥‥まあ。
男   だから、そういうことですよ。私が言っているのは。
女   はあ? 何がそういうことなんですか?
男   私ね、このトシまでずっと独身なんですがね、こういうのを生涯独身って言うんですよ。そういう人がどんどん増えていて、男じゃ三人に一人、女は四人に一人が生涯独身になるらしいんです。知ってました? それが少子化や孤独死の原因になりつつあるって。
女   いえ。‥‥へえ、そんなにたくさんいらっしゃるんですか?まあ、私の知り合いにも、そういう人はいますからねぇ。
男   でしょ? でも、そんな私ですが、昔々、結婚ということについて考えたこともあったんです。
女   ああ、そうなんですか?
男   はい。‥‥わりと真面目に考えたんですよ。結婚はするべきか、否かってね。それで、結局、「やっぱり結婚するのはきついな」という結論になったんです。‥‥その理由は何だと思いますか?
女   いや‥‥そんなの、わかりませんよ、私には。
男   真っ先に思い浮かんだのが、さっきのウサギですよ。あの気持ち悪いウサギ!
女   え? オキタくんですか?
男   はい、それです。
女   何なんですか、それ?
男   学生時代にね、友だちの家に泊めてもらったことがあるんですが、朝起きて、ごはんを食べる時に、その家ではウサギのニュースを見てたんですよ。
女   ウサギのニュースって。
男   ウワーって思ったんですがね、人の家じゃないですか? さすがにNHKに変えてくれって言えないでしょ?
女   それは、そうですよね。
男   それで、大急ぎでごはんを食べて、その部屋から出ました。
女   そこまで嫌いなんですか? オキタくん。
男   そりゃそうでしょ? あなた、ひょっとして、あのウサギが好きなんじゃないでしょうね?
女   いや、別に、好きとか嫌いとか、そんなの考えたこともありません。
男   ああ、そうですか。‥‥それで、さっきの話なんですが、その時の記憶が思い浮かんだんです。真っ先にね。
女   え? え? ‥‥あの‥‥話があっちこっちに行って、よくわからないんですが‥‥。
男   だから、「やっぱり結婚はきついな」と思った話ですよ。
女   ああ、ああ、それですか。
男   どんなに好きな女性と結婚したとしても、毎朝、ウサギを見ながら食事をするのは無理だな、ってね。そんな生活はありえないってね。‥‥そう思ったんですよ。
女   え? どうしてウサギを見ながら食事することになるんですか?
男   彼女の家がウサギニュースを見ながら食事をする家だった場合です。
女   ウサギニュースって。‥‥好きな女性だったら、我慢できません?
男   できません。それとこれとは別です。
女   だったら、奥さんにお願いして、NHKにしてもらったらいいじゃないですか?
男   そんな。あなたは、彼女の長年の生活文化を破壊して、宗旨替えを強制しろっていうんですか?
女   いやいや、そんなおおげさな。たかがテレビじゃないですか?
男   たかがテレビじゃありません! やっぱり、あなたとは結婚できそうにありませんね。
女   何で私があなたと結婚することになるんですか? 私は結婚してますし、子供だっています。
男   ああ、ああ。それは失礼致しました。‥‥これだから、ウサギ好きは‥‥。
女   だから、好きでも嫌いでもないって言ったでしょ! 何なんですか? あなたは? 何言ってるんですか?
男   まあ、テレビの話だから、わかりにくいのかもしれないな。ちょっと例えが悪かったか‥‥。
女   ‥‥‥。
男   そうだ。‥‥それじゃ、これはどうです? ほら、転勤族って人がいるじゃありませんか? 銀行の人とか、国家公務員の人とか。
女   ああ、いますね。
男   ああいう人の家族って、悲惨じゃないですか? 夫の仕事の都合で、長崎に行ったり、横浜に行ったり、場合によってはロサンゼルスまで行っちゃう。
女   ああ、そういうのもあるみたいですね。
男   奥さんだって、お友達とかいるわけでしょ? いつも一緒にお茶してたり、ダンスサークルの仲良し友達とか。パート先の人間関係だってあったりするでしょう? 子供なんか、せっかくクラスで一緒に遊べる仲良しがいたりするのに。
女   それは‥‥そうですね。
男   そりゃね、最近じゃ、単身赴任なんてのも増えてますけど、あれはあれで夫の方も気の毒だし。少なくとも、家族だからというだけで、どうして他人の都合に合わせて、自分を犠牲にしなきゃならないんですか? 人間関係や生き方を。
女   また‥‥他人、ですか?
男   他人ですよ。どう考えても他人。私はあなたじゃないし、あなたは私
にはなれないでしょ? そんなの当たり前です。それなのに、家族というの
は、何か半分私だけど、半分は家族みたいな。いやひょっとしたら、七十%ぐらい家族で生きてる人だっているでしょう。○○さんだけど家族でもある、ならまだしも、まず家族であって○○さんでもあるって‥‥おかしいと思いません? 家族って人格なんですか? 家野族太郎、家野族子って、そんな人がいるんですか?
女   もう。‥‥もう、いいです。そういう話は。
男   え? どうして?
女   もうねえ、そういう理屈のための理屈みたいなのは好きじゃないんです。別に理屈が全部ダメだとか、意味がないとかは言いませんよ? でも、理屈をこね回して、相手を論破するためだけの屁理屈? そういう感じなのは好きじゃないんです。
男   これは屁理屈じゃありません。
女   いやいや、屁理屈ですよ。十分。
あなたの言ってるのは、全部極論なんですよ。極端なんですよ。あなたは、なんか極端な個人主義者みたいだけど、だったら、勝手に一人で生きて下さいよ。生きてみなさいよ。生きられませんよ? そんな理屈通りには、人間は。ほら、よく言うじゃありませんか? 人は一人では生きて行けないって。そんなのあたりまえですよ。小学生だって知ってます。
男   ええ‥‥。なんで、なんでそんなに怒るんですか?
女   あなたの話を聞いてたら、だんだん腹が立ってきたんですよ。
あなたには譲り合いの精神っていうのがないんですか? 人間ってね、そんなに自分の思い通りには生きられないんですよ。お互いに譲り合って、我慢して生きてるんですよ。誰だってそうですよ。
だって、そうでしょ? みんなが好き勝手にやってたら、家族どころか、社会だって成り立たないでしょ? 世の中がバラバラになっちゃうじゃないですか?
男   いや、だから、バラバラなんですよ。本質的に。究極的に、人間なんて、わかり合うことなんかできやしないんです。
あなた「共同幻想論」って知ってます? ほら、吉本隆明の。
女   だから、もう、そういう屁理屈はいらないって言ってるでしょ!
男   吉本隆明が屁理屈だって言うんですか?
女   そんなことは言ってません! ‥‥ほんと、わかんない人ですねぇ。そんなトシまで生きて来て、どうしてそんなこともわからないんですか? 情けないと思わないんですか?
あなたみたいな人が、コンビニの店員の女の子に土下座させたりするんです
よ。そういうを老害って言うんですよ。知ってます?
男   老害って‥‥。私は、まだそんなトシじゃありません!
女   老人はね、みんなそう言うんですよ。「人を年寄り扱いするな!」ってね。それが、もう老害の始まりなんです。
男   そんな‥‥。
女   土下座だけならまだいいです。あなたみたいなジコチューの人が、自分の思い通りにならないからって、人をナイフで刺したり、車で小学生の列に突っ込んだり、爆弾を爆発させたりするんです。他人の迷惑なんか全然考えてないんだから。
男   そんなむちゃくちゃな。
女   むちゃくちゃじゃありません!
いいですか? ‥‥言っときますけどねぇ、地球はあなたを中心に回っているんじゃないんです!
男   !

   長い沈黙。

男   ‥‥十年ひと昔、か。
女   え?
男   十年ひと昔って言うじゃありませんか?
女   ええ‥‥言いますね。
男   十年前に九十歳だった母親が、百歳になって、そして死んじゃった。
女   ‥‥‥。
男   そういうことなんですねぇ。
女   え?
男   さっき、わたしのこと、老害って言ったでしょ?
女   ああ。‥‥ちょっと言い過ぎました。すみません。
男   いや‥‥今の私が老害なのかどうかはわかりませんけど、そのうち老害になる可能性は確かにあるよなあ、って、思ったんですよ。
女   ああ‥‥そうですか。
男   そうなんですよねぇ。‥‥母親が耳が聞こえなくなって、私のこともわからなくなって、ほとんど目が見えなくなって‥‥‥。そういうのは見てきたし、ちょっと思うところもあったりはしたんですけど、トシを取るのは母親だけじゃないんですよね。その間に、自分だって、確実にトシを取って、確実に老化してるんです。‥‥でも、そういうのって、案外気付かないものですよね。
女   ああ‥‥、まあ、そうですね。
男   十年ひと昔。‥‥九十だった母親は百歳になって死んじゃったし、五十五歳だった私は六十五歳になって、まだ生きてる。ほんと、月日の経つのは早いですねぇ。
女   ええ、そうですね。
男   学校で「光陰矢の如し」とか「歳月人を待たず」って言葉を習うじゃないですか?
女   ええ、習いましたね、
男   で、光陰って光と影じゃなくて、太陽と月のことで、それが何百回、何千回も出たり入ったりするということで、月日とか時の流れという意味になったんだって。ああそうなのか、って思って、ちょっと利口になった気がしました。
それから、高校で「諸行無常」っていうのも習いますよね。たぶん「平家物
語」か「方丈記か」か「徒然草」なんかで。何だったら、教えてたりもするんですけど。
女   ああ、高校の先生でしたね。‥‥国語の先生なんですか?
男   ええ、まあ。
それで、諸行は無常なのかあ。全てのものは移ろい行き、生きとし生けるものは死んで消えて行くのか。仏教って深いなあ、とかね。思いませんでした?
女   さあ。‥‥私、古典はあんまり好きじゃなかったから。
男   でね‥‥そんなことを考えて、わかったつもりになってたんですが
ね、実は全然わかってなかったんだって、最近になって気付きました。
女   え? そうなんですか?
男   はい。お恥ずかしい話ですが。‥‥さっき、あなたがおっしゃってた机上の空論ってやつですよ。頭の中で、理屈でわかっていても、体でわかっていない。実感としてわかっていないんです。‥‥やっぱり、机上の空論じゃダメですね。
女   ああ‥‥そうなんですか。

   間。

男   ‥‥やっぱり、死ぬんですよね?
女   え?
男   やっぱり死ぬんだよなあ‥‥。私もあなたも。
女   え? ‥‥あの。‥‥どうかしました?
男   というセリフが、十年前の芝居にあったのを思い出しました。
女   え? ‥‥ああ‥‥ああ、お芝居の話ですか?
それならそうと言って下さいよ。びっくりするじゃないですか。突然、この
人、どうしちゃったんだろう? って思いましたよ。
男   まあ、今でもその気持ちは変わらないんですけどね。
女   え? 気持ち?
男   やっぱり死ぬんだなあっていう気持ち。
女   ああ、その気持ちですか。
男   でも、変わってないようでいて、ちょっと変わって来た感じもするんですよね。
女   その‥‥気持ち、が‥‥ですか?
男   はい。その気持ちが、です。
女   どんな風に?
男   やっぱりね、六十にもなると、結構死んだりするんですよ。まわりの人がね。友だちとか、昔の同僚とか。
女   ああ。
男   ほら、平均寿命とかあるじゃないですか? 日本は八十歳超えてて、世界で一番だとか二番だとかいうやつ。
女   ああ、ありますね。
男   でも、結構六十代とかで死ぬんですよね。ほら、芸能人なんかでも五十八歳でガンで死んだとか、六十五歳で大動脈解離だったとか、そういうニュースがあるでしょ?
女   ああ、そうですね。結構そういうの聞きますね、最近。
男   それで、あれ? おかしいんじゃないの? 八十歳まで生きられるんじゃなかったの? とか思ったりもして。
女   ああ、なるほど。
男   で、誰かが言ってたんですが、六十代ってひとつの山場なんですってね。六十代で結構な数の人が死ぬみたいで。それで、生き残ったヤツが八十まで生きるんだって。‥‥まあ、ほんとかどうか知りませんけど。
女   ああ、そういうのはあるかもしれませんね。
男   え、ほんとなんですか?
女   いや、別に医学的なデータを調べたわけじゃありませんよ。あくま
で、一般的な感想です。
男   ああ、そうなんですか。お医者さんが言うとドキっとします。
女   まあ、そうですね。以後、発言には注意します。
男   まあ、そんなのはどうでもいいんですけど、自分も六十代になって、知り合いも死んだりして、母親も死んで、いや、母親は百歳だからちょっと違うんですが、何だかリアリティがかなり違ってきたなあって。
女   リアリティ?
男   死のリアリティですよ。ああ、オレは死ぬんだなあって思う、そのリアリティというか、重さがね、全然違うんですよ。五十五歳と六十五歳とでは。今思えば、十年前は、わかったつもりでいて、それで、まだ往生際の悪さがあったような気がするんですよねぇ。お前はまだまだ甘かったな、若かったな、ってね。
♪あの時君は若かった~ わかってほしい 僕の心を
女   ‥‥‥。
男   今はね、逃げも隠れもせず、自信を持って言えますね。オレは死ぬんだぞー! って!
女   え?
男   いやあ、そんなの自信を持って言われても困りますよね?
女   はあ。まあ。
男   でもねぇ、トシとると、あんまり自信持てることがなくなりまして
ね。そんなことぐらいにしか自信が持てなくなったりして。ほんと哀れなもんですよ。
女   ああ‥‥そういうもんですかねぇ。
男   ええ、そういうもんです。
だから、というわけでもないんですが、私、自分の葬式というのを時々考えまして。
女   え? ご自分のお葬式を、ですか?
男   ええ。自分の葬式の完全演出ってのをやりたいんですよ。ほら、一応長年芝居やってて、演出とかもしてるわけだから。‥‥そいういう夢があるんです。
女   夢? 自分のお葬式の夢ですか?
男   ええ、そうです。夢です。男のロマンと言ってもいい。
女   男のロマン、ねぇ。
男   ほら、最近、家族葬がやたらと多いじゃないですか? テレビでも、しょっちゅう家族葬のCMやってますよね。♪小さなおそーしきとか、生きるお葬式♪典礼会館、とか。
女   ああ、確かにそうですね。
男   やっぱり、長生きの人が多いんですよ。長生きして九十とか超える
と、お葬式に参列する人が、もうほとんどいないんですよ。友だちももう死んでたり、死にかけてたりしてるもんだから。
女   死にかけって‥‥。
男   でもねぇ。せっかく死ぬんだから、できれば派手に、かっこよくやりたいじゃないですか? ほら、私なんか生涯独身なものだから、妻も子供もいないし、下手したら直葬ですよ。あの、直葬ってご存じですか?
女   いえ、知りません。
男   遺体をね、直接火葬場に持って行くんですよ。京都なら、京都中央斎場ですね。あの五条坂から山科の方へずっと登って行った山の上の。
女   ああ、ありますね。
男   そこに棺桶を持って行って、火葬場の職員さんか、葬儀会社の人が
「それではお別れです」って、棺桶を火葬炉のローラーに乗せて、ドアが閉まって、それでゴウーって焼いちゃう。それでおしまいです。
女   ああ、そんなのがあるんですか? お葬式とかなしで?
男   はい、あるんです。これが、生活保護とか受けてる人ならタダでやってもらえます。まあ、私はお金は払いますけどね。葬儀会社にもよるんですが、安いところだと六万五千円ぐらいからやってます。
女   へえ、そんなに安いんですか。
男   まあ、この直葬は極端ですけどね、そういうのイヤじゃないですか? もう時代錯誤とか言われてもかまわないから、お金をかけて、思いっきり派手にやりたいんです。かっこいいフライヤーを作って新聞にはさんだり、DMをバンバン発送したりして。
女   あの‥‥お葬式の話ですよね?
男   もう、ロームシアターとか貸し切ってね、知り合いの照明さんとか、音響さんにお願いして、思いっきりかっこいい舞台にしてもらって、ムービングライトとか、プロジェクトマッピングなんかも使いたいなあ。
女   あの‥‥お葬式ですよね?
男   それで、一番の見せ所は、弔辞なんですよね。もちろん、勝手にしゃべらせたりはしません。私がしっかりと脚本を書いて、細かく演出もして、ここで、間をあける、とか、ちょっと声がつまる、とか、ここはあえて笑顔で話した方が泣けるから、とか、ここは、思い切り小さな声で詰まりながらたどたどしく話す、とか、そういうのを完パケで決めちゃうんです。何なら、ゲネプロをやってもいい。
女   あのう‥‥。お葬式の話ですよね?
男   いや、夢の話ですよ。あくまで夢です。‥‥そういうのができたらいいなあ、って。
女   ああ‥‥夢‥‥ですか。ちょっと安心しました。
男   でもね。‥‥実は、ひとつだけ、ほんとに実現したいことがあるんですよね。
女   え? 何ですか、それ?
男   ほら、お葬式が終わって、棺桶を霊柩車に詰め込んで、火葬場に出発する時、パーンってクラクションを一発鳴らすじゃないですか? 映画なんかではよく見るシーンだけど、私は見たことないんですけどね。あれは、関東の風習なのかな?
あの、パーンが鳴った瞬間に、音楽を鳴らしたいんですよ。
女   ああ。そういうシーン、映画でみたことありますね。まあ、音楽は、映画のBGMですけど。
男   そうそう、そういう映画みたいな感じにしたいんです。‥‥それで、その音楽も、ずっと前から決めてるんです。
女   へえ、そうなんですか。‥‥その音楽って、何です?
男   「いちょう並木のセレナーデ」。
女   え、オザケンのですか?
男   はい。オザケンです。
女   いやあ、オザケンは私の青春の音楽なんですよ。‥‥でも、あなたの世代とはちょっと違うでしょ?
男   ええ、そうなんですが。‥‥昔々、まだ演劇をやり始めた頃に、当時の劇団の作・演をやってたやつが、フリッパーズギターとかオザケンが好きでしてね。たぶん、あなたと同世代ぐらいだと思うんですが。その時、私は音響をやってまして、芝居の山場で、この「いちょう並木」を鳴らすという演出があったんですよ。それで、何回も聞いてるうちに、ああ良い曲だなあって思っちゃって。
女   良い曲ですよ。私も大好きです。‥‥オザケンかあ。懐かしいなあ。
男   じゃ、ちょっと歌ってみたりします?
女   え?
男   ちょっと、ちょっと待ってて下さいね。
女   え?

   男が、袖にはける。
   女は呆然としてる。
   男がギターを持って、戻ってくる。

女   あ、そんなのまで用意してたんですか?
男   じゃ、行きますよ。
女   え? 歌うんですか?

   男、ギターを弾き始める。
   男と女、歌う。

二人  ♪きっと彼女は涙をこらえて 僕のことなど思うだろ
    いつか初めて出会った いちょう並木の下から
    長い時間を僕らは過ごして 夜中に甘いキッスをして
    今は忘れてしまった たくさんの話をした
    もし君がそばにいた 眠れない日々がまた来るのなら
    はじける心のブルース ひとりずっと考えてる
    シー・セッド
    アーアーアー アイム・レディー・フォー・ザ・ブルー
    シー・セッド
    アーアーアー アイム・レディー・フォー・ザ・ブルー

男   このたびは、誠にご愁傷様でした。

   男が深々とお辞儀をする。

女   え?
   
   男、ギターを持って、去る。

女   え?

   女、呆然と、去って行く男を目で追う。

女   何なの、これ? ‥‥変なやつ。

   音楽。
   暗転。




   明かりがつくと、女はイスに座ったまま。

女   あ、どうも。こんにちわー。今更って感じもしますけどね。
えーっと、ミズキって言います。まあ、チラシやパンフにも書いてあります
が。えーっと、もちろん名字もあるんですが、役者としては、とりあえず、ミズキでやらせてもらってます、ということで。芸名? うーん、まあ、そんな感じですかねぇ? はい。
ということで‥‥‥あの、実は、作者の人に、「自分のことしゃべって」って言われまして。
何か、変な芝居ですよねぇ。こんなのいいんですかねぇ? 「楽屋落ち」って言うんですか? 芝居の中で「これはお芝居ですよ」みたいに言うのってアリなんですかねぇ? ちょっと反則じゃないかって、私は思うんですけど。
「楽屋落ちじゃなくて、メタ表現なんだ」とか、作者の人はおっしゃるんですが、そうなんですか? 単なる手抜きじゃないかなあ? って思ったりして。
いや、もちろんそんなことは言いませんよ。言いませんけど‥‥‥ねぇ。
まあ、そんなことばっかり言ってても仕方ないので‥‥。

あの、いきなりですが、ちょっと自慢話をします。
この前、東京の小学校で事件がありましたよね? あの、生徒のママ友の男が二人、授業中の教室に乱入して暴れたって事件。結構テレビでもやってましたよね? あの小学校、実は私の母校なんです。ほんとは喜んじゃいけないんでしょうけど、やっぱり自分の学校が全国ニュースになったら、誇らしいというか、うれしいというか‥‥やっぱり、ちょっと不謹慎ですね。すみません。
ということで、私は実は東京の人でして。まあ、都心の人からしたら「はあ? あそこが東京?」って言われるんでしょうけど、一応、東京都でして、中央線の特別快速に乗ったら、新宿まで三十分以内で行けます。特別快速で三十分ということは、まあ、関西で言ったら、京都駅と大阪駅ぐらいの距離ですね。ね、十分東京でしょ?
で、そんなチャキチャキの東京っ子だった私が、親の仕事の関係で京都に引っ越して来ました。
それで、まあ、いわゆるカルチャーショックの洗礼を受けたわけです。ぶっちゃけ言っちゃうと、「関西弁ショック」ですね。
初めに言っちゃいますけど、私、関西弁、苦手なんですよ。苦手というか、嫌いと言っても過言ではない。いや、憎いって感じ? もう何十年も関西で暮らしてるくせに、未だにやっぱり慣れないんですよね。
あ、別にケンカ売ってるんじゃないんです。‥‥いや、売ってますよねぇ。‥‥もう、どっちでもいいです。
まあ、ねぇ、いろいろと思い出がありますねぇ。想い出したくない思い出。人間って因果なもので、うれしいこと、楽しいこともそりゃもちろん覚えてるんですが、イヤな思い出は絶対忘れませんよね。忘れたくても忘れられない。そういうトラウマみたいなのがたくさんあります。
さっき言ってた東京の小学校は、二年生までいたんですけど、アクセント辞典というものが置いてあって、先生に「国語の教科書を朗読する時なんかは、NHKのアナウンサーみたいな標準語のアクセントやイントネーションで話しなさい。ここは東京でも西の方だから標準語ではないからね」ということなんかを言われて、「へえ、そうなんだ。おもしろいなあ」と思っていたのに、京都に引っ越して来たら関西イントネーションで「せんせいあのね」と国語の教科書を読み、先生が関西弁で授業をするんですよね。
だから、みんな、違うアクセントやイントネーションをバカにする。特に東京の言葉はもう敵視って言ってもいいくらい。みなさんも記憶があるでしょ? 
東京の子が転校してきた時「かわいがって」あげた思い出が。もう、小学生アルアルですよね?
例えば、私が挨拶しただけで「みづきちゃんの挨拶ってなんか爽やかなんだよねー」と笑われました。
いや、もちろん関西弁でですよ? この時はたぶん
林の声 「みづきちゃんの挨拶、めっちゃ爽やかやなー」
女   って笑われたんだと思うんですが、私は関西弁ができないのでそう聞こえなかったんです。
林の声 「バカって言うたで、この人」
女   とかいうのもありました。アホって言えばよかったんですかね?
そんなのが毎日一杯あって、先生も気づいたらしくて、帰りの会の時に
東の声 「そんないけず言うたらあかんぞ」
女   って先生が言うと、クラス中がドッと笑いました。
一つも意味がわからなくて、泣きそうになったのは、今でもはっきり覚えています。今でも泣けるほど嫌でした。
とにかくもう京都にいたくなかったです。
いつもいつも「言葉がおかしい」と言われるので、隣の子がしゃべっている言葉を学習して使ったりしました。
それで、「バリバリしんどいわー!」とか言うと、「‥‥それは男の子の言葉だよ‥‥」とドン引きされて、「ああ無駄な努力だった」と絶望しました。
関西弁は助詞をたてるので、特に発表の時などは何を言ってるか全く聴こえないので、みんな結局何も中身を聞いてないのか? これで聞こえるとしたらやはり特殊能力‥‥? の世界でした。
「たかつきし」とか「うつくしい」とか、私が発音すると音が消えてしまう。みんなのは全部聴こえるのに‥‥
私は発音がおかしいのかもしれないと悩み続けて、だから自分が発表する時
は、分かりやすく、伝わりやすく、を心がけるようにしていました。そうすると、先生には受けて、そして生徒には疎まれる結果になりました。
みんなの前で褒めるの、ほんとやめてほしかったです‥‥ただの方言の違いなのに、ていつもモヤモヤしてました。
こういう思い出の全てが、私の関西弁嫌いに通じています。
人生は楽しかったけど、毎日一二〇%でがんばりすぎて疲れました。子供の頃の昔に戻りたいかと問われたら、絶対に戻りたくないです。二度とあれだけのエネルギーで生活できないです。
考えてみたら、結局、言葉そのものというより、いやな経験をしたというだけなので、引っ越し先が、もし関西でなかったとしても、そこでも同じことを経験していたら、そこの言葉は嫌いになっていたかもしれないですね。
‥‥ということで、私の関西弁嫌いのお話でした。ご不快に思われた方がいらっしゃいましたら、誠に申し訳ありません。

   女、礼。そして立ち上がる。

林の声 「ミズキちゃん、めっちゃ話上手やん!」
東の声 「ほんまほんま。バリバリうまいやん!」

   女、一瞬顔をしかめるが、何事もなかったかのように去る。

   教室の騒がしい声がフェードイン。




   学校のチャイムが鳴る。
   騒がしい声は続いている。

   男が入って来る。
   男は中央に仁王立ちする。

男   もうチャイム鳴ったぞ。

   騒がしい声。

男   もうチャイムが鳴ってから一分以上経ってるぞ。

   騒がしい声。

男   ビー・サイレント。エブリバディ。

   騒がしい声。

男   エブリバディ・スタンダップ・プリーズ。

   騒がしい声。

男   シャラップ! シャラップ! シャラップ! シャラップ!黙れ! 
黙れ! 黙らんか! アホ! ボケ! カス!

東の声 わ。教師がアホ、ボケ、カスって言いよった。
林の声 言いよった! 言いよった!
二人の声 ゆーたろ、ゆーたろ、せんせーにゆーたろ。
男   お前らアホか? オレが先生や。
林の声 その先生が、生徒に向かってアホボケカスなんか言うてええんです
か?
男   うっさい。黙れ。
エブリバディ・スタンダップ・プリーズ!

   沈黙。

男   エブリバディ・スタンダップ・プリーズ! さっさと立たんか! ア
ホ! ボケ! カス!
東の声 あー、また。
男   グッモーニング! ヤンキーズ!
東の声 ‥‥え?
林の声 はあ?
男   シッダウン・プリーズ。シッダウン・プリーズ・ヤンキーズ。
林の声 ‥‥あのう?
男   なんや?
林の声 今、何て言いました?
男   え? ああ、そやから、シッダウン・プリーズ・ヤンキーズ、やな。さっさと座らんか! ちゅうこっちゃ。
林の声 その、最後のヤンキーズって何なんですか?
東の声 そうそう。それ、何なんですか?
男   君らは、ニューヨークヤンキースも知らんのか?
東の声 ええ? それなんですか? それ、何の関係があるんですか?
男   関係はな‥‥ない。あるわけないやろ?
東の声 え、そやったら何?
男   うそや、うそや。ヤンキーズはな、ヤンキーの皆さんっちゅうこと
や。
東の声 え?
林の声 そんなん、ますますわかりませーん。
男   何でや? 何がわからん?
林の声 だって、私たちはヤンキーじゃありませーん。
東の声 そやそや。ありませーん。
男   ヤンキーではない? ‥‥それ、ほんまか?
林の声 見て、わかりませんか?
男   うーん、わからんなあ。
林の声 うわっ、失礼な人やなあ。
東の声 ほんまほんま。マジむかつくわ。
男   お、いいねぇ。「マジむかつく」か。いかにもヤンキーっぽくてよろしい。
東の声 えー。
林の声 このおっさん、何言うてんの? ちょっと調子こきすぎちゃう?
男   いいね、いいね。そういうヤンキー発言、先生は大歓迎だよ。
林の声 うわ、‥‥あかんわ。‥‥ちょっと黙ってよ。
東の声 え? 何で?
林の声 うちらが言えば言うほど、こいつ調子に乗りよるで。
東の声 ああ‥‥なるほど。そう言えば、そやな。
林の声 そやろ? そやからな。
東の声 うん、わかった。
男   え? やめんの? ‥‥ああ、そう。‥‥それは残念やな。せっかくヤンキーの話をしようと思てたのに。
林の声 ヤンキーの話?
東の声 何、それ?
男   今日の授業のテーマはやな、ズバリ「ぼくらはみんなヤンキーだ。ヤンキーは地球を救う」‥‥です。
東の声 何、それ?
林の声 せんせー、頭、大丈夫?
男   ありがとう。先生の頭は大丈夫だよ。絶好調だ。先生は校長先生じゃないけど、絶好調です。
東の声 しょーもな。
男   ほなら始めるで。‥‥えーっと、皆さん、今、日本では少子高齢化が問題になってますね。知ってますか?
林の声 知ってまーす。
男   高齢化はわかりますね。世の中がジジババだらけになってしまうということですね。
東の声 ジジババって。
林の声 そやから。
東の声 ああ、そやったな。
男   じゃあ、少子化とは何でしょう?
東の声 ガキがおらんくなること。
林の声 こら。
東の声 ごめん。
男   そやね。子供が生まれないんですね。子供が生まれなくて、ジジババだらけになったら、どうなるでしょう?
東の声 ジジババが日本を支配します。
男   なるほど、それは良いことに気がつきましたねぇ。でもね、日本は、もう既にジジババが支配しているのです。残念でしたね。‥‥で、日本はどんどんジジババの国になっているのですが、それが永久に続くわけではありません。それは何故でしょう?
東の声 はい。ジジババがくたばります。
林の声 こら、また。
東の声 ごめん。
男   そうですね。お年寄りはやがてお亡くなりになります。‥‥子供が減って、お年寄りが亡くなるとどうなるでしょうか?
東の声 人口が減ります。
男   そうですね。人口が減ってしまいます。今、日本にはオクセンマンの人がいますが、
林の声 せんせー、オクセンマンって何ですか?
男   えー、知らないの? ヒロミ・ゴーの大ヒット曲じゃん。2億4千万の瞳。♪出会いは億千万の胸騒ぎー。エキゾチーク・ジャパーン! ジャパーン!
林の声 えー、日本の人口は二億四千万人なんですか?
東の声 あほ。その半分やて。目は二個やろ?
林の声 せんせー。この人、私のこと、あほって言いましたー。
男   はいはい。トイレ行くなら、さっさとしてね。
林の声 せんせー、ちゃんと聞いてる? 耳、大丈夫?
男   はい。校長じゃないけど、絶好調ですよー。‥‥それでね、いろんな計算があるんですが、日本は将来、八千万人になるとか、五千万人になるとか、言われています。人口が減っちゃうと、いろいろと困ることがありますね。どんなことがありますか?
東の声 えーっと、コンビニが潰れます。
男   何でコンビニやねん。君らは視野が狭すぎるっちゅうねん。あのね、人口が減るとね、セカンドストリートが潰れるんです!
東の声 何でセカストやねん!
林の声 そやそや。
男   だって、先生、服はセカンドストリートの税込み五五〇円の服って決めてるんです。セカストが潰れると困るんです。
林の声 せっこー。
男   でね、話を戻すと、どうして子供が生まれないか? が問題なんですよね。どうしてですか?
東の声 はい! それはですね、
林の声 せんせー、この人スケベなことを言おうとしてまーす。
東の声 まだ、何も言うてへんやんけ!
男   はい、一応授業中ですから、下ネタはやめて下さいね。
東の声 だから、まだ‥‥。
男   まあ、結婚年齢の高齢化とか、共働きとか、教育費が高いとか、いろいろありますね。そうそう、先生みたいに、結婚しない人間なんかもかなり増えて来ていて、恐い女性国会議員なんかに「生産性がない」とお叱りを受けています。
ですが。‥‥ですが、ここに救世主が現れました。救世主、メシアです。それは誰でしょう?
東の声 ジーザス・クライスト・スーパースター!
男   オー! ジーザス! 残念ながら、キリストさんは二千年以上前にお亡くなりになっていますね。‥‥だったら?
林の声 仏様?
東の声 お前、適当に言うてるやろ?
林の声 せんせー、この人、私のこと、お前って言いましたー。
男   お前というのは、元々敬語なんですよ。なにせ「お」が付いていますからね。天皇陛下とか、すごく偉い人のおそばって意味です。京都には御前通りというがあるでしょ?
貴様なんてのも同じですね。「たっとい」上に「様」ですからね。何で今みたいな使い方になったのでしょうねぇ?
きさまら!
二人の声 うわっ。
男   うーん。やっぱり、全然「たっとい」感じはしませんねぇ。‥‥え
ー、それはともかく、では、その救世主、メシアとは誰なのか? 呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン。ここでいよいよ、本日のテーマ、「ヤンキーは地球を救う」の話の登場です!
東の声 え? まさか、救世主って‥‥
林の声 ヤンキー?
男   そうです! 我らがヤンキーこそが、救世主、メシアなのです!
二人の声 えー!
男   ‥‥ということなのですが、これだけ漫談をダラダラ続けたら、さすがにお芝居の緊張感がだだ下がりになってきましたので‥‥。
林の声 漫談って‥‥。
男   とりあえず、ここらで、ビー・コンティニュード! 続きは、またのお楽しみ。
林の声 えー、まだやんの?
東の声 あんたも好きねぇ。

男   では、またお会いしましょう。

   男、手を振る。
   音楽。
   暗転。




   女が座っている。

女   またまたこんにちは。またまたミズキ・オンステージのお時間とな
りました。
今回のお題は、「私は実は透明人間なんです」です。
何言ってんの? 頭がおかしくなったの? とご心配下さる方もいらっしゃるかと思いますが、まあ、とりあえず最後まで聞いて下さい。
さて、さて、その昔、と言っても十年前くらいかな? 十五年前ぐらい? とにかく、若い人の間で「コミュ障」という言葉が流行ってました。最近、あんまり聞きませんよね? なぜでしょう? 私が思うには、たぶん、珍しくなくなったから、ということじゃないでしょうか? つまり、世の中、「コミュ障」が増えすぎて、デフォルトみたいになっちゃったから、わざわざ言う必要がなくなった。
これと似たので、「オタク」という言葉がありますよね。知らない人もいると思うけど、一九九〇年代くらいは、「オタク」って、たぶん差別用語だったんです。その頃、何か、幼い少女をさらって殺しまくるというとんでもない事件があって、その犯人の家にアニメのビデオがいっぱいあったとか、まあ、そういう関係で、「オタク」は「ヤバい人」「危ない人」というイメージがあったんですよね。
ところが、これもすっかりデフォルトになっちゃって、「私、実はオタクなんです」なんてギャグでしか言わなくなりました。
何でこんな話を始めたかと言うと、実は、私、「コミュ障」だったんです。しかも、かなり重症の。
昔から、今でもですが、よく「変わってる」とか「変な人」って言われるんです。自分自身でも、そうかなあという自覚もあります。
で、たまに、何で私は変なんだろ? と思うことがあって、まあ、もちろん原因を一つには絞れないんですが、「家庭環境が変わっていた」というのは絶対外せないなと思うんです。
うちの家、両親共にちょっとふつーの両親じゃなかったんです。幼い頃の父親の記憶としては、いつも、雪駄とお弁当箱を新聞紙で包んで持ってどこかに出かけて行く。毎日、黒い服を着てて、夜になるとワンカップのお酒を飲んでて、時々知らない人がうちのマンションにやって来て、朝までマージャンをしている、とか。ね? ちょっと普通と違うでしょ?
保育園で、「ミズキちゃんのお父さんはサラリーマンなの?」と聞かれて、サラリーマンの意味がわかんなくて、「毎日スーツを着て会社に行ってる人」って言われて、うちは黒い服を着て、雪駄とお弁当を新聞紙に包んでる。ああ、うちはダメだ。まずい仕事をやってるんだ、って思いました。
母親の方も、劇団関係の仕事をしていたものだから、母親の職場の楽屋で遊んでたら、「うるさくしたらつまみ出すぞ」って知らないおじさんに言われて。
この世にはとんでもない世界があるんだな。ああ、私はつまみ出されるんだ。私は今日で終わりだー、とか思ってました。
そんな家で育ったので、子供心にも、うちの親は変わった仕事をしていて、うちにはあんまりお金がないんだ、とは気づいてましたね。母親と一緒におもちゃ屋さんに行ったことがあって、子供だから「あれほしいー」とか言うじゃないですか? すると、母はいつも「そうねぇ。あれほしいねぇ。いいねぇ」とだけ言うんです。ただそう言うだけで、買ってもらえたことはありませんでした。
だから、小学校に入学する時、「勉強机を買おう」という話になって、これは大変だ。そんなの買ったら、うちは破産する、これは絶対阻止しなければと思いました。それで、たまたま家にちょうど机ぐらいの高さの食器棚があったので、「これを机にしたい! これがいいの!」とわがままを言って、結局その食器棚が私の勉強机になりました。親は「変な子」って言ってましたけど。
でも、当時流行ってたキキララの下にランドセルが入るイスだけはほしくて、「キキララのイスだけ買って!」とお願いしました。それで買ってもらえたのですが、そのキキララのイスは、折りたたみ式のパイプ椅子のやつだったので、めちゃくちゃショックでした。でも、私は「わあ! キキララだ! うん! これ! ありがとう!」って喜びました。
そういう、たぶん、かなり変わった家庭環境が影響してたのかどうかはよくわからないんですが、保育園の頃から、気づいたら一人でしゃべってることが多くなりました。別に独り言というつもりはなかったのですが、私が何かをしゃべってたら、誰も聞いてなくて、「あ、また一人でしゃべっちゃった」と反省する、って感じでしたね。
この「私がしゃべっても誰にも聞いてもらえない」という感覚は、その後、ずーっとありますね。私は、いてもいなくてもおんなじ、いてもいないんだという感覚? それは、特別に悲惨とかかわいそうとかではなくて、私の人生のデフォルトになってたような気がします。それが普通という感じなんです。
小学校の社会見学でパン工場に行ったことがあります。工場の人が、できたてのパンをちぎって渡してくれるんですが、その時も「私には回ってこないだろうな」と思ってました。そしたら、意外にも、私のところにも回って来ました。ただ、みんなはひとかけらずつもらってたのに、私のだけ小指の先ほどのゴミみたいなやつで、「やっぱりなー」と思いました。
そういう経験はずーっと続いていて、ほら、中学の卒業式なんかで、後ろの黒板にみんなの名前を書いて、派手にデコレーションなんかして、「ありがとう! みんなずっと友だちだよ!」みたいなのを書いたりするじゃないですか? あの時も、なぜか私の名前だけなくて、そのことに気づいた時、ショックを受けるというより、「やっぱりなー」と思って、恥ずかしくなりましたね。
やっぱり、変ですね。私。
この手の経験は、もういちいち言いませんけど、大人になっても結構な頻度であって、名簿に「自分の名前だけない」というのには、すっかり慣れちゃいました。
「ああ、やっぱり、私はいないんだ」って。そう思うんです。
‥‥というのが「透明人間」の正体なんですが、ああ、そうそう「コミュ障」の話でしたね。
これはね、今話してた「私が話しても誰も聞いていない」というのが根っこにあると思うんですが、人と話すのが苦手というより、人の話がわからないというか、興味がないというか、面白くないというか、そんなのがあるんですよね。
中高生なんかは、テレビの話とか、アイドルの話とか、スイーツの話なんかで盛り上がるじゃないですか? でも、そういう話とか話をする雰囲気に付いていけないというか、興味が全くないというか話がずれちゃうというか。
だから、「周りから見て浮いてないか」ばっかりが気になって、自分の意見を言うのが怖くなっちゃった、みたいな、そんな感じだったような気がします。
あと、「二回目人見知り」というのもあります。この「二回目人見知り」というのは、とにかく初めて会う人には百二〇%の全力で話しちゃう癖があって、そうすると、もう二回目に会うのが怖くなるんです。
あと、そうですね。記憶力の問題もあるかな? 人の顔を覚えられないというか、すぐに忘れちゃうんですよ。「あ、○○さん」って人に声をかけたら、違う人だったなんてのは、結構しょっちゅうあります。だから、以前会ったことのある人が、すっと私の名前を呼んだりすると、「えー、覚えてて下さったんですか? 超能力者ですか?」みたいに思っちゃって、それに近いことをその人に言っちゃったりもして、かなり気味悪がられます。
‥‥とかとか。‥‥あれえ、何のオチもありませんねぇ。ちょっと暗い話みた
いになっちゃったし。
ごめんなさい。次までには、もうちょっとおもしろくなるようにがんばりま
す。長々としゃべって失礼しました。ご静聴ありがとうございました。

   女、礼をして去る。

   音楽。
   暗転。




   男が立っている。

男   ‥‥ええっと、それで、何やったっけ? ああ、そうそう、何でヤンキーが救世主、メシアなのかっちゅう話やったな。
東の声 え、もう始まってんの? 続き。
男   ああ、そや。ちょっといきなりすぎたかな?
すんません。突然ですが、ここからさっきの話の続きです。
林の声 さっきの話、ちょっと言うとかんと。
男   ああ、それもそうやな。‥‥ええっと、少子高齢化で日本の人口が減ると、セカンドストリートが潰れて困るんですわ。
東の声 そんな説明やと、余計にわからんくなるやん。そやから、吉野家かすき家か松屋か、そのうちの一つか二つなくなるねん。
林の声 あほか。それやともっとわからんようになるやん。
東の声 せんせー、この人、ボクのこと、あほって言いましたー。
男   トイレやったら、すぐに帰って来いよ。大きい方やったら、ちょっと我慢して。
林の声 そんなん、我慢できるわけないやん。人権侵害や。
東の声 そやそや。もう辛抱たまらんわ。
林の声 えー、あんた、ほんまにトイレなん?
東の声 冗談ですがな、冗談。
林の声 なんやねん。言うんやったら、もうちょっとおもろい冗談言うて。
東の声 せんせー、この人、ボクのこと、おもんないって言いましたー。
男   まあ、それは事実やから、甘んじて受け入れなさい。
東の声 えー。
林の声 ざまあ。
東の声 くそー。
男   そやから、大きい方やったら我慢して。
二人の声 しょーもな。
男   オホン。‥‥全然話が進まんやん。‥‥えーっと、しょうもないネタばっかりで、時間が押し気味なので、話をかいつまんで言います。つまりですね、日本では子供が生まれなくなって、いわゆる合計特殊出生率が一・二を下回ってますが、そこはどっこい、ご存じかと思いますが、ヤンキーの皆さんは繁殖力が旺盛なので、
東の声 繁殖力って。そういう言い方はないと思います。
林の声 合計特殊出生率って何ですか? 普通の出生率とどう違うんですか?
男   良いところに気が付きましたねぇ。特殊出生率の「特殊」とは何か? 先生も前から気になっていたので、ググってみました。するとですね‥‥残念ながら、よくわかりませんでした。‥‥人口統計学って言うんですか? あれって何かよくわかんないですねぇ。ほら、コロナの時にも、「超過死亡数」とかいう聞いたことのない言葉が出て来たでしょ? あれもググったんですが、難しくてさっぱりわかりませんでした。
東の声 そんなんいいので、繁殖力の話をして下さい。
林の声 えー、さっき繁殖力はあかん言うてたやん?
東の声 まあ、ええやん。
林の声 ええかげんやなー。
男   あ、そうですか。繁殖力OKですか? ありがとう。
まあ、とにかくヤンキーの皆さんは、近頃のひ弱で疲れてるかメンヘラ傾向の一般の若者と違って、とても元気で、生命力に満ちあふれていらっしゃるので、とても早くに、多くの場合十代で子供を産み、しかも何人も産んで下さいます。これは、非常に尊いことであります。まさに日本の希望です。もちろん、ヤンキーに限定した出生率調査というのはないのですが、やっぱりね、肌感覚でそういうのを感じているのは私だけではないでしょう?
ですから、ここから大胆な仮説を申し上げますとですね、もう数十年もするとですね、日本の人口の半分ぐらいはヤンキーの系統の人々になります。するとですね、そういう方々は、やっぱり繁殖力が高いというか多産傾向の方々ですからね、いわばねずみ算式に子供が増えて行って、ひょっとすると、人口減少はストップ、もしくは増加に転じるのではないか?と、かように推測するのであります。すなわち、日本はヤンキー国家となって再生するのです!
林の声 ヤンキー国家で再生って‥‥それはそれでどうなんですか?
東の声 だったら、ドンキが増えて繁栄するってことですか?
男   ドンキねぇ。確かにそれはあるかもしれませんねぇ。ドンキはヤンキー御用達ですからねぇ。すると、我がセカンドストリートも安泰かもしれませんねぇ。なにせ、五五〇円で服が買える店って、ちょっとありませんからねぇ。
昔話で申し訳ないですけど、私なんかも、大昔の伝説のバブルの時代には、高島屋で一万二千円のシャツとかふつーに買ってたんですよ。給料が十五万円ぐらいだったのに。そういう時代の雰囲気ってあるんですよねぇ。それが、不思議なことに、給料が増えるにつれて、高島屋の一万二千円が、やがてユニクロの二九八〇円になって、そして、ついにセカンドストリートの五五〇円になったわけです。考えてみると変な話ですよねぇ。
‥‥で、ここから、更に更に大胆な仮説なんですが、最初に言った「ぼくらはみんなヤンキーだ。ヤンキーは地球を救う」の、「ぼくらはみんなヤンキーだ」の話に移ります。
東の声 何なんですか? それ?
林の声 ぼくらはみんなヤンキーだって、私、ヤンキーじゃありませんけど。
男   そう思うでしょ? でも、実はヤンキーかもしれない。正確に言う
と、ヤンキーの子孫かもしれないのです。
林の声 えー。私のうち、別にそういう家じゃありませんよ。親戚にもそういう人はいないし。
男   いやいや、お父さんとかおじいさんとかひいおじいさんとかのレベルじゃなくって、もっともっともーっと大昔、何万年も前の話です。
林の声 えー。何ですか? それ?
男   ほらほら、私たち人類って、ホモ・サピエンスっていうでしょ? 習ったでしょ?
林の声 ああ、そういうのありましたね。
男   でも、人類って、ホモ・サピエンス以外にもいたって、聞いたことありません?
東の声 あ、えーっと、北京原人とか? あと‥‥そうだ。クロマニヨン人?
男   そうそう、そういう別の人類がいたんですよね。大昔には、ほんとにたくさんの種類の人類がいたんだけど、それらが全部滅びて、結局ホモ・サピエンスだけが残った。そういうことらしいんです。どうしてでしょう?
林の声 大昔って、いつ頃の話ですか? 縄文時代とか?
男   まだよくわかってないことも多いんだけど、縄文時代は一万五千年ぐらい前に始まったって言われてますね。ホモ・サピエンスは、三十万年ぐらい前に生まれて、人類がホモ・サピエンスだけになったのは、四万年前ぐらいらしいから、縄文時代よりはずっとずっと前ですね。
林の声 へえ。
東の声 え? ちょっと待って下さい。ホモ・サピエンスは三十万年前に生まれて、四万年前にホモ・サピエンスだけになったんですか?
男   今のところは、そういう風に言われてます。
東の声 だったら‥‥だったら、それまでは、他の人類も一緒にいたってことですか?
男   良いところに気が付きましたねぇ。そうなんですよ。他の人類もいたんです。ネアンデルタール人って知ってますか?
東の声 はい。聞いたことはあります。
男   このネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、かなり長い間、一緒にいたということがわかってます。それどころか、お互いに交雑までしていたということも。
東の声 交雑って?
男   ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの間に子供が生まれていたということです。
東の声 ええっ! マジっすか!
男   マジっす。
林の声 だったら‥‥だったら、そのネアンデルタール人? その人たちは、どうして残っていないんですか?
男   それがねぇ、ずっとナゾなんですよねぇ。昔は、ネアンデルタール人は下等で、それで滅びたと思われていたんですが、最近の研究では、ネアンデルタール人は、石器を作る文明もあったみたいなんです。それどころか、骨とかを調べると、脳の容量がホモ・サピエンスより大きかったこともわかっています。
林の声 ええ? だったら、なんで滅びちゃったの?
東の声 そうだよなあ。なんでだろ?
男   まあ、いろんな説があるんですけど、最近の学説では、ホモ・サピエンスに負けたんじゃないか? つまり、ホモ・サピエンスに滅ぼされたんじゃないか? っていうのが有力になってますね。
林の声 ええ? だって、賢かったんでしょ? その人たちは。
男   まあ、脳の大きさイコール賢さとは言えませんけどね。
東の声 何で負けちゃうかなあ?
男   ここからが、私の大胆な仮説なんですけどね、ズバリ、ホモ・サピエンスがヤンキーだったからじゃないか? って思うんですよ。
二人の声 ホモ・サピエンスがヤンキー?
男   ええ。まあ、ヤンキーっていうと何だけど、より攻撃性が強かったんじゃないかってね。ほら、テストステロンという男性ホルモンがあるんですが、あれがね、攻撃性を高めるホルモンなんですよね。
人類の何万年って歴史を見ると、もうほとんどずーっと戦争とか殺し合いばっかりやってるんですよね。それは偶然じゃなくて、我々人類、つまりホモ・サピエンスには、そういう殺しの本能が備わってるんじゃないかって、どうしてもそう思えてならないんですよ。だから、近所にいた、いわばライバルのネアンデルタール人も当然のごとくに‥‥。
二人の声 えー。
男   まあ、考えてみたら、現代だって、アメリカって国が圧倒的に力を持ってるわけですが、あの国の歴史を見たら、それこそずーっと戦争ばっかりやってる。自分の国でも、インディアンとか南北戦争もあるけど、しょっちゅう外国に軍隊を送り出して‥‥まあ、大胆に言っちゃうと、現代の戦争は、ほとんどアメリカ絡みと言っても過言じゃない。
林の声 えー、そんな‥‥。
東の声 あ、そういえば、ヤンキーって‥‥
男   そう。アメリカ人のことですよね。特にアメリカ北部の人のあだ名ですね。‥‥まあ、単なる偶然だと思いますが。
二人の声 そーなんだー。

   学校のチャイムが鳴る。

男   はい。それでは、今日はここまで。

エブリバディ・スタンダップ・プリーズ。
グッバイ・ヤンキーズ。

   男、深々と礼。
   そして、去って行く。




   メガホンの声。
   女が反対側から出て来る。

女   えー、毎度お騒がせ致しております。おなじみのちり紙交換でございます。ご不要になりました古新聞、古雑誌、ボロなどがございましたら‥‥。
(メガホンを置いて)と、冗談はこれくらいにして。
えー、今度はですね、突然ではございますが、山本さんのお話です。
とか言うと、「山本さんって誰?」とお思いの方もいらっしゃるかと‥‥い
や、当然思いますよね? えーっと、山本さんというのは、何を隠そう、わたくしの小学校の時の同級生でして、もちろん、現在もご健在なので、仮名なのですが。
まあ、仮名だったら、A子さんでもB子さんでもいいんですけど、A子さんとかB子さんだと、何か週刊文春あたりに登場する人みたいで、何かの犯人とか、スキャンダルの人みたいな感じになるので、とりあえず山本さんでお願いします。
この山本さんという方が、なぜかわたくしと因縁浅からぬ方でありまして、まあ、そういう人だから、今、話をしているわけなのですが、正直言ってよくわからない人でありまして、今に至ってもよくわかりません。果たして友達だったのか、そうじゃなかったのか、そういうのもよくわかりません。
はるか昔の記憶なので、ちょっとはっきりしないところもあるのですが、山本さんは、私に「まねするな」と言って来ることがしばしばありました。「まねするな?」と言われても、何のまねなのかよくわからなかったのですが、まるで因縁を付けるかのように、「まねするな」と言われました。それは、私と二人きりの時だけではなく、他の人がいる前でもよく言われました。それで、何かよくわからないままに、山本さんは私のことが嫌いなのかなあ? とか思っていたのですが、でも、さっきお話ししたように、私は学校の先生に結構気に入られていたみたいなので、学級委員長をやらされたり、合唱コンクールの伴奏なんかもやらされたりしていて、児童会長の選挙に立候補するなんてこともあったりしました。その選挙では、一応大人の選挙のマネをして、ポスターみたいなのを作ったり、演説したりして選挙運動みたいなのをやるんですが、その時、この山本さんが、なぜかむちゃくちゃがんばって手伝ってくれました。
それで、よけいに山本さんのことがわからなくなってしまって、私のことが嫌いなのか、好きなのか、いったいどっちなんだろう? って。
人の感情がよくわからないって思ったのは、あの頃からだったかもしれませ
ん。
それで、それからかなり経ってからの話なんですが、山本さん、中学生になって外国に行っていたらしくて、日本に帰って来てから、私がお誕生日会をやる話を聞きつけたらしくて、それに参加したいって、なぜかうちの母親伝いに連絡が来まして、それで、山本さんがうちにやって来ました。それで山本さんは、外国での経験なんかをしゃべっていたのですが、
林の声 外国にいるとね、日本人ってすごく差別されていじめられるのよ。ほんとにつらくて泣きたいことも多かったわ。泣きたいどころか、ほんとに泣いちゃったりもしたわ。それで、私、気付いたの。私が、あの時、あなたにどれだけひどいことをしていたかって。自分がいじめられる立場になって、身にしみてわかったの。あの時、あなたのこと、いじめまくってほんとにごめんなさいね。許してくれる? ほんと、ずっとずっと気になってて、謝りたかったのよー。
女   それを聞いて、ああ、やっぱり、私は山本さんにいじめられていたんだな、と思いました。でも、そんな昔のことに今さら文句を言っても仕方ないでしょ? だから、
「ああ、そうなんだ。‥‥うん、許す‥‥。」
って、わざとらしく笑顔を作って言いました。
まあ、とにかく、せっかく久しぶりに会ったんだから、お互い笑顔で話せる方が良いとは思ったんですが、それにしても、山本さんは、ほんとにスッキリした感じで、つまり、私は罪を償って許されたのよ。ああスッキリした、みたいな感じだったので、私は正直、モヤモヤした気分でした。
私は心の中で思いました。
「私のあの時の気持ちはどうしてくれるの? 絶対許さねーよ」
って。
やっぱり、女って恐いですねぇ。いや、これは、まあお互いに。
でも、山本さんは、とても強い子だし、仲良くなるのも、それはそれでおもしろそうだし、山本さんが自分の人生をそうやって楽しく過ごして行けるのならいいのかな? 私が山本さんを許すことで、彼女のステージが一つ上がるんだったら、それはそれで意味のあることかもしれない、とか思ったりもしました。私は、人の役に立ったんだ、とか。
以上、山本さんのお話でした。
何で、山本さんの話なんですかね? 私の「コミュ障」の原体験? いや、別に、そんな大げさなものでもないと思うんですが。

あ、すみません。山本さんの話をしてて、一つ思い出しました。あんまり関係のない、大人になってからの話なんですが‥‥いいですか? まあ、そもそも、よくわかんない話をしてるからいいですよね?
山本さんにいじめられたって話しましたけど、私、どうもいじめられやすいというか、まあ、いじめじゃなくても、いじめられてるみたいな目に遭うことが結構多いんですよ。いや、子供の時だけじゃなくて、今でも。
あの、私、実はソムリエというのをやってるんですが、ソムリエってわかります? ほら、あのワインのテイスティング‥‥こんな風にグラスを持って、匂いを嗅いだり、味を確かめたりするやつですね。そのソムリエの資格なんかを持ってまして、以前ポルトガルにワインのコンクールで呼ばれて行った時、真っ赤なポートワインを白いカーディガンにぶちまけられたことがありました。
何でもないのに、横から結構な勢いでかけられました。
あー、そうそう、わかってる、「いつものことだから大丈夫、もう一枚持ってるし」て言ったら、「こんなの『いつものこと』じゃないよ!ごめんなさ
い!!!!」てポルトガル人にすごくあやまられてしまいまして。
私って、だいたい、そういう目に遭うんです。もちろんアクシデントですけ
ど。シミ抜きできる洗剤も持ってたのでその日のうちに綺麗になりました。
もう慣れてるっていうか、そういう星の下に生まれてるっていうか、そういう不快なことを、どこにいても自分でなんとか処理して快適に過ごす方法、学んできたので。
でも、その時は、準備万端でもここまでされるかー、とは思いましたけどね。
‥‥何が言いたかったのかな? ‥‥ほんと、どうでもいいような話をダラダラしてしまって。どうもすみません。

   女、立ち上がる。

女   では、また。

   女、去る。




   反対側から男がやってくる。
   男は、中央に立ち止まり、腕時計を見る。
   人を待っている様子。

林の声 わかってた?
男   え? 何?
林の声 あの時、どうして私があんなことを言ったのか。
男   え‥‥さあ?
林の声 あの日に限ってどうして私がわがまま言ったか? ‥‥変だと思わなかった?
男   そう言えば‥‥そうかな?
林の声 ‥‥うそ。
男   え?
林の声 そんなこと思わなかったくせに。
男   ‥‥‥。

   しばしの間。

林の声 私ね、子供がほしかったのよ。
男   え?
林の声 赤ちゃんがほしかったの。‥‥あなたの。
男   え? え?

   しばしの間。

林の声 フフフ‥‥。
男   え?
林の声 フフフ‥‥やっぱりそういう顔をするのね。
男   え?
林の声 すると思った。‥‥男はこういう時、必ずそういうまぬけな顔をするのよね。
男   ‥‥‥。
林の声 びっくりしたり、困ったりすると、男はかならずそういうまぬけな顔をするのよ。
男   ‥‥‥。
林の声 まぬけ‥‥。
男   ‥‥‥。
林の声 ‥‥‥。うそよ。
男   え?
林の声 信じたでしょ?
男   え?
林の声 子供なんかほしくなかったわ。別に赤ちゃんなんか産みたくなかっ
た。
男   ‥‥‥。
林の声 ‥‥‥。でもね、ほんとのこと言うと、それでもいいかと思ってたんだ。私、もう三十になってたし、そういうトシかなとも思ったし‥‥。
男   ‥‥‥。
林の声 できちゃった結婚とか‥‥。
男   ‥‥‥。
林の声 そんなのもありかなと思ってた。
男   ‥‥‥。
林の声 まあ、煮え切らない男とかよくいるじゃない? ズルズルと関係を続けて、いつまでも結論を出せない男。‥‥好きなの?って聞いたら、好きだって答えるし、愛してる?って聞いたら、愛してるって答えるし。‥‥優しいだけが取り柄みたいな‥‥そういうタチの悪い男がいるのよねぇ。
男   ‥‥‥。
林の声 あーあ、またハズレの男に当たっちゃったなあって、そう思ったわ
け。
男   ‥‥‥。
林の声 愛と結婚は違うってことぐらいわかってたけどね。私も子供じゃないから。それに、何が何でも結婚したいってタイプでもなかったし‥‥。
男   ‥‥‥。
林の声 でも、そろそろ見切り付けなきゃなあとは思ってたのよね。でも、最後にもう一度だけ試してみたくなって‥‥。
男   ‥‥‥。
林の声 それで、柄にもなくわがまま言っちゃったりして。
男   ‥‥‥。
林の声 全然気づいてなかったでしょ?
男   ‥‥‥。
林の声 あーあ、私も結構往生際が悪いんだよねぇ。‥‥ほんと、馬鹿みた
い。
男   ‥‥‥。ごめん。
林の声 フフ。どうして謝るの?
男   いや‥‥。でも、とにかく‥‥ごめん。
林の声 変なの。

   しばしの間。

林の声 でも、いいじゃない。あれで私も踏ん切りが付いたわけだから。
男   ‥‥ごめん。
林の声 今更謝られても困るんですけど。もう終わった話なんだからさあ。
男   あのさ‥‥オレだって、男の責任?みたいなの、考えてなかったわけじゃないんだよ。
林の声 だから、今更そんなこと言ってもどうしようもないから。
男   でも‥‥。
林の声 もう終わった話よ。昔々の物語。‥‥はい、おしまい。
男   ‥‥‥‥。
林の声 ほんと、男って、いつまでもウジウジと引きずるのよねー。半年や一年は平気で引きずる。中には五年も十年も引きずる人もいるじゃない? ごめんだから、そういう気持ち悪いのはやめてほしいのよねー。‥‥いや、もしかしたらあなた今でも引きずってるんじゃない? お願いだからストーカーとかにならないでよ。
男   ならないよ。
林の声 そう?
男   うん。
林の声 ふーん。それはよかった。
男   ‥‥でもさ。
林の声 何?
男   覚えてる? 最後に言った言葉。
林の声 え? 何?
男   だから‥‥言ったじゃない? 別れ際に。
林の声 ああ、あれ? ‥‥「あなたは私の理想の男性でした」ってやつ?
男   ‥‥うん。
林の声 それがどうしたの?
男   いや、どうもしないけど‥‥。
林の声 やだ。あなたあんなの信じてるの?
男   え? いや‥‥。
林の声 社交辞令よ。ただの社交辞令。
男   ‥‥‥。
林の声 やだあ、まだあんなの覚えてるの? だから男は馬鹿だって言うの
よ。
男   ‥‥‥。
林の声 いつまでそんなの覚えてるの? 気持ちわるーい。
男   ‥‥‥。
林の声 女は上書き保存、男は名前を付けて保存ってホントなのねー。
男   ‥‥‥。

   しばしの間。

林の声 ‥‥ひょっとして、今でも思ってるかとか聞きたいわけ?
男   いや、そうじゃないけど。
林の声 いや、そうなんでしょ? 男って、そういう生き物よ。
男   ‥‥‥。
林の声 もう、しょうがないわねぇ。じゃさ、再会を記念して、もう一回だけ言ってあげるわ。特別サービスよ。
男   ‥‥‥。
林の声 ア・ナ・タ・ハ・リ・ソ・ウ・ノ・ダ・ン・セ・イ・デ・シ・タ。‥‥これでいい?
男   ‥‥‥。
林の声 この「でした」っていうのがミソだからね。過去形よ。過去形。
男   ‥‥うん。
林の声 お願いだから、名前を付けて保存しないでね。
男   ‥‥ああ。
林の声 私は上書き保存だから。
男   ああ。
林の声 じゃあね。もう会うことはないと思うけど。
男   ああ。
林の声 バイバイ。
男   バイバイ。

   取り残される男。
   女がやって来る。

男   あ、さっきの話なんですが。
女   え? さっきの話って、何ですか?
男   「いちょう並木のセレナーデ」
女   え? ‥‥えらく話が唐突ですね。
男   あの歌の歌詞、前々からずっと気になってて。
女   歌詞‥‥ですか?
男   ええ。‥‥ほら、最後のとこに「シー・セッド・アイム・レディ・フォー・ザ・ブルー」って、英語があるでしょ?
女   あ、ええ。
男   あの「アイム・レディ・フォー・ザ・ブルー」って、何なんですか?
女   ああ‥‥。ええっと、「アイム・レディ・フォー・ザ・ブルー」だから、「私はブルーの用意はできている」みたいな感じじゃないですか?
男   いや、そうなんですけど、その「ブルーの用意はできている」って何なんですか? 「ブルー」の意味がわかんない。
女   まあ、ブルーなんだから、悲しみとか切なさとか、そんな感じじゃないですか? ほら、「ブルーな気分」とか言うでしょ? 別れた恋人が、終わった恋を回想するみたいな歌だから。
男   だったら、「私は悲しくなる用意はできてるわ」なんですか? 何か意味がわかんなくないですか?
女   うーん。どうだろ? ‥‥女の方は、もうずっと前から恋の終わりに気づいていた、この恋は実らない恋だと知っていた、とか? そんな感じじゃないですか? だから、私は大丈夫だから心配しないで、みたいな?
男   うーん。‥‥そうなのかなあ?
女   だいたいそんな感じだと思うけどなあ。
男   いや、それで合ってると思うんですよ、私も。恋の終わりの悲しみみたいなんだろうなって。でも、それだけなのかなあ? とも思ったりもするんです。
女   それだけって?
男   この歌、ひょっとしたら、ダブルミーニングなんじゃないかって。
女   ダブルミーニング?
男   ええ。ダブルミーニングです。確かに、終わった恋の虚無感みたいなのを歌ってるんだけど、ひょっとしたら、もう一つ別の意味があるんじゃないかって。
女   別の意味? 何ですか、それ?
男   ほら、オザケンって、よく、思想性とか、宗教性とか言われるじゃないですか? 一時期、宗教にハマって音楽をやめたなんてウワサもあったし。「神様」とか宗教的な言葉が、しばしば歌詞に登場したりもするし。
女   ああ、そうですね。
男   でね、私が思ったのは、この歌はひょっとしたら、無常観の歌なんじゃないかって。そんな風に思えません?
女   無常観って‥‥あの、諸行無常の響きあり、の無常観ですか?
男   ええ。
女   どこが?
男   いろいろあるじゃないですか。特に二番の歌詞に、私はそれを感じますね。特に「やがて僕らが過ごした時間や呼び交わし合った名前など いつか遠くへ飛び去る星屑の中のランデブー」なんてのは、ただの恋人が付き合っていた関係性とか時間じゃないと思うんですよ。「僕ら」は君と僕じゃなくて、我々人類のことみたいに思えるし、「呼び交わし合った名前」とか、意味がわかんないでしょ? これって単に「○○ちゃん」、「○○君」じゃないと思うんですよ。生きとし生けるものたちは、生きている間、かりそめの名前を与えられていたけれど、やがて、それらは消えて、遠くへ飛び去り、はるかな宇宙と一体となるのだ。そういうメッセージだと思うんです。
女   そうかなあ? それって、ちょっとこじつけって言うか、考えすぎじゃありません?
男    いや、そんなことないと思いますよ。だから、「アイム・レディ・
フォー・ザ・ブルー」の「ブルー」は、単なる恋を失った悲しみじゃなくて、「滅び去る者、消えゆく者の悲しみ」だと思うんです。だから、「自分がはかなく消え去ることは知っているし、その覚悟はできている」という意味だと思うんです。
女   へえ‥‥。
ま、あなたがそう思うのなら、勝手にそう思ったらいいんじゃないですか?
それにしても、ほんと、屁理屈がお好きなこと。
男   いや、これは屁理屈じゃありませんって!
女   うふふふふ。あははははは。
男   私は真面目に言ってるんですから。
女   あーはははははは。(女、狂ったように笑い続ける。)
男   ‥‥あの、聞いてます?

女   ハァ?
男   (大声で)だから、オレの話聞いてる?
女   ああ、そうそう。私はな、これでも若い頃はけっこうもててたんだ
よ。
男   だから、そんなことは聞いてないから。
女   父さんと結婚する前にもな、二、三人の男の人と付き合ってたのよ。
男   だから、その話は、もう百回は聞いてるから。‥‥だから、とにかく座って。ここに。
女   ああ‥‥。

   男、女の手を引いてイスに座らせる。

女   ‥‥そのうちの一人の人は、熱心に家によくやって来てな、おばあちゃんがえらく気に入ってたんだけど、その人、大きなお寺の息子さんでな。
男   ‥‥‥。
女   お坊さんの嫁になるのはあんまり気が進まなかったから、はっきり返事をしなかったのよ。
男   ‥‥‥。
女   それで、そのうち父さんとお見合いすることになって、それで結婚したんだけど、その人、なかなか諦められなかったみたいで‥‥。
男   ‥‥‥。
女   ずっとしばらく結婚しなかったそうなのよ。考えてみたら、気の毒なことをしたわ。アハハハ‥‥。
男   ‥‥‥。
女   あーあ、しゃべってたらちょっと疲れたわ。
男   ああ、そうだね。‥‥ちょっと休んだら?
女   食堂にご飯を食べに行ったら、自分でお箸も持てないで、初めからしまいまで職員の人に食べさせてもらってる人がいるのよ。
男   その話も聞いたよ。
女   そういう自分で食べられない人が何人もいるのよ。それもかなり若いのに。
男   ‥‥若いっていくつぐらい?
女   まだ母さんよりずいぶん若い人よ。まだ八十にもなってないんじゃないかしら?
男   それだけトシ取ってたら、十分お年寄りだって。
女   ほんとまだ若いのに、ああいう人もいるのよねぇ。
男   だから、老人ホームっていうのは、そういう施設だから。そういう人もいて当たり前だよ。
女   ‥‥‥。(歌い出す)いーのちーみじーかーしー こいせよおとめーあーかーきーくちーびーるー あーせぬーまにー あつきーちしおのー ひーえぬーまにー あすのーつきーひのー なーいもーのをー

男   (女の歌声をBGMにして)今日、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。「母上ノ死ヲ悼ム、埋葬明日」これでは何もわからない。おそらく昨日だったのだろう。

   やがて、女、眠る。
   男は、女の肩に手を置く。

男   私、九十になる母親がいるんですけどね、それが、変というか、とても興味深い人物でして、もう九十年も生きてきたのに、まだ飽きないというか、まだ死にたくないって言うんです。それで、とりあえず百までは生きるって言うんですよね。たぶん百になったら百十まで、百十になったら百二十まで生きると言うんでしょうね。
たぶん犬とか猫とかは、まだ死にたくないとかは思わないんでしょうね。い
や、聞いたことはないんですけどね。それどころか、犬や猫には「生きてる」という実感があるのかもどうか。だから、変な言い方になりますが、「生きてる」のも人間だけなら、「死ぬ」のも人間だけなのかもしれません。
「私が目を閉じれば、世界はなくなる」と言ったのは、どこかの哲学者だったでしょうか? いや、宗教者だったかな?でも、目を閉じても世界がなくなったりしないことはわかってるんです。それはなぜなんでしょうね? 世界に対する絶対的な信頼感みたいなものでしょうか?
こうして目を閉じて、

   音楽。(カヴァルリア・ルスティカー間奏曲)

そして再びその目が開くことがなかったとしても、たぶん世界はあり続けるだろうし、歴史は続いて行くんでしょうね。まるで私なんかいなかったかのように。でも、それって、ちょっと切なくないですか? 悲しくはないですか?
たぶんそうやって、数限りのないいろんなものが、生まれて死んで滅んで行った。三葉虫も恐竜もドードーもニホンオオカミも。まるで打ち寄せる波間に消える泡のように、寄せては返す時の狭間に消えて行った。
でも、たぶん本当の意味で「死ぬ」のは人間だけなんですよね。「死ぬこと」を「死ぬ」のは人間だけです。だから、人間だけが、この打ち寄せる時の波音に耳を澄ますのです。
ザザー、ザザー。
ただその波に身をまかせ、どこまでも流れて行きましょう。そして耳を澄ましましょう。
ザザー、ザザー。
やがて砕ける波音はだんだんと遠ざかって行きます。だんだんと、だんだん
と、だんだんと遠ざかって行く。遠ざかって行く。

   音楽が盛り上がって行く。
   突然、車のクラクションの音。
   入れ替わりに音楽が変わる。
   「いちょう並木のセレナーデ」(小沢健二)

   ゆっくりと溶暗。

                                         

                              おわり

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