イヴが果実を食べたとき ドラマ

幼いころ貧乏だった伊吹は三十年後、金・権力・美貌を手に入れ、ママ友会のトップに君臨していた。それでも物足りなさを感じた伊吹は、SNSを使い、特技のフルーツカービングで世間を驚かせ一躍時の人に。しかしそれを忌まわしく思う人たちによって、伊吹は知らぬ間に破滅の道へ進むことになるのだった。
金田 萌♤ 26 1 0 06/28
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第一稿

イヴが果実を食べたとき


<登場人物>
・遠山伊吹(11・40・28)  主婦
・遠山玲央(17)      高校二年生
・遠山雅樹(52)      伊吹の夫
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イヴが果実を食べたとき


<登場人物>
・遠山伊吹(11・40・28)  主婦
・遠山玲央(17)      高校二年生
・遠山雅樹(52)      伊吹の夫
・並木香澄(43・31)    ママ友会のメンバー
・並木律(17・5)     玲央のクラスメイト
・前田克己(17)      玲央のクラスメイト
・片桐翼(36)       伊吹の愛人
・佐倉文代(37)      伊吹の母
・並木幸助(30)     香澄の夫



〇 文代のアパート・内(二十九年前)
  おんぼろアパート。部屋は薄暗い。
  リンゴを剥き終えた佐倉文代(37)、着席して
いる遠山伊吹(11)の前に、リンゴを乗せた皿
を出す。
  そっと伊吹の頭に触れようとする文代。
  しかし、伊吹が身構えるのを見ると腕を引
く。
文代「ごめんね……」
  文代、ベランダの扉を開けて飛び降りる。
  外から人々の叫び声が。
  伊吹、開いた扉を見つめながら、目の前のリ
ンゴを食べ始める。
玲央の声「母さん!」

〇 遠山家・リビング(夜)(現在)
  伊吹(40)の指先から握っているリンゴを伝
い、ポタポタと血が滴り落ちる。
玲央の声「母さん!」
  台所に佇む伊吹、遠山玲央(17)の声で顔を上
げる。
玲央「大丈夫?」
  伊吹、包丁とリンゴを置くと、急いで傷口を
洗う。
伊吹「(少々動揺し)ええ。絆創膏もらえるかしら?」
玲央「待ってて」
  玲央、台所を離れる。
  と、そこに遠山雅樹(52)が段ボールを抱えて
部屋に入ってくる。
雅樹「伊吹! 明日はママ友会だろ?」
伊吹「ええ。いつもの……リンゴですか?」
雅樹「うちの会社で良質な品だ。存分にアピールしてくれ」
  雅樹、段ボールを置くと伊吹の傍に。そして伊吹の剥いたリンゴを口に入れる。
雅樹「お前もこうして食べてくれればなあ」
伊吹「すみません……」
  気まずそうに俯く伊吹。
伊吹N「禁断の果実を食べたアダムとイヴは、エデンを追放された」
  ×  ×  ×
  着席している玲央の前にリンゴを乗せた皿を出す伊吹。
伊吹N「そして、禁忌を犯した罰として、男には労働の苦しみ、女には産みの苦しみが与えられる」
  伊吹と玲央、雅樹から茶封筒を受け取る。
雅樹「今月の分だ」
玲央「ありがとう」
伊吹「ありがとうございます」
伊吹N「それが意味するもの、すなわち、女である私の苦しみはこの子を産んだ時に終了し、これからは……」
  伊吹、封筒の中身を出すと万札が十枚。

〇 百貨店・店内(朝)(日替わり)
伊吹N「心置きなく快楽を追及できる」
  ブランド品を身に着け、ブランド品を買いあさる伊吹。

〇 通学路(朝)
  玲央、並木律(17)と並んで歩く。
  と、突然前を歩く女子高生の叫び声が。
女子高生「猫が!」
  道路の真ん中には足を怪我した幼い黒猫。
  子猫めがけ、前方から車が走ってくる。
  走り出す玲央。黒猫を胸に抱えると、転がり込むようにして車をよける。
玲央「(子猫を撫で)大丈夫か?」
  女子高生、仲間と共に盛り上がっている。
女子高生「さすが玲央君。超かっこいい」
  律、玲央の様子を黙って見つめている。

〇 遠山家・門
  豪邸の入り口にそびえる大きな門。
  高級車に乗った伊吹が通り抜ける。
伊吹N「労働に殺された哀れな母。決して同じ道はたどらない」

〇 同・リビング
  大量の買い物袋を抱え、部屋に入る伊吹。
  壁に飾られた額縁には社員に囲まれている雅樹の写真。
伊吹N「あの時、母のおかげで固く決心することができた。結婚するなら絶対にお金持ちの社長と。そして……」
使用人「お帰りなさいませ」
  使用人、お菓子を乗せたケーキスタンドをテーブルへと運ぶ。
  ×  ×  ×
  テーブルに並べられた豪華なお菓子。
  その周りを囲って座る八人の奥様方。
  伊吹、お誕生日席に着いている。
伊吹N「私は働かずに、幸せを摑んでみせると」
伊吹「それでは、今月のママ友会を始めます」

〇 タイトル
  『イヴが果実を食べたとき』

〇 遠山家・リビング
  お茶会を楽しむママたち。
ママA「そういえば香澄さん、新しいお仕事始めたとか」
  思わず顔が引きつる並木香澄(43)。
香澄「ええ、まあ」
ママB「銀座のクラブでしょ?」
香澄「……よくご存じですね」
ママC「どうりで。煙草臭いと思ったのよ」
  香澄、焦って服の匂いを嗅ぐ。
ママC「(クスッと笑い)冗談よ」
  周りの奥様方、嘲笑する。
香澄「夫が亡くなってから生活が厳しくて……ほら、寄付金のこともありますし、律の大学受験も控えてますから」
伊吹「素晴らしいわ。家族のために身を削っているなんて。私には到底真似できない。夜のお仕事なんて」
ママA「あら。伊吹さんならナンバーワンになれるかもしれないのに」
ママB「そうですよ。社長夫人にふさわしい美貌の持ち主だって、保護者の間で有名なんですから」
伊吹「それとこれとは話が別よ。あんな男に媚び売るような真似、私にできるわけないじゃない。そもそも働く気はないのよ」
  俯いている香澄、唇を嚙む。
ママD「さすが学内一、寄付金を納められているお方。確かに、伊吹さんが働くところなんて想像もできませんね」
伊吹「苦労したのよ、今の生活を手に入れるために。でもその結果、待っていたのは退屈な日々。そろそろ刺激が欲しいわね」
  香澄に視線を向ける伊吹。
伊吹「香澄さん。よろしければお仕事のお話、聞かせてくださらないかしら」
  顔を上げた香澄、ママたちに微笑む。

〇 高校・二年一組・内
  律、自席で動画を鑑賞。

〇 律のスマホ画面
玲央「はいどうもー。玲央チャンネルへようこそ! 本日の企画はこちら!」
  チャンネル登録数は四十万以上。

〇 高校・二年一組・内
  席が前後の玲央と律。
律 「なぁ玲央。進路希望調査、ユーチューバーって書いたのマジ?」
玲央「もちろん! 何か問題ある?」
律 「大問題だろ。大学行かないのかよ?」
玲央「行くに決まってんじゃん。親父がうるさいし。律も進学するの?」
律 「そうだよ。うちは金がないから親に期待されてんの。いい大学入って、大手企業に就職する。そんで親孝行してもらうんだと。ユーチューバーなんて言ったらなんて怒鳴られるか」
玲央「今時ユーチューバーは億稼ぐ奴もいるんだぞ! 夢あるだろ? 俺はさ、いつか玲央チャンネルで世界中の人に笑顔を届けたいんだよ。マジで」
律 「(微笑み)熱血純粋バカか」
  前田克己(17)、二人の前に登場。
克己「(肩に手をまわし)玲央、一年女子が来てるぞ。すっげぇかわいい子。さすが、モテ男は違うな」
玲央「興味ない。女に時間割くなら動画編集に専念したいし」
克己「おいおい、健全な高校生とは思えない発言だな。学内トップのボンボンだとこうなっちまうのか?」
律 「話だけでも聞いてやれば? せっかく来てくれたのに、かわいそうじゃん」
玲央「……律がそう言うなら」
  玲央、教室を出ていく。
克己「羨ましいと思ったことないの?」
律 「何を?」
克己「聡明で金持ち、それでもってあの容姿。あいつとはれるのはお前くらいだな」
律 「そんなことないよ」 
 壁に貼られたテストの順位表を見る克己。
 一位には玲央、二位には律の名前が。
克己「俺には無理。一緒にいると引け目感じて、きっとあいつの才能に嫉妬する」
律 「俺だって、いつまでも脇役でいるつもりないけど」
克己「えっ?」
律 「文化祭でのクラス劇、主役やってみようかなって。俺だってやれるってこと、玲央に見せつけてやるんだよ」
克己「『アクロイド殺し』のポアロ役か。確かにあれは美味しい役だな。けど、その役
なら玲央も立候補するって――」
律 「ポアロじゃない。俺がやりたいのはシェパード医師だよ。ポアロを欺く殺人鬼」

〇 遠山家・リビング
  卓上にリンゴのカービングを並べる伊吹。
伊吹「どうぞ、うちの特上品です」
  周りからは驚きと賞賛の声。
ママA「凄いです。これ、全て伊吹さんが?」
伊吹「ええ。夕食でリンゴを剥くのが日課で、気付いたらできるように」
ママB「写真、撮ってもいいですか?」
伊吹「どうぞ」
  ママたち、スマホで写真を撮り始める。
香澄「SNSに上げたりされないんですか? リンゴの写真」
伊吹「そういうのは疎くて……」
ママC「確かに。こんな特技があるのにもったいない。きっとインスタ映えしますよ」
ママD「香澄さんに伺ったらどうでしょう? 綺麗なネイルの写真上げてて、ちょっとした有名人なのよ」
伊吹「若い子の流行りに手を出すなんて、なんだか抵抗あるわ」
香澄「今時ママたちでもやってますよ。それに、伊吹さんの想像以上に刺激的だと思いますけど」
伊吹「そうなの?」
香澄「試しに投稿してみますか? 私が教えますから」

〇 同・同(夜)
  卓上に置かれているリンゴのカービング。
  伊吹、スマホで何枚も写真を撮っている。
  玲央、部屋に入ってくる。
玲央「何してるの?」
伊吹「香澄さんに勧められてSNS始めたの。そしたらほら」
  伊吹、玲央にスマホの画面を見せる。

〇 伊吹のスマホ画面
  リンゴの写真。いいねの数、五十越え。

〇 遠山家・リビング(夜)
玲央「初投稿でいいね五十? それでいつもより気合入ってんだ」
伊吹「だって、コメント欄に他の作品も見せてください、って」
玲央「ふーん。すげーじゃん」

〇 スマホ画面
  新たなカービング写真が次々に投稿され、フォロワーといいねの数が急上昇。

〇 並木家・アパート内(日替わり)
  ソファで伊吹の投稿写真を見つめる香澄。
  律、香澄の後ろからスマホを覗く。
律 「何それ、綺麗」
香澄「……伊吹さんの趣味よ」
律 「伊吹さん?」
香澄「玲央君のお母さん」
律 「玲央の……」

〇 (回想)幼稚園・園内(夕)
  律(5)、教室から外に出てくる。
律 「パパ!」
  と、並木幸助(30)が伊吹(28)と楽しげに会話している様子が目に入る。
  伊吹、幸助の肩に手を添え、耳元でひそひそ話をしている様子。
  律、伊吹にデレデレしている幸助の後方に、香澄(31)の姿を見つける。
  伊吹をにらみつけている香澄。

〇 葬儀場・内(十年後)
  遺影台には幸助の写真。
  近くには喪服を着た香澄と律の姿。
  と、香澄のスマホに着信が。
香澄「はい。伊吹さん? ……ワンちゃんが怪我して来れなくなった? ちょっと待ってください。いくらなんでもそれは――」
  一方的に切られた電話。
  香澄、苦笑する。
香澄「許せない」
律 「母さん?」
香澄「あんな奴の、どこが……」
  香澄を心配そうに見つめる律。
                                     (回想終わり)

〇 並木家・アパート内
律 「あぁ、思い出した」
香澄「……私はただ、暇つぶしの方法を教えてあげただけなのよ」
  爪を噛んでいる香澄。
香澄「なんで私より……」
  黙って香澄を見つめる律。

〇 律のスマホ画面
  玲央チャンネルが流れている。
玲央「来月に迫ったクリスマス! ところでクリスマスツリーに飾る丸い玉、あれはアダムとイヴが食べた知恵の実、つまりリンゴだって知ってた?」

〇 高校・二年一組・内
  黒板の日付、十一月一日。
  自席で玲央チャンネルを視聴する律。
  着席し、律の机に頬杖を突いている玲央。
律 「玲央の母ちゃん、人気インスタグラマ
ーになったよな」
玲央「ああ。ほんと、あっという間に俺より人気者。そういえば律の母ちゃんだよな? やり方教えたの。おかげで母さんドハマりしてさ、俺のリンゴ消費量が今までの倍に増えた」
律 「それは鬼畜だな」
玲央「だろ?」
  無邪気に笑う玲央を見つめる律。

〇 フラッシュ
  爪を噛んでいる香澄。
香澄「なんで私より……」

〇 高校・二年一組・内
律 「なぁ玲央。俺とユーチューブバトルしない?」
  スマホをいじっていた玲央、顔を上げる。
玲央「ユーチューブバトル?」
律 「今から学年が変わる三月までに、再生回数の多い動画を取った方が勝ち」
玲央「ちょい待て。お前、動画上げたことないだろ? 俺はそれなりに視聴者数持ってるから、それだと圧倒的に律が不利に――」
律 「いんだよそれで。むしろこうじゃなきゃ面白くない」
玲央「(首を傾げ)何のためのバトルだよ?」
律 「このつまらない日常にちょっとした刺激が欲しいだけ。深い意味はないよ。玲央なら乗ってきてくれると思ったんだけど」
玲央「(少し考え)いいよ。面白そうだから乗った」
律 「動画はいくらでも上げていい。その中の最も再生回数の多いもので勝負」
玲央「オッケー。言っとくけど、やるからには手加減しないからな!」
律 「あぁ。ただ、俺はプロに挑む。もし俺が勝ったら何か一つ、言うことを聞いてもらおうかな」
玲央「おいおい、条件付きかよ」
律 「その方が燃えるだろ? その代わり、玲央が勝っても同じ条件を飲むよ。何がいい?」
玲央「んー、ジュース奢るとか?」
律 「(苦笑い)小さっ。なんか他にないわけ? 普段言えないようなこととか」
玲央「(少し考え)ねーな。俺はなしでいいよ! そもそも律の方が不利なんだし」
律 「……そう」
  スマホの画面に視線を落とす律。

〇 律のスマホ画面
玲央「なんと、アダムとイヴは禁断の果実を食べてしまった! 可哀そうに、蛇に変装した悪魔にそそのかされた結果、二人はそのまま楽園追放。THE END!」

〇 遠山家・リビング(夜)
玲央「ただいまー」
  央、部屋に入ると伊吹の姿。
伊吹「お帰りなさい」
  卓上にぎっしり並べられたリンゴのカービングに目を見開く玲央。
玲央「母さん! 何やってんの?」
伊吹「投稿を気に入ってくれた出版社の方が、雑誌で特集組ませてほしいって。今日はその撮影だったの」
玲央「へー! すげーじゃん!」
伊吹「さ。後は任せたわ」
玲央「ん?」
伊吹「思う存分食べてちょうだい」
玲央「マジかよ……」

〇 同・同(日替わり)
T「一ヶ月後」
  『リンゴのART』と書かれた雑誌記事。
伊吹の声「本当、SNS様様なのよ」
  テーブルを取り囲む奥様方。
  誕生日席に座り、雑誌を見せる伊吹。
ママA「この短期間の間に素晴らしいですね」
伊吹「全部やり方を教えてくれた香澄さんのおかげよ」
  伊吹、香澄と視線を交わす。
伊吹「本当にありがとう」
香澄「……いえ、とんでもありません」
  香澄、目が笑っていない。

〇 同・同・玄関外
  伊吹、帰っていく奥様方を見送る。
  家に入ろうとする伊吹。
香澄の声「伊吹さん」
  伊吹、振り返ると香澄の姿。

〇 カフェ・店内
  向かい合い座る伊吹と香澄。
  香澄、コーヒーを口にする。
香澄「あれから退屈な日々は変わりました?」
伊吹「ええ、おかげ様で。でも正直まだ物足りないの。もっとダイナミックで刺激的な何かを探してる。私、欲張りかしら?」
香澄「(微笑み)そんなことありません。低次の欲求を満たせば高次の欲求が生まれる。心理学者マズローもそう言ってますから」
伊吹「(ため息をつき)私はもう達してしまったのよ。欲求五段階説の頂点に」
香澄「……本当にそう思いますか?」
伊吹「(顔を上げ)えっ?」
香澄「今日は伊吹さんのために新しい刺激を用意したんです」
伊吹「新しい刺激?」

〇 伊吹のスマホ画面
  典型的な出会い系サイト。
  男たちの顔写真をスクロールしていく。
香澄の声「どうですか? 愛に飢えたイケメンたちは」
  画面には片桐翼(36)の顔写真が。
  伊吹、スクロールの手を止める。

〇 カフェ・店内
伊吹「彼、とてもイケてるわ」
  香澄、密かにいやらしい笑みを浮かべる。
香澄「いいじゃないですか! 早速連絡してみましょう?」

〇 遠山家・リビング(夜)
  ソファで本を読んでいる伊吹。
  と、通知音が鳴り上機嫌でスマホを開く。

〇 伊吹のスマホ画面
  片桐からのメッセージ。
片桐の声「美人で教養のあるあなたみたいな人を探していました。今週末、お茶でもいかがですか?」
雅樹の声「ただいま」

〇 遠山家・リビング(夜)
  部屋に入ってきた雅樹。
伊吹「(立ち上がり)お帰りなさい」
雅樹「玲央から聞いたぞ。テレビに出るって」
伊吹「勝手に決めたこと、怒ってますか?」
雅樹「そうじゃない。この機会を無駄にするなと言いたいだけだ。我が社のアピールを怠るなよ」
伊吹「(微笑み)ええ。わかってます」
  雅樹、部屋を出ていく。
  伊吹、ソファに座ると再びスマホを開く。
  ウキウキと片桐にメッセージを送る伊吹。

〇 カフェ・店内(夜)
  茶封筒の中から札束を取り出す片桐の手。
  卓上のスマホが鳴り、スマホを手に取る。

〇 片桐のスマホ画面
  伊吹から送られてきた文章。
伊吹の声「ぜひ。片桐さんに会えるのを楽しみにしています」

〇 カフェ・店内(夜)
  スマホを片手に、フッと微笑む片桐。
片桐「おめでとう。大成功だよ」
  片桐の向かいには香澄の姿。
香澄「ここからが本番。あの女、潰してきて」
香澄「えーっと、香澄さんだっけ? 心配しなくていいよ。これ貰った以上仕事はちゃんとするよ」
  片桐、茶封筒を掲げて微笑む。

〇 テレビ局・スタジオ
  バラエティ番組。司会者の隣に座る伊吹。
司会者「本日のゲストは、リンゴのフルーツカービングがSNSで話題沸騰中! 遠山伊吹さんです!」
伊吹「よろしくお願いします」

〇 遠山家・寝室(朝)
  真っ暗な寝室に雅樹の鼾が響き渡る。
  時刻は午前四時。
  雅樹の隣に寝そべる伊吹、微笑みを浮か
べながらスマホをスクロールしている。

〇 伊吹のスマホ画面
  伊吹のフォロワー数、上昇し続けている。

〇 雑誌の記事
  リンゴを手に持つ伊吹の写真。見出しは、『美女が生み出す美しいエデン』。

〇 ホテル・室内
  シーツに包まり、ベッドに横たわる片桐、雑誌を閉じる。
片桐「まさか、今話題の美魔女に会えるなんて思わなかったよ」
  片桐の隣でシーツに包まる伊吹。
伊吹「私だって、あなたみたいないい男と寝れるなんて思ってなかったわ」
片桐「夫はあの大手アップルカンパニー社長でしょ? 金持も地位も手に入れた伊吹さんは、いったい何を求めてるの?」
伊吹「頂点の、その先にある世界よ。ねぇ、エベレスト登頂に成功した登山家は、その後も山を登り続けるのかしら?」
片桐「登山家じゃないからわからないけど、僕だったらその後も登り続けるよ」
伊吹「世界最高峰まで到達したのに、そこから先は何を求めるのよ?」
片桐「エベレストが最高の山だって誰が決めつけた? 他の山に登ることで、エベレスト以上の達成感と満足感が得られるかもしれない」
伊吹「(微笑み)あなた、面白い人ね」
片桐「伊吹さんも刺激を求めるなら新しい山に登るといいよ。で、ここからが本題なんだけど……」
  片桐、伊吹にそっとキスをする。
片桐「クリスマスの予定、空いてる?」

〇 高校・二年一組・内(夕)
 玲央の席に集まるクラスメイト達。
 玲央、自身の動画の話題でクラスメイト達と盛り上がっている。

〇 同・同・外(夕)
  玲央の様子を羨望の眼差しで見つめる律、手に持つスマホに視線を向ける。

〇 律のスマホ画面
  画面には『りっちゃんTV』の文字。
  動画コメント欄には不評ばかり。

〇 高校・二年一組・外(夕)
  律、唇をかみしめ、その場を去っていく。

〇 街中・ネオン街(夕)
  不機嫌そうに速足で歩く律。
  と、ホテルから出てきた中年男と連れの女にぶつかる。
  女、どう見ても十代。
中年男「ガキが! どこに目つけてんだよ!」
  中年男、舌打ちすると、女の肩を抱いて去っていく。
律 「クソじじい、援交かよ」
  と、目を見開く律、不敵な笑みをみせる。

〇 律のスマホ画面
  律、ラブホテルの前に立っている。
律 「本日は律のゲス動画第一弾。ラブホから出てくる二人の関係について突撃してみたいと思いまーす」

〇 高校・二年一組・内
  律の席にはクラスメイトが集まっている。
女子生徒「律の動画、再生回数伸びすぎ!」
男子生徒「でもここ最近で一番笑ったわ!」
律 「(楽しそうに)ありがとう」

〇 遠山家・風呂場(夜)
  湯船につかりながらスマホをいじる伊吹。

〇 伊吹のスマホ画面
  伊吹の投稿のコメント欄には絶賛の嵐。

〇 遠山家・風呂場(夜)
  隈ができている伊吹、目をこする。
伊吹「ん? 寝不足かしら?」
  浴槽には多くのリンゴが浮かんでいる。
伊吹M「退屈だったはずの日常をこの子たちが変えてくれた」
  伊吹、リンゴを一つ手に取りキスをする。
伊吹「あなたには感謝してるのよ。けど……」
  伊吹、リンゴをポチャリと浴槽に落とす。
伊吹M「まだ私には、この子を口にする勇気が……(目を見開く)ない」
  浴槽のリンゴ、全て柚子に変わっている。
 
〇 街中・外観(夕)
  クリスマスソングがあちこちで流れる。
  多くのカップルが手を繋いでいる。

〇 遠山家・リビング(夕)
  台所でリンゴにカービングを施す伊吹。
  片桐、部屋の中を歩き回っている。
片桐「旦那と息子は? 俺を家に上げてよかったわけ?」
伊吹「夫は深夜にならないと帰ってこないわ。
息子は友達の家にお泊り。危うく悲しいクリスマスになるとこだった」
  片桐、額に飾ってある写真の前で立ち止まる。
片桐「この写真、旦那が創業した時の?」
伊吹「ええ。そうだけど」
  左にずらりと並んだ写真を目で追う片桐。
片桐「その隣に並んでるのは?」
伊吹「創業記念日に開かれるパーティーの写真。この二十五年ずっとよ? 私との結婚記念日は五年も続かなかったくせに」
  写真には創業日の『1992・10・27』が記載されている。
  片桐、写真をじっと見つめている。
伊吹「できたわ」
  伊吹、リンゴを片桐に手渡す。
片桐「想像以上だよ。写真もきれいだけど、本物の方がずっといい」
伊吹「それは最大の誉め言葉ね」
片桐「ねぇ、これだけ頑張って掘ったのに、食べてなくなるのってどんな気分?」
伊吹「自分の作品を食べたことないもの。わからないわよ」
片桐「どうして? やっぱりもったいない?」
伊吹「(首を横に振り)そうじゃない。苦手なのよ……リンゴが」
片桐「……冗談だろ? リンゴの女王様が?」
伊吹「本当よ。私には全て毒リンゴに見える」
片桐「それは(茶化して)何かの病気?」
伊吹「(微笑み)そうかも。驚いた?」
片桐「いいや。誰だって苦手なものぐらいある。ただ……伊吹さんのは病気じゃないよ」
  首をかしげる伊吹。
片桐「単なる思い込み」
  片桐、伊吹にそっとキスをする。
片桐「毒リンゴなんかじゃない。伊吹さんの作品でたくさんの人が笑顔になれる」
  片桐、伊吹を抱きしめ耳元で囁く。
片桐「大丈夫。伊吹さんのリンゴは、幸せを運ぶリンゴだよ」

〇 同・寝室(夕)
  ベッドで寝ている伊吹。
  その隣の片桐、起き上がると部屋を出る。

〇 同・雅樹の部屋(夕)
  片桐、パソコンを見つけると起動する。
  暗証番号で手が止まる片桐。

〇 フラッシュ
  リビングの写真。雅樹の会社の創業日。

〇 遠山家・雅樹の部屋(夕)
  片桐、『19921027』と入力。
  ロックが解除され、微笑む片桐。
片桐「ビンゴ」
  USBをポケットから取り出し情報を抜き取る。
片桐「ごめんね伊吹さん。毒リンゴ、作らせてもらうよ」

〇 住宅街(夜)
  スーパーの袋を手にして歩いている律、目を見開くと物陰に隠れる。
  遠山家の前で伊吹にキスする片桐の姿。
  律、不敵な笑みを浮かべる。

〇 遠山家・リビング(夜)
  部屋は台所の明かりのみで薄暗い。
  台所に立つ伊吹、まな板に乗るリンゴを手に取る。
伊吹「幸せを運ぶリンゴ……」
  伊吹、恐る恐るリンゴをかじる。
伊吹「……なんだ、簡単なことじゃない」

〇 同・同(朝)
  玲央、部屋に入り明かりをつける。
  リンゴのカービングで埋め尽くされた床や机を目の当たりにする玲央。
玲央「なんだよこれ」
  玲央、床に座ってスマホをいじる伊吹の姿を発見。
玲央「母さん!」
伊吹「あっ、玲央。ちょっと見て。さっき投稿した写真のお気に入りが――」
  玲央、伊吹の肩をグッと摑む。
  玲央を見上げる伊吹、目にはクマが。
玲央「寝てないのかよ?」
  伊吹、部屋の時計を見る。時刻は七時。
伊吹「……」
玲央「母さん……」

〇 メンタルクリニック・診察室
  医師と向かい合う伊吹。その隣には玲央。
医師「自制心の喪失、時間感覚の喪失、それから眼精疲労も見られます。睡眠時間はどれくらいですか?」
伊吹「ほとんど取っていません。スマホが気になって仕方がないんです」
医師「今後は触れる時間を少しずつ減らしていきましょう」

〇 遠山家・リビング(夜)
医師の声「睡眠薬も、一か月分用意します」
  睡眠薬を飲む伊吹。カレンダーの十二月二十七日にバツをつける。

〇 路上(夜)
  鼻歌を歌い、伊吹に貰ったリンゴを軽く投げたり、手の上で転がして歩く片桐。
  と、リンゴを落としてしまう。
片桐「おっと……」
  転がっていくリンゴ。
  止まった先には一匹の幼い黒猫が。
  近づき、リンゴを手に取る片桐。黒猫、片桐に餌をねだってすり寄ってくる。
片桐「お腹すいたの? よしよし」
  片桐、鞄の中から小さなナイフと液体が入った小瓶を取り出す。
  リンゴを剥くと、液体をふりかけ猫に差し出す。
  ×  ×  ×
  子猫、血を吐き死んでいる。
  片桐、荷物を鞄にしまうとそのまま立ち去る。

〇 遠山家・外観
  定点観測。
  正月が過ぎ、雪が降り、一月が去っていく。

〇 同・リビング(夜)
  カレンダーの二月一日にバツをつける。
  それまでの日付には全てバツ印が。

〇 アップルカンパニー・オフィス(朝)
  あちこちで電話が鳴り、対応する社員達。

〇 同・社長室(朝)
  机で頭を抱えている雅樹。
  そこに社員が入ってくる。
社員「失礼します。社長、マスコミが……」
雅樹「今行く」

〇 高校・二年一組・内(朝)
玲央「(元気よく)おはよー」
  教室に入ってきた玲央を見て静まる一同。
玲央「……え? どしたの?」
女子生徒A「(言いずらそうに)律君の動画」
玲央「動画?」
  玲央、スマホを取り出し律の動画を見る。

〇 玲央のスマホ画面(朝)
  律がラブホテルの前に立っている。
律 「律のゲス動画第八弾。今回はサービス動画やるよ。なんと今話題の有名人、あの人の浮気現場を洗ってみる!」
  ホテルに入っていく伊吹と片桐の姿。

〇 高校・二年一組・内(朝)
玲央「は?」
律の声「凄いでしょ? 素人の俺が、一晩で再生回数百万越え」
  玲央が顔を上げるとそこには律の姿。
律 「玲央の母ちゃん人気者だから。ほら見てよ、この後の絡みもよく撮れて――」
  玲央、律の胸倉を思いっ切り摑む。
玲央「何の真似だよ」
律 「何のって、ただの勝負動画だけど?」

〇 (回想)ホテル・外(夜)
伊吹「またね」
  片桐、伊吹にキスをすると去っていく。
律の声「ねぇ、ちょっといい?」
  取り残された片桐、振り向くと律の姿。

〇 カフェ・店内(夜)
  向かい合って座る片桐と律。
  律、片桐の前に茶封筒を差し出す。
片桐「ふーん。撮影料ねぇ」
  片桐、律をなめまわすように見る。
片桐「君さ、友達少ないでしょ?」
律 「だったら何?」
片桐「あー、怒らないでよ。協力するからさ」封筒を受け取る片桐。
片桐「(立ち上がり)じゃあ」
  背中を向ける片桐。しかし、すぐに思い出したかのように振り返る。
片桐「あっ。モザイクかけるの忘れないでね」
                                     (回想終わり)

〇 高校・二年一組・内(朝)
律 「俺の動画確認しないほど、余裕こいてるのがムカつくんだよ」
  律、玲央の腕を振り落とす。
律 「皆に笑顔を届ける? 綺麗ごと言うなよ。現に俺のゲス動画が玲央の純情動画を上回った」
  玲央、教室の外へと向かっていく。
律の声「逃げるなよ?」
  立ち止まる玲央。
律 「まだ勝負は終わってない。世間知らずのお前に現実見せてやるよ」
  玲央、教室を出ていく。

〇 遠山家・リビング(朝)
  部屋に入る玲央、崩れ座る伊吹を発見。
伊吹「(テレビに向かい)ごめんなさい……」
  玲央、テレビに視線を向ける。

〇 テレビ画面(朝)
  会社の前で記者に取り囲まれる雅樹。
アナウンサーの声「商品を食べた約百二十人が食中毒の症状を訴えており、警察は農薬の段階で何らかの有害物質が混ざっていたとみて捜査を進めています」

〇 遠山家・リビング(朝)
  呆然とテレビを見つめる玲央。
  テレビに向かって謝り続ける伊吹。
  外からは記者たちの声。
記者の声「遠山さん! いるんでしょ? 遠山さん!」
  パニック状態の伊吹と玲央の姿。
                                       (F・O)

〇 レストラン・店内(日替わり)
  アフタヌーンティーを楽しむ奥様方。
  伊吹の姿はない。
ママA「伊吹さん、離婚されたとか」
香澄「あれだけ騒がれたんですもの。仕方ありませんよ。それより、あの伊吹さんが仕事を始めたことに驚きです」
ママB「あら、そうなの?」
香澄「寄付金払わないといけませんから。頑なに嫌がっていた夜の職に就いたとか」

〇 高校・二年一組・内(日替わり)
  卓上の落書きされた教材を見つめる玲央。
男子生徒「金持ちならいくらでも買えるよな? あ、でも無理か。お前の会社、潰れたんだっけ?」
  嘲笑する周りのクラスメイト。
  それを見た律、満足そう。

〇 伊吹のアパート・外観(夕)
  ボロアパートの表札には『佐倉』の文字。

〇 同・内(夕)
  伊吹、鏡の前で赤い口紅を塗る。

〇 銀座・クラブ・ホール(夜)
  伊吹、ヘルプで男二人の接客をしている。
男 「いやー、伊吹ちゃんいいお尻してるね」
  伊吹、客からセクハラを受け、苦笑い。

〇 同・事務室(夜)
  黒服に茶封筒を投げつけられる伊吹。
黒服「なんで客の手引っ叩いちゃうかな? サービス精神持ってもらわないと困るんだよ! 明日から来なくていいから、それもって消えてくれ!」 

〇 街中・歩道橋(夜)
  雨に打たれながら橋の上を歩く伊吹。
  傘を差した律、橋の下から、中央で止まった伊吹にスマホを向ける。

〇 律のスマホ画面(夜)
  RECの文字、そして橋の下を見つめる伊吹の姿が映し出されている。 

〇 街中・歩道橋・下(夜)
律 「どうする?」
  と、いきなり横から殴られる律。
  持っていたスマホは水たまりに落下。
  倒れた律、見上げるとそこには玲央の姿。
律 「何すんの?」
玲央「お前こそ、何してんだよ」
律 「(スマホを拾い上げ)あーあ、壊れた」
玲央「俺、やっぱり条件つけるわ」
  律、状況を飲み込むと嘲笑する。
律 「ちょっと待って。俺に勝てると本気で思ってんの? 玲央の再生回数四十万に対して俺は百万だけど」
玲央「……もし俺が勝ったら、もう二度と、
俺たちに関わらないでくれ」
律 「……やっぱり熱血純粋バカだよ、お前」
  玲央、律を残して歩道橋を上がっていく。

〇 同・同・上(夜)
  手すりを摑み、車道を見つめる伊吹。

〇 フラッシュ(朝)
文代「ごめんね……」
  文代、ベランダから飛び降りる。

〇 街中・歩道橋・上(夜)
  橋の上から身を乗り出した伊吹。
  と、肩を摑まれる伊吹。後ろを振り返る。
玲央「帰ろう、母さん」

〇 バー・店内・カウンター席(夜)
香澄「ずいぶんえげつないことしたわね」
片桐「僕はただ、農薬を持って行っただけだよ、取引先の農園にね。何か不満でも?」
香澄「いいえ。完璧よ」
  香澄から茶封筒を受け取る片桐、中身を確認する。
香澄「あなたのおかげであの女を潰せたわ」
片桐「いいの? こんなにもらって」
香澄「当然よ。あいつはママ友会から消えた。もう怖いものなんて何もないわ」
安堵の微笑みを見せ、カクテルを飲む香澄。
片桐「本当にそう思う?」
香澄「ん?」
片桐「香澄さん、山登りの経験は?」
香澄「そんなのあるわけないでしょ。登ったことも、登ろうと思ったこともね」
片桐「山の天候は変わりやすい。だから君が思っている以上に登頂は難しいんだよ。吹雪がひどくなれば、登頂を諦めなければならない時もある。頂上を目前にして、君は引き返すことができる?」
香澄「雪が心配なら、夏に登ればいいのよ」
片桐「(ため息をつき)そういうところが心配なんだよ。富士山は八月でも雪が降る」
香澄「……何が言いたいの?」
片桐「……選択を誤ると命を落としかねないってことだよ」
 片桐、自分のグラスに口をつける。
片桐「あの女みたいにね」

〇 雅樹のマンション・玲央の部屋(夜)
玲央「安心して。父さんは仕事でいないから」
  玲央と共に部屋に入る伊吹。
  玲央、金庫の中から札束を取り出し卓上に並べ始める。
伊吹「(困惑し)こんな大金、どうしたのよ」
玲央「母さんも貰ってたじゃん、お小遣い。どうせブランド品に変えたんでしょ? 俺は全額貯金してた。ほしいものなかったし」
  玲央、札束を全て取り終える。
玲央「んー、だいたい五百万くらい?」
伊吹「……どうするのよ、これ」
玲央「このお金で、皆に笑顔を届けるんだよ。で、母さんにも協力してもらいたい」
伊吹「皆に笑顔を届ける? 家族じゃなく、赤の他人のために使うつもり?」
玲央「母さんがそれ言う? これは俺の金なんだからどう使おうと勝手だろ」
伊吹「玲央……」
  伊吹に微笑む玲央。
玲央「大丈夫。これは、家族のためでもあるんだよ」

〇 高校・二年一組・内
  担任と三者面談を行う律と香澄。
担任「以上で三者面談を終了します」
  教室を出ていく香澄と律。
担任「次は……」
  用紙の『並木律』の下には『遠山玲央』。

〇 同・校庭
  律と香澄、校門に向かい歩いている。
  校庭には下校中の生徒が多数。

〇 同・屋上
  屋上から下を覗き込んでいる玲央。
玲央「オッケー。準備完了」
  玲央へビデオカメラを構える伊吹。
伊吹「本当にやるの?」
玲央「もちろん。しっかり撮ってね」

〇 ビデオカメラ画面
  RECの文字が表示される。
玲央「どうもー、玲央だよ! 今日の企画はいつもと一味違う! じゃん!」
  アタッシュケースの中を広げる玲央。
玲央「ここにある五百万を使って、皆を笑顔にして見せます!」

〇 高校・屋上
  玲央、札束を屋上から放り投げる。
  多くの千円札が空中を舞っていく。

〇 同・各教室内
  お札に気付いた生徒、飛び出していく。

〇 同・職員室
  窓から顔を出し、上を見上げる教師たち。

〇 同・校庭
  落ちてくる札束の方を見ている律、香澄。
律 「なんだよ、あれ」
香澄「(駆け出し)行くわよ!」

〇 ビデオカメラ画面
  次々と校庭に生徒が集まり、お札を拾う。
律 「(お札を手に取り)マジかよ」
  香澄、無我夢中でお札を拾い集める。
香澄「すごい! すごいわ!」

〇 高校・屋上
  伊吹、ビデオカメラを校庭に向けている。
伊吹N「どんな世界にも、弱者と強者は存在する」

〇 同・校庭
  律、周りを押しのけて札束を拾う。
伊吹N「力なきものは地べたを這いつくばり」

〇 同・屋上
  楽しそうに札束を投げ続ける玲央。
伊吹N「力あるものは、上からその姿を見下ろす」
  ビデオカメラを構えている伊吹。
伊吹N「弱者が強者を超えることなどない。そう思っていた――」

〇 (回想)小学校・教室・内
  女子児童に突き飛ばされる伊吹(11)。
女子児童「貧乏人! 近寄らないで!」
  クラスメイト達、伊吹を見て笑っている。

〇 文代のアパート・内(夜)
  台所でリンゴを剥く文代の所へ来る伊吹。
伊吹「お母さん」
文代「ん? どうした?」
伊吹「どうして家は貧乏なの?」
文代「(手が止まる)……ごめんね。全部ママが悪いのよ」

〇 小学校・教室・内(朝)
  伊吹、教室に入ると黒板には『将来はママみたいなキャバ嬢になりたいです』の文字。
  伊吹、すぐさま黒板を消しにかかる。

〇 文代のアパート・内(夜)
  頬をぶたれる伊吹。
  派手な服装とメイクの文代。
文代「学校行きたくない? ふざけんな!誰が金払ってると思ってんだよ!」
  部屋は少々散らかっている。
  ×  ×  ×
  カーテンを閉め切り部屋は薄暗い。
  散らかった部屋はごみ屋敷のよう。
伊吹N「あの頃、必死でもがいていた母」
  文代、リンゴの皿を伊吹の目の前に置く。
  伊吹に触れようとする文代。
  しかし身構える伊吹。
文代「(手を止め)……ごめんね」
伊吹N「わかっていた。昼も夜も働き詰めなのは、私との生活を守るためだと」
  文代、ベランダを開け、飛び降りる。
伊吹N「だからこそ怖かった。それを認めてしまったら、私が母を殺したことになる」
  外からは人々の叫び声。
  リンゴを食べている伊吹、涙があふれる。
伊吹N「私は逃げた。……母が死んだ理由を、全て仕事に押し付けて」

〇 遠山家・リビング
  ほとんどの家具が置かれていない。
  立ち尽くす玲央と雅樹。
  泣きながら額を床につける伊吹(40)。
伊吹「ごめんなさい……」

〇 質屋・外
  ブランド品を抱え、店内に入る伊吹。
  ×  ×  ×
  伊吹、茶封筒をもって店から出てくる。
  中のお札を数えると、ため息を漏らす。
  と、電柱に貼ってあるスーパーの求人を発見する。

〇 スーパー・店内
  店内の品出しをしている伊吹。
伊吹「いらっしゃいませー」
  ×  ×  ×
  レジ打ちをしている伊吹。
  ×  ×  ×
  カゴを片付ける伊吹。
伊吹「ありがとうございましたー」

〇 伊吹のアパート・内
  通帳を見つめ、ため息を漏らす伊吹。

〇 銀座・クラブ(夜)
  ドレス姿の伊吹、接待中、グラスを倒す。

〇 同・同・事務室(夜)
  ソファに座って泣いている伊吹。
伊吹N「罪の代償は重かった。財産を失い、信頼を失い、家族を失った」
                                     (回想終わり)

〇 ビデオカメラ画面
  無我夢中でお札を集める律と香澄。
伊吹N「かつての自分なら、この光景を滑稽だと笑っただろう。けれど今は違う。私もここにいる人たちと同じ欲望の塊」
 ×  ×  ×
 多くの生徒や教師たちまでもがお札を取り合っている。
伊吹N「必死に手を伸ばして何が悪い。幸せを欲して何が悪い」
  屋上の玲央、最後の札束を投げ終える。
片桐の声「エベレストが最高の山だって誰が決めつけた?」
  玲央、空のケースをカメラに見せつける。
伊吹N「そうよ、今ならはっきりわかる」
玲央「空っぽ! 皆とっても喜んでくれました! お金が嫌いな人はいないもんね! ってことで、これからも玲央チャンネルでは皆さんに笑顔を届けます。また見てね!」
  手を振る玲央。
  録画停止音と共に、RECが消える。

〇 高校・屋上
  ビデオカメラを下す伊吹。
伊吹N「同じ山に登る必要はない。この世界に幸せの形は多く存在し、そしてそれは……ヒエラルキーをも超越する」
伊吹「なんてもったいないことしたのよ」
  伊吹をまっすぐに見つめる玲央。
玲央「これは本気の勝負なんだよ」
伊吹「……これから、どうするつもりなの?」
玲央「(困ったように笑い)とりあえず、アルバイトでも始めようかな」

〇 都内・レストラン・店内
  アフタヌーンティーを楽しむ奥様方。
ママA「伊吹さん家、遂に転校するそうね」
香澄「あら、まだいたの?」
ママB「いやだ、香澄さんたら」
  その時、皆のスマホに通知音。

〇 香澄のスマホ画面
  通知を開く香澄。メールは片桐から。
片桐の声「香澄さん、残念だけどお別れだ。餞別の品はお友達に送らせてもらったよ」

〇 都内・レストラン・店内
香澄「(ポツリと)なによ」
ママBの声「香澄さん」
  いつの間にか静まり返っているママたち、皆スマホを握りしめている。
香澄「……どうしました?」
  ママBからスマホを受け取る香澄。
香澄「(驚愕し、震える)片桐っ!」

〇 片桐のスマホ画面
  伊吹が撮影した玲央チャンネル、再生回数が二百万越え。
  校庭でお札を集める香澄、高らかに笑う。

〇 ホテル・内・ベッド
  腰を掛け、スマホを見つめる片桐。
片桐「ハハッ。サイコーだよ、伊吹さん」
  片桐の隣にいる女、片桐の頬にキスする。
  スマホを放り投げ、女を押し倒す片桐。

〇 高校・二年一組・内
  誰もいない教室で向き合う、玲央と律。
玲央「約束通り、もう俺たちに関わらないでほしい。……じゃあ」
 玲央、教室を去ろうとする。
律 「一つだけ聞いていいか?」
  立ち止まった玲央、振り返る。
律 「らしくないんだよ。なんであんな動画撮ったわけ?」
玲央「……お前の言うとおりだったよ。世の中、綺麗ごとばっかりじゃ通用しない。あの動画は、律の言うリアルそのものだった」
律 「……だろうな」
玲央「でも、もう二度としない。俺は、皆に夢や希望を届けられる、そんなユーチューバーになりたいから」
律 「……やっぱり純粋熱血バカだよ」
玲央「俺も一つ聞いていいか? もし律が勝ったら、何頼むつもりだったか」
律 「……そんなの、初めから考えてなかったよ。玲央に勝てさえすれば、それだけで満足だった」
  玲央、律を残し、教室を出ていく。

〇 伊吹のアパート・内
  リンゴのカービングを完成させる伊吹。
  棚の上に、家族写真と共に飾る。
  そしてその隣にあった処方箋の袋を手にし、ごみ箱へと放り込む。

〇 雅樹のアパート・外観
T「5年後」
  玄関から出てくる玲央。

〇 書店・外観
  玲央、店内に駆け込んでいく。

〇 同・店内
  書店員、本を並べている。
  書店員が持つ本の表紙は伊吹。
  表紙は『最高ホステスへの道』の文字。
  玲央、本を手に取りレジに向かう。

〇 雅樹のアパート・居間
  テーブルを挟み対面する伊吹と雅樹。
  伊吹、雅樹に茶封筒を渡す。
伊吹「これ、今月分です」
雅樹「……持ってこなくていい。そう言っただろ? こんなの貰わなくても、十分やれてる」
伊吹「そんなわけにはいきません。これは、私なりのけじめですから」
  伊吹、机の上に封筒を置く。
伊吹「……玲央は元気にしてますか?」
雅樹「……ああ。あいつなら大丈夫だ」
伊吹「そうですか。……それじゃぁ、失礼します」
  伊吹、立ち上がると玄関へと踏み出す。
雅樹「嘘だよ」
  伊吹、振り返る。
雅樹「大丈夫じゃない。今でもお前のこと心配してるよ。あいつはマザコンだからな」
伊吹「もう大学生ですし、そんなこと――」
雅樹「お前のがんばってる姿見て、あいつ、将来は潰れた会社立て直すって言い始めた。もちろん、ユーチューバーと兼業だが」
  伊吹、思わずクスッと笑い声を漏らす。
  雅樹、机の上に用紙を乗せる。
雅樹「……完全に許したわけじゃない。ただ失って初めて気づかされることもある」
  伊吹、ゆっくりと机に近づいていく。
伊吹N「もし、イヴが出産の苦しみを味わうことがなかったら、生命の重みを感じることはなかっただろう」
  伊吹、ペンを握ると用紙に名前を書く。

〇 同・外観
  走ってアパートへ向かってくる玲央。
伊吹N「もし、あのとき私がリンゴを食べていなければ」

〇 同・玄関・内
  扉を開けて入ってくる玲央、そのまま奥へ進んでいく。

〇 同・居間
伊吹N「本当の幸せを味わうことはなかっただろう」
  居間の扉を開けた玲央、微笑む。
玲央「おかえり」
伊吹「(微笑み)ただいま」
  テーブルの上には両者の名前が書かれた婚姻届。
                                         <了>

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