ー人 物ー
林田マサト(27)映像作家
菅野エイミ(29)作家・エッセイスト
ヒロト(25)バンドマン。マサトの友人
カナエ(29) エイミの友人
ヒロタ(36) マサトのクライアント
野球ボール
○壇上
ヒロト(25)、エレキギターで、ロック調にメンデルスゾーンの『結婚行進曲』の一節を
奏でる。
ヒロト、マイクを持つ。反響音。
ヒロト「結婚には三つのロックがある。誕生と、死と……コンプレックスだ」
ぎゅいーん、と、エレキギターの音。
〇式場
大きなウェディングケーキのクリームが溶け始めている。
シャンパンタワーが倒れて床に錯乱する。
そのすぐあと、スーツを着た男がシャンパンの流れる床に倒れこむ。泥酔している。
見ると、会場では、スーツを着た男たち、ドレスを着た女たち、皆泥酔し、肩を組んで泣き
はじめたり、ギターに合わせてロックを歌ったり、好き放題している。
背広を着た二人の男、おもむろにバットとボールを取り出し、ノック練習を始める。
高砂で、ぽつんとそんな有様を眺めている、純白ドレス姿の菅野エイミ(29)と、白いス
ーツ姿の林田マサト(27)。
エイミ「人って、すごく、社交的よね」
マサト「多分だけどさ、この人たち、まともじゃないんだよ」
エイミ「ええ。そうかもしれない」
マサト「社会的人間なんて、皆どこか狂ってるのさ。そうじゃなければ、どうしてクライアント
のお世辞にも似合っているとは言えないネクタイの柄を、闇雲に褒めちぎるなんて芸当ができ
よう」
エイミ「……ね、私、帰りたいかも」
マサト「それじゃあ、家に帰って、シリアルママを見るなんてどう?」
エイミ「マサトさんの家って、どこだっけ」
マサト「恵比寿」
エイミ「じゃあ、ここから近いのね」
マサト「そ」
エイミ「素敵な提案ありがたいんだけど、ちょっと無理そうよ。今は」
マサト「そう?」
エイミ「だってほら、一応、主役なわけじゃない。私たち」
マサト、無表情で、酔っ払いたちの惨憺(さんたん)たる有様を見やる。
マサト「主役かあ?」
〇(回想)壇上
カナエ(29)、暗い顔でマイクを持つ。
カナエ「今時、交際ゼロ日で結婚なんて、そう珍しい話ではないのかもしれません。それでもび
っくりしました。だってエイミは、一生結婚なんてするつもりのない女だと思っていたから。
彼女はいつも私に言っていたんです。結婚ほど合理的でないものはない、って。私、辛かっ
た。そう言われるたび。早くに結婚した自分が馬鹿をみているような気持ちになった。だから
正直、今のエイミを見てると……」
カナエ、陰気にくすくす笑い出す。
カナエ「おかしいわ。エイミ。なんで結婚なんてしたのかしら?」
カナエ、マイクを置き、狂ったように笑い続けている。
〇式場
クリームが溶け、どんどん爛れていくウエディングケーキ。
背広の男、野球ボールを投げる。
バットを持った背広の男、球を打つ。
グローブを持った男、球を追いかけて走りキャッチする。
会場、わっ、と盛り上がる。その様子をじっと見ているマサト。
エイミ「どうかした?」
マサト「(我に返り)あ、ああ……その……どうしようもなく暇だからさ、これからのルールで
も決めない?」
エイミ「ルール?」
マサト「まずさ。僕はさ、人と人は永遠に分かり合えることはないって思ってるわけ」
エイミ「……なるほど?」
マサト「だって、いくら夫婦といえど、僕たちは他人なんだよ。分かり合っているフリをしてい
てもなんだか気持ち悪いし」
エイミ「それもそうね」
マサト「だから、なんていうか、無理にお互いを理解しようとする、無駄な努力はやめようよっ
てこと。精神衛生上にもよくないでしょ」
エイミ「いいわ。そんな努力はしない」
カキーン、と、小気味良いバットの音。
球は美しい弧を描き、溶けたウエディングケーキの中にぐちゃっと入る。
その様子をじっと見つめるマサト。
エイミ「ねえ。私にも主張があるわ」
マサト「(我に返り)あ、ああ。もちろん。どうぞ」
エイミ「多分私、浮気をすると思うの」
マサト「……ほお」
エイミ「私、恋人っていたことなかったの。いつも一時の関係で。まあ、その方が気楽だったか
らそうしていたんだけど」
マサト「そういうことね」
エイミ「だからね。分かってくれるでしょう。急に一人の人間を愛しぬきなさいって言われて
も、無理があるわけよ」
マサト「よく分かるよ。君は好きな時に好きな男のもとへ行ったっていいんだ」
エイミ「……ねえ。本当にそれでいいの?」
マサト「倫理観がどうとか、僕の価値観がどうとかは問題じゃないんだ。言っただろう。お互い
を理解しようとする無駄な努力はやめようって」
エイミ「合理的ね」
マサト「ああ。合理的さ」
エイミ「私たちって、まともよね」
マサト「ああ。きっと誰よりも」
目前で繰り広げられる野球の試合の盛り上がりは、ピークに達している。
〇(回想)壇上
スーツ姿、ペンギン柄の派手なネクタイのヒロタ(36)。マイクを持つ。
ヒロタ「いやあ。驚いたね。マサトのつくる映像は、どこか冷たくて、尖ってて、それは結婚し
てない男が作り出せる一人よがりの世界そのものだったから。ああ、もちろん褒めているよ。
俺はそんな彼の作品が好きだった。だから、彼が自分の世界を投げ捨ててまで、たかだか一度
あっただけの女性と結婚するなんて、そりゃあもう頭を抱えたよ。うーん。端的に言ってい
い? 残念だった。……なあ、マサト。なんで結婚なんてしたんだ?」
マイクを置いたヒロタ、緩んだネクタイを直す。その薬指には結婚指輪が。
〇ウエディングケーキの中
野球球が、ケーキのクリームの中に、ゆっくりと沈んでいく……。
マサトの声「(ぼんやりと)僕はその昔、健気な野球少年だったんだ……」
〇式場
頬杖をついたマサトを見る、エイミ。
マサト「練習で遠くへ飛んでいったボールのはかない人生について、いつも深刻に考えてた。そ
んな男の子だったんだよ」
エイミ「ふうん……」
マサト「(ぼんやり)……」
エイミ「でもきっと、退屈が待っているだけよ」
マサト「え?」
エイミ「それじゃあ、明日、新しい野球ボールとグローブを買いにいきましょうよ」
マサト「(驚き)……えっと、それは、その……(ためて)二人でってこと?」
エイミ「ええ。もちろん。二人で」
はっとするマサト、じっとエイミを見る。エイミ、首をかしげる。間。
マサト「おかしなことを言ってもいいかな」
エイミ「ええ。なんでも」
マサト「僕は今、少し、希望を感じてしまった」
エイミ「……希望?」
マサト「二人で、という、言葉にさ」
エイミ、しばらくぼうっとマサトを見たあと、柔らかく笑う。
マサト「変かな」
エイミ、マサトの額に、自分の額をこつん、とくっつける。
エイミ「変じゃないわ」
マサト、照れたように俯く。
エイミ「良い? 私たちは永遠に分かり合えないけれど、それでも、二人で生きていくのよ。こ
れから、ずっと」
マサト「そうだね」
エイミ「それがどういうことだか分かる?」
マサト「分かるよ」
エイミ「そう。それじゃあ、行きましょう」
エイミ、マサト、ついには眠りこくる客たちをよそに、席を立つ。
マサト、去り際に溶け爛れたウエディングケーキのクリームを指ですくい、舐める。
マサト「……(自虐的な笑み)甘すぎるな」
埋まったまま、忘れ去られた野球ボール。そして、鐘が鳴る。
〇青空
晴れた青空。クリームのような雲。
マサトの声「ねえ、僕さ、もしかしたら君のことを、少しだけ好きになれるかもしれない」
エイミの声「奇遇ね。実は私も……」
カキーン、と小気味良いバッドの音。
美しい弧を描き飛んでいった野球ボールが、雲の中へと溶けていく……。
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