麻婆豆腐作って、待ってて ドラマ

父を亡くした瀬名は罪悪感から、飛び降り自殺を図る。それを助けたのはその場に居合わせた中国人の青年、浩然であった。浩然の働く中華料理屋で麻婆豆腐をご馳走される。それがとてつもなく熱かった。瀬名の人生はここで分岐する。
松岡奈々 31 0 0 09/14
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第一稿

人物
馬上瀬名     (17)高校2年生
楊 浩然(ハオラン)(28)中華料理「蘭」の料理人

馬上葉子(47)瀬名の母
林 道明(52)中華料理「蘭」の店長
薛 峰 ...続きを読む
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人物
馬上瀬名     (17)高校2年生
楊 浩然(ハオラン)(28)中華料理「蘭」の料理人

馬上葉子(47)瀬名の母
林 道明(52)中華料理「蘭」の店長
薛 峰岩(42)中華料理「蘭」の料理人
陳 元 (39)中華料理「蘭」の料理人

○ビル・外階段(夜)
降りしきる雨。
古びた鉄階段を上る制服姿の馬上瀬名(17)。
一段ずつ、ゆっくりと登っていく。

○同・屋上(夜)
人気が一切ない。
錆びた柵に手をかけ、身を乗り出す瀬名。
縁に立ち、震えながら下を見る。
色とりどりの傘が往来している。
瀬名、呼吸が荒くなる。
激しくなる雨。
ドアの開閉音。
瀬名、振り返ると、男、ドア前に立っている。
その姿ははっきりと見えない。
瀬名「……父さん?」
近づく男。
瀬名「なわけない」
瀬名、足を滑らせて下に落ちかける。
男、瀬名の腕を引っ張り、体を抱え、引き込む。
男に抱えられる瀬名。
男に身を委ねる。
朦朧とする意識の中、男の顔を見る。
男「(中国語)おい、おい、しっかりしろ」
遠くなる男の声。

○繁華街(夜)
雨の勢いは増す。
男、楊浩然(28)が瀬名をおんぶして歩いている。
瀬名、浩然の胸元をキュッと握る。
浩然、胸元を見て急ぐ。

○中華料理「蘭」・中(夜)
目を覚ます瀬名。
体にはタオルがかけてある。
服装は白のTシャツと黒のズボンに着替えさせられている。
浩然、瀬名のおでこに手を当てる。
意識がはっきりしない瀬名。
浩然、厨房へ行く。
ぼーっと見渡す瀬名。
店内は年季の入った様子だが、清潔感がある。
浩然、麻婆豆腐をテーブルに置き、瀬名の前に座る。
浩然、腕には複数の火傷の跡や傷。
食べるジェスチャーを瀬名に見せる。
煮立つ麻婆豆腐。
浩然、有名飲食サイトのポスター「3年連続選出!」を指す。
瀬名、麻婆豆腐をゆっくりと口に運ぶ。
熱さに苦戦するが、味わう瀬名。
食べながら静かに泣く瀬名。
ソファを力なく殴り、麻婆豆腐を荒々しく食べる。
煙草を吸いながら瀬名を見つめる浩然。
むせる瀬名。
浩然、瀬名の隣に移動して、背中をさする。
瀬名、水を一気飲みして、恍惚の表情。
瀬名の肩を抱き、さする浩然。
もたれかかり、浩然を見上げる瀬名。
浩然の美しさ、眩しさに目を閉じる瀬名。
浩然「(中国語)大丈夫、大丈夫」
瀬名、浩然の服を握る。

○同・前(夜)
雨が上がっている。
待ちゆく人が傘をたたみ始める。

○馬上家(マンション内)・瀬名の部屋(朝)
瀬名、目を覚まし、部屋を見渡す。
カーテンの隙間から朝日が見える。
瀬名「……痛っ」
口の淵を舌で触る。
部屋の隅に、ビニール袋から濡れた制服が飛び出しているのが見える。
Tシャツの袖の匂いを嗅ぐ瀬名。
立ち上がり、制服のポケットからスマホを取り出し、作動させようとするが、反応しない。
制服の上にスマホを落とす。
もう片方のポケットから、紙切れが見え、取り出す。
紙切れは中華料理「蘭」のショップカードで、端にパンダの絵が手書きで書かれている。
ノック音。
葉子の声「母さん。入るよ」
瀬名、ショップカードを引き出しにしまい、慌ててベッドの布団へ潜る。
馬上葉子(47)、覗いて、
葉子「いってきます」
震える瀬名。
ドアが閉まる。
×  ×  ×
カラスが鳴いている。
夕日が瀬名の体を照らす。
ベッドに座っている瀬名。
ボールペンで自分の手に葉子の似顔絵を描いている。
瀬名、机を見る。
机上にはたくさんの教材が並んでいる。
手の葉子の似顔絵をボールペンで塗りつぶし、ボールペンを机に投げる。
うずくまる瀬名。

○同・居間(夜)
食卓には大皿料理。
箸で野菜を転がしている葉子。
葉子の隣には空のお茶碗とお箸。
葉子「今日も美味しくないね」
瀬名「そんなことない」
瀬名、かき込んで食べる。
葉子、瀬名を見つめる。

○同・トイレ(夜)
瀬名、静かに嘔吐している。

○同・居間(夜)
キッチンで電話している葉子。
瀬名、トイレから出てくる。
葉子「そう。10万。来月にはちゃんと返す
から。お願い。よろしくね」
葉子、電話を切り、頭を抱える。
瀬名「どしたの?」
葉子「ん? 何もないわよ。ほら、お風呂沸
いたから先入りなね」
葉子、首を触る。
瀬名、葉子の首を見て、何か気づいたかのように、
瀬名「……母さん」
葉子「ん?」
瀬名「ネックレス」
葉子、体を逸らし、
瀬名「ネックレスは?」
葉子「あぁ、あれ。無くしちゃった」
瀬名「無くした? 昨日、そこのテーブルで、
磨いてたよね」
葉子「今日、気づいたらなくて」
ゴミ箱に色のついた封筒が捨てられているのが見える、瀬名。
瀬名の絶望の表情。
葉子「はぁ……売ったの」
瀬名「売った?」
葉子「繁華街の質屋」
瀬名「……なんで」
葉子「なんでって。いいの、瀬名は気にしな
いで」
瀬名「母さん……もしかして」
葉子「違う! 子供はそんなこと考えなくて
いいの!」
葉子、ゴミ箱を持ちキッチンに向かう。
瀬名「ごめん。ごめんなさい」
葉子「……やめて」
瀬名「やっぱり、あの時、父さんじゃなくて、
僕が」
葉子、瀬名をビンタする。
葉子「変なこと言わないで」
葉子、立ち上がり隣の部屋に行く。
瀬名、熱くなる頬を触る。

○繁華街(夜)
瀬名、走る。

○質屋A(夜)
ショーウィンドウを見る瀬名。
今にも泣き出しそうな表情。

○リサイクルショップ(夜)
瀬名、窓口に立つ。
店員、リストを見て、
店員「いや、ないっすね~」
瀬名、出て行く。

○質屋B(夜)
シャッターを叩く瀬名。
瀬名「すみません!」
雨が降り出す。

○質屋「桂馬」・前(夜)
年季の入った質屋、すでに閉店している。
疲れ切った瀬名、通りかかる。
ショーウィンドウに葉子のネックレス。
ネックレスの値段4万円。
瀬名、財布を見るがお金は全く入っていない。
立ち尽くす。
瀬名「……死ねない」

○繁華街(夜)
瀬名、絶望の表情で歩く。
通行人に見られる。
瀬名、腕を引っ張られ、頭上に傘が差しだされる。
振り向くと、浩然が立っている。

○中華料理「蘭」・中(夜)
バスタオルを被っている瀬名。
麻婆豆腐を置く浩然。
瀬名、顔をあげる。
浩然の後ろに、「アルバイト募集 日払い可!」のポスターが見える。
浩然「食べて」
瀬名、麻婆豆腐を食べる。
瀬名「痛っ」
口の端を指で拭く瀬名。
浩然「大丈夫?」
瀬名、浩然を上目遣いで見る。
見つめ合う瀬名、浩然。
うわごとの様に、
瀬名「ここで働かせてください」
浩然「ん?」
瀬名「ここで働かせてください。2週間だけ
でいいんです」
浩然、困った表情。
浩然「ごめん。日本語分からない」
瀬名、戸惑いながらも、ポスターを指さす。
浩然、振り向く。
浩然「アルバイト?」
頷く瀬名。

○同・前(夜)
瀬名、出てくる。
雨が降っている。
瀬名、行こうとするが、浩然が傘を渡す。
瀬名、頭を下げ、傘をさし歩き出す。
煙草を吸いながら、瀬名を見ている浩然。

○質屋「桂馬」・前(夜)
瀬名、傘を差し、歩いてくる。
ショーウィンドウに葉子のネックレス。
瀬名、それを見て通りすぎる。

○馬上家・瀬名の部屋(夜)
月夜が瀬名を照らす。
浩然に借りた白いTシャツ、黒いズボンをたたんでリュックに入れる。

○質屋「桂馬」・中(朝)
ショーウィンドウに飾られている葉子のネックレス。
瀬名、リュックを背負い、入ってくる。
奥に座る店主、赤田。
瀬名「すみません」
赤田、首だけ瀬名に向けて、
瀬名「あのネックレス。多分、母ので。背の
低い50ぐらいのおばさんが売りに来ましたよね?」
赤田、首をかしげる。
瀬名、頭を下げ、
瀬名「2週間。だけ待ってください。絶対に
僕が、お支払いするので、それまで売らないでください。お願いします」
赤田「さあ」
瀬名「お願いします」
瀬名、もう一度頭を下げ、出て行く。

○中華料理「蘭」・前(朝)
閉まっているシャッター。
瀬名、立っている。
林道明(52)が走ってやって来る。
林「あぁ、ごめんなさい。おはようございま
す」
瀬名、片言の日本語に戸惑いながら頭を下げる。
林「ふぅ。今開けますからね」
林、シャッターを開け中に入る。
瀬名、後に続く。

○同・中(朝)
瀬名、中に入ると、
厨房から中華鍋を揺らす音、包丁の音が響いている。
浩然の姿が見え、瀬名、少し安堵した表情。
林、瀬名の背中を叩いて、
林「履歴書、ください」
瀬名「すみません」
瀬名、履歴書を林に渡す。
林「はい、はい、はい。学生さんね。アルバ
イトしたことは?」
瀬名「一度だけ。ファミレスで」
林「はいはいはい、OK。じゃあ、荷物、そ
こに置いてください」
瀬名「あの」
林「ん?」
瀬名「給料は、その、日払いで」
林「大丈夫、大丈夫。ちゃんとするから」
瀬名「あと、短期なんですけど」
林「全然、大丈夫。今、日本人いないですか
ら、ちょっとでも助かる」
瀬名「よろしくお願いします」
林、瀬名を見つめるが、視線を逸らして、
林「(中国語)皆、集まって~」
瀬名、少し驚く。
厨房から、薛峰岩(42)、陳元(39)、浩然が出てくる。
林「おはようございます」
一同「おはようございます」
林「今日から、ここで働く馬上瀬名君です」
拍手する一同。
薛「薛です! ヨロシク!」
陳「陳です。よろしくお願いします」
浩然「楊浩然。よろしく」
唇を噛んで浩然を見る瀬名。
瀬名「馬上瀬名です。よろしくお願いします」
林「はい、ここのコックさん達、皆中国人。
だけど、皆良い人。なんかあったら、私に言ってください」
瀬名「はい」
林「じゃあ、ご飯! ご飯です」
瀬名「今?」
林「朝ご飯。食べてからじゃないと動けない!
働けない!」
テーブルには、変わったスープ、おかず数種類が並ぶ。
その中に麻婆豆腐もある。
一同、山盛り茶碗を持ち、席に着き、食べ始める。
浩然「瀬名」
浩然、瀬名に山盛り茶碗を渡す。
瀬名「いや、こんなに」
林「早く食べて、時間ないよ!」
瀬名「は、はい」
瀬名、茶碗の白ご飯を減らして、席に着く。
一同、ご飯を荒々しく食べる。
瀬名、その様子に驚きながらも、恐る恐る食べる。
一同、瀬名を見つめる。
瀬名「え、あ、美味しいです」
一同、笑顔になる。
林「美味しいは、中国語で、ハオツー。皆言
ったら喜びますから」
瀬名「あ、はい」
一同、瀬名の顔を見る。
瀬名「……ハ、ハオツー?」
浩然、微笑む。
陳「(中国語)おおお! 良かった良かった」
薛「(中国語)上手だ」
林「浩然が作るご飯、全部、ハオツー。だか
ら、アルバイト頑張って! 難しいことない。全部簡単!」
瀬名、不安げに頷く。
×  ×  ×
瀬名、棚をはたく。
林「瀬名、もっと! 強く」
瀬名「はい」
×  ×  ×
モップで床を拭く瀬名。
林「ここ、もっと! 落ちてない油」
瀬名「はい」
×  ×  ×
テーブルを拭く瀬名。
林「瀬名。ラー油のとこ、もっとちゃんと拭
いて」
瀬名「……すみません」
浩然、厨房から瀬名を覗く。
陳「(中国語)浩然、水。溢れてる」
浩然「(中国語)あぁ、そうだな」
浩然、水を止める。
林「ここ中華料理屋。だから、めっちゃ綺麗
にしないとダメ!」
瀬名「……はい」
林「なんでかはそのうち分かる。ほら、早く
しないとお客さん来ちゃう」
瀬名、汗を拭く。
×  ×  ×
厨房。
瀬名、ピッチャーに氷を入れ、蛇口を探す。
開店前で厨房は慌ただしい。
中国語が飛び交う。
瀬名が迷っていると、
浩然、瀬名のピッチャーを取って、
水を入れてくれる。
瀬名「あ……」
浩然、仕事に戻る。
林の声「いらっしゃいませー。瀬名!」
瀬名「はい!」
ホールに走る瀬名。
×  ×  ×
ランチ営業で賑わう店内。
瀬名、常連の修子に定食を運ぶ。
瀬名「お待たせしました」
修子「あら、新人さん?」
瀬名「はい」
修子「かわいいわね、よろしく」
瀬名、頭を下げる。
林「瀬名ー、次、こっち!」
瀬名「はい」

○同・前
営業終了の看板を出す瀬名。

○同・中
着替えを済ませて、出てくる瀬名。
レジで集計している林、瀬名に給料を渡す。
林「お疲れ様でした」
瀬名、受け取り、
瀬名「ありがとうございます」
林「ここ、忙しいけど、お客さんも皆優しい
から、大丈夫――」
瀬名、厨房を見る。
煙草を吸い、何かを描いている浩然。
目が合う、浩然と瀬名。
浩然、微笑んで、林の話を聞け、とジェスチャーする。
瀬名、視線を林に戻す。
林「――だからね、瀬名には頑張ってもらい
たいからね」
瀬名「はい」
浩然、ホールに出てくる。
電話が鳴る。
林、電話に出て、
林「はい、中華料理、蘭です」
浩然、メモに絵を描く。
瀬名が疲れた様子の絵を、瀬名に見せる。
瀬名、戸惑いながら頷く。
微笑む浩然。
瀬名、リュックから白いTシャツと黒いズボンを取りだし、浩然に渡す。
浩然「(中国語)あぁ~、ありがとう」
瀬名、お辞儀をして、店を出る。
手を振る浩然。
浩然、瀬名から渡された服の匂いを嗅ぐ。

○質屋「桂馬」・前
ショーウィンドウから葉子のネックレ
スを見る瀬名。
中でキセルを吸う赤田が見える。
瀬名、足早に去る。

○馬上家・瀬名の部屋(夜)
机の引き出しを開ける。
先日の「蘭」のショップカードが入っている。
葉子の声「うん、うん、ありがとう。絶対返
すから」
引き出しに給料をしまう瀬名。

○中華料理「蘭」・中(朝)
仕込み作業をしている一同。
長い包丁でレモンを切るのに苦戦している瀬名。
そのレモンはとても分厚く切れている。
浩然、後ろから来て、レモンを薄く切っていく。
瀬名「あ……」
浩然の細い指、横顔に見惚れる瀬名。
切り終わり、浩然は別の作業へ。
瀬名、レモンをタッパーへ入れる。

○同・前(朝)
瀬名、窓ふきをしている。
林、出て来て、
林「瀬名。調味料入れ、まだ汚れ残ってる」
瀬名「……すみません」
林「昨日も言ったけど、綺麗にしないと、ダ
メ」
瀬名「はい。すみません」
林「……瀬名」
瀬名「はい」
林「中国人なのに、とか、中国人の店なのに、
とか思ってる?」
瀬名「……そんな、思ってないです」
林「目、見たら分かる」
瀬名「目……」
瀬名、目を逸らす。
林「目は、心の鏡。日本でも言うでしょ? 目
は口ほどに物を言う。孟子の言葉」
瀬名、唇を噛む。
林「はい、じゃあ続きして! お客さん来ち
ゃう」
瀬名「はい」
瀬名、掃除に戻る。
×  ×  ×
営業中の看板。

○同・中
食器を拭いている瀬名。
レジに立つ林。
林「アイヤー。両替忘れた。瀬名、ホール1
人で、お願い!」
瀬名「え、無理です」
林「大丈夫! 一瞬。すぐ戻る!」
林、店を出て行く。
瀬名「うそ……えぇ」
サラリーマンの男、落合、入店してくる。
焦る瀬名。
瀬名「いらっしゃいませ。空いてるお席どう
ぞ」
落合「チンジャオロース定食」
瀬名「かしこまりました。少々、お待ちくだ
さい」
瀬名、店にあるメニュー表から、中国語表記を見つけて、「青椒肉絲」と書く。
浩然にメモを見せる。
浩然「おお、OK、OK」
落合、瀬名と浩然のやり取りを見ている。
瀬名の頭をサラっと、撫でる浩然。
瀬名、驚きながらもお冷を準備していると、
落合「(大声)すみませーん!」
瀬名「は、はい」
落合「臭い」
瀬名「へ?」
落合「臭いんですけど、机が! 生臭いって
言ってんの」
瀬名「……失礼しました」
瀬名、クロスを取りに厨房へ。
浩然「大丈夫?」
瀬名「多分」
浩然「タブン?」
瀬名、落合のテーブルを拭きに戻る。
×  ×  ×
チンジャオロース定食を落合に運ぶ、瀬名。
瀬名「お待たせしました」
落合の眼鏡が湯気でくもる。
瀬名「失礼します」
落合、肉を箸で持ち上げ、
落合「臭い」
瀬名「はい?」
落合「これ作ったのは中国人か?」
瀬名「えっと」
落合「中国人か?!」
瀬名「は、はい」
浩然、厨房から出てくる。
浩然「瀬名――」
落合、チンジャオロース定食のお盆を浩然に向け、ひっくり返す。
チンジャオロースで体が汚れる浩然。
瀬名、驚き、怯えた表情。
浩然、落合を睨む。
落合「臭いんだよ! 飯が! こんな臭い飯
食えるか! お前が作ったんだろ? 中国人。食わなくても不味いって分かる」
瀬名、戸惑いの表情。
落合「お前も、こんな汚ねえ所で働いて、日
本人の恥だ!」
落合、近づく浩然に、
落合「おい、来るな。中国人。俺に近づくん
じゃない!」
瀬名、何も言えず震える。
林、帰ってくる。
林「お客様、どうしました?」
落合「あぁ? お前も中国人か! 来るなこ
っちに」
林「……すみません、何かご迷惑を」
落合「お前らが生きてることが迷惑だ! や
めろ、こんな最低な店!」
落合、落ちている皿を蹴って、
落合「クソが」
出て行く落合。
震える瀬名。
林「(中国語)浩然、大丈夫?」
浩然「(中国語)俺は全然大丈夫」
浩然、瀬名に向かって、
浩然「大丈夫?」
林「ごめん、瀬名。1人にして」
瀬名、首を振る。
瀬名「……すみません」
林、床を片付けながら、
林「(中国語)着替えて来い」
浩然「(中国語)そうする」
浩然、バックヤードに行く。
瀬名、林を手伝う。
瀬名「すみません、僕。すみません」
林「……大丈夫、大丈夫」
瀬名、茫然としている。
×  ×  ×
まかないを食べる林、薛、陳、浩然、瀬名。
箸が進まない瀬名。
いつも通りの一同。
瀬名「林さん」
林「ん?」
瀬名「すみません、僕。気づかないうちに、
皆さんに失礼なことを」
林「あぁ、大丈夫。大丈夫。ほら、いっぱい
食べて」
×  ×  ×
瀬名、着替えて帰ろうとする。
厨房で掃除をしている浩然。
瀬名に気づき、出てくる。
浩然、メモに瀬名が落ち込んでいる絵を描いて、見せる。
瀬名「すみません」
浩然「全然大丈夫」
瀬名、浩然からメモとペンを取り、絵を描く。
麻婆豆腐の絵と、中国語で美味しい、とかいて浩然に渡す。
瀬名「浩然さんの料理は、美味しいです。不
味くなんてない」
浩然、メモを見て、微笑む。
浩然「(中国語)わあ瀬名。ありがとう」
瀬名の涙が溜まった目。
浩然、瀬名の描いた絵を指して、
浩然「瀬名、大丈夫」
浩然、瀬名の顔を両手で上げて、目を見つめる。
浩然「(中国語)こんな素敵な絵と言葉をくれ
る君が気に病むことは無いよ」
見つめ合う浩然と瀬名。
浩然「(中国語)人は間違って、気づけるかど
うかが大事なんだよ」
浩然、瀬名の頭を撫でる。
瀬名、お辞儀をする。
遠くから見ている林、薛、陳。
薛「(中国語)何してたの、あの二人」
林「(中国語)瀬名が大人になったってこと」
陳「(中国語)なるほどな」
薛「(中国語)何が何が?!」
林、薛を小突いて、
林「(中国語)シー! 声がでかい!」

○質屋「桂馬」・前
ショーウィンドウの葉子のネックレスを見ている瀬名。
中でうたた寝している赤田。

○馬上家・瀬名の部屋(夕)
瀬名、引き出しの茶封筒に給料を追加する。

○同・葉子の部屋(夕)
洋一の仏壇に手を合わせる。
仏壇には瀬名の描いた絵と洋一が描いた絵が並べられている。
洋一の絵は世界各国の風景が描かれている。
その一枚に、北京・紫禁城の絵がある。
瀬名、その絵を持つ。
葉子の声「瀬名。ちょっといい?」
瀬名、絵をポケットに入れ、部屋を出る。

○同・居間(夕)
テーブルに座る葉子。
瀬名、出て来て、
瀬名「何?」
葉子「瀬名、バイトしてるでしょ」
瀬名、動揺する。
瀬名「別に隠すつもりじゃなかったんだけど」
葉子「良いけど、ほどほどにね」
瀬名「うん」
葉子「……好きに使いなさい。そのお金は」
唇を噛む瀬名。
葉子「いらないから、うちには」
ため息をつく葉子。
瀬名、自分の部屋に戻る。

○中華料理「蘭」・中(夜)
お酒を飲むサラリーマンで盛り上がる店内。
レジの集計をしている林。
厨房。
薛、陳が談笑している。
瀬名、エプロンの端をいじっていると、浩然に手招きされる。
浩然、メモに猫を描いている。
浩然「しりとり」
瀬名「あぁ」
コマを描く瀬名。
浩然「コマ?」
瀬名、頷く。
麻婆豆腐を描く浩然。
少し笑う瀬名。
風呂を描く瀬名。
悩む浩然。
浩然「あ~」
ろうそくを描く浩然。
車を描く瀬名。
瀬名、車を手の込んだディティールで描く。
瀬名を見つめる浩然。
瀬名、顔を上げる。
瀬名「出来ました」
浩然と目が合う。
澄んだ浩然の目。
瀬名、目を逸らす。
浩然「瀬名、絵、上手」
瀬名「浩然さんの方が」
客の声「すいませーん」
瀬名「はーい!」
瀬名、ホールへ行く。
浩然、しりとりの絵を見て、匂いを嗅ぐ。

○図書館
館内を歩く瀬名。
何かを探している瀬名。
×  ×  ×
図鑑を取り、席に着く。
中国の自然、建造物が載っている図鑑。
瀬名、ポケットから、洋一の北京・紫禁城の絵を出す。
図鑑を見ていると、北京・紫禁城を見つける。
他にも中国の景色を見る瀬名。
四川・九寨溝に目を奪われる瀬名。
×  ×  ×
図鑑の横に中国語単語帳を見つけ、取る。
×  ×  ×
席で単語帳を見ている瀬名。
閉館のチャイムが鳴る。
瀬名、ハッとし、立ち上がる。
単語帳を棚に戻すが、図鑑と一緒に手に取り、持って行く。

○中華料理「蘭」・中(夜)
固定電話で電話をしている浩然。
浩然「(中国語)え? 今月分、振り込んだけ
ど。足りない? 追加の治療費……分かった、また振り込むよ、はい、じゃあ」
電話を切る浩然。
煙草を吸う。

○質屋「桂馬」・前(朝)
瀬名、通りかかり、ショーウィンドウを確認する。
葉子のネックレスが置いてある。
中の赤田と目が合い、お辞儀する。

○中華料理「蘭」・前(朝)
林、掃除をしている。
瀬名、やって来る。
林「おはよう」
瀬名「おはようございます」

○同・中(朝)
瀬名、レモンを切っている。
以前より、薄くスライスされている。
浩然、覗いて、拍手する。
浩然「おぉ」
瀬名、照れる。
×  ×  ×
食事をする林、薛、陳、浩然、瀬名。
薛「(中国語)昨日、娘の誕生日でさ、プレゼ
ント、高かったよ~」
陳「(中国語)ああ、最近のおもちゃは高いよ
な」
林「(中国語)分かる分かる」
瀬名、黙々と食べるが、表情は穏やか。
林「薛さん、子供に買った誕生日プレゼント
が高かったんだって」
瀬名「何を?」
林「(中国語)何を買ったの?」
薛、人形のマネをしながら、
薛「(中国語)喋るお人形さん」
林「喋る人形だって」
笑う瀬名。
浩然「(中国語)太陽……」
一同、浩然を見る。
浩然、咳き込む。
林「そういえば、瀬名は給料、何に使うの?」
瀬名「あぁ……欲しいものがある」
林「何? ゲーム? 靴?」
瀬名「ううん、母さんのもの」
林「はーん。瀬名も偉いね」
瀬名「……いや、それは僕のせいだから」
林「中国人も皆家族の為に働く。自分のやり
たいこと、あんまり出来ない。ここの三人も出稼ぎ」
瀬名、頷く。
林「ほんと、大変」
浩然「(中国語)何話してんの?」
林「(中国語)何にもない、何にもない」
瀬名、浩然を見る。
×  ×  ×
ホールで、寝ている薛、陳。
厨房。
シンクに汚れた食器がある。
浩然、レジに飾っている花の絵を描いている。
瀬名、図鑑と単語帳を持ってくる。
浩然「それは?」
瀬名、図鑑を開いて、北京・紫禁城を浩然に見せる。
浩然「(中国語)あぁ、紫禁城」
瀬名「ここ、知ってる?」
瀬名、四川・九寨溝のページを見せて、
浩然「(中国語)あっ、ここ、故郷。どしたの?」
瀬名「知ってるの?」
浩然「私、四川」
瀬名「そうなんだ」
浩然、図鑑のページをめくる。
浩然「(中国語)はあ、懐かしい。でも、なん
で?」
瀬名「(中国語)ここ、素敵なところ」
浩然、驚き顔を上げる。
瀬名、図鑑のページをめくり、
瀬名「(中国語)ここも、ここも、どこも素敵
なところ」
浩然、口に手を当て笑みをこらえる。
瀬名「行ってみたかった……って、なんで笑
ってるの」
浩然、瀬名の頬を指で押す。
瀬名「ちょっ」
浩然の手を払う瀬名。
浩然、懐かしそうに図鑑を見ている。
瀬名、メモに落書きをする。
浩然、レジから日本語単語帳を持ってきて開く、
浩然「瀬名、芸術、大学、行く?」
瀬名、力なく首を振る。
瀬名「絵は趣味」
浩然「趣味。(中国語)もったいない」
瀬名、中国語単語帳を見て、
瀬名「(中国語)浩然は何で日本に来たの?」
浩然「働く。四川。家族がいる」
瀬名「(中国語)偉い」
浩然、笑って首を振る。
瀬名「(中国語)浩然、大学は?」
浩然、首を振る。
浩然「料理人、仕事は楽しい。瀬名、美味し
い、言う。だから、幸せ」
瀬名、少し笑う。
浩然の腕の火傷。
瀬名「(中国語)火傷、痛くない?」
浩然「あぁ大丈夫。すぐ、治る」
瀬名「……皆すごいよ」
厨房を見渡す瀬名。
浩然、思いついたように、
浩然「ゲーム」
瀬名「また、しりとり?」
浩然、首を振って、ジェスチャーしながら、
浩然「瀬名、絵、描く。私、目、閉じる。私、
手、重ねる。どのような絵、考える。交代、順番」
瀬名「何描いてるか当てるってことだ」
浩然「勝者が褒美」
瀬名「OK、OK」
浩然「瀬名、ペン、持つ」
瀬名、ペンを持つ。
浩然、瀬名の手を握って、目を瞑る。
瀬名、動揺する。
静かに待つ浩然。
瀬名、時折浩然の顔を見ながら、絵を描く。
瀬名「……はい、出来た」
浩然「OK」
瀬名、浩然を見つめる。
浩然「(中国語)パンダ」
瀬名「(中国語)パンダ?」
浩然、目を開けて、
浩然「(中国語)正解!」
瀬名「え? 正解ってこと? パンダだよ」
浩然「パンダ、パンダ!」
瀬名「えぇ」
浩然「チェンジ」
浩然、ペンを持って、瀬名に目配せする。
瀬名、浩然の手に手を重ねる。
瀬名、強く目を瞑る。
浩然、瀬名を見つめる。
ゆっくり絵を描く浩然。
浩然、瀬名の顔に自分の顔を近づける。
呼吸が浅くなり、息を飲む瀬名。
浩然、瀬名にキスする。
瀬名「……ん」
震えている瀬名の唇。
キスをする浩然。
瀬名、目を開ける。
浩然、瀬名の目を手で閉じさせる。
浩然「……まだ」
絵の途中を描き始める浩然。
瀬名は呼吸が浅いまま。
浩然、我慢出来ず、瀬名にキスする。
ペンを置き、瀬名の手を握る。
浩然、瀬名の肩に頭を置く。
浩然、深呼吸をする。
手の行き場に困る瀬名。
そっと背中に置こうとすると、
浩然「……ごめん」
浩然、顔をゆっくり上げ、瀬名から離れる。
浩然「ごめん、瀬名」
瀬名、メモを丸めて浩然に投げる。
瀬名、店を出て行く。

○質屋「桂馬」・前
泣き出しそうに走る瀬名。
ショーウィンドウから葉子のネックレスが見え、立ち尽くす。

○馬上家・居間(夜)
瀬名、静かに入ってくる。
テーブルには缶ビール、ワインの空き瓶が散乱している。
葉子、化粧がドロドロに落ちた顔で寝ている。
瀬名、ブランケットを掛ける。
葉子「洋一? ありがとう」
瀬名「……僕だよ」
葉子、顔を上げ、冷ややかな目で瀬名を見つめる。
瀬名、ショックを受ける。
瀬名「……父さんなわけないじゃん」
葉子、虚ろな表情。
瀬名「僕が殺した」
葉子、突っ伏して、寝ている。
瀬名、自分の部屋に逃げる。

○同・瀬名の部屋(夜)
ネクタイで自分の首を締める瀬名。
力尽きて、やめる。
瀬名「ごめんなさい」
×  ×  ×
カーテンの隙間から朝日が漏れている。
雨が降っているのが見える。
だるそうに起きる瀬名。
ノック音。
葉子の声「母さん。入っていい?」
瀬名、起き上がる。
瀬名「うん」
葉子、入ってくる。
葉子「警察から電話かかってきた」
瀬名「何の用?」
葉子「遺留品の返還。父さんの物、取りに来
てだって」
瀬名、俯く。
瀬名「いつ?」
葉子「明後日」
瀬名「分かった、空けとく」
葉子「瀬名が辛かったら、無理にとは言わな
いから」
瀬名「ううん、大丈夫」
葉子「……そう」
葉子、出て行く。
瀬名、うずくまる。

○中華料理「蘭」・(夕)
レジに立つ林。
瀬名、中に入ってくる。
瀬名「おはようございます」
林「おはよう~」
厨房にも頭を下げる瀬名。
浩然、腕に包帯を巻いている。
浩然と目が合う。
瀬名、逸らして、
瀬名「林さん」
林「なに?」
瀬名「明後日、お休みいただきたいです」
林「アイヤー、なんで?」
瀬名「ちょっと急用が」
薛、陳、やってきて、
薛「(中国語)どうした?」
林「(中国語)瀬名が急用で休みだって」
薛「(中国語)えぇ! そりゃ、寂しいね」
陳「(中国語)大丈夫なの?」
林「陳さんが心配してる」
瀬名「(中国語)大丈夫、大丈夫」
薛「(中国語)蘭のアイドルがいない」
林「皆、寂しいって、なあ、浩然」
浩然、頷く。
瀬名「僕何もしてないのに」
修子が食事しながら、
修子「え、瀬名君、休み?」
瀬名「すみません」
林「そう、さみしいね」
瀬名「……ありがとうございます」
林「でも、言ってる間に、瀬名も短期アルバ
イトあと少しで終了」
修子「えぇ、そうなの?」
瀬名「はい、お世話になりました」
林「期間、伸ばしてほしい。嫌だ?」
瀬名「……すみません」
林「残念」
瀬名、悲しげな表情。
林「はあ。じゃあ、仕事、仕事~」
瀬名、テーブルの皿を下げる。
厨房。
浩然「瀬名」
瀬名「……腕、大丈夫?」
浩然「私は大丈夫。この前は」
瀬名「僕も大丈夫だから」
浩然「でも」
瀬名「大丈夫」
目が合う瀬名と浩然。
浩然、煙草を吸い始める。
瀬名、何か言いかけてやめる。

○道
葉子の運転する車内。
瀬名、窓の外を見ている。
空いている助手席。

○警察署・倉庫
松下、葉子、瀬名、中に入ってくる。
カビっぽい匂いに顔を歪める葉子、瀬名。
松下、棚から段ボールを取り出す。
松下「これが、馬上洋一さんの遺留品です」
葉子、恐る恐る段ボールを開ける。
瀬名、強烈な匂いに鼻を覆う。
葉子、震える手で袋を取り出す。
葉子、泣き出し、過呼吸に。
瀬名、驚愕の表情。
血まみれのリュック、服、手袋、壊れた画材がテーブルに置かれる。
葉子「洋一……洋一、洋一、ああああああ。
洋一ぃぃぃ」
葉子、取り乱して、座り込む。
一瞬、瀬名を冷ややかな目で見る葉子。
瀬名、絶望の表情で葉子を見る。
松下、瀬名を気遣うように、葉子に回り込む。
松下「馬上さん! 一旦外出ましょう」
松下、葉子を抱きかかえ、外へ連れ出す。
外から泣き叫ぶ葉子の声が聞こえる。
瀬名、部屋に取り残される。
瀬名、じっくりテーブルに広げられた遺留品を見る。
恐る恐る段ボールを覗くと、血塗られている洋一の絵。
震える手でそれを持つ。
瀬名、呼吸が荒くなる。
瀬名「ああああ、父さん、父さん、ごめんな
さい、ごめんなさい! ああああああ」
座り込み、頭を抱える。

○道(夜)
葉子の車を警察官が運転している。
葉子の車の前に、パトカー。
パトカー車内。
松下が運転している。
後部座席に、茫然とする葉子が段ボールを抱きかかえている。
助手席の瀬名。
虚ろな表情から、涙が流れる。
松下が瀬名を見る。
声を殺し泣く瀬名。

○馬上家・前(夜)
止まっているパトカー。
瀬名、松下に頭を下げている。
松下「何かあったら、いつでも電話して。お
母さんもだけど、君が一番心配だよ」
瀬名「母のことよろしくお願いします」
松下、頷く。
松下、パトカーに乗り込む。
見送る、瀬名。

○同・瀬名の部屋(夜)
瀬名、机の引き出しに貯めている茶封筒を出して、確認する。

○中華料理「蘭」・中(朝)
瀬名、バックヤードから出てくる。
レジに立つ林。
林「瀬名、おはよう」
瀬名「おはようございます」
厨房から薛と陳が覗く。
薛「オハヨウ!」
陳、手を振る。
林「あぁ、明日、瀬名の歓送迎会やる。パー
ティー。飲んだり、歌ったり、楽しいよ」
瀬名、悲し気に笑い、
瀬名「……ありがとうございます」
瀬名、頭を下げて、掃除道具を持って、外へ出る。
浩然、厨房からやって来て、レジの日本語単語帳を取り出し、外へ出る。
林「(中国語)あ? なに!」
浩然「(中国語)ちょっと出てくる」
薛「(中国語)なんだ、浩然」
陳「(中国語)さあ?」

○同・前(朝)
掃除している瀬名。
浩然、日本語単語帳を持って出てくる。
浩然「瀬名」
瀬名、浩然から目を逸らす。
浩然「瀬名、何かあった?」
瀬名、首を振って、
瀬名「何もない、大丈夫だよ」
浩然、単語帳をパラパラ見るが、やめる。
浩然、メモに絵を描く。
瀬名が怖い表情をしている絵を描く。
浩然、メモを瀬名に見せて、
瀬名、首を振る。
浩然、瀬名の腕を引っ張る。
瀬名「ちょっと!」

○路地(朝)
浩然、瀬名を引っ張って来る。
瀬名「離して!」
浩然の腕を振り払う瀬名。
瀬名「何?」
浩然「瀬名、心配。何あった? 私、この前、
ごめん」
瀬名「違うって」
浩然「じゃあ」
瀬名「もう、いいって」
浩然「瀬名。……死ぬ?」
瀬名、唇を噛む。
浩然「ダメ、瀬名」
瀬名「何も言ってないじゃん」
瀬名の顔を覗き込む浩然。
瀬名、浩然に背を向けて、
瀬名「……そう。そうだよ。(中国語)浩然の
正解」
浩然、首を振る。
瀬名「初めから決めてたことだから」
浩然、単語帳のページをめくる。
瀬名「死ぬしかないんだよ、僕。父親殺して、
母親苦しめて、生きてる価値ないんだよ」
浩然、単語帳のページをめくる。
瀬名「何言われても変わんないから」
瀬名、急な静けさに後ろをゆっくり振り返る。
浩然の目から涙が流れる。
驚く瀬名。
林、やって来る。
浩然、慌てて涙を拭く。
林「どうした? 2人。早く、仕事!」
林、浩然の背中を組み、連れて行く。
瀬名、立ち尽くす。

○中華料理「蘭」・中
林、瀬名に給料を渡す。
林「はい、お疲れ様」
瀬名「ありがとうございます」
林「明日、パーティーだから、ちゃんと来て
よ! 風邪ひいちゃダメ! 早く寝る」
瀬名、頷く。
厨房で掃除をしている浩然を見る瀬名。

○馬上家・葉子の部屋(夜)
入ってくる瀬名。
鼻を手で覆う。
仏壇前に遺留品が入った段ボール。

○同・瀬名の部屋(夜)
引き出しから茶封筒を取り出す瀬名。
カバンに入れる。

○中華料理「蘭」・前(夕)
「事情により本日は閉店しました」という紙を貼る瀬名。

○同・中(夕)
テーブルに大量の料理を並べる薛、陳。
林、レジで精算している。
瀬名、入って来る。
林、瀬名に給料を渡し、
林「お疲れ様でした。これで最後ね」
瀬名「ありがとうございました」
林「じゃあ、瀬名も準備、準備」
瀬名「すみません。ちょっとだけ出ます。す
ぐに戻るので」
瀬名、店を急いで出る。

○質屋「桂馬」・中(夕)
瀬名、赤田に4万円を渡す。
瀬名「あのネックレス、ください」
赤田、葉子のネックレスをショーウィンドウから取り出し、瀬名に渡す。
瀬名「ありがとうございました」
店を出る瀬名。
赤田、キセルを吸っている。

○中華料理「蘭」・中(夕)
瀬名、入って来る。
林、薛、陳、浩然、薛の家族、陳の家族、修子がテーブルを囲み座っている。
林「瀬名、遅いよ~」
薛「(中国語)早く、早く」
瀬名「すみません」
一同、グラスを持ち、
林「(中国語)カンパーイ!」
乾杯をし、食事をする一同。
林「どう? 瀬名。美味しい?」
瀬名「(中国語)全部美味しいよ」
一同、拍手して、喜ぶ。
林「すごいね、すぐに上手くなった。中国語。
センスある」
瀬名「(中国語)そんなことない」
笑う一同。
林「中国では家族、皆、一心胴体。旦那さん
のこういうパーティーにも家族皆、来る。従業員の家族にも感謝する。瀬名も家族呼べば良かったのに」
瀬名「すみません」
林「いい、また次の時、呼べばいい」
瀬名「……はい」
浩然と目が合う瀬名。
×  ×  ×
散らかるテーブル。
カラオケの音が響いている。
歌う林、薛、陳。
林に引っ張られ、浩然も歌わされる。
瀬名、微笑ましく見る。
×  ×  ×
瀬名が歌う。
一同、瀬名の歌の上手さに驚く。
×  ×  ×
歌が終わり、拍手する一同。
林「瀬名! 一言!」
瀬名「え、えーっと。皆さん、短い間でした
が、お世話になりました」
瀬名を見つめる一同。
瀬名「ここで働けて、皆さんと出会えて、本
当に幸せでした。ありがとうございました」
感極まる一同。
林「またいつでも来て。皆待ってる。ここ帰
ってくるとこ。瀬名も家族」
瀬名、頷く。
浩然、席を離れる。
薛「(中国語)はい、カンパーイ!」
一同「(中国語)カンパーイ!」
×  ×  ×
林、薛、陳が酔い潰れ、寝ている。
厨房。
浩然、煙草を吸っている。
腕の火傷、跡を撫でている。
瀬名、食器を下げに来る。
浩然、瀬名の食器を取る。
瀬名「ありがとう」
瀬名、食器を洗う。
浩然「行こう」
瀬名「は?」
浩然、瀬名の手を引く。
瀬名「ちょっと!」
店を出る浩然、瀬名。

○繁華街(夜)
浩然、瀬名の腕を引いて歩く。

○公園・入口(夜)
浩然、瀬名の腕を引いて歩く。

○公園・湖(夜)
森を抜けていく浩然、瀬名。
森を抜けると、湖が現れる。
四川・九寨溝に似ている景色。
瀬名「ここ……」
浩然「(中国語)九寨溝」
瀬名、目を閉じ、深呼吸する。
浩然、木にぶら下がる袋からシート、スケッチブック、絵具を出す。
瀬名、驚く。
浩然と瀬名、目が合い、笑う。
×  ×  ×
浩然、瀬名、シートに座る。
浩然、スケッチブックに絵を描き始める。
瀬名、動くと、
浩然「シー!」
瀬名「ごめん」
×  ×  ×
浩然、湖の中に浮かぶ、石を渡る。
瀬名、湖の淵に立つ。
浩然、瀬名に腕を伸ばす。
瀬名、浩然の手を持ち、石に乗る。
2人して、バランスを崩し、落ちかける。
身を寄せ、笑い合う2人。
見つめ合う。
浩然、目を逸らし、湖の淵に戻る。
孤独な浩然の背中。
瀬名、後ろから浩然に抱き付く。
瀬名、浩然の匂いを嗅ぐ。
浩然、振り返って、見つめ合う2人。
×  ×  ×
風が木々を揺らす音だけが響く。
湖は月に照らされキラキラと光っている。
瀬名「きれい」
瀬名を抱き締める浩然。
瀬名「父さんもよく絵を描いてた」
描きかけの瀬名の絵。
瀬名「その日、つまんないことで喧嘩したん
だ。父さんは頭を冷やすって、出て行った。いつも、バイクで絵を描きに行って、すぐに、帰って来るんだ。でも、その日はいくら待っても帰らなかった。そしたら、警察から電話がかかってきた。事故だって」
瀬名の頭を撫でる浩然。
瀬名「僕はもう、生きてたくないんだ」
泣く瀬名。
浩然、瀬名をきつく抱き締める。
瀬名「母さんの、あの目。母さんは苦しんで
る。僕が愛する人を奪ったのに、僕を憎めないんだ。僕が息子だから。でも、母さんが時々、あの目をするんだ」
瀬名「ごめんなさい。母さん、父さん」
浩然、湖の方を見て、
浩然「(中国語)俺は芸術大学に行きたかった。
でも、2008年の大地震で、両親が働けないほどの傷を負ったんだ。俺は学校も行けず、働いた。20歳の時、知り合いに料理人の仕事を紹介してもらって、修行をしたんだ。でも、本当は絵が描きたいんだ。大学に行って勉強して、絵を知りたい。でも、俺はそれが出来ない」
風で木々が揺れる。
瀬名、湖を見つめている。
浩然「(中国語)瀬名があの日、屋上にいるの
を見て、俺は無意識に体が動いていた。助けなきゃって。もしかしたら、死を選べる君が羨ましかったのかも。だって、俺の人生は家族の為にあるから。死にたくても死ぬことが出来ない。したいことは何もできない。だから、瀬名」
瀬名、顔を上げる。
浩然、瀬名を見つめて、
浩然「(中国語)死にたくなるほど、どうでも
いい人生なら、俺にくれないかな?」
浩然、涙を流す。
浩然「(中国語)死なないで。そばにいて」
浩然の涙が瀬名の顔に落ちる。
見つめ合う瀬名、浩然。
強く抱き締め合う。
湖が風で揺れている。。
描きかけの瀬名の絵。
月夜が2人を照らしている。

○中華料理「蘭」・中(早朝)
瀬名、リュックを持つ。
浩然、隣で煙草を吸っている。
瀬名「じゃあ」
浩然、瀬名の裾を引っ張って、
浩然「瀬名。最後、来て。ご飯食べて」
頷く瀬名。
瀬名「じゃあ」
瀬名、店を出る。
浩然、泣くのをこらえて、瀬名を見送る。

○繁華街(早朝)
歩く瀬名。
今にも雨が降り出しそうな空。

○馬上家・葉子の部屋
葉子、ベッドに寝ている。
瀬名、葉子の顔もとに、手紙とネックレスを置く。
瀬名、仏壇を見て、部屋を出る。

○道
歩く瀬名。

○中華料理「蘭」・中
厨房。
料理を作っている浩然。

○繁華街
瀬名、ゆっくり歩いている。
屋上を見上げる。
雨が降り出す。
通行人たちが騒ぎ出す。
瀬名、おかしいと思い、周りを見渡す。
中国人たちが騒がしくしている。
通行人A「え? 地震?」
通行人B「らしいよ」
瀬名「……え」
中国雑貨の店内で、泣き崩れている中国人が見える。
電話をしている中国人。
中国人A「(中国語)大丈夫か?!」
中国人B「繋がらない、繋がらない」
中国人C「四川、地震!」
通行人C「やばいじゃん。めっちゃ崩れてる」
瀬名、すがるように、
瀬名「(中国語)どうしたの?」
中国人Bに突き飛ばされる瀬名。
泣き崩れている中国人。
瀬名、走り出す。

○中華料理「蘭」・中
煮えたぎる麻婆豆腐。
浩然、受話器を手に持ち、絶望の表情。

○繁華街
雨に濡れながら、走る瀬名。

○中華料理「蘭」・前
閉まりかけのシャッターを開ける瀬名。

○同・中
瀬名、入ってくる。
瀬名「浩然!」
ホールに浩然の姿はない。
受話器がぶら下がっている。
厨房へ走る瀬名。
厨房。
煮えたぎる麻婆豆腐の中華鍋に自分の腕をつけている浩然。
瀬名「浩然?!」
瀬名、浩然を突き飛ばす。
浩然、泣いている。
複数の火傷が腕に出来ている。
瀬名、水道をひねり、浩然の腕を冷やす。
放心状態の浩然、座り込む。
泣いている浩然。
瀬名「浩然……」
浩然「(中国語)俺は最低だ。俺は、最低だ」
瀬名、製氷機から氷を出してタオルで包む。
浩然の腕に巻き付けて、
瀬名「(中国語)どうしたの?」
浩然「(中国語)俺は、俺は」
瀬名「(中国語)家族は?」
浩然「(中国語)……大丈夫」
瀬名、安堵した表情。
浩然、瀬名を見つめて、
浩然「(中国語)地震って聞いて、俺は家族が
死んだ、と思った」
瀬名、頷く。
浩然「(中国語)その時、心があったかくなっ
たんだ。俺、自由になれたんだ、って。大学に行って、絵の勉強が出来るって。一瞬だよ、一瞬でそんなこと考えたんだ」
瀬名、浩然の腕を冷やす手に力を込める。
浩然「(中国語)でも、家族は助かったらしい。
なあ、瀬名。俺は家族を殺した……でも、初めてじゃないんだ。何度も、何度も頭の中で!」
浩然、反対側の火傷の傷を腕を抑える。
浩然「(中国語)こんな俺が生きてていいの
か? なあ、瀬名。どうしたらいい? 瀬名も死んだら、俺は」
瀬名、浩然の涙と鼻水で汚れた顔を拭き、見つめる。
浩然「(中国語)死にたい」
瀬名、浩然を抱き締める。
浩然の頭を撫でる瀬名。
泣き続ける浩然。
瀬名、強く浩然を抱き締める。
×  ×  ×
瀬名、店の電話に出ている。
瀬名「はい、大丈夫です。林さんもお気をつ
けて」
電話を切る瀬名。
ソファに放心状態の浩然が座っている。
瀬名、浩然の隣に座る。
テーブルには日本語単語帳とメモとペン。
浩然の頭を自分の肩に乗せる瀬名。
瀬名「浩然」
死んだような顔の浩然。
瀬名、うわごとの様に、
瀬名「浩然。僕、大学に行く。大学に行って、
お金持ちになる。浩然が芸術大学行けるように。僕は浩然の為に働く。死ぬのはその後でもいい。僕は生き続けて、浩然と一緒に苦しみ続けるから」
浩然を抱き締める瀬名。

○同・前(夜)
雨が降り続けている。

○馬上家・リビング(夜)
瀬名、葉子に頭を下げている。
瀬名「母さん、ごめんなさい」
葉子、手に手紙を持ち、泣いている。
瀬名「父さん、ごめんなさい。僕はまだ生き
たいです」
葉子、首を振る。
瀬名「生かせてください」
葉子「ごめん、瀬名。ごめん」
葉子、瀬名を抱き締める。
瀬名、泣いている。

○繁華街・ビル・屋上
以前より古くそこら中錆びている。
ドアには南京錠がかかっている。

○質屋「桂馬」・前
「閉業しました」の紙がシャッターに貼られている。

○公園・湖
木の下に浩然の袋や画材が飛び出し、劣化している。

○同・瀬名の部屋
沢山の段ボールが積みあがっている。
大学の資料をかばんに入れる瀬名。
引き出しを開け、「蘭」のショップカードもかばんに入れる。
葉子の声「瀬名、トラック来たわよ」
瀬名、窓から空を見る。

○中華料理「蘭」・中
麻婆豆腐を食べる瀬名。
やつれた浩然、瀬名の前に座っている。
火傷の跡が以前よりも増えている腕で、煙草を吸う浩然。
瀬名「(中国語)美味しい」
浩然「良かった」
瀬名「すぐ会いに来るから」
頷く浩然。
見つめ合う瀬名、浩然。
瀬名「待ってて」
瀬名、浩然を抱き締める。
終わり

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