火曜日はコーラス 日常

「良妻賢母」の鑑と言われた母・カズヨを亡くしたマキコ。死ぬ間際、認知症が進み、かつての「母」としての面影を失ったカズヨ。マキコは葬儀の後、生前の母が隠していたある一面を知ることとなる。
カカポ 12 0 0 04/30
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第一稿

「火曜日はコーラス」

人物一覧表

室井マキコ(53)(48)…主人公。娘。
室井カズヨ(78)(73)…マキコの母。

介護士A・B…カズヨの施設の介護士。
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「火曜日はコーラス」

人物一覧表

室井マキコ(53)(48)…主人公。娘。
室井カズヨ(78)(73)…マキコの母。

介護士A・B…カズヨの施設の介護士。

同僚A…マキコの同僚
看護師A・B…カズヨが入院した病院の看護師。
医者…カズヨが入院した病院の医者。

老女A・B・C…カズヨのコーラス仲間


○葬儀場・会場前
人がいない葬儀場。仏壇にはピントのボケた写真が飾られている。
花に囲まれたお棺の中に写真の女性・カズヨ(78歳)。死装束を着せられ、薄く化粧された顔は穏やかな笑顔に整えられている。
髪を後ろで引っ詰め、やや引き攣った無表情で棺桶を見下ろす娘のマキコ(54歳)。一般的な喪服に一連の真珠ネックレス。
マキコ「お母さんよかったね。こんなに綺麗にしてもらえるなんて。」

マキコ、手を伸ばし母親の死顔を撫でる。
その手が止まり、閉じた口を二本指でこじ開けるように開く。歳の割には残  っている黄ばんだ歯が見える。
マキコ「こんな穏やかだと、まるで元に戻ったみたい。」

○葬儀場・受付
親戚が次々とやってくる。
親戚A「あんな素敵な方にもうお会いできないなんて嘘みたいだよ。いつもお父さんの横で静かに笑ってらしたね。」
マキコ、頭を下げる。
親戚B「本当に穏やかで、上品な方だったわね。」
親戚C「お棺でも、眠るようなお顔で。」
マキコ、静かに頭を下げ続ける。
マキコ(語)「死ぬ直前、母は私の母でなかった」

○1ヶ月前・介護施設
カズヨ「嫌ッ!」
マキコの顔に、米粒が飛び散る。息が荒く、肩をいからせたカズヨ。病院着で、ベッドの上の机に乗った食事トレーを掴んでいる。
カズヨ「こんなの食べたくない!」
マキコ「お母さん。お母さんってば。」
マキコ、カズエを静止しに近づき、トレーを手から取ろうとする。
カズヨ「やめてよォ!近づくな!」
余計に腕を振り回そうとするカズヨ。
トレーがマキコの額に当たる。鈍い音。
マキコ「ッ」
その場にしゃがみ込むマキコ。
パタパタと足音がして、恰幅のいい介護士が二人現れる。
一人がカズヨに近づくうちに、もう一人がマキコの横にしゃがみ込む。
介護士A「室井さんっ、大丈夫?」
介護士の方を向き、だいじょうぶです、と呟くマキコ。

頭を押さえた手を見て、
介護士A「あらあらあら、大変。あとは任せてください。」
介護士A、マキコを立ち上がらせ、部屋の外に出す。
介護士A「落ち着くまで、ちょっと待っていてもらえるかしら。ごめんなさいね。」
介護士A、扉を閉める。扉の前に立ち尽くすマキコ。扉の向こうからカズヨの泣き声と諫める介護士の声が聞こえる。
マキコ(語)「思えば、この時すでに私の『母』は死んでいたのかもしれない」

○5年前・台所
カズヨが台所で「ふるさと」を歌っている。
カズヨ(73)「マキちゃん、お母さんコーラス行ってくるから。マキちゃんも遅れないようにね。」
マキコが部屋の奥から現れる。
マキコ(49)「あ、今日火曜日か。毎週毎週よく行くねえ。」
カズヨ「楽しいのよ。こうして、みんなで歌うの。」
「ふるさと」の一節を歌ってみせるカズヨ。
カズヨ「本当に、もっと早く始めていればよかったって思うの。」
マキコ「はいはい、私もお母さん出たらぼちぼち行くわ。」
カズヨ「お弁当、またお握りにしてあるわよ。でも、お母さん、心配だわ。落ち着いてご飯を食べる時間もないなんて。」
マキコ「コーラスの日くらい、いいのに。コンビニとかで適当に買えるんだから」
カズヨ「あんな体に悪いもの毎日食べたらダメよ。朝ごはんも、あっため直して」
マキコ「本当にマメね。お母さんは。」
カズヨ「ずっと作ってきたから、二人分が癖になっちゃってるのよ。」
マキコ「ありがとう。美味しくいただきます」
仰々しくお辞儀をするマキコ。笑うカズヨ。

○自宅玄関
カズヨ「向かいの藤島さんとこのコウ君、お仕事クビになっちゃったって。マキちゃんもしっかりね。」
マキコ「その話何回するのよ。もう、ほら。行ってらっしゃい」
カズヨ「あと今度発表会があるのよ。マキちゃんお仕事都合ついたら見に来てね」
マキコ「まだ仕事が分からないけど、行けたらいくから」
ゆっくりだが、しっかりした足取りで歩いていくカズヨ。見送るマキコ。

○5年前・自宅リビング
古びた写真がアップライトピアノの上にずらりと飾られている。
マキコ(語)「母は、良妻賢母の鏡のような人間だった。」
振袖を着たマキコとの家族写真。
マキコ(語)「父は、滅多に帰ってこないような仕事人間だった。母は、父の影のように、静かに淡々と家のことをこなしてきた。」
カズヨ夫婦が旅行に行った2S。
マキコ(語)「そんな父が、脳梗塞であっけなく死んで10年。」
どことなく昭和の気配が残るダイニング。作りおかれた朝食を食べるマキコ。
マキコ(語)「一向に結婚もしない娘が、父の死を口実に転がり込んできたことを問わないのは、世話する人間が現れたことを喜んでかもしれない。」

○5年前・自宅台所
凝った弁当と、おにぎり。横には小さなメモ書きが残されている。弁当の蓋を閉め、カバンに入れるマキコ。
マキコ(語)「一人では何もできない父が死んで、ひとりの時間を持て余した母は、それを埋めるかのように、習い事に勤しんだ。」
マキコ、ごみ収集用のカレンダーを見る。上からカラーペンで書かれた予定がたくさん書かれている。
マキコ「恐るべし、後期高齢者。」
マキコ、生ゴミをまとめ家を出る。

○5年前・マキコのオフィス。
  おにぎりを食べながら、仕事をしているマキコ。
マキコ(語)「とはいえ、母が一人で楽しそうに過ごす姿は、こちらとしても気が軽かった」
  同僚が電話を手に振り返る。
同僚(女)「室井さん、外線。1番」
マキコ「はーい」

マキコ「お電話代わりました。室井です」
電話「ムロイカズヨさんのご家族の方ですか?こちら、横浜市立病院です。」
マキコ「えっ」

○5年前・病室
早足で病室に現れるマキコ。
カズヨ「マキちゃん、ごめんねえ。お仕事、大丈夫?」
マキコ「いいよ、いいよ、そんなの。それより大丈夫なの?」
カズヨ「骨が折れちゃってるって。困ったわあ。マキちゃんを家に一人にするの、心配だわ」
マキコ「五十路近い娘にする心配じゃあないわね。」
カズヨ「あなたもお父さんに似て、仕事人間だから。それに、私ももうすぐ発表会だってあるのに。」
カズヨ、「ふるさと」を部屋の看護師に歌って聞かせる。
別の看護師が現れる。
看護師「室井さんのご家族の方ですか?先生がちょっとって」
マキコ「あ、はい。」

○5年前・診察室
  医者と向き合うマキコ。病室にはレントゲン写真。
マキコ「え、どういうことですか?」
医者 「だから、お母さん認知症。まだ軽度ですけど、ご同居なら生活とか、なんか気づきませんでした?」
マキコ「いや…。だって認知症って、あのボケちゃうやつですよね。母は、家事も問題ないですし。今日みたいに習い事だって」
医者「我々もね、転んだって聞いたから、念の為、C T撮るまでは半信半疑だったんですけど。ほら、ここ」
医者、レントゲンを指差す。二つの写真が並んでいる。首をかしげるマキコ。医者、マキコの方に向き直る。
医者「実のところ、一緒に来てくれたお仲間さんから聞いたんですよ。室井さん、半年前に終わった年度末の発表会のこと何度も話すって。」
マキコ「えっ。発表会って、季節ごととかでやってるんじゃないんですか。」
医者「いや、それは知りませんよ。あなたが一番よくご存知なんじゃないですか」
話し続ける医者の話が聞こえていないようなマキコ。
マキコ(語)「実は、私は母の発表会を一度も見に行ったことがない。」
   ***
○(回想)オフィス
忙しそうに働くマキコ。
マキコ(語)「母がコーラスを初めて1年。仕事に追われていて、都合がつかなかったというのも理由の一つだが、」
○(回想)自宅・リビング
カズヨが出ていくシーン。リフレイン。
秋服カズヨ「じゃ、お母さんコーラス行くね。発表会もあるしね。」
冬服カズヨ「お母さん行ってくるから。発表会来れたらね」
春服カズヨ「来れたらでいいからね」
夏服カズヨ「発表会」

○5年前・診察室
相変わらず医者の話を聞いていないマキコ。
マキコ「そうですよね。いや、あまりに何度も発表会の話をするので、てっきり季節ごとの小さな催しなんだと思ってて…。」
医者が、マキコの方を向く。
医者「とにかく、今回の怪我が治るまではひとまず安静です。病院にいる間に、かなり早く認知症も進んでしまう可能性もあります。でも、様子を見ながらまずは、足を治していきましょう。」
マキコ「あっ、はい。よろしくお願いします。」

○5年前・自宅玄関
静まり返った家。
マキコ「ただいまあ」

○5年前・ダイニング
薄暗い台所で、会社に電話をかけるマキコ。片手間に冷蔵庫を開けると、中には野菜や肉や、さまざまな冷蔵食品が異様にみっしりと詰まっている。絶句するマキコ。電話口からはマキコを呼ぶ声がする。

空の弁当箱を洗いながら暗い表情のマキコ。
家族写真で穏やかに笑うカズヨ。

○5年前・病院
マキコ(語)「認知症とはいえ、穏やかな母ひとり。大した労ではないだろう。」
病室のベッドで食事を取るカズヨ。傍で本を読むマキコ。
マキコ(語)「そう思っていた。」
カズヨ、出された昼食の皿をスプーンでつついている。
マキコ「食べないの?」
答えないカズヨ。
マキコ「ちょっとお母さん。お行儀悪いでしょ、そんなことしたら。」
カズヨ「…マキちゃん」
マキコ「なに」
カズヨ「これ、食べられるの?」
マキコ「…おからだよ。お母さん、よく食べてたよね」
カズヨ「あ…おから、ね。そうよね。やだ。お母さん、ボケちゃったのかしら。」
カズヨ、少し笑って、食べ始める。

○3年前・自宅
ダイニングテーブルを挟んで出前の昼食を取るマキコとカズヨ。
マキコ(語)「穏やかだった母は、あっという間にいなくなった。」
カズヨ、朝食を食べる手を止める。
カズヨ「ところで、こんなに良くしてもらって、申し訳ないんだけど…私はいつになったら帰れるのかしら。」
食事の手を止めるマキコ。
マキコ「…何言っているの、ここがお家よ。」
困ったような顔のカズヨ。
カズヨ「本当に感謝してるわ。ご飯も、お風呂もいただいて。でも、早く帰らないと、娘も心配してるでしょうし、火曜日はコーラスの練習もあるの。」
マキコ「お母さん…?」
カズヨの顔が引き攣る。困った笑い顔に見えるが、目が怯えている。
カズヨ「…面白い方ね。でももう結構よ。」
マキコ、ゆっくりと立ち上がる。
マキコ「ねえ、お母さん」
ハッと身構え、泣きそうな顔になるカズヨ。
カズヨ「あなた、怖いわ。帰る!帰らせてください!」
涙目で叫ぶカズヨ。払い除けた手で、食べかけの出前がひっくり返される。立ち尽くすマキコ。

○3年前・介護施設
ベッドに座り、遠くを眺めるカズヨ。部屋の外で介護士に頭を下げるマキコ。
マキコ「すみません、もっと大変な人だっているのに…」
介護士A「何言っているんですか。早めにご相談いただけてよかったです。」
介護士B「そうですよ、最近は思い詰めちゃう人も多いから。立派ですよ。」
マキコ「はあ…。そうですか。では、すみませんが、母をよろしくお願いします」
マキコ「じゃあ、お母さん。また来るからね。」
マキコがドアの向こうから声を掛けるが、カズヨの反応はない。
「ふるさと」を小声で口ずさんでいるのが聞こえる。
マキコ、そのまま会釈し、逃げるように介護施設を後にする。

○葬儀場
葬儀に訪れた人たちを見送るマキコ。
全ての客を送り出し、伸びをすると、マキコのお腹が鳴る。
葬儀場スタッフが通りかかる。
マキコ「少し、外の空気を吸ってきます。」

○コンビニ
マキコ、コンビニから出てくる。喪服のまま駐車場の縁石に座り、ビニール袋からおにぎりを取り出し食べる。
3人連れの老女が、コンビニから出てくる。「ふるさと」を声を合わせて歌いながら、時折笑っている。マキコ、それを見つめる。
マキコ「お母さん」
老女たち、コンビニの袋から肉まんやホットスナックを取り出し、食べながら歩いている。
マキコ、立ち上がり声をかける。
マキコ「あの!」
***
老女A「そう…室井さん、亡くなったのね。」
マキコ「ごめんなさい。コーラスに通ってることは知っていたんですが、どなたの連絡先も存じ上げなくて…」
老女B「良いのよ。私たちだって室井さんに娘さんがいることすら知らなかったんだもの。」
老女C 「でも、寂しいわね。本当に面白い方だった」
マキコ「えっ」
老女A「いつも冗談ばかり言うの。もうおかしくて。」
老女B「そうそう。こうして買い食いしてる時も、一番欲張って買うのも室井さんだった」
老女C「ほんとにね。大きい声で歌って、コーラスをよくしようとたくさん意見も出してくださって。きっと家でも太陽みたいなお母様だったんでしょうね。」
マキコ「そ、そうだったんですか。」
うつむくマキコ。老女、マキコの肩を触る。
老女A「今はお辛いでしょうけど、しっかりね。」
老女B「今度、お仏壇にお参りさせてくださいね。」
去っていく老女たちを眺めるマキコ。ずっとコンビニおむすびを握ったままだったことに気がつく。パッケージには、割烹着を着て微笑む女性のイラストと、「おかあさん握り」の文字。マキコ、イラストを撫でる。
マキコ「お母さん、ごめんね。」
17時のチャイムで「ふるさと」が流れる。
マキコ「ありがとう。ずっと『お母さん』でいてくれて。」

○後日・自宅 仏壇
テレビから天気予報が流れている。
テレビ「3月15日火曜日、今日のお天気は晴れ…」
マキコ、テレビを消し、仏壇に手を合わせる。
マキコ「行ってくるね」
マキコがドアを閉める音がする。発表会のカズヨの写真が備えられた仏壇には、肉まんと、ファミチキが供えられていた。

終わり

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