「暗」にも「闇」にも”音”が入っている件 ドラマ

 区役所で働く瀬戸志織(28)は、通勤途中、助けを求める視覚障碍者の男性を見かけ、声をかける。そういった手助けは普通の人にとってはなかなかハードルの高いことだが、志織にとっては初めてではなく、むしろ慣れたことだった。というのも、十二年前のある出来事がきっかけで、普段から困っている人には手を差し伸べるようになったからだ。志織は出勤時間に遅れないよう気をつけながらも男性を案内し、過去に想いを馳せる。
蒼波リョータ 22 0 0 12/28
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第一稿

〇都心のターミナル駅(朝)

   雑踏の中、白杖を上に伸ばし立ち尽くす男性。
   男性を避けて忙しく行きかう人々。
   瀬戸志織(28)、男性に声をかける。
志織「 ...続きを読む
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〇都心のターミナル駅(朝)

   雑踏の中、白杖を上に伸ばし立ち尽くす男性。
   男性を避けて忙しく行きかう人々。
   瀬戸志織(28)、男性に声をかける。
志織「大丈夫ですか?何かお困りですか?」
男性「あの、久しぶりに来たら駅が変わってまして。南口に行きたいんですけど」
志織「私がご案内しますよ」
志織、男性の右側に立ち、左の肘のあたりを持ってもらい、歩き始める。
志織M「こういった手助けは、多くの人にとってはハードルの高いことかもしれません。
   しかし私にとってはやり慣れたもので、自然と身体が動くのです。
   きっかけは、十二年前のある出来事でした」
   志織、男性と会話しながら歩いていく。
志織M「高校一年の秋頃、授業の一環として二日間の職業体験がありました。
   私は家から近いとか単に興味があるからとかいう軽い気持ちで、
   視覚障碍を持つ小学生の先生をやることにしたのです」

〇沼岡視覚特別支援学校・正門(朝)

   TW 二〇一〇年十一月
   「沼岡視覚特別支援学校」の表札。
   瀬戸志織(16)、歩いてくる。

〇タイトル

〇沼岡視覚特別支援学校・職員玄関(朝)

   宮澤恵子(45)、職員玄関で出迎える。
恵子「おはようございます。ようこそいらっしゃいました。
   沼岡視覚特別支援学校教諭の宮澤恵子です。よろしくね」
志織「おはようございます。幡野高校一年の瀬戸志織です。よろしくお願いします」

〇沼岡視覚特別支援学校・教室(朝)

   恵子・志織、教室に入り、教壇に立つ。
志織M「子供たちと対面したときに最初に思ったのは、今振り返っても大変に失礼ですが
   『人の目の印象って大きいんだな』ということでした」
   恵子、児童を見て何かを考えている志織を横目で見遣る。
恵子「今日は職業体験ということで、高校生のお姉さんが来てくれました。
   それでは一言お願いします」
志織「幡野高校一年の瀬戸志織です。今日と明日、みなさんの先生として、
   一緒に過ごすことになります。よろしくお願いします」
   志織、一礼する。
   拍手が起こる。
恵子「はい、ありがとうございます。では、いつも通り始めていきましょうか」
   児童たち、教科書を準備する。
恵子「瀬戸さん、一通り読んでもらえる?」
   恵子、教科書の『ごんぎつね』を示す。
志織「はい。『ごんぎつね』。新美南吉。
   これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。
   むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに小さなお城があって、
   中山さまというおとのさまが、おられたそうです。
   その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」という狐がいました。
   ごんは一人ぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。
   そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。
   はたけへ入って・・・」
志織M「普通より気持ちゆっくりすることを意識しながら、音読を始めました。
   つい数年前と立場は逆転したものの、
   こうして学校で勉強したことを懐かしく思い出しました」
志織「「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」
   ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。
   その晩、ごんは、穴の中で考えました。
   「兵十のおっ母は、床についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。
   それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、
   うなぎをとって来てしまった。
   だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。
   そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、
   うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。
   ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」」
志織M「しばらく順調に進めていたのですが、
   小学生向けの既知の文章を相手のペースで読んでいることや、
   反応があまり見られないことに早くも退屈していました」
志織「兵十が、赤い井戸のところで、麦を研いでいました。
   兵十は今まで、おっ母と二人きりで、貧しいくらしをしていたもので、
   おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。
   「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」
   こちらの物置の後から見ていたごんはそう思いました。ごんは・・・」
   児童たち、少しそわそわしつつも無言で聞いている。
   恵子、志織をちらりと見る。
志織「そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、
   ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。
   家の中を見ると、土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
   「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
   「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
   ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
   兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました」
恵子「はい、ありがとうございます。
   では、場面ごとに区切って確認していきましょう。まず、・・・」
志織M「一通り読み終えた後は宮澤先生にバトンタッチし、語彙の確認をしたり、
   登場人物の気持ちを話し合ったりしました。みんな緊張していたのか、
   あまり活発ではなかったように思います」

   * * *

   休み時間。ざわざわし始める。
   志織、座ってボーっとしている。
   新垣すみれ(10)が近づいてくる。
すみれ「お姉さん、授業、つまらないの?」
志織「えっ?そんなことないよ」
すみれ「なんか、あんまり楽しくなさそうだったから」
志織「こうやって面と向かって読むことってそんなになかったし、
   なかなか難しいなぁと思って」
   志織、すみれの胸元の名札を見る。
すみれ「ふーん」
志織「私も小学生の頃に習ったやつなんだけどね、ちょっと緊張しちゃって」
すみれ「そうなんだ。宮澤先生は上手だから、教えてもらいな!」
志織「そうだね、そうするよ。ありがとう、すみれちゃん」
   すみれ、志織をじっと見つめる。
志織「・・・新垣すみれちゃん、いい名前ね」
すみれ「そうなの!お花の名前なんだ」
志織「うん、すごくかわいくて綺麗なお花よ」
志織M「言ってしまってから悔やみました。
   彼女は自分の名前となっているその花を見ることはできません。
   あの儚げな美しさを伝えられるだけの言葉は、当時も今も、私の中にありませんでした」
すみれ「スミレはね、三月から五月くらいに咲くの」
志織「そうなの?春の花なんだね」
すみれ「うん、私の誕生日も四月なんだ!」
志織「ますますぴったりな名前ね」
すみれ「お母さんが言ってたんだけどね、スミレは小さいけど
   道端とかいろんなところで咲くんだって。とっても元気なお花なんだって!」
志織「ふふ、人間のすみれちゃんも元気だね」
すみれ「うん!あとね、色がたくさんあってね、紫とか白とか黄色とかピンクとか、
   いろいろあるの!それでね、それぞれ花言葉っていうのも違うんだって!」
志織「そっかぁ。すみれちゃん、物知りだね」
   以下、点描。
   志織、すみれと話している。
   志織、授業をしている。
   志織、児童たちと校舎内を歩いている。
   志織、児童たちと給食を食べている。
志織M「人が得る情報の八割は視覚に由来する、と言われています。それが故に私たちは、
   見える情報に依存しがちです。私はスミレがどんな花か知っています。
   写真を並べられて「この中からスミレを選べ」と言われれば、即答できるでしょう。
   しかし私がスミレについて知っているのは、それだけでした。
   すみれちゃんの方が、圧倒的によく知っていました。知ろうとしていました。
   私はなんとなく見ていて、なんとなく知った気になっていただけだったのです」

〇都心のターミナル駅周辺

   志織、男性と会話しながら歩く。
志織M「そしてそんなときに『百聞は一見に如かず』という残酷な諺が
   脳裏を掠めてしまった自分にも嫌気が差しました。
   果たして、この世界をより具に”見ている”のはどちらなのだろうか、と」

〇沼岡視覚特別支援学校・玄関~正門(夕方)

   下校中の児童。親が迎えに来ている。

〇沼岡視覚特別支援学校・職員室(夕方)

   志織、「職業体験まとめノート」にその日の感想を書いている。
   恵子、職員室に入ってきて、志織の近くに座る。
恵子「一日目、お疲れ様」
志織「お疲れ様です」
恵子「瀬戸さんはさ、自分で本を読むときも、あんなに楽しくなさそうなの?」
志織「・・・いえ、別に。ただそんなに演技をする必要はないかなと」
恵子「うん、それはそうね」
志織「私の読み方や表現で、子供たちの受け取り方が決まってしまうのもどうかと思って」
恵子「言いたいことはよくわかるわ。私も最初はそうだったから」
志織「・・・そうなんですね」
恵子「少し目を瞑ってもらってもいいかな」
   志織、目を瞑る。
   画面が暗くなる。
志織M「言われた通り目を閉じると、宮澤先生が『ごんぎつね』を読み始めました」
   以下、朗読部分がフルカラーアニメーション(または紙芝居)で再現される。
恵子「「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。
   「ああん?」
   「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」
   「何が?」
   「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに栗やまつたけなんかを、
   まいにちまいにちくれるんだよ」
   「ふうん、だれが?」
   「それがわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」
   ごんは、・・・」
志織M「抑揚の付け方や間の取り方、決して大げさな表現ではないけれどすっと心に入ってくる
   セリフや心情など、端的に言って上手でした。私は確かに色彩や手触りを感じました。
   温かい。言葉が生きている」
恵子「「さっきの話は、きっと、そりゃあ、神さまのしわざだぞ」
   「えっ?」と、兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。
   「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ、
   神さまが、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、
   いろんなものをめぐんで下さるんだよ」
   「そうかなあ」
   「そうだとも。だから、まいにち神さまにお礼を言うがいいよ」
   「うん」
   ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが・・・。」
志織M「すみれちゃんのアドバイスは的確だったようだな、と思いました」
恵子「「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
   ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
   兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。
   ・・・、まだ、そのまま目を瞑っていてね」
   恵子、咳払いをしてお茶を飲む。
志織M「朗読を終えた宮澤先生は一息つくと、再び最初から音読を始めました。
   先程よりは平板な調子でやや機械的な印象でしたが、
   内容は知っているので場面は見えてきました」
   以下、朗読部分が白黒アニメーション(または紙芝居)で再現される。
恵子「十日ほどたって、ごんが、弥助というお百姓の家の裏を通りかかりますと、
   そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内が、おはぐろをつけていました。
   鍛冶屋の新兵衛の家のうらを通ると、新兵衛の家内が髪をすいていました。ごんは、
   「ふふん、村に何かあるんだな」と、思いました。
   「何だろう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしそうなものだ。
   それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが」
   こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間にか、・・・」
志織M「しかし徐々に、あることに思い至りました。そもそもここの子供たちには、
   思い浮かべることのできる情景の記憶や、想像力はあるのだろうか、と。
   そして情感のない声を聞き続けているうちに、不安が襲ってきました」
恵子「お午がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵さんのかげにかくれていました。
   いいお天気で、遠く向うには、お城の屋根瓦が光っています。墓地には、ひがん花が、
   赤い布のようにさきつづいていました。と、村の方から、カーン、カーン、と、
   鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。
   やがて、白い着物を着た葬列のものたちがやって来るのがちらちら見えはじめました。
   話声も近くなりました。葬列は墓地へはいって来ました。
   人々が通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。
   ごんは・・・」
志織M「宮澤先生は怒っているのだろうか?面倒くさいと思っているのだろうか?
   この声は、本当にさっきまで目の前にいた宮澤先生の声なのだろうか?」
   一発の銃声。
恵子「「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
   ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
   兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました」
   モノクロアニメーション(または紙芝居)の画面にヒビが入る。
   ヒビから黒色のインクのようなものがにじみ出てきて画面が真っ暗になる。
恵子「はい、もう目を開けていいよ」
   画面が明るくなり、現実世界に戻る。
   志織、ゆっくりと恐る恐る目を開け、眩しそうにする。
恵子「瀬戸さんがどう感じたか深くは聞かないけど・・・。大げさに読む必要はないの。
   でも、瀬戸さんが本を読むときと同じように、子供たちが本を聴けるようにしてほしい。
   耳で読めるようにしてほしい。私たちは見えるから、登場人物の鼓動や感情を
   自分で感じ取ることができるし、いろいろと想像することもできる。
   (徐々に志織の声と恵子の声が重なり、男性を案内している志織の画に)」

〇都心のターミナル駅・南口

   志織と男性のもとに女性が近づく。
   男性とその女性、志織にお礼をする。
   志織、笑顔で対応し、小走りで職場へ向かう。
志織M「でもここの子供たちは、程度にもよるけど、
   間に立って言葉を伝えてくれる人がいないとそれは難しい。
   もちろん点字もあるけど、生の人の声の持つ力には代えられない。
   朧げな記憶ですが、こんな内容だったと思います」

〇沼岡視覚特別支援学校・トイレ(夕方)

   志織、手と顔を洗い、鏡の中の自分と暫し見つめあう。

〇沼岡視覚特別支援学校・職員室(夕方)

   志織、元いた席に座る。
恵子「そういえば瀬戸さんは、なんでこの仕事を体験しようと思ったの?」
志織「・・・なんとなく、です」
恵子「そう」
志織「・・・すみません」
恵子「・・・私もね、ずっと先生をやっていたわけじゃないのよ」
志織「そうなんですか」
恵子「昔はホテルスタッフとして働いていたの。高校を卒業してすぐに。
   コンシェルジュっていうのを目指してね」
志織「へえー、コンシェルジュ」
恵子「全国展開してる大手のホテルが地元にあってね。
   最初の数年間は下っ端として、なんでもがむしゃらにやってたわ」
志織「・・・それ、何年前の話ですか」
恵子「えーっと・・・って、大人の女性に対して年齢がわかる質問はしないの」
志織「え?あぁ、すみませんそんなつもりは・・・」
恵子「そこでね、ある女の子に出会ったの。高校生くらいの子だったかな。
   お父さんとお母さんと三人で泊まりに来ていて。
   ちょうど私が二十歳の頃だったから、二十五年前かな」
   恵子、悪戯っぽく微笑む。
恵子「その子はね、視覚障碍者だった。詳しくはわからなかったんだけど、
   先天的なものではなくて、事故か何かで数か月前にそうなったばかりみたいで」
   志織、驚くがすぐに隠す。
恵子「最初はね、年頃の女の子なのにそんな状態だなんて、
   しかもせっかく景色の綺麗な観光地に来たのにそれを見られないなんて、
   ”かわいそうだな”と思っちゃったのよ。でもね、ご両親が常に優しく寄り添っていて、
   喋りかけていて、愛情を注いでいて。
   視覚障碍なんかに、って言ったらちょっと不謹慎なんだけど、
   負けないように強く生きようとしているのが伝わってきて、
   私も何か”してあげたい”と強く感じたの」
   志織、小さく頷く。
恵子「ただ、その子はご両親に対してさえ心を閉ざしてしまっていて。
   せっかくの家族旅行なのに、心ここに在らずというか、
   あんまり楽しんでるようには見えなかった。でも考えてみれば当然よね。
   青春真っ盛り、無限の可能性に満ち溢れて、明るい未来を夢見ていたのに、
   一気に真っ暗闇の奈落の底だもの」
志織「それはとても・・・今の私が同じ状況になったらと思うと・・・」
志織M「死んだほうがマシだと思います、という言葉を飲み込みました」
恵子「他のお客様の対応もあったから、特別何かをしたというわけではないんだけど、
   常に気にかけてはいたの。何かあったらすぐにお手伝いできるように。
   結局三泊していったのかな。それで最後のご夕食のときに・・・、
   今でも忘れられないんだけど」
   恵子、ため息をつく。
恵子「ご両親がね、写真を撮ろうとしたの」

〇とあるホテル・レストラン(回想)

   TW 一九八五年 秋
   恵子(20)以外、顔は見えない。
   恵子Nは、二〇一〇年の声。
父親「すみません」
恵子「はい、何かお困りでしょうか?」
父親「あの、家族の写真を撮ってもらってもいいですか」
恵子「かしこまりました」
   父親、恵子にカメラを渡す。
   恵子、操作にてこずる。
   父親、使い方を教える。
恵子N「本格的な一眼レフカメラを渡されてね。そんなの初めて持ったから、焦っちゃって。
   ぱぱっと何枚かだけ撮ればよかったのに、いろいろと使い方を教えてもらってたのよ。
   そしたら急に」
女の子「写真は嫌だ!」
母親「いいじゃない。撮りましょうよ」
女の子「やめて!ずっと嫌だって言ってるじゃない!」
母親「何がそんなに嫌なの?」
女の子「・・・お母さんもお父さんも、何にもわかってない・・・」
父親「もう子供じゃないんだから。駄々こねてないで、な?思い出作りだよ」
母親「そうよ、記念に、ね?」
女の子「だからそれが嫌だって言ってんの!!私は何も見えないのよ!!
   あなたたちの自己満足でしょ!!私はこんな姿、残して欲しくないの!!」
   静まるレストラン内。
   他の客は一瞬動きを止め、女の子の方を振り返る。
恵子N「あんなに大きな声を出すなんて思ってなかったから、
   びっくりしすぎて固まっちゃって。すぐに先輩が飛んできたわ」
   先輩が駆け寄ってくる。
先輩「お客様、どうされましたか」
父親「あっ、いや・・・すみません、お騒がせして。何でもありません。大丈夫です」
先輩「さようでございますか。何かありましたら、お気軽にお声がけください」
   先輩、一礼して立ち去る。
   恵子、カメラを持ったまま立ち尽くす。
   レストラン内、再びざわざわし始める。

〇沼岡視覚特別支援学校・職員室(夕方)

恵子「それですぐに落ち着いたからよかったんだけどね。」
志織「・・・大変でしたね」
恵子「たとえご両親でも、どれだけ愛情をもって接しても、
   一度凍ってしまった心を溶かすのは難しいんだなって。
   一歩間違えれば粉々に砕け散ってしまうんだなって。
   結局、見える人に見えない人の気持ちはわからないのよ。
   ”かわいそう”とか”~してあげる”っていうのは上から目線の言葉で、
   自分本位の考え方なんだなって痛感したわ」
志織「・・・そうですね」
恵子「その後はご両親も口を噤んでしまってね。
   しばらくしてレストランを出るときに謝罪されたんだけど、
   私もどうしていいのかわからなくて」
志織「・・・誰も悪くないというか、悪意がある人がいないのがまた難しいですね」
恵子「そうね、もし全て自分のせいだと思う人がいたら、おこがましいにもほどがあるわね」
   恵子、自分の身体を抱きしめながら、ゆっくりと頷く。
恵子「その一件があってから、自分の至らなさとか働く意味とか急に真面目に考え始めてね。
   思えばコンシェルジュになりたいって、自分のことしか見えてなかったなって。
   もちろん、接客業だからお客様のことが第一なんだけど、
   結局自分の目標のための駒みたいなものだと無意識のうちにみなしてたのかなって。
   改めて、もっとしっかりと人と向き合いたいと思ったの」

   * * *

   (フラッシュ)
恵子「そういえば瀬戸さんは、なんでこの仕事を体験しようと思ったの?」
志織「・・・なんとなく、です」
恵子「そう」
志織「・・・すみません」

   * * *

恵子「それで一念発起して今の仕事に就いたんだけど、それも失敗の連続でね。
   あのとき強烈に〝視覚障碍者の気持ちはわからない〟って心に刻み込まれたはずなのに。
   喉元過ぎれば熱さを忘れるってまさにこのことかと。
   油断か驕りか、私の思い込みや独りよがりで傷つけてしまうこともたくさんあったわ。
   そして今でも、上手くいかずに反省することの連続なのよ」
   恵子・志織、ぎこちなく微笑み合う。
恵子「さて、昔話はこれくらいにしてと。何か聞きたいことはある?」
志織「・・・あのそういえば、さっき、二十五年前とおっしゃってましたよね」
恵子「そうよ、何度も言わせないでよ、歳がばれるから」
志織「地元のホテルとも言ってましたけど、場所はどの辺りですか?」
恵子「あら、言ってなかったかしら。長野よ。長野市とか小布施町とかその辺り。
   今はもうそのホテルはないんだけどね」
志織「長野市、小布施町・・・、なるほど」
恵子「何か気になる?所縁でもあるの?」
志織「あっいえ、特には。単純に、どこなのかなぁって」
恵子「そう。のんびりしていていいところよ。最近はあまり帰省できてないけど」
志織「へえ・・・」
恵子「さっきも言ったけど、私たちに視覚障碍者の気持ちは完全にはわからないの。
   でもだからと言って、理解することを放棄してはダメ。寄り添うことを諦めてはダメ。
   わからないものはわからないと割り切った上で、共に生きようと頑張るの。
   まぁ、あくまで職業体験だから、
   瀬戸さんにそこまで求めるのはちょっと酷かなぁとは思うのだけど」
   志織、窓の外をちらりと見る。
   すっかり日が暮れており、窓が黒い鏡となって志織を映している。
恵子「あとね、聴く力に関してはみんな物凄く敏感で、
   読んでいる人の心の機微や気分には繊細に反応するのよ」
   鏡の中の志織、黙って頷く。

〇志織の家・居間(夜)

   金子静代(65)、夕飯を運んでいる。
   金子賢治(64)、席についている。
   玄関のドアが開き、志織が「ただいまー」と言う声だけ聞こえる。
   志織、居間に入ってくる。
志織「ただいまー」
静代「おかえり、志織。ご飯できてるわよ」
志織「ありがとう、おばあちゃん。おじいちゃんもただいまー」
賢治「おぉ、おかえり」
志織M「聞きたいことは山積していましたが、逸る気持ちをひとまず抑え、
   腹ごしらえをすることにしました」
志織「いただきまーす」

〇沼岡視覚特別支援学校・職員室(夜)

   恵子、志織が書いた「まとめノート」を読み、コメントを書き込んでいる。

〇志織の家・居間(夜)

志織「ごちそう様でした」
静代「おそまつ様でした。はい、お茶どうぞ」
志織「ありがとう」
静代「職業体験はどうだったの?」
志織「大変なのは覚悟してたけど、予想よりずっと大変だったよ」
静代「それはそうよ、普通の学校の先生だって大変なんだもの、ねえ」
賢治「そうだな。ずっとやってたけど、楽だと思ったことは一度もなかったな。
   まぁでも志織がこの仕事を選んだのも必然というか。
   このじいちゃんばあちゃんの孫だもんな」
志織「そのことだけど、お母さんについてちょっと聞きたいことがあるんだけど」
賢治「おお、何だ?」
志織「お母さんってさ、高校生のときに事故に遭ったんだよね」
賢治「・・・あぁ、そうだ」
志織「高校に入ってすぐくらいの頃だっけ」
静代「えぇ、進学してすぐだったわね・・・。ちょっと浮かれすぎちゃったみたいで」
賢治「あぁ、もっと地に足をつけるように言っておけばな・・・」
志織「・・・それで退院してからさ、頻繁に家族旅行をしてたんでしょ?」
静代「そうね、家にいても塞ぎ込んじゃうし、なんとか元気になってほしかったし。
   気分転換にでもって」
志織「その旅行で長野って行ったことある?」
賢治「長野か、行ったことあるぞ。二、三回目の旅行だったかな?なぁばあさん?」
静代「えぇ、小布施とか行きましたね。写真があったはずよ。ちょっと待っててね」
   静代、席を立つ。
   志織、お茶を飲み干し、台所に向かう。
   賢治、座ったまま腕を組んで何か考え込んでいる。

   * * *

   志織、お茶のおかわりを持って居間に戻る。
   テーブルには大量のアルバムや写真。
静代「旅行以外のも全部持ってきちゃったわ」
   賢治・静代、アルバムや写真をパラパラ見ている。
賢治「こうして見ると、随分たくさん撮ったんだなぁ」
志織「その長野旅行のは、どれ」
静代「えーっと・・・、あった。これよ」
   志織、アルバムを見る。日付や行程などのメモが挟まっている。
志織「景色の写真が多いね。あとは建物とか、食べ物とかかな。人が写ってるのは・・・、
   じいちゃんばあちゃんが写ってるのは何枚かあるけど、
   お母さんが写ってるのは一枚もないんじゃないかな」
静代「あ、あら、そうかしら」
志織「他のアルバムはどうなんだろう」
   志織、他のアルバムや写真を手に取り、パラパラと見ていく。
志織M「そのとき初めて分かったのですが、恐らく事故後から成人式までは、
   母は一切写真を撮らなかったようでした。あるいは、写ってはいたが現像しなかったか、
   破棄したのかもしれません。とにかく、幼少期から高校入学頃までと、成人式以降、
   私の幼稚園の入園式の頃までしか、母の写真はありませんでした。
   そして、何がきっかけで再び写真を残そうと思ったのかも、全く不明でした」
   志織、再度長野旅行の写真を眺める。
志織「確かにこれだけ綺麗な景色とかお寺とかだったら、そっちばっかり撮りたくなるね。
   カレンダーとかにできそう」
静代「じいさんは風景写真が好きだったからね」
賢治「あぁ、そうだな。いつか娘の視力が回復したら、見せようと思ってたんだ」
志織「なるほどね」
志織M「嘘だと直感しました。正確には、半分は本当で、
   半分は別の理由があるのだろうと思いました。
   それだけでは母の写真がないことの説明にはなっていません」
志織「でも、結局それは叶わなかったんだよね。私が五歳のときに死んじゃったんだっけ」
静代「えぇ、そうよ。まだ三十歳だったのに・・・」
賢治「本当はこの写真も一緒に納棺しようと思ったんだけどな、残しておきたくて」
静代「懐かしいわねぇ・・・この振袖の写真なんか、いい写真ね。本当に綺麗」
賢治「あぁ、いい顔してるよ。いろいろあったけど、きっと楽しい人生を生きたと思う」
静代「そうね」
   志織のお茶から湯気が消えている。
志織「お父さんは全部知ってるの?」
賢治「さぁな・・・じいちゃんたちから話したことはなかったからな」
静代「・・・元気にしてるのかね」

   * * *

   (回想)
   志織(8)の視点から見た父親の点描。
   瀬戸修(32)、家事をしている。
   修、バタバタと仕事に向かう。
   修、夜遅くに帰ってくる。
   志織、うす暗い部屋でコンビニ弁当を食べている。
   修、やつれた顔で仕事に向かう。
   修、妻の瀬戸仁美(30)の遺影を見ながら泣いている。
志織M「父は、母が亡くなってから数年は男手一つで育ててくれました。
   しかし最愛の妻を失った悲しみは癒えることなく、仕事の忙しさも相俟って、
   ついに心が折れてしまったのでした。
   母方の祖父母に面倒を見てもらうことにしたと告げられたとき、
   私は何も言うことができませんでした。
   何か言ったところで何も変わらないことはわかっていました。
   そうするしかなかったのです。
   私が最後に見た父親は、子供のために子供と離れなければならない寂寥感を滲ませ、
   疲弊し憔悴しきった顔で、ひたすら謝罪の言葉を口にしていました」
   志織、荷物をまとめる。
   修、賢治(56)・静代(57)に頭を下げる。

   * * *

静代「志織にも、迷惑かけたわね」
志織「いや、そんな・・・こっちこそ、ちょっと荒んでたし・・・ごめん」
賢治「まぁ、あそこの壁の穴も、今となってはいい思い出だな」
   賢治、壁の穴を指差す。
志織「それはもう・・・忘れてください」
   志織・賢治・静代、笑い声をあげる。
志織「そうだ、写真何枚か借りてもいい?」
静代「えぇ、どうぞ」
   志織、長野旅行のアルバムから風景の写真と、母の成人式の家族写真を選ぶ。
志織「じゃあ、もうお風呂入って寝るね」
静代「はいよ」
   志織、自室へ。通学カバンに写真をそっと収めてから、浴室へと向かう。

〇とある区役所(朝)

   志織、バタバタと出勤して自席へ。
   デスクには一枚の写真と花(まだよく見えない)
同僚「瀬戸さん、ちょっといい?」
   志織、同僚のジェスチャーで察する。
志織「あっはい、今行きます」

〇沼岡視覚特別支援学校・教室(日替わり)

志織M「職業体験二日目。その日も国語の授業がありました。
   前日と同じく『ごんぎつね』の読み上げから始めました。
   耳で読めるよう、心を込めました」
志織「一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、
   何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。
   ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。
   うなぎは、キュッと言ってごんの首へまきつきました。
   そのとたんに兵十が、向うから、
   「うわアぬすと狐め」と、どなりたてました。ごんは、・・・」
志織M「私は見えるから、見えない人の気持ちはわかりません。
   でも宮澤先生の伝えたいことはなんとなくわかったのでした。
   宮澤先生がどれほどの想いで子供たちと向き合っていたのか、
   私がどれほどいい加減な態度で子供たちと向き合っていたのか」
志織「「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」
   ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。
   その晩、ごんは、穴の中で考えました。
   「兵十のおっ母は、床についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。
   それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、
   うなぎをとって来てしまった。
   だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。
   そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、
   うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。
   ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」」
志織M「宮澤先生の二度目の音読を聞いたときに感じた不安は、
   暗闇の中では耐えがたい恐怖へと変わりました。
   初日の私は子供たちにこんな思いをさせていたのかと激しく後悔しました」
志織「兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。
   兵十は今まで、おっ母と二人きりで、貧しいくらしをしていたもので、
   おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。
   「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」」
   志織、朗読が止まる。
   恵子、ちらりと志織の方を見る。
   志織、再び読み始める。
志織M「唐突に、ごんの行動の理由がわかった気がしました。ごんは孤独でした。
   誰かに構ってほしくて、家族や友人がいる人が羨ましくて、
   いたずらを繰り返していたのだろう、と。
   しかし寂しさは免罪符にはならないし、行動だけでは想いは伝わりませんでした」
志織「「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
   ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
   兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました」
恵子「はい、ありがとう」
   すみれ、挙手している。
恵子「すみれちゃん、どうしたの?」
すみれ「お姉さん、泣きそうだったね」
志織「えっ・・・っと、そうかな」
恵子「どの辺りでそう感じたのかな」
すみれ「兵十のお母さんが死んじゃって、
   ごんが『おれも兵十も一人ぼっちか』って言ったところ。本当に悲しそうだった」
   志織、涙が溜まっていることに気づき、慌てて拭き取る。
恵子「そうだね、先生も、とても気持ちがこもっていると思いました。
   じゃあ、なんでそこで悲しくなったのか、みんなで考えてみましょう」
   児童たちが話し始め、ざわざわする。
   志織、最初はその様子を見ているが、話に加わる。

〇沼岡視覚特別支援学校・職員室(夕方)

   恵子、志織が書いた「職業体験まとめノート」を読んでいる。
恵子「昨日はちょっと厳しいこと言っちゃって、ごめんなさいね」
志織「いえ、全然いいですよ」
恵子「昨日と今日では見違えるように上手になってたわね。感心しちゃった」
志織「ありがとうございます。・・・あの、昨日の話なんですけど」
恵子「何?」
   恵子、まとめノートに講評を書き込みながら耳を傾ける。
志織「実は私の母親が昔、宮澤先生が働いていたホテルに
   泊まったことがあるかもしれないんです」
恵子「あら、すごい偶然ね。もしかしたら会ってたのかしら」
志織「確証はないんですけど、恐らく・・・。
   私の母親、高校生のときに事故に遭って視覚障碍者になったんです」
恵子「えっ?」
   恵子、手を止める。
志織「入学してすぐの頃らしいです。その後、たまたま長野に旅行してたみたいで」
恵子「そうだったのね・・・じゃあ、あの子が瀬戸さんの。なんだか、ごめんなさい。
   一番身近にそういう人がいるのに、私なんかが偉そうにぺらぺらと」
志織「あっいや、私が五歳のときに死んだので、正直あまり記憶はないんです」
恵子「それは・・・」
   甲高い音で木枯らしが吹き抜ける。
   窓が少し揺れる。
   志織、写真を差し出す。
志織「見覚えありますか?」
恵子「・・・懐かしい景色。あの頃を思い出すわ。
   でも、確かに場所は近いけどこれだけではなんとも・・・。
   成人式の写真も、あのときからは数年経ってるし、おめかししてるでしょうから」
志織「そうですよね・・・」
恵子「ご両親の顔も、自信はないわね・・・二十五年も前のことだから」
志織「いえ、大丈夫です」
恵子「ごめんなさいね。でも、振袖の写真、とっても綺麗よ。凛とした美しい方ね。
   こんなにいい顔をしてるんですもの、きっと楽しい人生を生きたと思うわ」

   * * *
  
 (フラッシュ)
静代「懐かしいわねぇ・・・この振袖の写真なんか、いい写真ね。本当に綺麗」
賢治「あぁ、いい顔してるよ。いろいろあったけど、きっと楽しい人生を生きたと思う」
静代「そうね」

   * * *

志織「・・・ありがとうございます。母親も喜んでると思います」

〇とある区役所(朝)

   窓口で困っている職員と男性。
   志織、手話で男性に話しかける。
   男性、パッと表情が明るくなる。
志織M「結局、それから今に至るまで、祖父母に確かめたことはありません。
   真相は過去に置いてきたままです。でも、それでいいのだと思います。
   私が信じたいと思うことを、信じ続けることができるから」

〇沼岡視覚特別支援学校・職員玄関(夕方)

   志織・恵子、職員玄関に歩いていく。
   すみれ・新垣聡子(34)が座って話している。
恵子「あら、聡子さん?こんばんは」
   聡子、気付いて立ち上がる。
聡子「宮澤先生、いつもお世話になっています」
恵子「こんな遅くまで待ってたの。寒かったでしょ。職員室に案内したのに」
聡子「いえいえ、娘がここで待つと言うので」
   聡子、志織の方を向く。
聡子「瀬戸さんですよね。すみれの母の新垣聡子です。娘から話は聞きました。
   大変お世話になりました」
志織「あっ、はい。幡野高校一年の瀬戸志織です」
   志織・聡子、お互いにお辞儀をする。
聡子「何か失礼なことはありませんでしたか?」
志織「いえ、大丈夫ですよ。こちらこそ、すみれちゃんのおかげで楽しく過ごせました。
   ありがとうございます」
すみれ「お姉ちゃんね、昨日は教科書読むのへたっぴだったのに、
   今日はすごく上手になってたんだよ」
聡子「こら、すみれ」
恵子「すみれちゃんは正直者ね」
聡子「ちょっと、先生まで・・・!」
志織「あはは、いいんですよ事実なので」
恵子「あら、上手くなったからって、いい気になっちゃって。まだまだよ」
志織「えっ、えぇ?厳しいですね・・・」
すみれ「そうだ、お姉ちゃんね、職業体験頑張ってたから、プレゼントがあるんだ」
志織「えっ私に?」
恵子「あら」
聡子「すみません、どうしても渡したいみたいで」
すみれ「えへへ。お手紙を書いてきました」
   すみれ、便箋を見せる。文字ではなく点字が打ち込んである。
すみれ「今から読みます」
志織「はい。しっかり聞きます」
   すみれ、点字をなぞりながら読む。
すみれ「卒業証書。瀬戸志織殿。あなたは、沼岡視覚特別支援学校での職業体験において、
   その全課程を修了したことを、ここに証します。
   二〇一〇年十一月五日、沼岡視覚特別支援学校四年、新垣すみれ。
   おめでとうございます」
志織「ありがとうございます」
聡子「全くもう・・・」
恵子「まぁまぁいいじゃないですか」
すみれ「えへへ。あと、これもあげる」
   すみれ、小さな花束を差し出す。
   四、五本のコスモスを摘んでまとめただけの簡素なもの。
   ピンクと紫のちょうど中間のような、淡く優しい色合い。
志織「わぁ、コスモスね。嬉しい。ありがとう、すみれちゃん」
すみれ「どういたしまして。本当は私の名前にもなってるスミレをあげたかったんだけどね」
志織「春の花だから、今は咲いてないもんね」
すみれ「うん、そうなの」
志織「でも、コスモスもとっても綺麗よ。ありがとう」
すみれ「えへへ。二日間、楽しかったです。ありがとう」
   以下、点描。
   四人で記念撮影をしている。
   志織、お別れの挨拶をしている。
   志織、正門に向かって歩き出す。
   志織、振り返って大きく手を振る。
志織M「コスモスは漢字で〝秋の桜〟と書くことを知ったのは、それから数年後のことでした。
   きっと卒業に掛けて用意してくれたのだろうと、後になって初めて気がつきました。
   やはり私は、まだまだこの世界をしっかりと見つめられてはいないと思いました」

〇とある区役所

   志織、自席に戻ってきてパソコンを立ち上げる。
   パソコンの起動を待つ間、デスク上の写真と花に手を伸ばす。
   志織・恵子・すみれ・聡子の記念写真と、コスモスが活けてある。
   そして志織の胸元にはスミレのブローチが光る。
   志織、深呼吸と伸びをしてパソコンに向かう。
志織M「私は今日も、楽しい人生を生きる」

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