<人物>
角野千晴(22) フリーター
織田道之(48) 校正者
<本編>
○国道・遠景(夜)
林に囲まれている暗い田舎の国道。一台の市民バスが通って行く。
○バス・車内(夜)
一番後ろの席の端と端にそれぞれ座っている角野千晴(22)と織田道之(48)。
千晴は白のダウンジャケット、織田は深緑のコートを着ている。
千晴、手元のスマホを見ている。スマホにはメッセージアプリの画面。
ユカという相手から「千晴今なにしてんの?」とメッセージが来ている。
文字を打つ千晴。
スマホの画面には「パパ活。」。すぐに「まじ?今?やば」と返ってくる。
千晴、ちらっと織田を見る。窓の外を眺めている織田。
○バス停(夜)
辺り一面に田畑が広がっている。
停まっているバスから、千晴と織田が降りる。千晴、ぶるっと震える。吐く息が白い。
織田は無言のまま歩き出す。戸惑いつつついていく千晴。
○織田の家・庭(夜)
築八十年程の古くて大きな一軒家。庭はあまり手が入っておらず、植物が生い茂っている。
どんどんと進んでいく織田についていく千晴。
玄関に貼られている「織田」の表札。
○同・玄関(夜)
広い玄関に織田が入ってくる。
織田「どうぞ」
千晴、おずおずと中に入る。
○同・台所(夜)
広い台所。調味料や調理道具がきちんと並べられている。ぽつんと置かれている黒い石油ストーブ。
織田、台所に入ってきて石油ストーブの芯を上げる。千晴も台所に入ってくる。
織田、「喫茶タナカ」と描かれたブックマッチを手に取り、慣れた様子で火を点ける。
その様子をまじまじと見つめている千晴。
織田「……ハル、さん」
千晴「はい」
織田「初めて見た?」
頷く千晴。
織田「ブックマッチっていうんだ。父親が大切にコレクションしててね。…まあ、去年亡くなったから」
千晴「……」
織田「やってみる?」
千晴、首を横に振る。
千晴「初めて見たけど、なんか懐かしい感じ」
ふっと笑う織田。
○同・居間(夜)
大きな本棚に辞書や言語に関する専門書、小説などがびっしりと並べられている。
食い入るように背表紙を見ている千晴。
台所に立つ織田に向かって、
千晴「…織田さん、本、好きなんですか」
織田「うん、まあ、仕事柄ね」
千晴、分厚い辞書を手に取りパラパラとめくる。所々マーカーが引かれていたり、付箋が貼ってある。
千晴、それを指でなぞりながら読んでいく。
台所からトントン…と包丁の音が聞こえ、辞書を戻す千晴。
○同・台所(夜)
台所に戻り、織田の近くにあった小さな腰掛けに座る千晴。
玉ねぎを切っていた織田、手を休めて、
織田「こういう…パパ活、ってさ、いくらもらってるの、いつも」
千晴、指を三本立ててみせる。
織田、小さく頷いて包丁を置き、財布から三万を出して手渡す。
織田の様子を伺いながら、ゆっくりとお金を受け取る千晴。ぺこっと頭を下げる。
織田、玉ねぎを切り始める。
織田「父親が亡くなってね、この家に僕一人だけになって」
千晴、織田の顔を見る。
織田「やっぱり、家には誰かにいてほしいもんだなって思うよ」
千晴「……」
千晴、ふとスマホの画面を見る。メッセージアプリのアイコンに、通知が二十件来ている。
千晴、アイコンをタップしかけるが、画面を消す。
芯がぼんやりと赤く染まっている石油ストーブ。それを眺めている千晴。
織田「僕らね、会ったことがあるんだよ」
千晴「え?」
織田「さっきの駅前の、喫茶店で。二ヶ月くらい前かなぁ。くたびれた感じのサラリーマンと二人だったよ。君は大きなパフェを注文してたね」
千晴、ばつが悪そうな顔で額をかく。
織田「ずっと仕事の愚痴を言ってるんだ、その男は。でも君は嫌な顔ひとつせずじっと話を聞いていた。お金欲しさかも知れない。でも、妙に印象に残っていてね」
織田、切った玉ねぎを鍋に移していく。
織田「説教するつもりはないんだけど、…ハルさんはどうしてこういう事を続けてるの」
千晴の瞳が揺れる。無言で腰掛けから立ち上がり、その場を去る千晴。
織田、千晴を目で追いかけるが鍋の方に視線を戻す。
○同・廊下(夜)
縁側に面した廊下。窓から数多の星が見える。カーテンはなく、月明かりだけで場が少し明るい。
窓際にうずくまり星を見ている千晴。そこに織田がやってくる。
織田「風邪ひくよ」
千晴の横に立ち、星を見上げる織田。
千晴「…うちの親は」
織田、千晴を見る。千晴は窓の外を見つめたまま、
千晴「どうしようもないアル中と、どうしようもないお人好しのカップルなんですよ。…だから私早くお金貯めて、一人暮らししたいんです」
織田「もっと効率良く稼げるバイトだってあるでしょうに」
千晴「……」
織田の言葉を受けて、少し考え込んでいる様子の千晴。
織田「…そうかぁ。家を出たら、ここに住むっていうのはどう」
千晴、織田の顔を見る。
織田「…なんちゃって。ご飯できてるよ」
廊下を去る織田。しばらくして立ち上がり、ついていく千晴。
○同・台所(夜)
シンクのたらいの中に食器が積まれている。蛇口からぽたりと水が落ちる。
○同・客間(夜)
髪を下ろし、パジャマ姿の千晴。敷かれた布団の横に座っている。
織田が入り口から顔を出す。
織田「はいこれ」
織田の手には湯たんぽ。おずおずと受け取る千晴。
織田「じゃあ、おやすみ」
織田、さらっと顔を引っ込め襖を閉める。入り口の方を見てぽかんとしている千晴。
襟元を引っ張り、自分の下着を見る。視線を外し、しばし怪訝な顔。
広い客間にぽつんと座っている千晴。
○同・廊下(夜)
縁側に面した廊下から、一人夜空を見上げている織田。
○同・客間(夜)
明かりがついていない室内。千晴、布団に入っている。
何度も寝返りを打った後、仰向けになって天井を見つめる。
○同・外観(早朝)
よく晴れている。まだ空気は青みがかっており、辺りは静か。
○同・台所(早朝)
パジャマ姿で石油ストーブの前に佇んでいる千晴。テーブルの上には三万円が置かれている。
そこに、スウェット姿で寝起きの織田がやってくる。
織田「う~さむ…」
織田、千晴に気付き、
織田「おお、おはよう。早いね」
千晴、織田の声に顔を上げ、ぺこりと頭を下げる。石油ストーブを見ながら、
千晴「…これ、やってみてもいいですか」
織田「ん? うん」
織田、ブックマッチを千晴に手渡す。
織田「まずマッチを折って…そうそう」
千晴、火を点けようとするが何度擦ってもうまくいかない。
千晴「むずい」
織田「はは」
千晴、また二本程失敗して、ようやく火を点けることに成功する。
千晴「点いた」
ストーブ芯のカバーを持ち上げる織田。
その隙間に、千晴が火の点いたマッチをかざす。火が回り始める。
織田と千晴、ボッボッと燃え始めたストーブを見つめた後、お互いの顔を見合わせ笑う。
終
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