義太夫時代狂言 三幕四場
人物
楢崎伊織(ならさきいおり)雪代藩の剣術指南役。居合の達人にして、名刀月影を佩く。寡黙で高潔、隼人と終生の契りを交はしてゐる
桂木隼人(かつらぎはやと)勘定方頭取。藩政の改革を志す若き志士。家老の不正を暴かうとして罠に落ちる
桂木志津(かつらぎしづ)隼人の妹。二十歳。桂木家の最後の一人。兄の最期に立ち会ふ
家老柴垣主水(しばがきもんど)藩の実権を握る保守派の重鎮。密貿易と公金の横領に手を染める巨悪
検死役日野典膳(ひのてんぜん)柴垣の手先の目付。切腹の場を取り仕切る
楢崎玄斎(ならさきげんさい)伊織の父。もと剣術指南。息子の契りを知りつつ、武士の道を諭す
公儀巡見使村瀬左衛門(こうぎじゆんけんしむらせさゑもん)大詰にて雪代藩に入る公儀の役人
藩士、検死衆、小姓、警固の侍
竹本、三味線、下座鳴物
序幕 藩校演武場竹林月夜の場
時 宝暦七年十一月、冬の初めの月夜
所 陸奥国、雪代藩、藩校演武場の裏の竹林
ト、幕明く。大道具、藩校の裏手。一面の竹林、奥に演武場の板屋根。冴えた月が竹の間より差し込む。ト、風に鳴る竹の音。竹本、
竹本 〽雪代の 里に冬立つ 月の夜 竹の葉ずれの 乾く音 打つや木刀 太刀の道 契りの深き 二人かな
ト、木刀を打ち合ふ乾いた音。下手より伊織、上手より隼人、いづれも稽古着にて、木刀を構へて立ち合ふ。息づかひ荒く、二人は右へ左へ位置を変へ、激しく打ち合ふ。
ト、打ち合ひの果て、互ひの木刀の切つ先を相手の喉元に突きつけて、ぴたりと静止する。ト、ツケ。二人、見つめ合ふ。
隼人 「(ト、息を弾ませ)また引き分けか」
伊織 「(ト、木刀を下ろし)お前の太刀は、日ごとに重うなる。幼き日の素直な太刀筋のまま、芯だけが鉄になつた」
隼人 「お前の居合を、一度でいい、見切つてみたいものだ」
伊織 「見切られたら、俺の負けだ。……見切らせぬために、俺は月影を抜く」
隼人 「覚えてゐるか。十の歳、この竹林で、お前に初めて一本取られた日を」
伊織 「覚えてゐる。お前は悔し泣きして、竹を三本、素手でへし折つた」
隼人 「お前も、泣いてゐたぞ。勝つたくせに」
伊織 「……勝てば勝つたで、お前が泣くのが、怖かつたのだ」
ト、二人、笑ふ。隼人、木刀を竹に立てかけ、月を仰ぐ。
隼人 「伊織。……話がある」
伊織 「(ト、表情を引き締め)聞かう」
隼人 「勘定方の帳面を、洗ひ直してゐた。御用金の出納に、辻褄の合はぬ穴がある。さらに調べると、筆頭家老・柴垣主水が、蝦夷地の抜け荷に手を貸し、公金を私してゐる証拠が出た」
伊織 「(ト、はつとして)柴垣様が」
隼人 「(ト、懐の巻物を押さへ)証拠の写しは、すでに手の内にある。明日、巡見の公儀役人が国境の宿に入る。その者に、直訴いたす」
伊織 「(ト、隼人の肩をつかみ)待て。柴垣は、藩の実権を握る男だ。お前一人で刃向かへば、必ず先手を打たれる」
隼人 「承知の上だ」
伊織 「命を捨てるな、隼人。……お前を失へば、俺は生きられぬ」
ト、隼人、静かに微笑み、伊織の手に己の手を重ねる。
隼人 「伊織。我が命は、藩のため。そして、お前の澄んだ太刀筋を、永遠に汚さぬために捧げる。……この命、俺は惜しまぬ」
ト、隼人、腰の大小の鯉口を切り、刀を半ば抜く。伊織、はつとして、己の腰の月影の鯉口を切る。二人、互ひの刀を半ば抜き、鍔を静かに重ね合はせる。ト、鍔の触れ合ふ澄んだ音。
隼人 「(ト、低く)生きては、同じ道を行き、死しては、同じ月を見よう」
伊織 「(ト、低く)死にて後も、離れぬ契り。……この月影が、証だ」
ト、二人、鍔を重ねたまま、じつと見つめ合ふ。竹本、
竹本 〽鍔と鍔とを 重ねたる 音は澄みけり 冬の月 生きて同じき 道を行き 死して違はじ 月の影 契りは堅し 鉄よりも
ト、二人、静かに刀を納める。隼人、懐の巻物を取り出し、傍らの節を割つた竹の空洞に差し入れ、笹の葉で覆ふ。
伊織 「何をする」
隼人 「屋敷には、もう柴垣の目が光つてゐる。今宵は持ち帰らぬ。(ト、竹を指し)この三本目の竹の節に隠す。明日の朝、取りに来る」
伊織 「(ト、うなづき)承知した」
ト、伊織、懐より、水を満たした小さな杯を二つ出し、一つを隼人に渡す。
伊織 「水杯だ。……縁起でもないが、お前に付き合ふ覚悟の印に」
隼人 「(ト、杯を受け取り、一息に干し)うまい。冬の水は、清い」
ト、伊織も杯を干す。隼人、杯を竹の根もとに伏せて置き、伊織に一礼する。
隼人 「では、行く。……また、明日」
伊織 「(ト、見送り)また明日」
ト、隼人、花道へ。七三にて一度振り向き、月を仰ぎ、静かに微笑んで去る。伊織、その背を見送りながら、月影の柄に手を置き、握りしめる。ト、風に鳴る竹の音。竹本、
竹本 〽これが別れと 知るや知らずや 月はただ 凍てつく竹を 照らすのみ
ト、柝の頭。定式幕、閉まる。
二幕目 桂木邸奥殿座敷牢の場
時 それより数日後
所 雪代藩、桂木邸の奥殿
ト、幕明く。大道具、武家屋敷の奥殿。上手に広間の上段、下手に格子を立て廻した座敷牢。正面に襖、庭へ面した障子には、雪の気配。ト、重い合方。竹本、
竹本 〽冬の曇りの 奥殿に 下りし沙汰の 重くして 縛につきたる 若武者の 胸に澄みたる 月の影
ト、広間の上段に、家老柴垣主水、右に検死役日野典膳。下段に藩士数人、居並ぶ。中央に、縄をかけられた隼人、端座してゐる。
典膳 「(ト、書状を広げ)申し渡す。勘定方頭取桂木隼人。その方、御用金の出納を私し、藩の公金二千両を横領せし廉、明白なり。不届至極に付き、切腹を申し付くる」
隼人 「(ト、顔を上げ)お待ち下さい。それは濡れ衣にござる。横領の帳面は、何者かが筆跡を似せ、後から書き加へたもの。三年前の出納に、先月の墨が使はれてゐる。墨の乾きが違ひます。まことの横領は、御家老・柴垣様が、蝦夷地の抜け荷に手を貸し」
柴垣 「(ト、扇で制し)黙れ。取り調べの座で、上役に言ひがかりをつけるとは、見苦しいぞ」
隼人 「見苦しいのは、どちらか。藩の金を、私腹と異国の品に換へて、領民を飢ゑさせるは、いづれの逆臣か」
柴垣 「(ト、冷ややかに)ほう。口だけは達者ぢや。……(ト、典膳に)典膳。続きを」
典膳 「切腹は、明後日の夜、藩邸奥庭にて行ふ。介錯人は」
柴垣 「(ト、典膳をさへぎり)わしが申す。介錯人は、剣術指南役・楢崎伊織に命ず」
ト、藩士たち、どよめく。隼人、はつとして柴垣を睨む。
藩士甲 「楢崎殿が。……桂木殿とは、幼き頃よりの朋輩ではないか」
藩士乙 「友を斬るなど、人の情に耐へられまい」
柴垣 「(ト、藩士を見回し、声を高め)情に流される者は、武士にあらず。……(ト、襖の方へ)伊織、これへ」
ト、襖が開き、伊織、黒羽二重の紋付、袴にて進み出る。上段の前に平伏する。顔色一つ変へない。
伊織 「楢崎伊織、お召しにより参上仕りました」
柴垣 「(ト、薄く笑ひ)伊織。聞いたであらう。桂木隼人の介錯は、貴殿が務めよ。……親友の首を落とす役目、まさか辞退はあるまいな」
ト、間。隼人、思はず伊織を見る。伊織、微動だにせず、深く平伏する。
伊織 「介錯、謹んで、お引き受け仕る」
ト、藩士たち、ざわめく。柴垣、満足げに扇を鳴らす。
柴垣 「よう申した。それでこそ、藩随一の剣客ぢや。……典膳、隼人を牢へ」
ト、藩士二人、隼人を引き立て、座敷牢へ入れる。典膳、藩士、退く。柴垣のみ、残つて牢の前に立つ。
柴垣 「(ト、格子の外より、低く)隼人。二人きりぢや。腹を割つて話さう」
隼人 「何の話か」
柴垣 「勘定方の帳面の写し。そなたが握つてをるといふ証拠の巻物、どこへ隠した」
隼人 「(ト、微動だにせず)存じませぬ」
柴垣 「(ト、薄く笑ひ)強情な男ぢや。……ならば、言うておかう。そなたの妹、志津殿は、年若く、器量もよい。江戸の藩邸に奉公に出すもよし、遊所に払うもよし。巻物の在り処ひとつで、妹の行く末が変はる」
隼人 「(ト、格子に取りつき)卑怯な。妹に手を出すな」
柴垣 「(ト、愉快げに)手など出さぬ。話をしてをるだけぢや。……明後日の夜までに、思案いたせ」
ト、柴垣、高笑ひして去る。隼人、拳を握りしめて俯く。広間、静かになる。
ト、小姓に導かれ、志津、小袖の裾を乱して出づ。座敷牢の前に走り寄る。
志津 「兄上」
隼人 「志津。……来てくれたか」
志津 「ご沙汰を承り、すぐに。(ト、格子に取りつき)兄上が横領など。そんな筈は、ござりませぬ」
隼人 「分かつてくれるか。(ト、微笑み)お前ひとりでも、信じてくれれば、それでよい」
志津 「兄上は、桂木の家の誇りでござりました。父上母上亡きあと、わたくしを育てて下さつたのは、兄上」
隼人 「志津。よく聞け。俺が死んでも、桂木の名は、決して絶やすな。お前が生きて、桂木の名を伝へよ」
志津 「(ト、涙ながらに)わたくしに、何ができませう」
隼人 「お前は、強い。(ト、格子越しに志津の手を取り)もうひとつ、頼む。……伊織を支へてやつてくれ。あれは俺の一生の友だ。俺の最期を、見届けてくれる男だ。伊織が苦しむ時は、お前が、そばに居てやつてくれ」
志津 「(ト、はつとして)兄上は、伊織様を」
隼人 「(ト、微笑み)何も言ふな。お前には、分かつてゐるだらう」
志津 「(ト、涙を拭ひ、強くうなづき)はい。……兄上の頼み、しかと承りました」
ト、志津、上手へ去りかける。入れ違ひに、伊織、足音を忍ばせて現れる。志津、深く頭を下げる。
志津 「伊織様。兄を、よろしくお頼み申します」
伊織 「(ト、静かに)お任せ下され」
ト、志津、去る。伊織、座敷牢の前に近づく。小姓、番を守つてゐたが、伊織の目配せに一礼して去る。
隼人 「(ト、格子の内より)伊織」
伊織 「(ト、格子の前に座し)隼人。……すまぬ」
隼人 「謝るな。(ト、格子の間より手を伸ばし、伊織の手を取り)お前が介錯を引き受けたと聞いて、俺は、うれしかつた」
伊織 「うれしい、だと」
隼人 「他人の手で、無様に首を刎ねられるより、お前の太刀で逝けるならば、我が命に一片の悔いもない」
伊織 「(ト、手を握り返し)隼人」
隼人 「頼みがある。……皮一枚を残し、首を胸に抱かせる、あの神技で、俺の首を落としてくれ。俺は、最後まで、武士の姿でゐたい」
伊織 「承知した。抱き首、必ず、成し遂げる」
ト、伊織、隼人の手首に己の手を重ね、腰の月影を鞘ごと抜き、押し戴く。
伊織 「案ずるな。お前の首は、寸分違はず、俺が抱き留める。……そして、お前を一人で、三途の川へは行かせぬ」
隼人 「(ト、はつとして)伊織。それは」
伊織 「(ト、静かに)言ふな。俺の命は、あの月下で、お前に預けた。……お前が逝く時が、俺の逝く時でもあるのだ」
ト、隼人、言葉なく、伊織の手を握りしめる。やがて、顔を上げ、声を低くする。
隼人 「伊織。一つだけ頼む。証拠の巻物は、あの竹林の、三本目の竹の節に隠してある。……俺は死ぬが、柴垣の悪事は、闇に葬らせたくない」
伊織 「(ト、うなづき)三本目の竹の節。承知した。必ず、公儀の手に渡す」
隼人 「頼む。……では、行け。誰かに見られる」
ト、伊織、隼人の手をそつと離し、一礼して座敷牢の前を立つ。ト、竹本、
竹本 〽名残り尽きせぬ 格子越し 重ねし手と手 離れつつ 月は冷たく 二人の影を 別つかに見ゆる 夜の廊下
ト、伊織、廊下へ出る。と、暗がりの柱の陰より、玄斎、白髪の老武士、杖をつき、静かに現れる。
伊織 「(ト、はつとして)父上」
玄斎 「(ト、杖を床に突き)伊織。……すべて聞いた」
伊織 「聞かれましたか」
玄斎 「聞かずとも、分かつてをつた。お前と隼人殿が、いかなる契りを結んでゐるか。わしは、とうの昔から知つてをつたわ」
伊織 「(ト、顔を伏せ)申し訳ござりませぬ。父上の教へを、汚しました」
玄斎 「(ト、首を振り)汚しては、おらぬ。……武士の契りには、友として、主として、そしてまた別の姿もある。わしの若き日にも、さういふ朋輩がゐた。(ト、遠い目をして)今は、土の下だがな」
ト、玄斎、伊織の肩に手を置く。
玄斎 「伊織。抱き首は、わが楢崎流の秘伝。切り口の角度は、鎖骨の上、顎の骨の下。刃を引かず、押して滑らす。……最後の稽古をつけてやる」
伊織 「父上」
玄斎 「うむ。(ト、声を落とし)それと、巻物のことだ。お前は明後日、柴垣の目の前に立たねばならぬ。巻物を取りに行く暇はない。……わしが行く。竹林の三本目の竹の節だな。わしが巻物を持つて国境の宿へ走り、公儀の巡見使に渡す」
伊織 「父上が」
玄斎 「老い先短い老骨だ。使ひどころは、ここぞ。(ト、威厳をもつて)伊織。よく聞け。介錯の場で、もし、お前が見るに耐へぬことがあれば、その時は、お前の太刀に従へ。わしは、お前の選ぶ道を、咎めぬ」
伊織 「(ト、息を呑み)父上」
玄斎 「武士の道は、時として、法の外にもある。……行け」
ト、伊織、深く一礼する。玄斎、杖をついて闇の中へ去る。伊織、月を仰ぎ、月影の柄を握りしめる。竹本、
竹本 〽父の情けと 友の契り 背負ひて立つや 月の下 明後日の夜は 白砂の 庭に咲くらむ 血の花を
ト、柝の頭。幕、閉まる。
大詰 第一場 藩邸奥庭白砂切腹の場
時 それより二日の後、満月の夜
所 雪代藩邸の奥庭
ト、幕明く。大道具、藩邸の奥庭。中央に白砂、四方に青竹を立て、注連縄を張り巡らした切腹場。満月が、凍てついた庭を青白く照らす。下手に、家老柴垣主水、検死役日野典膳、検死衆、居並ぶ。上手に、藩士数人、警固の侍。ト、風の音。竹本、
竹本 〽満つる月の 冷たさよ 白砂に敷く 白布の 上に最期の 座を占むる 君の覚悟の 美しさ 見る目も凍る 庭の隅
ト、竹本、ふつと止む。以後、下座の鳴物、一切なし。
ト、上手より、白装束の隼人、静かに進み出る。白砂の上の白布に端座する。続いて、黒羽二重の紋付に浅葱の裃を着けた伊織、月影を携へ、隼人の左後方に立つ。
柴垣 「(ト、扇の陰より、低く)伊織。万一にも、一太刀で落とし損ねたその時は、其方の首も、共に頂戴いたす」
伊織 「(ト、前を見たまま)御意」
ト、静寂。小姓、三方に載せた白木の杯と短刀を運び来る。隼人、杯を取り、一息に干す。三方の短刀を取り、懐紙で刃を巻く。ト、あたりは、風と月光のみ。
典膳 「(ト、低く)桂木隼人。申し述べ置くことあらば」
隼人 「(ト、静かに顔を上げ)柴垣殿。私は、藩のために刃を取つた者。……身に覚えなき罪にて死ぬとも、天道は、必ず見てをる。それのみ、申し上げる」
柴垣 「(ト、扇を弄び)見苦しい言ひ訳は、あの世でするがよい」
ト、隼人、微かに笑み、伊織を見上げる。
隼人 「伊織。頼む」
ト、伊織、無言のまま、うなづく。鯉口を切る。かすかな金属音。ト、風の音、さらに強く。
ト、隼人、前を寛げ、短刀の切つ先を左脇腹に当てる。竹本の三味線、一撥だけ、息を呑むやうに鳴る。
隼人 「(ト、声高に)雪代の民に、泰平あれ」
ト、隼人、短刀を脇腹に突き立て、右へ引き回す。ト、ツケ。その刹那、伊織の月影、銀の弧を描いて一閃。下座、三味線の一撥。
ト、隼人の首は宙に飛ばず、喉の皮一枚を残して、胸の上に美しく項垂れる。抱き首。ト、間。
ト、伊織、刀を下げる。血振りもせず、白砂に膝をつき、隼人の骸を掻き抱く。月光が、二人を照らす。ト、静寂。誰も動かない。
大詰 第二場 同 月下刃傷段切れの場
時 同夜
所 同じ奥庭
ト、幕明く。大道具、前場に同じ。月光、さらに冴えて、白砂の上の二人を照らす。
ト、典膳、立ち上がり、検死衆に目配せする。検死衆、隼人の骸を検める。
典膳 「(ト、一礼し)見事なる介錯。検死、相済み申した」
ト、柴垣、冷笑し、扇を開いて口元を覆ふ。
柴垣 「ふん。謀反まがいの不届き者の首など、見るもおぞましい。白砂から引きずり下ろし、河原へ捨てて、野犬の餌にいたせ」
ト、伊織の背筋が凍りつく。隼人の骸を抱いたまま、動きを止める。藩士数人、隼人の骸に手をかけようとする。
伊織 「(ト、低く)待て」
藩士甲 「何だ、伊織殿」
伊織 「その手を、離せ」
ト、伊織、隼人の冷たい頬に我が頬を寄せ、低く呟く。
伊織 「隼人。……見ておれ」
ト、伊織、隼人の骸をそつと白布に横たへ、立ち上がる。血塗られた月影を逆手に構へ、ゆつくりと振り返る。その眼光、もはや剣術指南にあらず、修羅のそれ。
伊織 「(ト、大音声にて)柴垣主水。我が友を謀殺し、その骸をさへ辱める貴様こそ、藩を食ひ荒らす、真の逆臣」
柴垣 「(ト、蒼ざめ)何を申す。出合へ、出合へ。この狂人を、斬り捨てい」
ト、警固の侍十数人、抜刀して伊織を取り囲む。立ち回り。伊織、月影を振るひ、次々と斬り伏せる。愛と怒りに狂乱した神速の剣。典膳も斬りかかるが、一太刀で倒れる。
竹本 〽月影一閃 血の花の 白砂に散る 修羅の剣 愛しき人の 骸見て 抑へかねたる 怒りの炎
ト、残る警固、逃げ惑ふ。柴垣、白砂の上を逃げ惑ふ。伊織、追ひ詰め、渾身の一刀、袈裟懸けに浴びせる。柴垣、血煙を上げて絶命する。
ト、伊織の体にも、無数の槍傷、刀傷。浅葱の裃は、血で真紅に染まる。千鳥足で、隼人の骸のもとへ戻る。
ト、花道より、「待てえ、待てえ」との声。玄斎、巻物を携へて駆け出る。続いて、公儀巡見使村瀬左衛門、供を従へて現れる。志津、小袖の裾をからげて、その後に続く。
玄斎 「(ト、息を切らし)伊織。……間に合つた」
左衛門 「(ト、庭を見渡し)これは。……家老・柴垣主水、斬られたるか」
ト、玄斎、巻物を左衛門に差し出す。
玄斎 「村瀬様。これなるは、桂木隼人殿が命に代へて守りし、柴垣主水の抜け荷と公金横領の証拠にござります」
ト、左衛門、巻物を開き、一読する。やがて顔を上げ、厳しく庭を見回す。
左衛門 「(ト、威厳をもつて)しかと、拝見した。柴垣主水の罪、紛れもなし。公儀においても、柴垣が死にたること、藩の浄化として認める。……桂木隼人こそ、まことの忠臣であつた。その汚名も、これにて雪がれたものと心得よ。桂木の家は、妹・志津に継がせ、再興を許す」
ト、伊織、隼人の骸の傍らに膝をつく。左衛門、伊織に向き直る。
左衛門 「楢崎伊織。罪人とはいへ、家老を斬るは、藩法に背く行ひ。その方の処置は」
伊織 「(ト、顔を上げ、静かに)村瀬様。その儀は、承知の上にござります。私は、友を護るために、この手を汚しました。……罪を負つて、隼人の元へ参ります」
左衛門 「(ト、しばし黙し、やがて頷き)武士の最期は、武士の作法に任せよう」
ト、志津、兄の骸にすがり、しばし嗚咽する。やがて顔を上げ、伊織に向き直る。
志津 「伊織様。兄が申しました。あなたが苦しむ時は、わたくしが、そばに居るやうにと。……お願ひでござります。死なないで下さりませ」
伊織 「(ト、微笑み)志津殿。兄上の頼みは、桂木の名を継ぐこと。……それが、俺からも、最後の頼みだ」
志津 「(ト、涙を流し)伊織様」
伊織 「(ト、静かに頭を下げ)生き残る者に、桂木の名と、この国を託す。……許されよ」
ト、志津、口を押さへて泣き崩れる。
ト、玄斎、息子の傍らへ寄る。
玄斎 「伊織。……父が、介錯してやらうか」
伊織 「(ト、微笑み)いえ、父上。この身ひとつで、参ります。……最後の稽古を、ありがたうござりました」
ト、玄斎、うなづき、一歩下がつて目をつぶる。伊織、隼人の首をそつと膝に抱き上げ、懐より隼人の形見の短刀を取り出す。
伊織 「(ト、隼人の頬を撫で)隼人。遅うなつた。今、参るぞ」
ト、伊織、短刀を自らの腹に深々と突き立て、十文字に引き回す。ト、ツケ、大太鼓。伊織、隼人の亡骸の上に折り重なるやうに倒れ伏し、二つの手が、白砂の上で固く結ばれる。
ト、玄斎、結ばれた二人の手の上に、己の手をそつと重ねる。
玄斎 「(ト、低く)見事な最期であつた。……二人とも」
ト、満月が、血に染まつた二人の骸を青白く清める。巡見使、藩士ら、一斉に頭を垂れる。竹本、
竹本 〽死して違はぬ 月の影 鍔を重ねし 契りゆゑ 白砂に咲く 二つ花 凍てつく空に 月は照る 永久の契りぞ 尊かり
ト、大太鼓、静かに打ち納め。柝の頭。定式幕、ゆつくりと閉まる。
(幕)
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