マ・ン・ト・ラ 恋愛

8歳からうまく言葉を喋れなくなった光子は、酒造の名家の娘。 唯一の理解者だった祖父の葬式で、幼い頃から愛し続けるいとこの伊織と再会する。 いとこ同士の結婚をよく思わない親族たちと、それでもなかったことにはできない自身の恋心に 光子の心は押しつぶされていく……。
紺未来(こんみ) 8 0 0 06/19
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第一稿

ー人 物ー
大蔵光子(8)(17) 女子高生  
進藤伊織(16) 光子のいとこ 男子高校生
大蔵宗次(72)(81) 光子の祖父 大蔵酒造13代目代表
大蔵貴子(42)  ...続きを読む
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ー人 物ー
大蔵光子(8)(17) 女子高生  
進藤伊織(16) 光子のいとこ 男子高校生
大蔵宗次(72)(81) 光子の祖父 大蔵酒造13代目代表
大蔵貴子(42) 光子の母
進藤園子(39) 光子の叔母。伊織の母
(大蔵孝行 光子の父。婿養子)


○大蔵家・廊下(夜)
  ぎし、ぎし、と暗い廊下を歩く大蔵光子(17)。目の前に一すじの光。
  和室の障子が微量に開いていて、隙間から細い明かりが漏れている。
  光子、隙間を覗く。
  畳の部屋。中央に敷かれた布団に、大蔵宗次(81)が眠っている。
  障子の隙間に光る光子の瞳。と、大蔵の手が布団から伸び、こちらに手招きしている。
  驚く光子の瞳。

〇同・大蔵の私室(夜)
  光子、少し障子の隙間を広げ、ゆっくりと中に入っていく。
  布団に横たわる大蔵の傍らに座る光子。
  大蔵、震えるしわがれた手をあげ、何かぶつぶつと呟いている。
  光子、聞き取れず、顔を大蔵に近づける。
  大蔵の指が、光子の頬を触る。
  大蔵、呪文のようなものを唱えている。
  すとん、と音がし、障子が閉まる。
  大蔵の手はだらんと畳に倒れている。
  はっとする光子。廊下に存在した細い光は消え、暗闇に包まれている。

〇寺院・外観
  荘厳な寺院。入口には、【大蔵宗次様 告別式会場】と書かれている。
  僧侶の読経と、参列を終えた人々のとめどない会話がノイズのように入り混じる。

〇同・裏
  寺院裏手、生い茂る草木。
伊織の声「ハンスのことを知ってる?」
  一際目立つ木の下。学ラン姿の進藤伊織(16)と、セーラー服の光子が林の中に体育座り
  し、向かい合っている。
伊織「ハンス・アルベルト・アインシュタイン。偉大な学者アインシュタインの息子で、彼自身
 もまた偉大な水理学者だった」
  光子、不思議そうに首をかしげる。
伊織「そして彼の子供たちの中にも、これまた優秀な物理学者が誕生した。天才的な遺伝子を何
 世代にもわたって見事引き継いだってわけさ」
光子「……」
  伊織、じっと真剣な眼差しで光子を見る。
  と、二人の人間の足音が聞こえる。
  伊織、しっ、と光子の口に手をあて、地面に押し倒しかがむ。
園子「周りは皆、私たちの遺産争いの話でもちきりみたい」
  大蔵貴子(42)と進藤園子(39)が話している。
  無理やりに笑みを浮かべた園子と、疲れ切った貴子。
  草木に紛れた光子と伊織、互いに目を見合わす。
園子「誰もお父さんの冥福なんて祈っちゃないのよ」
貴子「世間はそういうものよ」
園子「ねえ、知ってる?ひどいことを言う人がいるの。孝之さんが大蔵家の養子に入ったのはお
 父さんの遺産目当てだったって」
貴子「(冷ややかに)言わせておけばいいわ。本当の孝之はそんな人じゃない」
園子「言わせておいてるわよ。でも、腹が立つじゃない。おまけに光子ちゃんのことまで悪く言
 う人がいるの」
  ぴくっ、と眉をひそめる貴子。
園子「口がきけない人間が名家の娘だなんて外聞が悪い、ですって。……失礼しちゃうわよね」
  貴子、園子の頬をひっぱたく。
貴子「あんたそれ、わざと言ってんの?」
  頬を抑え、俯く園子。
貴子「光子が上手く喋れなくなったのは、あんたの息子のせいなのよ」
園子「……伊織は何も悪くないわ」
貴子「あの子が光子をたぶらかしたりなんてしたから、光子は……!」
園子「姉さんは気づいてないのね……。光子ちゃんがああなったのは……本当は……」
  園子、表情を崩し口ごもり、走り去る。
  ため息をついた貴子、頭をおさえ、しばらくして去っていく。
  草陰にかがんでいた光子と伊織、ゆっくりと体をあげる。
  光子、ふくれっつらをして自身についた葉をはらう。
  伊織、自虐的に肩をすくめ、
伊織「……君の母さんと僕の母さんの仲が悪いのは、全部僕のせいなんだよ。僕は大蔵家にとっ
 て、忌み嫌われる存在なんだ」
光子「(遮るように)オンバサラダルマキリクソワカ」
  伊織、口をつぐむ。光子、少し怒ったように。
光子「オンバラサダルマキリクソワカ」
伊織「マントラか。誰が言ってたの?」
光子「……おぼ、う、さん」
  伊織、思案の表情。
光子「おじい、ちゃん、も言ったに似てる」
  伊織、「ふーん」と黙る。
光子「似てるだけ。違う。でも、言った」
  伊織、柔らかく笑い光子の手をとる。
伊織「光子、それはきっと秘密の呪文だよ」
光子「じゅもん……?」
伊織「ほんとうの言葉、さ。よく意味が分からないのは、『ほんとう』をこの世の言葉で表すこ
 とに限界があるからなんだ」
  光子、伊織の手をぎゅっと握る。
光子「……いおり。むずか、しい」
  伊織、微笑んだまま、揺れる草木を眺める。
伊織「例えばふいに差し込む天からの光みたいなものさ。僕たちの日々無意識的に吐き出される
 言葉に本当の意味なんてなくて、それはもはや、場を繋ぐための道具のような役割しかない」
  伊織、不思議そうな顔をする光子を見て
少し悲しそうに笑い、その頬にさわる。
伊織「でも僕たちは本当は、もっと伝えたい言葉があるはずなんだ」
  少しずつ表情を崩していく伊織。
伊織「だけどそんな言葉たちは殺伐とした日々の中ではあまりにも浮いてしまう。だから軽薄な
 言葉に代替(だいたい)させられ、行き場もなく心の宙を彷徨うだけなんだ」
光子「……い、おり? だいじょう、ぶ?」
  伊織、苦しそうに微笑む。
伊織「それは確かに、自分を自分たらしめる秘密の呪文だ。自分の中にだけある。どんな時も自
 分を守ってくれる」
  伊織、ポケットからナイフを取り出し、
  目の前の大木に、【オンバサラダルマキリクソワカ(サンスクリット語で)】と掘ってい
  く。
  じっとそれをみる光子。
伊織「オンバサラダルマキリクソワカ」
  伊織の瞳から一すじの涙がつたう。
伊織「(囁く)あなたの幸福を願っている」
  光子、はっと目を見開く。木々の葉の隙間から、人すじの光がさしている。

〇(回想)大蔵家・廊下(夜)
  暗い廊下に、障子の隙間から一すじの光がさしている。
  廊下にうずくまり泣いている光子(8)。
  障子の隙間から顔をだし、光子を見下ろす大蔵(72)。
大蔵「またママにしかられたのかい?」
光子「(流暢に)あのね……ママが、伊織はいとこだから、結婚しちゃだめだって。テーサイが
 よくないんだて。あと、生まれてくる赤ちゃんにエイキョウができるかもなんだって。うちに
 は強いアトトリが、必要だからって……。ねえ、それ、ほんと?」
  大蔵、目を見開き、やがて穏やかな表情で光子の頭に手を置く。
大蔵「そうか。光子は、伊織を愛しているのか」
光子「うん……だけど……」
大蔵「だけど?」
光子「ほんとのこと言ったら皆怒るから、もう、何も言いたくないの……何も……」
  大蔵、しばらく考え、ゆっくり光子の前にしゃがむ。
大蔵「……じゃあ、こうしようか」
  涙目の光子、顔をあげ、振り向く。
大蔵「光子が喋りたくない時は、心に向ってそっ、と、呪文を唱えるんだ」
光子「じゅもん……?」
  大蔵、そっと光子に耳打ちをする。
  障子の隙間から漏れる光。

〇寺院・裏
  もとの寺院裏。静寂。
  涙を流した光子。
光子「い、いおり……」
 伊織、悲しそうに光子を見つめる。
光子「(焦ったように、激しく)いおり! いおり! わた、し、も、いおり! いおり……い
 ぉりの……しあわせ……」
  光子、うまく喋れず、言葉につまってしまう。
  光子の苦しそうにゆがめた瞳から涙が溢れる。
  伊織、たまらなくなったように、光子を強く抱きしめる。
伊織「……大丈夫。だいじょうぶだから。何も言わなくて」
  伊織、ゆっくりと、涙を流す光子の顔に近づいていく。
  
〇同・前
  僧侶の読経と、参列者のとめどない会話が、ノイズのように煩く入り混じる。
 
〇同・裏
  静寂。
  木々の葉から、一すじの光に差し込んでいる。
  光の中に包まれた光子と伊織、深い口づけを交わしている。
  伊織、泣きながら光子を地面に押し倒し、セーラー服を脱がしていく。
  目に涙をあふれさせた光子、伊織の首に手を回し、ぎゅっと力を入れる。
  大木には、サンスクリット文字で【オンバサラダルマキリクソワカ】と、力強く彫られてい
  る。

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