○ 占いの館(夜)
占い師の轟(56)、水晶玉に手をかざしている。
向かいで大川広海(36)、冷めた目
で見ている。
轟 「見えた」
広 海「……」
轟 「恋煩いね」
広 海「……」
轟 「あなたは恋をしている。でもそれが
本当に恋なのか、誰に向けてのもの
なのか分からず、行き場のない感情
を持て余しているわ」
広 海「……」
轟 「…なんとか言いなさいよ」
広 海「続けてください」
× × ×
別の部屋。
占い師の日比谷(45)、貫田衛(36)
の手相を見ながら、
日比谷「あ〜、ダメだこりゃ」
衛 「…やっぱり?」
日比谷「金運の相がまるで無いもん」
衛 「もしかして、一生こんな感じですか」
日比谷「こりゃもう、金持ちと恋愛するしか
ないね」
衛 「いやいやいやいや! 預金が一万切
ってんすよ! 恋愛する気なんて起
きないっしょ、普通! 生きていく
ので必死なんだから!」
日比谷「あっ」
衛 「…何?」
日比谷「恋愛もダメだ。女難の相が出ちゃっ
てるね」
衛 「…オレ死んだほうがいいっすか」
× × ×
轟の部屋。
轟 「あなたの頭には今、何人かの候補者
が挙がってるわね。そのうちの一人
が、あなたを恋に落とした犯人よ」
広 海「……」
轟 「でも大丈夫。もし真犯人にたどり着
けず、間違った選択をしてしまった
としても、必ず上手くいくわ」
広 海「……」
轟 「…あなた、何しに来たの?」
広 海「続けてください」
× × ×
日比谷の部屋。
日比谷「これ、使ってみる?」
日比谷、数珠を差し出す。
日比谷「僕も滅多には勧めないんだけどさ、
お客さん、あまりにも不憫な手相し
てるから」
衛 「…ちなみに、おいくら」
日比谷「二万、ってとこかな」
衛、すぐさま財布をチェック。
二万円ぽっきり入っている。
衛、苦しい表情で二万円を取り出し、
衛 「領収書、貫田探偵事務所でお願いし
ます」
× × ×
轟の部屋。
広 海「僕がもし、あなたの話に食いついて
いたとしたら、あなたはきっとネガ
ティブな見解を述べていたことでし
ょう。つまりあなたは、反応の芳し
くない僕をなだめすかしていただけ、
ご機嫌を取っていただけということ
になります。これはもはや占いとい
うより、お伺いと言ったほうが正し
いのではないでしょうか」
轟、キョトンとしている。
タイマーが鳴る。
広海、五千円札を置き、
広 海「ありがとうございました」
○ 雑居ビル・前(夜)
衛、ガードレールに座り、タバコを
吸っている。
その手には数珠をしている。
ビルから、広海、出てくる。
衛 「わりぃな、付き合わせちゃって」
広 海「いや、いいんだ」
広海、浮かない顔をしている。
衛 「どうした?」
広 海「…どうやら僕は、恋をしているらし
い」
衛 「…マジか」
○ 中華料理店『陳氣楼』(夜)
広海と衛、飲んでいる。
衛 「わりぃな、おごってもらっちゃって」
広海、衛の手首の数珠を見て、
広 海「…いや、いいんだ」
衛 「で、恋してるって?」
広 海「まるで心当たりがない」
衛 「なるほど、置き引きパターンね」
広 海「?」
すると深澤みゆき(21)、ビールの
グラスを持ってやってきて、
みゆき「オジサン二人が恋バナっすか!」
衛 「あっち行ってろクソガキ」
広 海「…どちらさま?」
衛 「ああ、オレの手下」
みゆき「みゆきです。衛さんの愛人やってま
す!」
衛 「コイツが死んでねえってことは、こ
れ(数珠)ニセモノだな」
みゆき「あ?」
衛、『予約席』のプレートをひっく
り返す。
『貫田探偵事務所』と書かれている。
広 海「?」
衛 「メシ代に代わるぐらいなら、手伝っ
てもいいぜ。犯人探し」
広 海「……」
みゆき「え、なんか楽しそう!」
広 海「僕は恋愛という感情を知らない。そ
んなんで見つかるとも思えない」
衛 「なに、珍しく弱気じゃないっすか広
海さん」
広 海「牽制してるんだよ。キミに仕事やプ
ライベートを詮索されたくない」
衛 「水臭えなぁ」
みゆき「この人、しつこいですもんね」
衛 「オメーに言われたくねぇよ」
広 海「とにかくこの件に関しては、これで
終わりにしよう」
広海、一万円札を置く。
広 海「明日も早いから、失礼するよ」
衛 「あ、おい」
広海、去る。
衛 「……」
みゆき「てかあの人誰っすか?」
衛 「…オレの、唯一の友達?」
○ 道(夜)
広海、歩いている。
向かいから、重本夏美(52)、歩い
てくる。連れているのは、ポメラニ
アンのキューちゃん。
夏 美「あら! こんばんは!」
広 海「どうも」
キューちゃん、まっすぐな目で広海
を見ている。
夏 美「この時間まで、お仕事?」
広 海「いや、ちょっと野暮用で」
夏 美「そう。あ、そうだ、田舎からね、カ
ニがいっぱい送られてきちゃったの。
今度食べに来ない?」
広 海「えっ」
夏 美「一人だからそんなにいらないって言
ってるのに、困っちゃうわよねぇ(笑)。
是非、いらっしゃってね」
広 海「ありがとう、ございます」
夏 美「じゃあね!」
夏美、去る。
広海、振り返り、夏美の背中を見ている。
広海、胸を押さえる。
広 海「……」
しかし首を傾げ、歩き出す。
○ タイトル『未知との交遊』
○ 『ホテルミランダ東京』・外観〜ロビー(昼)
都心にそびえ立つ巨大なホテル。
『ホテルミランダ東京』の看板。
ドアマン、健やかな笑顔で扉を開け、
ドアマン「お待ちしておりました」
中へ入ると、ロビー。大勢の宿泊客
でごった返している。
外国人宿泊客に対応するスタッフ、
抱えきれないほどの荷物を運ぶス
タッフなどの姿。
人々が行き交う中、ロビーの中央
に立っているのは、制服姿の広海。
周りを観察している様子。
すると、ベルの長濱結女(22)、大
川のもとへ駆け寄ってくる。
結 女「大川さん! 八一○四号室のお客様
が…」
広 海「?」
○ 同・八一○四号室(昼)
客の下石(75)、ごねている。
下 石「だからオレは、あったかいウォシュ
レットじゃないとダメなんだよ!
スイートに移してくれ」
コンシェルジュの柳田美希(28)、
頭を下げながら、
美 希「申し訳ございません。ただいまスイ
ートルームは満室でございまして…」
下 石「電話で言ったんだよ! あったかい
ウォシュレットはあるのかって。そ
れで用意してないのはそっちのミス
だろう! スイートに替えろよ!」
美 希「申し訳ございません」
下 石「それともなんだ? おネエちゃんが、
スイートなサービスでもしてくれる
のか? え?」
下石、組んでいた足の先で美希の太
腿あたりをスーッとなぞる。
美希、「キャッ!」という声を出し、
後ずさりする。
そこへ、広海と結女、入ってくる。
下 石「スイートは用意できたのか」
広 海「お客様、申し訳ございません。スイ
ートルームは現在満室状態でござい
ます」
下 石「嘘つけ! 本当は空いてるんだろ。
そんなにオレをスイートに泊めたく
ないのか、あ?」
下石、広海ににじり寄る。
結女、怯えた顔。
美希、息を飲む。
しかし広海、全く動じず、
広 海「その代わり、と言っては何ですが、
スイート同様のサービスを提供させ
ていただく、というのはどうでしょ
う」
○ 同・廊下(回想)
その三分前。
広海と結女、早足で歩いている。
広 海「ハウスキーパーに連絡して、部屋の
備品を全てスイートのものに差し替
えるよう頼んでください」
結 女「そんなことできるんですか?」
広 海「もちろん全く同じものにはできませ
ん」
結 女「じゃあ、どうやって?」
広 海「廉価版のスイートルームを作ります」
○ 同・九一一五号室(昼)
ベッド一つの、一般的な客室。
作業着姿の衛、食器棚からカップや
皿を取り出している。
衛 「なんでオレがこんなことしなきゃい
けねえんだよ…」
○ 百円ショップ(昼)
衛、高そうな柄の食器類をどんどん
カゴに詰めていく。
加えて、ペットボトルのお茶、ジン
ジャーエールなどの飲み物類、スナ
ックや煎餅などもカゴへ。
× × ×
レジ。
店 員「四千八百六十円です」
衛、財布を覗き、渋い顔。五千円札
が一枚しか入っていない。
仕方なく差し出し、
衛 「領収書、貫田…いや、ホテルミラン
ダで」
○ 九一一五号室(昼)
衛、食器棚に百円ショップで購入す
た食器を詰めていく。
皿を指でコンコンを鳴らす。鈍いプ
ラスチックの音。
衛 「さすがにバレるだろ」
× × ×
フカフカのスリッパを玄関に配置。
『百円』と大きく書かれたラベルを
取る。
× × ×
コップにお茶を注ぎ、窓際のテーブ
ルに置く。
衛、腕時計を見て、
衛 「やばっ」
するとインカムに、広海の声。
広海の声「そちら、準備できましたでしょう
か」
衛 「…こんな仕事あるなんて聞いてねえ
ぞ」
○ 八一○四号室(昼)
広海、マイクに向かって話している。
広 海「了解しました。(下石に)準備がで
きたようなので、ご案内いたします」
広海のインカムに、衛の声。
衛の声「おい! ちょっと!」
○ ホテル・廊下(昼)
広海、結女、美希、そして下石、歩
いている。
向かいから衛、歩いてくる。
衛、広海を睨んでいるが、広海は目
もくれない。
○ 九一一五号室(昼)
四人、入室する。
下石、部屋を見回し、
下 石「なんだここは、スイートじゃないぞ」
広海、下石の正面に立ち、
広 海「お客様、お言葉ですが、スイートと
いうのは決して、お部屋の広さや眺
めの良さだけを指すものではござい
ません」
広海、後ろで手を組んでいるが、そ
の人差し指が何かを指している。
結女、それに気付き「?」という顔。
指すほうを見ると、お茶の注がれた
コップに値札が付いている。
結女、慌てて値札を剥がす。
広海、何事もないように話し続けて
いる。
広 海「極上のサービスを提供する。これも、
スイートルームをご利用になるお客
様への、我々の使命です。今回はあ
いにく、お部屋をご用意することは
できませんでしたが、スイートと遜
色ない設備とサービスをご用意させ
ていただきました」
下石、訝しい顔をしているが、
下 石「…なるほどな。良かろう、その心意
気は買ってやる」
広 海「ありがとうございます。何かござい
ましたら、我々スタッフに気兼ねな
く、お申し付けくださいませ」
広海、深くお辞儀。
○ ホテル・従業員休憩室(昼)
広海、手作りの弁当を開ける。
質素なおかずと白米。
無表情でぱくつき始める。
美希、やってきて、
美 希「ありがとうございました」
広海、美希を一瞥し、軽く会釈。
美 希「ベルキャプテンの迅速な対応、勉強
させていただきました。加えて、本
来コンシェルジュが対応すべき仕事
をお任せしてしまったこと、お詫び
します」
頭を下げる美希。
広 海「ホテル業務は、チームワークですか
ら」
美 希「今度、ちゃんとお礼させてください」
広 海「はい?」
美 希「ご一緒に、お食事でも」
広 海「…あ、ああ、ぜ、全然、お構いなく」
美希、紙切れを差し出し、
美 希「都合の良い日、教えてください」
広海、おそるおそる受け取る。
美希、足早に去る。
紙切れには、ラインのID。
広 海「……」
結女、その様子を遠くから見ている。
○ 同・前(夜)
衛、タバコを吸っている。
広海、ホテルから出てくる。
衛、紙を出しながら、
衛 「容疑者、絞れました」
広 海「(受け取り)ありがとう」
衛、領収書も差し出し、
衛 「メシ代を大きく上回る出費でした」
広 海「(受け取り)経理と相談しておくよ」
衛 「つーかオレには頼らないんじゃねえのかよ」
広 海「頼らないとは言ってない。詮索されたくないって言ったんだ」
衛 「潜入捜査は立派な詮索だろ」
広 海「おかげでいろいろ助かった」
衛 「…ツンデレが過ぎるな」
○ 『陳氣楼』(夜)
『貫田探偵事務所』の席。
衛と広海、食事している。みゆきもいる。
衛、紙を見せながら、
衛 「柳田美希、二十八歳、コンシェルジュ部門の主任。それから長濱結女、二十一歳。ベル部
門の新入り、お前の直属の部下」
広 海「おおむね予想通りだな」
衛 「…あっそ」
みゆき「個人的にビビッと来るのは、どっちですか?」
広 海「……」
衛 「お前、恥ずかしいんだろ」
広 海「こ、この期に及んで、そんなこと…」
衛 「だがお前の照れ隠しに付き合ってるヒマはない。鉄は熱いうちに打たないとならねえん
だ」
みゆき「ファイト!」
広 海「…長濱さんは歳が離れすぎてる。現
実的じゃない」
衛 「よし、信じてやろう」
みゆき「ナイスファイト!」
広 海「なんだこの魔女裁判は」
衛 「いいか、恋愛には二つのパターンが
ある。瞬間的なものと、じっくり時
間のかかるもの。最初は皆、一目惚
れやら何やら、時間と手間のかかん
ないところから入っていく。そんで
相手を深く知るうちに、その直感を
確信に変えていく」
みゆき「やだ、恋愛マスターじゃん。マイケ
ル富岡じゃん!」
衛 「(照れながら)バカ、そんな良いも
んじゃねえよ…」
広 海「つまり相手を深く知らないと、それ
が恋かどうかも定かにならないとい
うことか」
衛 「そゆこと」
みゆき「でも、連絡先聞き出すなんてできま
す? どっちが好きか言うだけで照
れちゃってるのに」
広海、紙切れを出す。
広 海「柳田さんに渡された」
衛 「ラッキー」
みゆき「ワーオ!」
広 海「やはり、連絡するべきか」
衛 「そこをなんとか! お願いします!」
衛とみゆき、大げさに頭を下げる。
広 海「……」
○ 占いの館(夜)
轟の部屋に、美希が訪れている。
轟、水晶に手をかざしながら、
轟 「その男はやめたほうがいい」
美 希「…どうしてですか」
轟 「確かに相性は抜群に良い。ただ…、
決め手に欠けるわね」
美 希「決め手?」
轟 「相性以上の決め手がないと、恋愛は
成立しないの。経験で分かるでしょ
う?」
美 希「……」
× × ×
日比谷の部屋。結女、訪れている。
日比谷、結女の手相を見ながら、
日比谷「うわ、こりゃヒドいな」
結 女「えっ」
日比谷「恋愛はおろか、命も危ないねぇ」
結 女「私、死ぬんですか?」
日比谷「自分がっていうより、自分と関わっ
た人が」
結 女「…どうしよう」
○ 同・外(夜)
美希、腕時計を見て、歩き出そうと
する。
すると後ろから、結女の声。
結 女「柳田さん…?」
美 希「(振り返り)あ、ああ、どうも」
結 女「どうしたんですか、こんなところで」
美 希「いや、ちょっと…」
美希、慌ててビルのテナントを見る。
『ベリーダンス教室』の文字。
美 希「(指差し)ベリーダンス、行ってて」
結 女「そうなんですか」
美希の指差す手に、数珠。
結 女「!」
美 希「あ、ねえ、ご飯まだ?」
結 女「えっ、…はい」
○ ラーメン屋(夜)
美希と結女、カウンターに並んでラ
ーメンをすすっている。
美 希「今日ごめんね、巻き込んじゃって」
結 女「いえ。何の役にも立てませんでした」
美 希「大川さん呼んできてくれたじゃない」
結 女「呼ぶだけなら、誰でも」
美 希「でも最近、ああいうトラブルとか全
部大川さんに任せちゃってるなぁ。
良くないわよね。私たちも頑張らな
きゃ」
結 女「…はい」
すると、美希のスマホにラインが来
る。広海から。
『お礼の件、いつがよろしいでしょ
うか。ご連絡ください』
結 女「大川さんですか」
美 希「(驚く)ん? うん。仕事のことで
ね」
結 女「ですよね、主任同士ですもんね」
美 希「まあ、ね。長濱さんは、大川さんと
やり取りしないの?」
結 女「私たぶん、大川さんに嫌われてます」
美 希「どうして?」
結 女「仕事はできないし、愛想も無いし、ストレスの種って感じだと思います」
美 希「そんなことないと思うけど」
結 女「ニンニク入れていいですか?」
美 希「ああ、どうぞ」
結女、ラーメンにニンニクを入れる。
その手に数珠。
結 女「(それを見て)……」
○ 広海の家・寝室(朝)
窓から朝日が射している。
広海、突然起き上がる。そして、目
覚まし時計を凝視。
七時になり、アラームが鳴る。
広海、鳴るや否や、一瞬で止める。
○ 恵比寿ガーデンプレイス(朝)
広海、ソワソワしている。
衛、それを見ながら、
衛 「待ち合わせで緊張するって、中学生
かよ」
広 海「中学で済ませておけばよかった」
衛 「(あくびをして)つーか朝早くね?
小学生のデートじゃねえんだからよ」
広 海「時間をムダにしたくないんだ」
衛 「よく向こうもこの時間でいいって言
ったよな」
広 海「向こうはお礼をする立場だ。今日に
限っては僕のほうがエラい。僕の好
きな時間にさせてもらう」
衛 「幼稚園児かよ」
美希、遠くに現れる。
広 海「!」
衛 「(広海の耳元で)被疑者、現れまし
たね」
広海、深呼吸し、
広 海「これは、いわば囮捜査だ。僕は全力
で被疑者を追う。キミは後方支援を
続けてくれ」
衛、スマホを見ながら、
衛 「ごめん、仕事だわ」
広 海「!」
衛、スタスタといなくなる。
広 海「あ、あ、ちょっ」
美希、やってきて、
美 希「すいません、遅くなりました」
広 海「…あっ、えっ、あっ、うっ(動揺)」
○ 『ホテルミランダ東京』・ロビー(昼)
相変わらず、人の往来が激しい。
結女、すれ違う客に笑顔で会釈しな
がら歩いている。
すると、後ろから声がする。
声 「あの〜う」
振り返ると、みゆき、立っている。
結 女「はい?」
みゆき「大川さんって人、います?」
結 女「申し訳ございません。大川は本日お
休みをいただいております」
みゆき「あ、そうなんですねぇ…」
結 女「伝言などございましたら、…」
みゆき「いや、いいんです。チンジャオロー
ス届けに来ただけなんで」
結 女「チンジャオロース?」
みゆき「作りすぎちゃって(笑)」
結 女「失礼ですが、大川とはどういったご
関係で?」
みゆき「ああ、もともと隣に住んでて、こう、
いろいろ、わちゃわちゃ〜っと、あ
りまして、はい」
結 女「…なるほど」
みゆき「じゃあ、帰りますね。なんか、すい
ませんっした!」
みゆき、去ろうとする。
結 女「あの!」
みゆき「?」
○ 喫茶店(昼)
広海と美希、ケーキをつついている。
美 希「今さらですけど、甘いもの大丈夫で
した?」
広 海「どちらかというと好きな部類に入り
ます」
美 希「よかった。ここのケーキ大好きなん
です、私。帰り道じゃないのに、わ
ざわざ買って帰ったりして(笑)」
広 海「……」
美 希「…興味ないですよね」
広 海「どちらかというと、ある部類に入り
ます」
美 希「…よかったです」
フォークと皿が擦れる音だけが響く。
美 希「あっ、…このたびは、どうもありが
とうございました」
広 海「どういたしまして」
美 希「…はいっ」
フォークと皿が擦れる音だけが響く。
○ ホテル・ロビー(昼)
みゆき、ソファでシャンパンを飲ん
でいる。
向かいで結女、それを見ている。
みゆき「くぅ〜っ! いいんすか、こんなの
いただいちゃって」
結 女「もちろん、ウェルカムドリンクなの
で」
みゆき「泊まんないっすけどね!」
みゆき、ぐいっと飲み干し、
みゆき「おかわりください!」
結 女「大川さんってどんな人ですか」
みゆき「…え?」
結 女「普段、どんな感じなのかなって」
みゆき「ああ、…まあ普通ですよ、普通。ヨ
ーグルトで言ったら、プレーン!
無糖! カロリーオフ! みたいな
(笑)」
結 女「……」
みゆき「まあでも、謎が多い人ではあります
よね。こう、プレーンの中に? と
んでもないフルーツソース入ってん
じゃねえかな、みたいな?」
結 女「食べたことあるんですか?」
みゆき「…いやあ、どうだろうねぇ」
結 女「美味しかったですか?」
みゆき「ん?」
結 女「フルーツソースとプレーンヨーグル
トが絡んで、絶妙なハーモニーを生
んでましたか?」
結女、みゆきにグイグイ近寄る。
みゆき「…なんか、変な例えしちゃってゴメ
ンね」
結 女「……」
○ 喫茶店(昼)
ケーキを食べ終えた皿が残っている。
広海と美希、会話が弾んでいない。
美 希「大川さん、趣味とかあります?」
広 海「ないです」
美 希「…だと思いました」
広 海「柳田さんは?」
美 希「いいですよ、興味ないのに聞かなく
ても」
広 海「どちらかというと、あるので」
美 希「…私も無いです。強いて言うならこ
このケーキ食べるぐらい」
広 海「珍しいですね。女性にとって趣味と
は、口紅と同じくらいの必需品だと
思ってました」
美 希「…口紅すら持ってない日もあります」
広 海「僕もよく趣味を持てを言われます。
何故と聞き返すと、相手は決まって
こう言うんです。趣味を通じて人と
の繋がりが増えるからと」
美 希「ですね」
広 海「でも僕は、好きなことの話題で人と
盛り上がるのが好きじゃないんです。
大概、知識量は僕のほうが圧倒的で
話が噛み合わないし、逆に向こうに
気を遣わせてしまいます」
美 希「じゃあ、本当は趣味あるのに、無い
って言ったんですか?」
広 海「本当に無いです。強いて言うなら、
盛り上がらないことで盛り上がるこ
と、が趣味です」
美 希「なんだか、一休さんのトンチみたい
ですね」
広 海「ええ、よく言われます」
広海、得意げに紅茶をすする。
美希、明らかに苦戦しているという
顔。
机の下の手。数珠がしてある。
美希、ふと他の客に目をやる。
老人が、スポーツ紙を読んでいる。
その一面に、フィギュアスケートの
記事が大きく載っている。
美 希「じゃあ、…昨日のフィギュアスケー
ト、観ました?」
広 海「観てません」
美 希「実は、私も観てないんです」
広 海「…え?」
美 希「昨日、夕ご飯なに食べました?」
広 海「サバの塩焼きと、なめこの味噌汁で
す」
美 希「私はグリーンカレーでした」
広 海「…なるほど」
美 希「犬派ですか? 猫派ですか?」
広 海「断然、犬派です」
美 希「アメショを三匹飼ってます」
広海、戸惑っていたが、だんだん面
白がるような顔に変わってくる。
美 希「ラーメンに何か入れる人ですか?」
広 海「ラーメンはニンニクを食べるための
口実です」
美 希「味がケンカするので何も入れません」
広海、ついに笑顔になる。
広 海「じゃあ、オセロは白と黒、どっちを
選びますか?」
美 希「絶対に、白」
広 海「僕はチェスのほうが好きです」
美希、声をあげて笑う。
広海も笑う。
○ 道(昼)
衛、両手に買い物袋を持って歩いて
いる。
隣で歩いているのは、夏美とキュー
ちゃん。
衛 「なあオバサン、オレなんでも屋じゃ
ねえんだわ」
夏 美「え? だって、私立探偵の方でし
ょ?」
衛 「そうだよ、私立探偵だよ」
夏 美「なんでも屋さんじゃない」
衛 「なんでそうなるの?」
夏 美「大川さんに伺ったの。最近買い物行
くとついつい買い過ぎちゃって困っ
てるって言ったら、荷物運びに最適
な知人がいますって」
衛 「へっ、あのバカ因果応報だな」
○ 夏美の家・玄関(昼)
衛、荷物をどかっと置き、
衛 「じゃあ、失礼しまぁす」
夏 美「ねえ! ちょっと、あがっていかな
い?」
衛 「追加料金発生しますけど」
夏 美「いいわよ、いくらでも。ねえ〜キュ
ーちゃ〜ん」
夏美、キューちゃんの足を拭いてい
る。
キューちゃん、衛をガン見。
衛 「……」
○ バー『MILK』(昼)
広海と美希、カウンターに座ってい
る。
美 希「昼間からバーに来るなんてはじめて」
広 海「ただのバーじゃないんです。マスタ
ー、1・5を二つ」
マスター「かしこまりました」
美 希「え、視力?」
広 海「一本取られましたよ。あんなふうに
人と盛り上がったのは初めてでした」
美 希「それは、よかったです」
広 海「以前にもああいうご経験が?」
美 希「経験って?」
広 海「いや、僕みたいに理屈っぽい人間と
お付き合いでもされてたのかなと」
美 希「…いや、特に」
マスター「お待たせいたしました」
二人の前に、牛乳の入ったグラスが
置かれる。
美 希「…あ! そういうことか」
広 海「低脂肪牛乳に、乾杯」
美 希「(笑いながら)乾杯」
二人、グラスを突き合わせる。
○ 『陳氣楼』(昼)
みゆき、瓶ビールをラッパしている。
すると衛、帰ってくる。
みゆき「お疲れっす!」
衛 「…おう」
みゆきの向かいに座る。
みゆき「さっき長濱結女に会ってきたんすけ
ど、…恋愛っつうより、単純に人と
して興味あるって感じでしたね、大
川さんに。でも上司と部下っつうの
も萌えるなぁ…そう思いません?」
衛 「…ああ、うん」
みゆき「…なにフワフワしてんすか気持ち
悪りぃ」
衛 「……」
みゆき「てかなんか、良い匂いする。…あ!」
衛 「!」
みゆき「もしかして、…マイケル富岡を地で
行った感じっすか? 知識に経験が
追いついた感じっすか!」
衛 「…そんなんじゃねえし」
みゆき「まさか、柳田美希略奪したんじゃな
いっすよね」
衛 「ちげえよバカ!」
みゆき「あぶね〜。てかどっちにしろ、親友
ほったらかしてそんなことするなん
て、最低」
衛 「…そんなんじゃねえし」
みゆき「そうじゃねえかよ!」
衛 「しょうがねえだろ向こうが誘ってき
たんだからよ!」
みゆき「団地妻か。あ? 団地妻なのかよ!」
衛、身を乗り出して、
衛 「一軒家だよ」
○ バー『MILK』(昼)
広海と美希、(牛乳を)飲んでいる。
美 希「大川さんは?」
広 海「はい?」
美 希「どういう女性と、お付き合いされて
きたんですか」
広 海「僕は女性とお付き合いしたことがあ
りません」
美 希「いや、まだ続けますかあのゲーム
(笑)」
広 海「違います。本当にないんです」
美 希「…それは、失礼しました」
広 海「別に失礼ではないですよ」
美 希「好きな人とかもいたことないんです
か」
広 海「僕は『恋』という概念自体、どこか
の広告代理店が打ち出したキャンペ
ーンじゃないかと思っています。ハ
ロウィンとかクリスマスとかと一緒
です。繁華街は盛り上がっているけ
ど、僕には何の関係もない、まして
何の還元もない。無視できる範疇の
ものです」
美 希「そんな意見は、初めて聞きました」
広 海「僕も初めて言いました」
美 希「そのキャンペーンに参加したいって
思わないんですか?」
広 海「どちらかというと、…思いますよ、
そりゃあ」
美 希「勇気が出ない?」
広 海「僕は義務が生じないと動けない人間
なんです。仕事だって義務だからや
っているけど、本当はあんなに機敏
な性分じゃない」
美 希「じゃあ今日は?」
広 海「?」
美 希「今日私と会ってくれたのも、義務で
すか?」
広 海「……」
美 希「…すいません、図々しくて」
広 海「あなたと会う権利を行使しました」
美 希「!」
広 海「…なんて言えたらいいんですけどね」
広海、牛乳を味わう。
○ 同・外(夕方)
二人、出てくる。夕暮れを見上げる。
美 希「まだこんな時間だったんだ」
広 海「日付を跨いでる気分でした」
美 希「私も(笑)」
二人、向かい合う。
美 希「今日は、楽しかったです。ありがと
うございました」
広 海「こちらこそ」
美希、握手の手を差し出す。
服の袖から数珠が覗いている。
広 海「……」
広海、手を重ねる。
美 希「明日からも、よろしくお願いします」
美希、笑顔を見せる。
広海、その笑顔に少し見惚れる。
○ 占いの館(夜)
日比谷の部屋。
衛、訪れている。
日比谷「うわぁ、そりゃヤバいねぇ」
衛 「もしかして、一番やっちゃいけない
パターンですか?」
日比谷「想定しうる中で、最悪だね。もう何
もかも、メチャクチャ」
衛 「マジか〜」
衛、財布を取り出す。
日比谷「もはや、買いに来てるよね?」
衛、一万円札を五枚置いて、
衛 「とびっっっきり効くやつ、ください」
○ 雑居ビル・外(夜)
衛、ウキウキしながら出てくる。
広海、待ち構えている。
衛 「(広海に気づき)うわっ!」
広 海「今日の進捗を報告しに来た」
衛 「…ご丁寧にどうも」
二人、歩き出す。
広 海「なぜ気まずそうにするんだ?」
衛 「え? 別に? つーかお前、なんで
ケーキ買ってんの?」
広海、ホールケーキの箱が入った袋
をぶら下げている。
広 海「車はブレーキを踏んでもすぐには止
まれず、しばらく走り続ける」
衛 「知ってますけど」
広 海「僕は彼女と分かれてブレーキを踏ん
だが、まだ完全に停止できていな
い。挙句、ホールケーキを買ってし
まった、ということだ」
衛 「ちょっとお兄さん、相当スピード出
してたんじゃないの?」
広 海「…そうかもな」
広海、ニヤニヤする。
衛 「お前、そういうとこ変わんねえな」
広 海「(衛の数珠を見て)キミもな」
衛、腕をサッと隠す。
広 海「じゃあ」
広海、別の道へ。
衛 「(独り言)なんだそりゃ」
○ 道(朝)
翌日。
広海、歩いている。
向かいから夏美とキューちゃん、や
ってきて、
夏 美「おはようございまぁす!」
広 海「おはようございます」
夏 美「あ、昨日ね、お友達の探偵さんにお
世話になったのよ」
広 海「あ、ああ、そういうことですか
(笑)」
夏 美「またお願いしたいって、伝えといて
もらえる?」
広 海「ええ、喜ぶと思います」
夏 美「大川さんも是非、いらっしゃってね」
広 海「…はい」
夏 美「じゃあね!」
夏美とキューちゃん、去る。
広海、再び歩き始める。
○ 『ホテルミランダ東京』廊下〜従業員休
憩室(昼)
客室フロアの廊下。
結女、脇目も振らず猛ダッシュ。
× × ×
休憩室。
広海と美希、向かい合わせで昼食を
食べている。
広海、持参の弁当。美希、コンビニ
弁当。
美 希「すごい。毎日作ってるんですか」
広 海「ええ。毎月、一ヶ月分の献立を考え
て、その通りに」
美 希「なんか、恥ずかしくなってきちゃっ
た。今度レシピ教えてくださいね」
広 海「そんな大層なものじゃないですよ」
結女、休憩室に飛び込んでくる。
広海と美希、驚く。
美 希「どうしたの? そんなに急いで」
結 女「お客様が、お客様が…」
広 海「?」
○ 同・客室(昼)
高層階の客室。
広海、美希、結女、入ってくる。
広 海「!」
客の高岩紀夫(46)、窓に足をかけ
ている。
美 希「警察…、警察に連絡!」
結 女「はい!」
高 岩「やめろ」
高岩、振り返り、
高 岩「騒ぐな」
高岩、再び外を見る。
車や人が、ジオラマのように小さい。
広 海「……(息を飲む)」
× × ×
膠着状態が続いている。
小声で話す美希と広海。
美 希「やっぱり、警察に連絡しましょう」
広 海「いや、下手に刺激すると、最悪の事
態を招く恐れがあります」
美 希「でもこのまま何もしなければ、いず
れはそうなりますよ」
広 海「お客様が落ち着くのを待ちましょう」
結女、目を閉じ、深呼吸する。
広 海「(それを見て)?」
結 女「なかなか飛び降りませんね」
美 希「!」
広 海「!」
高 岩「……」
結 女「もしかして、止めてくれるの待って
るんじゃないですか?」
美 希「ちょっと、やめなさいよ!」
結 女「よかったら、話聞かせてもらえませ
ん?」
広 海「……」
高 岩「お気遣いありがとう、お嬢ちゃん。
おかげで死ぬ覚悟ができたよ」
高岩、外に身を乗り出す。
広 海「!」
結 女「じゃあ! 私の話、聞いてください」
高岩、動きを止める。
結 女「高校のとき、私も学校の屋上から飛
び降りようとしたことがあります」
高 岩「……」
結 女「イジメられてたんです。私はずっと、
自分がイジメられる理由を考えてま
した。それで、思い切って聞いてみ
たんです。どうして私をイジメる
の? って」
広 海「……」
結 女「そしたら、理由なんてないって言わ
れて。たまたまアンタにその順番が
回ってきただけで、明日になったら
違う誰かに変わってるかもしれない、
その程度のものだって」
美 希「……」
結 女「そうやって、爆弾ゲームみたいに、
誰かが人の悪意を一手に引き受けな
きゃいけなくて、それに耐えればま
た、他の誰かにその番が回ってきて、
…この世界はそうやってできてるん
だと思います」
高 岩「……」
結 女「だからもし、お客様が今、それを担
わされているなら、もう少しだけ耐
えてみませんか。生きていても死ん
でしまっても、自分の番はいつか終
わるんです。だったら、生きていた
いじゃないですか」
高 岩「……」
高岩、手すりを掴む手が、少し緩む。
広 海「今だ」
広海と美希、高岩に飛びかかり、窓
から引きずりおろす。
結女、我に返った、という顔。
目の前で高岩が倒れていることに驚
いている。
美 希「医務室に連絡! …早く!」
結 女「は、はい!」
結女、部屋を飛び出していく。
○ 夏美の家・居間(昼)
食卓。鍋がグツグツと煮立っている。
夏美、缶ビールを開け、美味そうに
飲む。
向かいで衛、それを見ていて、
衛 「いっつもこんな時間から飲んでんの
かよ」
夏 美「まさか。今日は特別」
衛 「…怖っ」
夏 美「ほら、食べて。カニいっぱい入って
るから」
夏美、コンロの火を止め、具を取り
分け始める。
衛 「あんた誰にでもこんなことしてん
の?」
夏 美「…だったら?」
衛 「いや、虚しくねえのかなって」
夏 美「誰彼構わずってワケじゃないわよ。
気に入らなかったら二度と呼ばない
し」
夏美、取り分けた皿を差し出す。
夏 美「今ちょっと嬉しかったでしょ」
衛 「あのなあ、人間はイヌじゃねえんだ
よ。オレを手懐けようとすんな」
衛、カニの足を食べようとする。
夏 美「待て」
衛 「…あ?」
夏美、じっと衛を見つめる。
衛、睨み返す。
夏 美「イヌじゃないのに待つのね」
衛 「ケンカ売られたから買ってるだけだ
よ」
夏 美「くだらない。本当はテーブルごとひ
っくり返して、今すぐにでも押し倒
したいクセに。ノンキに鍋つついて
る時点で、あなたはもうお預けを食
らってるの。バカみたいにヨダレ垂
らしてるイヌと一緒」
衛 「(立ち上がり)んだとこの野郎」
夏 美「悔しかったら平らげてさっさと帰り
なさい。でも私はあなたを呼び続け
るわ。客の依頼なんだから、来てく
れるわよね?」
衛 「……」
夏 美「ほら、おすわりは?」
衛 「……」
衛、夏美の腕を掴む。
夏 美「!」
○ 医務室・外〜事務室(昼)
医務室の扉から、結女、出てくる。
広海と美希、待っていて、
美 希「お客様は?」
結 女「だいぶ落ち着いたみたいです」
美 希「よかった…。上に報告してきます」
広 海「お願いします」
美希、小走りで去る。
広 海「驚きました。よほど勇気がないと、
あんなことできません」
結 女「…すいませんでした」
広 海「なぜ謝るんですか?」
結 女「勝手なことをしてしまったので」
広 海「いや、だから…」
結 女「迷惑ですよね、いつも。仕事はでき
ないし、皆さんみたいに上手な接客
もできないし。困ったらいつも大川
さんに頼って、自分じゃ何もできな
くて…」
結女、こらえていた涙が溢れ出す。
広 海「…長濱さん?」
結女、もたれかかるように広海を抱
きしめる。
広 海「えっ、あの」
結 女「…ずっと、大川さんに認めてもらい
たかったんです」
広 海「…え?」
× × ×
事務室。
美希、内線で電話している。
美 希「はい。…はい、かしこまりました。
はい、失礼します」
受話器を置く。
美 希「?」
手首に数珠がないことに気づく。
美 希「あれ? ない。え? どうして?」
慌て始める。
× × ×
医務室・前。
結 女「大川さんに認めてもらいたくて、つ
らいこともいっぱいあるけど、頑張
ろうって、なんとかやってきて…」
広 海「そんな…、僕は長濱さんを認めてい
ますよ、ずっと」
結 女「今優しくしないでください」
広 海「ああ、ごめんなさい」
結 女「無限に涙出ちゃうから…」
結女、広海の胸に顔をうずめる。
広海、動けないまま。
美希、走って戻ってくるが、二人を
見て止まる。
美 希「……」
二人、美希に気付いていない。
○ 夏美の家・寝室(昼)
衛、夏美をベッドに突き飛ばし、そ
の上に跨がる。
夏 美「ちょっと、待ってよ」
衛 「そこは待てじゃねえのかよ」
夏 美「そんなんで私に勝ったつもり?」
すると、衛のスマホが鳴る。
衛 「……」
夏 美「出なさいよ」
衛 「…ああもうなんだよ畜生!」
衛、ポケットから電話を出し、
衛 「今忙しいんだよ!」
広海の声「大変なことになった」
衛 「あ?」
広海の声「至急、中華料理屋に来てくれ」
衛 「……」
夏美、衛を見ている。
全てを見透かしたような、光のない
目。
○ 『陳氣楼』(昼)
広海、ザーサイをチマチマ食べてい
る。
衛、タバコを吸いながら、激しく貧
乏ゆすりしている。
みゆき、ピータンをつまみながら、
二人を伺っている。
衛 「お前、仕事は」
広 海「半休だ。キミは?」
衛 「…半休だよ」
広 海「ちょうどよかった」
衛 「さっさと話せよ」
貧乏ゆすり、一層速くなる。
みゆき、怯える。
広 海「目の前にニンジンがぶら下がってい
る」
衛 「んだよ、イヌの次はウマかよ」
広 海「走っても走っても追いつけない。白
状すると、僕にとって恋愛とはそう
いうものだった」
衛の貧乏ゆすりが止まる。
衛 「…あ?」
広 海「でも僕は、残念ながらウマじゃない。
走っても追いつけないことを知って
いる。それが今、やっとウマになれ
そうなところまで来ている。そして
今日、ニンジンが二本になってしま
った」
みゆき「え、分かりづらい」
衛 「長濱結女となんかあったのか」
みゆき「すごっ」
広 海「ああ。これほどにないアプローチを
受けてしまった」
みゆき「すんごっ!」
衛 「で、どっちにするんだよ」
広 海「二兎を追うものは一兎をも得ず、と
言うだろう」
みゆき「ウサギも出てきちゃったよ」
衛 「甘っちょろいなぁ〜。んなもん追っ
てみねえと分かんねえだろ? どっ
ちも手に入ったら儲けもんじゃねえ
かよ。それぐらいのスタンスでいい
んだよ恋愛なんて」
広 海「そんな簡単な話じゃないんだよ!」
衛 「!」
みゆき「!」
広 海「!」
…変な沈黙。
広 海「そんな、…そんな生半可な姿勢で人
と向き合うなんて、僕にはできない。
誠意を誠意として受け取って誠意で
返す。それが人間と動物の違いだろ
う!」
衛 「……」
みゆき「……」
広 海「…僕は、できることなら全ての誠意
に応えたい」
衛、タバコの火を消し、
衛 「お前の言いたいことは分かるよ。で
もそれじゃあいつまで経っても、ウ
マにはなれないね」
衛、立ち上がり、出ていく。
みゆき「え、ちょっと」
みゆき、一瞬ためらうが、衛を追い
かける。
広 海「……」
○ 道(昼)
衛、歩いている。
みゆき、追いかけてくる。
みゆき「ちょっと、バチバチじゃないっすか
勘弁してくださいよ!」
衛 「いつものことだよ」
みゆき「?」
衛 「アイツといるとさ、化けの皮剥がれ
そうになる瞬間があるんだよ、今み
たいに。だからオレはこうやって逃
げるの」
みゆき「そんなのカッコ悪りぃっすよ」
衛 「…だよなぁ。アイツ、カッコいいよ
な」
衛、吐き捨てるような笑顔。
再び歩き出す。
みゆき、衛の背中を見ている。
○ ホテル・従業員休憩室(昼)
美希、『おとしもの箱』をゴソゴソ
かき回している。
結女、やってきて、
結 女「お疲れさまです」
美 希「わっ! …ああ、お疲れさま」
結女、更衣室へ入ろうとする。
美 希「ねえ」
結 女「はい?」
美 希「…いや、いいや。お疲れさま」
結女、軽く会釈し、更衣室へ。
美 希「……」
美希、ボーッとした顔。
手だけは箱をゴソゴソ探っている。
○ 道〜ラーメン屋(夕方)
結女、ラーメン屋の前で立ち止まる。
グゥ〜という腹の音。
躊躇していたが、たまらず入店。
店 主「っしゃいませ〜い!」
ガラス張りの扉から、衛が食事して
いるのが見える。
○ 『陳氣楼』(昼)
みゆき、戻ってくる。
広海、ザーサイをチマチマ食べてい
る。
みゆき「まだ食ってるし」
広 海「……」
みゆき、広海の近くに座り、
みゆき「てかずっと聞きたかったんすけど、
なんで衛さんと仲良いんすか? パ
ッと見、水と油っつうか、シンパシ
ー感じないっつうか」
広 海「……」
みゆき「正解は、ザーサイのあとで、って感
じっすか?」
広 海「美味しい」
みゆき「あ、マジで味わってたんだ」
広海、食べ終え、箸を置く。
広 海「もともと中学の同級生だったんだ。
キミの言う通り、あの男はサッカー
部で、僕はオカルト研究部。あの男
が卒業生代表なら、僕はボタンひと
つ貰われることなく学校を後にした」
みゆき「衛さん、卒業生代表だったんだ」
広 海「たまたま同じ高校に進学して、そこ
で初めて喋った。実は彼もオカルト
の類が好きだったらしい。そして二
年の夏、二人でUFOを呼ぶために
山を登った」
みゆき「距離の縮まり方独特っすね」
○ ラーメン屋(昼)
衛と結女、カウンターで隣同士、ラ
ーメンを食べている。
広海の声「そこで彼は、中学時代の初恋につ
いて話し始めたんだ」
衛、ニンニクを取ろうと手を伸ばす。
手には数珠。
結女、それを見て、
結 女「あ」
衛 「あ?」
衛、結女を見て、
衛 「あ!」
○ 『陳氣楼』(昼)
広海、話している。
広 海「どうやら初恋の相手は、僕に好意を
寄せていたらしい」
みゆき「サッカー部が、オカルト研究部に負
けたんすか」
広 海「そこで言われたんだ。本当は今日、
お前を殺すつもりだったって」
○ 山・テント(夜)(広海の回想)
土砂降りの雨、雷鳴、稲光。
テントの中で、高校時代の広海と衛、
座って話している。
衛 「納得いかねえだろ。なんでお前みて
えなチンチクリンに負けなきゃいけ
ねえんだよ」
広 海「…すまない」
衛 「オレはなあ、お前に負けた日からず
っと、お前への復讐心だけをガソリ
ンにしてきたんだよ。クソバカだっ
たけどクソほど勉強して、お前と同
じ高校入ってよぉ。やっとお前をぶ
っ殺すところまで漕ぎつけた」
広 海「……」
衛 「…でもお前めっちゃ良い奴じゃん!」
広 海「!」
衛 「めっちゃムー貸してくれるしさぁ、
おさがりのパソコンまでくれるじゃ
ん! オレの復讐心返せよ! な
あ! 返せってマジで!」
衛、広海を揺さぶる。
広 海「…すまない」
○ 『陳氣楼』(昼)(戻り)
広 海「それから朝まで、一緒にUFOを呼
んだ。そんなこんなで、今に至る」
みゆき「だから衛さん、定期的に占いハマる
んだ」
広 海「僕がオカルトを好むのは、ただの好
奇心かもしれない。だが彼は、野球
少年が甲子園に出向くような純粋さ
で、オカルトに興じている。それ以
上に彼は、何に対しても誠実だ。誠
実だからこそトラブルに巻き込まれ
る、そして占いに走る」
みゆき「いいんだか悪いんだかって感じっす
ね」
広 海「少なくとも僕は、そんな彼に憧れて
いる」
みゆき「…なぁんだ、そういうことか」
広 海「?」
みゆき「お互いに、お互いが眩しいんっすね」
みゆき、満足そうにザーサイを食べ
る。
広海、腑に落ちていない。
○ 小さな公園(昼)
衛と結女、ベンチに座っている。
衛 「それで、抱きついちゃったんだ」
結 女「…(頷く)」
衛 「さぞかし面白かっただろうなぁ、そ
んときのアイツ」
結 女「…正直、あんまり記憶がないです」
衛 「でもまあ、そんなことされて嬉しく
ない男はいないからね」
結 女「大川さんもですか?」
衛 「いや、アイツもそりゃあ、男だから
さ」
結 女「だとしたらちょっとガッカリです。
私の中の大川さんは、そんな状況で
も毅然とした態度でいるっていうか」
衛 「アイツ別に、サイボーグではないか
らね?」
結 女「(ため息)」
衛 「まあアイツはその、…茹でる前のソ
ウメンっつーかさ。芯はあるけど、
決してブレないっつーか。誰かがア
イツを茹でてあげたらね、話は変わ
ってくるんだけど」
結 女「もう分かんないです!」
衛 「え? ごめん」
結 女「ソウメンだったりヨーグルトだった
り、結局大川さんって何なんです
か?」
衛 「ヨーグルト?」
結 女「私も早く、大川さんを味わってみた
いです!」
衛 「…え、下ネタ?」
結女、我に返り、恥ずかしそうに俯
く。
衛 「じゃあ告っちゃえよ」
結 女「はぁ? そんな軽いノリでできるわ
けないでしょう?」
衛 「ノリに重いも軽いもねえだろ、ほら」
結女、首を激しく横に振りながら、
結 女「絶対ムリです!」
衛 「そんなの分かんねえじゃんかよ!
大丈夫だよ、オレがとっておきの方
法知ってるからさ」
結 女「そうじゃなくて、…柳田さんも大川
さんのこと好きなんです」
衛 「……」
結 女「たぶん大川さんも、柳田さんのこと
…。だから私が大川さんを好きとか
そういう以前に、尊敬するお二人の
恋路を邪魔したくないんです! こ
んな私が、あの二人に割って入れる
訳ないんです」
衛 「じゃあ諦めんのかよ」
結 女「……」
衛 「アイツがどう思ってるかなんてオレ
にも分かんねえよ。でもアイツは今
変わろうとしてる、それだけは絶対
確かだ。アイツは今、自分を茹でて
くれる熱湯を探してんだよ! だっ
たら先に鍋ん中ぶち込んだモン勝ち
だろうがよ!」
結女、衛を見上げる。
その時、衛のスマホに着信。
結 女「……」
衛 「んだよどいつもこいつも間が悪りぃ
な! (出て)今忙しいんだよ!」
夏美の声「助けて」
衛 「あ?」
夏美の声「キューちゃんが動かないの、早く
来て!」
衛 「!」
○ 映画館・ロビー(夜)
美希、モニターで上映時間をチェッ
クしている。
スマホを取り出し、広海とのトーク
画面を開く。
美 希「……」
○ 美容院(夜)
結女、座っている。
美容師、やってきて、
美容師「今日は、いかがなさいますか」
結 女「とびっきり気持ちいいシャンプーし
てほしいんです」
美容師「…あの、カットは?」
結 女「これから好きな人に告白しようと思
うんです。もし上手くいったら、カ
ラーしに来ます。ダメだったら、…
バッサリ、お願いします」
結女、鏡の自分をしっかりと見つめ
る。
○ 道〜映画館・前(夜)
広海、歩いている。
映画館の前を通りかかる。
足を止め、スマホを開く。
美希とのトーク画面。
広 海「……」
○ 動物病院・手術室・前(夜)
衛と夏美、座っている。
夏美、手を合わせて祈っている。
衛、声をかけられずにいる。
『手術中』のランプが消え、医師、
出てくる。
夏美、すぐさま立ち上がり、
夏 美「先生、キューちゃんは!」
医 師「一命は取り留めましたが、まだ油断
はできません。今晩が、峠ですね」
夏美、膝から崩れ落ちる。
衛、夏美の肩に手を乗せ、
衛 「お前、まだ死んでねえんだからよ」
夏美、嗚咽をあげて泣き始める。
× × ×
夏美、落ち着きを取り戻し、座って
いる。
衛、缶コーヒーを持ってきて、夏美
に渡し、隣に座る。
衛 「ICU、上の階だとよ。行かねえの
かよ」
夏 美「……」
衛 「つーかあのイヌ病気だったのかよ」
夏 美「それ以上無神経なこと言ったら殺す
わよ」
衛 「…じゃあ帰るわ」
衛、立ち上がる。
夏美、腕を掴み、
夏 美「待って! ひとりにしないで」
衛 「どっちだよ」
夏 美「黙って、座ってて」
衛、しぶしぶ座り直す。
夏 美「昼間はごめんなさい」
衛 「……」
夏 美「あんなことが言いたかったんじゃな
いの。でもあなたの顔見てたら、な
んか、…可愛くて」
衛 「(少し照れて)…うっせえよザコ」
夏 美「キューちゃんがウチに来たのは、ダ
ンナが死んですぐだったわ。追い立
てられるように葬式が終わって、寂
しいなんて感じる間も無くペットシ
ョップに行って、あの子を見つけた
の。だから私は、未だにダンナが死
んだこと、ちゃんと悲しんでないの」
衛 「……」
夏 美「あの子が死んだら、ダンナの分の悲
しみも、ちゃんと清算しなきゃ…」
夏美の目から、涙がポロポロ零れる。
夏 美「ほんっとに、孤独って待ってくれな
いわね」
衛、ソファに頭をもたれて、
衛 「…今日半休だったのになぁ」
夏 美「?」
衛 「やたら忙しいな」
夏 美「…何よそれ」
衛 「オレが肩代わりしてやるよ」
夏 美「…?」
衛 「…なんつーか、この場面に立ち会っ
た人間として、一緒に悲しむ義務が
あるんじゃねえの? オレには」
夏 美「何それ、ナニワ金融道じゃないんだ
から」
衛 「…はい」
夏 美「…ありがと」
衛 「……」
会話が途切れる。
二人、正面を向いて座っている。
○ 映画館・ロビー(夜)
美希、スクリーンから出てきて、ス
マホを見る。
通知『新着メッセージがあります』。
美 希「!」
開くと、広海から。
『今度、会えませんか?』
○ 広海の家・居間(夜)
広海、テーブルにスマホを置き、正
座している。
通知が来るや否や、スマホを取る。
開くと、結女から。
広 海「!」
『今度、会えませんか?』
広 海「……(困惑)」
○ 夏美の家・居間(昼)
グツグツと煮え立つ鍋。
広海、衛、結女、美希、夏美、座っ
ている。
夏美、鍋を全員に取り分けている。
四人、全く喋らない。
夏 美「ほらみんな、熱いうちに食べて!」
美 希「あの、…ここはどこですか? とい
うか、どちらさま?」
夏 美「ここは私の家。だから私が皆さんに、
鍋を振る舞っています」
美 希「え、なんで?」
夏 美「食事は賑やかなほうがいいじゃない。
キューちゃんの退院もまだかかるし」
衛 「…(箸を持ち)じゃあ、いただきま
しょうかね」
広 海「一旦整理しましょう」
衛 「(置き)はい」
広 海「まず僕は柳田さんをお誘いしました。
それと時を同じくして、長濱さんが
僕を誘ってくださいました。で、キ
ミは?」
衛 「はい?」
広 海「なぜここにいて、いの一番に鍋をつ
つこうとしているんだ?」
衛 「ボクは、結女ちゃんと偶然会って話
してたけど、途中になっちゃったか
ら、改めてっていう思いで」
広 海「なるほど。ではなぜ、重本夏美さん
の家に全員集合することになったん
だ?」
衛 「この熟女が、ボクと鍋を食べたいと
いうご依頼を下さったので、それな
らば、皆さんで和気あいあいと、と
いう、ボクの計らいです」
広 海「つまりキミの余計な独断が、このカ
オスな状況を生み出したということ
だな」
衛 「…ボク帰りましょうか?」
広 海「キミが帰ったらこの場は空中分解す
る」
衛 「なんか、責任重大だなあ」
広 海「もう少し考えて行動してくれ」
衛 「はい」
結 女「いいじゃないですか。衛さんは、立
会人ってことで居てもらえば」
衛 「そうですね」
美 希「それはどうだか」
広 海「?」
美希、二本目の缶ビールを開ける。
美 希「長濱さんはこの人が味方だから居て
ほしいだけでしょ?」
結 女「……」
広 海「そうなんですか?」
衛 「お前が聞くなよ」
夏 美「ほらみんな、熱いうちに食べて!」
広 海「いや、どちらかというと今、鍋より
も議論のほうが熱を帯びてますので」
結 女「いただきます」
結女、カニの足にかぶりつく。
広 海「いや、長濱さん?」
衛 「これは、宣戦布告と捉えていいのか
な?」
美希、空いた缶を勢いよく置いて、
美 希「いい度胸してるじゃない」
広 海「え、柳田さん?」
美 希「結女ちゃんさぁ、実際のところどう
思ってんの? 大川さんのこと好き
なの?」
結 女「……(食べている)」
美 希「私は好きよ」
衛 「!」
結 女「……」
美 希「私は大川さんが好き。本当は今日、
告白するつもりだったの。でもこの
まま結女ちゃんの気持ちを無視して、
勝手に行動するのは良くないかなと
思ってココに来たの」
広 海「……」
結 女「…おかわりください」
夏 美「ああ、はい」
美 希「逃げないでちゃんと話しなさいよ」
結 女「自分だって酒の力借りてるクセに」
美 希「はぁ?」
衛 「まあまあ、二人とも落ち着いて」
広 海「なだめるフリして焚きつけるのは良
くないぞ」
衛 「お前が何も喋んねえからだろ」
広 海「僕が何を話すんだ?」
衛 「いや、え? この状況分かってる?
今、お前をめぐって二人の女性がバ
チバチしてるのよ?」
結 女「別にバチバチなんかしてません」
衛 「?」
結 女「柳田さんがそうおっしゃるなら、私
は何も言いません。譲ります」
美 希「……」
衛 「え、本当にそれでいいのかよ」
結 女「そのほうが綺麗じゃないですか、結
末として」
広 海「…なるほど」
衛 「納得すんなよ」
美 希「いつまでそうやって自分に酔ってる
わけ?」
結 女「……」
美 希「卑屈なフリしてれば、誰かが振り向
いてくれるとでも思ってんの?」
結 女「そんなんじゃない」
美 希「そうでしょ。今だって、そうやって
大川さんの気を引こうとしてるじゃ
ない。言っとくけど社会ってそんな
甘くないわよ。閉じてる心をわざわ
ざこじ開けるほどね、みんなヒマじ
ゃないの。そういうの、自惚れって
いうのよ。分かる?」
結 女「それは違う!」
美 希「何が違うのよ!」
結 女「そういう考えの人がいるから、臆病
な人間が行き詰まるんです。弱い人
間が自分を守っちゃいけないんです
か? 逃げちゃいけないんですか?
私はそんなの、絶対違うと思います」
衛 「あの〜、…今、何の話でしたっけ」
美 希「…それが通用するなら、強がってる
弱い人間は一生報われないね」
結 女「……」
美 希「私だって強くなりたいわよ。立場と
か人間関係とか何も気にしないで、
ただ好きだから好きって言いたいわ
よ」
広 海「……」
美 希「やっぱり来なきゃよかった」
美希、ビールを飲み干す。
夏 美「あの〜う、私も喋っていいかしら」
衛 「?」
夏 美「二人がそんなふうに思うのは、恋を
しているから、じゃない?」
美 希「…?」
夏 美「きっと恋してない時の人って、大胆
になれたり、もっと自由なものよ。
私だってそう。今は自由すぎて、ち
ょっぴり困ってるけど。…でも、い
ざ恋ができなくなると、その不自由
さももどかしさも、ものすごく羨ま
しくなるの。二人は弱い人なんじゃ
なくて、恋してるから弱いの。だか
ら私、二人がすごく羨ましい」
衛 「…ババア」
夏 美「恋って本当に素晴らしいものね。…
はいっ、ババア黙りま〜す!」
夏美、カニを頬張り始める。
広 海「…じゃあ、僕が喋ります」
結 女「…?」
広 海「柳田さん」
美 希「…はい」
広海、たどたどしく喋り出す。
広 海「あなたは僕に、人と分かり合うこと
の素晴らしさを教えてくれました。
あなたとくだらない話をして、目と
目を合わせて笑っているとき、僕は
確かに、誰かと生きることの喜びを
実感していました。ひとりよがりの
自分に、そんな心をくれたこと、本
当に感謝しています」
美 希「……」
広 海「長濱結女さん」
結 女「……」
広 海「あなたが僕に向けてくれたひたむき
な心は、僕のような人間が受け取る
にはあまりにも眩しく、尊いもので
した。誰かに認めてもらいたいから
頑張る、つらいことも乗り越えられ
る。あなたからはそんな、人を好き
になることの強さを学びました。あ
なたと共に働けて、本当によかった
と思います」
結 女「……」
広 海「僕は、このぴったりと重さの等しい
恋にどうしたら答えを出せるか、ず
っと考えていました。今でも答えは
出ていません。もしかしたら、一生
出ないかもしれない」
衛 「……」
広 海「だから、この言葉をもって、この恋
を終わりにしたいと思います」
広海、立ち上がり、
広 海「素晴らしい恋を、ありがとうござい
ました」
広海、深く頭を下げる。
美希、結女、衛、夏美、それをじっ
と見ている。
× × ×
全員、取り皿の具材を鍋に戻してい
る。
衛 「本当に大丈夫か? これ」
夏 美「大丈夫よ! せっかくならあったか
くして食べたいでしょ?」
衛、広海が戻しているのを制して、
衛 「おい、テメエはダメだ」
広 海「なぜ?」
衛 「さんざん人のこと巻き込んで勝手に
あんなオチ付けたんだぞ? 罰とし
て、酒買い足してこい」
広 海「…そうだな」
結 女「いや、私行きます。後輩なんで」
衛 「いや、いいって」
美 希「じゃあ私も。一番飲んでるし」
衛 「…じゃあ、女性陣お願いしていいっ
すか?」
夏 美「私も行こっかな!」
衛 「ババアは留守番してろよ」
○ 道(夜)
美希と結女、たんまり酒の入った袋
を提げて歩いている。
結女、急に立ち止まり、頭を下げる。
結 女「ごめんなさい!」
美 希「?」
結 女「クソ生意気な口利いてしまいました」
美 希「(笑いながら)ほんっと、クソ生意
気だった」
結女、頭を上げ、申し訳なさそうな
顔。
美 希「大川さんのこと好きになって、よか
ったね」
結 女「……」
美 希「ほんっとによかった。そう思わな
い?」
結女、微かに笑みを浮かべ、頷く。
美希、笑って頷く。
二人、また歩き出す。
○ 夏美の家・居間(夜)
広海、机に突っ伏して寝ている。
衛、ソファに座って飲んでいる。
夏美、やってきて、
夏 美「大川さん、大丈夫?」
衛 「電池切れだよ。一世一代の大演説か
ましたから」
夏美、隣に座る。
衛 「…ありがとな」
夏 美「え?」
衛 「いや、俺が思ってること、言ってく
れて。あんたならさ、なんかやって
くれんじゃねえかなって思ったんだ
よ」
夏 美「誰かの役に立てば、私も孤独じゃな
くなるって、思ってくれたんでし
ょ?」
衛 「……」
夏 美「本当に優しいのね、あなたって」
衛、夏美を見つめる。
夏美も見つめ返す。
徐々に顔を近づけていく二人。
広海、目を覚まし、起き上がる。
衛、素早く立ち上がり、
衛 「雑炊、食うだろ?」
広 海「ああ、うん」
美希と結女、帰ってくる。
全員テーブルに集まり、ワイワイ賑
やかに話している。
○ 占いの館(夜)
轟の部屋。広海、訪れている。
轟 「あらそう。そういう結末を選んだの
は、意外だったわ」
広 海「先生にも占えないことがあるんです
ね」
轟 「だからやめられないの、占い師って」
広海、財布から二万円を取り出す。
広 海「今度こそ、ちゃんと恋愛がしたいん
ですが」
轟 「……(困惑)」
○ バー『MILK』(夜)
広海、カウンターで(牛乳を)飲ん
でいる。
手には数珠。
衛、やってきて、隣に座る。
広 海「キミも知ってたのか」
衛 「柳田さんに聞いたんだよ。お前ホン
ト、惜しいことしたな。めっちゃい
い女じゃん」
広 海「ああ、心底惜しいことをしたと思っ
てるよ」
衛 「同じものを」
マスター「かしこまりました」
○ 美容室(夜)
結女、座っている。
美容師、やってきて、
美容師「今日は、どうなさいますか」
結 女「バッサリ、お願いします」
美容師「…そうですか」
結 女「あとカラーも」
美容師「え?」
結 女「とびきりいい女にしてください」
結女、鏡の自分を見て、微笑む。
美容師「かしこまりましたっ」
○ バー『MILK』(夜)
衛 「で、どうだよ、新しい恋模様のほう
は」
広 海「…キミは意図的にオネショをしたこ
とがあるか? 僕はある」
衛 「相変わらず、入りが独特だねぇ」
広 海「人間は成長すると、尿意をある程度
理性でコントロールできるようにな
る。トイレ以外の場所で放尿しよう
としても、なかなか出ないのはその
ためだ。ある日、その理性を突破し
たくなった」
衛 「そこは衝動が勝つのかよ。恋愛はさ
んざんこねくり回しといて」
広 海「それ以降、オネショが止まらなくな
った。まさにそんな感じだ」
衛 「と、言いますと?」
広 海「見る女性が全員魅力的に見える」
広海、頭を抱える。
衛 「…極端だなお前」
衛、牛乳を飲む。
○ ホテル・女子更衣室(夜)
制服姿の美希、ロッカーを開ける。
カラン、という音。
美 希「?」
紛失していた数珠が落ちている。
美 希「あ! なんだここにあった…」
美希、拾い上げ、しばらく見つめる。
やれやれ、という顔。
そのままゴミ箱に投げる。
見事、入る。
美 希「よしっ」
吹っ切れた、という笑顔。
○ バー『MILK』(夜)
広 海「ひとつ頼みがある」
衛 「どうぞ、何なりと」
広 海「…キミの下で働いてる女性、いるよ
な?」
衛 「絶対覚えてんだろ。みゆきな?」
広 海「……」
衛 「…お前、まさか」
広 海「連絡先を教えてくれないか」
衛 「…恋は人を変えるねぇ」
広 海「…いい響きだな」
広海、美味そうに牛乳を飲む。
(完)
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