シリンダー嬢の憂鬱
鍵師
はるみ
ジャスミン
客
ナレーター
M0終わり。ナレーターがスポットライトの中に立っている。センターには鍵師が後ろ向きに仁王立ち。
ナレ 今から少し先の未来。技術の進歩により生体認証キーが主流になり、シリンダー錠は絶滅の危機に瀕していたしかし!今ここに、そんな時代の流れに抗う一人の男がいた!彼の職業 は鍵師。果たして彼はシリンダー錠の未来を築くことができるのか!?
ナレーターのセリフ終わりで鍵師、振り返り鍵を開ける動作。シリンダー錠が開く音とともに明転。
鍵師 くう〜、この鍵穴に差し込む時の感触、鍵を回す際の程よい重み!たまらんなぁ。そしてこの幾何学的なフォルム。金属の光沢全てが美しい。やっぱりシリンダー錠に勝る鍵はない。 これぞ鍵。鍵イズシリンダー!
おもむろにスマホを取り出し写メで激写
鍵師 はるみ、君は今日も美しいよ!
妄想に入るSEとともに照明変化。はるみ登場。
妄想シーンは基本的にMEなってるイメージ
はるみ もう、そんなに写真ばかり撮ったら恥ずかしいでしょ。
鍵師 だってはるみが魅力的だから。
はるみ 毎日撮ったって何が変わるってわけでもなし
鍵師 いいや、毎日どれだけとっても撮り足りないね。シリンダー錠の可能性は無限大だ!さあ、もっと君の声を聞かせてくれ
鍵師、鍵をひねる(SE)
鍵師 ああ、ずっとこうしていたい。
はるみ もう、大げさなんだから
鍵師 そんなことはないさ。
はるみ でも、いいの?ずっと私と一緒にいたら仕事がなくなっちゃうかもしれないわよ。
鍵師 いいんだ。僕は君に関わっていられるだけで幸せなんだ!
はるみ そっか。わたしもあんたに愛されて幸せ。
鍵師 きみがこの世界に存在してくれてよかった。
はるみ もう、あんたってば。
鍵師 はるみ、僕は君を愛してる。
はるみ どれくらい?
鍵師 海よりも深く、愛してる。
SE波
はるみ 素敵!
鍵師 そおれ(なぜか突然波打ち際の水の掛け合いが始まる)
はるみ きゃ、塩水で錆びちゃう。
鍵師 大丈夫さ
はるみ どうして?
鍵師 だってこれは、妄想だから!
はるみ そうか!
二人 あはは、うふふ。
電話がかかってくる。ここで妄想終わり。照明戻る。はるみは退場する
鍵師 はい、どうも鍵の110番です。はい、ご予約いただいていたヤマダさまですね。どう言ったご用件でしょうか。
客 そちらにお願いしていた鍵の取り付けの件なんですけど、キャンセルさせてもらっても良いですか。
鍵師 え、キャンセルんですか。もしよろしければキャンセルの理由をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。
客 やっぱりシリンダー錠じゃなくて指紋認証にしようと思いまして。
鍵師 ええ、どうして。
客 やっぱり、折角の新居の鍵なんで、最新式の鍵を取り付けたいなと。
鍵師 いや、ちょっと待ってくださいよ!シリンダー錠にはシリンダー錠の良さが…。
客 ネットでも今時シリンダー錠なんて時代遅れだって言ってますし。
鍵師 待ってください、私がきっとあなたが納得する提案をしてみせますから。ですから、一度直接ご説明させてください。
客 ええ?でも、もう決めたことなんで。
鍵師 これでご納得いただけなければ指紋認証でもなんでも、好きな鍵を取り付けていただいて結構ですから。ですから一度だけ!お話をさせてください。
客 う〜ん、わかりました。では一回だけですよ。
鍵師 はい。ありがとうございます。
電話が切れるとともに携帯を放り出す鍵師。
鍵師 は〜あ、口を開けばどこもかしこも、指紋認証だの顔認証だの風情ってものがないね。シリンダー錠はこんなにも美しいのに誰もその良さを理解しようとしない。さして回す。この 手触りこそが鍵の醍醐味ってものだろうに。オートロックのなにが面白いんだか。
鍵師が鍵に話しかけるとはるみ登場。再び妄想
はるみ しょうがないさ。それが時代の流れってものよ。
鍵師 どうしたんだい、はるみ。いつになく元気がないじゃないか。
はるみ 今回のお客も指紋認証だって言ってるんだろう。私、自信がなくなっちゃった。もう誰もこんな年増は相手にしてくれないのよ。
鍵師 そんなことは無い!はるみ。君はまだまだ魅力的だよ。
はるみ そう言ってくれるのはあんただけさ。
鍵師 いいや、シリンダー錠は紀元前2000年から愛され続けた鍵なんだ。ここで終わりのはずがない。世界が君の魅力に再び気づく日がきっとやってくる。
はるみ そうかしら…。でも、このまま誰にも買い取ってもらえないならずっとあんたと一緒にいられる。そんな日々も良いのかなって。
鍵師 てやんでい!馬鹿野郎この野郎め!ロックをしない鍵になんの価値がある。扉の先に何かを秘めてこその鍵だろう。君がどんなに美しくったって、扉を守らなきゃあただのオモチャだ。僕は、君にそんな惨めな暮らしはさせたくないんだ よ!
はるみ あんた!
鍵師 はるみ!
はるみ あんた!
鍵師 はるみ!
はるみ あたしゃあんたのその気持ちだけで十分だよ。
鍵師 いいや、気持ちだけじゃない。きっと僕は君を表舞台で輝 かせてみせるさ!
はるみ 嬉しいわ!でも、どうやって?
鍵師 敵を知り己を知ればなんとやら。生体認証キーの問題点を調べれば、君があんな新参者に負けな素晴らしい鍵なんだってことがきっと伝わるはずさ!
はるみ あんたって、天才!
鍵師 さあ、勝利の前祝いだ!踊ろう!
二人ダンスしながら暗転
明転。鍵師の店?鍵師が客にデモンストレーションをしている。
鍵師 このように市販のセロハンテープなどでも指紋を採取でき てしまうのです。
客 なんと。
鍵師 あとはゼラチンなどで偽物の指を作ったり、特殊なインクで指紋をプリントアウトしてしまえば鍵は突破されてしまいます。
客 そうなんですか。
鍵師 指紋はすげ替えるわけには行きませんからね。こうなってしまうとお手上げです。
客 確かにそれは怖いですね。
鍵師 ですから、生体認証というのも万全のセキュリテイを誇っているわけではないのですよ。
客 なるほど。
鍵師 それに、シリンダー錠の最大の強みはその信頼性です。屋外に設置された生体認証はどうしても故障を起こしてしまう場合もあります。その点シリンダー錠が故障を起こすというこ とは滅多にありません。
客 なるほど。
鍵師 いかがでしょう。やはりお考えは変わりませんか。
客 いや、やっぱりもうすこし考えることにしました。
鍵師 そうですか!ありがとうございます!
客 今日のお話は目からウロコでした。鍵師さんはいろんな鍵のことをよく勉強してらっしるんですね!
鍵師 いえいえ、まだまだ勉強したりないくらいです。
客 熱心なんですね。それでは決心がついたらまたきます。
鍵師 はい、お待ちしております。ご来店ありがとうございました。
照明変化
はるみ あんた、おかえりなさい。
鍵師、あっさりと解錠していそいそと部屋に入り。生体認証キーをいじりだす。写メ激写。
鍵師 なんて奥深いんだ生体認証キー!調べ出したら止まらなくなってしまった!はるみとは違った魅力がある。名付けるならそう、ジャスミン!
悦に入る鍵師、妄想。
ジャスミン ハアイ!私の魅力に気づいたようね。
鍵師 ああ、ジャスミン!もう君に首ったけさ。
ジャスミン うふふ、嬉しい。
鍵師 ほおら。(指タッチ)ME:ピ
ジャスミン いやん、アンロックされちゃった。
鍵師 よおし、もう一度だ。(指タッチ)ME:ピ
ジャスミン 登録された人差し指の触り心地。す・て・き。
鍵師 ジャスミン。光学感知式の君も素敵だけど、静電方式の君はもっと素敵だ。
ジャスミン わたくし、違いのわかる殿方が大好きでしてよ。
鍵師 もっと、もっと君のことを教えてくれ
二人が触れ合おうとした時、鍵の開く音
はるみ あんた、最近全然わたしに構ってくれないと思ったら、そんな鍵にうつつを抜かしていたのね。
鍵師 はるみ!
ジャスミン あなた、誰ですかその鍵は?
鍵師 いや、そのお。
はるみ この浮気者!
ジャスミン あらそういうこと。ごめんなさいね。この人は今わたしに夢中なの。
はるみ そんなわけないわ。この人は私に生涯をかけてきたの。あんたみたいなぽっと出に簡単に心を奪われるなんてかんがえられない。
ジャスミン 付き合ってきた年数しか誇るものがないだなんてかわいそうな鍵ねぇ。大事なのはどれだけ長い時間を過ごしたかじゃなくて、どれだけ濃密な時間を過ごしたかじゃない?ねえ、あ なた?(指タッチ)
はるみ 気安くその人に触るんじゃないわよ!
ジャスミン 仕方ないでしょ。これが私の鍵のあ・け・か・たなんだから。
はるみ この泥棒猫が!
鍵師 鍵なのに泥棒とはコレいかに?
はるみ あんたはだまってなさい。
鍵師 すいません。
ジャスミン まあ、泥棒だなんてひどい言い草だわ。
はるみ だってそうでしょう。
ジャスミン いいえ、違いましてよ。わたくしが無理にこの人を奪ったのではない。この人の方からわたくしに夢中になったのですから。
はるみ 何よ!あんた。最新式の鍵には興味がないって言っていたじゃない。
鍵師 それは、そのぉ。
はるみ わたしを愛しているっていうのは嘘だったの?
ジャスミン おほほ、過去の遺物が見苦しいですこと。
はるみ 過去の遺物ですってぇ!?
ジャスミン あら、違って?鍵をなくしたら使えなくなるだなんて、そんな古臭い方式は過去の遺物としか思えませんわ。
はるみ 合鍵があるわよ。
ジャスミン 合鍵?私ならそんなものを作る手間をかけさせないわよ。だいたい、そんなものを作って鍵が盗まれてしまったら 不用心じゃありませんこと?
はるみ あんただって、指が切り落とされたら不用心でしょ。
ジャスミン ふふふ、現実でそんなことそうそう起こるわけないでしょ。映画の見過ぎじゃなくて?
はるみ そうよ、そうなのよ!わたしはお出かけするときはいつでも一緒にいるんだから映画だって一緒に見ているの。
ジャスミン おでかけ?
はるみ 驚いた?この人が外に出る時私はいつでもこの人のそばにいるの。指でタッチされるしか能のない生体認証キーには縁のない話でしょうけどね。
ジャスミン キイイイ!くやしい!
鍵師 鍵だけに?
ジャスミン おだまり!
鍵師 はい。
はるみ そう、私とこの人は単なる人と道具の関係じゃない。生活をともにするパートナーなのよ!これを見てみなさい。
髪飾りを見せつけるはるみ。
ジャスミン それは、なんですの?
はるみ キーホルダーよ。私はあなたと違ってオシャレだってするの。持ち主によって磨かれる個性。色気もクソもないあなたにはとんと無縁の代物でしょ?
ジャスミン で、でもわたくしの方がセキュリティ性は上でしてよ。
はるみ へえ、仕事しかできない人生なんてかわいそう。
ジャスミン 仕事もろくにできないよりよっぽどマシですわ。
はるみ 何ですって!
ジャスミン あら、図星?そうよね?あなたをピッキングするなんてプロにかかれば簡単ですものねえあなた。
鍵師 お、おう。
ジャスミン だいたい、その気になれば安全ピンでもこじ開けられるだなんて鍵として恥ずかしく思わないのかしら?
鍵師 よいこは真似しちゃダメだぞ。
はるみ う、うう。
ジャスミン そもそもあなた…。
はるみ …もん。
ジャスミン え?
はるみん ちゃんとピッキングしにくいシリンダー錠だってあるもん!
ジャスミン あらあら、年増の鍵風情のセキュリティがどれ程のものかしら?
鍵師 いや、シリンダー錠だからといってバカにしたものでもないぞ。マグネットタンブラーなどはそう簡単にピッキングもできない。
はるみ そうよ!それに年増年増っていうけどね、長い年月使われ続けてるってことは、それだけ利便性や信頼性が高いってことなのよ。
鍵師 その通りだ!
はるみ 大体、あんた取り付けに金がかかりすぎなのよ。
ジャスミン それは私にそれだけの価値があるということの裏返しにすぎませんわ。安心はタダでは買えなくってよ。
鍵師 確かに安心はお金に変えられないからなぁ!
はるみ あんた一体どっちの味方なのよ。
ジャスミン あらあら、安い鍵の嫉妬は醜いわねぇ。豚小屋の鍵でもやってれば?
はるみ グギギィ、ドリルで穴を開けてしまえばあんたなんか!!
鍵師 やめろはるみ。それされたら君も一巻のおわりだから。
ジャスミン オホホホ!安全性で私に勝とうだなんて10年早いのよ!いや、遅かったのかしら?
はるみ 言わせておけば!!
二人が取っ組み合いのけんかになる。
鍵師 わあ〜〜〜!ストップストップ!僕の脳内で喧嘩をするな!
鍵師が何かをかき消すように手を振ると二人の姿は消える
鍵師 ああ、なんてことだ。シリンダー錠一筋で生きて来たというのに生体認証にも心を奪われてしまうとは。僕は一体どうすれば良いんだ!(うなだれて椅子に座る)
客 もしも〜し、鍵師さん聞いてますか?(照明現実に)
鍵師 ああ、すいません。少し考え事を。
客 わたし、やっぱりシリンダー錠にすることにしました。鍵師さんの熱意に当てられてしまいましたね。
鍵師 はあ、そうですか。
客 なんだか、元気ないですね。
鍵師 ええ、まあ。
客 何か悩み事ですか。
鍵師 何というか、自分の価値観が信じられなくなりまして。
客 それは…大変ですね。
鍵師 いえ大したことではありませんから。それでは後日取り付けに伺います。
客 はい、よろしくお願いします。それではまた。
鍵師、帰宅。鍵が指紋認証になっている。
ジャスミン おかえりなさい。あ・な・た。
鍵師 ただいま。あれ?はるみは?
ジャスミン あの鍵なら出てったわよ。ほら?(手紙を渡す)
鍵師 実家に帰らせていただきます?実家ってどこだ?生産工場?
ジャスミン さあ、私にもわからないけど。そんなことより私と楽しい時間を過ごしましょう。
鍵師 そうだったな。今日は様々な生体認証キーについてもっともっと調べ物をしなくっちゃ。
ジャスミン そうですわ。さあ、それでは共に
二人 めくるめく生体認証の世界へ!
二人 静脈認証(ハイタッチ)(MEピコ)
ジャスミン 声紋認証
鍵師 オッケージャスミン。(MEピコ)
二人 そして、虹彩認証。
見つめ合う二人。(SEピッ)
ジャスミン ねえ、ちゃんと私の目をご覧になって。
鍵師 ちゃんと見ているさ、ジャスミン。
ジャスミン 本当に?
鍵師 本当さ。
ジャスミン あなた、どこか遠くを見ているようだわ。
鍵師 …そんなことないさ。今日はもう寝る。おやすみジャスミン。
ジャスミン おやすみなさい。あなた。
鍵師去る。それを物憂げに見送るジャスミンを見せてから暗転。
翌日、鍵師の店。
鍵師 いらっしゃいませ。あなたははる…シリンダー錠をお買い上げくださった。
客 はい、おかげさまで良い買い物ができました。今ではシリンダー錠にしてよかったと思っています。
客が鍵を取り出すと同時にはるみ登場。髪飾りが変わっている。
鍵師 はるみ?
はるみ あんた…。
鍵師 どうしてそんなところに。
はるみ どうしてって、ここがもう私の家、実家なのよ。
鍵師 そのキーホルダー、どうしたんだ。
客 キーホルダー選びもなかなか楽しいものですね。年甲斐もなく色々と集めてしまいました。
はるみ どうしようが私の勝手でしょ。もうわたしはこの人のものなの。あんたみたいな浮気者、もう知らないんだから!
鍵師 私はあまねくセキュリティを愛しているだけだ。それの何が悪いんだ!
はるみ 確かに、鍵師としてはその姿勢が正しいでしょうよ。でも、私はあんたの一番でいたかったのよ!
はるみ、そっぽをむく
鍵師 はるみ!
客 あの、聞いてますか?
妄想終わり。
鍵師 は、すいません。それで今日はどういったご用件でしょうか。
客 ですから、今日は合鍵を作ってもらおうと思いまして。
鍵師 かしこまりました。それでは元鍵をお預かりい致しますね。それではあちらでお待ちください。
客、退場。
鍵師の作業場、鍵師がはるみをつれてくる。
はるみ はなして!もうあんたとは終わったんだから。
鍵師 合鍵を作らなきゃならないんだ、仕方ないだろう。それに、君とこうするのもきっと最後だから。
はるみ これで最後…。そうね、もうあなたと会うこともないでしょうから、今日だけは大人しくしてあげるわ。
鍵師 ありがとう。
はるみ 合鍵を作り終わったらすぐに帰るんだからね。もうあんたになんか興味はないんだから。
鍵師 そうだね。きみは、君のことだけを思ってくれる人のところにいれば良い。少し待っててくれ、道具を取ってくる。
鍵師退場、鍵師と入れ替わるようにジャスミンが入ってくる。
ジャスミン 今の話、本気なの?もうあの人に興味がないだなんて。
はるみ ぬすみ聞きだなんて趣味が悪いわね。
ジャスミン 秘密の会話を簡単にきかれるあなたのセキュリティが甘いんじゃなくて?
はるみ なに?やろうっての?
ジャスミン いいえ。
はるみ じゃあ、なによ。
ジャスミン 先ほど聞きましてよ。もうあの人に未練はないのかって。
はるみ …わたしは、もうあの人の元に戻る気はないわ。
ジャスミン 本当にそれで良いの?
はるみ 良いに決まってるでしょ。あの人の一番はもうあなたなんだから。
ジャスミン あの人がどう思っているかなんてこと、私は聞いてませんわ。ねえ、あなたはどうなの。
はるみ …。
ジャスミン さすが長い歴史を持つ鍵ね。そう簡単にロックを開けてくれはくれない。
はるみ それって褒めてるの?
ジャスミン さあ。
はるみ 今更戻れないわよ。あの人のところになんか。勝手に出ていった挙句また戻りたいだなんて、そんなの惨めすぎる。
ジャスミン 確かに今のあなたは惨めだわ。そうやって自分の本心に鍵をかけて、扉の前で立ち往生しているなんてね。
はるみん うっさい。最新の技術が盛り込まれてちやほやされてるあんたに何がわかるのよ。
ジャスミン 確かにわたくしにはわからないわ。貴方のことなんて。
はるみ ほうら、やっぱり。
ジャスミン でもね、あの人の考えてることは分かる。あの人には貴方がいないとダメなんだって。
はるみ なによそれ。
ジャスミン わたし気づいてしまったの。私と一緒にいてもあの人の心にはぽっかりと穴が…いや、鍵穴が空いているということに。
はるみ そんなこと…。
ジャスミン だから行って。あの人の心の鍵を開けられるのはあなただけなんだから。
はるみ でも…。
ジャスミン なに?
はるみ もし…もし、わたしがあの人の元にもどったら、あなたはいったいどうするつもり?
ジャスミン わたくしはさすらいの指紋認証キー。登録された指紋が変われば、前の指紋のことなんて綺麗さっぱり忘れられるわ。一度彫りを刻み込まれたら相方をかえられないあなたと違って ね。
はるみ …。
ジャスミン そろそろあの人が帰ってくるわ。どうするの?
はるみ わたしは…。
暗転。金属を削るような音。
鍵師 こちらが、合鍵と元鍵でございます。
客 どうも。
鍵師 ご利用ありがとうございました。
客、はるみとともに帰っていく。見送る鍵師と物陰からみまもるジャスミン。
鍵師 さようなら、はるみん。
鍵師、去る。
ジャスミン 結局一言も話さないだなんて。そんなロックばかり固いのだから。
照明変化、鍵師の家
鍵師 ただいま。
ジャスミン おかえりなさい、あなた。
鍵師 ああ。
ジャスミン また会えて良かったわね。
鍵師 え?
ジャスミン はるみさんと。
鍵師 ああ。でも僕は君を選んで悔いはないよ。
ジャスミン 嘘ね。
鍵師 そんなこと。
ジャスミン 私の声紋認証の精度をなめないでくださる?声のトーンが少し上がっているわ。
沈黙
鍵師 良いんだ。もうシリンダー錠のことはきっぱり忘れる。これで良かったんだよ。
ジャスミン 本当にそうかしら?
鍵師 え?
ジャスミン 合鍵を作っているあなた、とても楽しそうだった。私はあなたのあんな顔一度も見たことはなかった…。私わかってしまったの「ああ、どれだけテクノロジーが進んでもこの人はシ リンダー錠を捨てることはできないんだ」って。
鍵師 ジャスミン。僕は君のことを本当に魅力的だと思っている。技術が進歩すれば君はまだまだ強く、優しくなるのだろう。
でも僕は…僕はどうしようもなくシリンダー錠を愛してしまっているんだ。不器用で融通の効かない物理キーを!
ジャスミン 安全性だけでは、振り向いてはくれないのね。
鍵師 僕的に性能は二の次だから。
ジャスミン やっぱり。
鍵師 ごめん、ジャスミン。
ジャスミン …もう鍵を無くすんじゃなくってよ。
鍵師 ジャスミン。
ジャスミン 早く行ってあげて、はるみさんの元に。
駆け去る鍵師。
ジャスミン まったく、世話が焼けるわね。
ジャスミンがハケるとともに照明変化、鍵師ランマイム
♪LA・LA・LA LOVE SONG
雨のSEが鳴り続ける。
鍵師 うおおおお!行かないでくれはるみ!僕には君が必要なんだ!だから!帰ってきてくれ!!
鍵師がどこかしらに到着するとはるみが現れる。
鍵師 はあはあ。
はるみ あんたは…どうして来たの?もうあんたのことなんて忘れようと思っていたのに。
鍵師 なめるなよ。ここは僕の妄想の世界だぞ。鍵そのものがなくたって、本気で妄想すればいつだって君の元に行けるさ。
はるみ わたしが聞きたいのは何で来たのかってことよ。
鍵師 僕が君を愛してるから。
はるみ え。
鍵師 世界で一番君を愛してるから!!(エコー)
はるみ !
鍵師 生体認証やカードキー。果ては南京錠まで、いろんな鍵を調べ、知った。どの鍵も素晴らしい。魅力的だ。
はるみ だったら…。
鍵師 だけど、君じゃなきゃダメなんだ!僕の心の鍵穴にぴったりはまるのははるみ、君だけだから!
はるみ あんた。
鍵師 はるみ!
はるみ あんた!
二人が抱きしめ合うかと思いきや、はるみがグーパンチ
鍵師 ぐはあ。
はるみ 今回はこれで許してあげる。また別の鍵に浮気なんかしたら承知しないんだから。
鍵師 それはちょっと自信がない。
はるみ ああん?
鍵師 善処します。
はるみ ふん!
鍵師 さあ、うちに帰ろう。取り付け作業が待っている。
二人、手を繋いで帰ろうとするが、はるみがふと足を止める。
はるみ そこにいるんでしょう、ジャスミン。出て来なさい。
ジャスミン、袖からでてくる。
ジャスミン なにか用?あなたはあの人のそばに居たかった。そしてその夢はかなった。もう私の出る幕ではなくってよ。
はるみ 癪に触るのよ。そうやって勝ちを譲ってもらうみたいなの。
ジャスミン 別にそのようなつもりは…。
はるみ 今わかったの。私がやりたいのはこいつの気持ちを射止めることなんかじゃない!
鍵・ジャス えー。
ジャスミン な、なら一体何をお望みなの?
はるみ わたしは、真っ向からあんたに打ち勝ちたいのよ。一人の鍵として。だから、勝ち逃げなんて許さないわよ。
ジャスミン (少しポカンとしてから)ふふふ、はるみさんっておかしな方。でも、そういうことなら手加減はしなくってよ。日進月歩のテクノロジーの恐ろしさ、思い知らせて差し上げるわ。
はるみ 上等よ!安全性でもおしゃれでも、あんたに負けないようもっともっと進化してやるんだから!
二人、熱い友情の握手。その光景を見守る鍵師。
鍵師 そうか、どちらかがどちらかを排斥するのではない。互いに手を取り合いより高みを目指せば良いんだ!鍵の可能性は、無限大だ!!(激写)
いい感じの音楽を流しながら溶暗
ジャパネットな感じの音楽とともに明転。鍵師とナレーターがお揃いの鉢巻をつけている。
鍵師 というわけで誕生したのがこちら、生体認証キーとシリンダー錠の長所を重ね合わせたこちらの鍵!ネイル型鍵!
ナレ ネイル型ですか?
鍵師 使い方は簡単!指につければ鍵が指先の静脈を認証。スイッチ一つで物理鍵が飛び出してくるという仕組みなんですね。
ナレ なるほど、鍵を取り出す煩わしさが解消されているわけですね。
鍵師 しかも指紋認証を突破しないと鍵穴に取り付けられたカバーが開かないので実質三重のセキュリティをかけられるのです。
ナレ それは安心ですね!
鍵師 しかも24色の中から自由な色をお選びいただけます。
ナレ オシャレグッズとしても一役買ってくれるんですね!
鍵師 この通販のみでのオリジナル商品ですからね!みんなに自慢できますよ〜!
ナレ う〜ん、僕も欲しくなっちゃいました!
鍵師 お求めの方はこちらの番号まで!
ナレ ただいまより30分間オペレーターを増やして注文をお待ちしております!
鍵師 それでは皆様のお電話を
二人 おまちしています!
おわり
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