「偶像パラドクス」
登場人物
前島由里(21)弁護士
夏川健(32)俳優
和泉鬼楽(52)音楽プロデューサー
マネージャー
========================================
○ライフパーク駒沢・705号室・中(早朝)
仕切りがすべて取り払われたフローリングの20畳。
キッチン、冷蔵庫、テーブル。
一角にはダブルベッド。
ベッド脇にデスク。
ベッドの正面にテレビ。
前島由里(21)、ベッドで寝ている。
夏川健(32)、デスクに座ってテレビを見ている。
デスクの上には指輪と「第3回KBJステークスin 府中芸術劇場」のDVDパッケージが置かれている。
由里の声「みんな。選んでくれてありがとう」
テレビには由里が映っている。
○テレビ画面
広いステージに一本のマイクスタンド。
由里、トロフィーを手にマイクの前に立っている。
由里「KBJ23は8年前。国分寺で。たった6人の。どこにでもいる。ご当地アイドルからはじまりました」
由里、鼻をすすり、天井を見上げる。
○ライフパーク駒沢・705号室・中(早朝)
夏川、テレビを見ている。
由里の声「夏川さん。また見てんの?」
由里、ベッドの上で上半身を起こしている。
夏川「ユリ。これって本当にガチの投票で決まってんの? おはよ」
由里「なワケないじゃん。こんな。こーんな。電話帳くらいの台本があって、それ必死に覚えんの。おはよ」
夏川「ウソ? じゃあオレがCD買って由里に投票したの無意味だったってこと?」
由里「夏川さん私に入れてくれてたんだ。ありがと。無意味では、ないかな」
夏川「どゆこと?」
由里「前のステークスが終わってから次の一年。誰を、どの媒体に、どのタイミングで、どの程度出すかで票を操ってる」
夏川「そんなことできんの?」
由里「できるのが和泉先生なの」
夏川「出たよ。和泉鬼楽」
由里「だいたい和泉先生の台本通りの開票結果になるよ。いつも」
夏川「さすが敏腕プロデューサー」
由里「和泉先生は人心操作の神だからね」
夏川「恐ろしいな」
由里「夏川さん。今日は?」
夏川「ジム行って、舞台の稽古。夜は映画の打ち上げ。だったかな。だから。2時にはここ来れる」
由里「うん。わかった」
夏川、デスクの上の指輪を取り、左手の薬指にはめる。
由里、夏川の手元を見つめている。
由里「ねぇ」
夏川「ん?」
由里、夏川に手を伸ばす。
由里「来て」
夏川の腕を掴み、引っ張る由里の手。
○スプリングプロダクション・社長室
ガラス張りの12畳。
和泉鬼楽(52)、デスクに座っている。
由里、和泉の向かいに立っている。
マネージャー(以下、M)、和泉の脇に立っている。
由里「和泉さんの仰ってることの意味が全くわからないんですけど」
M「由里。あのな」
和泉、Mを手で制す。
和泉「ナンセンス。今まで不動の1位。KBJ23の絶対的エースだった前島由里が5位に転落。ファンと世間の意表を突く」
由里「ですから意表を突く必然性がないんじゃないんですか。というお話です」
M「おい由里」
和泉「ナンセンス。からのナンセンス。だって由里。男いんじゃん? しかも不倫? いやー無理無理。ゲスいわー」
由里「私の不倫と私のアイドルとしての商品価値は別だと思います」
M「そこ否定しないんだ」
和泉「ナンセンス。からのナンセンス。さらにナンセンス。振り向けば」
由里「とにかく」
和泉「ファン舐めんなよ」
由里「はい?」
和泉「自分のもんになんねぇ女をいつまでも追っかけるほどファンはバカじゃねぇ」
由里と和泉、目を見合わせる。
由里、踵を返し、出ていく。
和泉、笑う。
M「社長?」
和泉「相変わらずいい目しやがる。まるで野生の肉食獣だ。本物見たことねぇけど」
M「はぁ」
和泉、立ち上がり、窓際に歩み寄る。
和泉「なぁ。あいつがオチてる時、何するか知ってっか?」
M「え。いいえ」
和泉、由里の出て行った方を見る。
○マンガ喫茶「デッド・エンド」・中
由里、入り口近くの雑誌コーナーで成人向け雑誌を手に取る。
和泉の声「ネカフェ行って置いてある雑誌全部読むんだよ。何時間もかけて」
由里、袋とじを隙間から覗いている。
Mの声「え? じゃあ今日の週刊誌の記事も」
由里、自分の洋服の前襟をつまみ、中を覗いてため息をつくと、成人向け雑誌を棚に戻し、週刊誌を手に取る。
○スプリングプロダクション・社長室
和泉、イスに座ると、回転させる。
M、和泉の背中を見ている。
和泉「今まで大事だと思ってたもん全部失くしたとき。ひとは一番強くなる」
和泉とM、目を見合わせる。
和泉「ザッツ・ハイセンス!」
和泉、手を叩いて笑う。
○マンガ喫茶・中
由里、週刊誌を見ている。
週刊誌の表紙には「激写! 俳優・夏川健(32)、モデル・川島結(24)と深夜の密着愛!」の見出しがある。
由里、週刊誌を見つめている。
○ライフパーク駒沢・705号室・中(夜)
由里、キッチンに立ち、ホールトマトの缶詰を開けている。
キッチンの壁際にスマートフォン。
スマートフォンの画面はミネストローネのレシピ。
コンロには水を張った中に、刻まれた食材が入った鍋が掛けられている。
鍋が沸騰している。
由里、缶詰の中身を鍋に空ける。
跳ねたトマトの果汁がスマートフォンにかかる。
スマートフォンの画面に「着信 夏川健」の文字が表示される。
鍋が沸騰している。
× × ×
由里、ベッドで天井を見つめている。
夏川、テーブルで週刊誌を読んでいる。
デスクにパーカーチュニック。
夏川「これ。どこから撮ってんだ? なぁ」
由里「ねぇ」
夏川「うん。え」
由里、ベッドの上に裸で立っている。
由里「私。きれい?」
夏川「ああ。きれいだよ」
由里と夏川、目を見合わせる。
由里「うそ」
夏川「え?」
由里「私が本当にきれいだったらアイドルなんかやってない。お金持ちの愛人さんになって悠々自適に暮らしてる」
夏川「おい由里。なに言って」
由里「そうじゃないから歌って踊って媚売って、汗流して歯食いしばって稼いでる。私命懸けてんのアイドルに!」
由里と夏川、目を見合わせる。
夏川、視線を逸らす。
夏川「ごめん。ごめん」
由里、夏川に微笑むと、デスクのパーカーチュニックを頭から被り、ベッドを降りる。
由里「私。決めた」
由里、夏川に歩み寄る。
由里「夏川さんから。全部奪う」
夏川「え」
由里「一つずつ。確実に。根こそぎ。奪う」
由里、夏川の顔に触れる。
由里「だって大好きなんだもん。夏川さんのこと」
夏川、短く悲鳴を上げ、出ていく。
由里、夏川の背中を見送る。
○スプリングプロダクション・社長室・中
和泉、デスクに座っている。
由里、和泉の向かいに立っている。
和泉「夏川が奥さんを刺して捕まった」
由里「あー。ネットで見ました」
和泉「由里。何した?」
由里「私は何もしてません。ただ」
優里と和泉、目を見合わせる。
由里「ただ。全力で人を愛しただけです」
由里と和泉、目を見合わせる。
和泉、笑いだす。
和泉「ザッツ・ハイセンス!」
和泉、手を叩いて笑い続ける。
由里、微笑む。
〈おわり〉
コメント
コメントを投稿するには会員登録・ログインが必要です。