「刑事の始点」
登場人物
峰香澄(26)刑事
稲森浩輔(50)刑事
女子高校生
住民の女性
対象者
女性刑事(声)
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○経堂駅・コンコース
人々、行き交っている。
女子高校生、制服姿でカバンを抱えて走ってきて、トイレに駆け込む。
○同・トイレ
個室が並んでいる。
女子高校生、空いている個室に駆け込み、ドアを閉める。
○同・トイレ・個室
女子高校生、うずくまり、肩で息をしている。
ドアがノックされる。
女子高校生、縮こまる。
女性刑事の声「カスミちゃん?」
女子高校生「あ。あ」
女性刑事の声「あいつ。捕まえたから」
女子高生、崩れ落ちる。
カバンにエレキベースのストラップ。
○ライフパーク駒沢・外(夜)
鉄筋7階建てのマンション。
峰香澄(26)、外廊下を歩いてきて、ひとつの部屋の前で止まると、ドアを開け、入っていく。
カバンにエレキベースのストラップ。
○同・中(夜)
家具はなく、明りも付いていない部屋に、カーテンだけが引かれている。
香澄、入ってくる。
香澄「お疲れ様です」
稲森浩輔(50)、望遠レンズのついたカメラ越しに窓の外を見ている。
香澄「交代で参りました。世田谷署の峰香澄巡査です」
稲森「府中署から応援の稲森浩輔警部補です。引継ぎ。いいですか」
香澄「府中署。はい。本庁の方は」
稲森「外のバンに」
香澄「なるほど。動き。どうですか?」
稲森「今のところはなにも」
香澄「そうですか。稲森さん。三宅。府中でも詐欺をしていたんですか」
稲森「ええ。そもそも最初、三宅がリフォーム詐欺の拠点にしていたのは府中、八王子近辺でした。見ますか?」
稲森、立ち上がってカメラを示す。
香澄「はい。失礼します」
香澄、カメラを覗く。
○レンズ越しのアパートの一室(夜)
カーテンの隙間から中が見える。
対象者、テレビの前でゲームのコントローラーを操作している。
香澄の声「もう一週間近くになります。三宅。本当に来るんでしょうか?」
稲森の声「今日か明日には必ず」
香澄の声「ずいぶん限定しますね」
稲森の声「ATMや街中の監視カメラ。Nシステムといったものもかなり周知されるようになってきました」
対象者、スマートフォンで通話中。
稲森の声「お金も下ろせない。長距離の移動も難しいとなると自然。近隣の友人を頼らざるを得なくなる。時間の問題です」
対象者、カーテンを閉め切る。
○ライフパーク駒沢・602号室・中(夜)
稲森、手帳に書き込んでいる。
香澄、カメラを覗いている。
香澄「本庁の刑事さんみたいですね」
稲森「昔。いたことがあります」
香澄「え? 本庁に? どこですか?」
稲森「捜査一課に。数年いました」
香澄「捜査一課。あの。本庁にはどうやったら行けるんですか?」
稲森「峰さん。行きたいんですか」
香澄「はい。私。偉くなりたいんです」
香澄と稲森、目を見合わせる。
稲森「まだ本庁に行く前でしたが。先輩から刑事に大切な3つのシテン。という話を聞いたことがあります」
香澄「3つのシテン」
稲森「事件を見極める眼。職人としての視点。被害者と加害者。関係者。すべてが等しく見える場所。支点に自分を置くこと」
香澄「刑事の技術と事件との距離感ですね」
稲森「ええ。そして3つ目。最も大切なシテンは拠って立つべき刑事の始点。つまり初心です」
香澄「刑事の。始点」
稲森「峰さんはなぜ刑事に?」
香澄「あー」
香澄、カメラを覗く。
稲森「すみません。余計な事でした」
香澄「高校生の時。痴漢被害に遭いました。電車で。車両を変えても。通学時間を変えても。終わりませんでした」
稲森「それは。かなり悪質ですね」
香澄「悔しかった。女ってだけで標的にされることが。軽く見られることが。なにより。自分にそれを断ち切る力がないことが」
香澄、拳を握っている。
香澄「男より強くなりたい。男より偉くなりたい。警察っていう男社会で上に行きたい。それが。私の刑事の始点です」
稲森「そうですか」
香澄「だから絶対に三宅を捕まえて」
稲森「峰さん。隣の部屋を見てください」
香澄「え。あ。はい」
香澄、カメラを隣の部屋に向ける。
○レンズ越しのアパートの一室(夜)
カーテンの隙間から中が見える。
男、暗い部屋の中を物色している。
香澄の声「え? 隣の部屋って。確か」
稲森の声「あの部屋は若い女性の一人住まいのはずです」
香澄の声「交際相手の可能性もあります」
稲森の声「明りも点けずに。ですか?」
男、引き出しから通帳を取り出す。
香澄の声「空き巣?」
稲森の声「アパートの入口。女性が帰ってきました。かち合います。行かないと」
男、バッグに通帳を入れる。
○ライフパーク駒沢・602号室・中(夜)
稲森、ドアに向かう。
香澄、稲森の腕を掴む。
香澄「待ってください。稲森さん。今行って。もし三宅が来たら取り逃がしますよ」
稲森「だから見過ごせと?」
香澄「いや。それは。しかし」
稲森「空き巣が住人とかち合った場合。どうなりますか?」
香澄と稲森、目を見合わせる。
香澄「居直り強盗。最悪の場合。殺人事件や暴行事件に発展します」
稲森「そういった事件が遺す傷がどういうものか。峰さんはご存じのはずですよね」
香澄「でも。三宅のリフォーム詐欺の被害総額は数億円です。重大性が」
稲森、香澄の腕を払い、出ていく。
ドアのしまる音。
女性刑事の声「もう。大丈夫だからね」
カバンにエレキベースのストラップ。
○アパート・外廊下(夜)
住民の女性、部屋の前で立ち止まる。
稲森、住民の女性に駆け寄る。
稲森「すみません。こういう者です」
稲森、住民の女性に警察手帳を見せる。
住民の女性「え。なんですか?」
稲森「詳しくはあとで。失礼します」
稲森、ドアをたたく。
稲森「警察です。出てきなさい」
ドアが勢い良く開き、稲森にぶつかる。
男、手にナイフを出てくる。
住民の女性、悲鳴を上げる。
香澄の声「どいて!」
香澄、住民の女性を脇に押しやって、男の腕を蹴り上げ、ナイフを飛ばす。
ナイフ、天井に刺さる。
香澄「失せろカス!」
香澄、男の胸倉を掴み、一本背負い。
男、失神する。
香澄、男に手錠をかける。
対象者の声「三宅! 逃げろ!」
対象者、隣のドアから顔を出している。
逃げていく足音。
香澄「稲森さん! 三宅追ってください!」
稲森「はい!」
稲森、立ち上がり、走っていく。
香澄、手錠の片方を廊下の柵にかけ、ナイフを天井から引き抜く。
住民の女性、座り込んでいる。
香澄、住民の女性の肩に手を置く。
香澄「もう。大丈夫だからね」
香澄、微笑む。
○アパート・外(夜)
数台のパトカーが止まっている。
香澄と稲森、アパートを見上げている。
稲森「逃げられました。面目ない」
香澄「いえ」
香澄、微笑む。
香澄「私。思い出しました。刑事の始点」
稲森「思い出した?」
香澄「痴漢を捕まえてくれた女性の刑事さんに言われたんです。もう大丈夫だって。それで私。刑事になろうと思ったんです」
稲森「そうでしたか」
香澄「はい」
稲森「私は。ロッキー刑事に憧れて刑事になりました。あの。刑事ドラマの」
香澄「はい?」
稲森「登山が趣味の。名刑事です」
香澄、稲森を見て、噴き出す。
〈おわり〉
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