#9 湖底 前編 ミステリー

琵琶湖に浮かぶ女子高生の遺体。 事件か事故か。はたまた……
竹田行人 20 0 0 03/07
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第一稿

「湖底 前編」


登場人物
一宮悠(28)刑事   
稲森浩輔(48)刑事
葛原明(23)タクシー運転手


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「湖底 前編」


登場人物
一宮悠(28)刑事   
稲森浩輔(48)刑事
葛原明(23)タクシー運転手


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○府中駅・ロータリー
   タクシーが数台止まっている。
   一宮悠(28)、紙袋を手に入ってくる。
   稲森浩輔(48)、柱に背中を預けて立っている。
   悠、周囲を見回している。
   稲森、悠に歩み寄る。
稲森「一宮さん。ですね」
   悠、稲森を見て、敬礼。
悠「は。自分は滋賀県警生活安全部地域課、一宮悠巡査であります」
稲森「府中署の稲森です。よろしく。ああ。階級は警部補です」
悠「は。あの。失礼ながら稲森警部補。なぜ私が刑事だと」
稲森「匂い。かな」
悠「匂い。しますか。感激です」
   稲森、悠が持つ紙袋に目をやる。
悠、ピーポー君の印刷された紙袋を持っている。
稲森「いきましょう」
悠「はい」
   稲森、タクシーの窓をノックする。
悠「は。あの。府中署はすぐそこでは」
稲森「聞いていただきたいお話があります」
悠「はぁ」
   タクシーの後部ドア、開く。
   稲森と悠、乗り込む。
   タクシー、走り出す。

○タクシー・車内
   葛原明(23)、ハンドルを握っている。
   悠と稲森、後部座席に座っている。
悠「稲森警部補。実は私の方にも聞いていただきたいお話があります」
稲森「なんでしょう?」
悠「稲森警部補は、琵琶湖に繋がる500ほどの河川のうち、入ってくる川と出ていく川の比率はご存知ですか?」
   タクシー無線のノイズ。
稲森「いえ。知りません」
悠「実は、出ていく川は1本だけなんです」
稲森「500の川の内、出ていくのは1本。それがなにか」
悠「今夜、府中署の方で宴席を設けてくださるそうなので、ひとつ滋賀県トリビアでもと思いまして」
   タクシー無線のノイズ。
稲森「事件の概要を」
悠「あ。はい」
   悠、ポケットからメモを取り出す。
悠「えー。7月28日。午後11時半ごろ。琵琶湖漕艇場で合宿中だった都立国立高等学校漕艇部2年の山本幸さんが、同室で友人でもあった村岡冬海さんが部屋にいないことに気付き、探しに出ます。そして」
稲森「すみません。ソウテイ、というのは」
悠「競技ボートのことです。艇庫。ボートの倉庫ですが、そこに冬海さんのボートがないことに気付いた幸さんは、冬海さんが琵琶湖に出たと思い、自分もボートを出します。そこで、冬海さんのボートだけが浮かんでいるのを発見。捜索願が出されます」
稲森「なるほど。それから」
悠「翌29日の午前7時43分。瀬田川と琵琶湖の境界付近で、遺体が」
稲森「調書。よく読み込んでおられますね」
悠「恐縮です」
   タクシー無線のノイズ。
稲森「葛原さん。例の話を」
悠「え?」
稲森「彼は私の情報屋です」
悠「情報屋。なぜ、タクシーの方が」
葛原「いろいろありまして」
悠「はぁ」
   赤信号。
   タクシー、停車する。
葛原「5月の第2週から第3週にかけての深夜。警備員のアルバイトしている村岡冬海さんの姿が頻繁に目撃されています」
悠「警備員。そんなことは調書のどこにも」
稲森「ええ。ありません。仮にその二週間毎日アルバイトをしていたら、日当1万として14万。何に必要だったんでしょう」
葛原「そのくらいの年頃の子が秘密にお金を必要とする理由なんて、あんまり想像したくないですけどね」
   タクシー無線のノイズ。
悠「まさか。中絶」
葛原「安直ですけど」
悠「そんな」
稲森「ご遺体は」
悠「昨日の葬儀で、火葬に」
稲森「そうですか」
   信号、青に変わる。
   タクシー、動き出す。
悠「あ」
   悠、メモをめくる。
悠「府中総合病院に向かってください」
葛原「はい?」
悠「冬海さんは慢性的な腰痛で、整形外科に通院していました。主治医になにか話しているかもしれません」
   葛原、ハンドルを切る。

○府中総合病院・外観
   鉄筋8階立ての建物。
女医の声「ボートと腰は、腐れ縁ですから」
   「府中総合病院」の看板。

○同・整形外科・医局・中
   応接用スペース。
   悠と稲森、ソファに並んで座っている。
   女医、向かいのソファに座っている。
   悠、メモを取っている。
悠「腐れ縁。ですか」
女医「はい。上位の選手はほとんどが腰に爆弾を抱えています」
稲森「過酷な競技なんですね」
女医「ええ。特に冬海ちゃんは全国大会でも優勝を狙えるレベルでしたから、相当ショックだったと思います」
悠「ショック。それはどういう」
   悠と女医、目を見合わせる。
女医「合宿に行く前の診察で、私は冬海ちゃんにボートを辞めるよう勧めました」
稲森「ドクターストップ。ですか」
女医「ええ。医師としては適切な判断だったと思っていますが、冬海ちゃんには、酷だったかもしれません」
悠「そうですか」
稲森「他に、なにか変わったことは」
女医「そうですね。ああ。4月ごろ。診察中に冬海ちゃんに聞かれたんです。先生は好きな人いるのって」
   悠、手を止める。
稲森「好きな人。ですか」
女医「ええ。そんな話したことがなかったので、意外で。でもちょっと安心したんです。ちゃんと恋してるんだなって」
   女医、微笑む。
   悠、メモを持つ手を下ろす。

○タクシー・車内
   悠と稲森、後部座席に座っている。
   悠、メモを見つめている。
   葛原、ハンドルを握っている。
葛原「予期せぬ妊娠。中絶。そこに選手生命の危機も重なったことからの失意の自殺。もしそうなら、やりきれないですね」
稲森「今はまだ、なんとも言えません」
   悠、メモを閉じる。
悠「私が高校生のとき、クラスメイトが妊娠しました」
葛原「え」
悠「彼女は、私の親友でした」
稲森「一宮さん」
悠「相手の男性は、彼女の妊娠を知ると音信不通になりました。それでも産みたいと言った彼女に、私は中絶を勧めました」
   タクシー無線のノイズ。
葛原「間違っていないと思いますよ」
稲森「その彼女は、それから」
悠「高校を中退して、出産しました。今は素敵な方と結婚して、3人のママです」
   悠、微笑む。
稲森「そうですか」
悠「私はあの時、自分の幼稚な価値観を、なんの疑いもなく彼女に押し付けてしまったことを、今でも悔やんでいます」
   悠、窓の外に目をやる。
葛原「親友ですか」
悠「なんですか」
葛原「いや、なんでもないです」
悠「言ってください」
葛原「あー。親友って言葉、なんか噓くさいなーって思って」
悠「は?」
葛原「おそろいとか、ずっと一緒とか、親友とか、よく言いますけど、なんだか言葉だけな気がして。ねぇ? 稲森さん」
稲森「私には。なんとも」
悠「そんなことはありません」
   タクシー無線のノイズ。
葛原「余計な話でした。すみません」
悠「いえ。稲森警部補」
稲森「はい」
悠「この事件は、私の事件です」
稲森「ええ」
悠「でも、この事件を解決することは、誰かの幸せに繋がるんでしょうか」
   悠と稲森、目を見合わせる。
悠「もし、そうでないのなら、このまま事故として処理した方が」
稲森「一宮さん。刑事を続けたいなら、そういう勘違いはしない方がいいですよ」
悠「え。それは、どういう」
葛原「着きました」
   タクシー、校門の前に停車する。
   「都立国立高等学校」の看板。

〈後編につづく〉

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