「迷い猫」
人 物
橋本裕美(31)会社員
手塚浩太(34)迷い猫の飼い主
田中恵利(26)㈱ベストライフ社員
カズオ(39)見合い相手
○2階建アパート・外観(夕)
外壁は白く玄関の数が1階、2階合わせて6つある。単身者向けの造り。
○同・102号室・郵便受(夕)
『橋本』と手書きされた市販のシールが貼られた郵便受。
半分はみ出した郵便物。『㈱ベストライフ』と書かれた封書。
○同・102号室・中(夜)
ジャージ姿の橋本裕美(31)が『㈱ベストライフ』から届いた封書を開いている。
入会登録完了の知らせに『素敵なパートナーとの出会いを全力でサポートさせて頂きます』の文字。
裕美「(つぶやくように)よしっ」
記載されたIDをホームページから入力し、自分の登録情報を確認する。
○パソコン画面
裕美のプロフィール情報。近影写真。
紺のジャケットにブラウス姿。笑顔がぎこちない。
○オフィスビル・外観
大通りに面した20階程度のビル。
各フロアは大きなガラス張りの造り。
○同・㈱ベストライフ・フロア・外
入口のドアが開いている。カウンターには鉢植えが1つ。
擦りガラスの衝立てに『ベストライフ』の大きなロゴ。
○同・フロア・中
パーティッションで仕切られた幾つもの部屋。中の様子は見えない。
部屋のドアには英数字2文字の部屋番号。
○同・部屋番号・A3・中
プロフィール写真と同じブラウスを着た裕美の後ろ姿。
向かいに座るカズオ(39)は普段着のTシャツ姿。
イラついた表情の裕美。辛うじて作り笑顔を保つ。
裕美「で、普段休日はどういったことを?」
カズオ「特には……、まぁ寝貯めしてますかね」
裕美「はぁ……、ちなみに、ご趣味は」
カズオ「趣味ですか……、まぁゲームとか?」
沈黙が続き、裕美は改めて問いかける。
裕美「あの、私に何か質問とかありませんか?」
カズオ「質問ですか……、はぁ、そうですねぇ……」
考え込むカズオ。
造り笑顔が壊れた裕美。立ち上がり両掌でテーブルを叩く。
裕美「(大声で)あなたは一体ここに何しに来てるんですか?10分も遅刻してくるし、それを謝るでもないし。だいたい、そんな丸首のTシャツ着てくるし。やる気あるんですか?私に失礼だとは思わないんですか?」
フロア内、静まり返る。
○同・相談室(中)
裕美に珈琲を差し出す田中恵理(26)。胸にアドバイザーと書かれたバッチ。
恵理「今日は初日ですからね。これからです。きっと良い方が現れますから。次回のお見合いは気持ちを切り替えて頑張って下さい」
裕美、眉間に皺を寄せ珈琲を飲む。
○裕美のアパート・玄関前(夜)
激しい雨。傘を差した裕美が帰宅する。
玄関前に首輪を付けたキジ虎模様の毛並みをした猫が1匹。
裕美と目が合うとミャーと鳴く。長い尻尾が『?』の形になっている。
裕美「どこの子?迷っちゃったの?」
猫は裕美の足元に来て、体をしきりに擦りつけ、喉を鳴らしている。
裕美「雨降ってるから早くお家に帰りな」
言いながら裕美が玄関扉を開ける。猫がサッと部屋に入っていく。
裕美「えっ?ダメ!こらっ!」
○同・中(夜)
ひっかき傷をマキロンで消毒する裕美。
猫はソファーで目を閉じ座っている。
裕美「(怒り口調で)あのね。勝手に上がり込んで私にこんな傷負わせて、ここに居座れると思ったら大間違いだからね?」
猫は大あくびをして、毛繕いを始める。
裕美「ムカツく……」
猫、ソファから降り、部屋の隅に丸まった洗濯物の上でウンチをし始める。
裕美「えっ?何やってんの?ちょっと。やめて。こら!」
○同・中・(朝)
ベッドでタオルケットに包まり寝ている裕美。顔のそばに猫が寝ている。
キッチンには手造りの段ボール製トイレ。
○オフィスビル・外観
○㈱ベストライフ・部屋番号A3・中
ぎこちなく作り笑顔の裕美。見合い相手の向かいに座る。
テーブル下で震える両拳。
○同・相談室・中
裕美に珈琲を差し出す恵理。
裕美「母親の面倒を一緒に見てもらえる人って何ですか?って話ですよね。私はヘルパーですか?って。そんなこと言うなら私だってただただ一生面倒見て下さいって言っちゃいたいですよ。」
恵理「裕美さん。少しリラックスしましょう。ちょっと笑顔の練習してみませんか?女性の笑顔は幸せを呼ぶ最強の武器ですよ?」
裕美、口角を上げながら珈琲を飲む。
○スーパー・中(夕)
裕美、1人用の惣菜パックをカゴに入れ、店内を歩いている。
ペットフードのコーナーで立ち止まる。
裕美「そっか、あの子のごはん買わないとね」
○裕美のアパート・中(夜)
お茶碗に移したペットフードを猫に与える裕美。
猫、寄って来て食べる。
パソコンを立ち上げ自分のプロフィール用写真を見直す。
裕美「笑顔、確かにぎこちないんだよなぁ…」
猫がミャーと鳴く。
裕美「そうね。頑張るからね」
猫が近寄り、裕美の足に体を摺り寄せる。尻尾は『?』の形。
キッチン隅に市販の猫用トイレ。
○㈱ベストライフ・部屋番号A3・中
見合い相手と作り笑顔で会話する裕美。
○同・相談室・中
恵理と笑顔作りの練習をする裕美。
○路地(夕)
『道路工事中。迂回願います』の案内。裕美、案内に従いアパート手前の道を左折する。
電柱にA4サイズの貼り紙。
貼り紙には『ミックス猫。毛並みはキジ虎。見つけた方はご連絡願います』の文字。
尻尾が『?』の形でカメラ目線の猫の写真。
裕美、肩を落とす。
その場に立ち尽くす。
○裕美の部屋・中(夕)
家の中に増えた猫グッズを見る裕美。
寄ってきた猫を抱いて頬擦りをする。
スマホを手に取る。
○手塚家・玄関前(夜)
二階建の一軒家。引き戸はガラス張りの玄関扉。
室内の灯りが漏れている。
扉の横には『手塚』の表札。
○同・玄関・中(夜)
裕美、上がり框で猫を引き渡す。
恐縮しながら、安堵の表情で猫を抱えて喜ぶ手塚浩太(34)。
手塚「本当にありがとうございました。もうダメかと諦めかけました。連絡頂いた時は本当に嬉しくて」
裕美、耐えきれず作り笑顔で会釈し玄関扉を開けて帰ろうとする。
猫がミャーと鳴く。振り返らず玄関を出る。
○手塚家前・路地(夜)
裕美、手塚家の敷地を出て力なく歩き始める。
一粒の雨がアスファルトに落ちる。
直後、突然のゲリラ豪雨。
裕美、ずぶ濡れのまま立ち尽くす。
裕美「(涙声で)もうダメ。笑顔なんて無理だよ…」
裕美、その場にしゃがみ込む。
強く大きな雨粒は、容赦なく裕美に降り注ぐ。
裕美「(涙声で)何やっても上手くいかない…」
○手塚家・玄関・中(夜)
猫がミャーミャーとしつこく鳴く。
豪雨の音に手塚がハッと気付き、猫に話しかける。
手塚「橋本さん。傘持ってなかったよな?」
手塚、慌てて傘を持ち玄関を出ていく。
猫は鳴き止み、上がり框から玄関を見つめる。
○手塚家前・路地(夜)
雨粒が、しゃがみ込む裕美に降り注ぐ。
手塚が近付き、しゃがんで裕美に傘を差し出す。
豪雨がピタリと止む。
涙顔の裕美、同じ目線の手塚を見つめる。
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