登場人物
菅泉小吉(65・40・20・10) 年金暮らしの末期癌患者
藤沢敏郎(70) カモメの餌付けが日課の若さ溢れる謎の老人
伊藤文代(56) 『伊藤ベーカリー』店主
菅泉トキ(38) 小吉の母
医師
ウエイター
牛丼店店員
パチンコ店店員
〇海浜公園(朝)
広大な青空の中で飛び交うカモメ達。
砂浜では老若男女が犬の散歩やジョギングをしている。
〇海浜公園(朝)
遊歩道を生気のない足取りで歩くヨボヨボの菅泉小吉(65)。
菅泉「はあ……」
× × ×
(フラッシュ)
総合病院の診察室。
狼狽した表情で座っている菅泉。
菅泉の主治医、カルテを眺めながら
主治医「残念ですが……ステージ4まで進行
していますね」
菅泉「そ、そんな……末期ってことですか?な、何とかならないんですか?」
主治医「抗癌剤治療を進めて行くしかありませんね。手術をするにしても費用に余裕がないんじゃ……」
菅泉「……(絶望の表情)」
× × ×
絶望の表情で立ち尽くす菅泉。
菅泉「こんな形でステージには立ちたくなかった……」
上空からカモメ達の甲高い鳴き声が降り注いで来る。
菅泉、虚ろな眼差しで上空を見上げる。
菅泉「!」
と、菅泉の眼鏡に糞が落ちて来る。
ビチャっとした糞に悶える菅泉。
菅泉「ええいくそう、何てついてないんだ!」
菅泉、砂浜に向かい、眼鏡を海水で洗う。
ハンカチで眼鏡を綺麗に拭く菅泉。
老人の声「とんだ災難でしたね」
菅泉、目を細めてキョロキョロと辺りを見渡す。
菅泉「はて? どなたです?」
老人の声「ははは。こっちです」
菅泉、眼鏡をかけて辺りを見渡すとパンの耳が詰まったビニール袋を持った藤沢敏郎 (70)の姿を発見する。
菅泉「ああ、どうも。いやあお恥ずかしい所をお見せしてしまいました」
藤沢「いやいや、とんでもない。(上空を指差し)こやつらの食い意地といったら凄まじいもので……食うだけ食ってとんずら、出すもん出してとんずらと来たもんです」
菅泉「はは……」
藤沢、手の平にパン屑を乗せて頭上に掲げる。
と、上空を浮遊していたカモメ達が藤沢の元へ次々と舞い降りて来る。
菅泉「!」
藤沢の手の平から次々とパン屑を啄んで行くカモメ達。
上空では餌を待つカモメ達が停滞し、
羽ばたきが一種の波動を作り出している。
菅泉、その不思議な光景に見惚れている。
やがて藤沢の手の平のパン屑が無くなると上空高く散り散りになるカモメ達。
藤沢「今日はお仕置きに少な目にしときましたよ」
菅泉「ははは、どうも……しかしすごい懐きようですなあ」
藤沢、上空を見上げ
藤沢「なあに、こやつらの飯の世話が日課になっておりましてね。年の功ですよ」
と、咳き込む菅泉。屈んで口元を押さえて咳をしているが、中々治まらない。
藤沢「大丈夫ですか?」
藤沢、菅泉の元に歩み寄り、様子を伺っている。
菅泉、苦しそうに藤沢を見上げ
菅泉「ええ、大したことないでゲホホっす!」
藤沢「……」
咳が止んだ菅泉の手元口元には少量の吐血が見られる。
藤沢に分からないように口元の吐血を手で拭い、尻のポケットに手を突っ込み、モゾモゾ と血を拭っている菅泉。
菅泉「はあはあ、失礼しました。ちょっと風邪気味で……」
藤沢「……」
藤沢、不安気な表情で菅泉の背中を摩っている。
藤沢「そういえば自己紹介がまだでしたね。私、藤沢と申します。初めまして」
菅泉に手を差し出す藤沢。
菅泉「ああ、どうも。私は菅泉と申します」
菅泉、藤沢に手を差し出し、握手を交わす。
藤沢・菅泉「!」
藤沢、握手後の手の平を見ると血が付いている。
菅泉「し、失礼!」
菅泉、慌てて藤沢にハンカチを差し出す。
藤沢「お身体、大丈夫ですか?」
菅泉「あ、あの、その……実は」
× × ×
海面に朝日が反射して煌めいている。
藤沢「……末期癌ですか」
菅泉「ええ、不養生が祟ってこの有様です」
藤沢、おもむろに上空を見上げ、散り散りに飛び交うカモメ達を目で追っている。
藤沢「ちょっと手を出して下さい」
菅泉「え?」
藤沢「大丈夫ですから」
菅泉、血塗れた手の平を申し訳なさそうに藤沢へ差し出す。
その手の平にパン屑を乗せる藤沢。
菅泉「?」
藤沢「菅泉さんもカモメ達に餌をやってみて下さい。元気が出ますよ」
菅泉「ははは。そ、そうですか、では」
藤沢、菅泉の手を取り、頭上へ誘導する。
上空を飛行していた一匹のカモメが餌に気付き、菅泉の元へ降下して来る。
それに続き、次々とカモメの大群が菅泉の元へ集まって来る。
菅泉「おおお!」
藤沢「大丈夫ですよ。穏やかな奴らですから」
次から次へと菅泉の手の平に乗ったパン屑を啄んで行くカモメ達。
順番待ちをしているカモメ達が二人を囲み、空中で停滞飛行している。
と、カモメ達の羽ばたきが大きなうねりを巻き起こし、一種の竜巻のような波動に包まれ る二人。
菅泉「おおお! こ、これは!?」
藤沢「安心して下さい! すぐ慣れますから」
菅泉の手の平のパン屑が無くなると共に上空へ散り散りになるカモメ達。
徐々に止む波動。
菅泉「はあ、はあ……い、今のは?」
藤沢「なあに、ちょっとした化学反応でしょう」
菅泉「目が回るような、すごい感じでしたが」
藤沢「体調の方はどうです?」
菅泉「ん……あれ?」
血色が良くなり、ケロッとした様子の菅泉。腰もピンと伸びている。
菅泉「ええ? な、何だか気分が良くなっていますぞ!?」
藤沢「ははは、それは良かった」
菅泉、目を丸くしてストレッチをする。
菅泉「(腰を摩りながら)はて? 腰痛も治まっている!」
藤沢「良かった良かった」
菅泉「これは……も、もしや貴方、お医者さんですか!?」
藤沢「いえいえ……まあ立ち話もなんですからこの後ランチでもご一緒にどうですか?」
菅泉「おお、そうですね」
公園を後にする二人。
砂浜に打ち寄せる波音とカモメ達の鳴き声が上空で木霊している。
〇カフェ・内
賑わう店内。
ボックス席で対面して座る菅泉と藤沢。
互いにコーヒーを飲んでいる。
と、ポケットから煙草を取り出す菅泉。
菅泉「ちょっと吸ってもかまいませんか?」
藤沢「ええ。でもお身体の方は大丈夫ですか?」
菅泉「はい、ほんの2~3本吸うだけですから。どーにもこーにも中々止められなくてですね……」
煙草に火を点け、深く一服する菅泉。
菅泉「しかし不思議なもんですね。カモメに餌をやっただけで体調が良くなるとは」
藤沢「餌……のせいじゃないんですよ」
菅泉「?」
藤沢「カモメ達に囲まれた時、何か感じませんでしたか?」
菅泉「そういえば何だかゆったりとした……」
藤沢「羽ばたきの作用によって時間が止まっていたのですよ」
菅泉「ええ?」
藤沢「いや、それどころかカモメの大群は時間の流れを押し戻す力があるようなんです」
菅原「そんなバカな」
藤沢「現に時間が押し戻されて貴方は健康を取り戻した」
菅泉「それは……」
藤沢「何はともあれ体調が良くなって良かったじゃありませんか」
菅泉「……ええ、そうですね」
と、激しく咳き込む菅泉。
藤沢「!」
菅泉、お絞りを口元に当てて咳を堪えるが中々治まらない。
藤沢「大丈夫ですか?」
身を乗り出して菅泉の背中を摩る藤沢。
菅泉「ええ、ちょっと煙が……ゲホゲホっ」
咳が治まって口元をお絞りで拭く菅泉。そのお絞りには血が滲んでいる。
菅泉「ああ、すみません。またぶり返して来たようで」
藤沢「煙草は控えた方が良さそうですね」
菅泉「あ、そ、そうですね」
菅泉、煙草を灰皿で揉み消す。
菅泉「……私、思うんです。この歳になって」
藤沢「はい?」
菅泉「自分には他にやるべき事があったんじゃないかって」
藤沢「……」
菅泉「末期癌になって分かったんです。もっと有意義な人生を送るべきだったと……」
藤沢「……」
菅泉「時間と健康さえあれば私だって後世に名を残せたかも知れないのに……気付いた時には余命幾ばくもない状況だなんて……」
藤沢「そんな気を落とさずに」
菅泉「人生一からやり直したいですよ……」
菅泉、悔し涙をお絞りで拭う。
藤沢「……」
深刻な表情で菅泉を見詰めている藤沢。
菅泉「くそうくそうくそう!」
藤沢、決心した表情で
藤沢「時を止めてみますか?」
菅泉「……え?」
藤沢「時間はお金では買えない掛け替えのない物ですが、その時間を我々はパン屑ごときで手に入れる事が出来るんですよ!」
菅泉「はあ」
藤沢「騙されたと思って今度私とカモメ達の餌付けをしに行きましょう!」
菅泉「ははは、騙されませんよ。そんな上手い話がありますか?」
藤沢「私、いくつに見えます?」
菅原「へ?」
藤沢「当ててみて下さい」
菅泉「そ、そうですね。私は今65なもんで、そんな私より若々しいので……60歳くらいですか?」
藤沢「70です」
菅泉「え!? そんなバカな!」
藤沢「本当です」
藤沢、財布から免許証を取り出して菅泉に見せる。
菅泉、その免許証をまじまじと見詰めている。
菅泉「えーっと、昭和21年生まれって事は」
指を折って歳を数える菅泉。
菅泉「そ、そんな! 本当に70歳じゃないですか!?」
藤沢「はい。60前後で時を止めてるんですが、実年齢は正真正銘70歳です」
菅泉「そ、そんな事って……」
藤沢「それが有り得るんですよ。あのカモメ達の羽ばたきの空間に身を投じれば……」
菅泉、目を丸くして免許証を眺めては向かいの藤沢の顔と見比べている。
藤沢「どうです? 来週末にでも? 体調が今より悪化する事はなくなると思いますから」
菅泉「おお、是非ともお供させて下さい!」
藤沢「それでは来週の同じ時間に駅で待ち合わせしましょう。それから行き付けのパン屋さんがあるのでパンの耳を調達して公園へ向かいましょう」
菅泉「はい! 宜しくお願いします!」
菅泉の瞳は生気を取り戻して光輝いている。
〇菅泉が住むボロアパート・外観(夜)
人が住んでいるとは思えない廃墟のようなボロアパート。
〇同・内(夜)
ゴミが散乱する室内。
染みだらけの布団で眠っている菅泉。
菅泉、額に汗をかき苦悶の表情。
× × ×
(菅泉の夢)
病室。
ベッドで寝ている呼吸補助器を付けた母の菅泉トキ(38)。痩せ細り意識が朦朧として いる。
ベッドの横に立ち、不安気な表情でトキを見守る菅泉(10)。
菅泉「母ちゃん……」
トキ、菅泉に気付き、虫の息で骨と皮になった手を差し伸べる。
菅泉「!」
菅泉、トキの手を取る。
と、手を取ったと同時にトキの手が急激に白骨化して行き、トキは瞬く間に骸骨になって しまう。
菅泉「うわあああああああ――」
× × ×
菅泉「――ああああああああ!」
菅泉、ガバっと跳ね起きる。
菅泉「ゆ、夢か……」
絶望の表情で方針状態の菅泉。
〇駅前(朝)
人々が行き交う改札。
その付近の喫煙スペースで一服をしている菅泉。
と、藤沢が菅泉の元へやって来る。
藤沢「おはようございます。お早いですね」
菅泉「ああ、どうも。今着いたとこでしたよ」
藤沢、菅泉の口元の煙草を見て
藤沢「煙草は控えた方が……」
菅泉「ああ、どうしても習慣になってしまっていて、吸わないと調子が出ないのですよ」
藤沢「はあ」
菅泉、煙草を深く一服し、灰皿で揉み消す。
菅泉「さ、何処に向かうんです?」
藤沢「この先の商店街にある『伊藤ベーカリー』ってパン屋さんがパンの耳を無料でく
れるんですよ。そこへ向かいます」
商店街へ向かう二人。
〇商店街~伊藤ベーカリー・外観(朝)
まだシャッターが閉まったままの様々な店舗が連なる商店街を藤沢の後に続いて歩く菅 泉。
藤沢「ああ、ここです」
年季の入った造りの『伊藤ベーカリー』を指差す藤沢。
中に入る二人。
〇伊藤ベーカリー・内(朝)
店頭には焼き立ての様々なパンが並んでいる。
店内は老婦人や老紳士でそこそこ賑わっている様子。
藤沢「パンの耳だけ貰うってのも失礼なので朝飯がてら何か買いましょう」
菅泉「あ、はい」
菅泉、ポケットから財布を取り出し、不安気な表情で中身を確認している。
藤沢「奢りますよ。私が誘ったんですから」
菅泉「え? ああ、どうも。それではお言葉に甘えて」
トレーとトングを持ち、焼き立てのパンを吟味している二人。
藤沢、『あんぱん』をトレーに乗せる。
菅泉、『チョココロネ』をトレーに乗せる。
レジに並ぶ二人。
レジ奥から店主の伊藤文代(56)がやって来る。
文代「あら、フジさん。どうも~」
藤沢「おはようございます。今朝も出来立てで美味しそうですね」
文代「どうも~。あらお友達ですかぁ? 珍しい~」
菅泉「(会釈をしながら)ああ、どうも」
藤沢「このあんぱん、本当に美味しそうですね。艶々してて……まるで文代さんのほっ
ぺたみたいだ」
文代「(ほっぺたを赤らめて)あら~、フジさんったらお上手ね~。フジさんこそ富士山みたいスラっとしてて素敵よ~」
藤沢「はっはっは。あ、そうそう。例のブツ、あります?」
文代「あ、ちょっと待ってらして」
文代、急いで奥へ向かう。
菅泉「……」
藤沢「(小声で)リップサービスってやつですよ」
菅泉「はあ……」
レジ奥からすっ飛んでやって来る文代。
その手にはビニール袋に敷き詰められたパンの耳が。
文代「はいどうぞ~」
ビニール袋を受け取る藤沢。
藤沢「ありがとうございます。いつもいつもすみません!」
文代「いいのよ~」
勘定を済ませて店を出る二人。
〇海浜公園(朝)
遊歩道に設置されたベンチに座り、パンを食べている藤沢と菅泉。
藤沢「あれから体調はどうです?」
菅泉「そうですね、多少咳き込む時はありますが、血反吐交じりの咳は減少しています」
藤沢「そうですか、もう一息ですね」
パンを食べ終えた藤沢、立ち上がりストレッチを始める。
菅泉も程なくパンを食べ終えて
菅泉「いやあ御馳走さまでした」
藤沢「いえいえ。お安い御用です。我々の腹ごしらえが済んだので今度はカモメらの番
ですな。さ、行きましょう」
砂浜へ向かう二人。
青空の中で、カモメ達が悠々と羽ばたいている。
ビニール袋からパンの耳を一掴み取り出し、小さく千切って菅泉に次々と渡す藤沢。
菅泉の両手の平にパン屑がこんもりと山を成して行く。
藤沢「さ、スガさん。パン屑を両手に分けて頭の上に上げて下さい」
菅泉「ああ、はい」
藤沢、菅泉の両手を支え、頭上高くへ誘導する。
と、一匹のカモメがそのパン屑目がけて急降下して来る。
藤沢「お、来ましたよ」
勢い良く菅泉の手の平からパン屑を啄んで、上空へ舞い上がって行くカモメ。
それに続き、次々と他のカモメ達が菅泉の元へ集まって来る。
辺り一面に突風が巻き起こる。
菅泉「おおお!」
カモメの大群に怖気付く菅泉。
藤沢「大丈夫です! 吹き飛ばされないよう
に踏ん張って下さい!」
菅泉の両手の平に盛られたパン屑の山がカモメ達が横切る度に見る見る減って行く。
二人の周囲に停滞するカモメ達の羽ばたきが一体となって大きな波を打っている。
空間が反時計回りに渦を巻いて歪み始める。
菅泉「ああああああ!!」
藤沢「堪えて、スガさん!」
閃光。
静寂。
何事もなかったかのように、晴れ晴れと広がる青空の下で大海原が波打っている。
砂浜に倒れている二人。
藤沢、ひょこっと起き上がり、菅泉の肩を揺する。
菅泉「う~ん……」
藤沢「スガさん、大丈夫ですか?」
上体を起こし、吹っ飛んだ眼鏡をあたふたと探す菅泉。
藤沢、菅泉の眼鏡を見つけて渡す。
菅泉「おお、どうも」
眼鏡をかけて辺りをキョロキョロと見渡す菅泉。
上空ではカモメ達が散り散りに悠々と羽ばたいている。
藤沢「どうです? 何か変化はありますか?」
菅泉「ああ、え~っと……」
菅泉、胸や腰、膝を摩ったりしている。
菅泉「あれ? 痛みが消えている!?」
菅泉、近くの水溜まりを鏡代わりにして顔色を確かめる。
菅泉「おお、血色も良くなっている!」
藤沢「どうやら元の健康を取り戻せたようですね!」
菅泉「ははは! すごい、すごいぞ!」
菅泉、ひょこっと起き上がり、切れの
良いストレッチを始める。
菅泉「あんなに硬かったのにこんなに曲がりますよ!」
藤沢「はっはっは! バッチリですね」
大はしゃぎでピョンピョン飛び跳ねる菅泉。
菅泉「よし! もう一度やりましょう! そしたら息一つ切らさずに全力疾走出来ちゃ
うかもですぞ!」
藤沢、冷静な顔付になり
藤沢「いや、今日はこのぐらいにしておきましょう」
菅泉「え? 私は全然大丈夫ですよ? 足腰にも力が漲ってますんで、あの突風なんかへっちゃらです!」
藤沢「いえいえ、そうじゃなくて……」
菅泉「へ?」
藤沢「急激な若返りは周囲から不審に思われます。用法用量を守って適度に餌付けをするべきです」
菅泉「……そ、そうですか」
藤沢「薬と同じですね。飲み過ぎると毒になる」
菅泉「……」
藤沢、パンの耳が入った開いたビニール袋を縛り、菅泉に渡す。
藤沢「余りものですがどうぞ。味は保証します。バツグンに美味しいですよ」
菅泉、袋を受け取り
菅泉「ああ、どうも」
藤沢「どうです? この後お茶でも?」
菅泉「ああ、例のカフェですね。もちろん」
藤沢を先頭に公園を後にする二人。
菅泉、振り返って上空を浮遊するカモメ達に物欲しそうな目を向けている。
〇カフェ・内
先日の常連客らで賑わう店内。
先日と同じ席で互いにコーヒーを啜る二人。
藤沢「いやあ、久々に話し相手が出来て嬉しいですよ」
菅泉「いいえ、こちらこそ」
藤沢、向かいの席に座る老夫婦に目を向けて
藤沢「ご結婚は?」
菅泉「あ、いいえ。何とも縁に恵まれなくて」
藤沢「は、そうでしたか」
菅泉「フジさんはご結婚なさってるのですか? いや、してるに違いない。如何にも紳士って感じでモテそうですもの」
藤沢「妻には先立たれてしまいまして……」
菅泉「ああ……し、失礼」
藤沢「いえ、いいんですよ……」
× × ×
若いウエイターがテキパキと仕事をこなす姿を眺めている藤沢。
藤沢「私……最近思うんです」
菅泉「はい?」
藤沢「カモメ達の力で老い知らずに成れた事はこの上ない喜びなのですが……」
菅泉「はい……」
藤沢「周囲の知人達がばたばた死んで行くのを見届けるのはもう懲り懲りだって……」
悲しい表情でコーヒーカップの底を見詰める藤沢。
菅泉「……」
菅泉、項垂れた藤沢の後頭部の奥で茶を交わす老人達を見渡した後、キッとした目付きで 藤沢に向き直り
菅泉「何をおっしゃいます!」
ぴくっと顔を上げる藤沢。
菅泉「貴方は金では買えない尊い時間を手に入れる事が出来るのですぞ! どんなに大枚叩いても治す事の出来ない難病にだって立ち向かう事が出来るなんて、奇跡としか言いようがないじゃないですか? 貴方はその奇跡の重さを理解していない! 悲しみなんかに暮れず奇跡の時間を謳歌するべきです! 自分のやり残していた事を全うするのです!」
菅泉の持っているコーヒーカップからコーヒーがビチャビチャに零れ落ちている。
菅泉「おっと失礼。ちょっと熱くなってしまって……」
お絞りで零れたコーヒーを拭く菅泉。
藤沢「す、スガさん……何だか元気が湧いて来ましたよ」
菅泉「おお、その意気です!」
心が通い合った様子で見詰め合う二人。
藤沢「そうと来たら早速次の餌付けの予定を立てましょう」
菅泉「そうですな!」
藤沢、ポケットから携帯電話を取り出して
藤沢「電話番号を交換しましょう」
菅泉「!」
藤沢「?」
菅泉「……あの、私、恥ずかしながら携帯電話といったハイテクな機械は持ち合わせて
いないもので……」
藤沢「は、そ、そでしたか……」
菅泉、テーブル横の紙ナプキンを広げて、お客様アンケート記入用紙の鉛筆と共に藤沢に 差し出す。
菅泉「そこに番号を書いて下されば近所のコンビニにある公衆電話から連絡が取れます」
藤沢「そうですか。じゃあ……」
紙ナプキンに番号を書く藤沢。
藤沢「次の餌付けは再来週にしましょう」
菅泉「ええ。お任せします!」
番号を書いた紙ナプキンを菅泉に渡す藤沢。
固く握手を交わす二人。
〇菅泉が住むボロアパート・外観(夜)
人が住んでいるとは思えない廃墟のようなボロアパート。
〇同・内(夜)
ゴミが散乱する室内。
傷だらけのちゃぶ台の上には缶ビールとパンの耳が入ったビニール袋が置いてある。
その前で胡坐をかき、ラジオに聞き耳を立ててカップ麺を貪る菅泉。
麺を食べ終えてスープだけになった容器の中を物足りなさ溢れる視線で見詰める菅泉。
と、ちゃぶ台上のパンの耳に目を向ける菅泉。ビニールからパンの耳を取り出しスープに 浸して食べる菅泉。
菅泉「おお、旨い!」
パクパク食べる菅泉。
と、パンを喉に詰まらせて激しく咳き込む菅泉。
悶え転がる菅泉。
ちゃぶ台上の缶ビールを開けてがぶ飲みする菅泉。
咳が治まり落ち着いた様子の菅泉。
菅泉の口元から血が滴り落ちている。
胸を摩り、口元の血を袖で拭う菅泉。
菅泉「……くそう」
と、ちゃぶ台上のパンの耳に目を止める菅泉。
菅泉「……」
不敵な笑みを浮かべてパンの耳が入ったビニール袋を取り、冷蔵庫へ向かい中に仕舞う菅 泉。
〇海浜公園(朝)
砂浜で仁王立ちして上空を見詰めている菅泉。手にはパンの耳の入ったビニール袋を持っ ている。
上空ではカモメ達が悠々と飛び交っている。
菅泉「朝飯の時間だぞう……」
菅泉、ビニール袋からパンの耳を取り出して細切れにする。
パン屑を両手に分けて上空へ掲げる菅泉。
菅泉「さあ来い! また戻してくれ! 丈夫だった頃の身体に!」
カモメが徐々に大群となり、菅泉の元へ集まって来る。
菅泉「おおお! 始まるか!?」
旋風が巻き起こり、空間が歪む。
天候が急激に悪化して雷鳴が轟く。
猛威を振るう波動の渦中にいる菅泉、よろけて倒れそうになる。
菅泉「うはあ!」
閃光。
菅泉「うわあああああ!!!」
× × ×
砂浜に横たわる菅泉。
快晴の大空。
波打つ大海原。
よろよろと上体を起こす菅泉。
菅泉「んんん?」
菅泉、顔や体に付いた砂を掃いながら、眼鏡を探す。
砂に埋もれた眼鏡。
菅泉、眼鏡を見つけて砂埃を掃ってからかける。
菅泉の顔は皺が減って肌艶も良くなっている。
菅泉、立ち上がり、周囲を眺める。
何の変哲もない穏やかな公園の風景が広がっている。
菅泉「はて?」
菅泉、両手の平を眺める。
赤い引っかき傷が点々と付いている。
菅泉の足元には中身が空のズタボロのビニール袋が落ちている。
菅泉「……」
と、ラジオ体操を始める菅泉。
菅泉「おお、す、すごいぞ! こんなに身体が言う事を聞くなんて!」
切れの良いフォームで次々と体操をこなして行く菅泉。
菅泉「はっはっは! 元気ハツラツだぞう!」
周辺の通行人達が不思議そうな目で菅泉を見ている。
〇総合病院・診察室
対面して椅子に座っている菅泉と主治医。
主治医、カルテやレントゲン写真を驚愕の表情で眺めている。
主治医「こ、これは……驚くべき事実ですよ! 癌細胞が著しく減少している!」
菅泉、勝ち誇った表情でVサイン。
〇個人的にカモメに餌付けをする菅泉の点描
コンビニで菓子パンを3~4個買う菅泉。
海浜公園で細切れにした菓子パンをカモメ達に振る舞う菅泉。
閃光に包まれる菅泉。
閃光が止むと、若さ漲る佇まいで砂浜に君臨する菅泉。
〇商店街~牛丼店(夕)
商店街を快活な足取りで歩く菅泉。
牛丼店の前で立ち止まる菅泉。
菅泉「久方ぶりの外食と行こうか!」
〇牛丼店・内(夕)
発券機前でメニューを吟味する菅泉。
菅泉「う~ん……」
菅泉、決め兼ねがらも大盛牛丼のボタンを押す。
× × ×
菅泉の席に店員が大盛牛丼を持って来る。
その大盛牛丼を見て狼狽の表情の菅泉。
菅泉「むむむ……食べ切れるだろうか?」
菅泉、恐る恐る牛丼に箸を付ける。
一口食べる菅泉。
菅泉「!」
二口三口と次々と箸が進む菅泉。
菅泉M「旨い、旨いぞ! 次から次へと箸が進む! 牛丼ってこんなに旨かったんだ!」
丼を掲げて一気に掻き込む菅泉。
菅泉M「ははは! 胃もたれの一つも感じないぞ!」
牛丼をあっという間にペロリと平らげてしまう菅泉。
〇遊歩道(早朝)
長閑な遊歩道を清々しい朝日を浴びてジョギングする菅泉。
菅泉M「若いってなんて素晴らしいのだ!」
〇パチンコ店前の歩道(朝)
ジョギング中の菅泉、パチンコ店入口で老人達の行列に目を止める。
菅泉「?」
その行列付近で速度を落とし、何の気なしといった様子で最後尾に並ぶ菅泉。
菅泉「腰の調子も良い事だし、久方ぶりに運試しと行くか……」
〇パチンコ店・内
老人達で賑わう店内。
咥え煙草の菅泉、どっかりと席に座り大連チャンしている。
菅泉M「ふはははははは! 絶好調だぞう!」
〇海浜公園
遊歩道のベンチに座り、あんぱんを食べている藤沢。
藤沢の隣にはパンの耳が入ったビニール袋とチョココロネが置いてある。
〇同・内(夜)
満面の笑みで景品コーナーに並ぶ菅泉。
菅泉、店員にカードを渡す。
カードを受け取り、手際良く景品に交換する店員。
店員「お客様、余り120玉でお好きなお菓子と交換出来ますが……」
菅泉「あ、はい!」
お菓子コーナーに立ち寄り、吟味する菅泉。
と、120玉と記載されたあんぱんに目が留まる菅泉。
菅泉「お!」
あんぱんを手に取る菅泉。
菅泉「ん……」
× × ×(フラッシュ)
『伊藤ベーカリー』であんぱんをトングで取ってトレーに乗せる藤沢。
× × ×
菅泉「あっ!!」
菅泉、慌ててあんぱんを景品コーナーに持って行き、交換の手続きを済ませて店外へ駆け 出す。
〇コンビニ・外観(夜)
外に設置された公衆電話の前であたふたしながら紙ナプキンを広げて電話をかける菅泉。
菅泉「もしもし、菅泉です!」
藤沢の声「ああ、スガさん。今日はどうしたんですか? 中々現れないもので何かあったんじゃないかと心配しましたよ」
菅泉「ああ、すみませんでした! ちょ、ちょっと急用があったもので」
藤沢の声「そうでしたか……体調の方は大丈夫なのですか?」
菅泉「ええ、その点においては元気ハツラツの感謝カンゲキでありますよ!」
藤沢の声「ははは、それなら良かった良かった」
菅泉「(申し訳なさそうな顔で)ええ……」
藤沢の声「次回は来週にしますか?」
菅泉「そ、そうですね!」
藤沢の声「こちらから連絡を取る手筈がないってのも心細いもので……携帯電話をお持ちになる予定はおありですか?」
菅泉「ああ、そうですね……今流行りのスマートフォンとやらでも検討してみます!」
藤沢の声「おっ、私なんかパカッと開けるタイプなのにカッコいいじゃないですか」
菅泉「スマートなフジさんに負けないように形から入ろうかなと思いまして」
藤沢の声「ははは、お上手ですね~」
菅泉「いやいやフジさんこそ――」
と、公衆電話から硬貨不足の警告音が鳴る。
菅泉、慌てて財布を確認するが、札束ばかりで小銭が見当たらない。
菅泉「ああ! ふ、フジさん、宴もたけなわですが夜も更けて来た事ですし、誠に勝手
ながらそろそろおいとまということで」
藤沢の声「ああ、そうですね。つい長話になってしまって申し訳ないです……それでは来週駅でお待ちしております」
菅泉「はい、宜しくおねが――」
と、公衆電話の回線がブツ切れる。
菅泉「! ……いします」
額の汗を拭い、大きな溜息をついて、ゆっくりと受話器を置く菅泉。
〇駅前(朝)
人々が行き交う改札。
その付近の喫煙スペースで改札を頻りに見やりながらこそこそと一服をしている菅泉。
と、改札に藤沢の姿が見える。
菅泉、急いで煙草を灰皿で揉み消す。
そそくさと藤沢の元へ歩み寄る菅泉。
菅泉「おはようございます。この間はすみませんでした」
藤沢「ああ、いいえ。おや? 顔色が良さそうじゃないですか」
菅泉「(ギクっとして)……はは、そうですか? ふ、フジさんこそ、その上着最高にイカしてますよ!」
藤沢「ああ、どうも。妻のプレゼントなんですよ」
菅泉「ははあ、道理で」
藤沢「それでは散歩がてらパン屋さんに寄って餌を仕入れて行きましょう」
菅泉「はい!」
駅前を後にする二人。
〇海浜公園(朝)
遊歩道のベンチに座り、あんぱんを食べている藤沢とチョココロネを食べている菅泉。
藤沢「今日のあんぱん、何時もより一段と良い味出てますね」
菅泉「ははあ、こっちのチョココロネも負けてませんよ」
二人とも同時にパンを食べ終わる。
藤沢、パンの耳が入ったビニール袋を手に取り、深刻な表情で見詰めている。
菅泉「?」
藤沢「……」
菅泉「フジさん、どうしました……?」
藤沢「あ、いや……」
藤沢、ビニール袋からパンの耳を取り出し、千切り始める。
菅泉「?」
藤沢「そう言えばスガさんの夢って何だったんです?」
菅泉「ゆ、夢ですか?」
藤沢「はい」
菅泉「……その、は、恥ずかしながら私、い、医者になるのが夢だったんですが……」
藤沢「医師ですか?」
菅泉「ええ……(自分を嘲り笑いながら)そんな自分が医者の世話になってしまうなん
て……皮肉なもんですね」
藤沢「医師とはどうしてまた?」
菅泉「……その、私が小さい頃に母が不治の病に倒れまして……何とか力になれないも
のかと」
藤沢「母親想いの素晴らしいお方ですね」
菅泉「いいや、母はあっけなく亡くなってしまって、医者の夢も薄れて行き……」
藤沢「……」
菅泉「夢を見失った私は……人生に意義を見出す事が出来ずに……気付いた時にはこの有様ですよ」
藤沢「……そうでしたか」
藤沢の手中には細切れで山を成したパン屑の山が。
藤沢「そう言えば先日、やるべき事を全うすべきだとおっしゃいましたね。スガさん自身が今思うやるべき事って何でしょうか?」
菅泉「え……?」
菅泉、考え込んで暫く無言になる。
藤沢「新たな夢とでも言いましょうか……目標みたいなものはおありでしょうか?」
菅泉「そ、そうですね……その、強いて言うなら一攫千金なんてものを味わってみたい
なと」
藤沢「一攫千金ですか」
菅泉「ええ。(強い口調で)今の私を見れば分るでしょう? こんな惨めな老後を過ごす筈じゃなかったんです!」
藤沢「……」
菅泉「私、一攫千金の夢を胸に今生きてるって瞬間を味わいたいが為、ギャンブルを少々嗜む程度にしているのですが……」
藤沢「ギャンブルですか……大負けする時もあるでしょうに」
菅泉「ええ……ま、絶望があるからこそ当たりの価値がより実感出来る訳で……」
藤沢「典型的な依存症じゃないですか」
菅泉「はは、弁解の余地もなくそうですね。こうなる事が分かっていたら最初から手を出さなかったんですが……ま、これが私の生き方です。もう変えようがありません」
藤沢「……」
菅泉「しかし治療費がかさむとなると話は別で……死を間際にしてようやく生の尊さとお金の価値を理解して来た所であります」
藤沢「……生き方が滲み出てますね」
菅泉「はは、皮肉にも仰る通りであります」
藤沢、水平線を眺めながら
藤沢「でも、そんなにお金が重要でしょうか? お金があっても自ら死を選ぶ人だっています」
菅泉、キッとした表情で藤沢を睨む。
藤沢「要は気持ちの問題なのですよ」
菅泉「いや、世の中金ですよ!!」
藤沢「!」
菅泉「金さえあれば母はもっと良い医療を受けられて長生き出来た筈なんです!」
藤沢「……」
バツが悪い空気が流れて互いに無言が続く。
上空ではカモメの群れが悠々と浮遊している。
藤沢「私には分かりませんね……」
菅泉「(懐疑の表情)……」
二人の目の前を老夫婦が仲睦まじい様子で通り過ぎる。
藤沢、その老夫婦を悲し気な表情で見詰めている。
菅泉、互いの無言に痺れを切らせて
菅泉「……奥さんは何でお亡くなりに?」
藤沢「癌ですよ。スガさんと同じ」
菅泉「!」
藤沢「癌が発見された時にはすでに末期でした……」
菅泉「……」
藤沢「私は絶望に打ちひしがれました。仕事一筋だった私は何でもっと早く気付いてやれなかったのかと酷く後悔して何度も何度も泣きながら妻に頭を下げました。そんな私を励ますかのように、妻は力を振り絞って……笑顔を……」
泣きじゃくる藤沢。
菅泉「……」
藤沢「ある日私は妻が海を見たいと言うので一緒に散歩へ出かけました。そう、この海
浜公園です」
菅泉「!」
藤沢「空ではカモメ達が元気に飛び回っていました。それを見た妻は私が朝食用に買っておいたあんぱんを一欠けらくれと言い出しました。千切って渡すと妻はそれを更に細かく千切ってカモメ達に掲げました。するとカモメが一匹二匹と徐々に集まって来ました。カモメ達に囲まれて妻が嬉しそうに餌付けをしているのを見て私は感じました。この笑顔に今まで支えられて来たのだと。そして私は祈りました。ずっと笑顔で、ずっと元気でいてくれと。すると……」
菅泉、はっとした表情で藤沢を見詰める。
藤沢「そうです。あの不思議な空間が表れて閃光が私達を包みました。閃光が止むと妻の病状が明らかに回復していました。妻はあっけにとられていましたが私は確信したのです。願いが届いたのだと……」
菅泉「……」
藤沢「それからと言うもの何度も妻をこの公園に誘いました。次第に回復して行く妻の姿に一喜一憂する私でしたが……」
菅泉「?」
藤沢「……ある時を境に妻は公園への散歩の誘いを断り出しました」
菅泉「ど、どうしてです?」
藤沢「寿命は寿命、天命に抗う事なく自然の成り行きに任せたいと……」
菅原「そ、それでフジさんは?」
藤沢、悲しみの表情で
藤沢「……妻の意思を尊重しました」
菅泉「……」
青空を悠々と飛び交うカモメ達の下で砂浜に波が激しく打ち寄せている。
藤沢「……ここに来なくなって間もなく妻は亡くなりました」
菅泉「……お悔み申し上げます」
藤沢「それからの私は……何か心にポッカリ空洞が出来てしまったかのようで……あの時のカモメ達と戯れる妻の笑顔を思い出す為にこの公園で餌付けをするのが習慣になってしまって」
菅泉「……って事は、病気知らずの肉体が目的ではないと?」
藤沢「ええ。妻の笑顔、それだけが私の生きがいです」
菅泉「……」
と、カモメの糞が菅泉の頭上に落ちる。
菅泉「あ!」
ネチョっとした切れの悪い糞に四苦八苦する菅泉。
藤沢、さり気なく菅泉にハンカチを差し出す。
菅泉「ああ、どうも。くそうアイツら……」
菅泉、頭をハンカチで拭うが中々糞が取れない。
菅泉「くそう! 何てしつこい糞なんだ」
藤沢、冷たい眼差しで
藤沢「そんなに死ぬのが嫌ですか?」
菅泉「え?」
藤沢「知ってますよ……餌付けの事」
菅泉「!」
菅泉、酷く取り乱し
菅泉「い、いやあ、何の事ですかなあ?」
藤沢「(上空を指差し)こやつらの飯の世話に関して私の右に出るものはいません。糞の状態によって何を食べてるか判断するのなんて朝飯前ですよ」
菅泉「!」
菅泉、藤沢から目を反らし狼狽の表情。バツの悪い空気が流れる中、カモメ達の彼らを嘲 笑うかの様な鳴き声が辺りに反響している。
藤沢「私達は合わないみたいですね……」
菅泉「え?」
藤沢、立ち上がり、千切ったパン屑の山を菅泉に渡す。
菅泉「あ……?」
藤沢「お大事に」
まだ大分残っているパンの耳が入ったビニール袋を残して公園を立ち去る藤沢。
菅泉「あ」
菅泉、後を追おうとするが手の平のパン屑が零れ落ちる。
屈んでパン屑を焦りながら拾う菅泉。
パン屑を残さず拾い終えて顔を上げる菅泉。
そこに藤沢の姿は跡形もない。
菅泉「……」
〇一攫千金を夢見る菅泉の点描
パチンコ店で終日パチンコに興じる菅泉。全く出ていない様子。
競馬場で終日競馬に興じる菅泉。全く当たらない様子。
競艇場で終日競艇に興じる菅泉。全く当たらない様子。
〇街路(夕)
意気消沈の表情でトボトボ歩く菅泉。
菅泉「はあ……」
〇コンビニ・外観(夜)
外に設置された公衆電話の前で立ち尽くす菅泉。
菅泉、ポケットから小銭とグシャグシャの紙ナプキンを取り出す。
菅泉「……」
菅泉、思い切って藤沢に電話をかける。
コール音が延々と続く。
菅泉、悲し気な表情で受話器を置く。
〇菅泉が住むボロアパート・外観(夜)
濃い闇に包まれた死臭漂うアパート。
〇同・内(夜)
額に汗と苦悶の表情で寝入っている菅泉。
× × ×
(菅泉の夢)
暗闇の中で骸骨に追いかけられている菅泉、思うように動けないでいる。
菅泉「うわああああ!」
菅泉、骸骨に肩を捕まれる。
菅泉「ああああああ――」
× × ×
菅泉「――ああああ!!」
ガバっと跳ね起きる菅泉。
恐怖に怯えた表情の菅泉。
と、猛烈に咳き込む菅泉。
口元を手で押さえながら咳が治まるのを待つ菅泉だが咳は一向に止まない。
呼吸困難で悶える菅泉の口元は血だらけ。
やがて咳が治まり、おぼつかない足取りで洗面所に向かい、口元を洗い流す菅泉。
菅泉、洗面台に置いてある錠剤を口に入れ、蛇口に口を近づけて服用する。
と、鏡に映った自分の顔に目が留まる菅泉。
ゲッソリとした自分の顔を不安気な表情で眺める菅泉。
菅泉「か、カモメに餌をやらないと……」
〇伊藤ベーカリー・外観(早朝)
開店間際でシャッターが半開きの伊藤ベーカリー。
その物陰で煙草を吸いながら開店を待ちわびている顔色の悪い菅泉。
煙草が吸い終わると意を決した表情で店内へ入って行く菅泉。
〇同・内(早朝)
仕込み中の店内を彷徨う菅泉。
と、レジ奥から文代が現れる。
文代「あ、まだ開店前なんですけど」
菅泉「あの……パンの耳だけでも頂けませんか?」
文代「パンの耳? あら、あの時の!」
菅泉「ええ、菅泉です。どうも」
文代「フジさんは本当に気の毒でしたわ」
菅泉「え?」
文代「あら、ご存じない?」
菅泉「ど、どういう事です?」
文代「お友達だって聞いてたんでてっきりご存じかと……」
菅泉「?」
文代「亡くなったんですよ。2~3日前に」
菅泉「!」
文代「部屋で見つかった時には骨と皮で目もくれられない状態だったんですって」
菅泉「そ、そんな……」
文代「あんなにお若かったっていうのに不思議なものよねえ」
菅泉「餌だ……餌を忘れたんだ!」
文代「?」
× × ×
(フラッシュ)
カフェで泣き言を吐露する藤沢。
藤沢「周囲の知人達がばたばた死んで行くの
を見届けるのはもう懲り懲りだって……」
× × ×
菅泉「……いや、餌をわざとやらなかったんだ……」
と、膝を落とし激しく吐血する菅泉。
文代「どうしました? 大丈夫ですか?」
菅泉「……あの、パンの耳……ありったけのパンの耳を……は、早く!」
文代「は、はあ……今持って来ますね」
レジ奥に向かう文代。
菅泉、力を振り絞って立ち上がる。
文代、レジ奥からパンの耳が入ったビニール袋を両腕に抱えて戻って来る。
文代「は~い、お待ちどう――」
と、菅泉、そのビニール袋をハイエナの様な勢いで毟り取って店を出て行く。
文代「……」
〇街路(朝)
パンの耳が入ったビニール袋を両手に持ち、瀕死の重傷で疾走する菅泉。
菅泉「くそう! 死んでたまるか! 俺の青春はこれからだ!!」
〇海浜公園(朝)
虫の息で公園に辿り着く菅泉。
辺りは人気がなく、カモメの鳴き声と波音に包まれている。
砂浜に向かい、ビニール袋からパンの耳をごっそり取り出す菅泉。
上空を浮遊するカモメ達をチラチラと見ながらパンの耳を忙しなく細切れにする菅泉。
病状が急激に悪化して激しく吐血する菅泉。
菅泉、パンの耳を細切れにするのを止め、ごっそりとパンの耳をビニール袋から取り出
す。
菅泉「ええい、くそっ!」
『福は内・鬼は外』ならぬ『若さ内・老いは外』といった風情で、拳一杯のパンの耳を宙 高くへと振り撒く菅泉。
カモメの大群が菅泉目掛けて押し寄せて来る。
菅泉「さあ、来い!」
カモメの大群が菅泉を中心に旋回しながらパンの耳を次々と啄んで行く。
羽ばたきの波が何重にも重なり合い、巻き起こる突風。
菅泉が持っているパンの耳が詰まったビニール袋にも押し寄せるカモメ達。
暗雲が立ち込め、雷鳴が轟く。
空間が歪み、閃光に包まれる菅泉。
菅泉「!」
閃光の中で、見る見るうちに中年(40)~青年(20)~少年(10)に若返って行く 菅泉。
閃光が止む。
辺りに人影はなく、砂浜には幾多の羽と足跡、ズタズタに引き裂かれた空のビニール袋が 落ちている。
澄み渡る大空の下で、砂浜に打ち寄せるさざ波。
彼方で木霊する赤子の産声。
(完)
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