【登場人物】
一条 丈子(いちじょう じょうこ)(25) 菓子メーカーの営業事務員。
九間 朔磨(くま さくま)(28) 日本料理店の店主。
花岡 華(はなおか はな)(29) 丈子の先輩。
神谷 美夜(かみや みや)(25) 丈子の同期。
七緒 奈々美(ななお ななみ)(35) 丈子の上司。係長。
斉藤 静人(さいとう せいと)(29) スーパーの従業員。
水樹 みつき(みずき みつき)(19) 肉屋のアルバイター。
課長
パートの女1
パートの女2
老女
老人
ファミレスのウエイトレス
居酒屋の店員
くまや従業員
○大品駅・山手線・外回りホーム(朝)
季節は夏。
電車が入ってきて止まる。
扉が開き、人々が溢れ出てくる。
○同・改札(朝)
人々が次々通過していき、ICカード
のタッチ音がピッピッと絶え間ない。
丈子の声「春の鶯は、いつまで鳴いていただ
ろう」
カードをタッチする女性の手。
その手の主は一条丈子(25)である。
耳にはイヤホン。
ぼうっと前を見つめ歩き続ける横顔。
丈子の声「夏の蝉は、いつから鳴き始めたの
だろう」
○大品公園(朝)
小さな児童公園である。
蝉がうるさく鳴いている。
公園の奥に日本料理店〝くまや〟が見
えている。
公園の手前を歩く、日傘を差した丈子。
手にはサンドイッチの入ったレジ袋。
○カントリー製菓本社ビル・外観(朝)
○同・営業部営業三課(朝)
入室した丈子、あいさつを繰り返しつ
つ、自分のデスクのある島へ。
島は四人掛けで、丈子の席は末席。
丈子の右隣の席に女性が座っている。
丈子「おはようございます、華さん」
女性――花岡華(29)、振り返り、
華「ああ、丈子さん、おはようございます」
と、美しく微笑む。
丈子、つられて頬が緩む。
丈子の声「私の恋」
席に座り、サンドイッチを食べようと
するが、口に入れる直前で手が止まる。
× × ×
(フラッシュ)
会社帰りの夜道、隣を歩く華。
華「え? 私の、好みのタイプですか? う
ーん……色が白くて……ほっそりした〝男
性〟、ですかね?」
× × ×
丈子、サンドイッチを口元から下ろす。
丈子の声「不毛だと、わかってはいる。だけ
ど、焦がれることをやめられない」
丈子の腹の虫が鳴る。
サンドイッチから野菜だけ引き抜き、
マヨネーズを拭って食べ始める。
丈子の声「簡単に次の恋へ、なんて……」
美夜「お、は、よっ!」
と、神谷美夜(25)、突如背後から、
丈子の肩を叩く。
丈子「わっ、美夜ちゃん」
と丈子は驚くも、美夜、気にせず華と
挨拶を交わし、丈子の正面の席へ。
美夜「その食べ方……がんばるねぇー」
丈子「だって……」
美夜「まぁ、あたしはあんたのダイエットに
は反対だけどね。もう一年以上そうやって
食事制限してるけど、見てて辛そうだし、
あんまり効果も無さそうだし」
華「丈子さん、実を言うと、私も反対です。
丈子さんはそれぐらいふっくらしていたほ
うが可愛いと思います」
美夜「そうそう。華さんも、もっと言ってや
ってください。ていうかさ丈子、その野菜
だけ拾ったあとのパンは毎回どうしてるわ
け? 海苔とシャケだけ食べたおにぎりと
か、あさりとスープだけ飲んだあさりのス
ープパスタとか」
丈子「あぁ、えぇ、うーん……夕方、ちょっ
とお腹空いたときに……食べたり……」
美夜「え、朝の残りをぜんぶ?」
丈子「まあ……もったいないし……」
華「そうですか。結局ぜんぶ食べてるんです
ね。安心しました」
美夜「って、意味無いじゃんそれ。結局ぜん
ぶ食べるなら、朝食べた方が絶対いいよ」
丈子「そしたらまた、夕方は別のお菓子とか
食べちゃうし」
美夜「(肩を竦めて)うーん」
と、そこへ七緒奈々美(35)が来て、
奈々美「おはようみんな。朝礼始まるわよ」
華、すっと立ち上がる。
丈子と美夜、あたふたと準備する。
○同(朝)
円になる社員たちと、前に立つ課長。
課長「というわけで、七月の売り上げトップ
3はいつも通り、一位から、七緒くん、花
岡くん、神谷くんとなった。よく頑張って
くれたな。みんな、拍手」
拍手する社員たちと丈子。
課長「そして、三人の営業事務を担当する一
条くん。彼女にも拍手」
拍手の中、複雑な顔でおじぎする丈子。
○同(朝)
営業に出る準備をする華たち三人。
デスクでパソコンのキーを打つ丈子。
美夜「ね、丈子、明日の夜って空いてる?
医者と合コンなんだけど、一人足りなくて」
丈子「あー……ごめん、明日は、ちょっと」
美夜「とか言ってぇ、来た試し無いんだもん
なぁ……じゃあ華さんは?」
華「あ、いえ……ごめんなさい、私は……」
美夜「ですよねぇー……奈々美さんっ」
奈々美「はいはい無理。既婚者を誘わないの。
じゃあ、いってくるわね、一条さん」
丈子「はい、いってらっしゃい」
○同(昼)
丈子、0カロリーゼリーを手に、入室。
デスクに着くと、ちょうど電話が鳴る。
丈子、表示ナンバーを見て、
丈子「華さんだ。(電話を取り)はい、営業
三課一条です。え? アカイスーパーさん
の……(長い間)はい、わかりました、課
長に伝えておきます。あの、華さん……頑
張ってください。……はい。失礼します」
丈子、受話器を置き、小さく微笑む。
○カントリー製菓本社ビル・外観(夜)
○同・営業部営業三課(夜)
時計は午後八時過ぎを指している。
丈子だけが残業する中、華が帰社。
丈子「おかえりなさい」
華「ただいま。待っててくれたんですか」
丈子「はい。どうでした? その……」
華「取れました。今度出る新商品の契約」
丈子「おめでとうございます」
華「ありがとうございます、丈子さん」
○大品公園(夜)
公園手前の道を並んで歩く丈子と華。
公園の奥で〝くまや〟が営業中。
華「今日が金曜なら、このあと食事でもと思
ったんですが……」
丈子「明日も早いですもんね」
○大品駅・構内(夜)
華「では、おやすみなさい」
丈子「はい。おやすみなさい、また明日」
山手線外回りの階段へ向かう華。
丈子は内回りの階段へ。
腹が鳴り、丈子、胃を押さえ、続いて
胸を押さえて、深い溜息。
丈子の声「華さんは優しい。華さんは残酷だ」
○同・山手線・内回りホーム(夜)
歩きつつ向かいのホームを眺める丈子。
華を見つけ、立ち止まるも、すぐに向
かいのホームに電車が入ってきて、そ
の姿は見えなくなる。
立ち尽くす丈子に、背後から声。
九間「お嬢さん、落としましたよ」
丈子「え?」
と丈子が振り向くと、そこには九間朔
磨(28)が立っている。
色白で細身の、和装のイケメンである。
優雅な笑顔で何かを差し出している。
丈子「あっ……どうも、すいませ――」
それはラップに包まれたおにぎり。
丈子「いや、あの……」
九間「どうされました? さあ」
丈子「いえ、私のじゃないです」
九間「あなたのですよ」
丈子「人違いだと」
九間「人違いではありません、一条さん、あ
なたのためのおにぎりです」
丈子「え?」
九間「好きです。私とお付き合いしていただ
けませんか」
丈子「……あの……え、あの、あの……」
その時、ホームに電車が入ってくる。
九間「お返事は今すぐでなくて構いません。
明日も明後日も、私は毎日ここへ、あなた
に会いにまいりますので。あ、申し遅れま
した、私、この近辺で自営をやっておりま
す、九間(アクセントは九)朔磨と申しま
す。どうぞよろしくお願いします」
丈子「え、はい、どうも……」
九間「それでは、気をつけてお帰りください」
九間、丈子におにぎりを持たせて電車
内に押し込む。
直後に閉まるドア。
ホームでにこにこと手を振る九間。
それを唖然として見つめる丈子。
電車が発車し、九間の姿は遠ざかる。
丈子M「なにあれ……ええぇぇぇ?」
○丈子のアパート・外観(夜)
○同・丈子の部屋(1K)(夜)
帰宅した丈子、冷房をつけ、座り込む。
丈子「はぁ……疲れた」
腹が鳴る。
のろりと立ち上がり、冷蔵庫を開ける。
丈子「そうだ、今なんにもないんだった。コ
ンビニ寄るはずが……はぁ。まあいいや。
風呂入って寝よ」
○同(夜)
丈子、ベッドの中で目を開けている。
腹が鳴る。
丈子M「お腹が空きすぎて眠れない」
丈子「あーもうっ!」
バッと起き上がる丈子。
点灯される照明。
ローテーブルの上には九間のおにぎり。
それをじっと睨む丈子。
手を伸ばしてラップを剥き、匂いを嗅
ぎ、恐る恐る一口。
咀嚼しつつ、表情が明るくなっていく。
そして、大きくもう一口。
丈子「ん! ……シャケだ」
○大品駅・改札前(朝)
イヤホンをした丈子、改札を出てくる。
九間「お嬢さん、落としましたよ」
と、背後から丈子の肩を叩く九間。
振り返った丈子、イヤホンを外す。
丈子「あ、昨日の……」
九間は昨日とは違う和装である。
九間「九間です。そう嫌そうな顔しないでく
ださい。はい、これ。落としましたよ」
ラップに包まれたたまごサンド。
丈子「いえ、だから、落としてないです」
九間「十時のおやつにでもしてください」
丈子「え、いや」
九間、たまごサンドを丈子に持たせ、
手を振って去っていく。
丈子「またもらっちゃった……」
○営業部営業三課(朝)
たまごサンドを食べる丈子。
美夜がやってきて、
美夜「おはようございます! って、あ、今
日は普通に食べてる。しかも手作り?」
丈子「うん、まぁ」
美夜「いいことだ。おいしそ」
美夜と華、目を合わせてホッと微笑む。
○大品駅・構内(夕)
華と別れホームへの階段を下りる丈子。
丈子「昨日より早い時間だし、まさか、いな
いよね」
○同・内回りホーム(夕)
九間「(背後から)お嬢さん、落とし――」
丈子「(振り向き)落としてません」
九間「はい、どうぞ」
と丈子の手を取り、風呂敷包みを渡す。
九間「お好み焼きです。出来たてですよ。そ
れでは、また明日」
去っていく九間と、立ち尽くす丈子。
○丈子の部屋(夜)
ローテーブルには、お好み焼きの入っ
ていた空の紙箱と、割り箸。
畳んだ風呂敷を持ち、見つめる丈子。
× × ×
(フラッシュ)
九間「好きです。私とお付き合いしていただ
けませんか」
× × ×
丈子の声「私は知っている、片想いの甘さと
苦さ。優しいということの、残酷さ」
○大品駅・改札前(朝)
イヤホンを外し改札を出てくる丈子。
自分から九間の姿を探すが、背後より、
九間「お嬢さん、落としましたよ」
丈子、振り向く。
九間「今朝はハムサンド」
九間はやはり和装であり、イケメンだ。
丈子、九間をじっと見つめる。
九間「どうされました? もしかして、お嫌
いです? ハムサンド」
丈子「(風呂敷を差し出し)これ、昨日の」
九間「ああ、どうもご丁寧に(と受け取る)」
丈子「それと……好きな人がいるんです、だ
から……ごめんなさい、九間(アクセント
は間)さん」
九間「(にこにこしたまま)構いませんよ、
恋人がいるわけじゃないんでしょう?」
丈子「私が構います」
九間「あなたのその恋は、想い続ければ叶う
ものなんですか」
丈子「それはその……そんなのあなただって」
九間「私の恋は叶います。叶えてみせます。
私はあなたが本当に好きなんです」
丈子「どうして、そんなに私のことを?」
九間「……ひと目惚れです」
丈子「え。私全然美人とかじゃないですけど」
九間「あなたは、ご飯を美味しく食べてくれ
る人です」
丈子「ちょっと……意味が……」
九間「それに、私が幼い頃に飼っていたピー
コにとてもよく似ています」
丈子「ピーコ? 鳥、ですか?」
九間「いえ、ミニブタです。あの子も美味し
そうにご飯を食べる子で、ちょうどあなた
みたいに豊満なヒップをしていました。お
腹も二の腕もプニプニで、小さな目と大き
な鼻がまた庇護欲をそそり可愛らしく」
丈子「もういいです、聞いた私が馬鹿でした」
九間「ご不快でしたか。要は、あなたは私の
理想だと言いたかったのですが」
丈子「あなた! ……たぶん、単にデブ専っ
てだけです。いえ! 私の名誉のために言
い換えますが、小太り専です」
九間「なるほど……小太り専」
丈子「九間(アクセントは間)さん、申し訳
ないですが〝ご不快〟なので、二度と話し
かけてこないでください」
と、踵を返した丈子の背に、九間、
九間「帰りもここにいます。それと私、九間
(アクセントは間)さんじゃなくて、九間
(アクセントは九)さんです」
振り返り、じっとりと九間を見る丈子。
九間「ほら、森のくまさんと同じ。お嬢さん、
お待ちなさい、ちょっと、落とし物」
と歌ってハムサンドを丈子に差し出す。
九間「美味しいですよ。あなたのために心を
込めて作ったんですから」
丈子「(受け取るかどうか悩んだのち)私だ
って、お嬢さんじゃなくて一条さんです!」
丈子、ハムサンドを掴み取り、踵を返
して今度こそ歩き出す。
九間「知ってますよ、一条さん」
丈子、振り向かずに歩き続ける。
九間「(独り言として)もう随分と前から」
○大品駅舎の上の空
朝→夕、朝→夜、の二種類の変化がラ
ンダムに訪れ、日数の経過を表現。
それに被せて二人の会話。
九間の声「落としましたよ、一条さん」
丈子の声「クマさん、それやめません? な
んで私毎日、食べ物落としてんですか」
九間の声「それもそうですね。……おはよう
ございます。今朝はカツサンドです」
丈子の声「こんばんは。おお、今夜はお寿司」
九間の声「フルーツたっぷりパンケーキです」
丈子の声「親子丼と牛丼のハーフ&ハーフ」
九間の声「おいなりさん、ハンバーガー、フ
レンチトースト」
丈子の声「たこ焼き、カレーライス、炒飯」
九間の声「一条さん」
丈子の声「クマさん、私……なんだか太って
きてません?」
○紅葉した街路樹の葉(昼)
○営業部営業三課(夕)
パソコンに向かう丈子、手を止めて伸
びをし、ふと、腕から二の腕に掛けて
の肉を揉み、苦い顔(太った)。
華「丈子さん」
丈子「あ、はい、なんでしょう」
華「来週の金曜日、営業同行をお願いしたい
んですが――」
丈子「(食い気味に)はいっ、行きます」
華「……内容も聞かずに引き受けてしまって、
いいんですか?」
丈子「華さんは、私に変なことを頼んだりは
しないでしょう?」
華「わかりませんよ? ……夏に新商品の契
約が取れたアカイスーパーさん、そこが金
曜に休業をとって、売り場刷新するそうで、
そのお手伝いを、私と一緒に」
丈子「(焦らすように間を取って)喜んで」
○アカイスーパー・外観(昼)
郊外の中型店舗である。
○同・店内・食料品売り場(昼)
菓子売り場の商品陳列をする丈子。
丈子「あ、なにこれ。〝冬季限定 新食感〟。
ローマ製菓か。あそこは食感重視だもんな
ぁ……おいしそ」
その時、どこからか、華の談笑する声。
気になって声の方へ向かう丈子。
すると、色黒でガタイの良い男性――
斉藤静人(29)と話す華を発見。
嫉妬した丈子、手近な棚の値札の左右
を入れ替えて、
丈子「あっ、華さん!」
と、駆け寄っていく。
丈子「お話し中にすいません。商品の値札の
左右が逆になっているところがあって――」
丈子、ちらりと斉藤の名札を確認。
丈子M「斉藤」
丈子「――どうしたらいいかと」
斉藤「あっ、僕が行きます。じゃあ花岡さん、
また……」
丈子「こっちです」
斉藤を棚へ誘導する丈子。
丈子「ここです。ミカド製菓のポテトクラッ
シャーとハゲタカ屋のトーテムポテート」
斉藤「ああ、ほんとですね」
丈子「値札か商品、どちらを直します?」
斉藤「えーっと……たぶん、値札ですが……
ちょっとお待ちくださいね」
斉藤、バインダーの書類を捲っていく。
丈子「……花岡さん」
斉藤「(びくりとして)えっ?」
丈子「美人ですよね。優しくて、頭が良くて、
仕事もできる……私の憧れの先輩です」
斉藤「(困惑気味に)あ、えっと……」
丈子、斉藤のバインダーを覗き、
丈子「あ、やっぱり、値札が逆でしたね」
と、素早く値札を入れ替える。
丈子「お手数お掛けしました、(意味深に)
お忙しいところ」
斉藤「あ……いえ、こちらこそ……」
ぎこちなく会釈をし、去っていく斉藤。
丈子、商品陳列を再開するも、自己嫌
悪に陥り手が止まる。
○同・店舗裏・商品搬入口付近(夕)
夕焼けが美しい。
缶コーヒーを手に休憩する丈子。
丈子「うーん(と背伸びをし、腕時計を見
て)、五時。あ、そういえば……」
× × ×
(フラッシュ)
朝、大品駅改札前にて。
サンドイッチを受け取る丈子の手。
丈子、何か言おうとするが、
九間「いってらっしゃい」
丈子「……いってきます」
丈子の声「言いそびれちゃった。夜はここか
ら直帰だから、大品駅には行かないって」
× × ×
丈子「まぁいっか。来なきゃ諦めて帰るでし
ょ。さ、戻ろ」
○同・店内・バックヤード(夕)
廊下を歩く丈子。
丈子「ゴミ箱ゴミ箱……あ」
と、休憩室を見つける。
入ろうとすると、中から声が。
パートの女1の声「ねぇねぇ見た? 社員の
斉藤くん――」
丈子、入り口直前で立ち止まる。
○同・店内・休憩室内(夕)
パートの女1「お手伝いに来てる、どっかの
メーカーの美人さんと、良い感じじゃない」
パートの女2「そうなの? こないだは、ほ
ら、精肉卸しに来てる肉のコシミズの……
水樹さん、あの子とすごい楽しそうに……」
パートの女1「……あらま。大人しそうな顔
して、気の多いったら」
パートの女2「まぁ、若いからねぇ」
○同・店内・バックヤード(夕)
空き缶をパキ、と握る丈子の手。
○同・店内・食料品売り場(夕)
整理整頓された商品棚たち。
斉藤「お二人とも、今日はどうもありがとう
ございました。おかげさまで、明日は無事、
通常通り営業できそうです」
華「お役に立てて何よりです」
微笑む華と、暗い顔で会釈する丈子。
と、別の店員が来て斉藤と話し出す。
丈子「……華さん」
華「はい。丈子さん、今日は一緒に来てくだ
さって、ありがとうございました」
丈子「帰りましょ。お腹空きませんか。今日
は金曜ですし、どこかでご飯でも――」
華「あっ、あのっ、丈子さん、私、今日は」
丈子「あ! ……ごめんなさい。私やっぱり
帰んなきゃ。金曜ロードショー、録画……
し忘れて……お疲れ様でした!」
華「あっ、丈子さんっ……」
丈子、逃げるように走り去る。
心配そうに立ち尽くす華。
斉藤、振り向き、じっと華を見つめる。
○バスの車内(夜)
丈子、入り口付近に立っている。
バスが停車し、老女が乗り込んでくる。
と、老女のバッグから、鈴のついたキ
ーホルダーが外れ、通路に落ちる。
丈子「(音で気づき)あっ、おばあちゃ――」
老人「お嬢さん、お待ちなさい」
しかし丈子より先に、近くに座ってい
た老人が老女を呼びとめる。
振り返る老女。
老人、キーホルダーを拾い、
老人「落としましたよ」
老女「まあ、ご丁寧にありがとうございます。
孫に貰った大事なものでして」
丈子、二人の光景をじっと見ている。
そして腕時計を確認し、決意の表情。
○郊外の道・俯瞰(夜)
真っ直ぐ走っていくバス。
丈子の声「片想いの苦さを知っている。甘さ
の、残酷さを知っている」
○大品駅・山手線・内回りホーム(夜)
ホームに入ってくる電車。
ドアが開き、電車を降りる丈子。
丈子の声「知っている私が……ああ、こうい
うのを――」
ベンチに座る九間の背が見える。
丈子の声「人の心につけ込む、というのだろ
うか」
丈子、九間の背に近づいていき、
丈子「クマさん」
九間「(振り向いて立ち上がり)一条さん」
丈子「ずっと、待っててくださったんですか」
九間「はい。お仕事お疲れ様です」
丈子「冬だったら、風邪引いちゃいますよ?」
九間「まだ十月ですので」
丈子「……お腹が空きました」
九間「今晩は、松茸ご飯です」
丈子、風呂敷包みを受け取る。
そして九間の二つ隣の座席に座る。
九間、不思議そうな顔で見ている。
丈子、風呂敷包みを開けながら、
丈子「ここで食べます。クマさんはどうぞ、
帰るなり居るなりご自由に」
九間、そろそろと腰を下ろす。
紙箱の蓋が開き、中には松茸ご飯をメ
インとした弁当が。
丈子、箸を割ってガツガツ食べだす。
しかしその表情は今にも泣き出しそう。
九間、それに気づいて正面を向く。
九間「……お味は、どうですか」
丈子「……甘い」
九間「あ……そうですか。塩みがちょっと、
足りなかったですかね。次からは――」
丈子「違います。あなたの料理は、ぜんぶ甘
い。たぶん、明日も明後日も……私には、
甘すぎるんです」
九間「……それは……あの、私は今、再びあ
なたにフラれている、のでしょうか」
丈子、答えずに静かに泣き出す。
九間「……たとえ一〇〇回フラれたとしても、
私は一〇一回目の告白をします。明日も明
後日も、私はまた、あなたに会いに来ます」
丈子「でも、私……だって……」
× × ×
(フラッシュ)
振り向いてにっこり笑い掛けてくる華。
(フラッシュ)
斉藤と楽しそうに話す華。
× × ×
丈子「好きな人がいるんです。どうしてあな
たは、笑っていられるんですか。どうして、
私を責めたりしないんですか」
九間「……そうですね、うまく、言えません
が……私は、あなたと恋人になりたい。で
きれば、生涯の伴侶となりたい。けれど、
だからといって、あなたが失恋するのを待
ち望んでいるわけじゃない。私はね、一条
さん、私に恋をしてほしいんです。今、あ
なたが恋しい相手を想うよりも強く。つま
るところ、私に乗り換えてほしいってこと
です。でもね、その気にさせたいのは私の
エゴで、その気にさせるのは私の仕事です。
だから、あなたは私に構わず、今の恋を、
諦めないでください。簡単に諦めて、失恋
して、傷ついてはいけません」
丈子「……変な人……馬鹿ですよ」
九間「そうですか? 私は割と策略家なつも
りですけど。現にこうやって、毎朝毎晩、
あなたの胃袋を掴みに参上しています。あ
なたの気を引くには、食べ物が一番だと知
っているからです」
丈子「(苦笑し)それ、言っちゃいますか?」
九間「言っちゃいますね。(丈子を見)あな
たがそれで、僅かでも笑ってくれるなら」
丈子「……そういうとこですよ、ほんと」
九間「好感度上がりました?」
丈子「そうですね、(松茸のスライスを箸て
摘まみ)この松茸の厚さほど」
九間「なるほど、切らずに丸ごと入れておく
べきでした」
丈子「丸ごとって、それ美味しいんですか?」
九間「私なら美味しく作れます」
丈子「自信家ですね」
九間「当然です。自信が無ければしませんよ、
料理を人に食べさせることも、意中の人に
告白することも」
丈子「(苦笑して)なんか……元気出ます。
あなたが言うように、諦めずに頑張りたく
なりました」
九間「はい、頑張ってください。応援してま
すよ。でも、最終的にあなたの恋人になる
のは私です」
丈子「さあどうだか」
丈子、弁当を食べ始める。
丈子「なんか謎ですよね、クマさんって。変
わってるというか、その、浮世離れしてる
というか……そうそう、いつか聞こうと思
ってたんですけど、その恰好、なんでいつ
も和服なんですか?」
九間「ああこれは、仕事柄、和服は着慣れて
るので、普段着もそうしてるというだけで」
丈子「仕事……そういえば、自営って言って
ましたっけ?」
九間「日本料理店です。ご存知でしょうか、
大品公園の裏手の、〝くまや〟」
丈子「〝くまや〟……ああ!」
× × ×
(フラッシュ)
大品公園の奥に見える〝くまや〟。
× × ×
丈子「知ってます。入ったことは無いですけ
ど。え、クマさんってもしかして、そこの
店長さん?」
九間「ええ、まあ。店主兼料理長、ですね。
とはいってもまだ、先代である父もバリバ
リの現役ですので、完全に引き継いだわけ
ではないんですが」
丈子、まじまじと九間を見る。
九間「……和服、お気に召しませんか」
丈子「あ、いえ……かっこいいですよ?」
九間「……あ……(と顔を背ける)」
丈子「え?」
九間「すみません……照れますね、なんだか」
丈子「(照れて)あ……別に……変な意味じ
ゃ、ないですけど……」
話し続ける丈子と九間。
丈子の声「この夜、私は初めて、クマさんと、
まともに話をした気がした。クマさんはや
っぱり変わっていて……口に運ぶ松茸ご飯
は、とてもとても……甘かった」
○営業部営業三課(夕)
終業直後の島の面々。
美夜「はぁー疲れたぁ。月曜が一番しんどい」
奈々美「土日に遊び過ぎ。休日はちゃんと休
みなさいよ?」
美夜「はーい……とはいえねぇ、合コンが」
卓上カレンダーを手に取る華。
二〇一七年十月九日(月)に×を打つ。
そしてカレンダーを一枚捲り、十一月
の予定をじっと見る。
様々な書き込みの中、十一月十二日
(日)には、〝アカイ イベント〟。
華、卓上カレンダーをデスクに戻し、
華「丈子さん、あの……」
丈子「はい」
華「この後、お時間あります?」
丈子、意外そうな顔。
○イタリア料理店・店内(夜)
向かい合って楽しく食事する丈子と華。
丈子の声「これは、三日前の金曜の埋め合わ
せ。華さんの気遣い。そう思っていたのに」
華「――(楽しそうに)それでね、丈子さん、
その人がまた変わった人で――」
丈子の声「なぜか、その日から、華さんはた
びたび、私を食事に誘うようになった」
○様々な店々(夜)
次々に移り変わっていく背景の中、丈
子と華の動作、会話は一続き。
中華料理店で食事をする二人。
華「丈子さん、私、最近思うんです。私もも
うじき、三十なんですよね」
麻婆豆腐をスプーンで掬う華の手。
フランス料理店にて、スプーンでポタ
ージュを飲む丈子の口元。
丈子「(飲み終え)どうしたんですか、突然」
エスニック料理店にて、
華「いえ、ただ、自分は、いろんなことに、
慎重になりすぎている……気がして」
と、ジュースに触ろうとしてやめる華。
回転寿司店にて、寿司の皿を掴み、レ
ーンから下ろす丈子の手。
丈子「何事も、選ぶのは自分自身です。そし
て、自分自身のためにです。慎重でいいじ
ゃないですか」
ファミレスにて、店員が華の前にハン
バーグを置く。
華「でも慎重って、臆病と紙一重ですよ?」
丈子、カトラリーを華へ差し出し、
丈子「そんなに悩むんでしたら一度、心のま
まに行動してみてはどうです?」
華「(カトラリーを受け取り)心のままに?」
丈子「はい。あれこれ考えるよりも、自分の
直感や、想いや、衝動を信じるんです」
華「それで、もしも――」
ハンバーグの上にカトラリーを構える。
お好み焼き屋にて、ヘラでお好み焼き
をひっくり返す丈子の手。
丈子「よっ、と――もしも成功したなら、そ
ういうのもアリってことです。なぁんて言
って、私もなかなか決心がつかないことが
多いんですが」
華「怖い……ですよね。自分の一言で、一つ
の行動で、それが良い方向にせよ悪い方向
にせよ、何かが確実に変わってしまう」
丈子「はい……怖いです。私は……いえ、き
っと、誰もがですよ。変えたいって願って、
変わらなきゃって焦って……だけど同時に、
変わりたくない、このままでいたいって」
じっと見つめ合う丈子と華。
華「……あ、そろそろ焼けましたかね」
ヘラを持ち、その手を鉄板へ伸ばす華。
焼肉店にて、網の上で肉が焼けている。
それをひとつ取って口へ運ぶ丈子。
丈子「んー! んんんー(おいしー)」
華もまた、一口食べて微笑む。
丈子「華さん、カルビ追加いきません?」
華「いいですね、じゃああと、ハラミも」
丈子「了解です。(店員へ)すいませーん!」
注文する丈子を眺めている華。
安らぎと憂いの混じった表情。
注文を終えて丈子が前に向き直ると、
華「丈子さん、私、告白されたんです」
丈子「……へ?」
華「アカイスーパーの、斉藤さんに」
丈子「……え、ほんとですか……」
華「私、受けようと思います。自分を信じて、
心のままに」
丈子、言葉を失う。
華「もうじき三十ですから。結婚もしたいで
すし、子どもも欲しいですし……」
丈子「好きなんですか……恋してるんですか」
見つめ合う二人。
華「……はい。決心させてくれたのは、丈子
さんです。ありがとうございます」
丈子「……そうですか、よかったです、華さ
んの……お役に立てて」
網の上で取り残された肉が焦げている。
○街路樹(朝)
落ち葉が目立つ。
○大品駅・改札前(朝)
九間「どうぞ、今朝はたらこおにぎりです」
受け取る丈子の表情は暗い。
九間「……どうかされたんですか?」
丈子「あ、いえ……」
九間「最近は、意中の人とも上手くいってい
るんでしょう? 二人きりで食事だなんて、
妬けますけど」
丈子「……すいません」
と丈子、踵を返して歩き出す。
九間、少し考えて、あとを追う。
○大品駅・駅前(朝)
九間、丈子に追いつき、
九間「では、こんなのはどうでしょう? 気
分転換に、今度……私と、食事でも」
丈子、足を止め、九間の顔を見上げる。
朝日を浴びて九間がきらめいて見える。
そして次々に思い出す。
華の声「私の、好みのタイプですか? 色が
白くて……ほっそりした――」
パートの女1の声「ねぇねぇ見た? 社員の
斉藤くん――」
パートの女2の声「肉のコシミズの……水樹
さん、あの子とすごい楽しそうに――」
華の声「告白されたんです。私、受けようと
思います。自分を信じて、心のままに」
丈子「……いいですよ」
九間「では、いつがよろしいでしょう?」
丈子「そうですね……今週の、金曜日で」
微笑む丈子だが、目は笑っていない。
○営業部営業三課(夕)
丈子、仕事をしつつ思い出している。
九間の声「うちの店の、座敷席を予約してお
きます。時間は午後六時からで大丈夫です
か? 当日の料理は私の父が担当しますの
で、何か特別にリクエストなどあれば――」
丈子、隣の華へ、
丈子「華さん、今週の金曜日、ご飯行こうっ
て言ってたじゃないですか? よければ、
大品公園の裏の……〝くまや〟行きませ
ん? 日本料理のお店」
華「ああ、いいですね。いつも通るたびに気
になってたんです」
丈子「じゃあ、予約しておきますね。時間は、
午後六時から――」
× × ×
(フラッシュ)
九間「――何か特別にリクエストなどあれば、
伝えておきますが、どうです?」
丈子「……ネギと玉ねぎ、抜きの料理で……」
九間「わかりました。ネギと玉ねぎ、お嫌い
でした? いつも何もおっしゃらないので、
てっきり大丈夫かと。すみません」
丈子「あ、いえ。最近そんな、気分? って
いうか」
× × ×
丈子「――午後六時から、華さんの苦手な、
ネギと玉ねぎ抜きのコースで」
丈子、決意と罪悪感の混ざった表情。
○大品駅・改札前(朝)
丈子の手にはサンドイッチ。
九間「それでは今夜、お待ちしてます」
丈子「はい。ではまたお店で」
九間「いってらっしゃい」
丈子「いってきます」
踵を返し、歩き出す丈子。
しばらく歩くが、突然振り返り、
丈子「(小声で)ごめんなさい」
そしてまた歩き出す。
九間、聞こえず、不思議そうな顔。
○営業部営業三課(夕)
帰り支度をする面々。
華「じゃあ、いきましょうか」
丈子「はい」
○大品公園(夜)
公園前の道を並んで歩く二人。
楽しげに話す華と、浮かない顔の丈子。
公園の奥に〝くまや〟が見えている。
丈子、コートのポケットに手を入れ、
丈子「あ……(と立ち止まる)」
華「どうしました?」
丈子「私携帯、会社に忘れてきたかも。ごめ
んなさい、華さん。取ってくるので、先に
入っててもらえますか?」
華「わかりました。急がなくていいですから」
頭を下げ、会社の方へ駆けていく丈子。
角を曲がって立ち止まると、切れた息
を整えつつ、自己嫌悪に俯く。
○くまや・店内(夜)
手前にはカウンター席とテーブル席。
奥には座敷席に通じる通路の入り口。
引き戸が開き、華が入ってくる。
引き戸の傍に九間が立っており、
九間「いらっしゃいませ」
華「あの、予約していた一条です」
九間、やや驚いた顔をし、
九間「一条様……一条、丈子様のお名前で」
華「はい。本人はもうすぐ来ます」
九間「かしこまりました。(奥の方を手で指し)こちらへどうぞ」
九間、華を座敷席へ案内しながら、
九間「お客様、いくつかお聞きしてもよろし
いですか?」
華「え? はい」
九間「ネギと玉ねぎ以外に、食べられないも
のはございますか?」
華「いえ、他には」
九間「お連れ様は、いらっしゃるでしょうか」
華「……え?」
九間「一条丈子さんが、あなたをこの店に誘
ったのはいつですか?」
九間、座敷席の引き戸を開ける。
中には二人分の準備がされている。
九間「少し、お話しませんか? 私が丈子さ
んのために考えた、ネギと玉ねぎ抜きの料
理を食べながら」
華、はっと何かに気づいた表情。
○電車内(夜)
ドア横に立つ丈子。
と、携帯に華からの着信が。
丈子、電源を切り、窓の外に目を遣る。
丈子の声「九間朔磨さん。日本料理店の店主
兼料理長。色白で、ほっそりしていて――」
○カントリー製菓本社ビル・アプローチ(夜)
丈子「お似合いだと思ったんです、華さんに」
華「なんでそんな……」
丈子「斉藤さんは不誠実です。パートのおば
さんたちが噂してました」
華「なに言ってるの」
丈子「華さんは遊ばれてるんです。あの人、
前は肉屋の水樹さんって子と――」
華「丈子さん! いくらあなたでも、あの人
の悪口は許しません」
緊迫した沈黙。
華「九間さんから、すべて聞きました。伝言
を預かってます」
丈子「……なんて?」
華「『成就を願います』それだけ」
丈子「……成就……私の……?」
華「それがどういう意味にせよ、どうするか、
決めるのは自分自身です。そして、自分自
身のためにです。あなたが前に、そう言っ
たように」
○大品駅・改札前(夜)
丈子、朝いつも九間が待っている場所
を一瞥し、改札内へ入っていく。
丈子の声「今朝、久しぶりにコンビニで、サ
ンドイッチを買った」
○同・内回りのホーム(夜)
電車のドアが開き、乗りこむ丈子。
丈子の声「今夜、何を食べよう。悩みながら
帰るのは、一体いつ振りだろうか」
○営業部営業三課(朝)
電話に出ている奈々美。
奈々美「そう、わかったわ。こっちは大丈夫
だから、お大事にね。(電話を切り)花岡
さん、胃腸風邪だって」
美夜「えー辛いやつだ。可哀想……」
奈々美「それもそうだけど、どうしようか。
日曜日の、アカイスーパーさんのイベント」
丈子「私それ、内容聞いてます。よければ、
代わりに行きますが」
奈々美「……お願いしてもいい?」
丈子「はい」
○アカイスーパー・駐車場(昼)
『焼きさんま無料配布』の看板。
パイプテントの下、賑わう人々。
さんまを焼く斉藤と、配る丈子。
斉藤「一条さん、今のうち今のうち」
と、こっそり斉藤がさんまをくれる。
丈子、受け取って一口食べ、
丈子「(独り言)味がしない……」
○営業部営業三課(夜)
美夜「華さん、明日もお休みだって。さっき
電話が」
丈子「そう。じゃ、お疲れ様」
帰っていく丈子と、首を傾げる美夜。
○大品公園(夜)
コオロギが鳴いている。
丈子の携帯が鳴る。
画面を見ると、それは華からの着信。
出ないでいると着信は止み、やがてメ
ッセージ通知が画面に出る。
華の声「丈子さん。日曜日のイベント、あり
がとうございました。迷惑かけて、ごめん
なさい」
丈子、メッセージをじっと見て、しか
し返事はせずに、携帯を仕舞う。
目の端に、くまやの明かりを意識する。
俯き、逃げるように歩いていく。
○くまや・店の前(夜)
店外用のお品書きを手に出てきた九間、
公園の向こうを歩く丈子に気づき、声
を掛けようとするも、思い留まる。
丈子の声「夏の蝉は、いつまで鳴いていただ
ろう。秋のコオロギは、いつから鳴き始め
ただろう。羨ましい。時期がくれば当り前
のように愛を叫べる彼らが。どうして人間
は、簡単には愛を鳴けないのだろう。どう
して――」
○細い月の出ている空(夜)
丈子の声「恋をして、泣いてしまうんだろう」
○丈子の部屋(昼)
散らかった室内。
ベッドの上でもぞもぞと起きる丈子。
ぼうっとしていて無気力。
○同(昼)
ローテーブルにはポテチとジュース。
ぼうっとテレビを見ている丈子。
テレビではパンケーキ店の特集が。
丈子「へぇ……ここから近いんだ」
丈子、ポテチの袋に手を入れるも、
丈子「ん? (袋を覗き)あ、無い。うーん」
腹が鳴る。
丈子「(特集をしばらく見て)行くか」
○澄み渡った空(昼)
丈子の声「こうなったら、やけ食いだ」
○パンケーキ店・店内(昼)
フルーツたっぷりのパンケーキ。
それが、丈子のいる、通りに面した窓
際のテーブルへ置かれる。
丈子「わぁぁぁ、おいしそー……」
ナイフとフォークを持ち、
丈子「いっただっきまぁー――」
と、そのとき、視界に何かが映り、丈
子はそちらを見て固まる。
斉藤と女――水樹みつき(19)が、
仲睦まじげに通りを歩いてくる。
そして丈子の真横を通り過ぎていく。
と、背後で入り口ベルが鳴る。
振り向く丈子。
斉藤とみつきが入ってきている。
二人は丈子の近くの席に案内される。
カトラリーを持つ丈子の手が震える。
丈子、手をテーブルに叩きつけようと
するも思い留まり、カトラリーを置く。
立ち上がり、斉藤たちのテーブルへ。
丈子「あ、やっぱりそうだ。斉藤さんじゃな
いですか」
斉藤「あっ、一条さん?」
丈子「偶然ですね、こんなところで」
斉藤「びっくりしました。どうしてここに?」
丈子「近くに住んでるんです。すいません、
突然。(みつきを見て)えっと……」
みつき「あ、私、静人くんの従妹で、水樹み
つきと申します」
丈子、ハッとして、
丈子M「従妹……水樹……?」
丈子「……私は、えっと……カントリー製菓
の、一条と申します。水樹さんは、その、
肉のコシミズの……?」
× × ×
(フラッシュ)
パートの女2「――肉のコシミズの……水樹
さん、あの子とすごい楽しそうに……」
× × ×
みつき「そうですよ。私、あそこでバイトし
てるんです。静人くんのスーパーにもよく、
精肉卸しに行ってます。あ、カントリー製
菓ってことは、もしかして、花岡華さんの
お知合いですか?」
丈子「……あ、はい……後輩です」
みつき「わ、じゃあ話が早いや。実はですね、
一条さん、私今日、愛のキューピットとし
て来てて――」
斉藤「ちょ、ちょっと、やめてって」
みつき「いいじゃんか。一条さんが味方につ
いてくれたら心強いでしょ? (丈子へ)
静人くん、華さんのこと大好きなのに、ほ
んと奥手で、付き合い始めたはいいものの、
まだ手も繋げてないって言うんです。信じ
られないですよね、今どき中学生だっても
っと進んでますよ」
丈子、困惑している。
と、入り口ベルが鳴り、
みつき「(入り口を見て)あ、来た来た」
丈子、顔を上げて入り口を見る。
そこには華の姿が。
みつき「(斉藤へ)ほら、迎えに行く!」
弾かれたように席を立つ斉藤。
しかし丈子、衝動を抑えられず、斉藤
よりも早く、華めがけて駆けていく。
丈子「華さんっ」
華「(振り向いて)えっ?」
丈子、華に抱きついて泣き出す。
丈子「ごめんなさいっ……ごめんなさい」
困惑する華。
ぽかんとしている斉藤とみつき。
○パンケーキ屋付近の小道(昼)
盛大に鼻をかむ丈子。
ポケットティッシュを持ち、見守る華。
華「……ごめんね」
丈子「なんで華さんが? 私が勘違いしてて
……水樹さんは、斉藤さんの従妹で……」
華「ううん、そのことだけじゃないの。……
ごめんね。私……酷い人間です」
丈子、その意味に気づいて顔を上げる。
視線が合い、見つめ合う二人。
華「丈子さんといると、楽しくて……ほっと
落ち着けて……だから……」
無理に照れ笑いをする丈子。
華「……私、丈子さんに、悲しいことをさせ
ました。九間さんのこと」
丈子「全部私が悪いんです。華さんは被害者
じゃないですか。(苦笑)ほんと私最低で」
華「無理に笑わないで。長く営業をやってい
ると、わかってしまうんです。その人が今、
何を考えているのか。誰を見ているのか」
丈子「(戸惑って)え?」
華「パンケーキ、一緒に食べますか? ……
それとも――」
と華、くまやの名刺を差し出す。
困惑しながら受け取る丈子。
華「土日も休まず営業。ランチタイムは午後
三時まで。今からなら、走って上手く乗り
継ぎすれば、間に合います」
丈子「華さん、私……」
× × ×
(フラッシュ)
九間との場面が次々に蘇る。
初めて声を掛けられた夜、おにぎりを
差し出して微笑む九間。
翌朝再会し、たまごサンドをもらった
こと。
その夜、風呂敷包みを渡されたこと。
丈子が九間の告白に断りの返事をした
朝のやりとり。
華と共にアカイスーパーの手伝いをし
た日の夜、駅のベンチに座っていた九
間の背中。
同じベンチに座り、長く話をしたこと。
食事に誘われた朝のやりとり。
九間「いってらっしゃい」
と手を振る九間(最後の朝の)。
華の声「丈子さん」
× × ×
華「パンケーキよりも、食べたいものが見つ
かりました?」
丈子「……はい。行かなきゃ。今すぐに」
華「行ってらっしゃい」
丈子「行ってきます。(行こうとして躊躇い)
華さん……大好きです。華さんは私の、一
番の……尊敬する先輩です」
華「ありがとう。あなたほど、心許せる後輩
はいません」
丈子「(笑顔で)はい! ……それでは」
華に手を振って走り出す丈子。
手を振って丈子を見送る華。
○大通り(昼)
駅の方へ走っていく丈子。
丈子の声「春の鶯とは違う。夏の蝉とも、秋
のコオロギとも違う。人間に、恋の季節は
無い。その代わり人間は、いつだって、愛
を鳴くことができる。いつだって、恋をし
て、悩んで悩んで……いつか、笑える日が
くるようにって」
○大品駅・山手線・外回りホーム(昼)
電車が停まる。
扉が開き、駆け出てくる丈子。
○同・改札前(昼)
改札を駆け出る丈子。
○くまや・店内(昼)
カウンターには九間と従業員。
ちょうど最後のランチ客が出ていく。
九間「ありがとうございました」
従業員「じゃあ僕、外片づけてきます」
九間「ええ、お願いします」
戸の手前まで従業員がきたその時、勢
いよく戸が開き、
丈子「(息を切らして俯きつつ)あのっ、す、
すいません、ランチ、まだ、やって……」
従業員が断ろうとするが、その前に、
九間「(丈子の登場に驚きつつ)はい、やっ
てますよ。どうぞお入りください」
丈子、息を整えながら顔を上げる。
九間と丈子の目が合う。
丈子、ふらふらと数歩、中へ入る。
従業員「失礼します」
従業員、外へ出ていき戸を閉める。
丈子「……私、あのっ、ごめんなさい、私…
…ごめんなさい……酷いことをしました。
あなたの気持ちを、踏みにじりました」
九間「(穏やかに微笑み)どうぞ。こちらへ
お座りください」
丈子、戸惑いながらカウンターへ座る。
丈子「……あの……」
九間「お腹が空いているでしょう? (丈子
へお茶を出しつつ)今ご用意しますから」
シャケおにぎりを作り始める九間。
丈子、じっとその様子を見つめている。
九間「海苔は、巻いても?」
丈子「……はい」
九間「(作り終えて)さあどうぞ」
おにぎりが丈子の前へ置かれる。
丈子、手をつけず、九間の顔を窺う。
九間「丈子さんの元気が出るように、まじな
いをかけてつくりました。どうぞ、お食べ
ください」
丈子「……それ、ジブリの映画の……台詞で
すよね、有名な。あの、おにぎり食べるシ
ーンの」
九間「バレました?」
丈子「だって、そのままなんですもん。クマ
さん、和服だし、髪おかっぱにしたら、た
ぶん。……いただきます」
丈子、おにぎりを大きくひと口。
丈子「おいしい……」
嬉しそうに丈子を見つめる九間。
○(九間の回想)大品公園越しのくまや(昼)
蝉がうるさく鳴いている。
○くまや・バックヤード(昼)
時刻は十一時半。
電話が掛かってきて、それを取る九間。
九間「はい、くまやでございます」
丈子の声「すいません、一番高いお弁当、今
すぐ八つ! お願いしたいんですけど……」
○カントリー製菓本社ビル・会議室内(昼)
丈子の社員証には若葉マークのシール。
丈子、テーブルに弁当を並べている。
入り口付近で話す華と九間。
華「急な注文でしたのに、ありがとうござい
ました」
九間「いえ、とんでもないです。容器は後ほ
ど取りに参りますので。それとこれ、サー
ビスです。よろしければ」
と九間、おにぎりのパックを華へ。
○同・会議室内(昼)
空の弁当箱。
それを番重へ回収する華と九間。
室内の掃除をする丈子。
○同・上階エレベーターホール(昼)
番重を抱えた九間、エレベーター内へ。
華が見送る。
九間「ありがとうございました。またよろし
くお願いいたします」
頭を下げる九間の耳に、
丈子の声「あっ、ストップ、あの!」
と、声が聞こえ、九間は頭を上げるが、
同時にドアが閉まってしまう。
首を傾げる九間。
エレベーターは一階へ。
○同・一階エレベーターホール(昼)
エレベーターを降りる九間。
そしてセキュリティゲートを潜ろうと
して、首から下げた入館証が紐だけに
なっていることに気づく。
九間「あっ……どうしましょう」
すると、背後で別のエレベーターが一
階へ到着し、
丈子「あっ、よかった、お弁当屋さん!」
と、丈子が駆けてくる。
九間「(振り向いて)あっ、はい、なにか」
丈子「これ、落としてましたよ、入館証。会
議室の机の下に。たぶん、弁当箱を回収す
るときに、引っ掛かって、留め具が外れて」
九間「ありがとうございます。ちょうど今、
出られなくて困っていたんです」
丈子「(照れ笑いし)あのっ、あと……おに
ぎり、おいしかったです。私シャケ好きで」
回想内の丈子の口の動きに合わせて、
丈子の声「ごちそうさまでした」
(回想終わり)
○くまや・店内(昼)
空の皿の前で手を合わせる丈子。
九間「おそまつさまでした」
丈子「……あの……クマさん……朔磨さん。
もう、遅いかもしれませんが、きちんとお
返事を、してもいいでしょうか」
九間「はい。聞かせてください、どんな言葉
でも」
丈子「私、まだ、華さんが好きなんです」
九間「はい」
丈子「でも、ですけど……朔磨さんとのこと、
真剣に考えるので……考えて考えて、悩ん
で答えを出したいので……もし、私のこと、
まだ少しでも、想ってくださっているのな
ら……お友達から、始めさせてください」
九間「はい……よろしくお願いします」
目が合って、照れくさそうに笑う二人。
丈子の声「もうすぐ冬が来る」
○カントリー製菓本社ビル・外観(朝)
丈子の声「あたたかい……冬が来る」
○同・営業部営業三課(朝)
華と話しながらおにぎりを食べる丈子。
美夜と奈々美がそれぞれ出社してくる。
丈子「あの、今華さんと話してたんですけど、
今日って皆さん、内勤じゃないですか。な
のでお昼、よかったら、出前とりません
か? 大品公園の傍の、くまやさん。最近
新しく、低カロリー弁当始めたそうで」
美夜「わ、いいねぇーとろうとろう」
奈々美「いいんじゃない? 奢るわよ」
丈子「やった! ありがとうございます!
じゃあ早速」
丈子、受話器を取り、電話を掛ける。
丈子「あ、すいません、注文なんですけど」
○くまや・バックヤード(朝)
受話器を耳に当てている九間。
丈子の声「低カロリー弁当四つ、十二時に」
九間「かしこまりました。私の愛する、〝お
嬢さん〟」
○営業部営業三課(朝)
丈子、ぽっと顔を赤くし、
丈子「(小声で)〝クマさん〟……お礼に歌
でも歌いましょうか?」
九間の声「ああ、それはいいですね、是非」
丈子、冗談が通じず苦笑しながら、
丈子「……じゃあ今度、カラオケにでも?」
○くまや・バックヤード(朝)
九間「カラオケですか、行ったこと無いです」
丈子の声「えぇ? そうなんですか?」
九間「(丈子の反応に破顔しながら)はい」
○営業部営業三課(朝)
にこにこと笑い続ける丈子。
童謡『森のくまさん』のラスト『ララ
ラ~』部分が流れて、完。
コメント
コメントを投稿するには会員登録・ログインが必要です。