ベリー・ベリーサンデー 恋愛

青海駅と間違えて青梅駅に来てしまった一人の少女と、母親の介護をしながら追い出し部屋勤務を続ける中年男性の恋愛劇です。 およそ60分尺を想定しています。
西村正英 37 0 0 04/14
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第一稿

人物
 里中幸一(46)(47)会社員
 瀬戸恵(16)(17)高校生
 里中てい子(76)(77)主婦
 里中美海(0)里中の娘
 瀬戸利和(46)恵の父
 喫茶店店 ...続きを読む
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人物
 里中幸一(46)(47)会社員
 瀬戸恵(16)(17)高校生
 里中てい子(76)(77)主婦
 里中美海(0)里中の娘
 瀬戸利和(46)恵の父
 喫茶店店員
 給仕
 医師
 助産師


◯老人ホーム・外観(朝)
   3階建程の、古いが敷地は広い老人ホーム。
   庭には梅の木々が咲いている。

◯同・屋内(朝)
   ベージュで纏められた内装。
   通路の奥に自動ドアがあり、脇にはパネルが付いている。
   スーツ姿の里中幸一(46)、里中てい子(76)を乗せた車椅子を押している。
   看護師、里中から車椅子ごとてい子を預かる。
てい子「今日もお仕事頑張って、あなた」
   里中、看護師の方を向く。
里中「今日もよろしくお願いします」
   看護師、里中に頷くと、パネルを操作して自動ドアを開け、車椅子を押して中へと入って行く。
   自動ドア、閉まる。
里中「行ってくるよ、母さん」
   里中、俯き、自動ドアに背を向ける。

◯青梅駅・外観(朝)
   「青梅駅」の古びた看板。
   人影のまばらな駅周辺。
   里中、駅舎へと歩いていく。

◯同・ホーム内(朝)
   数名程が並んでいるホーム。
   上り方面のホームに並ぶ里中、欠伸をし、目元を擦る。
   下り方面の電車、ホームに到着する。
里中「そろそろ、か。んー……」
   里中、体を軽く伸ばすと、列を抜け、自販機へ向かう。
   下り方面の電車、発車する。
   里中、ポケットから小銭入れを取り出し、開く。
里中「む、10円足りない」
恵の声「あの……お貸ししますよ?」
   里中、振り向くと、水色のワンピースを着た瀬戸恵(16)、立っている。
里中「え?」
恵「10円」
里中「ありがとう。でも、大きい方を崩すからいいよ」
恵「そう言わずに受け取ってください。その代わり、一つ教えて欲しいことがありますので」
里中「何だい?」
   上り方面の電車、ホームに到着する。
   恵、10円玉を差し出す。
恵「受け取ってくれたらお話しします」
里中「……じゃあ、結構だよ」
   里中、上り方面の電車に乗ろうとすると、恵、里中の袖を引っ張り、止める。
恵「ここって!……青海駅、ですよね?」
里中「いや……あ」
   上り方面の電車、発車する。
恵「あ、すみません、電車……」
里中「いや、いいよ。次があるから」
恵「それで、ここって」
   里中、恵から10円玉を受け取る。
里中「青梅駅だよ、ここは」
恵「え?でも、この乗り換え検索では」
   恵、スマホの画面を里中に見せる。
里中「ここ、きへん。君が行きたかった青海駅は、さんずい」
恵「でも、この観光ガイドだと……」
   恵、鞄から薄いガイドブックを取り出して開き、マーカーの引いてある「青梅駅」の文字を見せる。
里中「あー……このテのガイドでも、たまに間違えられてるんだよ、青海と青梅。この辺りは一面山だらけ、海なんてありゃしないよ」
恵「あ……」
   恵、ガイドと駅周辺を見比べる。
里中「東京は初めて?修学旅行か何か?」
恵「あ、その……はい」
里中「……一人で?」
恵「えっと……現地集合、なので」
   里中、スマホを取り出し、何度かタップしてから画面を見せる。
里中「これ、正しい経路だけど。一人で行ける?」
恵「う」
里中「……ふぅ」
   里中、スマホをタップし、耳に当てる。
里中「室長、おはようございます。里中です。今日は母が体調を崩してしまいまして」
恵「あの」
   里中、微笑んで人差し指を自分の唇に当てる。
里中「本日はお休みを頂ければと思います。……はい、はい、よろしくお願いします。失礼します」
   里中、スマホの画面を一瞥すると、懐にしまう。
恵「あの、会社は?」
里中「たまにはサボったっていいさ。修学旅行なんでしょ?先生の所まで案内するから、いい思い出を作りなよ」
恵「……はい」
   俯く恵。
   上りの電車、ホームに到着する。

◯ゆりかもめ・線路(朝)
   臨海区のビルの隙間を縫うように走っているゆりかもめの線路。
   ゆりかもめの車両、走っていく。

◯青海駅・改札(朝)
   数名の人が行き交う駅構内。
   やや風化した「青海駅」の看板。
   里中と恵、改札を出て、人の流れから外れた所で立ち止まる。
里中「それで、青海駅のどこでみんなと集合なのかな?」
   恵、俯く。
恵「……ごめんなさい。実は修学旅行って言うの、嘘なんです」
里中「……いや、そもそも君の口からは一切修学旅行とは言ってなかったよね?」
恵「あ……確かにそう、ですけど」
里中「僕が勝手に勘違いしただけだから。気にしなくていいよ」
   里中、恵に踵を返す。
里中「それじゃ、東京観光、楽しんでね。悪い大人には、くれぐれも気を付けて」
恵「あの!」
   里中、振り返る。
恵「すみません!正直この辺りのこと、あまり調べられてなくて……引き続き、案内していただけませんか?」
   里中、腕を組み、目を閉じる。
里中「んー……僕も、女の子を連れていけるお店なんて、知らないよ?」
恵「どうしても二つだけ、行きたい所があるんです!お願いします!」
里中「……まぁ、今日はどの道、会社休んじゃったしね」
恵「……じゃあ」
   恵、里中の正面に一歩近づく。
恵「瀬戸恵です!」
里中「え?」
恵「瀬戸、恵です!私の名前!」
里中「あ、ああ……里中、幸一、だよ。よろしく、瀬戸さん」
   恵、里中を睨む。
里中「ん?」
恵「……すみません、恵って呼んでもらって良いですか?それと私も、幸一さんって呼びたいです」
里中「ああ、わかったよ」
恵「うーん……はい」
   恵、微笑む。

◯大観覧車・外観
   ゆったりと回る大観覧車の外観。
   里中と恵が乗っている機以外に、人は無い。

◯同・車内
   広い車内の両端に、里中と恵、座っている。
   里中、頬杖を付いて、呆けた表情で下の風景を見下ろしている。
恵「あーびっくりした!さっきの受付さん、絶対私達の事怪しんでましたよね!」
里中「うん、そう、だね……」
恵「失礼ですが、お父様ですか?……って。咄嗟に親戚の叔父さんです!って答えましたけど」
里中「それ以前に、なんて言うか、僕と君とじゃ、絶対に怪しいんだよ」
恵「え?何がですか?」
里中「そりゃ、親子や親戚って言うには似てないし、ましてや今日は平日だよ?」
恵「アハハハ!すみません」
里中「まぁ、僕がこれに乗ることは二度とないだろうから、顔を覚えられても、そんなに困らないけどね」
   恵、俯く。
恵「それは、私も一緒、ですね……」
里中「ん?いやいや、そんなことは無いよ。今度はもっと、君に見合った素敵な男の人に、載せてもらいなさい」
恵「幸一さんだって、素敵、ですよ……」
里中「そんなことは無いよ」
恵「あります!幸一さんはとても優しくて素敵な人です!」
   恵、立ち上がる。
里中「ありがとう。でも、もしそう見えてるんだとしたら……」
   里中、ネクタイを触る。
里中「このスーツのお陰じゃないかな」
恵「そんなことな……」
   恵、窓の外が視界に入る。
恵「あ……」
   外の風景、高い。
   恵、ゆっくりと視線を里中に戻しながら、
恵「……あの、そっちに行っても」
里中「駄目」
恵「……ここなら、誰も見てませんし」
里中「見てるよ」
   里中、天井を見やる。
   監視カメラ、小さなランプが明滅している。
   恵の表情、曇る。
恵「あの、でも、こんな高いの、山以外だと初めてで、正直、怖い……」
   恵、両手で身体を抱いて座り、震え始める。
里中「……ふぅ」
   里中、立ち上がると、恵の側へ移動する。
恵「え?あの……」
   里中、両手を膝の上に揃えて座り、正面をじっと見すえる。
里中「……」
恵「……ぷっ」
里中「?」
   恵、里中に体を寄せる。
恵「いや、すいません。幸一さん何だか可笑しくって」
里中「そうかな?」
恵「うん、でも、ありがとうございます。段々高さにも、慣れてきました」
   恵、足と声が震えており、里中のスーツの端をつまんでいる。
   里中、恵の手を一瞬見やる。
里中「それで、なんでまたこの大観覧車に乗りたいなんて思ったの?」
恵「はい、えっと、話せば長くなるのですが……うわぁー!」
   恵、窓の外を見下ろす。
恵「凄い!高い!いい景色―!」
里中「えっと……怖くないんだ?」
恵「え、その……幸一さんがいるなら、大丈夫、です……」
里中「ふぅ……都合のいいことで」
   里中、微笑んで恵を見つめる。

◯喫茶店・テラス席
   客のまばらな座席。
   里中と恵、向かい合って座っている。
里中「二つ目はここの……」
   喫茶店店員、トレーにサンデーを載せて運んでくる。
喫茶店店員「お待たせしました。ベリー・ベリーサンデーです」
   喫茶店店員、サンデーを恵の前に置き、立ち去る。
恵「うっわぁー!やっぱりテレビで見るのとは大きさが違いますね!」
   恵、スマホを取り出し、サンデーを撮る。
   里中、微笑んで恵を見つめる。
恵「……えっと、食べてもいいです、か?」
里中「どうぞ召し上がれ」
恵「いっただきまーす!……パクッ」
   恵、俯く。
里中「……どうしたの?あんまり美味しくない?」
恵「……しい」
里中「え?」
恵「スッゴく美味しいー!最高です!ハッピーアイスクリームです!」
里中「そ、そう?そりゃ良かった。それにしても、そんな古いネタ、よく知ってるね」
恵「私の地元ではみんなよく言いますよ?」
里中「使い方、間違ってるけどね……」
恵「そうなんですか?」
里中「少なくとも昔は、ハモッた時に言ってたよ」
恵「へぇー。さすが幸一さんは、詳しいですね!」
   恵、真直ぐな視線を里中に向ける。
   里中、目を逸らす。
里中「オジサンなだけだよ」
恵「じゃあ、物知りなオジサンですね!」
   恵、サンデーをもう一口食べる。
恵「幸一さんも、一口食べます?」
   恵、唇に着いたクリームを嘗めとる。
   里中、顔を背ける。
里中「いや、僕はいい。遠慮しておくよ」
恵「む、遠慮だったらしないでくださいよ」
   恵、スプーンでサンデーのクリームをすくう。
恵「はい、あーん」
里中「い、いや……」
恵「あーん!」
   里中、顔を戻し、目を閉じ、口を開く。
里中「あ、あーん……」
   恵、里中の鼻先にクリームの乗ったスプーンをつける。
里中「ん?」
恵「アッハッハッハッ!幸一さん、女子高生とそう簡単に間接キスは出来ないですよ?」
里中「な……僕はそんなやましいこと、考えてないぞ?」
   里中、鼻先のクリームをナプキンで拭う。
恵「本当ですか?」
里中「あぁ、勿論だ」
恵「あ、お巡りさんがこっち見てる」
   恵、テラスの外を指差す。
里中「え!……むぐっ?」
   里中の口に、スプーンが突っ込まれる。
   里中、唇を閉じる。
恵「やっぱりしたいんじゃないですか、間接キス」
里中「な、ち、違うぞ。今のはだな」
恵「吸啜反射、ですよね。わかってますよ」
里中「キュウ、テツ、反射?」
恵「つい口にものを含んでしまう原子反射ですよ」
里中「じゃ、じゃあ、それで」
恵「赤ちゃんが」
里中「ゲホッゴホッ」
   恵、微笑んでから、サンデーをもう一口食べる。
恵「幸一さんって、真面目ですよね。なんかそれで、貧乏くじ引いて生きてそう」
里中「今まさに貧乏くじ引いてる気がするよ」
恵「フフ、ごめんなさい。でも、これで思い残しは、ない、かな……」
里中「え?」
   喫茶店店員、トレーに皿を載せてやってくる。
喫茶店店員「ロコモコライスプレート大盛りです」
   喫茶店店員、皿を里中の前に置く。
恵「幸一さん、こんな大きいの頼んだんですか?」
里中「いや、普通にこのくらい食べるけど……」
喫茶店店員「ご注文は以上でお揃いでしょうか?」
里中「あぁ。ありがとう」
喫茶店店員「失礼します」
   喫茶店店員、伝票ホルダーを置き、店の奥へ下がる。
恵「え、でもこの量でしょ?私はこんなに胃袋に入らないですよ。やっぱり幸一さんって、凄いなぁー……」
幸一「お父さんとか、このくらい食べない?」
   恵、俯き、手を止める。
恵「……」
幸一「……どうしたの?」
恵「幸一さん、ごめんなさい」
   恵、手を止め、席を立つ。
幸一「え?」
恵「今日はありがとうございました。さようなら」
   恵、頭を下げると、走り去る。
幸一「ちょっと待って!」
   幸一、席を立ち、恵を目で追い、店の奥に目をやる。
幸一「あー……もう!すみません!」
   喫茶店店員、出てくる。
   幸一、財布から1万円を取り出す。
幸一「お釣りはチップでいいです!それじゃ失礼します!」
   幸一、恵の去った方へ走っていく。
喫茶店店員「またのご来店、お待ちしております」
   喫茶店店員、幸一の去った方へ頭を下げる。

◯天空橋(夕)
   歩行者専用の幅の広い陸橋。
   人通りはまばらである。
   恵、ベンチに腰かけ両手で頬杖を付いている。
   里中、恵にペットボトルを差し出す。
   恵、里中を見上げる。
里中「ハァッ……ハァッ……こんなに走ったの、高校生の時以来だよ。やっぱり現役高校生は足が速いね」
   恵、ペットボトルを受け取る。
恵「……さすが大人の方って、気が利きますね」
   里中、恵の隣に腰を下ろす。
里中「そうでもないよ」
   里中、自分の分のペットボトルの蓋を開け、飲み始める。
里中「さて……次はどこに行きたい?」
   恵、目を伏せる。
恵「聞かないんですか?」
里中「……」
   里中、ペットボトルの蓋を閉める。
恵「……行きたい所は全部行って、食べたいものも食べました」
里中「そうか」
恵「幸一さん、素敵なデート、ありがとうございました」
里中「……これ、デートだったんだ」
恵「今のはちょっと、傷つきますね」
里中「あ……」
恵「都会の男性からしたらオママゴトかもしれないですけど、私にとって今日の幸一さんとの出来事は大冒険だったんです」
   里中、指を組む。
里中「ちょっと違うよ」
恵「え?」
里中「僕にとっても、君との時間は、オママゴトじゃなかった。人生最初にしては、上々のデートだったと思う」
恵「え、はじ、めて?」
里中「おかしいだろ?この年にもなって、女の子とまともに手を繋いだことも無いんだ」
  恵、首を左右に振る。
恵「……そんな事ないですよ。少なくとも、都合の良いことばかり並べ立てて、アッチコッチで繋がってる人達より、ずっと良い」
里中「ふぅ……。探るようで悪いけど、達、ってことは、お父さん……と、お母さんも?」
恵「……お父さんの職場、この辺りに本社があって、仕事の都合で、ほとんどこっちで暮らしているんです」
里中「んー……じゃあ場所、変えようか。お父さんが通ると行けないし」
恵「良いんです!別に今更お父さんに見つかっても」
里中「いや、僕の会社も近くてさ、見つかるとちょっと、ね」
恵「あ」
里中「気にはしなくていいけど、ちょっとだけ、僕の都合も聞いてくれると助かる」
   里中、立ち上がり、恵の方を向く。
   恵、ペットボトルの中身を飲み干し、蓋を閉じると、里中の手を掴んで立ち上がる。
里中「え?」
恵「確かに、手ぐらい繋がないと、デートって感じ、出ませんよね」
里中「……」
恵「この辺り都合悪いんですよね?行きましょ?」
里中「あ、ああ」
   手を繋いだ里中と恵、歩き出す。

◯高層ビル・外観(夜)
   数十階規模の高さのビルが立ち並ぶビル街。

◯同・高層階のレストラン・個室(夜)
   間接照明で薄暗い、レストランの個室。
   6人がけのテーブルに、里中と恵、向かい合って座っている。
   給仕、テーブル上の食器を片付けている。
給仕「失礼します」
   給仕、部屋を出る。
恵「あー美味しかった!でも……(小声で)無理してないですか?」
里中「46年の人生で最初のデートだからね相応に奮発するよ。込み入った話なら個室が良いだろうし、それに……」
恵「それに?」
里中「(小声で)……ここのレストランは社割が効くんだ」
恵「えー何ですかそれ!てっきり幸一さん、お金持ちなんだとばっかり」
里中「お金持ちはね、青梅みたいな片田舎に住んじゃいないよ」
恵「チェッ、がっかり。せっかくお金持ちのパパゲットー!……って思ったのになぁー」
  里中、背もたれに手をかける。
里中「じゃあ、ここのお勘定は全て君に任せて、僕は失礼しよう」
恵「待って待って、今の無し!冗談!冗談ですってばー!」
里中「……やれやれ。それで、さっきの話を整理すると、お父さんはこっちで、お母さんは地元で、それぞれに遊び相手を作っていたと」
恵「……はい」
   里中、水を一口飲む。
里中「お互いにそれがバレて、しかもそれでいてすぐに別れようとはしない」
恵「……」
里中「君をダシにして、有利な条件を引き出してから、別れようとしている」
恵「昔はね、仲良かったんですよ?お父さんとお母さん。少ない休みでも、一緒に山登ったり、車で海に連れて行ってくれたりして……」
   恵、水を一口飲む。
里中「でも今は違う。平日のこの時間になっても、君のスマホは鳴らないままだ」
恵「……」
里中「ごめん言い過ぎた。……ご両親の気を引こうとしたかい?」
恵「そんな可愛い理由じゃないですよ。私はただ……」
里中「……」
   恵、胸の前で手を合わせ、目を瞑る。
恵「……死のうと、思ったんです」
里中「そうか」
   恵、目を開き、里中を見つめる。
恵「……驚いて、くれないんですね」
里中「いや、驚いているよ。きっと僕だって、明日死ぬんだと思ったら、多分、ステーキ1キロ食べに行くよ。ライス大盛りに、スープを付けてね」
恵「やっぱり幸一さん、大食漢、なん、ですね……」
   恵、目元を手の甲で拭う。
   里中、ポケットからハンカチを取り出し、恵に差し出す。
里中「……こういうのはどうだい?」
   恵、ハンカチを受け取り、涙を拭う。
恵「どういうの、ですか?」
里中「それはね……」
   里中、笑う。

◯東京駅・外観(夜)
   ビル街の真ん中に立つ、レンガ造りの駅。
   
◯同・ホーム(夜)
   多数の人達が行き交う構内。
   里中と恵、手を握って階段を登ってくる。
里中の声「君にも僕の、ちょっと重たい話を聞いてもらう」
   里中と恵、ホームで見つめ合う。
恵の声「何ですか?」
   恵、笑う。
里中の声「僕は父を早くに亡くしていてね。認知症の母を、一人で看病しながら働いてきた」
   里中、微笑み、恵と見つめ合う。
恵の声「そんな……」
   新幹線、ホームに入ってくる。
里中の声「今時珍しい話でもないけれど、正直、一人で続けるのは辛かった」
   恵、里中の胸元に飛び込む。
恵「また、会えますよね?」
   里中、恵を抱きしめ返す。
里中「そういう、約束だろ?」
里中の声「だから僕達は、お互いに支え合って、これからの日常を生きていくんだ、そういう約束は、どうだろう?」
   新幹線の発車音が鳴る。
   里中、恵の体を離す。
恵の声「それってなんだか、恋人みたいですよ?」
   恵、新幹線の入り口で里中を振り返る。
里中の声「君さえ嫌じゃなければ、そうだと嬉しいな、恵さん」
   恵、新幹線に乗ると同時に、入口が閉じる。
恵の声「やっと、名前で呼んでくれましたね」
   新幹線、発車していく。
   里中、微笑み、新幹線を見送る。

◯新幹線・車内(夜)
   恵、窓際の席で頬杖を付きながら、外を眺める。
里中の声「すまない、正直恥ずかしかったんだ。でもこれからは……」
   暗い窓に、恵の顔が映る。
恵「さん付け禁止なら、条件飲みますよ、かぁ……ちょっと大胆、過ぎたかな?」
   恵、リクライニングシートを倒し、目を閉じる。

◯高校・校門前(朝)
   山間部にある高校。
   校舎の針は、8時丁度を指し、チャイムが鳴っている。
   ブレザー姿の男女、校門に吸い込まれていく。

◯同・教室(朝)
   30人ほどの教室。
   恵、教室に入ると、窓際後方の座席に着く。
   恵の机、「バカ、ブス、シネ!」とマジックで落書きされている。
   恵、教室内を一瞥する。
   2、3名の生徒と目が合うが、全員目を逸らす。
恵の声「ここまではみっともなさ過ぎて、幸一さんには言えなかった」
   恵、椅子に腰かける。
恵の声「不貞を働く家の子など、村社会では爪弾きものだ」
   恵、鞄の中身を引出しに入れ始める。
恵の声「でも私には幸一さんがいる。きっと残りの2年間も、耐えることが出来る」
   チャイムが鳴り、教師、教室に入ってくる。

◯臨海区・ビル街(朝)
   数十階建てのビルが立ち並ぶ、臨海区のオフィス街。
   鞄を持った里中、ビルの一つに入っていく。

◯社屋・通路(朝)
   真新しい通路と扉。
   扉には、それらとは不釣り合いに、ガムテープで札が貼られている。
   札には「能力開発室」と油性マジックで書かれている。
   里中、その扉を開ける。

◯同・オフィス内(朝)
   雑然と散らかり、段ボール箱が積まれたオフィス内。
   20数名程の中年のスーツ姿の男達、死んだような目をして、パソコンに向かい、手を動かしている。
   通路寄りの、室内を一望出来る席に、スーツ姿の瀬戸利和(46)、座っている。
   里中、扉を開け、オフィス内に入ってくる。
里中「おはようございます」
  一瞬、動きを止め、里中の方を一瞥する男達。
   すぐに元通り手を動かし始める。
瀬戸「おはよう、里中君」
里中「おはようございます、室長。昨日は急にお休みをいただき、申し訳ありませんした」
瀬戸「何、気にすることないさ。同期のよしみだろ?」
里中「ありがとうございます」
瀬戸「お袋さんは大丈夫だったかい?」
里中「はい、軽い発作でしたが、特に問題はないそうです」
   里中、一つのデスクへ向かい、パソコンのスイッチを入れる。
里中の声「能力開発室、つまりは追い出し部屋が僕の勤務先だ。こんなこと、恵に話せるはずがない」
   里中のパソコンのウインドウに光が灯り、里中の顔を照らす。
   スマホの着信音が鳴る。
瀬戸「(スマホを耳に)もしもし。平日の朝から連絡をしてくるな。……何?昨日は家出した?……やはり君の教育は間違っていたようだね……」
   瀬戸、話しながら、部屋を出て行く。

◯ショッピングモール・入口・外
   大型ショッピングモールの入口。
   多数の人が行き交っている。
   花柄のワンピースを着た恵、スマホをいじりながら、柱にもたれている。
   と、3人の男達が恵を囲んでくる。
   恵、遠くの方へ手を振ると、ポロシャツ姿の里中、走ってくる。
   男達、舌を鳴らしながら去って行く。
里中「ハァッハァッ……お待たせ」
恵「幸一さん、遅いですよ」
里中「ハハハ、ごめんごめん。この辺りの道は詳しくなくてさ」
恵「それは私だって同じですし、しかももう5回目ですよ、デート」
里中「そこは、まだ5回目ってことにしてくれると、ありがたいかな……」
恵「全く、仕方ないですね、幸一さんは……」
   恵、腕を組み、目を閉じる。
里中「……映画、まだ間に合うよね?」
恵「もうチケット、買っておきました」
里中「えっと、恵、さん……?」
恵「(片目を開きながら)……さん付け」
里中「あ、ゴメン……」
恵「……」
里中「恵、えっと……キャラメルポップコーン、食べる?」
  恵、両目を見開き、満面の笑みで、
恵「え?良いんですか?ありがとうございます、幸一さん!」
里中「ふぅ……それじゃ、行こうか」
   里中、恵に手を差し出し、恵、その手を取ると、建物の中へと入っていく。

◯同・モール内映画館出入口
   シネマコンプレックスになっている映画館の出入口。
   里中と恵、手を繋いで出てくる。
里中「ハハハ……次はもっと優しい内容の映画にしようね……」
恵「あ、幸一さん、こういうの苦手?」
里中「ああ、見栄を張ってもしょうがない。スプラッタものは苦手だ」
恵「あのドバーッって出る感じが凄く爽快なんですよー」
里中「僕はとても不快だ」
恵「じゃあいーですよ。今度からは一人で……」
   恵、俯く。
恵「ひと、りで……」
里中「あー……わかったわかった。今度も付き合うよ」
   恵、顔を上げる。
恵「ホントですか、やったー!」
里中「……はぁ」
   里中と恵、手を繋いで歩いていく。
◯同・レストラン(夜)
   ファミリー客の多い店内。
   里中と恵、窓際の席で向かい合って座っている。
恵「今日も、ありがとうございました!これでまた一週間、頑張れそうです」
里中「こちらこそ、だよ」
   ウェイター、恵の前にオレンジジュースを、里中の前に赤ワインを出す。
恵「そういえば、今日はお酒、飲まれるんですね」
里中「いつもは日曜日だったからね。けど、今日は土曜日で明日も休みだから、たまには良いかなって」
恵「弱いんですか?お酒」
里中「飲むと翌日まで残っちゃう。それに、歳だからね……」
恵「あー……なんか今、傷付きました」
里中「どうして?」
恵「わかりません!でも、なんか距離を感じて辛いです。今度から、歳の話も禁止!」
里中「わかった、いいよ。せっかくの2連休位、パーッと明るく過ごしたいからね」
   恵、俯く。
恵「そう、ですよね。明日、休みなんですよね……」
里中「うん。……どうかした?」
恵「い、いいえ!幸一さん、乾杯しましょ?」
里中「うん、乾杯」
恵「乾杯!」
   里中と恵、グラスを合わせる。
   と、スマホの着信音が鳴る。
   恵、スマホを取り出す。
   画面、「着信中:父」と表示されている。
里中「……出なくて、平気?」
恵「はい」
   恵、スマホを一度タップすると、鞄にしまう。

◯ラブホテル・室内(朝)
   薄暗い室内に、窓の隙間から日が差し込む。
   里中、寝息を立てている。
   恵、体を起こし、里中を見つめる。
恵「幸一さん。ありがとうございます。私、今、とっても幸せです」
   恵、ベッドから出ると、シャワーを浴びに行く。
   里中、目を開く。
里中「(小声で)僕は卑怯で、最低だ」
   里中、頭から布団をかぶる。

◯同・出入口(朝)
   小綺麗ながらも派手な作りのラブホテルの出入口。
   里中と恵、手を繋いで出てくる。

◯高校・教室(朝)
   恵、教室に入ってくる。
   恵の机、「クソビッチ!」と書かれている。
   恵のスマホ、着信音が鳴る。
   スマホ、「新着1通:幸一さん」と表示されている。
   恵、スマホをタップする。
里中の声「恵、昨日はありがとう。何て言うか、次からはもっと上手く出来るように、頑張る。すまない」
   恵、微笑む。
恵「……」
   笑顔の消えた恵、除光液のスプレーを鞄から取り出して机に吹き付け、ハンカチで拭き始める。

◯電車内(朝)
   緑色の山間部を走る車内。
   スーツ姿の里中、鞄を抱いて椅子に座り、うつらうつらと船をこいでいる。
里中の声「あれから何度かそういうことがあった後、恵とはパッタリと連絡が取れなくなった」
車内アナウンスの声「次は立川―立川―」
   多くの人が乗ってくる。
里中の声「多分やっと、僕の大人もどきの魔法が解けたのだろう」
   電車の扉が閉まる。
里中の声「ハッキリと別れを告げてもらえないのは辛かったが、何ということは無い。これは単に、元に戻っただけだ」
   電車、発車する。

◯社屋・オフィス内
   瀬戸、パソコンへ向かい、キーボードを叩いている。
   と、後ろから瀬戸、近づいてくる。
瀬戸「なぁ里中。ちょっといいか」
里中「はぁ……」
   里中、立ち上がり、瀬戸に促され、部屋の外に出て行く。
◯同・会議室内
   8人掛けの会議テーブルの置かれた会議室。
   里中と瀬戸、向き合い座っている。
瀬戸「率直に言うと、だ……。里中、お前、いつまで会社にいるつもりだ?」
里中「室長、それは……」
瀬戸「いいよ。こんな時くらい名前で呼べよ」
里中「じゃあ瀬戸。僕の事情は知っているだろう。お袋の世話をしなけりゃならない。金が要るんだ。何があっても、会社は辞めない」
瀬戸「わかってる。だからぶっちゃけ論だ。私にもノルマがあってね。そろそろここらでもう一人、辞めてもらわなけりゃならないんだよ」
里中「……」
瀬戸「勿論タダとは言わない。とは言え、会社から出る金もたかが知れてるだろうし、私のポケットから少し多めに出すよ」
里中「とは言え瀬戸だって、そんなにたくさん持ってるわけじゃないだろう?」
瀬戸「俺が昔の出向先で地主の嫁さんを見つけたのは知ってるだろう?近々別れる予定でね。有利な条件が引き出せそうなんだ……」
里中「……まさか子どもとか、か?」
瀬戸「そうだよ。15、6だったか?になる可愛い娘がな」
里中「両親が離婚したら、悲しむだろう」
瀬戸「うちの嫁さんは浮気性でね。地元の男衆を漁り回ってるのさ、年甲斐も無くね」
里中「それをダシに、親権を?」
瀬戸「後は慰謝料だよ。何しろこっちは被害者だ。きちんと払うものを耳揃えて払わせるさ」
   スマホの着信音、鳴る。
   瀬戸、スマホを見、席を立つ。
瀬戸「何?妊娠?ハハハ……だから言わないことじゃない。堕胎費用は私が出すから、その代わり親権はこちらでもらうぞ?……あぁ、詳しくは弁護士を通して話そうじゃないか」
  瀬戸、スマホをしまう。
瀬戸「丁度嫁さんからだ。もうすぐ元嫁、になるがな」
里中「今、妊娠と言わなかったか?」
瀬戸「世話が焼けるが、怪我の功名だな。未成年の生殺与奪は親が握っているからな、好きに利用させてもらうさ」
里中「それじゃ、その子を引き取って、二人で暮らすのか?」
瀬戸「は……それはさすがに、里中には関係ない事だよ。まぁ、幾らふんだくれるかはわからんが、とりあえず考えといてくれ。今年いっぱいは待てる」
   瀬戸、会議室を出て行く。
里中「(小声で)本当の被害者は、その子じゃないか……」

◯駅・ホーム(夜)
   里中、電車待ちの列に並んでいる。
   と、着信音が鳴る。
   電車、到着する。
   里中、列を外れ、電話に出る。
里中「もしもし?」
恵の声「急に連絡して、すみません」
里中「恵、か」
恵の声「やっぱり、幸一さんに名前、呼んでもらえると、ホッと、する……うっ……」
里中「どうしたの?」
恵の声「ごめ、なさい……あれから何度も連絡、くれたのに、全然、出ないで……」
里中「いいんだ。今はこうして、恵の声が聞けている。半分以上諦めていたからね」
恵の声「諦めるって、何をです?」
里中「……恵の、気持ち」
恵の声「そんなこと……ううん、でも、ごめんなさい。今日は、ハッキリ……」
里中「別れたい、かな?」
恵の声「ごめ、ん、なさい……」
里中「いや、いいんだ。きっと君なら、僕なんかよりもっと素敵な人に出会える。君には、僕以上の未来が、あるんだから」
恵の声「そんなこと」
里中「多分これが最後の連絡になるよね?じゃあ最後に、僕の言いたいこと、聞いてくれるかな?」
   里中、階段を降りていく。

◯同・構内(夜)
   駅の中でも人通りの少ない柱の陰に身を寄せる里中。
里中「安っぽい言葉しか知らないけどね……」
恵の声「はい」
里中「好きだったよ恵。思い出を、ありがとう」
恵の声「……はい」
里中「時間がかかったけど、これだけはちゃんと伝えたかったんだ。僕の方で思い残しは無いよ。恵は大丈夫?」
恵の声「……私も、ありがとう、ござい、ました」
里中「あぁ、あと一つ。……きっと、幸せになってね」
恵の声「……は、い」
里中「それじゃ、おやすみ」
恵の声「おやすみ、なさい」
   通話の切れる音が鳴る。
   里中、柱にもたれ、うなだれる。
里中「ハッキリ言われた方が、辛かったな。ふぅ……」
   里中、目を閉じる。

◯診察室
   白い壁の診察室に、ギッシリと心理学関係の本が詰まった棚が並んだ部屋。
   スーツの上から白衣を着た医師、一人がけのソファに座り、用紙ホルダーにペンを走らせている。
   医師の向かいのソファに、里中、座っている。
里中「うつ病、ですか」
医師「はい。お話からすると、重いうつ状態です。現在の生活サイクルを続けることは困難ですね」
里中「そう、なんですか?」
医師「はい。会社は半年ほど休職された方が良いでしょう。それが難しければ、辞めてしまっても構いません」
里中「そんなにあっさりと会社を辞めることは……」
医師「我々医師は、患者の健康を最優先に考えますから、例え理想論だとしても、このように申し上げます」
里中「そう、ですか……」
医師「お母様は現在デイケアとのことですが、こちらも入居型を申し込まれた方が良いですね」
里中「はぁ……」
   医師、里中の襟を見る。
   ワイシャツの襟、黒ずんでいる。
医師「家事サービスなどもご利用なされた方が良いと思います。お薬をまずは2週間分と、診断書を通出しますので」
   医師、用紙を里中に渡す。
医師「これを受付に持っていってください」
   里中、無言で用紙を受け取り、部屋を出ようとする。
医師「里中さん」
   里中、振り返る。
医師「一つ一つ、ゆっくり進めてください。きっと、良くなりますから」
   里中、無言で頭を下げ、部屋を出る。

◯老人ホーム・出入口・外(夜)
   里中、てい子の乗った車椅子を押して、看護師と共に自動ドアから出てくる。
里中「それでは、来週から入居型という事で、よろしくお願いします」
   里中、一礼し、去って行く。
   看護師、頭を下げて里中を見送る。

◯マンション・外観(夜)
   7階建て程の低層マンション。
   里中、てい子の乗った車椅子を押し、マンション内へと入っていく。

◯同・里中の部屋・居間(夜)
   洋服などが散らかった室内。
   ちゃぶ台越しに里中とてい子、座っている。
てい子「あなた、今日はねえ、編み物を習ったのよ。最近寒くなってきたから、今度、マフラー、編んであげるからねえ……」
里中「そうか、父さんのマフラー、手編みだったもんな。母さん、編み物、得意だったもんな……」
てい子「そうそう、あなた。ちゃんと考えてくれた?」
里中「……何をだい?母さん」
てい子「そうよ。私は母さんに、あなたは父さんになるんだから、決まってるじゃない。私達の子供の、名前よ」
   里中、きつく目を閉じる。
里中「ふぅ……(目を開いて)母さんは、どんな名前が良いと思う?」
てい子「フフ、あなたはいつもそうね?」
里中「え?」
てい子「いつもいつもそうやって、ナヨっとしてる」
里中「ハハハ、ごめんよ母さん。でも本当に、どんな名前が良いかわからないんだ。そこは母さんに任せるよ」
てい子「また私任せなのね」
里中「え?あ、ええと……」
てい子「フフ、いいのよ。大丈夫、知ってる」
里中「……何を?」
てい子「あなた、私達が本当にピンチの時は、必ず守ってくれること」
里中「なん、で?」
てい子「約束してくれたじゃない。あの日、あの海で、私のお腹をさすりながら、君達を必ず守る……って」
里中「……」
てい子「今思い返せば、後にも先にも、あなたが男らしかったのは、あの時だけ、プロポーズの、あの時だけ……」
里中「……ごめん」
てい子「良いのよ。あの時あなたからそう言ってくれなければ、きっと私はあの海に……」
   蛍光灯、ジジ、と音を立て、明滅する。
里中「え?」
てい子「フフ、名前だけど、一番の幸せって書いて、幸一、なんて良いかもね。今夜はもう寝ましょう」
里中「母さん……」
   里中、ちゃぶ台から立ち上がり、てい子を支えて別の部屋へ移動する。

◯青海駅・改札前(朝)
   人通りのまばらな早朝の青海駅。
   コートを羽織った恵、柱にもたれかかっている。
   恵の吐く息、白い。
里中の声「体を冷やしたら、いけないよ」
恵「え?幸一、さん?」
   恵、振り返ると、里中、立っている。
   恵のお腹、大きく膨らんでいる。
里中「やっぱりそうか」
恵「……フフ、やっぱり幸一さん、凄いなぁ。何でもお見通し、なんですね」
   里中、目を閉じ、息を吐いて開く。
里中「ここで会うのは、初デート以来だね」
恵「駄目ですよ幸一さん。こんなちんちくりんで、重たい人間と一緒になったら」
里中「恵の軽さは知ってるよ」
恵「そうなんですよ?(お腹をさすりながら)私は、命を軽く扱う酷い人間なんです」
里中「恵はちゃんと重さを知っている。知っているからこそ、僕の前から、何も言わず消えようとしたんだ」
恵「そんなの……」
里中「12回目のデート記念に、美味しい喫茶店に連れて行くよ」
   里中、恵の手を取る。

◯喫茶店・店内(朝)
   落ち着いた雰囲気の店内。
   里中と恵、奥の席に向き合い、座っている。
   喫茶店店員、一つの大きな皿をトレーに乗せ、運んでくる。
喫茶店店員「ベリー・ベリーホットケーキサンデーです」
   喫茶店店員、皿をテーブルに置き、店の奥に下がる。
里中「ほら、秋冬バージョンもあるでしょ?」
恵「……」
里中「これから、いくつもの季節を重ねていくことになる」
恵「だから、私みたいな女と子どもは」
里中「美味しいものいっぱい食べて、元気になってもらわないとね」
恵「こんな、こんなのいただけないです。だって私、ブスで、バカで……」
里中「誰が恵にそんなことを言ったの?」
恵「……」
里中「言った人間がいるんだね。そして、それを止めなかった人間もいる。君を守らなかった人間たちだ。君は許さなくていいし、僕も許さない」
恵「……」
里中「ただ、それは僕も同じだ。自分が日々を生きるために、恵を、欲望の吐け口に利用したんだ。僕も、悪い大人だった」
恵「……そんなこと」
里中「それに僕には、隠し事もある」
恵「え?」
里中「……実はね、僕、会社では、追い出し部屋にいるんだ」
恵「え?」
里中「だから、今は正社員と言っても、先の保証があるわけじゃない。これだけは最初に言っておく」
   里中、ナイフとフォークを手に、ホットケーキサンデーをひとかけら切り取る。
恵「あの……」
   里中、切り取ったホットケーキをスプーンですくい、恵へ差し出す。
里中「あーん」
恵「あの……」
里中「あーん」
恵「あ、あーん」
   里中、恵の口にスプーンを入れる。
里中「どう?」
恵「……美味しい、です」
里中「良かった」
恵「……」
里中「……」
恵「……あの」
里中「結婚、しよう」
恵「結婚?」
里中「あぁ。きっとそれで、全部上手くいく」
恵「バカ言わないでください」
里中「え?」
恵「結婚したら、それでこの子がこの世に生まれたら、もう一人不幸な人間が増えるだけだってわからないんですか?」
里中「恵……」
恵「不幸なんですよ?私も幸一さんも。その不幸を一身に浴びて育つなんて、この子が、 可哀想じゃないですか……」
里中「生まれる前から、これだけ両親に心配してもらえたら、きっとこの子は幸せ」
恵「そんなわけ無いじゃないですか!」
   恵、テーブルを叩いて立ち上がる。
里中「……」
恵「きっと私もこの子も不幸になるんです。せめて幸一さん、もっといい人と、可愛い赤ちゃん、作ってください……」
   恵、店を駆け出て行く。
里中「待って!……店員さん!お会計!」
   喫茶店店員、奥からやって来る。
喫茶店店員「お代は以前いただいた分で構いません」
里中「え?」
喫茶店店員「あとおよそ6000円分ほど残っています。またのご来店を、お待ちしております」
里中「……ありがとう」
   里中、店を出て行く。
   喫茶店店員、頭を下げる。

◯天空橋
   人通りの多い天空橋。
   里中、周囲の奇異の目を浴びながら、息を切らせて走る。
里中「足が遅いのは昔からだけど……参ったな」
   里中、以前恵の座っていたベンチの前で立ち止まる。
里中「……いないか」
   里中、またすぐに走り始める。

◯臨海区・公園(夕)
   夕焼けの照り付ける海が見える公園。
   恵、海と面した柵に体を預け、海を眺めている。
恵「幸一さん、さようなら……」
里中の声「駄目だよ!」
   恵、振り返ると、階段の上に里中、膝に肘をつき、息を切らせて立っている。
恵「幸一さん」
里中「ハァッ……ハァッ……駄目だよ恵。勝手にいなくなったら」
   里中、階段をゆっくりと降りてくる。
恵「駄目なのは幸一さんです。私は、私達は、幸一さんの邪魔になんかなりたくない!」
   里中、恵に駆け寄る。
里中「勝手に僕の!」
   里中、恵の肩を両手でつかむ。
里中「僕の……」
恵「離して……」
里中「僕の大事な人を、大事な人達を、奪うな!」
恵「え?」
里中「僕の大事な恵と、まだ名前も付けてないその子の命を、君が奪うな」
恵「そんなの……そんなの、私の勝手じゃ」
里中「君の勝手なんかじゃない。そのお腹の命は、君と僕と、そして、その子自身のものだ」
   里中、恵を抱きしめる。
恵「……幸一さんは、私に幸せをくれました。でも……」
里中「でも?」
恵「自由は、与えてくれないんですね」
里中「……あぁ、悪いけど、自由はまだ与えてやれない」
恵「ひどいと、思います」
里中「ひどくて構わない。僕は恵から自由を預かる。そう、決めた。だから……」
   里中、スマホを取り出し、タップする。
   画面「発信:瀬戸利和」を、恵に見せる。
恵「え?お父さん、どう、して?」
   里中、にっと笑う。
   コール音、響く。
瀬戸(電話)「どうした里中?今日も休んで。ついに辞める決心がついたか?」
   里中、恵のお腹を見ながら、スマホを耳元に持っていく。
里中「あぁ、辞めるよ、会社」
瀬戸(電話)「そうか。辞めてくれるか、ありがとう」
   恵、口を開きかけるのを、里中、首を振って制する。
里中「ただ、条件は……」
瀬戸(電話)「裏の退職金だろ?勿論奮発するさ」
里中「いや……それまで盗ったらそっちも大変だろ?一つ条件を飲んでくれるだけでいい」
瀬戸(電話)「……何だよ。まぁ、里中が辞めてくれるなら、大概の条件は飲めるよ」
里中「難しい話じゃない。お宅のお嬢さんと……お嬢さんを妊娠させた奴とをくっつけろ、それだけだ」
瀬戸(電話)「……どういうことだ?」
   恵、不安気な顔で里中の顔を見上げる。
   里中、恵に笑顔を返す。
里中「恵をもらう、と言ったんだ」
瀬戸(電話)「何?恵はそこにいるのか!」
里中「いるとも。ただ、君達夫婦の状態を児童相談所に話したらどうなる?」
瀬戸(電話)「里中、そんなこと言ったら、お前のやっていることは……」
  里中、肩と耳でスマホを挟んでしゃがみ込むと、鞄を漁る。
里中「結婚が前提ならば問題ないはずだろう」
   里中、婚姻届を恵に渡す。
瀬戸(電話)「お前、恵の未来を何だと思っているんだ!まだ高校二年生なんだぞ?」
里中「休学と、転校も、必要だろうな。学校なんて、自分のペースで出れば問題ないさ」
瀬戸(電話)「お前みたいに社会人のレールから外れた敗北者の理屈なんて!」
里中「親のレールを外れたお前に、言えた事か!」
   里中、通話を切る。
恵「あの……」
   里中、微笑んで、
里中「問題ないさ。まずは元気な赤ちゃんを産むことに専念してくれ」
   里中、恵に口づける。

◯病院・外観(夜)
   7階建て程の広い敷地の病院。
   月が光り、敷地内の木々を照らしている。

◯同・通路(夜)
   薄暗い通路。
   扉には、「産室・里中恵様」と書かれた札が差されている。

◯同・産室内(夜)
   出産用の様々な機器が並んだ産室。
   心電図の音が定期的に響いている。
   3名ほどの助産師が機器を確認している。
   点滴を刺され、ベッドに横たわる恵(17)。
   ベッド脇の椅子に掛ける里中(47)。
恵「頑張る、ね」
幸一「うん。応援する」
   幸一、恵の手を握る。
助産師「陣痛促進剤、投与開始します」
   助産師、機器を操作する。
   薬剤を点滴が伝い、流れていく。
恵「なんか、怖い、かな……」
幸一「大丈夫。ちゃんと、そばにいる」
   幸一、恵の手を握りしめる。
恵「うん、信じてるよ。幸一さん」
   恵、幸一の手を握り返す。

◯青梅駅・構内
   下り電車から、里中美海(0)を抱えた里中と恵、降りる。
   下り電車、出発していく。
美海「オギャー!」
里中「ふぅ……出産から一週間か、アッと言う間だったね」
恵「そう?私には正直長かった……」
里中「ごめん」
恵「フフ、いいよ。ホラ、行こ?」
   里中と恵、階段を降りていく。

◯老人ホーム・個室内
   テレビと棚と冷蔵庫がある病室。
   棚の上には、編み物が置かれている。
   ベッドの上に、てい子(77)、横たわり、窓の外を眺めている。
   部屋の扉を開け、美海を抱えた里中と恵、入ってくる。
里中「こんにちは、母さん」
恵「……えっと、こんにちは」
   てい子、ベッドのスイッチを操作し、上体を起こす。
てい子「幸一、来てくれてありがとう。(恵を見て)……あらあら、お話には聞いていたけれど、本当にお若いお嬢さんなのね」
恵「……すみません」
てい子「謝ることじゃないのよ。ちゃんと元気な孫を産んでくれたのだから……えっと、恵さん?」
恵「あ、はい。ご挨拶が後になってしまいすみません。幸一さんとご結婚させていただきました、恵、です。えっと、あの……」
てい子「私の事はお母さん、でいいわ。幸一はずっと、お、を付けないものだから、私、父さんと誤解しちゃってたくらいだし」
里中「母さん、それは……」
てい子「新しいお薬のおかげもあるでしょうけれど、今はハッキリ解るわ。恵さんのことも、幸一のことも、その子のことも」
   てい子、美海の方を見る。
てい子「名前はどうしたのかしら?」
里中「みなみ、美しい海と書いて、美海にしたよ。名前に海って入っていれば、青海と青梅を間違えることもないだろ?」
恵「アハハ……」
てい子「……幸一、その間違えが無かったら、私は孫の顔を見ることも無かったのよ?それが分かっていて付けたのよね?」
   里中、目を逸らす。
てい子「ハァ……恵さん、ごめんなさい、気の利かない息子で」
   恵、首を横に振る。
恵「いいえ、お母さん。この名前にOK出したの、私ですから」
てい子「あらあら、それで良かったの?」
恵「ええ。(里中と美海を見て)名前を見る度に、二人の出会いを思い出せる、素敵な名前です」
   てい子、微笑む。
てい子「若くて良いわねえ。せっかく若いんだから、こんな老いぼれの所に長居しないで、早く新居でも探しに行きなさい」
恵「そんな」
里中「そうするよ」
   里中、てい子に背中を向ける。
恵「幸一さん!……あの、また来ますね」
てい子「ええ、ええ。今度は幸一抜きで、美海ちゃんと三人で女子会にしましょ?」
   恵、てい子に頭を下げる。
里中「母さん」
てい子「……何かしら?」
里中「俺も、また来るよ」
てい子「そうね。あと一回くらいはいらっしゃいな」
   里中、恵、部屋を出る。
てい子「ふぅ……あと一回、なるべく早いうちが、ありがたいかしらね……」
   窓際、カーテンが揺れる。

◯市街地・坂道(夕)
   車通りの少ない、狭く入り組んだ坂道。
   梅の花、そこかしこの家の塀から、顔を覗かせている。
   美海を抱えた里中、恵と並んで坂道を登っていく。

<了>

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