○教会・中
祭壇の神父が列席者に向いている。
神父の前に、黒いタキシード姿の阿久津雅史(32)と、純白のウェディングドレス姿の阿久津麻祐(29)が向かい合う。
神父「変わらぬ愛を誓いますか?」
阿久津「誓います」
麻祐「誓います」
神父「それでは新郎新婦は誓いのキスを」
パイプオルガンの演奏が始まる。
木製の長椅子に座る列席者から溜息が漏れる。
最前列に座る阿久津雅子(61)がハンカチで目元を拭う。
○同・控室・中
机の上に古びた地球儀。
日本の位置に置かれた小さなおもちゃの飛行機がふわふわと動き出し、イタリアで止まる。
○イタリア・ローマ
石で出来た彫刻『真実の口』に手を入れ、『ローマの休日』の真似をしてはキャッキャとはしゃぐ阿久津と麻祐。
○イタリア・ベニス(日没時)
ゴンドラに横並びに座る阿久津と麻祐。
ゴンドラが『溜息の橋』の下に差し掛かると、見つめ合ってキスをする。
○教会・控室・中
机の上の古びた地球儀。
イタリアの位置に置かれた小さなおもちゃの飛行機がふわふわと動き出し、日本で止まる。
○阿久津家・外観(夕)
古い造りの洋館。白い外壁はアイビーの葉で覆われている。阿久津と書かれた玄関の表札は『津』の文字が葉に隠れて見えない。阿久津と麻祐が大量の土産物を手に、玄関前に立っている。
阿久津「今日からまた現実だな」
麻祐「あっという間だったね。今日からは阿久津家の嫁として頑張るからね」
○同・ダイニング(夜)
阿久津、麻祐、雅子がテーブルを囲んで座っている。
雅子「麻祐さん」
麻祐「はい」
雅子「今日から麻祐さんは阿久津家の嫁です」
麻祐「(姿勢を正して)宜しくお願い致します」
雅子「阿久津家が代々、小悪魔の家系なのは雅史から聞いていると思うけど」
麻祐、きょとんとして阿久津を見る。
阿久津「母さん、実はその件なんだけど」
雅子「えっ?雅史。あなた、まさか…」
阿久津「うん…。まだ言ってないんだよね」
雅子「あなたって子は本当にもう昔っから…」
麻祐「あのー、何のことでしょうか?」
手に通帳を持つ雅子、溜息を付く。
雅子「百聞は一見にしかず。明日、私に付いて来なさい。それと麻祐さん。あなた名義の通帳も作ったから頑張って稼いで頂戴」
雅子、麻祐に通帳を手渡す。
麻祐、首を捻りながら愛想笑いで頷く。
○駅・ホーム(朝)
大きなリュックを背負った雅子。麻祐と共に電車を待つ列の最後尾に並ぶ。
雅子「麻祐さん。良く見てなさい」
ホームに電車が入って来る。乗客がどっと降りて、またどっと乗り込む。麻祐と雅子も乗り込む。
○電車内(朝)
スシ詰状態の車内。雅子の背負うリュックが周りの乗客にぶつかる。乗客が舌打ちをする。麻祐、小声で話す。
麻祐「お義母さん。リュック当たってますよ」
表情を変えず、無言の雅子。
× × ×
電車が隣駅で止まる。降りる乗客に押されドア付近まで来た雅子は手摺りに捕まって必至に踏ん張る。
雅子が邪魔で他の乗客はホームに降りられない。雅子を睨み、舌打ちをする乗客達。
麻祐は一旦電車から降りて雅子を見る。雅子、ちらっと麻祐を見つめる。
○走る電車(朝)
○同・電車内(朝)
スシ詰状態の車内。電車が揺れる度に雅子の背負うリュックが周りの乗客にぶつかる。
乗客は舌打ちをするが雅子は気にしない。怪訝そうな表情の麻祐。
○駅・ホーム
ベンチに腰掛けペットボトルの茶を飲む雅子と麻祐。麻祐が雅子に話す。
麻祐「お義母さん。電車内ではリュックは前に抱えるとか、ドア付近では一旦降りるとか…した方が良いと思うんですけど」
雅子「まぁ普通はそうでしょうね」
麻祐「ですよね?気配りは大事ですよね?」
雅子「麻祐さん。あなた昨日、私が言ったこと聞いてなかったの?我が家は代々、小悪魔の家系って言ったでしょ?」
麻祐「えっ?あぁ…そう言えば」
雅子「小悪魔っていうのはね、日々、小悪を重ねるのが仕事なの。麻祐さんも阿久津家に嫁いで来たんだから、もう少し小悪魔としての自覚を持って貰わないと困りますよ」
麻祐「自覚って言われても私。もうアラサーだし、小悪魔って歳は過ぎちゃってるし」
雅子「何バカ言ってるの。小悪魔に年齢なんて関係ないでしょ!とにかく、私の小悪を見て独り立ち出来るように勉強なさい」
○コンビニ店内・レジ前(夕)
カゴの品をバーコードで読み取る店員。
店員「856円になります」
雅子、背負っているリュックから小銭入れを取り出すと硬貨をゆっくりと数え始める。
後ろの客がイライラしているのを気にする麻祐。
○電車・中(朝)
T.一週間後
ヘッドフォンを大音量で聞く雅子。音漏れに周りの乗客が顔をしかめる。
麻祐、耐えきれずに雅子に言う。
麻祐「お義母さん。いい加減にして下さい!」
麻祐、怒り顔で雅子から離れていく。
○阿久津家・寝室(夜)
麻祐、阿久津に訴える。
麻祐「雅史からもお義母さんに言ってよ。小悪魔だか何だか知らないけど、他人をイラつかせるのが仕事とか言って訳分かんない」
阿久津「小悪魔なんだから仕方ないだろ」
麻祐「もー、そもそも小悪魔って何なのよ!」
阿久津「ほんの一瞬だけ人をイラっとさせる仕事を代々する者。それが小悪魔だよ」
麻祐「それに何の意味があるわけ?」
阿久津「麻祐は始めて間もないから分からないかもしれないけど、大事な仕事なんだよ。それに家は親父が早くに死んじゃって、母さん一人で、それこそ毎日何回も何回も小悪を積み重ねて俺を育ててくれたんだ」
麻祐「一見美談っぽい話だけど、その分誰かがイラっとしてる訳でしょ?超迷惑じゃん」
阿久津「イラっとさせることが重要なんだよ」
麻祐「何でよ?」
阿久津「人は善悪合わせ持った存在だけど、多くの人は悪い面を外に出さないだろ?でも内側に溜まった悪意はやがて大きくなってとんでもない事件を起こすんだ。小悪魔の仕事は、一瞬イラっとさせることで悪意を体外に吐き出させる重要なものなんだ」
麻祐「人の役に立つ仕事だって言ってる?」
阿久津「そう、人に誇れる立派な仕事だよ。俺は小悪魔の母さんを誇りに思ってる」
麻祐、腕を組んで考え込む。
○同・ダイニング(夜)
テーブルで、一人通帳を眺める雅子。
○同・ダイニング(朝)
雅子、テーブルを挟んだ麻祐に話す。
雅子「あなたは阿久津家に嫁いた嫁として責任があります。今日も一緒に出掛けますよ」
麻祐が阿久津を見る。阿久津が頷く。
○電車内(朝)
リュックを背負う雅子。麻祐と並び混雑したドア付近に立っている。
電車が隣駅に到着し、反対側のドアが開く。
ドア付近では小太りの中年男が降車する乗客の流れに逆らい踏ん張っている。
額に光る大粒の汗。
乗客の舌打。
雅子「あの小悪魔男。良い仕事っぷりだわ」
ドア付近の男を見つめて雅子が称える。
麻祐、小太りの中年男を見つめる。
雅子「さてと、私も頑張らないと!」
雅子、吊革には掴まらず、電車の揺れにまかせて背負ったリュックを他の乗客にぶつけたり、ヘッドフォンの音量を大きくしたりと小悪を続ける。
電車が隣駅に到着し、麻祐と雅子が立つ側のドアが開く。麻祐、小さく呟く。
麻祐「何が阿久津家の嫁よ。何が小悪魔よ」
手摺りに捕まり、降車する乗客に必至に逆らう麻祐。じっと見つめる雅子。
麻祐「ほら向かって来なさいよ!私があなた達の中の悪意を吐き出させてやるわよ!」
降車する乗客達の舌打ち。
麻祐は流れに逆らい耐え続けるが、力尽きて電車の外に押し出されていく。
雅子が頷く。
麻祐も雅子を見て頷く。
額の汗が光る。
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