「夜を往く者」
登場人物
木下凛子(28)ホステス
渡辺亜紀(28)会社員
佐野ミチル(28)刑事
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○道
外苑東通り。
村松亜希(28)、大きめのトートバッグを肩に掛けて歩いている。
向かい側から歩いてくる親子連れ。
両親に挟まれて歩いている女の子、手に赤い風船を持っている。
亜希、女の子を見て微笑む。
亜希と親子連れ、すれ違う。
女の子の声「あ!」
女の子、空を見上げている。
亜希、つられて空を見上げる。
赤い風船、青空を上っていく。
亜希、赤い風船を見つめている。
女の子「あーあ」
赤い風船、青空を上っていく。
○コーヒーショップ「Two Brothers Café」・ 外
立方体のようなガラス張りの建物。
ドアには「Two Brothers Cafe」のロゴと「NO SMOKING」の文字。
亜希、歩いてきて、入口のドアに手をかける。
内側からドアが勢いよく開き、佐野ミチル(28)が出てくる。
亜希「きゃ!」
亜希、お腹の辺りに手をやる。
ミチル「亜希! びっくりしたー」
亜希「びっくりしたのはこっち。ミチル。どうしたの?」
ミチル「ちょうど良かった。亜希ごめん。仕事入っちゃって。私行かないと」
亜希「え」
ミチル「ホントごめん。あ。もう来てるよ」
亜希「そう」
ミチル「じゃあ。また今度。ゆっくりね」
亜希「うん。また」
ミチル、走り去る。
亜希、ミチルの背中を見送っている。
○同・中
日の光に照らされた店内。
テーブル数は10ほど。
壁には白夜の写真が飾られている。
亜希、店内に入ってきて、カウンターに向かう。
亜希「キャラメルマキアー。じゃなくて。ホットミルクを。ショートサイズで」
亜希、店内を見回す。
木下凜子(28)、壁際のソファ席で「白鯨」の文庫本を読んでいる。
凜子の隣にはバッグ、前にはコーヒーの入ったマグカップ。
亜希「りんこ」
亜希、凜子を見つめる。
× × ×
亜希、マグカップを手に凜子の方へ歩み寄る。
亜希「凜子」
凜子、顔を上げる。
凜子「亜希ちゃん?」
亜希「うん。ひさしぶり。ここ。いい?」
凜子「もちろん」
凜子、文庫本をバッグにしまう。
亜希、凜子の向かいのイスに座る。
亜希「変わらない。っていうか、小3の時よりずっとキレイになってるね。凜子」
凜子「ありがとう」
亜希「てかびっくりしたよ。こないだミチルに会ったときに凜子の話聞いてさ。すごい偶然だよね」
凜子「ミチルちゃんと再会したら懐かしい名前がどんどん出てきて私もびっくり」
亜希「だろうね。あ。同窓会の話は聞いた?」
凜子「うん。さっきミチルちゃんから。健人が一生懸命探してくれてたんだってね」
亜希「うん。みんなに聞いて回ってた。よっぽど凜子に会いたかったんだろうね」
凜子「これだから男子は」
亜希と凜子、微笑み合う。
亜希、ホットミルクを飲む。
凜子「亜希ちゃん。ここ。ミルク付いてる」
凜子、口元の辺りを示す。
亜希「え? ホント?」
亜希、テーブルの紙ナプキンを取り、口元を拭う。
凜子「うん。取れた」
亜希「ありがとう」
亜希、紙ナプキンを手元で握りしめる。
亜希「凜子。あの。さ」
凜子「ん? なに?」
亜希、ガラス越しの空を見上げる。
亜希「ごめん。ごめんね」
凜子「え」
亜希「あの頃。私たち凜子を。凜子に。いろいろ酷いことしたでしょ?」
凜子「ああ」
亜希「ずっと。ずっと。謝りたかった。ミチルから凜子に会ったって聞いたとき、その時が来たんだって思った」
凜子「そう」
亜希「凜子。ごめん」
亜希、頭を下げる。
凜子「いいよ。子どもの頃の話じゃん。もういい大人だし。全然気にしてないよ」
亜希、顔を上げる。
凜子「そう。言えばいい?」
凜子、コーヒーを飲む。
凜子「なんでだろ」
凜子、ソファに背中を預ける。
凜子「私。亜希ちゃんのこと。許せない」
店内にはジャズが流れている。
凜子「ミチルちゃんなんか私をいじめてたことどころか、再会したときも私が言うまで私のこと思い出しもしなかった」
亜希「それは」
凜子「でもミチルちゃんには謝ってほしいとか思わないんだよね」
亜希「そう」
凜子「おめでとう」
亜希「え?」
凜子「亜希ちゃんがなんで謝りたいと思ったか当てようか」
凜子、亜希のトートバッグを見る。
凜子「服装の割りに大きなトート。待ち合わせ場所は完全禁煙のコーヒーショップ」
亜希「凜子。タバコ吸うの?」
凜子「私の仕事聞いてるでしょ? 吸わないわけないじゃん」
亜希「ああ。ごめん」
凜子「で。飲んでるのはノンカフェインのホットミルク」
凜子、亜希のマグカップを見る。
凜子「妊娠。してるんでしょ?」
亜希「え?」
凜子「おめでとう」
亜希、うつむく。
凜子「妊娠がわかって夢が膨らんだんだよね。どこの学校に入れようか。どんな習い事をさせようか」
亜希「やめて」
凜子「もし大きな挫折を経験したら、どう声をかけよう。いじめられたりしたら、なんて言ってあげたらいいんだろう」
亜希「お願い。やめて」
凜子「亜希ちゃんは謝りたいんじゃない。許してほしいんだよ」
紙ナプキン、亜希の手の中でボロボロになっている。
亜希「凜子も子どもできればわかるよ」
凜子「なにが?」
亜希「いい母親になりたい。まっすぐに子どもの目を見れる自分でいたい。そういう気持ち。わかるよ」
凜子、壁の写真を眺める。
凜子「わからないよ。私には」
亜希の手から、ボロボロになった紙ナプキンが零れ落ちていく。
亜希「ねぇ凜子」
凜子「ん?」
亜希「なんでアキハなの?」
凜子「え」
亜希「お店での名前。なんでアキハなの?」
凜子「大好きだった先生の名前だから」
亜希、トートバッグからノートを取り出し、テーブルに置く。
凜子、ノートを見つめる。
凜子「3Bノート。なんで?」
亜希「私が持ってたときに、あの事故があって。そのまま冬休みに入っちゃったから」
凜子「ふーん」
凜子、ノートを取り、めくる。
亜希「読んでたら、思い出したんだ」
凜子「なにを?」
凜子、ノートをめくる手を止める。
亜希「ひょっとして。秋波先生って」
凜子「お腹の子が聞いてるよ」
亜希「え?」
凜子「聞いてるよ。お腹の子が」
壁には白夜の写真が飾られている。
凜子「あれは不幸な事故だったんだよ」
亜希「不幸な。事故」
空を一羽のカラスが飛んでいく。
亜希「私。行くね」
凜子「うん」
亜希、立ち上がる。
亜希「もう会わないよね。私たち」
凜子「うん」
亜希「バイバイ。凜子」
凜子「バイバイ。亜希ちゃん」
亜希、去っていく。
凜子、亜希が出て行くまで見送ったあと、店員に向かって手を挙げる。
凜子「すみません。お水ください」
凜子、ノートをバッグにしまい、代わりに薬袋を取り出す。
凜子「あ」
黄色い錠剤、床を転がっていく。
〈おわり〉
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