「テュルプ博士の解剖学講義」
登場人物
藤倉千里(28)刑事
浮田喜一(57)解剖医
峰香澄(26)刑事
榊初音(24)被害者
藤倉千鶴(50)被害者
店員
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○居酒屋「てんやわんや」・店内(夜)
半分ほどの客入り。
藤倉千里(28)と峰香澄(26)、カウンター席に並んで座っている。
2人の前に半分ほど空いたビールのジョッキと、肉じゃがの小鉢。
千里、肉じゃがを食べる。
千里「んま! 肉じゃが、んま!」
香澄、音を立ててジョッキを置く。
香澄「チサトさん。千里さんって、どうして刑事になったんですか?」
千里「なにカスミ? もう酔った?」
香澄「いや。刑事の始点って言うか、初心? 最近ちょっと考えることあって」
千里「ふーん。そーなんだ」
香澄「私は。ほら。私なりに? いろいろあって。警察やってますけど。千里さんはどうなのかなーって」
千里「私は」
千鶴の声「お母さん。いつも千里見てるから」
千里、ジョッキを呷る。
千里「安定した給料。これにつきるね」
香澄「えー。でも千里さん。非番の日とか解剖の見学行ってますよね。帝和大。めっちゃやる気じゃないですか」
千里、ジョッキを呷る。
○帝和大学附属病院・外
タクシーが止まっている。
千里、タクシーから降りてベージュのコートを羽織り、髪を外に出す。
○同・解剖室前室
千里、手術着姿で丸椅子に座っている。
浮田喜一(57)、手術着で書類を手に入ってくる。
千里「おはようございます浮田先生」
浮田「藤倉さん。おはようございます。今日は交通事故死の新法解剖事案です」
浮田、千里に書類を渡す。
千里、資料に目をやる。
千里「新法解剖。あー。あれですね」
浮田「ええ。2013年から始まった、遺族の許可が要らない法医解剖です」
千里「あー。なるほどー。その場合はなにを観るんですか」
浮田「まずは歯や体の治療痕。既往症の有無などを重点的に観ていきます」
千里「へー。あ。え。と。事故の被害者は。2人。もう1人は。軽傷。と」
浮田「いきましょうか」
千里「はい。あ。この事故の現場。私も帰りに通る道です。見通しが悪くて。私もヒヤッとしたことが何度もあります」
浮田、解剖室に入っていく。
千里、浮田の後に続くが、入口の上枠に額をぶつける。
千里と浮田、目を見合わせる。
千里、額をさすり、微笑む。
浮田、笑顔を作る。
○同・解剖室
ジッパー付きの袋に入った遺体。
千里と浮田とスタッフ、遺体を挟んで立っている。
浮田「よろしくお願いします」
一同「お願いします」
浮田「ご存知かとは思いますが新法解剖は身元不明の遺体に対して行われます」
千里「え」
浮田、袋のジッパーを下げる。
遺体は藤倉千鶴(50)。
千鶴の声「お母さん。いつも千里見てるから」
千里、千鶴の遺体を見つめる。
○(フラッシュ)踏切(夕)
遮断機が下りている。
遮断機の向こう側を歩く千鶴の背中。
千鶴、こめかみを押さえている。
電車が通過する。
○元の帝和大学附属病院・解剖室(夜)
浮田とスタッフ、遺体に手を合わせる。
千里、千鶴の遺体を見つめる。
千里「この遺体に新法解剖は不要です」
浮田「不要? どういうことですか?」
千里「身元がわかったので」
浮田「え?」
千里「この遺体は。フジクラチヅルです」
浮田「藤倉。ご親類の方ですか?」
千里「いえ。私を。私たちを。捨てた人です」
千里、千鶴の遺体を見つめている。
○同・解剖室前室・中
千里と浮田、向かい合って座っている。
浮田は死体検案書を持っている。
浮田「お母さまの死因は脳挫傷。急性硬膜下血腫など交通事故の典型的なもので、死亡原因に不審な点はありません」
千里「そうですか。あの。浮田先生」
浮田「死因とは関係ありませんが、お母さまは白内障を患ってらっしゃいました」
千里「先生。そのお母さまっていうの。辞めていただいていいですか」
浮田、検案書から目を上げる。
浮田「藤倉さん。先ほどお母さま。ご遺体は。自分を捨てた人だと仰いましたね」
千里と浮田、目を見合わせる。
千里「16年前。私が12。一番下の妹がまだ1歳の時。あの人は蒸発。それ以来音信不通でした」
浮田「でも。顔を見てすぐにお分かりになりましたね」
千里と浮田、目を見合わせる。
初音の声「失礼します」
榊初音(24)、腕に包帯を巻いて、扉の外に立っている。
初音「あの。先ほどお電話した榊です」
浮田「ああ。解剖医の浮田です。藤倉さん。こちら。もう1人の被害者の方です」
千里「世田谷署の藤倉千里です」
初音「ちさと。さん?」
千里「はい。それがなにか?」
初音「あ。いえ。あの。浮田先生。ご遺体にお礼とお別れを」
浮田「そうでしたね。こちらです」
初音「はい」
浮田、解剖室に入っていく。
初音、浮田の後に続くが、入口の上枠に額をぶつける。
初音、額をさすり、入っていく。
○同・解剖室・中
初音、遺体に手を合わせている。
千里と浮田、初音の後ろに立っている。
初音「この方に助けていただいたんです」
千里「助けた? この人。この方が?」
初音「私。ケータイで話しながら歩いていて。車に気付いていなくて。この方が庇ってくださらなかったら。きっと」
千里「そうですか」
千里、初音の背中を見つめている。
○同・入口・外(夕)
千里と浮田、コートを手にした初音と向かい合って立っている。
千里「お大事にしてください。担当の刑事が改めてお話を伺いに行くと思います」
初音「わかりました」
浮田「あの。榊さん」
初音「はい」
浮田「榊さん。先ほど藤倉さんのお名前を聞いたとき。確認されましたね?」
初音「え。ああ。事故の直前。あの方が何か叫んだような気がして。それが。ちさと。だった気がしたので」
千里「え」
初音「気がしただけです。失礼します」
初音、一礼して薄いピンクのコートを羽織って髪を外に出し、歩いていく。
千里と浮田、初音の背中を見送る。
浮田「お母さまは白内障でした。車のライトでコートの色の違いは見えにくかったはずです。榊さんは身長も。髪の長さも」
千里「憶測ですよね」
千里と浮田、目を見合わせる。
浮田「解剖の意義は、確かに別れる。ということだと私は思っています」
千里「確かに。別れる」
浮田「ええ。そしてそれは。確かに出会った。という証を見つけることでもあります」
千里と浮田、目を見合わせる。
○居酒屋「てんやわんや」・店内(夜)
千里と香澄、カウンター席に並んで座っている。
香澄の隣の席が空いている。
2人の前には半分ほど空いたビールのジョッキと肉じゃがの小鉢。
千里「ま。そんなことがあったって話」
香澄「そうですか」
千里、肉じゃがを食べ、首を傾げる。
店員、千里の背後を通る。
千里「あの。すみません。この肉じゃが。なんか変えました?」
店員「え。ああ。お客さんすごいっすね。いつもそれ作ってくれてたアネさん。こないだ事故で亡くなっちゃったんですよ」
千里「へー」
千鶴の声「お母さん。いつも千里見てるから」
千里、肉じゃがの小鉢を見つめる。
香澄「店員さん。生一つ追加」
店員「生一ついただきましたぁ!」
千里「香澄。ペース早いって」
香澄「私じゃなくて」
カウンターにジョッキが置かれる。
香澄、席を一つ横にずれ、空けた間の席に新しく来たジョッキを置き、自分のジョッキと合わせる。
千里、ジョッキを見つめる。
〈おわり〉
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