【登場人物表】
三崎奈緒(18)女子ボクシング部のエース
武田咲良(16)素質のある2年生
国重和也(28)奈緒、咲良のコーチ
三崎義和(48)奈緒の父
○都立立川女子高校(以下「立女」)・外観
体育館から騒がしい声が聞こえる。
○立女・体育館
女子ボクシング部である。
「目指せ!地方大会制覇」の横断幕。
部員全員とコーチの国重和也(28)が見守る中、スパーリングをする二人。
三崎奈緒(18)と武田咲良(16)である。
部員1「咲良! いけー!」
部員2「やっちゃえ、奈緒!」
など、声が飛び交う中、国重は左右の生徒の耳元になにやら声をかけている。声をかけられた生徒は嬉しそうにしている。
奈緒の方が咲良より数段強い。
奈緒、得意の右のストレートを出す。
国重「ん! 決まったか?」
が、それをかわし咲良のパンチが奈緒をとらえる。
部員「!」
奈緒、足がぐらつく。
部員2「奈緒!」
部員1「やった! 咲良すごい!」
奈緒、ダウンをこらえ、猛然と反撃。
たまらず防戦一方の咲良。
国重、それに気づいてゴングを鳴らす。
国重「終わりだ、終わりー」
奈緒、咲良、肩で息をしている。
国重「……ということで」
奈緒、国重を見る。
国重「三崎、約束どおり、お前は武田に練習をつけてやれ」
奈緒「嫌です! コーチがとめてなければ、咲良なんかに負けてません」
国重「全国大会を目指しているお前が、ボクシングはじめたての後輩にパンチをもらったこと自体が問題だろ?」
奈緒「それは、本気でやったら咲良がかわいそうだと……」
咲良、カチンとくる。
咲良「ちょっ……」
国重「言い訳無用だ。2週間後に武田のテストをやる。不合格なら三崎の大会出場はナシだ」
奈緒「えー?! そんな」
国重「以上、みんな練習に戻れ」
部員、それぞれの練習に戻る。奈緒だけ国重に食い下がる。
奈緒「そんなのひどいです! 私、優勝するんです」
国重「だったら俺の言うことを聞くんだな」
奈緒「!」
国重「もう一度言う。練習に戻れ」
奈緒「……」
国重「武田と一緒に、だ」
奈緒、振り返ると咲良が立っている。
奈緒「っざけんな!」
奈緒、咲良の脇を通り過ぎて行ってしまう。
○奈緒の家・リビング
三崎義和(48)がくつろいでいるところに制服姿の奈緒が入ってくる。大きなバッグを投げ捨てる奈緒。
三崎「ん? ずいぶんだな」
奈緒「……」
三崎「グローブを見せてみろ」
奈緒「(かばんを見て)ここ」
三崎「ちゃんと手入れしてんのか? お母さんも言ってたろ。道具を大事にしないやつは強くなれないって」
グローブを手に取る三崎。
三崎「大会、出るんじゃないのか?」
奈緒「……うん」
奈緒が出て行くとローブの手入れを始める三崎。
○同・奈緒の部屋(翌早朝)
多少乱雑な部屋。机の上にある奈緒と奈緒の母の写真と卓上カレンダー。卓上カレンダーには大会当日の日付に赤丸がある。
奈緒、写真に向かって、
奈緒「行ってきます!」
○立女・体育館・外観(朝)
大きなバッグを持ったボクシング部員たちが挨拶を交わしながら体育館に入っていく。
奈緒、早足でやってきて体育館に入る。
○立女・体育館(朝)
奈緒、咲良の後ろから声をかける。
奈緒「おはよう咲良」
咲良「あ、おはようございます」
奈緒「ね、練習しよっか?」
咲良、奈緒をジロリとにらむ。
咲良「あの……私って、三崎先輩から何を教わればいいんですかね?」
奈緒「コーチの試験、どんなのかわかんないけど、あんたは基礎やらなきゃ」
咲良、はき捨てるように、
咲良「基礎って?」
奈緒「そうよ、基礎!」
咲良「やっぱり、バカにしてますよね?」
奈緒「だって、あんた基礎がないんだもの。基礎やるしかないじゃん」
咲良、疑り深く奈緒を見る。
咲良「ホントに私に教える気あります?」
奈緒「あるわけないでしょ。でもあんたが試験に合格しなきゃ困るの!」
咲良「はい、はい。いいです、いいです。やっぱり私、勝手に練習しますんで」
奈緒「あっそう! ならそうしな」
反対方向にプイと分かれる奈緒と咲良。
○同・体育教官室
デスクについている国重。その前に直立する奈緒。
奈緒の後ろに窓がある。
国重「どう? 練習やれてる?」
奈緒、うなずく。
国重「武田とは?」
奈緒「……いいえ」
国重「お前、スパーリングで何で武田に打たれたか、わかってないだろ?」
奈緒「……」
国重「いいか、俺とお前は、約束したよな。一緒に地方大会を制覇するって」
奈緒、口をつむぐ。
窓から、咲良がのぞいている。
国重「地方大会の制覇が、俺たち二人の夢だろ。頼むから俺をがっかりさせないでくれよ」
奈緒の肩を優しく触る国重。
上目遣いで国重を見る奈緒。
咲良、疑いの表情で覗いている。
国重「ちょっとのんびりした奴だが、武田はもっと強くなる選手だ。だから練習、よろしくな」
奈緒「……はい」
奈緒、振り返る。
咲良急いで姿を消す。
○同・校門(夕)
さまざまな部活の生徒が下校している。
奈緒、バッグを抱えて下校。
後ろから咲良がやってくる。
歩きながら話す奈緒と咲良。
咲良「三崎先輩!」
奈緒「ん? 何?」
咲良「ちょっと、聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
うなずく奈緒。
咲良「今日、コーチと何話してたか、教えてもらえますか?」
奈緒「……別に、たいした話じゃないわよ」
咲良「それって、私には言えないことなんですか?」
奈緒「そんなんじゃないって」
咲良「なんか、卑怯なことしてませんよね、先輩?」
奈緒「卑怯って何よ」
咲良「だって、コーチに色目使ってるんじゃないですか?」
奈緒「なによ、それ!」
咲良「ほーら、やっぱり」
奈緒「ばかじゃない? 私はあんたが試験に合格しなきゃ、大会に出られないのよ」
咲良「私、先輩にバカにされたままじゃ、練習なんかできません!」
奈緒「は? 私、いつあんたをバカにしたの?」
咲良「私、絶対、先輩になんか負けませんから」
立ち止まった咲良を置いて早足で去っていく奈緒。
○奈緒の家・リビング(夕)
三崎、リビングでくつろいでいる。
奈緒、入ってくるなりバッグをドサリと落とす。
奈緒「お父さん」
三崎「?」
奈緒「私、大会、出られないかも」
三崎「そうなのか?」
奈緒「私、あの子より弱くないと思うんだけどなあ。こっちから頭下げて練習に誘ってあげてるのに、なんなんだろ? もうどうしたらいいのか……」
三崎「人間関係かい? そりゃね、リングの外は殴り合いじゃ解決しないこともあるさ」
奈緒、小さくうなずく。
三崎「奈緒……ドライブ行くか?」
奈緒「え?」
○市立体育館・外観(夕)
地方大会の会場の立派な外観。
車から降りて体育館を眺めている三崎と奈緒。
奈緒「大会の会場……」
三崎「ここで、勝つんだろ?」
こぶしを見つめてうなずく奈緒。
三崎「あきらめたわけじゃないんなら、今やるべきことを、きちんとやりなさい」
奈緒、しばらくこぶしを見ている。
○立女・体育館(朝)
部員がめいめいに練習している。
咲良が一人で鏡の前でシャドーをしているところに奈緒が近づく。
奈緒「ね、咲良」
咲良「なんですか?」
奈緒「ちょっと話があるんだけど」
○同・外観(朝)
階段に座っている奈緒と咲良。
奈緒「この前言ってた、私が咲良をバカにしたって話だけど……」
咲良、奈緒をにらむ。
奈緒「私、全然そんなつもりはないの」
咲良「本気で言ってます?」
奈緒「っていうか、私、そんなこと一度も思ったことないんだけど?」
咲良「だとしたら余計にひどくないですか?だって先輩はいつでも、私たちを下に見てるじゃないですか?」
奈緒「誤解よ。確かに咲良は、その……ちょっとたよりない気はするけど、でも、ホントに強くなって欲しいとは思ってるのよ。ホントに」
咲良「なんですかそれ」
奈緒「それに、コーチが言ってたわ」
咲良「え?」
奈緒「咲良はもっと強くなるって。だから、お願い。一緒に練習して」
咲良「コーチが?」
奈緒「そうよ」
咲良「コーチが、私のことをもっと強くなれるって、先輩に言ったんですか?」
奈緒「そ、そうよ。咲良のこと、とーってもほめてたわよ、ホントに!」
咲良「……わかりました。やります。でも、けっして先輩のためじゃありませんから。私は私のためにがんばります」
奈緒「いいわよ、それで」
奈緒、立ち上がり、咲良の手を引いて 立たせる。
○立女・体育館
ばらばらに練習しているボクシング部員たち。
奈緒、咲良と向き合っている。
奈緒「そろそろ、ディフェンス、できるようになった?」
鋭いまなざしで奈緒を見て、ファイティングポーズをとる咲良。
奈緒「守る。打って。打ったら守る。ワンツー。体を振って。打つ。そう、できるじゃない!」
咲良、奈緒の指示に従って体を動かす。
奈緒「でも、ディフェンスに対する執着がなくなったら、すぐに打たれるからね」
咲良「これで合格、ですよね?」
奈緒「ん? 無理ね。ボクシングのうまさはフットワークで決まるのよ」
咲良「えー」
奈緒「強くなるんじゃなかったの? 基礎練はみんなと一緒にやるだけじゃダメ。人の三倍はやりなさい」
咲良、げんなり。
○土手(夕)
咲良が走り、その後ろで奈緒が自転車に乗って併走している。
咲良、もうすでに疲れている様子。
奈緒、メガホンで咲良をたきつける。
奈緒「スタミナ強化! 心肺能力の向上! 下半身の強さ! パンチ力アーップ!」
咲良「なんで、なんで先輩は、一緒に走らないんですか?」
奈緒「私は、今までにあんたの何倍も走ってるんだよ! 私が走ったら、あんたなんか置いてけぼりにしちゃうんだから、一緒には走りませーん。文句言わずに走れ!」
咲良「私、先輩の、そういうところ、嫌いです!」
奈緒「嫌いでけっこう! あんたにはもっと強くなってもらわなきゃいけないんです。走れー!」
咲良「くっそー」
猛然とダッシュする咲良。
ちょっと嬉しそうな奈緒。
○奈緒の家・キッチン
エプロン姿でなんだか楽しそうな奈緒。
三崎がリビングから顔を出す。
三崎「ん? ご機嫌だね」
奈緒「別にー」
○立女・体育館・外観
部員が練習している。
奈緒、咲良と向かい合っている。
奈緒「ねえ咲良。あれからフットワークは、どう?」
咲良「完璧です」
咲良、かまえる。
奈緒「ジャブ打ちながら、サイドステップ。そう。ガード忘れんな。そう」
奈緒の声に合わせて動く咲良。
奈緒「ずいぶんマシね」
奈緒「それじゃあ次は、フェイントを教えようかと思ってるんだけど……その前に、今日は練習頑張ってる咲良にご褒美、持ってきたんだ」
咲良「(嫌そう)えー。何ですか気持ち悪い」
奈緒「じゃーん。焼きそばパン。おいしいのよ、コレ」
奈緒、大事そうにバッグから包装された手作りの焼きそばパンを出す。
咲良「私、いりませんよ」
奈緒「え?」
咲良「ガチで。いらないです」
奈緒「えー。そんなこと言わずに一緒に食べようよー。昨日がんばって作ったんだからさー」
奈緒、焼きそばパンを押し付ける。
咲良「何でこんな減量食でもないものを食べなきゃいけないんですか? 焼きそばパンなんて絶対、頭おかしいですよ」
奈緒「でも、ホントにおいしいから。ね?」
咲良「わかりました、わかりました。もらえばいいんでしょ」
咲良、焼きそばパンを受け取る。
咲良「でも、食事は一人でとりますから」
焼きそばパンをぞんざいに扱いながらバッグを担いで去っていく咲良。
奈緒「ちょっと」
追いかける奈緒。
角を曲がったところで、ゴミ箱に焼きそばパンを捨てる咲良。
奈緒「あ」
○同・体育館
ざわつく体育館。部員たちが奈緒と咲良を取り巻いている。
奈緒「絶対に全部食べるまで帰さないんだから!」
奈緒が咲良の口に無理やり焼きそばパンを押し込もうとしている。
騒ぎを聞きつけて国重が奈緒と咲良の間に割って入る。
国重「おい! 何やってるんだ! これが練習か?」
奈緒「あ、コーチ!」
咲良「コーチ、助けてください」
○同・体育教官室
国重が椅子に座っていて、その前に奈緒が立っている。
奈緒「……お母さんがよく作ってくれたんです。私、小さい頃、体が弱くて、全然食べられなかったから」
国重「だからって、武田に無理やり食べさせることないだろ」
奈緒「ついカッとなって……」
国重「お前、全然わかってないな」
奈緒「え?」
国重「あれから武田の強さと弱さが何か、考えたことあるのか?」
奈緒「……」
国重「とにかく。試験まであと3日だ。ちゃんとした練習、たのむぞ!」
うなずく奈緒。
国重、声色を甘く変えて、
国重「俺は、お前のことを信じてるんだからな」
国重、優しく奈緒の頭に手を乗せる。
嬉し恥ずかしい、奈緒。
○立女・体育館
練習するボクシング部員たち。
奈緒、咲良を鏡の前に立たせている。
気まずそうな咲良、目をそらそうとするが、奈緒は咲良をしっかり見る。
奈緒「昨日の事、謝るわ」
咲良「え?」
奈緒「だからあなたも謝って」
咲良「いや、そりゃないでしょう」
奈緒「ごめんなさい」
咲良「……」
奈緒「さ、謝って」
咲良「えっと、その……ごめんなさい」
奈緒「ん。じゃ、練習しましょう。試験までもう日にちがないの」
咲良「……はい」
鏡の前でパンチを教える奈緒と、奈緒のマネをしようとする咲良。
奈緒「こうやって、こう!」
咲良「こうやって、こう」
動きを繰り返す咲良。
奈緒「オッケー。実践では工夫が必要よ。要するにバリエーション」
咲良「……はい」
奈緒「たとえば、私にパンチを当てるにはどうしたらいいか考えてみて」
咲良「先輩に……」
奈緒、うなずく。
咲良「あの、先輩?」
奈緒「何?」
咲良「その……私、減量のことと、コーチの試験のことで今、頭がいっぱいで。本当は、焼きそばパン、そんなに嫌いじゃないんです」
奈緒「そうなの? じゃ、今度は一緒に食べる?」
咲良「……ホントに、すみませんでした」
奈緒「もう、いいのよ。こっちこそ、ついカッとなっちゃって。ごめんなさい」
奈緒、きちんと謝る。
咲良、尊敬のまなざしで、
咲良「三崎先輩のそういうところ、すごいですよね。私、先輩って、短絡的で、ただただ腕力が強いだけの人だと思っていましたけど……」
奈緒「そういう咲良は、いつでものんびりしてて、あんまりボクシング向いてないじゃないかって思ってたけど……」
咲良、ムッとする。
奈緒「……でも、違ったわ」
咲良「え?」
奈緒「あんたはすごく慎重だから、ここぞというときタイミングを逃さない。まだまだ、弱いけどね」
咲良「なんか、ひどい」
奈緒「これでも、よく考えたのよ。あんたがなんで私にパンチを当てられたか」
咲良「私がうまいから、ってことで、いいじゃないですか」
奈緒「全然!」
咲良「そんなー」
奈緒「気の短い私の焦りと、気の長いあんたの狙いがピッタリ重なっただけのことよ。あんなまぐれはもうないわ」
咲良「そうなのかなー? ちょっとよくわかりませんね」
奈緒「もう私は、あんたからパンチはもらわない。これで大会で優勝できるはずなのよ」
咲良、口をつぐむ。
奈緒「だから、あんたには絶対に試験に合格してもらわなきゃ」
咲良「私だって、強くなりますよ、もっと」
奈緒「うん。頑張ろうね!」
奈緒、横断幕を見ている。
咲良「はい」
咲良も横断幕を見る。
〇同・体育館・外観(日替わり)
静寂。ボクシング部員は誰もいない。
〇同・体育館
リングの上に、奈緒、咲良、国重。
リングの外でボクシング部員がズラリと並んで、国重に注目している。
国重「今から、武田の試験をやる」
目を合わせる奈緒と咲良。
国重「今からやってもらうのは……ずばり! シャドーだ」
ざわつく体育館。
咲良、不安げに奈緒を見る。
奈緒「大丈夫。練習の通りよ」
うなずく咲良。
国重「1ラウンド2分で、フットワーク、基本的な攻撃、ディフェンススキルを見る。簡単だよな?」
咲良「はい」
国重「んで、この試験で武田が不合格になると、三崎の大会へのエントリーはナシだ。わかってるね?」
奈緒「はい」
国重「よし、始めよう」
咲良、キリッと構える。
ゴングをならす国重。
ゴングとともに俊敏に動き出す咲良。
心配そうな奈緒。
部員も固唾を飲んで見守っている。
国重、腕組みをして厳しい視線を送る。
咲良、見事なシャドーをしている。
国重「一分だ! (奈緒に小声で)ずいぶん体力がついたね?」
奈緒、強いまなざしでうなずく。
咲良、なおも切れのあるシャドー。
国重「あと十秒!」
視線をゆるめない咲良。
ゴングの音。
国重「終了!」
息が切れている咲良、ひざに手をつく。
奈緒、国重を見る。
国重「武田はパンチが強いが、それを当てるためのかけひきが下手だ」
咲良、肩で息をしながらも顔を上げて不安げな表情をする。
国重「だが、今のシャドーは、素晴らしかった! よくやった! 合格だ」
部員たち歓声をあげる。
奈緒、咲良のもとにかけより、手を取って騒ぐ。
国重「三崎! やるじゃないか。大会出場決定だよ」
奈緒、国重に向き直る。
国重「どうだ三崎。武田を教えるのは難しかっただろう?」
奈緒、咲良を見て、少し肩をすくめる。
国重「ん。武田の面倒をみるのは、気の短い三崎にはちょっと大変だったはずだよ。俺はわかってる」
奈緒、恥ずかしい。
国重「大会まで約1ヶ月。今度はお前が強くなるんだ。いいな?」
奈緒「はい」
〇奈緒の家・リビング(夜)
三崎がくつろいでいるところに奈緒が入ってくる。
三崎「ん? 今日はごきげんだな」
奈緒「そう?」
奈緒、バッグからグローブを出して自分で手入れを始める。
三崎「奈緒。ボクシングは好きか?」
奈緒「……うん」
三崎「ごめんな。お父さんが昔ボクシングやってたからって、女の子のお前に、ボクシングなんかさせてしまって」
奈緒「私、ボクシングも好きだけど、ボクシングやってる人が好きなの。お父さんがボクシングやってたから、だけじゃないよ」
奈緒、微笑んでいる。
三崎、困った顔で奈緒を見ている。
○立女・体育館
咲良、国重とリングで特訓中。奈緒はその二人をチラチラと意識しながら練習している。
国重が咲良をほめている声が聞こえる。
国重「いいぞ、武田。お前は立女のエースになれる。大会で優勝できる!」
咲良「はい!」
国重「武田、お前は強い! もっともっとやれるぞ」
咲良「はい!」
奈緒、唇をかみしめ、黙々と自分の練習に戻る。
国重、リングから降りた咲良を抱きかかえるようにいたわって、体育教官室に連れて行く。
奈緒、それをじっと見ている。
○同・体育館(日替わり)
奈緒、咲良と並んで練習している。
咲良の真剣な練習に、奈緒も満足気である。
そこにニヤニヤと国重が現れる。
国重「ちょっといいかな」
奈緒「あ、はい」
国重「いや、三崎じゃないんだ。武田、来てくれ」
咲良「え? はい!」
咲良と国重が体育教官室に入っていく。
奈緒、二人の後をつけて、窓から覗いて中を見る。
国重がやたらと咲良を触っている。
咲良、嬉しそうにしている。
奈緒、悔しい。
咲良が振り返ったタイミングで奈緒は窓から離れる。
○同・校門(夕)
さまざまな部活の生徒が下校している。
咲良、バッグを抱えて下校。
後ろから奈緒がやってくる。
歩きながら話す奈緒と咲良。
奈緒「咲良、ちょっと話があるんだけど」
咲良「はい、なんですか?」
奈緒「今日、コーチと何の話してたの?」
咲良「はい?」
奈緒「なんかあったの?」
咲良「別に、なにも」
奈緒「最近、ずいぶんコーチと練習してるじゃない? 特訓?」
咲良「いけませんか? 私も大会に出るんです。もっともっと強くなって、優勝するんです」
奈緒「優勝? なんであんたが優勝できるのよ。私も大会に出るのよ」
咲良「だから、先輩にも勝つんです!」
奈緒「ふーん。コーチにかわいがってもらって、強い強いっておだてられて、その気になってんのね」
咲良「そんなんじゃありません。ただ……」
奈緒「ただ?」
咲良「コーチと約束したんです」
奈緒「え?」
咲良「私なら絶対優勝できるって、優勝したら……」
奈緒「したら?」
咲良「その……なんでも言うこと聞くって」
奈緒「ウソ。マジ?」
咲良「素質があるのは先輩だけじゃありませんよ。私だって……」
奈緒「もういい! もういいわ」
奈緒、うなだれてしまう。
〇奈緒の家・リビング(夜)
ボクシング用のバッグを投げ捨てる奈緒。
さらにバッグからグローブを引きずり出してゴミ箱に投げ入れる。
驚いてソファから起き上がる三崎。
奈緒「やめたい」
三崎「?」
奈緒「ボクシング、もうやだ」
三崎「ん。そうか」
三崎、投げ捨てられたグローブを見ている。
○奈緒の部屋(夜)
勉強机に上体をあずけて、写真を見ている奈緒。
○同(早朝)
三崎が扉を開ける。奈緒がいない。
○立女・体育館
咲良と国重がトレーニングをしている。
○奈緒の部屋
ベッドで寝返りを打つ奈緒。
○立女・体育館・外観(夕)
ステップの練習をする咲良。
○奈緒の部屋(早朝)
奈緒がいない。
卓上カレンダーには、大会までの過ぎた日に×印が書いている。
大会まであと2週間だ。
○土手(夕)
一人で走っている咲良。
○奈緒の部屋(早朝)
三崎が写真を見ている。
○立女・体育館(夕)
鏡に向かって練習する咲良。
咲良「こうやって、こう。こうやって、こう」
○奈緒の家・リビング(夜)
ソファに座っている三崎。奈緒が制服姿で入ってくる。
三崎「奈緒」
奈緒「?」
三崎「大会まであと何日だ?」
奈緒「……知らない」
三崎「もう気が済んだだろう。何日練習をさぼった?」
奈緒「……もう、わかんない」
三崎「本当は、毎朝一人でトレーニングしてるんだろ?」
奈緒、下を向く。
三崎「お前は誰のために戦うんだ?」
奈緒「……」
三崎「勝ちたいなら、勝つことだけに専念しろ。じゃなきゃ勝てる勝負でも負けることがある」
奈緒、口をつぐむ。
三崎「誰にも、負けたくないんだろ?」
奈緒「うん……でも、グローブ捨てちゃった、私」
半べそをかいている奈緒に、そっとピカピカに手入れされたグローブを差し出す三崎。
奈緒「え?」
三崎「お母さんも言ってたろ。道具を大事にしないやつは強くなれないってね」
○立女・体育館
部員が練習している。
国重が部員の一人に触れながら、なれなれしく指導している。
○立女・体育館・外観
奈緒と咲良、階段に座っている。
咲良「体調、大丈夫なんですか?」
奈緒「うん。もう治った」
咲良「先輩が休んでる間に、もう大会直前になっちゃいましたね」
奈緒「……ね、咲良」
咲良「?」
奈緒「コーチのこと、好きでしょ」
咲良「……いや、その、別に」
奈緒「私は、好き」
咲良「!」
奈緒「お父さんもボクシングやってたんだ。お母さんはボクシング部のマネージャーで、二人が出会ったのはボクシングのおかげなの」
咲良「え? だからって……」
奈緒「うん、関係ない。でも、ボクシングやってる人のことは身近に感じるのよ。なんか、ほっとけないっていうか……」
咲良「……私は、認めてくれるから」
奈緒「え?」
咲良「私のこと、バカにしないで、ちゃんと認めてくれるから。ちゃんと見ていてくれてるから」
奈緒「うん、そっかぁ。わかる。優しいんだよね」
咲良「ほめてくれるし、叱ってくれるし、ゆるしてくれるし……」
奈緒「……好きなんだね」
咲良「私、先輩に、負けたくありません。そ、それに、コーチは私の方が強いって……」
奈緒「へー? 私には、私の方が強いって言ってるわよ?」
咲良「そうなんですか! なにそれ」
奈緒「大会で優勝したら、なんでも言うことを聞いてやるって、約束してるんだから、私とも」
咲良「えー! なんだそりゃ」
笑っている奈緒。
つられて笑い出す咲良。
咲良「なんか、許せねー」
奈緒「そうね。ホント許せねー!」
笑いあう奈緒と咲良。
咲良「でも……私、優勝したらコーチに告白します」
奈緒「うん、そうね。私もそうする」
咲良「それまでは、絶対、抜け駆けなしですからね」
奈緒「いいわよ。勝負は大会で」
咲良「負けません!」
こぶしを差し出す咲良。
奈緒「こっちこそ!」
奈緒、そこにこぶしを合わせる。
○市立体育館・外観
騒がしい雰囲気。全日本ボクシング選手権大会の看板がある。
○同・選手控え室
奈緒、咲良、試合の準備をしている。
国重が部員を集める。
国重「いよいよ、本番だ。三崎と奈緒は別々のブロックだね。二人とも勝ち上がってくれていいんだぜ」
咲良「はい」
奈緒「はい」
部員を見回す国重。
国重「よし、みんな。準備だ!」
部員たちがめいめいに準備運動をはじめる。
国重、咲良を手招きする。
国重「ここまでよくがんばったな。お前ならきっと勝ちあがれる。俺は武田を応援してるからな」
咲良「えーと……じゃあ、コーチも約束、守ってくださいね」
国重「?」
咲良「うふふ」
咲良、国重から離れる。
国重、柔軟体操をしている奈緒を手招く。
国重「三崎。俺はお前を信じてるぞ。絶対勝ち上がってくれよ」
奈緒、ニコリとして、
奈緒「いいんですか? コーチ。二人とも勝ちあがっちゃったら大変ですよ」
国重「?」
奈緒「なんでもありません」
奈緒、国重から離れる。
国重、首をかしげている。
試合開始のアナウンスが聞こえる。
○市立体育館・リング
試合が始まろうとしている。
奈緒の相手と奈緒がリングインしている。
国重、強い視線で応援している。
咲良、少し離れたところで不安そうに見ている。
ゴングが鳴る。
奈緒の強さが相手より数段上回っている。
いくつかのやり取りの後、圧倒的な強さで奈緒が勝利する。
出番を待っていた咲良、奈緒の勝利に力を得て微笑む。
会場の片隅で三崎が嬉しそうに見守っている。
続いて次の試合が始まる。
咲良とその相手がリングイン。
国重、真剣な表情で応援している。
短い攻防の末に咲良が勝つ。
奈緒、咲良に駆け寄って喜ぶ。
国重、嬉しそう。
○同・選手控え室
国重が、部員にベタベタと触りながら励ましている。
部員はみな嬉しそう。
奈緒、少し離れたところでそれを見ている。
咲良も同様に国重に視線をぶつけている。
アナウスンスの声で、試合に向かう奈緒と咲良。
○同・リング
圧倒的な強さで勝ち進んでいく奈緒。
咲良、負けず劣らずの強さで勝ち進む。
リングサイドで奈緒と咲良にいちいち触れながら声をかける国重が満面の笑顔。
奈緒も咲良も、国重の応援とボディタッチに少し食傷気味。
○同・選手控え室
国重を中心にボクシング部員が並んでいる。
国重「いよいよ、だな」
うなずきあう奈緒と咲良。
国重「三崎。正直言って、今の武田はかなり強い」
うなずく奈緒。
国重「武田。いい試合をしようなんて思うなよ。がむしゃらにいけ」
咲良「もちろんです」
国重、ほほえんで、
国重「中途半端だった2人を組ませた俺のコーチとしての采配は、はっきり言って最高だった」
奈緒「?」
咲良「?」
顔を見合わせる奈緒と咲良。
国重「これでどっちが勝っても優勝は立女のものだ。俺の作戦勝ちだな!」
思わず笑いがこみ上げる国重。
国重「お前たちのおかげで、俺の評価も上がる。ありがとう、三崎、武田」
奈緒、ニコニコと握手を求めてくる国重の手をとり、
奈緒「私は、咲良に勝ってコーチとの約束を果たします」
国重のもう一方の手を咲良が取る。
咲良「私も、三崎先輩になんか負けません。見ててくださいね、コーチ」
国重「うん、うん。どっちが勝ってもいいぞ。そしてそれが俺の勝利だ」
奈緒、咲良と顔を合わせる。
奈緒も咲良も真剣な表情だ。
決勝戦の場内アナウンスが聞こえる。
○同・リング
リング上、見つめ合う奈緒と咲良。
奈緒の気迫に満ちたファイティングポーズ。
咲良も真剣な目つき。
ゴングの音。
奈緒、トリッキーなステップで間合いを取る。
咲良、追いかけて間合いをつめようとする。
小気味の良い音を立てる奈緒と咲良のシューズ。
奈緒のワンツー。
咲良、完璧なブロック。
奈緒M「やるじゃない。咲良」
咲良M「ディフェンスに対する執着がなくなったら、すぐに打たれる、ですよね?」
咲良、ストレートのモーション。
奈緒M「おっと」
奈緒、華麗なステップで距離をとる。
奈緒M「危ない、危ない。咲良のパンチは一発でももらわないほうがいいわね」
パンチの応酬。しかし双方当たらない。
部員1「咲良ファイト!」
部員2「いけー! 奈緒!」
などの声援が飛び交う。
奈緒、ジャブを当てに行くが、咲良がサイドステップで華麗にかわす。
咲良M「ボクシングのうまさはフットワークで決まる!」
奈緒、口元に笑みがこぼれる。
奈緒M「わかってるじゃない。なら、これは?」
奈緒、フェイント織り交ぜてパンチ。
咲良、華麗なスウェーでかわす。
奈緒M「な!」
咲良M「うまくなったでしょう?」
奈緒、目が真剣になる。
咲良M「今度は、こっちから行きますよ!」
咲良、フェイントを織り交ぜたパンチ。
咲良M「こうやって、こう!」
奈緒、ぎりぎりでブロックする。
奈緒M「何コレ? すごい! ブロックで精一杯だわ」
咲良M「ふふ。まだまだ、これから!」
咲良、奈緒を攻める。
奈緒、なんとかしのぐ。
決定打が出ないまま徐々に疲弊してくる咲良。
国重「どっちでもいいから、そろそろ決めちゃえ!」
国重の声が耳に入った奈緒、一瞬動揺する。しかし、戦っているうちにだんだん笑顔になってくる。
咲良M「何? 笑ってるんですか?」
奈緒M「楽しいわね。なんだか、ようやく、すべて吹っ切れたわ」
咲良M「私は、先輩に勝ちます!」
必死の形相の咲良。
奈緒、徐々に咲良をコーナーに追い詰めていく。鋭い眼光。得意のストレートを出すモーション。
国重「ん! 決まったか?」
奈緒の決めのストレートが咲良に直撃。
咲良、立ち上がれない。
鳴り響くゴング。
大騒ぎの体育館。
ガッツポーズを決める奈緒。
遺影を持つ三崎もガッツポーズ。
国重「大丈夫か? 武田!」
国重、リングサイドでさけぶ。
奈緒、咲良の手を取って上体を起こす。
咲良「……先輩、やっぱすごいです」
奈緒、微笑んで、
奈緒「咲良、ありがとう」
リング上で見つめあう奈緒と咲良。
○同・選手控え室
部員らが奈緒と咲良を囲んでいる。
国重、二人と肩を組んで、
国重「よくやったぞ! 二人とも」
奈緒「はい」
咲良「はい」
部員たちが祝福している中、奈緒と咲良がささやきあう。
咲良「で、どうするんですか? 約束」
奈緒「うん。約束だもんね」
咲良「私、やっぱり負けてよかったなー。告白しないですんだ」
奈緒「うん、うん。そうなんだよねー。でさあ、私思うんだけど……」
奈緒、悪い顔で、咲良に何かをささやいている。
咲良「……そうですね……」
咲良も悪い表情を作って、奈緒にうなずいている。
祝福ムードが落ち着き、国重が解散を宣言。
部員は三々五々家路に着く。
部屋には国重と奈緒と咲良がいるだけになる。
奈緒、あたりを見回して、
奈緒「コーチ!」
奈緒、咲良と二人で国重につめよる。
国重「ん? なんだ。もう帰っていいぞ」
奈緒「いやだ、コーチ。約束忘れたんですか? 約束ですよ、約束」
咲良「約束、しましたよね? 私たちに!」
国重「ん? ああ。そうか。お前たち、なんか、俺にして欲しいことでもあるのか? なんだ? なんでも言ってみろー」
咲良「なんでもいいんですよね。ねえー」
奈緒「ねえー」
咲良、奈緒と声を合わせる。
ぎゅっとこぶしを握り締める奈緒。
奈緒と咲良、国重につめよりながらファイティングポーズをとっている。
国重「え? え?」
ニヤリと笑う奈緒と咲良。
奈緒「じゃあ、私たちのストレート、受け取ってください!」
声を合わせる奈緒と咲良。
奈緒「せーの!」
咲良「せーの!」
国重の驚愕の表情。
国重「えー! うわー!」
突き出される奈緒と咲良のこぶし。
(了)
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