現代文研究『江夏の21球』を読んで 学園

百合岡沙樹は才能あふれる女子高校野球の投手だったが、傲慢なふるまいゆえに退部してしまう。夏休みの現代文の課題として「江夏の21球」の研究をクラスメートの香苗、新平とすることになる沙樹。その中で折り合いの悪い祖父、卓造の過去を知ることとなる。
平瀬たかのり 40 0 0 07/19
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第一稿

百合岡沙樹―女子野球部員
百合岡卓三―沙樹の祖父

奈良香苗―沙樹の同級生
野川新平―右同

百合岡充―沙樹の父
     智美―沙樹の母
     康介―沙樹の弟 ...続きを読む
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百合岡沙樹―女子野球部員
百合岡卓三―沙樹の祖父

奈良香苗―沙樹の同級生
野川新平―右同

百合岡充―沙樹の父
     智美―沙樹の母
     康介―沙樹の弟

藤川由紀―女子野球部監督
岡田勝彦―女子野球部部長(現代文教師)
瀬田朋香―女子野球部員(ピッチャー)
小森真美―右同(キャッチャー)
霜月奈美絵―他校生徒

バッティングセンター主人
図書館司書

江夏豊

その他


○百合岡家・玄関(夜)
〈テロップ〉七年前
   三和土に並んでいる百合岡充(33)
   智美(33)沙樹(10)康介(7)の
   四人。
   上り框に立っている沙樹の祖父、百
   合岡卓造(60)。
充「はい、みんなきちんと整列」
卓造「……荷物もみんな運んだんやろが。は
 よ入ってこい」
充「いやいや、こういうことはきちんとせん
 とな。けじめやからな。はい、今日から一
 緒に暮らすことになるんや。そしたら康介、
 ちゃんとおじいちゃんにあいさつしなさい」
康介「こんにちは。今日からよろしくお願い
 します」
卓造「……うん」
智美「ほら、沙樹も」
沙樹「……お願いします」
卓造「おまえは儂が抱くたび大泣きしよった」
沙樹「……」
卓造「死んだアレが抱いてるとき笑てても、
 儂が抱いたら火ぃついたみたいに泣きよっ
 た」
沙樹「……会うたびに言うてるやんそれ。お
 ばあちゃんのお葬式のときにも聞いたし」
智美「これ、沙樹」
卓造「ふん。野球やってるんやて、おまえ」
沙樹「――そうやけど。何で知ってるん」
卓造「充から聞いた」
   沙樹、不服そうに充を見る。
智美「何でか知らんけど五年生になったら急
 にリトルリーグに入りたいなんか言いだし
 て」
充「血は争えん――いうやつとはちょっと違
 うか。沙樹、おじいちゃんもな、昔野球や
 ってたんやで」
沙樹「え」
充「社会人野球いうやつや。近いうち教えて
 もらえ」
沙樹「――」
   沙樹、靴箱にたてかけてある木製バッ
   トに気づきそれを見つめる。
卓造「女の子に教えるような野球は儂は知ら
 ん」
   怒りのこもった目で卓造を見る沙樹。
沙樹「前の試合もその前の試合も完封や。男
 なんかに負けてへんわ」
卓造「ピッチャーか、おまえ」
沙樹「悪いんか」
智美「これ、沙樹。この子はほんまに。すみ
 ませんおじいちゃん」
   卓造、ぷいっと背を向けてしまい廊下
   を進んで行く。
智美「あ、おじいちゃん、わたし挨拶まだ…
 …」
卓造「もうええ。ふん、アレが逝ってしもう
 たかて、一人で生きていける。何も一緒に
 暮らすことなんかあらへんのや」
充「まだあんなこと言うてるわ、強がってか
 らに。〈サッポロ一番〉もよう作らへんく
 せに。ほら、入れ入れ。今日からここがお
 まえらの家や。お父ちゃんが育った家で、
 おまえらも大きいなるんや」
智美「家賃も払わんでええようなるし。おば
 あちゃんほんまにええ人やったから、最初
 からここに住んでたらよかったなあ」
   靴を脱ぎ家の中に入る充、智美、康介。
   沙樹は三和土に立ったままでいる。
   充、振り返って。
充「沙樹、何してんのや。はよ入らんかい」
   不機嫌な顔で立ったままの沙樹。
 
○メインタイトル
   <現代文研究『江夏の21球』を読んで>

○グラウンド
   中学生になっている沙樹(シニアリーグ
   のチームに所属)がマウンドに立ってい
   る。大きくふりかぶり左腕を振るダイナ
   ミックなフォームからストレートが放た
   れ、バッターはあえなく三振。
沙樹「しゃっ!」
   ガッツポーズの沙樹。
   試合を観ていた同級生の奈良香苗が拍手
   する。

○帰路
   バットケースを抱えて帰る沙樹の後ろか
   ら香苗が追いついてくる。
香苗「百合岡さん」
沙樹「奈良さん、どないしたん」
香苗「試合観てたんよ。めっちゃかっこええ
 な百合岡さん」
沙樹「チームに入りたいん?」
香苗「うぅぅん。知ってるやろ、わたしめっ
 ちゃ運動神経鈍いし。けどな、野球見るの
 は好きなんよ。ソフトバンクのファンやね
 ん――なぁ、(香苗、沙樹の前に回り込み)
 わたしいっつも
 顔ちょっとだけ横向いてるやろ」
沙樹「え」
香苗「ほら」
   香苗、正面を向く。左目の瞳が小刻み
   に揺れるのをじっと見つめる沙樹。香
   苗、また元の位置に顔を戻して。
香苗「この顔の角度が静止位置やねん。眼球
 震とうっていうんよ。おじいちゃんからの
 遺伝。こんなんやから球技とかめっちゃ苦
 手や。体育の授業のバレーとかバスケとか
 超ブルーになるわ」
沙樹「障害、なん? それ」
香苗「でもないんやけどなあ。視力悪いこと
 ないし。でも車の免許とか取るのはちょっ
 と難しいかもしれんって、同じのもってる
 おばさんが言うてた」
沙樹「……」
香苗「そやから百合岡さんはわたしのヒーロー。
 男相手に三振取りまくって、ほんまにカッ
 コエエ」
沙樹「ヒーローはおかしない?」
香苗「あ、そっか。ヒロインか――でもヒロ
 インっていうより、やっぱり、ヒーローの
 方がしっくりくるわ、百合岡さんは。なあ、
 三振取ったときって、どんな気持ち?」
沙樹「――めっちゃ気持ちエエ」
香苗「やろなあ」
   並んで歩いて行く二人。

○百合岡家・居間(朝)
   円卓の前で朝食を食べている卓造。パジ
   ャマ姿の充が朝刊を持ってやってくる。
充「おとん、おとん」
卓造「何や」
充「ほら、ほらこれ、これ見たって」
   充、座ると朝刊の地方面を開く。沙樹
   の記事が写真つきで大きく出ている。
   見つめる卓造。
充「取材受けたとは聞いてたけど、こんな大
 き ぃに出るとはなぁ――天才女子投手、
 男子を キリキリ舞い、やてぇ」
卓造「――ふん、よっぽど記事にすることが
 なかったんやな」
充「何やぁ、ひどいなぁ。ちゃんと読んだっ
 てやぁ」
   食事を続ける卓造。
充「『高校生になったら変化球にも磨きをか
 けたい。でも自分の生命線はあくまでスト
 レート。直球で三振を取れる本格派のピッ
 チャーになりたい』やてぇ。あははぁ、しっ
 かり答えてるがな、沙樹。なぁ、おとん」
卓造「高校生になっても続けさんすんか、野
 球」
充「うん、あいつもやりたい言うてるし」
卓造「高校になったら女の子が入れるチーム
 なんかないやろ」
充「知らんのか、オトン。今は女子の高校野
 球もあんねんで」
卓造「女子の高校野球」
充「そや、数は少ないけどな。この前自分で
 学校のパンフレット貰てきとったわ。家か
 ら電車で通えるし、反対する理由はないや
 ろ」
卓造「私学か」
充「そや」
卓造「たいへんやぞ」
充「頑張らなしゃあない。娘のためや」
卓造「――ふん」
   智美がやってくる。
卓造「あんたはエエんか」
智美「え、何がです?」
卓造「沙樹が野球続けることや」
智美「もろ手を挙げて賛成いうわけでもない
 んですけど、まああの子が続けたいいうて
 ることですから」
卓造「そうか。まあおまえら親子のことや、
 儂には関係ない」
充「またそないなこと言うてから。自分も野
 球やってたんやから、一回沙樹に打ち方と
 か教えたったらどないやねん」
卓造「何回も言わすな。女の子に教える野球
 なんか儂は知らん」
   ぶすっとした顔で食事を続ける卓造。
   苦笑いの充と智美。
     ×      ×      ×
   ひとりになった卓造が沙樹の記事を
   読んでいる。

○バッティングセンター・外景

○前同・中
   ケージの中に入っている卓造。鋭い
   当たりを連発する。バッティングセ
   ンター主人が後ろに立つ。
主人「今日も絶好調」
   返答しない卓造。主人特に気にもせ
   ず。
主人「新聞見ましたでぇ。蛙の孫は蛙です
 なぁ」
   卓造、やはり無言。主人気にしない。
卓造「水島新司の漫画でありましたな。『野
 球狂の詩』いうて女の子がプロ野球でピッ
 チャーやるやつが」
卓造「あれは漫画の世界や。女の子には女の
 子の野球があるんや」
主人「へ?」
卓造「女子にも高校野球があるっちゅうとん
 のや」
主人「へ~え、女子にも。ソフトボールやの
 うて」
卓造「当たり前や。バッティングセンター経
 営しとるくせに、スナックにばっかり力入
 れとるからそんなんも知らんのじゃ。しっ
 かりせぇ」
主人「いやぁ、いずれスナック経営だけにし
 ようかとも思てましてなあ。あ、今度四店
 舗目出しますねん。店名はね『ラッキーゾ
 ーン』。どう、この野球愛!」
卓造「――ここ閉めてみぃ。スナックぶち壊
 しに行ったるから覚えとけ」
主人「おお怖ぁ」
   卓造、バット一閃。鋭い当たりが〈ホ
   ームラン〉と書かれたパネルに直撃す
   る。

○私立××高校・グラウンド(放課後)
   高校生になっている沙樹。女子野球部
   員として練習に励んでいる。
     ×      ×     ×
   ピッチング練習をしている沙樹。隣で
   投げている同級生の瀬田朋香。二人、
   競いあうように投げるが、沙樹の方が
   球は明らかに速い。
   朋香、キャッチャーに向かって握りを
   見せてから大きく曲がるカーブを投げ
   る。その後もスライダー、カットボー
   ルと多彩な変化球を見せつけるように
   投げていく。いらつく沙樹、ひたすら
   ストレートを投げ続ける。
   二人の投球練習を見ていた監督の藤川
   由紀(31)のところへ部長の岡田勝彦
  (51)がやってくる。
由紀「瀬田、変化球はそのへんで」
   由紀を見てうなずく朋香。またストレ
   ートを投げだす。
勝彦「タイプの違うええピッチャーが二人入
 りましたね」
由紀「はい、本当に。正直投手は駒不足でし
 たから。二人ともベンチ入りさせるつもり
 でいます」
勝彦「剛の百合岡、柔の瀬田、といったとこ
 ろですね」
由紀「そうですね。瀬田は変化球の投げすぎ
 をセーブさせないと。故障が一番怖いです
 から」
勝彦「ですね。まあでも瀬田は大丈夫ですよ。
 柔軟に人の意見を吸収できる力がある」
由紀「二人とも先生のクラスでしたね」
勝彦「ええ。瀬田はもうクラスのまとめ役み
 たいになってくれてます。問題は――」
由紀「百合岡でしょうね」
勝彦「ふふ。何も練習であんなに力いっぱい
 投げんでも」
由紀「ほんまに――百合岡、もう少し抑えて
 投げなさい!」
   投球動作の途中で動きを止める沙樹。
   あからさまに嫌な顔を浮かべる。し
   ばらくプレート周囲をぐるぐる回り、
   再び振りかぶってさっきと変らない
   速球を投げ込む。
勝彦「なんちゅうやっちゃ」
由紀「エゴイストっていうのもいいピッチャ
 ーの条件のひとつではあるんですけど」
勝彦「一回大やけどでも負わんと、野球が団
 体競技やっちゅうことを気づかんかもなあ、
 あいつは」
由紀「――」
   投球練習を続ける沙樹と朋香。

○夏の女子高校野球選手権大会
   熱戦の様子が映し出される。
     ×    ×    ×
   沙樹の高校の試合。ベンチ入りしてい
   る沙樹と朋香が少し離れて座っている。
     ×     ×    ×
   七回裏、ノーアウト二、三塁でリリー
   フ登板する沙樹。三者三振に打ち取る。
沙樹「っしゃっ!」
   ガッツポーズ。
     ×     ×     ×
   次戦。
   同じく七回裏ノーアウトフルベース。
   マウンドにいるのは朋香。ベンチの沙
   樹、腕組みして立っている由紀の前ま
   で行き。
沙樹「監督」
由紀「何」
沙樹「行かせてください」
由紀「何言うてんの、あんたは」
沙樹「瀬田さんじゃ無理です。抑えられませ
 ん。前の試合は行かせてくれたやないです
 か。わたしに投げさせてください」
由紀「座ってなさい」
沙樹「でも。瀬田さんワンアウトも取れてな
 いじゃないですか」
由紀「黙りなさい」
   沙樹を睨みつける由紀。渋々座る沙樹。
   セットポジションからストレートを投
   げる朋香。バッター、フルスイング。
   ボールは高く舞い上がりスタンドイン。
   サヨナラホームラン。マウンドに崩れ
   落ちる朋香。微動だにしない由紀を睨
   みつける沙樹。

○球場外・敷地
   円くなって座っている部員達。中心に
   立っている由紀。しゃくりあげるよう
   にして泣きくれる朋香を先輩部員たち
   がなぐさめている。仏頂面の沙樹。
沙樹「監督」
由紀「何」
沙樹「何で瀬田さんに替えてわたしを投げさ
 せてくれへんかったんですか」
由紀「傲慢もたいがいにしなさい」
沙樹「そんなこと訊いてません。なんであそ
 こでわたしを――」
由紀「黙りなさいっ!」
沙樹「――」
由紀「みんな、正直に言うわ。最後の場面、
 確かに百合岡を抑えに出せば逃げ切れた
 かもしれない。でもわたしはそうしなか 
 った。それは瀬田にもうワンランク上の
 投手になってほしかったから。だから一
 年生の今、この選手権の舞台で修羅場を
 経験させておきたかったの。結果負けた。
 でもわたしは悔いてはいない。――三年 
 生、わたしの判断によってあなたたちの
 夏を終わらせてしまったわ。そのことに
 不満を持っている者はいる? いたら正
 直に手を挙げてちょうだい」
   三年生の全てが首を横に振る。朋香
   の嗚咽がいっそう大きくなる。
由紀「これが答えよ百合岡――さあみんな、
   胸張って帰りましょう」
   立ち上がりバスへと歩き始める部員
   達。
   沙樹も立ち上がるが、舌打ちして。
沙樹「一生青春ドラマやっとけ」
   のろのろと歩いていく沙樹。

○××高校グラウンド
   隊列を組み声を上げながらランニン
   グで周回している女子野球部員たち
   ――に、少し遅れて沙樹、ぽつんと
   一人走っている。
   グラウンドの外から沙樹を見て香苗
   が佇んでいる。

○百合岡家・庭(夜)
   タオルを手にシャドーピッチングを
   繰り返す沙樹。卓造がやってきて。
卓造「効果は半分やな」
沙樹「は?」
   動きを止める沙樹。
卓造「鏡に向かってするのとやったらな」
   卓造、家の中に入っていく。
沙樹「ほっとけや」
   またシャドーピッチングを再開する
   沙樹。

○リサイクルショップ・外景

○前同・中
   鏡台売場の前に立っている卓造。鏡
   に映る自分の姿をじっと見つめて。

○百合岡家・庭
   大きな鏡台が庭に置いてある。その
   前に茫然と立っている沙樹。智美が
   やってきて。
智美「びっくりした?」
沙樹「何これ」
智美「何これって、鏡台。おじいちゃんが買
 うてきた。びっくりしたわぁ、ぷいっと出
 て行った思たら軽トラにこれ積んで帰って
 くんねんもん」
沙樹「――」
智美「けど何も言わんとここに置いてそれで
 おしまい。あんたの投げる練習用にやろ、
 これ」
沙樹「知らんし、そんなん」
智美「何も言わんけど、やっぱり気になって
 んねやなあおじいちゃん、あんたのことが。
 あとでちゃんとお礼言うときや」
沙樹「そやから知らんし、そんなん」
   家の中に入っていく沙樹。
智美「もうほんまに。けどよう似てるわ、あ
 の二人――やっ。ストライーク」
   鏡台に向って投げ真似をする智美。
     ×     ×     ×
   夜、鏡台を前にシャドーピッチングを
   繰り返す沙樹。
               
○グラウンド(夕暮れ)
部員達「ありがとうございましたっ!」  
   由紀の周囲に集まっていた部員たちが
   散って行く。由紀も去る。一人立ちつ
   くしたままの沙樹(17)。手にした
   〈11〉の背番号をじっと見つめている。
   それをくしゃくしゃに丸める。

○春の女子高校野球選抜大会
   マウンドに立っている背番号1の朋香。
   ピンチを迎えるが何とか切り抜け、勝
   利を掴む。
   ナインが朋香のもとに駆け寄り、笑顔
   で讃える。由紀も満面の笑みで朋香を
   迎える。
   ぶすっとしてベンチに座ったままの沙
   樹。
     ×     ×     ×
   次戦。
   一対〇でリードしている最終回、ワン
   アウト一塁の場面で沙樹がマウンドへ
   向かう。
   マウンドに集まっている内野陣。
   朋香、ボールを沙樹に渡して。
朋香「お願い」
沙樹「あんたの尻拭いは今日が最後や」
朋香「え」
沙樹「大会終わったら、1番と先発、もらう
 から」
   空気が凍りつく。
   ベンチに帰って行く朋香、守備位置に
   散る内野陣。
   セットポジションをとる沙樹。同級生
   キャッチャー小森真美の出すサインに
   首を振り続ける。
   業を煮やしタイムをかけマウンドまで
   来る真美。
真美「あんた、何考えてんのよ」
沙樹「変化球なんか要らん。全部ストレート
 や」
真美「あんたなぁ」
沙樹「気ぃ散る。早ぉ戻ってぇや。黙ってミ
 ット構えて座っといたらエエんや、あんた
 は」
真美「――」
   ポジションに戻る真美。
沙樹、最初のバッターを三振に打ち取る。後
 一人で勝利。
打者、セカンドゴロ。マウンドを降りかける
 沙樹。だが二塁手がエラー。舌うちする沙
 樹。
   ツーアウト一、二塁。
   沙樹、渾身の速球を投げる。これを真
   美がパスボール。ランナーそれぞれ進
   塁。信じられない表情の沙樹。
   ツーアウト二、三塁。
   打者、センターフライを打ち上げる。
   中堅手前進。が、目測を誤りボールは
   後方へ転々。
   その間に二者生還。逆転サヨナラ負け。
   マウンドで茫然と突っ立ったままの沙樹。
     ×     ×     ×
   整列を終え、ベンチ前に帰ってきた部員
   達。
   グローブを思い切り地面に叩きつける沙
   樹。
沙樹「やってられへんわっ!」
   沙樹、中堅手の肩をドンと突く。
沙樹「何してくれてんねんよ! (二塁手の肩 
 も突く)あんたも! それからあんたもや
 っ!(真美の肩も突く)何、あのパスボール!  
 信じられへんわっ! あんなストレートも捕
 れへんのやったらキャッチャーなんかやめて
 まえっ! あんなゴロやフライエラーするん
 やったら、野球なんかやめてまえっ!」
   由紀、歩み寄り沙樹の頬を思い切り叩く。
由紀「辞めるのはあなたの方よ。謝りなさい百 
 合岡」
沙樹「なんでわたしが謝らなアカンねん!」
由紀「百合岡、あなたにはマウンドに昇
 る資格も野球をやる資格もない。もう一度だ
 け言うわ。部に残りたいのなら今の行為をみ
 んなに謝りなさい」
   憎悪のこもった目で由紀をにらみつけた
 ままでいる沙樹。
沙樹「こっちから辞めさせてもらいますわ、こ 
 んな部」
   帽子を地面に叩きつけ、その場を離れる
   沙樹。
由紀「――体罰受けたと言いたいならどこへで
 も言いにいくがいいわ」
沙樹「言うかぁ! 馬鹿にすんなっ!――いつ
 までもなぁなぁで仲良し野球やっといたらえ
 えやん」
   沙樹、ひとりグラウンドを去っていく。
勝彦「こら、百合岡! 待て! おい百合岡!」
   沙樹の後を追いかける勝彦。
   ひややかな目で沙樹の後ろ姿を見ている
   部員達。
               (F・O)

○百合岡家・沙樹の部屋(数か月後)
   時計は十時半を回っている。だらしなく
   眠っている沙樹。

○同・階段
   寝ぼけ眼で降りてくる沙樹。

○同・居間
   座卓の前に胡坐をかいて座る沙樹。大あ
   くび、テレビのスイッチを入れボーっと
   見る。「ふんっ、ふんっ」という卓造の
   声が庭の方から聞こえる。
   ごろっと身を横たえガラス戸を開ける沙
   樹。

○同・庭
   庭でバットの素振りを繰り返す卓造。
  (67)力強いスイングで素振りを繰り返
  している。
卓造「ふんっ!……ふんっ!……ふんっ!」

○同・居間
   卓造を見ている沙樹。その視線に気づ
   く卓造。素振りをやめ沙樹を見る。見
   つめあう二人。
卓造「起きたんか」
沙樹「……」
卓造「康介のサッカーの試合にお母さんもつ
 いて行ってる」
沙樹「……」
卓造「昼飯は用意してあるからレンジ入れて
 食べえ、とよ」
沙樹「……」
卓造「日曜いうたかてもうちょっと早ぅ起きぃ」
沙樹「……」
   無言でゆっくりガラス戸を閉める沙樹。
   ごろんと横になる。
   また卓造の「ふんっ! ふんっ!」とい
   う声がしはじめる。
   バットが風を切る音、卓造の声は続いて
   いる。
沙樹「死ね……」

○電車の中(翌日・朝)
   通学中の沙樹。死んだようなその目。

○通学路
   歩いている沙樹。後ろからやってくる香
   苗。
香苗「おはよう百合岡さん」
   沙樹、無言。並んで歩き始める二人。
香苗「ふふ。今日もエエ感じでローテンショ
 ンやね」
沙樹「ウザいわ、あんた……」
香苗「冷たいやん、二人だけの同中出身やの
 に」
沙樹「知るか」
香苗「なぁ百合岡さん、ほんまに野球部戻ら
 へんの」
沙樹「ほっときぃや、何回訊くねん……あん
 なチームで投げられるか」
香苗「けど百合岡さん、野球やりたくてこの
 学校入ったんやろ」
沙樹「……」
香苗「もったいないと思うけどなあ。わたし
 のヒーローやってんけどなぁ」
沙樹「……あんた、ほんまにウザいわ」
香苗「ふふっ」
   校門を過ぎる二人。

○二年七組教室
   国語の授業も終わりに近づいている。
   教壇に立っているのは女子野球部部
   長の勝彦。
勝彦「えー、これをもって一学期の現代文の
 授業を終わりとします。ということで、こ
 れより夏休みの課題を発表や」
「え~」「いやや~」「なしにして~」など
 の声が飛び交う教室。「どうせ感想文やろ」
 の声があがる。
勝彦「ああ、アレな、俺嫌いやねん。あんなこ
 とさせたかて本読み嫌いな人間作るだけやっ
 て思ってる。逆上がり出来ん人間に大車輪の
 練習させるみたいなもんや。それにどうせお
 まえら実際に読みもせんとアマゾンのレビュ
 ーだけ読んで、それ適当にとっかえひっかえ
 して書くだけやろ。そやろが」
   どっと湧く教室。「先生よう分かってる
   やん」の声。
勝彦「ほんまに今のガキは……そこでや、み
 んなには文学研究をしてもらう」
   教卓の上に正方形の箱をドンと置き、横
   に置いていた鞄の中から文庫本、単行本
   を取り出して積み上げていく勝彦。唖然
   としてその様を見ている生徒たち。ニヤ
   ッと笑う勝彦。
     ×     ×     ×
   教卓の前まで行き、箱の中に手を入れ、
   中の紙を取り出す生徒たち。その紙を勝
   彦に見せ、彼から本を受け取っていく。
勝彦「ええか、今みんながくじ引いて受け取
 ってる本に収められた作品は、みんな掌編
 や短編っていわれるものや。すぐに読める。
 本読む習慣のない人間でも最後まで読める。
 俺が自信持って選んだ作品ばっかりや。こ
 の夏みんなにしてもらいたいのは感想文書
 くことやない。何でもええ、その本、作品  
 について調べてみい。作者についてでもええ。
 その作品が生まれた背景、理由、その作品に
 ついて誰がどんなこと言ってるのか、そうい
 うことを調べてきてほしいんや」
生徒A「あの」
勝彦「なんや」
生徒A「ネットで調べてかまへんのですよね」
勝彦「ハァ、これやから今のガキは……まあ
 こういう高度情報化社会や。アカン言うた
 かておまえらそうやって調べるやろ。認め
 る。パソコンもスマホも使って調べたらえ
 え。けどな、一回は必ず図書館に行って調
 べてこい。紙の、本の手触り、肌触りいう
 もんを知ってこい。ええか。そうやって調
 べたもんはな、ネットで手軽に調べたもの
 と頭への入り方が違うんや。それを知って
 ほしいんや、俺は」
   沙樹も教卓の前まで行く。箱の中に手
   を入れ、紙を見もせず勝彦に差し出す。
   二つ折りの紙を広げる勝彦。
勝彦「『江夏の21球』――そうか。百合岡に
 当たったか」
   勝彦、残っている本の中から角川文庫
   版の『スローカーブをもう一球』を沙
   樹に差し出す。受け取る沙樹。
勝彦「この中に収められてる。知ってるか、江 
 夏豊?」
   首を横に振る沙樹。
勝彦「プロ野球史上に残るリリーフエース、い
 や最高のピッチャーや」
沙樹「……」
勝彦「これも何かの縁や。真剣に調べてみぃ、
 江夏を」
   うなずくこともなくぶすっとした顔で席
   に戻っていく沙樹。
     ×    ×    ×
   最後の一人、野川新平が教卓の前に立つ。
   が、本は既にもうない。
勝彦「あら」
   箱の中を覗きこむ勝彦。新平も。
勝彦「紙はあるなぁ」
新平「はい」
勝彦「野川、ひいてみ」
新平「はい」
   箱の中に手を入れ残った一枚の紙を取り
   出す新平。開く。
勝彦「何て書いてある」
新平「『江夏の21球』です」
勝彦「あちゃー、勘違いしてたなあ。クジがダ
 ブって本がなしか……」
新平「あの~、先生ぼくは」
勝彦「よっしゃ、これまた何かの縁や。百合岡、
 野川、おまえら『江夏の21球』共同研究せぇ!」
沙樹「はぁっ!?」
   嬌声、はやし立てる声で沸き上がる教室。
   教卓の前で戸惑っている新平。
     ×     ×     ×
   休み時間。沙樹の机の前に立っている香苗。
香苗「図書館行って調べろなんて相変わらずの
 アナログ人間やね、岡ちゃんは」
   新平がやってきて沙樹の前に立つ。
新平「あの~、百合岡さん」
沙樹「……なに」
新平「共同研究とか言われたけど、どうしよ」
   沙樹『スローカーブをもう一球』を差し出し
   て。
沙樹「ほら」
新平「え?」
沙樹「あんたしいや」
新平「え?」
沙樹「野球の話しやろこれ。わたしこんなん
 興味ないし。あんたやったらええやん」
新平「けど、岡田先生共同研究って……」
沙樹「ハァ……真面目やねあんた。途中で二、三
 回見せてくれたらええわ。別に出来あがってか
 らでもええで。それで共同研究いうことにしよ」
新平「いや、それは……」
沙樹「な、それでええやん、ほら」
   沙樹、新平に文庫本を押しつけるようにし
   て。
新平「う、うん。そしたら、そうしよか」
   新平、文庫本を受け取り、席に戻っていく。
沙樹「課題ひとつ減った」
   香苗、呆れた顔で沙樹を見ているが。
香苗「嘘ばっかり、百合岡さん」
沙樹「は?」
香苗「野球の話し、興味ないなんて嘘やん」
沙樹「……嘘やないわ。ほっといてぇや」
香苗「なぁ、百合岡さん、わたしもその共同
 研究に混ぜてくれへん?」
沙樹「え」
香苗「凄いピッチャーの話し、わたしは興味
 ある」
沙樹「ふ~ん。好きにしたらええんちゃう。
 あんたらに任すわ」
香苗「ありがと。野川くんと岡ちゃんにも言
 うてくるわ」
   新平のところへ行く香苗。
   沙樹、頬杖ついて二人が話す様子を見
   ながら。
沙樹「勝手に何でも調べぇや。しょうもない」

○グラウンド横の道
   放課後、フェンス越しに女子野球部の練
   習を見ている沙樹。勝彦がやってくる。
勝彦「戻ってくる気になったか、百合岡」
沙樹「……失礼します」
   去っていく沙樹。勝彦その背に、
勝彦「監督に言いにくかったら、いつでも俺
 に言うてこい。俺からも頼んだるから」
   振り向かず歩き続ける沙樹。
勝彦「奈良から聞いたぞ。了解や。三人で
 『江夏の21球』、しっかり調べるんやぞ!」
   沙樹、反応なく去っていく。遠ざかる
   後ろ姿をじっと見つめ続ける勝彦。

○図書館・外景(昼/夏休み)
   自転車でやってくる新平。駐輪し、中
   に入る。

○同・中
   スポーツの書架の前に立っている新平。
   野球関連書物を数冊手にしている。
     ×     ×    ×
   受付の前に立つ新平。女性司書に声をか
   ける。
新平「あの」
司書「はい」
新平「昔の新聞の縮刷版とかありますか」
司書「ええ、置いてますよ。いつくらいのもの
 を読みたいの?」
新平「えっと、一九七九年の十一月のものを」
司書「えらい昔のやつやねぇ」
新平「ありませんか」
司書「いいえ、置いてますよ。ちょっと待って
 て、書庫に行って取ってくるから」
   立ち上がる司書。
新平「はい、すみません」
司書「一九七九年の十一月ね」
新平「はい」
     ×     ×     ×
   司書、戻ってきて受付台に縮刷版四冊を
   置く。
司書「はい。朝日、毎日、読売、産経の一九
 七九年十一月の縮刷版」
新平「ありがとうございます」
   受付台の横にいた霜月奈美絵(17)。
奈美絵「あの~、すみません」
新平「はい?」
   奈美絵を見る新平。
奈美絵「それって、新聞のコピーが本になっ
 てるんですかぁ?」
新平「あ、これ。そ、そう。縮刷版」
奈美絵「縮刷版っていうんや。そんなんわた
 し初めて見た」
新平「あ、そ、そうなんです、か」
奈美絵「何か調べ物ですか?」
新平「あ、夏休みの国語の課題で。クジで当
 たった作品読んで、それ研究することにな
 って」
奈美絵「へ~え。おもしろそう。あ、急に何
 かごめんなさい」
新平「あ、いや、べつに、そんな」
奈美絵「昔の新聞のそんなん見たの初めてや
 し。わたし、ここよく来るけど、そんなん
 借りてる人見たの初めて」
新平「……」
奈美絵「何の作品について調べるんですか?」
新平「あ、山際淳司さんの『江夏の21球』」
奈美絵「へ~え。聞いたことない。おもしろか
 った?」
新平「うん、まあ、面白かった」
奈美絵「どんな本?」
新平「えっと、一九七九年の、野球の、広島対
 近鉄の、日本シリーズで、江夏豊っていうピ
 ッチャーが投げた二十一球について書かれた、
 ノンフィクション」
奈美絵「へえ。わたし野球とか全然興味ないん
 やけど、読んでみよっかな」
新平「あ、野球とか興味なくても、すごく面白
 いです。全然、読めます」
奈美絵「ええなあ。わたしもそんな課題やって
 みたいなあ」
新平「……」
奈美絵「うん。今度わたしも読んでみよ。ごめ
 んなさい、急に話しかけたりして」
新平「あ、いえ、そんな、全然」
   軽く頭を下げ、借りた本を抱えて図書館
   を出て行く奈美絵。彼女の後ろ姿をぼー
   っと見ている新平。

○百合岡家・居間(夜)
   夕げの食卓を囲んでいる百合岡家。
   電話が鳴る。
智美「はいはい、ちょっと待ってくださいね
 っと」
   智美、電話に出る。
智美「はい、もしもし百合岡です。はい、そ
 うですが。はい。いえいえ、こちらこそ。
 はい。ああ、そうなんですか。ええ、おり
 ます。ちょっと待ってください。今替わり
 ますね。(智美、受話器を耳から話して)
 沙樹、電話」
沙樹「えぇ、だれ?」
智美「同じクラスの奈良さん」
沙樹「はぁ!?」
智美「何か夏休みの共同研究のことやて」
沙樹「何ぃ、もぉ……」
智美「もう、やないよ、はよしなさい」
   しぶしぶといった風情で立ち上がり、
   受話器を受け取る沙樹。戻る智美。
充「沙樹に電話なんて珍しいな」
智美「うん。すっごい丁寧なもの言いの子。
 『いつもお世話になっております。同じ
 クラスの奈良と申します。沙樹さんご在
 宅でしょうか』やて」
充「へ~え、ちゃんとしてる子やな。こい
 つ在宅なんて言葉自体知らんやろ」
智美「ほんまに」
沙樹「はい、もしもし……はい……ああ、
 そうなん。それで? いや、だからそれ
 は奈良さんと野川くんでしたらええって
 言うたやん……うん。そりゃそうやけど
 さあ。だいたいわたし興味ないし、その
 江夏とかいう人のこととかやあ……うん、
 そりゃまあ本読むくらいはするけど……
 え、明日? 学校?……いや、そりゃま
 あ行っても……図書室、ああ、図書室ね。
 はぁ、分かったわ。読むだけやでほんま。
 調べもんは二人でやってな。うん。はい、
 はい……あ、ていうかな、あんたどうやっ
 てわたしとこの電話番号分かったん? え、
 あ、そうなん。岡田先生が……はい、わか
 りました。明日何時?……はい、そしたら
 一時。一時に図書室。はい、はい。分かり
 ました。読むだけやで、あんたらやってや、
 ほんまに。はい、ほな」
   電話を切り戻る沙樹。
沙樹「岡田、何いらんことしてくれてんねん」
智美「何言うとるん。夏休みの宿題のことで
 わざわざ電話してきてくれはったんやろ」
沙樹「まあ、そやけど……」
充「共同研究って、何するんや」
沙樹「なんか、本読んで調べもん。ほんまはひ
 とりでやるんやけど、わたしらだけ何でか三
 人でやることになった」
充「へ~え」
沙樹「勝手に二人でやってたらええのに……」
卓造「江夏、いうて言うたな」
   突然口を開いた卓造に驚く沙樹。
卓造「江夏、言うたやろ今」
沙樹「そ、そうやけど」
卓造「本いうんは『江夏の21球』か」
沙樹「そうやけど……」
卓造「そうか。江夏を、あの試合を調べるんか」
沙樹「……」
卓造「ちゃんと調べぇ」
沙樹「はぁ?」
卓造「ちゃんと調べぇ言うとるんじゃ」
沙樹「……」
充「え、お父ちゃん読んだことあるんかいな、
 その本」
   答えない卓造。ぶすっとした顔で食事
   に戻る。
充「知らんかった。お父ちゃん本なんか読む
 んや」
卓造「……あれだけや」
智美「ほら、おじいちゃんも言うてくれては
 るんやから、奈良さんらに任せきりやなし
 にあんたもちゃんと調べもんせなあかんよ
 沙樹」
沙樹「……」
康介「あんたもちゃんと調べもんせなあかん
 よ、沙樹」
   沙樹、康介の頭を思い切りはたく。
康介「ったいなあ、もう! マジで叩くなや!」
智美「これ沙樹!」
   不機嫌極まりない顔で食べ始める沙樹。

○××高校・図書室
   香苗と新平が並んで座っている。その向
   かいに沙樹。新平、ファイルした新聞や
   雑誌のコピーを沙樹に見せる。
沙樹「うわ、すご……」
新平「まだまだ、途中」
香苗「野川くんめっちゃ燃えてるやろ」
   照れくさそうに笑う新平。
香苗「これがわたしが調べた分。野川くんの
とダブってるのもけっこうあんねんけどな」
   沙樹、二人が出したファイルをしばらく
   見つめているが。
沙樹「なぁ、わたし、要る?」
新平・香苗「え?」
沙樹「要らんやん。ここまで二人でやってる
 んやったら」
新平「そやけど、一応共同研究っていうこと
 やから」
香苗「そうそう。わたしはあくまで飛び入り
 やし」
   『スローカーブをもう一球』を取り出
   す新平。
新平「調べるのはぼくと奈良さんがするけど、
 やっぱり百合岡さんも、読むくらいはしと
 かなあかんと思う」
沙樹「……」
香苗「百合岡さんやったらきっと面白いって
 思うわ、この作品」
沙樹「ハァ、分かりました。読みますわ。読
 ませていただきます」
   本を手に取る沙樹。
香苗「でも意外やったわ、野川くんけっこう
 スポーツに興味あってんね」
新平「うん。運動神経鈍いけどな。見るのは
 けっこう好きなんや」
香苗「わたしといっしょや――運動上手にで
 きる子、幼稚園のころから羨ましかったな」
沙樹「……帰るわ」
   文庫本を手に椅子から立ち上がり図書
   室を出て行く沙樹。
   香苗、その後ろ姿を見ながら。
香苗「なあ、野川くん」
新平「なに」
香苗「野球の神様っているような気がする」
新平「え?」
香苗「その神様がな、百合岡さんに『江夏の21
 球』を引かせたんよ、きっと」
新平「えっと、奈良さん、何言うてんの?」
香苗「野球の神様の手伝いし始めたんよ、わた
 しら。言うなれば野球の天使やね、わたしら。
 ふふ」
新平「あの、そやから奈良さん、さっきから何
 を言うてんの?」
   香苗微笑んで、図書室から出て行く沙樹
   を見ている。

○校門を出たあたり
   歩いていく沙樹。前からランニングでや
   ってくる女子野球部員たち、沙樹を冷た
   い目で見て、過ぎて行く。目を逸らす沙
   樹。最後尾を走っていた朋香が止まる。
朋香「百合岡さん」
沙樹「――何よ」
朋香「夏の大会、二回戦負けやった」
沙樹「――」
朋香「初戦は完封してんけどな。サヨナラで
 負けた。二年続けてサヨナラ負け。情けな
 いな、わたし」
沙樹「わたしには関係ないし」
朋香「ほんまにそう思ってるん?」
沙樹「――ほんまや。新チーム、あんたがキ
 ャプテンなんやろ」
朋香「うぅん。キャプテンは小森さん。最初
 わたしに決まりそうやってんけど、断らせ
 てもろうた。エースとキャプテンの責任負
 わされるのはかなわんわ」
沙樹「……」
朋香「もう二度とあんな悔しい思いしたぁな
 いから――後ろに度胸満点のリリーフエー
 スも居てへんし。そしたらね」
   走っていく朋香。その後ろ姿をじっと
   見つめている沙樹。

○沙樹の家・居間(夜)
   夕飯の食卓を囲んでいる百合岡家。
卓造「ごっつぉさん」
   食事を終え、立ち上がる卓造。
智美「あ、おじいちゃん。お風呂、先に入
 ってくれます?」
   バッと立ち上がる沙樹。
沙樹「わたし先に入る」
智美「そやかてあんたまだご飯……」
沙樹「ええから」
   食卓を後にする沙樹。
   不機嫌に階段を昇っていく沙樹の背
   中をじっと見る卓造。

○百合岡家・沙樹の部屋(夜)
   ベッドの上、パジャマ姿で寝転がっ
   て『江夏の21球』を読んでいる沙樹。
   その途中で本を投げ出す。
沙樹「……」
   天井を見上げている沙樹。部屋の戸
   がノックされる。
沙樹「なによ、もう」
   立ち上がり、戸を開ける沙樹。立っ
   ている卓造。
沙樹「うわっ!」
卓造「江夏のこと、ちゃんと調べてるか」
沙樹「……」
卓造「本は、読んだんか」
沙樹「今、読んでる……」
卓造「最後まで読め。ちゃんと調べぇ」
   階段を降りて行く卓造。その後ろ姿
   をしばらく見つめる沙樹。やがて戸
   を激しく閉める。
沙樹「なんやねん! マジでむかつく!」
   智美、その様子を居間から顔を出し
   て見ている。

○同・居間(翌日)
   寝ぼけ眼でやってくる沙樹。円卓の
   前に座る。大あくび。ごろっとだら
   しなく横になる。智美がやって来て
   座る。
智美「おはよう」
沙樹「……おはよう」
智美「宿題、ちゃんとやってるのん」
沙樹「ぼちぼち」
智美「小学校の時と違うんやからね。最後の
 日にお母さんやお父さんで手伝うたげるこ
 とできひんのよ」
沙樹「分かってるわ」
智美「沙樹」
沙樹「なにぃ」
智美「あんた、ほんまにこのまま野球部やめ
 てもエエのん」
沙樹「――戻ってほしいん、わたしに」
智美「あんたが決めたことや、あんたが納得し
 てるんやったらそれでかまへん。お母さんは
 何にも言わん」
沙樹「納得、してるわ。あんな腐った部で野球
 やっても何の意味もないわ」
智美「ハァ……誰に似たんかなぁ。それから沙
 樹」
沙樹「もう、なにぃ」
智美「起きなさい」
沙樹「そやからなにぃ」
智美「ええから」
   渋々起き上がる沙樹。
智美「沙樹、あんたおじいちゃんへの態度、ど 
 うにかならん?」
沙樹「……態度って」
智美「そんなんあんたがいちばんよう分かって
 るやろ」
沙樹「無理にでも好きにならなアカンのん」
智美「沙樹……」
沙樹「とりあえずあの人の後にお風呂入るんだ
 けは勘弁やから」
智美「あの人って……あんたのおじいちゃんな
 んやで」
沙樹「血のつながりはないんやろ」
智美「……」
沙樹「前にお父さん教えてくれたやん。お父さ
 んのほんまのお父さん――わたしのほんまの
 おじいちゃん、お父さんが生まれてすぐ死ん
 で、お父さんが四つのときにおばあちゃんが
 再婚したのがあの人なんやろ。そんな人、わ
 たしのおじいちゃんってほんまに言えるん?」
智美「――沙樹」
沙樹「なにぃ」
智美「今のは聞かんかったことにする」
沙樹「……」
智美「同じことお父さんに言うたら、あんた殴
 り飛ばされるで。ああ見えてお父さん怒った
 ら怖いん知ってるやろ、あんたも」
沙樹「……」
智美「血のつながりがあろうがなかろうが、お
 じいちゃんはおじいちゃんや。家族は家族や。
 ええな」
   立ち上がり居間を出る智美。
   沙樹、またごろっと横になりボーっと天
   井を見上げているが。
沙樹「なんやねん、ほんまっ!」
   畳をおもいきり拳で叩く沙樹。

○図書館
   椅子に座りノートをとっている新平。奈
   美絵がやってくる。
奈美絵「こんにちは」
新平「はい――あっ、こ、こんにちは」
奈美絵「課題は順調?」
新平「はい。なんていうか、すごく面白くなっ 
 てきたっていうか」
奈美絵「そう。わたしも読んだんよ『江夏の21
 球』」
新平「どう、でした」
奈美絵「すっごいオシャレな文章書くね、山際
 さんって。なんて言うかすごくスタイリッシュ」
新平「あ、ぼくもそう思った」
   メモ帳を取り出す奈美絵。
新平「(?)」
奈美絵「『江夏の一球目はコンダクターのタク
 トだった。その腕が振り下ろされた時、最終
 楽章はアレグロで動き出す。』――本読んで
 素敵な文章に出会ったらこうやって書き残す
 ようにしてるん、わたし」
新平「へえ」 
奈美絵「なぁ」
新平「はい」
奈美絵「その課題、できあがったらわたしにも
 見せてくれる?」
新平「あ、あ、うん」
奈美絵「楽しみにしてる」
   微笑む奈美絵。新平、彼女をじっと見つ
   めて。

○路上
   図書館の帰り。自転車を颯爽とこいで帰
   る新平。
新平「「『江夏の一球目はコンダクターのタク
 トだった。その腕が振り下ろされた時』……
 えっと、なんやったっけ」
   嬉しそうな新平の顔。

○百合岡家・庭
卓造「ふんっ!……ふんっ!……ふんっ!」
   素振りをしている卓造。
   コンビニの袋を提げた沙樹が帰ってくる。
   素通りして家の中に入ろうとする沙樹。
   素振りをやめる卓造。
卓造「おい」
   足を止める沙樹。振り向いて卓造を見る。
卓造「本は、読んだか」
沙樹「……読んだ」
卓造「調べもんはちゃんとやってるんか」
沙樹「……」
卓造「ちゃんと調べぇ」
   答えず玄関の戸を開ける沙樹。

○同・玄関
沙樹「あーっ!」
   叫ぶ沙樹。

○同・風呂(夜)
   湯船に浸かっている卓造。

○同・居間
   寝転がってバラエティ番組を見ている
   充。沙樹、座ってアイスクリームを食
   べながら。
沙樹「なあ、オトン」
充「なんや」
沙樹「あんな。わたしに本読め、調べもんせ
 え、いうてえらいひつこい言うねんよ」
充「だれが? お母さんか」
沙樹「ちがう」
充「え、そしたらおじいちゃんがか」
沙樹「うん」
充「本て、この前言うてた江夏のやつか」
沙樹「うん、そう」
充「そら、おまえ、それはやっぱり、あれや」
沙樹「あれって?」
充「そら、おまえに、あれや。なあ」
沙樹「なに言うてんの?」
充「まあ、あれや」
沙樹「アホちゃうか」
充「……アホちゃいまんねん、パーでんねん」
沙樹「……アホ」
   ゆっくりアイスクリームを食べ続ける沙樹。
沙樹「なぁ、オトン」
充「んぅ?」
沙樹「ごめん」
充「なんや急に」
沙樹「公立の学校行ってたらよかったな、わたし」
充「気にすんな、そんなこと」
沙樹「戻ってほしいわたしに、野球部」
充「――誰かが戻ってほしいって思ってるから戻る
 とかやったら、戻るんなんかやめとけ」
沙樹「――」
充「卒業はちゃんとせえよ」
沙樹「うん、分かってる」
充「――あ、ごめん」
   寝転がったまま放屁する充。その尻を思い
   切り蹴飛ばす沙樹。

○高校・図書室
   新平が机の上に広げたファイル・コピーは
   一週間前に比べずっと増えている。圧倒さ
   れている沙樹と香苗。
新平「はい」
   沙樹に研究ノートを手渡す新平。びっしり
   書き込まれたそのノートをパラパラとめく
   っていく沙樹。
新平「下調べの段階がもうちょっとで終わる
 ってところまできた」
沙樹「下調べ……」
新平「うん。それ済んだら整理してきっちりした
 もんに仕上げるつもり」
   ノートを返す沙樹。
香苗「ちょっと野川くん、あんまり一人で突っ
 走ったら共同研究にならへんやん」
新平「ごめん。そやかて、めっちゃおもしろい
 ねんもん」
香苗「ここからは三人で仕上げていこ。百合岡
 さんも、な」
沙樹「――ええやん、わたしは。ここから先も
 あんたら二人でやってや」
香苗「またそんなこと言うてぇ」
新平「あ、そうや」
香苗「なに」
   手にした一冊のファイルをパラパラとめ
   くる新平。
新平「昨日家のパソコンで調べてたやつ、プリ
 ントアウトしてきたんやけどな」
   ファイルを沙樹に見せる新平。
香苗「ウィキペディア、これ?」
新平「うん。江夏が対戦した近鉄に在籍した選
 手の一覧」
香苗「そんなんまで調べてんのぉ」
新平「あ、ほら、ここ背番号69のところ」
   新平指差す。香苗と沙樹、その名前を見
   る。
新平「詳しい個人データの記載は何もなかっ
 たわ。一軍での出場はないんやろな。けど
 めったにない苗字やんね百合岡なんて」
   固まったようになっている沙樹。
香苗「どないしたん百合岡さん」
沙樹「野川くん」
新平「なに」
沙樹「近鉄って、プロ野球のチームやったん
 よね」
新平「――そうや。百合岡さん、さすがにそ
 の質問はちょっと……」
沙樹「苗字だけやない」
新平「え」
沙樹「苗字だけやないんや」
新平「え?」
香苗「なにが?」
沙樹「いっしょに住んでる、社会人野球やっ
 てたいううちの祖父と、名前までいっしょ
 なんや」
新平・香苗「えっ、ええっ!?」
   〈百合岡卓造〉の文字をじっと見つめる三人。

○百合岡家・庭
卓造「ふんっ!……ふんっ!……ふんっ!」
   素振りをしている卓造。
   沙樹が帰ってくる。素振りをやめる卓造。
卓造「調べもん、ちゃんとやってんのか」
沙樹「……なんでそんなに気になるん?」
卓造「出された宿題はちゃんとやらなアカンや
 ろが」
沙樹「今までわたしにそんなん言うたことなか
 ったやん」
   卓造、しばらく沙樹を見つめて。また素
   振りの構えに戻る。沙樹、ポケットに入
   れていたメモを取り出し読む。
沙樹「近鉄バファローズ、百合岡卓造。内野
 手。背番号69。在籍期間一九七二年から七
 九年。一軍の試合出場経験なし」
   固まったようになる卓造をじっと見つ
   める沙樹。
沙樹「やっぱりそうなんやね。いっしょに調
 べてる男子が見つけてん。お父さんはその
 こと知ってるん?」
卓造「――いいや」
   見つめあう卓造と沙樹。
   卓造素振りに戻る。
卓造「ふんっ!……ふんっ!……ふんっ!」
   素振りを続ける卓造をじっと見つめ続
   ける沙樹。

○同・卓造の部屋(夜)
   一家全員が揃っている。鍵を使って箪
   笥の引き出しを開ける卓造。中から近
   鉄バファローズのユニフォーム上下と
   帽子、ストッキングを取り出し、畳の
   上に広げる。四人の視線がユニフォー
   ムに注がれる。
充「うわぁ……」
智美「すごい……」
康介「ほんまやったんや……」
沙樹「……」
充「防虫剤の臭い、すごいな。酔いそうや」
卓造「虫に食わせるわけにいかんからな。二
 月に一回は部屋干しして、虫よけも定期的
 に換えてる」
智美「全然気がつかへんかった」
康介「これ、背中の方はどうなってるん?」
   ユニフォームを裏返す卓造。
   〈YURIOKA 69〉が現れる。
康介「めっちゃかっこええ……」
充「なんで?」
卓造「ん?」
充「なんで元プロ野球の選手やって教えてく
 れへんかったんや、お父ちゃん」
卓造「――一軍の試合に一回も出んと元プロ
 も何もないやろ」
充「お母ちゃんと結婚したのは、プロやめて
 からか」
卓造「ああ、引退したその年のオフや」
充「お母ちゃんも教えてくれへんかったんや
 な」
卓造「言うな、って言うてたからな」
充「水くさい……知ってたらツレにも自慢で
 きたのに」
卓造「なんの自慢にもなるか」
智美「これ、まだ着られるのとちゃいます?」
卓造「――かもな。引退してから体型変わっ
 てないし、体重も増えてないからな」
充「さすがやな。毎日のウォーキングも素振
 りも伊達やないんや」
智美「あんたもちょっとは見習い。ねえ、お
 じいちゃん」
卓造「ん?」
智美「これ、ちょっと着てみてもらえません?」
卓造「え?」
     ×     ×     ×
卓造(声)「ええぞ」
   隣の部屋で待っていた四人。卓造の部屋
   に入る。
   帽子を被り、ストッキングをはいたユニ
   フォーム姿の卓造が立っている。
卓造「袖を通したんは、引退してから今日が
 初めてや」
   その凛々しさに息を飲む四人。
智美「沙樹。スマホ持って来なさい」
沙樹「え?」
智美「写真撮れるんやろ。はよう」
沙樹「う、うん」
   部屋を出る沙樹。

○同・沙樹の部屋(夜)
   ベッドの上で文庫本を開いている沙樹。
  (『江夏の21球』を読み返している。
×     ×     ×
   スマートフォンを耳に当てている沙樹。
   香苗と話している。   
沙樹「――うん。そうやった。あれやっぱり、
 うちのおじいちゃんやった――何をあんた
 がそんなに興奮してんのよ。ユニフォーム
 見せてもろてな、それ着た写真スマホで撮
 ったんよ――え、明日? いや別にかまへ
 んけど――市立図書館? 図書室やなくて? 
 ああ、司書の先生休みなん。野川くんも。あ
 の子ほんまに燃えてんな、うっとうしいわぁ。
 で、何時? 一時。はいはい。市立図書館に
 一時ね。そしたら明日、はい」
   電話を切る沙樹。スマートフォンを操作し、
   先ほど撮った卓造の写真をじっと見る。
   (大写しになるその写真)

○市立図書館
   (卓造の写真大写しのままひきつづいて)
   椅子に座りそれをじっと見ている新平。
   隣に沙樹。
新平「……すごい」
香苗「……うん」
沙樹「老人がプロ野球のコスプレしてるだけ
 やん」
   新平と香苗、沙樹を見て。
新平「そんなんと全然ちがう」
香苗「うん、全然ちがうよ」
新平「そうや。ほんま百合岡さん、分かってな
 さすぎ」
沙樹「……どうでもええわ」
香苗「すごい思わへんの? 自分のおじいちゃ
 んが元プロ野球の選手やってんで」
沙樹「一軍の試合には出たことないんやで」
新平「そんなん関係ないよ。プロのユニフォー
 ム八年も着たことがあるってだけでも、す
 ごいことや」
沙樹「そんなもんかな……」
   その時奈美絵が来る。
奈美絵「野川くん、こんにちは」
新平「あ、こんにちは」
奈美絵「あれ、このお二人は?」
新平「あ、あ。あの、課題を、共同研究してる、
 同じクラスの奈良さんと百合岡さん」
奈美絵「共同研究? 『江夏の21球』のやつ?」
新平「うん」
奈美絵「へ~え。野川くんひとりでやってるの
 やってずっと思ってたわ。こんにちは。銀麗
 女子二年の霜月奈美絵です」
香苗「――どうも、共同研究者の奈良です」
沙樹「百合岡です」
奈美絵「仕上がり、わたしも楽しみにしてるんよ」
香苗「え?」
奈美絵「え、聞いてへんの野川くんから? 研究
 ノート完成したら、わたしにも見せてくれる約
 束してんけど」
   新平、居心地が悪い。
香苗「――あぁ、はい。聞いてます。もちろん、
 はい。あのぉ、わたしたちはぁ、ネットで調べ
 るのとかぁ、担当してましてぇ。なかなかここ
 には来れなくてぇ」
奈美絵「そうなんや」
香苗「はいぃ~」
奈美絵「――そうか、共同研究やったんかぁ。野
 川くんそんなこと全然言わへんかったやん」
新平「いや、それは……」
奈美絵「ますますおもしろそう」
香苗「はい~。おもしろいですぅ~」
奈美絵「ふふ。じゃあ課題がんばって。わたし、
 ほんまに楽しみにしてるから」
   奈美絵、本を抱えて受付へと去る。その後
   ろ姿を見ながら香苗、
香苗「そうかぁ、そういうことやったんかぁ」
新平「え?」
香苗「もともとそんなん好きそうやし、真面目に
 調べるやろとは思ってたけど。それにしても熱
 心にやってるなあと思ってたんよ。なぁ、百合
 岡さん」
新平「な、なにがぁ」
香苗「あんなかわいい銀麗のお嬢様とそういう約
 束してたら、そら熱心にもなるわなあ。なあ、
 百合岡さん」
   沙樹、クククッと下を向いて笑う。顔を赤
   らめ俯く新平。
香苗「うわぁ、分っかりやすぅ」
沙樹「……あんな二人とも」
新平・香苗「え?」
沙樹「祖父って言うてるけどな。この人、わたし
 と血の繋がりはないんや」
新平「え」
香苗「そうなん?」
沙樹「うん。ま、各家庭にはいろんな事情がある
 ってこと」
新平「――けど、百合岡さんのおじいちゃんなん
 やろ」
沙樹「…………」
新平「あんな、自分のおじいちゃんのこと、この
 人なんて言うの、あんまりようない思うで、ぼく」
沙樹「……ほっといてぇや。ウザいんや、あんた」
香苗「百合岡さん、悪いけどわたしもそう思う」
沙樹「……」
香苗「しかし急に言うようになったね野川くん。い
 やぁ、恋をすると人間変わるもんですねぇ」
一気に顔が赤くなり、俯いてしまう新平。
香苗「あんたほんまに分っかりやすぅ……」
   クククッと笑う沙樹。

○百合岡・庭(夕方)
   素振りをしている卓造。
   沙樹が帰ってくる。彼女を見て、素振りを
   やめる卓造。
卓造「江夏のこと、ちゃんと調べてるか?」
沙樹「……調べてる」
卓造「そうか――明日の朝、儂についてこい」
沙樹「はぁっ?」
卓造「儂の歩く後ろついて来いって言うとる
 んや」
沙樹「はぁっ、なんでぇ!?」
卓造「なんでもや。起きてこんかったら部屋
 に起こしに行くからな」
   卓造、また素振りを始める。不満げな
   顔で卓造を見る沙樹。
                   
○百合岡家・玄関(翌日・早朝)
   出て来る卓造。ウォーキングを始める。
   しばらくして沙樹もやる気ない風情で。
   智美、出て来て沙樹を呼びとめる。
智美「ちょっと沙樹」
沙樹「んぅ」
智美「半分顔寝てるがなあんた――どないし
 たん、こんな朝早う」
沙樹「……なんか(卓造を指差し)ついてこ
 い言うし……たまらんわ、意味分からんし。
 何やねんな、ほんま……」
   歩いていく沙樹。充も出てくる。
充「どないした?」
智美「沙樹、おじいちゃんといっしょにウォー
 キングしてる」
充「ウォーキングて。見てみぃ沙樹のあのだ
 らしない歩き方」
智美「ほんまに――沙樹、歩くんやったらもっ
 としゃっしゃと歩きなさい!」
   沙樹、振り返って。
沙樹「あぁ、もう。うるさい!」
   まただらだらと歩き始める沙樹。
充「題。待つ気のない祖父、追いつく気のない孫」
智美「ははっ、ほんまに」
充「どこまで行くんやろ」
智美「さあ」
   微笑んで遠ざかる二人の後ろ姿を見つめて
   いる充と智美。

○土手上の道
   ウォーキングをしている卓造。その十メー
   トルほど後ろをだらだら歩く沙樹。大あ
   くび。卓造振り返って。
卓造「見てみぃ」
   卓造、下を指差す。沙樹、その方向を見る。
   河川敷のグラウンドで早朝草野球をやって
   いる。
卓造「降りるぞ」
沙樹「はぁ?」
   グラウンドに続く石段を降りはじめる卓造。
   沙樹、しばらくその場に立っている。卓造、
   振り返って。
卓造「何やっとるんじゃ、ついてこい」
   渋々石段を降りはじめる沙樹。
沙樹「何の罰ゲームや、これ……」

○河川敷のグラウンド
   バックネット裏まで来る二人。
卓造「ちょっと待っとけ」
   卓造、グラウンドに入り、攻撃側のダグア
   ウトへと行く。監督らしき人物と話し始め
   る卓造。選手たちが興味深そうな顔して集
   まってくる。その様をじっと見ている沙樹。
   話し終えた卓造。ネクストバッターズサー
   クルにいた中年男性からバットを渡される。
沙樹「え」
   ネクストバッターズサークルに入り、素振
   りを始める卓造。そのフォームの良さとス
   イングスピードに周りの空気が変わる。
   バッターボックスの選手が四球で歩いた。
監督「ピンチヒッター、飛び入りの――えっ
 と、お名前は?」
卓造「百合岡です」
監督「代打、百合岡さん。ええよね」
   審判と相手ベンチに確認をとる監督。明る
   いざわめきの中、右バッターボックスに入
   る卓造。 しっかりと構える。
   ピッチャー、一球目を投げる。
   卓造、フルスイング。弾丸ライナーが左中
   間を抜けていく。唖然としてボールの行方
   を見ている両チームの面々、そして沙樹。
    ×      ×      ×
   試合が続く中、グラウンドに置かれたベン
   チの端と端に座っている沙樹と卓造。
卓造「人間の投げた球打ったのは久しぶりや」
沙樹「人間?」
卓造「バッティングセンターにはときどき行
 ってるからな」
沙樹「……」
卓造「調べもんは上手いこといってるんか」
沙樹「……何回訊くんや」
卓造「おまえのことや、いっしょにやってる子ら
 に任せきりなんやろ」
沙樹「この前からわたしもちゃんとやってるわ」
卓造「そうか――おい、見てみぃ」
   グラウンドを指差す卓造。沙樹、見る。
卓造「ノーアウト満塁や。おまえにも経験あるか」
沙樹「……」
卓造「見とけよ、点入るぞ」
   バッターがヒットを打ち、三塁ランナーが
   手を叩きながらホームインする。
卓造「ノーアウト満塁は点入りにくいていうけど
 な、それも時と場合による。あの日もそうやっ
 た。絶対点が入るって思ってた。バファローズ
 の押せ押せやったんや。けど、江夏は抑えた」
沙樹「テレビで見てたん?」
卓造「いや。あの日、大阪球場のバックネット裏
 におったんや、儂は」
沙樹「バックネット裏」
卓造「ああ。シーズン終わってすぐに、来季は契
 約せんってフロントに言われてな」
沙樹「そうなんや」
卓造「最後に、野球いうもんを、観客になって見
 てみようと思ってな。大阪球場での試合はみん
 な観に行った……江夏の球、儂やったら、打てた」
沙樹「え?」
卓造「ずっとファーム暮しやったけど、あの年の後
 半は絶好調やったんや。ずっと芯食ってボール運
 べてた。あんな感触、八年間で初めてやった。開
 眼した思いやった。正直、シリーズのベンチ入り
 メンバーに選ばれるって思ってた」
沙樹「……」
卓造「けど、待ってたんは自由契約の通告やった……
 広島が勝ったとき、儂は嬉しかった」
沙樹「え」
卓造「江夏の球は儂にしか打てんと思ってたからな。
 佐々木も石渡も抑えてくれて、嬉しかった。儂は
 あの日、江夏といっしょに投げてた」
沙樹「それまで近鉄の選手やったのに?」
卓造「そうや」
沙樹「……言うてええ?」
卓造「ああ」
沙樹「ただの自信過剰にしか聞こえへんのやけど」
卓造「そうか」
沙樹「佐々木選手にも石渡選手にも失礼やわ」
卓造「……かもな。けど、江夏の球、あの時の儂
 やったら絶対に打てた。沙樹」
   沙樹を見る卓造。卓造を見る沙樹。
卓造「あれから毎日そう思って生きてきた。あの
 日、大阪球場の右バッターボックスに儂が立て
 てたら、バファローズは日本一になってた」
沙樹「毎日……」
卓造「そうや、毎日や」
沙樹「……ついでに言うと江夏投手にも失礼やわ」
卓造「ははっ、そうやな」
沙樹「もうエエかな」
   立ち上がる沙樹。
卓造「ああ、今日は悪かったな――沙樹」
沙樹「まだなにかあるん?」
卓造「本に書いてあったやろ。儂もはっきり覚え
 てるんや。池谷と北別府がブルペンでピッチン
 グ練習するの見た江夏がイラついてるんも、そ
 の後衣笠が江夏のところへ行ったんも」
沙樹「……」
卓造「あの後、江夏の気持ちが落ち着いたのもはっ
 きりと分かった――沙樹」
沙樹「なによ」
卓造「おまえに衣笠は、いてへんのか」
   沙樹と卓造、見つめあう。
   無言で石段を昇り始める沙樹。その後ろ姿を
   見つめたままでいる卓造。

○市立図書館
   向いあって座っている新平と香苗、沙樹。新
   平は広げた資料をもとにノートをとり、香苗
   は新平のまとめたファイルを熱心に読んでい
   る。頬杖ついて二人のまとめた資料をぼーっ
   と見ている沙樹。
香苗「なあ」
新平「(顔をあげ)なに」
香苗「今さ、ウィキの「1979年の日本シリーズ」
 ってやつ読んでるんやけどさ」
新平「うん」
香苗「すごいな」
新平「なにが?」
香苗「『近鉄主管は日生球場または藤井寺球場で開く
 ところだが、日生は収容人数が30,000人に満たず、
 藤井寺も当時はナイター設備がなかったため、当時
 南海ホークスの本拠地だった大阪球場を借りて行わ
 れた(プレーオフも同様)。』やって」
沙樹「ナイター設備がない――それマジ?」
香苗「うん。ようそんなとこでプロが野球してたな」
新平「ははっ、確かに」
香苗「近鉄ってもうないよね」
新平「うん。近鉄バファローズは2004年で消滅。そ
 れからまあいろいろあって、元阪急ブレーブスやっ
 たオリックスブルーウェーブと合併。で、今はオリッ
 クスバファローズになってる。そのあたりのことも
 このファイルにまとめてるから、百合岡さんも読ん
 どいて」
沙樹「はいはい」
香苗「なあ、今はどうなってるん?」
新平「何が」
香苗「だからこの三万人入らん日生球場と、ナイター
 設備のない藤井寺球場」
新平「そんなんネットで調べたらすぐ分かるで」
香苗「知ってんねんやろ、もったいつけんとはよ教
 えぇな」
新平「しゃあないなあ。なあ、奈良さん、百合岡さ
 ん。今年の四月に『もりのみやキューズモール』
 って商業施設が大阪市にできたの知ってる?」
香苗「いや、知らんけど。それが?」
新平「そこ、日生球場の跡地にできたんや」
沙樹「商業施設――」
新平「藤井寺球場の跡は何やと思う」
香苗「――分からんから訊いてるんやろ、はよ教え
 ぇな」
新平「ふふ。北側は小学校と中学校や」
香苗・沙樹「学校!?」
新平「うん、そうや。(ノートを取りパラパラとめ
 くって)ああ、これこれ。天下の四天王寺学園の
 小学校と中学校や。高校も建つ予定なんやて。
 そんで南側はマンション」
香苗・沙樹「マンション!?」
新平「うん。グランスウィート藤井寺、やて」
香苗「――野球のやの字もないんかぁ」
新平「ちなみにこの日本シリーズが行われた大阪球
 場の跡はな――」
香苗「ちょっと待って、大阪球場もないのん?」
新平「そうや。なんやぁ、ソフトバンクファンのく
 せしてそんなことも知らんのん」
香苗「うるっさいわ……だいたいなんでソフトバン
 クと大阪球場が関係あるんよ」
新平「はぁ、これやから……あんな奈良さん、ソフ
 トバンクの前の親会社は何か知ってる?」
香苗「それくらい知ってるわ、ダイエーや。福岡ダ
 イエーホークスや」
新平「その前は?」
香苗「……知らん」
新平「南海電鉄。ソフトバンクの前々身球団は南海
 ホークス。で、その南海の本拠地がナンバのど真
 ん中にあった大阪球場や――ソフトバンクのファ
 ンや言うんやったらそれくらい知っといたらどう
 や、奈良さん」
香苗「……あんたなんかほんまにウザいわぁ。
 (沙樹を見て)なぁ。百合岡さ……あのやぁ、
 もうめんどくさいから『沙樹』って呼んでエエか
 な。わたしのことも呼び捨てにしてエエから」
   沙樹、一瞬驚くが、頷く。微笑む香苗。
香苗「やった――ほんで大阪球場の跡は」
新平「日生球場と同じ。商業施設。なんばパークスや」
香苗「なんばパークス……何回か行ったことあるわ」
新平「その前は住宅展示場やった」
沙樹「住宅展示場――」
香苗「野球場の跡が――何か頭がクラクラしてきたわ」
   新平、一冊のファイルを手に取り、なんばパー
   クス内に在る、ピッチャーズプレートとホーム
   ベースのモニュメントの写真が印刷されたペー
   ジを開いて香苗と沙樹に見せる。
新平「これ、実際のピッチャーズプレートと
 ホームベースが在った場所に設置されてる
 んやって」
香苗「なんばパークスの中にあるん、これが?」
新平「そうや」
香苗「全然知らへんかった」
新平「江夏投手が投げてて、佐々木選手や石渡
 選手が立ってたのがここや――甲子園とはえ
 らい違いやな」
香苗「え」
新平「阪神の本拠地が甲子園なのは奈良さんで
 も知ってるやろ」
香苗「馬鹿にせんといて」
新平「甲子園は、きっとこれからもタイガース
 の歴史が積み重なっていく。タイガースだけ
 やない、高校野球も続いていくやろ。けど、
 藤井寺球場は学校とマンションになって、大
 阪球場や日生球場は――阪急ブレーブスの本
 拠地の西宮スタジアムもそうや。全部商業施
 設になってしもてる」
沙樹「……よう調べてるな、ほんまに」
新平「近鉄バファローズも南海ホークスも阪急
 ブレーブスもなくなった。同じ関西の阪神タ
 イガースは全国にファンも大勢いて、いっつ
 も甲子園満員になるくらいお客さん入ってる
 いうのにやで――何かすごい不公平や。思わ
 へん?」
香苗「まぁ、確かに」
新平「あんな、ぼく、この研究始めて、近鉄バ
 ファローズのファンになってしもうたんや。
 球団歌も覚えたで」
香苗「ファン? もう球団ないのに?」
新平「うん。毎晩ユーチューブで近鉄の昔の試
 合観てる。この日本シリーズ、10・19川
 崎球場。次の年のライオンズ戦でのブライア
 ントの四連発。北川の代打逆転満塁サヨナラ
 優勝決定ホームラン……何て言うか、ほんま
 に、劇的な球団やったんや、近鉄バファロー
 ズは」
香苗「オリックスバファローズ応援したらええ
 やん。南海ファンやった人でソフトバンク応
 援してる人かていてるんちゃうん」
新平「う~ん、なんかちょっと違う気がするん
 やなあ、それ。ぼく的には」
香苗「ふ~ん」
新平「阪急ファンと近鉄ファンやった人、今ど
 んな気持ちでオリックスバファローズのこと
 みてるんかな。同じ気もちで応援できてるん
 かな」
香苗「――野川くんも野球の神様が『江夏の21
 球引かせたんかもな」
新平「なあ百合岡さん、おじいちゃんの写真見
 せてくれへん」
沙樹「え、なんで」
新平「見たいんや、もう一回」
   沙樹、スマートフォンを取り出し操作し
   て卓造の写真を新平に見せる。
新平「――ほんまにめっちゃかっこええ。た
 まらんわ、このユニフォーム、帽子の猛牛
 マーク、最高や……」
沙樹「だから老人がプロ野球選手のコスプレ
 してるだけやって言うてるやん」
新平「そやからそんなんと全然違うって言う
 てるやん。いつになったら分かるんや、百
 合岡さんは」
香苗「うん、全然違うで、ゆり――沙樹」
   奈美絵がやってくる。
奈美絵「こんにちは」
新平「あ、あ、こんにちは」
香苗「こんにちはぁ~~」
奈美絵「研究、進んでる――って、進んでる
 みたいやね。すごい」
   奈美絵、机の上のファイルやノートを
 見て。
新平「うん、まあ、順調に」
奈美絵「百合岡さん、て言わはったよね」
沙樹「え、あ、はい」
奈美絵「百合岡って、素敵な苗字やね」
沙樹「え、そう、ですか」
奈美絵「うん。そうやよ。今度登場人物の苗
 字に使わせてもらお」
香苗「登場人物?」
奈美絵「うん。わたしな、実は小説書いてるん」
香苗「へ~え。小説ですかぁ、何かすごいです
 ねぇ」
奈美絵「すごくなんかないけど――ブログにア
 ップしてるん。小鳥遊煌璃って検索したら出
 て来るからまた読んでみて」
香苗「え、た、たかなし――」
奈美絵「たかなしきらり。こんな字書くん」
   財布の中からそのペンネームとブログの
   アドレスが書かれたかわいい名刺を取り
   出す奈美絵。
   差し出された名刺を受け取る香苗。
香苗「へ~え。これでたかなしって読むんで
 すねぇ」
奈美絵「うん。小鳥が遊ぶって書いてたかな
 し」
香苗「すてきですねぇ。ぜひ読ませてもらい
 ますぅ」
奈美絵「野川くんも、百合岡さんも」
   名刺を渡す奈美絵。受け取る新平と沙樹。
新平「あ、はい。ぜひ」
奈美絵「読んだらまた感想聞かせて」
新平「はい、ぜひ、絶対」
   「おーい、ナミ」と図書館入口から声が
   する。振り向く奈美絵。男子高校生が立
   っている。手を振る奈美絵。
奈美絵「じゃあ、これで。研究、がんばってね。
ほんとに楽しみにしてるから」
   立ち去る奈美絵。受付で本を借り、男子
   高校生といっしょに図書館を出て行く。
   その様を呆けたように見ている三人。
   香苗、立ち上がり図書館を出る。新平、
   座ったままぼーっとしている。その新平
   をじっと見ている沙樹。
   香苗、しばらくして戻ってくる。椅子に
   座りながら。
香苗「男と腕組んで帰っていったで。小説家
 の小鳥遊センセ」
新平「……そう」
   香苗、名刺を弄びながら
香苗「小鳥遊煌璃、やて」
新平「……」
香苗「笑けんな」
新平「……」
香苗「どメルヘンや」
新平「……」
   奈美絵の名刺をテーブルに置く沙樹。
沙樹「こんなん自分で作る子いてんねやな」
香苗「ラミネート加工までしたぁる」
新平「……」
   村下孝蔵の『初恋』を口ずさむ香苗。
新平「……何やそれ」
香苗「知らん? 村下孝蔵の『初恋』。昔
 からオトンがよう歌ってるから覚えてしもた」
   クククッと笑う沙樹。
新平「しょうもない」
香苗「しょうもないって何ぃ。慰めてやってるのに」
新平「……」
沙樹「やる気なくした? 野川くん」
新平「……何の」
沙樹「だから共同研究の」
新平「何で」
香苗「そんなん沙樹に言わしなや」
新平「何でぼくがやる気なくさなアカンの」
香苗「そしたら続けるんやね、このまま」
新平「当たり前やろ」
香苗「そう。ほなまあ頑張ろかぁ。そや、ちゃんと
 ブログの小説読んで、感想言わなアカンで小鳥遊
 センセに」
新平「ほっといてぇや。知らんわそんなもん」
香苗「なんでぇ。あんたさっき絶対読むいうてあ
 の子に言うたやん」
新平「……奈良さんかて、読ませてもらう、言うた」
香苗「読むよぉわたしは。めっちゃ興味あるわ。あ
 の子がどんなもん書くか」
新平「……」
沙樹「――森の小人とか出てくるんちゃう」
香苗「あははっ、それ、当たってるかも――けど残
 念ながら野川くん」
新平「なんやねん」
香苗「あの雰囲気から見るに、小鳥遊センセ、おっ
 ぱい揉まれるとこまではいってんな、あの男に――
 あ、少なくとも、やで」
沙樹「香苗、あんた意外と残酷やね」
香苗「はっきり言うといたげた方がエエやろ、こう
 いうことは」
   固まっている新平。

○駅・改札前(数日後)
   新平と香苗が立っている。
香苗「遅いなあ、沙樹」
新平「来んのんちゃう」
香苗「なんでぇ」
新平「なんとなく」
香苗「言いだしっぺが何を頼りないこと言うてんの」
新平「……」
香苗「けど、野川くんにしてはエエ思いつきやわ」
新平「にしては、って……一回実際に見てみたかった
 んや、あそこ」
香苗「うん。わたしもどうなってるのか見てみたい――
 あ、来たで。な」
   歩いてくる沙樹。

○電車の中
   沙樹と香苗、隣合わせに座って。新平は向かいの
   シートに一人で座っている。奈美絵の名刺を取り
   出して笑っている香苗。
沙樹「それで、どんな内容やった?」
香苗「うん。そしたら、そしたらな。ぶははは」
沙樹「はよ言いや」
香苗「あんな、あんな、森の小人は出てこぉへんかっ
 たけどな――ぶはははは」
沙樹「白けるし、早ぅ」
香苗「ごめんごめん、あんな、森の小人は出てきぃひ
 んかったけどな――羽の生えた可愛い妖精と人魚姫
 と王子様が出てきた」
   大爆笑する香苗。下を向いて肩を震わせて笑う
   沙樹。ぶすっとしている新平。

○南海なんば駅・中央口
   電車から降りる三人。歩いて行く。

○なんばパークス二階・屋外
   ピッチャーズプレートとホームベースのモニ
   ュメントがある場所までやってくる三人。
沙樹「ここ?」
新平「うん。あそこやな」
   指差す新平。そこまで歩く三人。ホームベー
   スモニュメントをじっと見つめる。
香苗「実際にホームベースがあったんや、こ
 こに」
新平「うん」
沙樹「ピッチャーの方は?」
   歩き出す新平、ついていく二人。
新平「ここや」
   ピッチャーズプレートのモニュメントを見
   つめる三人。
沙樹「ほんまにここが野球場やったんや」
香苗「信じられへんよね」
新平「ここに江夏豊が立ってたんやな……」
   モニュメントに足を乗せる新平。
新平「奈良さん、ホームベースのところに立
 ってみて」
香苗「え――うん」
   ホームベース横に立つ香苗。
新平「バット構える格好してみて」
香苗「うん――あんたも投げる格好してみいや」
新平「うん」
香苗「なんでぇ。江夏は左投げやろ」
新平「うわぁ、よう覚えてるやん」
香苗「覚えてるわ、それくらいのこと」
   新平、セットポジション。香苗、バッティ
   ングフォーム。その様子をじっと見てい
   る沙樹。
新平「なあ、百合岡さん」
沙樹「何よ」
新平「立ちたかったやろな、百合岡さんのお
 じいちゃん、そこに」
沙樹「――」
新平「立ってたら、ほんまに江夏の球打ってた
 かもしれん」
沙樹「ずっと二軍暮しやった元選手の妄想や、
 そんなもん」
新平「もし打ってたら近鉄は日本一やった。近
 鉄バファローズに、日本一いう歴史が遺ってた」
   ぎこちないフォームで投げ真似をする新平。
香苗「うん。わたしも沙樹のおじいちゃん、サ
 ヨナラヒット打ってたと思う」
   ぎこちないフォームで打ち真似をする香苗。
沙樹「そやから妄想やって、そんなん!」
新平「いやあ、ほんまに打ってたような気がする
 なあ、百合岡さんのおじいちゃん」
   投げ真似をする新平。
香苗「百合岡打ちました! 抜けた! 三塁ラン
 ナー藤瀬に続いて二塁ランナー吹石も今ホーム
 イン! 近鉄バファローズ優勝です!」
   打ち真似をする香苗。
新平「江夏、百合岡に打たれました!」
   モニュメントに膝をつく新平。
   二人を、不思議そうな顔をして買い物客が
   見て通る。
     ×     ×     ×
   ピッチャーズプレートモニュメントのそば、
   並んで立っている沙樹と香苗に新平向いあ
   って。
香苗「ほな、うちら買物とかして帰るから。で
 もやっぱり今日ここ来てよかったわ」
新平「うん――あんな、百合岡さん」
沙樹「何よ」
新平「百合岡さんのおじいちゃんに一回会ってみ
 たいんやけどな、ぼく」
沙樹「――研究のひとつとして?」
新平「それもある。けどそれ以上に、近鉄バファ
 ローズのファンとして、元近鉄の選手に会って
 話し聞いてみたい」
沙樹「……好きにしたら。日曜の朝早ぅには河川
 敷のグラウンドにいてるらしいから」
新平「河川敷のグラウンド」
沙樹「そうや。一応話だけはしとくわ。」
新平「頼むわ、ありがとう」
沙樹「背番号は現役のときと同じ69にしてもろた
 んやて」
香苗「ほな行こか、沙樹。野川くん、小鳥遊セン
 セの小説、ちゃんと読んだらなアカンで」
新平「……うるさいんや」
   なんばパークス屋内へ入っていく沙樹と香苗。
   佇む新平。ポケットから文庫本を取り出し
   て、ページを繰っていく。
新平「『正確に言えば二十六分四十九秒――そ
 の間、江夏はマウンドの一番高いあたりから
 降りようとはしなかった。マウンドは江夏の
 ためにあった』――」
   (『』内山際淳司『江夏の21球』よりの引用)
   プレートモニュメントをじっと見つめ続け
   る新平。

○河川敷のグラウンド(数日後)
   レッドキャッツというチームのユニフォー
   ムを着、ショートのポジションについてい
   る卓造。飛んできたゴロを難なくさばき、
   ファーストに送球する。
     ×     ×     ×
   バッターボックスに立つ卓造。三遊間を
   抜ける綺麗なヒットを打つ。
   卓造のプレーをバックネット裏からじっ
   と見つめている新平。後ろから近づき並
   ぶ香苗。
新平「わっ! 何ぃ、奈良さん!」
香苗「わたしも沙樹のおじいちゃんに会いたな
 ってん」
     ×     ×     ×
   試合が終わる。ベンチに引き上げて来た
   卓造のところへ近づいていく二人。
新平「こんにちは。百合岡沙樹さんのおじい
 さん、卓造さんでらっしゃいますね」
卓造「野川くんやな。沙樹から聞いてる。そ
 ちらは?」
香苗「初めまして。沙樹さんと仲良くさせて
 もらってる奈良です」
卓造「家に電話してきてくれた子ぉやな」
新平「バファローズの元選手とお話できるな
 んて、光栄です」
香苗「わたしも」
卓造「一軍の試合に一回も出たことのないヘ
 ボ選手でもか」
新平「江夏の球、打つ自信あったんですよね」
卓造「――もちろんや」
新平「じゃあヘボ選手なんかじゃないです」
卓造「ふふふっ。言うてくれるな、ぼく」
香苗「あの」
卓造「ん?」
香苗「おじいさんは、このままでいいと思っ
 てるんですか、沙樹のこと」
卓造「ん?」
新平「ちょっと奈良さん、何言うてんの」
香苗「野川くんは黙ってて。このまま沙樹
 が野球やめてもエエんですか」
卓造「――もうちょっとド性根あるヤツや
 と思ってたんやけどな。もう続ける気な
 いやろ、あれは」
香苗「続けさせたくないですか」
卓造「――」
香苗「わたしは沙樹にもう一回、野球やら
 せてみたい。協力してもらえませんか」
卓造「あんたらやったか」
香苗「え?」
   困ったような顔で二人を見交す新平。

○図書館(翌日)
   向いあって調べ物をしている香苗と
   新平。そこに怒りの表情でやってく
   る沙樹。
沙樹「どういうことよ、香苗」
香苗「何がぁ」
沙樹「何でわたしがあの人と勝負とかせな
 アカンのよ」
香苗「またあの人なんか言うてぇ。けっ
 こう乗り気やったやろ、沙樹のおじい
 ちゃん」
沙樹「――ちょっと外出ようや」
香苗「ええよぉ」
   
○図書館の外
   向いあっている沙樹と香苗。少し
   離れて、落ちつかない様子で二人
   を見ている新平。
沙樹「何勝手なことしてくれてんのよ。あの
 人と勝負して、わたしが負けたら野球部戻
 るって、どういうことよ、それ」
香苗「はじめに沙樹に訊いたかて、うん言わ
 へんやろ」
沙樹「当たり前や」
香苗「そやからおじいちゃんに話し持ってい
 った」
沙樹「後から話し聞いたかていっしょや。断
 るわ、そんなもん」
香苗「言う思たわ。逃げるんやね」
沙樹「あんた……」
香苗「部活辞めたときとおんなじ。結局沙樹
 は逃げるんや、そうやって」
沙樹「ほんまに怒るよ」
香苗「なんぼでも怒ったらエエやん。部活の
 ときは頭下げるのが嫌で逃げて、今度は勝
 負もせんと逃げて。逃げまくりの人生、敬
 遠人生や。しょうもな。分かったわ。ほん
 なら断りぃなおじいちゃんに。『へぇ、そ
 うか』で終わりやからさぁ。別に誰も困ら
 へん」
沙樹「……」
新平「奈良さん」
香苗「行こか、野川くん。沙樹なんかほっと
 いて研究続けよ――この子に天下の江夏豊
 の事調べさすのなんか、もったいないわ」
   図書館に戻ろうとする香苗。
沙樹「抑えたらエエんやな、あの人を」
   振り返り沙樹を見る二人。
沙樹「あの人と勝負して勝ったらそれでエ
 エんやな」
香苗「そうや。けど打たれたら、監督やチ
 ームのみんなに頭下げて野球部に戻る」
沙樹「わたしが勝ったら、二度とそんなこ
 と言いなや」
香苗「ええよぉ」
沙樹「負けるわけないやろ」
香苗「ふふっ、おじいちゃんもそない言う
 てた」
   図書館に入っていく香苗。
新平「あ、な、奈良さん」
   何度も沙樹を振りかえりながら香苗
   の後を追う新平。立ちつくしたまま
   の沙樹。

○図書館
   並んで歩く香苗と新平。香苗、ニヤーっ
   と笑って。
香苗「ふふふ、作戦成功」
新平「けど、もうちょっとやり方や言い方が
……」
香苗「沙樹みたいなタイプにはな、ああいう
のが一番効くんやって」
新平「そういうもんなんかぁ」
香苗「そういうもんなん。あんたももうちょっ
 と女心いうもんを分からなアカンで」
新平「ほっといて……」
   席に戻る二人。

○百合岡家・庭(夕方)
   素振りをしている卓造。沙樹が帰ってくる。
   卓造の前を素通りしようとする沙樹。
卓造「おい」
沙樹「なによ」
卓造「さっきの話しやけどな、儂に打たれたかて
 おまえが戻りたないんやったら、部に戻らんで
 エエぞ」
沙樹「……」
卓造「あの子に頼まれたからやるだけや。そこか
 ら先はおまえの好きにせぇ」
沙樹「打てる思てるんや。笑わすなぁ」
卓造「キャッチボールする相手もいてへんのやろ。
 いきなり投げて肩壊して、親に要らん医者代遣
 わしたぁなかったら、シャドーくらいはきっち
 りやっとけ」
   卓造を睨みつけ、家の中に入る沙樹。一旦
   玄関の戸をぴしゃりと閉めるが。ガララッ
   と思い切り引き開け。
沙樹「三球三振じゃボケぇ!」
   叫ぶように言うとまた戸を思い切り閉める。
   笑みを浮かべる卓造。

○バッティングセンター(翌日)
   ケージの中にいる卓造。快打を連発する。
   同じくケージの中にいる客たちが驚きの
   顔で気迫溢れるそのバッティングを見て
   いる。店主、ケージの後ろに立っていて。
店主「えらいまた今日は気合いが入ってまん
 なぁ」
卓造「……話しかけるな」
店主「へいへい。おぉ怖ぁ」
   打球、次々ホームランボードに直撃する。

○河川敷のグラウンド(数日後)
   レッドキャッツの守備陣がグラウンドに
   散っている。マウンドに立っている学校
   の体操服姿の沙樹。ゆっくりとバッター
   ボックスに向かう卓造。ベンチ前に出て
   声を張り上げる香苗。
香苗「それではこれより百合岡卓造対百合岡沙 
 樹の勝負を行います。3アウトを取った時点
 で沙樹の勝ち。1点を取った時点で卓造さ 
 んの勝ち。いいですね。それでは、プレイ
 ボール!」
アンパイア「――お嬢ちゃん、それ、俺の仕事
 やから」
   沙樹と卓造以外の人間が笑う。対峙して
   いる沙樹と卓造。二人、目を逸らさない
アンパイア「プレイボール!」
   一打席目。沙樹の速球。ストライク、ス
   トライク、ストライク。三振。バットを
   ピクリとも動かさない卓造。
新平「速い……これ、女の子の投げるボールと
 ちゃうよ」
香苗「うぅん」
新平「え」
香苗「沙樹の球はこんなもんやない。やっぱりブ
 ランク大きいわ」
   二打席目。ストライク、ストライク、スト
   ライク。三振。すべて速球。やはりバット
   をピクリとも動かさない卓造。
沙樹「ちょっとぉ、やる気あるん? それと
 も手ぇ出ぇへんの?」
   打席を外す卓造。一度素振りをする。沙樹
   を見据え。
卓造「いくぞ」
沙樹「今だけかっこつけさせといたるわ」
   三打席目。沙樹、大きく振りかぶって速球
   を投げ込む。
   卓造フルスイング。打った瞬間それと分か
   るホームラン。打球の行方を茫然と見つめ
   る沙樹。静まり返るグラウンド。
沙樹「も、もう一回や! ただの出会いがしら
 やあんなもん!」
卓造「――ああ、ええぞ。投げてこい」
   沙樹、投げる。打ち返す卓造。左中間を
   大きく超える長打。
卓造「ちょっと芯外れたか」
沙樹「もう一回や!」
   投げる沙樹、打ち返す卓造。その様が繰
   り返される。
新平「奈良さん」
香苗「黙って見とき」
   打たれ続ける沙樹。泣きながら投げる。
   やがて崩れ落ちるようにマウンドに座り
   込む。
卓造「――ああ、儂もさすがにしんどいわ」
   卓造もバッターボックスにへたりこむ。
   マウンド上に座り込んだままの沙樹。
卓造「どないした沙樹。もうしまいか。儂は
 あと五分も休んだらまだまだいけるぞ」
沙樹「――しまいや!」
卓造「しまいか!」
沙樹「しまいや! 長いこと走ってへんから
 もう投げられへんのや!」
卓造「そうやなぁ。スタミナ切れやなぁ! 
 体重の乗ってない軽いボールばっかりやっ
 たわぁ!」
沙樹「うっさいんじゃ!」
卓造「沙樹ぃ!」
沙樹「なんや!」
卓造「ちゃんと走ってたらまだまだ投げられるんか!」
沙樹「当たり前や! 最初から打たれてへんわ!」
卓造「そしたらまた走らんかい!」
沙樹「……」
卓造「走って走って、速ぉて重い球投げられる体を作
 らんかい!」
   マウンド上でわんわん泣き始める沙樹。
新平「あ、奈良さん」
   マウンドへ向かう香苗。沙樹の前に立つ。
香苗「沙樹」
   涙でグシャグシャになった顔で香苗を見る
   沙樹。
香苗「ぶさいくな顔して――戻るよ、野球部」
沙樹「香苗……」
香苗「退学届持ってついて行ったる。あんたが野
 球部戻れんと決まった時は、わたしが学校やめ
 る時や」
沙樹「アホか、何をわけのわからんこと言うてる
 ねん……」
香苗「本気やで――野川くん!」
新平「なんや」
香苗「沙樹が野球部戻られへんかったら、わたし
 もアンタも学校辞めるんやで、ええな!」
新平「はいぃぃ~~っ!?」
   微笑んでマウンド上の沙樹と香苗を見てい
   る卓造。

○××高校グラウンド(数日後)
   女子野球部員たちに囲まれている沙樹。彼
   女の後ろに香苗と新平。監督の由紀、部長
   の勝彦もいる。
沙樹「あの……」
   部員たちの白い目に気押されている沙樹。
   うつむいて言葉が続かない。
香苗「しっかり、沙樹。謝るときは相手の目
 を見て心から謝るん」
頷く沙樹。顔を上げる。
沙樹「選抜大会のときはひどい行為をしてしまい
 ました。みんなに謝ります。ごめんなさい」
   頭を下げる沙樹。
真美「選抜のときのことだけ?」
沙樹「え?」
真美「あんたが謝らなアカンのは選抜のときのこ
 とだけかって訊いてるん」
沙樹「……自分勝手な態度をとり続けて、チーム
 の輪を乱していました。ごめんなさい」
   また頭を下げる沙樹。
由紀「どうする、みんな。百合岡は頭下げてるけど」
真美「昨日先生から話しを聞いてみんなで話しあい
 ました。百合岡さんの部への復帰にあたっては条
 件があります」
沙樹「条件……」
真美「一つ、練習前と練習後、用具の運搬を一年と
 いっしょに三年の終わりまで続けること。二つ、
 練習試合も含めて試合後全員のスパイクの手入れ
 をすること。三つ――これは先生にも納得してほ
 しいのですが、背番号1はずっと貰えないものと
 思うこと。以上、この三つの条件を百合岡さんが
 受け入れられたら部への復帰を認めてもいいとい
 うことにみんなで話し合った結果なりました」
由紀「――だそうよ、どうする百合岡」
沙樹「――」
由紀「あなた次第よ」
沙樹「――分かりました。三つの条件受け入れます
 ので、わたしが部に復帰することを認めてくださ
 い。お願いします」
   頭を下げる沙樹。
由紀「よし。百合岡はこう言ってる。みんなはどう、
 異存はない?」
   顔を見合わせ、小さく頷く部員達。
真美「これからはチームワークを第一に考えて、
 百合岡さん」
   頷く沙樹。
由紀「はい。じゃあ、この話はこれで終了。練習始
 めます。百合岡、練習着に着替えてきなさい」
沙樹「はい!」
   部室へ向かおうとする沙樹。ランニングを始
 めようとする部員達。
新平「ちょっと待たんかい!」
   突然の大声に誰もが驚く。
新平「何じゃあ今のは! 何なんや今のは!」
香苗「ちょっと野川くん」
新平「おまえ黙っとけ! ああ、何なんやっ
 て聞いてんねん!」
香苗「『おまえ』って……」
真美「部外者は口はさまんといて」
新平「やかましいっ! 条件飲まな戻れんて
 江戸時代の踏み絵か! アホかボケぇ! 
 特になぁ、三つ目の背番号1はずっと貰え
 んものやと思えって、なんじゃそりゃあ!」
真美「みんなで話し合った結果よ。部外者に口
 出してほしくない」
新平「部外者部外者うるさいんじゃ! そのチ
 ームで一番実力のあるピッチャーがエースナ
 ンバー付けるんやろが! それが当たり前ち
 ゃうんか! ハナからそれが認められんてお
 かしいやないかぁ! 違うんですか藤川先生! 
 岡田先生!」
勝彦「野川……」
新平「ぼく、なんか間違えたこと言うてますか! 
 答えてくださいよ! 間違えてるのここの部
 員と違うんですか! 生徒が間違えたらそれ
 正すのが教師の、指導者の役目でしょう!」
沙樹「ええんよ、野川くん。背番号なんかわたし
 はもうどうでもええ。部に戻れて野球できたら
 それでええねん」
新平「なにぃぃっ!」
香苗「ほら、沙樹もああ言うてんねんから、もう
 帰ろ、ほら」
新平「んあぁぁっ! 納得いかん! ぼくは絶対
 納得いかんぞぉ! 何がチームワーク第一や! 
 あんなぁ、選手がチームワークなんかをなぁ、
 いちいち考えとったらなぁ、野球なんかできひ
 んのじゃ! 江夏豊が言うとんじゃ! よう覚
 えとけ!」
香苗「何を言うてんのよ、ほら帰るよ、もう」
   肩を押すようにしてグラウンドから新平を
   連れ出そうとする香苗。
新平「戻らんでええ! こんな部活に戻らん
 でええぞ! 百合岡さんっ!」
香苗「ああっ、もうほんまにうるっさいっ!」
   足を蹴たぐり新平を倒す香苗。
新平「ぐあっ!」
   倒れた新平の後ろ襟を鷲掴みにしてずるずる
   引っ張っていく香苗。
香苗「沙樹ぃ、よかったなあ。がんばりやぁ
 ! 来い、このどアホ!」
新平「間違えてへん! ぼくは間違ったこと
 言うてへんからなあっ!」
沙樹「野川くん……」
小さくなる二人を茫然と見ている部員達。
由紀「――野川くんの言ってることが正しいですよ
 ね。条件が出た段階でわたしがストップかけなけ
 ればいけなかった」
勝彦「ええやないですか。百合岡みたいな実力のあ
 る選手ほど雑巾がけが必要ですよ」
由紀「まだまだですね、わたし」
勝彦「『アマは、まとまって勝つ。プロは、勝って
 まとまる』」
由紀「え」
勝彦「西鉄ライオンズの監督を務めた名将、三原脩
 の言葉です。まとまって勝つことをしっかり生徒
 に教えたらええやないですか先生は」
由紀「――」
勝彦「しかし野川のやつ、江夏にかぶれまくっとる
 わ。おもろいヤツやで」
新平(声)「ぼくは間違えてへんぞぉっ!」
   新平の声が響く。
   ×       ×      ×
   並んでピッチング練習をしている沙樹と朋香。
   (以下の台詞、ふたり投球を繰り返しながら)
朋香「久しぶりやね、百合岡さんとこうやって並んで
 投げるの」
沙樹「――うん」
朋香「夏の大会、百合岡さんいてたらなあって、きっ
 とみんなも思ってた。誰も口には出さへんかったけ
 ど」
沙樹「――」
朋香「あんな。三つ目の条件、わたしどうでもエエん
 や。そんなんやめてって言うたんやけどな、みんな
 がなぁ」
沙樹「え」
朋香「野川くんの言うたことが正しいと思う」
沙樹「――」
朋香「なぁ、分かる? わたしちょっと球速くなった
 やろ」
沙樹「うん」
朋香「絶対戻ってくるって思ってたから必死で練習し
 ててんから」
沙樹「――」
朋香「えらいおとなしいなあ、どないしたん。エース
 ナンバー獲るつもりできてくれな、燃えへんやん」
沙樹「――絶対獲ったるから」
朋香「絶対譲らへんから」
沙樹「けど、先発の座はどうでもエエ」
朋香「え」
沙樹「リリーフに出て、胴上げ投手になるいうのも
 悪ぅないみたいやから」
朋香「――スパイクの手入れ、わたしもいっしょに
 やってあげるから」
沙樹「――うん」
朋香「おかえり。頼りにしてる」
沙樹「――ただいま」
   二人、楽しそうに投げ合い続ける。

○××高校・二年七組教室
   新学期、最初の現代文の授業。研究ノートを
   各人が教壇の勝彦のところまで持っていって
   いる。
   新平、教壇へ。沙樹と香苗も続く。教壇に置
   かれるノート、ファイルの分量にどよめきが
   おきる。勝彦、ノートをぱらぱらとめくりな
   がら。
勝彦「えらいもんや。ごっつい成果や」
香苗「でしょ。それ、読まれたら一旦野川く
 んに返してあげてくださいね先生」
勝彦「ん、なんでや?」
香苗「読ませなアカン人がいてるんです。な、野川
 くん」
新平「――うるさい。もうどうでもエエわ、そんなん」
勝彦「なんやいろいろあったみたいやな。この研究
 してよかったか、奈良」
香苗「はい、とっても。沙樹とも仲良くなれたし」
勝彦「百合岡は」
沙樹「はい」
勝彦「よう戻ってきたな」
沙樹「――奈良さんと野川くんのおかげです」
勝彦「『おかげ』か。おまえの口からそんな言葉
 が出るようになるとはなあ」
   苦笑する沙樹。
新平「ぼくは納得してませんから」
香苗「しつこぉ。まだ言うてる」
勝彦「ふふっ。そうやな、野川、おまえが正しい。
 けどあんまりしつこい男はモテへんぞぉ」
新平「ほっといてください」
   笑う沙樹と香苗。
勝彦「みんなよう調べた。心して読ませてもらう
 わ。よし、席に戻れ」
香苗「先生」
勝彦「なんや」
香苗「研究、まだ終わってないんです」
勝彦「え」
香苗「実戦発表があるんです。な、沙樹、野川くん」
   頷く二人。
勝彦「実戦発表?」
香苗「はい。それが済んでこの研究の完成です。日
 にちが決まったらお知らせしますから、先生もぜ
 ひ来てくださいね」
勝彦「実戦発表――」

○河川敷のグラウンド
   沙樹、新平、勝彦、由紀、充、智美、康介、
   そしてバファローズのユニフォームを着た
   卓造がネクストバッターズサークルのあた
   りに立っている。グラウンドに散っている
   レッドキャッツのナイン。
卓造「種明かしはまだしてくれんのか、沙樹」
沙樹「もうちょっと待ってよ」
新平「もうすぐだと思います」
卓造「なにを企んでるのか知らんが、早うこ
 のユニフォーム脱がせてくれ」
充「恥ずかしがらんでもええがな!」
智美「かっこエエよ、おじいちゃん」
卓造「冷やかすな」
勝彦「野川」
新平「はい」
勝彦「ほんまやったんやな、百合岡のおじい
 さんが元プロやっていうのは」
新平「嘘やて思ってたんですか」
勝彦「いや、そうやない。けど、こうやって
 ユニフォーム着てはるの生で見ると、実感
 できるっていうかな」
新平「――最高ですよね、あのユニフォーム。
 あんなにカッコエエユニフォーム、メジャ 
 ーリーグでもないですよ」
   土手上の道にタクシーが止まる。
新平「あ、来はった! 百合岡さん!」
   駆けだす沙樹と新平。土手を駆けあがり、
   タクシーのところへ行く。その様をじっ
   と見ている卓造。
   後部座席が開く。香苗が降りる。次に男
   が降りてくる。
   広島カープのユニフォームを着た江夏豊
   である。
   江夏のところに集まる三人。少し会話し
   た後、三人が石段を降りはじめる。江夏
   も続く。
由紀「岡田先生、あの人……」
勝彦「嘘やろ、おい……」
   言葉を失い、ただ江夏を見つめている卓
   造。  
   卓造のところまでやってくる江夏。
江夏「百合岡卓造さんですね。江夏豊です」
卓造「あ、あの……」
江夏「お孫さんたちからお手紙をいただきまし
 てね。来させてもらった次第です」
卓造「手紙を……」
江夏「ええ。本当にいいお孫さんをお持ちです
 ね。羨ましいかぎりです」
卓造「……」
江夏「ユニフォーム、今日の為に特注で作って
 もらいました。さすがに現役時代のものはも
 う入りません、ははは」
卓造「今日の為に」
香苗「ここ来る前にわたしの家に寄って、着替
 えてもらったんです」
江夏「わたしね、百合岡さんのこと覚えてますよ」
卓造「え」
江夏「なんで行こうと思ったんか――79年、中モ
 ズのファームの試合を観に行ったことがあるん
 です、甲子園遠征のときに。そのとき試合に出
 ておられた。確かサイクルヒットを記録されま
 したよ、百合岡さん」
卓造「中モズでのサイクルヒット――覚えてます」
江夏「ファールで粘って右に左に打ち分ける実に
 いやらしいバッターだなと思いましたよ。いつ
 上に呼ばれてもおかしくないともね。シリーズ
 にバファローズが出て来たら背番号69には注意
 をしなければならないと頭に入れました」
卓造「儂を、覚えて」
江夏「けれど百合岡さんはシリーズのベンチ入り
 メンバーには選ばれなかった」
卓造「……」
江夏「では、少し準備させてください」
   マウンドへと歩き出す江夏。
卓造「え」
   投球練習を始める江夏。その様をじっと見
   つめ続ける卓造。
江夏「じゃあ、いきますか」
新平「それではただいまより、〈現代文研究『江
 夏の21球』を読んで〉実戦発表を行います――
 近鉄バファローズ、ピッチャー山口哲治に代えて、
 ピンチヒッター百合岡卓造! 背番号69!」
   茫然と立ったままでいる卓造。
香苗「卓造さん」
卓造「あ、ああ」
   バッターボックスに入る卓造。
   江夏、投げる。卓造、振れない。泣き始める
   卓造。
   ストライクが二つ続く。卓造、涙が止まらない。
江夏「どうされました、百合岡さん、あの頃
 のわたしの球じゃないと、バットを振る気
 になれませんか」
卓造「いえ、そんなことは……」
沙樹「何やってんの! 打つんやろ! 江夏の球打つ
 んやろ!」
卓造「沙樹……」
沙樹「自分やったら江夏の球打てたんやろ! 近鉄優勝
 してたんやろ! そう思って、あれから毎日そう思っ
 て生きてきたんやろ! だったら打ってよ! 打つ
 とこ見せてよ!」
卓造「……」
沙樹「江夏の球打ってよ、おじいちゃん!」
   卓造うなずき、一度バッターボックスを外す。
   『近鉄バファローズの歌』を大声で歌い始める
   新平。
新平「『飛ぶ雲 飛ぶ声 飛ぶボール 飛ばせ 雲まで ボー
 ルよとどけ バファローズ バファローズ つのを ひと
 ふり つむじ風 バファローズ』 かっとばせー、ゆっ
 りおかー、広島たっおっせー、オー! 『まなじり
 口もと 武者ぶるい しまれ ゆるすな ナインよひかれ
 バファローズ バファローズ 吠える のどもと いなび
 かり バファローズ』 かっとばせー、ゆっりおかー、
 江夏をたっおっせー、オー!」
   (『』内は引用「近鉄バファローズの歌」作詞・竹中郁)
   二度、三度と素振りを繰り返す卓造。
江夏「ほぉ」
   バッターボックスに入る卓造。ガッ、ガッとス
   パイクで足場を固めバットを構える。鋭い目つ
   きでマウンド上の江夏を睨む卓造。現役時代と
   同じ仕草でセットポジションをとる江夏。
   放たれるボール。一閃されるバット。
   青空に高く高く舞い上がる白球。
   そのストップモーション。
                  (了)


  引用 山際淳司「江夏の21球」
     「近鉄バファローズの歌」作詞・竹中郁
   



                     

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