人 物
藤井杏珠(20) 大学2年生・ダンス部
神原真理(25) 市民オーケストラ・ヴァイオリニスト
小川彩葉(37) ダンススタジオ『シカゴ』オーナー
白石かすみ(20)大学2年生・ダンス部
宮沢創二(40) 市民オーケストラ・指揮者
○ダンススタジオ『シカゴ』・外・夕
ガラス張りの正面入り口。「ダンススタジオ シカゴ」と書かれた部分を内側から藤井杏珠(20)が磨いている。外から4人組の男女がスタジオに入っていく。
○同・中・夕
ガラスを拭いていた杏珠、手を止めて4人組の男女に道を譲る。入口正面にあるカウンターでは、小川彩葉(37)が予約票を取り出して待っている。
彩葉「いらっしゃーい。Cの部屋4名様ね」
彩葉が客を案内している隙に、杏珠は足元の掃除道具をまとめてバケツに仕舞う。
彩葉「アンちゃん、C室入ったら消毒お願い」
杏珠「はーい」
彩葉「あ、明日早めに入ってもらうのってアリ? ナシ?」
杏珠「明日? 5限ないから4時半には入れますよ」
彩葉「助かる~! 急に予約入って満室になっちゃってさぁ」
杏珠、掃除道具を持ち直してカウンター脇の廊下へ向かう。廊下にはスタジオに通じるドアが5つあり、小窓から中が見えるようになっている。杏珠はドアノブや廊下に置いてある棚を消毒して回りながら、中を覗いていく。
「A」のスタジオでは、女子大生のグループがダンス練習をしている。隣の
「B」スタジオはフラダンスをしている40代前後の女性グループ。
「C」スタジオでは入ったばかりの4人組がウォーミングアップのストレッチ中。
「D」は空室で、突き当りの
「E」スタジオを覗くと神原真理(25)がパイプ椅子に座ってヴァイオリンを演奏している。弦を弾く指先は優雅だが、かなりの猫背。
杏珠「めっちゃ猫背」
杏珠、ドアに耳を寄せて耳を澄ませるが、音は聞こえない。もう一度窓をのぞき込み、弦を押さえる指先を見つめる。リズミカルな指先につられて、杏珠のつま先が揺れる。ふと神原が演奏をやめ、鏡を見て背筋を伸ばす。杏珠もそれを見て我に返り、消毒を終えてカウンターに引き返す。カウンターでは暇になった彩葉がスマホを眺めている。
杏珠「アヤさん、ここ楽器オッケーだったんですね」
彩葉「あぁE室? ダメとは言ってないけどケースバイケースかな。ヴァイオリンのソロはアリ」
杏珠「ふーん。この辺バンド向けのスタジオとか無かったですっけ?」
彩葉「なんか鏡が欲しかったんだって」
杏珠が廊下に目をやると、Aのドアが開いて女子大生グループが出てくる。杏珠は慌ててカウンターの下に身を隠す。グループの中から、白石かすみ(20)がカウンターまで退室の手続きをしに来る。
かすみ「ありがとうございました」
彩葉「はーい。いつもありがとね」
手続きを終えたかすみ、待っていた女子体制グループと一緒に去っていく。彩葉、カウンター下をのぞき込む。
彩葉「え、今の同じサークルの子たちじゃないの?」
杏珠「いや、そうだけど、なんかバイトしてるとこ見られなくないじゃないですか」
彩葉「なーに、仲悪い感じ?」
杏珠「いや全然。今度やる部内発表会でチームが違うだけ。まぁチームってか私はソロですけど」
彩葉「ソロ!? あんたも偉くなったねぇ」
杏珠「いやいやいやいや……そういうんでもないから」
杏珠、グループの中心になって歩いているかすみの背中を見送る。
杏珠「別に一人はナシ! って決まりじゃ無かったから」
○音楽ホール・中・夕
指揮者の宮沢創二(30)を中心に、オーケストラがリハーサルをしている。前列の一番端では猫背の神原がヴァイオリンを構えている。
宮沢「OK、最初のリハにしてはまとまってたと思います。今回全体リハ少ないのでパートごとに合わせたり工夫してもらえると助かります。じゃあ今日はこの辺で」
宮沢が指揮棒を置くのに合わせ、他のメンバーも楽器を片付け始める。宮原、指揮台を降りて譜面にメモを書き込んでいる神原に話しかける。
宮沢「神原さん、前より姿勢マシにはなってるけど、こうやって並ぶとやっぱり悪目立ちしますね。姿勢含めて練習してますか?」
神原「あー、一応、鏡を見ながら……」
宮沢「楽器は正しい姿勢がいい音を生みますから。もう少し頑張ってくださいね」
神原「夢中になるとつい姿勢のこと忘れちゃって……頑張ります……」
神原、思い切り背筋を伸ばしてヴァイオリンを構えてみるが、指先がぎこちなくなる。
宮沢「私は好きなんですけどね、神原さんのその音」
神原、照れて猫背に戻る。
○雑居ビル・外・夜
ヴァイオリンケースを背負った神原が歩道を歩いてくる。ガラス張りのビルの横を曲がろうとして、人影を見つけて立ち止まる。ビルの敷地内には、ガラスを鏡代わりにしてダンスの練習をしている杏珠。神原、杏珠のステップを見ながら指先で一緒にリズムを刻む。ふとガラスに自分も打つていることに気づき、慌てて目をそらす。その動きで杏珠も神原に気づくが、神原は杏珠が振り返る前に足早にその場を去る。
○ダンススタジオ『シカゴ』・中
彩葉がカウンターで予約の整理をしていると、杏珠が駆け込んでくる。
杏珠「おはようアヤさん!」
彩葉「アンちゃんって予約入れてるときは本当にイキイキと入ってくるよね。おひとり様はE室」
杏珠「なんのためにバイトしてると思ってるんですか!」
彩葉「あれ、でもEってさっき……ちょっと待って」
杏珠、彩葉が止めるのも聞かず一目散にEのドアへ向かっていくが、ドアを開くと神原がいる。勢いよく開いたドアに驚いて固まる神原。杏珠の後ろから彩葉が顔を出す。
彩葉「ごめん! ダブルブッキング!」
杏珠「えっ、どういうこと」
彩葉「私ぼんやりしてて予約票に杏珠の予約入れ忘れてた! 最近ずっと神原さんが入ってたから……」
杏珠「え、それ私どうなるの」
彩葉「えーっと、今は他の部屋も一杯だから、別の日に出来ない?」
杏珠「別の日って、もう発表今週だし!」
入り口で言い合いを始める彩葉と杏珠をあっけに取られて見つめる神原。
神原「えーっと……この広さですし、僕隅っこ使えればいいので良かったら……」
彩葉と杏珠、顔を見合わせる。
彩葉「……アンちゃん的に、アリ? ナシ?」
杏珠「あ、私イヤホンつけるから全然アリ。アリです!」
彩葉「じゃ、今日はフリースペースってことで……あ、もちろんお金は返すから、ちょっと待ってて」
彩葉、カウンターに戻る。
神原「すいません、僕も音控え目にするんで」
杏珠「え、それじゃ練習の意味なくないですか!? いいですよ気にしなくて」
神原「演奏っていうか、姿勢の練習なので」
杏珠「あ~確かに、すっごい猫背ですよね」
神原「すいません……」
杏珠「でも良かった。ずっと気になってたんです、あなたの演奏」
神原「え?」
杏珠「あ、私ここでバイトしてるんですけど、清掃の時窓からたまに見えてて。ここで楽器練習してる人って珍しいから、どんな音なのかなーって気になってたんです」
神原「いや、そんな、大したことないですけど……」
神原、ヴァイオリンを構えておそるおそる「チャルダッシュ」を演奏しはじめる。
杏珠「あ、それ聴いたことあるかも」
神原「本当はもうちょっと早いんだけど、まだ指が追い付かなくて」
曲の盛り上がりに合わせて杏珠がステップを踏み始め、即興で踊る。
杏珠「……こんな感じ?」
杏珠のダンスに驚きながらも、演奏に熱が入る神原。
神原「いつも一人で踊ってるの?」
杏珠「うーん、気分かな。人数いると下手でもごまかせちゃうじゃないですか。今はそれが嫌で」
神原「僕も集団は性に合わなくて」
杏珠「あ~、っぽいですね」
神原、苦笑。曲のラストで、神原と杏珠が息を合わせて演奏とダンスを終える。
了
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