出版社勤務の夏目光莉は、産む女性・産まない女性・産めない女性等、様々な女性の価値観を特集する「エゴイストな女達」と言う記事の取材をしていた。
そんな折、自身が望まぬ妊娠をしてしまう。産んで欲しいと言う恋人に対し、かたくなに産むことを拒否する光莉。その裏には、誰にも明かしていない秘密があった…。
第21回伊参スタジオ映画祭最終候補作品です。
60分の映像作品です。尺の変更、戯曲・音声ドラマへの変更もご相談ください。
よろしくお願い致します。
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コメント
シナリオを読ませていただきましたが、正直この作品にはテーマ的にも作劇的にもかなり問題があると思われます。
テーマである「女性が子どもを産み、育てる」ということが明確で分かりやすいのですが、言ってしまえばテーマしかないように見受けられます。
主人公は「子どもを産まない」という選択をした女性の取材をしている記者ということですが、その特集のタイトルが「エゴイスト」というのは、このご時世もう少し気をつけるでしょうし、最終的に「産むこともエゴイズムなのだ」というところに収めたいのでしょうが、そこに至る過程がおざなりな印象が拭えません。
そもそも「産むこともエゴイズムなのだ」というのは仕事をしていく、特集記事を書いていく過程でわかるものなのではないでしょうか?
というよりもそここそが実は出発点なのではないでしょうか?
冒頭で取材対象者が相当切実な真実を吐露しており、主人公も母性信仰を否定するセリフを述べています。これはある種のハッとさせられる進んだ感覚・考え方なのにそちらに吹っ切らず、結局保守的な行動をとってしまっているように感じます。
それと主人公の母親が育児ノイローゼで自死したというのは単純すぎると思われます。仮にそうだとしても、あんな三面記事の見出しのような扱いですませてよいのでしょうか?
正直、この作品を不妊治療をしている方や育児ノイローゼで悩んだことのある方が読んで納得するでしょうか?
厳しいことを言うようですが、今の問題を扱っているのでしょうが感覚はあと十歩ほど遅く、テーマの捉え方も広げ方も雑という印象を持ってしまいました。
ここまで書いて思ったのですが、この作品の本当のテーマは「産む・育てる」ということではなく桐乃氏の他の作品にも通底する「人間の善良さ」についての話しなのではないでしょうか?
しかし、その「善良さ」もこれまでの固定観念から発せられたものでしかないのではないでしょうか?
ならばもう少し、「人間の善良さ」について考える必要があるのではないでしょうか?
もしも、桐乃氏がこういったテーマで再び書こうと思うのであれば、「サイダーハウスルールという映画と原作をお勧めしておきます。
突然のご無礼をご容赦ください。
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