悪妻の帰還
【梗概】
市役所で働く飯島優作は、仏頂面の中年男である。飯島は娘の絵美と暮らし、別れた画家の妻、澄美に対して愛憎半ばの気持ちを抱いている。
ある日、飯島の職場で油絵が飾れることに。喜ぶ周囲に対して、飯島は不快な表情を表す。
飯島は妻と別れる原因となった『絵画』を憎んでいるためである。別れた妻への憎しみを吐き出す飯島を、上司の田口は「お前は、少しガキなんだよ」と非難する。反発する飯島。
母を愛する絵美は、自らの結婚式に澄美が来ることを望んでいる。しかし澄美から出席の返事はない。澄美の招待をめぐり言い争う飯島と絵美。その時、澄美から贈り物が届く。それは若い頃の飯島と、幼い絵美を澄美が描いた油絵だった。澄美からの愛情を感じとった飯島と絵美。飯島は戸惑い、絵美は感激する。絵美は家族のために秘密の計画を立てる。
絵美は、毎夜、部屋の整頓だと称して飯島家のアトリエ部屋に籠る。一方、飯島は澄美との過去を回想し、澄美へ連絡を取ろうとするができない。悩む飯島を見つめる絵美は計画のために日々疲れていく。絵美を案じる婚約者の遠藤は「自分自身に嘘ばかりついている」と飯島に批判をぶつける。
鬱々と過ごす飯島は、田口から「一生に一度の日くらい、自分に素直になれよ」と結婚式前日に告げられる。結婚式当日、会場には、絵美が母の姿を描き足した、澄美から贈られた油絵があった。絵美の計画の正体を見た飯島は、本当の感情を露わにし、澄美へ連絡を取る。
数日後、飯島は職場に飾られている油絵の美しさに気づく。『絵画』への憎しみが消えた飯島は、夕陽が射し込むアトリエ部屋で一人、絵のなかにいる澄美の髪を乾いた筆で撫でるのであった。
【人物】
飯島優作(25、30、51)公務員
飯島絵美(3、24)デザイナー・飯島の娘
飯島澄美(すみ)(23、28、49)画家・飯島の元妻
遠藤秀一(27)銀行員・絵美の婚約者
田口克一(62)飯島の上司
女性プランナー
男性宅配便配達員
老女
◯市役所・廊下・中(朝)
飯島優作(51)の不愉快そうな顔。飯
島、白髪まじりの髪を七三分けにセッ
トしている。中肉中背。
壁の一面に大きな油絵がある。絵には
一面のひまわり畑が描かれている。
油絵の前に、飯島と田口克一(62)と、
職員たちが集って絵を見つめている。
田口、丸顔に太り気味の体。
田口「えー。前市長が、油絵を始めたとのこ
とで、なんと! 私たちの職場に! 習作
を贈呈して頂きました!」
飯島、眉間に皺を寄せる。
朗らかに笑う職員達。
田口「期待してたより、ずっとお上手ですね」
どっと笑い合う田口と職員達。
飯島、ムッとした表情で職員達から離
れて歩いていく。
田口「おい、飯島?」
職員達、不可解そうな顔で飯島を見る。
田口、去る飯島を見て、苦々しい顔で、
田口「(呟き声で)あー。今日一日アイツ機嫌
悪いぞ」
田口、チラリと油絵を見て、
田口「絵に罪はないのになぁ」
不思議そうな顔の職員達。
◯結婚式場・外観
◯同・打ち合わせ室・中
瀟洒な打ち合わせ室。
テーブルで飯島絵美(24)、と遠藤秀一
(27)が隣り合って座っている。
絵美、ショートヘアで丸い瞳。遠藤、
細面で柔和な顔立ち。
絵美、装花の本を楽しげにめくる。
向かい側には女性プランナーが座って
てメモをとっている。
女性プランナー「お花のコーディネートはカ
サブランカ中心にスッキリと……。素敵な
ご趣味ですね」
遠藤「絵美は芸術家だもんね」
絵美「やめてよ。しがないウェブデザイナー
です」
女性プランナー「ところで、席次表はお決め
になられましたか」
笑顔が消える絵美。
遠藤、心配そうに絵美を見る。
絵美「親族席のところがまだ……」
女性プランナー「来週までには是非とも決め
て頂きたいのですが……」
絵美「……はい、大丈夫です」
絵美、弱々しく笑う。
◯市役所・食堂・中
仏頂面でカレーを食べている飯島。
田口、うどんをのせたトレーを持って、
にやけ顔で飯島の目の前に座る。
飯島「なんですかいきなり」
田口「飯島さぁ。部下の前で不機嫌なるのや
めろよなぁ。朝からずっとだろ」
飯島「いい歳して、いつも機嫌いい方が気持
ち悪いでしょ」
田口「あー、なんか話から逃げようとして
る。そういうとこダメ。マジダメ」
飯島「相変わらず失礼な方ですね」
田口「君には負けるよぉ」
飯島、田口を無視してカレーを食べる。
田口「絵、まだ嫌いなの?」
飯島「……」
田口「絵美ちゃんの披露宴、ホント楽しみだ
なぁ。まさか招待してくれるとは」
飯島、スプーンを置く。
飯島「田口さんは、絵美のこと子供の頃から
可愛がってくれましたし……」
田口、ニヤリと笑って、
田口「ちっちゃい頃はいつも俺の似顔絵描い
てくれたなぁ。才能は母親からの遺伝かね」
飯島、鼻で笑う。
飯島「あの売れない画家やってる女から、な
んの才能を受け継げるんだか」
田口、真剣な顔をして、
田口「いくら別れた奥さんだからって、絵美
ちゃんの母親をそんな風に言うんじゃない」
飯島、眉をひそめる。
飯島「あいつは産んだだけで、母親なんかじ
ゃない」
田口「それは絵美ちゃんが決めることだろ。
披露宴に澄美さんは来るのか?」
飯島「……さあ、あんなやつ」
田口「お前、少しガキなんだよ。別れた女が
嫌い、その女が好きなものが嫌い、だから
絵が嫌い。嫌いなもの増やしてどうする」
飯島「……嫌いで済めばもっとよかったです
よ。絵なんてこの世になければ……」
飯島、食べかけのカレー皿をトレーご
と持ち、テーブルから去っていく。
田口、去る飯島を真面目な顔で見る。
◯同・廊下・中(夜)
人けのない廊下。
飯島、鞄を持って仏頂面で歩いて来る。
飯島、油絵の前で立ち止まる。
飯島、油絵を睨みつける。
◯回想・飯島家・アトリエ部屋・中(夕)
夕陽が射し込む二階の角部屋。
飯島澄美(24)が大きなキャンバスに
ひまわりの油絵を描いている。
澄美、ロングヘアの丸顔、丸い瞳。
妊娠で膨らんだ澄美の腹部。
飯島(26)が微笑んで、澄美の背後に
歩いてくる。
澄美、振り返って飯島に微笑む。
飯島と澄美、微笑みあう。
絵筆がのせられる、ひまわりの油絵。
◯元の市役所・廊下・中(夜)
飯島、顔を歪めて舌打ちをする。
飯島、重い足取りで出ていく。
◯飯島家・リビング・中(夜)
ダイニングキッチンのあるリビング。
テーブルの上におかずが並んでいる。
飯島、テーブルに座って、仏頂面で夕
刊を読んでいる。
絵美が疲れた顔で入ってくる・
絵美「疲れた〜。ごめんね。連絡した時間よ
り遅くなっちゃった」
飯島、立ち上がり、炊飯器の前へ向か
っていく。
飯島「メシの前にちゃんと手、洗えよ」
絵美「やめてよ。子供じゃないんだから」
絵美、テーブルの上のおかずを見て、
絵美「美味しそー。忙しくてお昼食べてない
んだ」
飯島、炊飯器から茶碗二つにご飯をよ
そいながら、
飯島「なんだ、会社そんな忙しいのか」
絵美、キッチンの水場に向かいながら、
絵美「今日はちょっと、お昼の間だけ仕事抜
けたから、残業長くなったの」
絵美、水場で手を洗い始める。
飯島、ご飯をよそい終わり、炊飯器の
蓋を閉め、絵美を見て、
飯島「なんだ? 歯医者か?」
絵美「虫歯なんかないよー。打ち合わせ」
絵美、蛇口を閉め、手をタオルで拭く。
飯島「……順調なのか?」
絵美「んー。まぁまぁかな」
絵美、茶碗二つを持って、テーブルに
向かう。
飯島、絵美の後を追う。
絵美「演出も引き出物もテーブルコーディネ
ートも全部決まったし」
絵美、茶碗をテーブルに置く。
飯島と絵美、テーブルに向かい合って
座る。
絵美、飯島を見て、
絵美「ただ席次表だけ決まらなくて」
飯島「だいぶ前に招待客のリストアップを決
めてたじゃないか」
絵美「友達とか会社の人はね。問題は親族席」
飯島、眉間に皺をよせて、
飯島「なんだ? 親戚も誰呼ぶか決めただろ」
絵美、ムッとして、
絵美「わかってるでしょう? お母さんの席」
飯島「(大声)んなもんいるか!」
絵美「……」
飯島「どうして来ない人間の席なんかに悩む
必要があるんだ?」
絵美「……来ないかどうかなんて、まだ分か
らないでしょ」
飯島「電話番号も教えないような奴に、どう
やって確認するんだよ」
絵美「(大声で)お父さんだって住所は知って
るでしょ! 私、手紙出したもん」
飯島「……返事はきたか?」
絵美「……」
飯島「諦めろ」
絵美「……なんでお父さんは、そんなにお母
さんに冷たいの?」
飯島「なんでお前はアイツを許せるんだ?」
絵美「理屈じゃないもん。私はお母さんが好
き」
飯島、音を立てて立ち上がる。
絵美「!」
飯島「……もう寝る。夕飯はいらない」
飯島、廊下へのドアに向かっていく。
絵美「お父さん!」
飯島「俺だって理屈じゃないんだ」
飯島、ドアから廊下へと出ていく。
絵美「……」
絵美、苦しげな顔で、夕食を見つめる。
◯飯島の夢・飯島家・アトリエ部屋・中(夕)
夕陽が射し込む部屋。
澄美(28)が大きく真っ白なキャン
バスの前で俯いて椅子に座っている。
澄美、痩せ細り虚ろな目。
澄美の片手には、黒い油絵具がのった
絵筆。
おかっぱ頭で丸い目の絵美(3)、不安
げな顔。絵美、横から澄美の袖を立っ
たまま引っ張り、
絵美「(涙声で)おかーさん、おかーさん」
澄美、反応を示さない。
痩せぎすの飯島(30)が、澄美の背中
側にある扉から入ってくる。飯島、顔
色が悪く、目に濃いクマ。
飯島「なあ、一体どうしちまったんだよ」
澄美「そっか。なぁんだ。やっと分かった」
澄美、振り返り、ニヤリと笑って、
澄美「私が描けなくなったのは、あんたたち
がいるせいなんだ」
飯島、目を見開き、澄美の手にある絵
筆をもぎ取り、壁に叩きつける。
壁に、黒い油絵具の汚れがつく。
息を切らす飯島、俯く澄美。
絵美、大声で泣きだす。
絵美の泣き声が大きくなっていく。
◯飯島家・寝室・中(早朝)
枕が二つあるダブルベッドで飯島(51)
が寝ている。汗で額が濡れている。
飯島が突然目覚める。
飯島、苦しそうな顔で窓を見る。
窓の外は大振りの雨。
◯同・アトリエ部屋・中(早朝)
油絵が数点とイーゼルと椅子がある。
窓の外は大振りの雨。
パジャマ姿の飯島が立っている。
苦しげな顔の飯島、壁にある、古く黒
い油絵具の汚れを凝視している。
◯同・リビング・中
絵美(24)がテーブルで表紙が赤いア
ルバムの写真を微笑んで見ている。絵
美、丸い瞳にミディアムの髪。
テーブルの上には『飯島絵美様』と宛
名が書かれた葉書が一枚ある。
窓の外は小ぶりの雨。
若い飯島と澄美、幼い絵美がともに写
っている写真が複数ある。
ページをめくる絵美。
四隅に写真はあるが、中央の写真のみ、
一枚剥ぎ取られているページが現れる。
絵美「?」
飯島、パジャマ姿で入ってくる。
絵美、アルバムを閉じる。
絵美「もう昼だよ。休みの日はホント起きな
いんだから」
飯島、キッチンテーブルのコーヒーメ
ーカーでコーヒーを淹れながら、
飯島「早く起きたって、お前の荷造り手伝さ
れるだけだろ」
絵美、キッチンのマグカップを新聞紙
で包みながら、
絵美「嫁ぐ娘につめたー。もうちょい寂しが
ったりしないわけ?」
飯島「お前、マグカップなんて結婚祝いでや
たらと貰うんだぞ。持っていっても……」
絵美「お気に入りなんですぅ。秀一が夕方に
手伝いに来てくれるから急いでんの」
飯島、コーヒーを手にソファーに座り、
リモコンでテレビを点ける。
『日曜美術劇場』とテロップがある番
組がテレビに映る。
飯島、不快な顔。
飯島「なあ、二階のお前の絵、どうすんだ」
絵美「ああ、しばらく置かせてよ。美大のと
きの作品やイーゼルなんて置く場所ないし」
コーヒーを啜って不快そうにテレビを
見る飯島。
テレビにはグスタフ・クリムトの『愛』
が映っている。
飯島「……アイツから返事、きたか?」
絵美、荷造りを止め、伏し目がちで、
絵美「行けないって。葉書にはその一言だけ」
飯島「……そうか」
絵美、飯島に詰め寄る。
絵美「ねえ、お父さん。お父さんから会って
お願いしてみてよ」
飯島「俺がお願いすれば返事は変わるのか?」
絵美「お母さん、きっと結婚式に来ても自分
の居場所ないって思ってるんだよ」
飯島「事実だろ。あってたまるか」
絵美「そんなことないよ。私は来て欲しい!」
飯島、リモコンでテレビを消す。
飯島「アイツは俺とお前を捨てたんだぞ。親
戚連中はみな知ってる。アイツは俺達が必
要じゃなかったんだ」
絵美「(大声で)何年も何年もおんなじことば
っかり言って! そんなことどうだってい
い! お父さんはどう思ってるの!」
飯島「……今までもこれからも、俺から連絡
をとることはない! 俺だってアイツなん
かいらない!」
飯島、絵美、しばしの間、沈黙。
インターホンが鳴る。
絵美、インターホンに出る。
モニターに、梱包された大きなキャン
バスを抱えた男性宅配便配達員が映る。
男性宅配便配達員「すいませーん。大和運輸
です」
◯同・アトリエ部屋・中(夕)
窓の外、晴れて夕陽が差し込んでいる。
イーゼルに十号サイズの油絵が立てか
けられている。左側には若い頃の飯島、
中央には幼い絵美が描かれている。飯
島と絵美、ともに笑顔。右側は不自然
に空いており、橙色の背景のみ。
遠藤と絵美が、じっと油絵を見つめて
いる。
飯島が扉から入ってくる。
飯島、ジロリと油絵を見て、
飯島「なんだ、まだ見てたのか」
遠藤、微笑んで、
遠藤「だってお義母(かあ)さんが贈ってくれた絵じ
ゃないですか。僕、まだ一度も会えたこと
ないですし」
飯島「これからも会うことはないだろうな」
遠藤、少し困ったように、
遠藤「絵から描き手がどんな人なのか想像し
てるんですよ」
絵美、油絵を見ながら目を細めて、
絵美「お母さん、昔の私たち、こんなに覚え
てるんだね」
飯島「写真の模写だろ。アイツが出ていった
あと、アルバムから写真が一枚剥ぎ取られ
ていたぞ」
絵美、眉をひそめて、
絵美「あのね、私も絵をちょっとはかじって
たから分かるの。模写だけじゃ、こんなに
描けないよ」
飯島「金かけて美大までやったせいで、生意
気に育ったもんだな。とっとと荷作り終わ
らせろよ」
絵美、ため息をつき、チラリと壁にあ
る黒い油絵具の汚れを見る。
絵美、ドアを開けたまま出て行く。
遠藤「(少し大きい声で)絵美!」
遠藤、絵美を追おうとする。
飯島、手で軽く遠藤を制して、
飯島「いや、いいんだ。すまないね。親子喧
嘩なんて見せて」
遠藤「いえ……。でも絵美さんが……」
◯同・階段・中(夕)
絵美、階段を降りている。
絵美、思いつめた表情で止まる。
絵美「!」
絵美、小走りで階段を上がる。
◯同・アトリエ部屋・中(夕)
絵美、小走りで部屋に入ってくる。
飯島・遠藤「!」
絵美、少し笑って、
絵美「ねえ、この部屋、やっぱりちゃんと整
理してから出ていくね!」
飯島「急にどうした……」
絵美「すぐには無理だけど、毎日ちょっとず
つ片付けていくから」
飯島、視線を落として、
飯島「……そうか」
遠藤「?」
絵美、不審顔の遠藤に微笑んで、
絵美「秀一くん、お茶入れてくるねー」
遠藤「う、うん……」
絵美、出ていく。
飯島、ため息をつき、
飯島「わがままに育ってしまって、君には迷
惑かけるだろうな」
遠藤、笑って、
遠藤「とんでもない! 僕は絵美さんの正直
なところが好きなんですよ」
飯島「正直か……」
飯島、壁の黒い油絵具の汚れを見て、
飯島「なあ、変なこと訊くんだが、もし絵美
が、自分に正直であろうとして、君を傷つ
けたらどうする?」
遠藤、じっと飯島を見つめて、
遠藤「……そうですね。全てを受け止めます
って言い切れたらカッコいいんですけど、
そこまでできるかは正直わからないです」
飯島、うつむく。
遠藤、油絵をぼんやり見つめて、
遠藤「ただ、きっとそんなときは、僕以上に
絵美さんが傷ついているんだろうなと思い
ます」
遠藤、優しく微笑み、飯島を見て、
遠藤「だから、ただ、そばにいて抱きしめる
かな……。なんて」
飯島、目を見開く。
飯島、遠藤の顔を見て、
飯島「やっぱりこの部屋は苦手だな。妙な気
分になる」
遠藤「ご自宅なのに?」
飯島、ぶっきらぼうに、
飯島「ああ。滅多にここには入らない。君達
と入ったのが数年ぶりだよ」
飯島、部屋を出ていく。
遠藤、不思議そうに部屋を見渡して、
遠藤「(呟き声で)そのわりにキレイだな……」
◯道(夜)
並んで歩く絵美と飯島。飯島、肉と野
菜の入ったレジ袋を持っている。絵美、
片手に財布を握っている。
絵美「我が家の肉じゃがは、大分甘いんだ
ー。秀一の口に合ったらいいんだけど」
遠藤「……」
絵美「?」
遠藤「あの、絵が沢山置いてある部屋って、
絵美はよく入るの? ほら、掃除とかで」
絵美「んー? 大学卒業してここ二年は全
然。私の物置部屋になっちゃってる」
遠藤「そっか……」
遠藤、不審な顔で視線を落とす。
絵美「どうしたの?」
遠藤、微笑んで、
遠藤「いや、大したことないんだ。ところで
あの部屋の絵、全部新居に持ってくの?」
絵美「え?」
遠藤「部屋整理するって言ってたから」
絵美、微笑んで、
絵美「ああ……。ほとんどトランクルームで
保管するつもり。1LDKじゃねー」
遠藤、苦笑いして、
遠藤「もっと広い家借りれるように頑張る」
絵美「私も仕事頑張るー!」
笑い合う絵美と遠藤。
絵美「実はね、あの部屋を整理する話……。
それだけじゃないんだ」
遠藤「え?」
絵美「ちょっとした計画があるの」
遠藤「計画……?」
絵美、ニコニコ笑う。
遠藤、不可解な顔。
◯飯島の夢・飯島家・アトリエ部屋(夕)
夕陽が射し込む部屋。
真っ白なキャンバスの前で床に座り込
む澄美(28)。
飯島(30)が、しゃがんで背後から澄
美を抱きしめている。
飯島、愛おしそうに澄美の髪を手です
く。
澄美、ぼんやりした顔でキャンバスを
見つめている。
澄美「今になって? 遅すぎるわ」
目を見開き、動かなくなる飯島。
◯飯島家・寝室・中(朝)
飯島、呆然とした顔で目を覚ます。
窓の外は暗く曇っている。
◯同・アトリエ部屋・外・扉前(早朝)
パジャマ姿の飯島が立っている。
飯島、暗い顔。
飯島、ドアノブに手をかける。
飯島、ドアノブを回したまま、数秒固
まる。
飯島、苦しそうに手を離す。
飯島、ため息をつく。
◯市役所・食堂・中
飯島、虚ろな顔でカレーを食べている。
田口、蕎麦をのせたトレーを持って、
鼻歌交じりに飯島の前に座る。
田口「お前さあ、一年のうち三百日はここで
カレー食べてないか? 葬式みたいな顔で」
飯島、カレーを食べながら、
飯島「一年のうち三百日も出勤してません」
田口「クソ真面目野郎だな」
飯島「カレー食べてるときにクソとか言わな
いでください」
田口「ふふーん。その機嫌の悪さ、さては絵
美ちゃんと喧嘩したな」
飯島、スプーンを置く。
田口「わかりやすっ。まじ卍(まんじ)」
飯島「なんですかそれ……」
田口「知らん。テレビでやってた若者言葉だ。
俺は若者言葉が好きだ。何故なら若者の方
が賢いからだ。しがらみがない」
飯島、困惑した表情で、
飯島「はあ……。なら田口さんより俺の方が
賢いということですね。俺の方が年下です」
田口「いや、お前は馬鹿だ。しがらみが絡み
に絡んでるからだ。このしがらみ中年め」
飯島「ずっと前から思ってたんですが、田口
さんってやっぱりおかしいですよね」
田口「お、飯島は俺の家族と気が合うな。毎
日、家でその言葉を言われている」
飯島「結局なにが言いたいんですか?」
田口「まあ、俺が言いたいのは、若者の意見
には従うべきだということだ」
飯島「……」
田口「『齢を重ねるごとに、魂に脂肪はつき、
人は素直になれなくなる』と村上春樹が書
いてたぞ」
飯島「……絵美は俺の気持ちなんか分からな
いんですよ」
田口「お前が絵美ちゃんの気持ちを汲んでや
れよ」
飯島、深くため息をつく。
飯島「腹だけじゃなく、心にまで脂肪が溜ま
ってるんですかね。俺」
田口「いいぞ、いいぞ。素直になるには、ま
ず自覚からだ」
飯島、少し笑って、
飯島「田口さん、村上春樹読むだなんて読書
家ですね」
田口「いや、一冊も読んだことない」
飯島、顔を歪める。
田口、ニコニコ笑う。
飯島、カレーを頬張る。
◯飯島家・一階廊下・中(夜)
照明が点いていない廊下。
長袖シャツを着た絵美が階段から降り
てくる。
リビング前で止まる絵美。すりガラス
のリビングドアから光が漏れている。
絵美、ドアを少し開けてリビングを覗
く。
◯同・リビング・中(夜)
飯島がテーブルでコーヒーを飲みなが
ら表紙が赤いアルバムを暗い顔で見て
いる。
テーブルの上にはペンと葉書。
ページをめくる飯島の手。
四隅に写真はあるが、中央の写真のみ
一枚ないページが現れる。
飯島、ため息をつく。
飯島、ページを開いたままアルバムを
テーブルに置き、ペンを手に取る。
飯島、葉書の裏にペン先をつける。
飯島、数秒動かない。
飯島、乱暴にペンをテーブルに放ち、
深くため息をつく。
◯同・一階廊下・中(夜)
絵美、苦しげな顔でリビングドアをそ
っと閉める。
絵美、右手袖の内側を見る。
右手袖の内側が、油絵具で汚れている。
絵美、数回、強く頷く。
◯レストラン・中(夜)
若者で賑やかなレストラン。
スーツ姿の遠藤がテーブルでスマホを
いじっている。
オフィスカジュアルな格好の絵美が、
急いで店内に入ってくる。
遠藤、絵美に向かって手をふる。
絵美、遠藤のテーブルに座る。
絵美、目にひどいクマ。
絵美「ごめんねー。仕事終わらなくて待たせ
ちゃった」
遠藤「いや、全然大丈夫だけど……。という
か体調大丈夫? 顔色悪いけど」
絵美、気丈に笑って、
絵美「ああ、うん! 大丈夫、大丈夫」
遠藤「ちゃんと寝てる?」
絵美「うーん。ちょっと足りないかな」
絵美、店員に向かって手をあげて、
絵美「すいませーん! 生二つ!」
遠藤、顔をしかめて、
遠藤「そんな疲れてるのに、アルコールはや
めた方がいいよ」
絵美「今から帰って、もう一仕事するんだか
ら、ガソリン入れなきゃ!」
遠藤「……今日ぐらいは早く寝たら?」
絵美「ダメダメ! あともうちょっとなんd
から」
店員が生ビールを二つ運んでくる。
絵美、生ビールを持って、
絵美「はい、乾杯」
遠藤、生ビールを掴むが、すぐに手を
離す。
絵美「?」
遠藤「僕、絵美のこと心配なんだ」
絵美、ビールをテーブルに置く。
遠藤「絵美のやろうとしてることは、とても
素敵だと思うよ。ただ、どうしても……」
絵美「どうしても?」
遠藤「(少し大声で)なんで君ばっかり頑張ら
なくちゃいけないんだ?」
絵美「!」
遠藤、憤った顔。
遠藤「絵美がお義父(とう)さんの気持ちを少しでも
救ってやりたいのは分かるよ。けど、そも
そも家族の問題に対処しないといけないの
は、お義父さんの方じゃないか」
絵美、苦笑いをして。
絵美「うーん。確かにお父さんのためにして
いることでもあるんだけど……。私のため
でもあるし」
遠藤「……」
絵美「それにね、私の家の問題って、もう対
処のしようもないの。長い年月をかけて捻
れるところまで、捻れちゃったから」
絵美、うつむいて、
絵美「ごめんね。心配かけて。変な家でしょ」
遠藤、絵美を見据えて、
遠藤「分かった。最後まで頑張りなよ。ただ
体には気をつけて」
絵美、微笑んで、
絵美「うん」
遠藤、生ビールを持つ。
遠藤「結婚式終わって、僕との暮らしが始ま
ったら、絵美にクマなんてつくらせない」
絵美、生ビールを持つ。
絵美、おどけて、
絵美「ほんとにぃ?」
遠藤、うなずく。
絵美と遠藤、乾杯をする。
◯飯島家・玄関・外(朝)
車寄せが横にある玄関。
パジャマ姿の飯島が、目を擦りながら、
玄関から出て来る。
飯島、ポストから新聞を取り出す。
軽トラックが家の前に止まる。
飯島「!」
軽トラック、運転席側の窓が開き、遠
藤が顔を出す。遠藤、飯島に微笑んで、
遠藤「あ、おはようございます!」
飯島「トラック? なんだこれは」
飯島家の二階の窓が開き、絵美が顔を
出す。
絵美「(大声で)きたきた! ありがとー!」
飯島、振り返って絵美を見る。
飯島、困惑の表情。
◯同・一階・廊下・中(朝)
遠藤、バラが描かれた大きな油絵を持
ちながら、降りて来る。
仏頂面の飯島、階段の下で遠藤を見て
いる。
飯島「聞いてないぞ。絵美が今日引っ越すな
んて」
遠藤、飯島の前で止まり、
遠藤「もう荷物の整理が終わるからと言って
いたので」
飯島「俺には報告もなしか」
遠藤、困ったように笑って、
遠藤「絵美さんの絵、素敵ですね」
遠藤、油絵を飯島に見せる。
飯島、ジロリと油絵を見ると、
飯島「君にだけ運ばせて、絵美はなにしてん
だ」
遠藤、ニヤリと笑って、
遠藤「んー? 最後の整理整頓してるみたい
です」
飯島「なんだ? 引越しの準備が終わったか
ら君を呼んだんじゃないのか? まったく
荷物の処分に何日かけるつもりなんだか」
遠藤「まっ、でも今日であの部屋を空っぽに
するって意気込んでましたよ。だから今頑
張ってるんです」
遠藤、油絵を持ちながら、玄関へ向か
って歩く。
飯島、遠藤の背後から、
飯島「なあ、あの絵はどうするんだ」
遠藤、振り返り、冷たい顔で、
遠藤「……あの絵ってどの絵ですか?」
飯島「……アレだよ。送られてきた、あの」
遠藤「持っていきますよ。いらないんでしょ」
飯島、眉をひそめる。
遠藤、ニヤリと笑って、
遠藤「なに? 嫌なんですか? 変な人だな」
飯島「……」
遠藤「実は、僕、あなたと顔を合わせたくな
かったんです」
飯島「どういうことだ」
遠藤「あなたのことを嫌いになりたくないか
らです。あなたは意固地な中年そのものだ」
飯島「お前……!」
遠藤「それ以上ジタバタと見苦しい姿を見せ
ないでください」
飯島「(大声で)なにが見苦しいんだ!」
遠藤「(大声)自分自身に嘘ばかりついている
ことですよ!」
飯島、驚いた顔。
遠藤「あなたに嫌われるのは構わない。けど
あなたを嫌いになりたくない」
飯島「!」
遠藤「だからいつかは見たいんです。お義父
さんの本当の気持ち。そしたらまた、あな
たを好きになれる」
遠藤、背を向けて玄関の扉を開く。
遠藤「僕はあなたを反面教師にするつもりで
す。自分の心には素直でいる」
飯島「(大声で)君に何がわかる!」
遠藤、玄関から出て行き、扉が閉まる。
飯島、肩で息をする。
◯同・玄関・外(夕)
車寄せに軽トラック。
トラックの荷台にはブルーシートが引
かれ、様々なサイズの油絵が置かれて
いる。一枚の大きな油絵のみ、薄紙で
梱包されている。
運転席に座っている遠藤。
助手席に絵美が笑顔で乗り込む。
道路を去っていくトラック。
◯同・アトリエ部屋・外(夕)
夕陽が射し込んでいる。
部屋には物がなにもない。
飯島、唖然とした顔で部屋の中央で立
っている。
飯島、壁の黒いシミに近づき、撫でる。
飯島、苦しげな顔で、
飯島「誰にも分かってたまるか」
◯市役所・食堂・中
飯島、田口、向かい合って座っている。
飯島、虚ろな顔。なにも食べていない。
田口、飯島を不審な顔で見ながら、カ
レーを食べている。
田口「なんで今日はお前じゃなくて俺がカレ
ーを食べてるの? 美味いからいいけど」
飯島「……」
田口「なんだ? 娘の結婚式前日の父親って
そんななのか? 明日は今日みたいな顔で
モーニング着るなよ」
飯島「一体、今さら、どうするべきなんだ?」
田口「さあ?」
飯島「聞いてません。独り言です。俺の気持
ちを理解してくれる奴なんていません」
田口「ふーん」
田口、スプーンを置く。
田口「じゃあさ、お前が今さらなにをすべき
か教えてやるよ」
飯島「だから聞いてません」
田口「(大声)お前の気持ちなんか、皆が知っ
てるって気づくことだよ」
飯島「!」
昼食を摂っている、周囲の人達が一瞬、
田口を見る。
田口「理解されないと思い込んでいるから、
誰にも心の裡を見せれないんだ。一生に一
度の日くらい、自分に素直になれよ」
飯島、苦しそうな顔で、
飯島「素直って……、どんな……」
田口「笑ったり泣いたりするってことだよ。
久々にそんなお前の姿見たいよ」
飯島「!」
田口、カレーを頬張る。
田口「明後日からは、いつもみたいな仏頂面
でこのカレー食ってていいからさ」
飯島、目を見開いて田口を見る。
◯飯島の夢・喫茶店・中(夕)
飯島(25)と澄美(23)が向かい合っ
て座っている。
緊張した面持ちの飯島。
澄美、飯島を不思議そうに見ている。
飯島。鞄から婚姻届を出してテーブル
に広げる。『夫になる人』の欄だけ署
名してある。
澄美「!」
飯島「け、結婚してほしいんだ」
澄美、おかしそうに笑う。
澄美「プロポーズしてるの? 私なんかに?」
飯島「指輪は一緒に買いにいこう!」
澄美、視線を落として、
澄美「私、いい奥さんなれないかもしれない
わよ。家事苦手だし、仕事も続かない」
飯島「君の仕事は絵を描くことだろ! 構わ
ない」
澄美「そんなわけにはいかないでしょ」
飯島「構わない。俺のそばにいて、毎日、描
きたいモノを描いてくれたら」
澄美「……」
飯島「俺、昔から打ち込めることや、したい
ことがなにもなかった。けど今は違う」
飯島、絵美に向かって身を乗り出す。
飯島「俺がしたいことは君の側にいることだ」
澄美「!」
飯島「絵の世界に没頭している君を見るのが、
たまらなく好きなんだ」
澄美、涙で目を潤ませる。
澄美「あなたは、私が一番大事にしているこ
とを認めてくれるのね」
澄美、鼻をすする。
澄美「(涙声で)私、初めて、誰かに受け入れ
られた気がする」
飯島「……一生守る。幸せにする」
澄美、うなずく。
飯島、笑顔で、
飯島「いいんだな。オッケーってことだな」
澄美「あなたって、本当はそんな顔するのね」
澄美、鞄からスケッチブックを出す。
飯島「!」
澄美、飯島の顔を描いていく。
飯島、恥ずかしそうに顔を背ける。
◯飯島家・寝室・中(朝)
窓の外は快晴。
飯島、穏やかな顔で目覚める。
飯島、上半身を起こし窓を見る。
窓に飯島の顔が映る。
飯島「(呟き声で)俺の顔ってどんなだっけ」
◯結婚式会場・ウェルカムスペース・中
陽がガラス天井から降り注ぐ会場。
田口と参列者達が挙式までの時間をつ
ぶしている。
モーニング姿の飯島が、緊張した顔で
右手にハンカチを持って入ってくる。
飯島、額に汗を浮かべながら、参列達
にお辞儀していく。
飯島、額の汗をハンカチで拭う。
飯島、スーツ姿の田口と目を合わせる。
田口「珍しく緊張してるな。落ち着きのない
お前見てると楽しいよ」
飯島「俺の顔、珍しく気持ちに素直みたいで
す。田口さんのお望み通りですね」
飯島、ハンカチで額の汗を拭う。
田口「じゃあさ。向こうに行けば、もっと素
直になれるぞ」
田口、ニヤリと笑いながら、指で部屋
の隅にあるウェルカムボードを指す。
飯島「?」
飯島、不審な顔で、ウェルカムボード
の方向へ向かう。
飯島の足、ウェルカムボードの前で止
まる。
床に落ちるハンカチ。
ウェルカムボードの隣に、澄美から贈
られた油絵が飾られている。絵の右側
に笑顔の若い澄美が描き加えられてい
る。
驚いて油絵を見つめる飯島。
田口、飯島の横に歩いてきて、
田口「やっぱりさ。絵美ちゃんはお母さんの
才能、受け継いでるよ。この絵、俺が知っ
てる頃の澄美さんそのものだよ」
飯島「(声を震わせて)この絵……。絵美が描
き足して……」
動揺する飯島。
田口、飯島の肩を優しく叩く。
◯同・チャペル・外・扉前
飯島とウェディングドレス姿の絵美が
見つめ合う。絵美、微笑み、飯島は目
を見開いている。
絵美「ちゃんとつくったよ。お母さんの居場
所」
飯島「だからあの部屋にずっとこもっていた
のか」
絵美「小さい頃お母さんが繰り返し言ってた
言葉、思い出したの。『油絵は何度でも塗
り重ねられる。何度でもやり直しができる
のよ』って」
飯島「俺たちは……。俺は、やり直しができ
ると思うか?」
絵美「さあ。そんなの正直分かんないけど…
…。けどいいの。とりあえずは」
飯島「……」
絵美「だってね、今日は三人一緒だもの。帰
って来たね。お母さん」
飯島、段々と顔をグシャグシャに歪め
ていき、
飯島「(涙声で)俺はなんて情けないんだ。お
前のようにアイツを許せなくて……」
涙をこぼしていく飯島。
チャペルのドアが開く。
祭壇前に遠藤が微笑んで立っている。
田口と参列者達が笑顔で立って、飯島
と絵美を見つめている。
絵美、笑顔で飯島の腕に手を回す。
飯島と絵美がともにバージンロードを
進んでいく。
涙が止まらない飯島。
飯島、絵美を見て、
飯島「俺も、俺自身を油絵のように塗りかえ
られると思うか?」
絵美「お父さんが、そう望むなら」
飯島、優しく笑う。
× × ×
絵美と遠藤、牧師の前で向かい合って
いる。
飯島、最前列の席で立ちながら絵美を
見ている。飯島、泣き腫らした顔。
遠藤、微笑しながら飯島を見て、
遠藤「僕、またお義父さんのこと好きになれ
そう」
絵美「ウチのお父さん、可愛いでしょ」
遠藤「絵美の次にね」
絵美、クスクス笑う。
◯同・チャペル・外観
チャペルの鐘が鳴る。
◯飯島家・リビング・中(夜)
モーニング姿の飯島、テーブルでウイ
スキーのロックを飲んでいる。
腫れた瞼の飯島、穏やかな表情。
テーブルの上には表紙が赤いアルバム
と大きな封筒。
飯島、少し微笑んで、アルバムの表紙
を撫でる。
飯島、アルバムを封筒に入れる。
飯島「(呟き声で)空いた穴に帰ってきたな」
飯島、ウイスキーを一口飲む。
◯市役所・廊下・中
ひまわりの油絵が飾られている廊下。
老女がキョロキョロと周りを見渡して
いる。
歩いてくる飯島、老女に気づき、声を
かける。
飯島「どうされましたか?」
老女「住民票が欲しくて……」
飯島「住民課にご案内致しますね」
老女「ありがとうございます」
田口が歩いてくる。
老女、油絵を見て、
老女「このひまわり、とても素敵ね」
遠くから飯島と老女を見つめる田口。
飯島、じっと油絵を見て、微笑む。
飯島「そうですね。とても綺麗です」
田口、微笑む。
ひまわりの油絵。
◯マンション・澄美の部屋・中(夕)
ワンルームの部屋。夕陽が差し込む。
様々な号数の油絵が所狭しと並んでい
る。
壁に一枚だけ写真が貼られている。若
い飯島が左、幼い絵美が中央、若い澄
美が右側にいる。
中央に真っ白なキャンバスをのせたイ
ーゼルがあり、横にはサイドテーブル。
サイドテーブルの上には赤いアルバム
と『飯島澄美様』と手書きで書かれた
封筒。
キャンバス前の椅子に座っている、澄
美(49)の後ろ姿。澄美、白髪まじり
の艶のない髪を後ろで束ねている。澄
美の顔は見えない。
澄美、左手に油絵具と油をのせたパレ
ット、右手に絵筆。
澄美の右手、パレットに絵筆をのせて、
赤いアルバムを開く。
開かれたページは、若い飯島と澄美、
幼い絵美がともに写っている写真が四
隅に貼られている。
中央に貼られた写真には、ウェディン
グドレス姿の絵美、タキシード姿の遠
藤、モーニング姿の飯島、澄美が贈っ
た油絵が並んでいる。
泣き顔の飯島。笑顔の絵美と遠藤。
澄美の右手、中央の写真を優しく撫で
る。
× × ×
壁に貼られた写真が剥ぎ取られている。
アルバムのページ中央の写真の横に、
壁に貼られていた写真が置かれている。
両方の写真のサイズはほぼ同じ。
ページの上に涙が落ちる。
澄美の右手、パレットから絵筆をとり、
絵具をのせ、キャンバスに絵を描いて
いく。
◯マンション・遠藤家の部屋・中(夕)
1LDKのこじんまりとした部屋。少なめ
の家具があり、封を開けていない引っ
越し会社の段ボールがいたるところに
ある。絵美と遠藤、段ボールの封を開
けて、荷解きをしている。
絵美「荷物置いたら、あっという間に部屋が
狭くなるなぁ」
遠藤「じゃあ、あと数年経ったら、絵美の家
みたいな一軒家買おうよ」
絵美「夢のマイホーム? 悪くないな」
遠藤「それでさ、アトリエ部屋つくるんだ。
あの部屋みたいに。絵美、また絵を始めな
よ」
絵美、笑って、
絵美「うん……。悪くない」
◯飯島家・アトリエ部屋・中(夕)
夕陽が射し込む部屋。中央にはイーゼ
ルがあり、澄美から贈られた油絵がの
せられている。油絵の前にはパイプ椅
子。他にはなにもない。
パイプ椅子に座る飯島の後ろ姿。顔は
見えない。飯島の右手には油絵具がの
っていない乾いた絵筆。
飯島、ゆっくりと、絵のなかの澄美の
髪を筆で撫でる。
了
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