○小口家マッチ工場
1940年、姫路。
小口家の隣にある小さな工場。
小口真知子(24)は、マッチ棒を箱
に詰める工程を担当している。
小口富子(21)が真知子を呼ぶ。
富子「お姉ちゃん、貴一さんが」
真知子「またか」
真知子は入口にいる片倉貴一(25)
のもとへ向かう。
貴一「よ、マッチ」
真知子「真知子や」
貴一「今日も相変わらず無愛想やなー。こん
なちんけな工場で」
真知子「なんや、ひやかしなら帰って」
貴一「聞いたで。見合い、受けてくれるんや
ってな」
真知子「…」
貴一「初めて会うた時からもう一年か。あの
一撃は強烈やったなー」
○映画館(回想)
『モダン・タイムス』上映前。会場は
満員で立ち見客もいる。遅れてやって
きた貴一は、真知子と富子が座ってい
る席の前で立ち止まる。
貴一「お嬢さん、良い席座っとるな。ちょっ
と、譲ってくれねえかな」
真知子、貴一を睨みつける。
貴一「あぁ、タダでとは言わんで。これで、
うまいもんでも食べてえな」
貴一、一円札を真知子に渡そうとする。
真知子「嫌です」
貴一「嫌ですって、お嬢さんは俺のこと知ら
んのかね」
真知子、立ち上がり貴一を平手打ちす
る。
富子「(小声で)お姉ちゃん!」
真知子「知ってますよ。これだから、金持ち
は嫌いなんや」
○小口家マッチ工場
貴一「人前であんな恥かいたのは初めてやで。
ま、そんなお前も、ようやく俺に落ちたわ
けやな」
真知子「別に、あんたとなんか結婚しとうな
い」
貴一「あ?」
真知子「家のためや。金持ちのあんたにはわ
からんやろうけど。誤解せんといて」
○小口家居間(夜)
真知子、富子、小口三平(46)がち
ゃぶ台を囲んで夕飯を食べている。
三平「しかし、片倉財閥の御曹司やで、真知
子」
真知子「まだ言うん?」
三平「嬉しいんよお父ちゃんは。真知子が良
い家に嫁いで、それにマッチ工場のほうも
援助してくれるなんて。こんな話ないで」
富子「でも、お姉ちゃんはええの?それで」
真知子「…ええんよ、私は。尻に敷いたるわ」
○片倉家玄関
西洋風建築。正面に吹き抜けの階段が
あり、踊り場で二手に分かれている。
三平は、林幸枝(36)に案内されて
中に入る。立派なつくりに目を奪われ
ている。
幸枝「こちらです」
○片倉家貴賓室
三平と片倉権太郎(55)が向かい合
わせに椅子に座っている。幸枝が紅茶
を淹れる。
三平「…それで、今日はどういったご用件で」
権太郎「マッチ工場の件ですがね。今は、国
によって価格が決められているんですよね」
三平「ええ。マッチ十個で十二銭です。最近
は、原材料も手に入れずらくなってまして」
権太郎「そうですよね。ここだけの話ですが
ね、先日とある噂を聞きまして」
○小口家居間(夜)
三人揃って夕飯を食べている。
真知子「配給制?」
三平「せや。近々切符が配られて、その数し
かマッチが買えんようになるらしいんや」
○片倉家貴賓室(回想)
権太郎「配給制が始まったら、商売どころじ
ゃなくなりますよ。今のうちに会社ごと精
算しておいたほうがいい。私が良い売却先
を紹介します」
○小口家居間(夜)
真知子「ちょっと待って。私はマッチ工場が
助かるなら思うて見合いを受けたんや。な
のに、どっかに売り飛ばす?」
三平「真知子。状況が変わったんや。もうマ
ッチは無理なんや」
真知子「だったら、見合いもなしや。あいつ
となんか結婚しとうない」
三平「それはいかん」
真知子「結局、金のことしか考えてないんや、
向こうは。事情が変わったらすぐ手のひら
返す。うちらの生活のことなんてどうだっ
てええんや。もう嫌や!」
三平「真知子!」
真知子、家を飛び出す。
○小口家マッチ工場(夜)
真知子が入ってくる。マッチ箱が大量
に積まれているのが目に入る。真知子
はそれを風呂敷で包んで背中に背負う
と、走って出ていく。
○片倉家玄関(夜)
玄関で真知子が風呂敷を背負って待っ
ている。幸枝に呼び出されて貴一がや
ってくる。
貴一「おぉ。なんや急に」
真知子は少し息切れしている。
真知子「お父さんを呼んで」
貴一「父さん?何の用だよ」
真知子「あんたとは見合いしないって言いに
きたの」
貴一「は?どういうことだよ」
権太郎「私が父だが」
権太郎が階段の踊り場に立っている。
そのままゆっくりと下に降りてくる。
真知子「あ…夜分にすみません。小口真知子
と言います。あの、見合いの話はなかった
ことにしてください。お願いします」
権太郎「どうして」
真知子「うちの会社をどっかに売り渡すと聞
きました。会社を助けるって聞いたから見
合いの話を受けたのに、話が違います」
権太郎「状況が変わったんや。それに、会社
を売るんは君の家を守るためでもあるん
や」
三平が入ってくる。
三平「真知子!何をしとるんや」
真知子「もし、見合いをやめないのなら、こ
こにうちで作ったマッチがあります。(風
呂敷を広げる)これに火をつけます」
貴一「はぁ?」
三平「真知子!」
真知子「来ないで!」
真知子はマッチを一本手に取り、火を
つける。
真知子「一歩でも近づいたら、落とすよ」
貴一「おい、やめろよ!危ないだろ!」
真知子「金持ちの人からしたら、町工場の一
つや二つ、どうでもいいんでしょう。で
も、うちらにはうちらの生活があるんで
す。もう助けてなんて言いません。どう
か、放っといてください!」
マッチの火が燃え進み、真知子の手に
かかる。
真知子「あっつ!」
真知子、思わずマッチを放り捨てる。
貴一・三平「あぁ!」
マッチは地面に落ちて火が消える。貴
一・三平、胸を撫で下ろす。
権太郎「…はっはっはっはっは。よくわかっ
た。見合いの件はやめにしよう」
貴一「父さん!」
権太郎「ただね真知子さん、工場のほうはお
父さんからも同意を得てるんや。ですよ
ね?」
三平「え、ええ…」
権太郎「倅が町工場の娘と結婚したい言うか
ら、どんな娘やろと思っとったが、その理
由がわかりましたわ。真知子さん、あなた
は倅やわしが嫌いかね」
真知子「はい、嫌いです」
三平「真知子ぉ…」
真知子「金にまかせていつも偉そうに。うち
らのような庶民から物をせしめる」
権太郎「はっは、ひどい言われようだ。…ど
うだね真知子さん。うちで働いてみんか
ね」
真知子「え?」
権太郎「工場の手伝いやのうて、うちで商売
を学んでみないかね」
真知子「あの、話聞いてました?」
権太郎「これから若い男はどんどん戦地に行
ってしまう。会社を回すのに、おなごの力
も必要なんや。特に、真知子さんのよう
な。貴一、商売にいちばん必要な力は、な
んやと思う?」
貴一「商売…知識ですか?」
権太郎「知識は後からいくらでもつけられ
る。いちばん大事なんは、度胸や。世の中
は、リスクをとった者が金を稼げるように
できてるんや。そして真知子さんは、立派
な素質を持っておられる。…どうだね、大
嫌いなわしらと商売をやるというのは」
真知子は返答に困っている。
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