エアポケットへ行こう! ドラマ

エア‐ポケット(air pocket)【名】 1 飛行中の航空機が急激に下降する空域。局地的な下降気流が原因。 2 空白の部分。 3 船が沈没した際に、船体内部に空気がとり残されてできる空間。
明星圭太 5 0 0 12/05
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第一稿

 

 

○ 三國家・浴室(昼)
    三國春明(40)、シャワーを浴び
    ている。
    肩まである髪を大袈裟に搔きあげ、
    天井を見つめる。 ...続きを読む
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○ 三國家・浴室(昼)
    三國春明(40)、シャワーを浴び
    ている。
    肩まである髪を大袈裟に搔きあげ、
    天井を見つめる。
春 明「……」
    シャワーを止める。

○ 同・リビング〜寝室(昼)
    春明、険しい表情でパソコンを見て
    いる。
    画面には、書きかけの小説。
春 明「……」
    春明、おもむろに立ち上がる。
    腕を組み、家中をウロウロし始める。
    そのまま寝室へ。
    タンスの角に足の小指をぶつける。
春 明「はぁんっ」
    うずくまる春明。
    タンスを睨みつけ、立ち上がる。

○ マンション・外(昼)
    三國香織(35)、買い物袋を提げて
    歩いている。
    マンションの前に、人だかりができ
    ている。
香 織「?」
    視線を上げる香織。
    春明、ベランダから大量の服を外へ
    投げ捨てている。
香 織「!」
    香織、慌ててマンションへ。

○ 三國家・寝室(昼)
    春明、タンスを担ごうとしている。
    重くてなかなか持ち上がらない。
    そこへ香織、帰ってきて、
香 織「何してんの!」
    春明を止めようとする。
    春明、やめずに、
春 明「誰だこんなところにタンスを置いた
    奴は!」
香 織「やめなさいよ!」
春 明「執筆の邪魔なんだよ!」
    香織、春明の頬を平手打ちする。
春 明「(衝撃で)!」
香 織「いつまでこんなことしてるのよ!」
春 明「……」
香 織「アンタの天才ゴッコに付き合わされ
    るのはもうたくさん! 出てって!」
春 明「…香織」
香 織「早く出てってよ!」
    香織、散らばっている服を春明に投
    げつける。
春 明「香織、あっ、ちょっ、…」
    後ずさりしながら、廊下へ出る春明。

○ 三國家・外(昼)
    ドアがバタンッと閉められる。
    春明、ボストンバッグを持ったまま
    立ち尽くしている。
春 明「……」

○ 吉祥寺・街中〜出版社・オフィス(夜)
    春明、肩を落として歩いている。
    ふと視線を上げる。
    『ネットカフェ』の看板。
    『完全個室!』などと書かれている。
春 明「(訝しく)……」
    すると、スマホに着信。
    春明、無言で耳に当てる。
    担当者の水島省吾(30)からだ。
水島の声「先生! 今どちらに?」
春 明「…散歩」

   × × ×
    水島、デスクに座り、話している。
水 島「やっぱ順調じゃないんだ…。もう待
    てないって、上からプレッシャーか
    かってます。なんとか再来月に初版
    でいきたいって。…どうっすか?」
   × × ×

春 明「……」
水島の声「先生?」
春 明「…天才は皆、遅筆なんだよ」
水島の声「はい?」
春 明「僕を急かしたことを後悔させてや
    る! おとなしく待っていなさい」
水島の声「あ、あの!」
    春明、電話を切る。
    「言っちゃった…」という顔。
    トボトボとネットカフェに入ってい
    く。

   × × ×
    水島、電話を見つめて、
水 島「(ため息)」
    上司の高砂(48)、やってきて、
高 砂「連絡ついたんか」
水 島「部長、なんとかもう一週間、待って
    もらえませんか」
高 砂「あの先生はもうアカン」
水 島「え?」
高 砂「さっきウチの部署に、匿名で届いた」
    高砂、分厚い封筒を渡す。
    水島、開けると、紙束。
    一番上の紙に『空白』と書かれてい
    る。
水 島「何ですかこれ」
高 砂「ざっと読んだけど、こりゃ天才やな。
    大物新人! 次、これでいくで」
水 島「いや、そんな」
高 砂「明日、先生に話つけてこい。ほんだ
    らこのルーキーの担当、お前にした
    る」
水 島「先生より匿名の新人を取るんですか」
高 砂「今や、出版業界は背水の陣や。出が
    らしの先生をいつまでも囲っとるわ
    けにはいかん。センセーショナルな
    若手を青田買いして、じっくり育て
    んねん。今はそういう時代や」
水 島「……」
高 砂「ほな、頼むわ」
    高砂、水島の肩をポンと叩き、去る。

○ ネットカフェ・受付(夜)
    従業員の金井(53)、春明をジロジ
    ロ見ている。
春 明「……」
金 井「身分を証明できるものを出してくだ
    さい」
    春明、免許証を渡す。
金 井「三國春明さん。昭和の文豪みたいな
    名前ですね。ご職業は?」
春 明「…自営業」
金 井「と、言いますと?」
春 明「興味本位ならお答えできない」
金 井「本人確認ですので」
春 明「…小説家です」
金 井「代表作は?」
春 明「(怒って)あなたねぇ」
金 井「本人確認ですので」
春 明「…『向かい風の向日葵』」
    金井、スマホで調べて、
金 井「アマゾンの本部門で682位ですね」
春 明「…そんなに下?」
金 井「中古だと…、あ、2円からある」
春 明「…(ヘコむ)2円」
金 井「じゃあ、この階の一○三号室、お使
    いください」
    金井、伝票を差し出し、
金 井「頑張って」
春 明「……」
    春明、伝票を受け取る。

○ 同・一○三号室(夜)
    四畳ほどの部屋。
    春明、ボストンバッグを放り投げ、
    横になる。
    天井を見つめ、ため息。
    起き上がり、パソコンを取り出し、
    開く。
    キーボードに手を置くが、何も打て
    ない。
春 明「クッソ…」
    すると隣の部屋から、女性の喘ぎ声
    が聞こえてくる。
    春明、一瞬壁を見るが、気にしない
    フリでパソコンを見る。
    徐々に激しさを増す喘ぎ声。
    春明、立ち上がる。

○ 同・廊下〜受付(夜)
    春明、出てきて、隣をノックしよう
    とする。
 声 「やめたほうがいいですよ」
春 明「?」
    春明、声のほうを見る。
    ハジメ(27)、自室のドアから少しだけ顔
    を覗かせ、春明を見ている。
ハジメ「そのカップル、血の気多そうだし。
    下手したら返り討ちに遭うかも」
春 明「……」
    すると、部屋からカップルが出てく
    る。
    春明、ビックリしてのけぞる。
    確かに血の気の多そうな、ヤンキー
    風のカップル。二人とも、春明にガ
    ン飛ばしている。
    カップル、去る。
春 明「…助かった」
    ハジメ、ドアを閉める。
    春明、「やれやれ」という顔で、部
    屋に戻ろうとする。
    すると、「ナメてんのかコラァ!」
    という声が響き渡る。
春 明「!」
    受付のほうを覗く春明。
    さっきのカップルの男、長谷谷太郎
    (51)に絡んでいる。
    スーツ姿の長谷谷、及び腰で、
長谷谷「ナ、ナ、ナメてなどいません…」
 男 「お前、カネ出せよ。出せよオラ!」
    長谷谷、言われるまま財布を出す。
    男、紙幣をむしり取り、財布を投げ
    つける。
    金井、一部始終を見ているが、特に
    動じるでもなく、
金 井「ご退室でよろしいですか?」
    カップルの退室手続きをする。
    長谷谷、カップルが去った後で、
長谷谷「あの、…二週間延長したいんですけ
    ど」
    財布をまさぐり、
長谷谷「ああ、そうだ、カツアゲされたんだ
    った…、ああ、どうしよう」
    春明、苦々しい顔で、部屋に戻って
    いく。

○ タイトル『エアポケットへ行こう!』

○ 同・屋上(朝)
    ハジメ、ラジオ体操をしている。
    側には、ポケットラジオと目覚まし
    時計。
    春明、歯を磨きながらやってくる。
ハジメ「あ」
春 明「あ、昨日の」
ハジメ「どうも」
春 明「ラジオ体操か。精が出るな」
ハジメ「一緒にどうです?」
春 明「……」
    春明、ハジメの隣で体操を始める。
    しばらくやって、
春 明「(動きを止め)…そうか」
ハジメ「?」
春 明「ラジオ体操だ。犯人は、ラジオ体操
    の音が聞こえて、その場から逃げ出
    したんだ! そうすれば全ての説明
    がつく!」
ハジメ「とりあえず、口ゆすいでもらえま
    す? すごい飛んでる」
    春明、ポケットから歯磨き粉を出し、
    床に文字を書き始める。
    ハジメ、その姿に引いている。
    『犯人はラ』まで書くが、歯磨き粉
    が無くなる。
春 明「クッソ…」
    春明、猛ダッシュで出ていく。
    ハジメ、首を傾げる。

○ コンビニ(朝)
    春明、歯磨き粉を探している。
    ハジメ、オニギリを持ってやってき
    て、
ハジメ「あのう、犯人って何のことですか?」
春 明「頼むから今話しかけないでくれ」
ハジメ「ていうかもう、歯磨きしてましたよ
    ね?」
春 明「うるさいなあ。メモの続きをするん
    だよ!」
ハジメ「紙とペンじゃダメなの?」
春 明「(動きを止め)…確かに」
    我に返り、トボトボとコンビニを出
    ていく春明。
    ハジメ、レジへ。

○ マンション・外(朝)
    香織、地面に散らばった衣服を拾っ
    ている。
    水島、やってきて、
水 島「奥さん?」
香 織「ああ、おはようございます」
    水島、地面を見て、
水 島「…もしかして、先生の仕業ですか」
香 織「昨日アイツがこんなにして、片付け
    た後に私もムシャクシャして。だか
    ら厳密に言うと、私の仕業」
水 島「…なるほど」
    水島、一緒に拾い始める。
水 島「でもこうなると、執筆も佳境なんだ
    なって感じしますね。僕は先生を信
    じてます。先生は今、中に?」
香 織「追い出しちゃった」
水 島「え?」
香 織「アイツ、追い出しちゃった」
水 島「え?」
香 織「え?」
水 島「いや、え?」
香 織「ん?」

○ ネットカフェ・廊下(朝)
    春明、歩いている。
    金井、部屋のドアを開け放し、壁や
    床を入念に拭いている。
    春明、ぼんやりと見ている。
    ハジメ、春明の後ろから、
ハジメ「ここの人出てっちゃったんだ」
春 明「うわっ!」
ハジメ「メモ、できました?」
春 明「…なぜ僕につきまとう?」
ハジメ「別につきまとってないです。僕の行
    動パターンが、たまたま合っちゃっ
    てるだけで」
春 明「……」
ハジメ「結構長かったのになぁ」
春 明「キミはどのぐらいココに?」
ハジメ「もう、…5年ぐらいかな」
春 明「5年!」
ハジメ「来ます? 僕の部屋」

○ 同・ハジメの部屋(朝)
    本や衣類が整頓されていて、生活感
    がある。
    春明、部屋を見回している。
    ハジメ、お茶を出して、
ハジメ「今では掃除も消毒も、全部自分でや
    ってます」
春 明「…なるほど」
ハジメ「僕のことは、ハジメって呼んでくだ
    さい。まあ本名じゃないんですけど」
春 明「ん?」
ハジメ「で、さっきの話。犯人って、何のこ
    とですか?」
春 明「ああ、小説だよ」
ハジメ「小説って、書いていらっしゃる?」

   × × ×
    部屋の外。
    長谷谷、通りかかる。
春明の声「三國シュンメイって、知らないか」
長谷谷「!」
    思わず、ドアに耳を押し当てる。
   × × ×

ハジメ「…すいません。日本文学は、あまり」
春 明「まあ巷では、痛快社会派小説の名手
    なんて言われている」
ハジメ「ああ、池井戸潤的な?」
春 明「(真顔)……」
ハジメ「うわ、そこ地雷かよ」
春 明「残念ながら、僕の次回作は推理小説
    だ。社会派作家の称号は彼に明け渡
    す。まあいわゆる、棲み分けだな」
ハジメ「…(苦笑い)なるほど」
    長谷谷、突然部屋に入ってくる。
春明・ハジメ「!」
長谷谷「あの、み、み、三國、先生ですか」
春 明「…そうだが」
長谷谷「僕、大ファンなんです! まさか、
    こんなところでお会いできるなん
    て!」
ハジメ「タニタニさん、盗み聞きは良くない
    よ」
春 明「タニタニ?」
長谷谷「私、ハセタニと申します!」
ハジメ「長い谷に谷で、ハセタニ。だから、
    タニタニさん」
長谷谷「あの、握手、よろしいでしょうか」
    長谷谷、手を差し出す。
    不潔に伸びた爪。
    春明、怪訝な顔で手を差し出す。
長谷谷「ありがとうございます! いやあ、
    生きてると良いことあるなぁ!」
    すると、ハジメの目覚まし時計が鳴
    る。
ハジメ「あ、すいません、時間です」
春 明「何の?」
ハジメ「すいません、お帰りください」
春 明「え、ちょっと」
    ハジメ、春明と長谷谷を外へ追いや
    る。
    そのまま部屋の外へ。
春 明「(あっけに取られて)……」
長谷谷「来ます? 僕の部屋」

○ 三國家・リビング(昼)
    香織と水島、話している。
香 織「そう。じゃあ彼も潮時ね」
水 島「奥さんまでそんなこと言わないでく
    ださい! 先生は素晴らしい作家で
    す。…まあ、部数はあんまり芳しく
    ないけど、でも先生の才能を、僕た
    ちが信じてあげないと!」
香 織「そうよねぇ…」
水 島「そうよねぇって…」
香 織「産みの苦しみって、そんなに必要?」
水 島「はい?」
香 織「他の作家さんもあんな感じなの?」
水 島「いや、先生はかなりアグレッシブな
    ほうですけど…」
香 織「いや、産んだ結果苦しんでた、なら
    分かるのよ。でもあの人、苦しまな
    いと何も産まれないと思ってるでし
    ょ? だからって毎日それに付き合
    わされるのは、ちょっと勘弁ならな
    いんだけど」
水 島「まあ、確かに、そうです…」
香 織「あんだけのたうち回って、毎回ベス
    トセラーならまだしも、たかが知れ
    てるじゃない。天才じゃないんだか
    ら、もっと愚直に生活するべきなん
    じゃないの? そう思わない?」
水 島「…思います」
香 織「それに本人が気付くまでは、厳しい
    と思うわよ。他人事みたいだけど」
水 島「じゃあ奥さんは探さないんですか、
    先生のこと」
香 織「…さあ」
水 島「先生に直接言ってあげてください
    よ! 何か変わるかもしれない!」
香 織「…できたらとっくにやってるっつー
    の」
    香織、コーヒーをすする。

○ ネットカフェ・長谷谷の部屋(昼)
    散らかり放題で、雑然としている。
    春明、パソコンを開いている。
    長谷谷、春明をじっと見ている。
春 明「…やっぱり帰る」
    春明、立ち上がる。
    長谷谷、引き止めて、
長谷谷「お待ちください! 先生の執筆風景
    を見られるなんて、僕には一世一代
    のチャンスなんです!」
春 明「僕にとっては一世一代のムダな時間
    だ」
長谷谷「そうおっしゃらずに! ね!」
    春明、しぶしぶ座る。
春 明「あなた、職業は?」
長谷谷「恥ずかしながら、現在無職です」
春 明「だろうな」
長谷谷「でも、リストラされて家族に追い出
    された時も、先生の本だけは手放さ
    なかったんです! それぐらいファ
    ンなんです!」
春 明「……(パソコンを見ている)」
長谷谷「正直、先生はもっと評価されていい
    と思います。世の中がまだ、三國シ
    ュンメイの魅力に気付いていない、
    それが物凄くもどかしい!」
春 明「…(怒りを堪え)それはどうも」
長谷谷「あ、サインいただいてもいいです
    か? えーっと、本、本…」
    長谷谷、カバンをゴソゴソ漁る。
    中からゴミやら何やら大量に出てく
    る。
春 明「……」
長谷谷「あ、あった!」
    クッシャクシャの文庫本を掲げる。
春 明「うるさいんだよ!」
長谷谷「……」
春 明「僕の本にアナタのようなだらしのな
    い人間は出てこない! 僕の本から
    何を学んでいるんだ? アンタみた
    いなファンを持って僕はガッカリ
    だ! ますます自分に失望したよ! 
    二度と僕のファンを名乗るな!」
    春明、出ていく。
長谷谷「……」

○ 同・廊下〜晴明の部屋(昼)
    春明、自分の部屋へ入ろうとする。
    ハジメ、自分の部屋から、
ハジメ「ちょっと言い過ぎなんじゃない?」
春 明「……」
    春明、そのまま部屋へ。
    ドアを閉め、その場に立ち尽くす。
    自分の声がフラッシュバックする。
春明の声「二度と僕のファンを名乗るな!」
    春明、片目を強くつむり、悩んでい
    る顔。
春 明「ああ、クソッ!」
    ボストンバッグからYシャツと靴下
    を取り出す。
    外へ。

○ 同・廊下〜外・道(昼)
    春明、長谷谷の部屋をノックする。
    応答はない。
    そのまま外(道)へ。
    肩を落として歩く、長谷谷の後ろ姿。
    春明、駆け寄る。
    長谷谷、ビックリして止まる。
長谷谷「…先生」
    春明、手に持っていたYシャツとソ
    ックスを差し出し、
春 明「あの本の主人公は、そんなクタクタ
    のシャツは着てない」
長谷谷「…え?」
春 明「まずは服装をマネしなさい。それか
    ら主人公の考え方、スタンス、仕事
    への姿勢もだ。そうすれば仕事なん
    てすぐに決まる」
長谷谷「(受け取り)……」
春 明「だがそれはスタートラインに過ぎな
    い。アナタにも成功体験というもの
    があるだろう? それを徹底的に再
    現するんだ。過去に大きな契約を勝
    ち取ったとき、自分はどんなスーツ
    にどんなネクタイをしていたか、メ
    シは何を食って誰と会話したか、ど
    んな作戦で相手に擦り寄ったか、そ
    れらを全て模倣する。成功の根源に
    は必ずジンクスがある。それを守れ。
    そうすれば、あなたはもうこんなと
    ころにはいない」
長谷谷「…ありがとうございます…、ありが
    とうございます!」
    長谷谷、精一杯頭を下げる。
春 明「(恥ずかしそうに)…それが言いた
    かっただけだ。じゃあ」
    春明、去る。
    長谷谷、まだ頭を下げている。
    春明、ついに小走りで去っていく。

○ 出版社・オフィス(夜)
    高砂のデスク。水島、肩をすぼめて
    立っている。
高 砂「何してんねん、このドアホ!」
水 島「…すみません」
高 砂「さっさとあの出がらしに見切り付け
    ろ言うたやんな? 俺、言うたやん
    な?」
水 島「僕が今先生を見捨てたら、もう誰も
    味方じゃなくなっちゃうんです! 
    担当とかそういうの抜きにして、人
    としてそんなマネはできません!」
高 砂「いや青臭っ! めちゃくちゃ青臭い
    やん自分!」
水 島「もう少しだけ、もう少しだけお願い
    します!」
    水島、頭を下げる。
    高砂、その姿に少しビビって、
高 砂「…もはや、ラブやな」

○ ネットカフェ・屋上(夜)
    ハジメ、洗濯機に服を入れている。
    春明、やってくる。
ハジメ「どうですか、調子は」
春 明「最悪だ」
ハジメ「…でしょうね」
春 明「こんな劣悪な環境で物なんて書ける
    わけがない」
ハジメ「じゃあ、出ていくんですか?」
春 明「…いや、もう少し戦ってみる」
ハジメ「まあここでのことなんて、いつかキ
    レイさっぱり忘れちゃいますから」
春 明「なぜ?」
ハジメ「ここを出ていくのは、大概は人生が
    追い風になったときです。追い風の
    ときに向かい風を思い出す人なんて
    いないでしょう?」
春 明「……」
ハジメ「いいんですよそれで。ここでの生活
    は、人生のエアポケットですから。
    なかったことにしてもいい時間なん
    です」
春 明「なかったことに、ねぇ…」
    春明、空を見上げる。
    星がひとつもない。
春 明「どうりで心に残らない空だな」
ハジメ「(見上げ)…ですねぇ」

○ 三國家・寝室(朝)
    スマホに着信。
    香織、目を覚まし、取る。
香 織「はい。…えっ!」

○ ネットカフェ・春明の部屋(朝)
    春明、パソコンを見ている。
    一向に進んでいない。
春 明「(ため息)」
    ボストンバッグから本を取り出す。
    『向かい風の向日葵』。
    ペラペラとめくり、目を通す。
    ふと、何かを思い立った。
    スマホを取り、カメラロールを見る。
    一枚の写真。
    マッシュルームヘアに赤シャツの春
    明、トロフィーを持って満面の笑顔
    をしている。
春 明「…これしかないか」

○ 道(昼)
    水島、待っていると、香織がやって
    くる。
香 織「彼を見たって、本当?」
水 島「ええ。僕の同僚が、吉祥寺で先生を
    らしき人を見たって」
香 織「じゃあ、私こっち。水島くんは駅の
    反対側、探して!」
水 島「はい!」
    二人、それぞれ走り出す。

○ 美容院(昼)
    春明、座っている。
    美容師、春明の髪を触りながら、
美容師「今日は、どうしましょう」
春 明「マッシュルームヘアで」
美容師「おっ、攻めますねえ。マッシュルー
    ム入りまぁす!」
    周り、「うぃ〜!」と声をあげる。
春 明「(戸惑う)」

○ 公園(昼)
    香織、噴水広場に走ってくる。

   × × ×
    (回想)
    春明、噴水に頭を突っ込み、奇声を
    挙げている。
   × × ×

香 織「(いない…)」
    再び走り出す。


○ 住宅街(昼)
    水島、視線を止める。
    子供たち、地面に石で絵を描いてい
    る。

   × × ×
    (回想)
    春明、子供の横で、地面に石でメモ
    をしている。
子 供「おじさん、なにしてるの〜?」
春 明「才能を刻みつけているのさ」
子 供「はぁ〜?」
   × × ×

水 島「(ここじゃないか…)」
    再び走り出す。

○ 公園・ドッグラン(昼)
    香織、柵の外から見ている。

   × × ×
    (回想)
    春明、四つん這いになり、犬と一緒
    に駆け回っている。
    周囲の親、子供の手を引いて距離を
    取っている。

○ 寿司屋・外(昼)
    水島、店先を見ている。

   × × ×
    (回想)
    春明、土下座している。
    大将、激怒して、
大 将「ツケで寿司食わす奴がどこにいるん
    だコラァ!」
    今にも春明に殴りかかる勢い。
春 明「すみません! 僕の担当に子供が産
    まれて、良い顔したかったんです! 
    すみません!」

○ 商店街〜喫茶店(昼)
    カラカラと下駄を引きずる足もと。
    真っ赤なシャツ。
    マッシュルームヘアの春明、道の真
    ん中を闊歩している。
    ふと、喫茶店が目に入る。
    春明、「ほう…」という顔。

   × × ×
    商店街、数分後。
    水島、香織を見つける。
水 島「どうでした?」
香 織「ダメ。そっちは?」
水 島「ダメです。もうどこ行っちゃったん
    だろ…」
香 織「あ」
    香織の視線の先、喫茶店。
    春明、窓際の席でタバコをふかし、
    ノートを広げている。
水 島「あ!」
    香織、春明へ歩いていく。そのまま
    中へ。
    水のコップを手に取り、春明の顔に
    かける。
春 明「!」
    香織、春明を睨みつけている。

○ ネットカフェ・ハジメの部屋(昼)
    ハジメ、正座で読書をしている。
    目覚まし時計が鳴る。
    それを止め、立ち上がる。
    すると、スマホが鳴る。メールだ。
    差出人は『釘宮理沙子』。
    『お母さんが亡くなった すぐ帰っ
    てきて』
ハジメ「!」
    ハジメ、急いでカバンに荷物を詰め、
    部屋を出ようとする。
ハジメ「……」
    ドアの前で立ち止まる。
    突然、カバンを投げ飛ばす。
    部屋中の物を手当たり次第に散らか
    し始める。
    隣の部屋から「うるせえよ!」とい
    う声。
    ハジメ、我に返る。
    涙が頬を伝っている。

○ 喫茶店(昼)
    春明、香織、水島、テーブル席に座
    っている。
香 織「何よその格好」
春 明「…まあ、いろいろとありまして」
香 織「やっぱり何も変わってない」
春 明「……」
水 島「確かに、新人賞獲った時と同じ格好
    してたんじゃ、変わってないと言わ
    れても仕方ない…」
香 織「そうじゃなくて、そういうとこ。苦
    しくなったら過去の栄光にすぐすが
    るところ」
春 明「今までだってそうしてきた。それで
    ここまで来たんだ」
香 織「ここまでってどこまで? 何も書け
    なくてわめき散らした挙句に家追い
    出されるとこまで?」
水 島「ちょっと奥さん!」
春 明「……」
香 織「そんなことやってるから、ワケ分か
    んない新人なんかに追い抜かれるの
    よ」
春 明「それ何の話だ」
水 島「奥さん、まだその話、先生には…」
香 織「(一瞬ためらうが)アンタより何倍
    も才能ある新人がいるんだって。水
    島くんは頑張ってくれてるけど、ア
    ンタにはもう後がないのよ」
春 明「……」
香 織「お願いだから現実を見て。自分を買
    い被ったりしないで、等身大のまま、
    地に足つけて生きて。それができる
    まで、帰ってこなくていいから」
    香織、去る。
水 島「ああ、奥さん!」
春 明「……」
水 島「僕も奥さんも、先生のこと信じてま
    すから」
    水島、香織を追いかけていく。
    春明、俯いたまま。

○ 新幹線・車内(昼)
    ハジメ、窓際に座っている。
    流れる景色をぼーっと見ている。

○ 喫茶店・外(昼)
    水島、店を出ると、香織が立ってい
    る。
    空を見上げ、こらえている様子の香
    織。
水 島「…奥さん」
香 織「嫌になっちゃう。小説家の妻なんて」
    香織、自嘲気味に笑い、歩き出す。
水 島「……」 
    水島、半歩後ろを歩き出す。

○ 長野県・葬儀場・前(昼)
    霊柩車、けたたましい音を立てて動
    き出す。
    喪服の人々、合掌している。
    ハジメ、物陰から様子を見ている。
 声 「章一」
    振り返ると、釘宮理沙子(29)、立
    っている。
ハジメ「……」
理沙子「おとといの夜中に倒れて、そのまま。
    こういう季節の変わり目は、少なく
    ないんだって。年寄りの突然死」
ハジメ「(あっち)いなくていいのかよ」
理沙子「いられないの、あまりにもツラくて」
ハジメ「どうせ俺に話があんだろ」
理沙子「どうしてそう思うの?」
ハジメ「じゃなきゃ葬式に呼んだりしない。
    そういう狡猾なとこ、変わんねえな」
理沙子「そういう勘の鋭さは母さんソックリ
    ね」
ハジメ「(理沙子を睨んで)……」
理沙子「結婚するの」
ハジメ「それで?」
理沙子「あなたとはもう連絡できない」
ハジメ「…そんなことだと思った」
理沙子「分かるでしょ。あなたのことが知れ
    たら、彼にも迷惑かかるの」
ハジメ「自分だけ幸せになるのかよ」
理沙子「…私は、関係ないから」
ハジメ「…この野郎」
    すると斎場から声がする。
 声 「おい、あれ章一じゃねえか?」
    親戚1、寄ってきて、
親戚1「何しに来た、この親不孝者!」
ハジメ「……」
親戚1「家族捨てて自分だけ逃げよって。お
    前なんてナメクジ以下じゃ」
親戚1、ハジメの頭に塩を撒く。
ハジメ「(睨みつける)」
親戚1「なんじゃ。ナメクジに塩かけて何が
    悪い!」
理沙子「ちょっと、おじちゃん! やめて!」
    ハジメ、去る。
理沙子「章一!」
    ハジメ、振り向かない。

○ 同・畦道〜茂み(昼)
    ハジメ、走っている。
    脇目も振らず、ただただ走っている。

   × × ×
    森の茂み。
    ハジメ、立ち止まる。
    息を切らし、その場にひざまずく。
ハジメ「…あああああああああああ!」
    叫びが森の中をこだまする。

○ ネットカフェ・屋上(夜)
    春明、柵に寄っかかり、タバコを吸
    っている。
    ハジメ、やってくる。
春 明「今日はずいぶんと遅いんだな」
ハジメ「野暮用です」
春 明「タニタニさん、出て行ったよ」
ハジメ「…え」
春 明「仕事が決まったらしい。挨拶ぐらい
    してくれてもよかったのにな」
    春明、座る。
ハジメ「…ですね」
    ハジメ、春明の隣に座る。
春 明「キミもそんな顔するんだな」
ハジメ「?」
春 明「絶望なんてしないと思っていた」
ハジメ「見損ないましたか」
春 明「安心したよ。キミも立派な、人の子
    だ」
ハジメ「まあ、機械じみた生活はしてますけ
    ど」
春 明「(タバコを差し出し)吸うか?」
ハジメ「…じゃあ、一本」
    春明、ハジメのくわえたタバコに火
    を点ける。
春 明「キミは、ここでの日々をエアポケッ
    トと表現した。人生において、なく
    てもいい時間。なかなか的確な表現
    だ、感心したよ」
ハジメ「光栄です。作家先生に褒めてもらえ
    るなんて」
春 明「でも僕は、人生になくてもいい瞬間
    などないと思う」
ハジメ「?」
春 明「例えば、記憶から消し去りたいほど
    忌々しい屈辱や挫折。もしくは、大
    きな回り道、それを悔やむ気持ち。
    それらはいわば、人生における伏線
    だ」
ハジメ「…伏線」
春 明「いずれは必ず回収される。どんな時
    間もムダではなかったと思える日が
    来る」
ハジメ「……」
春 明「タニタニさんは見事だよ。ここで燻
    っている時間すら、回収していった
    んだ。だから、何も告げずに出て行
    ったんだろう」
ハジメ「…僕にも来ますか」
春 明「?」
ハジメ「そのタイミングは、僕にも来ますか」
春 明「ああ。生きてさえいればね」
ハジメ「簡単そうで、一番難しいかもしれな
    いですね」
春 明「こんなところで負けるわけにはいか
    ないんだ」
    ハジメ、思わず春明を見る。
    春明、空を見上げる。
春 明「しかし今日も、すがすがしいほど退
    屈な空だな」
    ハジメ、空を見上げる。
    星をひとつだけ見つける。
ハジメ「……」

○ 喫茶店(朝)
    春明、水島、座っている。
    水島の手に、紙束。
水 島「本当に、いいんですか?」
春 明「(笑いながら)そんなに意外か?」
水 島「というか、読んだら余計に書けなく
    なるんじゃないかって…」
    春明、水島から紙束を取り、
春 明「僕を誰だと思ってる」
水 島「…先生」
春 明「まずは敵を知るところからだ。自分
    と戦うのは、もうアホらしいからや
    めた」
    水島、嬉しそうな顔。
    春明、読み始める。

○ ネットカフェ・ハジメの部屋(朝)
    ハジメ、スマホでメールを打とうと
    している。
    宛先は、『釘宮理沙子』。
    『もう一度話がしたい』と打つ。
    送信をためらう。
    指が『送信』に触れようとしたとき、
    「ピピピピピピ…」アラームが鳴る。
    ハジメ、目覚まし時計を強く叩く。

○ 喫茶店〜ハジメの部屋〜受付(朝)
    (以下、カットバック)
    喫茶店。
    春明、鋭い目で読んでいる。
    水島、その春明を見ている。
   × × ×
    ハジメの部屋。
    ハジメ、カバンに荷物を詰めている。
ハジメ「……(無表情)」
   × × ×
    喫茶店。
    春明、ページを進めている。
   × × ×
    受付。
ハジメ「終了で、お願いします」
金 井「…え」
ハジメ「長い間、お世話になりました」
    金井、寂しそうにハジメを見つめ、
金 井「お忘れ物は、ございませんか」
ハジメ「(頷く)」
   × × ×
    ハジメの部屋。
    がらんとした部屋の真ん中に、目覚
    まし時計が置かれている。
   × × ×
    喫茶店。
    春明、最後のページを閉じる。
水 島「…どうでした?」
春 明「非常に面白かったよ。物語に引き込
    む勢いもテクニックもある。有望株
    として囲いたい気持ちも分かる」
水 島「…先生」
春 明「だが、これは小説じゃない。ノンフ
    ィクションだ」
水 島「…え?」
春 明「(独り言)やっぱりムダなことなん
    てなかったんだ」
水 島「?」
    
○ 長野県・茂み(昼)
    理沙子、待っていると、ハジメがや
    って来る。
理沙子「…なに、私殺されるの?」
ハジメ「決着つけようと思って」
理沙子「…何よ、今さら」
ハジメ「どうせ俺とは縁切るつもりなんだろ
    う。最後ぐらい付き合えよ」
理沙子「……」
ハジメ「俺は正しいか? それとも間違って
    んのか?」
理沙子「だから何よ今さら!」
ハジメ「答えろよ!」
理沙子「…間違っててほしかった」
ハジメ「……」
理沙子「完全に間違ってれば、アンタのこと
    なんて簡単に切り捨てて幸せになれ
    たのに! …幸せになろうとすると、
    いつもアンタの顔がちらつくの。私
    ばっかり良い思いしちゃいけないっ
    て思わされるの!」
ハジメ「……」
理沙子「私たちって何なの? 被害者なの、 
    加害者なの? 何を責めればいいの、
    何を償えばいいの? 何も分かんな
    い。これだけ時間が経ったって、何
    も分からないじゃない!」
ハジメ「……」
理沙子「だからもうやめた。私が全部悪くて
    いいってことにした。弟を捨てて幸
    せになって、一生弟に恨まれながら
    生きていくことにしたから。もう私
    のこと、好きなだけ恨んでいいよ」
ハジメ「…何が言いてえんだよ」
理沙子「ごめんね、章一。さよなら」
    理沙子、去る。
ハジメ「おい、姉貴!」
    どこからともなく警官隊がやってき
    て、ハジメを包囲する。
ハジメ「!」
警官1「釘宮章一、動くな。お前を逮捕する」
    ハジメ、驚いたまま動けない。

○ ネットカフェ・春明の部屋(昼)
    春明、パソコンと向き合っている。
春 明「(深呼吸)」
    何も書かれていないワードの画面に、
    文字を打ち込み始める。
春 明「……」

   × × ×
    ハジメの場面、フラッシュバック。
ハジメ「たまたま、行動パターンが合っちゃ
    っただけで」
ハジメ「僕のことは、ハジメって呼んでくだ
    さい」
ハジメ「まあ、機械じみた生活はしてますけ
    ど」
ハジメ「そのタイミングは、僕にも来ますか」
   × × ×

    滑らかに文字を打つ、春明の手。

○ 長野県・拘置所・外観〜面会室(昼)
    数日後。
    外観。古びた建物。
   × × ×
    面会室。
    ハジメ、刑務官に連れられて入室。
    ガラス越しに、春明、座っている。
    ハジメ、座る。
春 明「久しぶりな気がしないな」
ハジメ「…不思議ですね」
春 明「元気か」
ハジメ「ええ。生活は特に変わりませんよ、
    あの時と」
春 明「(苦笑い)だろうな」
ハジメ「わざわざ会いに来てくれたんですか」
春 明「キミに、見せたいものがあってね」
    春明、カバンから紙束を取り出す。
    一番上の紙に『エアポケット』と書
    かれている。
春 明「ついに書けたんだよ、新作が」
ハジメ「…エアポケット。そんなに気に入っ
    てくださったんですね」
春 明「アナザーストーリー、とでもいうの
    かな」
ハジメ「?」
春 明「キミだろう、匿名で小説を投稿した
    のは」
ハジメ「…読んだんですか」
春 明「キミのせいで僕は廃業寸前まで追い
    込まれた。実際、完成度はかなりの
    ものだったし、そうなってもおかし
    くなかった」
ハジメ「…嬉しいなあ」
春 明「僕はひとつ勘違いをしていた。キミ
    が規則正しい、というか規則的な生
    活をしているのは、ある種の開き直
    りだと思っていたんだ。人生におけ
    るエアポケットが、彩りのある日々
    とならないようにね」
ハジメ「……」
春 明「だがあの場所は、キミにとって牢獄
    だったんだ。自らを狭い部屋に収容
    し、規則的な生活を送ることで、い
    わば服役をしていた。五年という刑
    期を設定して」
ハジメ「……」
春 明「なぜならキミは、人を殺したから」
    春明、カバンからもう一つの紙束を
    出す。
    『空白』。
ハジメ「…ええ。僕は人を殺しました」
春 明「……」
ハジメ「五年前、姉を執拗に付け回している
    男がいました。僕がやらなきゃ、ど
    のみち姉は殺されていた。今でも後
    悔はしていません。でも、人を殺し
    たことには違いない。それで僕は、
    あそこに五年、入っていました」
春 明「周囲の人々は、今でもキミが、貧し
    さに嫌気が差して家族を捨てたと思
    い込んでいる。この事実を知ってい
    るのは、キミとキミのお姉さんだけ」
ハジメ「その姉は僕を裏切って男と結婚しま
    した。いずれそうなることは分かっ
    ていました。殺したのは僕だから、
    姉がいつまでも不幸でいる必要はな
    い」
春 明「ならどうしてこんな小説を書いたん
    だ。全てを記したこの本を」
ハジメ「……」
春 明「キミも、伏線にしようとしていたん
    だろう。いずれ人生をやり直すとき、
    この五年間も報われるように」
ハジメ「……」
春 明「……」
ハジメ「ブッブー、違います。これは僕の遺
    書です。あそこを出たら僕は死ぬつ
    もりでした」
春 明「どうして」
ハジメ「姉に僕を忘れてほしかったんです」
春 明「……」
ハジメ「僕が生きてたら、きっと同じことの
    繰り返しですよ。僕を思い出して二
    の足を踏むに決まっている。でも皮
    肉なもんです、その姉に助けられち
    ゃったんですから」
春 明「……」
ハジメ「でも、僕はもう死にません。先生の
    おかげで、全部が伏線になりそうな
    気がしてるんです。人生最後にして
    最低最悪だと思ってた五年間が、報
    われることを待っている気がするん
    です」
春 明「……」
ハジメ「先生、…ありがとうございました」
    ハジメ、頭を下げる。
    春明、その姿を見ている。
刑務官「時間です」
    刑務官、ハジメを立ち上がらせ、ド
    アへと向かう。
春 明「章一くん」
ハジメ「……」
春 明「また会おう」
    ハジメ、春明を見て、
ハジメ「ええ、お互い全てを回収したら」
    笑顔を見せるハジメ。
    春明、笑顔を返す。
    ハジメと刑務官、去る。
    春明の手に握られた、二つの紙束。

○ 出版社・オフィス(昼)
    高砂のデスク。
    高砂、『エアポケット』を持ってい
    る。
    水島、立っていて、
水 島「担当の僕からしても、今回は自信作
    だと思います」
高 砂「いや自分、先生にゾッコンやないか。
    全然アテにならんわ」
水 島「ご一読、お願いします!」
高 砂「…まあ結局、あの新人も連絡取れん
    かったしなあ。何やったんやろ」
水 島「…(ニヤつきながら)さあ」
    水島、振り返って自分のデスクへ。
水 島「(スマホを見ながら)打ち上げどこ
    にしよっかな…」

○ 新幹線・車内(昼)
    春明、車窓から景色を見ている。
    足元にはボストンバッグ。
    スマホが鳴る。
    見ると、メールが来ている。
    差出人に『長谷谷太郎』とある。
    『いよいよ明日からですね! 社員
    一同、心よりお待ちしております!』
    作業着の人々の集合写真が添付され
    ている。
春 明「(大袈裟だよ…、と苦笑い)」

○ 三國家・リビング〜玄関(昼)
    香織、紙束を持っている。
    壁の時計を見る。
香 織「(ため息)」
    そわそわと落ち着かない様子。
    インターホンが鳴る。
香 織「!」
    ドアの前まで走っていく香織。
    立ち止まり、深呼吸する。
    キリッとした表情に切り替わる。
    ドアを開けると、春明、立っている。
香 織「…まだ帰ってきていいって言ってま
    せんけど」
春 明「言っただろう、一時帰宅だよ」
香 織「本当はそれすら許したくなかった」
    香織、腕を組み、ドアに寄りかかる。
春 明「しばらく小説は休もうと思う」
香 織「…え?」
春 明「外に出て、働いてみたいと思って」
香 織「それ、水島くんは知ってるの? 働
    くって前にいた会社? そんなツテ
    あるの?」
春 明「(制して)とにかく、…もう決めた
    ことだから」
香 織「いっつも自分ひとりで決めちゃうの
    ね」
春 明「…すまない」
香 織「私からひとつ条件がある」
春 明「?」
香 織「…必ずまた、小説を書くこと。水島
    くんが可哀想じゃない、あんなに頑
    張ってくれたのに」
春 明「…ああ」
香 織「それに、…あんなんで満足してない
    でしょ? アンタは」
春 明「(頷く)」
    香織、「やれやれ」という顔をして、
香 織「風呂、沸いてる」
    香織、中へ戻っていく。
春 明「(笑顔で)よしっ」
    春明、中へ。
    ドア、バタンッと閉まる。

○ 同・寝室(朝)
    翌朝。
    けたたましい目覚まし時計の音。
    春明、ベッドの中でグズグズしてい
    る。
    手を伸ばし、目覚まし時計を力強く
    止める。

                (完)

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