「朝ごはんができました。本日のメニューはキノコ炒めです。おいしいキノコを召し上がれ」
AIスピーカーがそう言ったとき、片瀬ヒロキはちょうどテレビのスイッチを入れたところだった。
「えーと、今日の天気はと……」
ニュースも終わりに近づいていて、彼は予報を確認したあと、テーブルの椅子に座り、携帯端末をいじりはじめた。
「昨日の広告の伸びはと……お、いいぞいいぞ」
片瀬はマーケティング業務をあつかうスタートアップ企業の社員だ。
大学の先輩だった中村ケンジと、二人三脚でここまでやってきた。
軌道に乗ってこそはいないものの、月々の収益は順調に伸びてきている。
「うん、いい感じだな。先輩もいまごろ、にやにやしてるだろうぜ」
彼は端末をテーブルの脇に置いて、添えられた箸を手に取った。
「魚座の方は、落とし物に注意してくださ~い!」
背後のテレビでは天気予報が終わり、女性の声が今日の占いをかしましくしゃべっている。
「うほ~、いいにおいだ」
そのとき。
テレビの音声が一瞬ゆがんだ。
「あ?」
片瀬はそちらに首を回そうとした。
「片瀬ヒロキさん、あなたは今日、キノコ注意報です。キノコにはじゅうぶん注意してください……」
「は……」
彼が振り返ったとき、テレビでは番組のスタジオをバックに、エンドロールが流れているだけだった。
「な、なんだ、いまの……故障かな……なんだよ、キノコ注意報って……」
片瀬は不思議に思いながら、頭の向きをもとに戻した。
「う……」
目の前にはさまざまな種類のキノコが炒められた、湯気を出す料理がちょこんと置いてある。
「ふん、ばかばかしい……」
彼は皿を手に取り、ごちそうをほおばった。
「う……」
ピタリと箸が止まる。
「うまっ……」
弾力のある歯ごたえ、舌に絡む肉汁。
食がすすむことこのうえない。
「こりゃヤバいって……」
あまりのうまさに、片瀬はご飯を茶碗で三杯もたいらげてしまった。
「ぷはあっ、幸せ……」
腹をポンポンと叩いたあと、彼はもう一度うしろを振り向いた。
テレビには次の番組が映っている、だけだ。
「キノコ注意報、ね……」
彼は口をぬぐうと、上着のジャケットを羽織って、マンションのドアを開けた。
*
マンションをあとにした片瀬ヒロキは、最寄りの駅から通勤電車に乗り込んだ。
「う……」
席に座って少し経つと、腹部が猛烈に痛み出してきた。
(な、なんだよ、これ……)
腹の中をかき回されているかのような激痛だ。
(ヤバいって、このままじゃ……)
彼は患部を手で押さえ、背中を丸めている。
「にょこちゃんフーズのたっぷりキノコセット! さまざまなキノコをまとめてパックしました! おいしいキノコを召し上がれ!」
誰かの端末から食品会社のCMの音声が聞こえる。
しかし片瀬が腹が痛くてそれどころではなかった。
(もうすぐ駅につく……そしたらトイレにダッシュだな……)
そんなことを考えているうちに、電車は駅にとまった。
彼は急いでプラットフォームへ降りると、足早に改札前のトイレに駆け込んだ。
「ふう、やばかった。なんとか間に合ってよかったよ……」
片瀬はふと、さきほどの出来事を思い出した。
テレビが告げた謎の単語、キノコ注意報――
もしかして朝ごはんのキノコが当たったのか?
そんなことを考えた。
「まさかな……」
彼はトイレを出ると、改札を通った。
大型モニターでは朝のニュースをやっている。
片瀬は何の気なしにそちらへ目をやった。
「〇〇区内の一部のスーパーに、毒性を持つキノコが誤って混入された食品が陳列されたとのことです。製品名は『たっぷりキノコセット』で、幸いにも事実を確認した販売元のにょこちゃんフーズが、すぐに回収を指示したとのことですが、当該スーパーの情報によると、該当する商品を購入されてしまった方が、一名だけいらっしゃるようです。もし心当たりのある方がいらっしゃいましたら、決して該当する商品は開封せず、すぐに廃棄したうえ、メーカー側に問い合わせてほしいとのことです」
女性アナウンサーの言葉に、彼はゾッとした。
「たっぷりキノコセット……そういえば、そんな名前だったような……」
片瀬はなんだか背筋が寒くなって、腹痛もすっかり忘れてしまった。
「キノコ注意報、キノコ注意報……」
彼はぶつぶつとつぶやきながら、幽鬼のように会社へと足を進めた。
*
「キノコ注意報?」
出社した片瀬ヒロキは、事のあらましをさっそく先輩の中村ケンジに報告した。
「ええ、なんでも、俺がスーパーで買ったキノコに、毒の入ってるやつが紛れ込んでたみたいなんすよ。メーカーに電話したら、賠償させてくれって言ってくれたのが、せめてもの慰みですけどね」
「ははっ、おまえもついてないなあ、片瀬! そのなんとかセットだかっての、買ったのおまえだけなんだろ? いくらなんでも、くじ運悪すぎじゃね?」
中村は肩を揺らして笑っている。
それを見た片瀬はひどくうんざりした。
「もう、せんぱ~い、勘弁してくださいよ~。おかげでこっちは朝っぱらから最悪の気分なんすから~」
「まあ、キノコ注意報だかなんだか知らんけど、悪いことが起こったあとにはいいことがきっとあるって!」
「無責任だな~」
中村の態度に、片瀬はもはやあきれ返っている。
「ま、人生山あれば谷ありってな。それより、昨日のデータ見ただろ? 俺らの張った広告、アクセス数うなぎのぼりじゃん。こりゃ、アドセンス効果もウハウハだろうぜえ」
「それよりって……まあ、確かに爆上がりでしたよね。この調子なら、今年中にはうちも軌道に乗っちゃったりとかするんじゃないっすか?」
「お、うれしいこと言ってくれるねえ! まあ、それも夢じゃない流れだわな。さっきだって、新しいクライアントから連絡が来たばっかだし」
「マジっすか? いい感じですねえ。で、どんな案件っすか?」
「ああ、この近くで農家ビジネスを始めたっていう、新規就農の起業家さんらしいんだ。俺らとは同年代くらいだな。ホームページを立ち上げたいから、相談に乗ってくれってことらしいぜ」
「農家ビジネスって、まさか……」
「ああ、シイタケ農家さんだってよ」
「シイタケ……」
「そうだ、おまえちょっと行ってきてくれよ。俺はこのあと、別のクライアントさんの相手をしなくちゃならなくてな。昼飯は自家製のシイタケ料理をおごってくれるってよ。おいしいキノコを召し上がれ、だってさ」
「ま、マジか……」
「その、キノコ注意報だっけ? ただの偶然だって。そんなの気にするだけ損だぜ? さ、さ、早いとこ頼むぜ。依頼料はよろしく言っておけよ~?」
「は、はい……了解っす……」
こうして片瀬は、近隣のシイタケ農家へと向かったのである。
*
片瀬ヒロキは先輩である中村ケンジの指示で、さっそく近隣のシイタケ農家へと足を運んだ。
「いや~、片瀬さ~ん、よくいらっしゃいました~。さっそく工場の中、見てってくださいよ~。ちょうどいま、みんなで収穫してたところなんです~」
「はは、はい……」
間延びする口調の社長に促され、あれよあれよという間に、片瀬は菌床シイタケの工場へと案内された。
(うえ……)
金属製の棚にところせましと、土の塊のようなものが敷き詰められていて、そこからはニョコニョコと見事なシイタケが生えている。
これまでの流れがあったから、山のようなキノコを目撃した彼は、頭がクラクラしはじめてきた。
「この塊が『ホダ』って言いましてね、この中にキノコの生育を促す菌が詰まってるんですよ~」
「へえ、そうなんですね……」
シイタケをできるだけ見ないようにして、片瀬は適当な返事を続けていた。
「あの、社長、肝心のホームページの件は?」
「ああ、そうだった! 自分、パソコンやネットは基本操作ができるくらいで、ホームページの構築だとか、SEOだとかはさっぱりなんですよ~。片瀬さんにぜひお願いしたいと思って、あ、こっちが事務所になりますんで」
「おお、それでは失礼して……」
彼が社長のいざなうドアのほうへ向かおうとしたとき――
「わあっ――!」
すぐ横の棚がぐらりと傾いて、片瀬の頭の上から大量の『ホダ』が落下してきた。
驚いたその口にシイタケが入り込み、彼は条件反射でそれを吐き出した。
「おえ、おえ~っ……!」
「片瀬さん、大丈夫ですか!? こら、誰だ!? お客さんになんてことをしてくれるんだ!」
社長が叫んだが、そこには誰もいない。
ちょうど昼休みの時間だったので、数名いる社員たちは、すでにみんな休憩室のほうへと移動していたのだ。
「あれ、誰もいない……おかしいな、ネコでも入り込んだのか……?」
「社長、自分は大丈夫ですから……それより、何か拭くものを貸していただけませんでしょうか?」
「ああ、これは失礼! すぐに持ってきますから、ちょっと待っててください!」
社長はすぐに事務所へと向かった。
あとには片瀬ひとりだけが残された。
「ああ、最悪……くそ~、キノコ注意報めえ……」
彼は工場の中ににらみを利かせたが、やはりそこには人っ子ひとりいない。
「いったいなんなんだ? まさか何かの呪いとかか? 冗談じゃないぞ、俺はそんなもの信じないからな」
しばらくして。
「片瀬さ~ん、洗面所を使ってくださ~い。いまお昼の準備もできましたから~」
「お昼って、確か……」
事務所のドアが開いて、両手でかかえるような大皿を社長が運んできた。
そこにはバカでかいシイタケの料理が山のように盛られていた。
「ひ……」
「うちで収穫した自慢のシイタケのバター蒸しですよ~。おいしいキノコを召し上がれ~」
「ひ、ひ、ひい~っ!」
湯気を出すシイタケに胃液が逆流しそうになった彼は、思わずその場から逃げ出そうとした。
「あれ、どうしたんです? 片瀬さ~ん」
「わあっ――!」
気が動転した片瀬は、金属の棚に足を引っかけ、地面へすっころんでしまった。
「あ、危な~い!」
ひっくり返った棚から『ホダ』が次々と落下してきて、彼はシイタケの雨に見舞われた。
「ぐ、むぐ……」
あっという間に片瀬は、『ホダ』の山の下敷きになってしまった。
「あっ、片瀬さん! だっ、誰か、救急車っ!」
「……」
彼の意識はそのまま、遠くのほうへと飛んでいった。
*
「う、うーん……」
片瀬ヒロキが目を覚ましたとき、そこは病院のベッドの上だった。
落ちかける太陽が窓に映っている。
どうやらけっこうな時間、彼は眠っていたようだ。
「片瀬さん、気がつかれましたか?」
医師がにゅっと顔をのぞいてきた。
「あの、俺は……」
「ああ、軽い打撲程度ですから、落ち着いたらすぐに帰れますよ」
「よ、よかった……」
「お食事を出しますから、のんびりしていってください」
「しょ、食事って、まさか……」
スタッフが配膳車をガラガラと鳴らしながらやってきた。
ベッドサイドに食事の入ったトレイが置かれる。
「片瀬さん、おなかすいてるでしょう? いっぱい食べて、元気になってくださいね?」
「あわわ……」
果たしてそこには、山盛りのキノコが……
「おいしいキノコを召し上がれ」
「ひっ、ひえ~っ!」
一も二もなく飛び起きると、逃げるように片瀬は病室を飛び出した。
そして全速力で病院をあとにした。
「はあ~、ったく、なんなんだよ~」
彼が外で呼吸を整えようとしていると――
「あっ?」
雨だ。
最初はポツリポツリとだったが、どんどんひどくなってくる。
「ああ、最悪。傘なんてもってねえし」
そのとき、通行人たちが一斉に傘を開いた。
「あ……」
片瀬にはその形が……
「きっ、キノコ……」
また胃液が逆流しそうになって、彼はその場から猛ダッシュした。
*
片瀬がわれを取り戻したとき、あたりはすっかりうすぼんやりしてきていた。
「ここ、どこ……?」
町のはずれのようだが、人っ子ひとりいやしない。
「ああ、もう、どうなってんだよ。キノコ注意報のせいで、最悪な一日じゃねえか」
その辺のベンチに座り込み、彼はしばらく頭をかかえていた。
ふいに気配を感じ、ひょいと顔を上げると――
「片瀬」
「せ、せんぱい……?」
中村ケンジがそこに立っている。
「ど、どうしたんですか? こんなところで……」
彼は何か違和感を感じた。
それは中村のかっこうだ。
もう夜でも温かい時期だというのに、真冬のようなトレンチコートをすっぽりと羽織っている。
「言ったろ、キノコ注意報だって」
「……」
中村はそう言うと、コートをゆっくりと開いた。
そこには、それはそれは見事なキノコが――
「おいしいキノコを召し上がれ」
(終)
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