【登場人物】
守田夏央 (29)(23)(21) イベント企画会社契約社員
佐倉美咲 (17) ピアニスト・女子高生
喜多川由依(28)(22)(20) 女優
林俊哉 (32) 守田の先輩社員
坪倉賢 (38)(30) 居酒屋『つぼくら』店主
木場大悟 (36) 取立屋
ノブ (26) 木場の弟分
劇団員A
劇団員B
女性社員A
キャスター
解説委員
○走る電車・中(朝)
朝のラッシュ時間帯。車内は乗客で溢れている。
吊革に掴まり、窓の外をぼんやり眺めている守田夏央(29)。
守田の前には疲れた様子のサラリーマンが隣の女性客にもたれ掛かり、熟睡している。
迷惑そうにしている女性客。
守田M「おれもいずれ、こうゆうオトナになっていくのかなあ……」
○株式会社サンワ企画・外観
築年数の古そうな3階建てのオフィスビル。
○同・イベント事業部
小規模なオフィスに機材や備品が溢れている。
PCに向かい、こそこそと転職サイトをチェックしている守田。
女性社員Aの声「守田くんってば」
守田「(ビクッ!)」
守田の背後に女性社員Aが立っている。
慌ててPCの画面を切り替える守田。
女性社員A「何度も声掛けたのよ」
守田「すんません。えっと……何か?」
女性社員A「だから電話だってば。3番に繋いであるから」
守田「あ、はい。ありがとうございます。(受話器を取り)はい、守田ですが」
電話の声「よう、調子はどうだ?」
守田「?」
電話の声「おい、コラッ!、今日何の日か忘れてんじゃねえだろうな」
守田「!、(小声になり)ちょっ……勘弁してくださいよ……なんでここの番号知ってんす
か……」
電話の声「んなこたどうでもいいんだよ!、今日中にしっかり揃えて用意しとけ。分かってん
な」
守田「……はい」
電話の声「逃げんじゃねぇぞ!」
乱暴に電話が切れる。
守田「はぁ……」
げんなりした様子で受話器を置く守田。
隣席の林俊哉(32)がそんな守田を見て、ニヤニヤしている。
林「私用電話、バレたらやべーぞ」
守田「そ、そんなんじゃないっすよ」
林「おまえ、ここ入ってどれくらいだっけ?」
守田「もうじき半年っすかね」
林「ここらで企画の一つでも立ち上げて、主任の評価上げとかないとやべーんじゃねーの。
契約そろそろ切れんだろ?」
守田「そんなん無理っすよ。今まで雑用しかしてないし、そもそもおれ、この仕事向いてないと
思うんすよね」
林「仕事サボって、仕事探してるもんな、おまえ」
守田「(ギクッ)何故それを……」
林「ま、お前の人生だし、とやかく言うつもりはないけど、おまえ、もうじき30だろ?、
そろそろオトナにならないとこれから地獄だぞー、いろんな意味で」
守田「いろんな意味?」
林「ま、そのうち分かんだろ」
守田「?」
○高校・3―C教室・中
昼休み、生徒たちがグループに分かれて弁当を食べたり、話し込んだりと自由な時間を過
ごしている。
そんな中、教室の中央付近で一人黙々と弁当を食べている佐倉美咲(17)。
誰も話しかけようとする様子もなく、どこか近寄りがたい雰囲気がある。
美咲、スマホを取り出し、メール画面を開く。
画面には『対象者:守田夏央』とある。
下にスクロールしていくと家族構成やこれまでの経歴といった守田に関する様々な情報が
表示される。
美咲「……」
○パチンコ店・前(夕)
通り過ぎる守田。
が、『ファン感謝デー』のポスターに目が留まる。その横には『景品も出玉も大盤振る舞
い!』とある。
守田「……(ウズウズ)」
○守田のアパート・外観(夕)
古い木造の2階建てアパート。
乱暴に扉を叩く音が聞こえる。
○同・守田の部屋・前(夕)
2階奥の一室。いかにもガラの悪そうな二人組、木場大悟(36)とノブ(26)が扉の前に
陣取っている。
ノブ、乱暴に扉を叩く。
中からは何の反応もない。
ノブ「ホントにいないみたいっすね」
木場「チッ、あの野郎」
○パチンコ店・店内(夕)
上機嫌にパチンコを打っている守田。
その脇には、出玉が山のように積み上がっている。
守田「おっ、きた?、きたぁー!(隣の客に)見た?、ね、見たこれ?」
大当たりの確定音が鳴り響く。
守田「こりゃあ、今日はとまんねーな」
× × ×
積み重なっていた出玉の箱は残り僅か。
守田「(イライラ)……」
守田、苛立たしげに台を叩く。
財布を取り出すも中にはくしゃくしゃになったレシートと小銭のみ。
守田「(溜息)……」
○パチンコ店・前(夜)
景品のビールを手に出てくる守田。
木場の声「いい身分じゃねーか」
木場とノブが近付いてくる。
守田「(動揺)……あ、ども」
ノブ「あ、ども……じゃねーよ!、すっとぼけやがって」
守田「いや違いますって。勿論ちゃんとお渡しするつもりでカネを集めてたんですよ」
木場「(パチンコ屋を見て)ここでか?」
守田「えっと……今日のめざまし見ました?、水瓶座1位だったんすよ。金運絶好調だったんで
いけるかと思ったんすけどね。ハハハ」
ノブ「ハハハじゃねーよ!」
ノブ、守田に掴み掛かる。
× × ×
ボロボロにやられて地面に倒れこんでいる守田。
木場、守田のポケットから財布を奪い、
木場「(中を見て)ホントになんもねぇな」
財布を投げ捨てる。転がり落ちていた景品のビールを拾い、
木場「今日のとこは、これで(ビールで)勘弁してやるよ」
立ち去ろうとする木場とノブ。
木場「(立ち止まり)……」
ノブ「アニキ?」
木場「(守田に)情けねぇ」
去っていく木場とノブ。
痛みで動けない守田。仰向けの状態で澄んだ夜空を見上げている。
守田「……」
○守田のアパートの部屋・中(夜)
1Kの間取り。ビールの空缶やスポーツ新聞、雑誌等が散らばった足の踏み場もないよう
な粗末な部屋。
ヘトヘトな様子で入ってくる守田。
テレビを点け、ベッドに倒れこむ。
守田「あーっ、しんど……」
テレビからニュース番組が流れている。
キャスター「今回は『オトナ評価制度』について解説委員の鴻池さんにお話を伺います。それで
は鴻池さん、この制度が施行されてこれまでの二十歳で成人といった概念も撤廃され、国民へ
の影響も心配されましたが、成果のほうは如何でしょうか?」
鴻池「そうですね。ご存知のとおり、我が国はあらゆる分野において各国に後れをとっておりま
したが、この制度のおかげでより優秀な人材、つまり成熟した『オトナ』の育成に成功してお
ります」
× × ×
守田、ベッドに横たわりながらぼんやりとテレビを眺めている。
守田「オトナね……」
守田、ベッド脇の雑誌を手に取る。
笑顔を浮かべた喜多川由依(28)が表紙を飾っている。
守田「……」
× × ×
キャスター「具体的にはどういったことでしょうか?」
鴻池「この制度は子供からオトナへのステップアップの手助けになると考えております。たとえ
十代の若者であっても世間から高い評価を得ることで早いうちからオトナとして認可を受け、
免許を取得することも可能です」
キャスター「なるほど。近年の若者たちの目覚ましい活躍には、そのような背景があるのです
ね。ただ、この制度には反対意見も多くみられますよね」
鴻池「はい。そういった反対意見の多くはオトナになりきれない未熟な若者たちが主です。オト
ナになる、ということは簡単なことではありません。肉体的には年を重ねることで成長できま
すが、精神を鍛えるには日々の努力の積み重ねで自分の価値を高めることが何よりも大切なの
です」
× × ×
守田、手にしていた雑誌をテレビに向かって投げつける。
守田「クソッ……簡単に言いやがって……」
○同・前(朝)
やってくる美咲。
美咲「ここか」
美咲、扉をノックする。
○同・中(朝)
大口を開けて寝ている守田。
扉をノックする音が聞こえる。
守田、目を覚ます様子はない。
次第にノックする音が大きくなる。
守田「……誰だよ、こんな朝っぱらから」
守田、シーツを頭までかぶる。
ノックが止む気配はない。
守田「あーっ、もうっ!」
守田、渋々起き出す。玄関へ向かい、面倒くさそうに扉を開ける。
私服姿の美咲が立っている。
守田「?……あの、どちらさま?」
美咲「(睨む)」
守田「?」
美咲「5分12秒」
守田「は?」
美咲「あなたが出てくるまで要した時間です」
守田「え、あ、すみません」
美咲「こちらも暇じゃないんで、無駄なことに時間を使わせないでください。じゃ失礼します」
ズカズカと室内へ入っていく美咲。
守田「えっ、ちょ、ちょっと!」
美咲、散らかった室内を見渡し、スマホに何かを打ち込んでいる。
美咲「自己管理能力なし、と」
守田「なんだよいきなり!、てか誰?」
美咲「オトナ評価委員会からの依頼であなたのメンターとして派遣されました佐倉です」
守田「……ちょっと状況が呑み込めないんだけど」
美咲「理解力なし、と」
美咲、スマホに打ち込む。
守田「は?、何なんだよ、さっきから……ちゃんと説明しろって」
美咲「説明もなにも事前に通知済と聞いてますけど」
美咲、テーブルの上で散らばっている督促状やチラシの山に目をやる。
守田、督促状の山を漁るとオトナ評価委員会からの通知文書が出てくる。
守田「あ……」
美咲「(呆れる)」
× × ×
椅子に姿勢よく腰かけている美咲。
対面に座る守田。
守田「えっと、要するに俺がオトナになるための手助けをキミがしてくれるってこと?」
美咲「不本意ながら」
守田「手助けっつってもなー、おれもう29よ。それなりに経験も積んでるし、だいたいキミ年い
くつよ?」
美咲「17ですけど、それが何か?」
守田「一回り違うじゃん……」
美咲「あなたと違って、わたしは国から認可を受けたれっきとしたオトナです。あなたのような
未成年を自立させることがわたし達オトナの義務です……不本意ですが」
守田「未成年て……てかなんか怒ってる?」
美咲「(無視して)これまでの経験や実績、現在の生活状況等を査定し、あなたのオトナ指数を
算出しました」
守田「オトナ指数?」
美咲、スマホを取り出し、守田に画面を向ける。
守田「Dマイナス?」
美咲「はい。はっきり言って最低ランクです。この社会であなたの居場所はありません」
守田「……ほんと、はっきり言うね」
美咲「このまま30歳を迎えるまでにオトナになれない場合、社会不適合者として矯正収容所に収
監されることになります」
守田「収容所!?」
美咲「そこでオトナとして自立できるまで矯正治療を受けていただきます」
守田「……いやいやいや、ちょっと待った、頭がこんがらがってきた……てか30を迎えるまでっ
てことは……」
美咲「残りあと1年です。それまでに評価を高めて、立派なオトナになってください。以上で
す」
守田「(呆然)……」
× × ×
帰り支度をしている美咲。
美咲「では、失礼します」
美咲、玄関へ向かう。
呆然としている守田。
美咲「チャンス、なんじゃないですか」
守田「え?」
美咲「中途半端。何をやっても続かない、そんな自分が嫌で、変わりたかったんじゃないんです
か?」
守田「……」
美咲「この1年、どう過ごすかはあなた次第です」
部屋を出ていく美咲。
○高校・外観(日替わり)
ピアノの音色が聞こえてくる。
○同・音楽室
ショパンのノクターン『夜想曲』を弾いている美咲。
素人離れしたレベルの高い演奏。
心地よい音色が響き渡るなか、ふと、演奏が鳴り止む。
美咲の右手の指が小刻みに震えていて、上手く鍵盤が叩けない。
美咲「……」
美咲、震えを抑えるように右手をギュッと握りしめる。
○居酒屋『つぼくら』・店内(夜)
どこか懐かしい雰囲気漂う大衆居酒屋。
カウンター席で呑んでいる守田。すでに大分酔いがまわっている。
店に備え付きのテレビからは映画賞授賞式の様子が流れている。
華やかなドレスを身にまとった由依が画面に映し出される。
由依『たくさんの方に支えていただいてこのような賞を頂くことができました。こんなわたしを
今まで育てていただいた皆さんへの感謝を忘れずにこれからも頑張ります。本当にありがとう
ございました』
坪倉の声「いやー、立派になったもんだ」
店主の坪倉賢(38)が守田の前に水を差し出す。
守田「賢さん、水なんていいから、ビール」
坪倉「飲み過ぎだって、なんかあったのか?」
守田「別に……」
坪倉「ったく、おまえもさ、ちょっとは由依ちゃん見習ったらどうだ?」
守田「へいへい、あいつはおれなんかと違ってご立派ですよ。凄いですよ」
坪倉「腐るな腐るな。おまえにも良いとこいっぱいあるぞ。たとえば……」
守田「たとえば?」
坪倉「……」
守田「……ないんかい」
坪倉「そういや、そこでお前ら二人よく呑んでたっけな。あの由依ちゃんがあんな売れっ子に
なっちまうとはなぁ」
守田「(隣の席を見て)……」
○(回想)同・店内(夜)
劇団カムイの打ち上げが行われている。
カウンター席で由依(20)が守田(21)を介抱している。
由依「ナツオくん、ホント大丈夫?」
守田「うー……気持ち悪い」
坪倉(30)が水を持ってくる。
由依「賢さん、ありがとう」
坪倉「ったく、こいつはホントだらしねーな」
由依「今日の公演、頑張ってたから飲みすぎちゃったみたい。ナツオくん、ほんとすごかったん
ですよ」
守田、すっかり酔い潰れてカウンターに突っ伏している。
由依「わたしなんて、ナツオくんに比べたら全然ダメで……今日の公演だって台詞飛んじゃっ
て……焦ってたらナツオくんが助けてくれて」
坪倉「へー、こいつがねぇ」
由依「わたし、才能ないのかなぁ……」
守田、突然顔を上げ、
守田「諦めたらそこで試合終了ですっ!」
と、そのままカウンターに崩れる。
坪倉「なんだいきなり、なんで安西先生」
由依、そんな守田の寝顔を見て、
由依「(なんだか嬉しい)……ありがと」
(回想終わり)
○もとの居酒屋・店内(夜)
守田、ぼんやりと差し出された水を見ている。
店内の客は守田だけで、坪倉は閉店の準備を始めている。
守田「ねえ、賢さん。まだ間に合うかな」
坪倉「ん?」
守田「成功したい、周りから認められたい、今のままじゃダメだって分かってる……そんな自分
を変えたくて、でも変われなくて……」
坪倉「そんで、どうすんの」
守田「あーっ、くそっ!」
守田、水を一気に飲み干す。
守田「ごちそうさまっ!」
坪倉、笑う。
○喫茶店・店内
守田と美咲が向き合って座っている。
守田の前にはコーヒー、美咲の前にはパフェが並ぶ。
守田「あの、えっと……甘いの好きなんだね」
美咲「(睨む)それが何か?」
守田「いや、なんというか意外というか」
美咲「それで、決心はついたんですか」
守田「あ、はい。正直、立派なオトナになるとか、どうとか自分がどうなりたいなんて分からな いけど、現状に納得してないのは確かだし……なんていうか……宜しくご指導ご鞭撻のほど」
美咲「ふーん」
守田「ふーん、てなんかあるんでしょ。こう、オトナになるための秘訣みたいなの」
美咲「秘訣?、そんなものありませんよ」
守田「ないって、じゃあいったい何をどうすれば……」
美咲「何か勘違いしてませんか。わたしは、あくまでメンターです。あなたがオトナになるため
のサポートはしますが、その方法はあなた自身が考えて答えを見つけてください」
守田「……と言われても」
美咲「(溜息)……じゃあ一つだけ」
守田「はいっ」
美咲「部屋を綺麗にしてください」
守田「は?」
美咲「部屋の掃除です。まずはそこから始めるのがいいと思います」
守田「あの、そんなことでいいの?」
美咲「そんなこと?、今までそんな当たり前のことをやってこなかったんですよね」
守田「……はい」
美咲「はっきり言って、あなたのオトナになれない要因の一つだと思います。当たり前のことが
できない、やらない、それが物事が続かない原因にも繋がってるんじゃないですか?」
守田「……はい、おっしゃるとおりです……」
美咲「それじゃ、行きましょう」
席を立つ美咲。
守田「え、もう?、(パフェ)残ってるけど」
美咲「……」
美咲、すごい勢いでパフェを食べる。
守田「……はやっ」
○守田のアパートの部屋・中
散らかり放題の部屋に頭を悩ませている守田。
美咲、そんな守田の前に大きな段ボール箱を3つ並べる。
箱にはそれぞれ『捨てるもの』、『残すもの』、『保留』とある。
美咲「まずはこれに仕分けをお願いします」
守田「……どこからこんなものを」
美咲「わたしにはどれもゴミにしか見えませんが、あなたにとっては大事なものもあると思いま
すので」
守田「……さらっとキツイこと言うよね」
× × ×
黙々と仕分け作業をしている守田。
部屋の隅にある収納箱を開ける。
そこには使い古された台本、埃まみれの舞台衣装や小道具が収まっている。
守田、台本を手に取り、埃を払う。
表紙には『劇団カムイ・第3回公演』とある。
ページを捲るとマーカーやペンで至るところに書き足しがあり、読み込んだ様子が窺え
る。
守田「……」
守田、台本を閉じ、そのまま『捨てるもの』ボックスへ手を伸ばすも……捨てられない。
守田「はぁ……」
『保留』ボックスに台本を投げ入れる。
美咲「(守田を見て)……」
美咲、床に散らばった雑誌類を丁寧に本棚に並べていく。
× × ×
綺麗に片づけられた室内。
美咲、姿勢よく椅子に座っている。
守田、美咲にお茶を持ってくる。
美咲「ありがとうございます」
守田「手伝ってもらっちゃって、ごめんね」
美咲「いえ」
守田「(部屋を見回して)意外に気持ちいいもんなんだな、掃除って」
美咲「働いた分、見返りがあるとは限りませんが、少なくとも達成感はあります」
守田「確かに、いまなんか清々しい気分かも」
美咲「仕事も同じだと思います。現状に不満があるのかもしれませんが、とりあえず続けてみる
ことで得られるものもあるんじゃないでしょうか。自分に何ができて、何ができないかも見え
てくるでしょうし」
守田「……」
美咲「なにか?」
守田「きみさ、ほんと17?、どうやって生きてきたらそんな悟りの境地に達することができんの
よ」
美咲「(微笑)大袈裟です」
守田「あ、笑った?、いま笑ったよね?」
美咲、恥ずかしげに顔を伏せる。
守田「あ、そういえば」
美咲「なにか?」
守田「なんて呼んだらいいかな?、美咲ちゃんってのもあれだし」
美咲「お好きにどうぞ」
守田「それならやっぱり、佐倉さん、かな。佐倉さんも普段は普通に学校通ってんの?」
美咲「はい。何故ですか?」
守田「なんとなく。普通の女子高生っぽくないし」
美咲「普通です。決まった時間に通学して、決められた授業を聞いて、決まった時間に帰宅しま
す」
守田「友だちとどっか行ったりしないの?」
美咲「しません。練習があるので」
守田「練習?」
美咲「……」
守田「?」
美咲「わたしのことはいいので、ご自身のことを心配してください」
守田「ああ、うん。そうだな。でも今日一日で少しは評価上がったかな?」
美咲、スマホを出し、守田に向ける。
守田「……Dマイナス、変わってないじゃん……」
美咲「引き続き、頑張ってください」
○道(夜)
一人歩いている美咲。日が暮れ辺りは暗くなっている。
美咲、街灯が照らす明りの下で立ち止まり、手を顔の前にかざし見る。
美咲「……」
○サンワ企画・イベント事業部(日替わり)
PC画面を食い入るように見ている守田。
画面には、『オトナになるために必要なこと』、『自分を見つめ直す方法』といった言葉
が並ぶ。
守田「うーん……全然わからん」
隣席の林、そんな守田を見て
林「なんだ、どうした?」
守田「先輩、楽してオトナになる方法ってなんかないっすかね」
林「……そんなもんあったら苦労しねーよ。ま、なんにせよ自分の行動に責任持って、地道にコ
ツコツやってくことが一番近道なんじゃねーの」
守田「責任か……言われてみれば、今まで責任持ってなにかに取り組んだことってないもん
な……」
林、何やら思案している。
林「この企画、おまえやってみるか?、ちょうど制作で人手足りてないし」
と、企画資料を守田に手渡す。
守田「えっ、これって……」
林「知ってるだろ?、今、注目の若手天才ピアニスト佐倉美咲」
守田「知ってるもなにも……」
林「休業明けで、近々復帰コンサートの予定だったんだが……」
守田「?」
林「どうやら向こうさんとちょっと揉めてるみたいでな。おまえにはその調整役として、なんと
か佐倉美咲を引っ張ってきてもらいたい」
守田「……おれが、ですか?」
林「おまえが、だよ。責任持ったオトナになりたいんだろ?、まさに責任重大だぞ」
守田「……(意を決し)やってみます」
林「よし、主任には俺から通しとくから。頑張れよ」
守田「はい。よろしくお願いします」
○守田のアパートの部屋・中(夜)
守田「すげぇ……」
動画サイトを見ている守田。
動画では躍動感溢れる演奏で観客を魅了する美咲が映し出されている。
演奏後、沸き起こる拍手や歓声。
笑顔で応える美咲。
守田「……こんな顔で、笑うんだな」
ふと、本棚に目が留まる。雑誌や漫画がジャンル別で五十音順に綺麗に整理されている。
守田「(苦笑)」
○喫茶店・中
文庫本を読んでいる美咲。
そこへ守田がやってくる。
守田「ごめん。待たせちゃったよね?」
美咲「いえ、構いません」
守田、対面に座る。美咲の前にはまさに昔ながらのといった喫茶店のホットケーキが置か
れている。
守田「今日は、パンケーキなんだ?」
美咲「パンケーキではなく、ホットケーキです。一括りにされては困ります。一般的に同様のも
のと思われていますが、その種類は豊富にあり……」
守田「(苦笑)変なとこ、こだわってんね」
美咲「(ハッとして)私としたことが……それで、今日はどうされたんですか」
守田「うん。実は……今度あるプロジェクトを任されてさ」
美咲「そうですか。それは良かったですね。是非頑張ってください」
守田「その企画ってのが、これなんだけど……」
守田、企画資料を美咲の前に出す。
資料に目を通す美咲。
美咲「……」
守田「ピアニスト、だったんだね」
美咲「……」
守田「動画でだけど、佐倉さんの演奏してるとこ見て思ったよ。やっぱ違うなーって」
美咲「違う?」
守田「やっぱ天才って言われてる人は、生まれ持ったものが違うっていうか、おれみたいな凡人
が一生かかっても得られないものもいとも簡単に手に入れちゃうんだろうなって」
美咲「……」
守田「正直、羨ましいもんホント」
美咲「……(小声で)何も知らないくせに……」
守田「(気付かず)いやー、神様ってほんと不公平だよなぁ」
美咲「何も知らないくせに、勝手なこと言わないでくださいっ」
守田「え?」
美咲「わたしの何が分かるんですか?」
守田「……」
美咲「今まで、何の苦労もせず生きてきたあなたに、わたしのことをとやかく言われたくありま
せん」
守田「いや、そんなつもりは……」
美咲「すみません……帰ります」
美咲、守田に背を向け店を出ていく。
テーブルの上には手つかずのホットケーキが残されている。
○居酒屋『つぼくら』・店内(夜)
カウンター席に並んで座る守田と林。
坪倉がカウンター内で手際よく料理を作っている。
林「ま、元気出せって。もともとおまえにど うにか出来るって期待してた訳じゃないし」
あからさまにヘコんでいる守田。
林「でもおまえと佐倉美咲にそんな繋がりがあったとはなぁ」
守田「おれ、自分のことしか考えてなくて、彼女のことなんも知らなかったんすよね……」
林「なにか事情がありそうだけど、余り時間もないし公演に穴を開けるくらいなら、なにか代替
案考えないとまずいかもな」
守田「そんな……」
林「ま、今日のとこは呑め。奢ってやっから。(坪倉に)ビールいっちょ」
坪倉「あいよ」
と、そこに由依が来店する。
坪倉「おっ、由依ちゃん!」
守田「!」
由依「賢さん、久し振り!、近くで撮影だったから、つい懐かしくなっちゃって」
坪倉「嬉しいこと言ってくれるね。ほら、ここ座んな」
と、守田の隣の席へと促す。
守田、由依から隠れるように顔を手で覆う。
林「(守田に)おい、あれ喜多川由依じゃねーか!、なんでこんな店に」
坪倉「こんな店で悪かったな。ナツオ、お前もいつまでそんなコソコソしてんだよ」
由依「ナツオくん?」
守田「(観念して)よ、よう」
林「え?、知り合い??」
× × ×
すっかり酔い潰れている林。
カウンターで並んで座る守田と由依。
由依「(林を見て)昔、こんなことあったね。酔い潰れてたのナツオくんだったけど」
懐かしそうに微笑む由依。
守田「あったっけ。そんなこと」
由依「覚えてるくせに」
守田「……」
由依「あれから6年か……あっという間だね」
守田「まさかこんなふうになってるとは思わなかったけどな」
由依「こんなふうって?」
守田「そのまんまだよ。いまや押しも押されもせぬ人気女優だもんな。かたやおれは……」
由依「……」
守田「わりぃ……愚痴っぽくなって」
由依「……もう戻る気はないの?」
守田「戻る?、戻るってなんだよ。またあの頃みたいに前だけ見て、夢を追っかけろってこと
か?」
由依「違う、そうじゃなくて……」
守田「あれからどんな6年だったと思う?、ほんとクソみてーだったよ。何しても上手くいかな
い、続かない、楽しいことなんて何一つなかった。そんな6年だよ」
由依「……」
守田「才能がない、そんな自分を認めたくなくて、でもそれでも誰かに認めてほしくて……」
由依「認めてたよ、ちゃんと」
守田「……」
由依「ちゃんと好きだったよ、ナツオくんのこと」
守田「……なに言って」
林、突然むくりと起き上がり、守田に勢いよく抱きつく。
林「もりたぁー、俺も好きだぁーー!」
守田「ちょっ、先輩、飲み過ぎっすよっ」
由依「(微笑)じゃあ、そろそろ行くね」
守田「えっ……そっか」
支払いをする由依。
坪倉「由依ちゃん、忙しいだろうけどまたいつでも来てよ」
由依「うん、また来るね」
戸口へ向かう由依。
扉の前で立ち止まり、守田を見据える。
由依「ナツオくんは……」
守田「?」
由依「ナツオくんは、わたしのこと認めてくれてた?」
守田「……」
寂しげに微笑む由依。そのまま店を出ていく。
○守田のアパートの部屋・中(夜)
月明かりが差し込む薄暗い部屋。
『保留』ボックスから台本を取り出す守田。
守田「……」
○(回想)由依のアパートの部屋・中(夜)
白を基調としたインテリアで統一された綺麗に整理が行き届いた室内。
ラックに立て掛けられた劇団カムイの劇団員たちとの集合写真。
その隣には、守田との仲睦まじい写真が並べてある。
テレビの前でダラダラとゲームに勤しむ守田(23)。
そこに由依(22)が帰ってくる。
由依「ただいまー」
守田「(テレビの方を向いたまま)おかえり」
由依「ごめんね、遅くなって。お惣菜買ってきたからすぐ用意するね」
と、キッチンへ向かい、惣菜を皿に並べていく。
守田「オーディション、どうだった?」
由依、思わず顔が綻ぶ。
守田のもとに料理を運んできて、
由依「実は……無事合格しましたっ!、ダメ出し多かったから、絶対落ちたと思ってたんだけど
ね」
守田「……そっか。良かったな」
由依「……喜んでくれないの?」
守田「そんなことないって。おめでとう」
由依「うん。ありがとう……じゃあ食べよっか」
守田「わりぃ……ちょっと食欲なくってさ。さき寝るわ」
由依「え?」
寝室へと向かう守田。
由依「……」
○劇団カムイの稽古場・中
数名の劇団員たちがこじんまりとした室内で各々稽古に励んでいる。
守田、離れて鏡の前で一人柔軟をしていると劇団員たちの話し声が聞こえてくる。
劇団員A「おい、聞いたか?、今度は連ドラだってよ、ほんと出世したよなぁ、喜多川のヤツ」
劇団員B「ちょっと前までは、ここで俺らと同じようにくすぶってたのに人間なにがどう変わる
かわかんないもんだなぁ。今じゃすっかり手の届かない人だもんな」
守田「……」
苛立たしげに部屋を出ていく守田。
○由依のアパートの部屋・中
由依の声「辞めるってどういうこと?」
身支度を整えている守田に向かって問い質す由依。
守田「そのままだよ」
由依「なんで急にそんなこと……」
守田「急じゃない、前からずっと考えてた」
由依「……」
守田「結局向いてなかったんだよ」
由依「そんなこと……」
守田「そんなことあるんだよっ!」
由依「……」
守田「ごめん……」
由依「……これから、どうするの?」
守田「やりたいこと、色々あるし」
由依「やりたいことって?」
守田「……」
由依「わたしも……」
守田、由依の言葉を待たず、部屋を出ていく。
○同・前
出てくる守田。そのまま扉にもたれ掛かり、立ち尽くしている。
扉の中から声を押し殺し、咽び泣く由依の声が微かに聞こえてくる。
守田「……」
暫くその場で立ち尽くす守田。やがてゆっくりと歩き出す。
(回想終わり)
○もとの守田の部屋・(夜)
仰向けになり天井を見上げている守田。
守田「ウジウジウジウジ……ほんっと、情けねー……」
守田、ガバッと起き上がり、スマホを手に取る。
守田M「あの時……ただそこから、由依から逃げたかっただけだ……今だってそうだ。あの頃と
なんも変わってない……でもこんな自分にでも何か、誰かのために出来ることがあるって思い
たい」
○美咲のマンションの部屋・中(夜)
防音設備の整ったマンションの一室。
棚に数多く保管された楽譜と使い込まれたグランドピアノが部屋の一角を占めている。
ピアノの前に立ち、鍵盤に指をかざす美咲。
一音ずつ確かめるように音を奏でていく。
と、スマホに守田からのメールが届く。
美咲「(メールを見て)……」
○守田のアパートの部屋・中(日替わり)
キッチンで忙しなくしている守田。
慣れない手つきでフライパンを返そうとするも、中々上手くいかない。
守田「あー、くそっ」
守田、手首のスナップを効かせ、勢いよくフライパンを返す。
守田「お、いい感じかも。初めてにしては上出来だろ」
満足気な守田。
と、そこに扉をノックする音が聞こえてくる。
○同・前
シトシトと雨が降っている。
扉の前に立っている美咲。
扉が開き守田が顔を出す。
美咲「……こんにちは」
守田「ごめんね、雨の中」
美咲「いえ、ご連絡いただいたので」
美咲、急に顔をしかめる。
守田「?、どうかした?」
美咲「焦げ臭くないですか」
守田「……あっ!」
慌てて中へ戻る守田。
守田「ちょっと中で待ってて!」
美咲「?、はい」
○同・中
椅子に腰掛ける美咲。
キッチンから肩を落とした守田が来て、
守田「わりぃ……失敗した」
美咲「?」
守田、美咲にホットケーキを差し出す。
が、すっかり焦げてしまった失敗作。
美咲「……なんですか、これ」
守田「一応、ホットケーキ……なんだけど。この前、食べれずじまいだったからさ」
美咲「作ってくれたんですか?」
守田「意外と難しいんだな。もっと簡単かと思ったんだけど」
美咲「……なんでそんなこと」
守田「なんでだろ、作ってみたくなったんだ」
恥ずかしそうに笑う守田。
美咲「……ナイフとフォーク、ありますか?」
守田「え?、食べるの?、やめといたほうがいいと思うけど……」
美咲「せっかくなので」
守田、ナイフとフォークを手渡す。
美咲「いただきます」
美咲、一口食べる。
守田、心配そうに見ている。
美咲「美味し……くはないです」
守田「だよな、ハハハ……」
美咲「でも、なんだかホッとする味です」
守田「……」
美咲「(ハッとして)ち、違います!、ホットケーキだからホッとするとか、そんな浅はかなこ
とを言いたかったのではなく……」
守田「(笑い)うん、ありがとう」
ホッとした表情の美咲。
守田「(悪戯っぽく)佐倉さんでもそんなふうに慌てたりすることあるんだ」
美咲「当たり前です。わたしのこと何だと思ってたんですか」
守田「やっぱ完璧なオトナ、かな」
表情が曇る美咲。
美咲「……完璧なんかじゃないです」
守田「?」
美咲「『フォーカル・ジストニア』って知ってますか?」
守田「いや(知らない)」
美咲「一種の職業病みたいなもので、演奏中、指が……指が上手く動かせないんです」
守田「それって……」
美咲「原因は分かりません。縋る思いで何軒も病院をまわったし、自分でも色々試したりしまし
た。結局分かったのは、この症状と一生付き合っていくしかないってことだけです」
守田「(吃驚)……」
美咲「譜面どおり完璧に弾きこなすことが、わたしの誇りでした。そうすることでまわりから評
価を得られたし、自分の自信にもなりました。だから怖かった……そんな自分を受け入れられ なくて」
美咲の目から堪えていた涙が溢れる。
守田「……」
美咲「メンター失格ですね……あなたには偉そうに言っておきながら、自分はステージに立つこ
とから逃げたんです……そんなの完璧なオトナって言えますか?」
守田「……」
美咲「……黙ってて、ごめんなさい」
守田「あり……じゃないかな」
美咲「?」
守田「逃げるのあり、だと思う」
美咲「え?」
守田「おれさ、挫折って経験ないんだよね」
美咲「?」
守田「この年まで挫折なく生きてきたってある意味凄いよね」
自嘲気味に笑う守田。
守田「でも結局それってずっと逃げてきたってことなんだよな……ここぞって時に勝負を避けて
きたから挫折することもなかったし、何かを成し遂げたこともなかった」
美咲「……」
守田「なにかキッカケさえあれば、変われるって思ってた……そんなのいくらでもあったはずな
のに……」
美咲「後悔、してるんですか?」
守田「滅茶苦茶してる。あの時こうしてれば、ああしてればーって」
美咲「……」
守田「だから、決めた」
美咲「?」
守田「おれは、なるべく逃げないオトナになる!」
美咲「……なるべくですか?」
守田「そう。なるべく。何事も程々が一番いいかなって。だからさ、前に進めないなら逃げてみ
るのもありだと思う」
美咲「……」
守田「たまには『ろくでもないオトナ』になってみてもいいんじゃないかな」
美咲「……矛盾してません?」
守田「だよな」
微笑う守田。
美咲「……(ボソッと)何様ですか」
守田「ん?」
美咲「(どこか嬉しそう)偉そうにオトナのわたしに向かって説教なんて」
守田「まあ一応、キミより長く生きている人生の先輩として……」
美咲「大きなお世話です」
守田「うん。ごめん」
美咲「でも、ありがとう」
守田「うん」
美咲「ただ、料理はもっと勉強したほうがいいと思います。オトナとして」
守田「……だよな」
笑顔の守田、そして美咲。
○道(夕)
雨上がり、日の光が濡れたアスファルトに反射している。
歩いている美咲。その表情はどこか吹っ切れたように見える。
○守田のアパートの部屋(夜)
台本を読んでいる守田。一ページずつゆっくりとページを捲っていく。
守田「……」
守田、台本をパタリと閉じ、『捨てるもの』ボックスへ入れる。
○同・全景(早朝)
タイトル「1年後」
スマホのアラーム音が聞こえている。
○同・守田の部屋・中
スマホに表示の時刻は7時5分。
守田、アラームを止める。
そのまま二度寝をしようとするも眠い目を奮い立たせて、なんとかベッドから起き出る。
守田「(頬を叩き、気合を入れ、)よしっ!」
○サンワ企画・イベント事業部・中
デスクワークをしている守田。
頭を悩ませながらプレゼン資料を作成している。
× × ×
守田や数人のスタッフで打ち合わせが行われている。
眠気を堪え、必死にメモを取る守田。
× × ×
イベントで使用する小道具を作成している守田。
つぎはぎだらけでとても雑な出来栄え。
守田「(溜息)……」
○走る電車・中(夜)
隣の客にもたれ掛かり、爆睡している守田。
迷惑そうにしている隣の客。肩を揺らして守田を退けようとするも、一向に起きる気配は
ない。
○守田の部屋・中(夜)
ヘトヘトな様子で帰ってくる守田。
そのままベッドに倒れこみ、目を閉じる。
守田「おれ、オトナになれたのかなあ……」
そのまま眠りに落ちる守田。
○イベント会場・広場(日替わり)
会場入口に子供向け体験イベントの告知ポスターが張り出されている。
親子連れの参加客が多く行き交うなか、キャラクターの着ぐるみを身に纏った守田が風船
を配ってまわっている。
そこにニヤニヤと林がやってきて、
林「お、似合ってるじゃん」
守田「(小声で)もう限界っす……暑いんすよこれ」
林「何言ってんだ。子どもみんな見てんだぞ」
守田「(溜息)……」
守田、イベントスペースに設置されたピアノに目が留まる。
守田「先輩、あれ、なんであんなとこにあるんすか?」
林「ああ。ストリートピアノな。知らないのか?、今回のイベントに合わせて設置したみたいだ
ぞ。ま、すっかり子どもの遊び道具になってるみたいだけどな」
守田「へえー」
林「そろそろ会場時間だな。じゃ頼むぞ」
会場へと戻っていく林。
守田「あ、ちょっと!……」
× × ×
ベンチに腰掛けている守田。
着ぐるみを脱ごうとするも、子供の目に気付き、諦める。
守田「はぁ……」
と、ピアノの音色が聞こえてくる。
イベントスペースに目を向けるといつの間にか人だかりが出来ている。
○同・イベントスペース
美咲がショパンのノクターン『夜想曲』を演奏している。
繊細な指のタッチから美しい旋律が奏でられていく。
演奏に聴き入っている人々。
途中、音が乱れるもなんとか最後まで弾ききり、フィニッシュ。
沸き起こる歓声や拍手。
守田、その光景を遠目から見ている。
○同・広場
風船を持った子供たちが広場を所狭しと駆け回っている。
ベンチに座り俯き加減の守田。
美咲の声「隣、いいですか?」
守田、顔を上げると美咲が立っている。
守田「あ……」
守田の隣に並んで座る美咲。
守田「(着ぐるみで喋るに喋れない)……」
美咲「わたし、やめたんです。完璧なオトナ」
守田「(えっ)……」
美咲「この1年、逃げ続けてみて分かったことがあります」
守田「?」
美咲「しんどいんです。逃げ続けるのって」
守田「……」
美咲「症状は相変わらずで、ミスタッチは多いし、リズムも悪くて完璧な演奏とは程遠いけど、
それでも聴いてくれる人はいて、喜んでくれる人がいる。今まで気付かなかった……譜面しか
見てこなかったから」
守田「……」
美咲「これ以上プロとして続けていくことは無理なのかもしれません。でも、それでも結局わた
しにはこれしかないんだなって」
守田「……」
美咲「なので、逃げるのはここで終わりにします」
晴れやかな表情で微笑む美咲。
守田、着ぐるみの頭を脱ぎ、
守田「やっぱ強いね、佐倉さんは」
美咲「そんなことないです」
守田「おれは相変わらずだよ。未だにウジウジ悩んでるもん」
美咲「なにか不満でもあるんですか?」
守田「不満というより、不安かな。先が見えないというか……」
美咲「みんな、そんなもんなんじゃないですか?、先のことなんて分からないから、今出来るこ
とをやるしかないです」
守田「……今出来ること、か」
と、美咲に風船とペンを手渡す。
美咲「?」
守田「今回のイベントの一環でこれ(風船)に願い事を書いて、時間が来たら一斉に飛ばすこと
になってるんだ」
美咲「……それって子ども限定なんじゃ」
守田「ま、固いこと言わずにさ。それにオトナやめたんでしょ」
美咲「別にオトナをやめたわけじゃ……」
守田「いいから、いいから、俺も書くからさ」
守田、風船に願い事を書き込む。
美咲も仕方なく守田に倣う。
守田「そういえば、この1年でおれのオトナとしての評価って上がったのかな?」
美咲、スマホを取り出し、守田に画面を向ける。
守田「D……プラス??」
美咲「はい」
守田「ほとんど成長してないってこと?……」
美咲「オトナへの道は険しいんです。引き続き頑張ってください」
ガックリと肩を落とす守田。
と、バンッという音とともに一斉に風船が空へと上がっていく。
守田と美咲の手からも風船が放たれる。
空いっぱいに広がる色鮮やかな風船。
守田「願い事、なんて書いたの?」
美咲「内緒です」
○快晴の空
守田と美咲が飛ばした風船がゆらゆらと揺れている。
守田の風船に書かれた願い事〈立派なオトナになれますように〉
美咲の風船に書かれた願い事〈オトナになんかなりたくない〉
(了)
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