死神のくしゃみ 舞台

現場に遅刻し、魂を回収しそこなった死神。替えの魂を手に入れようと機会を待つことに。
戸田鳥 36 0 0 12/02
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第一稿

〇登場人物
死神に105(にのいちまるご、と読む)
真田医師 医者
小島ひとみ 看護師
守本浩太 雑貨屋の息子
宇藤淳 俳優
宇藤慶子 宇藤の妹
甘木 宇藤のマネージ ...続きを読む
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〇登場人物
死神に105(にのいちまるご、と読む)
真田医師 医者
小島ひとみ 看護師
守本浩太 雑貨屋の息子
宇藤淳 俳優
宇藤慶子 宇藤の妹
甘木 宇藤のマネージャー
死神わ2419(わのにいよんいちきゅう、と読む)
亀田 銀行強盗
警官


【第一場】

〇舞台中央に衝立て。その前に手術台だけをスポットが照らす。
 真田医師が手術の最中。患者の姿はシーツに覆われて見えない。
 小島ひとみは真田に器具を渡したり汗をふいてやったりしている。
 衝立ての後ろから死神に105(読み方=にのいちまるご)、そっと登場。黒いマントに身を包み、死神の大鎌を手にしている。真田の脇に立ち、手術台を覗きこむ。真田とひとみに死神の姿は見えない。

に105「ああよかった。まだ生きてやがら。逃げられたかと焦ったぜ」

〇ひとみ、真田にメスを渡す。
 ゆっくりと下手方面に歩く死神を、小さなスポットが追う。 

に105「先月の現場なんて、ガス爆発だっていうから二十体まとめて回収するつもりだったのに、たった五分遅刻しただけで、体から抜け出した魂が好き勝手に散歩に出やがって。全部回収するのに相当手こずったんだ。大量死の現場はご免だね。今日は一体で助かった。(あくび)」
真田「ガーゼ」
に105「ええと。(立ち止まり、マントの下から手帳を取り出す)男。30歳。ああこれこれ。死亡時刻午前2時25分50秒3。(マントの下から懐中時計を取り出す)もう少しだな。(時計をしまって手帳に戻る)死因。手術中に担当医師が手を滑らせメスで心臓をひと突き。なんだひどい藪医者だね。不運な奴だ。(手帳をしまい、鼻の下をこする)どうもこの、消毒液の臭いってのは苦手だよ。鼻につーんとくる。死神にしちゃ繊細にできすぎてるんだ俺は。刃物の先がこっちを向いてるのも怖いしな」

〇真田、手術を中断し、ひとみに向き直る。

真田「小島くん。やはり救急車を呼ぼう」
ひとみ「先生、しっかりしてください。まだオペの途中じゃありませんか」
真田「もう駄目。わし、ふらふら。はっきり言うけどね、これ以上続けたら、この患者を間違いなく死なせられるって自信があるよ。だから最初運ばれてきたときによそへ回せばよかったんだ。わしはメスを握るのも三十年ぶりなんだから」
ひとみ「道理で磨きがいがありました」

〇に105、鎌の刃先部分を取り外して床に置く。マントの下から捕虫網の丸い網部分を取り出し、鎌の上部に取り付ける。蝉など捕る要領で網を振りかざす。

ひとみ「先生、大丈夫です。あと1箇所ふさげばいいだけですもの。やれますわ。百年ぶりだろうとやっていただかないと。宇藤淳のようなスターを死なせてしまったら日本の、いいえ世界の損失です」
真田「この男、役者らしいね」
ひとみ「(うっとりと)私だって、できればもっとまともな医者、いえまともな施設のある病院へ宇藤さんをお連れしたいんです。でもここから山道を運ぶのは時間もかかるし危険ですし、それにもし、万が一にもこのオペが成功したら、宇藤さんは回復されるまでここに入院されるでしょうし、そうなれば私が着きっきりでお世話をすることになって、私の献身的な看護に感動した宇藤さんに「きみ、どうしてこんなに僕に尽くしてくれるの」って訊ねられたら、私は彼の視線に頬を赤く染めて、ただ宇藤さんの次の言葉を待って、「きみみたいな純粋な女性は初めてだ」宇藤さんはそう言って私の手を取り、もう片方の手で私の肩を抱き寄せて」

〇に105は網を構えたまま、イライラしながら待っている。少し前から消毒液の臭いに鼻をひくつかせ、くしゃみを堪えている。

ひとみ「私はされるがまま宇藤さんの胸に顔を。(我に返る)あらっ、私ったら。ですから、あの、先生がここまでやれたのが奇跡、いえここまで無事に来たんですもの、最後までやれますわ。成功すれば、大スターの宇藤淳ですもの。きっとお礼もたくさん」
真田「もらえるかね」
ひとみ「それはもう」
真田「そうかね。そうだね。そんじゃもうちょっとだけ頑張ってみるか(メスを構える)」
に105「(堪えきれず)はっくしょん!」

〇に105のくしゃみに真田とひとみの体が揺れ、真田のメスが患者を刺す。
 間。
 真田、よろよろと後ずさる。ひとみ、悲鳴をあげる。

に105「しまった。消毒液の臭いでつい」
真田「違う。違うぞ。手が。体が。勝手に」
ひとみ「宇藤さん。宇藤さん。先生、早く処置を」

〇真田とひとみ、手術台を囲んで手当てにかかる。
 手術台を照らしていた照明は消え、に105だけにスポットが当たる。

に105「まずいことになっちまった。あのタイミングでくしゃみが出るとは。くそっ、死神のくしゃみ程度で手元が狂うなんざ、藪にも程がある。おかげで、心臓に刺さるはずのメスが急所を外れちまった。これじゃ生き延びちまう。困ったな。非常手段で事故でも起こすか。ガス管に細工でもして……でも回収する魂はひとつでいいんだし、派手にやって冥界にばれたたら停職をくらうしなあ。他の奴で代用するか。男でも女でも、坊主でもこそ泥でも、魂なんて器を離れりゃどれだって同じ。要するに数が合うか合わないか。合わなけりゃ合わしゃいいんだ。肝心なのは、俺たち死神が直接手をくだしちゃいけないってことだからな。とにかく、なんとか今日中に一人死ぬよう仕向けないと。(考え込む)」

〇暗転



【第二場】
〇診察室。
 舞台上手に待合に通じる入り口。戸棚と診察机。中央に、居住スペースである部屋への入口。下手に物置へのドア。
 診察室は片付いてはいるが、どことなく薄汚れさびれた雰囲気。白い衝立てを隔てて下手寄りにキャスター付きのベッド。宇藤が横たわっている。
 物置のドアが開き、荷物を抱えたひとみが登場。奥の部屋へ向かう途中で立ち止まる。

ひとみ「宇藤さん、お目覚めですか。(荷物を下ろす)ご気分はいかが? 痛むようならおっしゃってくださいね。あ、まだ動いてはいけません。傷口が開きますから」
宇藤「ここは?」
ひとみ「喜好村の真田医院ですわ。宇藤さんは、昨夜交通事故を起こされてうちに運ばれていらしたんです。覚えてらっしゃいます?」
宇藤「交通事故?」
ひとみ「もうじきお巡りさんが事情を聞きに来ると思いますけど。(もじもじして)あのう、私ここの看護師の小島ひとみです。ずっと以前から宇藤さんの大ファンで」

〇上手から守本浩太が登場。ひとみと宇藤の様子を見て立ち止まる。

宇藤「それはどうも」
ひとみ「不謹慎なのはわかっていますけど、こんな田舎の病院で宇藤さんにお目にかかれるなんて夢のようですわ。ご不自由があれば何でもおっしゃってくださいね。宇藤さんのご要望でしたらどんなことでも」
浩太「ひとみちゃん」
ひとみ「(気付いて)ああ。雑貨屋の浩太くんです。隣の病室が、ちょっとその、改装中なものですから使えるように直してもらってるんです。あちらの用意ができるまで、すみませんけどここで我慢してくださいね」

〇ひとみ、浩太に近寄る、以下ひそひそ話。

浩太「どうしたんだよ。いくら待ってもひとみちゃんが来ないから迎えに来たのに」
ひとみ「ドライブは中止。見ればわかるでしょ。急患なの」
浩太「あの人、宇藤淳に似てるよね」
ひとみ「馬鹿ね、本物よ。あの宇藤さんがうちで手術を受けて入院してるの。でもこのことは内緒よ。村の人が見物に来たりしたらご迷惑だから」
浩太「この病院で手術を。命知らずだな」
ひとみ「しっ。先生の評判を宇藤さんに知られたくないの。知ったらすぐ出て行ってしまうに決まってるもの。できるだけ長くいてほしいのよ。わかるでしょ」
浩太「そりゃわかるけどさ」
ひとみ「それより手伝ってちょうだいよ。いま物置を掃除してるの。もともと病室だったのを、誰も入院なんかしないからって物置にしてたじゃない。あそこを綺麗にして宇藤さんに入っていただくの。とりあえず中の物を全部奥に運んでおいて。これもお願い」

〇ひとみ、床に置いていた荷物を浩太に押しつける。浩太、しぶしぶ荷物を運ぶ。ひとみが物置に戻りかけたとき、上手から警官登場。

警官「ごめんください。やあ、ひとみちゃん。先生は」
ひとみ「呼んできます」

〇ひとみ、奥の部屋へ。浩太、ひとみと入れ違いに出てくる。警官と身振りだけの挨拶を交わして物置に入り、また荷物を抱えて奥の部屋へ。浩太が消えると交代でひとみが現れ、物置へ。以後、二人でこの登場を繰り返す。
 真田、奥の部屋から登場。白衣は着ているが、寝起きなのでだらしない格好。

警官「よう。お疲れさんですな。先生」
真田「寝てたんだ。医者になって初めての大仕事だったからな。疲れたよ。(診察机の椅子に座る)」
警官「や、どうも。そちらが宇藤さんですな。(ベッドに近寄る)しかしおたくは運が強いですなあ。私はてっきり死体と対面することになるだろうと踏んでましたよ」
宇藤「えっ。僕はそんなに重傷なんですか」
警官「いやいや、問題があるのはこっちの先生の腕でね。この先生にかかって良くなったのはおたくが初めて。村の人間が知ったら天変地異の前触れだと思うでしょうな」
真田「よしてくれよ。さっき、飛行機が墜落する夢を見たところなんだよ。自分でも怖い」
警官「はっはっは」
真田「わははは」
宇藤「ははは……は」
警官「宇藤さんの車は半分スクラップでした。助かったのは確かに奇跡ですな。あそこはかなり見晴らしのいい場所ですが、どういうわけで山道から落ちたんですか」
宇藤「山道を落ちた?」
警官「覚えていませんか。真夜中に運転していたのはなぜ?」
宇藤「映画のロケ先に向かってたんですよ。テレビの仕事で僕だけ撮影が遅れてるんで、自分の車で向かっていたんです」
警官「真夜中とはいえ、あの道で事故を起こすのは難しいでしょうな。居眠りでもしてれば別ですがね。ちなみに運転前に酒など飲まれましたかな」
宇藤「ご冗談を。飲酒運転なんてしませんよ。眠気覚ましのコーヒーを飲んだだけです。ドライブの途中になんだか気持ちよくなってきて、気がついたらここに……あれ?」
警官「(手帳に書き込みながら)運転中に気分がよくなって意識を失ったわけですな」
宇藤「いや、ちょっと待って。(思わず身を起こしかけて痛みに呻く)そんなはずはない。コーヒーを飲んで、ですね」

〇上手の入り口より甘木と宇藤慶子登場。ベッドに駆け寄る。
 浩太が荷物を持ったまま立ち止まる。

慶子「淳ちゃん」
甘木「顔は無事だな。不幸中の幸いだよ」
真田「いきなり勝手に入ってくるな」
警官「まあまあ。(立ち上がる)宇藤さんのお身内のかたですか」
甘木「宇藤のマネージャーをしております甘木です。こちらは彼の妹さんで」
慶子「慶子です。いったいどうして」
浩太「綺麗な人だ」
警官「どうやら居眠り運転をなさっていたようですな」
甘木・慶子「居眠り運転?」

〇電話の呼出音。

甘木「何やらかしたかわかってるのか。この大事なときに事故るなんて。しかも居眠り運転だと。マスコミの餌食だぞ」

〇甘木、宇藤の胸ぐらをつかむ。宇藤、痛がる。

宇藤「僕もわからないんだ。はっきりしてるのはコーヒーを飲んだところまでで(はっと慶子を見つめる)」
警官「コーヒーも飲み過ぎると腹が張って眠くなりますからな」
真田「大スター様が居眠り運転とは。こんな山奥じゃなけりゃ大ニュースになったろうね。ところであんた、いつまでもそうしてると傷口が開くよ」

〇甘木が手を離し、宇藤はベッドに倒れて苦しみ出す。
 ひとみ、奥から戻ってくる。

慶子「淳ちゃん。しっかりして」
ひとみ「お巡りさんにお電話です」
警官「ああ、ありがとう(奥に去る)」
ひとみ「まあっ。宇藤さん、どうしました」

〇ひとみ、ベッドに駆け寄る。宇藤にすがっている慶子をじろじろ見る。慶子もにらみ返す。

甘木「(真田に)あの先生。宇藤の怪我はどのくらいで治るんでしょうか」
真田「ん。どのくらいと言われてもねえ。多ければ多いほど有難いねえ。できればこのくらいは(指を何本か立てて見せる)」
甘木「は? いえあの。何日ほどで退院できるのかと」
真田「なんだ。うーんそうだねえ、二週間くらいかねえ」
甘木「二週間。スケジュールが滅茶苦茶だ」

〇警官、奥から慌てて出てくる。

警官「先生。悪いが失礼していいかね」
真田「別に悪かないよ」
浩太「なにかあったんですか」
警官「本署からの知らせで、郵便局強盗があって、犯人がこっち方面に逃走中なんだとさ。とりあえず派出所に戻るよ」

〇警官退場。
 このとき真田のいる机の下から死神わ808(わのはちまるはち)、登場。真田の足を押しのけて這い出る。に105を探して舞台上をうろうろする。人間たちに姿は見えていない。

真田「やれやれ慌ただしいね。わしは飯でも食うとしよう。(甘木と慶子に)あんたらもどうかね」
甘木「どうぞお構いなく」
浩太「遠慮しないほうがいいですよ。この辺りには食事できる店もないし。(独りごちて)それに、どうせ先生が食事代をがっぽり取るんだ」
慶子「(ひとみに)ねえ。怪我人をいつまでこんなところに置いておくつもりなの」
甘木「そうだ。早いとこ個室に入れてくれ。落ち着いて話もできやしない」
ひとみ「すぐに用意しますわ」

〇ひとみ、急いで物置へ。
 に105,薬戸棚の扉から登場。大鎌は捕虫網に替えたまま。
 以降、人間たちと死神たち、二組の会話が交差する。

に105「ずいぶん人が増えた」
わ808「ナンバーにのいちまるご!」
浩太「今のうちに召しあがってください。僕の手料理でよければ腕をふるいますので」
に105「(わ808に気付き)わっ。ヤオハチか」
慶子「あなた、料理人さんなの」
わ808「その呼び方はやめてくれよ。ヤオハチじゃなくて、「わのはちまるはち」だ。遅いから様子を見に来たのさ。なに油を売ってるんだ」
浩太「いえ、ただの雑貨屋の倅です。でも、将来は雑貨屋をやめて食堂をやりたいと思ってるくらいなので、まずい食事を出すようなことはしません。さあどうぞ奥で」
に105「同期のくせに偉そうに言うなよ。ちょっとアクシデントがあっただけだ」
慶子「じゃ、ご馳走になろうかしら」
甘木「そうだな」

〇真田、慶子、浩太が奥へ退場。三人に続こうとした甘木を、宇藤が呼び止める。

わ808「ははあ。また寝過ごして魂を回収し損ねたってとこだろう。だが、のんびりしている暇はないぜ。きみのとこの隊長が探してた。
に105「えっ」
わ808「どうやら、しくじったのバレてるね」
宇藤「僕は事故なんて起こした覚えはない」
甘木「そうあってほしいもんだが、居眠りしたのは事実なんだろうが」
に105「まいったな。実はかくかくしかじかなんだ」
宇藤「僕が夜中の運転に慣れてることは知ってるだろう。眠ってしまったのは、おそらく慶子のせいだ」
甘木「慶子さんの?」
宇藤「慶子が用意したコーヒーだ。睡眠薬でも入れたに違いない」
甘木「何だって?」
宇藤「あいつは僕を殺す気なんだ」

〇死神二人、宇藤の台詞にはっと振り向き、興味津々で聞き耳をたてる。

甘木「まさか。何の理由があって彼女が亭主を殺さなきゃならないんだ」
宇藤「理由なら見当がついてるさ。浮気だ。僕が死んだら莫大な保険金が手に入る。その金を新しい男に貢ぐ気だろうよ」
甘木「証拠でもあるのか」
宇藤「まだだ。だが近いうちに尻尾をつかんでやるさ」

〇ひとみ、物置から出てくる。

ひとみ「お待たせしました。病室の用意ができましたから、宇藤さんをお連れしていいですか」
甘木「ああ、頼むよ」

〇ひとみ、ベッドを押して物置であった病室に運ぶ。
 バイブ音。わ808がマントからスマートフォンを取り出し、画面をスワイプ。

に105「新しい備品か。いいよなお前の隊は。こっちは様式美だとか言って、いまだにこんなレトロな物を使ってるんだぜ(手帳を取り出す)」
わ808「うちの隊長は新し物好きだからね。おっと。緊急の招集がかかってる。大口の予約が入ったようだ。じゃあ」
に105「まずいな。早いとこここを片付けないと」
わ808「健闘を祈る」

〇わ808,登場した机の下にもぐって退場。
 慶子が奥から登場。

慶子「あら、ひとりなの?」
甘木「ああ。淳は向こうの個室に移った」
慶子「そう(甘木にしなだれかかる)」
甘木「おい、見つかるぞ。(慶子を引き離す)淳のやつ気付いてる」
慶子「そうよ」
甘木「そうよって」
慶子「最近、胡散臭そうにあたしを見るのよ。意外に鼻がきくのね。大丈夫。相手が誰だかわかっちゃいないから。結婚してることは秘密だから、探偵を雇うなんてこともしないでしょ」
甘木「それだけじゃない。君に殺されるなんて言ってたぞ」

〇慶子、舌打ちをする。

甘木「おい、まさか本当なのかよ。コーヒーに睡眠薬って」
慶子「しっ。(物置をうかがって)いつも飲んでる薬だしバレないわよ。むかし読んだ小説をヒントにしたんだけど、計画通りには行かないわ。しょせんフィクションね」

〇ひとみ、物置から出てくる。慶子と甘木は距離をとる。

慶子「兄を個室に移していただけたのね。入ってもいいかしら」
ひとみ「ええもちろん」

〇慶子、物置に入る。
 甘木、心配そうにそのあとを追う
 ひとみ、二人が消えてから奥へと退場。
 舞台に残ったに105に照明が絞られる。

に105「すぐにでも次の手を打ってもらいたいもんだね。ぜひともお助けいたしましょう」

〇暗転



【第三場】
〇宇藤と慶子は物置にいて見えない。
 診察室を片付けているひとみに浩太がつきまとっている。

宇藤の声「ここから出てってくれ」

〇慶子、物置のドアから出て来て二人と目が合う。

慶子「あの人、気が立ってるみたいで」
浩太「無理もありません。一歩間違えたら死ぬところだったんですから」
慶子「そうね。さっきはご馳走様。美味しかったわ」
浩太「いえ、ほんのあり合わせで」
慶子「デザートまでいただけるとは思わなかったわ。お店で売れるわよ、あのケーキ」
浩太「嬉しいなあ。本当は高校出てパティシエになりたかったんですよ。よかったら夕食のあとにはフルーツタルトをお出ししますよ」
慶子「わあどうしよう、太っちゃう。あら、そういえば甘木さんは?」
ひとみ「お食事のあと、外に出て行かれました」

〇甘木、携帯電話を耳に当てたまま上手から登場。

甘木「まことにこの度はご迷惑を……もしもし、もしもし?(電話を切る)まただ」
浩太「電波が悪いでしょう。うちの店の前に公衆電話がありますよ」
甘木「いや、だいたい用は済んだんで」
慶子「仕事の調整できました?」
甘木「淳の残りのシーンはキャンセルだ。台本を書き換えるそうだ。仕方がない」
ひとみ「残念ですわ。宇藤さんのアクション、いつも楽しみにしてるんです」
慶子「アクションシーンは全部スタントよ。あの人……兄は、運動神経が絶望的に鈍いんだから」
ひとみ「まあ」
甘木「慶子さん。ファンの夢を壊すんじゃありません。(ひとみに)今のは秘密ということにしておいてください。へへ」

〇奥から激しくくしゃみの音。真田の弱々しい悲鳴。

ひとみ「なにかしら。(奥に向かいながら)先生、呼びました……あっ!」

〇ひとみ、後ずさる。
 奥から強盗が登場。真田の襟首をつかみ、もう片方の手には拳銃。真田の両腕は縛られている。

強盗「騒ぐな。(ひとみに銃口を向ける)」
浩太「ひとみちゃん」
強盗「薬をよこせ」
ひとみ「く、クスリなんてうちにはありません」
強盗「病院だろうが、ここはよお。置いてないはずがねえ」
ひとみ「ありませんってば。覚醒剤も麻薬も危険なドラッグは」
強盗「馬鹿野郎。誰が違法薬物よこせって言った。鼻炎の薬を出せっつってんだよ」
甘木「鼻炎?」
強盗「花粉症なんだよ!(大きなくしゃみを一発)なんの花粉か知らねえが、山に入ってから、くしゃみと鼻水が止まらねえ。くしゃみのせいで仕事にも失敗しちまったんだよ。おい、早く出せってんだろ」
真田「うちは耳鼻科じゃない」
強盗「うるせえ。田舎の病院なんか何でも屋だろ。(真田の首を締め上げる)」
慶子「花粉症の薬なら、私が持ってる」

〇に105、机の下から登場。捕虫網は背負ったまま。水のコップを持っている。
 慶子がバッグを開け、薬瓶からカプセルを掌に出し、ひとみの手に押し付ける。
 ひとみ、震えながら強盗にカプセルを差し出す。

強盗「手が塞がってんだよ。飲ませろ。(くしゃみ)」

〇ひとみ、強盗の口にパプセルを押し込む。に105,コップを強盗の口にあてがう。強盗、ごくりと飲み干す。

真田「さ、もういいだろ。放してくれ」
強盗「放すわけねえだろ。ここを逃げ出すまでは人質だ。もっとも」

〇強盗、掴んでいた真田をひとみめがけて投げる。すくんだひとみを捕まえる。

強盗「先生は重すぎる。女のほうがいい」
浩太「ひとみちゃん(思わず飛び出す)」
強盗「動くと撃つ(銃口をひとみのこめかみに当てる)」

〇全員凍りつく中、強盗の後ろでに105が撃て撃てとジェスチャーで煽る。

強盗「まず車をよこせ。(くしゃみ)ガソリン満タンにしてな。それから水と食料もだ」
に105「じれったいな、もう。さっさと撃っちまえ」

〇宇藤、点滴スタンドにすがるようにして物置から出てくる。

宇藤「さっきから呼んでいるのに、誰も……」

ひとみ、一瞬ひるんだ強盗の腹に肘打ちをくらわす。そのはずみに拳銃が暴発。よろめく強盗から逃れるひとみ。

に105「惜しい」

〇暴発で身を伏せた全員がそろそろと顔を上げる。甘木、慶子の上にかぶさって守っている。
 強盗、銃口を全員に見せつけながら、倒れている宇藤に近付く。

強盗「テレビで見たことあるな。お前タレントか」
ひとみ「失礼ね。有名な俳優よ。宇藤淳って知らないの」
甘木「淳。歩いて平気なのか」

〇宇藤、重なっている甘木と慶子をうつろな目で見る。

強盗「ほう。おまけに怪我してるのか。人質にもってこいじゃねえか」
ひとみ「だめ! 宇藤さんを人質にするなら代わりに私が」
浩太「いま逃げたばっかりじゃないか」
宇藤「いいさ。僕が人質になろう(苦しそうに起き上がる)」
甘木「淳。やめろ」
ひとみ「宇藤さん、そんな。私のために」
慶子「あなたのためじゃないわよ」
に105「(強盗に)どっちでもいいから撃てって」
強盗「うるせえな。こいつがいいって……(語尾が不明瞭になり、その場に座りこんで眠ってしまう。いびき)」
慶子「さっき飲ませた睡眠薬が効いたみたい」

〇全員が慶子を見つめる。
 暗転。



【第四場】
〇三場から数十分後。
 強盗は中央で、手足を縛られて寝ている。
 警官、ひとみと浩太から事情を聞いている。
 宇藤、車椅子に座ってうなだれている。
 に105、宇藤の回りで踊っている。
 他の者は所在なさげに立っている。

浩太「それで、僕と雨木さんで犯人を縛ってから連絡したんです」
警官「皆さん無事で何よりだ」
ひとみ「拳銃は、鍵のかかる場所にしまっておきました。危ないですから」
警官「うんうん、助かるよ。本署が来るまでに確認させてもらっていいかい」
ひとみ「わかりました。(真田に)先生、さっきの鍵をください」
真田「ああ。(白衣のポケットを探りシャツとズボンのポケットも探す)ああ?……ないな」
警官「おいおい先生。鍵をなくしたなんて言うんじゃないだろうね」

〇ひとみ、戸棚の引き出しを引っ張る。

ひとみ「開いてます!」
浩太「銃が、銃がなくなってます!」
警官「そりゃ大変だ。いったい誰が」

〇に105と宇藤以外、慌てる。
 に105,宇藤の後ろに立ち、片手を上げるとその手に鍵がある。
 宇藤、寝間着の下からゆっくりと拳銃を抜くと、いきなり慶子に向けて撃つ。銃声。ガラスの割れる音。慶子に弾は当たっていない。
 全員が硬直する中、携帯電話のバイブ音。照明がに105に絞られる。
 に105,マントから手帳を取り出し、耳に当てる。

に105「こちら、にのいちまるご。何だヤオハチか。いま取り込み中だ」
わ808の声「あのさ、そっちの仕事はカバーするから、うちの予約さばくのを手伝ってくれないか。隊長の許可はもらってる」
に105「もうひと息なんだがな」
わ808の声「いいっていいって一体くらい。どうせ回収するときにこちらの大口に紛れちゃうんだからさ。大型旅客機の墜落がある。死亡者三桁だぞ」
に105「そりゃてんてこ舞いだな」
わ808の声「だろ。だから今回は大型コンバインも手配してる。発生場所が近いから応援頼むよ。また連絡する」

〇ピッ、と電子音。
 に105,手帳兼電話をマントにしまう。
 照明、戻る。

甘木「淳」
ひとみ「宇藤さん」
浩太「(ひとみを止めて)ひとみちゃん、危ない」
ひとみ「これはお芝居なんですよね。ね」
宇藤「今のはわざと外した。役作りで射撃練習したことがあるんだ。実生活で役立つとはね(再び銃を構える)」
甘木「(慶子の前に立ち)淳、落ち着け。な。話せばわかる」
警官「撃ってはいけませんぞ。そっと銃を下ろしなさい」
宇藤「君は慶子の次だよ、マネージャー。本職並みに演技がうまいじゃないか。まさか間男がこんな近くにいるとはね。現実とは陳腐なシナリオだよ。二人重ねて串刺しにしてやりたいところだが、あいにくこの銃じゃそれほどの威力はない」
浩太「間男?」
宇藤「お巡りさん。この強盗を眠らせたのはその女、実は僕の妻ですがね。そいつが持っていた睡眠薬なんですよ」
ひとみ「妻?」
宇藤「同じ薬を僕のコーヒーにも仕込んだわけだ。これは殺人未遂じゃありませんか、お巡りさん」
警官「そうなのですか」
甘木「そんなまさか。淳の誤解ですよ」
ひとみ「結婚してたの」
宇藤「(甘木に)君が共謀したとは思ってないよ。稼ぎ手の僕が死んだらかえって損だ。おおかた慶子がひとりで暴走したんだろう。だからって、僕の鼻先で慶子と寝てたことは許しがたいね」
甘木「すまなかった。俺が悪かった。お願いだから銃を置いてくれ」
宇藤「どけよ。慶子が先だと言っただろう」
甘木「俺たちを殺してどうなるんだ。身の破滅だぞ」
宇藤「君を殺して僕も死ぬんだよ」
甘木「馬鹿なことはするな。謝るよ。だから、な。やり直そう」
宇藤「何を今さら。君はどうせ慶子のほうが大事なんだ」
甘木「お前のほうが大事に決まってるじゃないか」

〇二人の会話にとまどう外野。
 甘木、宇藤に近寄る。
 警官、宇藤の死角に回りこもうと少しずつ移動している。

真田「さっきから妙な具合だな」
浩太「痴話喧嘩みたいです」
ひとみ「(慶子に)邪魔者はあなたの方だったようね」
慶子「まさかあんたたち」

〇甘木、銃を奪おうと宇藤と揉み合う。
 銃声。警官が倒れる。悲鳴。
 に105、捕虫網で素振りをしている。携帯のバイブ音を合図に、照明をに105に絞る。
 に105,網を置いて手帳を耳に当てる。

に105「こちらにのいちまるご……おい、タイミング悪いな。ようやく片がつきそうなんだぜ」
わ808の声「だからその件はいいって言ったじゃないか。それより、到着は三分後だ。誘導頼むよ」
に105「俺はどこに移動するんだ」
わ808の声「その場で待機してくれたらいい。エリア内だからね」

〇ピッ、と電子音。照明戻る。
 血だらけの警官のそばに、ひとみがしゃがみ込んでいる。

ひとみ「先生。お巡りさんはまだ息があります。診てください」

〇机の下に避難して嫌がる真田を、浩太が引っぱり出そうとしている。
 甘木、茫然としている宇藤の肩を抱いている。甘木の手から拳銃が落ちる。
 照明の色が変わる。かすかなエンジン音。

に105「そろそろか。ああ、来た来た」

〇舞台全体に、飛行機の影。
 エンジン音が次第に大きくなる。
 に105,捕虫網の先を旗に取り換え、大きく振る。
エンジン音が猛烈な衝撃音で途切れる。照明が完全に落ちる。

に105の声「オーライオーライ。こちらでーす」


(完)

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