オンレイ! ドラマ

風祭涼香は9歳にして、実家のサウナで客に熱波を送る熱波師としてデビューし、その才能を発揮していた。しかし父、整太郎が水道水で沸かした風呂を天然温泉だと偽っていた事が発覚し、サウナは危機に晒される。
相馬 光 14 0 0 06/13
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第一稿

    風呂桶からお湯を流す音が響く。

整太郎「いいかい、涼香! 俺は今から君に
銃を渡す!」
かほり「あ、あなた……本気で言ってるの?」
整太郎「母さん、涼香の才能は ...続きを読む
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    風呂桶からお湯を流す音が響く。

整太郎「いいかい、涼香! 俺は今から君に
銃を渡す!」
かほり「あ、あなた……本気で言ってるの?」
整太郎「母さん、涼香の才能は本物だ。今か
ら現場を知ってもらわないといけないんだ。
(涼香に)これが、君の銃だ!」
涼香「お父さん……これ、タオルだよ?」
整太郎「違う。これはサウナに来てくれたお
客様を笑顔にする平和の銃だ。ここから放たれる風が熱波師にとっての言葉なんだ」
涼香「はい! 『タオル振れ 何は無くとも タオル振れ』!」
整太郎「いいぞ! タオルを振ればお客様の心に語りかけることができるし、声を聞くこともできる」
涼香「お母さん……本当なの?」
かほり「(笑って)どうかなぁ」
整太郎「本当だよ! いくぞ!」

   タオルをブンブン振る音。

整太郎「お父さんは今! 何を思っている!」
涼香「腕が辛い?」
かほり「(小声で)違う、涼香頑張れ! 涼
香ならできる!」
涼香「(棒読み)涼香頑張れ、涼香ならでき
る」
整太郎「よくわかったな! 良いぞ! 涼香
は俺のトントゥだ!」
涼香「トントゥ?」
整太郎「サウナの聖地、フィンランドに伝わるサウナの妖精だよ」
涼香「あたし、妖精さんなの?」
整太郎「そうだ。練習してきた全てを出すん
だ。涼香、お前だけの風を撃て!」
涼香「うん! (一息ついて)行ってきま
す!」

ドアが開く音。
   サウナストーブの稼働音
   ため息をつく声。

冷泉「なんだよぉ、お子ちゃまじゃないか」
壱岐「店長、お子さん入ってきてるよー!」
敷地「可愛い! 可愛い過ぎる!」
涼香「冷泉さん、壱岐さん、敷地さん、長老
の神谷さん。いつもありがとうございます」
神谷「ふふふ、こんにちは。お嬢ちゃん」
涼香「本日もスパ『風祭』にお越しいただき
厚く御礼申し上げます。三時のロウリュサ
ービスを始めさせていただきます」
整太郎「本日は私、風祭整太郎ではなく、娘
の涼香が熱波を担当させていただきます」
涼香「風祭涼香、九歳です。よろしくお願い
します」
壱岐「涼香ちゃんが熱波だぁ?」
冷泉「おいおい!冗談とぬるい水風呂が嫌い
な俺は、カチンときちまうぜ」
神谷「なぁ、ちょっとロウリュしても良いか
い?」
整太郎「神谷さん! ちょっと待って!」
神谷「整太郎ちゃんよぉ。サウナへの愛は分
かるけど、お前さんのはちょっと行き過ぎ
じゃ……」
整太郎「こっちだって最高の熱波にしたいん
です! はい、涼香!」
涼香「ロウリュとは、サウナストーブにアロ
マウォーターをかけた時に出る蒸気の事で
す。マイナスイオンの熱気が発生し、サウ
ナ全体を包みます。では、アロマウォータ
ーをかけます」

   サウナストーンに水がかかり、「ジュ
ッ!」という音が響く。

冷泉「店長、そろそろ変わってあげたらどう
だい?」
整太郎「どうか静粛に!」
涼香「これをタオルで扇ぐ事により熱気が体
に当たり、体感温度を上げて発汗を促進し、
更に……更に……」
整太郎「(小声で)アロマウォーターの香り
で皆様に癒しを提供いたします」
涼香「えー、アロマウォーターの香りで皆様
に癒しを提供いたします。近年ではサウナ
と水風呂に繰り返し入りリラックスする事
を『ととのう』と言ったりするそうです」
整太郎「(小声で)仕事や勉強で……」
涼香「仕事や勉強でお疲れの方、健康にお悩
みの方、皆様の『ととのい』に繋がる様、
熱波を送りたいと思います。では……」
壱岐「おいおい本当にやる気かよぉ。冗談き
ついぜ!」
敷地「若い! 若すぎる!」
整太郎「お静かにお願いいたします」

   一瞬の静寂。
   そして勢いよくタオルを振った時に出
る「バンッ!」という音。
   感嘆の声が上がる。

冷泉「うっ……す、すげえ。熱の塊を全身で
受け止めているようだ!」
壱岐「お、俺にも頼む!」

   何発も「バンッ!」という音が響く。

壱岐「この熱波、あの伝説と言われる二〇〇
五年のロウリュを超えた!」
神谷「ただの風なのに味がある。腹の底まで
グンと来る……」
敷地「美味い! 美味すぎる!」
涼香「おかわりが欲しい方は申し出てくださ
い」
冷泉「おかわり!」
神谷「これは、おかわりせざる得ない!」
壱岐「俺も俺も!」
敷地「おかわり! おかわり過ぎる!」

   タオルを振る音。
情熱的な音楽が重なり始める。

NA「そう! ここからこの風雲児、風祭涼
香がサウナ、スパ、温浴業界に革命を起こ
し、タオル一枚で一世を風靡してゆく!」

   大量のカメラのシャッターの音。
   ざわつく記者たちの声に音楽がかき消
されていく。

NA「……はずだった」
記者2「お客様にどう説明するおつもりです
か!」
記者1「風祭さん! 答えてください!」
整太郎「申し訳ございません! 本当に申し
訳ございません!」

   喧騒が次第にフェードアウトしていく。
   テーマ曲が流れる。

タイトル「オンレイ!」

   音楽がフェードアウトしていく。
   錆びたドアがゆっくりと開く音。
   涼香と冷泉の足音。
   足音が少し反響している。

涼香「すみません、冷泉さん。お手数おかけ
してしまって」
冷泉「良いんだよ。そのための不動産屋なん
だからさ。しかし涼香ちゃん久しぶりだね。
もう二十歳になったの?」
涼香「一応まだ十九です。まぁ、来月にはな
るんですけど」
冷泉「いやぁ、変わってそうで変わってない
もんだね」
涼香「冷泉さんも……変わっては……ない、
かも……しれませんね」
冷泉「歯切れ悪いねぇ。いいの。わかってる
の。白樺の葉っぱが枯れるみたいにね。毛
だってね、いつかは抜けるものなんだから
さ。しょうがないんだよ」
涼香「……すみません」
冷泉「いいんだよ。気にしてなんか……ない
から」
涼香「あの、ワカメとか食べると良いって」
冷泉「毎日食べてるよ、ありがとう。しかし
もう十年経つのかぁ……本当ここにはお世
話になったなぁ」
涼香「あの時は本当に……申し訳ございませ
んでした!」
冷泉「涼香ちゃんは何も悪くないよ。でもび
っくりしたなぁ……テレビ局も新聞社もこ
ぞって来てたもんなぁ」

   大量のシャッター音が鳴り響く。

記者1「では、天然温泉ではなく、水道水を
使った普通の風呂であることを認めるんで
すね」
整太郎「はい。濁っていたのは市販の入浴剤
を入れたからです。通常は、『指宿の湯』
と『草津の湯』をブレンドして入れており
ました」
記者2「どうして発覚したのでしょうか?」
整太郎「今回の騒動の発端は、私が、指宿の
湯と間違えてバラのフレグランスがする入
浴剤を入れてしまい、常連のお客様から
『流石に天然温泉からバラの匂いはしない
だろ』と指摘され、現在に至ります……」

   数回のシャッター音が鳴り響く。

記者3「全てあなた一人でやられたんです
か?」
整太郎「はい。家族は知らなかったと思いま
す。全て、私めのつまらない意地のが悪い
んです! 少しでもお客様に喜んでもらえ
たらと思ったんです! 実際、結構喜んで
もらえましたし! 肌がスベスベになるっ
て評判にもなったし!」
記者1「何でちょっと怒ってるんですか!」
記者2「お客様を騙していたという自覚はあ
るんですか!」
整太郎「も、申し訳ございません! 本当に
申し訳ございません! ただ、うちのサウ
ナ! うちのサウナは世界一なんです! 
だからこれを機にうちを知った方は是非と
もサウナに……」
記者1「謝罪会見の場で宣伝してんじゃない
よ!」
整太郎「すみません! これだけは譲れない
んです!」
記者3「一部利用者からはオーナーであるあ
なたの押し付けに嫌気が差した方もいるそ
うですよ!」
整太郎「確かによそよりは厳しいルールもあ
るかもしれません! でも全ては最高のサ
ウナのため、最高のととのいのためなんで
す! だからちょっと入浴剤を入れたぐら
いでこんなに騒がれても」
記者2「反省してないじゃないか! まだ営
業続けられると思ってんのか!」

さらにシャッターの音が激しくなる。
次第に喧騒がフェードアウトしていく。

冷泉「あの半年後くらいかな、長老って呼ば
れてた神谷さんがポックリ逝っちゃって。
常連のみんなともそんなに会わなくなっち
ゃったんだよ」
涼香「そうでしたか……」
冷泉「今もサウナは行くんだけどね。ここと
同じくらいととのった場所は他にないよ…
…」
涼香「それは……どうも」
冷泉「お父さん……整太郎さんとはいまだに
連絡は取れないのかい?」
涼香「あの人とは、縁を切りました。どこで
何をしていようが興味がありませんし、も
う会いたいとも思いません」
冷泉「冷たいじゃないか。十五度以下の水風
呂みたいだ」
涼香「そのサウナ周辺で物事で例えるの止め
てもらえますか? こっちはあの後散々マ
スコミに追い回されて、いじめられて……
もう、サウナという文字を見るのも嫌なん
です」
冷泉「でも涼香ちゃんは、ここに来ている」
涼香「お母さんに写真撮って来いって言われ
たから。まだ一応、うちの店なんで」

スマートフォンのカメラのシャッター
音。

冷泉「お母さんの具合はどうだい?」
涼香「……相変わらずです。でも最近、ここ
の写真を見たがるようになって」
冷泉「そっかぁ……なぁ、涼香ちゃん。バイ
ト三つもやってるんだろ。何か、こうお金
とか、大変じゃないのか? 何か出来るこ
とがあれば」
涼香「……ずっと大変です! あの日からず
ーっと! でもあの日からその言葉は一言
ももらえなかった! 十年も経って何で今
更……」
冷泉「ごめん。それは本当に……ごめん」
涼香「……トントゥ」
冷泉「えっ?」
涼香「サウナにはトントゥって妖精がいるん
です。フィンランドでは守り神って言われ
るそうです」
冷泉「守り神……」
涼香「うちにはいなかったんだなぁ……トン
トゥ」

    スマートフォンのバイブ音。

冷泉「ちょっとごめん。(電話に出て)お、
おう! 壱岐! 久しぶりだな。な、何だ
よ。落ち着けよ……えっ……わかった。な
んだかすごいタイミングだな……いや、こ
っちの話だ。涼香ちゃんと一緒にいるんだ。
『TTNT』だな。わかった、連れていく
よ」
涼香「……連れてく?」
冷泉「涼香ちゃん、どうしても来て欲しい場
所があるんだ。ここから歩いてすぐの所だ」

   涼香と冷泉の足音。
   自動ドアの開く音。

壱岐「涼香ちゃん! おっきくなったなぁ」
敷地「でかい。でかすぎる」
涼香「百五十八センチです。そんなに大きく
はないです。で、壱岐さんと敷地さん。ど
ういうつもりですか?」
壱岐「いやね、ここなんだけど先月オープン
してさ。サウナ好きの間で結構話題になっ
てるんだよ」
涼香「まさかここのサウナに入れとか言うつ
もりじゃないですよね」
壱岐「覗くだけでいいんだ! サウナの内装
や熱波師の動きを見て欲しい!」
涼香「冷泉さん、どういうつもりですか。さ
っきサウナという文字を見るのも嫌だって
言いましたよね? 皆さんでごゆっくりと
とのってください。私はこれで」
冷泉「待ってくれ! お願いだ!」

   涼香の歩いていく足音。

壱岐「整太郎さんがここにいる可能性が高い
んだ!」

   涼香の足音が止まる。

冷泉「あれから実は俺ら、色んなサウナに行
ってたんだ」
壱岐「あの人のことだから、きっとどこかの
サウナにいるだろうと思ってな」
冷泉「だけどどこに行っても手がかりはなか
った……」
壱岐「だけどここは入って一発で空気が違っ
たんだ! 百十度の高温サウナ、テレビや
BGMを用意しないスタイル、セルフロウ
リュ、水風呂も十四度を切る玄人仕様!」
涼香「そんなのどこにでもありますよ」
壱岐「熱波がね。整太郎さんの、あの熱波な
んだ。ただ風を送るんじゃない。熱の塊を
撃ってくるんだ!」
敷地「熱い! 熱すぎる!」
涼香「じゃあこれからはここに通うんですね。
良かったじゃないですか」
壱岐「『タオル振れ 何は無くとも タオル
振れ』」
涼香「えっ……」
壱岐「……熱波師のプロフィール紹介の所に
書いてあったんだ。それは霧島って人のだ
ったけどさ。でもあの川柳、整太郎さんの
口癖だったろ?」
涼香「……む、昔のことだから、覚えてない
です。じゃあ、私はこれで!」
壱岐「あ、あれ……お父さんに会えるかもし
れないんだよ!」
冷泉「涼香ちゃん! 待って!」
涼香「しつこいなぁ!」
霧島「お客様、申し訳ございませんが、『T
TNT』は静寂をテーマにした施設です。
他のお客様の高次元ニルヴァーナを邪魔す
ることになりますので、大声での会話はお
やめ下さい」
涼香「ごめんなさい。言ってることの半分も
わからない……」
霧島「(ため息をついて)これだから素人は。
では手始めにお客様と私との間で『TTN
T』における共通認識を作りましょう」
涼香「えっ……嫌ですよ。なんですか急に」
霧島「サウナ、水風呂、外気浴を繰り返す、
いわゆる温冷交代浴を行うことで脳内ホル
モンであるベータエンドルフィンが分泌さ
れることはご存知ですよね? それで……」
涼香「冷泉さん……この人怖い」
冷泉「すみません! 騒がしくしたことは深
く反省しております。いくらでも謝るので
その呪文みたいなの止めてもらえますか」
霧島「すみません、私としたことが。ディー
プリラックスが足りておりませんでした
(と言って笑う)」
冷泉「この施設、本当に大丈夫なのか?」
壱岐「でもこのサウナバカな感じもあの人っ
ぽい気がしないか……?」
霧島「あの、立ち聞きするつもりじゃなか
ったんですが……先ほど私の座右の銘を仰
っておりませんでしたか?」
壱岐「えっ、俺なんか言ってた? あっ!
『熱い、熱すぎる』ってやつ?」
霧島「いえ、違います。しかもその言葉、あ
なたが仰ってないですし。あの『タオル振
れ 何は無くとも タオル振れ』っていう」
冷泉「それ、この子のお父さんが昔……」
涼香「いや、あのその……」
霧島「お父さん……あの、ご紹介が遅れまし
た。私、ここで熱波師をやっております。
霧島美主人と申します」
涼香「ど、どうも。風祭です……」
霧島「か、風祭……! あの! これ是非と
も来てください!」

   紙を一枚渡す音。

涼香「な、なんですかこれ……」
店長「霧島君、次のロウリュ始まるよ」
霧島「すみません。では、失礼いたします」

   霧島が走っていく足音。
   心電図の音が重なる。

涼香「お母さん。写真、撮ってきたよ」
かほり「涼香……ありがとう。あぁ……もう
ロビーもボロボロになっちゃって。えっ、
これサウナ? すっかり老け込んじゃった
ねえ」
涼香「どうして今更あんなとこ見たいなんて
思ったの」
かほり「……何でだろうね」
涼香「お母さん……お父さんに会いたい?」
かほり「……会いたいけど、会いたくないな
ぁ」
涼香「(笑って)どっちなの」
かほり「難しいの。気持ちってそんなにまっ
すぐしたものじゃないでしょ」
涼香「……そうだね」
かほり「涼香、あれやって」
涼香「……いいよ」

   タオルをブンブン振る音。

かほり「やっぱり涼香の風が一番」
涼香「ただタオル振ってるだけだよ?」
かほり「そういえば涼香、さっき持ってたの、
何のチラシ?」
涼香「えっ……あ、あれは……なんかマンシ
ョンが出来る? みたいな?」
かほり「あぁ! なんか最近マンションポエ
ムっていうの? 話題になってるでしょ? 
あれ面白いよねぇ」
涼香「そ、そうそう! あとね、最近ボディ
ビルの掛け声が盛り上がってるんだって」

   二人の会話がフェードアウトしていく。
   タオルの音だけが響く。
   情熱的な音楽が重なり始める。

NA「涼香が霧島から渡された紙は本当にマ
ンションのチラシだったのか! この日を
機に涼香の運命のタオルは回り始める……
はずだった」

   音楽が次第にフェードアウトしていく。

冷泉「いやぁ、退院おめでとうございます」
かほり「ありがとうございます」
涼香「冷泉さん、また無理言っちゃってごめ
んなさい」
冷泉「いいんだって。気が済むまでいていい
んだよ。ここは風祭家のものなんだから」
かほり「あら、やだ蜘蛛の巣こんなに張っち
ゃって」

   風呂桶を倒す音。

涼香「お母さん、あまり無理しちゃダメだよ」
かほり「ごめんごめん」

   外から戸を叩く音。

冷泉「お、来たな」
涼香「誰か呼んでいるんですか?」

   冷泉が歩いていく音。
   戸が開く音。
   ぞろぞろと歩いて来る音。

壱岐「おかみさん、退院おめでとうございま
す」
敷地「めでたい。めでた過ぎる」
かほり「壱岐さん、敷地さん。ご無沙汰して
おります」
霧島「失礼します」
かほり「ど、どうも……」
涼香「あれ……霧島さん」
冷泉「俺が呼んだんだ」
霧島「涼香さん、この間の件ですが……」
涼香「ああ、あれは……前に言った通りお断
りを……」
かほり「ん? 何の話?」
壱岐「おかみさん、知らないのかい?」
冷泉「涼香ちゃん、ちゃんと伝えるって……」
涼香「ごめんなさい」
かほり「何? どうしたの?」
霧島「涼香さん、ただ出てくれれば盛り上が
るとかそういう事じゃないんです。これは
私でなく、プロフェッサーSからの伝言な
んです」
涼香「誰なのその怪しい名前……」
霧島「この話は、初めて話します。実はあな
たの話はプロフェッサーSから聞いていま
した。若干九歳でサウナトランスを追い求
める求道者たちを更なるニルヴァーナへ連
れて行ける逸材だったと」
かほり「涼香、この方は今日本語を喋ってい
るの?」
涼香「ごめんね、お母さん。慣れて」
霧島「プロフェッサーSは、ある悲劇……私
も詳しくは知りませんが……それを経てか
らフィンランドへ行きました。そして本場
のサウナに触れながらサードウェーブサウ
ナを構想しました」
涼香「フィンランド……?」
霧島「よりスタイリッシュに。そして、サウ
ナを教会や寺社仏閣の様な厳かな場所とし
て捉え直しました」
壱岐「それでTTNTは大声禁止なのね」
霧島「はい。プロフェッサーSは、ひとまず
日本中で経営危機に陥っていたサウナを独
自のメソッドで立て直してきました。そし
てついにTTNTというととのいを追い求
める人々のためのユートピアを作り上げた
……そう、そのプロフェッサーSこそが!」
涼香「まぁこの流れだったら、お父さん……
なんですよね?」
霧島「な、なんで分かるんですか!」
冷泉「そりゃあこの流れで全く知らない人の
話はしないだろうね」
かほり「それは私にも分かった」
霧島「さすがプロフェッサーSのご家族だ」
涼香「すみません、その名前……何なんで
す?」
霧島「プロフェッサーSは、ある悲劇以降、
一度自分は死んだと言っていました。名前
も何もかも捨ててプロフェッサーSとだけ
名乗る様になり、表舞台には一切出ないで
サウナプロデュースを行ってきました」
涼香「死んだ、ですか……」
かほり「あの、整太郎さん……いやプロフィ
ール……プロフォ……」
涼香「お母さん、無理に言わなくていいから
ね」
かほり「あの、整太郎さんは涼香に何を頼も
うとしていたんですか?」
霧島「天下一熱波師トーナメント。世界一の
熱波師を決める大会へのお誘いです」
壱岐「これ、すげえんだよ。ロシアでやる上
に、優勝したら一〇〇〇万円! 交通費も
出るんだって!」
敷地「懐が深い! 深過ぎる!」
冷泉「整太郎さんは陰でこんなに頑張ってい
たんだよ」
壱岐「こんな舞台まで用意してさ。立派なも
んだよ! な?」
涼香「……じゃあ何で会いに来ないの?」
壱岐「えっ」
涼香「何で……全部霧島さんに託してさ。お
かしくない?」
霧島「それは……もう動けないからです」
かほり「……動けない?」

   感動的な音楽が静かに鳴り出す。

霧島「文字通り命を削りながら日本中のサウ
ナを救うために奔走してきました。それで、
半年前にロシアのサウナ、バーニャの中で
倒れて……」
冷泉「そんな……!」
霧島「これは絶対に言うなと言われましたが、
正直もう、永くはないです。日本に渡るこ
とも、もう出来ないそうです」
壱岐「……涼香ちゃん、出ようよ」
涼香「壱岐さん……」
霧島「『タオル振れ 何はなくとも タオル
振れ』。病床のプロフェッサーSが私に託
した言葉です」
霧島「自分で作った川柳だと仰っていました。
それを書いた色紙を私にもたせてください
ました」
冷泉「なぁ、涼香ちゃん。整太郎さんが呼ん
でるんだよ。もう、許してあげようぜ」
壱岐「そりゃあ十年は確かに長かったけどさ、
その間に整太郎さんは、日本中のサウナ好
きを幸せにしていたんだよ。俺は立派だと
思うなぁ。すげえよ整太郎さん」
霧島「プロフェッサーSはこの大会が終わっ
たら、このスパ風祭を世界最高峰のサウナ
施設に改築するつもりです」
敷地「すごい! 凄過ぎる!」
壱岐「何だか泣けてきちゃうなぁ。男の中の
男だよ。ねえ、おかみさん」
かほり「行けば、あの人に……会えるんです
か」
壱岐「そうですよ! 限られた時間かもしれ
ないけど、やっと家族水入らずだ!」
冷泉「涼香ちゃん、君の熱波は素晴らしかっ
た。君だったら優勝出来るよ」
壱岐「応援するよ!」
霧島「自分も出るので、ライバルにはなりま
すが、お互い頑張りましょう!」
冷泉「きっとこれはお父さんが涼香ちゃんに
用意した最後の壁なんだ。遠慮なくぶっ壊
してやればいい!」
壱岐「冷泉ちゃん、カッコイイじゃん。イイ
なぁ俺もそういうの言いたい」
霧島「メモしました(と言って冷泉たちと笑
い合う)」
涼香「(小声だけど強く)……バッカじゃね
えの」

   感動的な音楽が止まる。

冷泉「えっ……」
涼香「何が世界最高峰のサウナだよ。自分の
家族から世界最低の逃げ方したのに……」
冷泉「ま、まぁね。そりゃあ涼香ちゃんもお
かみさんも苦労したもんね……でもさ、男
湯、女湯、色々事情があるから」
涼香「男湯とか女湯とか関係ないから! こ
れ、家族の話だから!」
壱岐「でもさ、整太郎さんもたった一人で苦
労したんだからさ。許してやろうよ……」
涼香「簡単に許せとか言うな!」
かほり「涼香……」
涼香「ずっと考えたよ! どうしたら許せる
んだろう。許せばどれだけ楽になるんだろ
うって。でも許せないの!」

   チラシを破く音。

涼香「何が天下一熱波師トーナメントだ! 
勝手にドラマティックなお膳立てして!」

   チラシをビリビリに破く音。

涼香「勝手に感動するな! 勝手に不幸にす
るな!」
壱岐「涼香ちゃん、落ち着こう……!」
涼香「第一あの悲劇って何? 天然温泉だっ
て嘘ついて入浴剤入れた挙句にバラの入浴
剤入れ間違えてバレたんじゃない!」
冷泉「それも、お客さんのためを思ってやっ
たことだしさ……」
涼香「その後、何も言わずに店と家にあるお
金全部持って逃げたんですよ。しかもフィ
ンランドだって。あたし修学旅行行けなか
ったんですよ。お金なくて。だから新幹線
も飛行機も乗ったことないんですよ」
壱岐「だからこうしてほら、ロシアに……」
涼香「この十年、あの人から一回も連絡は来
ませんでした。実際、今回ももらってない
ですし」
霧島「今回は……話せる状態じゃなかったの
で。それに、泣いてらっしゃったそうで
す。バーニャで倒れていた時、涙と汗に塗
れて倒れていたそうで……」
涼香「泣いてないんですよ」
霧島「……えっ?」
涼香「お母さんとあたし、あの日から泣いて
ないんです。全然、ととのってなんかない
んですよ!」
霧島「お二人が大変なご苦労をされたのはよ
くわかります。ですがプロフェッサーSも
男としての大仕事を……」
涼香「何が男だ! 男だったらしょうがない
みたいな流れで許そうとしてんじゃねえ
よ!」
冷泉「涼香ちゃん! 落ち着こう!」
壱岐「お、おかみさん! おかみさんはどう
思います? 整太郎さんに会いたいですよ
ね?」
かほり「……タオル振れ、何はなくとも、タ
オル振れ」
壱岐「ほら! かほりさんも言ってるじゃな
いか!」
涼香「お母さん……」
かほり「(少し力強く)タオル振れ、何は
なくとも、タオル振れ」
冷泉「涼香ちゃん、これがおかみさんの……」
かほり「(遮って)これ……あたしの句」
冷泉「えっ……?」
かほり「あたしが作ったの」
涼香「お母さん……」
かほり「涼香、お願い……あの人から取り返
して。あなたのやり方で」
涼香「……わかった」
壱岐「ってことは……出るのかい?」
涼香「出ない」
冷泉「出ないって! ここまで準備がととの
ってんだよ! 後は外に飛び出して身を任
せれば……」
涼香「私のやり方があるの」
壱岐「そりゃあ意地になることもあるかもし
れねえけどさ。整太郎さんが待ってるんだ
ぜ。立派になったを最期に見たいと思って」
涼香「ちょっと、一旦聞いてよ」
霧島「出ないと本当に後悔しますよ。お父さ
んだけでなく周りのみんなも!」
敷地「そんなの……勝手な理屈だよな」
涼香「……敷地さん?」
敷地「涼香ちゃん、ごめんな。最初は興奮し
てロシアに行くべきだという立場を取って
しまった。しかし、それは間違ってた。涼
香ちゃんはちゃんと分かってるんだよ。ロ
シアに行けばおかみさんも涼香ちゃんも生
きてるうちにお父さんに会える。行かなけ
れば後悔するかもしれない。でも! それ
でも自分なりのやり方でこの十年間を引き
受けようとしてんだよ! だから俺たちは
邪魔しちゃいけねえんだ! わかるかい?」
冷泉「お前……普通に喋れるのか」
敷地「俺を定型文しか喋らない書き割りだと
思ったか?」
冷泉「いや、そんなつもりは……」
敷地「俺だって撃ってるんだ。一言に、込め
てんだよ。でも今回は我慢ならなかった」
涼香「敷地さん、ありがとうございます……」
敷地「いいんだよ。さぁ、おめぇら。お嬢の
話をしっかり聞こうじゃねえか!」
涼香「霧島さん、父はあと持って何ヶ月な
の?」
霧島さん「詳しいことはわからないです……
ただ、治療が上手くいけば、完治はしない
までも日本に来ることは可能になるかもし
れないと……」
涼香「だったら、振るしかないか……」

   タオルを振る音。

冷泉「涼香ちゃん……まさか、出る気かい?」

   タオルを振る音。
   情熱的な音楽が流れ始める。

NA「ついに涼香が立ち上がった! 父を倒
すため、そしてサウナ界に新たな風を吹か
せるため! 天下一熱波師トーナメントに
参加し、今度こそ伝説に……」
涼香「ならないよ」

   音楽が止まる。

NA「えっ?」
涼香「勝手に人の未来をどうこう言わないで
もらえる?」
NA「あ、あのここはこのドラマのナレーシ
ョンパートだから話しかけてきちゃ……」
涼香「このドラマって何? あたしはあたし
の人生を生きてんの! あたしをそのドラ
マに出したいなら、まずはあたしのドラマ
に出てきてもらえる?」
NA「(次第に整太郎の声に変わっていく)
な、何言ってるんだ! っていうかナレー
ションには話しかけちゃいけないっていう
ルールが……」
涼香「そんなルール知らないから。だけど本
当なんだね。タオルを振れば心に語りかけ
ることが出来る。ね、お父さん」
整太郎「……まさか本当に聞こえているとは
思わなかったんだ」
涼香「まぁ聞こえる様になったのは本当に最
近なんだけど」
整太郎「それで、どうする気なんだよ。ロシ
ア、来ないのか?」
涼香「それは聞けば分かるよ。じゃ、あたし
の話に戻すね。リワインド!」

   テープが巻き戻る音。

冷泉「涼香ちゃん……まさか、出る気かい?」
涼香「出ないよ」
壱岐「えっ?」
涼香「あいつの誘いになんか乗らない。あた
しはあたしのやり方でやる」
冷泉「あたしのやり方って……」
涼香「スパ風祭を、復活させる」
壱岐「えっ!」
涼香「お父さんが生きてるうちに来てもらっ
て、ととのってもらう! 今まで行ったど
のサウナよりもととのってもらうの!」
かほり「涼香……」
涼香「ねえ、みんな!」
壱岐「は、はい!」
涼香「良いサウナって何だと思う?」
壱岐「熱波師のパワー!」
冷泉「十五度以下の水風呂!」
敷地「外気浴! 外気浴過ぎる!」
霧島「マインドフルネス瞑想が可能でアンビ
エントミュージックやアロマテラピーも行
われている限定的な空間及び……」
涼香「(遮って)なるほどね。私がここで一
番ととのったのはね。まだサウナにテレビ
があって、夏の高校野球の決勝戦が流れて
いた時。私が六歳の時だから……十三年前
かな」
冷泉「あったなぁ……」

うっすらと流れる野球の実況と歓声。

霧島「サウナにテレビなんて! 邪道中の邪
道!」
涼香「男湯も大盛況だったけど、女湯だって
すごかったんだから」
壱岐「十三年前って言ったら!」
冷泉「あのずーっと同点だった大接戦!」
敷地「延長十二回! 長過ぎる!」
かほり「番頭のラジオにまで人が集まってた
……」
涼香「その回が終わるとすぐに水風呂行って」
冷泉「高校野球だから攻守交代が早いんだよ
な」
壱岐「普段だったらうるせえのは嫌いだけど、
あのみんなで応援してる時は楽しかったな
ぁ」
涼香「でも父さんはすぐにテレビを外した」
かほり「うるさいの、大嫌いだったから」
涼香「その後、しばらく有線放送が入るよう
になった」
霧島「またしても邪道!」
かほり「有線といえば……」
壱岐「……あっ! 忌野清志郎の命日!」

   うっすらと当時の有線放送が流れる。

涼香「そう!」
壱岐「確か一日中有線から流れたよな! ガ
タガタ震えてるやついるから、心配になっ
て話聞いたら、ちょうどこれからプロポー
ズしようとしてたんだよな!」
冷泉「励ました! なんかわかんねえけど、
話したことない常連たちと大合唱した!」

合唱する客たちの声。

かほり「あれ女湯にも聞こえてたんだから」
壱岐「プロポーズ、上手く行ったんだからい
いじゃねえか」
敷地「愛し合ってるかーい!」
涼香「そう! 愛! 愛なの!」
敷地「……えっ?」
涼香「愛が必要なの! 偏った愛じゃなく、
みんなを包み込める愛」
壱岐「どういうことだい?」
涼香「お父さんのサウナにも愛はあった。で
もそれはサウナの為だけに向いている愛」
霧島「それは違います! プロフェッサーS
は常にお客様第一だった!」
涼香「それはお父さんと同じととのい方をす
るお客様だけの話。共感出来る人には夢の
様な施設だけど、サウナには色んな人がい
るの。だからね、テレビも有線も無くせば
全て解決する訳じゃない」
霧島「じゃあ全部付けろってことですか? 
そんなの普通の銭湯じゃないですか!」
涼香「そういう訳じゃない。ただこっちから
何かを押し付けるんじゃなく、お店とお客
様の垣根を取っ払って、ととのい合える場
所にするの!」
冷泉「でもそしたら何でもありの無法地帯に
なっちゃうんじゃないか?」
涼香「最低限のマナーは必要。そこはしっか
り決める。だけどルールはその人が決めれ
ばいい」
霧島「敢えて不完全なサウナにするというこ
とですね」
涼香「完璧なサウナなんてないよ」
霧島「そりゃあそうですけど」
涼香「でもね。ただ一方的にこっちのルール
を押し付けるんじゃなくて、色んな人がい
て、色んなととのい方があること、それを
言葉にせずとも理解し合う場所にできれば、
きっと最高のサウナなる!」
かほり「涼香……」
涼香「だから……みんなで! 作りません
か!」

   涼香の声が響く。
   一瞬の静寂。

冷泉「とりあえず、掃除からだな」
敷地「やりたい! やりた過ぎる!」
壱岐「忙しくなるぜぇ、これから」
涼香「あ、ありがとうございます!」
かほり「涼香……あたしも」
涼香「お母さんは無理しないで」
かほり「いや、無理する。出来る範囲でだけ
ど。何はなくともタオル、振らなきゃ」
霧島「涼香さん。正直、涼香さんの話はまだ
二割も納得できてません」
涼香「……はい」
霧島「だからここで、プロフェッサーSが来
るまで……ちゃんと納得出来る時が来るま
でやらせていただきます」
涼香「霧島さん、TTNTは……」
霧島「一先ず設備を直さなきゃ。クラウドフ
ァンディングをしてみますか。文言として
は、温冷交代浴だけではないまさにサウナ
新機軸を目指さんとする……」
壱岐「ああもう! 長ったるいんだよお前の
言葉は!」
敷地「しゃらくさい! しゃらくさ過ぎる!」

   会話が次第にフェードアウトしていく。
   音楽が盛り上がっていく。
   ざわざわと活気溢れる人々の声。

かほり「いらっしゃいませ! スパ風祭へよ
うこそ!」
整太郎「か、かほり! 霧島君から聞いたよ。
元気そうじゃないか……よかった……まさ
か復活するとはなぁ……びっくりしたよ。
あまり活気があるのは好きじゃないけどさ」
かほり「ごゆっくりお楽しみください」
整太郎「なぁ、流石にもう熱波はやってない
よな? あまり無理しちゃダメだぞ」
かほり「いらっしゃいませ! スパ風祭へよ
うこそ!」
神谷「いくら話しかけたってダメだよぉ」
整太郎「うわっ! びっくりしたぁ。いやぁ、
わかってるんですけどね……やっぱどうし
ても話しかけたくて……って! わかるん
ですか! 私のこと!」
神谷「久々だな、整太郎くん」
整太郎「……か、神谷さん! 神谷さんもこ
っち側に……」
神谷「やっと気づいたか。まぁ、知らなくて
も無理ないさ。死んだのはも君が逃げちゃ
った後だからね」
整太郎「そ、それはそれは……御愁傷様です」
神谷「お互いね。そっかぁ、整太郎もこっち
側かぁ」
整太郎「ええ、先週こっち側に……」
神谷「俺、あんたに謝りたかったんだ。随分
探したんだけど見つからなくてねぇ」
整太郎「それは……失礼しました」
神谷「いいんだ、こうして会えたから」
整太郎「……で、謝りたいことって?」
神谷「実はな……入浴剤のこと、保健所に言
ったの俺なんだ」
整太郎「……あぁ。そのこと、ですか」
神谷「先代から引き継いで野心もあったし、
血の気もあった。だけどあんた、どんどん
客に注文をつけるようになった」
整太郎「……はい」
神谷「あんたなりに良くしようとしてたのは
分かるよ。でもね、あれだけはいただけな
かった」
整太郎「すみません……」
神谷「ごめんな、死んでからも説教しちまっ
て……俺のこと恨んでるかい?」
整太郎「……正直、ここから逃げてからもし
ばらく告げ口した奴を恨んでました。でも、
ここ何年かは、あれは良い水風呂だったな
って思うようになりました」
神谷「(笑って)そうかい」
整太郎「あの時あれだけ冷たい水に浸かった
からこそ、冷静になれた。でも結局暴走し
ちゃったんですけど」
神谷「熱して冷やして、その繰り返しでどう
にか一人前の人間になるんだ」
整太郎「……はい」
神谷「あんた、ちょっといい顔になったな」
整太郎「そ、そうですか?」
神谷「あん時のあんた、何かに取り憑かれた
ような顔しててな、正直怖かったよ」
整太郎「本当に色んな人に迷惑をかけました。
特に娘の涼香には……」
神谷「それは俺に言うことじゃないだろう。
今ちょうど熱波やってるよ。見事なもんだ」
整太郎「そうですか……あれ! なんか神谷
さんうっすらしてきましたけど」
神谷「そりゃあ今ようやく心残りの最後の一
個が終わったんだ。これで気兼ねなく行け
るよ」
整太郎「そ、そんな! もうお別れですか!」
神谷「(笑って)またすぐ会えるよ。楽しん
で来い」

サウナストーンに水が滴り、ジュッと
鳴響く。

整太郎「あっ……さよなら、神谷さん」

   扉がガラッと開く音。
   シャワーの音や、風呂桶を置く音が鳴
り響く。

整太郎「風呂も綺麗になったなぁ……あっ、
わざわざ温泉じゃないって表示まで……」

木の扉が開く音。
野太いの歓声が聞こえる。

冷泉「タオルに風神乗っちゃってるよー!」
壱岐「熱波の大車輪!」
敷地「熱い! 熱過ぎる!」

タオルを振る音が鳴る。

涼香「はいじゃあラスト行きますよー!」

   さらに激しくタオルを振る。

涼香「では、三時のロウリュを終わります! 
本日はご来場いただき、厚く御礼申し上げ
ます! この後も引き続きととのってくだ
さい!」

   熱烈な拍手が起こる。

壱岐「あっちー!」
冷泉「さあご褒美の水風呂だ!」

   ぞろぞろと出て行く足音。
   シンと静まる室内。
   静かにゆっくりとタオルを振る音。

整太郎「冷泉さん、壱岐さん、敷地さん、本
当にありがとう……」
涼香「あたしにはないの?」
整太郎「……えっ!」
涼香「遅いんだよ!」

   タオルを振る音。

整太郎「あ、熱い! 涼香! 見えるのか! 
見えるってことはまさか……!」
涼香「違うよ、生きてる。タオルを振れば?」
整太郎「……語りかけることができる」
涼香「間に合わなかったね」
整太郎「すまなかった……チケットも予約し
てたんだ」
涼香「知ってる。霧島さんから聞いたよ」
整太郎「そうか……」
涼香「どう? 私たちのサウナ」
整太郎「テレビもあるし、スピーカーもある
ってことは有線も流せるのか……」
涼香「理解できない?」
整太郎「……ああ」
涼香「やっぱりね」
整太郎「父さんな、北の方に逃げたんだ」
涼香「へえ」
整太郎「夜中にあぜ道を歩いていたら、田ん
ぼにハマっちゃってな。たまたま通りがか
ったトラックの運転手さんに助けてもらっ
て、名前も知らない町の寂れた銭湯に連れ
て行ってもらったんだ」
涼香「うん」
整太郎「そこはテレビも大音量で流れてるし、
背中にでっかい入れ墨のある人たちがそれ
よりも大きな声で話してたりしたんだ」
涼香「うん」
整太郎「何故だかわからないけどな、そこで
逃げてから初めて、泣いたんだ……どうし
てか涙が止まらなくなったんだ。そしたら、
入れ墨の兄ちゃんが心配してくれて、サウ
ナあがりにコーヒー牛乳くれたんだよ。あ
の時の甘ったるい味が……忘れられなくて
な」
涼香「……そっか」
整太郎「それからサウナに入ると涙が止まら
なくなる時があって、その時いつも浮かぶ
のは……ここだった」
涼香「……ここ、ね」
整太郎「そうだ! かほりの顔でも、涼香の
顔でもなかった! ここなんだ! このサ
ウナストーンと! 温度計と! ヒノキの
香りだ! それが自分でも恐ろしくなっ
た! 俺は家族を愛していた! 愛してい
たはずなのに……」
涼香「……来てくれてありがとう」
整太郎「……恨んでるだろ?」
涼香「まぁね。でもちょっとわかったかもし
れない」
整太郎「えっ……」
涼香「この身を全部捧げてでも、全力で何か
に熱中したくなること。そしてそれを見つ
けられる人生は幸せってこと」
整太郎「でも俺は……そのせいで……」
涼香「だからね、恨んでるし、怒ってるよ。
めちゃくちゃ怒ってるよ。でもね……忘れ
ないよ」
整太郎「涼香……(嗚咽を漏らす)」
涼香「泣くな! 泣いたらととのえないでし
ょ!」
整太郎「はい!」
涼香「(泣くのを堪えながら)タオル振れ、
何は無くともタオル振れ!」
整太郎「はい! 熱波を……お願いします!」
涼香「……かしこまりました!」

   タオルが勢いよく振られる。
   涼香の息遣いだけが響く。

整太郎「……ととのったぁぁぁああ!」

整太郎の声がエコーし、次第に消えてい
く。
サウナストーンに水が滴り、ジュッと鳴
り響く音。
  テーマ曲、鳴り出す。

涼香「これで私のドラマは終わります! 本
日はスパ風祭にお越しいただき、厚く御礼
申し上げます! またのご来場、お待ちし
ております!」
                   完

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