毒虫 舞台

江戸川乱歩の「芋虫」とグレゴール・ザムザの「変身」、その二つで描かれた「虫」 主人公の江戸川は、上手く行かない自分の人生とその虫を重ねて見る。もがきながらもどかしい日々の中で、彼が行きつく先は――
髙尾 大樹 9 0 0 05/21
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第一稿

江戸川
カフカ 他ケンヤク
芥川 他ケンヤク
太宰 他ケンヤク


芥川 みなさんは江戸川乱歩という作家をご存知でしょうか。
大正から昭和にかけて活躍した作家で有名な ...続きを読む
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江戸川
カフカ 他ケンヤク
芥川 他ケンヤク
太宰 他ケンヤク


芥川 みなさんは江戸川乱歩という作家をご存知でしょうか。
大正から昭和にかけて活躍した作家で有名なのは「怪人二十面相」。
明智小五郎を生み出した男と言えば分かりやすいでしょうか。
そんな彼が描いた一つの作品、「芋虫」。戦争により四肢と声とを失った男須永とその妻の物語である。
献身的に介護する妻、などではなく自分の欲望、欲求を満たすために夫を虐げる妻の物語である。
実はこのお話、当初は編集者の意向により「悪夢」という名前で世に出されました。その後乱歩の意志により元の「芋虫」に戻されたという経緯があります。
これからみなさんの前で演じさせていただくのは、そんな「悪夢」の物語。

舞台は夏。江戸川が本を読んでいる。
けたたましく蝉の声が響き、見ている側も汗をかきそうなぐらいに暑い。
何度か汗をぬぐう仕草を行う江戸川、そこに太宰が忍び寄る。

太宰 江戸川くん。
江戸川 ぬわぁぁぁ!
太宰 そんな驚くことないじゃない。
江戸川 驚きますよ、何なんですかいきなり。
太宰 ごめんごめん。何読んでるのかなって。
江戸川 あぁ、乱歩の「芋虫」です。
太宰 芋虫、いいよね。
江戸川 先輩も読んだことあるんですね!
太宰 どうしようもないくらい好きなんだってところがいいよね。
江戸川 どうしようもないくらい好き。はぁ…。
太宰 どうかした?
江戸川 先輩はそう読み解くんだなぁって。
太宰 江戸川くんはどう読んだの?
江戸川 いや、実はまだ分からなくて。
太宰 分からない?
江戸川 夫は何を思ってたんだろうって。それを考えるのがこの作品の肝なんでしょうけど。分からなくて。
太宰 なるほどね。考えて読み直してたんだ。
江戸川 そうなんです。色々考えたんですけど、ピンと来なくて。
太宰 例えば?
江戸川 例えば? うーん。なんか、ただ生きてるって風に見えるんですよ。
太宰 ただ生きてる?
江戸川 希望も絶望もない感じ?
太宰 希望って?
江戸川 こうしてやるーとか、こうなってやるーとかの、夢がないように感じるんです。
太宰 なるほどね。
江戸川 何のために生きてるんだろう。とか考えないのかな。
芥川 いい疑問だ!
太宰 先輩!
カフカ 実に現代的だ。
江戸川 部長!
カフカ やぁやぁ元気そうで何よりだ。
江戸川 部長、現代的って?
カフカ 何のために生きているのか? 何を為すために生まれてきたのか? とても最近の考えだ。
江戸川 つまり?
カフカ 「神の死」という言葉は知っているかい?
芥川 聞いたことはある! 詳しくは知らん!
江戸川 同じくです。
カフカ おーけー! 君たちはジャンケン三兄弟だ!
江戸川 ジャンケン三兄弟!?
カフカ そして君はその中のハサミだ! ハサミちゃん!
太宰 はい! ハサミです!
カフカ 君は誰に作られた?
太宰 人です!
カフカ そう、人に作られた。何の目的で?
太宰 何かを切るために。
カフカ そう、何かを切るために作られた。古代エジプトで既に使われていた形跡があるらしい。続いて君! 君は紙だ!
芥川 おう! 紙だ!
カフカ 君は誰に作られた?
芥川 人!
カフカ そう、人に作られた! 何のために!
芥川 文字を書くために!
カフカ そう、文字を書いて記録するために。同じく古代エジプトではパピルス紙という原始の紙が使われていた。続いて君! 君は石だ!
江戸川 はい! 石です!
カフカ 君は誰に作られた?
江戸川 誰? か、神様?
カフカ そう、神様によって作られた。何のために!
江戸川 な、何のためでしょう?
カフカ 何のため?
江戸川 分かりません。
カフカ そう、ハサミや紙は目的があって作られたが、石には目的が分からない。逆に言えば作られたものには目的がある。
江戸川 仲間外れみたいだ。
カフカ 君は作られてないんじゃないか?
江戸川 へ?
カフカ 神様なんてものはいなくて、君を作ってないから、目的がないんじゃないか?
江戸川 ……。
カフカ これが「神の死」だ。神亡き世界で、僕らは何のために生きているんだろうな。
江戸川 ハサミに。
カフカ ん?
江戸川 ハサミに勝つために存在してます。
太宰 じゃんけんで?
江戸川 はい。
太宰 石が?
江戸川 はい。
芥川 ははははははは、なるほどなぁ。嫌いじゃないぞその考え。
カフカ そう言えば、何を読んでいたんだ?
江戸川 あぁ、乱歩の芋虫です。
カフカ 芋虫か。なるほどな。
江戸川 部長も読まれたんですか?
カフカ 読んだよ。なかなかに面白かった。同じ虫でも、こんなに違うものかとね。
江戸川 同じ虫?
カフカ カフカの変身という作品は読んだかね?
江戸川 いえ。なんとなく中身は知ってますけど。
カフカ 青年、グレゴール・ザムザは、ある朝目が覚めると、毒虫へと変身していた。
軍人、須永中尉は、戦争の傷跡により、四肢と耳を失った芋虫になっていた。
ザムザの家の家計は厳しく、ザムザの稼ぎがなくなった今、先細りしていく運命にあった。
須永の家は、少将殿の援助により、先を心配する必要はなかった。
ザムザは慕ってくれていた妹にも愛想を尽かされ、両親は自分を疎むようになっていた。
須永は歪んでいるとは言え、妻に愛され献身的に介護された。
ザムザは最期の瞬間まで家族のことを思い希望を抱いて死んだ。
須永は何も語らず、諦めるように「ユルシタ」という言葉を残して絶望のまま自殺した。
こんなにも違う、同じように厄介者の虫になった二人ですら、こんなに違うんだ。だが、同じところもあった。

互いに心中を語り始める。交わらないそれら。

太宰 父は働き始めたらしい。体が弱いのに。妹のグレーテのヴァイオリンの音が聞こえない。大丈夫だろうか。いつになったら戻れるんだろうか。あぁ、腐ったものがこんなにおいしいとは! やめろ! 僕の部屋を変えないでくれ! 人であったことを、忘れてしまう!! 背中に埋まった林檎が痛む。俺が、腐ってるのか? ヴァイオリンだ! グレーテ! グレーテ! 俺はどうなっちまうんだろうな。
芥川 鉛筆をくれ。あぁ、もどかしいな、これしか方法がないなんて。おい、新聞を持ってこい。勲章を持ってこい。そうだ、この傷は名誉だ。少将も誉めてくださった。この痛みも喪失も不自由も全部全部名誉だ。食い物は味がしやがらねぇ。でも、戦場ですすった泥よりかはましだな。おい、抱かせろ。いいだろう。おい! うあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!! 目が!! 目が!! 「ユルシテ」? そうかそうか。そうか。

 ふとピタリと合わさる。

芥川・太宰 何のために、生きてるんだろうな。
江戸川 何のために生きるのか。
カフカ 結局同じ疑問に行き着いたな。
江戸川 あんまり考えたくないですね。
芥川 なんでだよ。
江戸川 というか、考える状態になりたくない感じですかね?
カフカ ふむ。
江戸川 この世の中で、戦争で四肢を失うとか、朝目覚めたら毒虫になってたとかないじゃないですか?
芥川 少なくとも日本では戦争は縁遠いかもな。
江戸川 だから、そんなこと考えずに忙しく普通に満ち足りた生活がしたいなって!
カフカ 「」
芥川 なるほど。
太宰 それは面白いですね。
江戸川 え? なんて言いました?
カフカ なんだ聞いてなかったのか。いいか? 「」だ。
江戸川 え?
カフカ おいちゃんとしろ。学生気分じゃいけないぞ。
江戸川 いいじゃないですか。まだまだまだまだ学生なんですから。
カフカ 学生気分じゃいけないぞ!

 途端に舞台はオフィスに。

江戸川 ふぇ? あん、はい!
芥川 江戸川! 資料できたか?!
江戸川 はいぃ、ここに!
太宰 江戸川くん、頼んでた件は?
江戸川 なんとか片付いてますよ!
カフカ 江戸川くん。ここ、ミスってるよ。
江戸川 平にご容赦を!
カフカ 平にご容赦を、じゃないんだよ!
芥川 疲れたねぇ。
太宰 疲れましたねぇ。
芥川 おや? もう定時じゃないか! 今日は僕は定時上がりの男にならせてもらおう!
太宰 課長、待ってください!

芥川はそのままハケてしまう。

江戸川 あの、先輩!
太宰 なに。
江戸川 はぁん、冷たいぃ。いや、その、楽しんできてください。
太宰 ありがと。
江戸川 って、ちょっと待ったぁ! 課長、既婚者でしょ! 左の手の薬の指にキラリと輝きが…。

 芥川が、わざとらしく大きい指輪をつけて出てくる。

江戸川 そこまでじゃなかったけども! いやでも不倫は…
太宰 恋愛が対等じゃなきゃダメって、誰が決めたの?
江戸川 え? …誰がって……、(太宰ハケる)楽しんでおいで~。
カフカ 毒だな。
江戸川 え?
カフカ 毒だよ。刺激的なだけの毒。
江戸川 毒だって分かってるなら、飲まなきゃいいじゃないですか!
カフカ 甘い毒なら、舐めてみたくもなるだろう。
江戸川 …。
カフカ それよりも、毒より魅力がない自分を省みたまえ。
江戸川 !!
カフカ ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。
江戸川 夜、夢を見た。這いつくばることしかできない毒虫になる夢。似ていると思った。実際似ていた。
芥川 江戸川! 資料はできたか!!
太宰 江戸川くん、頼んでた件は?
カフカ 江戸川くん、ここミスってるよ。
江戸川 社会の鎖にガンジガラメに囚われている僕は毒虫に酷く似ていた。いや、毒虫そのままであった。ただただ這いずり回り口先に加えた鉛筆でしか意志を伝えられない、毒虫だった。
芥川 江戸川! 資料はできたか!!
太宰 江戸川くん、頼んでた件は?
カフカ 江戸川くん、ここミスってるよ。
江戸川 平にご容赦を!
カフカ 平にご容赦を、じゃないんだよ!
江戸川 平にご容赦を!
カフカ 平にご容赦を、じゃないんだよ!
江戸川 平にご容赦を!
太宰 食べな。毒虫。
江戸川 ……。
太宰 食べな。
江戸川 ……。
太宰 美味しいの、それ?
江戸川 ……(うなづく)
太宰 ふぅん。
カフカ 太宰くんは本当によくできた人だ!
太宰 いやぁ、それほどでも。
カフカ 嫌な顔一つせずに業務をこなす! 素晴らしいね。
太宰 嫌なことだと思ってないので。
カフカ このままでは僕は抜かれてしまうかな? 次期社長も夢じゃないかもな。
太宰 本当ですか?
カフカ え?
太宰 本当ですか?
カフカ いや、あり得るって話でね。あー、でも、今までに女性社長ってうちはいなかったし……。
芥川 太宰は優秀だな。
太宰 そうですかね。
芥川 あ?
太宰 出世は見込めないですよ。
芥川 なんでだよ。
太宰 女性ですから。
芥川 なんかあったか?
太宰 いえ、何も。
芥川 何を幸せとするかだな。
太宰 何を幸せとするか?
芥川 社長にでもなって仕事で成功することか、あるいは結婚して子供を設けることか、そもそも生きてるだけでどんなに最低な日々でもハッピー、なやつもいる。太宰。お前が何をもって幸せとするかは分からないが、俺は全力で応援してやる。力になってやる。
太宰 課長……。
芥川 疲れたねぇ。
太宰 疲れましたねぇ。
芥川 おや? もう定時じゃないか! 今日は僕は定時上がりの男にならせてもらおう!
太宰 課長、待ってください!

 江戸川は先輩を止められず、ただもがくだけ。もぞもぞと足掻くだけ。

カフカ 江戸川くん、ここミスってるよ。ミスってるよ。ミスってるよ。平にご容赦を、じゃないんだよ!
江戸川 あぁあああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!

 そこは、夢から覚めた現実。

江戸川 夢だった。いや、どこからが夢で、どこまで現実か分からない悪夢であった。嫌な汗が身体中に吹き出し、鳥肌が立っていた。思わず左腕を掻いた。左腕があった。右腕も、左足も、右足も、目は見えているし、音は聞こえている。……背中に林檎も、刺さっていない。
芥川 うるさいぞ!
江戸川 ごめん父さん。
太宰 何かあったの?
江戸川 いや、何も。……まだ月の見える真夜中だった。

舞台は飲み会。

カフカ 江戸川くん。
江戸川 んー? 部長?
カフカ もう店出るよ。
江戸川 あれ、寝てました?
カフカ 最初から寝てたよ。疲れてるのか?
江戸川 夜中眠れなくて。
カフカ そうなのか。
江戸川 ちょっと風に当たってきますね。
カフカ ああ。
芥川 もう帰ろうかな。
太宰 え? 二次会来られないんですか?
芥川 これでも妻子持ちだからね。
太宰 ……。
芥川 ちょっと疲れちまったんだよ。
太宰 …私も帰ります。
芥川 はぁ?
太宰 帰ります。
芥川 お前の出世祝いの飲み会だぞ!? 主役が帰っていいわけないだろ!
太宰 …。
江戸川 …。
カフカ みんな二次会の話もいいけどさぁ、グラスくらいまとめようね! あっ、これまだ入ってるじゃないか。
江戸川 …。
カフカ お、江戸川くん手伝ってくれるか。
江戸川 これ、残ってるんですか?
カフカ みたいだね。
江戸川 いただきます。
カフカ え?

 一気に飲み干す。
 ここでダンスかなぁ、と。もしくは音楽に合わせて動きだけかな、と。二次会はカラオケで、その中でも思いを伝えたかったり、言えなかったり悶々としている。
 そして帰り道。二人きりの帰り道、別れの瞬間。

江戸川 ああああぁぁぁぁぁぁ、ちょっと待ったぁぁぁぁ!!
太宰 ……?
江戸川 課長は、先輩だけじゃないですよ。色んな人に声をかけてます。それでいいんですか、いいんですか先輩。先輩! 僕じゃダメですか。好きなんです。ずっと前から。好きなんです。
太宰 もっと。
江戸川 え?
太宰 もっと。
江戸川 もっとぉ!?
太宰 そう、もっと。
江戸川 好きです。大好きなんです。
太宰 足りない。
江戸川 足りない?! あ、愛してます。大切にしてみせます!
太宰 もう一息。
江戸川 セフレだって構いません! 都合のいい男でいいんです!!
太宰 恋愛って、対等じゃなきゃダメだと思うの。
江戸川 矛盾してますよ。
太宰 行かなくちゃいけないところあるから。またね。
江戸川 課長のところですか、という言葉を僕は飲み込んだ。言えばそれは本当になってしまう気がしたから。いや、既に分かっていることなのに、分かってないフリをする僕の弱虫だったのかもしれない。どちらにしろ、僕はその言葉を飲み込んだし、ただ黙って、先輩の後ろ姿を見続けることしかできなかった。木枯らしが吹いた。何かの終わりを告げるような、寂しげな秋風が、僕を包んでいた。

 舞台は再びオフィス。

江戸川 課長、資料できてますよ! 先輩、頼まれてた件も終わりましたよ! どうですか! できる後輩を持ててさぞ嬉しかろう嬉しかろう、そうだろうそうだろう! って二人ともおらんやないかーい! 何でいないんだよー!
カフカ 連絡ないんだよ。
江戸川 無断欠勤とは、社会人としての自覚がありませんね! 学生気分じゃいけないんですよ!
カフカ はい、もしもし。
江戸川 今更連絡? もうお昼になりかけだってのに。お昼何食べようかなぁ。あっ、何て理由でした?
カフカ 亡くなった。
江戸川 は?
カフカ 二人とも、亡くなったって。
江戸川 …へ?

 事件のあらましへ。

太宰 真夜中。私が帰ると、あの人は眠っていた。
江戸川 やっぱり、課長のとこじゃないですか。
太宰 ……(江戸川を睨む。そして、手を振り上げ、芥川の肩へ振り下ろす)
江戸川 !(振り下ろす瞬間目をそらす)
芥川 ああああああああああああ!!!!? おい、どうなってるんだ!!
太宰 待ってて。
芥川 何してるんだお前は!!
太宰 少し、待ってて。(凶器に体重をかけたり、切り落としやすいように相手を押さえつけたりしながら切る)
芥川 あっあっ、あああああぁぁぁぁ…!!

 再びオフィス。

カフカ そんで手足全部切っちゃったんだって。
芥川 嘘ー!
太宰 怖ーい!
芥川 やっだー、気分悪くなってきちゃった。
カフカ 大丈夫ー?
芥川 大丈夫大丈夫、ありがと。
太宰 ってか課長結婚してたよね。
カフカ してた。
芥川 うそっ、不倫?
カフカ 不倫不倫。
太宰 その上、愛人の家に転がり込んでたんだ。
カフカ 殺されても仕方ないよね。
芥川 愛憎の果てに?
太宰 そうそう、女子怖いから。
カフカ でも、手足切断はやばすぎだよね。
芥川 おえっ。
太宰 大丈夫?
芥川 ちょっと無理かも。
カフカ あっ、そう言えば私クッキー持ってきたよ。
芥川 クッキー?! ちょっとどこ? どこ? どこにあるのよー?
江戸川 殺人事件の加害者と被害者は対等になり得るだろうか?
芥川 …え?
江戸川 殺した側と殺された側は対等になれるのだろうか?
カフカ 何、言ってるの?
江戸川 いやそもそもこの加害者と被害者は逆転していた。この恋愛事件においては彼女は被害者であり、彼は加害者であった。少なくとも彼女にとってはそうだった。
カフカ ……意味分かんない。
江戸川 恨みなんか、そんなちんけなものなんかじゃなかった。

 太宰以外ハケる。

江戸川 君は。君はどう思う?
太宰 どうしようもないくらい好きなんだってところがいいよね。
江戸川 ! その…。

 太宰もハケる。
 代わってカフカが入ってくる。

カフカ 江戸川くん。
江戸川 先輩はただ対等になりたかっただけなんです。
カフカ 江戸川くん。
江戸川 そのために、手足の一本二本三本四ほーん! ぐらい当然ですよね!
カフカ 江戸川くん!
江戸川 …はい。
カフカ あんな事件からもう三ヶ月。
江戸川 三ヶ月ぅ!?
カフカ いい加減に社内の空気も変えなきゃいけないんだよ。
江戸川 はい。
カフカ そうやって引きずっていられると困るんだよ。
江戸川 引きずってるわけじゃなくて…。
カフカ やめてくれないか。
江戸川 は?
カフカ やめてくれないか。みんな気味悪がってるんだ。対等だの何だの。どうでもいいんだよ。みんな忘れたいんだよ。あんなの。社内不倫の末に殺人事件? 最悪だよ。
江戸川 先輩は、殺したかったわけじゃなかったと思います。
カフカ もういいんだよ、そういうの。江戸川くん。辞めてくれ。会社、辞めてくれ。
江戸川 え?
カフカ うちにいらないんだよ。君は。
江戸川 待ってください。そんな急に。
カフカ 君にとっては急でもこっちは三ヶ月も待ったんだよ。
江戸川 え? でも。
カフカ でもじゃないんだ。みんなの士気が下がる一方なんだよ。
江戸川 …………何のために。何のために必死こいて働いてきたんですか! 僕は!! 満員電車に乗って、へとへとに疲れはてて、何もかも上手くいかねぇなってなりながら! 何のために!!! 何のために!!!!
カフカ 知らないよ!!! …これが「神の死」だ。神亡き世界で、僕らは何のために生きてるんだろうな。
江戸川 !
カフカ 何のために、なんて誰も興味ないんだよ。道端の石と同じなんだよ。
江戸川 …やめてください。石ころなんかで終わりたくない。
カフカ もう無理なんだよ。決定したことなんだ。
江戸川 ハサミ。ハサミになりたいんです僕。
カフカ は?
江戸川 使われたいんです! 使われたいんですよ!!
カフカ 意味が分からない。休め。
江戸川 …………いいですよ。ハサミに勝てるんですよ、石。

 場面変わって家の前。

江戸川 先輩は手足切り落とす以外に興味がなかった。命なんて奪う気なかった。対等になりたかっただけ。だから自殺したんだ。奪いすぎたから。奪ってしまったから、対等にするために。その毒虫ですら、課長ですら切られなかった首を、切られちゃいましたよ。やばいね。やーばーいーねーーーー。ただいま。
芥川 おい、お茶を持ってこい。
江戸川 あれ? 確か切れてなかったっけ?
芥川 作ってこい。
江戸川 うん、分かったよ。

 ヤカンを火にかけてくる。

太宰 結婚はしないの?
江戸川 結婚?
太宰 いい人いないの?
江戸川 恋愛はしばらくいいかな。
太宰 じゃああんたが一生私たちを見てくの? 仕事しながら? 無理よ。ヘルパーなんて嫌よ。気の知れない人たちなんか。
芥川 お前に甲斐性や頼りがいがないからいけないんだ。もっと男らしく育てればよかったな。女の一人ぐらい…

 ヤカンが沸くのとシンクロするように、江戸川にも限界が訪れる。
 舞台袖からヤカンを持ってきてそのまま口に突っ込み芥川に飲ませる。鼻と口を塞いで。
 無論、死ぬ。
 もう一方にも同じように飲ませて殺す。

江戸川 何してるの。溢しちゃってるよ。

 限界が訪れた江戸川の前に写るのは、あの学生時代。

太宰 父は働き始めたらしい。体が弱いのに。妹のグレーテのヴァイオリンの音が聞こえない。大丈夫だろうか。いつになったら戻れるんだろうか。あぁ、腐ったものがこんなにおいしいとは! やめろ! 僕の部屋を変えないでくれ! 人であったことを、忘れてしまう!! 背中に埋まった林檎が痛む。俺が、腐ってるのか? ヴァイオリンだ! グレーテ! グレーテ! 俺はどうなっちまうんだろうな。
芥川 鉛筆をくれ。あぁ、もどかしいな、これしか方法がないなんて。おい、新聞を持ってこい。勲章を持ってこい。そうだ、この傷は名誉だ。少将も誉めてくださった。この痛みも喪失も不自由も全部全部名誉だ。食い物は味がしやがらねぇ。でも、戦場ですすった泥よりかはましだな。おい、抱かせろ。いいだろう。おい! うあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!! 目が!! 目が!! 「ユルシテ」? そうかそうか。そうか。

 ふとピタリと合わさる。

芥川・太宰 何のために、生きてるんだろうな。
江戸川 何のために、生きるのか。

中に入るための扉を探すが、見つからない。

カフカ 結局同じ疑問に行き着いたな。
江戸川 あんまり考えたくないですね!
芥川 なんでだよ。
江戸川 というか、考える状態になりたくない感じですかね?!
カフカ ふむ。
江戸川 この世の中で、戦争で四肢を失うとか、朝目覚めたら毒虫になってたとかないじゃないですか?!
太宰 少なくとも日本では戦争は縁遠いかもな。
江戸川 だから、そんなこと考えずに忙しく普通に満ち足りた生活がしたいなって!

 やっと見つけ、開けて入る。
 しかしそこは、風の吹き荒れる屋上の金網の外。

江戸川 えっ。そうか。そうなのか。寒い。もう、冬か。……いいよな、もう。頑張ったもんな。

 息を飲んで、飛び降りる江戸川。

カフカ 自分が毒虫になるんじゃなくて、毒虫の見ている夢が自分だとしたら?
太宰 起きろ。……なんだそんな顔して。いい夢でも見てたか? …食べな。毒虫。

 がっついて食べる江戸川。がっつきすぎて喉につまらせる。
 すると太宰が、ヤカンで水を飲ませてくれる。
 耳元で囁くように、体に文字を描く。
 叫びにも似た食事。がっついて食べる江戸川。

 終。

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