Cafe 750 ドラマ

40年間タクシードライバーとして真面目に勤務してきた藤村は、定年後に妻の美桜との約束だったカフェを開こうとする。しかし、美桜は約束を忘れていた。藤村は落胆するが、1人、カフェオープンに向けて動き出す。ところが、美桜が山で遭難したことをきっかけに、夫婦の歯車は大きく狂い出す……。 第40回シナリオS1グランプリ 3次通過作品です。 2時間もの テレビドラマ用脚本
桐乃さち 396 1 0 11/02
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第一稿

登場人物

藤村秀平(60) 元タクシー運転手
三木麗子(38) Cafe Treeオーナー
藤村美桜(58) 藤村の妻
藤村徹也(28) 藤村の息子

三木和久(4 ...続きを読む
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登場人物

藤村秀平(60) 元タクシー運転手
三木麗子(38) Cafe Treeオーナー
藤村美桜(58) 藤村の妻
藤村徹也(28) 藤村の息子

三木和久(40) 無職
鈴木聡美(23) Cafe Tree従業員
日吉隆久(40) 陶芸家
花村和江(54) 主婦

東南タクシーの社員達
Cafe Treeの従業員達
病院の医師
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〇首都高4号線 路上(朝)

   車が行きかっている。高層ビルが立ち並んでいる。朝日がビルを赤く染めている。
   都庁に朝日が反射している。オレンジ色のタクシーが走っている。

〇同 タクシー車内(朝)

   藤村秀平(60)、微笑を浮かべてハンドルを握っている。
   藤村、バックミラーでちらっと後ろを見る。
   後部座席には、三木麗子(38)がぐったりと座っている。
   麗子の横には、袋に入ったフランスパンが何本も置いてある。

藤村「いい香りですねぇ」

   麗子、フランスパンをチラッと見る。

麗子「あぁ」

藤村「朝からお買い物ですか」

麗子「別に私が食べる訳じゃありませんよ」

   麗子、不機嫌そうに眉を寄せて、目をつぶる。

麗子「少し寝ます。着いたら起こしてください」

   藤村、肩をすくめる。朝日が藤村の握るハンドルも照らし始める。
   藤村、シフトレバーを操作して、スムーズに車線変更をする。

〇表参道 路上(朝)

   街路樹は紅葉している。路肩に路上駐車された車が並んでいる。
   藤村の運転するタクシーが、スムーズに縦列駐車をする。

〇同 タクシー車内(朝)

   藤村、サイドブレーキを引く。藤村、後部座席を振り向く。
   麗子が目をつぶってだらしない格好で寝ている。

藤村「お客さん、着きました」

   麗子、半目を開けて体を起こす。麗子、窓に頭をぶつける。

藤村「ここで大丈夫ですか?」 

麗子「あぁ、はい。おいくらですか」

藤村「3650円です」

   麗子、シートベルトを外す。麗子、バッグに手を入れる。
   麗子、手を動かして、目を見開く。麗子、トレンチコートのポケットにも手を入れる。

麗子「えっ、あれ?」

   藤村、麗子を見つめている。

藤村「もしかして、お財布、お忘れとか?」

   麗子、頭をかきむしる。

麗子「いえ、大丈夫です。確かここに、クレジットカードが…」

   麗子、バッグの内ポケットや外ポケットも開ける。麗子、瞬きをする。

麗子「えー、無い。どうして?」

藤村「誰かに借りて来られたらどうですか?」

   麗子、腕時計を見つめる。時計は6時を示している。麗子、がっかりと肩を落とす。

麗子「だめ。まだ誰も出勤してない」
   
   麗子、大きなため息をつく。

麗子「申し訳ないけど、元の場所に戻っていただけませんか?」

藤村「えっ、初台まで?」

麗子「家に帰れば、お金ありますから」

   麗子、再びシートベルトを着用する。
   藤村、ハンドルを握る。藤村、バックミラーで麗子を見つめる。
   麗子、がっくりと肩を落としている。

藤村「あの、いいですよ、お金」

麗子「え?」 

藤村「とりあえず私が立て替えておきますから」

   麗子、迷うように藤村を見つめる。

麗子「そんな訳にはいかないです」

藤村「戻ると、お金も時間も倍かかっちゃうし。もったいないでしょ、そんなの」

   藤村、笑って見せる。麗子、手を口に当てて藤村を見つめる。

麗子「だけど…」

藤村「大丈夫ですから。何か連絡先をいただければ、それで」

   麗子、ため息をついてシートベルトを外す。

麗子「じゃあ、お言葉に甘えて…」

   バッグから名刺を取り出して藤村に渡す。藤村、名刺を受け取る。
   名刺には「Cafe Tree オーナー 三木麗子」と書かれている。
   藤村、目を見開いて名刺を見つめる。

藤村「喫茶店の方だったんですか!」

   麗子、窓の外を指差す。

麗子「ここの横道を入った所にある店なんです」

藤村「へぇ、喫茶店ですか。ふうん!なるほどねぇ」

   藤村、何度も頷く。藤村、名刺を裏返したりしてじっくりと見ている。

麗子「あの、ありがとうございます。じゃあ、必ずご連絡してお支払いしますから。
 そちらも、お名刺いただけますか?」

   藤村、名刺を麗子に渡す。

藤村「いつでも結構ですよ」

   名刺には「東南タクシー 藤村秀平」と書かれている。麗子、名刺をバッグに仕舞う。
   麗子、軽く会釈をして、タクシーの外に出る。
   麗子、重そうにフランスパンを抱えている。

藤村「ありがとうございました」

   藤村、笑顔になる。藤村、麗子の名刺を丁寧に財布に仕舞う。
   藤村、口笛を吹いて車を発進させる。

〇レインボーブリッジ(朝)

   藤村のタクシーが走っている。

〇同 タクシー車内(朝)

   藤村、ハンドルを握りながら東京湾を眺める。遠くに東京タワーが見える。
   藤村、笑顔になる。

〇東南タクシー 営業所 入口

   「東南タクシー 営業所」と書かれた看板。雨だれの目立つ古い事務所を中心に、
   数百台のオレンジ色のタクシーが停まっている。藤村のタクシーが入って来る。

〇同 洗車場

   藤村、泡のついたスポンジで、丁寧にタクシーを洗っている。
   藤村、ミラーの隅まで、丁寧に磨いている。藤村、蛇口をひねって水を出す。
   ホースが跳ねて、藤村に水がかかる。

藤村「わっと!」

   藤村、ズボンがびしょびしょに濡れている。藤村、ため息をついて、
   車に水をかけ始める。

〇同 営業所内(夕) 

   古い机と椅子が並ぶ、簡素な部屋。従業員が数名、デスクワークをしている。
   藤村、タオルで手を拭きながら部屋に入って来る。
   女性社員が、立ち上がって豪華な花束を藤村に渡す。

女性社員「藤村さん、ご定年、おめでとうございます」

   社員達が全員立ち上がり、拍手をする。藤村、頭をかきながら花束を受け取る。

藤村「ありがとうございます」

   藤村、照れたようにお辞儀をする。

藤村「どうも、40年もお世話になりまして。今日で引退だなんて信じられません。
 定年後は、妻との長年の夢だった喫茶店を開く予定ですので、
 皆さんぜひ遊びに来てください」

社員達、一段と大きく拍手をする。

〇Cafe Tree 外観(夕)

   おしゃれな街並み。「Cafe Tree」と書かれた看板。

〇同 店内(夕)

   店内は観葉植物や、蔦で覆われた、ナチュラルな雰囲気。
   数組の客が、コーヒーを飲みながら談笑している。
   調理カウンターの内側に、エプロンをつけた麗子が立っている。
   麗子、ポットでお湯を注いで、コーヒーを淹れている。
   鈴木聡美(23)が、麗子の側に立っている。

聡美「そのタクシーの運転手さん、いい人ですね」

麗子「そうなの。正直、助かっちゃった」

   麗子、コーヒーを聡美に渡す。

麗子「聡美ちゃん、これ3番にお願い」

聡美「はーい」

   聡美、コーヒーを持って立ち去る。麗子、エプロンのポケットから名刺と
   スマホを取り出す。麗子、スマホを操作して、耳に当てる。発信音。

女性の声「はい、東南タクシーです」

麗子「あ、もしもし、すみません。私、三木と申しますが、藤村さんいらっしゃいますか?」

女性の声「藤村、ですか…」

   麗子、名刺を見て答える。

麗子「藤村秀平さんです。そちらの運転手の」

女性の声「あぁ。藤村でしたら、退職しましたが」

麗子「え?あの、でも今朝、藤村さんのタクシーに乗ったんですけど」

女性の声「今日で定年退職だったんです」

麗子「えっ、そうですか…。私、ちょっと藤村さんにお返ししないといけないものがあって…。
 ご連絡先、教えていただけないでしょうか」

女性の声「申し訳ありませんが、個人情報ですのでお教えできないんです」

   麗子、唖然として名刺を見つめる。

〇藤村の自宅 外観(夜)

   住宅街。古いが、大きな一軒家。「藤村」と書かれた表札。

〇同 玄関中(夜)

   藤村、花束を持って玄関を開ける。革靴が置いてある。藤村、靴を脱いで部屋に上がる。

〇同 台所(夜)

   藤村が部屋に入ると、藤村美桜(58)と藤村徹也(28)が手を背中に回して、
   笑顔で立っている。美桜と徹也が背中から手を出して、クラッカーを鳴らす。

美桜・徹也「お父さん、定年おめでとう!」

   藤村の頭に、クラッカーから出たリボンや紙吹雪が乗る。藤村、笑顔。
   壁には横断幕に手書きで「お父さん 40年間お疲れ様でした」と書かれ、
   手作りの花やリボンが飾られている。
   テーブルには、お寿司やから揚げ、サラダが並んでいる。
   ×    ×    ×
   藤村、徹也が向かい合って座っている。美桜、お味噌汁を並べている。
   徹也が箸を伸ばして寿司を取り、頬張る。
   藤村、ビールを一気に飲み干す。藤村、目をつぶって大きく息を吐き出す。
   徹也、藤村のグラスにビールを注ぐ。

徹也「どう?久しぶりのビールは。美味い?」

藤村「別に美味いってもんじゃないな、これは。記念だ、記念」

   徹也、笑う。美桜も食卓につく。

藤村「徹也、仕事は大丈夫だったのか?」

徹也「この後、また戻らないと」

美桜「えぇ?もう夜じゃないの」

徹也「俺達、零細企業のSEには、朝も夜も関係ないの」

美桜「じゃああんた、いっぱい食べて行きなさい」

   美桜、徹也の皿にから揚げを取り分ける。徹也、嬉しそうにから揚げをかじる。
   徹也、しかめっ面になる。

徹也「何か、いつもと違くない!?」

   藤村もから揚げを食べる。藤村、美桜の顔を見つめる。
   美桜、首をかしげてから揚げを食べる。美桜、しばらく咀嚼してから、
   弾けるように笑いだす。

美桜「やだ、これ。味付けし忘れてる」

徹也「えー、もう。勘弁してよ~」

   徹也、立ち上がって冷蔵庫からマヨネーズを取り出す。

美桜「お母さん、またぼけちゃった」

   徹也、から揚げにマヨネーズをたっぷりかける。

徹也「やだやだ。親が年取るってのは、切ないね。お父さんも、もっと働けば良かったのに。
 まだ働こうと思えば働けたんだろ?」

美桜「そうよ、お父さん、随分引き留められたんだから」

徹也「65までは、年金ももらえないんだろ?生活、大丈夫なの?」

藤村「まぁ、しばらくは。退職金もあるからな」

徹也「へー!タクシー会社って退職金出るんだ」

美桜「そうよ、お父さんは真面目だから、もらえるものは、ちゃんともらえるのよ」

徹也「退職金っていくらぐらい?」

美桜「さぁ?いくら?」

   美桜と徹也、藤村を見つめる。藤村、目を見開いて美桜を見つめる。

藤村「言っただろ」

美桜「え?私に?」

藤村「言ったよ」

美桜「いつ?」

藤村「だから、結婚する時に」

   美桜、口に手を当てて笑い出す。

美桜「やだ、そんなの覚えてないわよ」

   美桜と徹也、顔を見合わせて笑う。

徹也「父さん、これから何するの?」

藤村「それは、なぁ?」

   藤村、眉を上げて美桜を見る。美桜、お寿司を食べながら藤村を見る。

美桜「何するの?」

   藤村、目を見開いて美桜を見つめる。

美桜「私はまだまだ陶芸頑張るわよ!」

徹也「父さんも趣味でも作れば?急にぼけないでくれよ~」

   美桜と徹也、笑っている。藤村、黙ってビールを注いで一気飲みする。

〇同 風呂場(夜)

   藤村、肩まで風呂に浸かっている。藤村、指で壁をこする。

藤村「40年、か」

   足音。風呂場のドアのすりガラスに、足の影が映っている。

美桜の声「バスタオル、ここに置いておきますね」

藤村「あぁ。ありがとう」

   藤村、湯を手ですくって、顔を洗う。

美桜の声「しばらくはゆっくりするんでしょ?」

藤村「あ、いや」

美桜の声「何かあるの?」

藤村「うん。あのさ…」

   藤村、ばしゃばしゃと顔を洗う。

藤村「本当に覚えてないか?ほら…」

   足音が遠ざかって行く。藤村、頭まで湯に浸かって息をぶくぶくと吐き出す。

〇小田急線 車内

   空いている電車。藤村、座って景色を眺めている。
   電光掲示板に「新宿行」と表示されている。

〇表参道 大通り

   高級店が立ち並ぶ通り。藤村、きょろきょろと辺りを見回しながら歩いている。
   藤村、手に名刺を持っている。

〇Cafe Tree 前の道

   藤村、店を見つめている。テラス席に客が座っている。
   中から、エプロンを付けた麗子が出て来る。藤村、目を見開く。
   麗子、テラス席のグラスや皿を片付けている。藤村、麗子に近づく。

〇同 テラス席

   テーブルを拭いている麗子。藤村、麗子に後ろから近づく。

藤村「すみません」

   麗子、振り返る。

麗子「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

藤村「あの、覚えてますか?これ…」

   藤村、「三木麗子」と書かれた名刺を見せる。麗子、藤村を見つめる。

藤村「あの、私タクシーの」

   麗子、目を見開く。

麗子「あぁ!あの時の!」

   藤村、笑顔になる。

〇同 客席

   藤村、ソファ席に座っている。藤村、メニューをじっと見つめている。
   藤村、小さい声でメニューを読んでいる。麗子が、水を持ってやって来る。
   麗子、藤村の前に水を置く。藤村、はっとしてメニューから顔を上げ、麗子を見つめる。

麗子「わざわざ来ていただいちゃってすみません。
 あの後すぐ、いただいた名刺の所に電話したんですけど…」

   藤村、頭をかく。

藤村「私もうっかりしてました。つい、いつもの癖で名刺渡しちゃって」

麗子「あの日が最後のご出勤だったんですね」

藤村「えぇ」

   麗子、エプロンのポケットから封筒を出して藤村に渡す。

麗子「遅くなってすみません」

藤村「はい、確かに」

   藤村、両手で封筒を受け取る。藤村、店内を見渡す。

藤村「良い喫茶店ですね」

麗子「ありがとうございます。あの、お礼と言っては何ですけど、
 今日はご馳走させていただきますから」

藤村「いやいや、お気になさらないで下さい」

麗子「そういう訳にはいきませんから」

   麗子、ペンと注文票を持ち上げて見せる。

藤村「そうですか?じゃあ…」

   藤村、メニューを見つめる。

藤村「この、生ハムのサラダと、フレッシュチーズのタルトフランペ、
 自家製ローストビーフサンドイッチ」

   麗子、手早くメモを取る。

藤村「それと、クレームブリュレパンケーキとカフェラテのホット。
 あと、紅茶も飲んでみようかな。この、ア、ア、アッサムってやつ、ください」

麗子、真顔で藤村を見つめる。藤村、笑顔でメニューを閉じる。

〇同 カウンター内
   
   麗子、生ハムのサラダを作っている。隣で、聡美がチーズを切っている。

聡美「前言撤回します。ずうずうしいおじさん」

   麗子、黙ってサラダを盛りつけている。

聡美「タクシー代より高くつくじゃないですか」

   麗子、眉を持ち上げて見せる。

麗子「しょうがないわ」

   麗子、ソファ席に座っている藤村を見つめる。
   藤村、嬉しそうに頬杖をついて、店内を見回している。

〇同 客席

   藤村のテーブルに、注文した品物が全て並んでいる。藤村、手を合わせる。
   藤村、サラダを一口食べる。藤村、大きく頷く。
   藤村、バッグからノートとペンを取り出し、真剣な表情で何かを書きつけている。
   
   麗子、水の入ったポットを持って、店内を歩いている。藤村、一口食べる毎に、
   ノートに何かを書いている。麗子、首をかしげる。

〇藤村の自宅 台所(夜)
 
   テーブルの上に煮物や焼き魚が並んでいる。藤村、皿にラップをかけている。
   美桜、シンクの前に立って洗い物をしている。

美桜「食べて来るならそう言ってくれないと」

藤村「すまん。あんなに量があると思ってなかったんだ」

美桜「何を食べて来たの?」

藤村「サラダとか、サンドイッチとか、パンケーキとか…」

   美桜、皿を洗う手を止めて吹き出す。

美桜「何それ。部活帰りの女子高生みたい」

   藤村、唇を尖らせて美桜を見つめる。

美桜「やだわ、お父さん。仕事辞めた途端にぶくぶく太ったりして」

   美桜、皿洗いを再開する。

藤村「なぁ、本当に覚えてないのか?」

   美桜、目を見開いて藤村を見つめる。

美桜「何を?」

藤村「俺が定年したら、一緒に喫茶店やろうって言ってただろ」

   藤村、黙って美桜を見つめる。美桜、おかしそうに笑っている。

美桜「何のこと?お父さんが喫茶店?目玉焼きも作れないのに?」

藤村「…結婚する時に、話しただろ?」

美桜「だから、そんなの覚えてないってば」

   美桜、眉を寄せて藤村を見つめる。
   藤村、美桜の横に立って布巾を持つ。

藤村「俺、拭くよ」

   美桜、水でゆすいだ皿を藤村に渡す。藤村、皿を受け取って布巾で拭く。
   藤村、食器棚を開ける。食器棚の一角に、何も入っていない棚がある。
   藤村、目を見開いてその棚を見つめる。藤村、勢いよく美桜を振り返る。

藤村「おい、ここにあったマグカップどうした?」

美桜「マグカップ?」

藤村「ここにあっただろ?お前が作ったやつ」

   美桜、首をかしげる。

藤村「ほら、上手く出来たやつは大事にとってあったじゃないか」

   美桜、何度も頷く。

美桜「あぁ、あれね」

藤村「どうしたんだ?」

美桜「お友達が欲しいって言ってたから、あげちゃった」

藤村「あげた?誰に?」

美桜「誰って、だから、陶芸教室のお友達。花村さんとか、佐藤さんとか。だめだった?」

   藤村、目を漂わせる。

藤村「だめじゃないけど…」

美桜「変なの」

   美桜、濡れた食器を藤村に向かって差し出す。藤村、食器を受け取って拭く。

〇空(夜)

   星が瞬き、満月が光っている。

〇同 寝室(夜)

   和室。障子から、月明かりが入り込んでいる。藤村と美桜、少し離れた布団で、
   それぞれ横になっている。藤村、真上を向いて眉に皺を寄せて目をつぶっている。
   藤村、目を見開いて、天井を見つめる。藤村、瞬きをせずに天井を見つめ続ける。

〇同 玄関(朝)

   藤村、座って靴を履いている。洗濯物を持った美桜が通りかかる。

美桜「あなた、また出かけるの?」

藤村「あぁ、夕方には戻る」

   藤村、出て行く。美桜、首をかしげてその様子を見守る。

〇熱海駅 駅前の広場

   「熱海駅」と書かれた駅舎。藤村、きょろきょろと辺りを見回す。
   藤村、スマホを取り出し、地図アプリを見ながら歩き始める。

〇海 砂浜

   砂浜をヤドカリが歩いている。青い空。海がどこまでも広がっている。カモメの泣き声。

〇同 近くの土地

   海が見える場所に、地面がむき出しの土地がある。
   ロープが張られ、「売地」と書かれた看板が立っている。
   藤村、その土地の側に座って、缶コーヒーを飲んでいる。
   藤村、ぼんやりと海を眺めている。藤村、缶コーヒーをじっと見つめる。

〇藤村の自宅 台所(朝)

   美桜が椅子に座っている。美桜、スマホを耳につけて電話をしている。

美桜「そうなのよ、毎日どこかに出かけて行くの。なんだか変じゃない?」

   廊下を、藤村が通る。美桜、慌ててスマホをテーブルに置く。

〇同 玄関(朝)

   藤村、座って靴を履いている。美桜、台所から顔を出す。

美桜「あなた、また出かけるの?」

藤村「あぁ、ちょっとな。夕飯はいらないよ。行って来ます」

   藤村、ドアを開けて出て行く。美桜、スマホを耳に当てる。

徹也の声「もしもし、もしもし、母さん?」

美桜「やっぱり変よ、お父さん」

   美桜、玄関のドアをじっと見つめる。

〇Cafe Tree テラス席(朝)

   藤村、席に座っている。テーブルにはカフェラテが置いてある。
   カフェラテには繊細な木のラテアートが描かれている。
   藤村、スマホを取り出してラテアートの写真を撮る。違う角度からも、何枚も撮る。

〇同 カウンター内

   麗子と聡美、食器を拭きながら藤村を見つめる。

聡美「もう3日も連続で来てますね」

   麗子、黙って食器を拭いている。

聡美「あの人、もしかして麗子さんのファンかもしれませんよ」

麗子「まさか」

   藤村、店の壁を見てにやにやしている。

〇同 テラス席

   麗子がポットを持って近づいて来る。藤村、笑顔で麗子を見つめる。

藤村「こんにちは」

麗子「いらっしゃいませ」

   麗子、藤村のグラスに水を注ぐ。
   藤村、空を見上げる。空は曇っている。

藤村「ぽつっと、来そうですね」

麗子「今日、雨の予報なんですよね。テラス席、仕舞おうと思うんですけど」

藤村「あ、じゃあお手伝いしますよ。椅子、中に仕舞えばいいですか?」

   麗子、目を見開いて藤村を見つめる。

麗子「お客様にそんなことさせられませんから」

藤村「いいんです、どうせ暇ですから」

麗子「どうぞ、店内にご移動なさって下さい」

   ぽつぽつと雨が降り出す。藤村、顔を顰めて空を見つめる。

藤村「あぁ、降ってきた」

   藤村、椅子を持ち上げる。麗子、藤村を手で制する。

麗子「いいですってば」

藤村「いや、お一人じゃ無理でしょう」

麗子「バイトの子がいますから」

   藤村と麗子、椅子を引っ張り合う。藤村、椅子を麗子から取り上げる。

藤村「いいから!お手伝いしたいんです!」
   
   藤村と麗子、睨み合う。雨が強くなり、藤村と麗子の足元を濡らす。

麗子「あの、そういうことなんですか?」

藤村「そういうことって?」

麗子「ですから、言いにくいんですけど、そのつもりで、私に親切にして下さってるんですか?
 タクシーの時から、ずっと?」

   藤村、目を見開く。藤村、突き放すように、乱暴に椅子を置く。

藤村「違います!私はただ…」

   藤村、テーブルのカフェラテを持ち、一気に飲み干す。
   藤村、ポケットから財布を取り出し、千円札をテーブルに置く。

藤村「私はただ、ここで働きたいと思ってただけです!」

麗子「え!?」

   藤村、足早に店を出て行く。麗子、藤村が見ていた店の壁を見る。
   「バイト募集」と書かれたチラシが張ってある。麗子、千円札を持って、
   店の外に一歩出る。雨に濡れながら、肩を怒らせて歩いている、藤村の後ろ姿。

〇喫茶店ブラーム 店内

   高級な雰囲気の店内。ソファ席が並んでいる。藤村、一人で座っている。
   藤村、ハンカチを取り出して肩についた雫を拭っている。ウェイターがやって来て、
   藤村の前にコーヒーの入ったカップを置く。藤村、スマホを取り出して、
   カップにカメラを向けるが、力なくスマホをテーブルに置く。
   藤村、コーヒーを一口飲んで、ため息をつく。

〇Cafe Tree カウンター内(夜)

   店の電気は半分消えて、客は誰もいない。麗子、お皿を拭いている。
   聡美、隣でマグカップを洗っている。

聡美「麗子さん、そんなに落ち込まないでくださいよ」

麗子「私が神経質になり過ぎてたのよ」

聡美「いやいや、本当にストーカーだったのかもしれませんよ?おじさんストーカー」

   麗子、大きなため息をつく。

麗子「聡美ちゃん、ありがとう。もう上がっていいわよ」

聡美「麗子さん、元気出して下さいね」

   聡美、ガッツポーズをしてから、エプロンを外しながら立ち去る。
   麗子、頭を振って、食器を片付け続ける。

〇同 店内(夜)

   大きな観葉植物。麗子、じょうろで水をかける。
   麗子、ぼんやりと観葉植物の葉っぱを撫でる。麗子、外を見つめる。雨が降っている。
   雨の中に、黒い傘が見える。

〇同 店の前の道(夜)

   藤村、傘を差して店を見上げている。藤村、手に息を吹きかけてこすり合わせている。
   麗子、ドアを開けて外に出て来る。藤村、麗子と目が合い、踵を返してその場を
   立ち去ろうとする。

麗子「待って下さい!」
   
   麗子、傘を差して藤村を追いかける。藤村、立ち止まって振り返る。

麗子「これ、さっきのお釣りです。230円」

   麗子、エプロンのポケットから小銭を出して藤村に渡す。
   藤村、小銭を受け取って、じっと見つめる。

麗子「あの、すみませんでした。失礼なこと言っちゃって」

藤村「いや、こっちこそ…」

麗子「私の勘違いだったんです。藤村さん、再就職先をお探しなんですか?」

藤村「再就職と言うか…」

   藤村、照れたように笑う。

藤村「三木さんのお店は、なんて言うか、落ち着くんです…。
 他のお店にも行ってみたんですけど、やっぱり違うなって」

   藤村、麗子の顔をじっと見つめる。

藤村「実は私、喫茶店を開きたいと思ってるんです」

   麗子、目を見開いて藤村を見つめる。

藤村「この年で何を言ってるんだと思われるでしょうが、昔からの夢なんです」

   藤村、背筋を正して麗子に向き合う。

藤村「このお店で修行させていただきたいんです」

麗子「修行…、ですか」

   麗子、ぽかんと口を開けて藤村を見つめる。藤村、思い切ったように言う。

藤村「このお店がいいんです」

   麗子、俯いて、目を泳がせる。

藤村「やっぱり、だめですかね…」

麗子「私にはお教え出来ることなんてありませんし、それに…」

   足音がする。麗子、足音がする方を見る。
   道の先に、三木和久(40)が傘を差して立っている。三木、じっと麗子を見つめている。

麗子「和久!」

   麗子、傘を捨てて走り出す。

藤村「え!?」

   藤村、咄嗟に傘を拾い、麗子の後を追って走り出す。

〇表参道 裏道(夜)

   三木、全速力で走っている。麗子、後を追って走っている。
   藤村も走って麗子を追いかける。藤村、立ち止まり、看板に手をかけて休憩する。
   藤村、わき腹を押さえて肩で息をしている。藤村、再び走り出す。

〇同 大通り(夜)

   和久、ガードレールを飛び越えて、大通りを横切る。クラクションが鳴らされる。
   麗子もガードレールを超えようとするが、高くて越えられない。藤村、麗子に追いつく。

藤村「三木さん!あっち!」

   藤村、歩道橋を指差す。麗子、歩道橋に向かって走り出す。
   藤村も息切れしながら追いかける。

〇同 歩道橋の上(夜)

   麗子、道路を見下ろす。藤村も追いつく。藤村、肩で息をしている。

麗子「いない…」

   麗子、辺りを見渡す。麗子、大きくため息をつく。藤村、麗子に傘を差し出す。

藤村「三木さん、あれ、誰ですか?」

   麗子、傘を受け取る。

麗子「夫です」

   麗子、藤村から目を逸らす。藤村、唖然として麗子を見つめる。

〇Cafe Tree 店内(夜)

   薄暗い店内。藤村、ぐったりと椅子に腰掛けている。麗子、氷の入った水を持って来る。
   藤村、麗子から水を受け取る。藤村、一気に水を飲み干す。

麗子「みっともない所、お見せしちゃって…」

藤村「いや、あはは」

   麗子、観葉植物を見つめている。

麗子「夫は半年前に出て行ったんです。それ以来、時々ああして店を見に来るんです」

藤村「何があったんですか?」

   麗子、腕組みをしてじっと観葉植物を睨んでいる。

藤村「もしかして、その、浮気とか…」

   麗子、じろっと藤村を睨む。

藤村「なんちゃって、あはは…」

   麗子、再び観葉植物を睨みつける。

藤村「なんにせよ、お店の近くまで来るってことは反省してるってことだと思いますよ」

麗子「浮気のことはもういいんです」

藤村「はぁ…」

麗子「私が悔しいのは、あの人が店を投げ出したことなんです。ここは元々、
 夫がやり始めた店なのに…」

   藤村、俯いて空のコップを見つめる。

麗子「私は早く離婚して、店も閉めたいんです」

藤村「えっ、お店、閉めちゃうんですか」

麗子「はい。ですから、うちは藤村さんの修行先としては、ふさわしくないと思います」

   麗子、観葉植物を見ている。藤村、麗子を見つめる。藤村、腕組みをしてうなる。
   藤村、テーブルに手をついて、勢いよく立ち上がる。
   麗子、目を見開いて藤村を見つめる。藤村、何か言おうと口を開く。
   藤村、何も言わずに力なく椅子に座る。藤村、再び勢い良く立ち上がる。

藤村「じゃあ、こうしませんか?私は三木さんの旦那さんを探すのを手伝います。
 その代わり、三木さんは私に喫茶店のノウハウを教えて下さい」

   麗子、目を白黒させて藤村を見つめる。

麗子「探すって、どうやって?」

   藤村、腕で力こぶを作って見せる。

藤村「私は、タクシー運転歴40年ですよ。この辺の道には、誰よりも詳しいんです」

   麗子、ぽかんとして藤村を見つめる。

藤村「それで、私は明日、何時に来たらいいでしょうか。6時?7時?」

麗子「あ、いえ。そんな早くじゃなくても…」

   藤村、麗子をじっと見つめる。

麗子「じゃあ、9時で」

藤村「分かりました!じゃあ、今日は失礼します。また明日。おやすみなさい」

麗子「…おやすみなさい」

   藤村、店を出て行く。麗子、脱力して椅子に座り込む。

〇表参道 道(夜)

   藤村、笑顔でスキップして歩いている。藤村、助走を付けて水たまりを飛び越えようと
   する。藤村、飛び越えられずに、水たまりの中に入ってしまう。
   藤村、とぼとぼと歩き始める。藤村、再びスキップで歩き始める。

〇Cafe Tree 店内(朝)

   聡美を始め、数人の従業員が並んでいる。その前に、藤村と、麗子が並んで立っている。

麗子「という訳で、今日から働いてもらうことになった藤村さんです」

   藤村、一歩踏み出して大きな声で言う。

藤村「藤村です!よろしくお願いします!」

麗子「藤村さんは修行中ですから、時給無しで働いてもらいます。その代わり、空き時間に
 私がいろいろと指導しますから。じゃあ、今日もよろしくお願いします」

従業員達「はい!」

   従業員達、店内に散らばって行く。聡美、麗子の腕を掴んで藤村から離れる。

聡美「ちょっとちょっと、麗子さん!あれ、おじさんストーカーじゃないですか!」

   藤村、そっと麗子と聡美に近づいて来る。

藤村「あのー」

   聡美、苦笑いをしてその場を離れる。藤村、手を口に当てて小さな声で麗子に
   話しかける。

藤村「三木さん、旦那さんの写真とかって持ってたりしますか?」

麗子「そりゃあ、まぁ…、ありますけど」

藤村「良かった!じゃあ、後で送ってもらえます?捜索、開始しますんで」

   藤村、敬礼をして麗子から離れる。

麗子「ほんとにやってくれるつもりなんだ…」

   麗子、エプロンのポケットからスマホを取り出す。
   麗子、スマホを操作して、写真フォルダを開く。

   Cafe Treeの観葉植物の前に立っている三木の写真。
   麗子、スライドして他の写真も見る。楽しそうに笑っている三木の写真。
   麗子と三木、笑って寄り添っている写真。麗子、写真をじっと見つめる。
   
   グラスの割れる大きな音がする。麗子、驚いて振り返る。
   藤村が、店内で転んでいる。床に、割れたコップと、お盆がひっくり返っている。

麗子「だ、大丈夫ですか!?」

   藤村、頭をかきながら起き上がる。藤村、立とうとするが立てず、
   水で滑って更に転びそうになる。藤村、机に手をついて体を支える。

藤村「ははは、何しろ、タクシー一筋40年だもんで…」

   藤村、へらへらと笑っている。麗子、呆れた顔で藤村を見つめる。

〇同 客席

   藤村、パンケーキを持って客席の前に立っている。客席には若い男女が座っている。
   藤村、メモを片手に緊張した面持ちで読み上げる。

藤村「マ、マ、マロンと黒蜜のパンケーキのお客様!」

   若い女性客が手を上げる。藤村、震える手でパンケーキを置こうとするが、
   テーブルに置く直前にひっくり返してしまう。

〇同 カウンターの中

   藤村、皿を洗っている。聡美が近づいてきて、藤村が洗ったお皿を手に取る。
   聡美、お皿の香りを嗅ぐ。聡美、藤村がスポンジにつけている洗剤を手に取る。

聡美「これ、柔軟剤ですよ!」

   藤村、肩をすくめる。

〇同 店の外

   藤村、箒で店の前の葉っぱを履いている。藤村、後ろに下がりながら箒を履いている。
   テラス席に座っている女性客と犬。藤村、犬のしっぽを踏んでしまう。
   犬が「キャイン!」と鳴く。藤村、慌てて、その場で転ぶ。

〇同 店の中(夜)

   電気が半分消えている。麗子と藤村が向かい合って立っている。
   麗子、腰に手を当てて、藤村を睨んでいる。
   藤村、麗子の前で、申し訳なさそうに頭を下げている。
   聡美、カウンターの中で、皿を片付けながら二人を見守っている。

麗子「驚くほど、何も出来ませんね」

藤村「いやー、なにしろ私は…」

麗子「タクシー一筋40年ですもんね!ったく、もう」

藤村「あの、三木さん…」

麗子「はい!?」

藤村「私、クビでしょうか」

麗子「このままだと確実にそうなりますよね」

   藤村、がっくりと肩を落とす。

藤村「どうしたら…」

麗子「本当にカフェをやるつもりがあるんですか!?」

藤村「…はい!」

麗子「とても本気には見えません」

   麗子、足早に店の裏の方へ歩いて行く。藤村、首を伸ばして麗子を見守る。
   麗子、数冊の本を持って藤村の前に戻って来る。
   麗子、テーブルの上に乱暴に本を置く。
   「カフェに初めて行く人の本」「コーヒー屋開業の掟」「カフェの全て」等のタイトル。

藤村「これ…」

麗子「あげます」

藤村「いいんですか!?」

麗子「全部読んで、暗記してください。本気なら、これぐらい出来ますよね!?」

   藤村、嬉しそうに笑う。

藤村「ありがとうございます!」

麗子「今日はもう、上がってください。それから、明日は7時集合!藤村さんだけ、
 特別に特訓します。いいですね?」

藤村「はい!」

   藤村、本を抱えて店を出て行く。麗子、肩を怒らせてため息をついている。
   聡美、麗子を見て笑顔になる。

〇電車 車内(朝)

   空いている車内。藤村、椅子に座って、目をつぶっている。
   電車が揺れて、藤村、体勢を崩して転びそうになる。
   藤村、手でよだれを拭きながら座り直す。

〇同 店の中(朝)

   まだ朝日も昇りきらない、暗い店内。麗子の前で、藤村がお盆に乗せた水を運んでいる。  
   藤村、手が震えている。麗子、厳しい顔で見守っている。

〇藤村の自宅 台所(夜)

   藤村、薄暗い部屋で本を読んでいる。壁掛け時計は2時を指している。
   藤村、あくびをしながら、ノートにペンを走らせる。

〇Cafe Tree 店内

   藤村、パンケーキを運んでいる。藤村、手が震えつつも、
   慎重にパンケーキをテーブルに置く。

〇同 カウンターの中

   藤村、皿を洗っている。藤村、布巾で拭いてピカピカにしている。
   遠くから見守っている麗子、笑顔になる。

〇藤村の自宅 和室(夜)

   藤村、外出着のままフラフラと部屋に入って来る。
   藤村、乱暴にコートを脱ぎ棄てて、布団に倒れ込む。
   藤村、すぐに大きないびきをかき始める。

   ふすまが開き、美桜が入って来る。美桜、畳の上に落ちている上着を拾い、
   鼻に押し当てる。

美桜「甘い匂い…」

   美桜、唇を尖らせて藤村を見つめる。藤村、目をつぶって寝相悪く寝ている。
   美桜、上着のポケットに手を入れる。
   中から、名刺を取り出す。「三木麗子」と書かれた名刺。美桜、名刺をじっと見つめる。

〇Cafe Tree 店内

   客で満席の店内。藤村、コーヒーをいくつも乗せたお盆を持って、
   てきぱきと客席に運んでいる。

藤村「ホットコーヒーお待たせいたしました」

〇同 カウンター内

   麗子と聡美が、パフェを作りながら藤村を見つめている。

聡美「藤村さん、ウェイター姿が板について来ましたね!」

麗子「元々、やれば出来る人だったのよ」

   聡美、眉を上げて麗子を見る。

麗子「肝心のコーヒーはまだまだだけどね」

   麗子、顔を顰めて、頭を振る。

聡美「麗子さんが元気になってくれて、良かったです」

麗子「え?」

聡美「だって、ずっと元気なかったじゃないですか」

   麗子、聡美から目を逸らす。聡美、舌を出す。

聡美「ごめんなさい。これ、運んできます!」

   聡美、パフェを持って客席の方へ行く。麗子、店内の観葉植物をじっと見つめる。
   藤村が、観葉植物の前に立つ。藤村、麗子に向かってウィンクをする。
   麗子、藤村に背を向ける。藤村、肩をすくめて客席の方へ行く。
   麗子、笑いをこらえている。

〇同 前の道

   街路樹の陰に、徹也が立っている。徹也、店の方をそっと伺っている。
   藤村が、コーヒーを持ってテラス席にやって来る。
   徹也、スマホを取り出して、藤村の写真を撮る。
   徹也、スマホを操作して電話をかける。発信音。

徹也「あ、もしもし、母さん?」

美桜の声「徹也!?どうだった!?」

   徹也、店の方を見る。藤村、柔和な笑顔でコーヒーをテーブルに置いている。

徹也「父さん、カフェで働いてるよ」

美桜の声「カフェ?どうして?」

徹也「やっぱり生活費がきついんじゃないの?母さん、何も聞いてない?」

美桜の声「うん…」

徹也「とにかく、浮気とかそういう事じゃなさそうだけど。金に困ってるんだったら、
 タクシーに戻ればいいのにな」

   徹也、腕時計を見る。

徹也「俺、もう仕事行くわ」

美桜の声「あ、うん。徹也、ありがとう」

   徹也、電話を切って立ち去る。

〇藤村の自宅 和室

   美桜、立ってスマホを見つめている。スマホの画面には、エプロン姿の藤村の姿。
   美桜、机の引き出しを開ける。そこには、「カフェに初めて行く人の本」
   「コーヒー屋開業の掟」「カフェの全て」の本がある。美桜、本を持つ。
   美桜、本のページをめくる。本には付箋がたくさん張られ、ラインマーカーが
   引かれている。ところどころに、赤ペンで書き込みもある。美桜、本をじっと見つめる。

〇Cafe Tree 店内

   麗子、観葉植物の葉っぱを布巾で拭いている。
   藤村、そっと麗子に近づいて来る。藤村、小声で麗子に話しかける。

藤村「三木さん、旦那さんもうすぐ見つかりそうですよ」

麗子「え…。もう、ですか?」

藤村「東南タクシーが都内に何台走っているか、ご存知ないんですか?」

   藤村、胸を張って答える。

〇東南タクシー 営業所(朝)

   何百台ものオレンジ色のタクシーが並んでいる。
   タクシーが、次々と門から出て行く。エンジン音が鳴り響く。

〇環状八号線

   無数の車が走っている。その中にオレンジ色のタクシーも走っている。

タクシー無線の音「41号車、環八を羽田方面に走行中。ターゲット見つからず、どうぞ」

〇都道311号線

   両脇に商店やアパートが立ち並ぶ道路。オレンジ色のタクシーが走っている。

タクシー無線の音「3号車、ターゲット見つからず」

   道に、手を上げているお年寄りがいる。タクシー、ウィンカーを出して、路肩に停まる。

タクシー無線の音「3号車、一旦離脱します」

〇レインボーブリッジ

   たくさんの車に混じって、オレンジ色のタクシーが何台も走っている。

〇三鷹 都道118号線(夕)

   上下スウェット姿の和久が、コンビニの袋を持って、だらだらと歩いている。
   一台のオレンジ色のタクシーがすれ違う。タクシー、和久から10m程離れた場所に
   停まる。和久、気づかずに歩き続ける。
   タクシー、Uターンして、ゆっくりと和久の後を追う。

〇同 路地裏(夕)

   和久、きょろきょろと辺りを見回しながら歩いている。
   和久の後ろを、タクシーがついてきている。和久、立ち止まる。
   和久、さっと後ろを振り返る。タクシー、停まっている。
   中で運転手が帽子で顔を隠して寝ている。
   和久、ほっとしたように息を吐いて、歩き始める。タクシーも動き始める。

〇弥生荘(夕)

   さび付いたトタン屋根の、二階建ての古いアパート。
   ボロボロの看板に「弥生荘」と書かれている。
   和久、辺りを気にしながら一階の奥から三番目の部屋に入って行く。

〇アパート 前の道(夕)

   タクシーがゆっくりと通り過ぎる。一階の奥から三番目の部屋のドアが閉まる。
   タクシーが、バッグで戻って来て、停まる。運転手、無線を口に当てる。

運転手「12号車、ターゲット発見。ターゲット発見。連絡願います」

〇Cafe Tree 店の前の道

   オレンジ色のタクシーが停まっている。藤村、タクシーの運転手と何か話している。
   藤村と運転手、握手を交わしている。

〇同 店の中

   麗子、藤村をじっと見つめている。タクシーが走り去る。
   藤村、店の方に向かってくる。麗子、踵を返して店の裏に入る。

〇同 洗い場

   麗子、皿を洗っている。藤村が飛び込んで来る。

藤村「三木さん!見つかりました」

   麗子、ちらっと藤村を見て、洗い物を続ける。藤村、メモを麗子に見せる。

藤村「旦那さん、ここにいるみたいです」

   麗子、目を見開いてメモを見つめる。

麗子「三鷹…?」

   藤村、大きく頷く。麗子、出しっぱなしの水を見つめる。

麗子「さすがですね…」

   藤村、胸を張る。麗子、出しっぱなしの水を見つめる。麗子、水を止める。

麗子「今夜、行ってみます」

   藤村、笑顔でメモを置いて、立ち去ろうとする。

麗子「あの!」

   藤村、振り返る。

麗子「藤村さんも、一緒に来てくれませんか」

   藤村、ぽかんと口を開けて麗子を見つめる。

〇三鷹 都道118号線(夕)

   藤村と麗子が、歩いている。藤村、メモを見ながら、きょろきょろと辺りを
   見回して歩いている。麗子は藤村から1m程遅れた場所を、足取り重く歩いている。

藤村「えーと、あっちの道ですね」

   藤村が振り返ると、麗子が立ち止まって、ぼんやりとコンビニを見つめている。

藤村「三木さん?」

   麗子、慌てて藤村の方へ走って来る。藤村、コンビニを指差す。

藤村「何か、買います?」

麗子「何かって?」

藤村「お土産とか…」

   麗子、怒った顔で藤村からメモを取り上げる。麗子、歩き始める。
   藤村、慌てて麗子の後を追う。

〇弥生荘 前の道(夜)

   藤村と麗子が、物陰から首を伸ばしてアパートを見つめている。

藤村「旦那さん、もう浮気相手とは別れたのかもしれませんよ」

   麗子、黙ってアパートを見つめている。

藤村「ほら、あの、下の階の、奥から三番目の部屋ですよ」

   藤村、歩いてアパートに近づこうとする。麗子、藤村の腕を掴んで引き戻す。
   藤村、麗子を見つめる。麗子、バッグから紙を出す。
   麗子、紙を広げる。麗子の名前が記入、捺印された離婚届が出て来る。

麗子「これ、あの部屋に置いて来てくれませんか?」

藤村「えっ、私が?」

   麗子、何度も頷く。

藤村「旦那さんと話さないんですか?」

麗子「もう話すことは何もありませんから」

   藤村、離婚届を受け取る。

藤村「じゃあ、入れて来ちゃいますよ?いいんですね?」
   
   麗子、頷く。藤村、そっと歩き始める。

〇同 和久の部屋の前(夜)

   藤村、砂利が敷いてある地面を、音をたてないようにそっと歩いている。
   藤村、途中でこけて転びそうになる。

   麗子、身を乗り出して藤村を見つめる。藤村、地面に手をついて、そっと立ち上がる。
   藤村、麗子に向かって腕で丸を作って見せる。麗子、肩をなでおろす。
   藤村、部屋の前に立つ。藤村、離婚届を、ドアの下の隙間にあてがう。
   藤村、麗子の方を見て、首をかしげる。麗子、大きく頷く。
  
   藤村、離婚届をドアの下からゆっくりと差し入れる。
   突然、麗子が走ってやって来る。麗子、砂利をけ飛ばしながら走って来て、
   藤村にタックルする。藤村と麗子、その場でもんどりを打って、倒れる。

   麗子、立ち上がってアパートを見る。ドアの横の表札に、
   鉛筆で「三木和久 佐藤ゆかり」と書かれ、「佐藤ゆかり」の方だけ、
   消しゴムで消した跡がある。

   麗子、眉を寄せて表札を見つめる。部屋の中に明かりがつき、物音がする。
   麗子、藤村を無理やり立たせて、背中を押してアパートの外の方に歩かせる。
   藤村と麗子、転がるようにアパートから離れる。

   ドアの前に、離婚届が置きっぱなしになっている。
   麗子、急いで走って戻って、離婚届を掴む。麗子、走り去る。
   アパートのドアが開き、中から和久が顔を出す。
   和久、きょろきょろと辺りを見回してから、ドアを閉める。

〇同 前の道(夜)

   麗子、藤村の口に手を当てながら、アパートのドアが閉まるのを見ている。
   藤村、顔が赤くなっている。

藤村「むー!」

   麗子の手に、くしゃくしゃになった離婚届が握られている。

〇公園 滑り台(夜)

   藤村、滑り台の上に足を投げ出して座っている。
   藤村、おでこにばんそうこうを貼っている。
   麗子は、滑り台の下の砂場の縁に腰掛けている。
   二人とも、紙カップに入った、湯気の立つコーヒーを飲んでいる。
   麗子、コーヒーを美味しそうに飲む。

麗子「コンビニのコーヒーって、普通に美味しいですよね」

   藤村、不機嫌そうに、絆創膏を撫でている。麗子、藤村を見上げる。

麗子「すみませんでした」

藤村「ほんとですよ!いきなり押すんだもんなぁ」

   藤村、コーヒーを一口飲む。

麗子「だって、藤村さんはいいんですか?私あの人と離婚したら、
 すぐお店閉めちゃいますけど」

藤村「そんなにお店、やりたくないんですか?」

麗子「私が始めたことじゃないんで」

   麗子、黙ってコーヒーを飲む。
   藤村、コーヒーを見つめる。

藤村「私も一緒です」

麗子「え?」

藤村「私も、喫茶店をやろうなんて考えたことなかったですから」

   麗子、藤村を見つめる。

麗子「じゃあ、どうして?」

藤村「結婚する時に、妻が言ったんです」

   藤村、大きく息を吐き出す。

藤村「妻は陶芸が趣味なんです。私が定年したら、二人で喫茶店を開いて、
 自分で作ったマグカップでコーヒーを出したいって言ってたんです」

   藤村、遠くを見つめる。

藤村「言ってたんですけどね…」

   藤村、空になったカップを握り締める。

藤村「どうも、忘れちゃったみたいなんですよね。あはは」

   藤村、頭をかきながら、笑う。麗子、藤村を見上げる。

麗子「藤村さんは一人でもやるんですか?」

   藤村、黙って滑り台を滑り降りる。

藤村「そろそろ、帰りましょうか」

   藤村、手でお尻を払って立ち上がる。

〇藤村の自宅 玄関中(朝)

   美桜、リュックを背負って帽子を被っている。藤村、パジャマ姿で美桜を見つめている。

美桜「じゃあ、行って来ます」

藤村「一人で大丈夫か?」

美桜「毎年行ってるんだもん。大丈夫よ」

   美桜、振り返って藤村を見つめる。

美桜「あなた、今日は出かけないのよね?」

藤村「あぁ、休みだ」

   美桜、首をかしげて藤村を見つめる。
   藤村、咳払いをする。美桜、立ち上がって藤村を見つめる。

藤村「気をつけてな」

   美桜、ドアを開けて一歩外に出る。

藤村「母さん、あのさ、帰ってきたら話したいことがあるんだ」

   美桜、振り返って藤村を見つめる。

美桜「私、応援するから」

藤村「え?」

   藤村、美桜を見つめる。

美桜「あなたのやりたいことだったら、私、応援する。じゃあ、行って来ます」
   
   美桜、笑顔でドアを開けて出て行く。藤村、ほっぺたを指でかく。

〇同 台所(朝)

   パジャマ姿の藤村が入って来る。テーブルには蓋を開けたままの、お弁当箱。
   皿におかずが置いてある。弁当は、半分ぐらい米やおかずが詰められている。
   藤村、弁当を見て目を見開く。

藤村「あ!」

   藤村、弁当を持って廊下に走り出る。藤村、首を伸ばして外を見て、ため息をつく。

〇山 道

   紅葉が美しい山並み。登山道を、美桜がリズムを取りながら歩いている。

美桜「ほい、よっと、はい」

   美桜の額から汗が流れている。美桜、すれ違う人に会釈をする。

〇同 日吉工房の前
「日吉工房」と書かれた看板。煙突から、煙が出ている。美桜、タオルで汗を拭きながら、工房に入って行く。

〇同 工房の中

   大きな窯がある。窯の前に、数人の男女が立っている。
   日吉隆久(40)が、鉄板を使って、窯から焼きあがった陶芸品を出している。
   美桜、窯に向かって歩く。花村和江(54)が、美桜に気が付いて手を上げる。

和江「藤村さん!こっちこっち~」

   美桜、駆け寄る。

美桜「ごめんなさい、遅くなって」

和江「窯出し、間に合ったわね」

美桜「年に一度の本窯焼きだもの。来ないわけにはいかないわ」

日吉「藤村さんの作品も、もう出してありますよ!」

   日吉、並べてあるマグカップを指差す。美桜と和江、マグカップに近づく。

和江「あら、いい色に仕上がってるじゃない?」

美桜「私のは、どれ?」

和江「これよ、これ」

   和江が指差したマグカップは、ふちの所が少し曲がっている。

美桜「私、こんなの作った?」

   和江と日吉、顔を見合わせる。

和江「やだ、忘れちゃったの?」

日吉「濱田さんの作品、最近芸術性が増してきましたよね。僕、そう言うのも好きですよ」

美桜「ありがとうございます」

   美桜、マグカップを見つめる。

〇山 道

   リュックを背負った藤村、山を登っている。
   藤村、タオルで汗を拭きながら、足早に山を登っている。

〇同 日吉工房の前

   美桜と、日吉と和江が立っている。

和江「藤村さん本当に帰っちゃうの?」

美桜「うん。お弁当も忘れちゃったし、なんだかくたびれちゃって」

日吉「じゃあ、作品は後日郵送しますね」

美桜「よろしくお願いします」

和江「またね。帰り、気をつけてね」

   和江、美桜、手を振り合う。美桜、歩き始める。

〇同 道

   美桜、歩いている。鳥の声。

〇同 空
   
   太陽が雲に隠れる。

〇同 道

   急に、美桜の足元が暗くなる。美桜、空を見上げる。
   木と空が、ぐるぐる回り始める。美桜、手で額の汗を拭う。
   美桜、道を逸れて山の中に入って行く。
   美桜のリュックの外ポケットから、赤いタオルが落ちる。

〇同 日吉工房の外

   リュックを背負った藤村が立っている。
   藤村、手にナプキンにくるんだ包みを持っている。
   藤村の前に、日吉と和江が立っている。

日吉「ここを出たのはもう一時間も前ですよ」

和江「途中ですれ違いませんでした?」

藤村「いや…」

   藤村、頭を振る。

藤村「ちょっと戻って、探してみます」

日吉「待って下さい。僕も一緒に行きます」

   日吉、工房の中に入って行く。和江、言いにくそうに口を開く。

和江「藤村さん。奥さん、最近変わったことないですか?」

藤村「変わったこと?」

和江「陶芸教室では、なんて言うかちょっと、物忘れが多くなったって言うか…」

藤村「え?」

和江「自分の作った作品を忘れちゃったり。作風も少し変わって来たんです」

藤村「どんなふうに変わったんですか?」

和江「と言うか、形が上手く取れなくなっているみたいなんですよね」

   藤村、俯いて、手に持った包みを見つめる。

和江「私、ちょっと心配で…」

   日吉、リュックや縄を背負って出て来る。

日吉「さ、行きましょう」

   藤村、和江にお辞儀をする。

〇同 川沿い(夕)

   崖の下に流れる川。美桜、倒れている。美桜の足から血が出ている。
   美桜、崖の上を見上げる。

美桜「助けてー、誰か…」

   美桜、立ち上がろうとするが、立てずにその場で転んでしまう。
   美桜、目の前に生えている草を掴む。
   美桜の手の甲に、雨がぽつぽつと落ちる。美桜、崖を見つめる。

〇同 道(夕)

   土砂降りの雨。藤村と日吉が、カッパを着て歩いている。

藤村「おーい!」
日吉「藤村さーん!」

   藤村、目を細めて辺りを見回す。藤村、立ち止まる。
   山道に、赤いタオルが落ちている。藤村、タオルの方に走り寄る。
   藤村、タオルを拾い上げる。藤村、崖の下を見る。川沿いに、倒れている美桜の姿。

藤村「母さん!」

   日吉が、走って来る。藤村、崖を這うように降りる。
   藤村、転びそうになりながら崖の下に降りる。
   美桜、雨の中、ピクリとも動かず寝ている。藤村、美桜を抱き起す。

藤村「母さん、しっかりしろ!おい!」

   美桜、目を閉じている。藤村、手で美桜の顔の水を拭き取る。

〇病院 病室(夜)

   個室のベッドに美桜が寝ている。美桜、足に包帯を巻いている。
   美桜の腕には点滴の針が刺さっている。

〇同 診察室(夜)

   医師が座っている。医師の横にある電光掲示板には、
  足のレントゲン写真が写っている。医師の前に、藤村と徹也が座っている。

医師「足の怪我は大したことありません。薬指に少しヒビが入っていますが、
 一ヶ月もすれば痛みも引くでしょう」

   医師がパネルを操作する。脳のMRI画像が表示される。

医師「ただ…。ご主人から最近の様子をお伺いして、念の為、
 脳のMRI画像を撮ってみました…」

   徹也、藤村を見つめる。

医師「やはり、脳に何らかの障害が発生している可能性があります」

   藤村、MRI画像を食い入るように見つめる。

徹也「障害?頭を打ったってことですか?」

医師「いえ、外傷はありません。もう少し詳しく検査してみないと分かりませんが」

徹也「検査って、何の検査ですか?」

   医師、藤村を見つめる。

医師「藤村さんは、アルツハイマー型認知症である可能性があります」

徹也「はぁ!?アルツハイマーって」

   徹也、戸惑ったように藤村を見る。

徹也「お袋、まだ58なんですけど」

医師「若年性アルツハイマーは、アミロイドβタンパク質が脳に蓄積することで、
 年齢は関係なく発生します。最近、お母さんの様子で変わったことはありませんでしたか?」

   徹也、しばし考え込む。

医師「とにかく明日、詳しく検査してみましょう。今夜はお帰りになって、結構ですよ」

   藤村、沈んだ表情。

〇同 待合室(夜)

   誰もいない、薄暗い待合室。藤村と徹也、少し離れた位置に背を向け合って座っている。
   二人とも、俯いている。

徹也「なんだよ、冗談じゃないよ」

   徹也、はっと目を見開く。

徹也「この間のから揚げ!もしかして、あれも症状の一種だったのかな」

   徹也、立ち上がって藤村を見つめる。

徹也「なぁ、父さんは他に何か気付いたことある?」

藤村「マグカップが無くなってたんだ」

徹也「マグカップ?」

   藤村、俯いたまま頭を振る。藤村、目をつぶってこぶしを握り締める。

〇表参道 街路樹(朝)

   街路樹の葉っぱは無くなり、コート姿の人が行きかっている。

〇Cafe Tree 店内(朝)

   大きなクリスマスツリーが飾られている。
   従業員、椅子を出したり、テーブルを拭いたり。開店準備をしている。

〇同 テラス席(朝)

   麗子、掃き掃除している。麗子、エプロンのポケットからスマホを出して見つめる。
   聡美が近づいて来る。

聡美「藤村さん、今日もお休みですか?」

麗子「うん、しばらく休みますって連絡が来たきり」

聡美「もう一ヶ月ですよね。このまま辞めちゃうのかなぁ」

   麗子、スマホをエプロンに仕舞う。麗子、掃き掃除を続ける。

〇弥生荘 前の道(夜)

   麗子、アパートを見つめている。麗子、手に離婚届を持っている。
   麗子、アパートに近づく。

〇同 和久の部屋の前(夜)

   麗子、ドアに耳を付ける。部屋の中からは物音一つしない。
   麗子、離婚届をドアの下の隙間に差し込む。半分程入れた時、離婚届が引っ張られる。
   麗子、離婚届から手を離す。

   離婚届、アパートの中に入って行く。
   麗子、ドアをじっと見つめる。麗子、ドアの横の表札の紙を乱暴に取る。
   麗子、表札をくしゃくしゃに丸めて地面に捨てる。
   麗子、踵を返してアパートから離れる。

〇藤村の自宅 台所

   エプロンを付けた藤村、シンクに立って、火にかけたやかんを見ている。
   美桜、椅子に座って食パンと目玉焼きを食べている。
   目玉焼きは、黄身がつぶれて、端が焦げている。

   やかんから湯気が出始める。藤村、ドリッパーを使ってコーヒーを淹れる。
   美桜、鼻を動かして空気の匂いを嗅ぐ。

   藤村、コーヒーの入ったマグカップを美桜の前に置く。藤村、美桜の向かいに座る。
   美桜、マグカップを持って香りを嗅ぐ。美桜、コーヒーを一口飲む。
   美桜、ぱっと笑顔になる。

美桜「美味しい!」

藤村「そうか」

美桜「どうしたの、これ?」

藤村「教えてもらったんだ」

美桜「誰に?」

   美桜、もう一口コーヒーを飲む。美桜、笑顔になる。

美桜「うん、美味しい。美味しいわ」

   藤村、美桜を見つめている。

藤村「母さん、覚えてるか?新婚旅行で行った海のこと」

   美桜、首をかしげる。

藤村「浜辺で話したよな。俺が定年になったら喫茶店を開いて、
 母さんは自分が作ったマグカップでコーヒーを出すんだって」

   美桜、首をかしげる。

美桜「何のこと?」

   藤村、美桜から目を逸らす。突然、徹也が部屋に入って来る。

徹也「喫茶店って、それ本気かよ」

   藤村、目を見開いて徹也を見つめる。

藤村「徹也、来てたのか」

美桜「おかえり」

   徹也、藤村を睨みつける。

徹也「もしかしてそれで、カフェで働いたりしてたの?」

   徹也、藤村に近づく。

徹也「そんなの、もう無理だろ」

藤村「母さんと話してたんだよ。定年して、退職金が出たら…」

徹也「だから、母さんがこうなった以上、もう無理なんだって!
 治療にどれぐらい金がかかるか分からないんだし、退職金だって残しておかないと」

   徹也、美桜から目を逸らしながら言う。

徹也「大体、母さんだってもう覚えてないんだし」

   美桜、笑いながら言う。

美桜「どうしたの、二人とも。徹也、もうご飯食べたの?」

   徹也、苦悶の表情で俯く。

徹也「大体、父さんがちゃんと母さんのこと見てれば、もっと早く気づけたんじゃないの?」

   藤村、徹也から目を逸らせる。徹也、はっとして藤村を見つめる。

徹也「あ、ごめん…」

   藤村、エプロンを外して立ち上がる。

藤村「ちょっと、出て来る。母さんのこと、頼む」

   藤村、部屋を出て行く。

〇同 玄関外

   藤村が外に出ると、麗子がチャイムを押そうと指を伸ばしている。

麗子「あ!藤村さん」

   藤村、涙が出て、鼻が赤くなっている。藤村、目を見開いて麗子を見つめる。
   麗子も一歩下がって、藤村を見つめる。

麗子「あの、こんにちは。藤村さんどうしたのかなって思って、来ちゃいました」

   藤村、麗子を無視して歩き始める。

麗子「藤村さん、ねぇ、ちょっと」

   麗子、藤村の後を追う。

〇住宅街 道

   藤村、足早に歩いて行く。麗子、数メートル後ろを、急いで歩いている。

〇登戸駅 改札前

   「登戸駅」と書かれた看板。藤村、財布からICカードを出して、改札を通る。
   麗子、慌てて後を追おうとする。麗子、ICカードを改札にくっつける。
   「ピンポン」と言う警告音がする。

麗子「あー、もう!」

   麗子、慌てて引き返す。

〇同 券売機前

   麗子、パネルを操作している。麗子、頭をかきむしる。

麗子「どこまで行くのよ…」

   麗子、急いで「チャージ」、「1万円」を押して、
   財布から一万円札を取り出して機械に入れる。

〇同 ホーム

   麗子、きょろきょろと辺りを見回している。
   ホーム真ん中辺りのベンチに、藤村が座っている。
   藤村、ぐったりと体をベンチに預けている。麗子、少し離れたベンチに座る。

〇電車 車内

   空いている車内。藤村、角の席に座って、手すりに頭をもたれさせて、
   目をつぶっている。斜め向かいの席に、麗子が座っている。
   麗子、心配そうに藤村を見つめている。

〇熱海駅 ホーム

   電車が入って来る。

〇電車 車内(夕)

   人が降りて、空になった車内。藤村、手すりに頭をもたれさせて、目をつぶっている。
   斜め向かいに座っている麗子、立ち上がって、藤村に近づく。麗子、藤村を揺り起こす。

麗子「藤村さん、終点ですよ」

   藤村、目を開けて窓の外を見る。

麗子「熱海まで来ちゃいましたよ」

藤村「あ、すみません」

   藤村、立ち上がって電車を降りる。麗子、ため息をついて藤村の後を追いかける。

〇同 海(夕)

   赤く染まった空と海。

〇同 海沿いの道(夕)

   藤村、歩いている。麗子、後ろをついて来ている。

麗子「藤村さん、どこまで行くんですか?」

藤村「何でついて来るんですか」

麗子「それは、心配だからです」

   藤村、振り返って麗子に言う。

藤村「私のことなんかより、ご自分の心配したらどうですか?」

麗子「はぁ!?」

   藤村、歩き始める。

麗子「夫とはもう離婚することに決めました。この間、離婚届、渡して来ましたから」

藤村「旦那さんと、話しましたか?」

麗子「話すことはもうありませんから」

   藤村、立ち止まって振り返る。

藤村「あーあ、それでいいんですかねぇ」

麗子「なんなんですか!?」

藤村「だって、話せる時に話しておかないと…」

麗子「え?」

藤村「三木さんがそれでいいなら、いいですけど!」

麗子「だから、いいって言ってるじゃないですか!」

   藤村、歩き始める。麗子、ほっぺたを膨らませる。
   麗子、藤村と反対方向に歩き始める。麗子、肩を怒らせて立ち去る。

〇同 近くの土地(夕)

   ロープが張られた土地。「売地」と看板が出ている。
   藤村、看板の近くに座り込んでいる。藤村、じっと海を眺めている。

〇同 海に面した斜面(夕)

   麗子、ガードレールに顎を乗せて、藤村を見つめている。
   麗子、ほっぺたを膨らませている。

〇同 近くの土地(夕)

   藤村、ふらふらと立ち上がる。藤村、落ちている木の棒を拾う。
   藤村、ロープをくぐって土地の中に入る。藤村、棒で地面に線を引き始める。
   藤村、どんどん線を描いて行く。藤村、真剣な顔で線を描いている。
   藤村の額から汗が噴き出している。

〇同 海に面した斜面(夕)
 
   麗子、藤村の姿を見つめている。土地の上に書かれた、線を見つめている。

麗子「あれってもしかして、間取り図?」

   藤村が大きく、「Cafe 750」と描いている。麗子、じっとその文字を見つめる。

〇同 近くの土地(夕)

   藤村、棒を投げ出してその場に座る。藤村、肩で息をしている。
   藤村、夕日を眺めて、大きくため息をつく。藤村、仰向けで寝転ぶ。

   麗子がやって来る。麗子、手にコンビニの紙カップを持っている。
   藤村、麗子を見上げる。

麗子「普通に美味しいやつ、飲みませんか?」

   麗子、カップを藤村に差し出す。

〇藤村の自宅 台所(夕)

   美桜と徹也、向かい合って座っている。徹也、貧乏ゆすりをしている。

徹也「ったく、父さんどこまで行ったんだよ」

   徹也、ため息をつく。徹也、立ち上がる。

徹也「ちょっと、父さんに電話してくる」
   
   徹也、部屋を出て行きかけて立ち止まる。

徹也「そういえば、父さんがマグカップがどうとか言ってたけど、母さん知ってる?」

美桜「マグカップ?」

   美桜、首をかしげて徹也を見つめる。

徹也「いいや。後で父さんに聞いてみるよ」

   徹也、スマホを操作しながら、部屋を出て行く。
   美桜、手をほっぺたにつけて考え込んでいる。

美桜「マグカップ、マグカップ…」

   美桜、目を見開く。美桜、突然立ち上がる。椅子が倒れる。
   美桜、食器棚に近づき、勢いよく扉を開ける。何も無い一角。美桜、食器棚を見つめる。
  ×   ×   ×
   徹也、部屋に戻って来る。

徹也「今、すごい音したけど…」

   台所には美桜の姿は無い。椅子が倒れている。
徹也「母さん?」

   徹也、きょろきょろと部屋を見回す。

〇熱海 海 砂浜(夕)

   藤村と麗子が、砂浜に座っている。藤村、空になった紙コップに、砂を入れている。

麗子「そうですか、奥さんが…」

   麗子、じっと藤村を見つめる。藤村、砂を紙コップに入れ続けている。

麗子「だけど、今は良い薬もあるし、ちゃんと通院すれば、きっと…」

   藤村、暗い顔で俯いている。麗子、振り返る。先ほどの売地が見える。

麗子「あの土地、買うつもりだったんですか?」

   藤村、恥ずかしそうに笑う。

藤村「ここ、妻と新婚旅行で来た場所なんです」

麗子「へえ」

藤村「旅行中、毎日海を眺めながら話しました。将来のことや、子供のこと…」

麗子「カフェのこともですか?」

   藤村、頷く。

藤村「いつの間にか、心の支えみたいになってたんですよね」

麗子「奥様、そのことは?」

   藤村、カップを逆さまにする。砂がさらさらとこぼれ出す。

藤村「全部、忘れちゃったみたいですね」

   藤村、自嘲気味に笑う。

藤村「こんなことなら、聞いておけば良かったな」

麗子「何をですか?」

   藤村、立ち上がる。海が赤く染まっている。藤村、海を見つめる。

麗子「Cafe 750って、どういう意味ですか?」

   藤村、何かを言おうと口を開く。藤村のスマホが鳴る。藤村、スマホを耳に当てる。

藤村「はい」

徹也の声「あ!父さん!?」

藤村「すまん、これから帰るから…」

徹也の声「大変なんだ!母さんがいなくなっちゃったんだよ!」

藤村「え?」

徹也の声「ちょっと目を離した隙に消えちゃって。近所を探したけどいないんだ!
 どうしよう、警察に届けた方がいいかな」

藤村「わ、分かった。これからすぐ帰るから」

   藤村、スマホを切る。

麗子「どうしたんですか?」

藤村「妻が、いなくなったらしくて」

   藤村、よろよろと立ち上がる。

藤村「か、帰らないと」

   藤村、歩き始める。麗子も立ち上がり、藤村を追いかける。
   藤村、砂に足を取られて転ぶ。麗子、藤村の腕を取る。

麗子「藤村さん!しっかりして下さい」

藤村「ど、どうしよう…」

   麗子、藤村の肩を掴む。

麗子「思い当たる所、ないんですか?」

   藤村、目を泳がせる。

麗子「藤村さん!」

   麗子、藤村の肩を揺さぶる。藤村、眉を寄せる。

藤村「もしかして、あいつ…」

麗子「どこですか?」

藤村「マグカップです…」

麗子「マグカップ?」

   藤村と麗子、走り出す。

○和江の自宅 玄関前(夜)

   「花村」と書かれた表札のある一軒家。藤村と麗子、立っている。
   和江が心配そうに藤村を見つめている。

和江「えぇ、確かにいらっしゃいましたよ」

   藤村と麗子、顔を見合わせる。

和江「30分ぐらい前ですかね。こんな遅くにどうしたのかなって、びっくりしたんですけど」

藤村「もしかして」

和江「マグカップ、取りにいらしたんですよ」

   藤村、眉を寄せて目を伏せる。麗子、一歩前へ出る。

麗子「あの、陶芸教室の生徒さんの住所、教えていただけませんか!?」

   藤村、はっとして麗子を見つめる。麗子、必死の表情。

〇住宅街 道(夜)

   美桜、新聞紙の包みを抱えて、走っている。
   美桜、息を切らしている。美桜、躓いて新聞紙の包みを落とす。
   中から、色鮮やかなマグカップが出て来る。美桜、急いで拾い、再び走り始める。

〇佐藤の自宅 玄関前(夜)

   「佐藤」と書かれた表札のある家。藤村、チャイムを押している。
   藤村、唇を噛みしめて、何度もチャイムを押す。麗子、心配そうに藤村を見ている。

〇河原 土手(夜)

   美桜、新聞紙の包みを抱えて、走っている。美桜、息を切らして走っている。
   美桜、立ち止まって辺りを見回す。美桜、迷うように目を漂わせてから、再び走り出す。

〇田中の自宅 門の前(夜)

   「田中」と書かれた表札がある大きな一軒家。藤村、息を切らして立っている。
   麗子も息を切らして立っている。玄関に明かりが点り、門が開く。
   藤村と麗子、門の中に入って行く。

〇河原(夜)

   美桜、走ってやって来る。美桜、くたびれたようにその場に座ってしまう。
   美桜、大切そうに新聞紙の包みを抱きしめている。美桜、じっと川を見つめる。

〇住宅街 道(夜)

   藤村と麗子、息を切らして走っている。徹也も反対側から、走ってやって来る。

藤村「徹也、いたか!?」

徹也「いない!母さん、またどっかで迷子になってるんじゃない?」

   麗子、膝に手をついて息をしている。車のエンジン音がする。麗子、顔を上げる。
   遠くにある大通りに、オレンジ色のタクシーが通る。

麗子「藤村さん!」

藤村「え?」

麗子「こんな時こそ、勤続40年!」

   藤村、慌ててスマホを取り出す。

〇登戸 道(夜)

   オレンジ色のタクシーが走っている。

タクシー無線「登戸方面走行中の全車に連絡」

   タクシー、Uターンし始める。

タクシー無線「50代後半女性、緑のセーターに、グレーのスウェット」

〇登戸駅前 道(夜)

   タクシー乗り場。オレンジ色のタクシーが列を作っている。
   タクシー、ロータリーを旋回して、街の中へと走って行く。

〇県道3号線

   オレンジ色のタクシーが何台も走っている。

〇住宅街 道(夜)

   藤村、スマホを操作している。徹也、呆れたように藤村を見ている。

徹也「こんなんでほんとに見つかるのかよ」

   麗子、笑って徹也を見つめる。

麗子「大丈夫。すごいんだから、あなたのお父さん」

   麗子、得意げに徹也を見つめる。一台のオレンジ色のタクシーが走って来る。
   タクシー、三人の前に停まる。運転手が窓を開ける。

運転手「藤村さんですか!?奥さん、見つかりました。乗って下さい!」

藤村「あ、ありがとう!」

   徹也、目を見開く。

徹也「えっ、もう!?」

   タクシーの後部座席のドアが開く。

〇河原 土手(夜)

   タクシーが停まる。藤村、徹也、麗子がタクシーから降りる。
   川の近くに、美桜が座り込んでいる。
   美桜、新聞紙にくるまれた荷物を抱えてぼんやりと川を見つめている。
  
   藤村、川に降りる階段を降り始める。
   徹也も藤村の後を追いかけようとするが、麗子が手で制する。
   タクシーは走り去る。

〇河原(夜)

   美桜、地面に座り込んでいる。藤村、美桜に近づく。

藤村「母さん」

   美桜、笑顔で振り向く。

美桜「秀平さん!」

   美桜、立ち上がろうとしてよろめく。藤村、美桜に駆け寄って、肩を支える。
   藤村と美桜、その場に座る。

美桜「ねぇ、覚えてる?ここ、新婚旅行で来た海。楽しかったわよね」

   藤村、ぎょっとして美桜を見つめる。
   美桜、首をかしげてにこにこしながら藤村を見ている。藤村、鼻をすする。

藤村「あぁ、覚えてるよ」

   美桜、無表情で川を見つめる。

美桜「どこの海だったかしら…」

   藤村、俯いて涙をこらえている。

藤村「熱海だ」

美桜「熱海…」

   美桜、新聞紙の包みを抱きしめる。

美桜「秀平さん。私、熱海って初めて来たわ…。きれいな所ですね」

   美桜、藤村に身を寄せる。

美桜「ねぇ、これからどんなことが起きるのかしらね」

   藤村、鼻をすすりながら、川を見つめる。

藤村「美桜さん」

美桜「何?」

藤村「僕、不安なんです」

美桜「何が?」

藤村「これからいろんなことがあるだろうけど、ちゃんとやっていく自信が無いんです」

   美桜、藤村をじっと見つめる。

美桜「秀平さんはいつだって、ちゃんとやってるじゃない」

   藤村、鼻をこする。

藤村「だけど、僕の仕事は、不規則だし、給料も安いし…。
 一生働いたって、退職金が出るかも分からない」

   美桜、吹き出す。

美桜「退職金って、いくら出るんですか?」

藤村「さぁ、出たとしても安いですよ」

美桜「いくら?」

藤村「750万円ぐらいかな」

   美桜、両手を合わせる。

美桜「750万円!それだけあれば、喫茶店が開けるわね」

藤村「喫茶店?」

美桜「昔から夢だったの」

藤村「喫茶店を開くのがですか」

美桜「私、陶芸が趣味だって言ったでしょ?」

藤村「うん」

美桜「自分で焼いたマグカップで、コーヒーを出してみたいの」

   藤村、美桜が持っている新聞紙の包みを見つめる。

美桜「約束しましょ。私はかわいいマグカップを焼きます。
 あなたは、美味しいコーヒーを淹れられるようになって」

藤村「コーヒーか。僕に出来るかな」

美桜「出来るわ。40年もあるんだもの」

藤村「そうですね、40年も先ですもんね」

   美桜、嬉しそうに笑っている。藤村、黙って涙を流している。

〇河原 土手(夜)

   麗子と徹也が立っている。川のほとりで、寄り添っている藤村と美桜を見つめている。

徹也「何、話してるんだろう」

   麗子、藤村をじっと見つめる。麗子、目に涙が溜まる。麗子、手で涙を拭う。

麗子「私、行かなきゃ」

徹也「え!家に寄って行ってください」

麗子「行かなきゃいけない所があるの」

   麗子、土手の上を歩き始める。

〇弥生荘 和久の部屋の前(夜)

   麗子、和久の部屋の前に立っている。ドアの隙間から、明かりが漏れている。
   麗子、ドアをノックする。麗子、ドアを背にして地面に座り込む。
   部屋の中から物音がする。

〇同 和久の部屋の中(夜)

   散らかった部屋。和久、ドアを背にして、玄関に座っている。

〇同 和久の部屋の前(夜)

   麗子、頭をドアにつけてため息をつく。

麗子「私ね、和久と話すのが怖かったの」

   麗子、膝の中に顔をうずめる。

麗子「全部無かったことにしたかったの」

   麗子、顔を上げる。目に涙が溢れている。

麗子「これ以上傷つきたくなかったから」

   麗子、地面に落ちている表札を見る。

麗子「私ね、あのお店一人でやって行く。やってみたいの。いいよね?」

   麗子、立ち上がって表札を拾う。
   麗子、表札のしわを伸ばして、ドアの横のホルダーに入れる。
   麗子、表札の「三木和久」と書かれた部分を撫でる。

麗子「さよなら」

   麗子、その場を立ち去る。

〇公園の前(夜)

   麗子、涙を流しながら通りかかる。麗子、立ち止まる。
   麗子、滑り台を見つめる。麗子、笑顔になる。

〇藤村の自宅 台所(夜)

   徹也が椅子にぐったりと座っている。

徹也「あぁ、疲れたぁ」

   藤村が部屋に入って来る。

藤村「母さん、寝たよ」

   机の上に、新聞紙の包みがある。徹也、包みを開く。
   中から、色鮮やかなマグカップが5つ出て来る。
   徹也、目を見開いてマグカップを見つめる。
徹也「母さんはこれを探してたのか…」

   藤村、マグカップを持つ。藤村、マグカップを撫でる。

徹也「喫茶店で使おうとしてたんだもんな」

   藤村、立ち上がって食器棚を開ける。藤村、マグカップを食器棚に入れる。

藤村「あれ?」

   藤村、食器棚の中を触る。藤村、食器棚に敷かれている布をめくる。
   藤村、食器棚の中を指でコツコツと叩く。

徹也「どうしたの?」

藤村「いや、なんかここに…」

   藤村、食器棚の仕切り板を外す。仕切り板が二枚重なっている。
   藤村、仕切り板を一枚取る。中から、古い通帳が何冊も出て来る。

徹也「え!何、これ!?」

   徹也、通帳を手に取り、めくる。藤村、通帳を見つめる。
   通帳の表紙には「喫茶店貯金」と書かれている。

徹也「すごいよ、これ!月に5千円とか1万とか、40年もコツコツ」

   徹也と藤村、目を丸くして見つめ合う。

徹也「総額、300万になってる」

   藤村、目に涙が溜まる。藤村、涙を拭う。徹也も涙を溜めている。

徹也「やろうよ、父さん」

藤村「あぁ」

   藤村と徹也、泣きながら笑い合う。
   藤村、通帳を握り締める。

〇河原(朝)

   川沿いの桜が満開になっている。花びらが、川に浮かんでいる。

〇藤村の自宅 台所

   藤村が、椅子に座って新聞を読んでいる。
   新聞には、「新型コロナウィルス」「飲食店に時短営業要請」等と書かれている。
   藤村、テーブルに置いた書類を見つめる。書類には「土地売買契約書」と書かれている。
   署名欄は空欄になっている。藤村、新聞を脇に置く。
   台所と隣り合っている居間を見る。

〇同 居間
 
   美桜が、真剣にテレビを見つめている。
   テレビでは、新型コロナウィルスのニュースをやっている。
   テロップに「緊急事態宣言発令を検討」と書かれている。
   美桜、振り返って、心配そうに藤村の顔を見つめる。

〇同 台所

   藤村、じっと美桜を見つめる。藤村、契約書を見つめる。
   藤村、署名欄に「藤村秀平」と書く。藤村、印鑑を手に取る。
   藤村、印鑑を朱肉につける。

   藤村、書類に判を押そうとするが、手が止まる。
   藤村、何度も瞬きをする。藤村、判子をティッシュで拭く。

〇表参道 街路樹(朝)

   桜が色づき、道に桜吹雪が舞い散っている。

〇表参道 都道413号線(朝)

   オレンジ色のタクシーが通る。

〇同 タクシー車内(朝)

   藤村、口笛を吹きながら運転している。赤信号で車が停まる。
   藤村、マスクとフェイスシールドを付ける。

〇Cafe Tree 店内(朝)

   誰もいない店内。マスクを付けた麗子、店内を見渡している。
   麗子、トイレットペーパーや、荷物の入った紙袋、段ボールを持ち上げる。

〇同 店の外(朝)

   麗子、ドアの前に立っている。麗子、ドアに鍵をかける。
   ドアには貼り紙「緊急事態宣言につき、しばらく休業いたします。Cafe Tree」
   と書かれている。麗子、ため息をついて歩き始める。

〇同 表通り(朝)

   麗子、手を上げる。目の前にタクシーが停まる。麗子、タクシーに乗る。

〇同 タクシー車内(朝)

   フェイスガードとマスクをした藤村が、運転席に座っている。
   麗子が乗り込んでくる。
   麗子、トイレットペーパーや紙袋、段ボールを、投げ出すように後部座席に置く。

   麗子、ぐったりと体をシートに預けて、目をつぶる。

麗子「初台駅まで、お願いします」

   車が動き出す。
藤村「感染予防で、窓を開けさせていただきます」

   窓が開き、風と桜の花びらが入って来る。藤村、バックミラーでちらっと麗子を見る。

藤村「今、どこもトイレットペーパー売り切れみたいですね」

   麗子、だるそうに藤村を見つめる。

麗子「デマですよ。何かあるとトイレットペーパーを買い占めるのは、日本人の悪い癖だわ」

   藤村、眉を上げて麗子の隣に置いてあるトイレットペーパーの袋を見つめる。
   麗子、その視線に気が付いて唇を尖らせる。

麗子「言っておくけど、私は買い占めじゃないですよ」

藤村「いえいえ、まさか!そんな風に思ってないですよ。はい」

   藤村、肩をすくめる。麗子、ぼんやりと窓の外を見つめる。

麗子「少し寝ます。着いたら起こしてください」

   麗子、シートにぐったりと身を預けて、目をつぶる。
   藤村、バックミラーで麗子を見る。

〇首都高(朝)
 
   タクシーが走っている。晴れ渡った空。東京湾が青く光っている。

〇お台場海浜公園近くの都道482号(朝)

   タクシーが静かに停まる。

〇同 タクシー車内(朝)

   藤村、後部座席を振り向く。

藤村「お客さん、着きました」

   麗子、半目を開けて身を起こす。

麗子「あぁ、はい」

   麗子、窓の外を見つめる。窓の外には、見渡す限りの芝生が広がっている。
   麗子、目を丸くする。

麗子「えっ、ちょっと、ここ、どこですか!?」

   麗子、藤村を見つめる。藤村、フェイスガードとマスクを外す。藤村、笑顔。
   麗子、唖然として藤村を見つめる。

麗子「えっ、な、なんで!?」

藤村「三木さん。全然気づかないんだもんなぁ。びっくりしちゃいましたよ」

麗子「藤村さん、運転手に戻ったんですか!?」

藤村「一日だけ借りたんです」

   藤村、ハンドルを触る。

藤村「今日から、お店は休業でしょ?三木さん、落ち込んでるんじゃないかと思って」

麗子「どこですか、ここ?」

藤村「私のお店にご案内します」

麗子「お店?だって、藤村さん、結局喫茶店は諦めたって言ってましたよね?」

   藤村、笑っている。

麗子「コロナで…」

   タクシーの後部座席のドアが開く。
   藤村、タクシーを降りる。麗子もタクシーを降りる。

〇同 公園内広場(朝)

   藤村が歩いている。藤村の後ろを、麗子が歩いている。
   目の前に海が広がっている。海がキラキラと光っている。

   麗子、手を顔に当てて、目を細める。

   道行く人が、カップを持っている。
   カップには、オレンジの車のロゴが入っている。

  一台のキッチンカー。キッチンカーの側面には「Cafe 750」と書かれている。
   麗子、目を見開いてそれを見る。

   キッチンカーの中に、エプロンを付けた美桜と、徹也がいる。
   売り場の横には、色鮮やかなマグカップが飾られている。
   美桜と徹也、麗子に向かって、笑顔で手を振る。

   麗子、藤村を見つめる。藤村、振り向いて笑顔になる。藤村、両手を広げる。

藤村「Cafe 750へようこそ!」

   麗子、笑顔になる。藤村も満面の笑顔。
   抜けるような青空。

   公園内で、コーヒーを飲む人々の笑顔。
   風が吹き、どこからか桜の花びらが飛んで来る。
   花びらは、海の向こうへ飛んで行く。

                                 了

「Cafe 750」(PDFファイル:920.23 KB)
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