四軍JK桜の祝(ほうり) 学園

編集中
平瀬たかのり 31 0 0 09/26
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第一稿

 本稿には既存の文学作品をいくつか引用させていただいております。原作者没後五十年を経過し、著作権が失効しているため引用可と判断し、著作権法32条第1項に則し引用させていただきました ...続きを読む
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 本稿には既存の文学作品をいくつか引用させていただいております。原作者没後五十年を経過し、著作権が失効しているため引用可と判断し、著作権法32条第1項に則し引用させていただきました。問題点等お気づきの場合はご指摘くださいませ。(稿末に引用した作家、作品名を明記いたしております。)

主な登場人物

相田羽純―女子高生
吉村明音―現代文非常勤講師

相田有紀―羽純の母
雪田凛―羽純の同級生
崎山千緒―右同
結城愛紗―右同
篠崎凌太―右同
松村―羽純の担任教師

その他







〇△△高校・三年三組・教室の中
   四月。ホームルームの行われている教室。
   教師の松村(28)が教壇に立って話を
   している。
松村「――というわけでだな。進学するもの、
   就職するもの、誰もが人生を決する勝負
   の年になるわけだ。いいか、だからこそ
   リアルを充実させろよ。リア充ってやつ
   だ。勉強はもちろん大事だ。けどな、自
   分の殻に閉じこもるな。友達を増やせ。
   陰キャって言葉があるだろ。あれは先生
   嫌いだ。誰もの心の中に陽キャがいるん
   だ。輝く資質を持ってる。それは人との
   関わりの中でこそ磨かれる。コミュニケ
   ーションを恐れるなよ。俺のクラスの一
   員となったからには誰もが陽キャだ。い
   いな!」
   どっと沸く教室。
   一番前の席に座っている本編主人公、相
   田羽純(18)。松村を見ず、中庭に植
   えられた満開の桜並木見ている。
               (F・O)

〇メインタイトル
   【四軍JK桜の祝(ほうり)】

〇△△高校・二年七組・教室の中
   テロップ―【一年前】
   四月。始業前のざわついた雰囲気の教室。
   一番前の席に座り、文庫本を読んでいる
   羽純。そこへ同級生の雪田凛と崎山千緒
   がやってくる。
凛「相田さん。なに読んでんの?」
   顔を上げる羽純。文庫本をとりあげ、ブッ
   クカバーを外す凛。現れるライトノベル
   『リンダ爆旅記』のポップな表紙。され
   るままになっている羽純。
凛「面白い?」
   答えない羽純。
千緒「なに言ってんのよ。面白いから読んでん
 じゃん。ねえ、相田さん」
   答えない羽純。
凛「ははっ。ねえ相田さん、もうちょっとコミュ
 力磨こうよ」
千緒「凛、だめだよ。そういうのあんまり言っち
 ゃ。いじめと受け取ったら、それはもういじめ
 なんだから」
凛「あーあ、変なの。わたしたちいじめっ子なわ
 け?」
千緒「相田さん、言っとく。あなた今年から四軍
 ね。超陰キャのあなたは三軍にも入れない。オ
 ンリーワンだよ。すごいじゃん」
   投げるようにして羽純に本を返す凛。
凛「妄想の世界で一生遊んでなよ、四軍ちゃん」
   立ち去る凛と千緒。無言で文庫本にカ
   バーをかけなおす羽純。

〇帰路
   一人で帰宅する羽純。

〇アパート
   階段を昇っていく羽純。

〇二〇三号室・玄関
   入る羽純。着飾り、化粧をした母の有紀(39)
   が出かけようとしている。
有紀「ああ、羽純。おかえり」
羽純「え、もう」
有紀「同伴急に入っちゃったのよ。ごはん作
 っておいたから、食べてね」
羽純「うん、分かった」
有紀「新しいクラス、友達できた?」
   薄く笑い、首を横に振る羽純。
有紀「そっか。本読むのもいいけど、クラスの人
 たちとも仲良くならないとね。じゃ、行くね」
羽純「うん。いってらっしゃい」
   出ていく有紀。

〇同・キッチン(夜)
   独りで食事をしている羽純。

〇同・風呂(夜)
   風呂に入っている羽純。

〇同・羽純の部屋(夜)
   ファンタジー小説やライトノベルが並
   んでいる本棚がある羽純の部屋。
   ベッドに寝転がり『リンダ爆旅記』を
   読んでいる羽純。

〇同・二年七組・教室内【数日後】
   現代文の授業中。新任の非常勤講師、
   吉村明音(25)が自己紹介をして
   いる。
明音「と、いうことでですね。わたしは二年
 続けて教員採用試験に落っこちてるオチコ
 ボレ非常勤講師です。いたらないところ多
 々あると思うけどみんなといっしょに成長
 していって、次の採用試験ではぜーったい
 合格したいと思ってます。協力してよみん
 な。人生かかってるんだから! ってこと
 で一年間、よろしく!」
   華やいだ明るい雰囲気をまとう明音に
   教室内の空気も和んでいる。
明音「じゃあ訊くね。この一か月のうちに本
 を五冊以上読んだ人、手を挙げて!」
   誰も挙げない。
明音「ん~、ゼロかぁ、やっぱ」
凛「相田さんがいつも本読んでま~す」
明音「え、相田さんって?」
   羽純を指さす凛。俯いている羽純。
明音「相田さん。どんな本読むの?」
   答えない羽純。
千緒「相田さんは魔法少女で~す」
   うつむいたままでいる羽純。
明音「うん――(全員に向き直り)現在、高
 校生の二人に一人が、月に一冊も本を読ま
 ないと言われています。十代のときにしか
 できない読書体験があります。それを経ず
 に大人になるのは悲しいことだとわたしは
 思ってます。どんな本でもいい。まずは手
 に取って読んでほしい。それがこれから現
 代文をみんなに教えるわたしからの、最初
 のメッセージです」
   明音を見る羽純。
   ×    ×   ×
   休み時間になり、凛や千緒らいわゆる
   〈一軍〉の女子生徒たちに囲まれてい
   る明音。
   羽純が教室を出ていく。それを目で追
   う明音。

〇同・廊下
   トイレへ向かう羽純を呼び止める明音。
明音「相田さん」
   羽純、振り返り明音を見る。
明音「さっきはごめんね。ひやかされちゃっ
 たよね」
羽純「いえ」
明音「わたしね、放課後は図書室で採用試験
 の勉強や教材研究してるの」
羽純「はぁ」
明音「ねえ、相田さん、今あなたなにを読ん
 でるの」
   羽純、俯いて答えない。
明音「教えてほしいんだ」
羽純「……『リン爆』」
明音「え、なに、銀箔?」
羽純「『リン爆』」
明音「リンバク?」
   小さく頷く明音。
明音「うん、リンバク、リンバクね。分かった」
   立ち去りかける羽純。明音、その背に。
明音「ねえ相田さん、よかったら一週間後の
 放課後、図書室に来てくれない」
   振り向く羽純。明音、ニヤッと笑って
   親指を立てる。明音をじっと見る羽純。

○同・廊下【一週間後・放課後】
   うつむき加減で帰っていく羽純。図書
   室の前まで来る。いったん立ち止まる。
   通り過ぎる羽純。

○同・下駄箱のところ
   靴に履き替えている羽純。その手が止
   まって。また上履きを履く。
   戻っていく羽純。

〇同・図書室前
   引き戸を引き、入っていく羽純。

〇同・図書室の中
   歩いていく羽純。大机の前に座ってい
   る明音。微笑んで手招きをする。
   近づいていく羽純。
明音「来てくれるって思ってた。どうぞ、座
 って」
   明音の向かいに座る羽純。
羽純「あの、先生」
明音「よっこら」
   床に置いた鞄を持ち上げ、その中から
   本を取り出し、並べていく。五冊『リ
   ンダ爆旅記』シリーズである。
羽純「えっ」
明音「一週間で五巻まで読んだ。いやぁ面白
 いわ『リン爆』。人生損してたな。山田風
 太郎を彷彿させるわ。教えてくれてありが
 とう。おかげで試験勉強全然すすまなかっ
 たわ。何巻まで出てるんだっけ」
羽純「先月二十一巻が出ました」
明音「読んだ?」
羽純「はい。三回」
明音「読み始めたのいつから?」
羽純「小五からです」
明音「そう。十歳の柔らかい脳ミソにはたま
 らんわ、こりゃ」
   本を手に取る明音。ページを開く。
明音「いきなり決闘シーンから始まるもんな
 あ。最高のツカミだよ。『命までは取らな
 いから安心して。撃たれるのどっちがいい? 
 右肩? 左肩? 選んでよ』――くーっ、
 リンダかっけーぜ! ねぇ」
   羽純を見る明音。羽純、呆然と明音を
   見ているが。
羽純「――はいっ!」
   羽純の笑顔が弾ける。
    ×    ×     ×
   『リンダ爆旅記』のことを語り合う二
   人。(音声OFF)生き生きとした羽
   純の顔。
    ×    ×     ×
羽純「あの、先生」
明音「ん?」
羽純「初めてです。読んだ本のこと、人と話
 すなんて」
明音「楽しい?」
羽純「はい。とても」
明音「うん。共有した体験を語りあうってい
 うのも本を読む喜びなんだよ」
羽純「はい。でも、そんな人、いなかったから……」
明音「うん」
羽純「あの、先生」
明音「なに」
羽純「いや、やっぱりいいです」
明音「よかったら、言って。非常勤半人前の
 わたしでよかったら」
羽純「……四軍なんです、わたし」
明音「え『ヨングン』って?」
羽純「三軍にも入れないんです」
明音「それって」
   頷く羽純。自嘲気味に笑っている。羽純
   をじっと見る明音。
明音「おいで」
   立ち上がる明音。奥へと歩いていく。
   立ち上がり、その後を追う羽純。
   図書室最奥。日本文学選集の書架の前
   で立ち止まる明音。その横に立つ羽純。
明音「ほむら出版の日本文学選集シリーズ。
 わたしの出た高校にもあってね、三年かけ
 て読破した。いろんな作家の代表的な作品
 が読めるの。あなたも挑戦してみる?」
   明音を見る羽純。
明音「スクールカーストかぁ。くそくらえだな――
 ねぇ、これ全部、誰のために書かれたって
 思う?」
羽純「え?」
明音「あなたのためよ」
羽純「わたしのため?」
明音「そうよ。孤高の魂を持つあなたのため
 に書かれたの」
羽純「孤高の、魂――」
明音「これから行ってみようか」
   『梶井基次郎集』を羽純に差し出す
   明音。受け取る羽純。
明音「先週授業終わって、わたしに話しか
 けてきたのが一軍の子たち?」
   頷く羽純。
明音「言うなればわたしも四軍だった」
羽純「先生が」
明音「ふふ。いわゆる大学デビューってや
 つかな。高校卒業までは友達なんかいな
 かった。でも淋しくなんてなかった」
羽純「――」
明音「無理に人と繋がろうなんてしなく
 ていいんだよ」
   じっと明音を見つめる羽純。

〇アパート二〇三号室・羽純の部屋(夜)
   
羽純(モノローグ・以下M)「(その『檸檬』
 という小説は、病弱な一人の青年が、憂鬱
 な気持ちで街を歩いてるときに、果物屋で
 レモンを買って、楽しい気分になるけど、
 本屋さんに入ってまた憂鬱な気分になって、
 買ってた檸檬を積み上げた画集の上に置い
 て、これが爆弾だったらいいなあって思っ
 たらまた楽しい気持ちになって、そのまま
 出ていくって話しだった。正直、よく分か
 らなかった。今まで読んできた小説とは
 違いすぎて――こういうの、分からないと
 いけないのかな……)」
   本を閉じ、ため息をつく羽純。

〇△△高校・図書室前の廊下【翌日】
   歩いていく羽純。図書室のドアを開
   けて中に入る。

〇同・図書室の中
   教材研究をしている明音の前に座る
   羽純。
明音「読んだ?」
羽純「はい。『檸檬』だけ」
明音「どうだった?」
羽純「はい――よく分からなかったです?」
明音「そう」
羽純「はい。でも」
明音「でも?」
羽純「不思議です。なんでレモンを置いて
 きただけでそんな楽しい気持ちに、主人
 公がなったのか」
明音「うん。だよね。じゃあさ、明日やっ
 てみようか」
羽純「え、やってみる?」
明音「明日の休み、レモン爆弾、一緒にし
 かけにいこうよ」
   羽純を見て微笑む明音。

〇丸善・丸の内本店・入口【翌日・土曜】
   ビルを見上げる羽純。
羽純「おっきい……」
明音「このビルの一階から四階までが丸善
 書店。レモン爆弾仕掛けるんだったら、
 やっぱり丸善だもんね。よし、入ろう」
   入店する二人。

○前同・エスカレーター
   肩を並べて上がって行く二人。
明音「どんな気持ち?」
羽純「ドキドキしてます」
明音「うん、わたしも。いやぁ、これ一回
 やってみたかったんだよなあ」
   
○四階・芸術書のエリア
   二人、肩を並べて歩いて行く。
   平台の前で立ち止まる。
羽純「主人公は、画集を積み上げていく
 んですよね」
明音「うん」
羽純「でも」
明音「だね。あんまりガチャガチャやってる
 と不審だよね。梶井には悪いけど、そこは
 割愛してレモン置いて帰るだけにしよう」
羽純「はい」
   平台に積まれた芸術書の上に、ポケッ
   トから取り出したレモンを置く羽純。
   後ろから明音が耳元でささやく。
明音「『――それをそのままにしておいて私
 は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――』」
   踵を返し、足早でフロアを離れる二人。

○前同・エレベーター
   肩を並べて降りていく二人。くすくす
   と笑っている。

○前同・入口
   店から出てくる二人。路上で声をあげ
   て笑い始める。
明音「どんな気持ちっ、相田さん!」
羽純「なんか、なんか、ドキドキとまらない
 です!」
明音「わたしもだよ!」
   明音、ハンドバッグから文庫本(『檸檬』)
   を取り出す。ページを開き羽純に差し出す。
羽純「え?」
明音「ほら、ここ、ここ読んで、今ここ!」
  明音の指がページを指す。羽純、文庫本を受
  け取る。
羽純「――『変にくすぐったい気持が街の上の私
 を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろし
 い爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう
 十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大
 爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろ
 う。』――」
明音「どっかーん!」
   大笑する明音。
羽純「どっかーん!」
   羽純も笑う。
明音「どっかーん!」
羽純「どっかーん!」
   二人を気味悪そうに見ていく通行人たち。

○△△高校・図書室【二日後】(放課後)
   向かい合って座っている羽純と明音。
   羽純『梶井基次郎集』を読み、明音
   は教材研究をしている。
明音「どっかーん」
   顔を上げる羽純。明音、下を向いた
   ままである。
羽純「――どっかーん」
   くすくすと笑う明音。顔を上げて。
明音「あるかな今も、丸善」
羽純「ないですよ。わたしがレモン爆弾で
 爆破しましたから」
明音「だよね」
   二人、くくくっと笑いあって。また
   教材研究と読書に戻る。
×    ×    ×
羽純「先生」
   顔を上げる明音。羽純、本に目を落
   としたまま。
明音「ん?」
羽純「そうか、そうだったんだ……」
明音「え?」
羽純「だからか、だから桜って、あんなに」
明音「桜?――ああ」
   明音、微笑む。
明音「――「『桜の樹の下には屍体がうまっ
 ている! それは信じていいことなんだよ』」
   羽純、少しビクつく。
羽純「先生」
明音「なに」
羽純「わたし、桜って好きになれなかった。毎
 年綺麗に咲いて。みんなに綺麗だ綺麗だって
 言われて。チヤホヤされて。お花見なんかし
 てもらって。でも、あの樹の下には」
明音「そうよ。桜の樹の下には、屍体がうまっ
 ているの。だから綺麗に咲くの。本当よ。ね
 え、相田さん」
   顔を上げる羽純。
明音「あなたの心はね、今、処女じゃなくなっ
 たの」
羽純「え」
明音「胸が痛いでしょ」
羽純「はい。こんな気持ち、初めてです」
明音「それはね、破瓜の痛みなの。血を流して、
 震えているのよあなたの心は今。相田さん、
 読みなさい。梶井を読んだら、次の作家にか
 かるの。どんどん読むの。そのたびにあなた
 の心は抱かれるわ。心の襞を、やさしく愛撫
 されてね。男だけじゃないわ、女にだって抱
 かれるのよ。そのたびにあなたの心は喜悦の
 声を上げて悶えるの。あなたにはその資格が
 ある」
羽純「――先生」
明音「なに」
羽純「エロいです」
明音「なに言ってんの。文学作品なんて昔っか
 ら誰よりエロい人間が書いてきたもんなんだ
 から」
   笑う二人。
羽純「先生を処女じゃなくしたのは?」
明音「ん? 横光利一の『春は馬車に乗って』よ。
 タイトルが素敵だから何気に読んだら人生決
 められちゃった。毎日読んでそのたび泣いて目
 がブクブクに腫れたんだから」
羽純「わたし、今からもう一回これ、読みます」
明音「うん。二回目だ。今度は気持ちいいばっか
 りかもよ」
羽純「――先生、やっぱりエロいです」
明音「だね。こんなだから採用試験受からない」
   笑いあう二人。『桜の樹の下には』を読
   み返し始める羽純。教材研究に戻る明音。

〇アパート・羽純の部屋(夜)
   机に向かって座り、『桜の樹の下には』
   を書き写している羽純。ドアがノックさ
   れ有紀が顔を出す。
有紀「ただいま」
羽純「(有紀を見て)おかえり」
有紀「ずいぶん遅くまで頑張ってるのね。試験
 があるの?」
羽純「いや、うん、まあ」
有紀「ほどほどにね」
羽純「うん。もう少ししたら寝る。お母さん」
有紀「なに」
羽純「わたし、大丈夫だから」
有紀「え?」
羽純「友達とかいないけど、わたし、大丈夫だ
 から心配しないでね」
有紀「――羽純」
羽純「大丈夫なんだ、わたし」
   写し書きに戻る羽純。
有紀「うん、わかった。おやすみ」
羽純「おやすみ」
   戸を閉める有紀。
                
〇羽純の読書ノート、見開き2ページ
   表紙がめくられる。
   最初の日付は四月十四日。最下段の日付
   は七月十八日。作家、作品名でびっしり
   埋められた見開きの2ページ。

〇路上【夏休み】
   自転車を飛ばしている羽純。

〇図書館・駐輪場
   自転車を止める羽純。図書館へと入って
   いく。

〇前同・大机
   一番端の席に座る羽純。鞄の中から
   『三島由紀夫集』を取り出し、読み
   始める。
   ×    ×    ×
   正午になる。立ち上がる羽純。

〇近くのコンビニエンスストア
   ビニール袋を持って出てくる羽純。

〇図書館の庭
   ベンチに座り、サンドイッチとジュー
   スの昼食を摂っている羽純。
   携帯電話の着信音。手に取る羽純。
羽純「先生」
   出る羽純。
羽純「はい」
明音(声)「〈よう、読むガール。夏休み
 を満喫しておるかね〉」
羽純「読むガールってなんですか、それ」
明音(声)「〈山ガールとかがいるんだっ
 たら読むガールがいてもいいじゃない〉」
羽純「ははっ。どうしたんですか先生」
明音(声)「〈どうしたってさ、ちょっと
 は連絡くれてもいいじゃないのよ。毎日
 放課後いっしょに過ごしてる仲なんだか
 らさ〉」
羽純「ごめんなさい。わたし今、三島由紀
 夫と爛れた情痴の真っ最中なもんで」
明音(声)「〈言うねえ。なに読んだ?〉」
羽純「〈『潮騒』読んで『金閣寺』読んで
 今『仮面の告白』読んでます〉」
明音(声)「〈おー。いい入り方してるねぇ〉」
羽純「先生は勉強頑張ってますか?」
明音(声)「〈おかげさまで。本に伸びかけ
 る右手を左手で引き戻して、勉学にいそし
 んでおりますわよ、おほほ〉」
羽純「ははは」
明音(声)「〈宿題は大丈夫?〉」
羽純「四日で終わらせました」
明音(声)「〈おー〉」
羽純「わたし、この夏はひたすら読むって
 決めてるんです」
明音(声)「〈うん。わたしと同じ高二の夏だ〉」
羽純「そうなんだ――じゃあわたし、また三島
 に抱かれます」
明音(声)「〈うん。悶えろ〉」
羽純「それじゃ、また声聞かせてください」
明音(声)「〈分かった。じゃあね〉」
羽純「はい、失礼します」
   電話を切る羽純。
   目を閉じ、響いている蝉の声をじっと
   聞き始める羽純。

〇△△高校・二年七組【二学期】 
   新学期。現代文の授業中。教壇に立って
   いる明音。黒板に『山月記/中島敦』の
   文字。
明音「はい、誰か夏休みの間にこの作品、読ん
 だ人はいるかな? いたら手を挙げて」
   ざわつく教室。誰も手を挙げない。
明音「誰もいない? 読もうよ十七の夏に
 『山月記』。意外といいお話載ってるんだよ、
 教科書にも」
   羽純、小さく手を挙げる。
明音「読んだ? 相田さん」
   小さく頷く羽純。
明音「じゃあ、読んで」
羽純「え」
明音「冒頭部を音読してください」
   羽純をまっすぐ見る明音。明音、その
   視線を受け止め頷く。立ち上がる羽純。
   ざわめき。『魔法少女がんばれー』
   『ひゅーひゅー』。冷やかしの声。
明音「静かに!」
   静まり返る教室。羽純、ふーっとひと
   つ息をいてから読み始める。
羽純「『山月記』中島敦――『隴西の李徴は
 博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜
 に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、
 狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘
 んずるを潔しとしなかった。いくばくもな
 く官を退いた後は、故山、 かく略に帰臥し、
 人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。
 下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈
 するよりは、詩家としての名を死後百年に
 遺そうとしたのである――』」
   朗々と読み進める羽純。驚きの目で彼
   女を見るクラスの誰も。

〇学生食堂裏の小園庭(昼休み)
   誰も生徒のいない小園庭。古びたベン
   チに座って文庫本を読んでいる羽純。
凌太「相田さん」
   顔を上げる羽純。クラスメートの篠崎
   凌太が立っている。
凌太「よくここで本読んでるよね」
羽純「え――」
凌太「学食で昼メシ食べてるとき、見えるか
 らさ。なんでここ?」
羽純「なんか落ち着くから。人、いないし来
 ないし」
凌太「そっか。じゃあ俺邪魔しちゃったんだ
 な、ごめん」
羽純「あの――」
凌太「相田さん。えっとさ、あの、さっきの
 さ、現代文の本読み。あれ、すっげーよかっ
 た」
羽純「え」
凌太「『山月記』だっけ。なんか、感動した。
 俺、現代文苦手だから、意味とかよく分か
 らなかったけど、なんかこう、すっげーエ
 モかったよ相田さんの本読み」
   凌太をしばらく見ている羽純。
羽純「ありがとう」
   文庫本に目を落とす羽純。羽純の
   隣に腰を下ろす凌太。羽純、凌太を
   見る。
凌太「相田さん。俺さ、顧問の井上先生にさ、
 『ちょっとはブンガク作品でも読め』って言
 われててさ」
   凌太を見る羽純。
凌太「フォワードに戻してくれっつーの。向い
 てねーよ、俺ボランチなんてさ」
羽純「どういうこと?」
凌太「井上先生な、俺の事『中盤として考える
 力が足りない』とか言って。自分だってけっ
 こういいかげんな選手交代してんだよ。あん
 たが本読めっての――相田さん、それなに読
 んでんの?」
羽純「これ? 織田作之助の『夫婦善哉』」
凌太「ふーん、面白いの?」
   笑って答えない羽純。
凌太「なあ、相田さん。俺、なに読んだらい
 いんだろ。読んだら感想言ってこいって井上
 先生に言われててさあ。でも俺ブンガク作
 品なんて一ミリも分かんなくてさ。困っ
 てんのマジで」
羽純「……『走れメロス』とかいいかも」
凌太「『走れメロス』。聞いたことある。
 なんか走るやつだよね」
   羽純、笑って。
羽純「そう、なんか走るやつ」
凌太「でもさ、俺頭痛くなるんだよ本とか
 読んでると。本ってさ、文字ちっちゃい
 だろ。難しい漢字、いっぱいあるし」
羽純「図書館だったら、小学生向けの大き
 い文字の本も置いてあるよ。全部振り仮
 名うってあるし」
凌太「え、そうなの?」
羽純「うん。太宰のもあったはずだよ」
凌太「そうか。分かった。今度図書館行っ
 て借りてみるわ」
羽純「うん――あのさ。篠崎くん」
凌太「なに」
羽純「わたしなんかとあんまり話ししな
 いほうがいいよ」
凌太「え、どゆこと?」
羽純「ほら、わたし四軍だから。いっしょ
 にいたら変な目で見られる」
   羽純、文庫本に目を落とす。
凌太「なにそれ。つまんねーよ、そんなの」
   羽純、凌太を見る。
凌太「相田さん、そんなのブッチ切っちゃっ
 てると思ってたけど。今日の本読みなん
 かマジですごかったしさ」
   屈託なく笑っている凌太をじっと見
   る羽純。

〇図書館・貸出コーナー
   文学選集を五冊借りている羽純。
   手続きを終え、五冊をバッグに
   入れる。カウンターの上に置か
   れたその横に置かれた〈図書館
   だより〉を手にしてそれもバッ
   グへ。そのとき横に置かれた
   〈朗読ボランティア募集〉の
   プリント  に目が止まる。手
   に取る羽純。
   女性司書が声をかける。
司書「興味ある? 毎週土曜日の二時
 からイベントルームでやってるの。
 目の不自由な方や、ご高齢の方向け
 にね。けっこう人気あるのよ」
   プリントをじっと見つめる羽純。

〇図書館二階・イベントルーム【一週間後】
   十畳ほどの部屋。扇状に椅子が
   並べられ、そこに十人の参加者。
   取り囲まれるようにして座って
   いる羽純。
羽純「――『路行く人を押しのけ、跳ね
 とばし、メロスは黒い風のように走った。
 野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を
 駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬
 を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ
 沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。
 一団の旅人と颯っとすれちがった瞬間、
 不吉な会話を小耳にはさんだ。「いま
 ごろは、あの男も、磔にかかっている
 よ。」ああ、その男、その男のために
 私は、いまこんなに走っているのだ。
 その男を死なせてはならない。急げ、
 メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の
 力を、いまこそ知らせてやるがよい。
 風態なんかは、どうでもいい。メロス
 は、いまは、ほとんど全裸体であった。
 呼吸も出来ず、二度、三度、口から血
 が噴き出た。見える。はるか向うに小
 さく、シラクスの市の塔楼が見える。
 塔楼は、夕陽を受けてきらきら光って
 いる。』――」
   『走れメロス』を朗々と読む羽純。
   
〇△△高校・学生食堂裏の小園庭【二日後】
 (昼休み)
   文庫本を読んでいる羽純。
   凌太がやってきて前に立つ。
凌太「相田さん」
   顔を上げる羽純。隣に座る凌太。
凌太「読んだよ『走れメロス』」
羽純「そう、どうだった」
凌太「うん、感動した。感動したんだよ俺」
   凌太をじっと見る羽純。
凌太「なんていうか、上手く言えないんだ
 けどさ。やっぱり仲間のために走らなきゃ
 いけないんだなって思った。俺、小学校
 のころからフォワードでやってきただろ。
 自分が点取れたらそれでいいって思って
 たところがあったんだよな。けど今はボ
 ランチなんだからそれじゃだめなんだよ。
 仲間のために走り回ってさ、ピンチの芽
 を摘まなきゃいけないんだよ。俺のパス
 待ってるやつに、いいパス出してやんな
 きゃいけない。だから走らなきゃいけな
 いんだよな。なんかそれが分かったって
 いうかさ――おかしい、こんな感想?」
   首を横にふる羽純。
羽純「ぜんぜんおかしくないよ」
凌太「そっか、よかった。相田さんがそう
 言うんだったらおかしくないんだな」
羽純「わたしもあれからまた読んだんだ
 『走れメロス』」
凌太「へえ、そうなの」
羽純「わたしの朗読ボランティア、デビュー作」
凌太「朗読ボランティア――そんなのやっ
 てんの相田さん」
羽純「うん、図書館でこの前から」
凌太「そっかー。なんか相田さん一年のころ
 と印象変わったよなあ」
羽純「え」
凌太「本読みだけじゃなくってさ、なんかも
 う存在がエモいわ」
羽純「――篠崎くん」
凌太「なに」
羽純「ありがとう」
凌太「え、俺なにもしてないけど。お礼言
 うのこっちの方だけど」
   首を横にふる羽純。

〇前同・学生食堂
   楽しそうに話を続ける羽純と凌太
   をガラス越し、遠目から椅子に座っ
   て見ている凛、千緒、同級生の結城
   愛紗。
凛「ちょっと、なにあれ」
千緒「ありえないんだけど」
凛「最近調子こいてるよね、あの四軍女」
千緒「いいの愛紗、ほっといて」
愛紗「――いいって?」
凛「あんた、中学から凌太くんのこと好き
 だから、誰にコクられても振ってきたん
 でしょうが。取られてもいいの凌太くん、
 あの超陰キャに」
愛紗「――うん」
凛「『うん』じゃないって」
   愛紗、談笑する二人をじっと見つ
   めて。

〇前同・図書室(放課後)
   向かい合って座っている明音と
   羽純。
   どことなく読書に集中できない
   様子の羽純をチラッと見る明音。
明音「『命短し恋せよ乙女』」かぁ」
   びくっとなり明音を見る羽純。
   くくっと笑う明音。
明音「一つの恋に百冊の読書体験が太
 刀打ちできないこともありますから
 ねえ」
羽純「なに言ってるんです先生」
明音「はて、なに言ってるんでしょう
 ねえ」
羽純「そんなのじゃないですよ」
明音「そんなのじゃありませんかぁ」
羽純「そうですよ。なに言ってるん
 ですか」
   不機嫌な顔で読書に戻る羽純。
羽純「先生」
明音「ん?」
羽純「発表、いつですか」
明音「二週間後」
羽純「受かってるといいですね」
明音「うん。今度はちょっと自信ある」
羽純「本当の先生になって、ここに来
 ることは?」
明音「う~ん、たぶんないと思うよ」
羽純「そっか」
明音「うん」
羽純「わたし、半分くらい、先生が落
 ちたらいいって思ってる」
明音「え」
羽純「先生が採用試験落ちて、来年も
 ここで、こうやっていたいって思っ
 てる」
明音「相田さん」
羽純「――わたし最低だ。ごめんなさ
 い先生」
明音「うぅん。ずっと覚えておくね、
 相田さんにそう言ってもらったこと」
羽純「忘れてください」
明音「うぅん、覚えておく」
   俯いている羽純を見る明音の穏
   やかな顔。

〇図書館・イベントルーム【土曜日】
   十人の聴衆。その中央に羽純。
羽純「こんにちは。お集りいただき
 ありがとうございます。今日は梅
 崎春生の『庭の眺め』を読ませて
 いただきます。なんだかへんてこ
 りんな作品だけど、思わず笑っちゃ
 う、そんな作品です。それでは読
 みます――『庭の眺め』、梅崎春生。
 『庭というほどのものではない。
 方六七間ばかりの空地である。以
 前ぐるりを囲っていた竹垣は、今
 は折れたり朽ちたりして、ほとん
 ど原形を失っている。――』朗読
 を始める羽純。
     ×    ×   ×
   羽純の朗読は続いている。笑
   みをこぼしながら聴いている
   聴衆たち。
     ×     ×   ×
羽純「――『汲取屋さんの馬が、カス
 ミ網を食っていますよう」もし叫ぶ
 とするなら、こんな風に呼べばよかっ
 たのだろう。』――」
   笑い声が起きる。羽純も笑う。
   そのとき、部屋のドアが開く。
   入ってくる凛、千緒、愛紗。後
   方の壁際に並んで立つ。
   羽純、気づく。驚く。つかえ始
   める羽純。気持ちを立て直し、
   読み進める。
   その様子をじっと見ている三人。
      ×    ×    ×
   朗読を終える羽純。拍手が起きる。
   白杖の老婆が羽純のところへくる。
老婆「とっても面白いお話だったわ。声あげ
 て笑っちゃった。あなた本当に朗読がお上
 手ねえ」
羽純「ありがとうございます」
老婆「でも、途中から少し声の調子が変わっ
 ちゃったわね。なにか憂いを帯びる感じ
 になったっていうか」
羽純「すみません」
老婆「あやまることじゃないわ。とっても
 お上手だったもの。次も楽しみにしてる
 わね」
   立ち去る老婆。帰り支度を始める羽
   純のところへやって来る三人。
凛「すごいじゃん相田さん、朗読ボランティ
 アやってるなんてさ」
千緒「篠崎くんに聞いたんだ。やけに最近
 仲いいじゃん、彼と」
   羽純、目を合わせない。
凛「その篠崎くんのことで話があってさあ。
 ほら、愛紗」
愛紗「うん。あのね、わたし、篠崎くんに
 手紙、書いたの。まだ下書きだけど」
羽純「――そう」
愛紗「わたし、人に手紙書くのなんか、初
 めてで。だから相田さんに、上手く書け
 てるかどうか、読んでもらいたくって。
 ほら、相田さん、現代文得意でしょ。本
 もすごく読んでるし。漢字の間違いとか
 あったらいやだし。だから」
凛「相田さんのご指導の下書き直したいん
 だって愛紗。添削ってやつよ。でね、書
 きあがったらさ、それ渡してやってよ篠
 崎くんに、ね。お昼休みに学食の裏でさ
 あ」
千緒「いまどきラブレターなんて流行らな
 いけどさ、こういうのほら、恋のキュー
 ピットとかって言うんでしょ。それになっ
 てあげてよ、ね。お願い」
   羽純、無言で部屋を出ていく。
   扉を閉める羽純、凛と千緒の笑い声
   が聞こえる。

〇路上
   夕暮れの街を歩いて行く羽純。

〇商店街
   歩く羽純。
   八百屋の前で立ち止まる。店に入
   る羽純。

〇橋の上
   欄干に寄りかかっている羽純。
   手にレモンを握りしめている。
   そのレモンをじっと見つめる。
   川に向かう羽純。レモンを投
   げようとその手を振り上げる。
   思いとどまる。
   欄干に両腕を乗せ、その上に
   顔を伏せる羽純。レモンを握
   りしめて泣く。

〇羽純の部屋(夜)
   机に向かっている羽純。『桜
   の樹の下には』の写し書きを
   続けている。
             (F・O)

〇△△高校・校庭【一年後・春】
   新学期。満開の桜並木の中を
   生徒たちが校舎へと歩いて行く。
   肩を並べて歩いて行く凌太と愛紗。

〇前同・図書室
   大机の前に立っている羽純。
   明音がいつも座っていた席を
   見つめて。
   歩き出す。ほむら出版の文学
   選集の前で立ち止まる。
   背表紙を愛おし気にさわっていく。
   踵を返し歩いていく羽純。図
   書室を出ていく。

〇羽純の回想・八重洲口高速バス乗り場
   明音にすがりつくようにして
   泣いている羽純。明音、涙を
   こらえながら優しく髪を撫で
   てやっている。
   羽純の肩を掴む明音。嗚咽の
   止まらない羽純。
羽純「先生、先生あのね」
明音「うん、なに」
羽純「わたし、嬉しかった。孤高の
 魂なんてわたしのこと言ってくれて、
 本当に嬉しかった」
明音「うん、うん」
羽純「本当に嬉しかったんだ!」
   また明音にすがりつく羽純。羽純
   を抱きしめる明音。こらえきれず
   涙をこぼす。
            (回想終わり)

〇前々同・廊下
   歩いて行く羽純。

〇前同・三年三組教室
物語冒頭場面に戻って。
   羽純、中庭の桜をじっと見続
   けている。
   クラスには凛、千緒、愛紗、
   凌太がいる。
   教壇に立って話を続けている
   松村。
凛「はい先生、提案がありまーす」
   手を挙げる凛。
松村「ん、なんだ雪田。言ってみろ」
凛「この後クラスでお花見しませんか、
 中庭で。短縮授業なんだし。コンビ
 ニでお菓子とかお弁当とか買ってき
 て」
   「さんせーい」「おー、いいね
   え」などの声があちこちで上がる。
松村「うーん、花見かぁ」
凛「ダメですかぁ」
   「やりたーい」の声があがる。
松村「よし、いいだろ。生徒会室行っ
 てビニールシート借りてこい。俺も参
 加する」
   「先生怒られないのー」の声。
松村「怒られたってかまわんよ。おまえ
 らのいい思い出になるんなら」
   拍手喝采の教室。
松村「おい、ビールは買ってくるなよ。
 ノンアルもだめだぞ」
   どっと沸く教室。
   羽純、桜を見続けている。
松村「よし、じゃあ言ってたとおり今
 日から朝のホームルーム前の五分間
 自己紹介! 自己紹介に詰まったら
 俺が質問を出すのでそれに答えるよ
 うに。名前だけ言って早く切り上げ
 るのは許さんぞぉ~。はい、じゃあ
 出席番号一番相田羽純、行ってみよ
 う!」
   立ち上がる羽純。まばらな拍手。
   教壇へ歩を進める羽純。教卓の
   横へうつむき加減で立つ。「が
   んばれー文学少女―」「山月記―」
   の声。
松村「知ってるぞ相田。本読むの好きな
 んだろ。ん。どんなの読んでんだ。み
 んなに教えてやってくれ」
   羽純、無言。
松村「どうした、相田」
   顔を上げる羽純。松村を見て薄く
   笑う。
松村「ん?」
羽純「はい先生、こんなの読んでるんです、
 わたし」
   羽純、クラス全員を見渡してから――。
羽純「『桜の樹の下には』梶井基次郎――『桜 
 の樹の下には屍体がうまっている! 
 これは信じていいことなんだよ。』
   ざわついていた教室が一瞬にして静
   かになる。
羽純「『何故って、桜の花があんなにも見事
 に咲くなんて信じられないことじゃないか。
 俺はあの美しさが信じられないので、この
 二三日不安だった。しかしいま、やっとわ
 かるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋
 まっている。これは信じていいことだ。』――」
   『桜の樹の下には』を諳んじ始める
   羽純。またざわつきだすクラスメート。
松村「お、おい、相田」
   羽純、諳んじ続ける。
羽純「『――おまえ、この爛漫と咲き乱れ
 ている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっ
 ていると想像してみるがいい。何が俺をそ
 んなに不安にしていたかがおまえには納得
 がいくだろう。馬のような屍体、犬猫のよ
 うな屍体、そして人間のような屍体、屍体
 はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。
 それでいて水晶のような液をたらたらとた
 らしている。桜の根は貪婪な蛸のように、
 それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸
 のような毛根を聚めて、その液体を吸って
 いる』――」
   静まり返る教室。だれもが息をつめ羽
   純の暗誦を聞いている。
羽純「『――この溪間ではなにも俺をよろこ
 ばすものはない。鶯や四十雀も、白い日光
 をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそ
 れだけでは、もうろうとした心象に過ぎな
 い。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡が
 あって、はじめて俺の心象は明確になって
 来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いて
 いる。俺の心に憂鬱が完成するときにばか
 り、俺の心は和んでくる』――」
   微笑さえ浮かべている羽純。
凛「やめてよ気持ち悪い!」
   立ち上がる凛。羽純、凛をまっすぐ見て。
羽純「――『おまえは腋の下を拭いているね。
 冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。
 何もそれを不愉快がることはない。べたべた
 とまるで精液のようだと思ってごらん。それ
 で俺達の憂鬱は完成するのだ』――」
   ざわめきが広がっていく教室。
   羽純、窓の外を見る。激しく風が吹き、
   桜の枝がしなっているのが見える。
   花びらがいっせいに舞っている。
   羽純、ダッと窓へ駆け寄り窓を開ける。
   舞い散る桜の花びらが教室に一気にふ
   きこんでくる。
羽純「『ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!』」
   叫び声の上がる教室。がたがたと音を
   立てて椅子から立ち上がる生徒たち。
   教室の後ろにかたまる。
羽純「『いったいどこから浮かんで来た空想か
 さっぱり見当のつかない屍体が、いまはまる
 で桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っ
 ても離れてゆこうとはしない。今こそ俺は、
 あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人
 たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな
 気がする』」
   桜の花びらがどんどん吹き込んでくる。
   悲鳴があがる教室。悲鳴を上げて教室
   から逃げ出す松村。窓際に立ちつくし、
   微笑んでいる羽純。
羽純モノローグ「〈その日の花見はなくなっ
 た。わたしは教室を混乱させたということで
 、一週間の学内停学処分となった。学内停
 学というのはこの学校に昔からある、一日
 中図書室にいて、自習か読書をしなければ
 ならないという制度だ。それはわたしにとっ
 てまったく至福の時間だった〉

〇前同・図書室(翌日)
   大机のいつもの席に座り、読書をして
   いる羽純。顔を上げ、前の席を見る。
   明音のいない席を見る。
   ふふっと笑う羽純。
羽純「『これ全部、誰のために書かれたっ
 て思う?』――」
  本に目を落とし読書を続けていく。
                 (了)
  



本稿作中に引用した作品
・梶井基次郎「檸檬」
      「桜の樹の下には」
・中島敦「山月記」
・太宰治「走れメロス」
・梅崎春生「庭の眺め」

 以上作中引用作品はすべてインターネットサイト、《青空文庫》https://www.aozora.gr.jp/からの出典となります。

   42頁二行目
明音「『命短し恋せよ乙女』」かぁ」
   吉井勇/作詞 中山晋平/作曲
   『ゴンドラの唄』からの引用
   

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