大正亭ホテル ファンタジー

夫の葬儀のその日、80歳の妻は聞き覚えのあるジャズの音色に導かれ、洋館をさ迷い歩く。音のするドアを開けると、そこには大正時代の懐かしいカフェラウンジが広がっていた。懐かしい顔が当時のままに働き、妻も18歳の姿に。そして、その日は妻にとって運命の事件が起きる日であった・・・
森江雅幸 202 0 0 09/02
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第一稿

○明智家・全景
   年月を感じる洋館。
   『明智家式場』の立て看板。

○同・居間
   祭壇に献花。
   喪服姿の家族・親戚が集まり、このあ
   と自宅葬 ...続きを読む
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○明智家・全景
   年月を感じる洋館。
   『明智家式場』の立て看板。

○同・居間
   祭壇に献花。
   喪服姿の家族・親戚が集まり、このあ
   と自宅葬が始まるところ。
   語り合う者、お茶を出す者の中にぽつ
   りと明智キヨ(80)の姿。
親戚の女1「おじいちゃん、最後どんな?」
親戚の女2「いつものように冗談なんか言っ
 てたのよ、それが急にだったみたい」
   キヨ、ふと何かを感じ、立ち去る。
親戚の女1「(キヨを見送り)おばあちゃん、
 大丈夫かしら」
   去って行くキヨをじっと見ている明智
   久美(10)。
久美「・・・」

○同・廊下
   キヨが歩いて来ると、遠くから軽妙な
   ジャズの音色が聞こえて来る。
   キヨ、音を辿ってあるドアの前で立ち
   止まる。
キヨ「・・・」
   とそっとドアを開け、中を覗いてみる。

○大正亭ホテル・ラウンジカフェ
   少し開いたドアからキヨが覗いている。
   蓄音機からはジャズが流れている。
   カウンターでコーヒーをドリップする
   ボーイの松岡(25)。
   客席には、新聞を読んだり、お喋りを
   楽しむ客がちらほら。
   ドアの向こうで唖然とするキヨが中へ
   入ると、その姿は18歳のキヨへと変
   貌する。ウエイトレス姿の自分に驚く
   キヨ、カウンターに近づくと、グラス   
   に映った若々しい自分の姿。
キヨ「・・・」
   客にコーヒーを運んだウエイトレスの
   徳田いね(18)が戻って来る。
いね「キヨちゃん、どうした?」
キヨ「・・・」
いね「キヨちゃん?」
キヨ「いっちゃん? 貴女いっちゃんよね?
 嬉しい、会いたかった! 何で? どうし
 て? 夢じゃないよね!」
いね「ちょっとキヨちゃん、しー!」
   客がキヨ達を見ている。
いね「(小声で)どうしちゃったのよ急に」
   支配人の有川(50)が通り掛かる。
キヨ「支配人! 有川支配人! 感激です、
 ご無事だったんですね!」
有川「(怪訝そうに)?」
キヨ「良かった、生きてて」
有川「そりゃ生きてるよ、今日は変だね君」
   と去って行く。
   松岡が2人に寄って来る。
松岡「どうしたんだい、田村くん」
キヨ「松岡さん!」
   松岡、キヨの口を手で塞ぐ。
松岡「だから何だよ急に、お客様の前だぞ」
   キヨ、客の視線に気付き、冷静に。
キヨ「でも」
松岡「でもじゃないよ。で、持って来た?」
キヨ「・・え?」
松岡「レコード持って来いって言ったろ、お
 客様からリクエストがあったって。ノーバ
 ディーズスウィートハートナウ。それ取り
 に行ったんだろ今?」
キヨ「はい・・・そうでした」
   と入って来たドアの前に行く。
キヨ「・・・」
   と思い切ってドアを開けると、中は備
品倉庫。
キヨ「・・・」
   とレコードを探し、蓄音機のゼンマイ
   を巻き直している松岡に渡す。
   針が落ちると小気味よい音楽が流れる。
   キヨ、改めてラウンジを見渡す。
いね「何かあった? もしかして恋煩い?
 それはないか、キヨちゃんに限って」
   テーブルで手を上げる江戸川(30)
   に気付く2人。
いね「行ってくれる? あの人苦手」
   キヨ、江戸川の元へ。
江戸川「君、冷やしコーヒーのお代わりを」
キヨ「はい」
   とグラスを下げ、カウンターへ。
キヨ「冷やしコーヒーお願いします」
松岡「はいよ」
いね「また冷やしコーヒーだけで一日かな。
 じっと座っているのはいいんだけど」
   と江戸川を見る。
   江戸川は向かいに座る紳士を凝視して
   いる。紳士が懐中時計を見ると、江戸
   川の視線に気付き、怪訝そうな顔。
いね「ああやって周りの人をじっと観察する
 からさ、また苦情きそう」
キヨ「何をしている人?」
いね「何でも小説家の先生らしいよ。最近本
 を出したばかりだから、売れるかどうかも
 分からないけどね」
松岡「3番テーブルに新聞お持ちして」
キヨ「はい」
   と窓際の席に新聞を持って行く。新聞
   を見ると『大正十三年』の文字。
キヨ「どうぞ」
窓際の客「ああ、ありがとう」
   キヨ、新聞を渡すと、そのまま外の景
   色を見る。そして吸い寄せられるよう
   に外へ出る。

○同・前
   中からキヨが出て来る。
   通りを往来する着物や洋服の人々。
   通りの向こうには、軒を連ねた下駄屋、
   時計屋、煙草屋などが見え、人力車も
   走る大正の風景。
   嬉しくなったキヨが深呼吸する。
   と遠くからバタバタと足音が来る。
   キヨが見ると、一直線に自分に向かっ
   て走って来る明智吾郎(24)の姿。
   スピードは緩まず、どんどん来る!
キヨ「!」
吾郎「危ない!」
   とキヨに飛び掛かる。
   倒れこむ2人と入れ違うように、頭上
   から川本守(30)が落ちて来る!
   見つめ合うキヨと吾郎。落ちた川本を
   見るが、ピクリとも動かない。
   通行人の悲鳴と、集まる野次馬達。
   『何だ何だ』『落ちてきたぞ』『飛び
   降りか』などの声。
   けたたましく笛を鳴らし、サーベルを
   下げた警官・荻野(20)が来る。
荻野「どけどけ! お前ら全員離れろ!」
   野次馬達が広がる。
荻野「(キヨ達に)な、何があった!」
キヨ「急に上から落ちて来て」
荻野「何だと! し、死んでるのか?」
   とサーベルで恐る恐るつつく。
荻野「お、おい、おい、返事しろ」
   見かねた吾郎が川本の首元を触る。
荻野「お、お前勝手に触るな! ・・で、ど
 うなんだ、死んでるのか?」
吾郎「はい、首の骨が折れています」
荻野「ひぇー!(野次馬の男に)お前、派出
 所に行って応援を呼んで来てくれ! 署に
 連絡しなきゃ!」
  とホテルの中へ。

○同・ラウンジカフェ
   荻野、吾郎、キヨが入って来る。
荻野「(松岡に)君、自働電話はあるか!」
松岡「奥の電話室に。一通話5銭ですが」
荻野「馬鹿者! 非常事態だぞ!」
   と電話室に向かう。
   メイン階段から津山巌(40)が下り
   て来る。
津山「荻野巡査か」
荻野「津山刑事ではありませんか! いやぁ
 良かった! 1人でどうしようかと」
津山「一体何があったんだ」
荻野「男が転落死しまして、今署に連絡を」
津山「ちょっと待て。先に俺が見よう」
荻野「是非お願いします。刑事はどうしてこ
 ちらに?」
津山「ここはよく利用するんだ。男は?」
荻野「こちらです」
   と津山と外へ向かう。

○同・前
   津山と荻野が出て来る。
   後ろで吾郎とキヨが見ている。
   津山は白手袋をはめ、川本を調べる。
   落ち着かず吾郎のシャツを掴むキヨ、 
   はっと離れる。
   吾郎の笑顔。
津山「なるほど、見事に死んでいる」
   と川本の衣服をまさぐり始める。
荻野「あまり触らない方が、まだ鑑識も来て
 おりませんので」
津山「身元が知りたいだけだ、騒ぐな」
荻野「しかし、仮に殺人事件だったりしたら」
津山「殺人? ただの飛び降りだろ」
   と上を指すと、3階客室の窓が開いて
   いる。
荻野「あの部屋から飛び降りたってことです
 か」
   津山が川本のポケットから鍵を出す。
津山「(鍵を見せ)駄目だ、部屋の鍵しか持
 ってねえ。(野次馬に)誰か、落ちる瞬間
 を見た者はいないか! いないな、いない
 んだな?」
   ホテルから江戸川が出て来る。
江戸川「その方は川本守さん、川本哲治衆議
 院議員のご子息です」
津山「誰だ、お前は?」
江戸川「私は小説家なのですが、毎日このホ
 テルのカフェに入り浸っております。仕事
 柄人をじろじろと観察する癖があるもので、
 川本さんに一度お叱りを受けました。『俺
 の親父は衆議院議員の川本哲治だぞ』って、
 そりゃすごい剣幕で」
荻野「議員? 大ごとになってきましたね」
津山「ふーん。(荻野に)なら俺達で先に調
 べようじゃないか、署の連中が来る前に。
 そうすりゃ奴らの手間も省けるし、俺達の
 株も上がるかもな」
荻野「僕らで? 了解しました!」
吾郎「あの、僕も立ち会っていいですか?」
津山「何だお前、興味があるのか?」
吾郎「実は、探偵をやっておりまして」
荻野「探偵! 君が?」
吾郎「はい。と言ってもまだ駆け出しですが」
津山「(考え)いいだろう、証人がいた方が
 何かと都合がいい」
吾郎「それと彼女も、僕の助手ということで」
   とキヨを指す。
キヨ「え! 私?」
津山「よかろう」
江戸川「私もいいでしょうか、実は小説家と
 言いましても、探偵小説を書いてまして。
 と言ってもまだ駆け出しですが」
津山「駆け出しの大安売りか、好きにしろ」
   とホテルの中へ。

○同・ラウンジカフェ
   津山達が入って来る。
津山「(手帳を見せ)ここの責任者は?」
有川「はい、私がここで支配人をしておりま
 す有川・・」
津山「(遮って)川本の部屋が見たい」
有川「はい、ご案内致します」

○同・3階客室の廊下
   有川と松岡の案内で津山達が来る。
   302号室前で止まる。
有川「川本様のお部屋はこちらだな?」
松岡「(台帳を見て)はい」
   津山が開けようとするが、鍵が掛かっ
   ている。
津山「鍵が掛かっている」
   有川が鍵の束で開ける。
   津山に続いて荻野が中へ入ろうとする。
津山「待て。もし殺人なら、まだ中に犯人が
 いるかも知れん。俺が確かめる」
   と1人で中へ入って行く。
   不安でそっと逃げようとするキヨ。
   キヨの襟首を吾郎が掴む。
吾郎「僕が守ります」
   津山が中から顔を出す。
津山「大丈夫だ、入って来い」
   皆、ぞろぞろと中へ入る。

○同・302号室内
   皆が部屋を見回している。
   津山が開けっぱなしの窓際へ。
津山「ここから落ちたか」
江戸川「部屋も荒らされた様子はないか」
   と興味深く、川本の鞄に触ろうとする。
津山「触るなよ、指紋が付いたらお前が犯人
 だぞ」
   慌てて手を引く江戸川。
荻野「ベッドが乱れていますね」
津山「(不機嫌に)寝相が悪いんだろ」
   その言葉に、キヨがはっとする。
   吾郎がキヨの顔を覗き込む。
キヨ「・・あ、いえ」
吾郎「・・・」
津山「(有川に)両隣りに客はいるのか?」
   有川、松岡を見る。
松岡「(台帳を見て)303号室のお客様は
 今朝出られたので今は誰も。301号室の
 お客様はまだいらっしゃるかと」

○同・3階客室の廊下
   津山が301号室のドアをノック。
   山口(40)が顔を出す。
津山「(手帳を見せ)警察だ、聞きたいこと
 がある。騒ぎは知っているか?」
山口「いえ、今までうとうとしていたので」
津山「さっき隣の部屋の男が転落死した」
山口「えぇ!」
津山「何か物音を聞かなかったか? 例えば
 格闘する音とか叫び声とか」
山口「いえ、そういう物音は。あ、ただ・・」
津山「ただ何だ?」
山口「話し声が聞こえたような、男同士の」
荻野「確かか? いつ頃だ?」
山口「30分くらい前かな? 1時間かな?
 いや、ずっとうとうとしていたので」
津山「夢じゃないのか?」
山口「(頭を掻いて)いやぁ・・」

○同・ラウンジカフェ
   津山達がメイン階段を下りて来る。
津山「荻野巡査、署に連絡だ。まあ自殺と見
 て間違いないだろう」
荻野「了解しました!」
   と電話室に走る。
津山「(吾郎達に)下の階の客も物音なんか
 聞かなかったと言っていたろ? 残念なが
 ら探偵さんや小説家の先生のご期待に沿う
 ような事件ではなかったな」
江戸川「本当に自殺でしょうか? 遺書のよ
 うな物はありませんでしたが」
津山「自殺する奴は全員遺書を書かなきゃい
 けないのか? 小説の中では知らんが、こ
 りゃ現実だ」
江戸川「あの話し声を聞いたという証言は?」
津山「見ただろ、あの寝ぼけ顔。あんな証言
 当てになるか。あんたどうしても面白おか
 しくしたいようだな」
江戸川「いや、私は別に・・」
キヨ「本当にそうでしょうか?」
津山「何だい、お譲ちゃん」
キヨ「何度か川本様をお見掛けしましたが、
 自殺するような人には見えませんでした」
津山「随分人を見る目があるようだが、何と
 なくでものを言ってもらっちゃ困るぜ」
キヨ「・・・」
津山「もし自殺でなかったら、お譲ちゃんも
 見た通り、密室殺人てことになる。その謎
 も解いてくれるんだろうな?」
キヨ「・・・」
津山「(吾郎に)ああ、そりゃこちらの専門
 か。どうだ、何か閃いたか探偵さん?」
吾郎「・・・」
   笑う津山。
   電話を終えた荻野が来る。
荻野「署長を含め、すぐに応援が参ります」
津山「署長? まあいいか(吾郎達に)君ら
 にもまだ残ってもらうからな」
   とラウンジの客達に叫ぶ。
津山「俺は東西署の津山だ! ここにいる者
 は全員身元確認と証言を取らせてもらう!
 ホテルから絶対に出ないように!」
紳士「あの、急ぎの用が」
津山「何だ、警察からの要請を断る気か? 
 国賊か貴様!」
紳士「・・・」
   とうつむく。
吾郎「(キヨに小声で)ちょっと付き合って
 貰えませんか?」
キヨ「・・?」

○同・前
   署長を乗せた車が到着し、迎える津山。
   根本署長(50)が降りて来る。
   根本、川本の死体の布をめくる。
津山「署長までお越しになるとは」
根本「議員絡みだ、来ない訳にも行くまい」

○同・屋上
   深呼吸する吾郎と、見つめるキヨ。
吾郎「気持ちいいですね、ここは。去年の関
 東大震災にも耐え抜いたなんて、大したホ
 テルだ」
キヨ「あの、いいのですかこんな所にいて」
吾郎「ああ、怒られたら僕が謝りますから。
 お名前聞いていいですか?」
キヨ「田村キヨです」
吾郎「キヨさんか、僕は・」
キヨ「(遮って)あの、何で私が助手なんで
 すか? 理由とか、あるのですか?」
吾郎「?」
キヨ「ない・・ですよね」
吾郎「だって君、探偵には助手が付き物でし
 ょ。ほら、アーサーコナンドイルとか読み
 ませんか? シャーロックホームズ」
キヨ「・・そういうの疎くて」
   吾郎、懐から虫眼鏡を取り出す。
吾郎「探偵と言えばこれ」
   と四つん這いになって何かを探す。
吾郎「ほら、探偵っぽくありませんか?」
キヨ「・・(呟き)犬みたい」
吾郎「そういえば、君は何だって自殺を疑っ
 たんだい? 何か心当たりでもあるの?」
キヨ「お客様のことを軽はずみに話す訳に
 は・・」
吾郎「僕の助手でしょ?」
キヨ「・・今朝、常連のお客様に頼まれて、
 お部屋にコーヒーをお持ちしたんです」

○(回想)同・3階客室の廊下
   コーヒーを持ったキヨが来る。
   302号室のドアが開き、赤い帽子の
   津山富子(35)が出て来る。
   富子を追って川本も出て来る。
   いちゃつき抱き合う2人。
富子「もうキリがない、続きは今度」
   口づける2人の姿に固まるキヨ。
   2人がキヨに気付き、キヨは逃げるよ
   うに会釈して通り過ぎる。

○元の大正ホテル・屋上
   キヨの話を聞く吾郎。
吾郎「なるほど。そんな男が、その後すぐに
 自殺するなんて変だと思った訳だ」
キヨ「はい」
吾郎「その女性は、確かに赤い帽子をかぶっ
 ていたんだね?」
キヨ「はい。何度かお見掛けしましたが、こ
 こにいらっしゃる時はいつも」
吾郎「・・・」
   と何か考えている。
   ドアが開いて、荻野が来る。
荻野「君達、何をやっているんだ! 事情聴
 取がまだだろ!」
吾郎「すみません、彼女に連れて来られて」
キヨ「え? ひどい!」
吾郎「すぐ行きます!」
   と笑いながら下へ。
キヨ「嘘でしょ」
   と続いて下へ。

○同・ラウンジカフェ
   テーブルで事情聴取が行われている。
   並んだ椅子で順番を待つ人々。
   それを見守る根本と津山。
津山「川本議員は今どちらに?」
根本「今も議会に出席しておられる。すぐに
 は来られんそうだ」
津山「聴取と鑑識が済んだら一段落かと思い
 ます。事件直後に、私と荻野巡査で部屋の
 確認もしております、一応証人も連れて」
根本「こういう案件は早い決着が望ましい」
   メイン階段から吾郎が走って来る。
吾郎「すみません、遅れました!」
津山「ああ、彼が証人の1人の・・」
吾郎「あぁ!」
   段差につまずいた吾郎が津山に突っ込
   み、2人が倒れ込む。
津山「何をやっているんだ、お前は!」
吾郎「ごめんなさい!」
津山「(立って)いいから列に並べ」
吾郎「失礼しました」
   と聴取を待つ椅子へ。
津山「彼が証人の1人の探偵です」
根本「探偵? あれが?」
津山「まだ駆け出しだそうです」
根本「確かに『駆け出し』てたね(最高のジ
 ョーク顔)」
津山「(驚きと愛想笑い)」
   聴取用の椅子に座る吾郎。
   後から来たキヨが、意識して椅子を一
   つ空けて座る。
吾郎「空いてますよ」
キヨ「・・・」
   と吾郎の隣に移動する。
   ×  ×  ×  ×  ×
   異常に悩む吾郎。唸り、うな垂れ、首
   を傾げ、頭を掻きむしる。
キヨ「(気になる)・・・」
   吾郎、状態をそらすと、椅子ごと後ろ
   に倒れる。
キヨ「何やってるんですか!」
   と手を引いて起こそうとすると、逆に
   引っ張られて倒れ込む。
キヨ「あ!」
   重なる2人が見つめ合い、そして笑顔。
   聴取を終えたいねが来る。
いね「えぇー、何それ! いいなー!」
キヨ「(立って)ち、違うから。そ、そうい
 うんじゃないから」
いね「あたしもそういうのしたいなー!」
キヨ「だから違うから」
   いね、不満そうにカウンターでグラス
   を拭く松岡の元へ。
いね「キヨちゃんに春が来た」
松岡「何言ってんだ、お前」
いね「何で私には来ないんだろ」
松岡「だから何なんだよ」
いね「・・あ、松岡さんでもいいか」
松岡「『でも』って何だ」
   椅子で並ぶキヨと吾郎。
   吾郎がキヨをつついて耳打ちする。
キヨ「(困惑)」
   キヨ、意を決して津山の元へぎこちな
   く歩み寄る。
キヨ「(敬礼)津山刑事殿(袖口を指し)ボ
 タンが取れている模様です」
   とお辞儀して椅子へ戻る。
津山「何ですかね、あれ」
根本「可愛いねー」
津山「いや、そういうことではなくて」
   と上着の袖口にボタンが一つないこと
   を確認する。
津山「・・・」

○同・前(夕)
   夕暮れの風景。

○同・ラウンジカフェ(夕)
   聴取を終え、話し合う刑事ら。
   署長と津山。
津山「聴取と検証、本日分終了です。ホテル
 には明日も営業を中止して、捜査に協力す
 るよう要請しております」
根本「遺体は一応検死に回した」
津山「・そうですか、まあ事件性はないと思
 いますが。なら進捗状況確認のため、帰り
 掛け病院に寄ってみます」
根本「分かった。何かあれば報告してくれ。
 署に戻る」
   と部下と出て行く。
津山「ご苦労様でした」
   と深々とお辞儀。根本が出て行ったの
   を確認すると、真っ直ぐにメイン階段
   を上がる。

○同・屋上(夕)
   津山が来て、落し物を探す。片隅に落
   ちているボタンを拾ってほっとする。
吾郎の声「やっぱり来ましたね」
   物陰から吾郎が出て来る。
津山「何だ、お前」
   続いてキヨ、江戸川、荻野。
津山「お前ら、何のつもりだ!」
荻野「自分は、探偵に言われて」
   ドアから根本、有川、松岡、いね、警
   官ら数名が来る。
根本「何だ、何の騒ぎだ?」
津山「署長」
根本「帰ろうとしたが、ここに来るように言
 われた」
有川「いや、私は探偵さんから署長様をここ
 にお連れするようにと」
吾郎「お手間を取らせてすみません。ようや
 くこの事件の犯人が分かったので」
根本「犯人? 犯人てことは君、これが殺人
 事件だとでも言いたいのか?」
吾郎「殺人です、犯人は津山刑事です」
津山「何を言っているんだ、お前!」
根本「駆け出し君、自分の発言に責任は取れ
 るんだろうね?」
津山「そこの小説家と画策して、探偵ごっこ
 でも始めるつもりか」
江戸川「いや、私は何が何だか」
津山「署長はお忙しいんだ、悪ふざけも大概
 にしろ!」
吾郎「署長、お話だけでも聞いて頂けません
 か?」
根本「・いいだろう」
津山「署長(吾郎に)分かった、なら密室殺
 人の謎、ご披露願おうか」
吾郎「そもそも密室殺人なんてありません、
 これは自殺に見せ掛けた殺人です。そして
 本当の犯行現場がここです」
根本「部屋から落ちたんじゃないのか」
吾郎「この周りには、このホテルより高い建
 物がありません。昼間から上を見上げて歩
 く者もなく、実際川本さんが落ちる瞬間を
 誰も見ていませんでした。つまり302号
 室以外から落ちたかも知れない」
江戸川「だからここが犯行現場だと?」
吾郎「この建物は3階建てです。302号室
 が川本さんの部屋。下の202号室には客
 がいたし、可能性が高いのはこの屋上だと
 思いました。証拠がないかと探してみまし
 たが、何も見つからなくて」
   はっとするキヨ。
   ×  ×  ×  ×  ×
【インサート】
   屋上、虫眼鏡で四つん這いの吾郎の姿。
   ×  ×  ×  ×  ×
吾郎「それを確かめるために、先ほど津山刑
事にぶつかりました」
   ×  ×  ×  ×  ×
【インサート】
   ラウンジで津山にぶつかる吾郎の姿。
   津山の袖のボタンを取る。
   ×  ×  ×  ×  ×
吾郎「あの時、上着のボタンを頂戴して、そ
 こに置いておきました」
津山「・てめえ」
吾郎「貴方が拾いに来たことで確信しました。
 この密室を作って自殺に見せ掛けた殺人を
 実行出来るのは、貴方しかいません」
津山「馬鹿馬鹿しい。もういいだろ探偵ごっ
 こは。署長、どうぞお帰り下さい」
根本「(吾郎に)君、続けてくれ」
吾郎「では、まず津山刑事がどうやって犯行
 を行ったのか、その行動だけをお話します。
 彼は昨夜遅くホテルに部屋を取り、今朝に
 なって川本さんを殺そうと302号室を訪
 れました」

○(回想)同・3階客室の廊下
   津山が302号室のドアをノックし、
   川本が顔を出す。

○(回想)同・302号室内
   何か話をしながら窓際に行く津山、窓
   を開ける。
吾郎の声「部屋に入った津山刑事は、話をし
 ながらさり気なく窓を開けます。この時の
 話し声を301号室の客が聞いています」

○元の同・屋上
   吾郎の話を聞く面々。
吾郎「その後、場所を変えて話をしようとで
 も言ったのでしょう。川本さんと一緒にこ
 こに上がって来ました」
江戸川「待って。そもそもなぜここを犯行現
 場にする必要があるんだ?」
吾郎「部屋から突き落とした場合、相手に抵
 抗されれば周りに物音を聞かれる可能性が
 あります。自殺に見せ掛ける計画が台無し
 になる」
江戸川「なるほど」
吾郎「ここなら多少争っても、誰も気付きま
 せん。落とす瞬間さえ見られなければ、部
 屋から落ちたと思わせることが出来るし、
 その部屋が密室なら自殺に見せ掛けられる。
 貴方はここから川本さんを突き落とした。
 場所はそう、そのボタンを置いた辺り。そ
 のすぐ下が302号室になります。貴方は
 先ほどここへ来た時、脇目も振らず真っ先
 にそこを探しましたね」
津山「・・・」

○(回想)同・屋上
   川本を突き落とす津山。
吾郎の声「ここから川本さんを突き落とした
貴方は、まず302号室に走りました」
   走り去る津山。

○(回想)同・302号室内
   入ってきた津山が、白手袋で室内を物
   色し、鞄から部屋の鍵を見つけ出す。
吾郎の声「部屋の鍵を見つけた貴方は」

○(回想)同・3階客室の廊下
   302号室を出て、鍵を掛ける津山。
吾郎の声「部屋に鍵を掛け、そのままラウン
 ジへ向かいます」
   去って行く津山。

○(回想)同・ラウンジカフェ
   メイン階段を下りて来る津山。
吾郎の声「そして出来るだけ自然に装いなが
 ら、我々に合流しました」
津山「荻野巡査か」
荻野「津山刑事ではありませんか!」

○(回想)同・前
   川本の死体を調べる津山。
吾郎の声「まんまと捜査を始めた貴方は、遺
 体を調べた際に、あたかも川本さんが鍵を
 持っていたかのように演じて見せた」
   自分のポケットからそっと鍵を出し、
   川本のポケットから見つけたように見
   せる津山。
津山「(鍵を見せ)駄目だ、部屋の鍵しか持
 ってねえ。(野次馬に)誰か、落ちる瞬間
 を見た者はいないか! いないな、いない
 んだな?」

○(回想)同・3階客室の廊下
   津山や吾郎達が302号室に入る場面。
吾郎の声「302号室を調べる際には、わざ
 わざ一般人である我々を証人として従え」

○(回想)同・302号室内
   津山や吾郎達が部屋を調べている場面。
吾郎の声「その部屋が密室であることと、川
 本さんがそこから落ちたであろうことを強
 く印象付けようとした」

○元の同・屋上
   吾郎の話を聞く面々。
根本「・・うーん」
江戸川「確かにそれなら色々と辻褄が合う。
 なぜ津山刑事が先に捜査を始めたのか。無
 理に遺体を調べたのも、ちょっと違和感が
 ありましたね」
吾郎「でもトリックとしては、残念ながら稚
 拙と言いますか、意外性はありませんでし
 たね。探偵小説でしたらもっと意外な展開
 があります。例えば犯人が人間じゃないと
 か」
江戸川「あ、モルグ街の殺人ですか?」
吾郎「エドガー・アラン・ポー!」
江戸川「ピンと来ましたよ! いやぁ、あの
 結末には私も腰を抜かしました!」
   と2人で盛り上がっている。
津山「机上の空論だな、お前の言ってること
 は! 仮にだ、そのやり方で俺には犯行が
 可能だったとしよう。だが俺がその川本と
 いう男を殺して何になる? 会ったことも
 ない男だぞ。俺とそいつに接点があるかど
 うか、疑うならどうぞ調べてくれ!」
根本「動機ってやつか」
津山「そうです、動機がない。見ず知らずの
 男を殺す意味がない」
江戸川「初対面の男を刑事が殺す?」
   と首を傾げる。
吾郎「確かに貴方は川本さんと初対面だった
 かも知れませんね。でも殺す動機はありま
 す。全ては302号室の隣り、303号室
 の客が鍵を握っているのです」
津山「・・・」
松岡「でも303号室のお客様は、事件が起
 こる前に出て行かれています」
吾郎「直接事件に関わっている訳ではありま
 せん。彼女そのものが動機なのです」
根本「彼女? 女か」
吾郎「(松岡に)泊っていたのは、赤い帽子
 の女性ですね?」
松岡「はい」
吾郎「いつもこのホテルを?」
松岡「ええ、度々。川本さんが2部屋予約し
 て、いつもその女性が来ていました」
荻野「2人分を川本が・・一体どういう関係
 でしょう?」
根本「そりゃ君、公に出来ない関係というこ
 とじゃないのか? 別々に部屋を取り、密
 かに会うような。(吾郎に)つまり2人は
 逢い引きをしていたということか?」
吾郎「ええ。彼女の目撃証言もあります」
   とキヨを指す。
   頷くキヨ。
吾郎「もっとも他の従業員の方達も、薄々気
 付いてはいたんですよね?」
   困った有川と松岡の目が合う。
吾郎「川本さんは御父上の後継者と目されて
 いた人物ですから、慎重に行動されていた
 のでしょう」
根本「その女が重要人物だと言うのだな(松
 岡に)名前は?」
松岡「それが、毎回台帳に頂くお名前が違っ
 ておりまして」
根本「偽名か。探すにしても時間が掛かるな、
 相手の男は死んでいる訳だし」
吾郎「時間は掛かりません」
   と津山に歩み寄る。
吾郎「津山刑事、奥様をここへ連れて来て頂
 けますか?」
津山「・・・」
根本「まさか君・」
吾郎「連れて来て下さい!」
津山「あの糞野郎が人の女房をたぶらかしや
 がって! あんな男は死んで当然なんだ!
 俺が殺さなくたって誰かが殺してたさ!」
   唖然とする一同。
根本「・・津山くん」
吾郎「気付いたのですね、2人の関係に」
津山「俺は刑事だぞ。捜査や張り込みで家を
 空けた時に、あいつがこそこそ出掛けてる
 ことに気付いた。だから昨日は家に帰らな
 いと嘘をついて、女房の後をつけたんだ」

○(回想)同・前(夕)
   ホテルに入って行く富子と、それを追
   って津山が来る。

○(回想)同・ラウンジカフェ(夕)   
   カウンターで受付をして、メイン階段
   を上がって行く富子。
   気付かれないように津山が続く。

○(回想)同・3階客室の廊下(夕)
   富子が来て、303号室に入る。
   階段付近で津山が見ている。
津山の声「女房は303号室に入った。俺は
 向かいの部屋を取って、様子を窺った」
   ×  ×  ×  ×  ×
   向かい部屋のドアが少し開き、津山が
   様子を窺う。
   303号室から富子が出て来て、30
   2号室のドアをノック。
   302号室から川本が出て来て、抱き
   合う2人。そのまま中へ。
津山「!・・・」

○元の同・屋上
   津山の話を聞く一同。
吾郎「大きな衝撃でしたね」
津山「あんな、あんな下らない男に! その
 場で部屋に行って、撃ち殺してやろうと思
 った!」

○(回想)同・津山の部屋・中(夜)
   ベッドを叩いて苦しむ津山。拳銃を出
   し、じっと見つめる。
津山「・・・」
吾郎の声「でも貴方はそれをしなかった。湧
 き上がる憎しみの感情を無理やり押さえ付
 け、今回の計画を一晩掛けて練り上げた」

○(回想)同・3階客室の廊下
   川本と富子が口づけをキヨに見られる
   シーン。キヨが逃げるように去って行
   くところ。
富子「(キヨを見送り)じゃ、またね」
   向かいの部屋のドアが少し開いていて、
   津山が見つめている。
   富子が去ると、津山が出て来て、30
   2号室のドアをノック。
川本「(出て来て)富子か?」
津山「(警察手帳を見せ)津山だ」
   愕然とする川本。

○(回想)同・302号室内
   川本を押し退けて入って来る津山。
津山「その様子じゃ、俺のことも承知のよ
 うだな。お前、俺の女房と何してるんだ」
川本「つ、津山さん、冷静にお話ししましょ
 う。これには事情があるといいますか・」
津山「どんな事情だ?」
川本「い、いや、それはだから」
津山「・・・」
川本「(思い付き)向こうから誘って来たん
 です! 彼女の方から言い寄って来まして」
津山「それで?」
川本「だから私は悪くないというか、ほら、
 貴方も男なら分かるでしょ」
津山「言うことはそれだけか?」
川本「へ?」
津山「それだけかと聞いているんだ」
   困惑する川本。
川本「(思い付き)金は、好きですか?」
津山「・・・」
川本「(ニヤリと)それなら相談に応じます
 よ。私の父親は資産家で国会議員でもある。
 ある程度の金の都合ならつきます」
   津山、窓際へ行き、窓を開ける。
川本「貴方警察官でしょ、公僕の給料じゃ満
足いかなくて当然だ」
   津山の失望と怒り。
川本「ただ少しだけ時間を頂けますか。何か
 適当な理由をつけて金を引っ張り出すので」
津山「ここじゃ気分が悪いな、場所を変えて
 もいいか」
   と乱れたベッドを見る。
川本「(気付いて)ええ、勿論」
   津山と川本が部屋を出る。

○(回想)同・屋上
   津山と、続いて川本が来る。
川本「金額のことなんですがね、勿論私にも
 非がない訳じゃない。かと言って、奥さん
 にもまったく非がないということもない訳
 で、それなりの金は出すつもりですが、そ
 の、お互い歩み寄りがあってもいいかと」
   川本の話しの間、302号室の位置を
   確認している津山が、急に川本を落と
   そうと掴み掛かる。
川本「おい何を! 約束が違うだろ!」
   と激しく抵抗する。
川本「くそ、ふざけるな! お前の女房がだ
 らしないから悪いんだろ!」
   津山が川本を突き落とす。
津山「・・・」

○元の同・屋上
   津山の告白を聞き終えた面々。
   重い空気が流れている。
キヨ「(津山の様子に気付き)駄目!」
   懐から拳銃を出す津山。
   吾郎と荻野が走る。
   自分の頭に銃口を向ける津山を、吾郎
   と荻野が止める。
   倒れ込む3人。
根本「手錠だ!」
   お付きの警官達が津山に手錠を掛ける。
   がっくりとうな垂れる津山。
根本「連行しろ!」
   連行される津山。
キヨ「迷っていたんですよね、最後まで」
津山「・・どうかな。奴が一度でも謝ってく
 れてたら、何か変わったかも知れねえ」
キヨ「・・・」
連行されて行く津山。
吾郎「僕の推理には、絶対的な物的証拠があ
 りませんでした。だから状況証拠を積み重
 ねて、相手を追い詰めるしかなかった。彼
 がその気になれば、言い逃れすることも出
 来たかも知れない」
江戸川「でもそれをしなかった。警察官とし
 て、罪悪感があったのでしょうか」
吾郎「案外、真っ直ぐな人だったのかも知れ
 ません」
キヨ「・・・」

○同・ラウンジカフェ(夜)
   カウンターを拭く松岡。履き掃除のい
   ね。テーブルを拭くキヨ。
   有川が来る。
有川「ご苦労さん。今日はお客様もいないし、
 早めに閉めて帰っていいから」
3人「はい」
有川「もうぐったりだ。今日はここに泊って
 いくよ」
   とメイン階段を上がって行く。
有川「松岡君、君も泊っていきたまえ。部屋
 は幾らでも空いているから」
   と去って行く。
   掃除を止める3人。
いね「キヨちゃん、一緒に帰ろ」
キヨ「うん」
いね「その前に、ちょっと外に出て来るから
 待っててね」
   と言いながらレコードを掛ける。
キヨ「どこ行くの?」
いね「うん、ちょっとね」
   と松岡の手を引く。
いね「行こ」
松岡「え?」
いね「いいから」
   と強引に松岡を引っ張って行く。
松岡「何で? 俺のこと好きなの?」
いね「違います、いいから付き合って」
松岡「え、付き合うの俺達?」
いね「だから違うって」
   と松岡と去って行く。
   1人取り残されるキヨ。
   ダンスミュージックが流れている。
キヨ「・・・」
吾郎の声「やあ」
   キヨが振り向くと、吾郎がいる。
キヨ「もしかして、いっちゃんに何か頼み事
 しました」
吾郎「ま、まあね。それより今日は大変だっ
 たね。どうしているかと思って」
キヨ「どうって?」
吾郎「いや、あんな事件があったからさ。何
 て言うか、大丈夫かなって」
キヨ「膝を抱えて泣いているとでも?」
吾郎「それはないみたいだね」
キヨ「よく言われるんです、大人しそうだと
 か、大丈夫?とか。そんなに弱そうに見え
 ますか?」
吾郎「違うの?」
   キヨ、吾郎に歩み寄る。
キヨ「こう見えて結構強いんですよ。意外と
 大胆な所もあるし」
   と吾郎の右手を自分の腰に回し、左手
   をつなぐ。
   ぎこちないが、楽しいダンス。
   回り続けるレコード。
   2人だけのダンスが続く。
   と、突然江戸川が来る。
江戸川「今晩は!(見て)あ!」
   急いで離れる吾郎とキヨ。
江戸川「いやぁ、失敬」
吾郎「どうしました?」
江戸川「君にお礼を言わなきゃと思ってね!
 いやぁ実に見事な手腕だった。私も大いに
 刺激を受けた。今、創作意欲がふつふつと
 湧き上がって来ていてね、君のお陰だ」
吾郎「いえ、僕は何も」
江戸川「勿論、今日の事件を丸写しにするつ
 もりはないよ。もっと巧妙なトリックを考
 えて、何て言うかこう、人間の内面のドロ
 ドロした面を描き出すと言うか・・あ、す
 まない、余計な話だね」
吾郎「いえ」
江戸川「ところで一つだけ疑問なんだが、君
 はどうして川本の密会相手が、津山刑事の
 奥さんだと分かったんだい? それだけが
 どうしても分からなくて」
吾郎「先生、僕も探偵という職業上、話せな
 いこともありまして」
江戸川「なるほど。そうだよね、それはそう、
 私が考えるべきことだよね」
吾郎「(苦笑い)」
江戸川「じゃあこれで(行き掛けて)あ、私
 は江戸川と言います」
吾郎「江戸川さん・・どこかで聞いたような」
江戸川「知らなくて結構、駆け出しだから。
 君、名前は?」
吾郎「明智です」
江戸川「明智?」
吾郎「明智吾郎」
江戸川「(考え)明智吾郎・・明智吾郎・・
 明智」
   と、その顔がぱっと輝く。
江戸川「ありがとう! では!」
   と軽快に去って行く。
   見送る吾郎とキヨ。
キヨ「変な人」
   吾郎、急に暗い顔。
吾郎「キヨさん、君に謝らなければならない
 ことがある。実はね、僕は探偵なんかじゃ
 な・」
キヨ「待って!」
   驚く吾郎。
   キヨは一点を見つめている。大切な
   『全て』が思い出されて行く。
キヨ「・・・」
吾郎「キヨさん?」
キヨ「(はっきりと)知っています、貴方は
 探偵なんかじゃない」
吾郎「・・・」
キヨ「貴方はそこ、あの通りの向かいにある
 下駄屋さんの2階に下宿している。6畳ほ
 どの部屋には、寝るのも大変なくらいの本
 が積まれている。親からの僅かな仕送りで
 の生活。さてこの先何をして生きて行こう
 かと、日々悩みながらも、大好きな探偵小
 説を読みふける毎日。でしょ?」
   吾郎が微笑んでいる。
キヨ「知っています、全部貴方に聞いたから」

○(回想)吾郎の下宿・中
   本が積まれた部屋で、読書する吾郎。
キヨの声「読書に疲れると、いつも通りを行
 き交う人達や、ホテルのお客さんや、私を
 見ていた」
   外を眺める吾郎。ホテル前で履き掃除
   をするキヨを見つけて、身を乗り出す。
吾郎「・・・」
   通行人に挨拶しているキヨの笑顔。

○元の大正亭ホテル・ラウンジカフェ(夜)
   吾郎とキヨ。
吾郎「僕なんかにとって、君は眩し過ぎて。
 毎日のように考えたよ、どうにかして声を
 掛けられないか、何かいいきっかけ作りは
 出来ないものかって。そりゃ探偵小説のト
 リックを考えるより難しかった」
キヨ「そして今日、偶然屋上から川本さんが
 落とされる場面を目撃したのよね」

○(回想)吾郎の下宿・中
   読書中の吾郎がふとホテルを見ると、
   屋上で争う2人の男の姿。
吾郎「!」
   と、その真下のホテル前で深呼吸して
   いるキヨを発見する。
吾郎「!」
   と慌てて部屋を飛び出す。

○(回想)大正亭ホテル・前
   必死に走る吾郎。
吾郎「危ない!」
   とキヨに飛び付き、倒れ込む2人。
   見つめ合う。

○元の同・ラウンジカフェ(夜)
   吾郎とキヨ。
吾郎「確かに落とされるのを見た。でも誰が
 落としたのかは分らなかった」
キヨ「あの場で、それが殺人事件だと知って
 いるのは貴方だけだった。何とか自分の力
 で犯人を特定したかった貴方は、探偵に成
 りすますことを思い付いた」
吾郎「小説みたいにはいかなかったけど」
キヨ「ついでに私を助手にして、私とのきっ
 かけ作りもしたのよね」
吾郎「(焦って)ついでじゃない、そっちが
 本命だから。事件も解決したかったけど、
 何とか君の前でいい所を見せたかった」
キヨ「(笑って)あの小説家の先生言ってた
 ね、君はどうして川本の密会相手が、津山
 刑事の奥さんだと分かったんだい?って。
 だって貴方、見たんでしょ?」
   頷く吾郎。

○(回想)吾郎の下宿・中
   外を眺めている吾郎。赤い帽子の富子
   がホテルから出て来るのを見る。
吾郎「・・・」
吾郎の声「暇さえあれば外を眺めてたからね、
 あの奥さんの顔も覚えていたよ」

○(回想)通り
   1人歩く吾郎。
   向かいから来る富子に気付く。
   富子、子供、津山が仲良く手を繋いで
   歩いている。
吾郎「(見送って)・・・」

○元の大正亭ホテル・ラウンジカフェ(夜)
   吾郎とキヨ。
キヨ「推理も何もあったものじゃないね」
吾郎「あの先生、僕を名探偵だとでも思った
 かな?」
   笑う2人。
キヨ「・・私達が出会ったこの日のこと、何
 度も話したわね」
吾郎「何度も笑った」
   キヨが来た最初のドアの向こうから、
   久美の声が聞こえる。
久美の声「おばあちゃん、おばあちゃん」
   ドアを見て、悲しい顔のキヨ。
キヨ「行かなきゃ」
   キヨを見守る吾郎。
   キヨ、吾郎の手を握る。
キヨ「ありがとう、ずっと私を見ていてくれ
 て」
   と最初のドアへ歩き出す。
吾郎「(堪らなくなって)ごめん! 結婚式
 の時、親父がひどく酔っ払ったこと」
キヨ「(振り返り)ううん、嬉しかったのよ、
 お父さん」
吾郎「京子が産まれた時も、立ち会えなくて
 ごめん」
キヨ「仕事だもの、怒ってない」
吾郎「出兵した時は、もう二度と会えないか
 と思った」
キヨ「戦地から貴方が帰った時、嬉しくて腰
 が抜けたわ」
吾郎「まさか僕達が、孫の顔まで見られるな
 んて」
キヨ「曾孫もね」
   とドアの前へ。
   キヨ、ノブを掴んで再び振り返る。
キヨ「・・さようなら」
   キヨを見守っている吾郎。
   キヨがドアを開ける。

○明智家・廊下
   ドアから出て来るキヨ。年老いた姿に
   戻っていく。
久美の声「おばあちゃん」
   久美が来る。
久美「どこに行ってたの?」
キヨ「うん、ちょっと遠い所にね。久美ちゃ
 ん、探してくれたの?」
久美「(頷き)行こ」
   手を繋いで歩く2人。

○同・居間
   僧侶がお経を唱え、葬儀が行われてい
   る。
   祭壇に吾郎の笑顔の遺影。
   じっとそれを見つめるキヨ。
若いキヨの声「私ね、最後まで貴方に言わな
 かったことがあるの。貴方が私を見つける
 前から、私は貴方を見ていたこと」

○(回想)大正亭ホテル・前
   キヨが歩いて来る。
   向かいから、本を読みながら吾郎が歩
   いて来る。
   吾郎に一目惚れするキヨ。
   気付かず通り過ぎる吾郎。
キヨ「(見送り)・・・」

○(回想)同・前
   ホテルから掃除用具を持ってキヨが出
   て来ると、本を読みながら歩く吾郎を
   見つける。
   吾郎、通行人にぶつかって慌てた様子
   で謝っている。
キヨ「(笑って)・・・」

○(回想)同・ラウンジカフェ
   窓際の席にコーヒーを運ぶキヨ。外を
   見ると吾郎の姿。
   吾郎、散歩中の犬を撫で、爽やかな笑
   顔。
キヨ「・・・」
   と、吾郎がこちらを向いて、慌てて隠
   れる。こぼれる笑顔。

○元の明智家・居間
   吾郎の遺影を見ているキヨ。
若いキヨの声「私が天国に行ったら、打ち明
 けようかしら」
   笑うキヨ。
   キヨを不思議そうに見ている久美。
久美「・・・」

○同・居間
   テロップ『十年後』
   仏壇に手を合わせる久美(20)。
   仏壇には吾郎とキヨの写真が並ぶ。
   久美は仕事に出掛けるところ。
久美の母「久美、お弁当」
久美「(受取り)ありがとう、行って来ます」
   と出て行く。

○図書館・中
   受付係として働く久美の姿。
   ×  ×  ×  ×  ×
   夕方になり、久美が帰るところ。
久美「(職員に)お先に失礼します」
   と帰る。

○横断歩道(夕)
   信号待ちの久美。青になって渡ろうと
   すると、左折のトラックが来る!
久美「!」
青年の声「危ない!」
   青年が久美に飛び付き、倒れ込む2人。
   気付かないトラックが去って行く。
青年「大丈夫ですか?」
久美「はい」
   見つめ合う2人。
   大正亭ホテルで流れていたミュージッ
   クでエンディング。

           【終わり】

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