待ち合わせはあの部屋で ドラマ

飯野智雄は中堅漫才師。実力はあるが、毒舌が強すぎて売れずにくすぶっていた。ある日、劇場から出ると見知らぬ元雑誌記者の横山ゆう子が待っていた。「旦那が行方不明なので一緒に探して」と頼まれる。素っ気なく断るが、強引に押し切られる形で一緒に探すはめになってしまう。 それから二人のおかしな物語が始まった。
オカダ 139 0 0 05/14
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第一稿

【登場人物】
 飯野 智雄(36)漫才師
 横山ゆう子(31)主婦・元雑誌記者
 宇田川健一(36)漫才師
 その他



【本編】
○ ミナミ演芸ホール・表
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【登場人物】
 飯野 智雄(36)漫才師
 横山ゆう子(31)主婦・元雑誌記者
 宇田川健一(36)漫才師
 その他



【本編】
○ ミナミ演芸ホール・表
  梅雨明けした清々しい天気。
  大通りに面して建っている五階建ての大
  きな劇場。
  関西お笑い界の総本山である。
  その前を大勢のヒトが行き交っている。
  出演表には、新人からベテランまで芸人
  の名前が書かれてある。
  二番目の出番に『飯野宇田川』の文字。
  それをじっと見つめる女性がいる。
  横山ゆう子(31)、ロングの黒髪で眼
  鏡をかけ、薄化粧と地味である。
  どっとウケる客の笑い声が聞こえてくる。
  ゆう子はピクリとも動かない。

○ 同・場内
  客席はほぼ埋まり、ゆう子は後方に座っ
  ている。
  舞台上では飯野智雄(36)と宇田川健
  一(36)が毒舌漫才をしている。
  二人は揃いのスーツで容姿は良い。
宇田川「今日も大勢のお客さんに入っていた
 だき、本当ににありがとうございます」
飯野「(客を指さしながら)一人二人……お
 い、八人しかおらんぞ」
宇田川「どんな数え方や。どう見ても大入り
 満員やろ」
飯野「死にかけを除いたら八人だけなんや」
宇田川「失礼やな。確かに平日の昼間やから
 高齢の方が多いけど」
飯野「(客を見回し)ホンマ、ジジイとババ
 アしかおらんで」
宇田川「お年寄りの皆さんって言え」
飯野「これだけジジババがおると邪魔や。昔
 なら姥捨て山やったけど、今は街中にゴミ
 箱があるからポイっとラクに捨てられるわ」
宇田川「何ちゅうこと言うねん」
飯野「ペットボトルとか、空き缶とかゴミを
 分別するやろ。あれに老人ってのも作れば
 ええねん。燃える老人、燃えない老人って」
宇田川「こらこら」
飯野「(右手で前の客を示し)そこのジジイ
 は乾燥肌やから、燃える方やね」
宇田川「おいおい」
飯野「(左手で前の客を示し)こっちのババ
 アは燃えないゴミ」
宇田川「何でや?」
飯野「今、漏らしてはるから」
宇田川「嘘つくな。まだそんな歳やないやろ」
飯野「せやな、犬で言うたら十二歳ってとこ
 やな」
宇田川「なんで犬で例えるねん。ええ加減に
 しとけ!」
  半分の客は笑っているが、眉をひそめる
  高齢者や女性客もいる。
  ゆう子は真顔で舞台を見ている。
  
○ 同・裏口
  人気のない路地裏。
  出番の終わった飯野が「お疲れした~」
  と出てくる。
  そこに突然現れるゆう子。
飯野「ビックリした!」
ゆう子「あ、あの……」
飯野「なに?」
ゆう子「先程、拝見しました」
飯野「はあ」
ゆう子「(じっと見つめ)……」
飯野「で?」
ゆう子「お話があるんですが、お時間ござい
 ますでしょうか?」
飯野「無い」
ゆう子「これからお仕事ですか?」
飯野「まあな」
ゆう子「私たちにとって仕事より、大事な話
 なんですよ」
飯野「(不審顔で)急いでるから」
  と足早に去っていく。
  後ろ姿を見つめるゆう子、長い髪が風に
  揺れる。

○ タイトル『待ち合わせはあの部屋で』

○ スターバックス・店内(夕)
  店に夕陽が差し込んでいる。
  飯野はノートパソコンを開き、漫才台本
  を作っている。
  考えては打ち、それを消してを繰り返し、
  なかなか前に進まない。
飯野「(考え込み)う~ん……」
手が止まると、目の前に女性が立つ。
  飯野が顔を上げる、ゆう子だった。
飯野「え?」
ゆう子「あとをつけさせて貰いました」
飯野「オレのファンなんか?」
ゆう子「違います。今日、初めて漫才を見せ
 ていただきました」
飯野「よう分からんけど、キモいで」
ゆう子「どうしてですか?」
飯野「『どうして』って、ファンならまだし
 も、初めて見た人間に付け回されてる身に
 もなれや」
ゆう子「そう言われてみれば、気持ち悪いか
 もしれません」
  二人、黙って見つめ合う。
飯野「……邪魔やから、どっか行ってくれへ
 ん」
  ゆう子、向かいにある椅子を指さす。
ゆう子「ここに座りますね」
飯野「話、聞いてるか?」
  無視して、腰かけるゆう子。
ゆう子「(頭を下げ)はじめまして、横山ゆ
 う子と申します」
飯野「相当、ヤバい奴やな」
ゆう子「私ですか?」
飯野「お前以外に誰がおるねん」
ゆう子「(無視して)では早速、本題に入っ
 てよろしいでしょうか?」
飯野「よろしいも何も、止めても喋るんやろ
 ?」
ゆう子「まあ」
飯野「逆におもろなって来た。どうぞ話して
 みて」
ゆう子「私は昨年まで東京で雑誌記者として
 働いてました。その会社で夫と知り合い、
 結婚しました」
飯野「そこからオレにどう繋がるか楽しみや
 で」
ゆう子「雑誌が廃刊になり、会社を辞めまし
 た。夫がこちらで住みたいというので、半
 年前に引っ越して参りました」
飯野「旦那はどんなヒト?」
ゆう子「横浜出身で、身長は180㎝、体重」
飯野「(さえぎり)ちゃうがな、仕事とか」
ゆう子「小説家です」
飯野「小説家?」
ゆう子「児童書の方を」
飯野「ガキの読む本か」
ゆう子「小学校高学年向けのシリーズを書い
 てます。十二歳の巫女さんが主人公で色ん
 な怪奇現象を解決していくストーリーです」
飯野「大阪にはなんで?」
ゆう子「物語の舞台が関西なんです。京都や
 奈良の場面も多く出てきます。それで縁も
 ゆかりもない私まで付いて来ました」
飯野「なるほど。でも、あんたは来たくなか
 ったんやな。話し方で分かるわ」
ゆう子「……はい」
飯野「続きは?」
ゆう子「その夫がいなくなりました」
飯野「行方不明か?」
ゆう子「(うなずき)ずっと連絡が取れない
 状態でして」
飯野「なら、芸人のトコよりケーサツ行かな。
 てか、この話オレと関係ある?」
ゆう子「はい、ここからが重要です。調べて
 みたら色々と分かってきたんです」
飯野「あんたはジェームズボンドか?」
ゆう子「え?」
飯野「スパイ映画の真似かってこと。続けて」
ゆう子「二週間前にいなくなりまして」
飯野「二週間前……」
ゆう子「女性と暮らしてるみたいなんです。
 不倫ですね」
飯野「ようある話や」
ゆう子「相手の方も結婚しているので、いわ
 ゆるW不倫になります」
飯野「ほうほう、おもろなってきた」
ゆう子「その女性というのが奥さんなんです」
飯野「誰の?」
  ゆう子、手で飯野を示す。
  時間が止まったように静かになる店内。
飯野「……そう繋がるか」
ゆう子「飯野さんは有名人なんで、ネットで
 調べたら簡単にたどり着きました」
飯野「今の時代、個人情報もへったくれもあ
 らへんで」
ゆう子「二人はカルチャーセンターの小説講
 座で知り合ったんだと思います。先月まで、
 夫が講師として教えていたので」
飯野「そういや通ってたな」
ゆう子「どうなさるおつもりですか?」
飯野「どうもこうもあるかい。去るもの追わ
 ずや」
ゆう子「私は追いかけます。元はと言えば、
 奥さんをちゃんと監視していない飯野さん
 にも責任はあるんですよ」
飯野「二十四時間、嫁を見とけてか。オレは
 セコムやないぞ」
ゆう子「一緒に力を合わせて奪還作戦をしま
 しょう」
飯野「無理無理無理無理」
ゆう子「なぜですかっ!?」
  大声で、周りの客が注目する。
飯野「落ち着け」
ゆう子「すみません。でも、行方不明になっ
 て心配じゃなかったんですか? 一日いな
 いだけでも普通は大騒ぎしますよ」
飯野「うちは、だいぶ前から冷めきった関係
 や。去年、何回も実家に帰ってたしな」
ゆう子「実家と不倫とでは」
飯野「(さえぎり)一緒、オレから言わせれ
 ば。どっちにしても夫婦関係は破綻しとる」
ゆう子「しかし、まだ夫婦です」
飯野「戸籍上はな。それに、これは不倫やな
 い。寝取られたんや」
ゆう子「寝取られた」
飯野「現実を受け止めて、直視せんかい」
ゆう子「……」
飯野「恐喝や暴行をイジメて呼んでるのと同
 じでキレイに言い換えてるだけ。オレらは
 捨てられたんや」
ゆう子「(ショックを受け)そんな……」
  沈黙する二人。
飯野「あんた、いくつや?」
ゆう子「(答えたくなく)……」
飯野「(顔や服装をチェックして)三十……
 四、五か」
ゆう子「一です」
飯野「男と付き合った人数は乏しく、不倫経
 験もない。二十代のうちにと焦って結婚し
 た部類か」
ゆう子「そうです。身持ちの堅い、品行方正
 なタイプです。不倫の経験だなんて」
飯野「だから浅いねん」
ゆう子「浅い?」
飯野「恋愛経験が少ないから、ちょっと問題
 あるとなんも見えんなって迷惑や犯罪まが
 いまでやってまう。大人になりきってへん」
  ゆう子、言い返せなくてうつむく。
飯野「旦那がおらんなったんは初めてか?」
ゆう子「結婚してから二年と三か月、別々で
 眠った日はなかったです」
飯野「そうか。(腕時計を見て)すまんな、
 力になれんで」
  と店を出る準備を始める。
ゆう子「……これマスコミに言いますよ」
飯野「はあ?」
ゆう子「W不倫されてる漫才師って、週刊誌
 やスポーツ紙にも出ます」
飯野「関西ローカルの三流芸人が載るかい。
 業界で働いたら、それくらい分かるやろ?」
ゆう子「……」
飯野「というか売名行為でも喰らってみたい
 モンやで、文春砲とやらを」
  涙がスーッと流れるゆう子。
  同情した飯野が隣に立つ。
飯野「(肩を叩き)気ぃ落としな。旦那だけ
 が人生やないで。……じゃあな」
ゆう子「逃げるんですか!」
  とテーブルを叩き、立ち上がる。
  薬指には結婚指輪が輝いている。
飯野「今から出番や。こっちはお前みたいに
 暇とちゃうんじゃ」
ゆう子「(にらんで)……」
飯野「謝らんで」
  と店を出ていく。
  力が抜け、椅子に座り込むゆう子。

○ ミナミ演芸ホール・大楽屋(夜)
  出番を終えた若手や中堅芸人が着替えや
  雑談をしている。
  飯野と宇田川も漫才を終え、帰ってくる。
芸人たち「お疲れ様です」と口々に挨拶
  する。
飯野「最初のトコ『おじいちゃんおばあちゃ
 ん』に変更や。で、後半に『死にかけ』、
 オチで『くたばりぞこない』な」
宇田川「なんで?」
飯野「優しい言葉から徐々に落としていった
 方が高低差が出て、笑いも大きくなる」
宇田川「うん、それでいこ」
  飯野、ポケットからスマホを出す。
  知らない番号から何度も不在着信がある。
飯野「(画面を見つめ)……」

○ 同・廊下(夜)
  薄暗い通路を芸人たちが帰っていく。
  その隅で留守電を聞いている飯野。
留守電の声「最初に保存されたメッセージで
 す」
ゆう子の声「スタバでお話しさせていただい
 た横山ゆう子です。知人の方に番号をお聞
 きしました。もう一度、お会いしたいので」
  途中でメッセージを消す飯野。
留守電の声「続いてのメッセージは」
ゆう子の声「何度も申し訳ございません。横
 山ゆう子です。先ほどの留守電に入りきら
 なかったので」
飯野、また切る。
留守電の声「続いてのメッセージは」
ゆう子の声「横山ゆう子です」
飯野「ええ加減にせぇ!」
  と電話を切る。
  そこにベテラン芸人が通りがかる。
ベテラン芸人「仕事熱心やなぁ、ケータイに
 までツッコんで」
飯野「騒がしくして、すみません」
ベテラン芸人「今日の漫才も良かったわ」
飯野「ありがとうございます」
ベテラン芸人「でもな、あれじゃ売れん。こ
 こ以外では通用せんぞ」
飯野「はあ」
ベテラン芸人「色んなパターンがないとワシ
 みたいに、みじめな芸人人生のまま終わっ
 てまうで」
飯野「……」
ベテラン芸人「ほな、せいぜい気張りや」
  と去っていく。
飯野「(頭を下げ)お疲れ様でした」
  顔をあげる飯野、厳しい表情だ。

○ 近畿ラジオ局・表
  古いが趣のある建物。
  お昼前の空に入道雲が浮かんでいる。
宇田川の声「リスナーさんは離婚して、子供
 と会えなくて悩んでるんか。うちの相方と
 まったく同じ状況ですわ」
飯野の声「そんなんで落ち込みな。オレなん
 か、先月の給料十万無いねんぞ」
宇田川の声「公共の電波で恥ずかしいこと暴
 露すんなや」

○ 同・副調整室
  ディレクターやスタッフが、ブースの中
  で向かい合って喋る飯野と宇田川を見て
  笑っている。
飯野「元嫁から、早く養育費払えってクレー
 ムも来るし」
宇田川「悩みを解決するコーナーやのに、お
 前の悩みを聞かせてどないすんねん」
飯野「オレに比べたら生温い。もっと不幸な
 メール送って。痴漢冤罪とか、一日に三回
 も車に轢かれたとか、隕石にぶつかったと
 か。死にかけたエピソード待ってるで」
宇田川「どんな番組や」
  ディレクターが番組終了のカウントダウ
  ンを始める。
宇田川「あっ、もう時間ないわ。皆さん、今
 週もありがとうございました」
飯野「礼を言うのは向こうやで。カネも払わ
 んと聞いて」
宇田川「もうええわ! さようなら~」
ディレクター「……ハイ、オッケー」
  飯野と宇田川がブースから出てくる。
  すぐに近づいてくるディレクター、話し
  方はオネエ口調。
ディレクター「お疲れちゃーん」
宇田川「すみません。今日はギリギリに入り
 まして」
ディレクター「いいのいいの。放送時間にさ
 え間に合ってくれたら」
宇田川「最後もキレイにまとめられなくて、
 申し訳ない」
ディレクター「あの中途半端さが逆にいいん
 だよ。それで来週も聞きたいってなんの」
宇田川「聴取率は、どうです?」
ディレクター「女性層と高齢者層の人気がち
 ょっとねぇ」
宇田川「毒舌が強すぎますか?」
ディレクター「ボクは今のままでも好きなん
 だけど、少し手加減してくれたらパーフェ
 クトよ」
宇田川「なら、抑えます。(飯野に)な?」
飯野「(面倒臭そうに)ああ」
ディレクター「そこクリアできたら、次の改
 変期には放送時間の拡大もありえる。二人
 には期待してるから頑張ってね」
宇田川「(頭を下げ)よろしくお願いします」
  隣の飯野は仏頂面で突っ立ったまま。

○ 同・表
  飯野が出てくると、後ろから宇田川が追
  いかけてくる。
宇田川「おーい」
飯野「(振り返り)なんや?」
宇田川「スタッフの前でべんちゃらしろとは
 言わんけど、もう少し愛想よくしてくれよ」
飯野「おお」
  と行こうとする。
宇田川「本題は今から」
飯野「すぐ終わる?」
  首を横に振る宇田川。

○ コンビニ・表
  飯野がタバコに火をつける。
  缶コーヒーを二本持った宇田川が店から
  出てくる。
飯野「サンキュ」
  と一本受け取る。
宇田川「また吸い出した?」
飯野「ストレスでな」
宇田川「何の?」
飯野「色々あるわ」
宇田川「女とか?」
飯野「(缶を開けて)そんな年齢ちゃうやろ」
宇田川「横山ゆう子て、知ってる?」
  驚いてコーヒーを噴き出す飯野。
飯野「あいつ、お前のトコまで行ったか?」
宇田川「(うなずき)局入る直前に声かけら
 れてな」
飯野「それで遅刻しそうにか。あのボケが」
宇田川「大体の話は聞かせてもらった。面倒
 なことにならんよう、ちゃんと対応しなア
 カンで」
飯野「……」
宇田川「芸歴十六年にして、やっとバイトも
 せんで食えるようになった。売れるチャン
 スの風も吹いてきたと思ってる」
飯野「微風やけどな」
宇田川「会社に相談してみたら?」
  飯野、タバコを押し潰して消す。
宇田川「つまらんことでしくじったら」
飯野「(さえぎり)分かってる」
宇田川「分かってるなら、もう言うことはな
 い。今月の新ネタの方も頼むで」
  と去っていく。
  スマホを見る飯野、またゆう子から電話
  がかかって来ている。
  ため息をつき、もう一本タバコを吸おう
  とするが反対側に火をつけてしまう。
飯野「クソッ!」
  とタバコを灰皿に投げ捨てる。

○ ミナミ演芸ホール・裏口
  昼下がり、飯野がとぼとぼ入っていく。

○ 同・エレベーター
  一人で乗っている飯野。
  五階に『お笑い事務所 吉竹芸能本社』
  と書かれてある。
  エレベーターが着き、ドアが開く。
  そこにはゆう子が待っていた。
飯野「うわっ、なんでおるねん」
ゆう子「飯野さんに会いに来ました。けど、
 受付で断られまして」
飯野「そら、そやろ」
ゆう子「今日はお仕事で?」
飯野「お前の対処の仕方を会社に聞きに来た
 んや」
ゆう子「私って、ストーカーですか?」
飯野「……とりあえず、乗れや」
  ゆう子が入ると、ドアが閉まる。
  静かな中、下りていく。
ゆう子「自分でも、こじらせ女子だという認
 識はありましたが」
飯野「そんなかわいいレベルやないやろ」
ゆう子「ご迷惑をおかけて申し訳ありません」
飯野「分かってるなら、やるな」
ゆう子「頭では理解できてるんです。……飯
 野さんって、意外といい方なんですね」
  飯野、大きなため息をつく。
  一階に着き、ドアが開く。

○ コインパーキング
  飯野とゆう子が歩いてくる。
  二人は、ゆう子の軽自動車に乗り込む。

○ 止まっているゆう子の車・車内
  運転席にゆう子、助手席に飯野。
  黙っている二人。
ゆう子「……飯野さんもこじらせ男子ですよ
 ね?」
飯野「あんたと一緒にすんな。オレは恋愛に
 ネガティブでも優柔不断でもないぞ」
ゆう子「自分勝手や女性を信用しない、それ
 に理屈っぽいもこじらせ系に入るんですよ」
飯野「(イラっとして)何の話やねん」
ゆう子「すみません」
飯野「まあ、今回の件はこっちにも微々たる
 責任はある。微々たるな」
ゆう子「それを分かっていただけただけでも、
 感謝します」
飯野「(タバコを見せて)ええか?」
ゆう子「すいません」
飯野「タバコだけにか?」
ゆう子「え?」
飯野「『すいません』と『タバコ吸いません』
 が、かかってるから」
ゆう子「こんな時にも冗談言うんですね」
飯野「そんなつもりやないけど……。あんた
 は積極的で大胆な女やな」
ゆう子「(恐縮して)普段はこんなことでき
 る人間じゃないんです」
飯野「褒めてるんとちゃう。どんどん関係な
 い人まで巻き込んでいくってハナシ」
ゆう子「普通の主婦だから必死です。仕事も
 財産もない。私には夫しかいないんです」
飯野「しかしこれ以上、しつこいとケーサツ
 に言うしかないで」
ゆう子「ですよね」
飯野「友達に相談したら?」
ゆう子「いないです」
飯野「こっちにおらんでも、東京に住んでた
 頃のは?」
ゆう子「いません。私、友達が一人もいない
 んです」
  少し間がある。
飯野「……親は?」
ゆう子「八年前に父を、五年前に母を亡くし
 ました」
飯野「兄弟は?」
ゆう子「ひとりっ子です」
飯野「向こうの親とか」
ゆう子「(さえぎり)嫌い」
飯野「嫌い?」
ゆう子「はい。嫁姑関係が上手く行かず、私
 は孤独な人間なんです」
飯野「一番犯罪に走りやすいタイプやがな」
ゆう子「(うつむき)……」
飯野「ごめん、言い過ぎた」
ゆう子「いえ、その通りだと思います。正直
 に言ってくださるのは、飯野さんしかいま
 せん」
飯野「複雑な気分やわ」
ゆう子「ですから止めて貰いたいんです」
飯野「何を?」
ゆう子「夫と不倫相手の住むマンションに行
 って、何をしてしまうか自分でも予想でき
 ません」
飯野「それを止めろと?」
ゆう子「関係者ですし」
飯野「そんなこと言われてもなぁ」
  と困惑する。
ゆう子「奥さんは待ってるかも知れませんよ」
飯野「はあ?」
ゆう子「飯野さんが迎えに来てくれるのを」
飯野「あんたの旦那にまたがりながらか?」
ゆう子「想像させないでください」
飯野「イヤでもするやろ」
ゆう子「(無視して)連れ戻してほしいか、
 ほしくないか。半分半分の確率だと思いま
 す」
飯野「ポジティブすぎ。てか、あいつは遊び
 やない。覚悟を決めて出てったんや」
ゆう子「後悔してるかも知れませんよ」
飯野「今が一番幸せな頃やろ。ほっといてあ
 げたらええやんか」
ゆう子「ほっとくだなんて」
飯野「それに今さら戻って来られても、裏切
 った奴を許せるんか?」
ゆう子「……そりゃ、一生許せません」
飯野「やろ」
ゆう子「でも、愛することはできます」
飯野「(呆れて)そうでっか」
ゆう子「飯野さんも結婚した時は、心から愛
 し合ってたはずです」
飯野「あのな、二人とも三十越えて愛するも
 愛さんも無かった。妥協と打算と成り行き
 で籍入れたんや」
ゆう子「……今から、二人の部屋に行きまし
 ょう」
飯野「オレの話、聞いてたか?」
ゆう子「気持ちが収まらないです」
飯野「犯罪する気、満々やな」
ゆう子「事件を防ぐには付いてくるしかあり
 ません」
飯野「そうやって追い詰めるから、旦那は息
 が詰まって逃げだしたんや」
ゆう子「(興奮して)そういう無神経な言い
 方が奥さんはイヤだったんですよ!」
飯野「(ため息をつき)こうなるから関わり
 たくなかってん」
ゆう子「じゃあ、ケーサツに行けば良かった
 んです。なぜ、この車に乗ったんですか」
飯野「あんたと仲良しになりたかったんや」
ゆう子「芸人さんなのに、つまらないことを
 おっしゃるんですね」
飯野「やかましいわ」
  肩を震わせ、泣き出すゆう子。
飯野「泣くのだけは勘弁してくれ」
ゆう子「先が見えないんです。これからどう
 なるか不安で、不安で……」
飯野「オレの場合は逆やな」
ゆう子「え?」
飯野「先が見えて落ち込む」
ゆう子「先が見えるのにですか?」
飯野「劇場にな、売れへんベテラン芸人が山
 とおる。何年かしたら、そこへ仲間入りか
 と考えたら気が滅入るで」
ゆう子「まだまだチャンスはありますよ」
飯野「Mー1に出られる芸歴を超えた。逆転
 満塁ホームランで売れる可能性は無くなっ
 たっちゅうワケや」
ゆう子「他の漫才の大会とか、お笑いコンテ
 ストとかにも」
飯野「(さえぎり)とっくに出れる年齢やな
 い」
ゆう子「……」
飯野「先が見えへん方が希望も持てて、ええ
 んとちゃうか?」
  ゆう子は涙を拭き、落ち着く。
ゆう子「もう飯野さんの前では泣かないと約
 束します」
飯野「そら、良かった」
ゆう子「では、出発しますね」
飯野「なんでやねん! やっぱり話聞いてへ
 んがな」
  エンジンをかけ、車を発進させるゆう子。
飯野「無視かい」
  二人が黙り、車は快調に走る。
ゆう子「……やっぱり飯野さんの言う通りか
 もしれないです」
飯野「何が?」
ゆう子「追い詰めたから夫が逃げた」
飯野「逃げたんちゃう。よその嫁はんに乗り
 換えたんや」
ゆう子「(怒って)……」
飯野「冗談やがな。しかし、あんたは旦那の
 何から何まで面倒見てたんやろうな」
ゆう子「そんなことないです」
飯野「食事用意したり、服選んだり、もしか
 したらカラダまで洗ってたんとちゃうか?」
ゆう子「(図星で)……」
飯野「オカンやないねんで」
ゆう子「お母さんみたいになれたら、それは
 それでいいんじゃないですか?」
飯野「母親相手にチンポ勃つんか?」
ゆう子「(赤面して)……」

○ タワーマンション・表
  堂々とそびえ建つ三十階建ての新築マン
  ション。
  その前にゆう子の車が停車する。

○ 止まっているゆう子の車・車内
助手席から、マンションを見上げる飯野。
  ゆう子は入口を見ている。
ゆう子「ここの最上階に住んでるみたいで」
飯野「小説家って、儲かるねんなぁ」
ゆう子「『神社の巫女ちゃん』シリーズがヒ
 ットしましたからね」
飯野「どっちが出てきても突撃するんやな?」
ゆう子「はい、奇襲攻撃です」
飯野「で、なんて言うねん?」
ゆう子「出たとこ勝負」
飯野「ノープランかいな」
ゆう子「こう見えて私、どんな場面でも状況
 判断できるタイプなんですよ」
飯野「気持ちが抑えられず、暴れ回るタイプ
 のくせに」
ゆう子「……」
飯野「お宅、ガキはおるんか?」
ゆう子「いえ。結婚して一年半は妊活をして
 ましたが精神的に疲れちゃってやめました」
飯野「イヤなこと思い出させてもうたな」
ゆう子「全然。飯野さんのところもいらっし
 ゃいませんよね?」
飯野「前の嫁との間にはおる。何年も会って
 へんから、おらんのと一緒やけど」
ゆう子「奥さんはそれを気にされていたのか
 も」
飯野「そんなタマやない。それに離婚するの
 大変やから、おらんで逆に良かってん。(
 あくびをして)オレはもうすぐバツ2か。
 ま、芸人やから別にカンケーないか」
ゆう子「私は平凡な主婦なんで、一人のヒト
 と添い遂げたいです」
飯野「合わんかったら、別れた方がええと思
 うけど」
ゆう子「漫才師さんもそうですか?」
飯野「へ?」
ゆう子「うまく行かなくなったら、すぐに解
 散する」
飯野「夫婦と漫才はまったくちゃう。漫才コ
 ンビはビジネスや」
ゆう子「ビジネス?」
飯野「嫌いな相方でもカネ儲けできるなら続
 く。だが、仲良くても仕事がないならコン
 ビ別れ。シンプルやな」
ゆう子「あっ」
  入口から男性が出てきた。
  食い入るように見る飯野とゆう子。
ゆう子「……違いました」
飯野「めっちゃ緊張したわ」
ゆう子「私も」
飯野「確認しとくけど、オレはここで見てる
 だけでええんやな?」
ゆう子「犯罪を犯しそうになったら、止めに
 来てください」
飯野「分かってたらやるなって」
ゆう子「あの……」
飯野「なんでも言うて」
ゆう子「給料が十万円無いって、本当ですか
 ?」
飯野「ラジオ聞いてたんか。あれは冗談や。
 ホンマのはゼロが一個多い」
ゆう子「(驚き)そんなに!」
飯野「今のも冗談やがな。芸人の言葉を信じ
 たらアカン」
ゆう子「……」
  会話が続かず、無言で入口を眺める二人。
飯野「……どんな雑誌の記者をやってたん?」
ゆう子「最初は女性誌で、途中から情報誌の
 方を」
飯野「仕事はおもしろかった?」
ゆう子「有名人のインタビューが好きでした」
飯野「歌手とか俳優とか?」
ゆう子「はい。普段、思っていても言えない
 ことを読者に伝えられるのがやりがいで」
飯野「真面目に答えへん奴もおるやろ?」
ゆう子「そういう方は、なぜかいなくなって
 いきます」
飯野「こっちではやらんの? 関西にはお笑
 い芸人しかおらんか」
ゆう子「それに雑誌はどこも赤字で、今は苦
 しい状況です」
飯野「ネットにやられたか」
ゆう子「無料は強いですから」
飯野「カネ払ってまで読みたい記事が無いか
 らちゃう?」
ゆう子「厳しい意見ですね」
飯野「何でもスマホが悪いみたいに言うけど、
 オレらの劇場はいつも満杯や。値段に見合
 うなら高くても客は来る。どんなモンでも
 需要と供給やで」
ゆう子「理想はそうですけど……」
飯野「まあ、オレも未だ売れずでくすぶって
 るけどな」
ゆう子「そんなことないです」
飯野「どんどん後輩にも抜かれるし」
ゆう子「ラジオ番組にレギュラー出演されて
 ますし、大きな劇場で漫才をしてウケてら
 っしゃいます。立派な芸人さんですよ」
飯野「午前中のラジオなんか誰が聞いてるね
 ん。舞台の出番も二番か三番や。若手の出
 るトコやで」
ゆう子「見た目は若手で通用します」
飯野「まさか、最近知ったヒトに勇気づけら
 れるとはな。嬉しくて涙が出るで」
ゆう子「それもストーカーに」
飯野「おっ、おもろいやんけ」
ゆう子「だけど、少しマイルドにした方が」
飯野「ネタをか?」
ゆう子「はい。子供や女性や高齢者にも受け
 入れられるよう」
飯野「(さえぎり)プライドが許さん」
ゆう子「(冗談っぽく)たまには捨てたらい
 いじゃないですか、プライドなんて」
飯野「(真顔で)ガキやオンナやジジババに
 合わせるぐらいなら芸人やめるわ」
ゆう子「すみません、偉そうに言いました。
 ……なぜ、コンビ名は『飯野宇田川』なん
 ですか?」
飯野「何回か改名したんや。で、行きついた
 のがそのまま」
ゆう子「どうしてです?」
飯野「例えば『タワーマンション』ってコン
 ビなら、コンビ名と名前の二つ覚えて貰わ
 なアカンやろ。でも、まんまなら」
ゆう子「一度で済む」
飯野「あと、売れてない芸人の出演時間は短
 いねん。すぐ漫才に入れるように、自己紹
 介も無しでイケるやろ」
ゆう子「色々と考えてらっしゃるんですねぇ」
飯野「なんか、インタビューされてる気分に
 なってきたで」
  初めて笑い合う飯野とゆう子。
  その時、マンションから女性が出てきた。
ゆう子「(指をさし)あの方って」
  飯野、その方向を見る。
  派手な服装でスタイルが良く、キャリー
  バッグを引いて、こちらに向かって歩い
  てくる。
ゆう子「奥さんですか?」
飯野「(見つめて)……」
  ヒールのコツコツという足音が近づいて
  くるが顔だけは見えない。
飯野は女性を凝視している。
ゆう子「飯野さん……飯野さん!」
飯野「あー、あー」
  と窓にへばりついて見る。
ゆう子「何してるんです? ねえ、ねえって」
飯野「(震えながら)ふぁふぁふぁふぁ」
ゆう子「大丈夫ですか?」
  女性は二人に気づかず、車のすぐ隣を通
  り過ぎていく。
  最後まで顔は見えなかった。
  完全にうろたえている飯野。
ゆう子「(体を揺すり)しっかりして下さい」
飯野「な、な、夏美」
ゆう子「やっぱり奥さんだったんですね」
飯野「(放心状態で)……」
ゆう子「一体、何のために付いて来たんです
 か! ……しかし、キレイなヒトでした」

○ ミナミ演芸ホール・大楽屋(夜)
  出番が終わった飯野と宇田川だけがいる。
  お互い黙って着替えている。
  飯野がカバンを持って出て行こうとする
  と宇田川が声をかける。
宇田川「新ネタの方はできた?」
飯野「……今月はパスや」
宇田川「珍しいな。何かあったん?」
  飯野、首を横に振り去っていく。
  心配そうな顔で見送る宇田川。
  
○ 繁華街(夜)
  サラリーマンが大勢集まる盛り場。
  その中を飯野が歩いてくる。
  スマホが鳴り、ポケットから出す。
  画面に『横山ゆう子』の文字。
  電源を切って飲み屋に入ってしまう。

○ 飯野のマンション・表(夜)
  ゆう子がキョロキョロしながら、帰りを
  待っている。
  夜風に長い黒髪がなびいている。
  遠くから通行人にぶつかりそうな千鳥足
  でやってくる男がいる。
  べろんべろんに酔っ払った飯野だ、近く
  まで来てゆう子に気付く。
飯野「お、またストーカーごっこか?」
ゆう子「本気で心配したんですよ。何度も電
 話したのに」
飯野「お前は彼女か?」
ゆう子「違います」
飯野「ほな、帰れ」
ゆう子「……分かりました」
  と行こうとする。
飯野「待て待て、ウソやがな」
  飯野、ゆう子を引き止めようとするが足
  がもつれて転んでしまう。
ゆう子「大丈夫ですか」
  と起こそうとする。
飯野「女の手ぇなんか借りられるかい」
  差し出された手を振り払い立とうとする、
  だが、足に力が入らない。
ゆう子「こんな時に何言ってるんですか!」
飯野「……じゃ、ありがたく」
  と肩を借り立ち上がる。
飯野「(夜空を指さし)あ、流れ星や」
ゆう子「願いごとしました?」
飯野「子供か」
ゆう子「大人だったら、しっかりしてくださ
 い。お酒はどれくらいお飲みに?」
飯野「オレ、そんなに酒臭い?」
  とハア~と息を吹きかける。
ゆう子「(嗅いで)結構、飲んでますね」
飯野「真面目か。家、寄ってくやろ?」
ゆう子「寄っては行かないですけど、心配な
 ので送っては行きます」
  フラフラしながら二人はマンションに入
  っていく。

○ 同・エレベーター(夜)
  ゆう子が飯野を支えながら乗っている。
ゆう子「こんなになるまで……」  
飯野「情けなくて死にたい気分やった」
ゆう子「奥さんを愛してたんですね」
飯野「ホンマ、お前は男心を分かってへんな。
 だから、旦那を取られたんや」
ゆう子「飯野さんもでしょ」
飯野「うちの夫婦は終わってたから、取った
 も取られたもない」
ゆう子「(小声で)酔っても口だけは達者」
飯野「なんか言うたか?」
ゆう子「何も」
  エレベーターが開き、降りる飯野とゆう
  子。

○ 同・飯野の部屋のフロア(夜)
  夜中で静まり返っている。
  エレベーターから部屋までの共有通路を
  飯野とゆう子が肩を組みながら歩く。
  二人は何度も転びそうになる。
飯野「(他人の部屋を指さし)こいつの部屋
 はゴミ屋敷。(次の部屋を指さし)こいつ
 はブスのくせにキャバ嬢」
ゆう子「近所迷惑ですよ」
飯野「(また別の部屋を指さし)ここの高齢
 夫婦は朝までエッチやっとる」
ゆう子「静かにしてください」
飯野「で、これが天才漫才師の部屋や」
  とカギを開け、倒れるように入っていく。
  部屋の前でためらうゆう子。
ゆう子「……お邪魔します」
と頭を下げて入る。

○ 飯野の部屋・DK(夜)
  一般的な2DKのマンション。
  妻の荷物が無いので、家具やモノが歯抜
  けのようになっている。
  カラのコンビニ弁当や衣類やスポーツ新
  聞などが散らかり、雑然としている。
  ソファに崩れるように倒れ込む飯野。
  そこへゆう子が水を持ってくる。
飯野「(一気に飲み)あー」
ゆう子「大丈夫ですか?」
飯野「大丈夫なら、こんなんなるかー」
ゆう子「そうですけど」
飯野「年取ったら酒に弱くなったで。生ビー
 ルが五杯、ハイボール三杯、ハーフボトル
 のワイン一本に」
ゆう子「飲み過ぎです」
飯野「(腰を振りながら)酔っ払っても下半
 身は元気やでぇ。芸人だけに夜のツッコミ
 もうまい」
 とバカ笑いする。
ゆう子「……帰りますね」
飯野「迷惑かけて悪かった。タク代、やるわ」
  ポケットから財布を出す飯野。
飯野「(中には千円もなく)……」
ゆう子「私、車で来てますから結構です。で
 は、ゆっくり休んで下さい」
飯野「今度、払う。いや、もう会うことはな
 いか」
ゆう子「諦めたんですか?」
飯野「諦めたも何も」
ゆう子「奥さんを見て、ショックだったんで
 しょ?」
飯野「それは……そうやな」
  少し間がある。
ゆう子「……今、夫は私をどう思ってるんで
 しょうか? 寝る時になると考えちゃうん
 です」
飯野「……」
ゆう子「でも、本当の気持ちを聞くのが怖く
 て恐ろしくて……こんなウジウジした性格
 の自分がホントに嫌いで」
飯野「……」
ゆう子「あれ?」
  確認すると飯野は眠っていた。
ゆう子「こんなトコで寝たら駄目ですよ」
  と起き上がらせようと引っ張る。
  するとゆう子に抱き着く飯野。
ゆう子「え?」
  飯野、ゆう子を床に押し倒す。
  そして覆いかぶさる。
ゆう子「何するんですか!」
  と抵抗する。
  しかし飯野は無言で服を脱がし始める。
ゆう子「やめてください。ホントにやめてく
 ださい!」
  暴れるゆう子、だが飯野の力に抑え込ま
  れる。
  何度も何度も抵抗するが、逃げられない。
  ついに諦めてしまうゆう子、下着だけに
  されてしまう。
  その下着に手をかけると、飯野の動きが
  止まった。
ゆう子「……ん? どうされました?」
飯野「うっ」
  と手で口を押さえる。
ゆう子「我慢して下さい!」
飯野「うっ……うっ!」
ゆう子「駄目です。絶対、駄目ですからね」
  飯野がうなずいた瞬間、嘔吐。
  まともにゆう子の顔にかかった。
ゆう子「うわっーーー!」
飯野「ごめん……うっ」
  とまた手で口を押さえる。
ゆう子「もう汚れてますから、楽になるまで
 吐いてください」
  ゆう子、座って背中をさする。
  二度三度と吐き続ける飯野。

○ 飯野のマンション・表
  翌朝、夏の強い陽が当たっている。

○ 飯野の部屋・寝室
  ダブルベッドの真ん中で眠っていた飯野
  が目を覚ます。
  二日酔いでだるそうに起き上がる。
飯野「(こめかみを押さえ)あいたたた……」
  鏡に映った自分の姿を見る、Tシャツと
  半パンに着替えている。

○ 同・DK
  飯野がよろよろとやってくる。
  嘔吐物はキレイに片付けられている。
  部屋も掃除され、整理整頓もされている。
  ソファに座る飯野、するとドアが開く。
  男物の白いワイシャツを着たゆう子がコ
  ンビニ袋を手に帰ってきた。
  髪を一つにまとめ、いつもと雰囲気が違
  う。
ゆう子「あら、起きましたか。昨日のこと、
 覚えてます?」
飯野「ざっくりとは」
ゆう子「ごめんなさい。勝手に服借りちゃっ
 てます」
飯野「全然、大丈夫」
ゆう子「これいるでしょ」
  袋からパンや飲み物を出すゆう子。
飯野「頭が痛くてな」
ゆう子「薬を飲むために食べて下さい。一口
 でいいので」
  とパンを渡す。
  飯野は無理やり口に押し込み、水で流し
  込む。そして頭痛薬を貰って飲む。
飯野「昨日は迷惑かけた。すまん」
ゆう子「いいえ、私が勝手に来たんですから」
飯野「しかし」
ゆう子「洗ったら匂いも消えましたし」
飯野「いや」
ゆう子「あとタオルを何枚か捨てて」
飯野「それやなしに」
ゆう子「え?」
飯野「……襲ったやろ」
ゆう子「ああ、気にしてないです」
飯野「なら、助かった」
  間がある。
飯野「(言いにくそうに)もしかして風呂に
 も入れてくれた?」
ゆう子「それは無理です。濡らしたタオルで
 カラダを拭いただけで」
飯野「裸を見られたんか」
ゆう子「大丈夫。昔、おじいちゃんの介護を
 してましたから」
飯野「介護……」
  笑顔でうなずくゆう子。
ゆう子「(部屋を見渡し)一人暮らしには広
 すぎます」
飯野「家賃も高いから引っ越さなアカン。そ
 れか、あんたとルームシェアでもするか」
ゆう子「いいですね」
飯野「もう来る気もないくせに」
ゆう子「服を取りに来ますよ」
  部屋の隅にゆう子の服が干してある。
  何か探し始める飯野。
ゆう子「スマホなら洗濯機の横に置きました。
 あ、充電は切れてましたよ」
  ゆう子、流し台で洗い物を始める。
  家庭的な雰囲気で、袖まくりをした白い
  腕が色っぽい。
  その姿に見とれてしまう飯野。
ゆう子「(気付き)どうかしました?」
飯野「(焦って)いやいや、スマホスマホ」
  と部屋を出て、持って戻ってくる。
  そしてスマホを充電器に差し込む。
飯野「(画面を触り)……ヤバい!」

○ 走っているゆう子の車・車内
  車を飛ばすゆう子、助手席で電気カミソ
  リでヒゲを剃る飯野。
  カーブでタイヤが音を立ててきしむ。
  飯野、不安顔でゆう子を見る。
ゆう子「運転には自信ありますから。……今
 日みたいにテレビの仕事が急に入ることっ
 て、よくあるんですか?」
飯野「無いから驚いてるねん」
ゆう子「じゃあ、チャンスですね」
飯野「遅刻しそうやから、ピンチやで」
赤信号で止まる車。
  突然、思い出し笑いをするゆう子。
飯野「気持ち悪いで」
ゆう子「うれしかったんです」
飯野「なにが?」
ゆう子「昨日、飯野さんに襲われて」
飯野「ええ!?」
ゆう子「(笑って)そういう意味じゃなくて」
飯野「じゃあ、どんな意味や?」
  青になり、車が走り出す。
ゆう子「抱き着かれた時、やっぱり女だって
 思い出したんです」
飯野「はあ?」
ゆう子「簡単に言うとセックスレスでした。
 妊活を終えてから自然とそうなって」
飯野「なるほど」
ゆう子「昨日はテンション上がっちゃった」
飯野「でも未遂やで」
ゆう子「だから笑って話せるんです」
飯野「ちゃう。酒飲んだら、オレは勃たん。
 あれ以上は頑張っても、どうにもならん。
 飲んだら女にも乗るなや」
ゆう子「そうでしたか……」
飯野「しかしセックスレスって、両方に責任
 があるんやろうな」
ゆう子「え?」
飯野「男が裸で金玉かきながら部屋をウロウ
 ロしたり、女が化粧もせんとムダ毛ボーボ
 ーやったら、どっちもその気にならん」
ゆう子「ですね。(カーナビを見て)もうす
 ぐ着きます。近くで助かりましたね」
飯野「近所で、暇な芸人探したらオレらしか
 おらんかったんやろ」

○ さくら公園・表
  セミがやかましく鳴き、テレビクルーが
  集まっている公園。
  道路ギリギリに宇田川が立ち、焦りなが
  ら待っている。
  そこに急ブレーキで止まるゆう子の車。
  飯野が降りてくる。
宇田川「ギリギリやぞ」
飯野「ヒーローの登場はこんな感じや」
宇田川「すぐ本番やから、打ち合わせする時
 間はない。進行はするから、合間合間にボ
 ケを頼む」
飯野「任せとけ」
宇田川「(匂いを嗅ぎ)酒残ってるな」
飯野「オレは残ってるくらいが調子ええねん」
宇田川「訳分からんわ」
  二人はテレビクルーと公園に入っていく。
 
○ 止まっているゆう子の車・車内
  ゆう子がカーテレビで、午前中にやって
  いる情報番組を見ている。
女子アナ「今日はロッキーズさんが食中毒で
 お休みです。ピンチヒッターとして、飯野
 宇田川さんがいらしてます。そちらのお天
 気はいかがですか?」
  さくら公園にいる飯野と宇田川が映る。
宇田川「はいはーい、こちらは雲一つない晴
 天。太陽がカンカン照りでホンマに暑いで
 す。ね、飯野君」
飯野「昨日、酒を死ぬほど飲んだから二日酔
 いでサイアクです」
宇田川「そんなん言わんでええねん」
飯野「ロッキーズは裏で出演者やスタッフの
 悪口をめっちゃ言うてます。あんなん辞め
 させて、オレらをレギュラーにして下さい」
宇田川「やめとけや」
飯野「オレだけでもお願いします」
  と頭を下げる。
宇田川「なんでやねん!」
  スタジオでウケる声が聞こえる。
宇田川「それでは公園の紹介をしていきます」
飯野「そんなんどうでもええ。今からロッキ
 ーズの悪口をいっぱい言おうぜ」
ゆう子、楽しそうに番組を見ている。

○ ファミリーレストラン・表
  昼時で客が次々入っていく。

○ 同・女子トイレ
  手を洗って出ていくゆう子。
  だがすぐに戻ってきて、鏡を見つめる。
  そこには疲れた表情の三十路の女の姿が。
ゆう子「……よし!」
と気合を入れ、口紅を塗り始める。

○ 同・店内
  ゆう子が一人でハンバーグを食べている。
  唇が艶やかに輝いている。
  そこにやってくる飯野。
ゆう子「お疲れ様でした。何か食べます?」
飯野「喰ってきた」
ゆう子「遅刻は怒られなかったですか?」
飯野「本番ウケたから、感謝されたぐらいや」
ゆう子「(飯野を見つめ)……」
飯野「なに?」
  アピールするように唇を突き出すゆう子。
飯野「口にハンバーグの肉汁が付いてるで。
 ちゃんと拭き」
ゆう子「もういいです」
  とバクバク食べ出す。
飯野「なんで怒ってるねん。……これから、
 どうする気や?」
ゆう子「夫のこと?」
飯野「それ以外ないやろ」
ゆう子「飯野さんもまだ好きなんでしょ、奥
 さんを」
飯野「まったく」
ゆう子「え? だって、すごく取り乱したじ
 ゃないですか」
飯野「確かに取り乱した」
ゆう子「お酒も浴びるほど」
飯野「飲んだ飲んだ」
ゆう子「気持ちがあるから、落ち込んだんじ
 ゃないんですか?」
飯野「落ち込んだけど、意味がちゃうんや」
ゆう子「きちんと説明して下さい」
飯野「久しぶりに嫁を見たやろ?」
ゆう子「はい」
飯野「めっちゃキレイやった」
ゆう子「惚れ直した?」
飯野「ちゃう。あいつと出会ってから一番輝
 いてたってこと」
ゆう子「何が言いたいんです?」
飯野「オレと一緒に暮らしてたらアカン。女
 一人も幸せにできへん、ショボい男やと思
 い知らされたんや。そのショックやな」
ゆう子「……」
飯野「離婚するやなく、絶対にするべきやと
 決心したっちゅうワケ」
ゆう子「そんな……」
飯野「当たり前の話やろ」
  会話が途切れる二人。
ゆう子「……私は、難しいことを望んでるん
 でしょうか?」
飯野「はあ?」
ゆう子「普通の結婚生活を送りたいと思って
 るだけなんですよ」
飯野「けどな」
ゆう子「はい?」
飯野「それは、あんたの考えやろ。旦那の考
 えとはちゃう」
ゆう子「……」
飯野「『普通の結婚生活』ってのも、めっち
 ゃ大変。三組に一組以上が離婚する時代に
 続けていくのはお互いの努力と我慢が必要」
ゆう子「……」
飯野「それでも一方がイヤになったら、別れ
 るしかないと思うで」
  テーブルをバンと叩き立ち上がるゆう子、
  怒りでカラダが震えている。
  周りの客は驚いて見る。
ゆう子「私は別れる気は全然ありません! 
 一人でも取り返しに行きますから!」
  と店を出ていってしまう。
飯野「……またストーカーモードやで」

○ 走っているゆう子の車・車内
  運転するゆう子、ムスッとした顔。  
  隣に座る飯野は困った表情。
  二人とも無言。
  タワーマンションに着き、作業中の引っ
  越しトラックの後ろに停車する。
  降りようとするゆう子、その手を掴んで
  止める飯野。
ゆう子「なんですか?」
飯野「オレも着いていく。昨日、介抱して貰
 ったお返しや」
ゆう子「……分かりました」
  と行こうとするが、また止められる。
ゆう子「今度は何です?」
  飯野、ゆう子のカラダを触りだす。
ゆう子「ちょっと!」
飯野「アホか、武器持ってないか調べてるん
 や。カバンも置いて行け。あんたは何する
 か分からん」
ゆう子「(気合を入れ)さあ、突撃しますよ」
飯野「……」
  ゆう子は車を降り、マンションに向かっ
  て歩き出す。
  後ろを付いていく飯野。

○ タワーマンション・エントランス
  高級ホテルのような内装。
  飯野とゆう子がエレベーターを待ってい
  るとドアが開く。
  中から引越し屋が、荷物を持って降りて
  くる。
引越し屋「すみません」
  と隣を通過していく、それをじっと見て
  いる飯野。
  ゆう子が先にエレベーターに入る。
ゆう子「……早く乗ってください」
飯野「おお」
  と乗り込む。

○ 同・エレベーター
  黙っている二人。
  飯野、ゆう子の表情を確認する。
  緊張で顔が強張っている。

○ 同・三十階フロア
  エレベーター前で引越し屋が変わった形
  の姿見鏡を持って立っている。
  ドアが開き飯野とゆう子が降り、引っ越
  し屋が乗る。
  ゆう子は歩いていくが、飯野は立ち止ま
  る。
飯野「止まれ」
ゆう子「ここまで来て、怖気づいたんですか
 ?」
飯野「さっき、引っ越し屋の兄ちゃんが姿見
 を運んでた」
ゆう子「鏡?」
飯野「うん、変わった木枠のデザインの」
ゆう子「見てなかった」
飯野「あれ嫁のや」
ゆう子「え?」
飯野「下でも荷物が気になってんけど、姿見
 を見て確信した。引っ越ししてるんは、う
 ちの嫁やわ」
  また引っ越し屋が荷物を持って通る。
飯野「(チラッと見て)間違いない」
ゆう子「夫のは無かったけど」
飯野「トラックも小さかったから一人分やと
 思う」
ゆう子「一人?」
飯野「ああ」
ゆう子「別れたの?」
飯野「たぶんな」
  二人が部屋の方を見る。
  指示を出すゆう子の夫の手だけが見えて
  いる。
飯野「オレは下におるから夫婦だけで話し合
 いをしたら」
ゆう子「待って」
飯野「ん?」
  ゆう子が車のカギを飯野に渡す。
飯野「(肩を叩き)落ち着いて、思ってるこ
 とをちゃんと伝えて来い」
ゆう子「……私、怖いです」
飯野「大丈夫や。あんたには立派なキンタマ
 が二個ぶら下がっとる」
ゆう子「ぶら下がってません!」
飯野「それくらい根性があるっていう、褒め
 言葉やないか」
ゆう子「(笑みを浮かべ)誉め言葉になって
 ない」
飯野「よっしゃ、行ってこい」
  うなずくゆう子、戦う女の顔になり歩い
  ていく。
  部屋に入ったのを確認して、飯野はエレ
  ベーターに乗って去る。

○ 止まっているゆう子の車・車内
  飯野が運転席で待っている。
  助手席のドアが開き、ゆう子が戻ってき
  た。
  ゆう子は散々泣いたであろう真っ赤な目
  をしている。
飯野「……」
ゆう子「……」
  二人はしばらく沈黙。
飯野「……漫才の出番あるから向かってええ
 ?」
  うなずくゆう子。
  走り出す車。
  車内はシンと静まり返っている。
ゆう子「……二人は別れてました」
飯野「やっぱりか。駆け落ちするのは簡単や
 けど、生活を続けていくのは難しいってこ
 とやな」
ゆう子「このマンションから出てきた奥さん
 見たでしょ?」
飯野「キャリーケースを引いてた時やな」
ゆう子「あれが出ていった時の姿だったみた
 いです」
飯野「ほう、スッキリした女は美しいか」
ゆう子「実は、飯野さんと初めて会った時よ
 り前に別れてたみたいです」
飯野「へ?」
ゆう子「私が一人で大騒ぎしてただけでした」
飯野「何やそれ。終わってたのに、オレらは
 奪還作戦とか言うてたんか。ハッハッハッ」
  笑いが止まらない飯野。
飯野「これこそ喜劇やで。舞台でこんなおも
 ろいことできんわ」
ゆう子「笑わないで、続きを聞いて下さい」
飯野「(笑いが止まらず)これを笑わずにお
 れる人間おるか」
ゆう子「それなのに夫は、私と離婚したいん
 ですって!」
飯野「(笑いが止まり)え……」
ゆう子「『やり直すつもりはない。終わりに
 しよう』と言われました。不倫した方が言
 うセリフですか?」  
飯野「完全におかしいよな」
ゆう子「私、悔しくて悔しくて……」
  涙が溢れ、ゆう子の頬を流れ落ちる。
ゆう子「あーあ、泣いちゃった~。飯野さん
 の前では泣かないって約束したのに~」
飯野「泣いてもええ。そら、ツラいやろ」
  と不器用に頭を撫でてやる。
ゆう子「どっどっ、どうして。こ、こ、こん
 なことに~」
  ゆう子、しゃくり上げて泣き続ける。
  少しして、車を路肩に止める飯野。
飯野「着いたわ」
ゆう子「……」
  飯野、困惑顔でゆう子を見ている。
ゆう子「(少し落ち着き)飯野さんは奥さん
 を愛してましたか?」
飯野「はあ?」
ゆう子「本気で愛してました?」
飯野「……」
ゆう子「お喋りが仕事なのに、大事なことは
 喋れないんですか」
飯野「まあ、愛してたかな」
ゆう子「誕生日とか結婚記念日とか、ちゃん
 としてました?」
飯野「最近はしてなかった」
ゆう子「それで本気だったと言えますか?」
飯野「……」
ゆう子「夫はしてくれましたよ」
飯野「何が言いたいねん」
ゆう子「釣った魚にエサをやらなかったんで
 す。奥さんを楽しまそう、喜ばそう、笑わ
 せようとしなかったんです!」
飯野「正論言う奴は嫌いや。ダジャレ言うお
 っさんぐらい嫌いじゃ」
ゆう子「真面目に聞いて下さい」
飯野「別にふざけてへん」
ゆう子「飯野さんは前の離婚も同じ失敗だっ
 たんじゃないんですか?」
飯野「(言い返せず)……」
ゆう子「夫婦は、相手を思いやる気持ちが一
 番大事なんです!」
飯野「『相手を思いやる気持ちが一番大事』
 か」
ゆう子「それが本物の愛だと、私は」
飯野「(さえぎり)あんたの旦那は他の嫁に
 もそれをしてたんや。そっちの方がサイテ
 ーのクズ野郎やで」
ゆう子「……」
飯野「クソ旦那のことはさっさと忘れろ。え
 え男は売れへん芸人の数ほどおる」
ゆう子「……夫を失った私はもう終わりです。
 人生から彼を引いたらゼロなんです」
飯野「そんな大げさな」
  また泣き出すゆう子。
  飯野は困り果てる。
ゆう子「(泣きながら)お仕事の時間ですね。
 早く行って下さい」
飯野「一人で平気か?」
ゆう子「(泣きながら)だ、だ、大丈夫です」
  ゆう子、過呼吸気味になる。
飯野「全然、大丈夫ちゃうがな」
ゆう子「(泣きながら)夫婦って何なんでし
 ょう?」
飯野「知ってたら二度も失敗せん。ま、失敗
 したっちゅうことは挑戦もしたってことで
 もあるか」
ゆう子「ご自分をいい風におっしゃいますね」
飯野「ほっとけ」
ゆう子「(泣きながら)……お客さんをいっ
ぱい笑わせて来てください」
飯野「今日は自信無いけど行ってくる」
  黙ってうなずくゆう子。
  飯野は車を降り、歩いて行くが心配で何
  度も振り返る。
  子供のように大声をあげて号泣するゆう
  子を見て、戻ってくる。
飯野「(真剣に)あんたは間違ってへん。ま
 っすぐで、誠実で、ウソもつかん。信頼で
 きる人間や」
ゆう子「(泣きながら)……」
飯野「あんたが何か悪いことをしたんか?」
  首を左右に振るゆう子。
飯野「だったら、反省もクヨクヨもいらん。
 堂々としてろ。もう泣くな」
  ゆう子、我慢して涙を止める。
飯野「よし、それでええ。漫才終わったら、
 ここに戻って来るから待っとけよ!」
と正面から両肩をつかむ。
  初めて見る真剣な表情の飯野に、ゆう子
  はドキッとなる。
ゆう子「……」
飯野「な?」
ゆう子「……はい」
  うなずいて去っていく飯野。
  ゆう子は呆然と見送る。

○ 道頓堀界隈
T『半年後』
  冬、街に冷たい風が吹いている。
  えびす橋には外国人観光客や若者が大勢
  集まって賑やかだ。
  街頭ビジョンに飯野と宇田川が映る。
飯野・宇田川「はい、どーもー。飯野宇田川
 でーす」
宇田川「今年から、私たちがこの商店街のキ
 ャンペーンボーイをやることになりました」
飯野「ボーイって、オレら今年三十七のおっ
 さんやで」
宇田川「おっさんボーイでもええやん」
飯野「なんやそれ。そんなことより、みなさ
 んはトラブルや犯罪に巻き込まれないよう
 に気をつけてください」
宇田川「スリ、引ったくり、置き引きが急増
 しています」
飯野「(宇田川を指さし)この顔にご用心」
宇田川「やるかー」
  通行人が二人の映像を見て笑っている。

○ ミナミ演芸ホール・表(夕)
  夕陽に照らされる大劇場。
  『飯野宇田川 単独ライブ』の大きな看
  板が出ている。
  当日券を求め、長い行列ができている。

○ 同・個人楽屋(夕)
  応接セットがある控え室。
飯野と宇田川が、大きな鏡の前でネタ合
  わせをしている。
  二人とも一張羅のスーツを着ている。
  ノックをして、勢いよくドアが開く。
  顔を出す進行係。
進行係「本番十分前です。舞台袖にお願いし
 ます」
飯野・宇田川「はい」
  進行係、慌ただしく去る。
飯野「ネタ合わせはやめや」
  宇田川はうなずき、窓から下を眺める。
  劇場に吸い込まれていく客が見えている。
宇田川「ここで単独ライブをやらせて貰える
 とは少し前なら考えもせんかった」
飯野「劇場出番も真ん中より後ろやしな」
宇田川「あー、緊張してきた。小便行ってく
 るわ」
飯野「(笑顔で)何回行くねん」
  宇田川が出ていくと、飯野はスマホを確
  認する。
  LINEも着信も無し。
  『横山ゆう子』に電話をかける。
電話のアナウンス「この番号は現在使われて
 おりません」
  飯野、電話を切り劇場表を見下ろす。
  ゆう子に似た後ろ姿の女性がいた。
飯野「あ!」
  しかし振り返ると別人だった。
飯野「んな訳ないか」

○ 同・舞台袖(夜)
  薄暗い中、飯野と宇田川が黙って立って
  いる。
  舞台には照明が当たり、客の喋り声が漏
  れ聞こえている。
  宇田川が、飯野の方に向き直る。
宇田川「(真顔で見つめ)……」
飯野「なんやねん?」
宇田川「大学を一緒に中退して漫才を初めた。
 ずっと売れんかったけど、芸人を続けてき
 てホンマに良かった」
飯野「……」
宇田川「どんなに苦しくても、ケンカしても、
 解散て言葉は絶対言わんかったよな。これ
 だけは言わせてくれ。コンビ組んでくれて」
飯野「(さえぎり)本番前に緊張感が無くな
 るようなこと言うな。漫才はオレとお前の
 真剣勝負やぞ」
宇田川「そやけど」
飯野「それにな、この程度で満足してへん。
 日本一の芸人にはまだまだ遠い」
宇田川「(笑顔で)いつも厳しい相方やわ」
  出囃子が流れ始める。
  飯野と宇田川は目をつむる。
曲が終わりに近づき、客席がざわつき始
  めるが微動だにしない飯野と宇田川。
  心配になった進行係が駆け寄る。
進行係「早く出てください」
飯野・宇田川「(目をつむったまま)……」
  飯野たちの異様な緊張感に、進行係は何
  も言えなくなる。
  ついに音がなくなり、客も静かになる。
  その時、二人の目が開いた。
飯野「行くぞ」
宇田川「おう」
  気合の入った表情で、センターマイクに
  向かって走っていく。
  
○ 同・場内(夜)
  満員の客席。
  飯野と宇田川が元気よく登場する。
飯野・宇田川「はい、どーもー。飯野宇田川
 でーす」
  待っていた客が大いに沸く。
宇田川「(客席を見回し)超満員ですねぇ。
 本当にありがとうございます」
飯野「(客席を見回し)いやぁ、美人とイケ
 メンばっかりや……一部除いて」
  少しウケる。
飯野「(また客席を見回し)いや、ほとんど
 除いてやな。(またまた客席を見回し)い
 やいや、全滅やで」
宇田川「失礼なこと言いな」
  場内全体から笑いが起こり、客をつかむ。
   ×    ×    ×
  喋るテンポがどんどん早くなる飯野宇田
  川。
飯野「しかしバイデン大統領のチンポはデカ
 そうや」
宇田川「突然、何のハナシやねん」
飯野「菅総理なんて、おチンチンって感じや」
宇田川「見たことあるんか」
飯野「プーチンは二、三本付いてるで」
宇田川「バケモンやん。ほんなら、金正恩の
 も凄いんちゃう」
飯野「チンポーン! いや、ピンポーン!」
宇田川「しょうもないこと言わんでええ」
飯野「核ミサイルみたいなカタチや」
宇田川「こわぁ~」
宇田川「本番では使いモンにならん張りぼて
 やけど。ハッハッハッ」
宇田川「笑われへん!」
  客がどっと沸く。
 ×    ×    × 
  衣装を変えた飯野と宇田川、落ち着いて
  漫才を続けている。
宇田川「私たちもここに来るまで長い道のり
 でした。殴り合いのケンカをして、仲の悪
 い時もありました
飯野「よう続いたで。男と女で、エッチして
 ても半年ももたんのに。顔見るだけでうっ
 とうしい時もあったで」
宇田川「あったあった」
飯野「声聞くだけでむかつく時も」
宇田川「そうそう」
飯野「シンプルに殺したい時も」
宇田川「それはない。でも十七年目にもなる
 と相方への感謝が自然と沸いてきますね」
  客席から拍手が沸く。
宇田川「(飯野に)気持ちは一緒やろ?」
飯野「ああ、売れたんは全部オレのおかげ」
宇田川「なんでやねん」
飯野「オレはお前をずっとうっとうしいし、
 むかつくし、シンプルに殺したい。でも、
 これからも一緒に頑張ろな?」
宇田川「そんな奴と漫才できるかー! やめ
 させてもらうわ」
飯野・宇田川「どうも、ありがとうございま
 した」
  と頭を下げる。
  場内の歓声と拍手が鳴りやまない。
  客席を見渡す飯野、だがゆう子の姿はど
  こにもなかった。

○ 同・表(夜)
  ライトに照らされている劇場。
  見終わった客がぞくぞくと出てきている。
  みんな、満足そうな顔だ。

○ 同・個人楽屋(夜)
  飯野と宇田川がネクタイを外し、ソファ
  にドサッと座る。
宇田川「最後のネタ、少し長いから切った方
 がいいわ。あとネタ順も入れ変えた方が」
飯野「(さえぎり)今日は反省なし。お客さ
 んが大入りで無事に終わった。それだけで
 百点や」
宇田川「そやな。……あ、打ち上げに太平洋
 テレビのプロデュサーさんとテレビ浪速の
 ディレクターさんも来ることになったから、
 お偉方の対応は手分けしてやろう」
飯野「任しとけ」
宇田川「文句言わんと大人になったなぁ」
  苦笑する飯野。
  ノックをして、進行係が顔を出す。
進行係「お笑いニュースサイト『ガハハ』の
 方が取材に来てらっしゃいますが?」
宇田川「通して下さい」
  出ていく進行係。
飯野「お笑いニュースサイトってなんや?」
宇田川「ネットでお笑いの情報を流してる会
 社。賞レースの速報がヤフーに出てたりす
 るやろ」
飯野「オレらも取材される側になったか」
  「失礼します」とカメラマンと女性記者
  がお辞儀をしながら入ってくる。
  女性記者が顔をあげだ、なんとゆう子だ。
  髪をバッサリ切り、ショートカットに。
  眼鏡を外して、化粧もばっちりだ。
飯野「えっー!?」
宇田川「どうした?」
飯野「い、いや別に……」
  あたふたとして驚きを隠せない飯野。
  ゆう子は落ち着いている。
ゆう子「『ガハハ』記者の大森ゆう子と申し
 ます。よろしくお願いします」
  と宇田川に名刺を渡す。
宇田川「(名刺と顔を見比べ)以前どこかで
 お会いしたような」
ゆう子「かも知れませんね。(飯野にも名刺
 を差し出し)はじめまして、大森です」
飯野「は、はじめまして? 大……森?」
  と混乱しながらも受け取る。
  四人がソファに向かい合って座り、カメ
  ラマンが写真を撮り始める。
ゆう子「早速ですが、質問よろしいでしょう
 か?」
宇田川「はい、どうぞ」
ゆう子「今、人気が急上昇ですよね。どうい
 うお気持ちですか?」
宇田川「もう若手やないので、浮足立つこと
 はないです」
ゆう子「世間に受け入れられた要因というの
 は何だと思われます?」
宇田川「難しい質問は相方にお願いします」
ゆう子「(飯野に)どうですか?」
飯野「(固まって)……」
宇田川「おい、どないした」
ゆう子「硬くならないでください。うちの記
 事は『手軽に読める』がコンセプトですか
 ら」
  ずっと黙ったままの飯野。
  空気が張り詰め、カメラマンも写真を撮
  るのをやめてしまう。
  すると、ようやく飯野が話し出した。
飯野「……少しだけ分かってきたんです」
ゆう子「少しだけ分かってきた?」
飯野「昔は、おもろかったら何でもありやと
 気にせず喋りまくってた。若い客にはウケ
 たが営業やテレビではまったくで」
  真剣に聞いているゆう子。
飯野「なんでや。まだ毒が足りんのかと、よ
 りキツいネタをやり出した。そしたら、ど
 んどん仕事は減っていった」
  宇田川、ウンウンとうなずいている。
飯野「ある時、気付いた。こっちの押し付け
 になってる。求めてるモンはそれぞれ違う
 んやって」
黙って聞く三人。
飯野「劇場では刺激的なネタを、営業ではみ
 んなが分かるモノ、テレビやラジオではそ
 れぞれ番組向きのがある」
  真面目に喋り続ける飯野。
飯野「『相手を思いやる気持ちが一番大事』」
ゆう子「……」
飯野「半年前にあるヒトが教えてくれました」
宇田川「あるヒト?」
飯野「それは内緒や」
ゆう子「……」
飯野「しかし、お笑い芸人がこんなガチに答
 えるなんてカッコ悪いな」
宇田川「ホンマやで。いつもは取材なんかダ
 サいって、バカにしてるクセに」
飯野「なんか恥ずかしなって来たわ」
  笑う飯野と宇田川、それを写真に撮るカ
  メラマン。
  ゆう子の目には、うっすら涙が浮かんで
  いる。
宇田川「今日は気分もいいから、ニュース発
 表していい?」
ゆう子「お願いします」
宇田川「会社や相方にもまだ言うてないけど
 ……」
飯野「引っ張らんと早く教えろや」
宇田川「結婚する」
飯野「えー」
ゆう子「それは、おめでとうございます」
飯野「誰とや?」
宇田川「アキ」
飯野「まだ付き合ってたんか?」
宇田川「十年以上も同棲して、やっと養える
 ギャラを貰えるようになったから。そろそ
 ろと思って」
飯野「遅すぎるやろ」
宇田川「芸人やからって、簡単に結婚したり
 離婚するような感覚にはなれんかった」
飯野「オレをディスってるんか?」
宇田川「せやな」
飯野「これだけ偉そうに言うて別れたら、大
 笑いやぞ」
宇田川「見る目だけはあるねん。お前とは今
 でも熱々のラブラブコンビやろ」
飯野「キモいこと言うなや」
  みんなが笑い、和やかな雰囲気になる。

○ 居酒屋・表(夜)
  『貸し切り』の張り紙がある。
  盛り上がっている声が外まで聞こえてる。

○ 同・店内(夜)
  単独ライブの打ち上げが行われている。
  テレビ局のお偉いさんや業界の大物がた
  くさん集まっている。
  お酌をして回っている飯野と宇田川。
  飯野のスマホが鳴り、画面を見る。
  裕子からLINEが来ている。
  『お疲れさまでした。また、お目にかか
  れる日を楽しみにしてます』
  それを見て、慌てて店を飛び出す飯野。
宇田川「おい、どこ行くねん!」

○ 繁華街(夜)
ゆう子が一人で立っている。
  白い息を吐きながら、通行人を縫うよう
  に走ってくる飯野。
ゆう子「わざわざ抜けて来なくても良かった
 のに」
飯野「(息を切らせながら)あ、あのな、あ
 の日、な、なんで車で待ってへんかってん
 ? こっちはずっと探し回ってな」
ゆう子「(さえぎり)とりあえず、話ができ
 る場所に行きましょう」
飯野「(髪を指さし)ショートカット、ええ
 感じやん」
ゆう子「(笑顔で)前は嫌味ばっかりだった
 のに、お世辞まで言えるようになったんで
 すね」
飯野「ホンマに似合ってるって。まるでちび
 まる子ちゃんやで」
ゆう子「殴られたいんですか」
飯野「ええツッコミや」
笑ってしまうゆう子。

○ 公園(夜)
  繁華街のはずれにある小さな公園。
  飯野とゆう子しかいない。
二人はかじかむ手で缶コーヒーを持ち、
  並んでブランコに乗っている。
ゆう子「あの時、急に冷静になれたんです。
 そしたら、本当に駄目な女だって思えてき
 て」
飯野「車の中でか?」
ゆう子「はい。で、これ以上は飯野さんに迷
 惑をかけられないと」
飯野「それでおらんようにか」
ゆう子「(うなずき)あれから、しばらくは
 自殺のことばかり調べてました」
飯野「ネットではいっぱい書いてるから、め
 っちゃヘコむやろ」
ゆう子「反対です」
飯野「反対?」
ゆう子「読んでると私以外にも苦労してるヒ
 トがたくさんいたんです」
飯野「それと比べたらマシやと思ったんか」
ゆう子「いえ。その人たち『死ぬ死ぬ』って
 書いてるのに、次の日は『あそこのスイー
 ツがヤバい』とか平気で言ってるんですよ」
飯野「へ?」
ゆう子「ほとんどの人がそうなんで、そのた
 くましさを見習うことにしました」
飯野「あんたらしいエピソードやわ」
ゆう子「半年間で少しはいい人間になれまし
 た」
飯野「前からいい人間で、魅力もあったよ」
ゆう子「(照れて)ありがとうございます」
飯野「で、今の仕事は?」
ゆう子「元同僚が作った会社に雇ってもらい
 ました。関西のお笑いの情報も欲しいから
 手伝ってくれないかって」
飯野「ほう」
ゆう子「カメラマンと二人だけでやってます。
 芸人さんの取材が、こんなに楽しいなんて
 考えもしてなかった」
飯野「やっぱり記者が天職やってんな」
ゆう子「漫才師になろうかとも考えたんです
 よ。『ゆう子飯野宇田川』で」
飯野「うちに入ってトリオ漫才かい。それも
 名前が最初になってるがな」
ゆう子「お二人がもっと売れるには、プラス
 アルファが必要だと思います」
飯野「でも、あんたは関係ないやろ」
ゆう子「ありますよ。嘔吐物までかけられた
 仲なんですから」
飯野「それは悪かったが。……しかし生きて
 るか死んでるかも分からんかったで。電話
 を何回もしてんぞ」
ゆう子「ストーカーみたいですね」
飯野「やかましいわ。でも、なんで連絡して
 来んかってん?」
ゆう子「仕事で会うまでは黙っておこうと決
 めてたんです」
飯野「なんで?」
ゆう子「プライド」
飯野「プライド?」
ゆう子「うん、なんか意地になっちゃって」
飯野「今日のライブがなかったら、会えんか
 ったとは。薄情な人間やで」
ゆう子「よく言いますよ、今や売れっ子じゃ
 ないですか。会うのは時間の問題でした」
飯野「売れたいうても関西だけ。全国ではま
 だまだや。タワーマンション買えるほどは
 儲けてへんし」
ゆう子「(灰皿を見つけ)ここ吸えますよ」
飯野「すいませんや」
ゆう子「?」
飯野「タバコを『吸いません』の方」
ゆう子「やめたんですか」
飯野「ああ」
  急にニコニコし出す飯野。
ゆう子「どうして笑ってるんです?」
飯野「会えたから、うれしいねん」
ゆう子「『芸人の言葉を信じたらアカン』で
 すよね?」
飯野「今のはホンマや」
  笑い合う二人。
ゆう子「でも、不思議です」
飯野「何が?」
ゆう子「別れたくなかった私が独身に戻り、
 主婦から自立した女性になって、嫌いだっ
 た大阪にも居着いてしまった」
  飯野がゆう子の薬指を見る、結婚指輪が
  無くなっている。
ゆう子「逆に、離婚したがっていた飯野さん
 は今も結婚生活を続けている。人生ってホ
 ント分からないです」
飯野「……うちは春に別れるねん」
ゆう子「へえ」
飯野「弁護士の話し合いが順調に進んでる」
ゆう子「順調に離婚ですか」
飯野「謝ったんや」
ゆう子「そりゃ不倫したのは向こうだから」
飯野「ちゃう、オレが謝った」
ゆう子「え?」
飯野「お前を大事にしてなかった、ごめんて」
ゆう子「もう一度、やり直そうとは思わなか
 ったんですか?」
飯野「それとこれとは別や」
ゆう子「お互い一人になっちゃいましたね」
飯野「そやけど、失って得たモンもあるんち
 ゃう?」
ゆう子「得たモンって?」
飯野「(ゆう子を見つめ)……それは」
ゆう子「(さえぎり)あ」
  雪がちらつき始めた。
  二人が空を見上げるとスマホが鳴り出す。
ゆう子「もう三度目です。戻らないとマズい
 ですよ」
飯野「ヘーキヘーキ」
  と切るが、また電話が鳴る。
  ブランコからぴょんと飛び降りるゆう子。
ゆう子「(振り返り)早く行きましょ」
飯野「(見つめて)……」

○ 繁華街(夜)
  人通りが多い中、飯野とゆう子が歩いて
  くる。
  二人は立ち止まり、見つめ合う。
ゆう子「……」
飯野「……また会えるやろ?」
ゆう子「お仕事で?」
飯野「プライベートで」
  笑みを浮かべるゆう子。
飯野「その笑いはどっちやねん」
ゆう子「どうして、私なんかを必死に探して
 くれたんです?」
飯野「なんか会えんと寂しくなってなぁ」
ゆう子「ホントですか?」
飯野「(うなずき)もしかしたら運命の人や
 ったんかと」
ゆう子「冗談ですよね?」
飯野「今度、メシでも奢る。その時に話すわ」
ゆう子「じゃ、分かりました。ゲボかけない
 でくださいね」
飯野「それ、まだ言うか」
ゆう子「では、待ち合わせはあの部屋で」
飯野「あの部屋って?」
ゆう子「タワマンです」
飯野「もしかして、あの二人が住んでたタワ
 ーマンション?」
ゆう子「はい」
飯野「冗談で言うてんのか?」
ゆう子「芸人さんじゃないので、冗談は言い
 ません。(変な発音で)本気やで」
飯野「ヘタな大阪弁」
ゆう子「(にらんで)……」
飯野「分かった、行ったらええんやな」
ゆう子「あそこに今、私が住んでるんです」
飯野「ガチか?」
ゆう子「離婚の慰謝料で奪い取りました」
飯野「それを先に言えや。だが不倫現場に住
 むなんて、確かに図太くなったわ」
ゆう子「たくましくなったと言ってください」
飯野「物は言いようやな。……あ、そうや!」
ゆう子「なんですか?」
飯野「一緒に来いや」
ゆう子「どこへ?」
飯野「打ち上げしかないやろ」
ゆう子「え?」
飯野「みんなに紹介するわ」
ゆう子「ふざけてるんですか?」
飯野「オレは仕事でしかふざけへん」 
  とゆう子の腕をつかみ、駆け出す。
ゆう子「(戸惑い)なに、本気なの?」

○ ミナミ演芸ホール・表(夜)
  照明が消えた暗い劇場。
  『飯野宇田川 単独ライブ』の大きな看
  板が、まだかかったままになっている。
  飯野とゆう子が走って来て、立ち止まる。
  黙って看板を見上げる二人、冬なのに額
  には汗が光っている。
飯野「なんか、まだ信じられへんなぁ。……
 行こか」
ゆう子「待って下さい。私をなんて紹介する
 んです。記者? それとも」
飯野「(さえぎり)寝取られ仲間」
ゆう子「えー、こじらせ仲間にしましょうよ」
飯野「何でもええわ」
ゆう子「(夜空に指さし)あ、流れ星」
飯野「願いごとしたか?」
ゆう子「幸せになれますようにって」
飯野「オレとか?」
  飯野のスマホが鳴る。
ゆう子「あ、急がないと」
  ゆう子は飯野の手を引っ張り、駆け出す。
飯野「お前、場所知らんやろ」
ゆう子「お前って言わないでください。これ
 からはハニーで呼んでね、ダーリン」
飯野「なんでやねん!」
  晴れやかな表情で走る飯野とゆう子。
  二人は恋人同士にしか見えない。
  いつの間にか雪はやみ、空にはぽっかり
  と月が浮かんでいた。        
                  【了】

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