「イカロスの墜落のある風景」
登場人物
新垣祐輔(25)記者
沢木優(14)中学生
轟雄一(48)
吉井渚(25)記者
老人
記者1・2
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○朝売新聞本社ビル・外観
鉄筋15階建てのビル。
壁に「朝売新聞」の文字。
○同・廊下
薄暗い廊下。
突き当たりのドアに「文化部」のプレートが付いている。
○同・文化部室・中
資料に埋もれた部屋。
新垣祐輔(25)、壁に額を飾っている。
携帯電話のバイブ音。
新垣「はい。文化部新垣。おお」
額、傾く。
○つばさ荘・一室・中
家具のない六畳の和室。
沢木優(14)、部屋の隅で体育座り。
○朝売新聞本社ビル・社会部フロア・中
記者たち、作業をしている。
天上から「社会部」のプレート。
新垣、入ってきて周囲を見回す。
新垣「別世界だな」
渚の声「ガッキー! こっちこっち!」
吉井渚(25)、新垣に手を振っている。
新垣「ナギサ」
新垣、渚に歩み寄る。
渚「ごめんね。忙しいとこ」
新垣「それイヤミ?」
轟雄一(48)、新垣と渚の目の前にあるデスクに座っている。
轟「本題に入りたいんだが」
渚「すみません。社会部デスクの轟さん。デスク。こちら文化部の新垣さんです」
新垣「新垣です。花形部署のデスクがお荷物部署の下っ端を呼ぶなんて、どういうご用件なんですか?」
轟「さすが記者。冷静かつ適切な表現だ」
轟、新垣に資料を渡す。
轟「ちなみに。今のはイヤミだ」
新垣「でしょうね」
轟「集合!」
記者たち、デスクの周りに集まる。
轟「逢坂絵画教室を知ってるな」
新垣「ええ。あそこの生徒さんは美術展の常連ですから」
轟「そこの女性講師が刺された。教室の入ったビルの監視カメラに逃げていく男子中学生が写ってた。中学生は行方不明だ」
渚「逢坂絵画教室の情報が欲しいんだけど」
新垣「なるほど。逢坂絵画教室は油彩画。つまり油絵に力を入れていて、国内・海外の展覧会への出品にも積極的です」
轟「そんなことはどうでもいい。出入りしている人物の人間関係はどうだ?」
新垣「ウチは社会部さんと違って痛くもない腹を探って人の心に土足で入るような取材方法は取りません」
記者1「文化部風情が偉そうに」
新垣「冷静かつ適切な表現を選んだだけだ」
轟「逢坂絵画教室の概要を400字でまとめてくれ。一面の左下を空けておく」
新垣「質問があります」
轟「なんだ?」
新垣「本当にその中学生が犯人なんですか?」
轟「警察はそう見てる」
新垣「警察発表はどうでもいいんです。ウチもその方向で行くんですか?」
渚「なんか気になんの?」
新垣「この資料によると中学生が入ってから出てくるまで5分ちょっとです」
轟「5分あれば人は刺せる」
新垣「絵画教室はビルの5階。ビルはネンキモノでエレベーターはありません」
渚「え?」
新垣「5分で階段を5階まで登り、人を刺して降りてくる。可能でしょうか」
記者2「でも。警察は」
新垣「それに同時刻。裏口から出てくる中年男性の目撃証言もある。この段階で中学生を犯人として記事を書くのは危険です」
轟「新垣」
新垣「はい」
轟「勘違いするな。新聞を作るのは正義感や浪花節じゃない」
新垣と轟、目を見合わせる。
轟「駅の売店で朝売は100円。缶コーヒーやライターと同じ相場で戦ってる。売れない記事はいらない」
新垣「ですが」
轟「400字。5分で上げろ。行っていい」
新垣「轟さん」
記者たち、新垣と轟の間に入る。
轟「中学生の名前は?」
渚「沢木優。宮の坂中学校の二年生です」
轟「写真」
記者2「小学校の文集から入手済みです」
轟「交友関係はどうだ?」
記者1「担任の証言ではクラスに友人はおらず、地味な生徒だったようです」
轟「沢木優の描いた絵を精神科の先生に診てもらって意見聞いてこい。見出しは?」
記者2「血染めの絵画教室」
渚「品無さすぎ」
記者1「絵画講師刺される 逃げた中学生」
轟「そんなところだな」
新垣「腐ってる」
新垣と轟、目を見合わせる。
轟「新垣。記者なら言葉は選べ」
新垣「選んだ結果です。公権力は。組織は。必ず歪む。腐る。人が持つには大きすぎるから。それを指摘するのが我々でしょう」
新垣と轟、目を見合わせる。
新垣「警察発表や政治家のぶら下がりをそのまま文字にするだけなら私たちはいらない。あんたらそれでもブン屋かよ!」
新垣と轟、目を見合わせる。
新垣「いただいた字数分。取材してきます」
新垣、出ていく。
轟、新垣の背中を目で追う。
轟「クソガキが」
渚「轟さん?」
轟「全員もう一度関係者に話聞いてこい。どんな些細なことも見逃すな。いいか。記者の目。記者の耳を忘れるな。行け」
記者たち「はい!」
記者たち、散っていく。
轟「吉井。販売部のご機嫌取り頼めるか」
渚「麒麟堂のカステラ。買ってきます。横山部長。あれ大好きなんで」
渚、微笑み、出ていく。
轟「クソガキが」
轟、椅子に深く座り直し、微笑む。
○ひだまりの丘公園・中央広場(夕)
街を見下ろせる高台の公園。
老人、広場の中央にイーゼルを立て、絵を描いている。
新垣、老人に歩み寄る。
新垣「いい景色ですね」
老人「ええ。ここの空気が好きで」
新垣「僕も昔。絵をやってたんです」
老人「そうですか」
新垣「いつもこちらで絵を描かれてるんですよね? 中学生の男の子と一緒に」
新垣と老人、目を見合わせる。
新垣、老人に名刺を渡す。
新垣「話せますか? 沢木くんと」
新垣、老人の絵に目をやる。
新垣「今日は集中できていないようですし」
新垣と老人、目を見合わせる。
○つばさ荘・外(夕)
木造二階建てのアパート。
新垣、二階外廊下に立っている。
○同・老人の部屋・外(夕)
新垣、ドアの前に立っている。
老人、ドアを開ける。
老人「話したくないそうです。お引き取りください」
老人、ドアを閉める。
○同・老人の部屋・中(夕)
家具のない六畳の和室。
沢木、部屋の隅で体育座り。
新垣の声「じゃあ。僕の話を聞いてほしい」
老人、入ってくる。
新垣の声「このままだと君は大人を嫌いになる。それは悲しい。だって、君もいつか大人になるんだから」
老人、沢木の肩に手を置く。
○同・老人の部屋・外(夕)
新垣、ドアを見つめている。
新垣「絵が好きでね。学生時代たくさんの美術展に行った。ゴッホ。フェルメール。ミレー。レンブラント。素晴らしかった」
新垣、微笑む。
新垣「ある時。イカロスの墜落のある風景って絵を見て、驚いた。絵の中のイカロスは、海に落ちた後の足だけだったから」
小学生たち、アパート脇の道路を歩いている。
新垣「周りに描かれている人たちはそれに見向きもしていない。世界は無関心に満ちている。そう思った」
小学生の笑い声。
新垣「僕は記者になった。無関心に満ちた世界と戦うために。だから僕はこの事件に。沢木くんに。無関心でいたくない」
ドアが開き、人影が現れる。
新垣「やぁ」
新垣、微笑む。
○朝売新聞本社ビル・文化部・中
壁には額に入った「イカロスの墜落のある風景」が飾られている。
〈おわり〉
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