○都立国立高校・外観(夕)
チャイムの音。
「都立国立高等学校」の看板。
○同・廊下(夕)
リノリウムの床。
窓の外から吹奏楽の音が聞こえる。
一宮遥(28)と稲浩輔(48)、歩いている。
顧問、歩いている。
悠「先生。こちらの学校は生徒のアルバイトに関してどのような態度を」
顧問「風俗店や深夜勤務など、教育上問題のあるのものでなければ許可しています」
悠「なるほど。それは、部活動に所属している生徒も例外なく。ですか」
顧問「ええ。ただウチは。ボート部は練習量が多いので、部活動のあとにアルバイトをする体力があるとは考えにくいですが」
悠「ええ。それは。さきほど見せていただいた先生の日誌から十分に伝わりました」
稲森「その日誌で気になったんですが」
顧問「なんでしょう」
稲森「村岡さんと仲の良かった山本さん。6月の上旬に一週間ほど休んでいますが。その理由は」
顧問「腹痛。確かウィルス性の胃腸炎だと聞いています」
稲森「そうですか」
悠「稲森さん。それがなにか」
稲森「いえ」
遥、稲森に目をやる。
○同・進路指導室・中(夕)
机と折りたたみイスがあり、隅のキャビネットは資料で埋まっている。
悠と稲森、座っている。
山本幸(17)、向かいのイスに座っている。
悠「幸さん。体調はもういいの?」
幸「はい。もう」
悠「冬海さんとは、仲良かったの?」
幸「はい。親友でした」
悠「親友」
学生の笑い声が聞こえる。
悠「じゃあ。何か冬海さんから相談されたことはない?」
幸「相談? 冬海からですか」
悠「え? ええ。冬海さんから」
幸「いいえ。なにも」
稲森「それは山本さんの方から相談したことはある。ということですか」
幸「え。え。と。それは。その」
悠「話したくなければ、無理には聞かない」
悠と幸、目を見合わせる。
悠、微笑む。
稲森「一宮さん」
悠「この事件は私の事件です」
稲森「それは。ですが」
幸、膝の上で手を握っている。
幸「冬海。医者になるって言ってました」
悠「そう」
幸「誰かの幸せを願える人になりたいって。冬海。ごめん」
幸、うつむいてお腹を押さえる。
稲森「ごめん。というのはどういう意味かな。もしかして」
携帯電話のバイブ音。
悠「すみません」
悠、携帯電話を取り出し、出る。
悠「一宮です。え。はい。わかりました」
悠、携帯電話を切る。
悠「艇庫脇の草むらから、遺書が見つかったそうです」
幸、顔を上げる。
悠「幸せになりたかった。そう、書かれていたと」
稲森「幸せになりたかった。ですか」
悠「署に戻るよう言われました」
幸「刑事さん。あの」
内野の声「失礼します」
幸の担任・内野、入ってきて、幸の肩に手を置く。
幸、内野に背を向けて、お腹に手を当てる。
悠「あの」
内野「山本の担任で、内野といいます。山本はまだ体調が回復していません。今日のところはお引き取りください」
幸の肩に置かれた内野の手。
お腹に当てられた幸の手。
内野の左手の薬指には、指輪。
稲森、幸と内野を見ている。
稲森「そうですか。では失礼します。ああ。またお話を聞くことがあるかもしれませんので、ここに名前と連絡先を」
悠「え」
稲森、メモ帳とペンを渡す。
幸「はい」
幸、メモ帳に名前と連絡先を書く。
稲森「先生。新婚ですか」
幸、ペンを持つ手を止める。
内野「え」
稲森「指輪がまだ新しいので」
内野「ええ。先月入籍したばかりです」
稲森「そうですか」
悠「おめでとうございます」
内野「ありがとうございます」
幸「書きました」
稲森「ありがとう」
幸、稲森にメモを押し付けると、立ち上がり、ドアに向かう。
稲森「山本さん」
幸、立ち止まる。
稲森「幸せに、なってくださいね」
幸、稲森に振り返る。
稲森と幸、目を見合わせる。
幸、出ていく。
内野、悠と稲森に会釈し、出ていく。
悠と稲森、ドアを見つめている。
○府中駅・ホーム(夕)
悠と稲森、ベンチに並んで座っている。
悠「稲森警部補。どういうことですか。山本幸の連絡先なら調書にあります」
稲森「一宮さん。刑事の仕事は琵琶湖に似ていますね」
悠「え」
稲森「多くの関係者に会い。情報を集め。一つの事実を導き出す」
悠「ああ。川」
稲森、メモをちぎって悠に渡す。
悠「あの。これは。どういう」
稲森「おそらく、遺書の筆跡と一致するでしょう。ちょうど同じ字も入っています」
悠「どういうことですか」
悠と稲森、目を見合わせる。
稲森、一つ息をつく。
稲森「一宮さん。これから私がお話しすることは、あくまで仮説です」
電車入線のアナウンス。
稲森「予期せぬ妊娠をしたのは、山本さんの方だと思います」
悠「山本さん。さっきの。彼女ですか」
稲森「亡くなった村岡さんはそのことを山本さんから相談されると、彼女に中絶を勧め、自ら金策を買って出た」
悠「それで警備員を」
稲森、頷く。
稲森「中絶はしたものの、精神的に不安定だった山本さんは、何かのきっかけで衝動的に遺書を書き、琵琶湖に漕ぎ出した」
悠「何かの。きっかけ」
稲森「ええ。例えば」
悠「たとえば」
遥と稲森、目を見合わせる。
稲森「まだ。わかりません」
悠「それに気付いた冬海さんが後を追って止めようとした際に、幸さんともみ合いになって琵琶湖に」
稲森「そこもまだです。追いかける途中で村岡さんの腰痛が悪化して、単独で転覆した可能性もあります」
悠と稲森、目を見合わせる。
悠「素晴らしい仮説です」
稲森「どちらにせよ、遺書の筆跡が山本さんのものであるとわかれば、山本さんは真実を話してくれると思いますよ」
悠「そうですね」
列車到着のアナウンス。
稲森「では、私はこれで」
稲森、立ち上がる。
悠、立ち上がる。
悠「あの。稲森警部補」
稲森「なんでしょう」
悠「先ほど稲森警部補が仰りかけた、刑事を続けるならしない方がいい勘違いとは、なんですか」
稲森「ああ。別に大したことでは」
悠「教えてください」
悠と稲森、目を見合わせる。
稲森、一つ息をつく。
稲森「事実は人を幸せにしない」
悠「事実は、人を幸せにしない」
稲森「私がまだ若い頃、先輩刑事から教わったことです」
遥と稲森、目を見合わせる。
稲森「事件を解決することで関係者が幸せになるなんて刑事の勝手な思い込みです。その2つはまった無関係のないことです」
悠「そんな。それならなぜ」
稲森「そしてたとえそうだったとしても、事実が湖の底に沈まないようにしっかりと掬いあげるのが、刑事の仕事です」
悠と稲森、目を見合わせる。
ホームに列車が入って来る。
悠、列車に乗り込み振り返ると、敬礼。
稲森、敬礼。
列車のドア、閉まる。
列車、走り出す。
〈おわり〉
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