「すたんど・あっぷ・そうる」
登場人物
織田信長(15)武将
帰蝶(14)斉藤家の娘
池田恒興(13)織田家家臣
林秀貞(36)織田家家臣
平手政秀(57)織田家家臣
斉藤利政(55)帰蝶の父
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○(信長の夢)川岸(夜)
織田信長(15)、提燈を片手に背丈より高い雑草を掻き分け、現れる。
対岸に提燈の明かりが見える。
信長、一歩踏み出し、落ちる。
○那古野城・信長の寝間(夜)
信長、飛び起きる。
○稲葉山城・帰蝶の間
女中たち、部屋の中を動き回っている。
帰蝶(14)、白無垢姿で襖の隙間に見える山々を眺めている。
斉藤利政(55)、音を立てて襖を開ける。
女中たち、手を止めて頭を下げる。
帰蝶、うつむく。
斉藤、手を払う。
女中たち、目を見合わせ出て行く。
帰蝶、三つ指をつく。
帰蝶「お父様。今まで長い間」
斉藤「家に生き、家に死ぬのが女の勤め」
斉藤、帰蝶の前に胡坐をかき、帰蝶の前に小刀を置く。
帰蝶、頭を上げない。
○那古野城・中庭
林秀貞(36)平手政秀(57)、周囲を見渡しながら歩いている。
平手「信長様。のぶながさま~」
林「あの大うつけめ。どこに隠れた」
林と平手、歩いていく。
○同・天守閣
信長、手すりに足を乗せて城下に目をやり、手で顎をさする。
城下では民たちが橋を掛けなおしている。
池田恒興(13)、信長の横に立つ。
池田「下で爺さんたちが騒いでる。そろそろ」
信長「まぁ、めでたい日だ。大目に見てやろう」
池田、笑う。
○ 同・大広間
信長と帰蝶、上座に座っている。
家臣一同、顔を上げる。
平手、膳に目を落とす。
平手「昨年の二割に満たない収穫に民が飢えているというのに、ずいぶんと豪勢な」
林「これもうつけのわがままだ」
池田、咳払い。
信長、帰蝶の盃に御神酒を注ぐ。
帰蝶「え? みず?」
帰蝶、盃を見つめる。
○ 同・信長の間(夜)
信長、火鉢に手を当てている。
帰蝶、三つ指をつく。
帰蝶「信長様。ふつつかものですが」
信長「そういうのやめよう。こっち来て」
信長、隣を叩く。
帰蝶「はい」
帰蝶、隣に座る。
信長「温まるでしょ」
信長、笑顔。
帰蝶、信長を見つめる。
帰蝶「あの。信長様。どうして」
池田の声「失礼」
池田、襖を開ける。
信長「おぉ。入れ入れ」
池田、徳利と盃を手に入って来る。
信長「池田恒興。俺の乳兄弟で無二の友だ」
池田「ただの腐れ縁だ」
信長と池田、微笑み合う。
帰蝶、信長と池田を見つめる。
池田「ここならいいだろ」
信長「ああ」
帰蝶、二人の盃に酒を注ぐ。
信長「帰蝶も飲め」
信長、帰蝶の手から徳利を取って盃を渡し、注ぐ。
帰蝶、信長を見つめる。
信長、帰蝶を見て、盃を置く。
信長「そうだ。ひとつ相談がある」
帰蝶、盃を置く。
帰蝶「相談。私に。ですか?」
信長「ああ。城下の土地が痩せて収穫が減ってるんだ。どうしたらいいと思う?」
池田、盃を置く。
池田「おいおい。政のことを女に話したって」
信長「ん? なんかまずいか?」
池田「いや。まずくはないけど」
帰蝶「こうしてみてはいかがでしょうか?」
帰蝶、自分の盃を取り、飲み干す。
帰蝶「土地を半分に分けて、片方で作物を育てる間、もう片方を肥やして、準備する」
帰蝶、池田の盃を取り、自分の盃に酒を移す。
帰蝶「そして次の年は肥やした土地で作物をつくり、もう片方を肥やす」
信長「なるほど」
池田「しかし十分な収穫を見込むなら土地を肥やすのに二年はかかる」
帰蝶「それなら土地を三つに分ければいいんです」
帰蝶、自分の盃の酒を半分飲む。
帰蝶「作物を作る土地。一年肥やす土地。二年肥やす土地。これを順番に入れ替えてゆく」
帰蝶、盃の酒を順番に隣に移していく。
帰蝶「確実に三割三分の収穫になります」
信長と池田、目を見合わせる。
池田「あんまり現実的じゃ、ない。かな」
帰蝶「申し訳ありません。出過ぎたことを」
帰蝶、うつむく。
信長「気にすんな。ありがとな」
帰蝶、信長を見つめる。
信長「一つの利のために二つの準備」
信長、笑顔。酒を飲み干し、倒れる。
帰蝶「のぶながさま? 信長様!」
池田「大丈夫だよ」
帰蝶「そんな風には。まさか。これに毒でも」
池田「あー。違う違う。この人。下戸なんだ」
帰蝶「ゲコ」
池田「うん。呑めないんだ。一滴も」
帰蝶「あ。だから、あの御神酒」
池田、頷く。
池田「婚礼は一生の大事だから粗相があっちゃいけないって」
帰蝶、信長を見る。
池田「うつけで、下戸。いいとこなし」
池田、笑顔。
帰蝶、信長を見つめる。
○ 同・寝間(夜)
帰蝶、水桶の手ぬぐいを絞り、信長の額に置いた後、懐に手をやる。
信長、目覚める。
帰蝶、手を戻し、笑顔。
帰蝶「信長様。お加減は」
信長「最近。同じ夢をよく見る」
帰蝶「ゆめ」
信長「川の対岸に誰かいて、俺は渡りたいんだが、何かが足りない」
信長、起き上がり、帰蝶を見つめる。
信長「殺せって、言われてきたんだろ?」
信長と帰蝶、見つめ合う。
帰蝶、懐の小刀を信長の胸元に向ける。
帰蝶「家に生き、家に死ぬのが女の勤めです」
信長、笑う。
帰蝶「え」
信長「それを言うなら帰蝶はもう、織田家の女だ」
帰蝶、信長を見つめる。
信長「そんで、俺の大事な嫁さんだ」
帰蝶、手が震えている。
帰蝶「あんな現実的じゃないことしか言えなくても、ですか?」
信長「大名の娘が現実的じゃ色気がない」
帰蝶「初夜に夫を殺そうとしても?」
信長「天下の大うつけの嫁だ。それくらいの気概がないと勤まらない」
帰蝶、手を下ろし、崩れ落ちる。
帰蝶「怖かった。すごく。怖かった。こんな世に生まれなければ。こんな。もう嫌」
信長、帰蝶を抱きしめる。
信長「生まれる世も、家も。人は選べない」
信長、小刀に目をやる。
信長「俺が変えてみせる。帰蝶が、帰蝶のままに生きられる世に。帰蝶が好きな場所に行ける。
あ」
信長、帰蝶を離す。
信長「そうか。対岸にいるのは帰蝶だったんだ」
帰蝶「対岸。ああ。夢の中の。川」
信長「足りなかったのは。そうか。橋だ」
帰蝶「はし」
信長「最近も戦のために橋を落とした。よくやる手だ。敵がこっちに来られなくなる」
帰蝶「なるほど。でも。それが」
信長「橋がないのは、戦ばっかりやってるからだ」
信長、帰蝶の肩を掴む。
信長「帰蝶。決めたぞ。俺は天下を獲る。戦を無くす。すべての川に橋を架け、2人で旅するた
めに」
信長と帰蝶、目を見合わせる。
帰蝶「天下って。いいね。それ」
帰蝶、笑顔。
信長「忙しくなるぞ。なんせ狙うは天下だ」
信長と帰蝶、微笑み合う。
○ 同・大広間
帰蝶、女中たちを前に立っている。
帰蝶「これからは女も強くなくてはいけません。そこで。先生をお呼びしました。池田、恒興先
生です。はい。拍手」
一同、拍手。
池田、入ってくる。
池田「池田です。え。と。とりあえず。構えから」
池田、棒を持ち、構える。
帰蝶「はい!」
帰蝶、棒を取り、構えを真似る。
平手と林、廊下から様子を見ている。
平手「楽しいお人だ」
林「うつけが。二人」
林、額を押さえて座り込む。
帰蝶、笑顔。
〈おわり〉
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