第49回城戸賞二次選考通過【銀木犀の樹の上で】改編稿 学園

 昭和六十二年春。山ヶ崎高校に入学した、読書好きの高野教平は、入学式のその日、三年生の黒沢美花から、幼馴染の桑田蘭子とともに、入学記念のコサージュをつけてもらう。 美花に憧れ、ボランティア同好会に入る蘭子。そこは名ばかりで、美花と奥原健介が参加している地域の大衆演劇クラブの集まりだった。  昭和を舞台にした、青年一念発起物語。
平瀬たかのり 181 0 0 01/14
本棚のご利用には ログイン が必要です。

第一稿

 (作品をお読みいただくにあたって)
   本稿には劇中劇、また登場人物の台詞として、長谷川
   伸原作の戯曲『一本刀土俵入』を「長谷川伸傑作選 
   瞼の母」(国書刊行 ...続きを読む
この脚本を購入・交渉したいなら
buyするには会員登録・ログインが必要です。
※ ライターにメールを送ります。
※ buyしても購入確定ではありません。
 

 (作品をお読みいただくにあたって)
   本稿には劇中劇、また登場人物の台詞として、長谷川
   伸原作の戯曲『一本刀土俵入』を「長谷川伸傑作選 
   瞼の母」(国書刊行会)から、原作者没後五十年を
   経過し著作権が失効しているため引用可と判断し、
   著作権法32条第1項に則し引用させていただきま
   した。問題点等お気づきの場
   合はご指摘くださいませ。銀木犀の樹の上で」
     主な登場人物       
(年齢は登場時のもの。作中でも表記)
      

高野教平(16)山ヶ崎高校生徒
桑田蘭子(16)山ヶ崎高校生徒・教平の幼馴染
黒沢美花(18)山ヶ崎高校生徒・教平の先輩
奥原健介(18)右同
神田直人(18)右同
高野淑乃(39)教平の母親
桑田栄治(40)蘭子の父親
  信代(39)蘭子の母親
黒沢敬造(63)美花の祖父
奥原玄次(63)健介の祖父
内橋(45)山ヶ崎高校教諭
末永(16)山ヶ崎高校生徒・教平の同級生
久保(18)山ヶ崎高校生徒
篠崎春雄〈夢川春太郎〉(45)夢川春太郎一座座長
篠崎雅之〈夢川恋太郎〉(18)夢川春太郎一座・座員 春雄の息子
田中(18)峰栄学園生徒
秋本真希(16)山ヶ崎高校生徒・教平の後輩


〇居酒屋〈ちぐさ〉店前(早朝)
   扉がしまってい、〈本日の営
   業は終了しました〉の札が出
   ている。

〇高野家・居間兼台所(早朝)
   ガスコンロの前で即席ラーメ
   ンを作っている高野教平(16)。
   百八十センチ、八十キロの体
   躯。太っている。鍋にスープ
   をいれかき混ぜ、溶き卵も入
   れる。
    ×     ×    ×
   テーブル席に座り、丼のラー
   メンを食べている教平。部屋
   の戸を開けて入ってくるパジ
   ャマにガウン姿の母親の淑乃
   (39)。あくびをしながら
    椅子に坐る。
淑乃「また卵入りラーメンかいな。
 そやから肥えるんやで」
   無言のまま、ラーメンを食べ
   続ける教平。ふふっと笑う淑
   乃。
淑乃「入学式、ちゃんと行くからな」
教平「来るんか?」
淑乃「そらぁ、行くわいな」
教平「そう」
淑乃「お父ちゃんにチンチンしてか
 ら行きや」
教平「うん」
淑乃「赤飯炊く家もあるんやろうな
 あ。ごめんやで」
   ラーメンを啜る教平を微笑ん
   で見ている淑乃。

〇前同・仏間(早朝)
   四畳半の仏間。小さな仏壇に
   位牌が一つとフォトスタンド
   に入った父親の写真。仏壇前
   に正座して鈴を鳴らし、手を
   合わせる教平。

〇〈ちぐさ〉店前
   店の扉を引き開けて出てくる
   教平。学生カバンを店の脇に
   置いていた自転車の荷台に括
   り付け、跨る。自転車をこぎ
   だす教平。

〇路上
   自転車を漕いでいく教平。

〇メインタイトル
   〈銀木犀の樹の上で〉

〇山ヶ崎高校・校門前
   校門に〈昭和六十二年度 山
   ヶ崎高校入学式〉の立て看板。
   自転車や徒歩で校舎に入って
   行く新入生たち。
   在校生数人が声を上げて、自
   転車置き場へ新入生たちを誘
   導している。

〇前同・自転車置き場
   自転車を止める教平。ポール
   を挟んで女子の自転車置き場。
   そこに自転車を止める桑田蘭
   子(16)。教平に気づく。
蘭子「あ、教平ちゃん、おはよう」
教平「おはよう」
蘭子「昨日の夜もうちのお父ちゃんとお母
 ちゃん、お店にいってたんやで」
教平「みたいやな」
   少し離れ、並んで歩き始める二人。

〇前同・校庭
蘭子「子供が無事高校入った祝杯、三人
 であげたんやて。理由つけて〈ちぐさ〉
 で呑みたいだけやん。けどほんま二
 人とも教平ちゃんのおばちゃんのこ
 と好きやわ」
教平「あんな」
蘭子「ん」
教平「その『教平ちゃん』って言うの、
 もう」
蘭子「嫌なん」
教平「もう高校生になったんやし」
蘭子「べつにええやん。教平ちゃんは
 教平ちゃんのまんま。小二の時靴
 隠されて、ピーピー泣いてた教平
 ちゃんのまんまや」
教平「……」
蘭子「覚えてるか。あのとき靴隠し
 たアホの末永見つけて、その靴で
 あいつの頭思い切り叩いたん。
 おかげでこっちが先生とお母ちゃ
 んにえらいこと怒られたんやから」
教平「忘れえや、そんなこと」
蘭子「わたしも『蘭ちゃん』のまま
 でええで」
   歩いて行く二人。

〇前同・校舎入口付近・壁の前
   壁に貼ってあるクラス表の
   前にたむろし、自分の名前
   を確認している新入生たち。
   教平、蘭子が表の前に立つ。
   二人、十組に自分の名前を
   見つける。
蘭子「十組やって」
教平「うん」
蘭子「これで幼稚園からここまで
 ずっといっしょの組やな。こう
 いうのなんて言うんやったっけ。
 あんた前言うてたやん」
教平「……言うたら怒ったから言
 わん」
蘭子「怒らへんから言うてみって」
教平「……腐れ縁」
蘭子「腐れ、とか言うな!」
   教平の背中を思い切り叩く
   蘭子。
教平「そやから――なんなんや、
 ほんまに」
         
〇前同・校舎入り口前・長机の前
   長机が並べて置かれ、一
   組から十組までの紙が垂れ
   下がっている。
   その前に男女別に並んでい
   る各組の新入生たち。男子
   生徒は男子三年生から、女
   子生徒は女子三年生から、
   胸にコサージュを付けても
   らっている。十組の列最後
   尾に並ぶ教平と蘭子。
   二人の番がくる。蘭子の胸
   にコサージュをつける黒沢
   美花(18)。美花、蘭子
   の胸の名札を確認する。
美花「入学おめでとう。桑田さん」
蘭子「あ、ありがとうございます」
   美花の美貌に見惚れる蘭子。
美花「ん?」
蘭子「あ、いえ」
   三年男子Aの前に立つ教平。
   長机の上、コサージュの入
   っていない小箱。
A「こっちもう済んだで、黒沢さん」
美花「え、あれ。なんでやろ」
教平「あの」
美花「あ、こっちの箱にあるわ」
   コサージュをAに渡そうとす
   る美花。
A「黒沢さんがつけたれや。あー、
 しんどかった」
  去ってしまうA。
美花「もう、しゃあないなあ。ほん
 まは男子は男子からつけてもら
 うことになってるんやけどわた
 しが付けてもかまへん?」
教平「あ、はい」
   美花にコサージュをつけて
   もらう教平。
   美花、教平の名札を見る。
美花「入学おめでとう、タカノ君」
教平「あ、コウノです」
美花「あ、そうなんや。ごめんね。
 じゃあ、あらためて。入学おめ
 でとう高野君」
教平「ありがとうごじゃい……ご
 ざます」
   プッと吹きだす蘭子。美花、
   微笑んで。
美花「じゃあこの後は上履きに履
 き替えて、体育館に行ってね。
 そこで先生の指示に従って」
   校舎内へ去っていく美花。
蘭子「『ありがとうごじゃい……
 ござます』」
教平「――うるさい」
蘭子「まあでも気持ちは分かる。
 ラッキーだったやん。うわー、
 なんかいきなり憧れの先輩で
 きてしもうた感じやわー」
  胸のコサージュを見る教平。

〇前同・校庭
   入学式終わり。校庭片隅
   に立つ銀木犀の樹の下
   並んで立っている、教平
   と淑乃。教平、樹に結わ
   えつけてある〈ギンモク
   セイ〉と書かれた小さな
   板を手に取り見つめる。
桑田「はい教平ちゃんも淑乃さ
 んも、こっち見て!」
   蘭子の父栄治(40)が
   カメラを構えている。そ
   の隣に立っている蘭子と
   母親の信代(39)。
桑田「じゃあ撮るよ。はい、チー
 ズ!」
   シャッターを押す桑田。

〇山ヶ崎高校・一年十組教室内
   休み時間。クラスメイト
   四人と談笑している蘭子。
   自席に座って文庫本を読
   んでいる教平。チャイム
   が鳴り教平の斜め前の席
   に戻って来る蘭子。本を
   閉じる教平。読んでいた
   筒井康隆の『メタモルフ
   ォセス群島』を閉じ、机
   にしまう教平。
蘭子「ツレのひとりも作らなあ
 かんであんたも」 
   無言の教平。
蘭子「部活、なににするか決め
 た?」
   首を横に振る教平。
蘭子「わたしは決めたで。ボラ
 ンティア同好会や」
教平「ボランティアって、そん
 なん興味あったんか」
蘭子「ぜんぜん。黒沢さんが
 いてるって知って決めた。
 今日入部届け出しに行く」
教平「黒沢さん」
蘭子「覚えてるやろ、入学式
 にコサージュ付けてくれた
 綺麗な先輩」
教平「ああ」
蘭子「美花さんって言うんよ。
 美しい花って書いて美花さ
 ん。名前まで素敵やわ。思わ
 へん?」
教平「どんなことするんや、ボ
 ランティア同好会って」
蘭子「知らんわ。ゴミ拾いでも
 するんちゃう」
教平「なにするか分からんの
 に入るんか」
蘭子「ええやんか。一発で憧
 れた先輩の居てる同好会に
 入ってなにがあかんのん」
教平「ボランティアとか興
 味ないのにか」
蘭子「うるさいなあ。あんた
 は本ばっかり読んで三年
 間帰宅部で終われ」
  教師が入室し、教壇に立
  つ。起立の号令がかかり
  立ち上がる教平と蘭子。

〇前同・二階三年生棟廊下
   放課後、帰宅する生徒、
   部活に向かう生徒たち
   で賑やかな廊下。三年
   生たちに物おじせず歩
   いて行く蘭子。
   
〇前同・図書室内
   書架に並んだ筒井康隆
   全集を前に立っている
   教平。その顔に笑みが
   浮かぶ。

〇前同・旧宿直室・入口
   〈ボランティア同好会・
   座員募集中!〉と書か
   れた札が扉にぶら下げ
   られている。
蘭子「座員?」
   訝しみながらノックを
   する蘭子。
男子生徒の声「うーい、開いて
 るでぇ」
   扉を開ける蘭子。
蘭子「失礼します」
   部屋に入る蘭子。

〇前同・旧宿直室・室内
   入ったところがコンクリー
   トうちっぱなしの三和土
   の靴脱ぎ。炊事場があり、
   畳敷きの六畳間の上に座
   卓が置かれ、その前で胡
   坐をかいてカップ麺を食
   べている三年生男子、奥
   原健介(18)。部屋の
   様子に驚く蘭子。
健介「入部希望者?」
蘭子「あ、はい。そうですが……
 あのここってボランティア同
 好会の部室ですよね」
健介「そうや。表に札出てたやろ」
蘭子「はぁ」
   部屋を見回す蘭子。
健介「ここ、もとは宿直室。教師
 が交代で学校に泊ってた時代
 があってな、部屋だけ残って
 るんや。水道も電気も通って
 る。そやからこないしてラー
 メンが食える」
   カップ麺を啜る健介をじっ
   と見る蘭子。
健介「ボランティアとか興味あ
 るのん、自分」
蘭子「あ、はぁ、まあ」
健介「嘘つけ」
蘭子「嘘って」
健介「美花にいてこまされたん
 やろ。黒沢美花に。そやろ」
蘭子「『いてこまされた』って」
健介「顔にかいてありまっせー。
 あいつなぁ、小学校のときか
 ら、年下の女に人気あったか
 らな」
   またズルズルと麺を啜る健介。
蘭子「――ええ、ええ、そうです
 よ。いてこまされましたよ。入
 学式の日にコサージュつけても
 らって。わたしは綺麗なものが
 好きなんです、大好きなんです!」
  唖然とした顔で蘭子を見る健
  介。
蘭子「だから綺麗な黒沢先輩のい
 るボランティア同好会に入ろう
 と思ったんですっ。いけません
 かっ!」
   じっと蘭子を見ていた健
   介。フフッと笑う。
健介「自分、おもろいな。まあ
 突っ立ってんと上がりぃや」  
蘭子「――はい」
   靴を脱いで六畳間に上が
   る蘭子。
    ×     ×    ×
   差し向かいでシーフード
   ヌードルを食べている蘭子と健介。
健介「旨いよなあこれ。初めて食べた
 ときは衝撃やったで」
蘭子「はい。でもよく二個目とかいけ
 ますね、先輩」
健介「俺の血液の半分はラーメンスー
 プでできている」
蘭子「それにしては細いですよね先輩」
健介「体質やろな。なんぼ食べても太
 らへんのや」
蘭子「わたしの幼馴染にも朝から袋
 のラーメン食べるやついますよ、
 卵落として。そんなんするからデ
 ブなんや」
健介「デブなん?」
蘭子「デブです」
健介「朝から卵入りの袋麺か。なか
 なかのプロフェッショナルデブ
 やな、それは」
蘭子「『――プロフェッショナル
 デブ』」
   ふたり、無言。やがてどち
   らからともなくクスクスと
   笑いだす。その笑いはやが
   て爆笑へ。
蘭子「明日、明日言うたろ。『あ
 んたプロフェッショナルデブや
 で』いうて」
   笑い続ける二人。
   ドアが開く。美花が入って
   くる。
   唖然とした顔で二人を見る
   美花。マズッたという顔に
   なる蘭子。笑い続ける健介。
    ×     ×    ×
   座卓の前に座り、紙パック
   のコーヒー牛乳を飲みなが
   ら、サンドイッチを食べて
   いる美花。六畳間の隅で三
   角座りをして俯いている蘭
   子。クスクス笑っている健介。
健介「憧れの黒沢先輩やでー、再会
 はシーフードヌードルと共に」
   蘭子、涙目で健介を睨む。
美花「ちょっと奥原、そんなにイ
 ジメんといてあげてよ」
蘭子「あの、すみません、わたし……」
美花「なんにも。お腹いっぱい、
 元気いっぱい、ええことや」
蘭子「黒沢先輩、あの」
美花「なに」
蘭子「わたし、先輩にコサージュ
 付けてもらってほんまに嬉しかっ
 たんです。なんていうか――こ
 んな綺麗な人いるんや、こんな
 人にコサージュ付けてもらえた
 んやって。そやから、あの――
 なんか、変なこと言うてごめん
 なさい」
美花「うぅん。謝ることなんかな
 にもないで」
健介「あー、なにを見せられてる
 んや、俺は今」
蘭子「そやから、ボランティアと
 か、そんなん興味なくって。
 あの――先輩の近くに、居て
 られたらなあって思って。で、
 でも、あの、レズとかそんな
 のじゃ、絶対なくって」
健介「愛の告白~」
蘭子「もう、うるっさい!」
健介「おー、怖ぁ」
美花「ありがとう、嬉しいで。
 なぁ、桑田さん」
蘭子「はい」
美花「ボランティア同好会っ
 て言ってるけどな、特にボ
 ランティア活動やってるわ
けとちがうのよ、わたしら」
蘭子「え、じゃあ何を?」
健介「見た? 表の〈座員募
 集中!〉」
蘭子「あ、はい。あの、座員っ
 て」
   美花と健介、顔を見合
   わせ笑う。
美花「桑田さん自転車通学?」
蘭子「そうですけど」
美花「そっか。じゃあ腹ごし
 らえも済んだことやし、出
 かけますか。そこで入部するか
 どうか決めたらええわ」
   サンドイッチを食べ終えて
   立ち上がる美花を見上げる
   蘭子。

〇〈ちぐさ〉店前
   扉に準備中の札が下がって
   いる。
   自転車に乗って帰って来る
   教平。店脇に自転車を止め、
   扉を開けて中に入る。

〇前同・店内
   厨房で仕込みをしている淑
   乃。
淑乃「おかえり」
教平「ただいま」
   店内を通り、家屋部へ行こ
   うとする教平。
淑乃「教平」
   立ち止まり、淑乃を見る教平。
淑乃「あんた、大学行きたいんやろ」
教平「なに、急に」
淑乃「もうすぐ三者面談やろ。進学
 するんかか就職するんか、先生に
 訊かれて、親子の言うことが違っ
 てたらあかんやろ」
教平「――就職するよ」
淑乃「大学行って、文学勉強した
 いんやろ」
   じっと淑乃を見つめる教平。
淑乃「奨学金いうのもある。それ
 にお父ちゃんの保険金もまだ遺
 してある。それで大学に行った
 らええ。あんた、頭悪いことな
 いんやし。けど、できたら国立
 がええな。しっかり勉強してや」
教平「――うん」
   家屋部へ歩いて行く教平。

〇高野家・教平の部屋
   勉強机の椅子に腰かける教平。
   学生カバンから、筒井康隆全
   集の一冊を取り出し読み始める。

〇路上
   健介、蘭子、美花が自転車を
   こいでいく。

〇青原地区公民館・前庭
   コンクリート造りの二階建て、
   古びた感のない公民館。入口
   に〈青原公民館〉の看板。
   乗り着ける三人。自転車を
   止め、降りる。
美花「そしたら、入ろうか」
蘭子「ここに、ですか」
健介「ここに来て、ここに入らん
 で、どこに入るんや」
  ギロっと健介を睨む蘭子。
健介「おー、怖ぁ」
   公民館の中に入って行く
   三人。

〇前同・二階の大広間
   中年から老齢の男女合わ
   せて十人ほどが、わさわ
   さと動いている。
美花「こんにちはー」
   挨拶を返す男女たち。ス
   リッパを脱ぎ中に入る美
   花。健介も。蘭子も二人
   に続いて。
蘭子「あの先輩、ここって」
美花「ここでね、大衆演劇のお
 稽古してるの。名前は山ヶ崎
 青原一座。そやから座員募
 集っていうわけ」
蘭子「大衆演劇」
美花「見たことないよね」
蘭子「はい」
美花「わたしのおじいちゃん
 がここのリーダー、座長で、
 奥原のおじいちゃんが副座
 長。わたしらね、幼稚園の
 頃から子役で市民文化祭の
 舞台に出てるんよ」
健介「ジジィの道楽に付き合
 わされてかなわんで、ほん
 まに」
美花「よう言うわ」
蘭子「それがボランティア同
 好会のほんまの活動ですか」
美花「うん。おじいちゃんが
 ね、部活になったら学校で
 も公演打てるやろ、言うて。
 そやから去年の文化祭、講
 堂で公演したんやで」
健介「演目は『瞼の母』。市
 民文化祭の方は『國定忠治』。
 ちなみに両方とも主役は俺」  
蘭子「先輩が主役」
   頷く健介。壁に立てか
   けてあった模造刀を手
   に取り、前に突き出し
   グッと見栄を切る。注
   目が集まる。
健介「『赤城の山も今宵を限
 り、生まれ故郷の國定の村
 や、縄張りを捨て国を捨て、
 可愛い子分の手めえ達とも、
 別れ別れになる首途だ』」
   座員たちからの喝采。
   蘭子を見てニッと笑う
   健介。驚いている蘭子。
美花「どない、桑田さん」
蘭子「え、あ、はい。今の先
 輩、ちょっとかっこよかっ
 たです」
健介「ちょっとかい」
蘭子「そやけど、そんなん
 見たの初めてなんやもん」
   奥の扉が開き、入って
   来る美花の祖父、黒沢
   敬造(63)と健介の
   祖父、奥原玄次(63)。
玄次「そやから駒形茂兵衛は
 儂がするって言うとるやな
 いかっ!」
敬造「何回言うたらわかるん
 じゃっ。どこにな、こんな
 トウの経った駒形茂兵衛がい
 てるんじゃ!」
玄次「トウが経ったとか言うなっ。
 体型からして儂しかいてへん
 やないか!」
敬造「ええか、よう聞け玄の字。
 駒形茂兵衛はな、破門された
 親方のところへもう一回弟子
 入りしようと心に決めて、駒
 形村から出てきた取的やぞ。
 腹へってやつれはてても、再
 出発を誓った志のある青年や。
 横綱になって、母親の墓前で
 土俵入りの晴れ姿を見せたい
 いう夢持った青年や。その青
 年が酌婦のお蔦と出会う。茂
 兵衛の志に打たれたお蔦が唄
 う小原節、それは茂兵衛の若
 さあってこそ観る者の胸を打
 つんじゃ。それこそが芝居の
 リアリティーじゃ。分かった
 か!」
玄次「カバチたれなぁっ!」
敬造「なにがカバチじゃっ。は
 はぁん、分かったぞ玄の字。
 さてはおまえ孫にばっかり主
 役張られて悔しいんやな。そ
 れで駒形茂兵衛やりたいんや
 な。え、そういう不純な動機
 やな。どや、図星やろ。言う
 てみい」
玄次「ぐっ……そんなこと、そ
 んなことあるかぁっ!」
   敬造につかみかかる玄次。
敬造「やるんかい!」
   応戦する敬造。
玄次「おう、やったらぁ!」
   慌てて二人を引き離す座
   員たち。その様子を呆然
   と見ている蘭子。
美花「いっつもこんな調子」
健介「ほんま、毎度毎度ようや
 るわ」
   ドカッと床に腰を落とす
   敬造。荒い息を吐いてい
   る玄次を見上げて。
敬造「玄の字」
玄次「なんじゃい」
敬造「おまえほんまに自分が駒
 形茂兵衛やってええ芝居にす
 る自信はあるんかい」
玄次「――そら、あるわい」
敬造「ほんまにか」
玄次「それは……」
敬造「そやろが。なんぼ体型
 が相撲取りに近いからいう
 て、それだけでは駒形茂兵
 衛はおまえにゃ務まらんわ
 い」
  後ろに身を倒す敬造。天
  井を見上げる。
敬造「やっぱり今年の市民文
 化祭の演目は『瞼の母』で
 いく。主役は去年に続いて
 健介や――あー、夢やった
 んやけどなあ『一本刀土俵
 入』、やるのなあ。もう一
 生無理かもなあ」
   蘭子、美花を見て。
蘭子「あの、先輩」
美花「なに」
蘭子「お相撲さんが出てくる
 んですか、そのお話しって」
美花「うん、わたしも原作読
 んだけど『一本刀土俵入』
 は主役が駒形茂兵衛って取
 的――お相撲さんの見習い
 でね、一回は親方に破門さ
 れてね、けどやっぱりやり直
 そうって思って、その戻る途
 中にヤクザに絡まれてしまう
 ん。そこをお蔦って女の人に
 助けられるん。で、その何年
 後かに現れたときには、お相
 撲さんやめてヤクザ者になっ
 てるんやけど、今度は茂兵衛
 がお蔦を助けるっていう、ざ
 っと言えばそんなお話し」
健介「ざっとすぎるやろ」
蘭子「そうですか。お相撲さん
 やから太ってるんですよね」
美花「そらね」
蘭子「見習いやから若いんで
 すよね」
健介「そや。そやからうちの
 じいちゃんにはできんわけ
 よ。やりたがってるけど絶対
 無理。敬造さんの言うこと
 が正解」
蘭子「そうなんですか――あの」
   仰向けになったまま顔を
   上げる敬造。蘭子を見る。
敬造「なんや、新顔やな」
蘭子「初めまして。今日からボ
 ランティア同好会に入った桑
 田蘭子って言います」
健介「入るんか」
蘭子「もちろんです。あの、こ
 こって電話ありますか」
敬造「電話? 一階の事務所に
 あるわ」
蘭子「そうですか。じゃあお借
 りします」
   大広間を出て行こうとす
   る蘭子。
美花「あの、桑田さん」
   美花を見てニカッと笑う
   蘭子。

〇高野家・教平の部屋
   読書に夢中の教平。ドア
   がノックされる。
教平「なに」
   ドアを開ける淑乃。手に
   した電話の子機を差し出
   す。
淑乃「蘭子ちゃんから電話」
教平「へ?」
淑乃「早よ出たげぇな」
   訝しげに子機を手に取る
   教平。

〇路上
   えっちらおっちらという
   感じで、自転車をこいで
   いく教平。

〇青原地区公民館・前庭
   蘭子たち三人の自転車が
   停まっているのを認める
   教平。降車し自転車を止
   め、汗をぬぐいながら入
   口へと向かう。

〇前同・二階の大広間
   恐る恐る扉を開ける教平。
蘭子「遅い。皆さん待ちくたび
 れてるで」
教平「な、なんなん?」
蘭子「ええから入りぃな、早よ」
   スリッパを脱ぎ、大広間
   に入る教平。
健介「なるほど、プロフェッショ
 ナル・デブ」
蘭子「でしょ」
教平「あの桑田さん」
蘭子「そやから蘭ちゃんでええっ
 て言うてるやん」
美花「お久しぶり、高野くん」
   美花を見る教平。
教平「あ、はい。あの、これっ
 て」
   敬造が教平のそばまでやっ
   て来る。全身を舐めるよ
   うに見て。
敬造「なるほど。確かにええ感
 じに肥えとる」
教平「あの、なんなんですか」
敬造「ぼく、こっち来ぃ」
   奥の扉の方へ歩いて行く
   敬造。立ちつくしている
   教平。
敬造「なにしてんのや、来んか
 いな」
蘭子「ほら、早よ行き」
   教平の背中を叩く蘭子。
教平「ほんま、なんなんや……」
   仕方なく敬造の後につい
   ていく教平。

〇お好み焼き屋〈くじゃく〉店前
   暖簾が出ている。

〇前同・店内
   正方形の鉄板が敷かれたテ
   ーブル席。椅子に坐ってい
   る教平、蘭子、美花、健介。
   鉄板の上でお好み焼きが四
   つ、焼けている。教平の前
   のお好み焼きにソースを塗
   りたくる蘭子。
蘭子「あきらめ。見込まれたんや
 あんたは」
教平「なんなんやそれ……ほんま
 いきなり電話かけてきてから」
蘭子「電話なんかいきなりかける
 もんやないの。手紙書いてから
 かけるんか」
教平「あんなぁ……」
蘭子「ドブネズミ色になりそう
 なあんたの高校生活を救ったろっ
 て思ったんやないの。感謝して
 ほしいわ」
教平「ほっといてくれ」
蘭子「ほら、焼けてんで。先輩か
 らの奢りや。ありがたくちょ
 うだいしなさい」
美花「いっつもそんな感じなん」
蘭子「え」
美花「いや、ええコンビやなって」
教平「ただの腐れ縁です」
蘭子「それ言いな!」
   お好み焼きを食べ始める四
   人。
健介「敬造さん、なんて」
教平「はい?」
健介「隣の部屋つれて行かれたや
 ろ。そこでなに言われたんや」
教平「はぁ――服脱げ言われて、
 脱がされて。そんで、なんや、
 ただの肥えた子やな、とか言
 われて。しゃあない、ナント
 カ茂兵衛はぼくに決めたから、
 とか言われて」
美花「ごめんね、うちのおじい
 ちゃん失礼なことばっかり言
 うて」
教平「いえ……ほんま、ただの
 肥えた子やから、ぼくなんか」
蘭子「ね、今ので分かったでしょ
 こいつのこと。『ただの肥えた
 子やから、ぼくなんか』――
 アホか!」
   うつむく教平を見る美花
   と健介。
蘭子「ほんま嫌いや、あんたの
 そんなとこ」
   お好み焼きを頬張る蘭子。
美花「断ってくれてええんよ、
 高野くん」
蘭子「そんな先輩」
美花「こういうことは本人の意
 思がいちばん大事やで桑田さ
 ん」
蘭子「そうやけど……」
教平「ぼく、演劇なんかやった
 ことないし、べつに興味も
 ないし。それに、ぼくなんか
 がやったって、みんなの足
 引っ張るだけやし――昔か
 らずっとそうやったし」
   ため息をつく蘭子。
蘭子「ダメだこりゃ。すみま
 せん先輩こんなの呼び出し
 て。わたしが間違ってまし
 た」
健介「やったことないから、
 やるのとちがうんか?」
教平「え」
健介「そんなもんちゃうんか
 な」
教平「……」
美花「高野くん、他にはなに
 か言われへんかった、おじ
 いちゃんに?」
教平「はぁ――相撲の稽古や
 れって。そんで、ナントカ
 茂兵衛のリアリティー出せ
 って」
美花「やっぱりなあ。そうい
 うこと言うって思ってたわ、
 おじいちゃん」
教平「相撲とかそんなん、もっ
 と興味ないし。ぼく、運動
 神経悪いし」
蘭子「あんた今ここでちゃん
 と断り。ほんま、あんた呼
 び出したわたしが間違えて
 たわ。ムカムカするわ」
美花「桑田さん、答え急ぎすぎ」
健介「ほんまおもろいわ、自分」
   お好み焼きを食べる四人。

〇前同・店前
   店から出てくる四人。
美花「高野くん」
教平「はい」
美花「ほんまに断ってくれてえ
 えんやからね。けど、そうや
 な。三日くらいゆっくり考え
 てみて。そんでから返事して」
教平「はあ」
健介「高野」
教平「はい」
健介「明日放課後、時間あるよ
 な」
教平「え? あ、まあ」
健介「ちょっとつきあってくれ」
教平「はぁ」
蘭子「そしたら先輩、今日はご
 ちそうさまでした。ほら、帰
 るで」
   自転車に跨り、並んで去っ
   ていく教平と蘭子。二人を
   見送る美花と健介。
美花「高野くん、桑田さん!」
   自転車を止める二人。美
   花を見る。
美花「桑田さんありがとう。高
 野くん呼んでくれて。高野く
 ん、高野くんやったらできる
 よ駒形茂兵衛。お蔦はな、わ
 たしがやるんよ。なあ、いっ
 しょにやろうや。わたし高野
 くんといっしょにやりたいな
 『一本刀土俵入』!」
   蘭子、教平の背中を強く
   叩く。会釈する教平。二
   人、また自転車をこいで
   去っていく。小さくなる
   その後ろ姿を見送ってい
   る美花と健介。
   
〇〈ちぐさ〉店内(夜)
   閉店後、厨房内で洗い物
   をしている淑乃。屋内へ
   通じる扉から顔を出す教
   平。和装の寝間着に腹巻
   をしている。
淑乃「なんやあんた、まだ起き
 てたんかいな」
   頷く教平。
    ×     ×    ×
   カウンター席の椅子に坐り、
   淑乃の作ったおじやを食べ
   ている教平。
淑乃「先輩らとお好み焼き食べた
 から、ご飯要らん言うたの、ど
 この誰や」
教平「――時間が早すぎたわ」
   ハフハフしながらおじやを
   食べる教平。
教平「なあ、オカン」
淑乃「なんや」
教平「ただの『肥えた子』なん
 かな、ぼく」
淑乃「誰かにそんなこと言われ
 たんか?」
教平「黒沢先輩のおじいちゃん
 と、あと――」
淑乃「あと?」
教平「自分」
   おじやを食べる教平をじっ
   と見る淑乃。
淑乃「こら、教平」
   淑乃を見る教平。
淑乃「たしかにわたしは肥えた
 子産んだ覚えはある。けど
 『ただの肥えた子』産んだ
 覚えはない」
   見つめ合う親子。淑乃、
   フフッと笑う。
   またおじやをハフハフ
   食べる教平。洗い物に
   戻る淑乃。

〇山ヶ崎高校・小運動場隅・土俵
   放課後、ソフト部やハン
   ドボール部が練習をして
   いる小運動場。その隅に
   ある土俵の上、まわし姿
   の神田直人(18)と顧
   問の内橋(45)がぶつ
   かり稽古をしている。小
   柄な直人だが、筋骨隆々
   たる体型。巨漢の内橋に
   投げ捨てられては、すぐ
   さま立ち上がり向かって
   いく。真っ赤になってい
   る二人の胸板。
   その様子を土俵下から見
   ている教平と健介。
健介「神田直人。幼稚園からの
 ツレや」
教平「はぁ」
健介「その頃から相撲が好きで
 な。ほんまはな、峰栄学園の
 相撲部に行くのが夢やったん
 や」
教平「峰栄の相撲部ですか」
健介「うん。けど、無理やっ
 た。あそこ私学やろ」
教平「はい」
健介「小五のときに父親が交通
 事故で死んでな、おまえといっ
 しょの母子家庭や」
教平「――」
健介「昨日の夜桑田から電話で
 聞いた。おまえのところは病
 気らしいけど」
教平「――あのしゃべり」
健介「卒業したら知り合いのやっ
 てる板金工場に就職すること
 決めてるんや、こいつ」
教平「――あの」
健介「なんや」
教平「なんで相撲続けてるんで
 すか、この人。他に部員もい
 てへんのに」
健介「それは――まあ、本人の
 口から聞いてみてくれ」
教平「はあ」
健介「高野」
教平「はい」
健介「昨日の電話で、俺、桑田
 にコクッたで」
教平「え」
   健介、直人の稽古をじっ
   と見つめたままで。
教平「そうですか。蘭――桑田
 さん、なん
て?」
健介「『少し考えさせてほしい』
 いうてな。けど、うんって言
 うまであきらめるつもりはな
 いけどな」
教平「そうですか」
健介「取ってしまうで、幼馴
 染の蘭ちゃん」
教平「そんな――あいつとは
 ほんまにそんなんとはちが
 いますから」
健介「そうか」
   内橋に立ち向かってい
   く直人をじっと見つめ
   る教平。

〇〈くじゃく〉店内(夜)
   鉄板席を前に座ってい
   る教平、直人、内橋の
   三人。教平の前には焼
   きそば。内橋は焼いた
   スルメをアテにビール
   を飲んでいる。山盛り
   になった肉野菜炒めを
   食べながら、どんぶり
   飯をかきこんでいる直
   人。
内橋「『一本刀土俵入』か。
 長谷川伸。池波正太郎の
 お師匠さんやな」
教平「え」
内橋「『鬼平犯科帳』読ん
 だことあるか」
教平「いえ」
内橋「読んどけ。今はなに
 を読んでるのや」
教平「あの、先生」
内橋「長いこと現国教えて
 るとな、顔見たら本読ん
 でるやつか、そうでない
 やつかは分かるんや」
教平「筒井康隆、読んでます」
内橋「中学のとき、星新一の
 ショートショートから入っ
 たか」
教平「あ、はい。そうです」
内橋「うん、二人ともなんちゅ
 うか一種の天才やな。けど
 な高野よ。池波と司馬遼太
 郎と山田風太郎と山本周五
 郎読め。若いときに時代小
 説読んどけ。損するぞ」
教平「あの、先生」
内橋「なんや」
教平「文学作品とかは?」
内橋「そんなもん年いってか
 らでも読めるやないか」
教平「逆とちがうんかな……」
   笑って旨そうにグラス
   のビールをあおる内橋。
   黙々と肉野菜炒めを食
   べる直人を見る教平。
内橋「相撲も演劇もやってみ
 るか、高野よ」
教平「え」
内橋「俺もぼちぼち一人で
 こいつの相手するの、し
 んどなってきた」
教平「けどぼく、運動神経
 悪いし」
   チラッと教平を見る
   直人。また食事に戻
   る。教平の額に軽く
   デコピンをする内橋。
教平「つっ」
内橋「昔ながらの文学青年
 やなあ。あんな、本をよ
 う読むやつはな、そうやっ
 て自分自身を限定させす
 ぎるところがあるんや。
 本も読んで、相撲もやっ
 て、演劇もやる。
 『〽人のできない、こと
 をやれ~』や」
   黙々と食べ続ける直
   人を見る教平。 

〇高野家・教平の部屋(夜)
   ベッドの上、横になっ
   て本を読んでいる教平。
   ドアがノックされる。
教平「なに」
   ドアを開ける淑乃。
淑乃「神田さんって方が来て
 るよ」
教平「え?」
   本を置く教平。

〇〈ちぐさ〉店前(夜)
   向かい合って立ってい
   る教平と直人。
直人「すまんな、こんな時間
 に」
教平「いえ、あの」
直人「高野」
教平「はい」
直人「さっきはよう言わんかっ
 たけど、ちゃんと言う。そ
 れ言いにきたんや――俺の
 稽古の相手になってくれ。
 頼む」
   深く頭を下げる直人。
教平「先輩……」
   頭を上げる直人。
直人「高野、俺な、勝ちたい
 やつがいてるんや」
教平「勝ちたいやつ」
   頷く直人。
直人「今年が最後のチャンス
 なんや」
   真剣な顔つきの直人を
   じっと見つめる教平。

〇山ヶ崎高校・旧宿直室前
   ドアをノックする教平。
美花(声)「はーい」
教平「失礼します」
   部屋に入る教平。

〇前同・室内
   六畳間の窓際に立って
   いる美花。
美花「あら」
   会釈をする教平。
    ×     ×    ×
   六畳間、座卓を挟んで座
   りカレーヌードルを食べ
   ている教平と美花。
美花「カレーヌードルってな、
 時々猛烈に食べたくならへん」
教平「え」
美花「あと、あんドーナツとか、
 そやね、ハッピーターンとか」
教平「たしかに、ですね」
美花「そやろぉ。けどほんまに
 おいしそうに食べるね、高
 野くんって」
教平「そう、ですか」
美花「うん。ものおいしそう
 に食べる人に悪い人はいて
 へん。わたし、そう思って
 るんよ」
教平「はぁ」
美花「奥原と蘭子ちゃん、今
 頃いっしょに帰ってるんや
 ろなあ。手ぇ繋い でたり
 して――かまへんのん?」
教平「桑田さんとは、ほんま
 にそんなんとちがいますか
 ら」
美花「ふーん。まあ分から
 んでもないよ。わたしも
 奥原とはそんな感じやし」
教平「はぁ」
美花「相撲の方はどうする
 ん。奥原といっしょに見
 学に行ったんやろ」
教平「――やってみようかっ
 て思います。ぼくにどこ
 までできるか分からへん
 けど」
美花「そっか。神田君、無
 口でキツイ目ぇしてるけ
 どええ人やで。去年のわ
 たしらの舞台にも、チョ
 イ役で出てくれたんやで」
教平「神田先輩がですか」
美花「うん。なあ、高野く
 ん」
教平「はい」
美花「なんか、巻き込んで
 しもうたかな」
教平「いや、べつにそんな
 ことは」
美花「高野くん、絶対ええ
 駒形茂兵衛やれるわ。な
 んか分かるんよ、わたし」
教平「でも、ほんまにぼく
 なんかでええんですか」
美花「それ、禁止な」
教平「え」
美花「『ぼくなんか』って
 いうの、わたしの 前で
 言うたら一回につき罰金
 百円没収や」
   美花を見つめる教平。
   微笑んでいる美花。
教平「――はい」
美花「うん」
   カレーヌードルを食
   べ続ける二人。

〇青原地区公民館・大広間
   長机を前に座り『一本
   刀土俵入』の読み合わ
   せをしている出演者たち。
   教平、つっかえつっか
   えの棒読み。
玄次「おいおぉい、ほんまに
 この子で大丈夫かぁ」
敬造「黙ってぃ、玄の字!」
   俯く教平。横に座った
   美花が。
美花「高野くん気楽に気楽に。
 最初から上手にできる人な
 んかいてへんのやからね」
教平「はい、すみません……」
美花「リラックス、リラックス」
   微笑む美花を見つめる
   教平。    

〇山ヶ崎高校・体育倉庫
   体育倉庫の中、全裸にな
   り内橋にまわしを付けて
   もらっている教平。股間
   を手で隠している。
内橋「ほらぁ、手ぇのけんかい」
   恥ずかし気に股間から手
   を離す教平。

〇前同・小運動場・土俵
   まわし姿で土俵上にぺた
   りと坐っている教平。開
   脚を試みようとするが全
   くできない。その背を軽
   く押す直人。
教平「いででででっ!」
内橋「硬い体やなぁ」
   笑う内橋。悲鳴を上げ続
   ける教平。
    ×     ×     ×
   土俵周りを足を大きく開
   いてすり足で回る直人。そ
   れに続いて教平も。教平、
   まったく不格好。その様を
   見て、トラックを周回して
   いた女子陸上部員たちがク
   スクス笑いながら走ってい
   く。

〇高野家・教平の部屋(夜)
   寝間着姿でベッドに横に
   なり、文庫本を読んでい
   る教平。寝返りをうつ。
教平「あたたたた……」
   上半身を起こし、太股を
   さする。深いため息をつ
   く教平。
         
〇山ヶ崎高校・自転車置き場
   放課後。帰ろうと自転
   車に跨りかける教平。
   その後ろからやってく
   るボンタンズボンをは
   いた同級生の末永とA、
   B、C、Dのヤンキー
   生徒五人組。
末永「高野くんっ」
   末永、馴れ馴れしく教
   平の肩を抱き寄せる。
   ビクっとなる教平。
末永「そんなビビらんでもえ
 えやん。ちっさい頃からの
 仲なんやから。なあ」
教平「あ、あの、なに」
末永「俺な、小二のとき、ふ
 ざけてこいつの靴隠した
 ことがあってな。ほんで俺、
 その靴でな、同級生の女に
 思いっきり頭どつかれたこ
 とがあってやぁ。なあ」
A「女にか」
末永「おう、こいつといっしょ
 の十組の桑田蘭子や。めっ
 ちゃ痛かったわ。今でも覚え
 てるわ。こいつ後ろでグズグ
 ズ泣いてただけやったけど。
 なあ」
   笑う四人。
末永「高野、ちょっとつきあっ
 てくれへん。俺らの先輩が
 話しあるって言うてるんや」
教平「は、話って」
末永「来たら分かるから」
   末永に肩を組まれたま
   ま連れて行かれる教平。

〇前同・校舎裏
   たむろしている久保(18
   )らヤンキー生徒五人。そ
   の前に教平、末永らにひ
   きずり出されるようにして。
久保「名前、なんて言うんやった
 っけ」
末永「高野です。高野教平」
久保「おまえに訊いてへんやろが、
 ボケ」
末永「すみません」
久保「おまえ、演劇の一座に入っ
 たんやって
な。青原の公民館でやってる」
教平「――」
久保「訊いてるんやけどな」
教平「はい」
久保「芝居とか興味あるんか」
教平「いえ、べつに」
久保「興味ないのになんで入っ
 たんや」
教平「それは」
久保「当てたろか。黒沢先輩が
 目当てや。え、そやろ」
教平「そんな、ちがいます」
久保「ほんまにかぁ」
教平「ほんまです」
久保「それやったらええんやけ
 どな。あれ、俺の女やから」
とりまきからドッと笑いが起き
 る「ちがうやんけ」の声。
久保「うるさいわっ。俺の女に
 するんじゃっ――おまえまで
 なにを笑とるんじゃ!」
   末永にビンタをする久保。
末永「すみません」
久保「おい、クソデブ。おまえ
 みたいなブタがよ、黒沢といっ
 しょに青原の公民館行ってる
 の見るだけでクソムカつくん
 じゃ。ボケ!」
   教平の腹に膝蹴りを入れ
   る久保。
久保「奥原のガキはションベン
 臭い一年と付き合い始めたい
 うて聞いたから、安心しとっ
 たのによ。ええかクソデブ。
 黒沢美花は絶対俺の女にす
 る。よう覚えとけ」
  立ち去る久保らヤンキー
  集団。
  教平、腹を押さえ地面に
  寝転び、苦悶し続けている。

〇山ヶ崎高校・旧宿直室・室内
   六畳間に座っている美花、
   健介、蘭子。三和土に立っ
   て俯いている教平。
美花「やめたい理由、教えてくれ
 る?」
教平「それは――やっぱりぼくに
 は向いてないって思うし。足引っ
 張ってるだけやし」
健介「相撲はどうするんや。神田
 から練習休んでるって聞いたけ
 ど、そっちもやめるんか」
   小さく頷く教平。
蘭子「ほんまの事言ぃや」
   蘭子を見る美花と健介。
蘭子「こないして下向いてボソボ
 ソいうときは嘘ついてるときな
 んです。なぁ、昔からそうやん
 なぁ!」
   教平、俯いたままでいるが。
教平「なんで……なんでクソデブ
 とか言われなあかんのや……
 なんで、なんでブタとか言われ
 て蹴られなあかんのや!」
  うずくまり、すすり泣き始め
  る教平。
美花「高野くん、なにがあったん?」
   嗚咽する教平を見つめる三人。

〇路上
   学校からの帰路。同級、下
   級生のヤンキー集団を引き
   連れ帰っている久保。
美花「久保君」
   後ろから声をかける美花。
   振り返り美花を見てにや
   ける久保。
久保「黒沢ぁ」
美花「あんた、えらいうちの一
 座の後輩かわいがってくれた
 みたいやないの」
久保「ん?――あぁ、あのデ
 ブか」
美花「久保君、あんた一か月
 くらい前にアサリに当たっ
 て、郡民病院に救急車で運ば
 れたやろ」
久保「おまえ、なんでそんなこ
 と」
美花「大騒ぎやったって聞いた
 で。『お母さん、母さん、お
 腹痛い、痛いぃ!』いうて」
久保「……そんなこと、あるか。
 なにをデタラメ言うとるんや」
美花「知ってるんよ。おっきい
 お姉ちゃん、あそこの看護婦
 してるから。最初にあんたの
 手当したの佳代姉ちゃんなん
 よ」
久保「……」
美花「『カラの大きな子がお母
 さん、お母さん、言うて泣き
 わめいてかわいらしかったわ』
 言うて佳代姉ちゃん笑ってた
 わ」
久保「……」
美花「はっきり言うわ。つきま
 とわんといて。今度また高野
 くんにひどいことしてみ、今
 の話し言いふらしたるから。
 ボンタンはいてイキがってる
 ヤンキーの久保は、どえらい
 マザコンやって、学校中に言い
 ふらしたる――分かった?」
久保「黒沢、おまえ」
美花「気安ぅ呼び捨てにせんと
 いて。わたしはあんたが大嫌
 いや。中身スカスカなくせに
 イキがってるあんたみたいな
 人間、ほんまに嫌いや。顔見
 るだけでゲー出そうや」
   言い放ち立ち去る美花。
   立ち尽くしている久保。
   やがて叫び声上げて、末
   永たち後輩にビンタをく
   れ、蹴りを入れ始める。

〇山ヶ崎高校・小運動場・土俵
   土俵の周囲をすり足で回っ
   ている。まわし姿の直人。
   その様子を見ている内橋。
内橋「高野はやっぱりケツ割っ
 てしもうたか」
   すり足を続ける直人。や
   がてその足を止め内橋を
   見る。
直人「あいつは、戻ってきます」
内橋「そない思うか」
直人「はい」
   またすり足で土俵周囲を
   回る直人。

〇前同・中庭
   速足で歩いている蘭子。
   その少し後ろをトボト
   ボ俯きがちに歩いてい
   る教平。
   蘭子振り返って。
蘭子「ほら、サカサカ歩かん
 かいな」
   俯いて立ち止まる教平
   を見てため息をつく蘭
   子。
蘭子「ほんまに――あんたな
 あ、もうそろそろやな、自
 分のお尻は自分で拭くよう
 にならんとあかんで、ほん
 まに。小学校のときはわた
 し。今度は美花さん。全然
 成長してへんやん。もうちょ
 っと性根入れ!」
教平「――うん」
蘭子「ほら、行くで!」
   速足で歩きだす蘭子。
   トボトボついていく教平。
   
〇前同・小運動場・土俵
   すり足を続けている直人。
   そこへやってくる教平と
   蘭子。内橋が二人に気づ
   く。
内橋「お、神田のいうことが当
 たったわ」
   内橋の傍に来て会釈する
   教平。内橋、蘭子を見て。
内橋「なんや高野、おまえ彼女
 いてたんか。スミにおけんな」
蘭子「やめてください先生。わ
 たしはこのヘタレが逃げへん
 よう連れてきただけです」
内橋「ははっ、そうか。高野、
 続けるか相撲?」
   黙ったままの教平。
蘭子「ほら、先生訊いてるやん。
 ちゃんと答えんかいな」
   小さく頷く教平。
教平「勝手に休んですみません
 でした」
内橋「よっしゃ。そしたらまわ
 しつけに体育倉庫行こか」
   体育倉庫へと歩きだす二
   人。内橋振り返って蘭子
   を見て。
内橋「見に来るか?」
蘭子「行くかぁっ!」
   大笑いする内橋。ムッと
   した顔で遠ざかる二人の
   後ろ姿を見ている蘭子。
蘭子「ほんまに、いつまでたっ
 ても世話のかかる子やで」
   ため息をつく蘭子。直人
   と目が合う。
   直人、一瞬の笑みを見せる。
蘭子「え」
   真剣な顔ですり足を続ける
   直人を見つめる蘭子。

〇青原地区公民館・大広間
   入って行く教平。
   座って畳の上にポスターを
    広げている健介。その周り
   に美花、蘭子、敬造、玄次
   ら座員たちも座って『夢川
   春太郎一座公演』の文字が
   躍るポスターを見ている。
敬造、教平に気づき顔を上げて。
敬造「『森の石松・金毘羅代参』
 や今年は。いよいよ息子が主
 役を張るか」
   蘭子も上気した顔を上げて。
蘭子「健ちゃんな、卒業したら
 この劇団に入るんよっ、もう
 決めてるんやって!」
   美花も教平を見る。
美花「来月あさかパラダイスで
 やるんよ。み
んなで観に行くんよ。高野くん
 も行くやろ」
   夢川春太郎と息子恋太郎が
   写されたポスターをじっと
   見ている教平。やがて小さ
   く頷く。

〇路上
   走るマイクロバス。

〇マイクロバス・車内
   山ヶ崎青原一座全員が乗っ
   ている。並んで座っている
   教平と美花。
美花「高野くん」
教平「はい」
美花「あんな、高野くんだけには
 言うとこって思ってな」
教平「え、なにをですか」
美花「わたしな、つきあってる人
 いてるんよ」
教平「――そうなんですか」
美花「うん、両親にも言うてへん。
 おじいち
ゃんも知らへん。けど、なんかな、
 なんか
高野くんには知っててほしかった
 んよ。そやから、今、言うた」
教平「はぁ」
美花「ほら、なんて言うたって、
 お蔦と茂兵衛やる仲やもん」
教平「はぁ」
美花「二人だけの秘密や」
   微笑む美花を見つめる教
   平。やがて頷く。

〇あさかパラダイス・駐車場
   大型ヘルスセンター、あ
   さかパラダイスの駐車場
   に停まるマイクロバス。
   敬造を先頭に降りてくる
   一座の面々。

〇前同・大劇場
   舞台では夢川春太郎一座
   公演『森の石松・金毘羅
   代参』が演じられている。
   石松を演じる夢川恋太郎
   こと篠崎雅之(18)。
   三十石船の場面。
●石松(雅之)「――だから江戸っ
 子さんよぉ。よっく思い出して
 おくれよぉ。清水一家にゃもう
 ひとり強ぇのはいませんかって
 んだ」
江戸っ子役「思い出すもなにもね
 えつ
ってんだ。いいかい耳の穴かっぽ
 じってよく聞きな。清水一家で
 強ぇのは大政、小政、大瀬の半
 五郎、遠州森のい……」
  はっと気づく江戸っ子役。
石松(雅之)「ん、なんだって?」
江戸っ子役「大政小政大瀬の半五郎――
 遠州森の石松……あー、客人すま
 ねえ、俺っちとしたことがいっと
 う強ぇのを忘れてたぜ。清水一家
 で飛びぬけ強ぇのは遠州森の石松
 だぁ」
石松(雅之)「そうかいそうかい。
 食いねえ、食いねえ。寿司食いねぇ。
 でよ、その石松ってのはそんなに強ぇ
 かい」
江戸っ子役「ああ、強ぇね。あんな強ぇ 
 のは見たことねぇやい。戦国の世に生
 まれてたら侍大将間違いなしだったろ
 うねぇ」
石松(雅之)「そうかい、そうかい。呑
 みねぇ呑みねぇ。寿司食いねえ。よく
 分かってるねえさすが江戸っ子、」
江戸っ子役「神田の生まれよ。ただなあ」
石松(雅之)「ただ、なんだい」
江戸っ子役「この石松ってのは人間が馬
 鹿にできてる」
石松(雅之)「――馬鹿」
江戸っ子役「ああ。馬鹿も馬鹿、大馬鹿 
 よ。例え火の中水の中って云うけどよ、
 こいつは次郎長親分に言われりゃ、本
 当に火の中でも水の中でも『へい、親
 分!』つって飛び込んじまうくれぇの
 大馬鹿よ。あの馬鹿は死ななきゃ治ら
 なねぇやなあ」
石松(雅之)「――返せ」
江戸っ子役「ん?」
石松「寿司も酒も返せつってんだこの
 野郎!」
江戸っ子役につかみかかる石松役の雅
 之。てんやわんやの舞台に爆笑がお
 きる客席。
江戸っ子役「――あっ、客人、お前さん
 もしかして!?」
石松(雅之)「もしかしてもねぇやい!
 気づくのが遅いや! 泣く子も黙
 る清水一家の森の石松たぁ俺のこ
 とだい! おうとも、次郎長親分
 に言われりゃ、ざんぶとここから
 飛び込んで、駿河の海まで泳いで
 いってやらぁな!」
   見栄を切る石松役の雅之。大
   きな拍手と歓声が起きる。
   教平も拍手をしている。
 ●都鳥一家に惨殺される場面を鬼気
   迫る様で演じる雅之。舞台に
   ひとり立っている雅之。
石松(雅之)「――馬鹿は、俺の馬鹿は
 死んだら治るかなあ……親分、すま
 ねえ――」くずおれる雅之。
 ●石松の遺髪を手にして涙し、仇討ち
   を誓う春太郎こと篠崎春雄(45)
   が扮する清水次郎長。
 ●クライマックス、清水一家と都鳥一
   家の決闘場面。座員たちの華麗か
   つ迫力のある殺陣。
   やがて次郎長役の篠崎と都鳥吉
   兵衛役のサシの勝負へ。吉兵衛役
   を討ち果たす次郎長。
    次郎長役の篠崎、刀をかざし。
次郎長(篠崎)「石松、仇は、仇はこ
 の次郎長がとってやったぞ!」
   客席から万雷の拍手。教平も
   夢中で拍手をする。

〇前同・研修室前廊下
   春太郎一座が楽屋として使っ
   てる研修室。その前で待って
   いる教平、蘭子、美花、健介。
   楽屋から出てくる雅之。続い
   て篠崎も。
雅之「健ちゃん、久しぶり!」
健介「雅之くん」
   二人、笑いあう。
健介「よかった。すごくよかったよ
 雅之くんの森の石松」
雅之「ありがとう」
   雅之、蘭子を見て。
雅之「この子が電話で言ってた彼女?」
   健介、はにかみながら頷く。
蘭子「はい、桑田蘭子ですっ。お芝
 居とっても感動しました!」
雅之「ありがとう。元気いいね。健
 ちゃんのことよろしくね」
蘭子「はい、よろしくお願いされま
 した!」
雅之「あははっ、面白いなあ、きみ」
篠崎「奥原君、決意は変わらないん
 だね」
健介「はい」
篠崎「そうか。一からの修行になる。
 旅役者とはいえ、わたしたちはお
 客様からお金を頂戴するプロだ。
 厳しく仕込むよ。その上で下働き
 もやってもらう。いいね」
健介「はい、分かっています」
篠崎「うん。じゃあ卒業前にご両
 親といっしょに挨拶にきなさい。
 そのときに正式に入座を認めて
 あげるから」
健介「はい、ありがとうございま
 す」
   頭を下げる健介。
雅之「よかったね健ちゃん。でも
 彼女とはめったに会えなくなる
 よ」
蘭子「承知の上です!」
雅之「『承知の上』かぁ」
   場が笑いに包まれる。
   美花を見る篠崎。
篠崎「黒沢さんも久しぶり。一年
 見ないうちに、女っぷりに磨き
 がかかったんじゃないかい」
美花「素直に受け取っておきます」
篠崎「卒業後はどうするんだい」
美花「大学に進む予定です」
篠崎「そうか。花の女子大生って
 やつだね。いいかい、学生の本
 分は勉強だ。そこを忘れちゃい
 けないよ」
美花「はい」
   篠崎、教平を見て。
篠崎「お、新顔だね」
蘭子「ほら、教平ちゃん、ちゃん
 と挨拶して」
教平「――初めまして。高野教平
 といいます。あの、舞台とても
 素晴らしかったです」
篠崎「ありがとう。それにしても
 いい体してるなあ、きみ」
美花「そりゃあうちの駒形茂兵衛
 ですから」
篠崎「え、じゃあ『一本刀土俵入』
 やるのかい?」
美花「はい、今年の市民文化祭で。
 お蔦はわたしがやります」
篠崎「そうかぁ。いいなあ。いや
 俺もいつかはいつかはって思っ
 てるんだけど、 俺もせがれも
 ご覧のとおり細身だしね。似合
 いの座員もいなくてねぇ。でき
 ないでいるんだよね。いっその
 こと腹にアンコ入れてやってや
 ろうか、って思ったこともある
 んだけどね。それじゃあお客様
 の心に響くいいものはできない
 からねえ――高野くん」
教平「はい」
篠崎「駒形茂兵衛にうってつけの
 いい体をしている。それになに
 より目がいいよ、きみは」
教平「目?」
篠崎「ああ。憂いのあるいい
 目だ。役者はつまるところ
 目なんだよ。きみならいい
 駒形茂兵衛を演じることが
 できるはずだ。頑張ってみ
 なさい」
   微笑んでいる篠崎をじっ
   と見る教平。
教平「はい」
   強く頷く。

〇青原地区公民館・大広間
   『一本刀土俵入』の稽古
   をしている一座。敬造か
   ら格闘場面の指導を受け
   ている教平。何度もダメ
   出しを食らうが、真剣な
   眼つきで稽古をくり返す。

〇農業振興道路(早朝)
   上下スウェット姿で歩道
   を走っている教平。苦し
   そうに。途中で立ち止まっ
   てしまう。
   膝に両手をつき荒い息を吐く。
教平「こんなんやったら、あかん……」
   顔を上げる。走り出す。

〇山ヶ崎高校・小運動場・土俵
   四股を踏んでいる教平と直人。
     ×    ×     ×
   すり足で土俵を回る二人。教平、
   ぎこちない動きだが、真剣なそ
   の眼つき。
     ×    ×     ×
   ぶつかり稽古をする教平と直人。
   直人、ぶつかっては教平を投げ
   る。それでもすぐさま立ち上が
   り、直人に向かっていく教平。
   その様子を土俵下から見ている
   蘭子と内橋。
内橋「目の色変わったみたいに稽古
 するようになったわ、高野」
蘭子「目ぇ褒められましたから」
内橋「目ぇ?」
蘭子「単純なんやから。でも長い
 つきあいやけど、教平ちゃんの
 あんな目ぇは見たことない――
 先生」
内橋「なんや」
蘭子「勝ちたい人がいるんです
 よね、神田先輩」
内橋「ああ、北中から峰栄学園
 に行った田中いう生徒や」
蘭子「峰栄の相撲部ですか」
内橋「うん。ほんまは神田も行
 くのが夢やったそうなんやけ
 どな。ここの相撲部はその昔
 なかなかのもんでな。近畿大
 会の常連校やった」
蘭子「あの、先生ってもしか
 して」
内橋「ああ、ここのOBや。
 近畿の決勝では峰栄に軽う
 にひねられたけどな」
蘭子「そうやったんですか」
内橋「けど部員が入らへんよ
 うになって、十年ほど前に
 休部や。土俵とテッポウ柱
 残してな。知ってるか、体
 育倉庫の裏に丸太ん棒突っ
 立ってるの」
蘭子「あ、はい。なんやろっ
 て思ってました」
内橋「その休部してた相撲部
 を神田が復活させた。田中
 に勝ちたい一念でな」
蘭子「そっかー。神田先輩かっ
 こええなあ」
内橋「高野もかっこようなり
 かけとる」
蘭子「えー、そうかなあ」
   教平と直人のぶつかり稽
   古を見続ける蘭子と内橋。

〇体育倉庫・裏
   立っているテッポウ柱に
   向かって、汗まみれにな
   り、何度も両手を打ち込
   み続けるまわし姿の教平。

〇山ヶ崎高校・旧宿直室
   窓辺にたたずみ外を見て
   いる美花。
   部屋に入って来る教平。
   振り返り教平を見る美
   花。会釈する教平。
美花「高野くん、こっち来てみ」
教平「はい」
   靴を脱ぎ、六畳間に上が
   る教平。美花と少し離れ
   て窓辺に立つ。
美花「稽古ない日はやっぱり
 ここに来てしまうよね、な
 んか」
教平「あ、です」
美花「落ち着くっていうか」
教平「はい」
美花「ええ匂いするやろ」
教平「はい」
   美花、視線を落とし眼
   下に茂り、花をつけて
   いる銀木犀の樹を見る。
美花「銀木犀。わたしこの匂
 い大好きや」
教平「写真撮ってもらいまし
 た。入学式の時。この樹の
 下で」
美花「そうなんや」
教平「はい。先輩からコサー
 ジュ付けてもらった後で」
美花「そうかぁ。なんか縁
 があったんかな、わたし
 らって――高野くん」
教平「はい」
美花「セックスはまだやで、
 わたし」
教平「え」
美花「卒業するまで待ってっ
 て、言うてある。浩一く
 んも、それでええって言
 うてくれてるし――あ、
 キスはしたで」
   教平を見る美花。美
   花を見つめる教平。
   やがてその視線を外
   して窓外を見やり。
教平「お蔦と茂兵衛の仲で
 すもんね」
美花「うん――高野くん」
教平「はい」
美花「なんか、ここでうず
 くまって泣いてたのが嘘
 みたいやね」
教平「あのときは、ほんま
 にすみませんでした。な
 んか、自分が情けないで
 す」
美花「今やったら?」
教平「ぶちかまします。あ
 んないきがってるだけの
 ヤンキーらなんか、神田
 先輩に比べたら鼻くそ以
 下です」
美花「ははっ。『鼻くそ以
 下』かぁ。なあ、八幡さ
 んのお祭りのお相撲、高
 野くんも出るん?」
教平「はい」
美花「そっか、応援するわ」
教平「神田先輩、今、カミ
 ソリみたいです」
美花「ラストチャンスやも
 んね、田中くんに勝つ」
教平「はい。そのためだけ
 に先輩、ひとりで相撲続
 けてきたんやから。絶対
 勝ってほしいです。今、
 必殺技の練習台になってる
 んです、ぼく」
美花「必殺技。どんなん?」
教平「当日の楽しみにしとっ
 てください。あれが決まっ
 たら、神田先輩絶対勝てます
 ――黒沢先輩」
美花「なに」
教平「芝居の稽古、ちゃんと
 やります。けど、今日から
 祭りまでの二週間は、毎日
 神田先輩と稽古したいんで
 す。それ言いにきたんです」
美花「うん」
教平「八幡さんの相撲が終わっ
 たら芝居の稽古に専念しま
 す。敬造さんにそう伝えて
 おいてもらえますか」
美花「分かった。早よ行き。
 神田くんまわしつけて待っ
 てるで」
教平「ありがとうございます」
   頭を下げ畳から降り、
   部屋を出る教平。
   一人になる美花。また窓
   外を見やる。微笑みを浮
   かべ、大きく鼻から息を
   吸い込む美花。うっとり
   するその顔。

〇山ヶ崎高校・廊下
   放課後、歩いている教平
   の後ろから声をかける末
   永。
末永「高野」
   振り返り末永を見る教平。
末永「ちょっと顔貸せや」
   末永、教平を睨む。その
   視線を逸らさない教平。

〇前同・校舎裏
   対峙している教平と末永。
   末永の後ろには同級生の
   ヤンキーたちが四人。
末永「顔貸してくれたついでに
 金も貸してほしいんやけどな」
教平「なんでぼくが末永くんに
 お金貸さなあかんのや」
末永「――これや。高野、おま
 えいつから俺によ、そんなえ
 らそうな口きけるようになっ
 たんや、オラ。最近のおまえ
 見てたらな、マジでムカつく
 んじゃ。なにを調子こいとる
 んじゃ。いっぺんシメたらな
 あかん思ってよ」
   末永をじっと見る教平。
末永「なにメンチ切っとるんじゃ、
 おぉ!」
教平「ぼくは末永くんにお金貸
 す理由もないし、その気もな
 い。帰るわ。相撲の稽古せな
 あかんのや」
   末永に背を向け、歩み出
   そうとする教平。
末永「待たんかい、こら!」
   末永、拳を振り上げ殴り
   かかろうとする。
   振り返り、その手首を左
   手で掴む教平。
末永「ぐっ……おまえ、なにやっ
 とるんじゃ」
   教平、末永の手首を握っ
   た左手に力を込める。
末永「離せ……離さんかい、こら」
   右手で末永の額をがっちり
   掴む教平。
末永「ぐわっ」
教平「毎日握力鍛えてる。神田先
 輩のまわし掴むのたいへんやか
 ら」
   ぎりぎりと力を込める教平。
末永「痛っ、痛いっ……」
   末永の額を掴んだ右手にいっ
   そう力を込める教平。
末永「痛いっ、痛いってぇ!」
   唖然となりその様を見ている
   後ろの四人。
末永「やめろ、やめんかい!」
教平「人にもの頼むときには、言い
 方があるんとちがう、末永くん」
末永「あぁぁっ、やめて、やめてぇ!」
教平「やめてください、やろ」
末永「やめて、やめてくださいぃっ!」
教平「もう二度とぼくに絡んできぃ
 ひんって約束してくれる?」
末永「うえぇっ、するっ、しますっ、
 そやから、やめてぇ!」
教平「お母さん助けてって、言うて」
末永「な、なにを……」
教平「きみらの親分みたいに」
末永「うあぁっ!」
教平「言わへんの?」
末永「言うっ、言いますっ、お、お
 母さん、助けてぇっ!」
   あまりの痛みに泣き出す末永。
末永「痛い、痛いよぉ……ママ、助け
 てぇ……高野くんがいじめるんやぁ……」
   教平、動けないままの四人組
   を見て。
教平「ママって呼んでるんやって」
   手を離す教平。うずくまりこめ
   かみを押さえ嗚咽する末永を見
   下ろして。
教平「ほんまはこんなんしたくなかっ
 た。けど、こんなんせんと末永く
 ん分かってくれへんやろ。なあ、
 もうほんまに絡んでこんといてな。
 お金貸せとか言うてこんといてな。
 分かった?」
   泣きながら何度も頷く末永。去っ
   ていく教平。末永、うずくまっ
   てベソベソ泣き続けている。四
   人組、去っていく。

〇八幡神社・参道
   祭りの幟が何本も立てられ、屋
   台が数多く出ている。境内へと
   向かって歩いて行く人たち。

〇前同・境内
   能舞台があり、その壁の前に立っ
   ている直人。壁に貼ってある奉
   納相撲のトーナメント表をじっ
   と見ている。
   やってくる教平、美花、蘭子、
   健介。
健介「いよいよやな、神田」
   直人振り向き、健介を見て小
   さく頷く。
蘭子「教平ちゃんの名前もあるわ」
教平「そら出るんやからあるわいな」
健介「田中とは別の山か。決勝まで
 当たらんのやな」
美花「そしたら田中くんが途中で負
 けたらやで、神田くんがなんぼ勝
 ち続けても対戦できひんやんか」
健介「それはないやろ。あいつは決
 勝まで絶対に勝ちあがってくる。
 なあ」
  頷く直人。
蘭子「けど、なんかイヤな感じやわ、
 その田中っていうの。自慢たらし
 気に相撲のときにこっち戻ってき
 て」
健介「まあ、優勝したら花代十万貰
 えるしな」
蘭子「十万! マジ! 神田先輩、
 頑張らな!」
健介「アホ。神田はそんなんどうで
 もええんや」
美花「前に高野くんが言うたとおり
 やわ」
教平「え」
美花「ほんまにカミソリみたいや神
 田くん」
   トーナメント表をじっと見て
   いる直人。

〇前同・土俵(及びその周囲)
   奉納相撲が始まる。まわし
   をつけた教平が土俵に上が
   る。土俵下に敷かれたゴザ
   に座っている蘭子、美花、
   健介。内橋も。
蘭子「がんばれ、教平ちゃん!」
   四股を踏む教平。
   美花の隣に敬造と玄次がやっ
   て来て、座る。
美花「来たんや」
敬造「来ぃでか。ええ体になった
 やないか、あいつ」
美花「やろ」
敬造「あれでこそ駒形茂兵衛のリ
 アリティーが出るってもんやで」
  仕切り線の前で手を突く教平。
  行司の軍配が返る。
行司「はっけよい――のこった!」
   相手にぶつかっていく教平。
    ×     ×    ×
   蘭子たちのところへ来る教平。
美花「お疲れ様、高野くん」
教平「すみません、応援してもらっ
 たのに」
内橋「ええ勝負やったな」
敬造「水入りの大熱戦。ええも
 ん見させてもろうたわ」
玄次「見直したで」
教平「ありがとうございます」
敬造「さすがうちの駒形茂兵衛
 や。明日からの稽古も性根入
 れて頼んだで」
教平「はい」
   強く頷く教平。
蘭子「あっ、神田先輩出てき
 たで!」
   土俵に上がる直人。高々
   と足が伸びる四股に、観
   客からどよめきと拍手が
   おきる。
     ×    ×     ×             
   豪快に上手投げを決める直人。
     ×    ×     ×
   田中が土俵に上がる。でっぷ
   りした巨躯にどよめきが起き
   る。
観客A「さあ大本命の登場や」
観客B「さすがの体やなあ。団体全
 国優勝、個人戦ベスト4は伊達や
 ないで」
観客C「大相撲には行かへんのか」
観客A「進学するらしいで。四年
 後には幕下付け出しでデビュー
 ろな」
観客B「我が山ヶ崎町からも関取
 が生まれるかぁ」
観客C「楽しみなこっちゃなあ」
   鋭い目つきで田中を見つめ
   る直人。
     ×    ×    ×  
   対戦相手を子供扱いする田
   中。まわしを掴み、相手を
   高々と吊り上げ、土俵際を
   一周してから、そっと外へ
   置くようにして勝負を決め
   る田中。笑いとどよめきが
   おきる。田中、余裕綽々の
   笑みで勝ち名乗りを受ける。
蘭子「なにあれ。ほんま気にいら
 んわ、あいつ」
   頷く教平。
     ×    ×    ×
   決勝戦。土俵に上がる直人
   と田中。歓声が沸きおこる。
   幾度かの仕切り直しの後、
   土俵中央で向かい合う二人。
田中「久しぶりやな、どチビ」
   無言で田中を見る直人。
田中「去年の二回戦といっしょや。
 五秒で叩きつけたる。障碍残っ
 ても知らんで。まあ十万貰て帰
 るわ」
   二人、そのまま仕切り線の
   後ろへ。歓声の中、仕切る。
   行司の軍配が返る。
行司「はっけよい――のこった!」
   立会い。スッと背伸びする
   ように立ち上がる直人。虚
   をつかれる田中。すかさず
   懐に飛び込み両まわしを掴
   む直人。
教平「よっしゃ!」
   そのまま押し込む直人。だ
   が田中は動かない。笑みを
   浮かべて手を伸ばし直人の
   まわしを掴もうとする。
教平「先輩、腰、腰! 腰振って!」
   直人、腰を何度も振って田
   中の手を嫌う。
   田中、力ずくで前に出る。
   その圧力に押され土俵際ま
   で下がる直人。だがそこで
   踏ん張る。まわしを離さず
   必死で踏ん張る。
教平「怺えてっ、先輩怺えて!」
   田中、強引にまわしを取り
   に来る。
教平「先輩、今やっ、足!」
   その声に呼応するように、
   田中の左足を外掛けにす
   る直人。驚く田中。少し
   押される。だが踏みとど
   まる。
教平「掬って!」
   直人、左手をまわしから
   離し、すかさず田中の右膝
   裏に手をやり掬う。たたら
   を踏む田中。
教平「頭っ、頭やっ、押せえっ!」
   直人、田中の胸に頭を押し
   当て、そのまま一気に押し
   て行く。
田中「うわわわわっ!」
   直人、そのまま田中を土俵
   下に押し倒す。
教平「よっしゃあ!」
   両拳を突き上げる教平。
美花「なあ、今のんが必殺技!?」
教平「はいっ、三所攻めです!」
   大歓声と拍手が沸き起こる。
   荒い呼吸で立ち上がる直人。
   横になったまま動けないで
   いる田中。田中に手を差し
   伸べる直人。その手をはら
   う田中。
田中「まぐれじゃ、どチビが。え
 え気になるな」
   直人、しばらく田中を見つ
   めているが、やがてゆっく
   り土俵に戻る。立ち上がる
   と、そのまま歩き出す田中。
田中「どかんかいっ、こんな田舎
 相撲になんの意味があるんじゃ、
 ボケ!」
   騒めきの中去ってしまう田
   中。
   歓声と拍手の中、行司から
   勝ち名乗りを受ける直人。
   蹲踞の姿勢で手刀を切り、
   花代の十万を手にする。
   土俵を降り、教平の前に
   立つ直人。
直人「高野のおかげや。声、聞
 こえてたで」
   教平、泣いている。
直人「なんでおまえが泣いとる
 んや」
教平「そやかて、そやかて……」
蘭子「教平ちゃん、ほら!」
   頷く教平。直人を肩車する。
直人「高野、こら、おまえ」
   そのまま土俵に上がる教平。
   直人を肩車したまま土俵を
   周る。
直人「やめろ、やめんかいや」
   泣きながら土俵を周り続
   ける教平。
直人「やめろ、おい。やめろっ
 て高野……」
   やがて直人も泣きだす。
   担ぐ教平、担がれる直人。
   二人泣きながら、大歓声
   と拍手の中、土俵を周り
   続ける。

〇市民会館
   市民文化祭当日。一座の
   『一本刀土俵入』が上演
   されている。大詰三場<軒
   の山桜>、最後の場面。
美花(お蔦)「『お名残りが惜
 しいけれど』」
教平(茂兵衛)「『お行きなさ
 んせ早いところで。仲良く丈
 夫でおくらしなさんせ。ああ
 お蔦さん、棒ッ切れを振り廻
 してする茂兵衛のこれが、十
 年前に、櫛、簪、巾着ぐるみ、
 意見を貰った姐さんに、せめ
 て、見てもらう駒形の、しが
 ねえ姿の土俵入りでござんす』」
   ひとり、桜の樹の下で佇
   む茂兵衛演じる教平に、
   万雷の拍手が降り注ぐ。

〇山ヶ崎高校・校門前
   〈昭和六十ニ年度 山ヶ
   崎高校卒業証書授与式〉
   の看板が立っている。

〇前同・校舎入り口前・長机
 の前
   校舎入り口前に並べて
   ある長机。その前に並
   んで一年生から胸にコ
   サージュをつけてもらっ
   ている三年生たち。
   教平と蘭子、三年十組
   の生徒たちにコサージュ
   をつけている。蘭子の
   前に立つ美花。
蘭子「先輩、ご卒業おめでと
 うございます」
美花「ありがとう――蘭子ちゃ
 ん、ちょっとだけこないし
 て後ろ向いてて」
   耳に両手を当てる美花。
蘭子「え」
美花「お願い」
蘭子「――はい」
   両耳に手を当て、後ろ
   を向く蘭子。
   美花、教平を見て。
美花「高野くん、あのとき痛かっ
 た?」
教平「え」
美花「あさかパラダイス行くと
 きのバスの中」
   微笑んでいる美花を見つ
   める教平。
教平「――はい」
美花「うん」
教平「でも」
美花「でも?」
教平「お蔦と茂兵衛の仲やない
 ですか」
美花「――うん、そうやんね――
 蘭子ちゃん、もうこっち見て
 もええよ」
   両耳から手を離し、向き
   直る蘭子。
美花「卒業式終わったら、みん
 なで〈くじゃく〉や。神田く
 んも誘ってや」
教平「はい」
美花「そしたら、後でな」
   去っていく美花。
蘭子「『お蔦と茂兵衛の仲やな
 いですか』」
   ギョッとして蘭子を見る
   教平。ニヤニヤしている
   蘭子。
教平「聞いてたんやな」
蘭子「バスの中も。後ろの席
 やったしな」
   ため息をつく教平。その
   背中を強く叩く蘭子。
           (F・O)   

〇市民会館・大ホール・入口
   【平成元年度・市民文化祭】
   の看板が立っている。

〇前同・大ホール
   満員の客席。ステージ上で
   は山ヶ崎青原一座の公演が
   行われている。オリジナル
   の演目、そのクライマックス。
   凛々しい女武芸者姿の蘭子、
   武者姿の健介と雅之が、抜刀
   して立ち向かってくる敵たち
   を斬りまくる。
   やがて刀をぶら下げて出てく
   る親分役の教平。対峙する教
   平と蘭子。
蘭子「健右衛門、雅之助、手を出
 すな!」
健介「しかしお蘭殿!」
蘭子「手出し無用っ、わたし一人
 でこの民を苦しめる悪鬼を、そ
 して父の仇を討ち果たしてみせ
 るっ、わたしが斃れた時は―
 ―そのときは頼む!」
雅之「お蘭殿!」
教平「ぬは、ぬはは。威勢のい
 いことよの。だがしょせん女
 は女。そっ首跳ね飛ばしてく
 れるわ。来い!」
蘭子「覚悟!」
   教平扮する悪党の親分に
   斬りかかっていく蘭子。
   二人の剣戟場面。その見
   事な太刀捌きに観客から
   拍手が起きる。ギリギリ
   と刀を合わせる二人。パッ
   と離れる。同時に向かっ
   ていく。
蘭子「とりゃあぁぁっ!」
   教平の胴を払い、袈裟懸
   けに斬る蘭子。
教平「ぐあぁぁっ!」
   断末魔の叫びをあげ、ド
   ウと倒れる教平。会場か
   ら万雷の拍手。

〇前同・大ホール前
   舞台衣装そのままの姿で、
   観客たちを見送っている
   一座の面々。
教平「奥原先輩、雅之さん、こ
 の度は本当にありがとうござ
 いました。おかげさまでいい
 舞台になりました。殺陣の指
 導までしていただいて」
健介「蘭子に頼まれたら断られ
 へんよ。巡業も一段落したと
 ころやったしな」
教平「でもお二人ともさすが
 です。短い稽古期間やった
 のに」
雅之「親父が教平くんの台本
 褒めてたよ。『よく書けて
 る、うちの座付き作家にほ
 しい』って」
健介「来年座員になるか、蘭
 子みたいに」
教平「ははは」
雅之「教平くんは、文学勉強
 しに大学行くんだもんな」
教平「はい、そのつもりです」
雅之「うん。でもいつかうち
 の一座にも台本書いてほし
 いな。ぼくも今度の台本とっ
 てもいいって思ったからさ」
教平「はい、ありがとうござ
 います。けど先輩、ほんま
 に入るんですか蘭子」
   教平、観客の同級生た
   ちに囲まれ、ポーズを
   決めたり、写真を撮っ
   てもらったりして悦に
   いってはしゃいでいる
   蘭子を見る。苦笑いし
   て頷く健介。
健介「止めてもきかん女やか
 らな。よう知ってるやろ」
教平「はぁ」
雅之「健ちゃんの傍にいたいっ
 ていう一途な気持ちじゃん。
 でも蘭子ちゃん入ったら、
 お姫様役に困らなくなるな、
 うちの一座も」
健介「いやぁ、とてもお姫様
 いうガラやないで、あれは」
   笑う三人。
雅之「そうだねぇ。どっちかっ
 ていうとほら、
お蔦やったあの子」
教平「黒沢先輩ですか」
雅之「そうそう、黒沢さん。
 あの子の方がお姫様タイ
 プだよね。進学したんで
 しょ。帰ってきて観にこ
 なかったの?」
教平「はい。去年は観にき
 てくれたんですけど――
 敬造さんに訊いたんです
 けど、なんかおかしいん
 ですよね」
健介「なにが?」
教平「なんというか、反応
 がおかしいんですよね」
健介「そうやなあ、稽古の
 ときもなんか前より元気
 なかったもんなあ」    
   喧騒を離れ、腕を組
   んで一人佇んでいる
   敬造。

〇山ヶ崎高校・図書室(昼休み)
   大机を前にして座り本を
   読んでいる教平。そこに
   近づいてくる女子生徒。
真希「あの、すみません」
   秋本真希(16)を見る
   教平。
真希「高野先輩ですよね」
教平「そうやけど」
真希「わたし、一年六組の秋本
 真希って言います。この前の
 市民文化祭におばあちゃんと
 いっしょに行ったんです。あ
 のお芝居も観ました」
教平「そう」
真希「すごく面白かったです。
 あの台本、先輩が書いたん
 ですよね」
教平「え、なんで知ってるの
 ん?」
真希「パンフレットに書いて
 ありましたから。でも先輩
 すごいですよね、台本なんて
 書けるんやから。憧れます」
教平「見よう見まねっていうや
 つや」
真希「あの、笑わんといてく
 ださいね。わたしの将来の
 夢、小説家なんです」
教平「うん。いや、べつに笑っ
 たりせえへんよ」
真希「あの、先輩それなに読
 んでるんですか」
   教平、一旦本を閉じタ
   イトルを真希に見せる。
真希「山田、かぜたろう全集」
教平「風太郎」
真希「あ、そうなんや。おもし
 ろいですか」
教平「とびきりや。今いろん
 な忍法使いが脳ミソの中飛
 び回ってるわ」
真希「忍法使い、へえ」
教平「好きな作家とかいてる
 の?」
真希「赤川次郎さん、好きです。
 あと、氷室冴子さんも」
教平「そっか。ぼくも中学校の
 ときよう読んだで赤川次郎。
 『セーラー服と機関銃』も
 好きやけど『プロメテウス
 の乙女』、あれがいちばん
 好きやな」
真希「えっ、わたしもすごく
 好きなんです、あの作品!」
   微笑んで真希を見る教平。

〇山ヶ崎高校・旧宿直室
   少し距離を開けて窓辺に
   立って外を見ている教平
   と蘭子。
蘭子「部屋にずーっとこもって
 出てこんらしいわ。黒沢先輩
 アホや――避妊する節度もあ
 らへんやなんて、正直幻滅し
 たわ」
教平「そんなん、言ぃなや」
蘭子「相手知ってるか。つきあっ
 てた彼氏とちがうんよ」
教平「え」
蘭子「すごい大きなお寺の息子
 なんやて」
教平「――そうか」
   窓外を見る教平。
   ドアが開く。真希が立っ
   ている。
真希「買ってきましたぁ!」
   カップ麺の入った袋をか
   ざす真希。

〇〈ちぐさ〉店内(夜)
   のれんのしまわれた店内。
   カウンター席に座ってい
   る教平と敬造。洗い物を
   している淑乃。
敬造「ひいじいさんになるんや
 で」
教平「あ、そうですよね」
敬造「子供が二十歳になるま
 で養育費出すって念書もらっ
 たからな。後腐れなしや」
教平「結婚、するとかは」
敬造「ごっつい寺の御曹司や
 からな。檀家へのメンツい
 うもんがあるんやろ。ハナ
 から銭の相談から入ってき
 たわ。しょうもない」
  グラスのビールを呷る敬
  造。
教平「先輩、お元気ですか」
敬造「ああ。大きな腹して、
 飯食うときだけ部屋から
 出てきよるわ」
教平「そうですか。よろし
 くお伝えください」
敬造「ああ――ボクよ」
教平「はい?」
敬造「ただの肥えた子、な
 んか言うて悪かったな」
教平「いえ。ただの肥えた
 子でしたから」
   微笑みながら洗い物
   を続ける淑乃。

〇八幡神社・境内
   祭りの日、奉納相撲の
   最中。土俵上、教平と
   直人の一番。
   がっぷり四つの両者。
   土俵中央で動かない二
   人に拍手が湧く。やが
   て土俵際まで直人を押
   込む教平。懸命にがぶ
   り寄る。身を仰け反ら
   せ怺える直人。
   しばらくの後、豪快に
   うっちゃりを決める直
   人。勝負あり。
   土俵下に倒れこんだ二
   人。先に立ち上がる教
   平。直人に手を差し出
   す。
教平「やっぱり勝てませんで
 した」
直人「百万年早いわ」
教平「花代貰ったら、くじゃ
 くのお好み、おごってくだ
 さいよ」
直人「おう、任せとけ――共
 通一次がんばれよ、高野」
教平「はい」
   拍手の中、教平の手を
   り、立ち上がる直人。

〇山ヶ崎高校・校門前
   〈平成二年度 山ヶ崎
   高校卒業証書授与式〉
   の看板が立っている。

〇前同・校舎入り口前・長机の前
   校舎入り口前に並べてあ
   る長机。その前に並んで
   一年生から胸にコサージュ
   つけてもらっている三年生
   たち。
   その列の中に教平もいる。
   並んで蘭子も。
   三年生女子にコサージュを
   つけているのは真希。真希
   の前に立つ蘭子。
真希「先輩、ご卒業おめでとうご
 ざいます」
蘭子「うん、ありがとう。あと頼
 んだで」
真希「はい。新入生めちゃくちゃ
 勧誘します。心配せんといてく
 ださい。先輩も頑張ってくださいね」
   頷く蘭子。
蘭子「これよりは、愛しの君との旅
 がらす、なんの不足があるものか~」
   声をあげて笑う二人。
   真希、教平にコサージュをつけ
   ようとしていた男子生徒から、
   それを奪い取り、教平の胸に
   付け始める。
真希「あとで第二ボタン、ください
 ね」
教平「え」
   教平を潤んだ目で見る真希。
蘭子「ういぃ~~。ひゅーひゅー」
   教平の頬を拳でグリグリする
   蘭子。されるがままになって
   いる教平。

〇前同・校庭
   銀木犀の樹の下に並んで立
   ち、桑田に写真をとっても
   らっている教平と蘭子。
   その様子を見守っている淑
   乃と信代。

〇高野家・居間兼台所(早朝)
   寝間着に腹巻姿の教平が現
   れる。朝食を作っている淑
   乃。
淑乃「おはよう」
教平「――おはよう」
淑乃「早よ歯ぁ磨いてきいや」
教平「うん」
   部屋を出ていく教平。
     ×    ×    ×
   淑乃の心づくしの朝食を食
   べている教平。向かい合っ
   て座る淑乃、嬉しそうにそ
   の様子を見ている。
淑乃「お父ちゃんにチンチンして
 から行きや」
教平「分かってる」
淑乃「山梨か、遠いなあ」
教平「うん」
淑乃「腹巻、忘れんともって行き
 や」
教平「分かってる」
淑乃「おかわりは?」
教平「うん」
   教平の差し出した茶碗を
   受け取る淑乃。

〇前同・仏間(早朝)
   仏壇前に正座して鈴を鳴ら
   し、静かに手を合わせる
   教平。
   立ち上がり、部屋を出る。

〇前同・玄関先
   信代の車がアイドリング
   状態で止まっている。立っ
   ている信代。
   玄関からボストンバッグ
   を持って出てくる教平。
   続いて淑乃も。
淑乃「そしたら信代さん、よろ
 しくお願いします」
信代「了解。ほら教平ちゃん、
 お母ちゃんにちゃんと挨拶
 せな」
   向かい合う親子。
教平「夏休みや正月は帰って
 くるから」
淑乃「うん」
信代「それだけかいな。まあ
 蘭子も遠足行くみたいにし
 て出てったけどなあ。うちの
 人ボロボロ泣いてるのに――
 よっしゃ、そしたら行こか」
教平「はい、お願いします」
   信代の助手席に乗り込
   む教平。信代も運転席
   へ。
   発車。遠ざかる車をじっ
   と見ている淑乃。車、
   やがて視界から消え去り。
信代「ただの肥えた子産んだ覚
 えはないんやで」
   淑乃、少し涙ぐむ。

〇バスターミナル・外
   信代の車が停車する。助
   手席から降りる教平。信
   代に深く頭を下げる。ク
   ラクションを鳴らし、去っ
   ていく信代の車。教平、
   ターミナル舎内へと入っ
   て行く。

〇前同・舎内
   いくつか並べられたベン
   チに座っている教平。舎
   内のドアが開く。見る教
   平。
教平「黒沢先輩……」
   美花、微笑み立っている。
    ×     ×    ×
   ベンチに並んで座ってい
   る二人。
美花「お家に電話かけたんよ。今
 日発つって蘭子ちゃんから電話
 もらったん」
教平「蘭子が」
美花「うん。声、聞きたぁなって。
 そしたらお母さんが電話に出て、
 さっき出たって言われて。お父
 さんが仕事行くついでに乗せて
 きてもらったんよ。間に合って
 よかった」
教平「先輩」
美花「子供な、先月産まれた。女
 の子なんよ」
教平「はい、敬造さんから聞いて
 ます」
美花「うん。幸恵って名前。わた
 しがつけた。幸せに恵まれるよ
 うにって」
教平「そうですか」
美花「ふられてんよ、わたし」
教平「え」
美花「大学入ってから一年間は
 つきあってたんやけどな、他
 に好きな女が出来た、なんて
 言われて。そんでから、しば
 らくして友達に誘われた合コ
 ン行ってな。そこで出会った
 男とそのままラブホ。で、今
 に至る。ははは、アホやろ」
   笑う美花の横顔をじっと
   見る教平。
美花「高野くん憧れの黒沢先輩
 は、思っている以上にアホな
 んよ」
教平「先輩」
美花「自棄になってたんやなあ。
 もうどうにでもなれって。
 『俺、つけんとしたことない
 ねん、ええか』って訊かれて
 『大丈夫な日やからええよ』っ
 て。全然大丈夫な日やなかっ
 たんやけどな――ごめんな、
 こんな話しして。ハレの日や
 のにな」
教平「いえ」
美花「けどな、幸恵産んだこと
 は後悔してへんのや」
教平「はい」
美花「高野くん、文学勉強する
 んやろ」
教平「はい」
美花「頑張ってな。学生の本分
 は勉強やで――っておまえに
 言われたないわなあ」
   笑う美花。
   駐車場の停車エリアにバ
   スが入ってくる。
美花「あ、バス来たわ。行かな、
 高野くん」
   立ち上がる美花。教平も。

〇前同・駐車場
   停まっているバスへと歩
   いて行く二人。
美花「たまには帰ってくるんやろ」
教平「はい」
美花「そのときはまた会いたいな――
 会ってくれる?」
   停車中のバス、開いている
   後部扉の前に立つ二人。教
   平、美花をまっすぐ見て。
教平「当たり前やないですか。そ
 のときは三人で会いたいです。
 幸恵ちゃんも連れてきてくだ
 さい」
美花「高野くん、あんたはほん
 まに――」
教平「お蔦と茂兵衛の仲やない
 ですか」
美花「うん、そうやんね」
教平「はい」
美花「けど、四人かもなあ」
教平「え」
美花「かわいい彼女連れて帰っ
 てきてたりして。蘭子ちゃん
 から聞いたで。後輩の女の子
 に第二ボタンせがまれたんや
 ろ。モテモテやん」
教平「あのしゃべり……」
   微笑んで教平を見つめる
   美花。
美花「『何だか少し心細いねえ』」
教平「え?」
美花「『何だか少し心細いねえ』」
   美花、くり返す。お蔦の台
   詞だと気づく教平。
教平「『いやあ大丈夫です、わし
 は、石に咬りついても横綱に出
 世しなけりゃ』」
   二人『一本刀土俵入』の台
   詞を交わし始める。
美花「『その料簡でみッちりおや
 り。名は何ていうのだい』」
教平「『わしは、駒形と名を付け
 て貰っています。駒形というの
 は故郷の名だ。名は駒形茂兵
 衛といいます』」
美花「『駒形茂兵衛だね』」
教平「『あい。姐さん、わし
 出世して三段目になっても、
 二段目になっても、幕へはい
 ろうが、三役になろうが、横
 綱を張るまでは……」
   教平の目から涙が零れる。
教平「『いかな、いかなことが
 あっても駒形茂兵衛で押通し
 ます』」
   教平、涙を拭う。
美花「それだとあたし直ぐわかっ
 ていいねえ。じゃあ、お行き、
 左様なら』」
教平「『はい。左様なら姐さん』」
美花「『出世を待ってるよ』」
教平「『はいッ』」
   ステップに足を掛け、バ
   スに乗り込む教平。そこ
   で向き直る。美花に頭を
   深く下げる。その様をじっ
   と見ている美花も涙ぐん
   でいる。
美花「『――あれ、まだこっち向
 いてお辞儀してる。そんなに嬉
 しかったのかねえ。駒形――』」
   発車ブザーが鳴る。意を決
   するように美花に背を向け
   る教平。

〇バス・車内
   最後部の座席に腰を降ろす
   教平。

〇バスターミナル・駐車場
   バスが発車する。道路へと
   出る。その様を泣きながら
   見ている美花。
美花「『お名残りが惜しいけれ
 ど』」
   美花、つぶやくように言っ
   て。やがて見えなくなるバ
   ス。

〇バス・車内
   うつむいてる教平。泣いて
   いる。泣きながら――。
教平「『おいきなさんせ早いと
 ころで。仲良く丈夫でおくら
 しなさんせ』――」
   バスのフロアに零れ落ちて
   いく教平の涙。『一本刀土
   俵入』、茂兵衛最後の台詞
   を続ける教平。
教平「『ああお蔦さん、棒ッ切れ
 を振り回してする茂兵衛のこれ
 が、十年前に、櫛、簪、巾着ぐ
 るみ、意見をもらった姐さんに、
 せめて見て貰う駒形の、しがね
 え姿の、土俵入りでござんす』――」
   言い終えた教平、ゴシゴシ
   と拳で涙を拭う。そしてキッ
   と顔を上げる。
   走り続けるバスの中、まっ
   すぐ前を見ている教平。
                 (了)

この脚本を購入・交渉したいなら
buyするには会員登録・ログインが必要です。
※ ライターにメールを送ります。
※ buyしても購入確定ではありません。
本棚のご利用には ログイン が必要です。

コメント

  • まだコメントが投稿されていません。
コメントを投稿するには会員登録・ログインが必要です。